2017年09月24日

ミリアム・マケバ 1955-1962

6.jpgミリアム・マケバ/1955-1962
(オルターポップ)


「クイーン・オブ・アフリカン・ソウル」「アフリカン・ポップスの女王」として、広く知られるミリアム・マケバ。

「いや、そんなこと言われても誰?」という方でも、この人の最大のヒット曲となった『パタパタ』を聴けば「あー、流行ったね」「そういえば学校の創作ダンスとかで流れてたわ」と、なることうけあいです。

アタシも「パタパタ」は知っていて、というよりも何か聴いたことあるぐらいにずっと思っていて、この歌を歌ってる人が誰かということにさほど興味もなく過ごしていたんですが、2000年代の始め頃に、畠山美由紀さんがヴォーカルをやっているユニットでダブル・フェイマスというのがあって、このグループの音楽がとってもトロピカルで、アフリカやカリブの空気感満載でとっても良いなぁと感動していた時、たまたまこんな音楽をある場所で耳にしたんです。




「わ、これなんかすごいダブルフェイマスっぽいぞ!でもこれ、ジャズのようでもあるし、50年代のR&Bのコーラスグループっぽいよなぁ。でもすごく惹かれる、とっても気になる・・・」

と思ってたら、これこそアフリカン・ポップスの女王、ミリアム・マケバの初期音源なんだよ。彼女の音楽は当初洗練されたアメリカン・ミュージックの影響をすごく受けていた、極上のアフリカン・ジャズなんだよということを知って、それから一気に彼女の声、その伸びやかで極楽気分に溢れた歌と音楽の虜になってしまいました。

「アフリカ」といえばいろんな部族がいて、パーカッションや民俗楽器を使った非常にプリミティヴなものももちろんカッコ良くて、周囲のアフリカ好きの人達も、どっちかというとそういうものを好む人が多いのですが、50年代から70年代にかけてのアフリカ都市部の音楽、特にアメリカのブラック・ミュージックと深いところで共鳴しているポップスの素晴らしさといえば、もう一言では語り尽くせぬほどの魅力があるんです。

歴史的な事をちょいと説明すると、アフリカという地域は、長いことそのほとんどが欧米の植民地でありました。

この流れに変化が起きるのが第二次世界大戦が終わった後で、イギリスやフランスの植民地だった地域は、様々な問題を抱えつつも次々と独立して行きます。

人々は抑圧された体制から解放され、その自由を謳歌するために、或いは謳歌そのものとして自分達の音楽を高らかに歌い上げます。

ここらへんはジャマイカにおけるレゲエの誕生とも少々リンクしている話ですが、これらの国々では、元から合った部族の音楽に、西欧諸国で流行したポップスが絶妙に混ざり合って、また、ラジオやレコードを通して入ってきたアメリカの音楽、特に何となくお同胞意識を抱いていたアメリカ黒人達の音楽、つまるところのR&Bやジャズなんかを自分達なりの解釈でもって演奏したり歌ったりして、更に洗練させたり、独自性を加えてみたりして「アフリカのポップス」というものが、徐々に形作られていく訳でございます。

ミリアム・マケバは、南アフリカの生まれであります。

南アフリカといえば、アフリカの国々の中でも割と早い段階(1931年)に正式な独立を果たした国でありますが、一方で少数の白人が黒人を物心両面で支配下に置く、悪名高いアパルトヘイト政策をずっと続けてきた国で、彼女の音楽人生もまた、この国の不条理な事情とは無関係ではありませんでした。

貧しい家に生まれ、貧しさ故に親が犯した犯罪(密造酒販売)によって生後すぐに刑務所に収監されるという波乱万丈な人生のスタートを切る彼女ですが、そんな逆境にもめげず、人気ジャズ・バンドのヴォーカルとしてデビュー、その後突き抜けるようなポジティヴな歌声がすぐに人気を博して、1950年代の半ばには、彼女を中心といたヴォーカル・グループ”ザ・スカイラークス”が結成され、この時にレコーディングした曲の中に、彼女の生涯の代表曲となる”パタパタ”も入っております。

デビュー後のミリアムの人気は、この頃アフリカのみならず、アメリカにまで及んでおりました。

類まれまるその歌唱力は、ブロードウェイの耳に留まり、何とミリアムは1959年にアメリカに招かれて、ミュージカル「キングコング」に、主演のシンガー役で大抜擢を受けます。

