ディープなコラム こちらにも書いてます♪

2017年12月10日

チャーリー・パットン(黒人ブルース)とアメリカ先住民の文化の話




郷愁は未知の荒野に吹きすさぶブルースそして乾きたる草


先週遠方から短歌のお友達がきまして歌会をしました。

『ここではないどこか』

という題で歌を詠み合った時、やはりブルースの、荒涼とした原風景のようなイメージが頭に出てきましたので、それを言葉にしたという次第です。

きっかけは、ある方の「ブルースの誕生には、私達が思ってるよりもっと深く、アメリカ先住民の文化が関わっていたのではないか?」というある方の考察です。

先日ハワイアン・スティール・ギターの巨匠、ソル・ホオピイの記事を書きました。





ソル・ホオピイのギターは、アメリカのブルースやカントリーに大きく影響を受けているし、実は影響をもたらしてもいる。

という記事内容に、ブルース好きの方々が好意的に反応してくださって「では、ハワイ音楽がブルースに与えた影響とは?」という話で盛り上がり、ある方が「1898年ミシシッピで万博が開催されて、そこにハワイのフラダンサー達が参加してる」という決定的な情報を提供して下さいました。

おお、ミシシッピといえば1900年代初頭にW.C.ハンディがブルースを採譜するために訪れて「ギターのネックにネイフを滑らせて弾いているのを目撃した」と、スライドギターが世界で初めて文献に登場するその文章を書いた場所ではないですか。

ということはということは、1898年の万博でのフラの実演を見たミシシッピの黒人演奏家が

「お、何だこれ面白いな。フラって言うハワイの音楽かぁ。ギターのヤツは何やってんだ?・・・ほうほう、ああやってギターを膝に置いてバーを滑らせるとああいう不思議な音がするんだな。オレもやってみるべか・・・」

と思い付いて、これがやがてブルースのナイフスライドやボトルネックの原型となり広まっていった・・・。

という仮説を立てても、あながち”むりやり”ではないことになります。

いずれもレコードが普及する前の話であり、また、ブルースやハワイアンの成り立ちについて細かく記載されてある文献というものは存在しないので、想像するしかありませんが、とにかくブルースという音楽は、アフリカから連れて来られた奴隷達とその子孫達が、自分達の民族的なルーツであるアフリカ音楽の残り香”だけ”で生み出したものではなく、アメリカで生活していく中で、関わりのあったあらゆる音楽からの影響を積極的に取り入れて作り上げていった、そんな壮大なスケールの音楽であると、何だかワクワクしながら感動を新たにしました。

そして、更にその方が

「ブルースの誕生には、失われたインディアン文化が深く関わっていると思います」

という、究極の考察の種を与えてくださいました。


これ、実はアタシにとっては目からウロコの一言だったんです。

皆さんもご存知のようにインディアン、つまりアメリカ先住民の文化というのは、実はとことん排斥された挙げ句に失われております。

で、アメリカのインディアン政策というのは、非常に悪質な絶滅政策なんですね。

部族というものの団結力が非常に強い彼らを厄介に思った白人入植者達は、その団結力を削ぐためにあらゆることを行いました。

部族同士を対立させ、白人側に協力して敵対部族を殲滅した部族も、先祖伝来の土地から切り離されて不毛の居留地に押し込められたり、とにかくありとあらゆる手段で追い詰められる政策の犠牲になっております。

黒人との関わりは、そうやって出来た居留地に逃亡してきた奴隷との関わりから始まります。

居留地に受け入れられた黒人達は、そこで配偶者を見付け、必然的に混血児が生まれます。

※ただ、居留地に逃げ込んだ黒人達の全てが暖かく迎え入れられた訳ではなく、やはり差別の対象であったり白人化した集団からは奴隷として扱われたりもしております。ここのとこの関係は本当に複雑なんです。


で、古い世代のブルースマン達には、実はこういったインディアンとの混血が多く、有名人だけでもマディ・ウォーターズ、ローウェル・フルスン、タンパ・レッド、チャック・ベリーなど、ザッと挙げるだけでもこれだけ出てきます(確かジミ・ヘンドリックスやマイケル・ジャクソンもそうでしたね)。

極めつけは写真のチャーリー・パットン。

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「デルタブルースの創始者」と呼ばれていて、形式としてのブルースの生みの親の一人であるとも云われておりますが、彼は顔を見ても分かるように、ネイティヴ・アメリカンの血を一際多く受け継ぐ混血です。

一説によると彼は幼い頃に祖母が暮らす居留地で育ったとあります。

パットンのプリミティヴなデルタ・ブルースを改めてじっくり聴いてみると、そのザラ付いた声と、独特の激しく打ち鳴らされる裏打ちの縦ノリに近いビートが鮮烈に醸す荒涼たる風景は、どこか他のブルースマン達が見せてくれる世界観と異質な感じにも思えます。

明らかにプランテーションや飯場、農村の黒人コミュニティだけではない、もっと淋しく閑散とした風景が、パットンの歌う”ブルース”の中に、チラッ、チラッ、と姿を現すんですね。

これ、何だろうとずっと思っておりましたが、あぁそうか、これは居留地の風景で、彼の音楽的な部分の根幹には、腰を横に揺らすアフリカ系グルーヴと、足を踏み鳴らして縦にジャンプするネイティヴ・アメリカンのグルーヴが複雑に入り組んでいるんだなと。

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教えてくださった方が指摘してくださったように、ネイティヴ・アメリカンの音楽文化は、部族文化や部族そのものの消失と共に、永遠に失われております。

