ディープなコラム こちらにも書いてます♪

2017年07月19日

ジョン・コルトレーン アセンション

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ジョン・コルトレーン/アセンション
(Impulse!/Verve)


アセンショーン!

アセンショーン!!

あ、はい、すいません。あんまり暑いのでつい叫んでしまいましたが、大した意味などないのですよ。

いやぁ、アセンションですねぇ。

何というか、ジョン・コルトレーンの数ある作品中、最も賛否両論を巻き起こした問題作と言われておりますアセンションです。

このアルバムはですのぅ、一言で言いましたら

「ううむ、音楽の可能性をもっと拡げたい。そうだ、フリー・ジャズっていう言葉、最近ちらほら聞くよね。アレって2年前だったっけ?オーネット・コールマンがふたつのバンドを”せーの”で自由にやらせたアレね。エリック(ドルフィー)も参加してて、よくはわからんかったけどスリリングではあったよね。うん、今までにない何かを感じた。だからオレもやってみたいなぁなんて思ってるのよね」

と、思い立ったコルトレーンが、バンドメンバーのマッコイ、ギャリソン、エルヴィンの他に、気鋭の若手ミュージシャンと呼ばれていたコワモテの11人を集めて、景気よく派手に”君らが思うフリーでやっとくれ”と吹きまくらせて、おまけに気前よくソロも自由に吹かまくったアルバムです。

で、それの何が問題かといえば、コルトレーンがですのう、そのゲスト参加したコワモテ連中に大した注文も付けずにやりたい放題やらせた結果、1曲40分とかいうべらぼうな長さになって、おまけに何が曲のテーマでどこがサビでとか、そういうのもぐっちゃんぐっちゃんなパンクな作品になっちゃったからなんでしょうな。

えっとですね、室町幕府ってあるでしょう。アレは足利尊氏という人が作ったやつなんですけれども、武士は領地とか戦の後の恩賞とかをちゃんとやらないと不満を持って反乱を起こすというのを、自分も反乱を起こした一味だった足利さんはよく分かっていて、じゃあお前らが不満を持たないように領地あげますと、全国の土地を有力な武士さん達にほいほい土地を与えてしまった結果、今度は与えられた部下達の力が大きくなりすぎてエライことになって、でも力を持っちゃった連中をどうにもできなくて結局戦国時代に突入しちゃった政権ですね。

「アセンション」も一緒ですな。

コルトレーンが気前のいい大将の足利さんで、マッコイとかエルヴィンとかは、まぁ鎌倉時代から一緒にやっておる上杉さんとか細川さんとかでしょう。

この人達で順調に来れたもんだから、もっと新しい勢力基盤をと、アーチー・シェップとかファラオ・サンダースとかマリオン・ブラウンとか、そういう赤松さんとか大内さんみたいな、出自がどうだかよくわからんけどとにかく戦はイケイケでやたら強い新興の豪族連中を、古くからの家臣には割と何の相談もなしに

「まぁまぁアイツらにはワシがちゃんと言っておくから」

と、館に招いて重臣の席に座らせた結果、異様な緊張感が生まれて利害の対立から紛争が起こるわそれぞれにお家騒動が起こるわでエライことになちゃった。

そういうアレで明徳の乱とか嘉吉の乱とかを経て応仁の乱のカオスへと突き進んでゆくというね、もうね・・・。

うん、ごめんなさい。ジャズとかよくわからん人のために歴史で例えようと思ったのですが、がちょっと悪かった。ごめんなさいね。

でも「アセンション」の音楽をどう表現すればいいのだろうと思ったら、キーワードは「長い混沌」これでしたから、他にいい例えがないのですよ。

事実、コルトレーンはこのアルバムを録音した1965年、すごく音楽的に迷って悩んでおりました。

というのも、コルトレーンはストイックに自分の可能性を追究していた人で「これがウケたからこれでいいんだ」という妥協とは無縁の人であります。

『至上の愛』で、マッコイ、ギャリソン、エルヴィンのカルテットで、音楽的なひとつの境地に達したコルトレーンは、更なる音楽的な高みを、いわゆるフリーな表現に感じており、しかしコルトレーンはデビューから60年代までずっとどちらかといえばオーソドックスなジャズの世界を生きてきた人です。