そのまま世界ツアーに出た彼女は、ロンドンで名優であり大人気シンガーのハリー・ベラフォンテと親しくなり、この大物から

「どうだい、アメリカでデビューしないか?」

と、誘いを受け、成功への更なる大飛躍へと踏み出すのですが、彼女にはここで悲劇が起こります。

1960年、ミリアム28歳の時にお母さんが亡くなり、その葬儀に出るために帰国をしようとするのですが、南アフリカの政府は彼女のパスポートを失効とし、帰国を拒否してしまうのです。

これの理由は分かりませんが、恐らくは歌手として世界の舞台で活躍しようとしているミリアムの動向に不安を覚えた政府が、差別的な理由でもって彼女のパスポートを取り上げたんだろうと言われております。

それから2年後、やむなくアメリカにいたミリアムですが、国連に招かれて、そこで母国のアパルトヘイト政策に関して批判的な証言を行い、これに激怒した南アフリカ政府は、彼女の市民権と帰国する権利を永久に剥奪し、ミリアムは二度と母国へ帰れなくなってしまいまが、この悪意ある対応に激怒したアフリカやヨーロッパ諸国の国々が、次々と「世界市民として受け入れる」と、彼女にパスポートを発行。

彼女の名前は一気に「差別と闘う勇敢なシンガー」として、世界から称賛の的となります。

でも、彼女の偉いところは「自分はあくまでシンガー」と芸に真剣に取り組み、人々を嬉しく楽しくさせるような音楽を真摯にやっておったところです。

ジャズやソウルなど、アメリカのブラック・ミュージックの伝統から流行までも広く呑み込んで、それをアフリカのエッセンスで無理なく鮮やかに彩った彼女の音楽は、実にオリジナリティの塊であり、大好きだったエラ・フィッツジェラルドやサラ・ヴォーンらからの影響を感じさせつつも、他の誰とも似ていない、伸びやかでその声の余韻の中に深い慈愛を感じさせる歌声は、世界中の人々の心を掴みました。

ポピュラー音楽の頂点とされるグラミー賞を受賞し、リメイクした「パタパタ」の大ヒットで、押しも押されぬ世界のトップシンガーとなってもなお、彼女はその芸を深めることへの努力を惜しまず、60年代、70年代、80年代とその歌声に更なる深みを刻んでゆくのです。

アメリカやベルギー、ギニアなどを活動拠点にしていた彼女は、南アフリカのある活動家の支援に本格的に乗り出します。そう、後に南アフリカ大統領となるネルソン・マンデラの支援です。

1988年、ロンドンにあるウェンブリー・スタジアムにおいて行われた「投獄中のマンデラの70歳を祝うコンサート」が行われ、ボブ・ディラン、スティーヴィー・ワンダー、キース・リチャーズ、マイルス・デイヴィス、リンゴ・スター、ホイットニー・ヒューストン、ブルース・スプリングスティーン、ボノ(U2)、ピーター・ガブリエル、ランDMCなどなど・・・ありとあらゆるジャンルの大物ミュージシャン達が集結したこのコンサートでミリアムも歌い、こういった世界的な動きの中で南アフリカのアパルトヘイト政策は終わりを迎えるのでありました。

ちなみにこのコンサートの司会を務めたのは、ミリアムを世界に知らしめるきっかけを作ったハリー・ベラフォンテであります。

さて、ようやく30年近い漂白の身から晴れて南アフリカへ帰国したミリアムは、歌手活動を続けながら、差別や貧困、またはアフリカ社会で深刻な問題となっているHIVの問題など、あらゆる事柄に関係するチャリティーに本腰を入れました。

彼女が亡くなったのは2008年、76歳の時でしたが、この最期となったのがイタリアで行われたマフィア追放キャンペーンのステージで「パタパタ」を歌い終わった直後に心臓麻痺を起して帰らぬ人となっております。

