ディープなコラム こちらにも書いてます♪

2017年07月24日

マイルス・デイヴィス スティーミン

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マイルス・デイヴィス/スティーミン
(Prestige/ユニバーサル)

コルトレーンの歌心の源流を追って、ここのところ初期マイルス・デイヴィス・クインテット時代のコルトレーンを集中的に聴いております。

改めて聴いてやはり思うのは、コルトレーンのプレイのポリシー、つまり「それまでテナー・サックスでは誰もやってなかったシャープなサウンドで、エッジの効いたプレイをする」というのは、この時代既に確固たるものとしてコルトレーンの中で固まっていたんだなぁということです。

コルトレーンのデビューは遅く、マイルスのグループに参加した頃は既に30になろうとしていた頃でしたが、彼にとってはライバルであり、少し年下のソニー・ロリンズがその5年前には19歳にして堂々たる吹きっぷりで世間を沸かせていたことを考えると「俺は本当にジャズで食っていけるのか?」と、考え悩むばかりの20代であったであろうことは想像に難しくありません。

しかし、彼が20代ももう終わりに近付き、憧れのチャーリー・パーカーと一緒に演奏をしていたマイルスに声を掛けられた時は、既に20代の頃夢中で練習していたビ・バップの時代は終わりを迎えようとしておりました。

「ひたすら早くてヒップなフレーズを、熱気と技術に任せて吹きまくる」

というビ・バップから

「よりファンキーで、楽曲全体を考えたメロディアスなアドリブと、洗練されたモダンな演奏を」

というハード・バップの時代に突入した1950年代半ばにようやくソロ・アーティストとしての可能性を掴んだコルトレーン。そして、その時代を牽引して次の時代のドアに手をかけていたのが、自分をスカウトしてくれたマイルス・デイヴィスその人だった訳ですから、嫌でもやる気はみなぎろうというものです。

コルトレーンはしかし、その時点ではジャズ界隈のリスナーからはまだまだ未熟で何をやりたいのかよく分からないテナー吹き、という扱いを受けておりました。

テナーサックスといえばソニー・ロリンズのように、中低域を活かしたズ太い音で、よどみなく粋でイナセなフレーズを、リズミカルに次々と生み出すもの。或いはまだリスナーのほとんどは、ビ・バップより前の時代のスウィング・ジャズ・テナーの豪放磊落な、分かり易い男らしさがほとばしるプレイの残滓を追っていたのかも知れません。

このようなファンの感覚は

「誰もやってなかったことをやる」

と決めたマイルスにとってはどうでもいいものでした。

コルトレーンにとっても、エリントン楽団のジョニー・ホッジスが最初のアイドルであり、ちょっと前まではR&Bのアール・ボスティックのバンドで豪快で野性味溢れるホンク・テナーも”お仕事”で吹いていたのです。いかにロリンズやスタン・ゲッツら当時の一流テナーマンに比べて技術的には数段劣るとはいえ、プロとして求められさえすればある程度スイスイ吹けるぐらいの基本的な実力はあったでしょうが、コルトレーンの意識も

「自分ならではの、まったく新しいプレイスタイル」

な訳ですから、理解してくれるよき仲間と共に、大いに試行錯誤、切磋琢磨するべき時間は必要だった訳であります。

グループに加入したその年の1955年の演奏には、確かにコルトレーンの迷いが見て取れます(アルバム「ザ・ニュー・マイルス・デイヴィス・クインテット」)が、マイルスのコンセプトへのコルトレーンの理解力は素晴らしく、次の作品の「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」から、プレスティジでの最後のレコーディングであります”マラソン・セッション四部作”に至る1956年の一連の演奏を聴くと、もうたった1年のうちに何があったんだと思う程の技術的な上達と、他の誰にも似ていないしっかりとした個性が確立されたサウンドとフレーズが見事に花開いているのです。



【パーソネル】
マイルス・デイヴィス(tp)
ジョン・コルトレーン(ts,ACD)
レッド・ガーランド(p)
ポール・チェンバース(b)
フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)


【収録曲】
1.飾りの付いた四輪馬車
2.ソルト・ピーナツ
3.サムシング・アイ・ドリームド・ラスト・ナイト
4.ダイアン
5.ウェル・ユー・ニードント
6.オエン・アイ・フォール・イン・ラヴ


という訳でマイルスの”Prestige四部作”は、マイルスの優雅で繊細なトランペットの妙技と、センス最高ハード・バップ・ジャズをどのアルバムでも心ゆくまで楽しめますが、コルトレーン・ファンにとっても最初の飛躍が刻まれた胸の透くようなカッコイイ演奏にシビレることが出来る素晴らしいアルバム達です。

本日ご紹介するのは「クッキン」「リラクシン」ときて「スティーミン」です。

何となく四部作の中では、ジャケットがかわいい「クッキン」と「リラクシン」は人気ありますが、「スティーミン」と「ワーキン」はあんまり語られることがないような気がしませんか?

