2019年07月27日

マル・ウォルドロン マル2

625.jpg
Mal Waldron/MAL2
(Prestige/OJC)

みなさんこんばんは。

コルトレーンについては色々と「この時期はこんな感じよ」という体で語っておりますが「50年代はジャズとしてカッコイイのが多く、60年代以降のは激しく重厚なコルトレーン・ミュージックってな感じだよ」というのは、何となくお分かり頂けましたでしょうかね。

で、今日は1957年、コルトレーンにとってみればこれは初期の初期という事になりますべか。

コルトレーンは1950年代のはじめ頃から、ディジー・ガレスピーやジョニー・ホッジス、アール・ボスティックといったジャズやR&Bの大物のバックバンドのメンバーからそのキャリアをスタートして、1955年になってようやくマイルス・デイヴィスから

「お前なかなか面白いな、オレのバンドでテナー吹いてくれや」

と声がかかり、ここでようやくソロをちゃんと吹かせてもらえるミュージシャンになって、実質的にシーンの表舞台に出る事になります。

それまでのビ・バップでの”吹きまくり”とは一線を画す、音数を選んだファンキーさがそのまんま演奏クオリティの高さに繋がったマイルス・バンドのサウンドと、クールに研ぎ澄まされたトランペット・プレイでジャズの世界に新風を吹き込んだマイルス自身のトランペットの横で、懸命に”それまでにないテナー・サックスのフレーズ”を模索するコルトレーンのプレイは、一部から「へたくそ」とか酷評されておりましたが、単純な男らしさの情感のみに流されない硬派な吹きっぷりはこの時代において間違いなく個性的で、次第に世間からも

「あのコルトレーンってやつのテナーはぶっきらぼうに聞こえるかもわからんが、ああ見えて実に考えた演奏してるなぁ」

と評価されるようになってきました。

何にせよ1950年代半ば、世界で最も先を言くカッコ良さを追究してたバンドの、しかもリーダーと同じフロントマンという最高にスポットの当たるポジションにコルトレーンはいたのです。

ところがコルトレーン、この時期は悪いことに麻薬(ヘロイン)にハマッておりました。

カネがあったらとにかく買って打って、演奏中にボーッとしたり、ウトウトしたりしているのを、怖〜いリーダーのマイルスに「ふざけんなコラ!」と怒られ、でもそんなことを言われたからと言って、この恐ろしい悪癖は、止めようと思って止められるようなものではありません。言い伝えによると演奏中に眠ってしまったコルトレーンが、楽屋でマイルスにぶん殴られて・・・とかいうことになっておりますが、とにかく1957年の4月にコルトレーンはマイルスからクビを宣告されてしまったのでありました。

そんなコルトレーンを見て

「まぁ酷いなぁ。どうだい、ウチに来ないか?」

と、声をかけてくれたのが、ジャズ界随一の鬼才と呼ばれていた、ピアニストのセロニアス・モンク。

実はセロニアス・モンクって人は、その余りにも個性的な演奏スタイルから、当時メジャーな人気はそこそこだったものの、ミュージシャン達からは「いや、あの人はすげぇ。理論もテクニックも完璧だぜ」と、ものすごーく尊敬されてた人でもありました。

当然コルトレーンもモンクをとても尊敬していたんです。特に「全く新しいテクニックを身に付けたい!」と切実に願っていたコルトレーンにとって、チャンスがあれば一緒にセッションして技を磨こう、あわよくば直接理論的な事をあれこれ教えてもらおうと、接触を試みていたような人であったんです。


そんな憧れの人から声をかけられて嬉しくなったコルトレーン「クスリも酒も止めます」と宣言して、更にオフの日もモンクの家に通って色々教えてもらうつもりで、マンハッタンにあるモンクの家のすぐ近くに引っ越しました。

この「1957年の出来事」が、コルトレーンを飛躍的に成長させることになるんです。

とりあえずモンクのバンドで”修行”をし、朝から晩までモンクの家に入り浸っていたコルトレーンは、音楽理論や演奏に対するアプローチ的な事柄についてモンクにしつこく質問し、モンクもそれを嫌がることなく丁寧に教えてくれたために、コルトレーンは50年代末ぐらいにはもう独自の超絶テクニックと個性に磨きがかかった無二の音楽性を持つ、その時代のトップ・アーティストの一人にまでなることが出来ました。

コルトレーンの「マイルスバンドからモンクのところへ」という騒動があったその時は、一応プレステイジの専属ミュージシャンの一人でした。そして、プレステイジにはお抱えのハウス・ピアニスト(スタジオミュージシャン)としてマル・ウォルドロンという人がおりました。

マル・ウォルドロンという人は『レフト・アローン』というヒット曲があり、特に日本では人気のあるピアニストです。この人のプレイスタイルは、常にどこか「陰」のあるダークな哀愁が漂い、そしてこの人もまたセロニアス・モンクを深く敬愛しており、針が飛んだレコードのように循環しながらスケールアウトしてゆくアドリブや、鍵盤をガッコンガッコン叩き付ける打楽器みたいな奏法に、モンクからの影響が滲んでおります。

はっきり言って個性の塊のような人が、何故バックでの堅実なサポートを求められるハウス・ピアニストであったのか、ともかく謎ですが、もう一人のハウス・ピアニストが、堅実で華やかなレッド・ガーランドなので、もしかしたら真逆の個性を持ったピアニストをセッション毎に使い分けようというプレステイジ側の思惑もあったかも知れませんね。






MAL 2


【パーソネル】
マル・ウォルドロン(p)
アイドリース・シュリーマン(tp,@BC)
ビル・ハードマン(tp,ADE)
サヒブ・シハブ(as,@BC)
ジャッキー・マクリーン(as,ADE)
ジョンコルトレーン(ts)
ジュリアン・ユーエル(b)
エド・シグペン(ds,@BC)
アート・テイラー(ds,ADE)


【収録曲】
1.Potpourri
2.J.M.'s Dream Doll
3.Don't Explain
4.Blue Calypso
5.Falling In Love With Love
6.The Way You Look Tonight


(録音:ADE,1957年4月19日、@BC,1957年5月17日)

コルトレーンがマイルスのバンドをクビになってモンクに拾われた丁度その時、プレステイジは専属ピアニストであったマルのまとまったセッションを録音して、アルバムとして売り出そうと画策します。

マルは実は演奏家としての個性だけでなく、大勢でのセッションになった時のアレンジ能力にも長けた人であり、その能力は特にフロントに立つ管楽器奏者が個性的であればあるほど発揮されるようで、今日ご紹介するアルバム『マル2』も、アルト、テナーの両サックスにトランペットを加えた3管編成のアレンジでその能力が遺憾なく発揮されております。

テナーのコルトレーンは全曲参加で、他の管楽器は@BCがサヒブ・シハブ(アルト)アイドリース・シュリーマン(トランペット)ADEがジャッキー・マクリーン(アルト)ビル・ハードマン(トランペット)まぁいずれもクセの強い面々です。

特に上手さと”ちょいと妙な味わい”でブイブイに吹きまくるサヒブ・シハブと、やや掠れた、聴けば一発で個性派と分かる音色でグイグイ押しまくるジャッキー・マクリーンのアルト勢の最初プレイが、このアルバム実は最大の聴きものなんです。このアルト2人の圧巻な吹きまくりとコルトレーンの、最初ややぎこちなくもアドリブ後半で一気に加速するアドリブがマルのアレンジの中で響き合う、すっげぇ気持ちいいです。

この時期のコルトレーン、まだモンクのバンドでの”修行”を開始したばかりで、高速吹きまくりの”シーツ・オブ・サウンド奏法”はいかにも未完成といった感じでありますが、アドリブそのものは十分にアツいです。

そしてやはり何と言っても曲によって明暗のコントラストを自在に操るマルのアレンジ、これが良いですね。「明」の方では『ブルー・カリプソ』『ザ・ウェイ・ユー・ルック・トゥナイト』などで、粋でノリノリのハード・バップを聴かせて「暗」の方は『J.M.ズ・ドリーム・ドール』『ドント・エクスプレイン』で、引きずって引きずって引きずり込むブラックホールのような暗黒世界で酔わせてくれます。

それにしても、モンクと一緒に活動を始めたばかりのコルトレーンと、モンクを敬愛し、そのスタイルを多分初めて消化吸収して自分の個性を磨いたピアニストのマル・ウォルドロンが、絶妙な時期で共演してアルバムを製作したというのは奇縁ですね。そしてその後、マルはエリック・ドルフィーと出会い、そのバンドメンバーとなる事にも、何か巡り合わせのようなものを感じます。













”ジョン・コルトレーン”関連記事








『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』


サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 00:00| Comment(0) | 大コルトレーン祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。