2020年12月21日

フランキー・リー・シムズ Walking With Frankie

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Frankie Lee Sims /Walking with Frankie
(JASMINE)

ブルースに限らず音楽へののめり込み方ってのは、まず誰もが知るそのジャンルの代表みたいなビッグネームな偉人やスタープレイヤーの凄い歌唱や演奏にまず衝撃を受け、そこから更に関係する周囲のミュージシャン、そのジャンルのちょっとは知れた人、いや知らんけど何かこの人凄くいいな〜って人と、順番にお気に入りになって行くという過程があると思うんですが、実は掘り進んでいくうちに見えてくる「いや知らんけど何か凄くいい人いっぱいいる!」って世界の魅力にハマるという体験がありまして、ほんで、実は「いや知らんけど何か凄いいい人いっぱいいる世界」というものが何というか自分にとってスペシャルな、本当にかけがえのないものとして迫ってくる。や、その「いや知らんけど世界」が自分だけに最高のスマイルで微笑みながら、おいでおいでをしているようだ、おお!という体験をしてしまうんですよ。

近頃ではこれを”沼”と言いますね。


はい、ここまで読んでくださった皆さん、まずは沼へようこそ。というわけで皆さんはブルースのミュージシャン達の中で「いやぁ、あんま話題にゃならんけど、オレはコイツが好きなんだよねぐっふっふ♪」と思ってついニヤニヤしながら聴いてしまう人っていますか?アタシはいます。

例えばテキサス・ブルースのフランキー・リー・シムズ(!)

う〜ん”隠れ名手”というのともちょっと違うし、”渋い味わいのアーティスト”ってのともちょっと違う、歌もギターも神懸って上手くて凄くて、圧倒的なカリスマや、ブルースの深い闇みたいなものを有無を言わさず感じさせるとか、そういう人じゃあない。豪華なホールやオシャレなクラブのステージよりも、街はずれの酒とツマミが安くて上手い呑み屋のカウンターの方が似合う、ほんでそこに来る若い客に、店の人じゃないのに「おゥ、この店ァこれが美味いんだよ」とか何とかフレンドリーに絡んでくるような、そんなおじちゃんの雰囲気が音楽性からもジャケットに写るポートレイトからも、何だかムンムン伝わってくる。はい、そんな人であります。

ペカペカとした雑な音(失礼!)でベンベケベケベンと繰り出されるシンプルなリフの上で、自由度高めにちょいと鼻をつまんだような声でべろ〜んと歌われるブルース。洗練とは真逆のベクトルを、それがどうしたとばかりの自然な速度でただ横へ横へとグダグダ流れてゆく、流れて行ってどうなるかと言えば、その辺の牛や馬がゴクゴク飲んだり、その辺の木とか草とかの栄養に勝手になって乾いた地面にダラダラと染み込み続けるような生産性何それなブルース。こぉれがいいんですよ。


フランキー・リー・シムズは1917年生まれと言われております(本人が頑なに「オレは1909年生まれだ!」と言い張っていて、最初はみんなあぁそうかと思っていたのですが、正式な出生届けの書類によって1917年生まれが発覚、おっちゃんそういうとこやで)。

丁度この1910年代生まれといえば、マディ・ウォーターズとかジョン・リー・フッカーとかライトニン・ホプキンスとか、少年時代に戦前のブルースに親しみ、戦後になってエレキギター持って独自のスタイルを築いていった人が多い。いわゆる”戦後第一世代”とでも言うべきか、とにかくブルースの歴史的には非常に重要な年代なんですね。ちなみにセロニアス・モンクとディジー・ガレスピーも1917年生まれであります。

古い時代のブルースマンといえば、大体が辛い農作業が嫌になって家出するとか、ちっちゃい頃から不良でデビュー前に何度か服役してるとか、そんなのばっかでありますが、実はフランキーの場合もやはり家出するんですが、この理由が何と「ウチぁ両親共ミュージシャンだったし、何つうかオレも稼げるミュージシャンにならなきゃって重圧があってサ、それが嫌だたんだよなぁ」と、ちょっと他の人とは違う理由。

で、何をしてたかどういう訳か、志願して海軍に入隊したり、ダラスに住んで学校の先生をやってるんです。

ところがフランキーはやはり骨身に染みた音楽稼業の血が騒いだのか(両親だけじゃなく、近い親戚にライトニン・ホプキンスやテキサス・アレクサンダーが居たという、テキサスでは有名な音楽一族でもあるのです)、教師をやりながら週末になると夜な夜な当時住んでいたテキサス州クロケットのジュークジョイントで歌っていたらしく、まぁそこでの稼ぎがそこそこ良かったからか「教師ってのはカネにならなくてよォ」という訳で定職にとっとと見切りを付け、音楽で食って行こうと決意したのでありました。


あちこちで演奏しているうちにテキサスのローカル・シーンではそこそこ名の知れる存在になり、1948年のブルー・ボネットを皮切りに、54年にスペシャリティ、57年にエイス/ヴィンと、レーベル渡り鳥の如くシングル盤を録音します。このうちメジャーなレーベルだったスペシャリティからのリリースが小さくヒットしますが、長くは続かず、60年代からは録音もピタッと止まりましたが、何とその時期にテキサスからシカゴへと移住し、ステージではマディ・ウォーターズらとも共演する事もあったようで、1970年に地元テキサスで病没するまで現場でしぶとく活動をしていたようであります。




