2015年08月31日

コルトレーンのバラード

さて、早いもので明日から9月。

2015年の「大コルトレーン祭」は。サウンズパルがseesaaブログに越してきて初でありましたが、皆さんどうだったでしょうか?お楽しみいただけましたでしょうか?

毎年コルトレーンの命日の7月17日から、夏が終わるまでをひとつの区切りとして大好きなコルトレーンの作品を、1枚でも多く、なるべく分かりやすく、コルトレーンを知らない人にも読んで頂けたらとの想いで今年も書かせて頂きました。

正直「あぁあアレも紹介したい!」「しまった、コレを出すの忘れてた!」という気持ちや「あのアルバムはもっとこういう言い方も出来たのになぁ・・・」「この作品はまだまだ言葉に出来ない良さがあるんだよー!」という想いもありましたが、いや、まだまだ、来年も再来年も、アタシの寿命が尽きるまで「大コルトレーン祭」はライフワークとしてやり続けていきたいと思いますので、皆さんどうか来年も、懲りずにお付き合いくださいますよう、伏してお願い申し上げまする。


さてさて「大コルトレーン祭」の最終日の本日でありますが「今日はどのコルトレーンでシメようかなぁ・・・」と思っておりましたが、折からの低血圧で頭がボヘーっとしていて、無意識に掴んだのが「バラード」でした。

やっぱりね、コルトレーンの神髄って「うた」だと思うの。

アタシはコルトレーンなら何でもOKで、それはもう後期のブリバリにフリーなやつから、それこそ超初期の、まだ自己のスタイルを確立していない時代の(50年代マイルス・クインテットとか、ソニー・ロリンズの「テナー・マドネス」で、もう剣もほろろに打ち負かさちゃってるのね)コルトレーンも、どの時期どの演奏も好きなんですが、それは何て言いますかね〜、やっぱりコルトレーンという人がとっても人間臭いからなんだ。

コルトレーンって人は、これはツイッターである方と盛り上がったんですが「一言でいえば「カッコよくない」

普通は「カッコよくない」っていう言葉は、相手をsageる言葉なんだろうけど、それはちょっと違う意味で、あのね、コルトレーンって人は「格好付けない人」だったと思うんですよ。

ジャズなんて今では何か高尚で、演奏する人らも、音楽学校出てるようなエリートな人たちばっかりで、アッキリ言ってオシャレでしょう。昔は昔で「すっごいオシャレなワルがモテるためにやる音楽」だったんですよ。

これはジャズに限らず、ブルースもR&Bも、ソウルもヒップホップもそうで、やっぱりアメリカ黒人のどうしようもない性(さが)って言うんですかね、ギンギラギンにオシャレして、最先端の服なんかをパリッと着込んで、トッポい不良用語(スラング)で会話したり、ソイツを曲名にしちゃったり、で、結果としてモテちゃう。

例えば「ジャズの帝王」って呼ばれたマイルス・デイヴィス。

彼は60年代中頃まで、黒や灰色のスーツをカッコ良く着こなしていて、60年代後半の「エレクトリック時代」になると、タンクトップに黒パンに、デッカいサングラスかけて、晩年はギラギラのラメ入りの衣装とオーダーメイドの赤いトランペットで、とにかくオシャレっていうか「見た目」にもこだわって、実際「帝王マイルス」っていうイメージは、音楽性とかラッパの実力とかもそうなんだけど、彼の流行に対する鋭い嗅覚と、徹底した「オレ演出」の巧みさが創り上げたって言っても過言ではないと思うんですよ。

でも、コルトレーンはそういう「自分をどう見せるか」ということにはほとんど頓着しないで、とりあえずステージではかなり着古した黒のスーツに黒ネクタイ、というスタイルをずーっと変えずに、流行のことなんかもインタビューでは言及することなく、ただ淡々と、自己の内面を見つめるような言葉と音楽をやっておった。つまり不器用だったんですね、この人の頭の中にはきっと「自分を凄いと思わせよう」ということなんか、ほとんどなくって、ただもう純粋に、弱いところもカッコ悪いところも演奏に「ホロッ」と出てるのに、そういうことにすら気付かないぐらいピュアな人だったんじゃなかろうか、と思うから、アタシはコルトレーンの全部を肯定したくなるんです。ええ、熱烈に。

ちょうどコルトレーンの「うた(バラード)」について考えていたら、動画で高野雲さんのラジオ番組「快楽ジャズ通信」の、素晴らしい解説を拾いましたんで、皆さんにご紹介します。アタシのへたくそな文章よりもずっとずっと詳しく分かりやすく、コルトレーンの「バラード」について教えてくれますんで、ぜひ聴いてみてください↓




そうそう、コルトレーンのいいところは「ダメな俺の肯定」なんですよね〜・・・。


今日車でずっと聴いてたはコレ。あの「バラード」にボーナストラックがたくさん入った2枚組のデラックス・
エディションです。

これのボーナス・ディスクの方には「グリーン・スリーヴス」の別テイクが何トラックも入ってるんだけど、これがグッと沁みるんですよね・・・。


”ジョン・コルトレーン”関連記事

『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/

BASEショップもありますよ(ここでしか買えない商品アリ)http://soundspal.thebase.in/
posted by サウンズパル at 18:44| Comment(0) | 大コルトレーン祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月30日

ケニー・バレル&ジョン・コルトレーン

1.1.jpg

ケニー・バレル&ジョン・コルトレーン
(PRESTIGE/ユニバーサル)

八月ももうすぐ終わりだというのに、相変わらず暑い奄美です。

昨日の”ムトゥ・ガレージin笠利”でのIricoライヴの熱気が未だ覚めやらぬ状態ですので、本日はコルトレーンのアルバムの中でも屈指の「大人が香る一枚」をご紹介します。

はい、コルトレーンとモダン・ジャズを代表するギタリスト、ケニー・バレルとの共演作「ケニー・バレル&ジョン・コルトレーン」でございます♪

私にとってコルトレーンという人の音楽は、何かこう、特別な気持ちで、ある意味「襟を正して聴く音楽」なんですが、この作品は、そういう気負いなく聴けるからイイんですよね。

聴きながら出てくる言葉も

「あぁ、いいわ〜」

「素敵〜」

ばかりでございます。

バレル兄さんもコルトレーンも、何といいますか、このアルバムではひたすら「イイ男」うん、コレに尽きますね。

最初はあのコルトレーンと、ジャズ・ギタリストといえば、これはもう神様みたいな存在である大物ケニー・バレルとの共演盤だから、さぞかし強烈な個性と個性が、高次元で激突するようなスリリングなサウンドを期待していたら、案外こざっぱりまとまった内容だったんで、最初は戸惑いましたが、それはコルトレーンを主役と思い込んで聴いていたからで、バレルを主役とするハードバップ・セッションにコルトレーンがゲストとして参加したもんだと思えば、これがなかなかによろしい。


先程バレルを「モダン・ジャズを代表するギタリスト」と書きましたが、これは称号じゃなくて、音や演奏そのものがそうなんです。

だから「ジャズのギターものが聴きたいな」と思ったら、まずバレルを聴いてみて下さい。

好不調の波が演奏にでることもなく、作品によってスタイルが違う、なんてことも、まぁない人なんで、どれから聴いてもよろしいかと…。

さて、そんなバレルの「モダン・ジャズ看板男ぶり」は、本作でも十二分に発揮されております。
伝統的なブルースの技法とフィーリングを核に持ちつつ、そこにジャズならではの洗練を加えた彼の演奏は、上質な大人の雰囲気であります。

