
Fukai Nana/can i love you?
(Kerosene Records)
アタシが音楽というものを自発的に聴くようになった頃、メディアといえばテレビとラジオと雑誌ぐらいしかなくて、でも、ちょいとチャンネルを合わせると、ワクワクするような「知らない音楽」と沢山出会う事が出来ました。
特にテレビは夕方にも夜にも深夜にも音楽番組があって、昼と夜に流行を追っかけて、深夜に他人が知らない珍しいバンドの情報を仕入れては、そのバンドの記事が載ってる音楽雑誌に赤線引いたりして、まぁ楽しかったんです。
今はメディアの在り方もすっかり変わって、テレビや雑誌での情報収集は本当に難しくなりました。
反対に、ネットを通しての情報収集や発信のスピードは、もう昔とは全然違って、誰がどこに居ても最新のバンドの演奏から、古い時代のマイナーな音楽にまで、簡単に触れる事が出来るし、または自宅で作った音楽のようなものにでも、一人で本格的に凝ったアレンジを付けて世界中に発信することも可能になってきました。
で
そう「で」なんですよ。
Youtubeとか、その他配信で10代とか20代とかの若いバンドの人や個人の演奏なんかを見ていると、10年前とかより「おおお!!すげぇ!!」と思う演奏が、今凄く増えてる感じがするんです。
音楽やる人って、多分「とにかくたくさんの人に共感してもらえるようなものを作りたい」って人と「評価より何より、自分の表現意欲を満たしたい」って人とが居ると思うんですけど、この10年でCDが売れなくなったとかミリオンが出なくなったとか(えぇ、アタシも店舗のCD屋は閉じました)、何かとネガティヴに音楽事情が語られるようにはなったんですが、いやちょっと待て「音楽が思ったようにカネにならない」という事が、逆に「表現を極めたい」という人達のサウンドをジワジワと表に出してるような環境が出来てきてるんじゃね?と、何となくですがアタシゃ最近思うようになってきてるんです。
これはついこないだの話ですが、身内から「このバンドいいよ」と聴かせてもらったバンドで『Fukai Nana』というバンドがありました。
ディスクユニオン・インディーズのレーベルからリリースしたデビューEP『can i love you?』というアルバム。「ほぉぉ〜」と思ったのですが、ジャケットからは、果たしてどんな音を出すバンドなのか、良い意味で想像も尽きません。で、インディーズらしくスリムな紙ジャケにCDが入っていたので、何故だかアタシは「こりゃいいぞ」と思って早速音だけを聴いたのですが、いや、これは色んな意味で予想と違って期待通りの「今の時代のロック」もっと言えば、音楽が本当に好きで楽器初めてバンドやって、で、自分達が「これはいいぞ」と思った音楽のエッセンス、そのピュアな部分へのリスペクトが、演奏の内側にある個人としてのヒリヒリとした感情と美しく絡み合って、そして切なく煌めいている。
ここまで書いてて、ちょっと詩的な表現になり過ぎてる?このレビュー。と思ったのですが、や、このままいきましょう。Fukai Nanaのサウンドは、嘘偽りなく聴く人をそういう詩的な気分にさせてくれるし、これから聴いてみようかなという人にこそ、演奏の細かい部分より先に、詩的な狂おしさとか切なさとか、そっちに触れて欲しいとアタシはストレートに思ったんです。
can i love you?
【収録曲】
1.飛び込む
2.愛ができない
3.Intro
4.春物語
5.Stelle Cadenti
あらかじめ、メンバーがどういった人達で、何歳ぐらいで・・・というのは訊いて知ってはいたのですが、いや、音を聴いて本当に驚きました。
楽曲のスタイルは一言でいえばオルタナティヴとか、ポスト・ロックとか、そういう区分で語られるようなものでしょう。プラス00年代以降例えば日本やヨーロッパのインディーズ・シーンで一大勢力となっていた、音響系と言われていたバンド達のような、独特の”ゆらぎ”のある空間感覚を持つ、切ないリフと儚いギター・ノイズ。
個人的には、アタシが18,19の頃、バンド仲間達とパンクがどーのグランジがどーの言ってた時、オルタナよく分からなかった私に、友達がアパートの部屋で、やっすいラジカセで聴かせてくれたソニック・ユースやピクシーズ、ダイナソーJr.なんかを聴かせてもらいながらワクワクしてたあの感じが、Fukai Nana聴いてると胸の奥からリアルに蘇ってきます。
そう「え?この人達ほんとに20代前半の人達なの??」と、びっくりするぐらい、彼らのサウンドは90年代の、良質なインディーズバンドが次から次へと未知の素晴らしいサウンドをひっさげてアタシらクソガキの耳を刺激しつづけてくれていたあの時代のサウンドに限りなく近い。
インディーだろうが宅録だろうが、今の時代やたら鮮明で刺激が強くて綺麗に粒の揃った音は、いくらでも加工して作れるんです。
でも、彼らのサウンドは敢えてくぐもった音の塊が、中心に”ギュッ”と集まった音。粗いままに放たれるリフやアルペジオが、そのくぐもった音の塊の一部となって、時にそれを突き破り、時にそれをすり抜けて耳に届く時、言葉に出来ない部分のヒリヒリした感情もサウンドに乗っかっていて、心は気持ち良く掻き乱されます。
あぁ、何か最後まで抽象的な詩的レビューになっちゃいましたが、音楽ですもんね、たまにはいいでしょう。
ひとつだけ、これだけ「90年代インディーズ」を感じさせるサウンドなんですが、全然「懐かしいな」だけに収まらなくて、今の最先端な音楽の感じが凄くします。というよりも、今の時代の主流である、ハッキリクッキリした厚いバンド・サウンドから無駄なものをどんどん削っていった音が、多分たまたまこういうサウンドになったと思います。しかしその”たまたま”をここまでしっかりとした形に出来るのって、相当に音に対する真摯な探究心がないと出来ませんし、色んな音楽を知って「どう響かせれば気持ちいい」(サウンドだけじゃなくて、メジャーとマイナーが美しく混ざり合うメロディーとリズムの進行も)というヴィジョンがしっかりと定まってないと出来ません。
色々と感覚で書いてしまいましたが、とにかくアルバムを通して聴いて、ラストのギター・ノイズが「キキキ...」と切なく虚空に響くまでを心に刻んでみてください。
『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』
サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
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