なので自分より若く、規定の表現に囚われない人達の力を借りて、新しい何かを作る・・・というよりも今までやってきたものを一旦混沌と共に打破したかった。そういう衝動があったんでしょう。


【パーソネル】
ジョン・コルトレーン(ts)
フレディ・ハバード(tp)
デューイ・ジョンソン(tp)
ファラオ・サンダース(ts)
アーチー・シェップ(ts)
ジョン・チカイ(as)
マリオン・ブラウン(as)
マッコイ・タイナー(p)
ジミー・ギャリソン(b)
アート・デイヴィス(b)
エルヴィン・ジョーンズ(ds)

【収録曲】  
1.アセンション(Edition1)
2.アセンション(Edition2)

スタジオに集められた11人、その中で6人のホーン奏者たちは、いずれもコルトレーンより後輩で、それぞれ斬新なアイディアや表現手法を持った人達でありました。

とりわけ”フリー””前衛”と呼ばれ、彼ら自身もコルトレーンの音楽や姿勢から多大な影響を受けているファラオ・サンダース、アーチー・シェップ、マリオン・ブラウン、ジョン・チカイといったサックス奏者達の演奏に、コルトレーンは起爆剤的なものを期待したんでしょう。

多分マッコイやエルヴィンには言ったか言わなかったかぐらいの軽い説明だけでスタジオに招き、セッションする曲についての細かい打合せやリハーサルなどはあんまやらず

「ジョン。で、俺らはどうすればいいんです?」

というメンバーや後輩達の問いにも

「・・・そうだな、ソロの順番はこうだから後は好きにやってくれ。なるべく自由にだ」

と、ボソボソ言う程度の説明しかしなかったでしょうが、それこそコルトレーンやスタジオに招いた若手達の中でも特にファラオ、シェップ、マリオン、チカイらにとっては”のぞむところ”であり、このアルバムではコルトレーンと若い彼らのエネルギーが、自由な裁量で与えられたソロの中で炸裂しており、それに対してあくまでオーソドックスの枠組みを大きく逸脱したくないトランペットの2人や、そもそもこのセッションをコルトレーンがどういう思考の元におっぱじめたのかさっぱり分からない、いや、相談もなしにウチの大将は何やってんだ?という戸惑いと苛立ちを隠せないマッコイとエルヴィン(ギャリソンは多分何も考えていない・笑)との、気迫というか怒気に満ちた演奏が、1曲40分の中で、混沌に混沌を被せるような形で壮絶を描いております。

ソロの中で特に素晴らしいのはやはり後にコルトレーン、バンドに加入することになるファラオ・サンダースの強烈なフリーク・トーンと、フリー派のはずなのに優しい音で独特の”間”でもって混沌が渦を巻くこのアルバムの中で、調子はずれなはずなのにどこか和みの風情を醸しているマリオン・ブラウンのアルトです。

で、散々「難しい」とか「何やってっかわかんねー」と過去に言われてきたこのアルバムですが、実は当初言われていた”問題作要素”は、1曲40分という非常識な演奏時間と(CDだとテイク違いの”エディション1”も入ってるからトータル80分近いゾ!)、オープニングの数分以外はほとんどテーマらしいテーマもなく、各人のソロの途中でも他の奏者達がやたらフリーキーなフレーズを被せて煽ってるとこぐらい。

