2018年02月06日

ザ・ベスト・オブ・リロイ・カー


6.jpgザ・ベスト・オブ・リロイ・カー
(Pヴァイン)

今更ですが「ブルース」という言葉には「ひどく憂鬱な」とか「メランコリックな」とかいう意味があります。

アタシなんかはブルースが好きで、ほいでもって好きになったのが刺激が欲しい盛りの十代の頃だったもんですから、どうしても「イカレててカッコイイ音楽がブルースなんだ!ある意味でパンクよりパンクなんだ!」という気持ちで割と接してきました。

これはある意味において正しい。

しかし、ブルースにはどんなにタフで泥臭い演奏にも、どこか心の脆い部分をふっと突いてくる切なさとかやるせなさみたいなものがグッとくる瞬間があって、特に気持ちが疲れていたり、辛い事があって落ち込んでいる時なんかは、ブルースの本質である”ブルーな感情”これがたまんなくクるんです。

えぇ、もしもアナタがブルースに興味を持って聴き始めたはいいけれど、まだ何かどれも一緒なような気がして今ひとつピンと来ないと思っている時は、ぜひ気持ちが酷く落ち込んで、出来れば「あぁ、もう音楽すら聴く気になれない・・・」ぐらいの、ヤバ目の精神状態になっている時にブルースを聴いてください。アタシもそうしてちょっとづつブルースという音楽を身に染み込ませてきたクチです。

今日はちょいと、そういった「ブルース特有のやるせなさ」をとりわけ感じさせるブルースマンをご紹介します。

戦前に活躍したブルースの人達のことを「戦前ブルース」と言います。

この中にもまぁ年代や地域によって色々なスタイルがあるんですが、それはひとまず置いといて、この時代のブルースの人達の中には、後の時代のブルースやロック、ポップスに決定的な影響を与えた人というのが結構いるんですね。

そんな人達の中で、実はしれっと一番大きな影響力を持っているんだろうなぁと思う人が、シンガー/ピアニストのリロイ・カーであります。

「リロイ・カーって?」

「初めて聞いたぞ」

「誰それ知らん」

という人も結構いると思います。

何しろブルースで有名な人というのはほとんどギタリストです。B.B.キング、ロバート・ジョンソン、バディ・ガイ、Tボーン・ウォーカー・・・。この人達は戦後のロック・ギタリスト達に直接影響を与え、超有名なロックスター達の口から「あの人は凄いんだ」と、名前が出てきたから「おぉ、あんな凄い人達が凄いというんだから、そりゃきっと凄いだろう」と、世界中のキッズ達(はぁいアタシも♪)が「伝説の先輩の先輩」式に名を覚え、その音楽とギター・プレイの秘密みたいなものを必死で追いかけたといういきさつがありますな。

そこへいくとピアニストというのはどうも一段地味な感じで扱われてたりするんですが、何を隠そうリロイ・カーこそが、ロバート・ジョンソンを皮切りに「伝説の」と呼ばれるそれ以降のブルースマン達に凄まじくリスペクトされて、彼が作り出した珠玉の名曲は、今になってもブルース、ジャズ、ロック、カントリー等あらゆるジャンルのミュージシャン達に、様々なアレンジでカヴァーされ、愛聴され続けているんです。

リロイ・カーという人は、その切ない情感で目一杯訴えかけるメランコリックな歌声と、ドライブし過ぎず、心地良く転がるムーディーなピアノ、それにギターのみをバックに従えたシンプルで耳に入り易いアレンジ、そして何よりツカミのしっかりした、親しみのあるポップな楽曲で、ブルース史上初、いや、もしかしたらアメリカン・ミュージック初のミリオン・ヒットを放ち、1920年代後半に、ブルース演奏のあり方そのものも大きく変えました。

それまでの”ブルース”といえば、大きく南部のスタイルであるところのギターやピアノの弾き語り、もしくはもっと一般的だった、ギター、フィドル、バンジョーなどによるストリングス・バンド・スタイル。そしてシカゴやセントルイスなど、北部の都会で人気だった、ジャズバンドを付けたオーケストラ形式の、主に女性シンガーが主役の、クラシック・ブルースと呼ばれるスタイルでした。

カーのスタイルは、そのどっちでもない、ピアノとギター形式なんですね。

大体この時代というのは、生演奏では「とにかく音が多くて賑やかな方が良い。踊れる」という考え方が普通です。ブルースはある意味でダンス・ミュージックでありましたから、ピアノとギターだけでしんみりやる曲なんて、例えばジューク・ジョイントやダンスホールで、みんなが踊り付かれた時の休憩用のBGMぐらいに思われてました。

しかし、リロイのスタイルは「部屋の中で一人でも鑑賞できる」という、当時の新しいメディアであるレコードの特性に、実にピッタリ合ったものだったんです。

レコードで聴くということは、生演奏の喧騒の中でよく聴き取れなかった歌詞や、演奏の細かいニュアンスに込められた、感情の動きとか、そういった繊細なものに、聴く人の耳も行くということですから、カーの繊細な歌とピアノや、バックで細かいフレーズをメロディアスに奏でる、スクラッパー・ブラックウェルのギターも、主に酒に関する嘆き節、恨み節に普遍的な「あぁ、そうだよなぁ」という恋や人生のドラマを散りばめた歌詞が、レコードに刻まれて、それを買った人のプライベートなスペースで再生されることによって、計り知れない感動や共感を引き起こしたんです。

今のあらゆるメディアで音楽を簡単に聴ける感覚だと、ちょっとこの感覚は理解できないかも知れません。でも、気軽に音楽を聴けるメディアがSP盤を鳴らす蓄音機(しかもこれも相当高価)だった時代、針を落としたレコードから流れる音楽が、初めて聴く甘く切ない音楽だったら、一体どんだけの感動が胸に押し寄せてくるでしょう。リロイの音楽は、聴きながらにしてそういった情景も、何だか淡くイメージさせてしまう、柔らかいけどとても不思議な引力を持っています。



【収録曲】
1.How Long How Long Blues
2.Tennessee Blues
3.Mean Old Train Blues
4.Low Down Dirty Blues
5.Baby,Don’t You Love Me No More
6.Prison Bound Blues
7.Gambler’s Blues
8.Naptown Blues
9.Love Hides All Faults
10.Gettin’ All Wet
11.Rainy Day Blues
12.Christmas In Jail - Ain’t That A Pain?
13.Papa Wants A Cookie
14.Alabama Women Blues
15.Low Down Dog Blues
16.Lonesome Nights
17.Bad Luck All The Time
18.Big Four Blues
19.Going Back Home
20.When The Sun Goes Down


さて、リロイ・カーという人が、何故そういった独自のスタイルを、1920年代という時代に作り上げることが出来たのでしょう。その秘密は、彼の生まれと拠点にしていた場所とが深く関わっております。

リロイ・カーは1905年に、テネシー州ナッシュヴィルに生まれました。

そう、この地は知る人ぞ知るカントリーの聖地、地理的にはいわゆる”中部”という場所で南部のように強烈にブルースが根付いている土地ではない。でも、多くの人々は娯楽として音楽を楽しんで、その中には黒人のブルースもジャズも、白人のヒルビリーもあったといいます。

その後8歳の頃にインディアナ州ミネアポリスに移住。

少年時代からピアノを弾いていたリロイは、サーカスに紛れ込んだり、徴兵の年齢に達してないのに年齢を誤魔化して軍隊に入ったりしておりました(動機はよくわかりませんが、多分軍楽隊に入るのを狙っていたか、面倒臭い徴兵をとっとと終わらせるためでしょう)。

とにかくミネアポリスという街は、北部も北部、カナダの国境に近いようなところです。

ここで自由な空気を謳歌し、しかも大都会のシカゴやデトロイトといったブルースが溢れているような街からの影響もさほど受けず、リロイはピアノを弾き、そして机に座ってじっくり歌詞を書きながら自分の”ブルース”を磨き上げて行きました。

即興で思いつくままに歌い、リズムやフレーズに合わせて歌詞を繋いでゆくことも多かったこの時代のブルースのやり方とは、彼のスタイルはまるで違います。しかしこれが、言うまでもなくポップで歌詞もしっかりしていて、かつ繊細で切なさの塊のような新しいブルースの誕生に大きく作用しました。

リロイはそのままミネアポリス周辺の酒場で人気のシンガーソングライターになります。

行く先々で人気を博し、レコードも異例のミリオン・ヒットとなり、彼の名前は遠く南部まで知れ渡るようになりました。

先も言いましたが、彼の繊細なプレイ・スタイルは、まだギターをバッカバッカと叩き付けるような弾き方が主流だったミシシッピ・デルタの一人の若者、ロバート・ジョンソンに決定的な影響を与え、言うまでもなくこれが戦後の主流となるモダン・ブルースの”形”となるのです。

残念ながらリロイは若い頃からの大酒がたたって30歳で短い生涯を閉じてしまいましたが、レコードデビューしてたった7年かそこらで音楽のひとつのスタイルを「もう後はアレンジを加えるだけ」ぐらいのものに仕上げました。

そして、そんな偉大な業績や影響力のことを考えなくても、この人の音楽は、最初の一音が流れた瞬間に「あ、これは切ない・・・!」と、聴く人の心に直接ヒリヒリと迫るものを持っています。ひどく憂鬱な感情、過ぎ去ったとしてもまだどこかに漂っているような宿命の残り香のような音楽。

そう、これこそブルースであります。





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2018年01月16日

スキップ・ジェイムス Complete Early Recordings

6.jpgSkip James/Complete Early Recordings
(Yazoo)

1960年代のフォーク・ブルース・リヴァイバル。

この時戦前に録音を残し、その後消息を絶っていた伝説のブルースマン達が次々と”再発見”され、再び音楽シーンの表舞台で、多くの”生のブルース”を聴いたことのない聴衆に、多くの感動をもたらしました。

その中で、アメリカ白人の若者達に、一際人気だったのがミシシッピ・ジョン・ハートです。

この人の音楽は”ブルース”といって強烈泥臭くなく、どちらかというといわゆるフォークソングの範中語られてもいいぐらいに、のどかで牧歌的なものでありました(つうか戦前の、ブルースが流行する前の音楽はこんなだった)。

加えて、ともすれば気難しかったり、酒飲んで暴れるような曲者の多いブルースマン達の中にあって実に人当りが良くて、凄いミュージシャンなのに話をするとまるで近所のおじいちゃんのように飄々としてとても優しかったミッシシッピ・ジョン・ハートの周囲には、常に昔話をせがむ子供のように、ピュアな若者達が群がっておりました。

「ミスター・ジョン・ハート」

「ん?ジョンでいいよ」

「リクエストいいですか?かなり古い歌なんですが」

「あぁ、俺が知ってれば何だって歌うよ」

といった具合に、褒められてもやや無茶ぶりなリクエストでもニコニコと笑顔で返すミシシッピ・ジョン・ハートでしたが、若者達のある一言だけは

「それは違うよ」

と、やや厳しい顔で否定していたと言います。

その一言とは

「ミスター・ジョン・ハート。あなたは世界一のブルースマンだ、恐らく再発見された誰よりも上手い」

といったような

「アンタが一番」

といったニュアンスのことでした。

そういうことを言われた時、彼は決まってこう言っておりました。

「・・・お前さん達は何も分かっちゃいない。スキップ・ジェイムスを聴いたことがあるか?ヤツは俺なんかより全然凄いんだよ。俺の歌やギターなんてのはせいぜい凡人の上等なレベルぐらいのもんだが、スキップは別格だ。人間離れしているよ。深過ぎて付いて行けるヤツがなかなかいないがね、凡人とは違う次元でブルースと会話しているのはヤツだけだ。とにかくスキップ・ジェイムスを聴いてみることだよ」

と。

その”伝説の中の伝説”スキップ・ジェイムスは、確かに他のブルースマン達とは全く違う”異次元”を感じさせるブルースマンです。

アタシが初めて彼の名前を知ったのは、ロバート・ジョンソンのブックレットの記述で、ロバートの曲の中でもとりわけ重く、禍々しい沈鬱なムードに彩られた『ヘルハウンド・オン・マイ・トレイル(地獄の猟犬が追ってくる)』は、スキップ・ジェイムスのスタイルから多大な影響を受けているとの一文を目にしたことが始まりでした。

とはいっても、その時は「へー」と思ったぐらいでしたが、数年後、中古のレコードで『Great Bluesmen Newport』(Vanguard:LP77)というオムニバス盤を購入しました。

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正にこのライヴ盤こそが、戦後再発見されたレジェンド達が一堂に会したニューポート・ブルース・フェスティヴァルのステージをそのまんま収録したマスターピースな名盤だったんですが、当時はそんなこと知りません。

ただ

「うぉお、これすごい、サン・ハウスにフレッド・マクダウェル、ライトニン・ホプキンスにジョン・リー・フッカーまで入ってる!買いだ」

と、単純に知ってる大物ブルースマン達の名前が並んでるというだけで買ったんですが、これに実はスキップ・ジェイムスが入っておりました。

でも正直、この時の印象は

「ん?何だこのスキップ・ジェイムスって人は?裏声で静かに歌ってて、何か変わった人だなぁ」

ぐらいのもんでした。

ブルースっていうと「強烈、濃厚、激烈」みたいなものを、戦前だろうが戦後だろうが勝手に求めていたアタシにとっては、その頃はまだまだ彼の繊細な妖気が漂うディープ・ブルースを理解できる感性がなかったといえばそれまでのこと。

そう、彼を特に評価していたミシシッピ・ジョン・ハートですら

「ヤツのブルースは深過ぎて付いて行けるヤツは少ないんだ」

と言っていた、正にその通りなんです。

でも、スキップ・ジェイムスのブルース・・・いや、彼のブルースに憑いている不可思議な”もの”の存在を、旋律と共に実感するのに、時間はそんなにかかりませんでした。

それから数か月後、Yazoo原盤で、当時国内盤は日本のVIVIDから出ていた『ルーツ・オブ・ロバート・ジョンソン』というコンピレーションがありまして、コレの1曲目に入っていたのが、スキップ・ジェイムスの代表曲『Devil Got My Woman』の戦前に録音されたオリジナル・ヴァージョン。


DSC_0204.JPG

ブルースの曲としては極めて珍しい、マイナー・キーでボロンボロン奏でられるイントロの重たいリフ、そして、どこかあの世の冷たい地の底から、誰かがか細く助けを求めているような「...アァァァァァイガッタビィアデェボォォゥ...」という、痛切極まりない声と歌い出しのフレーズ。

よくわかんないけど、よくわかんないけど、これは何かこう、ブルースの・・・いや、もう何というか、すっごい大袈裟かもしれないけど、人間の”闇”だ、闇の部分がこういう音楽になって、こういう人の声になって鳴り響いているんだ。何これ、スキップ・ジェイムス?えぇ、マジかよ、こんな凄い人だったのか?いやもうこれ人じゃねぇな、だったら何なんだよ、凄ぇ・・・。

と、脳内混乱&絶句に次ぐ絶句でありました。

マジですか?ええマジですよ、だからスキップ・ジェイムス聴いてくださいね皆さん。

スキップ・ジェイムスのブルースは、確かに他の誰とも違います。

その沈鬱で、実際にマイナー・キーとメジャーやセブンスの間を不安定にゆらゆらと音階がゆらめいているような究極に繊細であやうい雰囲気、絹を擦ったようなファルセット、そして独特の複雑な展開と細かく高度なテクニックが伴奏のリズムの中に散りばめられたギター、時々弾かれる、基本ブギウギなんだけど、ストップ・モーション(つまりフレーズの唐突なぶった切りで生まれる無音の”間”)を多用した、単純にノセてくれないピアノのどれもが、ちょっと似た人すらいないほどに個性的で、また、捉えどころはないけれどもその背後にある確かな”何か”、そう、衝動的なものの巨大な気配に揺り動かされて、歌や演奏として発せられているのは、怖いぐらいリアルに感じることが出来ます。

1902年ミシシッピのベントニアという寒村に、牧師の子として生まれ、教会で両親達の演奏の手伝いをするうちに身に付いた基礎的な技術、当時としては珍しく高校まで進学し、そこで音楽に合わせてとにかく愉快に踊りまくったことから”スキッピー”(跳ねる奴)というあだ名が付き、それがそのままブルースマンとしての”スキップ”という芸名になったけど、そのもっともらしいエピソードのどれもが、彼のどこまでもおぼろな異世界から漏れているようなブルースを聴くと、史実と幻想のあやふやな境界で空しく溶けていってしまうのです。






1.Devil Got My Woman
2.Cypress Grove Blues
3.Little Cow and Calf Is Gonna Die Blues
4.Hard Time Killin' Floor Blues
5.Drunken Spree
6.Cherry Ball Blues
7.Jesus Is a Mighty Good Leader
8.Illinois Blues
9.How Long Blues
10.4O'Clock Blues
11.22-21 Blues
12.Hard Luck Child
13.If You Haven't Any Hay Get on Down the Road
14.Be Ready When He Comes
15.Yola My Blues Away
16.I'm So Glad
17.What Am I to Do Blues
18.Special Rider Blues


そしてスキップは、1931年に大手パラマウント・レコードの目に止まり、”ブルースマンとして”一気に18曲のレコーディングを行います。

パラマウントはきっと売れると見込んで、スキップにレコーディングの謝礼として現金を渡し、録り溜めていた演奏を、SP盤で小出しにして儲けようと画策しましたが、出されたのは結局『Devil Got My Woman』をはじめとした数曲のみ。

パラマウントは折からの不景気と経営不振がたたって倒産してしまい、スキップのレコードがそれ以上世に出ることもなく、スキップ自身もブルースとは早々に縁を切り、また元の敬虔な牧師の家庭に戻り、その後30年以上説教師としてつつましく生活をしておりました。

何故、スキップがティーンの頃まではダンスが大好きな、陽気な少年だったのに、急に憑かれたように重く沈鬱なブルースを歌う男になってしまったのか、何故ミシシッピの、デルタよりも更に寂れたペントニアという地にあって、有名なデルタのブルースマン達と頻繁にセッションしていた訳でもなく、長旅に出てあちこちで名を売って有名になっていた訳でもない彼に、大手パラマウントがレコーディングの話を持ちかけたのか、何故ブルースマンになった彼が再び教会に戻ってきた時、家族は受け入れることが出来たのか、これらは全くの謎であります。

そんなスキップが”再発見”されたのが、丁度体調を崩して入院していた地元の病院でのこと。

白人リサーチャーの熱心な説得により、最初はブルースを再び歌うことに難色を示していたスキップは、手始めとしてニューポートでの大掛かりなフェスティバルに出演することを承諾。

サン・ハウスほどのインパクトもなく、ミシシッピ・ジョン・ハートほどの親しみ易さとも無縁の、ただひたすら内側と対話するかのような彼のブルースが熱狂と共にアツく受け入れられることはありませんでしたが、熱心にブルースを求める聴衆の中には必ず彼の歌と演奏の虜になる人間は必ず一定数いたし、ミュージシャンや仲間のブルースマン達は

「あれは凄い、俺達とは別の世界にいる」

と、敬意と恐れが入り交じった複雑な口調で、彼の事を語るのでした。

フォーク・ブルース・リヴァイバルの中でスキップは、多くのライヴを行い、録音もこなしました。

しかし、再発見された時は既に病魔に侵されていたのでしょう、3年ほど活動をして程なく体調を崩して入院。1969年に死去。

亡くなる少し前にクリームが彼の『l'm So Glad』をカヴァーし、その印税が病気の治療費に充てられていたそうであります。

その繊細なブルース表現とは裏腹に、スキップは雄弁な男だったそうです。特に話題が人種の事となると彼は差別に関する自分が受けた不条理にストレートな怒りをぶつけ、相手が白人であろうと意見を臆せず言って毅然としていたと云います。

が、ブルースの事はほとんど語らず、結局私達は彼がどうやってあの独特な、裏声を多用するヴォーカル・スタイルを身に付けたか、何故オープンDmという特種なチューニングでギターを弾くことを思い付いたのか、その動機の手掛かりすらも掴むことが出来ません。

スキップ・ジェイムス、彼は本当の意味でブルースの"闇"そのもののような存在だったのかも知れません。





”ブルース入門編 〜初心者のための優しいブルース講座〜”



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ラベル:ブルース 戦前
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2018年01月10日

バディ・ガイ ストーン・クレイジー

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バディ・ガイ/ストーン・クレイジー
(Alligator/Pヴァイン)

バディ・ガイといえば、現在(注:2018年)81歳にしていまだバリバリの現役。

B.B.キング亡き後のブルース界では、今や長老として若手を引っ張る第一人者であります。

1960年代に故郷ルイジアナからシカゴへ移り住み、先輩であるマディ・ウォーターズや同年代の仲間であるマジック・サム、オーティス・ラッシュ、フレディ・キングらと技を競い、その感情に任せて暴力的にギターを泣かせるプレイスタイルと、血管も切れんばかりのヒステリックなシャウトでシカゴ・モダン・ブルース・シーンの一翼を担ってきました。

その頃のプレイに衝撃を受けたのがジミ・ヘンドリックス、エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジといったスーパー・ギタリスト達で、そのアグレッシブ極まりないギターはその後のブルースよりもロック・ギターに与えた影響の大きさで、感嘆や驚嘆の声と共に語られる事が多い、とにかくまぁレジェンドといえば今現在この人以上に相応しい人はいないでしょう。

が、この人ほど実は、実際の音楽と”レジェンド”という何だか遠く有り難いところに居るような飄々とした大御所のイメージとは程遠い人はいないんです。

どの年代のどのアルバムでも、この人のプレイといえば、心身の奥底にある衝動をコントロールすることなく、常に全力でドバー!と出すことのみに特化していて、何というか売れようがトシ食おうが、ドス持って捨て身で突っ込んでゆくチンピラの気概を、この人はいつまで経っても感じさせるんです。

試しにこれ↓


2017年のコンサートの動画なんですが、カジュアルなオシャレをしてギャリギャリの音でギターを弾きじゃくり「イャァァアアア!!」という裏声のシャウトをも厭わない。

しかも渾身のトチ切れたようなシャウトをして満面の笑顔(!)

これが80過ぎのご老人だよと言って、バディ・ガイ知らない人のうち何人が「そうだね、年相応に渋いよね」と思うでしょうか。えぇ、年齢なんてこの人にとってはタダの数字に過ぎんのです。

で、本人はこんな凶悪なプレイをするにも関わらず

「いや、オレはマジック・サムとかオーティス・ラッシュみたいにゃ上手くは弾けないんだよな」

と、照れながら語るほどのウルトラ・シャイ。

そのシャイぶりは実は筋金入りで、シカゴに出てきて出演させてもらえるところを必死で探していたのに、ドギマギしてしまってその事をいつも上手く切り出せないので、見かねた先輩のマディ・ウォーターズが

「コイツはいいギターを弾くんだぜ」

とあちこち連れて回り、仲間のオーティス・ラッシュに

「なぁバディ、おめぇいつまでもそんなんじゃあせっかくいい腕持ってんのにラチがあかねぇ。オレがレーベルを紹介するよ」

と、当時ラッシュが所属していたコブラ・レコードを紹介され、そこでようやくソロ・デビューにあり付けたという話はとても有名です。

そこを指摘すると

「あぁそうだよ、オレはシャイなんだ。何で”バディ”って名乗ったんだろうな、本当は”シャイ・ガイ”なのになぁ(笑)」

と、謙遜して言うでしょう(そう、シャイだけどとってもお茶目なんです)。

えぇ、そういう人なんです。これ以上の回りくどい説明は要らんでしょう。

今日はそんなバディ・ガイの持ち味である”キレの醍醐味”が最高に楽しめる狂気の名盤『ストーン・クレイジー』をご紹介いたしましょう。





【収録曲】
1.I Smell A Rat
2.Are You Losing Your Mind?
3.You've Been Gone Too Long
4.She's Out There Somewhere
5.Outskirts Of Town
6.When I Left Home

バディが”シカゴ・モダン・ブルースの若手注目株”として注目を浴びたのが1960年代。

この地の牙城であるチェス・レーベルに初のフル・アルバム(チェスから出したシングルを集めたLP)『アイ・ウォズ・ウォーキン・スルー・ジ・ウッズ』を1968年にリリース。

70年代は更に勢いに乗り、かつ生涯最高の相棒と言えるハープ吹きのジュニア・ウェルズとのコンビを本格的に始動し、シカゴ・モダン・ブルースのヤバいエキスを煮込んで煮込んでぶちまけたような凄まじいノリの作品を多数リリースしております。

このままバディは順調に活動して、ノリにノッて今に至るのかなと思うでしょうが、ここから長く苦しい不遇の時代が続きます。

バディはもちろんブルースマンとして、ライヴでは好調な活躍をしていたし、彼をリスペクトするロック・ミュージシャン達からは相変わらず兄貴兄貴と頼りにされてはおったんですが、80年代といえばとにかくテクノロジーを尽くした最先端な音楽がもてはやされていた時代。