このアルバムは、全体的にミディアム/ファストな曲が主軸ですが、バレルは良い意味で大人。ノリノリにはなっても決して突っ走らずにフレーズを唄わせます。

コルトレーン一人だけ、ハードバップから一歩踏み出した独自のアドリブで、バレルとは全く違うアプローチで演奏に入ってくるのですが、バレルの音世界に無理なく溶け込んでますね。

そこらへんの“雰囲気の妙”は、トミー・フラナガン率いるリズム・セクションの活躍によるところも多いでしょう。

バレル&コルトレーンの穏やかで紳士的なやりとりの極みが、デュオによる見事なバラードCです。
トレーンのテナーが奏でる美しい主旋律にバレルがコードバッキングとオブリガードで寄り添う、3分12秒の美しい演奏。

これだけで聴く価値アリなんですけど、やっぱりアルバム全編通して聴いて

「いいわ〜」

「素敵〜」

と、多くの方にウットリして頂きたいなと思うとります。






【パーソネル】
ケニー・バレル(g)
ジョン・コルトレーン(ts)
トミー・フラナガン(p,@B〜D)
ポール・チェンバース(b,@B〜D)
ジミー・コブ(ds,@B〜D)

【収録曲】
1.フライト・トレーン
2.アイ・ネヴァー・ニュー
3.リレスト
4.ホワイ・アイ・ワズ・ボーン?
5.ビッグ・ポール


ちなみにこのアルバムの録音年月日は1958年3月7日、あの名盤「ソウルトレーン」録音の1958年2月7日からちょうど一ヶ月後の録音で、本作でのコルトレーンの絶好調ぶりは「ソウルトレーン・セッション」で勢いを掴んだからかな?なんて考えながら聴くのも楽しいもんでございます。




”ジョン・コルトレーン”関連記事

『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/

BASEショップもありますよ(ここでしか買えない商品アリ)http://soundspal.thebase.in/
posted by サウンズパル at 17:59| Comment(0) | 大コルトレーン祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月23日

ジョン・コルトレーン メディテーションズ

1.1.jpg

ジョン・コルトレーン/メディテーションズ
(Impulse!/ユニバーサル)

コルトレーンが音楽を通じて目指すもののひとつに

「表現を”ジャズ”からより高いレベルのものに昇華させる」

というものがありました。

なので特に1960年代以降、特に1964年の「至上の愛」以降、コルトレーンの楽曲には、精神世界、或いは宗教的なモチーフをタイトルに付けた楽曲や、そういったコンセプトのアルバムが多くなりました。

コルトレーンの思い描いていた「精神世界」それはアタシらのような凡人が、すんなり理解できるような平易なものでは決してございませんが、だからこそ後期コルトレーンの”叫び”や抽象的な音楽の断片から「ふわぁ〜・・」と浮き上がってくる美しい”うた”の断片が琴線に触れて、聴く側の想像を掻き立ててくれます。

さて、コルトレーンが「自己の内面を探究し、それを表現するための手法」として気に入っていた言葉のひとつがメディテーション、日本語で言うところの「瞑想」であります。

瞑想といえば仏教でお坊さんが静かに座禅をしているアレを思い浮かべるんじゃないかと思いますが、コルトレーンはやはり表現者だなと思うのは「瞑想」とタイトルに冠しても、その上っ面をなぞるだけの安直な音楽は絶対にやらなかったことです。

1965年9月2日に、コルトレーンは当時のメンバー、マッコイ・タイナー、ジミー・ギャリソン、エルヴィン・ジョーンズをスタジオに招き、最初の「瞑想」、つまり前ご紹介した「ファースト・メディテーションズ」のセッションを行い、それをレコーディング致しました。

この作品自体は、リスナーとしては何の問題もない「炸裂と沈降の果てにどこへ行くかわからない美しいあやうさ」を秘めた非常に素晴らしい作品でありますが、コルトレーンからしてみれば「いや、これはまだまだ、オレの考えている”瞑想”のイメージとは違う」と思ったのでしょう。せっかくレコーディングして、作品として仕上げながらもその音源はお蔵入り、リリースされたのはコルトレーンの死後何年も経ってからだったということは以前にも書きました。

では、コルトレーンの「瞑想」とは一体何だったのでしょう?

その前に、コルトレーンがそのミュージシャン人生の中で大きなテーマにしていた「信仰」というものを少しばかり説明する必要があるでしょう。

コルトレーン自身は、当時のアメリカ黒人としては当たり前のように、幼い頃はキリスト教(プロテスタント)を信仰する家庭に生まれました。

幼少の頃に体験したゴスペルでの強烈なトランス体験が、彼の心の奥底にはしっかりと根を張っておりました。

ゴスペルって、今は「みんなでハッピーになろうぜ」みたいな、大分聴き易い、ポップなものになっているようで、また「小さい頃からゴスペルクワイア(聖歌隊)に入って、それをステップにプロ歌手に」という指向もあるようで、それはそれでまぁいいんですが、コルトレーンの少年時代(1930年代〜40年代)というのが、教会といえば、もう黒人社会にとっては「それが唯一の救いの場」であり、ゴスペルも凄まじい勢いで聴衆をトランスさせ、失神者が出るのは当たり前だったよーな時代であります。

成人してからのコルトレーンは、特定の宗教に拘らず、キリスト教やイスラム教、仏教やインド哲学、そしてアフリカのシャーマニズムに関する研究本などを読みふけっていたといいます。

自分が経験したゴスペルの原体験が、時間と海を越えて、遠くアフリカ大陸で、恐らくは彼の先祖が信仰していたであろうその土地その部族の、見知らぬ祭祀の現場のサウンドが、彼の想像の中で結び付き「よし、ではそれを音楽で表現しよう」と思うに至ったことは、後期コルトレーンの音楽を聴くに、想像に難しくはありません。

コルトレーンが常日頃から「リズムをもっと強調したい。何というかもっとこう・・・様々なリズムのパターンが同時に鳴り響き、その複合自体がひとつの音楽になるような・・・そんなものをやりたい」といったようなことを口にしておりましたのも、複合リズムが幾重にも重なって、まるで合唱のように響くアフリカン・パーカッションのアンサンブルを意識しておったからだと思います。

そこへいくとエルヴィン・ジョーンズというドラマーは「複合リズム大将」なんですね。

正面に立って「どわー!」と吹きまくるコルトレーンのバックで、それを物凄くドラマティックに演出できるだけのパワーとパッション、そして何よりシンバルとスネアとタムとハイハット、バスドラと、ドラムセットにくっついているもん全部を同時に使って定型の中で複雑な”リズムのうねり”を生み出すことに関しては、恐らく同年代で右に出るドラマーはおらんかったでしょう(キレた時のアート・ブレイキーも凄まじいけどネ♪)。

しかし、1965年の時点でコルトレーンは「定型」で自分の思い描く世界を表現する限界を感じておりました。

「ファースト・メディテーションズ」のすぐ後の1965年9月30日にシアトルで行われたライヴでは「定型を吹かないサックス奏者」であるファラオ・サンダースをメンバーに向かえ、燃えるように激しい演奏を展開しておりますが、ここでバンド内にはコルトレーンとメンバーの間で、微妙な緊張感が漂うようになります。

