2018年06月10日

ザ・カントリー・ブルース・オブ・ジョン・リー・フッカー

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ザ・カントリー・ブルース・オブ・ジョン・リー・フッカー
(Riverside/オールディーズ・レコード)


さて皆さん、夏でございます。

夏といえば「暑苦しくて夏には聴けないジョン・リー・フッカー」でございますよ。えぇ、今年も空気なんか読まずにこのクソ暑い時期にオススメのジョン・リー・フッカーをご紹介しましょうね♪


ジョン・リーといえば何と言っても、低音のヘヴィな唸りを効かせるそのデヴィルズ・ヴォイスと、情念が重苦しくとぐろを巻くドロッドロのスロー・ブルースに、コードチェンジの極端に少ないまるで呪術のような繰り返し繰り返しのビートに腰砕けになってしまうブギであります。

ミシシッピに生まれデトロイトに移り住み、この地を拠点に1940年代の後半から亡くなる2001年まで、基本的なスタイルを一切変えることなくブルースを唸り続けてきました。

その声とギターと、ワン・アンド・オンリーの特異なビート感でもってたった一人で”ジョン・リー・フッカー・スタイル”とも言うべき孤高のスタイルを築き上げたジョン・リーでありますが、弾き語りからバンド・サウンド、様々なアレンジの演奏の中で己の表現を進化させ、深めていったことはもちろん、彼を敬愛する多くのロックミュージシャン達とのコラボで、ブルースとはまた違った音楽への挑戦も、相手に妥協することなく自己のスタイルをありのままぶつけて続けていたという、そのストイックな姿勢からも”ホンモノ”というものを感じさせてくれる人なのです。


なのでジョン・リーのアルバムは、アレンジがピッタリ合ったものでも、かなり冒険してて「おぉう!?」と思うようなものでも気合いが抜けた演奏をしているものは一枚もありません。たとえばヘヴィな余韻が持ち味のジョン・リーの音楽性とはまるで違った明るいアレンジが施されたものでも、ジョン・リーの歌とギターは常に演奏の真ん中にドカッと存在し、逆にアレンジが彼本来の持ち味とかけ離れたものであればあるほど異彩を放つ、その異物としてのカッコ良さに聴く人を引きずり込んでしまう。いやぁこんな人って後にも先にもジョン・リーしかおりませ
ん。

実際にジョン・リーは、その長いキャリアの中で、プロデュース側から要請された、世の流行に合ったアレンジを嫌がらずにこなすことで、人気と実績を築いていった人です。

こう書くと何でも器用に出来る天才肌のミュージシャンかなと思われるかも知れませんが全く逆で、特にバックでバンドなんかが付いたアレンジでは、本人全く合わせないんです。というよりもほとんど合わせる気がない。

ところがこれが”何だかんだジョン・リーのブルースになっている”ということで、熱心なファンを引き付けてきた人です。かく言うアタシも最初にエレキギター弾き語りのドロドロなジョン・リーのカッコ良さにシビれ、その後50年代の何だかソウルなアレンジのVeeJay盤でちょいとずっこけるも、その明るくムーディーなバックの中で孤軍奮闘するジョン・リーのカッコ良さになおさらシビレて大ファンになったという経緯がございます。

今日ご紹介するのは、1950年代後半、ジョン・リーがアコースティック・ギターで超絶ディープな弾き語りを収録したアルバムです。



ザ・カントリー・ブルース・オブ・ジョン・リー・フッカー

【収録曲】
1.BLACK SNAKE
2.HOW LONG BLUES
3.WOBBLIN' BABY
4.SHE'S LONG, SHE'S TALL, SHE WEEPS LIKE A WILLOW TREE
5.PEA VINE SPECIAL
6.TUPELO BLUES
7.I'M PRISON BOUND
8.I ROWED A LITTLE BOAT
9.WATER BOY
10.CHURCH BELL TONE
11.BUNDLE UP AND GO
12.GOOD MORNIN', LIL' SCHOOL GIRL
13.BEHIND THE PLOW
14.I NEED SOME MONEY
15.NO MORE DOGGIN

まずは何よりジャケットが素晴らしいですよね。

草に埋もれた車が物語る「南部」の風景、ジョン・リーはデトロイトで活躍しておりましたが、生まれは南部ミシシッピで、正にそのブルースは南部直送と言って良いほど濃厚なフィーリングに溢れるものであります。

このアルバム、レコード時代には日本盤もあり、ジョン・リー好きの間ではすっかりおなじみの定番だったみたいなんですが、どういう訳かCDではなかなか再発されず、アタシも東京時代にはあちこちで中古を探すも見付らず、再発をかれこれ20年は待っていた幻の一枚だったんです。それがこの度(注:2016年)国内屈指の再発レーベルとなりつつある”オールディーズ・レコード”から紙ジャケで復刻、しかも税抜きで¥1500というメチャクチャ良心的な価格なわけで、こりゃあ買わなきゃいかんでしょうとソッコー買いました。


録音は1959年、この時期といえば黒人の間ではブルースよりももっと踊れるリズム・アンド・ブルースの人気が最高潮に達し、ロックンロールの衰退と引き換えに白人の若者の間でフォークが流行りだした時期で、ジョン・リーはVeeJayというレーベルと契約して、R&Bなバックバンドを付けたかなーりポップでファンキーな(でもジョン・リー自身はドロッドロです)アルバムをリリースし、クラブではギトギトのバンドブルースで唸りまくる一方で、白人の若者が集まるコーヒーハウスでは、アコースティック・ギターを一本持って、南部スタイルの伝統的なブルースを、フットワークも軽くこなしておりました。

このアルバムは、そんな時期にジャズの名門レーベル”リヴァーサイド”に招かれたジョン・リーが、白人市場向けにリリースされるLP盤用にレコーディングした音源なんですね。

おいおい、アンタVeeJayと契約してて他のレコード会社でもレコーディングするとか大丈夫なのか?とお思いの方もいらっしゃるでしょうし、アタシも思ってますが、ジョン・リーといえば”レコーディング・テロリスト”とも言っていいぐらい、初期は掛け持ち掛け持ちでいろんな所にレコーディングしています。

流石に堂々と本名でやっちゃあマズいだろうということで、器用に芸名を変えておりますが、その偽名というのが”ジョン・リー・ブッカー”とかもうソッコーばれそうな名前でやっちゃってたりするんで面白いです。つってもどんなに名前変えようがジョン・リーの歌やギターは独特過ぎるので多分ソッコーでバレてたんでしょう。まぁそれでも大した騒ぎにならなかったから大丈夫です、大丈夫なんです。ジョン・リーはそういう人です。

さて皆さん、ここまで書いて既にお気付きかと思いますが、このアルバムもまた、レコード会社側からジョン・リーに「ちょっとこういう感じにやってくれ」という要請がなされて行われたレコーディングです。

ジョン・リーといえばデビュー時からエレキをギャンギャンに掻き鳴らし、その圧倒的なサウンドの迫力で名を轟かせてきた人ですから、自らその持ち味を捨ててまでわざわざアコースティック・ギターで渋い弾き語りをするはずがない。そうか、白人向けにちょっと肩の力を抜いて聴き易いフォーキーなブルースでもやってるのかと思って聴いたら・・・。

何これ!アコギから繰り出されるフレーズは無駄がない分やたら生々しいし、スローだろうがブギだろうが、どんな曲調だろうがそのデヴィルズ・ヴォイスはいつも以上にヘヴィに鳴り響き、艶っぽくすらある。

『ハウ・ロング・ブルース』とか『Pヴァイン・スペシャル』とか、いかにも戦前ブルースファンが喜びそうなスタンダード曲もやっておりますが、アレンジは完全にジョン・リー印で、何というかこのアルバムには「アコースティックだから」とか「白人の若いヤツら向けだから」とかいう遠慮や気遣いといったものが一切ない、正に”生のエグさがスピーカーを破って、耳にドロドロ侵食してくるブルース”です。










”ジョン・リー・フッカー”関連記事


”ブルース入門編 〜初心者のための優しいブルース講座〜”





『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2018年06月08日

キッド・トーマス Here's My Story

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Kid Thomas / Here's My Story
(Wolf)


世に一発屋と呼ばれる人がおりますね。

全く無名ながら大ヒットロングセラーをひとつ出して、その曲のブームが去るとサッと世の中に忘れ去られる歌手や、お笑いの芸人さんとかです。

しかし、世の中には一発も当てることなく、何となく「ちょっと目立つか目立たないかぐらいの微妙なところ」に居たと思ったら、いつの間にかそこから消えてしまっている人もいます。

や、音楽やお笑いといった、特種な才能を武器とする世界では、むしろ一発でも当たればそれは成功で、むしろこの世界にはそういった”一発も当てられなかった屋”の方が遥かに多いんじゃないかと思うんですが、全国の歌手やお笑い芸人のみなさん、どんなもんでございましょう。


たとえば1960年代以前のブラック・ミュージックには、そういう”一発も当てなかった人”という人が多くて、もう名前を見てるだけでもワクワクしてきます。

考えてみればアレなんですよ、この時代のブルースやR&Bなどは”レース(人種)レコード”と呼ばれ、音楽業界全般ではポピュラーより格下に扱われ、アーティストはアルバムなんてもんは作ってもらえない、ヘタな鉄砲も数打ちゃ当たる方式で、ちっちゃいちゃいちいレコード会社から、とにかく色んな人の色んなミュージシャンのシングル盤が山のように”一回のレコーディングいくら”の契約で出されておりました。

そんな中でたまたま運良くヒットを連発し、50年代を生き残った人は60年代になってからシングル曲をまとまったLP盤などにすることが出来ておりますが、まぁシングルだけ出してその後シーンから消えて行ったり、レコーディングから遠ざかって行ってしまい、埋もれてしまった人達の何と多いことか。

しかし、ブルースやR&Bを聴く楽しみというのは、実にこういった”一発も当てなかった人達”を聴く楽しみなんですね。

これは別にマニアックな指向とかでも何でもなくて、ブルースという音楽には、どうも”それオンリーの芸の強み”というにがあるんです。

「この人はこのパターンしかないけど最高」

というアレで、ヒットを連発してビッグネームになった人とか、ロック世代の人達に後年支持されてレジェンドになった人とかいっぱいいる音楽です。

ジミー・リードやジョン・リー・フッカーなんか正にそうですよね。

でも、かつてシングル盤のみをリリースして、そんまま消えていった人達や、オムニバス盤にしか収録されていないような、ほとんど”詠み人知らず”に近いような存在の人達にも、”これしかないけどこの一瞬の輝きは強烈”というのが凄くブルースにはあって、いや、むしろこの人達とビッグネームやレジェンド達を隔てているものは、たまたま偶然の”運”ぐらいのものだったんじゃないかなと、その味わいとインパクトに満ち溢れた無名ミュージシャン達の音源を聴いて思います。


ブルースの有名どころを一通り知った後、アタシはオムニバス盤をとりあえずえいっ!と買ってみて、名も知らぬブルースマン達の渾身の”一発”にうち震えるということをやっておりましたが、その中でも「うはぁ、コイツはすげぇ!」と思ったのが、シンガー&ハーモニカ奏者のキッド・トーマスであります。


ジャケットにも写っておりますが、まぁ何と言ってもこのルックスですよルックス(!)