Walking With Frankie


【収録曲】
1.Cross Country Blues
2.Home Again Blues
3.Don't Forget Me Baby
4.Single Man Blues
5.Lucy Mae Blues
6.Don't Take It Out On Me
7.I'm Long, Long Gone
8.Yeh, Baby!
9.Rhumba My Boogie
10.I'll Get Along Somehow
11.Misery Blues
12.What Will Lucy Do?
13.Hey Little Girl
14.Walking With Frankie
15.My Talk Didn't Do Any Good
16.I Warned You Baby
17.She Like To Boogie Real Low
18.Well Goodbye Baby
19.Married Woman
20.Wine And Gin Bounce
21.Boogie Cross The Country
22.Jelly Roll Baker
23.I'm So Glad
24.Ragged And Dirty
25.No Good Woman
26.Walking Boogie
27.Cryin' Won't Help You
28.Hawk Shuffle
29.How Long



活動期間はそこそこ長かったものの、録音は少なく、遂にアルバムリリースまでは漕ぎつけなかったフランキーは、ある意味不運なミュージシャンと言えるのかも知れませんが、その南部の粗削りなタフネスそのものを遠慮なく豪快に歌っては弾くスタイルは、他の誰にもない濃厚な個性でありますし、1940年代から50年代という、ブルースがモダンなものに進化してゆく過程の時代の底力であったダウンホームなスタイルの、実に美味しいダシが出続ける、正にブルースをこよなく愛する人による、ブルースをこよなく愛するための音楽そのものの魅力に溢れております。

かつては最も録音が多かったスペシャリティやエイス/ヴィンの録音を中心に、大体15曲〜20曲ぐらいをピックアップした編集盤が、国内外の色んなレーベルからちょろちょろと出ておりましたが、全時代の音源をまんべんなく29曲収めたこのアルバムは、今のところ彼の決定盤とい
えるものでありましょう。

まずは冒頭4曲、1940年代のブルー・ボネット録音ですが、コチラはバックにベース、ドラムを付けた小編成バンド演奏。冒頭の『Cross Country Blues』からちょいとガラついた声を張り上げたヴォーカルと、ホコリっぽいサウンドがくすぐります。

全編を通して変に構えた所や妙な小細工を使わない、非常に誠実な柄の悪さみたいなものがこの人のブルースの特徴でありますが、40年代の割とコンパクトにまとまった演奏からもその声とギターは定型をはみ出さんばかりの自由さがあります。

で、中盤からはよりエレキのトンガッたサウンドが強調され、いい感じのテキサス・ダウンホーム・ブルースの真骨頂。ライトニン・ホプキンスをもっと荒く大雑把に削り倒したような歌と、ガツガツしたギターが炸裂する(ソロもシンプルだけど実に味わい深い)スローブルースの『Don't take it out on me』とかもう好きのツボに入り過ぎてたまらんですねぇ。

ルンバのリズムで軽快にガチャガチャやっている『Rumba My Boogie』なんかも面白くて、この辺は多数の個性的なアーティストを多く抱えていたスペシャリティならではの多彩さが、フランキーの音楽性にも良い影響を与えたんじゃないかと思っとります。

で、野放図でワイルドな味わいが、ちょいと派手になったバンドサウンドを得て遠慮なく花開くのが、50年代後半のエイス/ヴィン音源。バタスタ言うドラムにディープサウス丸出しのハープが盛り上げる『Boogie Cross The Country』では、ギターも単にジャカジャカやるだけでなく、武骨ながら実に良いグルーヴで繋げられるギターソロもフランキーが張り切って疲労しておりますし、ほとんどロッカビリーなイケイケの『Married Woman』ミディアム・テンポでドロドロの恨み節をカラッと歌い飛ばす『No Good Woman』の深い味わいもオツなもんです。











ブルース入門編 〜初心者のための優しいブルース講座〜



『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2020年10月18日

ジョージ・スミス ウーピン・ドゥーピン・ブルース・ハープ

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ジョージ・スミス/ウーピン・ドゥーピン・ブルース・ハープ


ブルース好きなら誰もが知るマディ・ウォーターズは、南部直送の泥臭いミシシッピ・ブルースをエレキギターを加え、ピアノとベースとドラムを常駐させたバンドでもって一気にモダン化させ、それまでひたすら洗練に向かっていた都市部の”ブルース”という概念を一変させた人でありますが、彼の功績はそればかりではなく、メンバーに次々とフレッシュな感性を持った若手を登用し、彼らの感性を割と素直にバンドサウンドに反映させた名伯楽でもありました。

特にハープ(ブルースハープ)奏者に関しては、ビッグ・ウォルター・ホートン、リトル・ウォルター、ジュニア・ウェルズ。ジェイムス。コットンなど、この楽器を代表する程の存在となり、ソロ・デビュー後もブルース史にその名を深く、そして太く刻むスター・プレイヤーを輩出しておりますし、マディにとっては先輩格だったあのサニーボーイ・ウィリアムスン(U)もちょこっと在籍してたりします。