後はエルヴィンの繰り出すリズムも、かなり強引な乱打とかやってますが「こんなヤツらに煽られてたまるか!」と、意地の定型ビートを保ってるし、マッコイのピアノもバラバラ弾き散らかさず、ほとんど1つか2つ、多くて3つぐらいのコードをこっちも維持で叩き付けてバッキングしてるので、カルテットに被さっている若手コワモテ(あ〜らごめんなさい)の皆さんの効果音てきな「ぶおぉー!ばぎょおお!」を省いてコルトレーン・カルテットの演奏と、鳴っているソロとバックのメロディとリズムのせめぎ合いに集中して聴けば、実にまっすぐで分かりやすいノリのパワー・ミュージックとして聴けます。

「アセンション怖くない」という声は90年代ぐらいから色んな人がキチンとコルトレーンを聴いた上で挙げてきて、実際アタシもそう思いますが、もうそろそろそういうのもいいでしょう。

ジャズとか全然わからんけど、刺激やカッコ良さを求めている方々がこの作品をどう聴いて、どう反応してくださるかを、アタシは大いに楽しみにしてます。

むしろ”非ジャズファン”の「コルトレーンかっけぇ!」ランキングでは、コレとかオムとかはかなり上位にくると思いますがどうでござんしょ?


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2017年07月18日

ジョン・コルトレーン 至上の愛

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ジョン・コルトレーン/至上の愛
(Impulse!/ユニバーサル)

「至上の愛」

レコードで手に入れたジョン・コルトレーンの、この意味深なタイトル、更に意味深なモノクロの横顔写真のレコードを、何度繰り返し聴いたことでしょう。

そして、その激烈な演奏から見える、一言でいえばとことんへヴィでとことんピースフルな音楽の深みに何度引き込まれてクラクラしたことでしょう。

「アンタはコルトレーンに大分イカレてるようだが、コルトレーンの音楽って何がいいの?どんな音楽なの?」

と、今もよく訊かれます。

その都度アタシは

「う〜ん、コルトレーンは激しくて重たくて暗くて・・・でも聴いた後ココロがスカーっとするんです」

と答えます。

毎度陳腐な言い草で本当にごめんなさいなんですが、コルトレーンに感じる”特別な何か”は、これはもう聴いたことのない人には体験して、その理屈じゃない部分を感じて欲しいんですね。

コルトレーンはジャズの人で、初期、特にPrestigeやAtlanticというレーベルに所属していた頃は、どこからどう聴いてもかっこいいジャズをやっています。

だから「ジャズの巨人、ジョン・コルトレーン」とよく言われているし、実際その通りであるのですが、自分のバンドを組んでImpulse!レーベルからレコードを出すようになってからのコルトレーンを聴いていると、もう”ジャズ”という枠にはめて聴くのもどうかと思うほど深いんです。

や、たとえばマイルス・デイヴィスのようにロックビートを入れたり、エレキギターやキーボードなんかを入れて、ロックやファンクを意識したクロスオーバーな”新しさ”を感じさせる音楽をやっている訳ではまったくなくて、むしろ70年代までやっててもそういう路線には行かずにアコースティックなジャズを愚直に追及しそうな勢いでフリーフォームの20分とか30分の演奏を死ぬまで繰り広げているのが60年代半ば以降のコルトレーンなんです。

だから”新しい”とか”音楽の幅が広い”とかじゃなくて”深い”。コルトレーンがジャズという枠組みを大胆に超えているその原動力は、深さに一点集中した物凄いエネルギーなんですね。

よくガイドブックやネット記事でも名盤といわれる『至上の愛』ですが、このアルバムはコルトレーンがまだフリーフォームに突入する前に、定型をギリギリ保ちながら”ジャズ”を超える深みへ自身の音楽を到達させた一枚だと思うのです。





【パーソネル】
ジョン・コルトレーン(ts)
マッコイ・タイナー(p)
ジミー・ギャリソン(b)
エルヴィン・ジョーンズ(ds)

【収録曲】
1.至上の愛 パート1:承認
2.至上の愛 パート2:決意
3.至上の愛 パート3:追求
4.至上の愛 パート4:賛美


コルトレーンが紆余曲折を経て、マッコイ・タイナー、ジミー・ギャリソン、エルヴィン・ジョーンズという若手アーティスト達を揃えた自己のバンドを結成したのは、1960年から62年のことでした。

リーダーとしてやっと自分の思う世界を音楽で表現出来ると確信したコルトレーンが若いメンバー達を鍛えることおよそ2年から4年。

音楽だけでなく世界中のあらゆる民族文化、宗教や哲学思想にも深いインスピレーションを得ようとあらゆる書物を読みまくっていたコルトレーンは、激動の社会情勢なども目の当たりにして、真剣に「救済」について考えるようになり、メンバー達と共に連日の激しいギグやレコーディングを繰り返しながら、思想と表現を、まるで溶鉱炉で熱した金属を錬成するように練り上げていきます。

Impulse!から”ジョン・コルトレーン・カルテット”名義で立て続けにリリースされた60年代初頭のほとんどのアルバムは、どれもカッコ良く進化したモダン・ジャズでありながら、コルトレーンのサックスは定型を逸脱しそうなほどに激しく、バックも、特にエルヴィン・ジョーンズのドラムを中心にそれぞれ気迫の塊のような熱演でコルトレーンに応え、情念と情念が渦を巻いて高温で発熱しているかのようであり、そして楽曲は独特の荘厳な響きの中に、インドやアフリカといった(多分コルトレーンから見て)人類の根源の地に息付くリズムやメロディーの断片を深く埋め込んだ、やはり異様でいて特種なムードを醸すものでした。

『至上の愛』は、そんな異様でいて特種なムードを”神”というキーワードでまとめ、壮大なスケールの4部の組曲にしたものです。

”神”と言ったらアタシも含めたフツーの日本人は「むむ、何かウサン臭い宗教か?」と身構えます。

実際アタシも最初に聴いた時は、荘厳な雰囲気の中「ア、ラーヴ、シュプリーム・・・」と、低い男の声でボソボソと呟かれるタイトルにびっくらこいたものですが、コルトレーンに言う神というのは、キリスト教とかイスラム教とか、そういう特定の宗教の神様ではなく、もっと根源的な、人間の意識の内側に存在する摂理のような存在のことだとライナノーツに書いてあったのを読んで安心したという経験を持つのではありますが、演奏はこの上なくへヴィでアグレッシブで、もし”ハードコア・ジャズ”という呼び名が許されるのであればそう呼んで上げたいぐらい、意味深なタイトルとか組曲とかそういう難しそうなイメージとは裏腹の実にストレートなカッコ良さにみなぎったものでありまして

「いや、コルトレーンって演奏する前は神とか精神とかそういうことを悶々と考えてたんだろうけど、実際サックス吹いてアドリブに突入したらトランス状態に入っちゃって、それまで悶々と考えてたことなんか全部吹っ飛ばす人なんじゃね?」

というのが、20年以上何度も何度も聴いて、その都度「くー、かっこいい!」と打ち震えてきたアタシなりの現時点での結論です。

あと、ここから先は聴きながら感じて欲しい余談の部分なんですけど、前に誰かがツイッターで

「至上の愛ってラテン・ポップスだと思う」

と、興味深い発言をしていて確かに”ラテン”を意識して聴けば、特に1曲目、これは実にリズムの骨組みがキャッチーなラテンで、独特の重さや荘厳さを一旦耳から外して聴けば、いやこれほんとポップで踊れるアルバムなんじゃないかと、実は最近思っています。

そういえば60年代以降のコルトレーン、よく「難解だ難解だ」と言われてますけど、実際演奏面に関しては、言われるほど難しいことはしてなくて、むしろハードなブロウに徹した硬質でまっすぐな表現に舵を切っているような気がするんですがどうなんでしょう?







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2017年07月17日

大コルトレーン祭2017はじまりました


今年も7月17日、ジョン・コルトレーンの命日がやってまいりました。

1967年の今日、41歳の若さで波乱万丈に満ちたジャズ人生を駆け抜けてあの世へ行った訳ですから、今年で50年ということになります。

コルトレーンという人は、そりゃもうジャズを代表する巨人といえば巨人であります。

アタシにとってはハタチそこらの時に「ジャズなんてオッサンが聴くかったるい音楽だろ」と生意気にも思っていたその心に、カテゴライズを拒みまくって粉々に打ち砕く程のハードなブロウと自由極まりない音楽性(それはいわゆる”フリー・ジャズ”と呼ばれた亡くなる直前のカルテットでの激烈な演奏でした)で決定的な衝撃を与え、以来ジャズにどっぷりとハマるきっかけを作ってくれた人です。

晩年のコルトレーンの演奏を聴いてエリック・ドルフィーを聴いて

「あ、ジャズってパンクなんだ」

と思ってからのお話は、このブログにも今まで散々書いてきました。

しかし、コルトレーンから教えてもらったことは、そういったジャズどうのとかいう表面的なことではなくて、もっと根源的な”姿勢”というものだったのかも知れません。

インストのジャズにはヴォーカルがおりません。

つまり具体的に言葉で何かを訴えるという手法はジャズには余りないんです。

けれども彼の書いた楽曲や、彼の吹くテナーやソプラノサックスによる演奏には、何かこう歌詞以上のメッセージが常に込められているような気がしていましたし、実際にコルトレーンのインタビューや楽曲の解説を読むようになって「あぁそうか」と深く得心したことも多々ありました。

特にコルトレーンがソロとして独立してからの1950年代後半から60年代にかけて、社会は色んな意味で激動の時代を迎えておりました。

それまで繁栄だけを追い求めた世界の、光の当たらない部分での大きな歪みが表に出たことによって、様々な事件が起こり、社会的な運動も起こり、それに対してミュージシャンとして、アメリカの黒人の若者として、多くのものを抱え、その分音楽を深い祈りにして常に何か大きなものに捧げていたコルトレーン。

そのコルトレーンの”祈り”が宗教的なものではなくて、あくまで音楽を音楽として、崇高な崇高なものとしてまっすぐなまなざしで彼は捉えていて、真摯にひたすら演奏していた。だからこそ彼の音楽には大きな感動があり、独特の重たさや暗さも孕んだ強靭な美しさがある。それが何なのか今一言で説明しろといわれてもアタシは上手いこと言える自信はありませんが、美しさに惹かれて聴きまくりながら、コルトレーンの様々な”祈り”の意味について考えることで自分の心をちょっとだけ豊かなものにさせてもらっている。これだけはハッキリと言えます。

多くの人に、素晴らしいコルトレーンの音楽が届きますように。




(今年は「至上の愛」から、もしかしたらアタシが一番好きかも知れないこのアルバムをずっと聴いておりました。詳しくはリンク先に書いてありますが、とっても美しい”ほぼ”バラード・アルバムです)





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2016年08月31日

ジョン・コルトレーン The Atlantic Years in MONO

早いもので今年も8月の最終日、えぇ、夏が終わろうとしておりますね。

毎年ジョン・コルトレーンの命日、7月17日から、夏が終わる8月の31日までやっております『大コルトレーン祭』今年も皆様のお陰をもちまして、素晴らしく盛り上がったのではないかと思います。

アタシにとっては、コルトレーンという人はそれこそジャズという素晴らしい音楽のカッコ良さを教えてくれた人ではあるんですが、長年聴いていると、どうもそれだけではない「音楽」というものに対する真剣な姿勢や、物事を深く思考し、自分なりの精神のあり方の見つけ方とか、そういう人間にとって最も深い部分を教えてくれている人であります。

多くの読者の皆さん、これは毎年言いますが、特に「コルトレーンって知らない」という人にアタシは常に語りかけようと思います。

あのね、たかが音楽、たかがジャズかも知れないけど、音楽の中には、人の心の奥深いところを理屈抜きで揺さぶって、とてつもない感動を与えてくれるものがあって、その感動は、アナタが生きる上で、きっと色んな局面でアナタを強く助けてくれるものと思います。

コルトレーンかっこいいなと思うのは、まだアタシも「何故カッコイイのか?」という答えも見付からぬままの手探りですが、とにかく聴いた感じやフィーリングで「これはものすごく自分のためになりそうだ!!」と一番強烈に感じているのは、今のところコルトレーンです。

まぁ、そこんところは、今後も皆さんと一緒に考えていければと思います。

さて『大コルトレーン祭』最終日の本日は、ドカンとボックス・セットなど紹介いたしましょう。





《収録内容》
ジャイアント・ステップス
バグス・アンド・トレーン
・オレ!
コルトレーン・プレイズ・ブルース
アヴァンギャルド
・コルトレーン・レガシー(アウトテイク集 *1970年発売)


本当は「カネのある人向け」のボックスセットを紹介するのは気が引けるのですが(気軽に安いアルバムからでも聴いてほしいと思っとりますんで、はいィ)、今回のこのボックスは、特にスペシャルなものなのです。

タイトルには「アトランティック・イヤーズ」とあります。

ご存知の方も多いと思いますが、この箱は、コルトレーンが長い長いサイドマン時代、そしてインディーズ・レーベルの時代を経て、ようやく念願の契約を交わしたメジャー・レーベル”アトランティック・レコード”でリリースされたアルバム(リーダー作3枚とミルト・ジャクソンとの双頭アルバム、そして死後にリリースされたアウトテイク集の計5枚)をまとめたものです。

この頃のコルトレーンといえば、マイルス・デイヴィスやセロニアス・モンクのバンドでの経験から、それまでにないまったく独自のジャズ・テナーのスタイルを築き上げ、特に”シーツ・オブ・サウンド”と呼ばれる超高速でアドリブを間断なく吹きまくるそのプレイで、モダン・ジャズ以降の新しいサックスの音をドカーンと世に放っていて、コルトレーンのプレイだけを聴いても非常に活き活きとしていて、何かこう胸のすくような独特の爽快感と高揚感が味わえてもうたまらんのですが、それに加え、エルヴィン・ジョーンズ、マッコイ・タイナー、エリック・ドルフィーなどなど、彼の斬新なプレイを真に理解して、それに見合った新感覚の演奏で盛り上げることができるバンドメンバーも出揃って、もうCDで聴いてても「すごいすごい」と声が思わず出てしまう。それが「アトランティック時代のコルトレーン」なのであります。

で、このボックスに収められている音源は、すべてモノラルのリマスタリングが丁寧にほどこされております。

何故モノラルかといえば、これはもうこの時代のジャズの「音が中心に集まって、スピーカーからドカンとくる快感」をもたらしてくれるのは、これはどう録音技術や再生技術が向上しても、当時のモノラル音源でしかなしえないからなんです。

丁度ここに収められた演奏が録音された1950年代末期から60年代初頭というのは、ステレオが出始めた頃でありました。

ステレオというのは音が左右に分かれて再生されることによって、立体感と奥行きが広がる。

これは実に画期的なシステムではあったのですが、この時代のステレオは試行錯誤の繰り返しで、音の中心がスコーンと抜けていて迫力に欠けていたり、バランスが悪く楽器によってはかなり押さえ込められた音質になっていたりと、問題も多々ありました。

コルトレーンのアルバムも、ステレオでリリースされたり再発されたりしておりましたが、その都度問題もあったので、最近はモノラルでのリイシューというものが、徹底して見直されてきているんですね。


アナログもあります↓



こっちは7枚組で少々値は張りますが、何といってもシングルで発売された「マイ・フェイヴァリット・シングス」の限定7インチ盤が付いているのがもーたまりません。

それにモノラルの音を聴くなら、アナログは質が違いますよ。

デジタルでカットされない「不可聴音域の周波数」が、音に素晴らしいツヤと丸みを感じさせてくれるんですよね。アタシは「何が何でもアナログ派」ではないんですが、や、コルトレーンに関してはやっぱりCDとアナログ盤をぜひ持って頂いて、その日その日の気分でそれぞれ聴いていて欲しいです。

ある日突然アナログの音に

「うわぉっ!!!!!」

となります、必ずなります。


さて、重ねましてみなさま、今年も『大コルトレーン祭』にお付き合いいただきましてありがとうございました。

来年もどうかお楽しみに!

A Love Supreme

皆さまが多くの素晴らしい音楽の感動と出会いますように!







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2016年08月27日

レイ・ドレイパー・クインテット・フィーチャリング・ジョン・コルトレーン

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レイ・ドレイパー・クインテット・フィーチャリング・ジョン・コルトレーン
(Prestige/New Jazz/ユニバーサル)

世の中には「良い」「悪い」という言葉の他に「味がある」という非常に素敵な言葉があります。

もうね、アタシはこの”味”という言葉大好き♪

そうなんですよ、特に音楽の分野でいえば、歴史に残る名盤とか、天才アーティストとか、もう本当に凄い人の凄い演奏、たくさんあります。

しかし、しかしですよ皆さん、完璧な凄いものばかり聴いていたら、耳が疲れませんか?

アタシにはこんな経験があります。

ちょっとジャズに興味を持ったお客さんで

「もう本当に本当に初心者なんで、とりあえず名盤を教えてください」

という、実に真面目で熱心な方がいらっしゃいまして、で、アタシもそん時は若かったので

「これはもう一流の物凄い名盤を揃えてお応えせねば・・・」

と、やや張り切りすぎていたんでしょうね。

頑張って張り切って、そらもうジャズの”超”の付く名盤を少しづつじっくりとオススメしてたんですが、ある日

「何か・・・ジャズってもっと気軽に聴ける音楽だと思ってたのですが、私にはまだまだ敷居が高すぎるような感じがします・・・」

と、その方は悲しそうにおっしゃってました。

私も悲しかった

でもね、これはアタシが悪いんです。

自分だって本当は「名盤」と、高いところに置かれて燦然と光を放つアルバムには衝撃を受けたけれども、そこから

「ジャズっていいな・・・」

と、心から思えるようになったのは、何か軽い気持ちで

「これって何かいいんだよな〜」

と、にこやかに聴けるアルバムに、”味”の魅力をたくさん教えてもらったからではなかったか?

だってお客さんにオススメするのに、世間の評価とか、狭い世界の中だけでの評判とか(ジャズの世界なんて狭い狭い)に一切を頼って、そこに自分が耳で聴いて「これはいいもんですよ」というものを入れて、お客さんに考えて判断してもらうってことを考慮してなかった。

はい、いけませんね。

そこからの反省の意味も込めて、アタシは「評判はあまり聞かないものをなるべく聴こう」と思って、色々とマイナーなものばかり聴いていた時期があります。

その中で引っかかったのが、チューバ奏者、レイ・ドレイパーのこのアルバムです。




【パーソネル】
レイ・ドレイパー(tuba)
ジョン・コルトレーン(ts)
ギル・コギンズ(p)
スパンキー・デブレスト(b)
ラリー・リッチー(ds)

【収録曲】
1.クリフォーズ・カッパ
2.フィリデ
3.トゥー・サンズ
4.ポールズ・パル
5.パリの空の下
6.アイ・ハドント・エニワン・ティル・ユー


いや、引っかかったというか、単純に「コルトレーンが参加してる」ということで、完全なミーハーで見付けたアルバムなんです。ついでに”ミーハーってさいっこう♪”な話もしたいのですが、これやると長くなりますので・・・。

えぇと、話をレイ・ドレイパーに戻しましょう。

皆さんはチューバという楽器、知ってますか?吹奏楽部とかでよくアンサンブルの重低音部分を担当する、あのヒマワリのお化けみたいなデカい楽器です。

そんな楽器でありますので、ソロでブイブイ言うジャズの世界では、あんま使われてないんですね。

しかし、ドレイパーは気合いと根性で、この楽器で何とソロを吹くんだい!という志を持ってジャズの世界での飛躍を夢見ておりました。

「ちょいと変わった楽器をやってる若いのがおる」

ということで、彼に目を付けたレーベルが「NEW JAZZ」という子会社を立ち上げたばかりのプレステイジ・レコード。

「とりあえずー、レイ・ドレイパーのアルバム作りたいんだけどー、彼全然無名のあんちゃんだしぃ、チューバだけだと売れるかどうか物凄く不安だからー、誰かそこそこ有名なヤツと組ませるかー」

というわけでもう一人のホーン奏者として白羽の矢が立ったのが、当時プレスティジから初リーダー作を出したばかりのコルトレーン。

さてさて、そんなアルバムがどういう風に仕上がってるかと言いますと・・・。

『耕運機VSスポーツカー』

なのであります。

ドレイパーがモゴモゴした全く抜けのない音で「ブハブハブハ・・・」と、たどたどしいソロを吹けば、コルトレーンがその後で、体感速度はその10倍ぐらいの全開のソロでシャーーーー!!と駆け抜ける。漫才でいえばドレイパーは完璧なボケでコルトレーンは完璧なツッコミ。

この時レイ・ドレイパー17歳、コルトレーンは30歳。

怖いもの知らずでボフボフやっているドレイパー、相手がチューバだろうが少年であろうが容赦なく本気で吹きまくるコルトレーン、まったくどんな子供とどんな大人なんだと思います。

そして、物凄く扱い辛いであろうチューバでのソロは、さっきも言いましたが実にたどたどしく、コルトレーンとのソロの応報も、お世辞にもバランスが良いとは言えません。

が、何でしょうこのチグハグを「また聴きたいな♪」と思わせる不思議と後を引く唯一無二のオツな味わいは。

まぁ、色々と「不思議だな〜、不思議だなぁ〜」と思いながら、アタシは長年愛聴しております。

よくよく考えながら聴けば、ものすごーく抜けの悪い(失礼!ディスってないよ)ドレイパーのチューバと、とことん硬質でメリハリの効いたコルトレーンのテナーという、全く対照的なサウンドの間には、本人達が意図していないところで、実に絶妙な”緩急の差”が生じて、それが聴く人の生理的な部分に直接作用して、「何かすっげぇスリリング!」と思わせる効果が出ておるのです。

それから「ドレイパーのソロはたどたどしい」と書いて、実にその通りなのですが、どの曲でもテーマ(曲の最初のメロディーをハモる部分)で、ドレイパーはセンスのいい、もっといえば非凡なカッコイイ”ハモり”をバシッ!とキメておるのです。

うんうん、やっぱりアンサンブル要因として、多分ブラスバンドで鍛えまくったんでしょう。それからやっぱり才能あるんですわ。サックスとかトランペット奏者みたいに、先頭に立ってガンガン吹きまくるんじゃない、アンサンブル人としてメインフレーズを引き立てるズバ抜けた才能がこの人には。

あと、ドレイパーには作曲の才能もあります。

アルバム前半の3曲は彼のオリジナルなんですが、これがまた派手さはないけど、哀愁系のミドルテンポで加速する、聴けば聴くほどイイ曲なんですよ。

ドレイパー自身はこの後パッとすることなく1984年に強盗に襲われて悲劇の最後を迎えてしまいましたが、もし、彼が契約したのがPRESTIGEでなくBLUENOTEで、その作曲とアレンジの才能を開花させていたら・・・とか、ふっと夢想してしまいます。







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