なのでブルースと失われたアメリカ文化との関わり(恐らくそれはアタシ達が思っているよりずっと深く強固に結び付いているであろうにも関わらず)を、ズバリこれだ!と断言することはもう永久に出来ないでしょう。

けれども昔の音楽を聴くことで、ミュージシャン達が好むと好まざるとに依らず背負った”業”の正体のようなものに、感性で迫ることは今後とも可能だと思います。

アタシは音楽が好きです。

何故音楽を聴いているのかといえば、それはもちろん聴いて感動する、興奮する、カッコいいミュージシャンに憧れる。そういうのも理由ではありますが、そこをもっと深く問い詰めると"知らないけれど知っている風景"が浮かんできます。

正体不明の郷愁に、何故だか胸が締め付けられる時がよくあるんです。

これも多分答えは出ない永遠の問いであるとは思いますが、きっと人間の奥底にある、共通の原風景ですよね。

チャーリー・パットンのザラついた声の奥底に流れる荒涼は、とても胸にきますね。









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『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2017年12月05日

マジック・サム ライヴ!

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マジック・サム/ライヴ!
(Delmark/Pヴァイン)

さあさあ、マジック・サムのアルバムは、まだまだ名盤つづきますよー!

という訳で、ブルースファン、いや、これはもう『エレキギターが炸裂する全ての音楽が好きな人にとって
、出会ってしまったら一生を捧げて聴きまくりたいぐらいになるアルバム』であると断言しちゃいます。マジック・サムの『ライヴ!』と銘打たれた2枚組のこのアルバム。

これはもう何と言いましょう。個人的な体験から申し上げるのを許して頂きますと、それまで戦前ブルースが大好きで、B.B.キング以降のモダン・ブルースに関しては「いいんだけど何だかワンパターンな曲が多いなぁ」ぐらいにしか思えてなかったアタシはコレを聴いて「い、い、いや、すげぇ、やべぇ、すいませんでした!」と、自らの不明を恥じ、CDで買って余りにも素晴らしかったものだから、思わずレコード屋さんで見かけたアナログ盤も購入してそのまま友人にプレゼントしたという、そういうことをやりました。

とにかくスタイルとか年代とか、曲とか音とか、そんなことよりも音楽そのもののパワー、いや、もっと言えばこの音盤の中に収録されているライヴと、それを演奏しているマジック・サムという人と、ライヴを目一杯楽しんでいるオーディエンスが、それぞれ「音楽ってサイコーだー!!!!」と感じ入ってるパワーに圧倒される。そう、理屈を超えてひたすら聴く人を圧倒し、その素晴らしい空気の中に力強く引き込んでくれるんですね。

1枚目がサムがよく出演してたシカゴの小さなクラブでのライヴ、そして2枚目が3万人の聴衆を前にしての大規模フェスでのライヴ。どっちの録音も、ポーダブルデッキでのマイク一発録りで当然音はクリアではない。しかし、この割れてくぐもったサウンドからリアルに伝わってくる熱気、音楽をやらずにはおれない男の凄まじい気迫の何と凄いことか。あぁ・・・(!)

はい、マジック・サムに関しては、その名を目にしただけで胸に何かアツいものが込み上げてくると、これまでもあちこちで書いておりますが、その”アツいもの”とは、すなわちこのライヴ盤に刻まれた空気そのものかも知れない。そう思っておりますし、これからも多分この考えは変わることはないでしょう。

言っておきますが、マジック・サムが生前に残した2枚のアルバム(『ウエスト・サイド・ソウル』と『ブラック・マジック』)はいずれも名盤です。いずれもサムの快調な歌いっぷり弾きっぷりと共に、1960年代後半のシカゴ・ブルースの粋とイナセを、感動しながらお腹いっぱい楽しめます。

で、このアルバムは、出来れば生前に残した2枚のスタジオ・アルバムを堪能してから、そのテンションが更に粗くリアリティに溢れた音質でドカーンと飛んでくるこのアルバムを聴いて頂きたいことなんですが、ちょっと待って、今聴きながら書いてますけど、えぇ、そういうのとりあえずどうでもいいです。最初にコレを聴いてズガーンとヤラレた人は、その時点で恐らくブルースという音楽に魅入られてしまった人ですので、えぇと、何を言いたかったか忘れてしまいましたが、聴いてください。



(Disc-1)
1.Every Night About This Time
2.I Don't Believe You'd Let Me Down
3.Mole's Blues
4.I Just Got To Know
5.Tore Down
6.You Were Wrong
7.Backstroke
8.Come On In This House
9.Looking Good
10.Riding High

(Disc-2)
1.San-Ho-Zay
2.I Need You So Bad
3.You Don't Love Me
4.Strange Things Happening
5.I Feel So Good (I Wanna Boogie)
6.All Your Love
7.Sweet Home Chicago
8.I Got Papers On You, Baby
9.Looking Good
10.Looking Good (encore)


まずは1963年と64年に収録された、シカゴのクラブ「アレックス」での演奏からいきましょう!

もう曲が始まる前から、テンションの高いアナウンスと客のヤジ。クラブの薄暗い中での熱気がムンムンとこもってるこのザワついた雰囲気、そしてサムも異常なテンションで、何度も「イェー!イェー!!」と煽りまくる。くあぁ、たまらんねぇこれ・・・と思ってたら、いきなりおっぱじまります気合いのスローブルース(!)