いかにバディといえども、音楽シーンの華やかな表舞台には出ること叶わず、悶々とした日々を過ごしていたんです。

このアルバムが録音されたのは1979年。

丁度不遇の時代に入る直前に、シカゴで立ち上がった新興のインディーズ・レーベル”アリゲーター”によって録音されたアルバムなんですが、これがもう狂気、怒気、緊張感、フラストレーション、その他もろもろのものが限界まで詰め込まれたかのような、まるでこれから始まる不遇の時代を先取りしたバディが「どうにもならねぇこと」と必死で、いや捨て身で格闘しているかのような、壮絶な内容であります。

編成はバディと弟フィル・ガイのサイドギターにベース+ドラムスの最小限、収録曲はたったの6曲なのですが、1曲の長さと重さが半端なく、聴いていて息が詰まるほどの空気が最初から最後まで充満しております。

どれぐらい凄い内容かというと

「バディの最高傑作と言ったらコレだよな」

と言った人が、その直後に

「でも、気迫が凄すぎて正直最後まで聴くのがしんどいんだ」

と、驚嘆と落胆の声を同時に上げるほど。

この時バディは40を過ぎた辺りなんですが、先ほども言ったようにこの人にとっては年齢なんぞはタダの数字でしかありません。

楽曲を単なる素材と冷酷に割り切って、与えられた時間のほとんどをギター・ソロの即興で、渾身の念を込めて、そして普段は出さない「ウゥン、ウゥン、アァ〜ア」という唸り声も交えて、普段の”カミソリのような”と形容される鋭角なソロに尋常ならざる加重を乗っけたナタのようなチョーキングで、一曲辺りの長い空間を切り裂いてゆくバディ。

何度も何度も聴いて、アタシ自身も「楽しむぞ!」という意識が、この怨念の塊のようなパフォーマンスに弾き返されてるんですが、それでもこのアルバムは間違いなくこの人の狂気の側面が最高に詰まっているものであり、ここに音作りやプロデュースなどの、制作側の”大人の意見の反映”は一切ありません。

ブルースってもちろんカッコイイ音楽で、それこそその楽しさを知ると、もう毎日がウキウキになってしまうぐらいの音楽ではあるんですがどうでしょう、もっと深くブルースを好きになるために、たまにはこれぐらいヘヴィなものを聴いてみるのもいいと思います。



”バディ・ガイ”関連記事


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2018年01月09日

永井ホトケ隆のブルースパワー・ラジオ・アワー

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永井ホトケ隆のブルースパワー・ラジオ・アワー
(Pヴァイン)

このブログは”奄美のCD屋”が、有名無名古今東西に関係なく良い音楽を紹介しようと、割とイキリ立って実際耳にして「これは本当にいいぞ!」と感じたものを紹介しているブログです。

その音楽を知っている人はもちろん、その音楽を知らない人にこそ、出会って衝撃を受けたりジワッと深く感動して欲しい。そして願わくば、このブログを読んで新たな音楽に出会う皆さんが、それぞれの人生をもっと豊かなものにするために、音楽というものをじゃんじゃん活用して欲しい。そういうささやかな願いを込めて書いております。

というわけで、アタシの大切な音楽として”ブルース”という音楽があります。

ブルースは今のロックやR&B、ポップスなど、アメリカやイギリス原産のポピュラー・ミュージックの最も大きなルーツのひとつとして、音楽を語る時絶対にハズせないという、音楽史的観点から言うところの重要度や影響の大きさもさることながら、やっぱりあらゆる音楽の、精製前のネタといいますか素と言いますか、そういったものであると思うんです。

ルーツだから崇めなさいとか、そんなことを言う人には耳を貸さなくてもいいと思います。やっぱり大事なのは音楽としてどうなんだ、感動出来るのか、ということなんですが、イエス、ブルースという音楽は、古き良き時代の空気を濃厚に纏いながらも、その実その音楽から醸し出される深いコクや味わい、人間の感情のコアの部分にうごめくもののリアルな息遣いのようなものを、誕生から100年以上経った今の時代にも余計な装飾ナシでキッチリと聴く人の耳と心に届けてくれる素晴らしい”今の音楽”です。

ブルースを聴いて、そのカッコ良さにシビレて、そして自分自身もブルースという音楽を必死で聴き狂い、挙げ句歌ったり演奏してしまうような人がいて(はぁいアタシです♪)、そういったのめり込み方を”ブルースに憑りつかれる”とか言いますが、今日ご紹介するCDは、我が国日本において”ブルースに憑りつかれた男”が何とブルースを紹介するラジオ番組を、そのまんまパッケージングしたという正気の沙汰とは思えない素晴らしい企画のコンピレーションなのであります。

日本に”ブルース”というものが入ってきたのは、実は戦前なんですが、B.B.キングやマディ・ウォーターズなど、いわゆるブルースマンと呼ばれる人達が本格的に紹介され、レコードもお店に並ぶようになったのは大分後で、1970年代が始まるか始まらないかぐらいの頃だったと思います。

丁度ビートルズ旋風が吹き荒れて、そこから若者が大量にロックに目覚めた時期ですね。

そんな60年代末から70年代初頭に

『ロックバンドをやっていた時聴いたブルースにシビレるぐらいの衝撃を受け』

た人達が、我が国におけるブルース第一世代としてシーンを牽引し、今も最前線で大活躍していて、この世代の方々が素晴らしいと思うのは、自分で演奏して楽しむだけじゃなく、ブルースという音楽を知って欲しい!楽しんで欲しい!と、書籍や雑誌での執筆やメディアでのブルースの紹介を、凄く分かり易く丁寧にしてくれているというところにあります。

本日ご紹介する永井ホトケ隆さんも、そんな日本を代表するブルースマンであり、積極的にブルースの魅力を世に紹介している偉大なブルース伝道師の一人です。

元々大学時代にロックバンドをやっていましたが、在学中に耳にしたブルースに衝撃を受け「コレだ!」と思って翌年の1972年、自身のバンド”ウエストロード・ブルース・バンド”を結成。ブルースの拠点として盛り上がっていた大阪で、憂歌団や上田正樹、山岸潤史らと関西のブルース・シーンを築きつつ、東京で活躍する妹尾隆一郎、吾妻光良、小出斉らとも親交を深め、様々なセッションやライヴイベントの主催をするだけでなく、ギター教則本の執筆にも力を注ぎ、日本でブルース人口を広めることに大きく貢献します。

この人の功績は本当に書ききれないほどいっぱいあるんですが、今現在、演奏活動以外で最も注目を浴びているのが、ラジオのパーソナリティであります。

青森県弘前市のFMアップルウェーブにて『BLUES POWER』というラジオ番組を、2008年から開始。

この番組は永井ホトケさんが、毎回解説と共にブルースを流し、その魅力や実際に体験した貴重なエピソードを語る番組として放送を開始して以来、ジワジワと人気が盛り上がり、今は青森や東北だけでなく、全国のコミュニティFMなどから聴けるようになりましたが、何と、アタシが住んでいるあまみエフエム”ディ”でも日曜日の夜10時からの番組として放送されてるんですね〜♪

番組タイトルは、ホトケさんが最初に結成したバンド、ウエストロード・ブルース・バンドのファースト・アルバムのタイトルからで「聴けばブルースが好きになる」のコンセプト通り、主に一人のブルースマンやブルースウーマンにスポットを当てて、そのアーティストの素晴らしさ、音楽のカッコ良さ、人間的な魅力、そして自らミュージシャンであるホトケさんは、演奏スタイルなどについても、非常に丁寧に、愛のある関西訛りの喋りで、かなり掘り下げて解説してくれます。

しかもその解説が、全然マニアックじゃないんですね。「とにかく聴いてもらおう、知ってもらおう」と、物凄く考えておられて、ブルースマンの面白いエピソード(ホント人としてぶっ飛んでる人達ばかりなので、最高なエピソードばっかなんですよブルースマンは)を中心に、知らない人が聞いても楽しく夢中に聞かせてくれるんです。

もちろん選曲も最高で、代表曲と言われるような有名曲から「そんなにヒットした曲じゃないけどこれは凄い演奏なんですよ」というレアなものまで、番組の中で1曲丸々しっかりとかけてくれる。


【収録】
1.ザ・ブルース・パワー/I BELIEVE
2.DJ Talk about “Mojo Hand”
3.ライトニン・ホプキンス/MOJO HAND
4.DJ Talk about “Riding In The Moonlight”
5.ハウリン・ウルフ/RIDING IN THE MOONLIGHT
6.DJ Talk about “Roll ‘N’ Roll”
7.ジョン・リー・フッカー/ROLL ‘N’ ROLL
8.DJ Talk about “Keep On Drinkin’”
9.リトル・ブラザー・モンゴメリー/KEEP ON DRINKIN’
10.DJ Talk about “Swingin’ The Boogie”
11.ジェームス”ピート”ジョンソン/SWINGIN’ THE BOOGIE(SUNSET ROMP)
12.DJ Talk about “Hey Hey Baby”
13.Tボーン・ウォーカー/HEY HEY BABY
14.DJ Talk about “Blue Shadows”
15.B.B.キング/BLUE SHADOWS
16.DJ Talk about “Talkin’ Woman
17.ローウェル・フルスン/TALKIN’ WOMAN
18.DJ Talk about “Match Box Blues”
19.ブラインド・レモン・ジェファーソン/MATCH BOX BLUES
20.DJ Talk about “The Sky Is Crying”
21.エルモア・ジェイムス/THE SKY IS CRYING
22.DJ Talk about “Little By Little”
23.ジュニア・ウェルズ/LITTLE BY LITTLE
24.DJ Talk about “Easy Baby”
25.マジック・サム/EASY BABY
26.DJ Talk about “I Can’t Quit You Baby”
27.オーティス・ラッシュ/I CAN’T QUIT YOU BABY
28.DJ Talk about “I Feel So Good”
29.J.B.ルノアー/I FEEL SO GOOD
30.DJ Talk about “Kansas City”
31.ウィルバート・ハリソン/KANSAS CITY
32.ブルース・ザ・ブッチャー/VOODOO MUSIC



ただ、ひとつだけ不満があるとすれば、30分番組なので、楽しく深いトークとゴキゲン極まりない選曲で、気持ちが最高にノッてきているうちに、あっという間に番組が終わってしまう。

ブルースが好きで、或いはホトケさんのこの番組でブルースのカッコ良さに目覚めた人は、きっと次の回まで淋しい気持ちで過ごすんじゃないかと思います(はぁいアタシです)。

だもんでこの番組をもっと楽しみたい!ブルースをもっと好きになりたい!という人、はたまた番組を聴いてみたいけど、夜は大体家にいないという人のために、何と『ブルースパワー』番組そのまんまの内容を忠実に再現して、しかも収録時間もたっぷり長いCDが、2015年に番組放送7周年記念盤としてリリースされました!

これはもう細かい事は言いません、聴きましょう。

収録されているのは、ブルースといえばこの人のこの曲!ぐらいの有名曲がたっぷりと、興味はあっても"最初の1枚"としてはなかなか手が伸ばし辛い戦前ブルースが3曲(特に戦前ピアノのリトルブラザー・モンゴメリーと、ジャズにも大きな影響を与えたジェームス・ジョンソンのブギウギ・ピアノの2つを入れたのはホント素晴らしい!)、そしてホトケさんの「この人絶対カッコイイから聴いて!」という愛を強く感じるシカゴの個性派&社会派シンガー、JBルノアーや、実はマルチ楽器奏者のR&Bシンガー、ウィルバート・ハリソンなど、渋いところも解説付きで聴けるのも有難いところです。

収録曲は番組同様全て丸々1曲がキッチリ手抜きなく入っておりますので、このCDは全くブルースのCDを持っていない人のための、これ以上ない入門用コンピレーションとしてオススメです。

また、ブルースをある程度聴き込んだ、またはこれに入ってる曲は大体持ってるよという人にとっては、ホトケさんの解説を聴くだけでもお釣りがくるほどの価値があります。

実際数々の現場でブルースマンのぶっ飛び行動や、人としての暖かさや奥深さにたくさん触れてきたホトケさんが語るエピソードの数々は、ブ厚いディスクガイドや本と同様かそれ以上の価値があり、既に知っている(持っている)ブルースのCDやレコードを、今の100倍深く楽しませてくれるでしょう。これはアタシが保証します。

あんまりホトケさんのトークの中身を書くとネタバレになりますので書きませんがひとつだけ、ブルースマンというのは、若い人がブルースを歌ったり演奏することを、自分の事のように喜んでくれる人達
なんです。

日本人だからとか白人だからとか、そんな事は関係ない、みんな心にブルースを持っている。だから俺達は魂込めてブルースをやってきたし、それを若いヤツらが受け継いでくれるのは嬉しいよ。

というような、ホトケさんが本当に嬉しそうに語るブルースの巨人達の暖かいエピソードを聞いて、アタシはブルースが好きで本当に良かったし、ブルースという音楽がますます好きになりました。

ブルースマン、自分の事なんかより、ブルースを聴いてもらう、知ってもらう、そして好きになってもらう事の方が大事なんですよ。

そしてそんな巨人達のスピリッツを引き受けるかのように、全国をツアーしながらブルースの魅力を伝えることに全てを惜しまない永井ホトケ隆さん、最高にカッコいいブルースマンです。




↓そして『永井ホトケ隆のブルースパワー』大好評につき、2018年1月25日に第2段がリリースされます!これも聴くぞー!!みんな聴いてー!!





”ブルース入門編 〜初心者のための優しいブルース講座〜”



『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2017年12月23日

チカソー

昨晩は名瀬屋仁川通りに程近い入舟町のバー『WOODNOTE』にて、アコースティック・クリスマス・ライヴに弾き語りで出演してきました。

といっても「クリスマス?ケッ」ぐらいの実に硬派で濃いメンツが集った、非常にディープで、10組出演した中で似通った音楽性の人達同士というのが全くいないという、色んなロックとロックンロールとブルースの狂乱の宴。えぇ、久々に深夜遅くまで楽しみましたよ〜。

「とりあえず歌え」というオファーを頂いた先週から、アタシは今回は全曲ブルースで行こうと決めてました。

しばらくギターを触ってなかったので、リハビリのためにオープンAチューニングの勘を取り戻すべくロバート・ジョンソンをやっていたら、案外弾けてなくもなかったので、ロバート・ジョンソンの2曲(『Kind Herted Woman Blues』『Come On In My Kitchen』は決まり。さてあとは何を歌おうか、おっとジョン・リー・フッカーの『Hobo Blues』があったべな、じゃあこれにしよう。あとオープン・チューニングでいけるのは・・・おぉ!アルヴィン・ヤングブラッド・ハートの『Big Mama's Door』があったではないか!じゃあこれ。

という具合に割と楽しく選曲をしてたんです。

で、久々の身を入れた練習。

洋楽曲を練習する時、アタシはまず歌詞カードをじっくり読んで頭に叩き入れ、歌詞カードがない時は聴き取りで歌詞の意味を頭に入れるところから始めます。

英語を”音”として覚えてその音の通り発声するのが一番手っ取り早いんですが、それだとよくある”雰囲気英語”になってしまいます。これはいけない。

という訳で、それこそこれらのレパートリーは頭に派生系の物語が生まれるまで何度も何度も聴き込んで読み込んで、昔モノにした曲ですが、意味を馴染ませるのにやり過ぎということはありません。

しかし、ひとつだけ歌詞の意味は分かったけど、その意図がよく分からなかったのが、一人だけ世代の違うアルヴィン・ヤングブラッド・ハート(1996年デビュー当時33歳)の『ビッグ・ママズ・ドア』です。



親指で弦をバチバチ弾く、非常にかっこいいデルタ・ブルース系の曲です。

このギターに憧れて、若い頃必死で研究し”オープンAの3フレカポ”に辿り着くまで3年ぐらいかかった曲なんですが、様になるように歌えるまでにはもっと時間がかかりました。

というのも、歌詞が実に牧歌的で、特にこれといった深い意味もないように、その当時思ったんですよ。

以下に歌詞と手前でやった訳をのっけます。


『Big Mama's Door』
(Alvin Youngblood Hart)

Goin' Down to Chikasaw
Gon' Take That Right Hand Road
Said I Ain't Gon Stop
'Til I Come Up in Big Mama's Door

Folk Down to Chikasaw
Say They All My Name
And When I'm Down There,Man
They Sho'be Glad I Came

Girl That I'm Lovin'
Got the Great Long Curly Hair
But Her Mama and Papa
Sho'Don't How Me There

What You Gonna Do
When You Find Your Biscuit Roller Gone?
Get in That Kitchen,Man
And Roll'em'Til She Come Home

Get Up in Them Woods
Man,We Sho' Have Lots of Fun
When I Come 'Round That Conner
Gonna See My Pony Run

Goin' Down to Chikasaw
Gon' Take That Right Hand Road
Said I Ain't Gon Stop
'Til I Come Up in Big Mama's Door

【日本語訳】※てきとう

チカソーへ行くんだ
道をまっすぐ、ビッグ・ママ(ばあちゃん)んちへ辿り着くまで
オレは一気に駆け抜けるんだ

チカソーのヤツらは
みんなオレの事を知ってるから
オレが来てそこに居る間は
いい感じに歓迎してくれるだろう

オレの愛しい女は
長いカーリーヘアだぜ
けどアイツのママとパパは
(オレに)あんまりいい顔はしない

ビスケットローラーが
なくなっちまっていたらどうする?
キッチンに駆け込んで
彼女が帰ってくるまでにロールしておけよ

森へ行こうぜ
たくさんのお楽しみが待っているから
そこのコーナーを回って来た時に
オレのポニーが走ってくるのを見たいんだ

チカソーへ行くんだ
道をまっすぐ、ビッグ・ママ(ばあちゃん)んちへ辿り着くまで
オレは一気に駆け抜けるんだ




どうです?簡単にいえば「ばあちゃんがいるチカソーに彼女がいる」ぐらいの他愛もない感じで、ビスケットローラーやポニーのくだりが、ブルースによくある性的な暗喩表現だなとは思うのですが、余りにもほのぼのとしてて、歌詞になかなか感情移入が出来ない。

ブルースの場合は歌詞の意味を呑み込むと、意味以上のへヴィなものがドワーッと降りてくる瞬間があって、アタシはコレを”ブルースが憑依する現象”と呼んでるんですが、この歌からは挑んでも挑んでも、待っても待っても”それ”が降りてこなかった。あぁだから家では歌っても人前で披露することはなかったんだ、そうじゃったそうじゃった・・・。

と、はいごめんなさいして歌詞カードを閉じようとしたんですね。

そしたら歌詞カードの隅っ子に書いてる注釈に

※チカソー:オクラホマ州に位置し、同名アメリカン・インディアンの居住区として知られる。

と、書いてあって、はい、読者の皆さんはこの時点でお気付きだと思いましょうが、アタシの脳裏を物凄い勢いで横切ったのはコレです。






この数日間、アタシの頭にこびりついて離れなかった『ブルースの成立とアメリカ・インディアンの”失われた文明”との深い関わり』のこと。

え、え、え??ちょっと待って!

と思って、アルヴィン・ヤングブラッド・ハートのことをよく調べてみました。彼もまたその複雑な成り立ちのブルースに出自が絡まっている末裔の一人ではないかと・・・。

アルヴィン・ヤングブラッド・ハートは1963年カリフォルニア州オークランド生まれ。

残念ながらその父母のルーツには、先住民と思しき人物の話は確認できませんでした(お父さんはGM社に務めるフツーのサラリーマン)。

が、彼の祖父母がミシシッピのデルタ地帯のど真ん中にあるキャロル・シティという村に住んでいて、少年時代はその”19世紀で時間が止まったような場所”で生活しておったそうなんです。

そして、そこに住んでいる叔父さんが、何と若い頃にチャーリー・パットンを観たことがあり、その話をアルヴィンは”鮮烈な原体験”として耳にしているという話なんですね。

ほうほう、ここでアタシの中で一本繋がりました。

そのギター・スタイルは戦前のカントリー・ブルースやヒルビリーまで網羅する幅広いものでありながら、とりわけミシシッピ・デルタ・ブルースへの造詣が深く、アルバム『ビッグ・ママズ・ドア』ではパットンの代表曲『ポニー・ブルース』をオリジナルに忠実な素晴らしいカヴァーで収録しているアルヴィンの、少年時代の鮮烈な原体験として、ミシシッピ・デルタでの生活や、叔父の「パットンを観た話」があるのなら、言い方は変ですがデルタの地霊となって彷徨っているパットンの、レコードや演奏を通しての交信というのはあったに違いなく、彼の内なるパットンが『ビッグ・ママズ・ドア』という曲を書かせた。

事実、この歌をパットンの物語として読み解けば、驚くほどリアルなドキュメントとして実感を覚えることが出来ます。


Goin' Down to Chikasaw
Gon' Take That Right Hand Road
Said I Ain't Gon Stop
'Til I Come Up in Big Mama's Door

そう”ビッグ・ママ”は実在したパットンの、アメリカ・インディアンの祖母であり、歌詞の中の”チカソー”は言うまでもなくその祖母の住む居留地。

Girl That I'm Lovin'
Got the Great Long Curly Hair
But Her Mama and Papa
Sho'Don't How Me There

そこでは美しく、自分に好意を寄せているネイティヴの彼女がいる(”カーリーヘア”で濁しているが”ロング・ヘア”は間違いなくインディアンの象徴)。しかし、黒人の血が濃い、つまりピュア・ネイティヴでないパットンが夫になることを、部族の両親は許さない。

Get Up in Them Woods
Man,We Sho' Have Lots of Fun
When I Come 'Round That Conner
Gonna See My Pony Run

Goin' Down to Chikasaw
Gon' Take That Right Hand Road
Said I Ain't Gon Stop
'Til I Come Up in Big Mama's Door

つまりこの居留地から抜け出して、二人で駆け落ちしようぜ。そう、今回こそはそのつもりで、オレ(パットン)はあの娘のいる、ビッグ・ママの居留地へ行くんだ。

と、最初の印象とはまるで違う深いストーリーが成り立ちます。

更に皆さん、この記事を読んで下さい(アタシにこのテーマについて考えるきっかけを与えてくださった方のブログ、必読です)↓
『岩野亮介 工房報告』〜 チャーリー・パットンのチェロキーへの帰属問題「Down the dirt road blues」

この歌詞をもっと深読みして

『”チカソーの娘”を、パットンが切望して結局勝ち取ることが出来なかったチェロキーの土地の権利』

として読むことは出来ませんか?



そして更に、これはアタシ自身の不勉強を恥じねばなりませんが、歌詞カード注釈の

『※チカソー:オクラホマ州に位置し、同名アメリカン・インディアンの居住区として知られる』

これ実は惜しい間違いで、地名の”チカソー”は、ミシシッピ州にある「かつてチカソー族が住んでいた土地」であり、そのチカソー族は、チェロキーやクリーク、チョクトー、セミノールといった他の部族らと共に、オクラホマの辺鄙な居留地に強制移動させられ、現在細々とその命脈を保っておるのです。

アルヴィンがその事実を知らないはずはなく、敢えて今現在チカソーの住んでいない”チカソーへ行くんだ”と歌った意図は、それこそ

「ブルースのルーツである、失われたアメリカ・インディアン文化への魂の旅」

であるのではないでしょうか。

いや、たまたま「この曲いいな、今度歌おうか」と、軽い気持ちで練習した『ビッグ・ママズ・ドア』の、一見他愛もない歌詞に、そこまで掘れる深い意味があったとは・・・。ただただ驚愕すると共に、これはもうブルースの導きだなと腹を据える気持ちでおります。

















”ブルース入門編 〜初心者のための優しいブルース講座〜”



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2017年12月19日

ヒューストン・ジャンプ・ブルース


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ヒューストン・ジャンプ・ブルース

(Pヴァイン)

さて皆さん、昨日の『ジャズとブルースの隙間の話』お楽しみ頂けたでしょうか?





ここでお話したのは、1930年代から40年代の、主にニューヨークでブームを巻き起こした大衆音楽”ジャイヴ”と”ジャンプ”のことでありますが、さぁ、本題はここから(!)今日はアメリカ地図をずずずぃ〜っと下ったアメリカ南部で、1940年代から50年代にかけて大流行した独自のジャンプ・ミュージックについて語ります。

はい、勘のいい読者の方は「南部っていやぁブルースの本場だもんな」と思ったに違いありません。そうなんです、ブルースの歴史はミシシッピとテキサスから、ジャズの歴史はその中間にあるルイジアナ州の港町、ニューオーリンズからと言うように、この一帯はアメリカ大陸を席捲する全てのブラック・ミュージックの故郷。

しかし、ジャズが港町ニューオーリンズの軍港閉鎖の煽りを受けてごっそり北部の都市シカゴ、続いてニューヨークへと旅立ってからも、南部ではトラディショナルなスタイルのジャズやブルースが、依然根強く好まれており、ここで独自の音楽へと変容を遂げていったんですね。

さて、お話はブルースの一方の故郷テキサスであります。

テキサスといえばブルースの故郷であると同時に、西部開拓の一大拠点、そしてカウボーイの都として、アメリカの中でもとりわけ、良く言えば開拓当初の精神を堅持している、悪く言えばスーパー保守な土地柄として、今も半分冗談で「アメリカの中の独立国家」「南部共和国」とか呼ばれているところであり、色んな意味で独立性が高いというのは、以前もお話しましたが、これは音楽の分野ではより顕著に表れておりました。

何でかというと、メキシコに国境を接している土地柄もありましょうが、テキサスは他のアメリカ南部の州と違って、ダラスやヒューストンなど、なかなかの規模の大都市を州内にいくつか持っていたんです。だから北部の大都市との関わりをさほど持たなくても自前で何となく成り立ってしまえる。そういう強みがあったんです。

だから「シカゴやニューヨークでこんなのが流行ってるよ!」という情報が入ってきても、それを

「おぉ、都会の音楽、イカすなぁ!」

と、こぞって真似するんじゃなくて

「シカゴがニューヨークが何かちゃ!ワシらのやっとる事のがカッコ良かたい!!」

「おぅ、クラブもようけあるし人口も500万からおっとぞ!負けんわ!!」

と、何かと張り合う気持ちの方が強かったらしく、どこか強烈にオリジナルなものになってしまうというのが、テキサスから生まれた音楽の宿命でもありました。

そんなテキサスはヒューストンの土地柄から生まれたのが、ヒューストン・ジャンプであります。

これ、いわゆる都会の”ジャンプ・ミュージック”の形態(ビッグバンドにヴォーカル、そしてホンカーと呼ばれるソロでバリバリ吹くテナー・サックス奏者が一通り揃ったフルバンド)を下敷きにしたものがほぼ土壌になっておるんですが、ここでテキサス独自の楽器が大々的に主役張ります。

そう、エレキギターです。

テキサスは元々ブルースがジャズを凌ぐほどガッツリと人気を掴んで離さなかった土地であります。

ピアニストもサンタフェを中心に素晴らしい人材が多く世に出ておりますが、やはりギターの歴史は戦前のブラインド・レモン・ジェファソンが独自に切り開いた単弦奏法をエレキギターで発展させたT・ボーン・ウォーカーという巨人が出現し、またT・ボーンに影響を受けた”ソロを弾くギタリスト達”が40年代次々に出てきて音量(アンプに突っ込んだら管楽器と対抗できる音が出るというのは、当時凄まじく画期的なことでした)とテクニックを競って、テナー・サックス奏者同士のバトルと同じくエレキギター同士のバトルというものステージの目玉となる出し物でありました。

ここなんですよ、ヒューストン・ジャンプと他のジャンプ・ミュージックとの決定的な違いというのは(!)。

はい、その違いを決定的に裏付ける人物が1940年代に”Tボーン・ウォーカーのライバル”として現れました。

ジャジ―で洗練されたフレージングで聴衆を魅了していたTボーンに多大な影響を受けながら、あくまで南部の荒くれだったワイルドネスを表現のコアとして、ギャリンギャリンにトンガッた音で弾き倒す、ルイジアナ生まれのクラレンス・”ゲイトマウス”・ブラウンその人であります!

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(見よ!このワルそーな顔!!)


ゲイトマウスのド派手で攻撃的なギター・プレイは、フルバンドの凶暴なホーン・アンサンブルにも負けない音の強さと存在感を放っておりました。ヒューストンで活躍するバンドマン達はこぞって彼のスタイルを真似し、また、バックバンドもコッテコテのブルースギターやブリブリのホンク・テナー、ガンガンなブギウギ・ピアノに合わせた、極端に弾むタテノリのシャッフルビートを、聴き易さより扇情的なノリに特化した形にどんどん研ぎ澄まされて、これが”ヒューストン・ジャンプ”となって行ったのです。





ゲイトマウス・ブラウンの初期ピーコック音源は、そんな感じのモロにゴキゲンなヒューストン・ジャンプ・サウンドであります♪


さて、この”信じがたくアグレッシブ”なギタリスト、クラレンス・”ゲイトマウス”・ブラウンとその周辺で発展したヒューストン・ジャンプは、曖昧ではなくハッキリとその後のロックンロールに直接の影響を与えます。 何せビートも激しいし、サウンドも”大きいことはいいことだ”とばかりに派手でギラギラしております。

ヒューストン・ジャンプはテキサスだけじゃなく、ルイジアナやミシシッピといった南部一帯で大人気でした。ティーンエイジャーだったエルヴィスも当然ヒューストン・ジャンプの疾走するビートには大きく感化されたことでしょうし、この辺の影響を語るとキリがありません。



さて、この狂乱の音楽は多くのスターを生んでおりますが、ロックンロールの分野で有名なのが何といってもビッグ・ジェイ・マクニーリー



そして後にアトランティックの専属として、アレサ・フランクリンのバックバンドや70年代は多くのジャズファンク名盤を残したキング・カーティス。



この辺の超の付くテナー・サックスの名手もヒューストン・ジャンプ出身で、いずれも野太い音でエレキギターと張り合いながらブリブリゴリゴリ言わせておった。




【アーティスト/収録曲】
1.メルヴィン・ダニエルズ・ウィズ・キング・カーティス・オーケストラ/Boogie In The Moonlight
2.メルヴィン・ダニエルズ・ウィズ・キング・カーティス・オーケストラ/I’ll Be There
3.メルヴィン・ダニエルズ・ウィズ・キング・カーティス・オーケストラ/Hey Hey Little Girl
4.メルヴィン・ダニエルズ・ウィズ・キング・カーティス・オーケストラ/If You Don’t Want My Lovin’
5.キング・カーティス/unknown instrumental
6.キング・カーティス/unknown instrumental
7.クイン・キンブル/Blue Memories
8.クイン・キンブル/Feel My Broom
9.ラッキー・イーノイス/Zig Zag Ziggin’
10.ラッキー・イーノイス/Crazy Man Crazy
11.クラレンス・ガーロウCrawfishin’
12.クラレンス・ガーロウ/Route“90”
13.コニー・マクブッカー/Love Me Pretty Baby
14.コニー・マクブッカー/All Alone
15.コニー・マクブッカー/Love Me Pretty Baby
16.ペパーミント・ハリス/Bye Bye Fare Thee Well
17.プリーチャー・スティーヴンス/Whoopin’&Hollerin’
18.プリーチャー・スティーヴンス/So Far Away
19.マーシー・ディー/True Love
20.マーシー・ディー/Come Back Maybellene
21.キング・カーティス/unknown instrumenta
22.キング・カーティス/unknown instrumental
23.ペパーミント・ハリス/The Blues Ain’t Nothing


という訳で、我が国で編集されたアルバムの中では最も"ヒューストン・ジャンプ"という音楽がまとまった形で聴く事が出来るアルバムがコチラ。

モダン/RPM/フレアといった1940's〜50'sの南部のイカしたブルースの、ジュークボックス・ヒット狙いのシングル盤をザクザク出していたレーベルの、アルバム未収録のレア曲ばかりを我が国のPヴァインが掘り起こして編集したという凄いコンセプトのオムニバスであります。

「レア音源集」といえば、マニア向けで初心者にはちょっとアレなんじゃないの?とかの心配は、この辺りの音楽にはご無用と思ってください。

何てったってアレンジだの編成だの知名度だの、そんな小難しいことなんかよりもノリと熱量が全てのヒューストン・ジャンプ。聴けば楽しく踊れる明快な曲ばかりであることをまず保証致します。

立役者のクラレンス・"ゲイトマウス"・ブラウンこそ入ってはおりませんが、その変わり目玉として入っているのが、若き日のキング・カーティス絡みの9曲(!)、録音データを見ると1952年と53年ですから、何とコレ、カーティスがまだハタチになるかならないかぐらいの時期の、間違いなく超初期の掘り出し物。

前半はメルヴィン・ダニエルズなるシンガー/ピアニストとの5曲、後半は自身のバンドを率いての「タイトルなし」のインストが4テイクなんですが、まずメルヴィン・ダニエルズの甲高くパンチの効いた唄いっぷりが豪快ですね〜。

ピアノも丸みとそれなりの重みのある音で、ガラゴロとロールしていて、このピアノだけでもかなり聴かせるブルースになってると思いますが、ドサッぽいカーティス・バンドのモワモワしたノリが、むせ返るほどに濃い熱気で相乗効果。

続くカーティス・バンドのインストは、カーティスの一本気なパワフルブロウもいいけれど、横でいい味出している謎のバリトン・サックスの醸すロウダウン&ロッキンなノリがたまりません。

その他の収録は、コニー・マクブッカー、マーシー・ディー、ペパーミント・ハリス、クラレンス・ガーロウ、ラッキー・イーノイス、プリーチャー・スティーヴンスと、およそ一般の音楽ファンには馴染みのない名前が並びますが、皆さん、ヒューストン・ジャンプの醍醐味はむしろここからですぞ!

ここからは、キング・カーティス絡みのトラックでは聴けない、ヒューストン・ジャンプがヒューストン・ジャンプたるゆえんの"エレキギターとホーンのえげつない絡み"がもうふんだんで、いやぃエグいエグい。

ヒューストン・ジャンプではこの人アリ!と言われたギター名手にカル・グリーンという人がいて、この人は後にソウル・ジャズ/ジャズ・ファンクの、いわゆる"コテコテ"ものの世界でも知る人ぞ知る存在になるんですが、このカル・グリーンが参加してるのがクイン・キンブルのFG、コニー・マクブッカーのLMNで、特にFでのフルバンドを向こうに回して炸裂するワイルド過ぎるギター弾き倒しは、アルバート・コリンズを通過してスティーヴィー・レイ・ヴォーンにまで突き抜ける、テキサス・ギターの魂の系譜が一気に脳裏に拡がるかのような名演です。

そうそう、コニー・マクブッカーも忘れちゃならんヒューストン・ジャンプの偉大な立役者の一人で、何とB.B.キングのバックバンドにいて、名ピアニストとして名を馳せた人でありんす。

ルイ・ジョーダンの都会派ジャンプ・サウンドに憧れたB.B.が、ヒューストン・ジャンプの大物をバックに従えていたという、ブルースの骨太な歴史の一幕にも思いを巡らせたところで、ねっとりべっちょりしたクセだらけのヴォーカルの味わいと、狂ったテンションのバンドのノリも素晴らしいペパーミント・ハリスや、素性が全く解らない正真正銘の"謎のシンガー"、プリーチャー・スティーヴンスの破壊力ハンパないシャウターぶりに、チャック・ベリーの『メイビリーン』のほとんどカヴァーといっていい『カムバック・メイビリーン』でのポップな中に死ぬほどグルーヴィーなテキサス・ピアノの真髄を噛み締めるマーシー・ディーと、ホントこのアルバム全編ゴキゲンで、退屈させてくれません。


その昔先輩に

「ヒューストン・ジャンプって何ですかね?」

と訊いたら、一言

「ノリだよ」

と言われて「???」となりましたが、いや、わかる、わかります。全てがノリとイキオイな、歪んだギターと吠えるテナー・サックスと、狂ったテンションでズダスダ言ってるビートだけで説明が付いてしまう。

ジャンプ・ミュージックっていうのは確かにジャズとブルースの融合で、両方のオイシイところが上手くブレンドされた音楽ですが、ブレンドされてから無駄なものがものが全部吹っ飛んだ感が物凄くあります。

「ジャズとブルースの間」を、特に日本で教えてくれる本やサイトは少ないけれど、聴いてみると本当にその部分には楽しくてゴキゲンな音楽いっぱいあるし、こりゃあ聴いて楽しまなきゃ損なんです。皆さんレッツ・ジャンピン・ジャイヴ!





『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2017年12月18日

ジャズとブルースの隙間の話(スウィングからジャイヴ〜ジャンプ・ミュージックへ)



さてさて皆様、数日ぶりのご無沙汰でございます。12月というのは公私に渡って何だかんだと忙しくていやですねぇ。ブログをじっくりと書く時間もままならず、ヤんなっちゃいます。

さて、この何日か『ブルースとジャズの隙間問題』について色々と書いてきました。

サクッとまとめれば「ブルースとジャズの間にある音楽って凄くカッコイイし、有名じゃなくてもグッとくるものが多いから、聴かない手はないんだぜぇ」ということです。

ほんで、特にブルースやR&Bをその表現の核にしたテナー・サックス吹きのやつはカッコイイんだよね。ということで、バディ・テイトの叔父貴のアルバムを2枚紹介しました。

そこから読者の皆さんとあれこれと「ブルースとジャズ」の話で盛り上がって、ジャンプ・ブルース、或いはジャンプ・ミュージックはいいぜ!という話にもなりまして、なるほどジャズとブルースの丁度中間のイカした音楽といえばジャンプやジャイヴってことになりますなぁと。


とまぁいきなりそんなことを言われても何のことだぁ?とお思いの方も例によってたくさんいらっしゃることと思いますので、本日はちょいと過去に書いた関係アーティストの記事のリンクちょい多めでお届けしますね。

はい、それではジャンプやジャイヴって一体何なのさ?それって面白いの?ということにお答えしましょうね。

時をさかのぼること今から80年ぐらい前の1930年代、この頃はジャズでいえばビッグバンド全盛で、いわゆるスウィング・ジャズがニューヨークやシカゴなど、都会のクラブを中心に盛り上がっておりました。

そしてブルースはいわゆる「戦前ブルース」の時代。

アメリカ南部ミシシッピからメンフィスやセントルイスを経由して北部の大都市シカゴに移住したブルースマン達が、独自の洗練されたバンドブルースを奏でていたり、テキサスやルイジアナから西海岸の大都市であるロサンゼルスやサンフランシスコに移り住んだ人々が、ウエストコースト・ブルースという一派を形成したりして、こちらも盛り上がりを見せておりました。

この時代既に聴衆の間では

・ジャズ=都会の高級なクラブで盛装した楽団が演奏するもの

・ブルース=都会ではクラブで、クールなスーツに身を包んだブルースマンが演奏していたが、田舎の方では農場にある安酒場や路上でも聴ける音楽。

というイメージが大体根付いておりました。

これらのイメージは大体その通りなんですが、実は1920年代に普及したレコードがそのイメージを固定することと大きく関係しています。

今でもそうですが、ジャンルというのは音楽を売る時に、レコード会社などに説明の手間を省かせるとっても便利なものなんです。だからレコードを買う人達の階層に応じて「ジャズ」「ブルース」と、あらかじめカテゴライズしておけば、売り出しの時に中身の解説やアーティストの説明をすればいい。

お客さんも「これは何のレコード?」と訊けば店員が「それはジャズですよ」「あぁそうかジャズか、ブルースないの?」という具合に売る時に分かり易いやりとりが出来るってもんです。そんな訳でこの時代に「ジャンル分け」という概念がぼちぼち制作や販売の現場から出てきて、それがアメリカ全土に広まっていきました。

でも、現場ではそんな簡単に棲み分けなんか出来る訳がないし、何よりも演奏している当の本人達は、ほとんど商売の便宜上作られたジャンルとかは、実はそんなに意識もしておらず、ビッグバンドのシンガーとしてブルースマンが歌ってたり、ブルースのバンドがジャズらラグタイムの曲をフツーに演奏してて、で、現場で聴いてる人達も実は細かいことはあんま気にしてなかったという話だったりします。

ただ、面白いことに、この時代ブルースマンが小人数で演奏していると「もっと派手な編成で賑やかな曲やってくれよ」「田舎臭いのはやるなよ、ここはシカゴ(ニューヨーク)だ!」と注文が付いたり、ビッグバンドが真面目なインストナンバーばかりをやっていると「もっと歌入りの面白いのが聴きてぇよ」と、言われることはよくあった。

だからビッグバンドのバンドリーダーたる者、常にお客さんを楽しく笑わせる事に全力を尽くさねばならない。今やジャズの神様と言われ、まるで伝説の聖人のように扱われておりますデューク・エリントンですら、1920年代から30年代は、ギャングの経営する高級クラブに集うセレブな客を楽しませるために、コミカルな曲を作ったり、土人の恰好をさせた役者やメンバーに寸劇をさせたり、際どい衣装の女性ダンサーのバックを務めたり、そらもう涙ぐましい努力をしておりました。

そんな中で、エリントンと同時代のほぼ同じ現場で「コミカルで質の高いエンターテイメントならコイツだろう」と、グングン台頭してきたのが、キャブ・キャロウェイです。



キャブはダボダボの珍奇なスーツにシルクハットという、いかにも胡散臭い見た目でステージに上がり、ステージに上がればコミカルな楽曲と黒人スラングを多用した奇妙奇天烈な歌詞を独特の早口でまくしたてる。

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そんなコミカルな歌と(白人がバカにする)”黒人らしさ”をわざとディフォルメした大袈裟な振りでお客さんを笑わせつつ、キッチリとスウィングする完璧なバンドアンサンブルと、洗練を極めたタップダンサーのパフォーマンスなどで”聴かせる”“見せる”ことに関しても完璧でした。

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で、実はこのキャブ・キャロウェイが使ってたスラング多用の歌が、仲の良い黒人同士がかなりキツいスラングでもってからかい合う”ダズン”を発展させた”ジャイヴ・トーク”(からかいの会話)を、そのまんまスウィング・ジャズのリズムと結び付けたものだったんです。

おぉ!1970年代のニューヨーク・ブロンクス地区で誕生したと言われるラップ(ヒップホップ)のルーツは、更にその50年ぐらい前のニューヨーク・ハーレムにあったのか!!

と、アタシは喜びましたが、皆さんはどうでしょう? あ、今少しだけ「イェ〜イ」って声が聞こえました。ありがとうございますありがとうございます。誰も反応してくれなかったらどうしようかと思った・・・。

さあ、これは実に面白い。

何てったってキャブがニコニコしながら白人のセレブ〜な客に向かって大袈裟な身振り手振りでまくしてているのを見て、セレブ〜な客たちはハーレムの黒人スラングなんか分かんないから

「あっはっは、あのおかしな黒人野郎が何かわかんないこと言ってるよ」

と、笑っておったんですが、実は彼らこそがキャブに面と向かって

『お前をヤク漬けにして〇▲×☆ブチ込んで*△◎しちまうぞー』

とかいう、ホントどうしようもないことをしれっと歌われてディスられておった訳ですから。

とにかくまぁキャブ・キャロウェイは面白いぞということで、ハーレムの”面白い方の王者”として君臨しました。当然キャブみたいにやろうというバンドは増えてきます。

という訳で、ニューヨークではこのお下劣でどうしようもない”ジャイヴ・トーク”を歌うスウィング・バンドが増えました。これに合わせてダンスをするのも流行り、現在社交ダンスでも使われている”ジャイヴ”というダンスの名前もここから生まれたんですね。

しかし、流行になってくると、みんなが”ジャイヴ・トーク”の内容を段々理解してくる。かなり下品で際どいことを言っておったのが、内容がバレるとひんしゅくを買うどころか、ヘタすりゃそのまま雇い主のマフィアにかっさらわれて殺されることにもなりかねんのです。

なので歌詞も徐々にソフトになり、具体的な下ネタは男女のコミカルな痴話喧嘩程度の内容になり、ジャイヴのノリも徐々に洗練されたものになっていきます。

当然そうなってくると乱痴気騒ぎがしたい聴衆やミュージシャン達には不満が蓄積されます。特に都会の観客も、黒人層は「オレ達もっと激しく踊りたいぜ。お上品なスウィング・ジャズなんてまっぴらだ」と、もっと肉感的な、野性味に溢れた音楽を欲するようになります。

これが1930年代半ばの事で、ここでスウィング・ジャズの分野では、ニューヨークの洗練されたスウィングとはまた違った、ブルースの味付けが濃厚で、都会の聴衆が求める”跳ねるビート”を持った楽団が、中西部カンザス・シティからシカゴを経てニューヨークにやってきます。

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そう、カウント・ベイシー。

細かく言えばキリがありませんが、ベイシーの持ち味は「難しいこと抜きで、単純にリズムに乗ろう」というものでした。

1936年にリリースした『ワン・オクロック・ジャンプ』という曲が、ベイシーが世にその名を轟かせるきっかけとなったヒット曲ですが、皆さんこれどうでしょう。



リズムがシンプルに「ズ、チャッ、ズ、ッチャ♪」で、ソロも非常に分かり易く、変に凝ったコード展開もなくて形式は”ブルースの早いの”と呼んで差支えないと思います。人によっては「これ、ほとんどロックンロールだろ!?」という人も居て、その推察はあながち間違いでもありません。

1930年代後半にもなってくると、ビッグバンドのスウィング・ジャズが芸術性の高いものへと洗練されてゆく一方で、こういったシンプルな、分かり易いノリのジャズが凄くウケた。

実はこれ、都会では見向きもされなかったブルースのノリなんですね。

ベイシーが活動してたカンザス・シティは地方都市で、そういった所ではブルースやジャズの垣根がまだ建っておらず「とにかくノリたい」「踊りたい」という聴衆の求めに応じて楽団は小難しい事を極力排除したタフで直球なダンスビートを夜な夜なクラブで提供しておった。

こういったのが、ニューヨークやシカゴの大都会では、逆に新鮮だったんです。

ブルースの分野では、1940年代後半のシカゴで、洗練されたブルースの様式(いわゆる”ブルーバードビート”というやつ)に飽きた聴衆が、マディ・ウォーターズらの、南部直送のデルタ・ブルースを電気楽器で新しく味付けしたブルースに飛び付きます。

時期は若干違いますが、ニューヨークのジャズ・シーンとシカゴのブルース・シーンでは、同じような”回帰と発展ごちゃまぜのカオス”が求められてたんです。

さて、ベイシーの『ワン・オクロック・ジャンプ』を聴いて「オレらもあんなイキのいい音楽やりたいぜ」と思う若いジャズマンはたくさんおりました。

その中で頭角を現したのが、エリントンと並ぶ人気を誇っていたチック・ウェブ楽団から、エラ・フィッツジェラルドという人気シンガーを連れて独立を画策したためにクビになったルイ・ジョーダンというギョロ目の男。




彼はニューヨーク一流のビッグバンドのアルト・サックス奏者でありましたが、生まれは南部アーカンソーという、実はドロドロに濃いブルースのルーツを持つ男です。

ベイシーの”ジャンプするビート”を聴いた彼は「あ、コレはオレがガキん頃みんなが踊ってたあの感じだな」と、恐らくすぐにピンと来たことと思います。

キャブ・キャロウェイが打ち立てた”ジャイヴ”のコミカルさに、カウント・ベイシーが地方から持ち込んだ”ジャンプするビート”を巧みに結び付けたジョーダンは、深刻さを極力排除した”歌”を演奏の真ん中にズドンと置き、ブルースのシャッフル・ビートをリズムの真ん中で弾ませたヒットを連発。

また、歌詞の中でも”ロッキン”や”ジャンプ”という言葉を頻繁に使い、彼の周囲では次第にこの語を冠した”ジャンプ”というブルースの一形態が成立して行くのです。

この一連の30年代から40年代に流行したジャイヴやジャンプを総称して、今現在”ジャンピン・ジャイヴ”と呼ばれております。


ふー(汗)

今回は「ジャイヴとジャンプ」の成立について、前知識として解説しました。

次回はその流れが南部で独自の動きとなって炸裂した”ヒューストン・ジャンプ”を解説しますよー。つうかアタシはヒューストン・ジャンプについて長々語りたかったんだ。








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2017年12月10日

チャーリー・パットン(黒人ブルース)とアメリカ先住民の文化の話




郷愁は未知の荒野に吹きすさぶブルースそして乾きたる草


先週遠方から短歌のお友達がきまして歌会をしました。

『ここではないどこか』

という題で歌を詠み合った時、やはりブルースの、荒涼とした原風景のようなイメージが頭に出てきましたので、それを言葉にしたという次第です。

きっかけは、ある方の「ブルースの誕生には、私達が思ってるよりもっと深く、アメリカ先住民の文化が関わっていたのではないか?」というある方の考察です。

先日ハワイアン・スティール・ギターの巨匠、ソル・ホオピイの記事を書きました。





ソル・ホオピイのギターは、アメリカのブルースやカントリーに大きく影響を受けているし、実は影響をもたらしてもいる。

という記事内容に、ブルース好きの方々が好意的に反応してくださって「では、ハワイ音楽がブルースに与えた影響とは?」という話で盛り上がり、ある方が「1898年ミシシッピで万博が開催されて、そこにハワイのフラダンサー達が参加してる」という決定的な情報を提供して下さいました。

おお、ミシシッピといえば1900年代初頭にW.C.ハンディがブルースを採譜するために訪れて「ギターのネックにネイフを滑らせて弾いているのを目撃した」と、スライドギターが世界で初めて文献に登場するその文章を書いた場所ではないですか。

ということはということは、1898年の万博でのフラの実演を見たミシシッピの黒人演奏家が

「お、何だこれ面白いな。フラって言うハワイの音楽かぁ。ギターのヤツは何やってんだ?・・・ほうほう、ああやってギターを膝に置いてバーを滑らせるとああいう不思議な音がするんだな。オレもやってみるべか・・・」

と思い付いて、これがやがてブルースのナイフスライドやボトルネックの原型となり広まっていった・・・。

という仮説を立てても、あながち”むりやり”ではないことになります。

いずれもレコードが普及する前の話であり、また、ブルースやハワイアンの成り立ちについて細かく記載されてある文献というものは存在しないので、想像するしかありませんが、とにかくブルースという音楽は、アフリカから連れて来られた奴隷達とその子孫達が、自分達の民族的なルーツであるアフリカ音楽の残り香”だけ”で生み出したものではなく、アメリカで生活していく中で、関わりのあったあらゆる音楽からの影響を積極的に取り入れて作り上げていった、そんな壮大なスケールの音楽であると、何だかワクワクしながら感動を新たにしました。

そして、更にその方が

「ブルースの誕生には、失われたインディアン文化が深く関わっていると思います」

という、究極の考察の種を与えてくださいました。


これ、実はアタシにとっては目からウロコの一言だったんです。

皆さんもご存知のようにインディアン、つまりアメリカ先住民の文化というのは、実はとことん排斥された挙げ句に失われております。

で、アメリカのインディアン政策というのは、非常に悪質な絶滅政策なんですね。

部族というものの団結力が非常に強い彼らを厄介に思った白人入植者達は、その団結力を削ぐためにあらゆることを行いました。

部族同士を対立させ、白人側に協力して敵対部族を殲滅した部族も、先祖伝来の土地から切り離されて不毛の居留地に押し込められたり、とにかくありとあらゆる手段で追い詰められる政策の犠牲になっております。

黒人との関わりは、そうやって出来た居留地に逃亡してきた奴隷との関わりから始まります。

居留地に受け入れられた黒人達は、そこで配偶者を見付け、必然的に混血児が生まれます。

※ただ、居留地に逃げ込んだ黒人達の全てが暖かく迎え入れられた訳ではなく、やはり差別の対象であったり白人化した集団からは奴隷として扱われたりもしております。ここのとこの関係は本当に複雑なんです。


で、古い世代のブルースマン達には、実はこういったインディアンとの混血が多く、有名人だけでもマディ・ウォーターズ、ローウェル・フルスン、タンパ・レッド、チャック・ベリーなど、ザッと挙げるだけでもこれだけ出てきます(確かジミ・ヘンドリックスやマイケル・ジャクソンもそうでしたね)。

極めつけは写真のチャーリー・パットン。

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「デルタブルースの創始者」と呼ばれていて、形式としてのブルースの生みの親の一人であるとも云われておりますが、彼は顔を見ても分かるように、ネイティヴ・アメリカンの血を一際多く受け継ぐ混血です。

一説によると彼は幼い頃に祖母が暮らす居留地で育ったとあります。

パットンのプリミティヴなデルタ・ブルースを改めてじっくり聴いてみると、そのザラ付いた声と、独特の激しく打ち鳴らされる裏打ちの縦ノリに近いビートが鮮烈に醸す荒涼たる風景は、どこか他のブルースマン達が見せてくれる世界観と異質な感じにも思えます。

明らかにプランテーションや飯場、農村の黒人コミュニティだけではない、もっと淋しく閑散とした風景が、パットンの歌う”ブルース”の中に、チラッ、チラッ、と姿を現すんですね。

これ、何だろうとずっと思っておりましたが、あぁそうか、これは居留地の風景で、彼の音楽的な部分の根幹には、腰を横に揺らすアフリカ系グルーヴと、足を踏み鳴らして縦にジャンプするネイティヴ・アメリカンのグルーヴが複雑に入り組んでいるんだなと。

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教えてくださった方が指摘してくださったように、ネイティヴ・アメリカンの音楽文化は、部族文化や部族そのものの消失と共に、永遠に失われております。

なのでブルースと失われたアメリカ文化との関わり(恐らくそれはアタシ達が思っているよりずっと深く強固に結び付いているであろうにも関わらず)を、ズバリこれだ!と断言することはもう永久に出来ないでしょう。

けれども昔の音楽を聴くことで、ミュージシャン達が好むと好まざるとに依らず背負った”業”の正体のようなものに、感性で迫ることは今後とも可能だと思います。

アタシは音楽が好きです。

何故音楽を聴いているのかといえば、それはもちろん聴いて感動する、興奮する、カッコいいミュージシャンに憧れる。そういうのも理由ではありますが、そこをもっと深く問い詰めると"知らないけれど知っている風景"が浮かんできます。

正体不明の郷愁に、何故だか胸が締め付けられる時がよくあるんです。

これも多分答えは出ない永遠の問いであるとは思いますが、きっと人間の奥底にある、共通の原風景ですよね。

チャーリー・パットンのザラついた声の奥底に流れる荒涼は、とても胸にきますね。









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”ブルース入門編 〜初心者のための優しいブルース講座〜”



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2017年12月05日

マジック・サム ライヴ!

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マジック・サム/ライヴ!
(Delmark/Pヴァイン)

さあさあ、マジック・サムのアルバムは、まだまだ名盤つづきますよー!

という訳で、ブルースファン、いや、これはもう『エレキギターが炸裂する全ての音楽が好きな人にとって
、出会ってしまったら一生を捧げて聴きまくりたいぐらいになるアルバム』であると断言しちゃいます。マジック・サムの『ライヴ!』と銘打たれた2枚組のこのアルバム。

これはもう何と言いましょう。個人的な体験から申し上げるのを許して頂きますと、それまで戦前ブルースが大好きで、B.B.キング以降のモダン・ブルースに関しては「いいんだけど何だかワンパターンな曲が多いなぁ」ぐらいにしか思えてなかったアタシはコレを聴いて「い、い、いや、すげぇ、やべぇ、すいませんでした!」と、自らの不明を恥じ、CDで買って余りにも素晴らしかったものだから、思わずレコード屋さんで見かけたアナログ盤も購入してそのまま友人にプレゼントしたという、そういうことをやりました。

とにかくスタイルとか年代とか、曲とか音とか、そんなことよりも音楽そのもののパワー、いや、もっと言えばこの音盤の中に収録されているライヴと、それを演奏しているマジック・サムという人と、ライヴを目一杯楽しんでいるオーディエンスが、それぞれ「音楽ってサイコーだー!!!!」と感じ入ってるパワーに圧倒される。そう、理屈を超えてひたすら聴く人を圧倒し、その素晴らしい空気の中に力強く引き込んでくれるんですね。

1枚目がサムがよく出演してたシカゴの小さなクラブでのライヴ、そして2枚目が3万人の聴衆を前にしての大規模フェスでのライヴ。どっちの録音も、ポーダブルデッキでのマイク一発録りで当然音はクリアではない。しかし、この割れてくぐもったサウンドからリアルに伝わってくる熱気、音楽をやらずにはおれない男の凄まじい気迫の何と凄いことか。あぁ・・・(!)

はい、マジック・サムに関しては、その名を目にしただけで胸に何かアツいものが込み上げてくると、これまでもあちこちで書いておりますが、その”アツいもの”とは、すなわちこのライヴ盤に刻まれた空気そのものかも知れない。そう思っておりますし、これからも多分この考えは変わることはないでしょう。

言っておきますが、マジック・サムが生前に残した2枚のアルバム(『ウエスト・サイド・ソウル』と『ブラック・マジック』)はいずれも名盤です。いずれもサムの快調な歌いっぷり弾きっぷりと共に、1960年代後半のシカゴ・ブルースの粋とイナセを、感動しながらお腹いっぱい楽しめます。

で、このアルバムは、出来れば生前に残した2枚のスタジオ・アルバムを堪能してから、そのテンションが更に粗くリアリティに溢れた音質でドカーンと飛んでくるこのアルバムを聴いて頂きたいことなんですが、ちょっと待って、今聴きながら書いてますけど、えぇ、そういうのとりあえずどうでもいいです。最初にコレを聴いてズガーンとヤラレた人は、その時点で恐らくブルースという音楽に魅入られてしまった人ですので、えぇと、何を言いたかったか忘れてしまいましたが、聴いてください。



(Disc-1)
1.Every Night About This Time
2.I Don't Believe You'd Let Me Down
3.Mole's Blues
4.I Just Got To Know
5.Tore Down
6.You Were Wrong
7.Backstroke
8.Come On In This House
9.Looking Good
10.Riding High

(Disc-2)
1.San-Ho-Zay
2.I Need You So Bad
3.You Don't Love Me
4.Strange Things Happening
5.I Feel So Good (I Wanna Boogie)
6.All Your Love
7.Sweet Home Chicago
8.I Got Papers On You, Baby
9.Looking Good
10.Looking Good (encore)


まずは1963年と64年に収録された、シカゴのクラブ「アレックス」での演奏からいきましょう!

もう曲が始まる前から、テンションの高いアナウンスと客のヤジ。クラブの薄暗い中での熱気がムンムンとこもってるこのザワついた雰囲気、そしてサムも異常なテンションで、何度も「イェー!イェー!!」と煽りまくる。くあぁ、たまらんねぇこれ・・・と思ってたら、いきなりおっぱじまります気合いのスローブルース(!)

そしてもうのっけからアルバム全部のクライマックスが、この1曲目で来ちゃってるんですが、歌い出し

「エェェェビバデナイバウディスタァァァーーーーム!!」

のサムの声とユニゾンでハモッてるのは、何と一緒に歌ってる観客の女性。

いやいや、ブルースのライヴ盤では、確かに客が歌うのもあるし、テンションがヤバいことになった聴衆の熱狂とか掛け声とか、そういうのが凄いのたくさんありますが、この歌い出しの「知らないネーチャンとの合唱」これに勝る感動的なオープニングはそうはないだろうと思います。

で、誰だって女の子が一緒に歌ってくれれば気合いが入って機嫌も良くなるってもんです。サムは終始曲間に「イェエエイ!!」と奇声を上げ、歌もギターもヤバすぎるテンションですこぶる盛り上がります。

ブルースといえば、ギターソロで、サムもところどころ「フレディ・キングとのバトルで勝利した伝説」を裏付けるかっこいいソロを聴かせてくれますが、この盤でのサムのギターの凄さは、ソロよりもむしろギャリギャリに歪んだ音でのブギ系曲のリフ・バッキング。そうなんですよ、サムの魅力は歌とかギターソロとかそういう一部にだけ偏ってない、テンション高いし荒削りなところも味ではありますが、それでいて全体が安定してカッコイイところにあるんです。

編成はヴォーカル、ギター+ベース、ドラム。曲によってキーボードと、何とエディ・ショウにA.C.リードという、戦後シカゴ・ブルースのサックスを語る時に絶対ハズせない大物2人が同時共演。凄いですよコレ、普通はホーン・セクションといえば、サックス+トランペットとか、或いはそれにトロンボーン加えてとかが多いのに、テナー・サックスが2本ですからね。しかもどちらもサムのプレイを邪魔せずいいところで絶妙なフレーズで好サポートしておりますから流石であります。

Disc-2の1969年”アン・アーバー・ブルース・フェスティバル”はサムが亡くなる4ヶ月前の演奏で、この日サムは具合でも悪かったのか、或いは飲み過ぎたか、会場には白人ベーシストだけを引き連れてかなり遅刻して入ってきたらしいのですが、この時助っ人で「オゥ、オレが叩いてやってもいいぜ」と加わったのが、当時ポール・バターフィールド・ブルースバンドでキレッキレのドラムを叩き、それ以前にも”シカゴで一番万能なドラマー”として評判だったサム・レイ(!)

さあここから3万人の聴衆を前にしての、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスもかくやと思われる怒涛の3ピースの熱演が始まります。

オープニングはアルバムでもおなじみフレディ・キングのナンバーですが、まぁこのテンション、鬼気迫るド迫力の演奏といったらどうでしょう。えぇ?これでたった3人?マジかよ!?となること必至の音圧、空間の埋め尽くしでありますよ。

これ、録音がもっと良かったら多分ここまで音がひと固まりになって「ゴワーン!」と響く感じにはならなかったでしょうね。とにかくサムの緊張が演奏に尋常じゃない覇気を与えた歌とギター、サム・レイのバシッ!バシッ!とカッコイイところで容赦なく決まるドラミングが最高であります。

これもまた「全曲推し!」と言いたいところですが(だってホントに気の抜けた一瞬すらないんだもん)、個人的にお気に入りは『Strange Things Happening』ですねぇ。

原曲は50's R&Bの偉大なるシンガーソングライター、パーシー・メイフィールドが歌う落ち着いたスロー・ブルースですが、サムは更にテンポを落として感情を沸々とたぎらせるへヴィなブルースで歌を、2本の弦を「ギャイーン!」とヒットさせるタフなプレイでギターを炸裂させます。

ここから一気にテンポ・アップしてハイテンションのブギーになだれこんで、更にその歪んだ音と鋭過ぎるドラミングがもうヤバイんですよ。えぇ、聴いてください、聴けば分かります。

2枚組というのがウソみたいに短く感じられる、どこから聴いてもどれだけ聴いても、決して衝撃が色あせない、本当の意味での”生”の音楽の凄さです。えぇ、もうこれ以上の言葉はいらんでしょう。

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2017年12月02日

マジック・サム ブラック・マジック

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マジック・サム/ブラック・マジック
(Delmark/Pヴァイン)


12月1日はマジック・サムの命日でした。

ブルースが好きな人にとっては、もちろんこの人は、その名前を目にしただけで、何か胸に特別な感情がグッと込み上げてくる人であります。

世代的には1960年代後半にデビューし、戦後の”モダン・ブルース”と呼ばれるスタイルを切り開いた比較的新しい世代で、戦前から連綿と続くディープ・ブルースと、50年代にブルースから発展した華やかな都会のR&B両方の影響を受けた、恐らく最後の世代でありましょう。

まだハタチそこらだった1950年代後半から、ウエストサイドやサウスサイドといった黒人居住区にあるクラブで、フレディ・キング、オーティス・ラッシュ、バディ・ガイらと共に腕を磨き、他にも若く才能に溢れた新世代のブルースマン達がキラ星のごとくしのぎを削っている中で、見事ソウルやR&Bのエッセンスをギター全開のブルースに取り入れたオリジナルなスタイルを打ち立てて頭角を現し、さあいよいよこれからだという時に、たった2枚のスタジオアルバムだけを残して、32歳という若さであっけなくこの世を去ってしまったマジック・サム。

「生きていれば」「もしも次のアルバムが出ていたら」「もっと早くから正当に評価されておれば」という声は、全ブルースマンの中でも恐らくズバ抜けて多い人だと思います。

えぇ、わかります。スタイル云々はさておいて、この人ほど湧き上るブルース衝動みたいなものが歌とギターにストレートにみなぎっている人はそうおりませんもの。

はい、今聴けば王道過ぎるぐらい王道で、ストレート極まりないモダンなブルースですが、この人の場合は音楽性がそうである故に、とかく暗い影が付いて来がちなブルースから闇を吹き飛ばし、全部カラッとポジティヴなエネルギーにして昇華させる、そんな特別な力でも持ってるんじゃなかろうかと、どのアルバムを聴いてもそう強く感じるんです。

マジック・サムは1937年に南部ミシシッピに生まれ、1950年には大都会シカゴにやってきております。

その頃のシカゴといえば、マディ・ウォーターズやサニーボーイ
ウィリアムスン、エルモア・ジェイムス、そして少し遅れてハウリン・ウルフなどの大物達が、南部そのままのタフでディープなフィーリングを、電気化させたバンド・サウンドに乗せて大暴れしてヒットを飛ばしていた正にその時代。

ハウリン・ウルフ・バンドのヒューバート・サムリンのカミソリのようなソリッドなギター、或いはよく路上でも演奏していたロバート・ナイトホークの、泣き叫ぶようなエモーショナルなスライド、そしてもちろんラジオから流れてくるB.B.キングの、それを一発放つだけで場の空気が一気に華やぐチョーキング奏法、日々そういうものを浴びるほど聴いて感動した若き日のサムは、ギターを持ってあちこちのクラブや飲み屋で演奏する生活に、すぐに浸るようになります。

サムがブルースで身を立てるべくクラブで奮闘していた1950年代半ばには、高級スーツに身を包み、ホーンセクションを従えたゴージャスでノリのいいサウンドで若い世代の恋愛を歌う”R&B”という新しい音楽がチャートを賑わせるようになりました。

いつだって若いヤツは新しいもの派手なものが大好きです。サムらシカゴの若いミュージシャン達は、こぞってこの新しいブルースの、特にリズムや歌唱法を熱心に研究し、ロックンロールやR&Bのリズムや曲調に対応した”今風のブルース”を生み出します。

これが”モダン・ブルース”という言葉の語源でありますね。

サムの50年代は、非常に充実したものでありました。クラブで夜な夜な繰り広げられるセッションでは、盟友であるフレディ・キング、オーティス・ラッシュ、バディ・ガイらと”その夜の飲み代”を賭けた本気のギターバトルをよくやっていたそうですが、これが大人気。

「今日のギターバトルは誰が勝つと思う?」

「フレディ・キングだな、今シカゴの若手じゃ勝てるヤツぁいねぇよ」

「オレはマジック・サムに賭けるね、先月のバトルでフレディに勝ったって言うじゃないか」

「おいおい、お前ら何言ってんだ、本気を出したオーティス・ラッシュが一番に決まってるじゃねぇか。オレは初めてヤツのギター聴いた時鳥肌が立ったぜ。オレはオーティスに賭ける」

「いや、バディ・ガイだ」

ヒッピ・ランクシャンだってすげぇぞ」

「バカ言えよ、アール・フッカーに決まってんだろうが」

こんな会話がクラブでは飛び交ってたんでしょうね、えぇ、ワクワクします。

サムの人気はレコード会社の耳にも届き、地元のインディーズレーベル”コブラ”より、サムは遂にレコードデビューを果たしました。

残念ながら小さなレーベルの悲しさから、爆発的なセールスに繋がることはありませんでしたが、この時の楽曲「All Your Love」は、ゆったりとしたテンポにソウルフルなシャウトが炸裂する、実に新しいフィーリングを持ったブルースでありました(アルバム『ウエスト・サイド・ソウル』で聴けます)。





レコードを出したこともあって、サムの活動そのものは順調でした。クラブでの仕事はギャラこそ安いものの、連日連夜彼のプレイを聴きに来る若い客でフロアは賑わい、報酬以上の充実感は大いにあったことと思われます。

ところが1959年、順調に活躍していた彼に、その後の運命を左右する不運(ハードラック)が襲い掛かります。そう、軍から召集令状が来てしまったのです。

この年、北ベトナムのホー・チミン政権は、アメリカが支援する南ベトナム政権を打倒するための武力攻撃を決議。

当然南ベトナムを支援するために展開していたアメリカ軍とは、本格的な戦闘が予想されましたので、国や軍は、北ベトナムを大量の兵器と人員で圧倒するべく一般的徴兵法に基づいた徴兵で若者を招集しましたが、ここに投入される兵員は、ほぼ消耗品でありました。そしてまだ差別的待遇が残っていた公民権運動前のアメリカでは、徴兵されたら真っ先に激戦地の最前線に送り込まれるのは黒人兵士と相場が決まっており、黒人社会ではそれが当然のことという認識がありました。

ここでサムが取った行動は、何と脱走です。

結果サムはMPに逮捕/投獄され、脱走罪で6ヶ月刑務所に服役することになりました。

この出来事が、サムにどれほどの精神的ダメージと経済的苦境を招いたかは計り知れませんが、60年代になってシカゴに戻ってきたサムは、元々多かった酒量が底無しになり、奥さんも子供も生活保護で栄養状態もままならない程の酷い生活を送っていたと言います。

サムが音楽活動を再開したのは、1960年代も半ばになってようやくのこと。友人や音楽仲間達の支えでシーンに復帰したサムは67年にはデビュー・アルバム『ウエスト・サイド・ソウル』をリリース。これが傑作として評判を呼び、サムの活動はふたたび軌道に乗り、翌68年にはセカンド・アルバム『ブラック・マジック』をリリース。更に翌年の1969年には第一回の”アン・アーバー・ブルース・フェスティバル”に出演、3万人の聴衆を前に演奏を行い、ここでも評判となります。

が、不遇時代から彼を蝕んできたアルコールは、確実に彼の体に修復不可能なダメージを与えておりました。

1969年12月1日、突然の心臓発作によりマジック・サムはあの世へ旅立ちます。享年32歳。


実はマジック・サム、亡くなった時点ではまだまだ世界では無名の存在でした。

もちろん若かったというのもありますが、レコードをリリースしたのはいずれもシカゴのインディーズレーベル、そして何より彼には代表曲となるオリジナル曲がまだまだ少なかったんです。

だからアン・アーバー・ブルース・フェスティバルに出演して3万人の聴衆を沸かせたことが、実はサムにとっては世界的に有名になる最初のチャンスだったんですね。

「レコードもそこそこ評判で、初めての大きなステージにも立った。やれやれ、どうなることかと思ったが
ようやくハードラックともおさらば出来そうだ。ここまで来るのは長かったが、俺の人生どうやらこれからだな」

と思った矢先の突然死。これ、皆さんどうお感じになられますかね、アタシはマジック・サムという人のズバ抜けた歌とギターのカッコ良さ、楽曲アレンジのセンスと共に、”気さくでよく冗談も飛ばす、明るいヤツだったよ”という人柄が表れた、底抜けにポジティブなブルース解釈を聴いて彼の人生を胸の中で重ね合わせる時、やはり何とも言えない気持ちが溢れてくるんです





【収録曲】
1.I Just Want a Little Bit
2.What Have I Done Wrong?
3.Easy Baby
4.You Belong to Me
5.It's All Your Fault
6.I Have the Same Old Blues
7.You Don't Love Me, Baby
8.San-Ho-Zay
9.Stop! You're Hurting Me
10.Keep Loving Me Baby


さぁ、マジック・サムを聴きましょう。本日のオススメは、1968年にリリースされた、彼の2作目にして最後のスタジオ・アルバムとなった『ブラック・マジック』です。

元よりR&B的なファンキーさを持っていて、デビュー作でもその雰囲気を見事オリジナリティとして刻んでいたサムが、よりファンキーで”踊れる”仕様のアレンジとギター・プレイで見事に個性を昇華させた一枚ですね。

時代はR&Bから、より洗練されたソウルや、より”踊れる”ビートへ特化したファンクへと流行が目まぐるしく移り変わっていた時代。ブルースマン達はその流行のスピードに押されて軒並み苦戦していたと言いますが、土台をしっかりとブルースに置きつつもアーバンなリズムで攻めに攻めるサムのプレイは、総じて覇気に溢れ、時代の荒波なんのそので突き抜けて行けそうなタフさがあります。

マンボの「ウーッ!」なノリでハジケるオープニングの@『I Just Want a Little Bit』から、歌唱は深くテンポは軽快な8ビートのA『What Have I Done Wrong?』、最初にレコーディングしたコブラ時代のセルフカバーのB『Easy Baby』(渋いスローブルース)、サムがとりわけ敬愛していたローウェル・フルスン御大のファンキーなヒット・ナンバー『Tramp』のパターンでファンキーにキメるC、後半には盟友フレディ・キングのゴキゲンなインスト・ナンバー『San-Ho-Zay』や、同じく盟友オーティス・ラッシュの『Keep Loving Me Baby』で、アルバム最後を軽快なシャッフルビートでシメる粋な演出も忘れてはおりません。

個人的には後半の”ダチの曲をカッコ良くカバーするもんねシリーズ”の目玉はアンドリュー・ブラウンの大名曲『Stop! You're Hurting Me』(原曲タイトルは『You Better Stop』)であります。スローテンポでジワジワと歌い上げる原曲に忠実なへヴィさに沿った歌とギターのコールに、見事なレスポンスで応える職人エディ・ショウのサックスがこれまた最高なんですよ。

今日は一日マジック・サムの手持ちのアルバムをずっと聴いておりますが、やはりどのアルバムも(死後に発表されたライヴ盤や未発表音源も含めて)細かなアレンジや音質の違い等あれど、演奏されていない”その先の音楽”が、まるで聞こえてくるような、そんなワクワク感ではちきれそうであります。

こういうの、本当の意味で個性とか味とか言うんだよなぁ。。。








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『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
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posted by サウンズパル at 16:46| Comment(0) | ブルース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする