ディープなコラム こちらにも書いてます♪

2017年10月20日

ローウェル・フルスン ハング・ダウン・ヘッド

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ローウェル・フルスン/ハング・ダウン・ヘッド
(Chess/ユニバーサル)


アタシはブルースが大好きで、幸いアタシの周囲の音楽好きの仲間もブルースが好きですので、ブルースのある生活、もとい、ブルースが日常的に流れてる生活というものが当たり前なのですが、果たして世間一般からブルースという音楽は、どのように見られているのだろうかということをよく考えます。

世間話のついでにブルースについてどう思うかということを、街のおねーちゃんやおじちゃん達にさり気なく訊いてみますと。

「何か渋いよね」

「んー、わかんないけどー、”男!”みたいな」

「あんま聞かんけどね、何か気軽に手ェ出しちゃいかんような気がする」

「毛深そう」

・・・ん、まぁいろいろですが、これらの意見を要約してみると、ブルースという音楽は

『頑固親父がやっているこだわりのラーメン屋』

なのではないかという仮説が成り立ちます。


元々ラーメンというのは、安い値段で気軽に食える、庶民の味でありました。

ブルースですね。

ほんで、その味については、関東は醤油、九州はとんこつ、北海道は味噌など、地域によってベースとなるスープが大きく違っていたりします。

いいですね、ブルースです。

90年代半ば以降ですかね、とんこつラーメンの濃厚な味わいが、東京に住んでいる人達の好みに合い出してきて

「とんこつギトギトで、ニンニクがっつりで、背脂タップリ」

のようなお店が都心にたくさん出来てきて、若い店主達が個性を競い合い、ラーメンもどんどん派手で刺激の強い食べ物になってきたなぁというのが正直な感想です。

これはブルースがファンクとかソウルの土台になって、どんどん派手に進化していったのと似ています。

ほんで「こだわりの店」とかいうのが出てきました。

お店に何だかごっつい筆文字で書いた「感謝!」みたいなメッセージとか、「あれ禁止これ禁止」みたいなルールが書いてあったりとか、そういう、いわば飲食店というより道場みたいな店も増えてきたんだよと、都会に住んでる友人は云います。

で、お前さんどうだい?そういうお店でラーメン食うのかい?

いやぁ、あそこまで行っちゃうともうね、オレらみてぇなシロートや女子供にゃあ用はねぇって感じですよ。毎日ラーメン食べてそうな連中がカウンターで必死の形相してだまーって食ってやがるんです。昔みてぇにちょいと腹減ったからラーメンでも食おうかなんて気楽に入っちまうと怒られそうで、最近は遠慮してますねぇ。

しかしアレだねぇ、オレらなんかおめぇ九州の離島の街っ子だから、とんこつラーメンなんて当たり前で。でもどうだろうねぇ、昔は名瀬のラーメンつったら味竹とか菊水とかだったけど、言うほどこってりしてなくて、ちょうどいい味だったよねぇ。

そこなんですよ、オレらとんこつラーメン文化圏のヤツから言わせてもらうと、都会のとんこつラーメンってのはどうも濃すぎて、何でもドバドバ入れりゃいいみたいな、そういうところがあって・・・まぁ、全部が全部じゃあないんでしょうけど、オレぁそいつについて行けねぇんです。普通のラーメン食わせてくれよって思いますねぇ。


・・・なんて会話が延々交わされそうなので、ここら辺で切っておきます(汗

まぁその、ブルースをラーメンにたとえますと、恐らくは「味が派手になる前の九州とんこつラーメン」なんじゃないかということを言いたいんですね。

ブルースに影響を受けた音楽も、1980年代以降になると、ベテランとか大御所とかいう人達がそろそろ出てきて、じゃあそんな凄い人達が愛しく語る「ブルース」ってのは、何というかもっと凄いんじゃあないかと。うへぇ、聴いてみたいけどそんなそんな・・・、とっても恐れ多いというか何というか・・・。

と、高いところに持ち上げられて敬遠されてきた感もあるんじゃないかと思います。

でも、ブルース。特にエレキギターを使ったバンドスタイルのそれが形になった1950年代のものを聴いてみると「これよこれ、食べて安心出来る昔ながらのとんこつラーメンだよ!」という味わいのものが実に多く、たとえばドライブとか、家事をしながらのBGMなんかにはピッタリのものが意外に多いんですよ。

そんなわけでブルース界の「元祖とんこつラーメン」といえば、まさしく1950年代のローウェル・フルスン御大であります。

無題.png

フルスン御大は、そのどこまでも武骨で辛口なヴォーカルとギターの魅力もさることながら、何といっても表現全体から溢れてくる男の哀愁が、そのまんまブルースを体現しておる人で、超絶有名なスターではないけれども、源流であるテキサス・ブルースのコアな部分の伝道者であり、B.B.キングをはじめ、その後のモダン・ブルースにはとてつもない影響を与えている、ブルースを語るにはやはり外せない人で、だからアタシは目一杯の敬意を込めて”御大”と呼んでおります。

1921年オクラホマ州タルサ生まれで、少年時代は戦前テキサス・ブルースの創始者の一人であるテキサス・アレクサンダーの伴奏を務めるなど、早くから頭角を現しますが、やはり戦後60年代後半に、ファンキーな要素を大々的に取り入れた『トランプ』でブレイクしてからの活躍が、ファンには知られております。

つまり遅咲きの人であるんですが、最初に小ヒットを飛ばしたのは1950年代。その頃シカゴにあったシカゴ・ブルースの総本山的なレーベル”チェス”にてシングルを出していた頃の演奏を熱心に聴いていたB.B.キングによって「あの人はブルースの眠れる巨人だよ」と言わしめたのが、フルスン御大復活のきっかけでありましょう。




【収録曲】
1.ザッツ・オール・ライト
2.アイ・スティル・ラヴ・ユー、ベイビー
3.リコンシダー・ベイビー
4.アイ・ウォント・トゥ・ノウ
5.ロウ・ソサエティ
6.チェック・ユアセルフ
7.イッツ・ユア・オウン・フォルト
8.ドゥ・ミー・ライト
9.トラブル、トラブル
10.ハング・ダウン・ヘッド
11.トウリン・ベルズ
12.ドント・ドライヴ・ミー・ベイビー
13.ブルー・シャドウズ


という訳で、フルスン御大初期の集大成、チェスのシングル・コレクションとも言える名盤の「ハング・ダウン・ヘッド」であります。

このアルバムは凄くいいんですよ。

実はブルースには

・ミシシッピ→メンフィスとかいろいろ通ってシカゴ

という流れと

・テキサスから西海岸

というざっくりな二大流派がございまして、フルスンはテキサスから西海岸な流れの人なんですね。

でも、何でそんな人がとことんシカゴ・ブルースなチェスかといいますと、えぇ”たまたま”です。

地元シカゴのブルースマンばかりでなく、洗練されたゴージャスなスタイルの西海岸ブルースも手掛けてヒットを出したかったチェスがたまたま見つけたのが、当時「スリー・オクロック・ブルース」や「エヴリデイ・アイ・ハブ・ザ・ブルース」というヒット曲を出していたフルスン御大で

「えぇと、別に西海岸にいてもいいから、ウチからレコード出してくれないか?」

「うん、いいんじゃね?」

ぐらいのノリで決まったらしいです。

フルスン御大はスケールがデカいから、地域性やスタイルの違いなんて全く気にしません。

レコーディング・スタッフに西海岸に来てもらって、そのまんまシングル用の曲をちょこちょことレコーディングさせているんですね。

だから、このアルバムは1955年から1961年までの割と長い期間の曲が集められておりますが、録音のほとんどは西海岸で、フルスンのレギュラーバンドをバックに演奏された曲なので、シカゴブルースのような強烈な泥臭さはありません。むしろ西海岸流儀の洗練されたジャズィなバックの上で、ひたすら硬派で辛口な唄とギターのコアを剥き出しにシャウトするフルスン御大が聴けるって寸法です。

ブルースはパンクだと思っているアタシ、ブルースに”渋い”という形容はなるべく使わないで、皆さんにはそのフリーダムでアナーキーな魅力を楽しんでもらおうと思ってブログも書いておりますが、コレに関しては例外的に



渋い!!



と、声を大にして言わせていただきます。

いやぁ、渋いんですよ。もうね、むせび泣く男の哀愁が、最初から最後までじわ〜んと物凄い量沁み出ているし、物凄い勢いで空間を侵食しますよこれ。

特にこの時期の大ヒットであり、タイトル曲になった「リコシンダー・ベイビー」の、不器用だけど言葉より語るものに溢れたギター弾き倒しと、感情をクッと押し殺したヴォーカルの味わいは、ブルース知らない人が聴いても「これがブルースだ」と言わしめる強烈なカッコ良さに溢れております。

また、フルスンのゴツゴツした声やギターを絶妙に引き立てるバックの演奏が秀逸です。パシッと心地良く決まる乾いたリズム、ピアノにホーン、曲によってはヴィブラフォンまで入ったジャズ寄りと思わせて、実はしっかりと地に足の付いた、そう、テキサス・ブルース特有の”乾いた質感”が滲みまくるアレンジ。1950年代に若きB.B.キングが熱心に聴いてバンド・アンサンブルのお手本にしたサウンドです。

フルスンにしては珍しい、チェス・レコード唯一のアルバムではありますが、リリースされたのが1970年と、丁度日本で最初にブルースのレコードが聴かれるようになった時期と重なって、このアルバムは当時の多くのブルース・ファンにとって「原点の一枚」になったと言います。

CDの時代になって、フルスンの60年代以降のアルバムが次々リリースされ、その中には代表作と呼べるクオリティの名盤もたくさんありましたが「やっぱりフルスンはコレだよな♪」と、今なお多くの人に愛されております。

やっぱりこのアルバムは昔ながらのシンプルなとんこつラーメンだと、そのじんわりと辛口の沁みる味わいに舌鼓を打ちながらしみじみと・・・。





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2017年10月10日

スヌークス・イーグリン New Orleans Street Singer

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スヌークス・イーグリン/New Orleans Street Singer
(Smithonian Folkways)

独特のリズム感でもってソロにカッティングにと自由自在な個性を輝かせる信じられないギター・テクニックと、のほんとした声(のほほんではない)でもって、聴く人の感情にしんみりと訴える”情”の歌声。そして、ブルースからR&B、ソウル、ファンク、ジャズ、カントリー、フラメンコまで、とにかく演奏できるものならどんな音楽でも片っ端から自分のスタイルに取り込んで、そこに見事なオリジナリティを開花させてしまう、人呼んで”人間ジューク・ボックス”それがニューオーリンズの魔物、スヌークス・イーグリンなのであります。

そのキャリアは1950年代の半ばから、亡くなる2009年まで、実に50年以上にも及ぶ人ですが、アコースティック・ギターを持ってのブルース弾き語りが主だった初期と、ブルースをベースに様々な音楽をクロスオーヴァ―させた独自の幅広い音楽性が花開いた60年代以降に、音楽性は大きく分割されますが、どのスタイルでもその尋常ならざるテクニック(特にカッティングにおけるタイム感)のギターと哀愁のヴォーカルぶりは最大に発揮されており、多様性の中に一本芯の通ったものを感じさせるブルースマンです。

スヌークス・イーグリン、1936年ルイジアナ州ニューオリンズに生まれ、1歳半の時脳腫瘍と緑内障の後遺症で失明。5歳の時に父親にギターを与えられ、ラジオで聴く全ての音楽を耳コピし、11歳で地元のラジオ番組誌主催のコンテストで優勝し、10代半ばの頃には既に地元ニューオリンズではプロとしてバンド活動をしておりました(この時一緒にバンドをやっていた人として、まだ13歳だったアラン・トゥーサンがおったようです)。

ソロ・アーティストとしては1953年、17歳の時に地元の大学から、民俗学の資料としてのレコーディング以来が来ます。で、ここからが彼のソロ・アーティストとしてのキャリアはスタートするのです。

このブログでスヌークス・イーグリンを紹介するのは今日が初めてで、個人的にはその”何でもアリ芸”が円熟の境地に達した80年代後半のアルバムとかから皆さんに聴いて頂きたい気持ちもあったのですが、今日ちょいと彼の初期のアコギ弾き語りのアルバムを聴いていたら

「や、アコースティックだけど、実はこの人はこの時から何でもアリじゃないか。うん、ありきたりのブルースじゃないし、ギターを集中して聴くにも最高だ。うほ♪」

となりましたので、初期のアコースティック音源をまずはオススメとしてご紹介いたしましょう。




【収録曲】
1.Looking for a Woman
2.Walking Blues
3.Careless Love
4.Saint James Infirmary
5.High Society
6.I Got My Questionnaire
7.Let Me Go Home, Whiskey
8.Mama,Don't Tear My Clothes
9.Trouble in Mind
10.Lonesome Road
11.Helping Hand (A Thousand Miles Away from Home)
12.One Room Country Shack
13.Who's Been Foolin' You
14.Drifting Blues
15.Sophisticated Blues
16.Come Back, Baby
17.Rock Island Line
18.See See Rider
19.One Scotch, One Bourbon, One Beer
20.Mean Old World
21.Mean Old Frisco
22.Every Day I Have the Blues
23.Careless Love [2]
24.Drifting Blues [2]
25.Lonesome Road [2]


まず曲のラインナップが凄いんです。

「ハイ・ソサエティ」「聖ジェームス病院」などのオールド・ジャズ・クラシックスから「C.C.ライダー」「ロック・アイランド・ライン」など、元祖ソングスター、レッドベリーの愛唱歌、サン・ハウス、ロバート・ジョンソンでおなじみの「ウォーキング・ブルース」、ローウェル・フルスンが作り、B.B.キングが看板曲にした「エウリディ・アイ・ハブ・ザ・ブルース」、エルヴィス、リトル・ウォルターもカヴァーした、ロックンロールの味の素「ミーン・オールド・フリスコ」(アーサー”ビッグボーイ”クルーダップ)などなどなど・・・。お前アコギ一本でよくもこんなに節操のない幅広いレパートリーを集めてきたなぁと、クレジットを見るだけでクラクラします。

スヌークスは、大学のバックアップを得て、更にこのテの”アメリカ伝統音楽の録音”といえばのフォークウェイズ・レコードも本格的にレコーディングに乗り出したのを受けて、1958年から60年(つまり22歳から25歳ぐらいまでの間)に大量の弾き語り音源を残しておりますが、コチラに収録されているものは、最初にリリースされたものだそう。

つまり、このアルバムが(商業用ではないけれど)正真正銘のスヌークス・イーグリンのソロ・ミュージシャンとしてのまとまった作品として初のものなんです。

で、その中身の方はというと、もう既に後年に通じる”何でもアリ”の芸風は、恐ろしいことに完成しております・・・。

アコギ弾語りだから、全体的にのどかな感じではあるんですが、ありきたりのブルースやフォークっぽいやり方ではやっておりません。1曲目からカッティングはカリプソだし、かと思えば「ウォーキング・ブルース」は、ロバート・ジョンソンやサン・ハウスを飛び越して、まるでその頃のジョン・リー・フッカーばりのドロドロのスロー・ブルース(歌詞も違うからあの「ウォーキング・ブルース」と果たして同じ曲なんだろうかという疑問もありますが)。

圧巻なのはやはり「聖ジェームス病院」「ハイ・ソサエティ」と2曲続くジャズ・ナンバーで、前者はグッと抑揚を抑えた歌い方で、既にソウル・バラードみたいな雰囲気を(ギター1本でだぜ!?)醸しておりますし、後者に至っては、そこにロニー・ジョンソンかエディ・ラングの生き霊がおるんじゃないかと思うほどのギター・ピッカーぶりで「一体この人は何なんだ!」と、聴く人をしっかりと煙に巻いてもくれます。

例えば「エヴリデイ・アイ・ハブ・ザ・ブルース」なんか聴いておれば分かるんですが、この人は確かにジャンル幅広いし、渋さを一定に保ちつつ、万華鏡のような「一人歌謡ショーぶり」を如何なく発揮しておりますが、ただスタンダードを奇抜なアレンジでやっているのではなく、むしろトラディショナルなブルース・ナンバーは、有名なヴァージョンよりも更にディープでドロドロのブルースとして、一番コアな部分も感じさせてくれるのです。

しつこいようですが、これ、ギター弾き語りだぜ!?

と、アタシは聴く毎に思います。えぇ、今この時点で多分皆さんにはこの意味は伝わってないかと思うのですが、ブルースや古いR&B、あるいはジャズなんかが好きな人がこのアルバムを一回でも聴けば「うぇぇ、マジだ!」と、絶句すると思います。果たしてこれはブルースなのか、それとも弾き語りのR&Bなのかと、アタシ の中では未だ結論は出ませんが、すこぶる付きのグッドミュージックであることは確かです。



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2017年09月22日

ライトニン・スリム ルースター・ブルース

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ライトニン・スリム/ルースター・ブルース
(EXCELLO/ユニバーサル)

ブルースといえばシカゴにテキサス、ミシシッピ。ちょいとツウなら「メンフィスはどうだ?」「いやいや、デトロイトも捨てがたい」といった感じで、楽しく語ったてるうちに地名が出てくるもんでございます。

そう、皆さんにはぜひお手元にあるなら(今ならネットがある)ぜひ、ブルースを聴きながら、そのブルースマンがどこの人かを地図で確認しながら聴いてみてほしいんです。

今からおよそ100年昔、ディープ・サウスと呼ばれるミシシッピやテキサスで生まれ、徐々に南部全体、そして色んな街を経由して北部のシカゴや西海岸に運ばれていったブルースは、行った先々で独自の進化を遂げて、まったくその土地特有の風味を纏うようになりました。

後の時代のロックやソウルなんかでも、土地の名前を頭に付けた(フィラデルフィア・ソウル、リバプール・サウンド、めんたいロックなど)ものがあって、それぞれ聴くだけで「あ、この音はこれだね♪」と分かるものが多くありましたね。そんな感じでブルースも、人の個性と土地の空気感みたいなのが、最高にいい感じの味わいとなってギッシリと詰まって外側にむわんと漂っておるんです。

で、そういった「土地の風味」という意味で、シカゴやテキサスにも負けていない、独自の味わいを持った土地が南部にあります。

そこはルイジアナ!

テキサスとミシシッピに挟まれたこの州は、南の先っぽにジャズが生まれ育ったニューオーリンズがあって、更に歴史をたどってみれば、ほとんどがイギリスの植民地だったところからアメリカは始まってるんですが、ここだけ何と、フランスが入植して独自の風習文化を育んでいたという、他のアメリカの州と比べてかなり特殊な事情があります。

更に外海に開けた港町で、アメリカ全土はおろかカリブ海の島々や南米大陸からも色んな文化が入ってくるニューオーリンズのハイカラと、北部のバイユ―と呼ばれる広大な湿地帯近辺の街で生まれたブルースとでは、また味わいが全く違うって言うんですから、これはバイユ―のブルース達を聴かねば収まりません。

この地のブルースの特徴といえば、高温多湿な環境ゆえか、とにかくユルいんです。

代表的なブルースマンに、前にもご紹介したスリム・ハーポという人がおりますが、この人は”ユルユルの大将”なんですが、ルイジアナ・バイユー地域はこの人だけじゃない、まーユルくてトッポい連中の巣窟でございます。

「あっついしジメジメしてるし、なーんかやる気おこんねー。どーせ外から人も来ないしー、ダラダラブルースでもやるべぇかー」

という姿勢においては、みんな一致団結してブレが全くありません。大体この地のブルースマンの芸名の付け方なんかも

・スリム・ハーポ → ハーモニカのカッコイイ男

・ライトニン・スリム → 稲妻のカッコイイ男

・レイジー・レスター → ダラケたレスター

・ロンサム・サンダウン → 何かせつねー夕暮れ

とか、軒並み脳みその回っていない感じのシンプルで分かりやすい命名で、カッコイイんです。多分名前考えてる途中で、暑いから嫌になっちゃったんでしょう。

で、本日皆様にご紹介するのは、上から二番目(俺も大概やる気がない)のライトニン・スリムです。

ね「稲妻のカッコイイ男」なんたる名前かと思いますが、話聞いたらもっとなんたるごとで、この「ライトニン」の部分、実は


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はぁい、ブルースでライトニンといえばこの人、のライトニン・ホプキンスです。

実はライトニン・スリム、芸名を付けるに辺り、お隣テキサスにいる人気者ライトニン・ホプキンスを前から

「カッコイイなぁ〜、俺もあんな風になりたいべ」

と、リスペクトしており

「じゃあ、俺も名前をライトニンにするべ」

と、まんまな芸名にしちゃった。

「じゃあ」

って・・・。

お、おぅ。多分ムシ暑くて名前考えるのが途中から嫌になったんだ・・・。

そんでもって堂々”ライトニン・スリム”を名乗ったこの男、何だよパクリかよ、と思うなかれ。単純に名前を考えるのが嫌だった(?)だけで、実力はすこぶる付きのホンモノであります。

1915年生まれといいますから、実はライトニン・ホプキンス(1912年生)や、マディ・ウォーターズ(1913年)ら、戦後ブルース第一世代と言っていい人達と、トシはあんま変わらんです。どころかロバート・ジョンソンですら、たったの4歳年上ですから、若い頃からさぞ活躍していた、或いはギター一本持って地元ではそこそこ名の通った存在だったのかと思いきや、何とこの人がギターを持ってブルースを本格的に歌い始めたのが、1940年、年齢でいえばとっくに中年の35歳になった頃。

それまで何やってたんだ!と突っ込みつつ、色々と経歴を調べても、実際何をやっとったかよーわからん。まぁ多分暑いしダルいので、テキトーに仕事しながらウダウダやっておったんでしょうな。

レコード・デビューしたのは更に14年後の1954年で、もうやがて40代の後半になろうとかいう時でありますから、人生というのは何が起こるかわかんない。

この時ライトニン・スリムやスリム・ハーポ、それから先に名前を挙げたバイユ―の「いい加減な名前の凄腕ブルースマン達」をまとめてレコードデビューさせたのが、ケンタッキー州にあったエクセロというレコード会社であります。

ルイジアナのブルースを、何でカントリー王国ケンタッキーのレコード会社が?と思うところですが、まぁそこは深く考えない。とにかくエクセロ・レコードが他のどの地域のサウンドとも似ていない、ルイジアナ・バイユ―地域のユルく独自のレイジーさに溢れたブルースを世にたくさん出してくれたお陰で、アタシ達もこの個性的なブルースを聴くことが出来るんです。






【収録曲】
1.ルースター・ブルース
2.ロング・リーニー・ママ
3.マイ・スターター・ウォント・ワーク
4.G.I.スリム
5.ライトニンズ・トラブルス
6.ベッド・バグ・ブルース
7.フードゥー・ブルース
8.イッツ・マイティ・クレイジー
9.スウィート・リトル・ウーマン
10.トム・キャット・ブルース
11.フィーリン・オウフル・ブルース
12.アイム・リーヴィン・ユー・ベイビー
13.ライトニンズ・ブルース
14.ジャスト・メイド・トゥエンティ・ワン
15.シュガー・プラム

ライトニン・スリムのブルースは、一言でいえばユルさは強烈にありつつも、やや筋ばった男らしい濁った声と武骨なギターのインパクトで、かなり泥臭いものであります。

いや、濁った声と武骨なギターが、バイユ―独特のユルいアレンジの毒気にあてられて”沼”と化してると言うべきか。そんなユルいけど薄くない硬派な味わいがこの人の魅力であり、また、この地のブルースに共通する味であると思っていただけると幸いであります。

「まずはこの一枚!」

として、エクセロ時代の代表作といってもいい、オシャレなニワトリジャケットが最高の「ルースター・ブルース」を聴きましょう。

実はスリムは、その歌い方やギター・プレイの部分はライトニン・ホプキンスに影響を受けておりますが、楽曲のほとんどは、マディ・ウォーターズに影響を受けております。

聴いてると「お、この曲はアレだね」と思える曲がいくつもあって楽しくなりますが、どうやらスリムはへヴィでギラついたシカゴ・ブルースの音を、ルイジアナで再現したかったと思えるフシがあります。

ピアノこそ入っていないけど(きっと湿気ですぐ調律がダメになるんだ)やさぐれたエレキギター、ひなびたハープ、ベースにドラムという鉄壁のバンド・サウンドは、ほとんど当時大人気だったシカゴ・ブルースのそれでありますが、ハープはどこか洗練とは程遠い、ほんわかしたトーンだし、ドラムはもっと何かべっちゃりしてるし、結果として「南部の、しかもかなり湿度が高い場所のサウンド」になっているところがいいんですよ。

自己をどんどん変化させていってオリジナリティを確立していくというミュージシャンは多いですが、影響を受けた大物(ライトニン・ホプキンスやマディ)の路線をやろうと思っても、やっぱりどうしてもオリジナルなレイジーさがどわっと前に出たものになってしまう。もっといえば、無意識でブルースというよりも、この辺のサウンドにすっごく影響を受けた、タフでルーズなアメリカン・ロックンロールのエスプリを、どうしようもなく感じてしまいます。

実際このアルバムは、ロックンロール全盛の1959年から60年にかけて「新しいサウンド!」と、ロックンロール好きの若者にウケました。そして、南部の小さなレコード会社、エクセロのサウンドは、シカゴブルースから入ったイギリスの若者の耳に「や、これはすげーかっこいい」と響き、後の英国発ブルース・ロックを構成するサウンドに欠かせない要素となってゆくのです。

とにかくまぁまだ残暑も厳しいこの季節、できればやっすいオーディオで、ライトニン・スリムを適当なボリュームで流しながらダラダラ聴いてみてください。このレイジーでダウンホームな「あ〜、えぇなぁ〜感」は、やっぱりこの人、そしてエクセロ近辺のルイジアナ・ブルースでなきゃ味わえませんです、はい。




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2017年09月11日

アーサー”ビッグボーイ”クルーダップ ミーン・オール・フリスコ

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アーサー”ビッグボーイ”クルーダップ ミーン・オール・フリスコ
(FIRE/Pヴァイン)


人の良さそうな、やや甲高い声のシャウトと、4ビートのシャッフルに乗ってジャカジャカ警戒に掻き鳴らされるアンプ直のフルアコ。

くー、いいですなぁ、たまらんですなぁ。

この、ブルースといえばど真ん中どストライクのディープなフィーリングにまみれた、生粋のサザン・ブルースではあるんですが、それより何より、ホコリが立っていそうな乾いてて、ヘタな小細工のないギター、ベース、ドラムスの繰り出すストレートなノリの良さは、まるでロックンロールじゃないですか。

それが、戦前ブルースの名コンピ『RCAブルースの古典』のラストに収録されていた「ザッツ・オールライト」で、アーサー”ビッグボーイ”クルーダップを初めて聴いて思ったことでした。

ここで、音楽にちょいと詳しい人ならば

「ザッツ・オールライトっていえば、それはエルヴィス・プレスリーの曲なんじゃないか?」

と、思うでしょう。

そうなんです、ロック・ファン、ブルースファンの間でアーサー”ビッグボーイ”クルーダップといえば、何といってもエルヴィスのデビュー曲「ザッツ・オールライト・ママ」の作曲者として、まずは名前が挙がる人。

しかも、少年時代クルーダップのレコードを熱心に聴き込んで「オレもこういう風に音楽やりてぇ!」と思ったエルヴィスは、その原曲のアレンジを、ほぼ忠実に再現してて、見事なロックに仕上げている。

というよりも、実はアタシ達が「このノリはロックンロール(またはロカビリー)」と思っていたものが、実は実は1940年代のブルースで既に完成していたものだったなんて。こういうところに音楽というものの底知れぬパワーを感じてしまいます。

「ロックンロールのルーツはブルースで・・・」

と、アタシもよく言いますが、そこんところは難しく考えるような話では少しもなくて、まずはクルーダップを聴いてみてください、アタシが言葉をたくさん使ってこねくりまわすよりも、体感で「なるほど!」と納得できるでしょうから。と、ハッキリ断言してもよろしい。

さて”ギター、ベース、ドラムス”という、ロックバンドの基本編成の原型を作り、さらにその編成からロックンロールの原型を作ってジャカジャカやっていたアーサー”ビッグボーイ”クルーダップは、その音楽とは裏腹に、人生そのものがブルースの悲しいハードラックにまみれた人でありました。

1905年、季節労働者として南部や中西部を渡り歩いていた両親の元に生まれたクルーダップは、10歳ぐらいの時に教会でまずゴスペルを歌うようになります。

そうこうしているうちにギターも覚え、そうなってくると年頃になったら「カネにならないゴスペルじゃなくて、ブルースを歌ってちょいと稼ぐんだ」という気持ちが出てくるのが人間です。アーサー少年がギター片手にミシシッピ近辺の酒場や街辻などで歌うようになるまでに、さほど時間はかかりませんでした。

で、恐らくは常日頃から「ウチの両親みたいに報われない季節労働者なんてごめんだ」と思っていたであろうグルーダップ、割と早いうちから音楽で身を立てることを考え、ある日所属していたバンドのツアーでシカゴを訪れた際に「さて、シカゴでの演奏も終わったし南部に帰るぞ」と言う仲間達に「オレは残るよ、南部なんて帰りたくないね」と、ツテも何もないままに、シカゴでブルースマンとして生きて行くことを決意したのでありました。

これが1939年のことであります。

当時のシカゴは、ミシシッピの泥臭いブルースではなく、ジャズの要素もふんだんに取り入れた、オシャレで洗練されたバンド・ブルースが流行でした。

ビッグ・ビル・ブルーンジィ、タンパ・レッド、ビッグ・メイシオ、サニーボーイ・ウィリアムスン(T世)などなど、キラ星のようなスター達に憧れ、オレもそうなってやるぞと意欲をたぎらせていたクルーダップではありましたが、ツテのない悲しさで、いきなり飛び込んで行っても相手にしてくれるクラブなどあるわけもなく、加えて彼がやっていた、南部流儀丸出しの泥臭いスタイルのブルースでは、クラブに集まるようなオシャレなシカゴっ子達からは「田舎モンが何かやってるぞ」とバカにされるのがオチであります。

そんなこんなでその日暮らしのストリート・ミュージシャンとして、グルーダップは路上で歌い、ほとんどホームレスのような生活をしておりましたが、ある日、住み家にしていた梱包用の木箱を組んだ家に、恰幅のいい、ちょいとヤバそうな白人男性が来てこう言いました。

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「おい、お前はアレだろ?そこの通りでブルース歌ってる男だろ?オレは前から聴いてたんだが、なかなかいいじゃないか。泥臭くてここらじゃ聴けないフィーリングだ、あぁ気に入った。ちょいと話があるんだがいいか?おぅ、嫌ならとっとと田舎に帰んな」

まぁ、見た目や喋り方からして、多分ここらのクラブを仕切っているマフィアの関係者でありましょう。

余りに唐突な事にびっくりしているクルーダップのことなんか知るかとばかりに男はつづけます

「あぁ、オレか? かのジャズの生みの親ジェリー・ロール・モートンを世に出して、シカゴにやってきたジャズの帝王、キング・オリヴァーの世話もした。今じゃブルースの大物なんて崇められてるタンパ・レッド、ビッグ・ビル・・・アイツらもみんなオレがスターにしてやったようなもんだ。どうだBoy?レスター・メルローズって名前ぐらいは知ってるか?」

きょとんとして、首を2回縦に振るクルーダップを見てニヤッとした男は、更に一人で勝手に喋り続けます。

「まぁ俺は、いかにもな泥臭いブルースが好きなんだ。ところが今のシカゴじゃやたら小洒落たさっぱりしたものがウケるときてる。冗談じゃねぇ、今はそうかも知れんが、今からはな、もっともっと泥臭くて猥雑で、クレイジーなものが売れる時代が来るんだ。そこでお前、今度タンパ・レッドと一緒にレコーディングしてくれ。あぁ、紹介してやるよ。ヤツは俺が建ててやった家に住んでるんだ。嫌か?嫌なら田舎に帰んな」

びっくりして、首を2回横に振るクルーダップをニヤニヤしながら見ている男は「いついつにここに来るように」と、簡単な場所の説明だけをして、その場を立ち去って行きます。

ここでちょいと説明しましょう。

クルーダップに声をかけたこの男、レスター・メルローズは「戦前のシカゴで彼の紹介を受けてないブルースマンはいない」と言われていたほどの、超の付く重要人物。

元々は小さな楽譜出版社のオーナーでありましたが、1920年代の始め頃にニューオーリンズの大物ピアニスト、ジェリー・ロール・モートンの楽譜を出すために彼と交渉したのがきっかけで「ジャズやブルースを演奏する売れそうな黒人をレコード会社に紹介する」というスカウト業の世界にのめり込んでいきました。

こう書くと「黒人音楽に理解のある心優しい人」と、思われそうですが、実際は「カネになるから」という実に己の欲望に忠実な理由で、せっせとジャズやブルースの人間をレコード会社に紹介しては、その過程で生まれる紹介手数料を手にしてウハウハしていた、まぁこの世界によくいるヤクザなブローカーというやつであります。

余談ですが”スライド・ギターの魔術師”と呼ばれ、人気を博していたタンパ・レッドは彼のお気に入りで、スターになった彼には確かに家を買ってあげましたが、実際はレッドをその家に住まわしてちゃっかり家賃を取っていたというような人であります。一言でいえば実に胡散臭い。

で、ありますが、長年ホンモノのジャズやブルースに関わり続けていた彼の耳は確かなもので、彼が目を付けたビッグ・ビル・ブルーンジィ、タンパ・レッド、サニーボーイ・ウィリアムスン(T世)などの戦前シカゴを代表するブルースマン達は、軒並み大手RCAの参加のブルース専門レーベル”BLUEBIRD”の専属となり、「シカゴのブルースといえばブルーバード・サウンド!」と言われるぐらいの一時代を築いた人なんです。

さて、そんなメルローズの紹介で、ガッチガチになりながら憧れのタンパ・レッドと初のレコーディングを経験し、めでたく大物ひしめくBLUEBIRDの専属となったグルーダップの評判は上々でした。

それまでシカゴの主流を占めていた、どちらかというと軽やかで洗練されたサウンドにぼちぼち飽きてきた若者達や、南部で刺激を求めてた人達に、クルーダップの「ギター、ベース、ドラムス」というシンプルな編成から繰り出される煽り要素の強い演奏は大いに受け入れられ(その中にはメンフィスでこっそり黒人放送局のラジオを聴いていた少年エルヴィス・プレスリーもおりました)、南部からの呼びかけでツアーに出るなど、好調な活躍ぶりで40年代一躍人気者になるんですが、彼の実力とは関係のないところでのトラブル、つまりレコード会社との印税に関するトラブルが彼を襲い、結局コレが原因で作曲した曲の権利のほとんどを手にすることもなく、更にどこか新しいレーベルと契約したくてもできず、得意の絶頂からドン底の人生へと転落してしまいます。

だから50年代にエルヴィスが「ザッツ・オールライト・ママ」をヒットさせても、アーサー”ビッグボーイ”クルーダップの名は世間からの脚光を浴びることはありませんでしたし、もちろん著作権料も受け取ってないでしょう。

1974年にひっそりと亡くなるまでの彼は、時々お呼びがかかるコンサートやレコーディングに参加しながらも、普段は肉体労働や密造酒の販売などで細々と生計を立てていたといいます。





【収録曲】
1.Mean Old Frisco
2.Look on Yonder Wall
3.That’s Alright
4.Ethel Mae
5.Too Much Competition
6.Standing At My Window
7.Rock Me Mama
8.Greyhound Bus
9.Coal Black Mare
10.Katie Mae
11.Dig Myself A Hole
12.So Glad You’re Mine
13.Death Valley Blues
14.If I Get Lucky
15.Angel Child
16.The Moon Is Rising
17.My Mama Don’t Allow Me
18.I’m In The Mood


しかーし!

しかしですよ皆さん、いかに彼のブルース人生が、とんでもなくハードラックにまみれたものだったとはいえ、戦後になって録音された作品からもその煽りの強いロッキンな演奏のカッコ良さは健在だったりするんです。

最晩年の作品のみが、枯れた味わいの渋〜い感じでありますが、60年代に残された3枚のアルバムはどれもエレキをジャカジャカ掻き鳴らす好調な作品ばかりでありまして、その中でもゴキゲン度でいえば最高なのが、ジャケットもイカす1962年のFIRE音源であります「ミーン・オール・フリスコ」であります。

キレ味の鋭いドラムとベースをここでも従えて、良い意味で乱雑で気の抜けたクルーダップのギターとヴォーカル、やっぱりどストライクなサザン・ブルースで「マディ・ウォーターズ登場前」のバンド・ブルースのお手本のようなラフさがたまらんです。最高です。

楽曲も看板の「ザッツ・オールライト」タイトル曲の「ミーン・オール・フリスコ」(リトル・ウォルターをはじめ、これも名カヴァーが多いっす)など、渾身のオリジナル曲を「カネにならねぇんなら義理はいらねぇ!」とばかりに惜しみなくやっておって、そのヤケクソぶりもまたどっかのガレージパンクバンドみたいでたまらんです。最高です。


アーサー”ビッグボーイ”グル―ダップという人は、アタシ個人的に「戦前から活躍してるブルースマンの中で最もロックを感じる人」であります。

それはもちろんエルヴィス抜きには語れないのですが、ずっと聴いてると、それより何よりもっと深い”人としてロック”な部分がすごく見えてくるような気がするんですよ。何それ?って?まぁこの人のフルアコのジャカジャカを聴いてみてくださいな。ほれ「かっこいいロックは、イントロのギターの”ジャーン”でシビレる」って言うでしょ?平たくいえばそれですよ、それ。




「目標があったとしたらアーサー・クルーダップのような存在になることだった。1949年に彼を観た時にあんなふうに演りたいと思ったんだ」(エルヴィス・プレスリー)




”ブルース入門編 〜初心者のための優しいブルース講座〜”




『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2017年08月25日

ジョン・リー・フッカー ブーン・ブーン

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ジョン・リー・フッカー ブーン・ブーン
(Capitol)


さて、夏といえばジョン・リー・フッカーです(?)

2001年に亡くなってはおりますが、今年はジョン・リー・フッカーの生誕100周年記念ということで、8月22日の誕生日にはネット上で大いに盛り上がっておりました。

何にせよブルースの孤高の巨人として、その地の底の暗闇から響いてくるかのようなドスの効いた低い声と、ブギー一発、或いはドロッドロのスロー・ブルース一発、いずれのスタイルでもドぎつくうねってとぐろを巻いて襲い掛かるギターと、それらを効果的に響かせる「カッ、カッ、カッ」という靴の音でもって、”〇〇ブルース”というものではなく、唯一無二の”ジョン・リー・フッカー・スタイル”というものを築き上げ、50年以上もそれを貫き通した人であります。

マディ・ウォーターズやB.B.キングと同じように、戦後すぐぐらいの時期から本格的に活動を始め、そして60年代になって彼の最凶にディープなブルースに惚れた多くの若手ブルースマンやロック・ミュージシャン達に慕われておりますが、誰に衝撃を与えようと、どんなスタイルの相手と一緒に演奏しようと、この人のスタイルはずっと変わらず、どころか微動だにせず、ほぼワン・コードのブギかドロドロのスロー・ブルースを唸るのみ。

更にそのスタイルが余りにもワン・アンド・オンリー過ぎて、フォロワーどころか似たようなスタイルでブルースをする人すら現れず、ついでに言えば音楽的に孤高を極めたからさぞストイックでアーティスティックな人なんだろうと思ったら、後輩達の呼びかけには割と気軽に答えてライヴやレコーディングにはニコニコとフットワークも軽く出かけてゆく。

インタビューなんかでも「オレがオレが」ではなく、ひとつひとつの質問にとても真摯に向き合って、丁寧に言葉を選びながら、そして適度なユーモアと茶目っ気を交えながら紳士的に答えてくれる。実に腰の低いジェントルマン。

またそこが最高にカッコ良くて、聴く人をどこまでも「かっこぇぇ〜、あ〜かっこぇぇ」とブルースの底なしの泥沼に引きずり込む男、それがジョン・リー。

そんなジョン・リーには、もちろんアタシもブルース聴き始めの頃、割と早い時期に惚れました。

例によって中学時代に親父に薦められて買ったオムニバス”アトランティック・ブルース・ギター”に、エレキ弾き語りのドロドロなスロー・ブルースが入っていたのに「これやっべぇ!」と思ったのが一番最初。

で、高校生になって、音楽の色んな本とかを読むようになって、ジョン・リーについてもちょこっと知ることが出来たんですが、丁度リアルタイムでリリースされて、ヤングギターとかにも広告がデカデカと載っていたので何も知らずに「とりあえず買っとくか」と思って買ったのが、1992年に新作としてリリースされた『ブーン・ブーン』




【収録曲】
1.ブーン・ブーン
2.ジェシー・ジェイムスみたいな悪い奴
3.あのブルースをもう一度
4.シュガー・ママ
5.トリック・バッグ
6.ブギー・アット・ラッシャン・ヒル
7.ヒッティン・ザ・ボトル・アゲイン
8.ボトル・アップ・アンド・ゴー
9.聴こえぬ声
10.アイ・エイント・ゴナ・サファー・ノー・モア


これ凄くいいアルバムだったんですよね。

何がどういいかっていうと、ブルースのことなんかちょっとかじった程度だったアタマの悪い高校生にも「おぉ、何だか渋いけどギラギラしてる。これがブルースか!」と、ストレートに分からせてくれたんですよ。

当時のアタシといえば、ロックのCDを買っても、タテノリの速い曲か、アコースティックの綺麗なバラード以外はすっとばして聴いてたアタマの悪い高校生(2回目)です。

そんな音楽のことなんか何もわかっとらんクソガキに、1曲目から「お、おぉ!?」とグイグイ引き付けた。もちろんその時は引き付けられてるということしか分からずに、友達にも「何これ、ブルース?」と訊かれて「おぉ、コレがカッコイイんだぁ」と、何となく答えることしか出来なかったんですが、後になって色々聴いて、その”引き付ける感じ”こそがこの人のディープな声とギターのシンプルにして最高な魅力、そして90年代という時代に、ジョン・リーと相性の良い最高なゲスト・ミュージシャン達が懸命に組み上げたキャッチ―なアレンジが、ブラックホールみたいなジョン・リーの曲に親しみを加味したんだなぁと気付くに至りました。

映画”ブルース・ブラザーズ”の路上演奏シーンでもおなじみの代表曲「ブーン・ブーン」がまず冒頭で、この曲は1962年にヒットしたやつの再録音ですが、ジョン・リーがザックザックと刻むワン・コードのバッキングに絡むスティーヴィー・レイ・ヴォーンのお兄ちゃん、ジミー・ヴォーンが弾くロッキンなソロに、締まったリズムのベース、ドラムがバシッと決まって、最高のバンド・サウンドです。

若手モダン・ブルースのホープとして、色んなギター関係の雑誌によく登場してたロバート・クレイが、王道のモダン・ブルース・スタイルで、ファンキーなクラプトンみたいなギターを炸裂させるスロー・ブルースの「あのブルースをもう一度」も、好きにやらせてるようで実は低く唸るヴォーカルと、手数こそ少ないけど「ガリッ!」とひと掻きするだけでその場の空気をガラッと変えてしまうジョン・リーが凄いし、暴力チョーキングの魔人、アルバート・コリンズのギャイギャイしたサウンドと、トランス感十分なジョン・リー・ブギな楽曲が絶妙にハマッた「ブギー・アット・ラッシャン・ヒル」とかその辺のバンド・ブルースの盛り上がる曲と、凄まじくへヴィなギター弾き語り、もしくはハーモニカ(チャールズ・マッセルホワイト)とのデュオとかでズブズブと沈み込んでゆくモノホンのディープ・ブルース(特に怪しいトレモロが効きまくったギターの音がヤバい「シュガー・ママ」凶悪!)との、楽曲の配分なんかも凄くいいのです。

ジョン・リーの傑作、名盤と呼ばれているものは、初期の弾き語り時代(たとえば「ザ・グレイト・ジョン・リー・フッカー」など)に集中しますが、それは本当にコアしかない深淵極まりない音楽だったりして、実際アタシもこのアルバムみたいな「ブルース知らない人も、しっかりノセながら引き込むアレンジ」が効いた90年代のジョン・リーを知っていなければ、果たして50年代の名盤をちゃんと聴けただろうかと思います。

今でも折に触れて聴いている大切な大切なアルバムです。当然「ブルース」という言葉にちょっとでもピクッとなる人は、とてもいいアルバムなのでぜひ聴いてくださいね♪




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