
(Moodsville/ユニバーサル)
「音を楽しむと書いて音楽」という考え方がありますね。
これは文字通り、楽しむために音楽はあるんだという考え方なんだと。
音楽ってのはハッピーなんだ、そこにネガティヴな感情の入り込む余地はないんだ、さあ楽しく踊って騒ごうぜ!っていう考え方、嫌いじゃないです。嫌いじゃないんですけど、まぁその、アタシの場合はどうしても心がハッピーな時よりもネガティヴな時の方が多い。
そういうネガティヴな・・・つまり心が落ち込んだり、荒んだりしている時、隣にそっと寄り添って
「うんうん、わかるよ」
と言ってくれるような音楽を、どうしても心が欲してしまう時があって、そういう時に聴く用の”そこはかとないもの”を見つけると非常に嬉しくなってしまいます。
あぁ、こういうのこそが、気持ちがわっと浮き立つような感情と対局にあるけど立派な「音を楽しむこと」なんじゃないかと思う時がありますね。
そういう音楽って、どちらかというと強烈な自己主張をしてくるようなものではなくて、本当にそこはかとなく「あぁ、良い・・・」と感じさせてくれるもの。
最近よくレビューしているケニー・ドーハムなんて正にそんな典型です。
で、ドーハムの『静かなるケニー』で思い出したんですが、このアルバムを1枚も2枚も上の上質な空気にしてくれているのが、ピアノのトミー・フラナガンでしたよ。そうそう、トミー・フラナガン(!)実はこの人の作品こそがアタシにとっては究極の
「うんうん、わかるよ」
と言いながら寄り添ってくれるものの究極だったりします。
トミー・フラナガン。スタン・ゲッツやコールマン・ホーキンス、エラ・フィッツジェラルドなどなど、名だたる大物もバックを次々と務めて以降、特に70年代以降ソロ・アーティストとしてコンスタントに素晴らしいピアノ・トリオ・アルバムを発表しておりますが、この人の魅力の本当の部分は、やはり「そこはかとなくカッコイイところ」だと思います。
派手で華やかな超絶プレイは、多分やろうと思えばいくらでも出来る超一流の実力派。にも関わらず、自分の実力のほとんどの部分を「演奏全体を美しいものに、総合的に仕上げること」に惜しみなく費やした。いやはやこれこそが本当の実力派であるといえるでしょう。
「名盤請負い人」として、ソニー・ロリンズのサキソフォン・コロッサス、ジョン・コルトレーンのジャイアント・ステップス、ウエス・モンゴメリーのデビュー作『イングレディブル・ジャズ・ギター』、コールマン・ホーキンスの『ジェリコの戦い』ちょいと渋いカーティス・フラーの『ブルースエット』やケニー・ドーハムの『静かなるケニー』など、ジャズの歴史を賑わせる本当に素晴らしい作品の数々に、フラナガンは参加して、しかもそれぞれの作品で決して派手に前に出る事無く、個性の塊のようなリーダー達をひたすら引き立て、それでいて「ピアノはやっぱりトミフラじゃないとね」な、重要な存在感を放っているんです。
これは、ちょっとやそっとの腕の良さでは出来る事ではない。
トミー・フラナガン・トリオ
【パーソネル】
トミー・フラナガン(p)
トミー・ポッター(b)
ロイ・ヘインズ(ds)
【収録曲】
1.イン・ザ・ブルー・オブ・ジ・イブニング
2.ユー・ゴー・トゥ・マイ・ヘッド
3.ヴェルヴェット・ムーン
4.カム・サンデイ
5.ボーン・トゥ・ビー・ブルー
6.ジェスファイン
7.イン・ア・センチメンタル・ムード
(録音:1960年5月18日)
さてさて、アタシは何が言いたいのかというと、もちろん「トミー・フラナガンは良いぞ」ということなんですが、なかんづくほとんど優秀なサイドマンとして活躍してて、ソロ・アルバムなどはほとんど出していなかった、1960年代前半のトミー・フラナガンのトリオアルバムがとても良いぞ。ということなんです。
