2021年01月31日

ライトニン・ホプキンス LIGHTNIN' HOPKINS(1959)


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ライトニン・ホプキンス/LIGHTNI' HOPKINSN(1959)
(Sumithsonian Folkways/ライス・レコード)


”ブルースの権化””そこに立ってるだけでブルース”と言われ、今なおブルースを好きになる人にとっては最初に「うぉぉ、これはブルースだ!ブルース以外の何物でもない!くぅぅ!!」という歓喜の悲鳴を挙げさせるライトニン・ホプキンス。

まずはサングラスにくわえ煙草、その顔から所作から立ち姿まで、たとえばブルースを全く知らない人にとっても「思い描くブルースマン像とは?」という問いの答えがズバリあるようなその出で立ちとムンムンに放ちまくっているオーラ。そもそもが昔のブルースの人達ってのは、大体見た目とやっている音楽がリンクする人がとても多いのですが、そんな濃い連中がわらわらいる中でも、ライトニンの醸す雰囲気というのは、こりゃもう頭ひとつ抜けてブルースです。まずもってカタギにゃ見えません。

そんなライトニン・ホプキンス、家族どころか身内のほとんどが歌ったり楽器を弾いたりする環境に生まれ、10歳になった1922年のある日地元テキサスの大物ブラインド・レモン・ジェファソンと出会い、付き人として一緒に旅をしながら直接ギターを教わったり、やがて同じくテキサスを代表する大物であり、血縁としては従兄弟であったテキサス・アレクサンダーの伴奏をしながら、自分なりのブルースを身に着けて成長します。









テキサスのブルース界隈において、ブラインド・レモンとテキサス・アレクサンザーの両方と一緒に演奏するなんてのは、ハッキリ言って超エリートで、10代の頃から注目されて20代前半には地元ですっかり話題になってレコード会社が契約しに来てもおかしくないんですが、20代のライトニンは逮捕とか色々あって、彼が初めてのレコーディングを経験したのは1946年、30歳になってようやくの頃だったんです。

1946年といえば太平洋戦争が終わった翌年で、世の中も大分変っておりましたが、何よりもブルースという音楽の形式が、戦前のハードなものも牧歌的なものも何でもアリみたいな感じからずっとハッキリと定まってきて、アタシ達が今聴いてる感じの『ブルース』という音楽のあの感じのスタイルがすっかり出来上がっておりました。

ライトニン・ホプキンスという人は、さっきも言ったように「ブルース」というライフスタイルの権化でもあるんですが、戦後になって固まってきた「ブルース」という音楽のある種典型的なスタイルを演奏する人でもあるんです。音源を聴いているとどの曲もほとんど同じ形式のスローブルースか、アップテンポのブギ。たまに思い出したように戦前のカントリースタイルの曲をやったりもしますが、ライトニンの音楽の軸は一切ブレません。このブレのなさがまた、彼のカリスマ的な人気の根源でもあると思います。

ライトニンも、レモンやアレキサンダーと一緒にやっていた頃は、まだまだ南部では人気のあったカントリー調のスタイルでやっていたでしょう。もしもその頃にレコードデビューしていたら、もしかしたらスタイルを確立する前に全盛期を迎えてしまってその後が続いてなかったんじゃないかと思う部分が少しはありますので、やっぱりレコーディングを行う前の空白期間が戦前から戦後を跨ぐ事によって、ライトニンはブルースという音楽の進化を巧みに自己の表現の中に取り込み、十分な時間をかけて成熟させていった事がライトニン・ホプキンスという強烈な個性に繋がったんでしょう。えぇ。

さて、1946年にアラジンとゴールドスターという小さなレーベルでシングルをレコーディングするようになってから、ライトニンは50年代の中頃まで無節操に色んなレーベルから、当時”レース・レコード”と呼ばれるシングルを次々とリリースし、好調な活動を続けます。