そしてもうのっけからアルバム全部のクライマックスが、この1曲目で来ちゃってるんですが、歌い出し

「エェェェビバデナイバウディスタァァァーーーーム!!」

のサムの声とユニゾンでハモッてるのは、何と一緒に歌ってる観客の女性。

いやいや、ブルースのライヴ盤では、確かに客が歌うのもあるし、テンションがヤバいことになった聴衆の熱狂とか掛け声とか、そういうのが凄いのたくさんありますが、この歌い出しの「知らないネーチャンとの合唱」これに勝る感動的なオープニングはそうはないだろうと思います。

で、誰だって女の子が一緒に歌ってくれれば気合いが入って機嫌も良くなるってもんです。サムは終始曲間に「イェエエイ!!」と奇声を上げ、歌もギターもヤバすぎるテンションですこぶる盛り上がります。

ブルースといえば、ギターソロで、サムもところどころ「フレディ・キングとのバトルで勝利した伝説」を裏付けるかっこいいソロを聴かせてくれますが、この盤でのサムのギターの凄さは、ソロよりもむしろギャリギャリに歪んだ音でのブギ系曲のリフ・バッキング。そうなんですよ、サムの魅力は歌とかギターソロとかそういう一部にだけ偏ってない、テンション高いし荒削りなところも味ではありますが、それでいて全体が安定してカッコイイところにあるんです。

編成はヴォーカル、ギター+ベース、ドラム。曲によってキーボードと、何とエディ・ショウにA.C.リードという、戦後シカゴ・ブルースのサックスを語る時に絶対ハズせない大物2人が同時共演。凄いですよコレ、普通はホーン・セクションといえば、サックス+トランペットとか、或いはそれにトロンボーン加えてとかが多いのに、テナー・サックスが2本ですからね。しかもどちらもサムのプレイを邪魔せずいいところで絶妙なフレーズで好サポートしておりますから流石であります。

Disc-2の1969年”アン・アーバー・ブルース・フェスティバル”はサムが亡くなる4ヶ月前の演奏で、この日サムは具合でも悪かったのか、或いは飲み過ぎたか、会場には白人ベーシストだけを引き連れてかなり遅刻して入ってきたらしいのですが、この時助っ人で「オゥ、オレが叩いてやってもいいぜ」と加わったのが、当時ポール・バターフィールド・ブルースバンドでキレッキレのドラムを叩き、それ以前にも”シカゴで一番万能なドラマー”として評判だったサム・レイ(!)

さあここから3万人の聴衆を前にしての、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスもかくやと思われる怒涛の3ピースの熱演が始まります。

オープニングはアルバムでもおなじみフレディ・キングのナンバーですが、まぁこのテンション、鬼気迫るド迫力の演奏といったらどうでしょう。えぇ?これでたった3人?マジかよ!?となること必至の音圧、空間の埋め尽くしでありますよ。

これ、録音がもっと良かったら多分ここまで音がひと固まりになって「ゴワーン!」と響く感じにはならなかったでしょうね。とにかくサムの緊張が演奏に尋常じゃない覇気を与えた歌とギター、サム・レイのバシッ!バシッ!とカッコイイところで容赦なく決まるドラミングが最高であります。

これもまた「全曲推し!」と言いたいところですが(だってホントに気の抜けた一瞬すらないんだもん)、個人的にお気に入りは『Strange Things Happening』ですねぇ。

原曲は50's R&Bの偉大なるシンガーソングライター、パーシー・メイフィールドが歌う落ち着いたスロー・ブルースですが、サムは更にテンポを落として感情を沸々とたぎらせるへヴィなブルースで歌を、2本の弦を「ギャイーン!」とヒットさせるタフなプレイでギターを炸裂させます。

ここから一気にテンポ・アップしてハイテンションのブギーになだれこんで、更にその歪んだ音と鋭過ぎるドラミングがもうヤバイんですよ。えぇ、聴いてください、聴けば分かります。

2枚組というのがウソみたいに短く感じられる、どこから聴いてもどれだけ聴いても、決して衝撃が色あせない、本当の意味での”生”の音楽の凄さです。えぇ、もうこれ以上の言葉はいらんでしょう。

posted by サウンズパル at 21:56| Comment(0) | ブルース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月02日

マジック・サム ブラック・マジック

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マジック・サム/ブラック・マジック
(Delmark/Pヴァイン)


12月1日はマジック・サムの命日でした。

ブルースが好きな人にとっては、もちろんこの人は、その名前を目にしただけで、何か胸に特別な感情がグッと込み上げてくる人であります。

世代的には1960年代後半にデビューし、戦後の”モダン・ブルース”と呼ばれるスタイルを切り開いた比較的新しい世代で、戦前から連綿と続くディープ・ブルースと、50年代にブルースから発展した華やかな都会のR&B両方の影響を受けた、恐らく最後の世代でありましょう。

まだハタチそこらだった1950年代後半から、ウエストサイドやサウスサイドといった黒人居住区にあるクラブで、フレディ・キング、オーティス・ラッシュ、バディ・ガイらと共に腕を磨き、他にも若く才能に溢れた新世代のブルースマン達がキラ星のごとくしのぎを削っている中で、見事ソウルやR&Bのエッセンスをギター全開のブルースに取り入れたオリジナルなスタイルを打ち立てて頭角を現し、さあいよいよこれからだという時に、たった2枚のスタジオアルバムだけを残して、32歳という若さであっけなくこの世を去ってしまったマジック・サム。

「生きていれば」「もしも次のアルバムが出ていたら」「もっと早くから正当に評価されておれば」という声は、全ブルースマンの中でも恐らくズバ抜けて多い人だと思います。

えぇ、わかります。スタイル云々はさておいて、この人ほど湧き上るブルース衝動みたいなものが歌とギターにストレートにみなぎっている人はそうおりませんもの。

はい、今聴けば王道過ぎるぐらい王道で、ストレート極まりないモダンなブルースですが、この人の場合は音楽性がそうである故に、とかく暗い影が付いて来がちなブルースから闇を吹き飛ばし、全部カラッとポジティヴなエネルギーにして昇華させる、そんな特別な力でも持ってるんじゃなかろうかと、どのアルバムを聴いてもそう強く感じるんです。

マジック・サムは1937年に南部ミシシッピに生まれ、1950年には大都会シカゴにやってきております。

その頃のシカゴといえば、マディ・ウォーターズやサニーボーイ
ウィリアムスン、エルモア・ジェイムス、そして少し遅れてハウリン・ウルフなどの大物達が、南部そのままのタフでディープなフィーリングを、電気化させたバンド・サウンドに乗せて大暴れしてヒットを飛ばしていた正にその時代。

ハウリン・ウルフ・バンドのヒューバート・サムリンのカミソリのようなソリッドなギター、或いはよく路上でも演奏していたロバート・ナイトホークの、泣き叫ぶようなエモーショナルなスライド、そしてもちろんラジオから流れてくるB.B.キングの、それを一発放つだけで場の空気が一気に華やぐチョーキング奏法、日々そういうものを浴びるほど聴いて感動した若き日のサムは、ギターを持ってあちこちのクラブや飲み屋で演奏する生活に、すぐに浸るようになります。

サムがブルースで身を立てるべくクラブで奮闘していた1950年代半ばには、高級スーツに身を包み、ホーンセクションを従えたゴージャスでノリのいいサウンドで若い世代の恋愛を歌う”R&B”という新しい音楽がチャートを賑わせるようになりました。

いつだって若いヤツは新しいもの派手なものが大好きです。サムらシカゴの若いミュージシャン達は、こぞってこの新しいブルースの、特にリズムや歌唱法を熱心に研究し、ロックンロールやR&Bのリズムや曲調に対応した”今風のブルース”を生み出します。

これが”モダン・ブルース”という言葉の語源でありますね。

サムの50年代は、非常に充実したものでありました。クラブで夜な夜な繰り広げられるセッションでは、盟友であるフレディ・キング、オーティス・ラッシュ、バディ・ガイらと”その夜の飲み代”を賭けた本気のギターバトルをよくやっていたそうですが、これが大人気。

「今日のギターバトルは誰が勝つと思う?」

「フレディ・キングだな、今シカゴの若手じゃ勝てるヤツぁいねぇよ」

「オレはマジック・サムに賭けるね、先月のバトルでフレディに勝ったって言うじゃないか」

「おいおい、お前ら何言ってんだ、本気を出したオーティス・ラッシュが一番に決まってるじゃねぇか。オレは初めてヤツのギター聴いた時鳥肌が立ったぜ。オレはオーティスに賭ける」

「いや、バディ・ガイだ」

ヒッピ・ランクシャンだってすげぇぞ」

「バカ言えよ、アール・フッカーに決まってんだろうが」

こんな会話がクラブでは飛び交ってたんでしょうね、えぇ、ワクワクします。

サムの人気はレコード会社の耳にも届き、地元のインディーズレーベル”コブラ”より、サムは遂にレコードデビューを果たしました。

残念ながら小さなレーベルの悲しさから、爆発的なセールスに繋がることはありませんでしたが、この時の楽曲「All Your Love」は、ゆったりとしたテンポにソウルフルなシャウトが炸裂する、実に新しいフィーリングを持ったブルースでありました(アルバム『ウエスト・サイド・ソウル』で聴けます)。





レコードを出したこともあって、サムの活動そのものは順調でした。クラブでの仕事はギャラこそ安いものの、連日連夜彼のプレイを聴きに来る若い客でフロアは賑わい、報酬以上の充実感は大いにあったことと思われます。

ところが1959年、順調に活躍していた彼に、その後の運命を左右する不運(ハードラック)が襲い掛かります。そう、軍から召集令状が来てしまったのです。

この年、北ベトナムのホー・チミン政権は、アメリカが支援する南ベトナム政権を打倒するための武力攻撃を決議。

当然南ベトナムを支援するために展開していたアメリカ軍とは、本格的な戦闘が予想されましたので、国や軍は、北ベトナムを大量の兵器と人員で圧倒するべく一般的徴兵法に基づいた徴兵で若者を招集しましたが、ここに投入される兵員は、ほぼ消耗品でありました。そしてまだ差別的待遇が残っていた公民権運動前のアメリカでは、徴兵されたら真っ先に激戦地の最前線に送り込まれるのは黒人兵士と相場が決まっており、黒人社会ではそれが当然のことという認識がありました。

ここでサムが取った行動は、何と脱走です。

結果サムはMPに逮捕/投獄され、脱走罪で6ヶ月刑務所に服役することになりました。

この出来事が、サムにどれほどの精神的ダメージと経済的苦境を招いたかは計り知れませんが、60年代になってシカゴに戻ってきたサムは、元々多かった酒量が底無しになり、奥さんも子供も生活保護で栄養状態もままならない程の酷い生活を送っていたと言います。

サムが音楽活動を再開したのは、1960年代も半ばになってようやくのこと。友人や音楽仲間達の支えでシーンに復帰したサムは67年にはデビュー・アルバム『ウエスト・サイド・ソウル』をリリース。これが傑作として評判を呼び、サムの活動はふたたび軌道に乗り、翌68年にはセカンド・アルバム『ブラック・マジック』をリリース。更に翌年の1969年には第一回の”アン・アーバー・ブルース・フェスティバル”に出演、3万人の聴衆を前に演奏を行い、ここでも評判となります。

が、不遇時代から彼を蝕んできたアルコールは、確実に彼の体に修復不可能なダメージを与えておりました。

1969年12月1日、突然の心臓発作によりマジック・サムはあの世へ旅立ちます。享年32歳。


実はマジック・サム、亡くなった時点ではまだまだ世界では無名の存在でした。

もちろん若かったというのもありますが、レコードをリリースしたのはいずれもシカゴのインディーズレーベル、そして何より彼には代表曲となるオリジナル曲がまだまだ少なかったんです。

だからアン・アーバー・ブルース・フェスティバルに出演して3万人の聴衆を沸かせたことが、実はサムにとっては世界的に有名になる最初のチャンスだったんですね。

「レコードもそこそこ評判で、初めての大きなステージにも立った。やれやれ、どうなることかと思ったが
ようやくハードラックともおさらば出来そうだ。ここまで来るのは長かったが、俺の人生どうやらこれからだな」

と思った矢先の突然死。これ、皆さんどうお感じになられますかね、アタシはマジック・サムという人のズバ抜けた歌とギターのカッコ良さ、楽曲アレンジのセンスと共に、”気さくでよく冗談も飛ばす、明るいヤツだったよ”という人柄が表れた、底抜けにポジティブなブルース解釈を聴いて彼の人生を胸の中で重ね合わせる時、やはり何とも言えない気持ちが溢れてくるんです





【収録曲】
1.I Just Want a Little Bit
2.What Have I Done Wrong?
3.Easy Baby
4.You Belong to Me
5.It's All Your Fault
6.I Have the Same Old Blues
7.You Don't Love Me, Baby
8.San-Ho-Zay
9.Stop! You're Hurting Me
10.Keep Loving Me Baby


さぁ、マジック・サムを聴きましょう。本日のオススメは、1968年にリリースされた、彼の2作目にして最後のスタジオ・アルバムとなった『ブラック・マジック』です。

元よりR&B的なファンキーさを持っていて、デビュー作でもその雰囲気を見事オリジナリティとして刻んでいたサムが、よりファンキーで”踊れる”仕様のアレンジとギター・プレイで見事に個性を昇華させた一枚ですね。

時代はR&Bから、より洗練されたソウルや、より”踊れる”ビートへ特化したファンクへと流行が目まぐるしく移り変わっていた時代。ブルースマン達はその流行のスピードに押されて軒並み苦戦していたと言いますが、土台をしっかりとブルースに置きつつもアーバンなリズムで攻めに攻めるサムのプレイは、総じて覇気に溢れ、時代の荒波なんのそので突き抜けて行けそうなタフさがあります。

マンボの「ウーッ!」なノリでハジケるオープニングの@『I Just Want a Little Bit』から、歌唱は深くテンポは軽快な8ビートのA『What Have I Done Wrong?』、最初にレコーディングしたコブラ時代のセルフカバーのB『Easy Baby』(渋いスローブルース)、サムがとりわけ敬愛していたローウェル・フルスン御大のファンキーなヒット・ナンバー『Tramp』のパターンでファンキーにキメるC、後半には盟友フレディ・キングのゴキゲンなインスト・ナンバー『San-Ho-Zay』や、同じく盟友オーティス・ラッシュの『Keep Loving Me Baby』で、アルバム最後を軽快なシャッフルビートでシメる粋な演出も忘れてはおりません。

個人的には後半の”ダチの曲をカッコ良くカバーするもんねシリーズ”の目玉はアンドリュー・ブラウンの大名曲『Stop! You're Hurting Me』(原曲タイトルは『You Better Stop』)であります。スローテンポでジワジワと歌い上げる原曲に忠実なへヴィさに沿った歌とギターのコールに、見事なレスポンスで応える職人エディ・ショウのサックスがこれまた最高なんですよ。

今日は一日マジック・サムの手持ちのアルバムをずっと聴いておりますが、やはりどのアルバムも(死後に発表されたライヴ盤や未発表音源も含めて)細かなアレンジや音質の違い等あれど、演奏されていない”その先の音楽”が、まるで聞こえてくるような、そんなワクワク感ではちきれそうであります。

こういうの、本当の意味で個性とか味とか言うんだよなぁ。。。








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2017年11月21日

ブリューワー・フィリップス ハウンドドッグ・テイラーに捧ぐ

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ブリューワー・フィリップス ハウンドドッグ・テイラーに捧ぐ
(Delmark/Pヴァイン)

ブルースはパンクだ!!

という衝動を、ギャンギャンに歪んだギターの音と、ギター+ギター+ドラムスという変則トリオの絶妙なコンビネーションで、ブギまたブギのノリノリサウンドで最高に爆発させてくれるの唯一無二のバンドがハウンドドッグ・テイラー&ザ・ハウスロッカーズであります。

ブルースがそろそろ渋い大人の音楽と言われるようになり初めるようになった1970年代、ようやく出てきたおっさん達が、渋くない、良い意味でのチンピラ魂を全開にしてあひゃひゃと暴れ回るそのサウンドは、今もってブルース云々を通り越して「これはガレージ・ロックだ!」と狂喜する若者やおっさんを量産してると言いますから恐ろしい話であります。

で、そのハウスロッカーズ、ギター+ギター+ドラムスの変則トリオと書きましたが、ぎゅいんぎゅいんに歪ませたスライドで暴れるリーダーのハウンドドッグ・テイラーの隣で、大人しくコード・カッティングとかせず、ゴワゴワに歪んだ音でベースとほぼ同じフレーズをボコボコ弾きまくっているイカレたギタリストがおりまして、この人が本日の主役、ブリューワー・フィリップス!!!!

あのですねぇ、もうハウスロッカーズでのブリューワー・フィリップス、最高なんですよ。

ベースと同じフレーズ弾いてるんだったら、ベース弾いた方がバンド・サウンドに重みが出ていいんじゃないかと普通は思うし、実際その通りなところを、あえてギターで通してる理由とかそういうのはまーーーったくわかんないんですが、多分本人達に訊くと

「あぁ?そんなの決まってんじゃねぇか、やかましいからよ。ヒャッヒャッヒャ!」

としか返って来なさそうなので、そこんとこ、深く突っ込むのはやめときます。

とにかくもうハチャメチャなコンビネーションで、音楽やっているというより、一緒に悪いことやってるのを楽しんでいるような、ハウンドドッグ・テイラーとブリューワー・フィリップスです。

二人は共に戦前の南部生まれ(テイラー1915年生、フィリップス1924年か1930年生)、戦後にシカゴに出てきて70年代にハウスロッカーズを組むんですが、実は戦前に南部のあちこちでたまたま偶然会っていたようです。

「あぁ、オレが南部でチンピラやってた頃だな。ブリューワーはトラックの運転手だったみたいなんだよね。で、何故かアイツとは偶然会うことが多かったよ。歩いてたらトラックの運転席から”アンタよく会うけど何なんだ!”って。何なんだもクソもねぇよヒャッヒャッヒャッ!音楽?いんや、アイツがギター弾くなんてのを知ったのは、シカゴに来た後だ。1959年にヤツと一緒にやるようになってからだな。」

(ハウンドドッグさん、ブリューワーはメンフィス・ミニーにギターを習ってたらしいんですが・・・)

「メンフィス・ミニーかぁ、ありゃあイイ女だよなヒャッヒャッヒャ!何だって?アイツがメンフィス・ミニーにギターだって!?馬鹿言っちゃいけねぇよ、ミニーはその頃大人気でオレですらなかなかお近付きになれなかったんだ。アイツみてぇなチンピラ相手にされるかよ!」

(むしろブリューワーのギター・スタイルは、ジミー・リードのバックでウォーキングを刻んでいたエディ・テイラーに通じるものがあるように思えるんですがどうなんでしょう?)

「(機嫌がコロッとなおる)あぁそうだなぁ。エディとヤツはミシシッピにいた頃からよくツルんでたらしい。釣り仲間だってよ、ヒャッヒャッヒャ!お前さん真に受けちゃいけねぇぜ、アイツらの釣りは酒場でおねーちゃん釣るやつだからな」

(はぁそうですか・汗、で、エルモア・ジェイムスの破天荒なスタイルに影響を受けたアナタとジミー・リードのダウンホームなロッキン・スタイルをお手本にしたブリューワーが組んで・・・)

「おぅ、そうよ。オレが知る限りエルモアとジミー・リードってのは50年代シカゴの花形よォ。だからそのスタイルを掛け合わせたオレらのハウスロッカーズってのは結局イカしたバンドよ。ヒャッヒャッヒャッ!!」

はい、ハウンドドッグ・テイラーさん、ありがとうございました。

どうでしょう?このオッサンほとんどアテになりませんが、ブリューワー・フィリップスの前半生というものを少しは喋ってくれたでしょうか。話を続けます。

ハウンドドッグ・テイラーとブリューワー・フィリップスは、1959年から1975年まで仲良くハウスロッカーズの活動を続けました。

ブリューワーはハウンドドッグより10歳ぐらい年下でありますが、お互い”兄弟”と呼び合うフラットな関係で、冗談を言い合い、時に喧嘩もしながら日々のギグをこなしていたんですが、ある日のことブリューワーが

「よぉ兄弟、オレはゆうべお前の不細工な嫁さんとよろしくやってたぜぇ」

という、タチの悪い冗談を言ってしまい、それに激怒したハウンドドッグが持っていた銃で足を撃つという事件が起きてしまいました。

誤解のないように言っておきますが、ブルースの昔からヒップホップの現在まで、ブラックミュージックのコミュニティでは、このテのキツい冗談というのは、仲良しの証として言い合うというコミュニケーションが存在しております。

恐らく普段からこの二人にとって、このテの冗談は挨拶代わりの当たり前のことではあったんでしょうが、この日はハウンドドッグ、虫の居所が悪かったのか、つい発砲してしまいました(”つい発砲”ってところが何ともですが・・・)。

ブリューワーもこれにはアタマに来て「絶縁だバカヤロウ!」と。

ついでに刑事告訴して、ハウンドドッグは逮捕収監となるはずだったんですが、実はこの時ハウンドドッグは癌の末期で、後日警察ではなく病院に担ぎ込まれました。

銃をぶっ放たれて絶縁を突き付けたとはいえ、長年の相棒です。その相棒が明日をも知れぬ命で、病院で最期の時を待っていると知ったブリューワー、とにかく見舞って和解しようと病院へ駆け付け、いや、ハウンドドッグ、あの時はお前の機嫌も考えねぇでヒドいこと言っちまった。んなこたぁねぇよ、オレの方こそいくら虫の居所が悪かったとはいえ、相棒を撃っちまうなんてヤキが回ったな。お陰でこのザマだ、本当にすまねぇ。と、二人はめでたく和解。

俺達もう還暦のいいジジイなのに何やってんだろうな、おいおいハウンドドッグ、お前はそうかも知んねぇが、オレはまだ50だぜ?いや、55か。まぁどっちでもいいや。元気になったらまたブギしようぜ。あぁそうだな、なんて会話を交わしたその2日後に、ハウンドドッグ・テイラーはあの世へと旅立ってしまいました。

ハウンドドッグ・テイラーの偉いところは、世に本格的に認められたのが1970年代で、いわゆるロック世代の連中からは大御所扱いされなかったところなんです。世代的にはB.B.キングよりもちょい上で、マディ・ウォーターズは2コ上。

でも、そういう風にあがめられているブルースマン達のことなどどこ吹く風で、一貫して変えなかったダーティーなブギーを、相変わらず下町の狭く汚い(失礼!)クラブで演奏することで日銭を稼いでおった。もちろん彼をリスペクトする若いロック・ミュージシャンはたくさんいたでしょうが、そういうところにやあやあと出て行って、物分りのいい大人な演奏など絶対しなかった。カッコイイですよね、や、それしか出来なかっただけかも知れませんが。。。





【収録曲】
1.You Don't Have To Go
2.For You My Love
3.You're So Cold
4.Hen House Boogie
5.Lunchbucket Blues
6.Don't You Want To Go Home With Me
7.Blue Shadows
8.My Baby Don't Love Me No More
9.Laundromat Blues
10.Looking For A Woman
11.Cross Examination
12.Homebrew
13.Right Now
14.Tore Down
15.Let The Good Times Roll
16.Do What You Will Or May


ハウンドドッグが亡くなってからのブリューワーは、相変わらずゲットーの仲間達とツルみ、派手ではないものの、しっかりとブルースに根を生やした活動をしており、ギターを持ってゴキゲンにブギーする彼の姿はやはり小さなクラブハウスにありました。

で、1996年にいきなり「ハウンドドッグに捧ぐ」なるタイトルで、新作としてこのアルバムがリリースされた訳です。

とりあえずその事実だけでも事件なのに、このアルバム何が最高かって、ちょいとスクロールしてもう一度ジャケットを見てください。明らかに目つきのヤバいおっさんが、シャツのボタンほとんど外して、手に持ってるのはギターじゃなくて何故かハンマー(!)こんなもんアーティスト写真じゃなくてリアル事件現場の防犯カメラじゃないですか。

内容は、そんなちょっとアレな感じのジャケットに負けず劣らずの、実にタフで1950年代とか60年代の”ヤバかったころのシカゴ・ブルースそのまんま”の濃厚な香りのする、見事なダウンホーム・ブルース。

ハウスロッカーズのあのプレイしか知らなかったから、どんな演奏するんだろうと、少しハラハラしましたが、1曲目ジミー・リードの「You Don't Have To Go」のゴキゲンなウォーキングと、程よいドスが効いて実に味のあるヴォーカル、そしてルーズだけれどもキメるところはバシッとキメるバンド・サウンドを聴いて「あ、これは間違いない」と思いました。

必殺のブギーは、もちろんいい感じのがたくさん入ってますが、それだけじゃなくて、スロー・ブルースでメロディアスなチョーキング(抑え目だけどこれがまたいい!)を披露してくれるギター・ソロも実は上手い、いや、旨いんですよ。

とにかく全く”作り物”な感じのしない、往年のシカゴ・サウンド(しかもかなりやさぐれて渇いた質感のある)ですよ。1995年の録音!?ウソでしょ、何このリアリティ!!と、100回聴いて100回思えるダーティーな雰囲気、実にヤクザで最高です。

大物のスーパープレイを聴く醍醐味はもちろん素敵ですが、ブリューワー・フィリップスみたいな、現場第一主義でずっとやさぐれてきた人のサウンドを聴いて「くーーーー!!」ってなる素晴らしさがブルースにはありますね、えぇ、あるんです。くーー!





”ブルース入門編 〜初心者のための優しいブルース講座〜”



『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2017年10月31日

ザ・ベスト・オブ・ブラインド・ブレイク

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ザ・ベスト・オブ・ブラインド・ブレイク
(Pヴァイン)

様々なジャンルの音楽を聴き込んでいくうちに、戦前ブルースに行き着いて「気が付けばその泥沼にハマッてしまってエライ事になってしまった」という話はよく聞きます。

実際アタシも18から19の時にある日突然ノイズだらけの古い録音のはずのブルースが、それまでにない生々しさでもってガツーンと聴こえるようになって以来、しばらく”戦前ブルースしか聴けない病”を患ってしまい、往生した記憶がございます。

最初はロックや戦後のブルースのルーツを探究するような気持で戦前ブルースを聴きかじるんですが、そのうち戦後の音楽にはない、戦前モノならではの楽しみや奥深さが楽しくなってしまい、結果泥沼にハマり込んでしまうことになってしまうのです。

では、その「戦前ブルースならではの魅力」とは何でしょうか?

うむ〜、これはもうたくさんあり過ぎて、全部書こうとすると長い上に精神的な重っ苦しい話もふんだんに混ぜられた、かなりイッちゃった文章になると思いますのでまず省略。

もっと音楽好きの皆さんに分かり易く説明するとすれば、戦前モノのブルースには、意外と洗練されて都会的な”陽”の部分に溢れたものがある、ということ。

そのひとつがラグタイムです。

ラグタイムはジャズの元になった音楽のひとつと言われ、大体19世紀頃に誕生しています。

西洋音楽起源の、当時のポップス(長調と単調による、非常にシンプルなもの)を、黒人がピアノで演奏する時、独自のシンコペーション(リズムのズレ、今で言う”アフタービートの黒っぽいノリ”ですねぇ)で、左手が「ボン、パン♪ ボン、パン♪」とリズムを刻めば、右手は主たるメロディーを(チャッチャッチャ♪チャラッチャ♪」と、前のめりにつっかかるように弾くようになり、これが「新しい!」と白人達にも大いにウケて、第一次世界大戦の時なんかは、人が集まる砕けた雰囲気の場所にピアノさえあればコレが演奏され、更に映画の世界ではコミカルな場面では必ず使われるぐらいに大流行した。

これがラグタイムなんですが、後にこの独特のグル―ヴィーな音楽を、ブルースマン達がギターで再現し、このスタイルの名手と呼ばれる人達が1920年代わんさか出てきました。

その代表的なギター名手が、本日ご紹介するブラインド・ブレイクです。

何にせよピアノでは右手と左手を使って、別々のシンコペーションで弾いていくというこのスタイルを、ギターを弾く右手の親指と人差し指(たまに中指も)を使って再現するというのは実に至難の技で、多くのブルースマンが「それっぽく弾ける」レベルでなかなかいい演奏をするのに対し、このブラインド・ブレイクという人は、完璧なリズム感、完全に独立した親指とそれ以外の動きで完璧に再現して、しかも他の追随を許さないオリジナリティを持っている訳で、ハッキリ言ってバケモノなんです。

戦前ブルースにハマりまくっていた時「盲目のブラインド・ブレイクは、特にその凄まじいギター・テクニックとラグタイム・ギターの完璧ともいえる完成度で」と書いてある何かの記事を見付け、早速ベスト・アルバムを買って聴いたら

「すげぇすげぇ、ブラインド・ブレイクも凄いけど、このサイドギターの人も凄いわ!ブレイクの弾くメロディにピッタリ合わせてしかも絶対にブレないしヨレない。恐ろしいリズム感だ!!」

と、興奮したんです。で、そのギタリストの名前を覚えようとライナノーツを読んだら、絶妙なリズムをバンボンバンボン刻んでいるサイドギタリストの事には一言も触れておらずに、ん?おかしいと思って色々と調べたら、実はあの「どう聴いても絶対に2本以上に聞こえるギターは、ブレイク本人が右手親指と人差し指による絶妙なコンビネーションで弾いているのだ」と知って、本気で卒倒しそうになりました。




【収録曲】
1.Blind Arthur’s Breakdown
2.Police Dog Blues
3.West Coast Blues (take 1)
4.Dry Bone Shuffle (take 2)
5.Too Tight Blues No.2
6.Skeedle Loo Doo Blues (take 2)
7.Bad Feeling Blues
8.Let Your Love Come Down
9.You Gonna Quit Me Blues
10.Diddie Wa Diddie
11.Early Morning Blues (take2)
12.Fightin’ The Jug
13.Sweet Papa Low Down
14.Sea Board Stomp
15.Black Dog Blues
16.Hastings St.
17.One Time Blues
18.Panther Squall Blues
19.Georgia Bound
20.Rope Stretchin’ Blues-Part1 (take2)

そん時買ったベスト・アルバムが、Pヴァインから出ていた怒涛の戦前ブルースの巨人達シリーズ『キング・オブ・ザ・ブルース〜』シリーズでしたが、今出ている上記ベスト盤は、その内容と一緒で値段が安くなったスグレ物であります。

例によって写真も一枚しか残っていないし、その生涯についても謎の多い、いや、多すぎるブレイクは、最初女性シンガーのバックでギターやピアノを弾くバック・ミュージシャンでしたが、そのギターの卓越した才能を認められ、ソロ・レコーディングをしてそれが予想外にブレイクした(ダジャレじゃないよ)したと言います。

主な活動地は、1920年代当時ジャズやブルースの最先端が毎晩のように演奏されていたシカゴ。

この地でほとんど独走状態の人気を誇り、後に戦前シカゴ・ブルース界で卓越したギタリストと評されることになるビッグ・ビル・ブルーンジィやタンパ・レッドなどにも直接影響を与えた人ではありますが、1934年に38歳という若さであっけなくこの世を去っており、また、30年代以降にはバンドブルースが隆盛を極め「ひとりジャズ・バンド」とも形容されたブレイクのようなラグタイム・ギターは徐々に演奏されなくなって、彼のスタイルを直接受け継いで今に伝える人はおりません(アコースティックなブルースをやるミュージシャンは時々ラグを演奏します、また、日本ではフォロワーとして有山じゅんじという凄い人もおりますが、いずれもレコードを通しての影響です)。

明るくリズミカルで、スローな曲もほんわかした味のあるブレイクの音楽は、ひょっとしたら最初はブルースに聞こえないかも知れませんが、それはそれで一向に構いません。このノリ、このグルーヴ、そして完璧なまでに洗練された音世界は、ワン&オンリーな音楽として、他のどのジャンルの音楽とも、ブレイク一人で対抗できるとアタシは思っております。

CDの内容についての解説、全然しておりませんが、アタシが何を言いたいのかは、このCDに収録されている彼の強烈無比なラグタイム・ナンバー『Blind Arthur’s Breakdown』『Dry Bone Shuffle』などを聴けば、ズドーンとお分かりになろうかと。


彼の謎に満ちた生涯については、過去にコチラ↓にも書いてありますんで、併せてお読み頂ければこれ幸い♪あ、文体が真面目ですが書いてるのはアタシです、ハイ。。。


”ブルース入門編 〜初心者のための優しいブルース講座〜”




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