この時期にフラナガンがリーダーとして出しているアルバムはたったの2枚。そのうちの1枚が『オーバーシーズ』というアルバムで、これはもうジャズ・ピアノ・トリオの傑作として有名で、ウィルバー・ウェア(b)、エルヴィン・ジョーンズ(ds)という、リズムも音色も強い個性を持つ2人がバックを固め、ぐいぐいとドライブする強靭なリズムに乗って端正にスウィングするピアノが非常にカッコイイ、どこから聴いても耳を奪われる、百点満点のトリオ作です。
で、もう1枚といえば、ほとんどの人が「ん?あったっけ?」となるんです。
そう、余りにも完璧にカッコイイ『オーバーシーズ』の影に隠れてしまってほとんどの人が気付かない。それぐらいそこはかとないもう1枚の60年代トリオ作『トミー・フラナガン・トリオ』個人的にアタシはこれこそがトミー・フラナガンという人の、いかにも”らしい”名盤であり、そのそこはかとなく凄い個性が、演出ナシの素のままの姿で丁寧に刻まれた作品だと思いつつ、いつも「はぁ・・・いい・・・」と、感嘆のため息を漏らしながら聴いている、大好きなピアノ・アルバムでございます。
当時、有名ジャズ・レーベルとして名を馳せていたPrestigeには、傍系として起こした4つのレーベルがあって、それぞれ小粋でノリの良いジャズを集めた”Swingville”、文字通りムーディーで落ち着いた雰囲気の”Moodsville”、ブルースマン達によるモノホンのブルースを集めた"Bluesville”、黒人マーケットを狙ったゴスペルの”Tru Sound”というのがそれなんですが、トミー・フラナガンの初リーダー作である本作は、Moodsville”でリリースされました。
レーベルとしては「まぁ、何かピアノ・トリオで綺麗系のものなんかあればいいんじゃない?ほれ、最近ビル・エヴァンスが人気っていうからさぁ。便乗して売れそうなやつ何かない?あ、そうだ、トミー・フラナガンがいたなぁ」ぐらいのノリだった(つうかPrestigeは大体こういうノリで決めちゃうユルいレーベル)と思います。
が、そんなレーベルの軽いノリなど心地良くフッと飛ばすかのように、とても上質で高級感の溢れるアルバムを、フラナガンは見事に仕上げてくれました。
ベースはトミー・ポッター、ドラムにロイ・ヘインズ。いずれも堅実で歌心あるリズムを刻める職人肌のプレイヤーであります。
ポッターがひたすら落ち着いたプレイでウォーキングを刻み、ヘインズは得意のブラッシュワークで、まるで絹が舞うような軽やかでしっとりしたリズムを決める。その上でフラナガンのとにかく繊細で軽やかな美メロが舞う、舞う、舞う。
「この曲が!」と思わせる間もなく、ただもう聴く側の耳を至福と恍惚の彼方へと軽やかに誘う。そして聴いた後に切ない余韻が心地良く響く。「美しいピアノ・トリオ・アルバム」としては、比類なき完璧さです。
しかしまぁ徹底して「聴け!」と迫ることなく確実に聴き手の意識を引き込む。やはりトミー・フラナガンという人の実力というものは底無しなのです。よく「詩人」と言われますが、この人は一流の詩人であると同時に、一流の魔法使いでもあるんじゃないかとアタシは思います。中毒性、かなり高いです。
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『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』
サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
音楽を聴いて、たのしいと思った人が、
楽を「たのしい」と読むことにした訳です。
音楽は落ち込んだ人を慰めてくれるものだと当時の人が思ったとしたら、「いやし」と訓読みを当てたかもしれませんね。
なぜ、「らく」 なんでしょうね。