”事件”はその2ヵ月後の1965年11月23日に起こりました。

コルトレーンは「う〜ん”メディテーション”なんだけど・・・もう一回、新しい編成で録り直したいんだ」とメンバーに告げてスタジオに集めました。

口下手で説明下手なコルトレーンのことですから、恐らくちゃんとは話しとらんかったのでしょうね。

スタジオにはコルトレーン、ファラオ、マッコイ、ギャリソン、そして「2人目のドラマー」であるラシッド・アリがおり、やや遅れて(エルヴィンが遅刻するのはいつものことです・笑)エルヴィンがやってきました。

「何だよよコレ、聞いてねーぞ!何でオレのセットに知らないヤツが座っってんだよ!!」

エルヴィンはカンカンに激怒したといいます。

そりゃそうですよね、多分ちゃんと説明しなかったコルトレーンが悪い(^^:

「まぁ聞いてくれエルヴィン、今度のセッションは、これこれこういう訳で、ツイン・ドラムで複合リズムをやってみたいんだ、ていうかこれからはこういったスタイルで行こうと思うんだが・・・」

当然エルヴィンの腹は収まりません。

実はファラオ・サンダースが加入して、コルトレーンの演奏がどんどんフリーになって、長時間化していった頃辺りから、バンド内でエルヴィンはよくキレてました。ライヴ中にドラムセットを蹴り飛ばしてステージを降りたということもあったぐらいですから、で、エルヴィンは見た目もアレで怖いから(汗)こん時のスタジオには、想像を絶するピリピりした緊張感が漂っていたでしょう。

コルトレーンが必死になだめすかしたのか、それともプロデューサーのボブ・シールがギャラをチラつかせたのかは分かりませんが、とにかくエルヴィンはドラムセットを蹴り飛ばすことなく、レコーディングにはキチンと参加しております。




【パーソネル】
ジョン・コルトレーン(ts)
ファラオ・サンダース(ts)
マッコイ・タイナー(p)
ジミー・ギャリソン(b)
エルヴィン・ジョーンズ(ds)
ラシッド・アリ(ds)

【収録曲】
1.ザ・ファーザー・アンド・ザ・サン・アンド・ザ・ホーリー・ゴースト
2.コムパッション
3.ラヴ
4.コンシークエンス
5.セレニティ

肝心の演奏ですが、流石にツイン・ドラムで一方は定型ポリリズム(エルヴィン)、一方は不定形パルス・ビート(ラシッド)を、これはもうお互いに闘志剥き出しで叩き合っているこの緊迫感、そこにフリーク・ットーンしか吹かないファラオと「オレはメロディーで勝負じゃあ!」と張り合っている(よーに聞こえる)マッコイとのギラギラした、もう完全に「対決」の空気、最高にスリリングです、こんな素晴らしい”ヒリヒリ”に満ちたアルバムは他にありません。

コルトレーンのプレイは、冒頭の「父と子と精霊」から、もう一人でどんどん「祈り」の方へと沈降しております。

あぁそうか、コルトレーンの思い描く「瞑想」は、混沌や殺伐の中から見出す一筋の光明、・・・つまりハチャメチャなように聞こえるフリーな演奏の中からやっぱり「すーん」と立ち上がる「うた」の美しさなんだなぁ・・・と、アタシはこのアルバムを聴いて何十枚目かのウロコが、今耳から落ちました。





”ジョン・コルトレーン”関連記事

『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/

BASEショップもありますよ(ここでしか買えない商品アリ)http://soundspal.thebase.in/
posted by サウンズパル at 10:22| Comment(0) | 大コルトレーン祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月17日

ジョン・コルトレーン ダカール

1.1.jpg

ジョン・コルトレーン/ダカール
(Prestige/ユニバーサル)

今日も暑かった上に急な土砂降りがあったりと、配達業には散々の亜熱帯気候満載の奄美から「大コルトレーン祭2015」をお届けしております。

今回ご紹介するのは、うん、コレはコルトレーンのアルバムと言っていいのかしらん?なちょいと変わったアルバムです。

何が「ちょいと変わってる」かと言いますと、このアルバム、フロントが「バリトン・サックス2本とコルトレーンのテナー」の変則的な3管編成なんでございますねぇ。

バリトン・サックスといえば、大体ジャズやる人にとっては”一番低い音のサックス”。

スウィング・ジャズの時代はアンサンブルには欠かせなかったりしてましたが「ソロ取ってブイブイ言わせる」という楽器ではなかったようです。

そんなバリトン・サックスでソロを取ったり、リーダー作を吹き込む人がボチボチ出てきたのが、ビッグ・バンドの時代からモダン・ジャズのスモール・コンボ(4人とか5人とかのバンド・スタイル)になってきてから。

まずは白人で、テクもある上にルックスも素晴らしくカッコ良かったジェリー・マリガンという人が、西海岸で人気を博してから、この楽器の、それまで隠れた存在だった実力者達にも脚光が当たるようになり、名手と呼ばれる人たちが次々と表舞台に出て参りまして、好きな人には「くー、たまらん!」の低音ブリバリのソロでもってハード・ドライヴィングなジャズを聴かせてくれるレコードが色んな形でリリースされ出しておったんです。

本作で「2バリトン」でイカしたソロをゴリゴリ吹いているペッパー・アダムスとセシル・ペインも、間違いなくモダン・ジャズ・バリトン・サックスの”名手”と呼んでいい実力派です。

ペッパー・アダムスは白人で、その理工系の大学院生のようなルックスとは裏腹に、なかなか野太い音色で豪快な力技を得意とする人で、1958年にニューヨークに出てきてから注目を集め、後にドナルド・バードとの双頭クインテットやチャールス・ミンガスのグループ、モダン・ビッグ・バンドの「サド=メル・オーケストラ」での重要メンバーとして長年硬派な吹きっぷりでファンを魅了してくれた人であります。

一方のセシル・ペインはモダン・バリトンの黒人代表。

この人は通称”バリトン持った渡り鳥”の異名を持つ根っからのセッション・マンで、50年代からそれこそ色んなレーベルで、アート・ブレイキーとかデューク・ジョーダンとか、90年代になってからはエリック・アレキサンダーとかとも実に良い感じの競演に多く名を連ねております。

この人もブルース・フィーリング濃厚な”ブリブリ”の吹き手さんですが、最も影響を受けたのがチャーリー・パーカーの高速ビ・バップ・フレーズという訳で、ギアが入ったらバリトンならではの低音を響かせながら高速でもすっ飛べるテクニシャンでもあるんです。

このアルバムは、最初にちょこっと言いましたが、正確には「コルトレーンのアルバム」としてレコーディングされた訳ではなく「プレステイジ・オールスターズ」として、ブレイク前年のペッパー・アダムスと、隠れ名手のセシル・ペインの「バリトン・バトル」に、「あ、でもやっぱバリトンだけだとちょっとまだ売れるかどーかわかんねーから、ちょっとスタイルの違うコルトレーンのテナー入れれば面白いんじゃね?」という、このレーベルお得意の「思い付き」で録音されたセッション・アルバムなんですね。

面白いのは、このアルバムがレコーディングされたはされたんですが、1957年当時にはリリースされず、プレステイジの倉庫にテープがほったらかしにされてたらしいです(ここがいかにもアメリカのインディーズらしい・笑)。

ところがコルトレーンがプレステイジを離れ、メジャーのアトランティック、更に新興のイケイケレーベル、Iインパルスと契約して、あれよあれよとスターダムにのし上がっていった1963年に

「今のコルトレーンの人気に便乗して”コルトレーンのアルバム”ってことでリリースしちゃおうぜ♪」

と、コルトレーン名義で、タイトルも「ダカール」という、一応ちゃんとしてるっぽいけれども、実は1曲目の曲名をそのまんま持ってきただけという名前で販売しちまったんですね(これが実にアメリカのインディーズらしい・笑)。

でもですね皆さん、そんなレーベルの”いいかげん”なアレとは比例して、このアルバムの中身は、演奏から作曲、アレンジまで実にしっかりしていて「2バリトン」という変わった編成ながら、実は隠れた名盤と言っていいぐらい、充実した内容なんです。

最初はアタシもですね「うわー、バリトン2本にコルトレーンかよー、コレ相当ヘヴィだろうなー」と、聴く前からちょっと覚悟はしておったんです。つまりひたすらボリボリゴリゴリうるさいだろうと。

でも、実際聴いてみたら「イイ!これイイ!!」でした。

まずはペインとアダムスのバリトン、結構ハードに吹きまくってはいるんですが、2人共それぞれの個性を尊重して、程よい「間」をアドリブのところどころに効かせてくれてます。

この「間」ってのは、特にモダン・ジャズには欠かせない要素で、コレが出来る人の演奏って、聴いてて全然疲れないんですよねー。セシル・ペインは元々豊かなブルース・フィーリング持ってる人だし、セッション野郎ですから、そこらへんの”引き”は心得たもんですが、ペッパー・アダムス、まだこの時20代で無名だったにも関わらず「おぬしやるな」って感じです。

あと、二人共当たり前に「上手い」。バリトンというコントロールの難しい楽器を巧みに操って、特にミディアム・テンポでハードボイルドな渋味がある楽曲で、そのイメージを崩さず流麗に、でもブリバリに吹いていて、最初から最後まで小気味が良いです。

そこにコルトレーンのテナー(!)

コレ、ピッタリはまるんですよねー。

元々「テナーらしいズ太い中低域」にシフト置いてない、中域〜高音域のフレーズで細かいフレーズを吹きまくるこの時期のコルトレーンの”シーツ・オブ・サウンド”が、2バリトンの間で良い感じのスマートさで、演奏をグイグイ加速させてくれております。やりおると思ってたらそれ以上にやりおります、57年のコルトレーン。



【パーソネル】
ジョン・コルトレーン(ts)
ペッパー・アダムス(bs)
セシル・ペイン(bs)
マル・ウォルドロン(p)
ダグ・ワトキンス(b)
アート・テイラー(ds)

【収録曲】
1.ダカール
2.マリーズ・ブルース
3.ルート4
4.ヴェルヴェット・シーン
5.ウィッチェス・ピット
6.キャット・ウォーク

楽曲も、演奏には参加していませんが、実はモダン・ジャズ・ヴィブラフォンの名人で「小粋なんだけどちょいと前衛な曲」書かせたらピカイチのテディ・チャールズの@BE、これが実に名曲です。そうそう、この「ハード・パップの2m先」ぐらいのハードボイルドさが、個性的な3人のスタイルに”パシッ”とハマッてるんですよ。

もちろんこの日の為にペッパー・アダムスが持参したACも「あぁコレはバリトン吹きの曲だよね」と妙な説得力がありますし、アルバムの中で濃い陰影を描いているマル・ウォルドロンのDも、味わい深い(マルが作曲してコルトレーンと一緒に演奏したナンバー、プレステイジにちょこちょこあるけど、コルトレーンのダークな部分、上手に引き出すの上手いのよねー)良曲です。ピアノでもフロントに負けない重層なサポートで頑張ってるし、いいぞマル!

編成は独特ですが、これは素直に「カッコいいモダン・ジャズの、カッコいいサックスが聴けるアルバムですよ」と、素直にオススメできます。

コルトレーン者としては、「いやぁ、こんなに面白いアルバムあったんだ」と、最初から何か嬉しくてヘヴィ・ローテーション率は今でも高いアルバムですが、もし、仮にこのレコーディングにコルトレーン参加してなくても好きになってただろうなー♪ 「バリトン・サックス」という楽器のカッコ良さ、奥深さだけでも語れるアルバムです。








”ジョン・コルトレーン”関連記事

『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/

BASEショップもありますよ(ここでしか買えない商品アリ)http://soundspal.thebase.in/
posted by サウンズパル at 19:11| Comment(0) | 大コルトレーン祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月15日

ジョン・コルトレーン バラード

1.1.jpg

ジョン・コルトレーン バラード
(Impluse!/ユニバーサル)

今日は終戦記念日です。

私は父方の祖父を戦争で亡くしました。

また、奄美も連合国軍の空襲に連日晒され、祖母は乳飲み子だった父を抱えて防空壕を飛び出し(赤ん坊の泣き声が、敵のレーダーに探知されるからと追い出されたとか)、戦闘機の機銃掃射を受けて九死に一生を得ました。

母方の祖父は日中戦争の頃からずっと北支で戦っておりました。

輜重兵と言っても、ピンと来ない人も多いでしょうが、つまり補給部隊の管理職みたいな立場だったんですね。

ある日突然部隊長から

「我が部隊はこれより沖縄へ行く!だがお前だけは現地に残って内地から来る補充兵の指導をしろ!」

との命令を受け、結局はそれが運命の分かれ道となって戦死することなく帰ってきました(沖縄へ行った祖父の部隊は玉砕しています)。

いずれにしても、祖父母が「ちょっとした運命の分かれ道」で違う方向へ行っていたら、今の私はこの世にありません。

平和はそれほどにまで尊いものです。

あの戦争で亡くなられた全ての方々の冥福を祈ると共に、自分が生かされていることへの感謝を捧げずにはおれません。

さて、只今は奄美サウンズパル恒例の「大コルトレーン祭」の期間であります。

「音楽は平和のための祈りそのもの」という思想を強く持っていたコルトレーン。

(その思想的な部分については、7月17日の個人ブログに書きましたのでぜひともご覧ください)
http://ameblo.jp/soundspal/entry-12051312539.html

なので毎年「終戦の日」と「大コルトレーン祭」が重なる8月15日は、コルトレーンのバラード演奏を、じっくりと、私も共に祈るような気持ちで聴いております。

今年の「8月15日」は、その名もズバリの「バラード」これ聴いてます。



【パーソネル】
ジョン・コルトレーン(ts)
マッコイ・タイナー(p)
ジミー・ギャリソン(b)
エルヴィン・ジョーンズ(ds)

【収録曲】
1.セイ・イット
2.ユー・ドント・ノウ・ホワット・ラヴ・イズ
3.トゥー・ヤング・トゥ・ゴー・ステディ
4.オール・オア・ナッシング・アット・オール
5.アイ・ウィッシュ・アイ・ニュー
6.ホワッツ・ニュー
7.イッツ・イージー・トゥ・リメンバー


ジャケットと内容に関しては、もはや説明も要らないぐらいの名盤でしょう。

それこそジャズはよくわかんないけど「コルトレーンのバラードなら知ってる」という人も多いと思います。

余りにもポピュラー過ぎて、私はうっかり「何年も聴き逃してたアルバム」でもあるんですが、コレはただの「売らんがためのコマーシャリズム」で作られたアルバムじゃあないんですね。

色んな人が「アレはいい」という理由はちゃんとありますよ。

ひとつはやはり「聴き易く、親しみ易い」ということ。

ノン・ビブラートで「スーッ」と吹くコルトレーンのスタイルは、この時代のジャズ・テナーでは本当に珍しいものでしたが、それは彼が最初に手にしたサックスがテナーではなくアルト・サックスであったことが大きく影響を与えたからだと思うんです。

楽器を始めたばかりのコルトレーンが夢中で聴いていたのが、デューク・エリントン・オーケストラの花形アルト奏者ジョニー・ホッジッス。

この人の音色は、特にバラードを吹かせたら「花々の呼吸」とでも言いたくなるような、それはそれ芳醇な香気を放つものでありましたが、このアルバムでのコルトレーンの無駄のない清楚なアドリブライン、メロディのひとつひとつを慈しむように吹いて唄い上げているのを聴けば

「あぁ、やっぱりコルトレーンの原点はバラードなんだなぁ・・・・」

と、しみじみ思います。

気になる人はジョニー・ホッジスもぜひチェックして頂きたいんですが、話をコルトレーンに戻しましょう。

ここで演奏されている曲は全部おなじみのスタンダード。

コルトレーンは、特に1960年代以降(このアルバムが録音されたのは1961年から62年)はオリジナル曲を多く演奏して、それを何度も何度も過激に塗り替えるようなアツい演奏を繰り広げていたんですが、ここでは原曲持つ美しい骨組みに一切手を加えてません。

美しい音です、本当に美しい音で、聴き終わった後も、ほのかな余韻がいつまでも消えない、そんなアルバムです。

いつもはアツくなるコルトレーンを恐ろしい手数のドラミングで煽るエルヴィンも、「ガン!ゴン!」とキョーレツなアクセントで応戦するマッコイも、ここではひたすら情感豊かに、各々の楽器で静かに”唄って”おります。

もう何百回も聴きましたが、このアルバムでのマッコイのピアノ、凄く澄んでいて美しいです。


私はへたっぴぃながら音楽を演奏もしていて、これもへたっぴぃながら短歌も詠んでおります。

技術的な面でいえばもうひたすら「己を磨く」これしかないんだと思うんですけど、音楽にしても文章にしても、心が表れますよね。

コルトレーンの心は、さっきも言ったように、真剣に「世界が平和であるために、自分は何をすべきだろう」と考え悩む程ピュアだった人です。

その心の美しさが、どの演奏にも出ているから、こういったバラード演奏は、いつまでも飽きない、本当に深い味わいを感じさせてくれるし、逆にどんなに激烈な演奏であっても、聴く人の心を荒ませるような暴力性を一切感じさせないんだと思います。

今「バラード」3回目のループで「セイ・イット」のマッコイのイントロから清流のようなコルトレーンのソロが私の耳と心を浄めております。

あぁそうか、私が「大コルトレーン祭」をやっているのも、コルトレーンの音楽を聴いて欲しい!という気持ちより、もしかしたらその奥底にあるピースフルな魂の何とかを、読者さんに感じてもらいたいなぁという気持ちがあるからなのかも知れません。

まぁそれはそうと、やはり「バラード」いいですよ。ジャズのこと、別に詳しくならなくてもいいから、雰囲気で楽しみたいとかそういう軽い気持ちで手にとっても全然応えてくれる、本当に美しくクオリティの高い名盤だと思います。









”ジョン・コルトレーン”関連記事



『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/

BASEショップもありますよ(ここでしか買えない商品アリ)http://soundspal.thebase.in/
posted by サウンズパル at 15:15| Comment(0) | 大コルトレーン祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月13日

ジョン・コルトレーン Interstellar Space

1.1.jpg

John Coltrane/Interstellar Space
(Impulse!)


『朝道を聞かば、夕べ死すとも可也』

と言ったのは孔子先生です。

『この道を行けばどうなるか、危ぶむなかれ(中略)行けばわかるさ。ダー!!』

と言ったのはアントニオ猪木です。


えぇと、すいません。

つまり、アタシにとってコルトレーンとラシッド・アリがテナーとドラムで思う存分”タイマン”を繰り広げたこの「インターステラー・スペース」という作品は、そんなアルバムなんです。

えぇと、すいません。

「何だそれ、全然わからん」

という読者の皆さんの心の声が今聞こえましたので、ちょいと説明します。

あのー、音楽って、すごくいいものなんですよ。

何かこう、何かこう、生きてると心の中に「もやもやー」ってしたのが沸いてくるでしょう?

まぁその、俗に言うストレスだとか悩みだとか疲れだとか、そういう面倒臭い感情です。

コレの解消法は、人それぞれだと思います。

スポーツをして思いっきり汗を流して発散するという人もおられるでしょうし、好きな役者さんやアイドルの映像を観たるのも結構ですし、大自然の中に入って行って、なーんにもないところで綺麗な空気を吸う、という方もいらっしゃるでしょう。お友達とどうでもいい会話をするのもいいですよね。そうそう、本を読んだりゲームに没頭するのもいい。

アタシの場合はそれが”たまたま”音楽なんだと思います。


特に定型を持たないフリー・ジャズをシャワーの出力最大ぐらいにもうドバー!と聴くことが、アタシの最高のモヤモヤ解消法なんです。

よく「難しい」と言われるコルトレーン・ミュージックなんですが、そんなことはありません。

彼は、実際自分の演奏をどんどんシンプルで無駄を削ぎ落としたものにしたかったようです。

ライヴでは特に”黄金のカルテット”の頃から、ライヴとかで演奏が白熱していくうちにまずマッコイのピアノが抜けて、次にジミー・ギャリソンのベースがフェイド・アウトして、最終的にはコルトレーンのテナーとエルヴィンのドラムによるデュオになることが往々にしてありました。

コルトレーンは「小難しい音楽理論とは別の次元にある楽器」として、ドラムやパーカッションなどの打楽器の可能性を、とても重要なものと考えていました。

さて、本作がレコーディングされたのは、1967年の2月22日。

コルトレーンが亡くなる5ヶ月前のレコーディングであります。

新バンドのドラマーだったラシッド・アリだけをスタジオに呼び、この頃のライヴではおなじみだった「レオ」以外全ての曲に

「マーズ(火星)」「ヴィーナス(金星)」「サターン(土星)」「ジュピター(木星)」

と、太陽系惑星の名前を冠した新曲(というか、完全に即興演奏)を、たった二人だけで製作したコルトレーンの心境は、今となってはもう知る由もありませんが、このアルバムでのコルトレーンは、一切の迷いなく、もう何か全てから解放されてふっきれたかの如く、ラシッドのじわじわと拡散するパルス全開の不定形リズムとガチンコでぶつかりながら、どこか遠くへすっ飛んでいるかのような爽快感を感じさせます。スタイルは完全にフリー・フォームで、テーマやメインとなる”曲調”の断片すらない、にも関わらずです。

聴いているこちらの感覚にも、彼ら二人の作り出すエネルギーの炸裂がダイレクトに伝わってきて「ココロのモヤモヤ」は、曲を追う毎にひとつ、ふたつ、と綺麗にに剥がされ、浄化されてゆくかのような爽快感が、聴いた後、心を包みます。しつこいようですが、こんなにフリーキーで不定形な演奏であるにも関わらず、です。




【パーソネル】
ジョン・コルトレーン(ts)
ラシッド・アリ(ds)

【収録曲】
1.Mars
2.Venus
3.Jupiter
4.Saturn
5.Leo (bonus track)
6.Jupiter Variation


コレを聴いてアタシが思い出すのが、さっき言った孔子先生やアントニオ猪木の「要するに迷うな」という言葉でもあるんですが

「アフリカの呪術師(シャーマン)は、太鼓を打ち鳴らすことによって病人を癒す力を持っている」

という、フォークロアなアレです。

まぁ、現代医学がこれだけ発達している今の時代、もちろんこういった話は”ネタ”として楽しむべきなんでしょうが、打楽器と呼応して、断片的なリズムの一部となって一緒に燃え上がるコルトレーンのテナーを聴けば、確かに自分自身の、大げさにいえば「生命力が脈打ってること」を実感させてくれるのがこの「インターステラー・スペース」という渾身の一作だと思うんです。

ちなみに今日は、遠方配達の日で、途中眠くなって眠くなってしょうがなかったので、ある田舎道で車を路肩に停めてCDチェンジして「インターステラー・スペース」にしたら、マジで眠気がぶっ飛んだんで、ちょっとビビりました。。。




”ジョン・コルトレーン”関連記事



『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/

BASEショップもありますよ(ここでしか買えない商品アリ)http://soundspal.thebase.in/
posted by サウンズパル at 18:58| Comment(0) | 大コルトレーン祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月11日

フランク・ウェス&ジョン・コルトレーン Wheelin & Dealin


1.1.jpg

Frank Wess&John Coltrane/Wheelin & Dealin
(Prestige/OJC)

「大コルトレーン祭」期間中、特に昼間のまったりした時間帯によくかけていたのがコレ。

ジャズ好きの常連さんがタイミングよくお店にフラッと入ってきた時に

「あ、フランク・ウェスとコルトレーンの・・・・こぉ〜れはいいアルバムだよね〜」

「いいアルバムですよね〜」

「好きなんだよな〜これ♪」

と、ほんわか盛り上がったものです。

そう、このアルバムは「いいアルバム」なんです。

このアルバムは、いわゆる「セッション・アルバム」です。特定のリーダーを置かず、適当なメンツに声を掛け、集まったところで何曲か、これまた適当にやってもらう。

PRESTIGEレーベルは、こういったセッション・アルバムを作るのが得意なんです。

というよりは、零細のインディーズ・レーベルだったPRESTIGEには、バンドを丸ごと雇って時間をかけてじっくりレコーディングできるだけのゆとりがなかった事に加え、レーベルの経営そのものが結構海千山千の、いい加減なものであったようで、「チャチャッとレコーディングしてはい終わり〜!ギャラは日銭でまあいいか〜♪」なノリで、レコーディングしたテープを録り貯めしては、それをちょこちょこと小出しにしてアルバムとして発表しておりました。

このアルバムも、そんな経緯でレコーディングされたものです。

テキトーな録音事情が演奏のクオリティを下げているのかと訊かれればそうではなくて、逆に百戦錬磨の手練れ達が、いつものライヴ同様にその実力を、リラックスしながら発揮しているんですね。

このアルバムも、若手成長株のコルトレーンに、フランク・ウェス、ポール・クィニシェットのベテランを組み合わせた「3テナー共演」が目玉のフリー・ブローイング・セッションです。

硬質な音で頑張るコルトレーン、ウォームな音色で貫禄を見せるポール・クィニシェット。

そして、まろやかなテナーと小気味良いフルートを使い分けて演奏をリードするフランク・ウェス。

同じテナー奏者でも、まったく違う個性を持った3人が、楽しみながら演奏しており、何とも心が和みます。

特にフランク・ウェスのフルートはイイですね。1曲目から演奏全体に穏やか〜な空気を漂わせ、聴く人をリラックスさせながらも、何だかウキウキさせてくれます。





【パーソネル】
ジョン・コルトレーン(ts)
フランク・ウェス(ts,fl)
ポール・クィニシェット(ts)
マル・ウォルドロン(p)
ダグ・ワトキンス(b)
アート・テイラー(ds)
【収録曲】
1.Things Ain't What They Used To Be (Album Version)
2.Wheelin' (Take 2)
3.Wheelin' (Take 1)
4.Robbins Nest (Album Version)
5.Dealin' (Take 2)
6.Dealin' (Take 1)


全体のサウンドは、やはりベイシー楽団出身のウェスがリードしているだけあって、カウント・ベイシー直系の、絶妙にレイジーでまったりしていて、それでいてどこか「ちょいワル」な空気が絶品。

ラフなセッションでもイイ雰囲気で聴かせる手練たちのクオリティの高さを聴くべし!あ、「!」はいらんか。お酒がいけるクチの人は、焼酎かウィスキーでもチビチビやりながら聴いてくださいな。「これはいいアルバム」ですぜ♪


”ジョン・コルトレーン”関連記事


『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/

BASEショップもありますよ(ここでしか買えない商品アリ)http://soundspal.thebase.in/
posted by サウンズパル at 18:11| Comment(0) | 大コルトレーン祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月09日

ジョン・コルトレーン Live At The Village Vanguard Again

1.1.jpg

John Coltrane/Live at The Village Vanguard Again
(Impluse!)

はい、今日も暑いですね。

奄美はまだ気温30℃ちょいぐらいなんで、強烈な日差しを遮るものさえあればまぁ何とか・・・と思っておりますが、本土の皆さん、特に関東地方の皆さん、大丈夫でしょうか?皆様のご無事をお祈りしております。

さて、こんなクソ暑い中、うだるような熱気を退散させるべく日本国民が聴くべきは、やはりコルトレーンでありましょう(←こじつけ)。なかづく後期の「フリー、長時間」の演奏は、1種のトリップ効果で、暑気はおろか、日常のわずらわしいあれやこれやから、私達の気持ちを解き放ってくれるものと信じて止みません。

というわけで、今日は後期コルトレーン、つまりメンバーが「コルトレーン、ファラオ・サンダース、アリス・コルトレーン、ジミー・ギャリソン、ラシッド・アリ」というメンバーに固定されてから初めて公にリリースされたアルバム「ライヴ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード・アゲイン」をご紹介します。先日ご紹介した「ライヴ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード」から5年後の1966年に、同じ会場で収録されたアルバムなんですが、60年代初頭と比べて更にディープな所に到達したコルトレーン・ミュージックをドップリと聴くための一枚、と言って良いでしょう。

アタシにとってこのアルバムは、ジョン・コルトレーンという人のカッコ良さ、そしてジャズのカッコ良さに生まれて初めて気付かせてくれた大切な大切なアルバムなんですが、その”なれそめ”に関しては、雲さんとこの「カフェ・モンマルトル」にて書いた「私がコルトレーン者になった理由」をじっくりご覧ください。








はい、ご覧頂きましたね。では”つづき”を書きましょう。


「ヴィレッジ・ヴァンガード・アゲイン」は絶対レコードで買うのだ!

と決意したアタシ、中古でも何でもいいからと、とにかくレコード盤を探していました。

そしたら池袋のWAVEに、何と新品の「ヴィレッジ・ヴァンガード・アゲイン」がありました(!)

嬉しかったですねー

いや、もうあのぐっちゃんぐっちゃんの、ドロドロのヘヴィのハードコアの「マイ・フェイヴァリット・シングスが聴ける!!!」と、そっこー買ってA面から


・・・ん?

何か違う

こんな静かで荘厳な始まりじゃなかったような気がする・・・。

はい、そうなんです、実はあの時、職場で流れてた「マイ・フェイヴァリット・シングス」は、実はレコードのB面。


A面はコルトレーンの楽曲の中でも「美しい」バラードの「ナイーマ」。

実はコレに二度撃たれましたねー。

コルトレーンって、めっちゃくちゃのギットギトのドロッドロなはずで、もちろんこの「ナイーマ」もバラードではあるんだけれども、コルトレーンもファラオもソロではフリーキーな音ブチかましてくれてるんだけど、とにかく「うた」を感じました。

何ていえば善いんでしょうか、とにかく「フリー・ジャズ」、えぇ、アタシ今でも大好きなんですけど、ムチャクチャの中に「フツーに綺麗に演る以上の唄心がないとダメ」だと思うんです。単純にムチャクチャにやるための破調やフリーク・トーンなら、聴いてても意味わからんし、やっぱり疲れる。

そこへいくと後期コルトレーンって、やっぱり凄いなぁと思うのは、どんなにフリーキーに暴走しても、演奏が20分とかそんなでも「その根底にある唄心」があるから、そしてそれが表面のドロドロとは裏腹に、とても穏やかで優しいものだから惹かれるんだと思います。





【パーソネル】
ジョン・コルトレーン(ts,ss)
ファラオ・サンダース(ts)
アリス・コルトレーン(p)
ジミー・ギャリソン(b)
ラシッド・アリ(ds)

【収録曲】
1.Naima
2.Introduction To My Favorite Things
3.My Favorite Things


A面2曲目の「イントロダクション・トゥ・マイ・フェイヴァリット・シングス」は、ジミー・ギャリソンによる長いベース・ソロです。

正直”黄金のカルテット”の中でもジミー・ギャリソンのベースはよく埋もれちゃってて、どういうプレイやってるのか分からなかったんですが、このソロを聴けば「あぁ、やっぱりコルトレーンの世界の重要な”柱”なんだな」としみじみ思えます。

そして最後の長編「マイ・フェイヴァリット・シングス」これはもう言うことありませんね。

コルトレーンには色んな「マイ・フェイヴァリット・シングス」があるけど、このフリーキーな展開の中からしっかりと「うた」の部分を、衝撃と共に聴かせるプレイ、素晴らしいと思います。

今でも「ヴィレッジ・ヴァンガード・アゲイン」は、「私の好きなコルトレーン」ベスト10に常に入っております。

収録曲はたったの3曲ですが、この3曲の何と濃密で芳醇なことか・・・。聴く毎に別世界へと引きずり込んでくれますよ、えぇ。



”ジョン・コルトレーン”関連記事


『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/

BASEショップもありますよ(ここでしか買えない商品アリ)http://soundspal.thebase.in/
posted by サウンズパル at 12:12| Comment(0) | 大コルトレーン祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月07日

ジョン・コルトレーン ライヴ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード



1.1.jpg

ジョン・コルトレーン/ライヴ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード

(Impulse!/ユニバーサル)

アツい

熱い

暑い

厚い

篤い

う〜ん、コルトレーンほど「あつい」っていう言葉がしっくりくる人はおりませんな、そしてどの文字も当てはまる。

真っ赤に燃えているかのような、または炎にてらされているような、今ちょっと溶岩風呂から出てきたよーなコルトレーンの姿が大映しになった「ライヴ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード」は、数あるコルトレーン作品の中で一番“あつい”。

ジャケットから凄まじい質量の音楽が轟いているこのアルバムは、1961年のライヴ演奏であります。


みなさんは「高熱」といえば赤々と燃え盛る炎を思い浮かぶでしょうが、本作の“アツさ”はそんなもんじゃない、静かに重くたぎる溶鉱炉レベルの演奏から始まります。

んなこと言われてもよくわからん方も多くおられると思いますので、ここらでちょいと曲名とパーソナルと演奏時間を見ながら解説していきましょう、その方が手っ取り早い。

1.スピリチュアル(12分30秒)

ジョン・コルトレーン(ss)
エリック・ドルフィー(bcl)
マッコイ・タイナー(p)
レジー・ワークマン(b)
エルヴィン・ジョーンズ(ds)

2.朝日の如くさわやかに(6分25秒)

ジョン・コルトレーン。(ss)
マッコイ・タイナー(p)
レジー・ワークマン(b)
エルヴィン・ジョーンズ(ds)

3.チェイシン・ザ・トレーン(15分55秒)

ジョン・コルトレーン(ts)
ジミー・ギャリソン(b)
エルヴィン・ジョーンズ(ds)


まず曲が長いっ!これだけで十分暑いっ!(笑)

一曲ごとにメンバーが一人減り二人減り、最後はたった3人になるというのが面白いんですが、内容の方はメンバー減るに従ってどんどんアツくなっているから不思議なもんです。

一曲目「スピリチュアル」は、さっきも言ったよーに溶鉱炉です。

二曲目「朝日の如くさわやかに」は、カケラも“さわやか”じゃない!

というお約束のツッコミを入れておいて、溶鉱炉のどっかでフレアが起こって(前半マッコイのソロ)、職員みんなで「何コレ!?」「ちょっとちょっと、ヤバいんじゃないの!?」とザワザワしてるうちに、爆発が起こります(堰を切ったように出てくるコルトレーンのソロ)。

コレ、ライヴ盤なので、当時のお客さんの気持ちになって聴きましょうね「ヤバいよヤバいよ…!」て感じがリアルに分かると思います。

で、そうこうしているうちに何かマズイ物質(エルヴィン・ジョーンズのドラムだあぁ!)に引火して「エラいこっちゃ」になっているのが3曲目の「チェイシン・ザ・トレーン」。

想像して下さい、持ってる人は想像しながら聴いて下さい。

大変なコトですよこれは大変なコトですよ…。





この「ヴィレッジ・ヴァンガードの音源」というのは、実はトレーン死語に未発表がわんさか発掘されて「実は助っ人的なポジションで参加しておったはずのエリック・ドルフィーが、トレーンよりもエルヴィンよりも大変なことになっていた」という衝撃の新事実が立証されて、ええ、アタシも実はLP二枚組の「ジ・アザー・ヴィレッジ・ヴァンガード・テープス」とか、CD4枚組のコンプリート・ヴィレッジ・ヴァンガードなんちゃらとかは、正直ドルフィーにく〜っ!となるために聴いておりますが、やはりコルトレーンのライヴ傑作として、それもすこぶる完成度の高い作品として、やっぱりオリジナルである本作を体験しなきゃあ意味がないんじゃないかと強く思います。

あ、今日はさらっと書いて寝るつもりだったのに、アツくなってついついこんなにも書いちゃった。。。

いやしかし毎日暑いですよね、奄美でも気温32℃とかもう勘弁して欲しい暑さですが、本土は38℃とか39℃とか・・・。みなさんくれぐれも熱中症にはお気をつけて!


”ジョン・コルトレーン”関連記事


『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/

BASEショップもありますよ(ここでしか買えない商品アリ)http://soundspal.thebase.in/
posted by サウンズパル at 18:35| Comment(0) | 大コルトレーン祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月04日

ジョン・コルトレーン コルトレーン・タイム

1.1.jpg

ジョン・コルトレーン コルトレーン・タイム
(United Artist/EMIミュージック・ジャパン)

何と先日、サウンズパルの店舗を閉じてから初の「大コルトレーン祭対象商品」(つまりコルトレーンのアルバムね)の注文が入りました!

わーい、パチパチパチ♪

きっかけはとある場所でとあるお姉さまとジャズの話をしていた時にふと

「セシル・テイラーかっけぇぇえ!」

という話になりまして(うん、女性の方で「一番好きなジャズの人がセシル・テイラー」って最高にかっけぇよ・・・)、「あの〜、セシル・テイラーの参加しとるコルトレーンのアルバムで一枚面白いのがありますけど知ってます?」

「何それーどんなのー?」

「あ、いや、セシル・テイラー以外の人がみんな頑張ってフツーにカッコイイJAZZやろうちしてるのに、テイラー一人がぶっ飛んでるというか・・・、物凄いタイミングで物凄い飛びまくってるピアノを”ガーン”とか”ゴーン!・・・ピラピラピラ”とこう、ぶつけよるんですよ。」

「うそー素敵ー♪それ注文で!」

という流れだったのですが、いやいやいや、アタシも「大コルトレーン祭」はもう10年ぐらい続けておりますけれども、実はコルトレーンがセシル・テイラーと組んだ(というか組まされた)この「コルトレーン・タイム」売るのがものっすごく難しいアルバムだった覚えがあります。

先述したよーに、このアルバムは「自由極まりないセシル・テイラーのピアノ」と「真っ当なモダン・ジャズの職人&若手+モダンをいち早く卒業はしたけれど、まだフリーまでは射程に入っていないコルトレーン」との、完全に”対決”でありまして、しかもリズム隊が実に洒落たスウィング感でもって演奏の土台を造っているもんですから、余計にセシル・テイラーの異様さが浮き彫りになって混沌の度合いを深めてゆくという、こんなだったら不定形ビートで管もグジュグジュでやらかしちゃった方が逆にスカーっとすると思うのですが、単純にそう思わせてはくれない。

しかし、しかしですよ、極論を言えば「ジャズ」なんて音楽は、元々トチ狂った音楽なんですよ。

大体メジャー(長調)とマイナー(短調)しかない音楽にセブンスという、コードを加えたのがブルースで、さらにナインスとかドミナントとか、音楽理論で言えば完全に「不協和音」としか思われないような和音で次々に曲が作られ、更に「如何にして聴衆を沸かせるか」という一点のみに狙いを定めてビートもどんどん速く過激で実験的なものになっていったのが、そもそのジャズの誕生の頃からあるわけでして。「マトモなジャズ」って一体何だろうな?と、アタシはふと思うこともよくあるんです。

「その時代の音楽の常識」というものがどういう感覚だったんだろう?と思いながら、例えばデューク・エリントンとかルイ・アームストロングなんかを聴くと「こらもうクレイジーじゃないか!」とか何とか・・・。

さて、話が脇に行ってしまいそうなので「コルトレーン・タイム」です。

録音は1958年、元々は当時「最も斬新な感覚を持つセシル・テイラーというピアニスト」を売り込むために、既にモダン・ジャズのトランペッターとしては安定した人気でファンも多かったケニー・ドーハム(彼のプレイには間違いがないんだ)と、世間の注目を集めていた気鋭のテナーマン、コルトレーン。それに”このセッションがレコーディング初体験”である白人ベーシスト、チャック・イスラエル、堅実なプレイでは定評のある中堅ドラマールイス・ヘイズという手堅く注目を集められるメンバーを揃えて、セシル・テイラーのアルバムとして、一度リリースもされました。

(「セシル・テイラー/ハード・ドライヴィング・ジャズ」というタイトルだったのですが、やはり50年代の聴衆には早すぎたのか、さっぱり売れなくなってすぐに廃盤。やがて60年代にコルトレーン人気が凄いことになって「コルトレーンのアルバム」として、タイトルもジャケットも替えられてリリースされたといういわくがあります)


で、2000年代のCD屋としても「果たしてこれをどう売ろうか?」と悩むわけなんです。

まず第一に往年のモダン・ジャズ・ファンはフリー・ジャズ、特にセシル・テイラーにはどういう訳か物凄いアレルギーがあるのでアウト。

「大コルトレーン祭」でもってコルトレーンを知った若いファンの人たちは、もっと民族的&スピリチュアル要素が濃いものが好みだったので、コチラにPRしてみても反応はどうも鈍い。

アタシは純粋に「いやいや、テイラーさえいなければブルーノートの1500盤台でも通るぐらいのハード・バップなのに、テイラー1人で全部メチャクチャにしてるなんて面白すぎるでしょ!それに頑張ってついて行けてるコルトレーンのプレイも実際凄いのよ!」

と、最初から思っていましたが、うーん、ジャズをある程度聴いて「何がモダンで何がフリーか」とかいうのが理解できないとやっぱりハードル高いのかな?

とも思っていました。

しかし、先日はご注文してくださったお客さんとの会話の中で、

「あ、やっぱり単純に面白いよね!」

と、今頃になってようやく気付くことが出来ました。

「セシル・テイラーのピアノって凄いよね。”これ合ってる”て音がひとっつも出てこないの。しかもタイミングも全然アウト・オブ・リズムなんだけど、かえってそれがツボなのよ”あぁ、こうくるんだろうね”て予想してもことごとく外してくれるっていうかぁ、フェイント?それ出来る人って本当にジャズの人だなーって思えるし、本当に音楽のこと分かってないと出来ないと思うの。」


お客さん、素晴らしいことをおっしゃいました。






【パーソネル】
ジョン・コルトレーン(ts)
ケニー・ドーハム(tp)
セシル・テイラー(p)
チャック・イスラエル(b)
ルイス・ヘイズ(ds)

【収録曲】
1.シフティング・ダウン
2.ジャスト・フレンズ
3.ライク・サムワン・イン・ラヴ
4.ダブル・クラッチング


そうなんです、セシル・テイラーのカッコ良さって、何か色々と難しいことや、いわゆる”意識高い系”のことやってるって思われがち(実際彼はクラシックの素養があって、現代音楽の作曲も学んでいます)ですが、実際はすごくシンプルに「そうはいかねぇぞ、オイ」という、ジャズにとって一番大切なフェイントの面白さと緊張感を、鍵盤への「ガコッ!」という不協和音の一撃で聴く人の感覚に、とってもダイレクトに切り込んでくるところだと思うんです。

「あ、そっかー、そうですよね。フツーに”ジャズとしてカッコイイ”でいいんだー」

と、これほんと今更ですが気付きました。

あくまでもコレは「テイラーを聴くためのアルバム」ではありますが、コルトレーン好きとしてはやっぱり「フリーなテイラーにもシャレオツな他のメンバーにも染まることなく、直線的なアドリブを”ズバッ、スバッ!”とキメているコルトレーンを聴く楽しみ」も十分に味わえますぜ。と付け加えさせて頂きます。




”ジョン・コルトレーン”関連記事


『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/

BASEショップもありますよ(ここでしか買えない商品アリ)http://soundspal.thebase.in/
posted by サウンズパル at 19:15| Comment(0) | 大コルトレーン祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする