2021年02月13日

ピーティ・ウィートストロー ザ・デヴィルズ・サン・イン・ロウ

51SFgNVViFL._AC_.jpg
ピーティ・ウィートストロー/ザ・デヴィルズ・サン・イン・ロウ
(Pヴァイン)


戦前に撮影されたブルースマン達の白黒、あるいはセピア色の写真を見るのが好きです。

ほとんどの写真は、当たり前ですが画質も粗く、顔の細かい部分が潰れてしまってぼんやりしていたり、またはあからさまに加工されているのがあったりして(ブラインド・レモン・ジェファソンのあの写真が、実は体の部分が絵だったというのとか、色々ありますネ)、確かにそれは古い時代の未発達な技術の産物だったりするんですが、そういった粗い画質やあからさまな加工が、確かにいた被写体の実像を、どこかこの世ではない異世界の存在と、見る人に感じさせる。そう思いながら戦前ブルースマン達の写真を眺めていると想像がどんどん拡がって実に飽きません。音質の悪さやノイズの多さで籠った声や、SP盤に録音する際に早めた回転数によって演奏スピードが上がり、ピッチが不自然に上がった音によって醸される違和にすらも、同様に”この世ならざるどこか”を感じる事があります。

十代の頃は、それこそ「知らない世界を知ろう」とばかりに、ロバート・ジョンソンの2枚組CD『コンプリート・レコーディングス』のブックレットを皮切りに、ブルースのガイドブックなんかを買っていくうちに、数々の印象的な白黒のポートレイトを目に焼き付けましたが、その中に一人、何かのガイドブックに載っていた、ダブルのスーツをパリッと着こなし、ブルースの象徴ともいえる金属製のリゾネーターギターをかまえ、何とも鋭い目付きとふてぶてしい笑みを浮かべた不穏な表情で写っている男の写真にアタシの目は釘付けになり「誰だこの人は?どんなブルースを歌うんだ?」と、ずっと思っておりました。

その男こそがピーティ・ウィートストロー。セントルイスを拠点に活躍したシティ・ブルースの人であり、ロバート・ジョンソンには作曲法や歌い方、そして歌詞でもって多大な影響を与えた、と。

そして、彼は自分を売り出すために『悪魔の養子』とか『地獄の保安官』と自ら名乗ったんだとか。そしてこの写真で見る彼のルックスが、アレですよ、ほれ、映画『クロスロード』に出てくる”悪魔”の風貌と何だかとてもよく似てると思ったんですね。

おぉ!つうことはこの人こそ正にロバート・ジョンソンが「クロスロードで悪魔と取引した」とかいう伝説の、なんつうか元ネタっぽい話の人なんではないか!と、頭の悪い高校生だったアタシは早速興奮し、ピーティ・ウィートストロー聴くべとCDを探し回ったんですが、1990年代の始まり頃ってのは戦前ブルースなんてものは田舎ではなかなか入手出来ず、2曲入ってるという情報を頼りに入手したのがオムニバス盤の『RCAブルースの古典』。




写真だけを見て想像していたのは、物凄いアクセントトを付けてバリバリにスライドとか弾きまくっているような感じでしたが、この人のメインの楽器はピアノ。そしてシティ・ブルースと言うだけあって、楽曲もデルタブルースとかのそれに比べると割と淡々とした、落ち着いたものでありました。

が、その重く暗いものを言葉や声の内に含ませながら、そこらへんに乱暴に吐き捨てるようなべらんめぇなヴォーカルの魅力(魔力と言うべきか)には想像以上のインパクトをズシンと感じてしまいました。

ピーティ・ウィートストローという人は、やはり戦前のブルースの人らしくその人生は謎に包まれております。生年は1902年とハッキリしておりますが、生まれはテネシー州という説と南部アーカンソーという説があり、また、1941年に39歳という年齢であっけなくこの世を去っており、例によって残された写真もリゾネーターギターを持った1枚しかないようであります(もう1枚、昔のレコードでココモ・アーノルドとのカップリング盤で使われているのがあったと思うのですが、それがピーティー・ウィートストローの写真かどうかちょっと分かりません。知ってる方いたら教えてください)。

色々と本を読んでも、ネットで検索しても、その実彼のパーソナリティなこと、特に「アイツはこういうヤツで、こんな事をやっていた」みたいな情報が極端に少ないんですね。けれども1930年から1941年までに何と161枚のレコードを出していたという事は、やはりちょっとしたスター並みの人気で、それこそ色んな逸話がガサゴソ出てきてもおかしくはないのですが、ほとんどありません。「自分の誕生日を祝う飲み会のその日、酒が足りなくなって友人らと車に乗って別の酒場目指して走っていたところ、停止していた貨物車に激突して即死」という死亡時のエピソードだけが不気味なリアリティで持って突出しているだけであります。

そのヴィジュアルや音楽的なインパクトと裏腹な、実在した人物としての存在の曖昧さが、これまた戦前ブルースの深い闇のようなものを感じさせるからたまんないんですね。実に魅力の尽きない人です。



ザ・デヴィルズ・サン・イン・ロウ

【収録曲】
1.Don't Feel Welcome Blues
2.Tennessee Peaches Blues
3.Ain't It A Pity And A Shame
4.Long Lonesome Drive
5.The Last Dime
6.Numbers Blues
7.Doin' The Best I Can
8.The Rising Sun Blues
9.Good Whiskey Blues
10.Slave Man Blues
11.King Spider Blues
12.King Of Spades
13.Johnnie Blues
14.No Good Woman (Fighting Blues)
15.When I Get My Bonus (Things Will Be Coming My Way)
16.Meat Cutter Blues
17.Remember And Forget Blues
18.Little House(I'm Gonna Chase These Peppers)
19.Peetie Wheatstraw Stomp
20.Working On The Project
21.Shack Bully Stomp
22.What More Can A Man Do?
23.Gangster's Blues
24.Bring Me Flowers While I'm Living


そんな謎めいた大物、ピーティー・ウィートストローのアルバムは、Documentから全7枚という驚異のボリュームで完全音源化されておりますが、とりあえずどんな音楽をする人だったかを知るにはPヴァインから出ている国内盤CDがオススメであります(これでも全24曲という凄いボリュームです)。

収録曲はほぼほぼキャリアの初期から後期に向かって順を追って聴けます。前半はピアノ弾き語りにギターのみを付けた、1920年代から30年代前半まで流行したシティ・ピアノ・ブルースのオーソドックスな形式で、べらんめぇながら奥底にじわっと滲む情緒や情念をヒリヒリと染み渡らせる、この人ならではの個性が全開。

伴奏もロニー・ジョンソンやビッグ・ビル・ブルーンジィなどの超一流どころを従えていたピーティー、そのギタリスト達のツボを押さえた見事なプレイも楽しめます。個人的にはヴォーカルと呼応するもう一人のヴォーカルのように絶妙な間と合いの手を入れるケイシー・ビル・ウォルデンのスライド(GH)にゾクゾクきました。

中盤からは30年代半ばから本格的に流行したブギ・ウギ・ピアノやストンプを取り入れ、よりダイナミックなピアノに拍車がかかり、更に後半亡くなる直前のセッションではグッと洗練されたジャズ的フィーリングが、これがもうたまんなくカッコイイんですね。ロニー・ジョンソンの軽妙なギターに乗せてゆったり歌う『What More Can A Man Do』、コルネットとドラムスを従えた『Gangster's Blues』で「おお!」となり、トドメはテナーサックス参加の『Bring Me Flowers While I'm Living』。南部生まれのゴツゴツしたブルース・フィーリングが洗練されたテナーの寄り添いによって時空に溶けて行くかのような不思議な感覚をも覚えさせてくれるこの感じ、CDが終わった後もしばらくほぅ〜っとなってしまいます。


ピーティ・ウィートストローは、その裏声混じりの「フ〜ウェ〜(ル)」という、その後ほとんどのシンガーが真似をした歌い出しのフレーズといい、僅か10年程の活動期間の間にスタイルを結構変えているのに、ワン・アンド・オンリーのヴォーカルの持ち味によって、表現の1本太い筋みたいなものが終生ブレなかった人でもあります。こういう人がいるから戦前ブルースはやめられません。


















”ブルース入門編 〜初心者のための優しいブルース講座〜”


『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 23:22| Comment(0) | ブルース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月31日

ライトニン・ホプキンス LIGHTNIN' HOPKINS(1959)


51SFgNVViFL._AC_.jpg

ライトニン・ホプキンス/LIGHTNI' HOPKINSN(1959)
(Sumithsonian Folkways/ライス・レコード)


”ブルースの権化””そこに立ってるだけでブルース”と言われ、今なおブルースを好きになる人にとっては最初に「うぉぉ、これはブルースだ!ブルース以外の何物でもない!くぅぅ!!」という歓喜の悲鳴を挙げさせるライトニン・ホプキンス。

まずはサングラスにくわえ煙草、その顔から所作から立ち姿まで、たとえばブルースを全く知らない人にとっても「思い描くブルースマン像とは?」という問いの答えがズバリあるようなその出で立ちとムンムンに放ちまくっているオーラ。そもそもが昔のブルースの人達ってのは、大体見た目とやっている音楽がリンクする人がとても多いのですが、そんな濃い連中がわらわらいる中でも、ライトニンの醸す雰囲気というのは、こりゃもう頭ひとつ抜けてブルースです。まずもってカタギにゃ見えません。

そんなライトニン・ホプキンス、家族どころか身内のほとんどが歌ったり楽器を弾いたりする環境に生まれ、10歳になった1922年のある日地元テキサスの大物ブラインド・レモン・ジェファソンと出会い、付き人として一緒に旅をしながら直接ギターを教わったり、やがて同じくテキサスを代表する大物であり、血縁としては従兄弟であったテキサス・アレクサンダーの伴奏をしながら、自分なりのブルースを身に着けて成長します。









テキサスのブルース界隈において、ブラインド・レモンとテキサス・アレクサンザーの両方と一緒に演奏するなんてのは、ハッキリ言って超エリートで、10代の頃から注目されて20代前半には地元ですっかり話題になってレコード会社が契約しに来てもおかしくないんですが、20代のライトニンは逮捕とか色々あって、彼が初めてのレコーディングを経験したのは1946年、30歳になってようやくの頃だったんです。

1946年といえば太平洋戦争が終わった翌年で、世の中も大分変っておりましたが、何よりもブルースという音楽の形式が、戦前のハードなものも牧歌的なものも何でもアリみたいな感じからずっとハッキリと定まってきて、アタシ達が今聴いてる感じの『ブルース』という音楽のあの感じのスタイルがすっかり出来上がっておりました。