うんうん、内容的にはアルバム単位で甲乙付け難いのは本当ですし、せっかくなんでもっと多くの人に「スティーミン」と「ワーキン」を聴いてほしいので、今日は大いに語りましょうね。もちろんコルトレーンを中心に。

さて、本作スティーミンは、こちらも「リラクシン」同様に、リラックスして聴ける極上のジャズです。

更に目玉としては、ノリノリのビ・バップ曲「ソルト・ピーナッツ」と、セロニアス・モンクのコミカルなノリの良さが光る「ウェル・ユー・ニードント」での、コルトレーンの炸裂するプレイでしょう。

マイルスとしては、もうこの時点でビ・バップの急速ナンバーは「もういいか」という認識だったとは思いますが、アルバム4枚分のレコーディングをせねばならないからというのと、やっぱりライヴなんかではキャッチ―で速い曲はウケが良かったんでしょう。

それにここまでに散々ビ・バップをやってきたメンバー達にとっては”お手のもの”であります。

マイルスがミュートを外してパラパラパラ!と吹きつつも、ところどころで絶妙に音を抜いて間を活かした(コレが最高にセンスいい!)ソロをすれば、コルトレーンはそれまで溜めてきたものを一気に吐き出すかのような細かい手数での激しい吹きっぷり。

それを受けて”モダン・ジャズの世界で一番派手なドラムを叩く男”(←今考えた)フィリー・ジョー・ジョーンズがハイライトとなるド派手なドラムソロで山を作って一瞬のテーマをマイルス、コルトレーンがパッと吹いてズシャッと終わり。くーカッコイイ、スタジオ盤なのに何でこんなにライヴっぽいんだろう。

感動の余韻を更に膨らますかのように、今度はマイルスがワン・ホーンで歌う見事なバラード「サムシング・アイ・ドリームド・ラスト・ナイト」から、再びコルトレーンが参加しての、怒涛の「ダイアン」そして「ウェル・ユー・ニードント」。

「ダイアン」はミディアム・テンポの小唄ですが、おっと、言い忘れていたけどこの曲のコルトレーンのソロも目玉です。

テンポに合わせた絶妙の”抜き””スカし”なら、コルトレーンはテンポに対して倍ぐらいの数の高速フレーズをブチ込む思い切ったアドリブで突っ走るんですが、この時勢い余り過ぎて「キュイッ!」と音が裏返るミス・トーンを出してるんです。コレがもう最高にシビレます。いいなぁジャズって。。。

そしてセロニアス・モンクの「ウェル・ユー・ニードント」ですが、この頃まだその独特過ぎる個性ゆえに、一般人気とは縁遠かったモンクの曲を「何でだよ、カッコイイものはカッコイイじゃねぇか」と積極的に演奏していたのはマイルスです。

マイルスの代表作と思われている「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」だってモンクの曲です。

聴く分には独特の”飛び””はずし”が、リズムと絡まってウキウキするモンクのミディアム・アップ・ナンバーは、実は演奏する側にとっては実に難しいのですが、こんなもん結成して毎晩のようにライヴやってたマイルス・バンドの手にかかりゃ朝飯前。

コミカルで摩訶不思議な”うねり”のあるテーマをズラしたタイミングでカッコよくハモるマイルスとコルトレーンから、マイルスのスムースなソロからコルトレーンの力強いトーンが「ぎゅいーん」とフル加速していくこの流れ、たまらんですね。そこからバトンタッチした、珍しく低音をガラゴロミステリアスに転がすガーランド、その間もずーっとブイブイとぶっとい4ビートを刻み続けているチェンバースのベース、スネアとハイハットとシンバルを細かく使い分けて効果的に突っ込むところにピシャッと突っ込んでゆくフィリー・ジョーのドラム。たまらんですね、実にたまらんです。

最後は再びマイルスのワン・ホーンでの美しいバラードで、結局コルトレーンはこのアルバムではバラードでは参加せず、ミディアムからアップテンポの曲のみの参加となっておりますが、それだけにギアの入ったコルトレーンの凄さに「うひゃー!」と興奮するにはもってこいのアルバムなんじゃないかと思います。良いよ。

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2017年07月22日

マイルスデイヴィス リラクシン

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マイルス・デイヴィス/リラクシン
(Prestige/ユニバーサル)

1955年のマイルス・デイヴィス・クインテット参加からおよそ1年後にレコーディングされた、マイルスの「クッキン」「リラクシン」「スティーミン」「ワーキン」という、いわゆる”マラソン・セッション四部作”は、初期マイルスの素晴らしく繊細でスタイリッシュなトランペット・プレイと、彼のトータルな音楽家としての才能の開花を聴くことが出来る素晴らしいアルバム群であります。

そして、このバンドが初めての「ソロを大々的に取らせてもらえる、フロントマンとして雇ってくれたバンド」であったコルトレーンにとっても、独自の個性を最初に発揮させた場として、多くの素晴らしい名演を刻むことが出来たのでありました。

本日もマラソン・セッション四部作から「リラクシン」です。

このアルバムは、タイトル通りリラックスした演奏を集めたもので、収録曲のゴキゲン度は総じて高く、たとえば

「今日はちょっとマイルスな気分だね♪」

という時や

「仕事でヘトヘトになったから、ジャズでも聴いてホッとしたいわぁ」

という時なんかはそれこそピッタリなんじゃないかと思います。

マイルス・デイヴィスっていったらそりゃもうジャズの帝王で、何かよくわからんが凄い人で、ちょっと気難しい芸術家っぽいから、凄く難しい音楽をやってるんじゃないかしら?と思ってるそんなアナタ、確かにマイルスのカッコ良さって、どの時期も一貫してクールでニヒルなところで、モノによってはちょっと異常な緊張感とか、軽い気持ちでほんほんしたい時に聴いたらカウンターパンチ喰らわされる作品とかもあるんですが、で、アタシ個人的にはそんなアルバムこそがドップリギットリ浸れる最高なんだなこれ、だったりもするんですが、えぇ、世の中のほとんどの人はアタシと違って、平和を愛し、癒しを求める美しい心をお持ちだと思いますので、あえて”芸術”の方に突き進む一歩手前の50年代の音源をまずは「聴いてごらんなさいな」とオススメしたいのです。

特にバックにレッド・ガーランド、ポール・チェンバース、フィリー・ジョー・ジョーンズがいた頃のマイルスの音楽は、マイルスのニヒルでクールなキャラクターは、演奏の中心で孤高のダンディズムとしてカッコイイ音と最高の雰囲気を放ってはおりますが、この3人のリズム・セクションがそれを彩ればあら不思議、マイルスのカッコ良さそのままに、小粋で優雅で実にオシャレな極楽ジャズとして鳴り響くんですよ。

という訳でここをご覧の

「ジャズ聴いてみたいなぁ、やっぱりマイルスかなぁ・・・。でも何か難しそう・・・」

とお悩みの方いらっしゃいましたらタイトルに「〇〇〜ン」と付いているマイルスの初期アルバムをまずは聴いてみてくださいね。それかこのブログのやチャラいレビューを読んでやってくだせぇ。。。




【パーソネル】
マイルス・デイヴィス(tp)
ジョン・コルトレーン(ts)
レッド・ガーランド(p)
ポール・チェンバース(b)
フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)


【収録曲】
1.イフ・アイ・ワー・ア・ベル
2.ユーア・マイ・エヴリシング
3.アイ・クッド・ライト・ア・ブック
4.オレオ
5.イット・クッド・ハプン・トゥー・ユー
6.ウディン・ユー

与太はこれぐらいにして、このアルバムが先日ご紹介した「クッキン」と並んで、マラソンセッション4部作の中で特別人気が高いのは何故かというと、さっきも言ったように、楽曲演奏が軒並みくつろぎに溢れていて、ゴキゲンで親しみ易いということと、それに加えてスタジオ内のリラックスした空気もそのまま演奏の前とか後とかにちょこっと入っていて(もちろん全体の流れを妨げない程度)、実にいい雰囲気なんです。

オープニングの前にマイルスが


「(しわがれ声)先に演奏すんぞ、曲名は後で教える」

と、メンバーに呼びかけて、レッド・ガーランドが「ほいきた」とばかりに学校チャイムでおなじみの「きーんこーんかーんこーん♪」をピアノでやってアルバムが始まる。そこから小気味良いミディアム・テンポに乗ってマイルスのウィットに富んだ小粋なトランペット、コルトレーンの実に堂々とした和やかなソロでう〜ん、いいですなぁ、実にいい。

続いては美しいバラードでイントロを弾くガーランドに

「(しわがれ声)そこはブロック・コードでやってくれ」

と、やっぱりスタジオ内でのやりとりが入ってガーランド弾き直しからのマイルスの繊細で美しい美しいバラード。

はい、このバラードでのマイルスからタッチしたコルトレーンのソロがもう泣ける。

テナー・サックスらしい芯の太い音ではありますが、コルトレーンは「ズズズ・・・」と音を引きずらずに、メロディを過不足なく紡ぎ上げてゆくんです。これはこの後もずっと変わらないコルトレーンならではのスタイルなんですが、繊細な中にもマイルスと共通するけれどもどこか一味違う独特の”キレ”があって、しかも数分のやや短い展開の中で絶妙なストーリーを組み上げて、そこからレッド・ガーランドのピアノがため息のようにバトンタッチする。これたまらんですね。

で、個人的にこのアルバムのコルトレーンのベスト・プレイと思えるのが、ソニー・ロリンズが作った割とカラッと明るめのバップ・ナンバー「オレオ」です。

ちょいと早めでカリプソ入ったこの曲を、マイルスはとても気に入っていて、テンポよくアドリブを吹きまくっているんですが、こういうテンポとくればコルトレーン。

コード・チェンジを絶妙なリズムで強調しながらブンブン唸るベースでリードするポール・チェンバースとピッタリ呼吸を合わせるかのように、これ以上ないほど快調なアドリブをテクニカルにかましてくれます。だから誰だこの時期のコルトレーンへたくそだなんて言ったヤ(以下略)。

で、アルバムの最後はやっぱりマイルスの声も入ってます。

プロデューサーの

「Okか?」

という声に

「何がよ!?」

と、やや怒気含んで答えるマイルスがちょっと怖いんですが、この後ろでCDだと微妙に誰か何か言ってるなぁぐらいの声が入ってます。

何だろうと思ったらコレ、コルトレーンが

「(ビールの)栓抜きない?」

と誰かに訊いてる声なんだそうです。

全体的にゴキゲンなセッションなので、まずは雰囲気の素晴らしさを皆さんに感じてもらえたらなぁ、なんて思いつつ。。。



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2017年07月21日

マイルス・デイヴィス クッキン

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マイルス・デイヴィス/クッキン
(Prestige/ユニバーサル)

ジョン・コルトレーンのプロ・ミュージシャンとしてのキャリアは、ジョニー・ホッジスやディジー・ガレスピー、はたまたR&Bのアール・ボスティックといった人達のバック・バンドのメンバーとしてスタートしました。

これらの仕事は、ほとんどホーン・セクションの一人、或いはソロは吹かせてもらっても、自分の思うようなスタイルではやらせてもらえないことがほとんどで、後に巨人と言われる人のキャリアとしては実に地味であります。

そんなコルトレーンを拾い上げ、ソロ・アーティストとして世に出るきっかけを作ったのがマイルス・デイヴィスだったというのは有名な話。

どうもマイルスは最初ソニー・ロリンズを誘ったみたいだったなんですが、諸事情によってまだまだ無名だったコルトレーンにお呼びがかかったようです。

んで、コルトレーン、レッド・ガーランド、ポール・チェンバース、フィリー・ジョー・ジョーンズという、既に界隈では名が知られていた若手リズム・セクションに、まだほとんど誰も知らなかったコルトレーンを加えて作った五重奏団が、マイルスが最初に組んだレギュラー・バンドであります。

このバンド、マイルスの思惑通り、マイルスが提示する新しいコンセプト、つまりタテノリで客を沸かす演奏だけじゃなく、じっくり聴かせるスタイリッシュな都会的演奏にも、ツーといえばカーで即座に反応出来る素晴らしいバンドでした。

リーダー以外では、一番の功績はガーランド以下のリズム・セクションにあります。

もし、このバンドがサックス奏者のいない、マイルスのワン・ホーン・カルテットであったら、1950年代後半に、ゾッとするほど美しくメロディアスなバンドとなっていたでしょう。

もしかしたらマイルスは”帝王”じゃなくて”トランペットの詩人”とか、今頃呼ばれるような存在になっていたかも知れません。

マイルスの当時のコンセプトは、徹底して「クールに演奏して、ノセることもじっくり聴かせることも出来るジャズ」でありましたが、マイルスの心の内には、この頃既に

「誰もやっていないことを次々とやってやろう」

という意欲がメラメラと青白い炎となって燃えておりました。

そこでコルトレーンの加入です。

正直言ってその頃のコルトレーンは、ニューヨークでも全然無名なのはもちろん、その演奏を聴いていた人達からは

「コルトレーン?あいつヘタクソじゃないか。何だってマイルスほどの男があんな新人をバンドに入れたのかわかんねぇ」

と、批判もありました。

はい、これも有名な話ですね。

当時のサックスといえば、アルトもテナーも、チャーリー・パーカーのようにアドリブをよどみなくスイスイと吹きまくるのが一番カッコイイというのが常識でした。

たとえば既に人気を博していたソニー・ロリンズやスタン・ゲッツといった人達は、それこそテナー・サックスを自在に操って、いかにもテナーらしい中低域を活かした太い音(ゲッツはそこにしなやかさも加わります)で、難しいフレーズでも難なくこなし、何よりアドリブに一貫したメロディアスな展開があり、分かり易かったんですね。

資料によるとコルトレーンは、チャーリー・パーカーに憧れて、ビ・バップのフレーズは猛練習の末に50年代半ば頃には特に不都合なく吹けていたらしいのです。

でも、当時のジャズ界は”ビ・バップが吹ける程度”の腕利きなら腐るほどおりました。

ロリンズやゲッツといった人達が凄かったのは、それを経た上で、誰が聴いても彼らの演奏だと分かるぐらいの確固たるオリジナリティがあったからで、ただ難解なビ・バップをパーカーそっくりに吹けたところで、物まねで終わってしまうというのは、コルトレーンもよく分かっておりました。

で、ここからは”多分”の話なんですが、コルトレーンは早くから「ジャズお約束の”あの感じ”以外の演奏を展―で出来ないものか・・・」と、悩んで、でもなかなか定まらなくて、試行錯誤しているうちに徐々にトレードマークである、硬質でソリッドな音色やフレーズを生み出していったんじゃなかろうかと。で、そのトレーンの試行錯誤のサウンドやフレーズを耳にしたマイルスは、純粋に可能性の一点だけで「よし、お前はそれでいい」と、ライヴやレコーディングではその試行錯誤を本番でやらせていたんじゃないかなと思います。

一説によると

「いやぁ、何かどん臭いアイツが隣で吹いてると、オレのカッコいいトランペットが引き立つからね。いっひっひ」

と、マイルスは思ってたなんて言われてもおりますが、そうでしょうか?マイルスは演奏技量とメンバーのセンスには恐ろしく厳しい人で、もしコルトレーンの演奏に”どん臭さ”を感じていたなら、それは音楽をクールにスタイリッシュにキメたいマイルスにとっては耐え難いことで、何回か演奏して「はいクビ」となっていたはずでしょう。

ともかく1955年から56年の、マイルス・デイヴィスのグループに参加していたコルトレーンを聴いてみましょう。






【パーソネル】
マイルス・デイヴィス
ジョン・コルトレーン
レッド・ガーランド
ポール・チェンバース
フィリー・ジョー・ジョーンズ

【収録曲】
1.マイ・ファニー・ヴァレンタイン
2.ブルース・バイ・ファイヴ(フォールス・スタート)
3.ブルース・バイ・ファイヴ
4.エアジン
5.チューン・アップ〜ホエン・ライツ・アー・ロウ


1956年、マイルスはメジャー・レーベルのCBSに「ラウンド・ミッドナイト」という作品を録音します。

もう皆さんご存知、初期を代表する名盤中の名盤ですが、マイルスと彼の最初のレギュラー・バンドが凄いのは、実はこの後です。

自分とことの契約が残っているのに他のレーベルにマイルスがレコーディングしていたことに腹を立てた、所属レーベル"Prestige”は、マイルスに

「いや、メジャーからアルバムなんか出したらダメだよ。だってお前とはまだアルバム契約が残ってるから、それクリアして全部のレコーディング済まさないと訴えるよ」

と、ほとんどいちゃもんに近いクレームを入れるのですが、ここでマイルスは

「(しわがれ声で)あと何枚分だ?」

と返します。

「アルバム4枚分だよ」

と、言われ

(ざまぁみろ、アルバム4枚なんてすぐすぐ出来るもんじゃねぇよ。しばらくはウチとの契約に専念してもらうぜぇ)

と余裕ぶっこいていたレーベルに

「そうかわかった。じゃあ4枚分すぐにレコーディングしてやっからスタジオ貸せや」

と、完全に脅迫に近いノリの啖呵で答え、実際にたった2回のレコーディングで、アルバム4枚分の音源を仕上げてしまいました。

これが世に言うマイルスのマラソン・セッション4部作、すなわち「クッキン」「リラクシン」「ワーキン」「スティーミン」という、いずれも初期を代表する名盤に数え上げられる作品達です。

マイルスが"ちゃちゃっ"と、スタジオでほとんど録り直しナシであっさりと作品を仕上げちゃったというのは、つまりこのクインテットが日常のライヴでそのクオリティの演奏をしていたということで、それはつまりマイルスも凄いけど、他のメンバー達の実力も、当時のジャズマン達の中で恐ろしくずば抜けていたということです。

つまり、コルトレーン下手くそじゃなかった。

実際に初期マイルス・クインテット時代のコルトレーンのプレイ、もちろんマラソン・セッション4部作でたっぷり聴けます。

まずは4部作の中でジャケットがオシャレというのと、ミュート・トランペットによるバラード名演「マイ・ファニー・バレンタイン」が聴けるということで、シリーズ中一番人気の『クッキン』。

はい、このアルバムの決定的名演は、確かに「マイ・ファニー・バレンタイン」です。

しかしこの曲はコルトレーンが抜けたワン・ホーンなので、コルトレーン聴くなら2曲目以降。特に後半の「エアジン」「チューン・アップ〜ホエン・ライツ・アー・ロウ」でのミディアム・アップのテンポに乗っての、饒舌な吹きっぷりが素晴らしいです。

アツく盛り上がりながらも、小粋でメロディアスなプレイを繰り広げるマイルスのソロを受けたコルトレーンは、まるで水を得た魚のように、絞った音数のマイルスと好対照なソロでもうグイグイ遠慮なく行きます。行きまくります。

コルトレーンが「音譜敷き詰め奏法」のシーツ・オブ・サウンドを完成させるのは、この約1年後。マイルスのバンドを辞めてセロニアス・モンクの所で理論を学びながら猛練習を重ねた結果なはずですが、この時点でもうコード・チェンジに対して細かい手数で直線的に音を重ねてゆく方向性はすでに見出だしているように思えます。

アドリブの速度、起承転結、そしてマイルスやバックのリズムとの掛け合いも実に完璧で、聴いていて何の違和感もありません。

全体の空気感はマイルスが持つ、とことん粋でスタイリッシュなそれですが、コルトレーン中心に聴いていると不思議と熱くたぎるものを感じます。






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2017年07月19日

ジョン・コルトレーン アセンション

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ジョン・コルトレーン/アセンション
(Impulse!/Verve)


アセンショーン!

アセンショーン!!

あ、はい、すいません。あんまり暑いのでつい叫んでしまいましたが、大した意味などないのですよ。

いやぁ、アセンションですねぇ。

何というか、ジョン・コルトレーンの数ある作品中、最も賛否両論を巻き起こした問題作と言われておりますアセンションです。

このアルバムはですのぅ、一言で言いましたら

「ううむ、音楽の可能性をもっと拡げたい。そうだ、フリー・ジャズっていう言葉、最近ちらほら聞くよね。アレって2年前だったっけ?オーネット・コールマンがふたつのバンドを”せーの”で自由にやらせたアレね。エリック(ドルフィー)も参加してて、よくはわからんかったけどスリリングではあったよね。うん、今までにない何かを感じた。だからオレもやってみたいなぁなんて思ってるのよね」

と、思い立ったコルトレーンが、バンドメンバーのマッコイ、ギャリソン、エルヴィンの他に、気鋭の若手ミュージシャンと呼ばれていたコワモテの11人を集めて、景気よく派手に”君らが思うフリーでやっとくれ”と吹きまくらせて、おまけに気前よくソロも自由に吹かまくったアルバムです。

で、それの何が問題かといえば、コルトレーンがですのう、そのゲスト参加したコワモテ連中に大した注文も付けずにやりたい放題やらせた結果、1曲40分とかいうべらぼうな長さになって、おまけに何が曲のテーマでどこがサビでとか、そういうのもぐっちゃんぐっちゃんなパンクな作品になっちゃったからなんでしょうな。

えっとですね、室町幕府ってあるでしょう。アレは足利尊氏という人が作ったやつなんですけれども、武士は領地とか戦の後の恩賞とかをちゃんとやらないと不満を持って反乱を起こすというのを、自分も反乱を起こした一味だった足利さんはよく分かっていて、じゃあお前らが不満を持たないように領地あげますと、全国の土地を有力な武士さん達にほいほい土地を与えてしまった結果、今度は与えられた部下達の力が大きくなりすぎてエライことになって、でも力を持っちゃった連中をどうにもできなくて結局戦国時代に突入しちゃった政権ですね。

「アセンション」も一緒ですな。

コルトレーンが気前のいい大将の足利さんで、マッコイとかエルヴィンとかは、まぁ鎌倉時代から一緒にやっておる上杉さんとか細川さんとかでしょう。

この人達で順調に来れたもんだから、もっと新しい勢力基盤をと、アーチー・シェップとかファラオ・サンダースとかマリオン・ブラウンとか、そういう赤松さんとか大内さんみたいな、出自がどうだかよくわからんけどとにかく戦はイケイケでやたら強い新興の豪族連中を、古くからの家臣には割と何の相談もなしに

「まぁまぁアイツらにはワシがちゃんと言っておくから」

と、館に招いて重臣の席に座らせた結果、異様な緊張感が生まれて利害の対立から紛争が起こるわそれぞれにお家騒動が起こるわでエライことになちゃった。

そういうアレで明徳の乱とか嘉吉の乱とかを経て応仁の乱のカオスへと突き進んでゆくというね、もうね・・・。

うん、ごめんなさい。ジャズとかよくわからん人のために歴史で例えようと思ったのですが、がちょっと悪かった。ごめんなさいね。

でも「アセンション」の音楽をどう表現すればいいのだろうと思ったら、キーワードは「長い混沌」これでしたから、他にいい例えがないのですよ。

事実、コルトレーンはこのアルバムを録音した1965年、すごく音楽的に迷って悩んでおりました。

というのも、コルトレーンはストイックに自分の可能性を追究していた人で「これがウケたからこれでいいんだ」という妥協とは無縁の人であります。

『至上の愛』で、マッコイ、ギャリソン、エルヴィンのカルテットで、音楽的なひとつの境地に達したコルトレーンは、更なる音楽的な高みを、いわゆるフリーな表現に感じており、しかしコルトレーンはデビューから60年代までずっとどちらかといえばオーソドックスなジャズの世界を生きてきた人です。

なので自分より若く、規定の表現に囚われない人達の力を借りて、新しい何かを作る・・・というよりも今までやってきたものを一旦混沌と共に打破したかった。そういう衝動があったんでしょう。


【パーソネル】
ジョン・コルトレーン(ts)
フレディ・ハバード(tp)
デューイ・ジョンソン(tp)
ファラオ・サンダース(ts)
アーチー・シェップ(ts)
ジョン・チカイ(as)
マリオン・ブラウン(as)
マッコイ・タイナー(p)
ジミー・ギャリソン(b)
アート・デイヴィス(b)
エルヴィン・ジョーンズ(ds)

【収録曲】  
1.アセンション(Edition1)
2.アセンション(Edition2)

スタジオに集められた11人、その中で6人のホーン奏者たちは、いずれもコルトレーンより後輩で、それぞれ斬新なアイディアや表現手法を持った人達でありました。

とりわけ”フリー””前衛”と呼ばれ、彼ら自身もコルトレーンの音楽や姿勢から多大な影響を受けているファラオ・サンダース、アーチー・シェップ、マリオン・ブラウン、ジョン・チカイといったサックス奏者達の演奏に、コルトレーンは起爆剤的なものを期待したんでしょう。

多分マッコイやエルヴィンには言ったか言わなかったかぐらいの軽い説明だけでスタジオに招き、セッションする曲についての細かい打合せやリハーサルなどはあんまやらず

「ジョン。で、俺らはどうすればいいんです?」

というメンバーや後輩達の問いにも

「・・・そうだな、ソロの順番はこうだから後は好きにやってくれ。なるべく自由にだ」

と、ボソボソ言う程度の説明しかしなかったでしょうが、それこそコルトレーンやスタジオに招いた若手達の中でも特にファラオ、シェップ、マリオン、チカイらにとっては”のぞむところ”であり、このアルバムではコルトレーンと若い彼らのエネルギーが、自由な裁量で与えられたソロの中で炸裂しており、それに対してあくまでオーソドックスの枠組みを大きく逸脱したくないトランペットの2人や、そもそもこのセッションをコルトレーンがどういう思考の元におっぱじめたのかさっぱり分からない、いや、相談もなしにウチの大将は何やってんだ?という戸惑いと苛立ちを隠せないマッコイとエルヴィン(ギャリソンは多分何も考えていない・笑)との、気迫というか怒気に満ちた演奏が、1曲40分の中で、混沌に混沌を被せるような形で壮絶を描いております。

ソロの中で特に素晴らしいのはやはり後にコルトレーン、バンドに加入することになるファラオ・サンダースの強烈なフリーク・トーンと、フリー派のはずなのに優しい音で独特の”間”でもって混沌が渦を巻くこのアルバムの中で、調子はずれなはずなのにどこか和みの風情を醸しているマリオン・ブラウンのアルトです。

で、散々「難しい」とか「何やってっかわかんねー」と過去に言われてきたこのアルバムですが、実は当初言われていた”問題作要素”は、1曲40分という非常識な演奏時間と(CDだとテイク違いの”エディション1”も入ってるからトータル80分近いゾ!)、オープニングの数分以外はほとんどテーマらしいテーマもなく、各人のソロの途中でも他の奏者達がやたらフリーキーなフレーズを被せて煽ってるとこぐらい。

後はエルヴィンの繰り出すリズムも、かなり強引な乱打とかやってますが「こんなヤツらに煽られてたまるか!」と、意地の定型ビートを保ってるし、マッコイのピアノもバラバラ弾き散らかさず、ほとんど1つか2つ、多くて3つぐらいのコードをこっちも維持で叩き付けてバッキングしてるので、カルテットに被さっている若手コワモテ(あ〜らごめんなさい)の皆さんの効果音てきな「ぶおぉー!ばぎょおお!」を省いてコルトレーン・カルテットの演奏と、鳴っているソロとバックのメロディとリズムのせめぎ合いに集中して聴けば、実にまっすぐで分かりやすいノリのパワー・ミュージックとして聴けます。

「アセンション怖くない」という声は90年代ぐらいから色んな人がキチンとコルトレーンを聴いた上で挙げてきて、実際アタシもそう思いますが、もうそろそろそういうのもいいでしょう。

ジャズとか全然わからんけど、刺激やカッコ良さを求めている方々がこの作品をどう聴いて、どう反応してくださるかを、アタシは大いに楽しみにしてます。

むしろ”非ジャズファン”の「コルトレーンかっけぇ!」ランキングでは、コレとかオムとかはかなり上位にくると思いますがどうでござんしょ?


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2017年07月18日

ジョン・コルトレーン 至上の愛

1.jpg

ジョン・コルトレーン/至上の愛
(Impulse!/ユニバーサル)

「至上の愛」

レコードで手に入れたジョン・コルトレーンの、この意味深なタイトル、更に意味深なモノクロの横顔写真のレコードを、何度繰り返し聴いたことでしょう。

そして、その激烈な演奏から見える、一言でいえばとことんへヴィでとことんピースフルな音楽の深みに何度引き込まれてクラクラしたことでしょう。

「アンタはコルトレーンに大分イカレてるようだが、コルトレーンの音楽って何がいいの?どんな音楽なの?」

と、今もよく訊かれます。

その都度アタシは

「う〜ん、コルトレーンは激しくて重たくて暗くて・・・でも聴いた後ココロがスカーっとするんです」

と答えます。

毎度陳腐な言い草で本当にごめんなさいなんですが、コルトレーンに感じる”特別な何か”は、これはもう聴いたことのない人には体験して、その理屈じゃない部分を感じて欲しいんですね。

コルトレーンはジャズの人で、初期、特にPrestigeやAtlanticというレーベルに所属していた頃は、どこからどう聴いてもかっこいいジャズをやっています。

だから「ジャズの巨人、ジョン・コルトレーン」とよく言われているし、実際その通りであるのですが、自分のバンドを組んでImpulse!レーベルからレコードを出すようになってからのコルトレーンを聴いていると、もう”ジャズ”という枠にはめて聴くのもどうかと思うほど深いんです。

や、たとえばマイルス・デイヴィスのようにロックビートを入れたり、エレキギターやキーボードなんかを入れて、ロックやファンクを意識したクロスオーバーな”新しさ”を感じさせる音楽をやっている訳ではまったくなくて、むしろ70年代までやっててもそういう路線には行かずにアコースティックなジャズを愚直に追及しそうな勢いでフリーフォームの20分とか30分の演奏を死ぬまで繰り広げているのが60年代半ば以降のコルトレーンなんです。

だから”新しい”とか”音楽の幅が広い”とかじゃなくて”深い”。コルトレーンがジャズという枠組みを大胆に超えているその原動力は、深さに一点集中した物凄いエネルギーなんですね。

よくガイドブックやネット記事でも名盤といわれる『至上の愛』ですが、このアルバムはコルトレーンがまだフリーフォームに突入する前に、定型をギリギリ保ちながら”ジャズ”を超える深みへ自身の音楽を到達させた一枚だと思うのです。





【パーソネル】
ジョン・コルトレーン(ts)
マッコイ・タイナー(p)
ジミー・ギャリソン(b)
エルヴィン・ジョーンズ(ds)

【収録曲】
1.至上の愛 パート1:承認
2.至上の愛 パート2:決意
3.至上の愛 パート3:追求
4.至上の愛 パート4:賛美


コルトレーンが紆余曲折を経て、マッコイ・タイナー、ジミー・ギャリソン、エルヴィン・ジョーンズという若手アーティスト達を揃えた自己のバンドを結成したのは、1960年から62年のことでした。

リーダーとしてやっと自分の思う世界を音楽で表現出来ると確信したコルトレーンが若いメンバー達を鍛えることおよそ2年から4年。

音楽だけでなく世界中のあらゆる民族文化、宗教や哲学思想にも深いインスピレーションを得ようとあらゆる書物を読みまくっていたコルトレーンは、激動の社会情勢なども目の当たりにして、真剣に「救済」について考えるようになり、メンバー達と共に連日の激しいギグやレコーディングを繰り返しながら、思想と表現を、まるで溶鉱炉で熱した金属を錬成するように練り上げていきます。

Impulse!から”ジョン・コルトレーン・カルテット”名義で立て続けにリリースされた60年代初頭のほとんどのアルバムは、どれもカッコ良く進化したモダン・ジャズでありながら、コルトレーンのサックスは定型を逸脱しそうなほどに激しく、バックも、特にエルヴィン・ジョーンズのドラムを中心にそれぞれ気迫の塊のような熱演でコルトレーンに応え、情念と情念が渦を巻いて高温で発熱しているかのようであり、そして楽曲は独特の荘厳な響きの中に、インドやアフリカといった(多分コルトレーンから見て)人類の根源の地に息付くリズムやメロディーの断片を深く埋め込んだ、やはり異様でいて特種なムードを醸すものでした。

『至上の愛』は、そんな異様でいて特種なムードを”神”というキーワードでまとめ、壮大なスケールの4部の組曲にしたものです。

”神”と言ったらアタシも含めたフツーの日本人は「むむ、何かウサン臭い宗教か?」と身構えます。

実際アタシも最初に聴いた時は、荘厳な雰囲気の中「ア、ラーヴ、シュプリーム・・・」と、低い男の声でボソボソと呟かれるタイトルにびっくらこいたものですが、コルトレーンに言う神というのは、キリスト教とかイスラム教とか、そういう特定の宗教の神様ではなく、もっと根源的な、人間の意識の内側に存在する摂理のような存在のことだとライナノーツに書いてあったのを読んで安心したという経験を持つのではありますが、演奏はこの上なくへヴィでアグレッシブで、もし”ハードコア・ジャズ”という呼び名が許されるのであればそう呼んで上げたいぐらい、意味深なタイトルとか組曲とかそういう難しそうなイメージとは裏腹の実にストレートなカッコ良さにみなぎったものでありまして

「いや、コルトレーンって演奏する前は神とか精神とかそういうことを悶々と考えてたんだろうけど、実際サックス吹いてアドリブに突入したらトランス状態に入っちゃって、それまで悶々と考えてたことなんか全部吹っ飛ばす人なんじゃね?」

というのが、20年以上何度も何度も聴いて、その都度「くー、かっこいい!」と打ち震えてきたアタシなりの現時点での結論です。

あと、ここから先は聴きながら感じて欲しい余談の部分なんですけど、前に誰かがツイッターで

「至上の愛ってラテン・ポップスだと思う」

と、興味深い発言をしていて確かに”ラテン”を意識して聴けば、特に1曲目、これは実にリズムの骨組みがキャッチーなラテンで、独特の重さや荘厳さを一旦耳から外して聴けば、いやこれほんとポップで踊れるアルバムなんじゃないかと、実は最近思っています。

そういえば60年代以降のコルトレーン、よく「難解だ難解だ」と言われてますけど、実際演奏面に関しては、言われるほど難しいことはしてなくて、むしろハードなブロウに徹した硬質でまっすぐな表現に舵を切っているような気がするんですがどうなんでしょう?







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