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ガッチガチにアイロンで固めた(であろう)鬼のリーゼントに、絶対にカタギじゃないやけに据わったオットロシイ目付き。

いやぁ「ブルースって渋い大人の音楽ですよね」とか言っている良い子のみんなは絶対にこんなヤツの音源なんか聴いちゃダメだよとアタシでも正直思ってしまうんです。






Here's My Story

【収録曲】
1.Beaulah Come Back
2.The Wolf Pack
3.The Spell
4.Come Here Woman
5.Jivin Mess
6.She's Fine
7.The Spell
8.The Wolf Pack
9.The Wolf Pack
10.The Wolf Pack
11.Beaulah Come Back
12.Beaulah Come Back
13.Come In This House
14.Beaulah Come Back
15.Here's My Story



そう、この見た目のアホみたいなインパクトに全く負けることなく、この人のブルースはとにかくアクの塊&強烈無比なんです。


きったない音でガチャガチャ鳴り響くバンド・サウンドをバックにしたロッキンブルースで、声帯をどっかに千切って捨てるようなシャウト、シャウト、とにかくシャウト。その声ときたらロックンロールヒーローだったリトル・リチャードにも負けないパワーで、いや、リトル・リチャードのシャウトよりも自分を全然大事にしてないヤケクソのボロボロ感がたまんないんです。

そして、そんな声のインパクトに負けないぐらいに力強いハープ。

同年代で、共にシカゴでツルんでたこともあったというリトル・ウォルターみたいに技巧があって、情感溢れるハープではありませんが、そんなのしゃらくせぇとばかりに下品な音でバフバフ吹きまくるハープはやっぱり他の人にはないキョーレツに野卑た魅力があるんですよ。

そんな感じで音楽的な説明をすると、あっという間に多分3行とかで終わってしまう人です。

どの曲も同じノリ、ほぼ同じテンションで、小技とかそういう事は全く出来ない、しようとしないキッド・トーマス。

だけれども、これこそがブルースのカッコ良さなんです。

ブルースマンってのは大体が不器用な人達だし、ブルースマンが不器用だからこそ、彼らが歌う人生のいろいろが説得力を持ってこちらのソウルにも直接訴えてくる。


キッド・トーマスのガラガラ声のぶん投げるようなシャウトと乱暴なトーンのハーモニカ聴いてると、もうヤケクソなんだけど、このあんちゃんはコレしか出来ないんだけど、だからこそ聴く人の心に何か強烈なもんを投げつけてくれる。何だか泣けてくる。

50年代までシカゴで暴れて、60年代には何を思ったか西海岸に引っ越し、そこでヒットは出ずともしぶとくブルースやってたキッド。しかし運命というものは残酷で、彼が世間の注目を一瞬浴びたのは1970年、殺人事件の被害者としてでした。

このアルバムは、主に彼が50年代にフェデラル・レコードで録音したシングル盤やその別テイクを集めて、死後大分経ってから発売された数少ないアルバムのうちの1枚です。とにかく見た目のインパクトに騙されたと思って聴いてもおつりは十分きますぜ旦那。








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2018年05月27日

レヴァランド・ゲイリー・デイヴィス Complete Early Recordings


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Rev.Gary Davis / Complete Early Recordings


アコースティックのブルース・ギターというのは、エレキとはちょっと違った特別な演奏テクニックが必要になります。

それはですね、つまり

「親指でベース音を刻むと同時に他の指でテロテロアルペジオとか単音オブリガードとかを弾かなきゃいけない」

というやつです。

ギターを演奏しない、或いはギター・プレイには興味がないという人のために説明しますと

「1本のギターなんだけど、2本同時に鳴っているように何となく聞こえるやつ」

ですね。

ブルースやカントリーという音楽を意識して聴くまでアタシは、ギターといえばコード押さえてジャカジャカしてればいいもんだと思ってましたが、単純なコードカッティングのジャカジャカじゃないあのギターに魅せられてからというもの、元々どうも体質に合わなかったピックを捨て、親指と人差し指と中指を使って、何とかあの”1本だけど2本に聞こえるギター”を覚えたくて、もう狂ったように毎日弾いてましたが、結局親指と他の指を上手く別々に鳴らすことが出来ぬまま、高校を卒業してしまいました。


結局、上京して毎晩家でギターを練習していたら、その”親指と人差し指の分離”はある日いきなり、本当にあっけなく出来るようになるんですが、その前にアタシ、教則ビデオを買いまして、これはアコースティックのブルース・ギターを志す人ならほぼ全員がお世話になっているステファン・グロスマンという人の教則ビデオなんですが、その中で「ゲイリー・デイヴィスさ、彼は凄いんだ」「こういった弾き方はゲイリー・デイヴィスだね」とか、事ある毎に出てくるゲイリー・デイヴィスって人が、当然気になる訳です。

そしたら別のビデオが欲しくなります。

今度は教則ビデオじゃなくて、ホンモノのブルースマン達が演奏しているのを集めたやつなんですが、それにたまたま「Rev.Gary Davis」という人の演奏動画が収録されておりました。

これが凄かったですね、多分自宅で録ったっぽい映像だったんですが、サングラスに背広着たオッサンが、椅子に座ってギター弾いて歌ってる。

歌われてる単語の節々から「あ、コレはスピリチュアル(黒人霊歌)だな」とは分かるんですが、何か葉巻とかくわえて真面目な感じではないんですね。

『Rev.』ってのはレヴァランド、つまりアメリカでは牧師さんとかに付ける尊称だったんですね。つまり訳すると『ゲイリー・デイヴィス師』みたいな感じで、おぉ、この人は牧師さんか!と思ったんですが、牧師さんにしては何かブルースとかも歌ってるし、葉巻くわえてるし、全体的にガラ悪いし・・・こりゃ業界では完全に”アウトな人”で最高だなおいと。

まぁそんなことより、その映像で驚愕だったのは、やっぱりこの人のプレイですね。どっしり構えて、何かくつろぎまくって歌ってるし、ギターも見た感じ適当にテロテロやってる風に見えるんですが、その声もギターも凄かった。えぇ、もうとにかく凄かった。

張り上げても張り上げなくてもガンガン響く声、そして、親指と人差し指完全分離な上に、ハイポジションもリズム刻みながらスイスイ弾いている、あぁごめんなさいね、ギターやってる人以外には「何それ?意味わからん」なこと、アタシは今書いてると思うんですが、そう、ギターやってるアタシにも「何それ?意味わからん」なギターだったんです。

ラグタイムで凄いとか、単音弾きで凄いとか、そうじゃなくてその両方が何事もなかったように当たり前に同時に鳴り響いているその凄さ。

あぁ、そりゃあの教則ビデオの人が凄い凄い言うよな、わかる、わかるよ、うん、何がどーなってるかさっぱりわかんねーけどわかるよ。

と、アタシは激しく頷いたもんです。

ブルースに限らず、音楽の楽しさって、如何に”知らない感動に触れてそれを拡げてゆくこと”だと思うんですが、戦前ブルースのそれは、かかっている謎や不思議のベールが厚いだけに、楽しさは格別なんですね。

気になって調べたレヴァランド・ゲイリー・デイヴィス、南部サウス・カロライナ出身で、幼い頃から色んな楽器を演奏していたけど、失明してからはキリスト教に傾倒し、やがてギターやバンジョーを持って各地を歌い歩く説教師になったと。

説教師というのは教会で説教をする牧師さんとは違って、教会の教えを説きながら各地を旅する人であります。色んなところで神の教えを説きますが、この人達の目的は「神の教えを知らない人に伝導すること」ですので、街の広場とか路地とか、不特定多数の人が集まる所が主な活動の場でありました。

普通にお話をするだけでは、興味ない人は誰も聞いてくれませんから、必然的に楽器を持ってスピリチュアルを歌い、説教もするというスタイルになる訳です。

戦前に活躍した人で有名な人といえばブラインド・ウィリー・ジョンソンですね。








とにかく戦前の説教師には、凄腕のギタリストが多かったといいます。そして、ゲイリー・デイヴィスもその一人です。

で、この人の別の意味で凄いところは、教会とか福音とかゴスペルとか一辺倒じゃなくて、ブルースもフツーに歌って、カロライナや東海岸のブルースマン達ともツルんでいたところ。

彼の弟子と言われているブラインド・ボーイ・フラーという人が、戦前のイーストコーストを代表するブルースマンであることは、ファンんは周知の事実なんですが、まぁそんな感じでこの人はキリスト教の教えを伝える人でありながら、それだけにガチガチにならず、俗世にもしっかりと足を付けておった。

「おい、説教師さん、アンタブルース歌っていいの?」

「ブルースも逆の意味で真実だからな、間違っちゃいねぇよ」

「え?ブルース歌った後にスピリチュアル歌うの?それは流石にマズイんじゃない?」

「うるせーな、ネクタイしめて神様に敬意払えば問題ねぇよ」







【収録曲】
1.I Belong To The Band - Hallelujah!
2.The Great Change In Me
3.TheAngel's Message To Me
4.I Saw The Light
5.Lord, Stand By Me
6.I Am The Light
7.O Lord, Serach My Heart
8.Have More Faith In Jesus
9.You Got To Go Down
10.I Am The True Vine
11.Twelve Gates To The City
12.You Can Go Home
13.I'm Throwin' Up My Hand
14.Cross And Evil Woman Blues
15.I Can't Bear My Burden By Myself
16.Meet Me At The Station


かといってゲイリー・デイヴィスが不真面目な人ではなかったという事は、彼のスピリチュアルとブルースが、的確なテクニックに支えられた極めて(つかハンパなく)高度なものという事実に触れれば分かります。

この人は戦前にもいくつか録音を残しましたが、戦後フォーク&ブルース・リヴァイバルの時にようやく世に出てくるまで、基本的には路上を主な活動の場として、華やかな所には一切出なかった。だからステファン・グロスマンがニューヨークの路上で歌ってる彼を見て声をかけた時、あの伝説の説教師が酷く貧乏な暮らしをしていた事にびっくりしたといいます。

戦後に結構な数の録音を残し、そのどれも水準を落とさず、ハッキリ言ってアルバムに当たりはずれがない人ですが、個人的にやはり好きなのは戦前(1935年)に録音された音源を集めたこのYazoo盤です。

ビデオで観て、その「凄いことを何でもないよという風にアッサリやっている貫禄」に衝撃を受けたアタシですが、いやいや、動画は入り口に過ぎなかった。ビデオではくつろいでやっていたゲイリー・デイヴィス、音盤では凄まじい本気です。

どの曲も軒並み「ストリートでこんな風にやってる人がいたら、たまんなくなって踊り出してしまうだろうな」というぐらいリズミカルで、弾き語りというのが信じられないぐらいブ厚いグルーヴが溢れかえっているんです。

えぇ、ギターは想像以上に凄くて、リズムを刻みながらペケペケと単音の高速フレーズやチョーキングを交えたり、その何でもアリぶりに、聴いてしばらく何も考えられないぐらいです。

そして歌ですね。ガラガラと野太い声で、空間そのものを揺るがすような魂のシャウト、シャウト、シャウトがもう、もう、もう、なんです。

「ブルースとゴスペルって、歌詞違うだけで音楽的には一緒だよね」とか、アタシはその昔ナメたことを言ってましたが(物理的にはきっとそうなんでしょうが)、ゴスペルの人達のシャウトは、単なる叫びじゃなくて、聴く側の心の内側からの歓喜を促すような、そんな不思議で独自の味わいがあるということを、ゲイリー・デイヴィスの歌に教えてもらいました。






”ブルース入門編 〜初心者のための優しいブルース講座〜”




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2018年05月20日

ビッグ・ビル・ブルーンジィ シングス・フォーク・ソング

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ビッグ・ビル・ブルーンジィ/シングス・フォーク・ソング

(Smithonian Folkway/ライス・レコード)


さて、ビッグ・ビル・ブルーンジーでございます。

はいはい、戦前から戦後を通して”ブルースの都”であります北部の大都会シカゴ。このシカゴで戦前にスターとして君臨し、あのマディ・ウォーターズを見出して色々と面倒を見たボスマンとして知られておりますことは、このブログの読者の皆さんは既にご存知でありましょう。

マディ親分がまだ親分じゃなかった頃のビッグ・ビルとの交友は、ホントに心温まるヒューマンドラマです↓




で、そのビッグ・ビル、非常に面倒見が良かっただけじゃなくて、ギタリストとしても驚愕のテクニックを持っていて、例えば戦前ブルースの世界では”神クラスのギターピッカー”といえば単音ソロのテクニックがまず人外で、その他リズム感や歌伴におけるアプローチも完璧な人としてロニー・ジョンソンという人がおりまして、一方で一本のギターでピアノの右手と左手を同時に弾きこなしてしまうラグタイムギターの化け物として、ブラインド・ブレイクという人がおりました。

まずこの二人が、戦前ブルースのギターにおける絶対的な二本柱なんですね。同時代のあらゆるブルースマンは、この2人のレコードを聴いて、その驚異的なギター・テクニックに衝撃を受け、多かれ少なかれ影響を受けておったんです。

で、ビッグ・ビルは、その二本柱の一人であるブラインド・ブレイク、この人と一緒に共演して、楽しく対抗できる程の腕前の持ち主でありました。

全く狂わない正確なタイム感で、まるで2本のギターが同時に演奏をこなしているようなラグタイムに、単音チョーキングでほろ苦く甘酸っぱい味を出せる、バラードでのソロの妙味が堪能出来る戦前録音は、これはもう全ブルースギターを志す人にとってバイブルと言って良いものでしょう。




このように、戦前シカゴで実力派としてその名を轟かせたビッグ・ビルでしたが、戦後は皮肉にも自分が見出したマディ・ウォーターズが全く新しいエレクトリック・バンド・ブルース・スタイルをシカゴのスタンダードとして、その波に押し出されるような形でシーンの表舞台から静かにフェイドアウトして行きました。

「ブルースの電気化に対応できなかった」と言われることもあるビッグ・ビルでありますが、実はエレキギターを使ってブルースを演奏する先駆者でもあったのです。聴いてみると甘いチョーキングを活かしたなかなかにオシャレなサウンドでいい感じなんですが、戦後のラウドでワイルドなサウンドを求める聴衆には、その良さはなかなか伝わらなかったと言うべきか。とにかく戦前から戦後のブルースの橋渡し的役割を終えたビッグ・ビルのサウンドは、1940年代の終焉と共に、伝説となって行ったのです。

1950年代、黒人聴衆達はラジオやジュークボックスから流れるワイルドなブルース、そして最新のリズム・アンド・ブルースに夢中になっておりました。

流行からは遠ざかっていたビッグ・ビルでしたが、実はそのままミュージシャンを辞めてしまった訳ではありません。1951年にはメジャー・レーベルのマーキュリーと契約、ここでベースのみをバックにしたほとんど弾き語りに近い演奏や、管楽器などを入れたジャンプ風アレンジなど、様々な音楽的な試みを行っておりますが、この時の契約は短期間で終わり、レコード・セールスではなかなかパッとしなかったそうですが、彼には別の方向から再起のチャンスが回ってきます。

それは、初めてのヨーロッパ・ツアーで行った白人聴衆の前での生演奏であります。

実は当時ヨーロッパでは、ちょっとしたトラディショナル・ブームが沸き起こっており、アメリカでは既に時代遅れと言われていたディキシーランド・ジャズのバンドがあちこちで結成されたり、古い時代のブルースやゴスペルも求められておったのです。

1951年のヨーロッパ・ツアーでビッグ・ビルは、ディキシーランド・ジャズと楽しく共演したり、アコースティック・ギターを持っての弾き語りを行いました。

どちらもシカゴのクラブでは「何だそんな古臭せぇ音楽!」とバカにされて終わるようなオールド・スタイルです。

しかし、ヨーロッパの聴衆はこれらの演奏を純粋に楽しんで、そしてアコースティックなブルースも真面目に聴いてビッグ・ビルに喝采を送りました。

アメリカでははしゃぎたい客のためにダンスビートを提供したり、ワイワイガヤガヤのクラブの中で、如何にして聴衆を楽しませるかに心血を注いでいたビッグ・ビルは、このヨーロッパの観衆達の態度に「なんじゃこりゃあ」とびっくりしました。びっくりしましたが、肌の色も文化も違う彼らが自分の音楽に真剣に接し、また自分自身の事も黒人としてではなく、一人のアーティストとして扱ってくれる、この事に言い知れぬ感動を覚えます。


他のブルースマンなら

「なぁ、ヨーロッパの連中は不思議だよなぁ。じっと真面目に聴いてるから、良かったのか悪かったのかちっともわかんねぇ」

となるかも知れません。

が、ビッグ・ビルにはその状況を理解し、受け入れるだけの教養がありました。


彼は他のブルースマン同様、音楽で食えるようになるために様々な仕事をしておりましたが、その中でひとつポーターという高級寝台車の荷物係をやってたんです。


このポーター、制服がカッコ良く、かつ所作や喋り方に品がある上に、危険な肉体労働ではないということで、労働者階級には憧れの職業なんですが、この高級寝台車を制作運用していた会社がプルマン。

鉄道の職員は普通鉄道会社の人員なんですが、ポーターのような他の汽車にはない職業の人員は、プルマンが直接雇った人達なんですね。で、雇われていたのはほとんど黒人です。このプルマンという会社が、当時としては珍しく、労働者の待遇も真剣に考え、ポーター達のほとんどが労働組合に参加し、会社と対等に賃金や休暇についての交渉を行う事も出来ておりました。

こういった経験があったから、ビッグ・ビルはヨーロッパの白人聴衆の反応は、雰囲気で察する事が出来たし、また、音楽の世界へ行っても自ら音楽家組合の中心メンバーとしてブルースマン達のために色々な活動を行い、また個人的にもマディ・ウォーターズのような才能ある若者に仕事の世話をしたり、とにかく元々の性格だけではない”出来た人”の振る舞いがしっかりと経験として身に付いておったんです。


「これは!」と思ったビッグ・ビルは、何と大幅な方向転換を行います。

つまり、アコースティック・ギターを手にして、その昔南部で覚えた古いブルースやバラッド、スピリチュアルなんかを歌う、つまり、それまでブルースマン達は常に新しいもの新しいものとスタイルを進化させていくのが当たり前だったんですが、ここで彼は誰もやったことのない「古いスタイルへの回帰」というものを大胆に行いました。

これは恐らく、音楽の歴史が始まって以来初の事だったと思います。

周囲は「何だって古いスタイルに回帰するんだい?」と不思議に思い、誰も理解出来なかったと言います。

が、賢明な彼には分かっていました。今までやっていた自分のブルースは、もう黒人の若い連中には見向きもされない、ブルースだって今新しいリズム・アンド・ブルースに勢いは押されてどこまで続くか分からない。黒人社会ではブルースは思い出したくない暗い過去でもあるんだ、あぁ、南部生まれのオレにはよく分かる。もしもブルースを埋もれた砂の中から引き上げて、音楽として評価してくれる連中がいるとしたら、それは白人の若い連中だろう。と。





【収録曲】
1.バックウォーター・ブルース
2.ジス・トレイン
3.アイ・ドント・ウォント・ノー・ウーマン
4.マーサ
5.テル・ミー・フー
6.ビル・ベイリー
7.アルバータ
8.ゴーイン・ダウン・ジス・ロード
9.テル・ミー・ホワット・カインド・オヴ・マン・ジーザス・イズ
10.ジョン・ヘンリー
11.グローリー・オヴ・ラヴ


ビッグ・ビルの読みは見事に的中し、ヨーロッパでの好評の勢いはそのままに、1950年代中頃から徐々にアメリカでも西海岸やニューヨークのインテリな若者達の間で盛り上がっていた「ルーツ・ミュージック再評価」の流れに彼は見事に乗ります。

で、60年代、ロックンロールのムーブメントが終わるとその反動で一気にフォーク&ブルース・リヴァイバルの波が押し寄せ、戦前に活躍していた伝説のブルースマン達が次々と再発見されてシーンを沸かせることになるのですが、彼は残念ながら1958年にガンのためこの世を去り、そのリヴァイバルの先駆者として多くの人に記憶されることになります。

50年代のビッグ・ビルは、白人プロデューサーやコンサート・プロモーターらの要請で、ギター弾き語りで古いスタイルの曲をできるだけトラディショナルなスタイルでやってくれとか、彼自身の設定を「ミシシッピの小作農兼ブルースマン」ということでやってくれとか、そういった本来の彼ではないことを演じさせられる音楽活動でもありました。

ところがビッグ・ビル、こういった要請にも嫌な顔ひとつせずに「あぁいいよ、出来るよ」と、キッチリ応えていたそうです。

戦前のシカゴ・ブルースの顔と呼ばれ、ひとつの歴史とスタイルを作り上げてきたほどの人があっさりと過去を捨て「白人の求めるブルースマン」を、全くの虚構を混ぜて演じる事に、本心ではこれはどんな人でも穏やかではないと思うのですが、そういった多少の無茶も何のその、実に活き活きとしたパワフルな声の張りと、泥臭さの中にしれっと潜ませた高度なテクニックのギターの醍醐味が聴けるのがこの時期のビッグ・ビルの素晴らしいところです。

オススメとして今日皆さんに聴いて頂きたいのが、1956年にスミソニアン・フォークウェイズで録音した弾き語りをまとめた『シングス・フォーク・ソング』。

細かいこたぁ言いません、このアルバムのシンプルな弾き語りの中で上質な蒸留酒の如く香り立つ深南部の香りと、シティ・ブルース要素はほぼ抑えて派手には弾いていないとはいえ、オブリガードやちょっとしたフレーズ運びの中に無限の”粋”を感じさせる職人的神業ギターのカッコ良さに聴き惚れて欲しいのです。

実は戦後になってトラディショナルなスタイルになってからのビッグ・ビルの作品は、ブルースファンには作為的なイメージがあるのか、あまり評判がよろしくありません。

はい、アタシも「演じさせられてるのはホンモノじゃないなぁ」と聴かず嫌いをしておったんですが、ブルースマンとして生きるために何にでもなってきた、そして何者を演じることも出来るしっかりとした技量があったビッグ・ビルの真髄を、ちゃんと聴こうではありませんか。


『フォークソングの話をするヤツがいて、ブルースの話をするヤツがいる。全く別扱いだ、くだらんね、どっちも(オレらにとっちゃあ)フォークソング(民族の歌)で一緒なのにな。馬が歌ってるわけじゃあるまいし』


『同じブルースを持った人間なんて一人としていやしないね。ブルースってのは生れつきのもんさ、人生の何かだよ。死んだヤツからは、ブルースは出てこない』

−ビッグ・ビル・ブルーンジィ







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2018年05月11日

フロイド・ジョーンズ&エディ・テイラー Masters Of The Modern Blues

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Floyd Jones & Eddie Taylor/Masters Of The Blues
(Testament)



戦後シカゴ、ダウンホーム・ブルースの名盤『Smokey Smothers/The Blackporch Blues』をじっくり聴いていたら、しばらくこの泥沼から抜け出せずにおりました。

ブルースといえば、スーパーギタリストが派手な”泣きのソロ”で大暴れするのも、そりゃあもちろん最高なんですが、ドップリとディープなバンド・サウンドで、ブルースという音楽のむせるような泥臭さ、そのスカスカのアンサンブルからむわぁんと立ち上る、まるでドブロクのような濃厚&粗削りなブルース・フィーリングが無尽蔵に漂ってくる、1950年代60年代の”超有名”から一歩引いた職人気質な人達によるダウンホーム・ブルースってもう本当に最高なんです。


さて、ブルースをバンドで演奏し、それをエレクトリックな楽器を使って新しい時代を切り開いたといえば、もちろんマディ・ウォーターズ親分でありますが、当たり前のことながら、マディ親分が「そうだ、エレキギターを使ってみよう」と言って始めた訳ではなく、シカゴではまだアコースティックな楽器を使った、軽快なリズムでジャズ寄りのアンサンブルというのが、当時最も華やかな場であったシカゴの高級クラブで主流だった頃、ミシシッピやメンフィスといった南部から出てきた連中が、路上の雑踏の中や安酒場で聴衆を相手にしていた頃、マディもミシシッピからシカゴに出てきました(1940年代中頃)。

一説によると、ブルースでエレキギターを最初に使いだしたのは、南部のブルースマン達だったと云われております。

狭くやかましいジューク・ジョイントで、とにかくガヤガヤうるさい客をステージに向かわせて踊らせるために、音が割れようが潰れようが、とにかくデカい音を出すためにエレキギターを使ってたんだと。

ともかく何事もタフで荒々しいのが好みの南部の連中がエレキギターという楽器を最初に効果的に使ってブイブイ言わせていたという話は、確かに戦後すぐぐらいの時期の「南部から出てきてすぐのブルースマン達によるブルース」を聴くと、なるほどそうかも知れんわいと思わせるに足りる十分な説得力がみなぎっていたりします。

あのロバート・ジョンソンも、亡くなる直前(1938年)に手にしていたギターはエレキだったといいますから、そらもうみんなこぞって「オゥ、あのデカイ音が鳴るエレキギターってやつくれよ」だったんでしょうね。

とにかく田舎からシカゴに出てきた若者達は、都会の喧騒に挑むように音のデカいエレキギターをかき鳴らし、南部のタフでワイルドなノリを、サウスサイドとかウエストサイドとか、移住者の多い街の路上で次々根付かせていった。

若者だったマディはその中に飛び込み、多くの先輩達と競いながら腕を磨いていったんですねぇ。想像すると何とも素敵なシーンじゃありませんか。

はい、というわけで今日ご紹介するのは、そんなマディの先輩達が奏でていた、元祖エレクトリック・ブルースというものだったかがたちどころに理解出来る、素晴らしい一枚でございます。

まず、シカゴ・ブルースといえばチェスやコブラ、ヴィージェイといったインディーレーベルがシノギを削り、多くのスターを輩出していった1950年代でありますが、そこから少し時代を進めて60年代には、今度はブルースという音楽で金儲けしようというレーベルばかりではなく、音楽として素晴らしいから、これはじっくり付き合いたいという人が立ち上げたレーベルが、新人をプロデュースしつつも、かつて名を馳せたブルースマン達を積極的にレコーディングし、結果として貴重な音源を世に多く残したという現象が起きておりました。

その中で、ブルース研究家として今も著名なピート・ウェルディングという人が立ち上げたレーベルに”テスタメント”というのがございます。

このレーベルこそが「派手じゃないけど気合い入ってるよね」の最たるものでして、特に看板である『マスターズ・オブ・ザ・モダン・ブルース』は、そのどれもが同じデザインの色違いジャケというややこしさながら、内容の濃さで多くのファンを南部直送のダウンホーム・ブルースの泥沼に引きずり込んだ定評のあるシリーズ。

まぁ、ブルースという言葉にちょいとでもピクッとなる人なら目をつぶって片っ端から集めてもまずハズレがないぐらいキョーレツに濃い内容&人選で恐ろしいぐらいのシリーズなんですが、今日はその中からフロイド・ジョーンズとエディ・テイラーのものをご紹介致しましょう。







【収録】
(フロイド・ジョーンズ)
1.Rising Wind
2.Dark Road
3.Stockyard Blues
4.Sweet Talkin' Woman
(エディ・テイラー)
5.Train Fare Home
6.Big Town Playboy
7.Peach Tree Blues
8.Bad Boy
(フロイド・ジョーンズ)
9.Hard Times
10.M0&O Blues
11.Playhouse Blues
12.Dark Road
(エディ・テイラー)
13.Feel So Good
14.After Hours
15.Take Your Hand Down
16.Bad Boy



はい、今かなりの方が「フロイド・ジョーンズ?エディ・テイラー?誰?」とつぶやいたと思いますが、いやもうアナタ方、シカゴ・ブルースを聴いてこの人達を知らんのはモグリですぜ、と、アタシらしからぬ強めな感じで、えぇもう言い切ってしまいましょう。この2人、単純な知名度で言えばまぁBランクCランクぐらいであることは認めざるを得ないんですが、戦後のシカゴ・ブルースの歴史を生きて、そのサウンドの土台を作ったと言っても過言ではない、とんでもなく凄い人達。

まずはフロイド・ジョーンズ。

何と1917年アーカンソー生まれで、年代的にはほとんど戦前の人です。実際幼い頃からチャーリー・パットン、ミシシッピ・シークス、スリーピー・ジョン・エスティスといった、戦前ミシシッピ〜メンフィスで活躍したブルースマン達の演奏を間近で見て育ち、16歳の頃にトラックの運転手をしていた時、偶然知り合ったハウリン・ウルフ(当時23歳)と意気投合してギターを手にして、南部一帯を一緒に回っております。

このキャリアからしてもう凄いんですが、更に1930年代にはサニー・ボーイ・ウィリアムスン(U)やロバート・ジョンソン、ビッグ・ウォルター・ホートンらと知り合い、共演したり一時期行動を共にしたりして、南部では既に実力派として知られる存在であったようです。

残念ながらこの時のレコーディングはありませんが、1945年にシカゴに移り住んで、ストリート・ミュージシャンの激戦区であったマックスウェル・ストリートに立った時は既に「あの南部で有名だったフロイド・ジョーンズさんだ」と、ファンからもミュージシャンからも、ある種別格として見られていたそうで、そのダークな歌声とギターでシカゴの路上から、チェス、ヴィージェイ、JOBといったその当時の新興レーベルまでを演奏とレコーディングでサラッと制し、文字通り戦前の南部から戦後すぐの時期のシカゴでのし上がる、その戦端を切った人と言えるでしょう。

一方のエディ・テイラーは、生まれは1923年とジョーンズよりちょい若いですが、もうアレですよ、シカゴ・ブルースの一番の人気者であり、多くの人が「ブルース」と聞いて「こんな感じ」とすぐイメージするほどのあのギターによるずっずじゃっじゃズッズジャッジャズッズジャッジャのウォーキング・パターンを定型として強烈に世界に印象付けた王者、ジミー・リードの長年に渡る名サイド・ギタリストとしての活躍で大きな功績のある人で、えぇ、何かと酒ばかり飲んでベロンベロンに酩酊してしまうリーダーよりも、ある意味この人があの黄金のパターンを自分で考えて、実際にしっかり演奏していましたから、世界の裏側で戦後のブルースの歴史を作ってきたのは実はマディでもジミー・スミスでもなくてエディ・テイラーだ!とブルースファンに断言される事も多く、実際その通りなんだと言い切って良い人です。

7歳の頃からベースを演奏し(!)、程なく幼馴染のリードと組んで、地元ミシシッピでは「おもろい小僧共」と知られていたようで、例によってチャーリー・パットン、サン・ハウスらの生演奏に刺激を受けて、やがてその影響からギターを手にしてコツコツと腕を磨いてきました。

戦後になって先に移住していた父親に呼ばれてシカゴに移住するんですが、そこからやっぱりマックスウェル・ストリートで人気を博し、特に安定したギターの腕前はレコード会社に「君、ウチのレーベルでギタリストとして契約してくれないか?」と、今で言うスタジオ・ミュージシャンみたいな仕事の声がかかったりしております。

この時まだ出来上がったばかりのヴィー・ジェイにひょっこりやってきたジミー・リードのレコーディングに駆り出され、スタジオで「あれ?お前エディじゃないか?」「おいジミー、お前こそ何やってんだ?え?レコーディング?何てこった、お前のバックをやるように俺は言われてたんだ」と、まさかの偶然でコンビ復活となった嘘みたいな奇跡から、腐れ縁で60年代までコンビを組んだこのコンビは、次々とセールス記録を塗り替えるヒットを放っております。

エディはソロとしても大器晩成型で、60年代以降はモダン・ブルースの”粋”を伝える、ブルースファンの間で評価の高い素晴らしいアルバムを多く残してますし、70年代80年代はブルースフェスなんかでも引っ張りだこの人気者になるんですね。

そんな2人が、1966年にガッツリ手を組んで行ったセッションを収録したのがこのアルバム。

カップリングと言われることもたまにありますが、同じバンドで互いにリードヴォーカルを交代でやっている、正真正銘の同一セッションです。

はい、スロー・ブルース中心に、どこかダークで激しい重みのあるヴォーカルの味で聴かせるジョーンズのトラックと、一転ロッキンでギラついたギターに、丸みを帯びた声ながらもカラッと突き抜けた味わいのあるテイラーのヴォーカルとが織りなす、全く異なる個性が、どれも1960年代の音とは信じられないぐらい、スカスカで乾いた、まるでスピーカーから土煙が出てきそうなほど粗削りなヴィンテージ・サウンド(っつうんだろうか?)を、50年代初頭の路上演奏ばりの質感で生々しく響かせております。

このセッションこそは、もうインパクト云々とかよりも、絶妙なバンド・サウンドとその音の質感だけで最高に深くてロウダウンな演奏をダラーッととことん味わい尽くせる、何かもう「ブルースってこれこれ、細かいことはよーわからんが、とにかくこの雰囲気なんだよ」と言いたくなる見事な職人芸です。

フロントの2人はもちろん、脇を固めるメンバーも、ビッグ・ウォルター・ホートン(ハーモニカ)、オーティス・スパン(ピアノ)、フレッド・ビロウ(ドラム)と、当時のシカゴ・オールスター・メンバーなんです。

テイラーとジョーンズは、共にギタリストなんですが、ここではジョーンズがベース。つまりヴォーカル、ギター、ピアノ、ベース、ドラムスという必要最小限のバンド・サウンドで、しかも音数はグッと少な目で楽器と楽器の音の間もいい感じにとことんスカスカ。更にジョーンズは自分が歌う時はベース弾いてませんから、ジョーンズのズ〜ンとダークな歌のバックで、ギター+ピアノ+ドラムっつう3つの楽器だけがスゲェ密度で鳴り響いております。

大体ダウンホーム・ブルースなんていうのは、音スカスカで、いい感じに荒れてて、ウケを狙わずにダラーッとやるかひたすらロッキンにバシャバシャやるかが最高にカッコイイパターンなんですが、その両方が一枚でこれ、楽しめます。つうか細かいことはいいんです、この雰囲気ですよこの雰囲気。知らない人は今すぐ聴いてください、この雰囲気ですよ雰囲気!(大切なことなのでシメに2回言いました)












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2018年05月02日

スモーキー・スマザース THE BLACKPORCH BLUES

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Smokey smothers/The Blackporch Blues
(Ace)

皆さんこんばんは。

いやぁ2月から多忙とパソコン移転と体調のシャバダバですっかりこのブログの更新ペースも落ちておりまして、読者の皆さんには毎度お待たせをしていて申し訳ないです。

「こんな辺境ブログだから」と、タカをくくっていたら、ある日地元の若い子から

「早くブルースの紹介が読みたいっす」

と、思いも寄らず有難い言葉を頂きました。

ふむっ!

と、鼻息を荒くして、今日は気合いを入れてブルースを紹介しますぞー!!

はい、アタシはアタマの悪い中学生の頃にブルースという音楽を意識し、それ以来自分の全てに欠かせない大切なものとして、40過ぎのオッサンになるまで愛してきました。

しかし、色々と聴いて知っているようで、戦前ブルースから入ってしまっているアタシには、実は戦後のバンドスタイルのブルースに関しては、まだまだフォロー出来ていないところがある。

日々勉強でありますよ。といっても音楽に関する勉強というのは、これは自分が好きな物事をもっと深く、広く楽しむためのものでありますので、やっていてこんなに楽しいことはありません。

という訳で、アタシはラジオを聴いております。

今はインターネットにアクセスすれば、Youtubeという便利なものがあって、知らない音楽も手軽に知る事の出来る時代なんですが、これには落とし穴があって「色々視たけど結局自分好みのヤツの堂々巡りをしている」というのと「せっかく良いものに出会えたのに、映像を視ていると肝心の音楽に集中してその良さをじっくりゆっくり心に刻むことが出来ない」という落とし穴です。

考えてみればアタシがクソガキの頃はネットなんてありませんから、雑誌やレコード屋、先輩や友達の口コミ、そしてラジオなど、ほんっとに少ない情報から、自分の心に響くものをそれこそ必死で探しておりました。

情報が少ないから、当たりと出会った時の感動は深かったです。

や、もしかしたら「ハズレにしないように大事に聴いて行こう」という意識も働いていたかも知れません。

特にラジオは良かったですね、ただ単に曲が流れるだけでなく、その音楽を紹介する人の心のこもったアーティスト紹介や説明があったから、気持ちが自然と前のめりになってウキウキするんですよね。

その時知らなかった洋楽のブルースやブルースロックとは、主にラジオで出会いました。

一番インパクトがあったのは、ジョン・メイオール&ザ・ブルース・ブレイカーズでしたねぇ。。。

おっと、話が脇道に逸れてしまいそうなので、話を戻しましょう。

大人になってから、何だかんだ忙しかったりで、すっかりラジオ聴かなくなったんですけど、地元のスタジオがあるASIVIの壁に貼られていた『永井ホトケ隆のブルース・パワー』の番組宣伝のポスター。






「あ、ホトケさんだ♪ラジオやってんだ〜」と、何気に見ていたら、何とアナタ、この番組が我が地元のあまみエフエムで聴けるというじゃありませんか。


日本のブルース・シーンの最前線の現場で音楽張ってきた、永井ホトケさんがDJをするブルース番組なら、こらもう最高に違いないとアタシは確信し、それ以来毎週日曜の夜10:00の放送時間を逃さないように、夜遊びをせずに聴いております。


戦後シカゴ、ダウンホーム・ブルースの雄、スモーキー・スマザーズの事は、この永井ホトケさんの番組に教えてもらいました。

そう、アタシはこの、戦後シカゴ・ブルースを、知ってるよーで意外に知らんのです。

スモーキー・スマザーズといえば、実はサイドマン(ギタリスト)としては、重要な作品に数多く参加してまして、いわばマディ・ウォーターズ、ハウリン・ウルフといった戦後のシカゴ・ブルースの第一世代、リトル・ウォルター、ボ・ディドリーら第二世代、更にフレディ・キング、マジック・サムといった第三世代が1940年代後半から60年代にかけて、その電気化したタフでワイルドなブルースを次々とその個性で進化させ、発展させて行ったその現場に、セッションマンとして立ち会い続けて来た人なんですね。

だから一応レコードやCDのクレジットなんかを見て「おぉ、ここにも参加しとるんか」と、そのちょっとインパクトのある名前だけに、何となく覚えてはおりました。

けど、根っからのサイドマン気質なのか、或いは個性が百花繚乱する戦後シカゴで、リーダーとして自分を上手に売り込むことが出来なかったのか、或いは単純にスターダムにのし上がって派手に活躍することに興味がなかったのか、単独の作品がほとんどないがゆえに、一般的な知名度を獲得するまでには至らなかった。

生涯に残したソロ名義のアルバムはたったの3枚(このうち60年代のセッションは1枚のアルバムにまとめられてリリースされたので、実質2枚ですな)なのですが、この中で60年代にレコーディングしたアルバムが、実は!実はブルースファンの間で「隠れ名盤」「バンドブルースやるんだったらコレは聴かなきゃダメ」「つうかシカゴ・ブルースのサウンドの美味しいところが全部入ってる」と大絶賛されて、今も伝説として語り継がれているアルバムなんです。これ、アタシ知らなかった。。。






【収録曲】
1.I Can't Judge Nobody
2.Come On Rock Little Girl
3.Honey I Ain't Teasin'
4.You're Gonna Be Sorry
5.(What I Done For You) Give It Back
6.Smokey's Love Sick Blues
7.I've Been Drinking Muddy Water
8.Crying Tears
9.Midnight And Day
10.Blind And Dumb Man Blues
11.What Am I Going To Do
12.I Ain't Gonna Be No Monkey Man No More
13.The Case Is Closed
14.Way Up In The Mountain Of Kentucky
15.Hello Little School Girl
16.Twist With Me Annie (Extended Take)
17.I've Been Drinking Muddy Water (Previously Unissued Alternative Take)
18.Blind And Dumb Man Blues (Previously Unissued Take 1)
19.Honey I Ain't Teasin' (Previously Unissued Take 2)
20.Smokey's Love Sick Blues (Previously Unissued Take 1)
21.Come On Rock Little Girl (Precviously Unissued Alternative Incomplete Take)
22.Midnight And Day (Previously Unissued Take 1 Incomplete)
23.(What I Done For You) Give It Back (Previously Unissued Take 1)
24.I Ain't Gonna Be No Monkey Man No More (Previously Unissued Take 2)
25.You're Gonna Be Sorry (Previously Unissued Take 1)



じゃじゃん、コチラがそのシカゴ・ダウンホーム・ブルースの聖典であります。

「ダウンホーム・ブルースって何じゃい?」と思う方もいらっしゃると思いますが、まぁその、派手なアレンジとかR&Bとかファンクとか、そういうハイカラなことをやらず、ブルース特有の濃い味わいだけで勝負してる感じのブルースだと思ってください。

そうなんです、このアルバムで聴けるバンド・サウンドは、ギターとべースとドラムだけのシンプルな編成で、リーダーのスモーキー・スマザーズも派手なソロを弾きまくったり、声を張り上げてシャウトしたり、そういう派手な事は一切してません。

バンドの音は、シンプルに「ズッズ、ジャッジャ、ズッズ、ジャッジャ」とウォーキングを刻むサイドギターに、弾き過ぎない絶妙なオブリガードで勝負のメインギター(でもバンドサウンドの性格上、こっちがサイドギターに聞こえる)、絶妙な”間”を活かしながら粘るラインをリズムに絡めるベース、たっぷりの隙間を保ちながら、何ともルーズなビートを気持ち良くキメるドラム、たまに入るハープ。で、その上を程良く力の抜けたユル〜く酔った感じのスモーキーのヴォーカルが気持ち良く響き渡る。ちなみに前半の12曲ではベースすら入っていない、ほぼギター2本とドラムだけのアンサンブルなんです(!)

で、アルバム全般特に早い曲もなければ、ギターが歪みまくってエゲツない音とか、そんな感じの強烈に聴く人の耳をかっさらう要素はほとんど入ってない。でも”これだけ”の魅力の何と素晴らしいことか。

その隙間だらけのサウンドの中で、ギター、ベース、ドラムがそれぞれの音やリズムに最も必要なタイミングで互いの音と呼応し、隙間そのものが最高の揺れ心地で”ふわぁん”とグルーヴしている。そしてこのグルーヴ、この飾りのないサウンドの質感じゃないと絶対に立ち上らない濃厚な”ブルース風味”が、アルバムの最初の一音から最後の瞬間まで、ずっと絶えることなく湧き続けてる。

いやぁ、これは本当に素晴らしい!どれぐらい素晴らしいかといえば「ブルース」という音楽にちょっとでも「おーいぇー」となれる人なら、この音の質感だけで酔いしれてしまえるぐらいの味わいの深さと、やっぱりラジオでホトケさんが言ってたように、ブルースやるんなら、派手なギターソロだけじゃなくて、こういったバッキング(ウォーキングと単音オブリガード)だけでどれだけ気持ちいいアンサンブルを作ることが出来るかってのが重要なんだなと、心の底から思えてしまう、ブルース・フィーリング溢れるバンドの音の最高のお手本だなと、心の底から思ってしまいます。

ちなみにこのアルバム、フレディ・キングが前半6曲で参加してるんですが、あの”モダン・ブルース・ギターの神様”であるフレディ・キングが、一切派手なソロ弾いてないんです。えぇぇ!?せっかくフレディ参加してんのに弾きまくってないの?じゃああんまりヤル気なかったんだ残念。じゃなくてーーーー!!ここで聴けるフレディのプレイこそもう最高なんですよ。音数を凄まじく絞った中から、歌とバッキングを最高に引き立てる(「バッキングを引き立てる」って変な表現ですが、そうとしか言えないぐらい絶妙なんですよホント)、センスの塊のようなプレイ、これは耳に穴が空くまで聴きまくってみてください。

こういう”引き”のプレイも最高に上手いからフレディ・キングはグレイトなんです。

実はフレディ・キング、このセッションの時はスタジオで打ち合わせして、全曲でガッツリ参加する予定だったそうなんです。でも、事情があって遅刻してしまいました。

「あぁすんませんすんません、遅刻しやした(汗)あれ?つうかもうレコーディング始まってんの?」

「あぁ、おめぇが来ねぇからもう半分ぐらい終わっちまったなぁ。ぶっつけで出来る?」

「え!?・・・あぁ、まぁ出来るよ」

で、録音したという、どこを切り取ってもブルースな話が残っております。

でも、スモーキー・スマザーズのアルバムでは”引き”を心得た見事なサポート、そして何と、この翌日に自分がリーダーとしてレコーディングした曲が、フレディ・キング一世一代の代表曲であり、その後多くのギタリスト達にカヴァーされたブルースのインストといえばコレ!の『ハイダウェイ』していたりしますが、コレは余談です。


戦後、60年代シカゴ・ブルースのこれ以上なくルーズな空気を、とことん楽しめるスモーキー・スマザーズの『THE BLACKPORCH BLUES』ちなみにアタシはホトケさんのラジオを聴いて「凄い!スモーキー・スマザーズかっこいい!これは1枚だけじゃなくて2枚ぐらい買わねば!!」とイキり立ち、そのまんま勢いで2枚を注文したのですが

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はい、同じアルバムを2枚買ってしまいましたー!!

左が国内オールディーズ・レコードからリイシューされたFederalオリジナル仕様の再発盤、右がAce輸入盤のボーナストラック付き盤です。

タイトルとかよく見もせんで買ったアタシがバカなんですが、それだけ感動して冷静さを失うぐらいだったと、カッコ良く思って頂ければ幸いです。









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2018年03月16日

スリム・ハーポ ティップ・オン・イン

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スリム・ハーポ/ティップ・オン・イン
(Excello/ユニバーサル)

読者の皆様、大変ご無沙汰しておりました。

パソコン移転に伴うシャバダバで、しばらく更新が出来ずにおりましたが、本日無事我が家にネット回線が開通、今日からブログも更新出来ます。

このおよそ1ヶ月の間「書けないストレス」でムギーッ!となっておりましたね、アタシは大体機械とか新しいものに疎くて、パソコンなんてしばらく使えなくてもまぁ文字打つだけならスマホでもいけるんじゃね?とかたわけた気持ちでおった訳ですが、それこそが高度情報化社会の落とし穴で、なかなかスピーディーに文字が打てないスマホと苦闘してあっさり白旗、挙げてしまったんですね〜。。。

でもね、もう大丈夫ですよ。何てったって今日通った回線は光ですから、光っていうのはアレですよね、光速っていうぐらいですから、そりゃまぁべらぼうに早いんですよ。じゃあブログもそんな感じでこれまでよりも数段ぐらいスピードアップして・・・。

すいません、まだ新しいパソコンのキーボードに慣れておりませんので、しばらくはミディアムスロウのユルいペースでやらせてください。

でも、気合いは入っておりますので、皆様には本日ご紹介するこの人の記事で「おぉ、コイツは流石に気合いが入っとる」ということをご確認くださいね。

じゃじゃん♪

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はぁ〜い、そのユルさ”気合いの入ってなさ”でいえばブルース界でも1,2を争うユルめの大将、スリム・ハーポさんであります♪

ファンキーな曲でもどこか腰の砕けたノリ、一切力まない「ほぇ〜、ほぇ〜ん♪」とした歌声の魅力についてはこのへんに書いておりますが、まーその「ブルースといえば渋い!ゴツい!キョーレツ!」という、ある種のパブリックイメージに、ぶつかっても壊れない豆腐のようなテンションで挑んで勝てるだけの脱力を持っている人なんでありますが、この人のサウンド、そして何ともチルな歌唱の魅力ってのは、一度知ってしまうとこよなく愛せてしまう不思議な引力を持っております。

特にブルースといえば、後のシカゴ・ブルースの元となった強烈に泥臭いミシシッピ〜メンフィス系の流れと、よりゴージャスでタフなサウンドの中にカラッと洗練された味のあるテキサス〜ウエスト・コースト系とに大分されますが、この人が拠点にしたルイジアナというところは、そのどちらでもない中間地帯。

高温多湿で沼地が多いという気候条件に加え、アメリカの州の中では最後までフランス領だったという特殊な事情からか、この地で進化したブルースも、まったく独自のものなんですね。

簡単に言えば、さっきから言ってるように「独特のユルさ」というのに尽きるとは思います。

更にそこに一言大事な要素を付け加えれば、そのユルさが何だかポップでオシャレな方向に、不思議と作用していることでございます。

実際、スリム・ハーポの1950年代の音源を集めた最初のアルバム『レイン・イン・マイ・ハート』は、全体的にシンプルなR&Bライクなサウンドと、8ビートや表題曲の8分の6拍子など、キャッチーな中にとことん聴く人を和ませていくうちに、独特の蒸すようなディープなグルーヴに引きずりこむような、穏やかさの中に隠れた凄味を感じさせるアルバムでした。

ハーポの個性というか、その唯一無二の持ち味というのは、このファースト・アルバムの中にその骨組みが全て完成されている状態でゆわ〜んとそびえ立ってると言っていい。

ところが、そんなハーポのユルユルで気持ち良い歌とサウンドの真骨頂が、進化した様々な機材の力を得て本当の意味で他を圧倒するほどのものに仕上がったのは、1960年代以降の演なのであります。

この時代全盛を極めたアナログエフェクター、すなわちスプリング式のごくごくシンプルな作りだけれども、使い方次第では摩訶不思議な効果を生み出すエコー(ぼわーん)やトレモロ(びよんびよん)を駆使して、ユルさに磨きをかけた、いや、持ち前のユルさにトロットロのあんがかかった、例えれば天津丼的な旨味溢れるのが、彼の人生後期、すなわち1967年から69年の音源を集めた名盤がコチラの『Tip On In』

↓ ↓ ↓






【収録曲】
1.ティップ・オン・イン
2.ティ・ナ・ニ・ナ・ヌ
3.メイルボックス・ブルース
4.アイヴ・ビーン・ア・グッド・シング・フォー・ユー
5.ヘイ・リトル・リー
6.アイム・ゴナ・キープ・ホワット・アイヴ・ガット
7.アイヴ・ガット・トゥ・ビー・ウィズ・ユー・トゥナイト
8.アイム・ソー・ソーリー
9.マイ・ベイビー・シーズ・ガット・イット
10.アイ・ジャスト・キャント・リーヴ・ユー


イントロからキレのいい8ビートと、ゆわんゆわん揺れるトレモロをアホみたいに効かせたギターが、あぁもう最初から言っちゃいますけど、初期ローリング・ストーンズのあのサウンド”まんま”です。いかに60年代な、サウンドそのものがカラフルな香気とムンムンの熱気をふりまきかがら踊っている、実にオシャレでちょいとトッポくて、でも明るい力強さと妙にリアルな自由と説得力に満ち溢れたあのサウンド。

タイトル曲の『ティップ・オン・イン』や続いての(個人的にはこの曲がアルバムの中で一番好き!)ダンスナンバー『ティナ・ニ・ナ・ヌ』なんか、実に腰を揺さぶるロッキンな横ノリで、このビートがあともうちょっと激しく鋭角にかったらファンクになるギリギリのところなんですが、そこで勢いに突っ走らずにぶらんぶらんなルーズなノリでとどまっているところはもう流石です。

で、ハーポのヴォーカルとハープは、デビュー時から全く変わらずユルい。エコーも深くなっているから余計にサイケというか、脱力感が増幅された感じがあるんですが、このサウンドで楽しく躍らせながらしっかりじっくりと音楽を聴かせるには、やっぱり頭に血が上っていてはダメで、この「やる気なんてないもんねー」と、やや言葉をリズムの端に引っ掛けるようにして、語りと唄の中間ぐらいの絶妙なヴォーカルじゃないとなんですね。

このサウンドの斬新さとヴォーカルの”太くて柔らかい後ノリ”が生み出すグルーヴ、ブルースとしてはもちろん極上ですが、黎明期ロックの源となったオシャレでノリのいいブラック・ミュージックとしても純粋に楽しめます。あぁいいなぁ、とことん自由な音楽だなぁ。。。

『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2018年02月06日

ザ・ベスト・オブ・リロイ・カー


6.jpgザ・ベスト・オブ・リロイ・カー
(Pヴァイン)

今更ですが「ブルース」という言葉には「ひどく憂鬱な」とか「メランコリックな」とかいう意味があります。

アタシなんかはブルースが好きで、ほいでもって好きになったのが刺激が欲しい盛りの十代の頃だったもんですから、どうしても「イカレててカッコイイ音楽がブルースなんだ!ある意味でパンクよりパンクなんだ!」という気持ちで割と接してきました。

これはある意味において正しい。

しかし、ブルースにはどんなにタフで泥臭い演奏にも、どこか心の脆い部分をふっと突いてくる切なさとかやるせなさみたいなものがグッとくる瞬間があって、特に気持ちが疲れていたり、辛い事があって落ち込んでいる時なんかは、ブルースの本質である”ブルーな感情”これがたまんなくクるんです。

えぇ、もしもアナタがブルースに興味を持って聴き始めたはいいけれど、まだ何かどれも一緒なような気がして今ひとつピンと来ないと思っている時は、ぜひ気持ちが酷く落ち込んで、出来れば「あぁ、もう音楽すら聴く気になれない・・・」ぐらいの、ヤバ目の精神状態になっている時にブルースを聴いてください。アタシもそうしてちょっとづつブルースという音楽を身に染み込ませてきたクチです。

今日はちょいと、そういった「ブルース特有のやるせなさ」をとりわけ感じさせるブルースマンをご紹介します。

戦前に活躍したブルースの人達のことを「戦前ブルース」と言います。

この中にもまぁ年代や地域によって色々なスタイルがあるんですが、それはひとまず置いといて、この時代のブルースの人達の中には、後の時代のブルースやロック、ポップスに決定的な影響を与えた人というのが結構いるんですね。

そんな人達の中で、実はしれっと一番大きな影響力を持っているんだろうなぁと思う人が、シンガー/ピアニストのリロイ・カーであります。

「リロイ・カーって?」

「初めて聞いたぞ」

「誰それ知らん」

という人も結構いると思います。

何しろブルースで有名な人というのはほとんどギタリストです。B.B.キング、ロバート・ジョンソン、バディ・ガイ、Tボーン・ウォーカー・・・。この人達は戦後のロック・ギタリスト達に直接影響を与え、超有名なロックスター達の口から「あの人は凄いんだ」と、名前が出てきたから「おぉ、あんな凄い人達が凄いというんだから、そりゃきっと凄いだろう」と、世界中のキッズ達(はぁいアタシも♪)が「伝説の先輩の先輩」式に名を覚え、その音楽とギター・プレイの秘密みたいなものを必死で追いかけたといういきさつがありますな。

そこへいくとピアニストというのはどうも一段地味な感じで扱われてたりするんですが、何を隠そうリロイ・カーこそが、ロバート・ジョンソンを皮切りに「伝説の」と呼ばれるそれ以降のブルースマン達に凄まじくリスペクトされて、彼が作り出した珠玉の名曲は、今になってもブルース、ジャズ、ロック、カントリー等あらゆるジャンルのミュージシャン達に、様々なアレンジでカヴァーされ、愛聴され続けているんです。

リロイ・カーという人は、その切ない情感で目一杯訴えかけるメランコリックな歌声と、ドライブし過ぎず、心地良く転がるムーディーなピアノ、それにギターのみをバックに従えたシンプルで耳に入り易いアレンジ、そして何よりツカミのしっかりした、親しみのあるポップな楽曲で、ブルース史上初、いや、もしかしたらアメリカン・ミュージック初のミリオン・ヒットを放ち、1920年代後半に、ブルース演奏のあり方そのものも大きく変えました。

それまでの”ブルース”といえば、大きく南部のスタイルであるところのギターやピアノの弾き語り、もしくはもっと一般的だった、ギター、フィドル、バンジョーなどによるストリングス・バンド・スタイル。そしてシカゴやセントルイスなど、北部の都会で人気だった、ジャズバンドを付けたオーケストラ形式の、主に女性シンガーが主役の、クラシック・ブルースと呼ばれるスタイルでした。

カーのスタイルは、そのどっちでもない、ピアノとギター形式なんですね。

大体この時代というのは、生演奏では「とにかく音が多くて賑やかな方が良い。踊れる」という考え方が普通です。ブルースはある意味でダンス・ミュージックでありましたから、ピアノとギターだけでしんみりやる曲なんて、例えばジューク・ジョイントやダンスホールで、みんなが踊り付かれた時の休憩用のBGMぐらいに思われてました。

しかし、リロイのスタイルは「部屋の中で一人でも鑑賞できる」という、当時の新しいメディアであるレコードの特性に、実にピッタリ合ったものだったんです。

レコードで聴くということは、生演奏の喧騒の中でよく聴き取れなかった歌詞や、演奏の細かいニュアンスに込められた、感情の動きとか、そういった繊細なものに、聴く人の耳も行くということですから、カーの繊細な歌とピアノや、バックで細かいフレーズをメロディアスに奏でる、スクラッパー・ブラックウェルのギターも、主に酒に関する嘆き節、恨み節に普遍的な「あぁ、そうだよなぁ」という恋や人生のドラマを散りばめた歌詞が、レコードに刻まれて、それを買った人のプライベートなスペースで再生されることによって、計り知れない感動や共感を引き起こしたんです。

今のあらゆるメディアで音楽を簡単に聴ける感覚だと、ちょっとこの感覚は理解できないかも知れません。でも、気軽に音楽を聴けるメディアがSP盤を鳴らす蓄音機(しかもこれも相当高価)だった時代、針を落としたレコードから流れる音楽が、初めて聴く甘く切ない音楽だったら、一体どんだけの感動が胸に押し寄せてくるでしょう。リロイの音楽は、聴きながらにしてそういった情景も、何だか淡くイメージさせてしまう、柔らかいけどとても不思議な引力を持っています。



【収録曲】
1.How Long How Long Blues
2.Tennessee Blues
3.Mean Old Train Blues
4.Low Down Dirty Blues
5.Baby,Don’t You Love Me No More
6.Prison Bound Blues
7.Gambler’s Blues
8.Naptown Blues
9.Love Hides All Faults
10.Gettin’ All Wet
11.Rainy Day Blues
12.Christmas In Jail - Ain’t That A Pain?
13.Papa Wants A Cookie
14.Alabama Women Blues
15.Low Down Dog Blues
16.Lonesome Nights
17.Bad Luck All The Time
18.Big Four Blues
19.Going Back Home
20.When The Sun Goes Down


さて、リロイ・カーという人が、何故そういった独自のスタイルを、1920年代という時代に作り上げることが出来たのでしょう。その秘密は、彼の生まれと拠点にしていた場所とが深く関わっております。

リロイ・カーは1905年に、テネシー州ナッシュヴィルに生まれました。

そう、この地は知る人ぞ知るカントリーの聖地、地理的にはいわゆる”中部”という場所で南部のように強烈にブルースが根付いている土地ではない。でも、多くの人々は娯楽として音楽を楽しんで、その中には黒人のブルースもジャズも、白人のヒルビリーもあったといいます。

その後8歳の頃にインディアナ州ミネアポリスに移住。

少年時代からピアノを弾いていたリロイは、サーカスに紛れ込んだり、徴兵の年齢に達してないのに年齢を誤魔化して軍隊に入ったりしておりました(動機はよくわかりませんが、多分軍楽隊に入るのを狙っていたか、面倒臭い徴兵をとっとと終わらせるためでしょう)。

とにかくミネアポリスという街は、北部も北部、カナダの国境に近いようなところです。

ここで自由な空気を謳歌し、しかも大都会のシカゴやデトロイトといったブルースが溢れているような街からの影響もさほど受けず、リロイはピアノを弾き、そして机に座ってじっくり歌詞を書きながら自分の”ブルース”を磨き上げて行きました。

即興で思いつくままに歌い、リズムやフレーズに合わせて歌詞を繋いでゆくことも多かったこの時代のブルースのやり方とは、彼のスタイルはまるで違います。しかしこれが、言うまでもなくポップで歌詞もしっかりしていて、かつ繊細で切なさの塊のような新しいブルースの誕生に大きく作用しました。

リロイはそのままミネアポリス周辺の酒場で人気のシンガーソングライターになります。

行く先々で人気を博し、レコードも異例のミリオン・ヒットとなり、彼の名前は遠く南部まで知れ渡るようになりました。

先も言いましたが、彼の繊細なプレイ・スタイルは、まだギターをバッカバッカと叩き付けるような弾き方が主流だったミシシッピ・デルタの一人の若者、ロバート・ジョンソンに決定的な影響を与え、言うまでもなくこれが戦後の主流となるモダン・ブルースの”形”となるのです。

残念ながらリロイは若い頃からの大酒がたたって30歳で短い生涯を閉じてしまいましたが、レコードデビューしてたった7年かそこらで音楽のひとつのスタイルを「もう後はアレンジを加えるだけ」ぐらいのものに仕上げました。

そして、そんな偉大な業績や影響力のことを考えなくても、この人の音楽は、最初の一音が流れた瞬間に「あ、これは切ない・・・!」と、聴く人の心に直接ヒリヒリと迫るものを持っています。ひどく憂鬱な感情、過ぎ去ったとしてもまだどこかに漂っているような宿命の残り香のような音楽。

そう、これこそブルースであります。





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2018年01月16日

スキップ・ジェイムス Complete Early Recordings

6.jpgSkip James/Complete Early Recordings
(Yazoo)

1960年代のフォーク・ブルース・リヴァイバル。

この時戦前に録音を残し、その後消息を絶っていた伝説のブルースマン達が次々と”再発見”され、再び音楽シーンの表舞台で、多くの”生のブルース”を聴いたことのない聴衆に、多くの感動をもたらしました。

その中で、アメリカ白人の若者達に、一際人気だったのがミシシッピ・ジョン・ハートです。

この人の音楽は”ブルース”といって強烈泥臭くなく、どちらかというといわゆるフォークソングの範中語られてもいいぐらいに、のどかで牧歌的なものでありました(つうか戦前の、ブルースが流行する前の音楽はこんなだった)。

加えて、ともすれば気難しかったり、酒飲んで暴れるような曲者の多いブルースマン達の中にあって実に人当りが良くて、凄いミュージシャンなのに話をするとまるで近所のおじいちゃんのように飄々としてとても優しかったミッシシッピ・ジョン・ハートの周囲には、常に昔話をせがむ子供のように、ピュアな若者達が群がっておりました。

「ミスター・ジョン・ハート」

「ん?ジョンでいいよ」

「リクエストいいですか?かなり古い歌なんですが」

「あぁ、俺が知ってれば何だって歌うよ」

といった具合に、褒められてもやや無茶ぶりなリクエストでもニコニコと笑顔で返すミシシッピ・ジョン・ハートでしたが、若者達のある一言だけは

「それは違うよ」

と、やや厳しい顔で否定していたと言います。

その一言とは

「ミスター・ジョン・ハート。あなたは世界一のブルースマンだ、恐らく再発見された誰よりも上手い」

といったような

「アンタが一番」

といったニュアンスのことでした。

そういうことを言われた時、彼は決まってこう言っておりました。

「・・・お前さん達は何も分かっちゃいない。スキップ・ジェイムスを聴いたことがあるか?ヤツは俺なんかより全然凄いんだよ。俺の歌やギターなんてのはせいぜい凡人の上等なレベルぐらいのもんだが、スキップは別格だ。人間離れしているよ。深過ぎて付いて行けるヤツがなかなかいないがね、凡人とは違う次元でブルースと会話しているのはヤツだけだ。とにかくスキップ・ジェイムスを聴いてみることだよ」

と。

その”伝説の中の伝説”スキップ・ジェイムスは、確かに他のブルースマン達とは全く違う”異次元”を感じさせるブルースマンです。

アタシが初めて彼の名前を知ったのは、ロバート・ジョンソンのブックレットの記述で、ロバートの曲の中でもとりわけ重く、禍々しい沈鬱なムードに彩られた『ヘルハウンド・オン・マイ・トレイル(地獄の猟犬が追ってくる)』は、スキップ・ジェイムスのスタイルから多大な影響を受けているとの一文を目にしたことが始まりでした。

とはいっても、その時は「へー」と思ったぐらいでしたが、数年後、中古のレコードで『Great Bluesmen Newport』(Vanguard:LP77)というオムニバス盤を購入しました。

1.jpg


正にこのライヴ盤こそが、戦後再発見されたレジェンド達が一堂に会したニューポート・ブルース・フェスティヴァルのステージをそのまんま収録したマスターピースな名盤だったんですが、当時はそんなこと知りません。

ただ

「うぉお、これすごい、サン・ハウスにフレッド・マクダウェル、ライトニン・ホプキンスにジョン・リー・フッカーまで入ってる!買いだ」

と、単純に知ってる大物ブルースマン達の名前が並んでるというだけで買ったんですが、これに実はスキップ・ジェイムスが入っておりました。

でも正直、この時の印象は

「ん?何だこのスキップ・ジェイムスって人は?裏声で静かに歌ってて、何か変わった人だなぁ」

ぐらいのもんでした。

ブルースっていうと「強烈、濃厚、激烈」みたいなものを、戦前だろうが戦後だろうが勝手に求めていたアタシにとっては、その頃はまだまだ彼の繊細な妖気が漂うディープ・ブルースを理解できる感性がなかったといえばそれまでのこと。

そう、彼を特に評価していたミシシッピ・ジョン・ハートですら

「ヤツのブルースは深過ぎて付いて行けるヤツは少ないんだ」

と言っていた、正にその通りなんです。

でも、スキップ・ジェイムスのブルース・・・いや、彼のブルースに憑いている不可思議な”もの”の存在を、旋律と共に実感するのに、時間はそんなにかかりませんでした。

それから数か月後、Yazoo原盤で、当時国内盤は日本のVIVIDから出ていた『ルーツ・オブ・ロバート・ジョンソン』というコンピレーションがありまして、コレの1曲目に入っていたのが、スキップ・ジェイムスの代表曲『Devil Got My Woman』の戦前に録音されたオリジナル・ヴァージョン。


DSC_0204.JPG

ブルースの曲としては極めて珍しい、マイナー・キーでボロンボロン奏でられるイントロの重たいリフ、そして、どこかあの世の冷たい地の底から、誰かがか細く助けを求めているような「...アァァァァァイガッタビィアデェボォォゥ...」という、痛切極まりない声と歌い出しのフレーズ。

よくわかんないけど、よくわかんないけど、これは何かこう、ブルースの・・・いや、もう何というか、すっごい大袈裟かもしれないけど、人間の”闇”だ、闇の部分がこういう音楽になって、こういう人の声になって鳴り響いているんだ。何これ、スキップ・ジェイムス?えぇ、マジかよ、こんな凄い人だったのか?いやもうこれ人じゃねぇな、だったら何なんだよ、凄ぇ・・・。

と、脳内混乱&絶句に次ぐ絶句でありました。

マジですか?ええマジですよ、だからスキップ・ジェイムス聴いてくださいね皆さん。

スキップ・ジェイムスのブルースは、確かに他の誰とも違います。

その沈鬱で、実際にマイナー・キーとメジャーやセブンスの間を不安定にゆらゆらと音階がゆらめいているような究極に繊細であやうい雰囲気、絹を擦ったようなファルセット、そして独特の複雑な展開と細かく高度なテクニックが伴奏のリズムの中に散りばめられたギター、時々弾かれる、基本ブギウギなんだけど、ストップ・モーション(つまりフレーズの唐突なぶった切りで生まれる無音の”間”)を多用した、単純にノセてくれないピアノのどれもが、ちょっと似た人すらいないほどに個性的で、また、捉えどころはないけれどもその背後にある確かな”何か”、そう、衝動的なものの巨大な気配に揺り動かされて、歌や演奏として発せられているのは、怖いぐらいリアルに感じることが出来ます。

1902年ミシシッピのベントニアという寒村に、牧師の子として生まれ、教会で両親達の演奏の手伝いをするうちに身に付いた基礎的な技術、当時としては珍しく高校まで進学し、そこで音楽に合わせてとにかく愉快に踊りまくったことから”スキッピー”(跳ねる奴)というあだ名が付き、それがそのままブルースマンとしての”スキップ”という芸名になったけど、そのもっともらしいエピソードのどれもが、彼のどこまでもおぼろな異世界から漏れているようなブルースを聴くと、史実と幻想のあやふやな境界で空しく溶けていってしまうのです。






1.Devil Got My Woman
2.Cypress Grove Blues
3.Little Cow and Calf Is Gonna Die Blues
4.Hard Time Killin' Floor Blues
5.Drunken Spree
6.Cherry Ball Blues
7.Jesus Is a Mighty Good Leader
8.Illinois Blues
9.How Long Blues
10.4O'Clock Blues
11.22-21 Blues
12.Hard Luck Child
13.If You Haven't Any Hay Get on Down the Road
14.Be Ready When He Comes
15.Yola My Blues Away
16.I'm So Glad
17.What Am I to Do Blues
18.Special Rider Blues


そしてスキップは、1931年に大手パラマウント・レコードの目に止まり、”ブルースマンとして”一気に18曲のレコーディングを行います。

パラマウントはきっと売れると見込んで、スキップにレコーディングの謝礼として現金を渡し、録り溜めていた演奏を、SP盤で小出しにして儲けようと画策しましたが、出されたのは結局『Devil Got My Woman』をはじめとした数曲のみ。

パラマウントは折からの不景気と経営不振がたたって倒産してしまい、スキップのレコードがそれ以上世に出ることもなく、スキップ自身もブルースとは早々に縁を切り、また元の敬虔な牧師の家庭に戻り、その後30年以上説教師としてつつましく生活をしておりました。

何故、スキップがティーンの頃まではダンスが大好きな、陽気な少年だったのに、急に憑かれたように重く沈鬱なブルースを歌う男になってしまったのか、何故ミシシッピの、デルタよりも更に寂れたペントニアという地にあって、有名なデルタのブルースマン達と頻繁にセッションしていた訳でもなく、長旅に出てあちこちで名を売って有名になっていた訳でもない彼に、大手パラマウントがレコーディングの話を持ちかけたのか、何故ブルースマンになった彼が再び教会に戻ってきた時、家族は受け入れることが出来たのか、これらは全くの謎であります。

そんなスキップが”再発見”されたのが、丁度体調を崩して入院していた地元の病院でのこと。

白人リサーチャーの熱心な説得により、最初はブルースを再び歌うことに難色を示していたスキップは、手始めとしてニューポートでの大掛かりなフェスティバルに出演することを承諾。

サン・ハウスほどのインパクトもなく、ミシシッピ・ジョン・ハートほどの親しみ易さとも無縁の、ただひたすら内側と対話するかのような彼のブルースが熱狂と共にアツく受け入れられることはありませんでしたが、熱心にブルースを求める聴衆の中には必ず彼の歌と演奏の虜になる人間は必ず一定数いたし、ミュージシャンや仲間のブルースマン達は

「あれは凄い、俺達とは別の世界にいる」

と、敬意と恐れが入り交じった複雑な口調で、彼の事を語るのでした。

フォーク・ブルース・リヴァイバルの中でスキップは、多くのライヴを行い、録音もこなしました。

しかし、再発見された時は既に病魔に侵されていたのでしょう、3年ほど活動をして程なく体調を崩して入院。1969年に死去。

亡くなる少し前にクリームが彼の『l'm So Glad』をカヴァーし、その印税が病気の治療費に充てられていたそうであります。

その繊細なブルース表現とは裏腹に、スキップは雄弁な男だったそうです。特に話題が人種の事となると彼は差別に関する自分が受けた不条理にストレートな怒りをぶつけ、相手が白人であろうと意見を臆せず言って毅然としていたと云います。

が、ブルースの事はほとんど語らず、結局私達は彼がどうやってあの独特な、裏声を多用するヴォーカル・スタイルを身に付けたか、何故オープンDmという特種なチューニングでギターを弾くことを思い付いたのか、その動機の手掛かりすらも掴むことが出来ません。

スキップ・ジェイムス、彼は本当の意味でブルースの"闇"そのもののような存在だったのかも知れません。





”ブルース入門編 〜初心者のための優しいブルース講座〜”



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ラベル:ブルース 戦前
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2018年01月10日

バディ・ガイ ストーン・クレイジー

1.jpg
バディ・ガイ/ストーン・クレイジー
(Alligator/Pヴァイン)

バディ・ガイといえば、現在(注:2018年)81歳にしていまだバリバリの現役。

B.B.キング亡き後のブルース界では、今や長老として若手を引っ張る第一人者であります。

1960年代に故郷ルイジアナからシカゴへ移り住み、先輩であるマディ・ウォーターズや同年代の仲間であるマジック・サム、オーティス・ラッシュ、フレディ・キングらと技を競い、その感情に任せて暴力的にギターを泣かせるプレイスタイルと、血管も切れんばかりのヒステリックなシャウトでシカゴ・モダン・ブルース・シーンの一翼を担ってきました。

その頃のプレイに衝撃を受けたのがジミ・ヘンドリックス、エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジといったスーパー・ギタリスト達で、そのアグレッシブ極まりないギターはその後のブルースよりもロック・ギターに与えた影響の大きさで、感嘆や驚嘆の声と共に語られる事が多い、とにかくまぁレジェンドといえば今現在この人以上に相応しい人はいないでしょう。

が、この人ほど実は、実際の音楽と”レジェンド”という何だか遠く有り難いところに居るような飄々とした大御所のイメージとは程遠い人はいないんです。

どの年代のどのアルバムでも、この人のプレイといえば、心身の奥底にある衝動をコントロールすることなく、常に全力でドバー!と出すことのみに特化していて、何というか売れようがトシ食おうが、ドス持って捨て身で突っ込んでゆくチンピラの気概を、この人はいつまで経っても感じさせるんです。

試しにこれ↓


2017年のコンサートの動画なんですが、カジュアルなオシャレをしてギャリギャリの音でギターを弾きじゃくり「イャァァアアア!!」という裏声のシャウトをも厭わない。

しかも渾身のトチ切れたようなシャウトをして満面の笑顔(!)

これが80過ぎのご老人だよと言って、バディ・ガイ知らない人のうち何人が「そうだね、年相応に渋いよね」と思うでしょうか。えぇ、年齢なんてこの人にとってはタダの数字に過ぎんのです。

で、本人はこんな凶悪なプレイをするにも関わらず

「いや、オレはマジック・サムとかオーティス・ラッシュみたいにゃ上手くは弾けないんだよな」

と、照れながら語るほどのウルトラ・シャイ。

そのシャイぶりは実は筋金入りで、シカゴに出てきて出演させてもらえるところを必死で探していたのに、ドギマギしてしまってその事をいつも上手く切り出せないので、見かねた先輩のマディ・ウォーターズが

「コイツはいいギターを弾くんだぜ」

とあちこち連れて回り、仲間のオーティス・ラッシュに

「なぁバディ、おめぇいつまでもそんなんじゃあせっかくいい腕持ってんのにラチがあかねぇ。オレがレーベルを紹介するよ」

と、当時ラッシュが所属していたコブラ・レコードを紹介され、そこでようやくソロ・デビューにあり付けたという話はとても有名です。

そこを指摘すると

「あぁそうだよ、オレはシャイなんだ。何で”バディ”って名乗ったんだろうな、本当は”シャイ・ガイ”なのになぁ(笑)」

と、謙遜して言うでしょう(そう、シャイだけどとってもお茶目なんです)。

えぇ、そういう人なんです。これ以上の回りくどい説明は要らんでしょう。

今日はそんなバディ・ガイの持ち味である”キレの醍醐味”が最高に楽しめる狂気の名盤『ストーン・クレイジー』をご紹介いたしましょう。





【収録曲】
1.I Smell A Rat
2.Are You Losing Your Mind?
3.You've Been Gone Too Long
4.She's Out There Somewhere
5.Outskirts Of Town
6.When I Left Home

バディが”シカゴ・モダン・ブルースの若手注目株”として注目を浴びたのが1960年代。

この地の牙城であるチェス・レーベルに初のフル・アルバム(チェスから出したシングルを集めたLP)『アイ・ウォズ・ウォーキン・スルー・ジ・ウッズ』を1968年にリリース。

70年代は更に勢いに乗り、かつ生涯最高の相棒と言えるハープ吹きのジュニア・ウェルズとのコンビを本格的に始動し、シカゴ・モダン・ブルースのヤバいエキスを煮込んで煮込んでぶちまけたような凄まじいノリの作品を多数リリースしております。

このままバディは順調に活動して、ノリにノッて今に至るのかなと思うでしょうが、ここから長く苦しい不遇の時代が続きます。

バディはもちろんブルースマンとして、ライヴでは好調な活躍をしていたし、彼をリスペクトするロック・ミュージシャン達からは相変わらず兄貴兄貴と頼りにされてはおったんですが、80年代といえばとにかくテクノロジーを尽くした最先端な音楽がもてはやされていた時代。

いかにバディといえども、音楽シーンの華やかな表舞台には出ること叶わず、悶々とした日々を過ごしていたんです。

このアルバムが録音されたのは1979年。

丁度不遇の時代に入る直前に、シカゴで立ち上がった新興のインディーズ・レーベル”アリゲーター”によって録音されたアルバムなんですが、これがもう狂気、怒気、緊張感、フラストレーション、その他もろもろのものが限界まで詰め込まれたかのような、まるでこれから始まる不遇の時代を先取りしたバディが「どうにもならねぇこと」と必死で、いや捨て身で格闘しているかのような、壮絶な内容であります。

編成はバディと弟フィル・ガイのサイドギターにベース+ドラムスの最小限、収録曲はたったの6曲なのですが、1曲の長さと重さが半端なく、聴いていて息が詰まるほどの空気が最初から最後まで充満しております。

どれぐらい凄い内容かというと

「バディの最高傑作と言ったらコレだよな」

と言った人が、その直後に

「でも、気迫が凄すぎて正直最後まで聴くのがしんどいんだ」

と、驚嘆と落胆の声を同時に上げるほど。

この時バディは40を過ぎた辺りなんですが、先ほども言ったようにこの人にとっては年齢なんぞはタダの数字でしかありません。

楽曲を単なる素材と冷酷に割り切って、与えられた時間のほとんどをギター・ソロの即興で、渾身の念を込めて、そして普段は出さない「ウゥン、ウゥン、アァ〜ア」という唸り声も交えて、普段の”カミソリのような”と形容される鋭角なソロに尋常ならざる加重を乗っけたナタのようなチョーキングで、一曲辺りの長い空間を切り裂いてゆくバディ。

何度も何度も聴いて、アタシ自身も「楽しむぞ!」という意識が、この怨念の塊のようなパフォーマンスに弾き返されてるんですが、それでもこのアルバムは間違いなくこの人の狂気の側面が最高に詰まっているものであり、ここに音作りやプロデュースなどの、制作側の”大人の意見の反映”は一切ありません。

ブルースってもちろんカッコイイ音楽で、それこそその楽しさを知ると、もう毎日がウキウキになってしまうぐらいの音楽ではあるんですがどうでしょう、もっと深くブルースを好きになるために、たまにはこれぐらいヘヴィなものを聴いてみるのもいいと思います。



”バディ・ガイ”関連記事


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