この楽器がバンドで果たすのは、ブルース含むブラック・ミュージック全般で最も大切な「コール・アンド・レスポンス」の”レスポンス”の役割な訳です。つまりマディが歌詞のワン・フレーズをその野太く味わい深い声で歌えば、そのフレーズに応える”もう一人のヴォーカリストの合いの手”のようなハープが歌う。こぉ〜れがもうたまらんのですよね。で、アタシなんかは「シカゴ・ブルース」と聞けばこのヴォーカルとハープのコール・アンド・レスポンスがすぐに頭に浮かぶぐらい、このジャンルを象徴するサウンドな訳なんですよ。

で、はい。ここまでアタシが書いて

「お前何か忘れとりゃーせんか?」

と思ったアナタ、そう、そこのアナタです。アナタは実に正しいブルースファンであります。


そう、さっき挙げたマディ・バンドの歴代ハープ奏者の中に、一人の男、いや”漢”の名前が挙がっていなかった。

その”漢”の名はジョージ・スミス。表記によってリトル・ジョージ・スミス、あるいはジョージ”ハーモニカ”スミスとも。

えぇ、何故アタシがこの人の名前をわざと挙げなかったのかというと、この記事で大いに語りたかったというのはもちろんありますが、マディ・バンドに所属したのがたったの1年足らずで、それ故ブルースファンにも「マディのバンドに居た」という事実がどうにもちゃんと浸透していない。という事情からであります。

そして、これは後で語りますが、この人のハーモニカプレイというのは、他の歴代ハーピスト達と比べ、決定的な違いがあるんです。

ジョージ・スミス、1924年ミシシッピにほど近い、南部アーカンソー州ヘレナ生まれ。生まれてすぐに親の仕事の都合でシカゴのあるイリノイ州に引っ越します。ここで既に仲間と出会い、週末はギグでハープを吹いていたといいます。ところが程なく南部に舞い戻り、今度はミシシッピ州ジャクソンでゴスペル・グループに参加して、そこで歌うようになります。

ジョージが再びイリノイ州へと移り住んだのは1951年、今度はハッキリと「音楽で生計を立てる」という目標を持ってシカゴに住まいを定めます。

シカゴではオーティス・ラッシュや、後に”ジ・エイシズ”として黄金のシカゴ・ブルース・サウンドをスタジオ・ミュージシャンとして支えたデイヴ・マイヤーズとルイス・マイヤーズのマイヤーズ兄弟達とギグを重ね、そのプレイはシカゴの帝王マディ・ウォーターズの目に止まり、1954年に正式なメンバーとして加入を乞われて参加することになるのです。

この頃のマディ・バンドはリトル・ウォルターが脱退した直後にリトル・ウォルターの弟分のヘンリー・ストロングというハーピストがライヴで吹いていたと言いますが、この人が正規メンバーだったのか、或いはピンチヒッターだったのかよくわかりません(ちなみにこの人は女性関係のトラブルで、ハサミで刺し殺されております)が、とにかく資料には「ヘンリー・ストロングの代わりにマディのバンドに参加した」と書かれているものと「リトル・ウォルターの後釜としてジョージ・スミスがマディのバンドに入った」と書かれているものとがあり、なかなかに複雑な事情があった事が想像出来ます。

で、更に複雑なのがレコーディング事情。

マディのバンドを抜けたとはいえ、リトル・ウォルターはチェス・レーベルの契約アーティストであり、かつ50年代半ばにはR&Bチャートでたくさんのヒットを飛ばし、正直マディより売れっ子だったんですね。だからマディを売るためにレコーディングには名の売れたリトル・ウォルターがそのまま参加し続ける事になり、ジョージ・スミスの出番はスタジオではなかったんです。

当然マディ・ウォーターズ・バンドのメンバーとしての参加作はリリースされておらず、マディのバンドに参加して1年も経っていないある日、ジョージはツアーで訪れたカンサス・シティのクラブでオーナーに「どうだい、ウチでやらないか?」とスカウトされ、迷う事無くツアー終了後にすっぱり荷物をまとめて今度はシカゴを離れてカンサスに移住する事になるんですね。

その理由が

「シカゴ・スタイルに収まるつもりはなかったから」

う〜ん、男らしい。

ここだけ読めば彼自身は相当な野心家で、しかも自信家であったからだろうなと思うでしょうし、実際彼は歌もハーモニカも素晴らしくかつ一言では語れない幅の広さを持っておりますが、親分のマディにはしっかりと筋道を通して円満にバンドを脱退しており、その証拠に60年代70年代に再びマディと和やかに共演もしておりますし、先輩格であるリトル・ウォルターのトリビュート・アルバム作成のために奔走したりもしています。

うん、実に男らしい。







ウーピン・ドゥーピン・ブルース・ハープ


【収録曲】
1.Telephone Blues
2.Have Myself A Ball
3.I Found My Baby
4.Ooopin Doopin Doopin
5.Blues Stay Away
6.Rockin
7.Blues In The Dark
8.Hey Mr. Porter
9.Love Life
10.Cross Eyed Suzie Lee
11.California Blues
12.Early One Monday Morning (take 2)
13.Blues Stay Away
14.You Don't Love Me
15.I Found My Baby (alt.take)
16.Het Mr. Porter(alt.take)
17.Rockin' (alt.take)
18.Early One Monday Morning (take 1)
19.Oopin Doopin Doopin (alt.take)
20.California Blues (alt.take)
21.Cross Eyed Suzie Lee 8alt.take)


さて、カンサスにやってきたジョージを待っていたのは、西海岸を根城に活躍するレーベル、モダン/RPMのオーナーであるバイハリ兄弟でありました。

ジョージの根底に泥臭いものを持ちつつも、エンターティメントとしての成熟した音楽性を買ったバイハリ兄弟は、早速2枚のシングルをレコーディング。

その1枚目が本アルバム『ウーピン・ドゥーピン・ブルース・ハープ』の1曲目であります『Telephone Blues』なんですが、まー確かにこれは

「シカゴのスタイルには収まらない」

と豪語した彼の面目躍如たる、素晴らしくアーバンな洗練がみなぎるサウンドであります。

そのまんまホーン・セクションが入ってもおかしくない程のジャジーな西海岸サウンドにピッタリとマッチした、10穴のスタンダードなブルースハープよりも更に複雑なクロマチック・ハープ(穴の数が多い)による、強烈なビブラートを効かせた繊細なニュアンスの吹きこなし、そして力強さだけじゃない味わいが深く長く伸びる歌の魅力にも格別なものがあります。

そう、最初にこの人がマディ・バンドの歴代ハーピスト達とそのハーモニカのプレイ・スタイルにおいて決定的な違いがあると書いたのは、サウンドのニュアンスを、トーンそのものを微妙に切り替えながら細かく変えてゆくその柔軟さ。

もちろんリトル・ウォルターもジェイムス・コットンも、ジュニア・ウェルズも、ニュアンスの表現に関しては一流のものがありましたし、聴いてすぐに「あ、これはこの人」とすぐに分かる確固たる個性がありましたが、その表現のベクトルはどれも強く”ある一点”を貫くものでありましたが、ジョージ・スミスという人のハーモニカ・プレイに関しては、何というかあらかじめ掲げている”的”がいっぱいあって、やり方を変えながらその全部に確実に当てに行く、そんな根本的な違いがあるように思えます。

故にこの初期アルバムでも、湿度高めのスローブルースからスカッとしたアップテンポの曲、或いはゴージャスなホーン・セクションがアレンジに加わった曲すらも、ありとあらゆるテクニックで華麗に吹き分け、かつズバ抜けたセンスで歌いこなす、その変幻自在な演奏が楽しめます。


西海岸に移住してからのジョージは、あらゆる場所で精力的にライヴを行い、時にお客さんが10人以下の場合でも全力でパフォーマンスを繰り広げ、シーンを盛り上げると共に後輩ブルースマン達を人種に囚われず熱心に指導して、多くのファンやミュージシャン達から尊敬を集めておりました。

長いキャリアの中でもたくさんのアルバムをリリースし、マディ・バンドでは最も無名だったかも知れませんが、ブルース全体に与えた良い影響は限りなくデカい人であったと言えるでしょう。














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2020年08月09日

ジョン・リー・フッカー Don't Turn Me From Your Door

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Jhon Lee Hooker/Don't Turn Me From Your Door
(ATCO)


うむむ、むむむ・・・と体調がよろしくありません。

毎年夏はあちこち弱るから、まぁいいかと思っておりましたが、この10日程頭痛が酷くてパソコンに向かうと吐き気までしてくるという状況だったので、しばらくブログお休みしておりました。せっかくの大コルトレーン祭だし、8月になってコルトレーン以外のアルバムの紹介もガンガンやるぞー!と思っていた矢先にとんだ夏バテのカウンターパンチ。うむむ、うむむ・・・。

そんな夏であります。夏で思い出したのですが、アタシはそういえば「クソ暑い夏は暑苦しいブルースを聴こう協会」(今作った)の会長(今就任した)をやっておる人間ですので、頭痛なんかに負けずに今日は気合いを入れて暑苦しいブルースを紹介して行こうと思います。

はい、ジョン・リー・フッカーです。

ジョン・リーのあの南部ミシシッピの重苦しい暑さ(経験したことないけどきっとそうだろう)がそのまんまヘヴィな妖気となって地底から響いてくるような声と、同じぐらいヘヴィな情念が粘りに粘るあのギターを聴くと、もうその重苦しさが夏の暑気を追っ払い、別の世界の心地良い暑苦しさを心の中に満たしてくれる。

中学の頃に『アトランティック・ブルース・ギター』というオムニバスを買って初めてブルースという音楽に目覚め、その中に収録されていたエレキギター弾き語りのスローブルース『My Baby Don't Love Me』という曲に「うぉぉ、何か凄い!」とのけぞって、そのちょい後に映画ブルースブラザーズで、セリフも何もない、ただ路上でバンド従えて歌ってギター弾くだけの役で一瞬現れてズームアウトしていったジョン・リーを観て「あのめちゃくちゃカッコイイおっさん誰だ!?」とはなったものの、いざ『ザ・グレイト・ジョン・リー・フッカー』というCDを買って聴いてみたものの、ほとんどの曲がエレキギターの弾き語り、しかも曲のパターンが徹底してスローブルースかブギの2パターン”だけ”(!)という余りのディープさにビビってしまい「お、俺にはまだ早かったかもな・・・」と、そっと棚の隅にしまっておいた10代の頃でしたが、19歳のある日、突然真夏の暑さにやや熱中症っぽい脱水のヘロヘロで自宅アパートに帰ってきて、余りの渇きにあんまり美味しくない水道の水をガブ飲みし、床に仰向けになりながら無意識に選んだCDがたまたまそのジョン・リーのアルバムでした。



暑さと脱水でボーーーッとなった頭で「おいおい、こんな状況でこんな重たいの聴く俺はアホか?」とか何とかボーーーーッと考えておりましたが、かといって聴くCDを選びなおす元気もなく、そのまんま仰向けになって床に沈み込むような意識になりながら聴いてたんですね。

そしたら何だコレは!悪魔のような声とギターが体にジワジワジワジワ異様に染みて、文字通りビリビリと電流が体中を走るような感覚に陥り、暑さと脱水の不快感は体からまだ抜けないでいるものの、全く別の違う何か心地良く刺激的なものがそれらを上書きしている。凄い、これがブルース、ホンモノのブルースと、完全に虜になってしまった体験がアタシにはあります。

コレはその時体がいわば極限に近い状態だったから、そういうちょっとした事でも凄いと思えたのかと思って、割と普通の状態の時にジョン・リー・フッカー聴いたら、もう完全に体も心もジョン・リーを「ヤバイぐらいにカッコイイもの」として認識してたんですね。それ以降聴いたどのジョン・リーもやっぱり凄い。でも、とりわけエレキギター弾き語りの作品の、情念が剥き身で迫ってくる深い迫力に叶う盤はそうそうないと思っております。はい。


で、アタシは生まれて初めて聴いたジョン・リーのあの『My Baby Don't Love Me』が入ってるアルバムをずっと探しました。

東京のタワーとかHMVとかそういう大きなCDショップも、駅前にある個人商店みたいなお店もくまなく見て探しましたが、どうもこの曲が収録されているアルバムが見当たらない。『アトランティック・ブルース・ギター』というアルバムに入っていたから、きっとアトランティックかその系列のATCOからリリースしたアルバムだろうからと、数少ないCDやレコードのガイドブックも購入して隅から隅まで見たんですが「ジョン・リー・フッカーのアトランティック(もしくはATCO)」に関する記述はついぞ見つからず。

結局東京にいるうちは探してた『My Baby Don't Love Me』入りのアルバムとは出会えなかったんです。





Don't Turn Me from Your Door


【収録曲】
1. Stuttering Blues
2. Wobbling Baby
3. You Lost a Good Man
4. Love My Baby
5. Misbelieving Baby
6. Drifting Blues
7. Don't Turn Me from Your Door
8. My Baby Don't Love Me
9. I Ain't Got Nobody
10. Real Real Gone
11. Guitar Lovin' Man
12. Talk About Your Baby


結局ジョン・リー・フッカー唯一のATCO盤『Don't Turn Me From Your Door』に巡り合えたのは、アタシが30過ぎてからの事でした。

輸入盤CDのリストをパラパラっと見ていたら、このアルバムの案内にちっちゃい文字で「Waner Brothers」と書いてあったので「おお!ワーナーという事はアトランティックだな!よっしゃ!」と、曲名も見ずにイチかバチかで注文したのですがコレが大当たり。

とにかくジョン・リーという人は、初期の頃色んなレーベルを節操なく、時にはバレないように偽名を使って渡り歩く人だったので、同じ時期の録音でも色んな所に作品が散らばって存在するというコレクター泣かせの人で、このアルバムの録音はATCOなんですが、これもまずデビュー直後の1953年にゲリラ的に録音した音源をATCOが拾って、ついでにその時(1961年)に新たにレコーディングした曲をくっつけてようやくアルバム化したという複雑なプロセスを経て世に出たものです。

その事情の複雑さと、膨大な他レーベル(ModernとかVee Jayとか)の音源に紛れて存在感が薄くなったのか、とにかく余り話題にならなかったアルバムではあるのですが、内容は「何で話題にならんの?」と言いたくなるぐらいディープでゾクゾクする生絞りなブルースがギュッと詰まったものなんで、気になる方はぜひお聴きなさい。

録音は@ACGIJが1953年、BDEEHKが1961年です。2つの音源の間には8年のタイムラグがありますが、どれもほぼ必殺のエレキギター弾き語り、曲によってエディ・カークランドかアール・フッカーのサイドギターに、正体不明のベーシストのベースが入りますが、どのサポートも弾き語りの不穏な”間”に満ちた雰囲気を壊さないように寄り添う程度。『Guitar Lovin' Man』でいきなりエディ・カークランドがカラッとした声で歌い出すのでびっくりしますが、ハプニングらしい展開はそれぐらいですので、独特のディープさにはほぼ影響ないと考えてOKです。

で、楽曲は長年探し求めていた『My Baby Don't Love Me』をはじめ、ほとんどの曲がドス黒いスローブルース。そう、ジョン・リーのもうひとつの看板ともいえるいわゆる”ブギ曲”がないので、ただでさえ重くもたれかかる情念に覆われているようなアルバムの雰囲気が、更に出口の見えない漆黒の闇に覆われているようで、また、ジョン・リーのギターも良い感じに歪んでるしチョーキングはギトギトに粘ってるし、こりゃもうジョン・リーのダーク・ブルースが好きな人、或いはブルースそのものの身も蓋もないハードな質感が好きな人は愛聴盤になるに決まっております。










(アナログ盤)


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2020年05月22日

メンフィス・スリム U.S.A

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メンフィス・スリムwith.マット”ギター”マーフィー/メンフィス・スリム U.S.A
(United/Delmark/Pヴァイン)


全開サニーランド・スリムについて書いたら、やはりこの”スリム”についても語らない訳にはいきますまい。という訳で今回はブルース界におけるスリム”伊達男”の一人であり、サニーランド・スリムと同じくピアニスト、そしてサニーランド・スリムと同じく戦前と戦後を股にかけて活躍したこの人、メンフィス・スリムであります。

1916年にその名の通りメンフィスで生まれ、その後メンフィス、ウエスト・メンフィス、アーカンソーなどのバレルハウスで腕を磨き、1939年にはシカゴへ移住し、そこですぐさまビッグ・ビル・ブルーンジィとコンビを組んで、戦前のシカゴ・ブルース・スタイルを生み出す事にも貢献します。

この頃のシカゴ・ブルースといえば、いわゆるシティ・ブルースというやつで、洗練されたピアノとギターのコンビが小粋で哀愁の効いたブルースを歌うというやつだったんですが、南部ミシシッピ生まれでかつ超絶技巧のラグタイムの名手でもあったビッグ・ビルは、小粋で洗練された中に、よりリズムパターンの幅を広げ、泥臭い南部のフィーリングもそのリズムの中で隠し味的に効かせる事で、それまでの悪く言えば平坦なシティ・ブルースのスタイルに一石を投じました。

そんなビッグ・ビルのリズムの冒険を支えたのが、南部のバレルハウス上がりのスリムのタフなブギウギ・ピアノでありました。

40年代のビッグ・ビルの音源なんかを聴いてみれば彼のおおらかな歌と小技の効いたギターのバックで強靭なスリムのピアノ、そのベースラインがスローブルースでも「ガラゴロッ!」と転がってたまんないグルーヴになっているのが凄く分かるんです。これにサニーボーイ・ウィリアムスン(T世)のハープが入ったらこらもう最高にカッコイイ!うぉう!!

・・・おっと、今日はビッグ・ビルと組んでいた初期の話ではなく、ソロのブルースマンとして独立してからのメンフィス・スリムの話をする予定ですので、あんまりここで盛り上がり過ぎてはいきません。冷静になって話を戻しましょう。。。


メンフィス・スリムの初のソロ・レコーディングは1941年に行われました。コチラはウォッシュボード(洗濯板)などを入れたいかにも戦前のスタイルで、録音自体もスリムのというよりも気楽なセッションという感じです。

正規の形での「メンフィス・スリムのソロ」が初めて録音されたのは、それから8年後の1949年。

この頃になってくると、まずはジャズの世界で新しいスタイルであるビ・バップが出てきて、ブルースもまたホーン・セクションを多く従えたジャンプ・ミュージックと呼ばれるゴージャスでノリノリのものが流行り出してきます。

そういうノリの良い新しいブルースであるという意味で「R&B(リズム・アンド・ブルース)」なんて言葉も使われるようになったのも丁度この頃であり、そのウキウキオラオラした感覚ってのは、多分に南部の荒っぽいシーンから出てきたスリムの心を思いっきりくすぐったんだと思います。そんな訳でこのデビュー本格的デビュー音源は、ドラムとギターを付けずベースと2本のサックスを加えたという面白い編成のもの。

えぇ、そうなんです。実はメンフィス・スリム「オレぁ自分のバックにギターとかハーモニカ付けるのが嫌ぇなんだよ」と公言してはばからなかった人で、自分のレコーディングにはギターは要らん、しっかりしたリズムを刻むベースかドラム、後はパーッと派手に装飾音付けてくれるホーンがおれば良い、当初は頑なに思っていたみたいなんです。

えぇ!?最初の頃にビッグ・ビル・ブルーンジィっていう最強ともいえるギタリストと、サニーボーイ・ウィリアムスン(T世)っていう、コチラも当代きっての名手と組んで素晴らしい音楽作ってたのにどういうこと!?なんですが、真相は分かりません。この2人の余りにも素晴らしいプレイに満足しきって「他の奴らに務まるはずがない」と思っていたのか、それともビッグ・ビルとサニーボーイが余りにも凄すぎて、ギターとハープが加わったら、きっと自分のプレイが目立たないまま終わってしまうんじゃないかと思ったか、どちらかなんでしょうが、とにかく1950年代になっても「やだ、ギターはいらんもんね」と、プンスカしてたみたいなんです。

が、1954年、スリムは自身の「ギタリストきらーい」を撤回せざるを得ない程の優れた腕を持ったギタリストと出会うことになるのです。

彼の名はマット”ギター”マーフィー。1929年南部ミシシッピで生まれ、その後スリムの出身地であるメンフィスで本格的な活動を行ってギタリストとしての腕を磨きます。

スリムがメンフィス出身ということと、南部育ちでありながらTボーン・ウォーカーの洗練された奏法に影響を受け、ジャズも出来るし音楽理論にも強い。しかも性格が”ぶっちゃけいいやつ”で、間違ってもリーダーを押しのけてワシがワシがで歌おうとしない。そもそもの志向が

「あー、自分ソロでやってくっつうよりも色んな人のバックで弾いてかっこいいバンド・サウンド作るとかそういうのの方が興味あるっす。それにソロシンガーとかで一発当てるより、バックの安定した仕事いっぱいあった方が食いっぱぐれなくないっすか?」

ということだったので、頑固なスリムも「はいお前合格〜」と、なったのではと思います。




メンフィス・スリムUSA【初回限定生産】

【収録曲】
1.Memphis Slim U.S.A.
2.Sassy Mae
3.Little Piece of Mind
4.Got To Find My Baby
5.Banana Oil
6.Blue And Lonesome
7.Two Of A Kind
8.She’s Allright
9.Blues All Around My Head
10.Wish Me Well
11.Four Years of Torment
12.Got To Find My Baby (Previously unissued)
13.Slim Was Just Kiddin’
14.Jive Time Bounce
15.Backbone Boogie
16.Memphis Slim U.S.A. (alternate) (Previously unissued)
17.She’s Allright (alternate) (Previously unissued)
18.Blues All Around My Head (alternate) (Previously unissued)
19.Blue And Lonesome (alternate) (Previously unissued)


メンフィス・スリムとマット”ギター”マーフィーといえば、このアルバムから3年後の1957年録音の『アット・ザ・ゲイト・オブ・ホーン』というのが、代表作どころか50年代のブルースを代表する1枚である超名盤と知られておりますが、いやいやこの2人の初顔合わせである本作も、演奏のヘヴィ級のインパクトとコンビネーションの見事な掛け合いという意味では全然負けておりません。

スリムはシカゴで長く活動を続けていても、そのピアノの力強さから生まれ故郷南部のドス黒いフィーリングが薄まることがありませんでした。

通常これは、洗練を旨とする流行音楽では敬遠されるんですが、ブルースの場合は戦後になって大量にシカゴに移住してきた南部の人達が、洗練よりも荒々しいフィーリングとそれを増幅するテクノロジーを求めたんですね。それはイコール、スリムのタフでワイルドなピアノと、マットの縦横無尽なエレキギター・サウンドだった訳です。

で、タフでワイルドなピアノと縦横無尽なエレキギターが絡むとどうなるのかというと、スリムのブルース自体がものっすごくモダンで奥深いものになったんですね。

このアルバムは『アット・ザ・ゲイト・オブ・ホーン』とその後のヨーロッパ移住後の戦前スタイルのピアノ弾き語りものをちょろちょろ聴いてて「まーこんな感じだろー」と思ってたアタシにとっては、それはそれは素晴らしい不意打ちでした。

や、まさかここまで凄いとは思わなかったんです。のっけからピアノはガシガシと岩みたいに強靭なフレーズを繰り出してくるし、マットのギターは洗練されてかつ凶悪(!)そして50年代ならではのエコーがかかったスリムの声がもうワルでワルで「求めてたブルースこれだ!!」とさえ思いました。

これはちょっと細かく色々語るよりも一発聴いて欲しいなーと思ってます。ブルース・イズ・サ・フィーリングということで、あのですね、スリムもちろん凄いんですけどね、後半のギター主役のインストが・・・。ええ、ヤバいです。












『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
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2020年05月15日

サニーランド・スリム アポロ・セッション1949

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サニーランド・スリム/アポロ・セッション1949
(Delmark/Pヴァイン)

ブルース界には「スリム」と名の付くブルースマンが多いです。

この「スリム」というのは姓名ではなくもちろん芸名で、意味は「伊達男」であります。

ブルースマンに限らず、ミュージシャンなんてのは大体が恰好付けですから、ステージに立つ時に限らず、人前に出る時は目一杯のオシャレをして、いかにも自分が恰好良くてモテモテの凄いヤツなんだぜと見栄を張る。だからまぁ自分の名前にわざわざ「伊達男」なんて付けて名乗るなんてのは、ある意味究極の見栄であり、ハッタリでもあったでしょうね。

ところが最初は周囲の気を引くためのハッタリであっても、名乗るからにはその名に違わぬ人間になってやろうと、大抵のブルースマンは努力して、その見てくれ以上に演奏の腕前だとか音楽のセンスなんてものを磨いて「なるほどアイツはスリムじゃわい」と、周囲も納得な存在になる場合が多い。

ギター・スリム、ライトニン・スリム、メンフィス・スリム・・・といった具合にブルースの歴史に”スリム”の名を残している人達というのはなるほど”伊達”と名乗っているのは伊達じゃない。いずれもちょいとそのサウンドを聴いただけで「うひょー、カッコイイ!」と電流が走るような人達ばかりなのです。

さぁ、今日はそんなブルース界における”スリム”の最長老格であります元祖伊達男を皆さんにご紹介いたしましょう。

サニーランド・スリムといえば、ちょいとブルースに詳しい人なら、戦後シカゴブルースのオムニバスなんかでもその名前をよく見る、渋いピアノを弾いているベテランとして、馴染みがあるんじゃないかと思います。

アタシも最初にサニーランド・スリムを聴いたのは、ピアノ・ブルースの素晴らしいオムニバス『ブルース・ピアノ・オージー』でありました。



このアルバムに収録されている人達は、どれも本当にカッコイイんですが、サニーランド・スリムに関してはひたすら「渋い!」でしたね。

その力強い声の中に人生の悲哀が滲むヴォーカルと、小細工一切ナシのストレートにタフなピアノ。これぞ正に思い描いていたブルースのピアノ弾きでありました。

そんなサニーランド・スリムは、1907年生まれ。1995年に亡くなるまでブルースの重鎮としてツアーやレコーディングを続け、多くのミュージシャンから尊敬されるブルースの重鎮として、膨大な量のレコーディングを残しておりますが、彼の人生もまた、波乱万丈のブルース人生でした。