信念の人だったのでしょうね。








【Disc-1:APARTHEID IN JOHANNESBURG】
(THE MANHATTAN BROTHERS)
1.LAKU TSHUNI ‘LANGA
2.TULA NDIVILE (SADUVA)
3.BABY NTSOARE
(THE SKYLARKS)
4.ORLANDO
5.OWAKHO
6.OLILILI
7.INTANDANE
8.PULA KGOSI SERETSE
9.KUTHENI SITHANDWA (DAY O)
10.NDIYA NXILA APHA E-BHAYI
11.BAYA NDI MEMEZA
12.VULU AMASANGO
13.UMBHAQANGA
14.NOMALUNGELO
15.TABLE MOUNTAIN
16.HUSH
17.MTSHAKASI
18.UTHANDO LUYAPHELA
19.PHANSI KWALOMHLABA
20.LIVE HUMBLE
21.SINDIZA NGECADILLACS
22.NDIMBONE DLUCA
23.NDAMCENGA
24.UNYANA WOLAHLEKO

【Disc-2:AFRICA’S QUEEN OF SOUL】
1.ROCKIN’ IN RHYTHM
2.INKOMO ZODWA
3.EKONENI
4.DARLIE KEA LEMANG
5.SOPHIATOWN IS GONE
6.MAKE US ONE
7.BACK OF THE MOON
8.QUICKLY IN LOVE
9.MAKOTI
10.THEMBA LAMI
11.UYADELA
12.YINI MADODA
13.NDIDIWE ZINTABA
14.UILE NGOAN’ A BATHO
15.SIYAVUYA
16.PHATA PHATA
17.MIRIAM’S GOODBYE TO AFRICA
(EXILE IN NEW YORK CITY)
18.JIKELE MAWENI (THE RETREAT SONG)
19.SULIRAM
20.QONQONTHWANE (THE CLICK SONG)
21.UMHOME
22.OLILIL

【Disc-3:NEW YORK】
1.LAKU TSHUNI ‘LANGA
2.MBUBE (THE LION SLEEPS TONIGHT/ WIMOWEH)
3.THE NAUGHTY LITTLE FLEA
4.WHERE DOES IT LEAD?
5.NOMEVA
6.HOUSE OF THE RISING SUN
7.SADUVA (TULA NDIVILE)
8.ONE MORE DANCE
9.IYA GUDUZA
10.KILIMANDJARO
11.ZENIZENABO
12.NTJILO NTJILO
13.UMQOKOZO
14.NGOLA KURILA
15.THANAYI THANAYI
16.LIWA WECHI
17.NAGULA
18.CARNIVAL (“ORFEO NEGRO” THEME)
19.NIGHT MUST FALL
20.LOVE TASTES LIKE STRAWBERRIES
21.CAN’T CROSS OVER


さらっと解説するつもりではありましたが、やはりミリアム・マケバという人の歌は、その波乱万丈の人生に裏付けられていると思いましたので、彼女の人生をざっと振り返って書かざるを得なくなりました。

このアルバムは、彼女が南アフリカでデビューした直後から、ニューヨークに拠点を置いた60年代初頭までの音源を選りすぐった素晴らしい初期ベストであります。

スコーンと明るい、アフリカン・ジャズ/R&Bのディスク1から、独自のジャズ・アレンジでスタンダードやアフリカン・ポップスを唄ったDisc-2,3どれも最高に聴き応えのある、本当にグッとくる、何だか聴いてるだけで心を自然と豊かにしてくれそうな、イカした音楽が目一杯詰まっております。

彼女の声の魅力は本当に奥深く、特に初期の声は大ファンだったというエラ・フィッツジェラルドからの影響が大きく、伸びやかで雑味のない声ですが、結構ドスの聴いた低音や、パンチの効いたシャウトも自在にこなすそのテクニシャンぶりには思わずうなってしまいます。

あと、この人の声はどこまでも優しくて、時にポロッと哀しみが漏れる瞬間が(特にフレーズの最後の、声が伸びて消え入る辺り)あって、アタシは毎回それにヤラレてます。

ミリアム・マケバはアフリカからやってきて、多くのジャズやソウルやR&Bのシンガーに影響お与えた人でもあります。特にニーナ・シモンとエリカ・バドゥは彼女から多くの表現の糧を得たんじゃないかなと思いますが、そこはお聴きになる皆さんの耳で直に確かめてみてください。

3枚組で聴き応え最高で、しかも国内盤なのでライナノーツもあります。




『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 19:25| Comment(0) | 世界の民族音楽など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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