ライトニン・ホプキンスという人は、さっきも言ったように「ブルース」というライフスタイルの権化でもあるんですが、戦後になって固まってきた「ブルース」という音楽のある種典型的なスタイルを演奏する人でもあるんです。音源を聴いているとどの曲もほとんど同じ形式のスローブルースか、アップテンポのブギ。たまに思い出したように戦前のカントリースタイルの曲をやったりもしますが、ライトニンの音楽の軸は一切ブレません。このブレのなさがまた、彼のカリスマ的な人気の根源でもあると思います。

ライトニンも、レモンやアレキサンダーと一緒にやっていた頃は、まだまだ南部では人気のあったカントリー調のスタイルでやっていたでしょう。もしもその頃にレコードデビューしていたら、もしかしたらスタイルを確立する前に全盛期を迎えてしまってその後が続いてなかったんじゃないかと思う部分が少しはありますので、やっぱりレコーディングを行う前の空白期間が戦前から戦後を跨ぐ事によって、ライトニンはブルースという音楽の進化を巧みに自己の表現の中に取り込み、十分な時間をかけて成熟させていった事がライトニン・ホプキンスという強烈な個性に繋がったんでしょう。えぇ。

さて、1946年にアラジンとゴールドスターという小さなレーベルでシングルをレコーディングするようになってから、ライトニンは50年代の中頃まで無節操に色んなレーベルから、当時”レース・レコード”と呼ばれるシングルを次々とリリースし、好調な活動を続けます。

ところが1950年代中頃からは、ブルースに代わってリズム・アンド・ブルースやロックンロールといった、洗練とキャッチーさと、何よりバックにフルバンドを付けられる資金力が必要とされる音楽が、若者達の間でトレンドとして一世を風靡するようになりました。ライトニンのスタイルというのは、ギター弾き語りプラスアルファ程度の編成のものが多かったし、何より築き上げたスタイルというものが「ブルース以外の何物でもない」ぐらいに強固に出来上がってしまっていたので、徐々にレコーディングが減り(リスナーに飽きられたというよりは、レコード会社の方が南部の泥臭いブルースにセールス面での危惧を感じてやらなくなっていったという方が正しいような気がします)、しばらくはミュージシャンとしての活動はほとんど止めて、本業(!?)の博打の方に専念していたといいます。





ライトニン・ホプキンス

【収録曲】
1.ペニテンシャリー・ブルース
2.バッド・ラック・アンド・トラブル
3.カム・ゴー・ホーム・ウィズ・ミー
4.トラブル・ステイ・ウェイ・フロム・マイ・ドア
5.僕の墓をきれいにして
6.ゴーイン・バック・トゥ・フロリダ
7.ブラインド・レモンの思い出
8.ファン・イット
9.テル・ミー・ベイビー
10.シーズ・マイン

そんなライトニンに転機が訪れたのが1959年のある日の事、ニューヨークやサンフランシスコといった都市では”アメリカの伝統的な音楽を見直そう”という動きが白人の若者の間で起こっており、その一環として戦前戦後に活躍していた伝説のブルースマン探しというのが流行りだしたんです。

熱心な若者達は古いレコードを頼りに、たとえば「サン・ハウスはミシシッピに居たからミシシッピに行けばまだいるかも」ぐらいの物凄くアバウトな手がかりから現地で細かい聞き込み調査を行って、何とたくさんのブルースマン達を”再発見”しておったんですが、ライトニンもサミュエル・チャーターズという青年による執念の調査で、何と質屋でギターを発見され(!)更に周辺で聞き込みをしていたところ、車に乗ったライトニンが現れて「おゥ、アンタ俺を探してるんだって?何の用だ」と、声をかけてきたらしいんですね。

で、カネになりそうな話だと察するや否や、何事もなかったように音楽復活。手始めにアメリカ各地に残る民俗音楽を収集しているちょいと学術的なレーベルであるスミソニアン・フォークウェイズでアルバム1枚分のレコーディングを行い、その後はとにかく大手だろうがマイナーだろうがカネになるなら看板はいらねぇとばかりに色んなレーベルで録音し、今日に残る膨大な量のアルバムをリリースしております。

今日ご紹介する『ライトニン・ホプキンス』というアルバムは、その”手始め”に行われた1959年スミソニアンフォークウェイズでの録音であります。

ちょいと詳しい方なら録音年を聴いて「おぉ、名盤モージョ・ハンドと近い録音じゃないか!」と気付くと思いますが、そうなんです。『モージョ・ハンド』もこのアルバムも、再発見直後の勢いとやる気に満ちたライトニンの好演を収録したもの。ところがギターにピックアップとか、バックにドラムとかを付けて、とことんダーティなインパクトが凄まじいモージョ・ハンドに比べ、コチラは生ギターによる完全弾き語り。空気感もジトッとしたヘヴィなものではなく、40年代のアラディンやゴールドスター音源を思わせる、カラッと乾いたものに仕上がっております。

とはいえのっけから刑務所生活を歌った重たいスローブルース、続く2曲目も人生の不運をやるせなく歌う、まるで彼のそれまでの人生の独白のような曲が続き、音の質感はカラッとしておりますが、全体のイメージはライトニンの演奏の中でもかなり辛口な部類に入ります。









(アナログ盤)





”ライトニン・ホプキンス”関連記事


”ブルース入門編 〜初心者のための優しいブルース講座〜”


『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 23:19| Comment(0) | ブルース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月21日

フランキー・リー・シムズ Walking With Frankie

R-2055654-1396723735-4118.jpeg.jpg
Frankie Lee Sims /Walking with Frankie
(JASMINE)

ブルースに限らず音楽へののめり込み方ってのは、まず誰もが知るそのジャンルの代表みたいなビッグネームな偉人やスタープレイヤーの凄い歌唱や演奏にまず衝撃を受け、そこから更に関係する周囲のミュージシャン、そのジャンルのちょっとは知れた人、いや知らんけど何かこの人凄くいいな〜って人と、順番にお気に入りになって行くという過程があると思うんですが、実は掘り進んでいくうちに見えてくる「いや知らんけど何か凄くいい人いっぱいいる!」って世界の魅力にハマるという体験がありまして、ほんで、実は「いや知らんけど何か凄いいい人いっぱいいる世界」というものが何というか自分にとってスペシャルな、本当にかけがえのないものとして迫ってくる。や、その「いや知らんけど世界」が自分だけに最高のスマイルで微笑みながら、おいでおいでをしているようだ、おお!という体験をしてしまうんですよ。

近頃ではこれを”沼”と言いますね。


はい、ここまで読んでくださった皆さん、まずは沼へようこそ。というわけで皆さんはブルースのミュージシャン達の中で「いやぁ、あんま話題にゃならんけど、オレはコイツが好きなんだよねぐっふっふ♪」と思ってついニヤニヤしながら聴いてしまう人っていますか?アタシはいます。

例えばテキサス・ブルースのフランキー・リー・シムズ(!)

う〜ん”隠れ名手”というのともちょっと違うし、”渋い味わいのアーティスト”ってのともちょっと違う、歌もギターも神懸って上手くて凄くて、圧倒的なカリスマや、ブルースの深い闇みたいなものを有無を言わさず感じさせるとか、そういう人じゃあない。豪華なホールやオシャレなクラブのステージよりも、街はずれの酒とツマミが安くて上手い呑み屋のカウンターの方が似合う、ほんでそこに来る若い客に、店の人じゃないのに「おゥ、この店ァこれが美味いんだよ」とか何とかフレンドリーに絡んでくるような、そんなおじちゃんの雰囲気が音楽性からもジャケットに写るポートレイトからも、何だかムンムン伝わってくる。はい、そんな人であります。

ペカペカとした雑な音(失礼!)でベンベケベケベンと繰り出されるシンプルなリフの上で、自由度高めにちょいと鼻をつまんだような声でべろ〜んと歌われるブルース。洗練とは真逆のベクトルを、それがどうしたとばかりの自然な速度でただ横へ横へとグダグダ流れてゆく、流れて行ってどうなるかと言えば、その辺の牛や馬がゴクゴク飲んだり、その辺の木とか草とかの栄養に勝手になって乾いた地面にダラダラと染み込み続けるような生産性何それなブルース。こぉれがいいんですよ。


フランキー・リー・シムズは1917年生まれと言われております(本人が頑なに「オレは1909年生まれだ!」と言い張っていて、最初はみんなあぁそうかと思っていたのですが、正式な出生届けの書類によって1917年生まれが発覚、おっちゃんそういうとこやで)。

丁度この1910年代生まれといえば、マディ・ウォーターズとかジョン・リー・フッカーとかライトニン・ホプキンスとか、少年時代に戦前のブルースに親しみ、戦後になってエレキギター持って独自のスタイルを築いていった人が多い。いわゆる”戦後第一世代”とでも言うべきか、とにかくブルースの歴史的には非常に重要な年代なんですね。ちなみにセロニアス・モンクとディジー・ガレスピーも1917年生まれであります。

古い時代のブルースマンといえば、大体が辛い農作業が嫌になって家出するとか、ちっちゃい頃から不良でデビュー前に何度か服役してるとか、そんなのばっかでありますが、実はフランキーの場合もやはり家出するんですが、この理由が何と「ウチぁ両親共ミュージシャンだったし、何つうかオレも稼げるミュージシャンにならなきゃって重圧があってサ、それが嫌だたんだよなぁ」と、ちょっと他の人とは違う理由。

で、何をしてたかどういう訳か、志願して海軍に入隊したり、ダラスに住んで学校の先生をやってるんです。

ところがフランキーはやはり骨身に染みた音楽稼業の血が騒いだのか(両親だけじゃなく、近い親戚にライトニン・ホプキンスやテキサス・アレクサンダーが居たという、テキサスでは有名な音楽一族でもあるのです)、教師をやりながら週末になると夜な夜な当時住んでいたテキサス州クロケットのジュークジョイントで歌っていたらしく、まぁそこでの稼ぎがそこそこ良かったからか「教師ってのはカネにならなくてよォ」という訳で定職にとっとと見切りを付け、音楽で食って行こうと決意したのでありました。


あちこちで演奏しているうちにテキサスのローカル・シーンではそこそこ名の知れる存在になり、1948年のブルー・ボネットを皮切りに、54年にスペシャリティ、57年にエイス/ヴィンと、レーベル渡り鳥の如くシングル盤を録音します。このうちメジャーなレーベルだったスペシャリティからのリリースが小さくヒットしますが、長くは続かず、60年代からは録音もピタッと止まりましたが、何とその時期にテキサスからシカゴへと移住し、ステージではマディ・ウォーターズらとも共演する事もあったようで、1970年に地元テキサスで病没するまで現場でしぶとく活動をしていたようであります。




Walking With Frankie


【収録曲】
1.Cross Country Blues
2.Home Again Blues
3.Don't Forget Me Baby
4.Single Man Blues
5.Lucy Mae Blues
6.Don't Take It Out On Me
7.I'm Long, Long Gone
8.Yeh, Baby!
9.Rhumba My Boogie
10.I'll Get Along Somehow
11.Misery Blues
12.What Will Lucy Do?
13.Hey Little Girl
14.Walking With Frankie
15.My Talk Didn't Do Any Good
16.I Warned You Baby
17.She Like To Boogie Real Low
18.Well Goodbye Baby
19.Married Woman
20.Wine And Gin Bounce
21.Boogie Cross The Country
22.Jelly Roll Baker
23.I'm So Glad
24.Ragged And Dirty
25.No Good Woman
26.Walking Boogie
27.Cryin' Won't Help You
28.Hawk Shuffle
29.How Long



活動期間はそこそこ長かったものの、録音は少なく、遂にアルバムリリースまでは漕ぎつけなかったフランキーは、ある意味不運なミュージシャンと言えるのかも知れませんが、その南部の粗削りなタフネスそのものを遠慮なく豪快に歌っては弾くスタイルは、他の誰にもない濃厚な個性でありますし、1940年代から50年代という、ブルースがモダンなものに進化してゆく過程の時代の底力であったダウンホームなスタイルの、実に美味しいダシが出続ける、正にブルースをこよなく愛する人による、ブルースをこよなく愛するための音楽そのものの魅力に溢れております。

かつては最も録音が多かったスペシャリティやエイス/ヴィンの録音を中心に、大体15曲〜20曲ぐらいをピックアップした編集盤が、国内外の色んなレーベルからちょろちょろと出ておりましたが、全時代の音源をまんべんなく29曲収めたこのアルバムは、今のところ彼の決定盤とい
えるものでありましょう。

まずは冒頭4曲、1940年代のブルー・ボネット録音ですが、コチラはバックにベース、ドラムを付けた小編成バンド演奏。冒頭の『Cross Country Blues』からちょいとガラついた声を張り上げたヴォーカルと、ホコリっぽいサウンドがくすぐります。

全編を通して変に構えた所や妙な小細工を使わない、非常に誠実な柄の悪さみたいなものがこの人のブルースの特徴でありますが、40年代の割とコンパクトにまとまった演奏からもその声とギターは定型をはみ出さんばかりの自由さがあります。

で、中盤からはよりエレキのトンガッたサウンドが強調され、いい感じのテキサス・ダウンホーム・ブルースの真骨頂。ライトニン・ホプキンスをもっと荒く大雑把に削り倒したような歌と、ガツガツしたギターが炸裂する(ソロもシンプルだけど実に味わい深い)スローブルースの『Don't take it out on me』とかもう好きのツボに入り過ぎてたまらんですねぇ。

ルンバのリズムで軽快にガチャガチャやっている『Rumba My Boogie』なんかも面白くて、この辺は多数の個性的なアーティストを多く抱えていたスペシャリティならではの多彩さが、フランキーの音楽性にも良い影響を与えたんじゃないかと思っとります。

で、野放図でワイルドな味わいが、ちょいと派手になったバンドサウンドを得て遠慮なく花開くのが、50年代後半のエイス/ヴィン音源。バタスタ言うドラムにディープサウス丸出しのハープが盛り上げる『Boogie Cross The Country』では、ギターも単にジャカジャカやるだけでなく、武骨ながら実に良いグルーヴで繋げられるギターソロもフランキーが張り切って疲労しておりますし、ほとんどロッカビリーなイケイケの『Married Woman』ミディアム・テンポでドロドロの恨み節をカラッと歌い飛ばす『No Good Woman』の深い味わいもオツなもんです。











ブルース入門編 〜初心者のための優しいブルース講座〜



『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 22:17| Comment(0) | ブルース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月18日

ジョージ・スミス ウーピン・ドゥーピン・ブルース・ハープ

51SFgNVViFL._A.jpg
ジョージ・スミス/ウーピン・ドゥーピン・ブルース・ハープ


ブルース好きなら誰もが知るマディ・ウォーターズは、南部直送の泥臭いミシシッピ・ブルースをエレキギターを加え、ピアノとベースとドラムを常駐させたバンドでもって一気にモダン化させ、それまでひたすら洗練に向かっていた都市部の”ブルース”という概念を一変させた人でありますが、彼の功績はそればかりではなく、メンバーに次々とフレッシュな感性を持った若手を登用し、彼らの感性を割と素直にバンドサウンドに反映させた名伯楽でもありました。

特にハープ(ブルースハープ)奏者に関しては、ビッグ・ウォルター・ホートン、リトル・ウォルター、ジュニア・ウェルズ。ジェイムス。コットンなど、この楽器を代表する程の存在となり、ソロ・デビュー後もブルース史にその名を深く、そして太く刻むスター・プレイヤーを輩出しておりますし、マディにとっては先輩格だったあのサニーボーイ・ウィリアムスン(U)もちょこっと在籍してたりします。

この楽器がバンドで果たすのは、ブルース含むブラック・ミュージック全般で最も大切な「コール・アンド・レスポンス」の”レスポンス”の役割な訳です。つまりマディが歌詞のワン・フレーズをその野太く味わい深い声で歌えば、そのフレーズに応える”もう一人のヴォーカリストの合いの手”のようなハープが歌う。こぉ〜れがもうたまらんのですよね。で、アタシなんかは「シカゴ・ブルース」と聞けばこのヴォーカルとハープのコール・アンド・レスポンスがすぐに頭に浮かぶぐらい、このジャンルを象徴するサウンドな訳なんですよ。

で、はい。ここまでアタシが書いて

「お前何か忘れとりゃーせんか?」

と思ったアナタ、そう、そこのアナタです。アナタは実に正しいブルースファンであります。


そう、さっき挙げたマディ・バンドの歴代ハープ奏者の中に、一人の男、いや”漢”の名前が挙がっていなかった。

その”漢”の名はジョージ・スミス。表記によってリトル・ジョージ・スミス、あるいはジョージ”ハーモニカ”スミスとも。

えぇ、何故アタシがこの人の名前をわざと挙げなかったのかというと、この記事で大いに語りたかったというのはもちろんありますが、マディ・バンドに所属したのがたったの1年足らずで、それ故ブルースファンにも「マディのバンドに居た」という事実がどうにもちゃんと浸透していない。という事情からであります。

そして、これは後で語りますが、この人のハーモニカプレイというのは、他の歴代ハーピスト達と比べ、決定的な違いがあるんです。

ジョージ・スミス、1924年ミシシッピにほど近い、南部アーカンソー州ヘレナ生まれ。生まれてすぐに親の仕事の都合でシカゴのあるイリノイ州に引っ越します。ここで既に仲間と出会い、週末はギグでハープを吹いていたといいます。ところが程なく南部に舞い戻り、今度はミシシッピ州ジャクソンでゴスペル・グループに参加して、そこで歌うようになります。

ジョージが再びイリノイ州へと移り住んだのは1951年、今度はハッキリと「音楽で生計を立てる」という目標を持ってシカゴに住まいを定めます。

シカゴではオーティス・ラッシュや、後に”ジ・エイシズ”として黄金のシカゴ・ブルース・サウンドをスタジオ・ミュージシャンとして支えたデイヴ・マイヤーズとルイス・マイヤーズのマイヤーズ兄弟達とギグを重ね、そのプレイはシカゴの帝王マディ・ウォーターズの目に止まり、1954年に正式なメンバーとして加入を乞われて参加することになるのです。

この頃のマディ・バンドはリトル・ウォルターが脱退した直後にリトル・ウォルターの弟分のヘンリー・ストロングというハーピストがライヴで吹いていたと言いますが、この人が正規メンバーだったのか、或いはピンチヒッターだったのかよくわかりません(ちなみにこの人は女性関係のトラブルで、ハサミで刺し殺されております)が、とにかく資料には「ヘンリー・ストロングの代わりにマディのバンドに参加した」と書かれているものと「リトル・ウォルターの後釜としてジョージ・スミスがマディのバンドに入った」と書かれているものとがあり、なかなかに複雑な事情があった事が想像出来ます。

で、更に複雑なのがレコーディング事情。

マディのバンドを抜けたとはいえ、リトル・ウォルターはチェス・レーベルの契約アーティストであり、かつ50年代半ばにはR&Bチャートでたくさんのヒットを飛ばし、正直マディより売れっ子だったんですね。だからマディを売るためにレコーディングには名の売れたリトル・ウォルターがそのまま参加し続ける事になり、ジョージ・スミスの出番はスタジオではなかったんです。

当然マディ・ウォーターズ・バンドのメンバーとしての参加作はリリースされておらず、マディのバンドに参加して1年も経っていないある日、ジョージはツアーで訪れたカンサス・シティのクラブでオーナーに「どうだい、ウチでやらないか?」とスカウトされ、迷う事無くツアー終了後にすっぱり荷物をまとめて今度はシカゴを離れてカンサスに移住する事になるんですね。

その理由が

「シカゴ・スタイルに収まるつもりはなかったから」

う〜ん、男らしい。

ここだけ読めば彼自身は相当な野心家で、しかも自信家であったからだろうなと思うでしょうし、実際彼は歌もハーモニカも素晴らしくかつ一言では語れない幅の広さを持っておりますが、親分のマディにはしっかりと筋道を通して円満にバンドを脱退しており、その証拠に60年代70年代に再びマディと和やかに共演もしておりますし、先輩格であるリトル・ウォルターのトリビュート・アルバム作成のために奔走したりもしています。

うん、実に男らしい。







ウーピン・ドゥーピン・ブルース・ハープ


【収録曲】
1.Telephone Blues
2.Have Myself A Ball
3.I Found My Baby
4.Ooopin Doopin Doopin
5.Blues Stay Away
6.Rockin
7.Blues In The Dark
8.Hey Mr. Porter
9.Love Life
10.Cross Eyed Suzie Lee
11.California Blues
12.Early One Monday Morning (take 2)
13.Blues Stay Away
14.You Don't Love Me
15.I Found My Baby (alt.take)
16.Het Mr. Porter(alt.take)
17.Rockin' (alt.take)
18.Early One Monday Morning (take 1)
19.Oopin Doopin Doopin (alt.take)
20.California Blues (alt.take)
21.Cross Eyed Suzie Lee 8alt.take)


さて、カンサスにやってきたジョージを待っていたのは、西海岸を根城に活躍するレーベル、モダン/RPMのオーナーであるバイハリ兄弟でありました。

ジョージの根底に泥臭いものを持ちつつも、エンターティメントとしての成熟した音楽性を買ったバイハリ兄弟は、早速2枚のシングルをレコーディング。

その1枚目が本アルバム『ウーピン・ドゥーピン・ブルース・ハープ』の1曲目であります『Telephone Blues』なんですが、まー確かにこれは

「シカゴのスタイルには収まらない」

と豪語した彼の面目躍如たる、素晴らしくアーバンな洗練がみなぎるサウンドであります。

そのまんまホーン・セクションが入ってもおかしくない程のジャジーな西海岸サウンドにピッタリとマッチした、10穴のスタンダードなブルースハープよりも更に複雑なクロマチック・ハープ(穴の数が多い)による、強烈なビブラートを効かせた繊細なニュアンスの吹きこなし、そして力強さだけじゃない味わいが深く長く伸びる歌の魅力にも格別なものがあります。

そう、最初にこの人がマディ・バンドの歴代ハーピスト達とそのハーモニカのプレイ・スタイルにおいて決定的な違いがあると書いたのは、サウンドのニュアンスを、トーンそのものを微妙に切り替えながら細かく変えてゆくその柔軟さ。

もちろんリトル・ウォルターもジェイムス・コットンも、ジュニア・ウェルズも、ニュアンスの表現に関しては一流のものがありましたし、聴いてすぐに「あ、これはこの人」とすぐに分かる確固たる個性がありましたが、その表現のベクトルはどれも強く”ある一点”を貫くものでありましたが、ジョージ・スミスという人のハーモニカ・プレイに関しては、何というかあらかじめ掲げている”的”がいっぱいあって、やり方を変えながらその全部に確実に当てに行く、そんな根本的な違いがあるように思えます。

故にこの初期アルバムでも、湿度高めのスローブルースからスカッとしたアップテンポの曲、或いはゴージャスなホーン・セクションがアレンジに加わった曲すらも、ありとあらゆるテクニックで華麗に吹き分け、かつズバ抜けたセンスで歌いこなす、その変幻自在な演奏が楽しめます。


西海岸に移住してからのジョージは、あらゆる場所で精力的にライヴを行い、時にお客さんが10人以下の場合でも全力でパフォーマンスを繰り広げ、シーンを盛り上げると共に後輩ブルースマン達を人種に囚われず熱心に指導して、多くのファンやミュージシャン達から尊敬を集めておりました。

長いキャリアの中でもたくさんのアルバムをリリースし、マディ・バンドでは最も無名だったかも知れませんが、ブルース全体に与えた良い影響は限りなくデカい人であったと言えるでしょう。














ブルース入門編 〜初心者のための優しいブルース講座〜



『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 22:45| Comment(0) | ブルース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月09日

ジョン・リー・フッカー Don't Turn Me From Your Door

51SFgNVViFL._A.jpg

Jhon Lee Hooker/Don't Turn Me From Your Door
(ATCO)


うむむ、むむむ・・・と体調がよろしくありません。

毎年夏はあちこち弱るから、まぁいいかと思っておりましたが、この10日程頭痛が酷くてパソコンに向かうと吐き気までしてくるという状況だったので、しばらくブログお休みしておりました。せっかくの大コルトレーン祭だし、8月になってコルトレーン以外のアルバムの紹介もガンガンやるぞー!と思っていた矢先にとんだ夏バテのカウンターパンチ。うむむ、うむむ・・・。

そんな夏であります。夏で思い出したのですが、アタシはそういえば「クソ暑い夏は暑苦しいブルースを聴こう協会」(今作った)の会長(今就任した)をやっておる人間ですので、頭痛なんかに負けずに今日は気合いを入れて暑苦しいブルースを紹介して行こうと思います。

はい、ジョン・リー・フッカーです。

ジョン・リーのあの南部ミシシッピの重苦しい暑さ(経験したことないけどきっとそうだろう)がそのまんまヘヴィな妖気となって地底から響いてくるような声と、同じぐらいヘヴィな情念が粘りに粘るあのギターを聴くと、もうその重苦しさが夏の暑気を追っ払い、別の世界の心地良い暑苦しさを心の中に満たしてくれる。

中学の頃に『アトランティック・ブルース・ギター』というオムニバスを買って初めてブルースという音楽に目覚め、その中に収録されていたエレキギター弾き語りのスローブルース『My Baby Don't Love Me』という曲に「うぉぉ、何か凄い!」とのけぞって、そのちょい後に映画ブルースブラザーズで、セリフも何もない、ただ路上でバンド従えて歌ってギター弾くだけの役で一瞬現れてズームアウトしていったジョン・リーを観て「あのめちゃくちゃカッコイイおっさん誰だ!?」とはなったものの、いざ『ザ・グレイト・ジョン・リー・フッカー』というCDを買って聴いてみたものの、ほとんどの曲がエレキギターの弾き語り、しかも曲のパターンが徹底してスローブルースかブギの2パターン”だけ”(!)という余りのディープさにビビってしまい「お、俺にはまだ早かったかもな・・・」と、そっと棚の隅にしまっておいた10代の頃でしたが、19歳のある日、突然真夏の暑さにやや熱中症っぽい脱水のヘロヘロで自宅アパートに帰ってきて、余りの渇きにあんまり美味しくない水道の水をガブ飲みし、床に仰向けになりながら無意識に選んだCDがたまたまそのジョン・リーのアルバムでした。



暑さと脱水でボーーーッとなった頭で「おいおい、こんな状況でこんな重たいの聴く俺はアホか?」とか何とかボーーーーッと考えておりましたが、かといって聴くCDを選びなおす元気もなく、そのまんま仰向けになって床に沈み込むような意識になりながら聴いてたんですね。

そしたら何だコレは!悪魔のような声とギターが体にジワジワジワジワ異様に染みて、文字通りビリビリと電流が体中を走るような感覚に陥り、暑さと脱水の不快感は体からまだ抜けないでいるものの、全く別の違う何か心地良く刺激的なものがそれらを上書きしている。凄い、これがブルース、ホンモノのブルースと、完全に虜になってしまった体験がアタシにはあります。

コレはその時体がいわば極限に近い状態だったから、そういうちょっとした事でも凄いと思えたのかと思って、割と普通の状態の時にジョン・リー・フッカー聴いたら、もう完全に体も心もジョン・リーを「ヤバイぐらいにカッコイイもの」として認識してたんですね。それ以降聴いたどのジョン・リーもやっぱり凄い。でも、とりわけエレキギター弾き語りの作品の、情念が剥き身で迫ってくる深い迫力に叶う盤はそうそうないと思っております。はい。


で、アタシは生まれて初めて聴いたジョン・リーのあの『My Baby Don't Love Me』が入ってるアルバムをずっと探しました。

東京のタワーとかHMVとかそういう大きなCDショップも、駅前にある個人商店みたいなお店もくまなく見て探しましたが、どうもこの曲が収録されているアルバムが見当たらない。『アトランティック・ブルース・ギター』というアルバムに入っていたから、きっとアトランティックかその系列のATCOからリリースしたアルバムだろうからと、数少ないCDやレコードのガイドブックも購入して隅から隅まで見たんですが「ジョン・リー・フッカーのアトランティック(もしくはATCO)」に関する記述はついぞ見つからず。

結局東京にいるうちは探してた『My Baby Don't Love Me』入りのアルバムとは出会えなかったんです。





Don't Turn Me from Your Door


【収録曲】
1. Stuttering Blues
2. Wobbling Baby
3. You Lost a Good Man
4. Love My Baby
5. Misbelieving Baby
6. Drifting Blues
7. Don't Turn Me from Your Door
8. My Baby Don't Love Me
9. I Ain't Got Nobody
10. Real Real Gone
11. Guitar Lovin' Man
12. Talk About Your Baby


結局ジョン・リー・フッカー唯一のATCO盤『Don't Turn Me From Your Door』に巡り合えたのは、アタシが30過ぎてからの事でした。

輸入盤CDのリストをパラパラっと見ていたら、このアルバムの案内にちっちゃい文字で「Waner Brothers」と書いてあったので「おお!ワーナーという事はアトランティックだな!よっしゃ!」と、曲名も見ずにイチかバチかで注文したのですがコレが大当たり。

とにかくジョン・リーという人は、初期の頃色んなレーベルを節操なく、時にはバレないように偽名を使って渡り歩く人だったので、同じ時期の録音でも色んな所に作品が散らばって存在するというコレクター泣かせの人で、このアルバムの録音はATCOなんですが、これもまずデビュー直後の1953年にゲリラ的に録音した音源をATCOが拾って、ついでにその時(1961年)に新たにレコーディングした曲をくっつけてようやくアルバム化したという複雑なプロセスを経て世に出たものです。

その事情の複雑さと、膨大な他レーベル(ModernとかVee Jayとか)の音源に紛れて存在感が薄くなったのか、とにかく余り話題にならなかったアルバムではあるのですが、内容は「何で話題にならんの?」と言いたくなるぐらいディープでゾクゾクする生絞りなブルースがギュッと詰まったものなんで、気になる方はぜひお聴きなさい。

録音は@ACGIJが1953年、BDEEHKが1961年です。2つの音源の間には8年のタイムラグがありますが、どれもほぼ必殺のエレキギター弾き語り、曲によってエディ・カークランドかアール・フッカーのサイドギターに、正体不明のベーシストのベースが入りますが、どのサポートも弾き語りの不穏な”間”に満ちた雰囲気を壊さないように寄り添う程度。『Guitar Lovin' Man』でいきなりエディ・カークランドがカラッとした声で歌い出すのでびっくりしますが、ハプニングらしい展開はそれぐらいですので、独特のディープさにはほぼ影響ないと考えてOKです。

で、楽曲は長年探し求めていた『My Baby Don't Love Me』をはじめ、ほとんどの曲がドス黒いスローブルース。そう、ジョン・リーのもうひとつの看板ともいえるいわゆる”ブギ曲”がないので、ただでさえ重くもたれかかる情念に覆われているようなアルバムの雰囲気が、更に出口の見えない漆黒の闇に覆われているようで、また、ジョン・リーのギターも良い感じに歪んでるしチョーキングはギトギトに粘ってるし、こりゃもうジョン・リーのダーク・ブルースが好きな人、或いはブルースそのものの身も蓋もないハードな質感が好きな人は愛聴盤になるに決まっております。










(アナログ盤)


”ジョン・リー・フッカー”関連記事



ブルース入門編 〜初心者のための優しいブルース講座〜


『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 00:14| Comment(0) | ブルース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする