2017年12月27日

ヒッコリーハウスのユタ・ヒップ Vol.2

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ヒッコリーハウスのユタ・ヒップ Vol.2

(BLUENOTE/EMIミュージック)


ユタ・ヒップという人は、ドイツからスカウトされてやってきて、1950年代のキラ星の如く輝くモダン・ジャズの名盤がズラッと並ぶBLUENOTEにおいて、ライヴ盤2枚を含む3枚のアルバムをひっそりと残し、わずか2年にも満たない活動を静かに終えてジャズの世界から姿を消した幻の女性ピアニストでありますが、その確かなピアノの実力、儚い哀愁をヘヴィな音色と強靭なグルーヴで織り交ぜたかのような唯一無二の個性でもって、決して”通好みの味わいあるミュージシャン”では終わらない強烈な存在感をジャズの歴史に刻み付けております。

前回ご紹介しました『ヒッコリーハウスのユタ・ヒップVol.1』は、そんな彼女がアメリカで初めて得た仕事、つまり彼女のピアノに惚れ込んでアメリカのジャズ界に連れてきた評論家レナード・フェザーが契約を取り付けたステーキのお店”ヒッコリーハウス”で行っていた定期ライヴの前半のステージを収めたライヴ盤です。

で、今日皆さんにご紹介する『ヒッコリーハウスのユタ・ヒップVol.2』は、同じ日の後半のステージを収めたライヴ続編なんですが、これがまたVol.1とは違った雰囲気で実に素晴らしい内容。



「何で1枚にまとめなかったの?Vol.1の評判が良かったから、後になって余った曲を集めてVol.2を作ったの?」

という読者の方からの声が、今微かに聞こえましたので、そこんところからちゃんと説明しますね。

まず、このヒッコリーハウスのユタ・ヒップ、Vol.1もVol.2も、作品として同じ時期にリリースされたものです。

何でわざわざ分けたかと言いますと、これは単純にこの時代のレコードの収録時間の関係上、2枚に分けざるを得なかっただけで、決してVol.2が後から出てきた没テイクを寄せ集めたものでもなければ、色気を出したレーベル側が、あざとく企画した続編でもありません。

そもそもがこのシリーズは『Vol.1』が前半の『Vol.2』の、同日同ステージの演奏を編集ナシで丸々収録したものであり、どういうことかというと

「ユタ・ヒップのライヴは素晴らしいから、これはどの曲もボツにせず、全部を発売すべきだと思う。何、収録時間が1枚に収まらない?だったら2枚に分けてリリースすればいい。多少売れ行きにムラはあるかも知れんがそんなことはどうだっていい。素晴らしい彼女の演奏を余すところなくジャズファンに聴いて欲しいんだよ」

という、ブルーノートのオーナー、アルフレッド・ライオンの粋で真摯なはからいなのであります。

そうなんです、ライヴ盤といえば今でこそツアー中のいくつかの演奏の中から出来の良いものをセレクトしたり、中の音にちょちょっと修正をかけたりして作られるものもあったりしますが、アルフレッド・ライオンという人はとことん現場主義で、良いと思ったら採算を度外視しても全曲収録したレコードをシリーズとして作り、かつまどろっこしい編集や、売るための細工なんぞは一切しない人でした。

何故、ドイツから来たばかりのほとんど無名のピアニストに周囲はそれほどまでに惚れ込んだのか?

それはアタシも惚れ込んだクチですから、演奏を聴いてくださいとしか言えませんが、この日のヒッコリーハウスでのライヴが、2枚の作品となってまで全ステージを収録したのかということに関しては、また別の理由があります。




【パーソネル】
ユタ・ヒップ(p)
ピーター・インド(b)
エド・シグペン(ds)

【収録曲】
1.風と共に去りぬ
2.アフター・アワーズ
3.ザ・スカーラル
4.ウィル・ビー・トゥゲザー・アゲイン
5.ホレーショ
6.アイ・マリード・アン・エンジェル
7.ヴァーモントの月
8.スター・アイズ
9.イフ・アイ・ハッド・ユー
10.マイ・ハート・ストゥッド・スティル

1956年4月5日録音


実は楚々とした気品の中に、どこか狂おしくて秘めた破壊衝動すらも感じてしまいそうな、奥深い感情のあれこれが渦巻いているかのような『Vol.1』と、エンジンがかかってグイグイ重く疾走するドライブ感でもってスイングする『Vol.2』は、雰囲気がまるで違います。

例えれば、恥ずかしがり屋で人見知りなユタさんと飲みに言ったとします。

繊細で控え目で、とにかく自分に自信がなかったと言われる彼女の性格ですから、まずはこう言ったことでしょう。

「あ、いや、私はお酒そんなに得意ではないんです。あ、話も聞いてるのは好きですがいざ喋るとなるとダメなんですよね。それと、私そんなに面白くないから・・・」

でも、彼女はとても慎重に言葉を選びながら、訥々とではありますが、その内容は真実の説得力に満ちたとても深い言葉が美しく煌めいている。そんな会話にいつしか同席している人はすっかり聞き手に回ってしまっい、気が付けば

「この人の話、もっと聞いていたい」

と、強く願うようになってしまっていた。


これが『Vol.1』です。

「あ、ごめんなさい。私の話・・・面白くないですよね。何か深刻な話ばかりしちゃってすいません・・・」

と言いつつも、酒は結構弾んでいて

「すいません、ウォッカください(5杯目)」

となってからが『Vol.2』です。

内気で知的な雰囲気は全く変わらず、酔いが心地良く回ったのか、彼女は次第に饒舌になってきます。

その言葉には気品が溢れ、どこか陰のある薄倖の魅力を常に漂わせながらも会話はリズミカルになって行き、意外にも低く、ドスの効いた言葉の力強さが前に出てきます(これ、最高にドライブする左手のフレージングのことを言ってます)。

彼女の魅力はでも、どんなに饒舌になっても、どんなに酔いが回っても決して大声を上げたり下品な内容にならないところで、どんな言葉もしっかりとその知性で選び抜かれた、余計な装飾や誇張のない、シンプルな真実が持つ芯の強さに溢れたものでありました。

そして彼女の仲間達、つまり優しく彼女の話を頷きながら聞き、お酒をそっとオーダーしたり、ツマミが切れたら運んで来たり、彼女が椅子から転げ落ちないように、しっかりと支えられる位置を近過ぎず遠過ぎない実に絶妙な距離でキープしているベースのピーター・インドとドラムのエド・シグペン。

えぇい、もう何か面倒臭いんでたとえ話終わりでストレートに演奏の話に戻しますが、このバックの2人のプレイがまた見事なんですよ。

方や”クール派”と呼ばれたレニー・トリスターノの愛弟子として、そのキッチリタイトなグルーヴに、まるでリズムマシーンのように正確な”4”を黙々刻むベーシストとして、一方は名手オスカー・ピーターソンやビリー・テイラーなど、軽やかなスウィング感が売りのピアニストとの相性抜群な、シャッシャと小粋なブラッシュワークで、演奏を心地良く飛翔させて加速させる知性派ドラマーとして名が知られた二人ですが、ここではインドは意外にもブイブイと弾力のある音で前に出て弾きまくり歌いまくってるし、シグペンも軽めのブラッシングではありますが、いつもよりリキが入ってビシバシやってハッスルしています。

とにかくもう、ユタさんの左手の強靭なグルーヴ感なんですよね。

バド・パウエルに憧れて、ホレス・シルヴァーに大きく影響を受けて、実際グルーヴィーなアップテンポの曲では独特の力強く粘る左手のラインが”まんま”だったりしますが、これだけ”ゴリッ”と骨太に走ってて、どこか儚さとか切なさを感じさせるのは、やはりこの人ならではのどうしようもないぐらいにこびり付いた個性だと思います。

インドとシグペンも、とにかくその左手に感化されまくって本気で飛ばしておりますよ。ライヴで火が点いたトリオの演奏としては、もう最高峰ぐらいの素晴らしく一体となったグルーヴであります。

ミディアムテンポの『ラ・スカラール』がもうとにかくバリバリで凄いです。聴いてください、いや、お聴きなさい。

あと、相当に濃いけどこの人のピアニストとしての本音、つまり”私はこうありたいのよ!”って部分は、2曲目のスローブルース『アフター・アワーズ』が悶絶モノの出来です。白人だとか女だとか、そういうの関係ない、誰が弾こうが感情を死ぬほど込めたらブルースはこんぐらいドロドロになるという美しい(えぇ、あえて)見本のようなブルースです。これもぜひ聴いてください。いた、お聴きなさい。






『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 19:31| Comment(0) | ジャズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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