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2017年03月20日

キース・ジャレット 生と死の幻想

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「綺麗」と「美しい」の違いとは何か?

尋ねられるとつぶさには答えられないので、じっくりと考えてみました。

すると思うに「綺麗」というのは、主に視覚や聴覚に鮮やかに飛び込んでくる、その瞬間的な何かのことで「美しい」というのは、視覚や聴覚にありのまま飛び込んできた情報に止まらず、それによって何かしらの想像の力が働く、端的に言えばそこからストーリーが導き出されるものの事全般を指すのではないかと思います。

いやもっとシンプルに「美しい」というものは「綺麗では収まらない恍惚や陶酔を孕んだもの」ではないでしょうか。

例えばキース・ジャレット。

この人のピアノは「綺麗」の最たるものです。

ピンと背筋が伸びるような、濁りのないタッチ、繰り出すフレーズの端正さと透明度は、これがジャズであることを忘れさせてしまう、つまり恍惚と陶酔でもって「これは何」という根幹の部分にある心の壁を溶かしてしまうぐらいのものを持っている。

でも、ここまでなら単なる「綺麗」です。

キース・ジャレットの音楽は、そこから更に聴く人の心の深淵に、スッと入ってきて、色々と狂おしく掻き乱します。つまり美しい。

矛盾するかも知れませんが、何故彼の表現が美しいのか?それは「完璧じゃないから」だと思うんです。

綺麗なメロディーを弾いてるけれど、ギリギリのところで甘美に流れる事を断固拒否してるかのような、厳しい音の選び方や、演奏中の「イー、イー」という妙な唸り声。

正直これがなければキースは完璧。

と、思う要素は結構あるんですが、それらがなかったらキース・ジャレットというピアニスト、恐らく記憶にすら残らない存在で終わったことでしょう。

キースの言葉です。

私達はもっと花のように努めるべきである。
彼らにとっては毎日が生の体験であり、死の体験でもあるから。

−キース・ジャレット.



どうでしょう?花について語るとき、ほとんどの人はその美しさ、眩しいほどの生命の咲き誇る様を無条件で讃えがちですが、彼は慎重に言葉を選びながら

「花というのは生でもあるが死でもあるよ」

と言ってます。





【パーソネル】
キース・ジャレット(p,ss,fl,perc)
デューイ・レッドマン(ts,perc,@B)
チャーリー・ヘイデン(b)
ポール・モチアン(ds,@B)
ギレルミ・フランコ(perc,@B)

【収録曲】
1.生と死の幻想
2.祈り
3.グレイト・バード


この言葉が記されたライナノーツが入っているのは、アルバム「生と死の幻想」。

最初に知った時は、何だか70年代のハードロックのアルバムジャケットにしか見えず、もっと具体的には

「どこのシン・リジィだよ」

としか思えず、中身がまるで想像できなかったので、気にはなるけど(大好きなlmpulse!レーベルのだし)、聴くのは大分遅くなってしまっていたアルバムです。

キースといえば、今も籍を置いているドイツのECMレーベルでの、とにかく美しいピアノ・トリオやソロ・ピアノ、それかヨーロッパのミュージシャン達と、洗練と透明を極めた"ヨーロピアン・カルテット"だよな〜と思っていた所に、インパルスという、キースのイメージとはちょっと合わない、フリージャズやカルトでモンドなポップスに寄った個性派や、或いは30年代40年代に活躍したスウィング・ジャズの往年の名手達による渋くて硬派なイメージのレーベルから出された、しかもクレジットを見ると、ビル・エヴァンスと組んでいたポール・モチアンは分かるけど、デューイ・レッドマンやチャーリー・ヘイデンという、フリーの親玉オーネット・コールマン系のコワモテな方々。

うん、どんな音かますます想像できません。

購入までどれくらいかかったか、とにかく長い時間かかりましたが、ようやく聴いた時は、トリオやソロ・ピアノやヨーロピアン・カルテットとはまるで違うサウンドながら

「あ、美しい・・・」

と、絶句しました。

フルート(キースが吹いてる)とパーカッションが、どこか奥アジア辺りの民族音楽を思わせつつ、やはり端正さと切なく儚い美旋律を炸裂させるピアノが出て来てから、聴く人をためらいなく恍惚と陶酔の世界へ誘うタイトル曲「生と死の幻想」から、チャーリー・ヘイデンの生き物のように艶かしいベースとピアノの深い対話の「祈り」再び民族音楽調のパーカッションとサックスが炸裂する中、その土臭さに激しく対抗するかのようなメロディアスなピアノでぶつかってゆく「グレイト・バード」まで、音楽を聴きつつも、古代遺跡に刻まれた一大叙情詩の世界を浴びているような特別な感覚・・・。

これを「美しい」と言わずして何と言いましょう。

ライナーによると、この時期のキースは思うところあって、ジャズの表現からはどんどん逸脱して行きたかったんだとあります。その逸脱を音にしたものがこのインパルスの、アメリカン・カルテットの演奏であるよと。

確かに「ジャズ」を逸脱して、何というか上の次元の美しさをモノにしたような音楽であります。この底無しの幻想美にいつまでも酔いましょう。



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『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
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posted by サウンズパル at 21:53| Comment(0) | TrackBack(0) | ジャズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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