ところが1950年代中頃からは、ブルースに代わってリズム・アンド・ブルースやロックンロールといった、洗練とキャッチーさと、何よりバックにフルバンドを付けられる資金力が必要とされる音楽が、若者達の間でトレンドとして一世を風靡するようになりました。ライトニンのスタイルというのは、ギター弾き語りプラスアルファ程度の編成のものが多かったし、何より築き上げたスタイルというものが「ブルース以外の何物でもない」ぐらいに強固に出来上がってしまっていたので、徐々にレコーディングが減り(リスナーに飽きられたというよりは、レコード会社の方が南部の泥臭いブルースにセールス面での危惧を感じてやらなくなっていったという方が正しいような気がします)、しばらくはミュージシャンとしての活動はほとんど止めて、本業(!?)の博打の方に専念していたといいます。





ライトニン・ホプキンス

【収録曲】
1.ペニテンシャリー・ブルース
2.バッド・ラック・アンド・トラブル
3.カム・ゴー・ホーム・ウィズ・ミー
4.トラブル・ステイ・ウェイ・フロム・マイ・ドア
5.僕の墓をきれいにして
6.ゴーイン・バック・トゥ・フロリダ
7.ブラインド・レモンの思い出
8.ファン・イット
9.テル・ミー・ベイビー
10.シーズ・マイン

そんなライトニンに転機が訪れたのが1959年のある日の事、ニューヨークやサンフランシスコといった都市では”アメリカの伝統的な音楽を見直そう”という動きが白人の若者の間で起こっており、その一環として戦前戦後に活躍していた伝説のブルースマン探しというのが流行りだしたんです。

熱心な若者達は古いレコードを頼りに、たとえば「サン・ハウスはミシシッピに居たからミシシッピに行けばまだいるかも」ぐらいの物凄くアバウトな手がかりから現地で細かい聞き込み調査を行って、何とたくさんのブルースマン達を”再発見”しておったんですが、ライトニンもサミュエル・チャーターズという青年による執念の調査で、何と質屋でギターを発見され(!)更に周辺で聞き込みをしていたところ、車に乗ったライトニンが現れて「おゥ、アンタ俺を探してるんだって?何の用だ」と、声をかけてきたらしいんですね。

で、カネになりそうな話だと察するや否や、何事もなかったように音楽復活。手始めにアメリカ各地に残る民俗音楽を収集しているちょいと学術的なレーベルであるスミソニアン・フォークウェイズでアルバム1枚分のレコーディングを行い、その後はとにかく大手だろうがマイナーだろうがカネになるなら看板はいらねぇとばかりに色んなレーベルで録音し、今日に残る膨大な量のアルバムをリリースしております。

今日ご紹介する『ライトニン・ホプキンス』というアルバムは、その”手始め”に行われた1959年スミソニアンフォークウェイズでの録音であります。

ちょいと詳しい方なら録音年を聴いて「おぉ、名盤モージョ・ハンドと近い録音じゃないか!」と気付くと思いますが、そうなんです。『モージョ・ハンド』もこのアルバムも、再発見直後の勢いとやる気に満ちたライトニンの好演を収録したもの。ところがギターにピックアップとか、バックにドラムとかを付けて、とことんダーティなインパクトが凄まじいモージョ・ハンドに比べ、コチラは生ギターによる完全弾き語り。空気感もジトッとしたヘヴィなものではなく、40年代のアラディンやゴールドスター音源を思わせる、カラッと乾いたものに仕上がっております。

とはいえのっけから刑務所生活を歌った重たいスローブルース、続く2曲目も人生の不運をやるせなく歌う、まるで彼のそれまでの人生の独白のような曲が続き、音の質感はカラッとしておりますが、全体のイメージはライトニンの演奏の中でもかなり辛口な部類に入ります。









(アナログ盤)





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”ブルース入門編 〜初心者のための優しいブルース講座〜”


『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 23:19| Comment(0) | ブルース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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