南部ミシシッピの真面目な家庭に生まれ、少年時代はブルースとはまるで無縁の生活を送っておりましたが、6歳の頃に母親が亡くなって継母が家に来たのですが、この継母によるいじめに耐え切れず、スリム少年は13歳の時に家を飛び出します。

家を飛び出した後は肉体労働者として、南部各地を転々とする生活に明け暮れるのですが、その中でブルースと博打に出会い、15歳の頃にはいっぱしのピアニスト兼ギャンブラーとなっておりました。

当時の演奏場所といえば、農場や工事現場での労働者が集まるバレルハウスと呼ばれる掘立小屋のようなクラブハウス。とにかく飲んで騒いでギャンブルがしたい客のために、スリムはおんぼろピアノで叩き付けるようなブギーを弾きまくり、休憩中はいかさまカードゲームのディーラーとして、良い感じに稼いでおりましたが、更に良い仕事を求めて移動するうちに、クラブハウスも賭場もたくさんある天国のような街(一般には犯罪が多いヤバい街)であったメンフィスに辿り着きます。

ここでサニーボーイ・ウィリアムスン(時間差はありますがT世U世両方!)やルーズヴェルト・サイクス、ビッグ・ウォルター、マ・レイニー楽団と一緒に演奏したり、まだ子供だったリトル・ウォルターとも交流があったと言います。

街へ出て賭場へ行けばカードのイカサマの腕を買われてディーラーを務めて稼ぐ事が出来るし、演奏出来る場所もたくさんある。つまり何をやっても得意な事で儲ける事が出来るメンフィスでの生活は、スリムにとっては最高でしたが、ただひとつだけレコーディングの機会が少ないという事で、1943年には大都会シカゴへの移り住む事になるんです。

当時のシカゴは戦争景気で仕事はいくらでもあり、特に南部からの移住者で人口が爆発的に増えていた状態です。そういった人達に提供する娯楽産業も、南部とはケタ違いの規模でありました。

南部から出てきたミュージシャン達とは勝手知ったる仲であったスリムは、早速サニーボーイ・ウィリアムスン(T世)タンパ・レッドといった当時既に人気を獲得していた一流どころとも、マディ・ウォーターズやジミー・ロジャースといった若手らとも積極的に演奏を行っていて、チェスの前進であるアリストクラットに「いいギタリストがいるんだよ」とマディを紹介したのも、実がスリムだったりもします。




アポロ・セッション1949

【収録曲】
1.I'm Just A Lonesome Man
2.Sad Old Sunday (Mother's Day)
3.Boogie Man
4.Hard Time (When Mother's Gone)
5.Chicago Woman
6.I'm In Love
7.Bad Times (Cost Of Living)
8.Nervous Breakdown
9.It Keeps Rainin'
10.Brown Skin Woman
11.Old Age Has Got Me
12.That's All Right
13.Sad Old Sunday (Alternate)
14.I'm Just A Lonesome Man (Alternate)
15.Bad Times (Alternate)


スリム自身はレコーディングに関しては会社との度々のトラブルがあり、小さなレーベルをちょこちょこと渡り歩くハメになってしまって、大手からのヒット曲には恵まれませんでしたが、その活動はしぶとく、やがて60年代のブルース・リヴァイバルが来ると、その波に乗って「渋い大べテランのピアノマン」という評価を不動のものとします。

そしてやはり彼を敬愛するマディやリトル・ウォルター、J.B.ルノアー、ロバート・ジュニア・ロックウッドという後輩達の支えもあり、戦前の
タフネスを残しつつもモダン化した、見事なオリジナル・シカゴ・ブルース・サウンドを作り上げてもおります。

さて、今日のオススメアルバム『アポロ・セッションズ』は、そんなサニーランド・スリムの最晩年、1992年にいきなり発表されてブルースファンの度肝を抜いた作品なんです。

何で度肝を抜いたかというと、コレが彼のキャリアで言うとシカゴ初期に当たる1940年代の末にレコーディングされた小人数での編成で行われた未発表セッションだったからです。

内容はサム・カシミアーのギターのみをバックにしたほぼ弾き語りに近いものから、セントルイス・ジミー(vo)、ジミー・ロジャース(g)、ウィリー・メイボン(harp)等が加わった、戦前〜戦後のダウンホームなスタイルそのものな、実に泥臭い味わいに溢れた秀逸なものであります。

シンプルに鍵盤をガンガン叩く、生粋のブギウギ〜バレルハウス・スタイルのピアノのワイルドネスはもちろんですが、そこに絡むギターやハープの粗い感じも最高なら、セント・ルイス・ジミーの苦み走った太い声も良いのです。派手さはないけど「あぁ〜、これこれ、ブルースだね、たまんないね〜♪」というジワジワきて実に飽きない濃厚さに溢れてますね〜。そしてそのジワジワきて実に飽きない濃厚な味わいというのが、そのまんまこのサニーランド・スリムという人の伊達で粋なカッコ良さそのものでありますよ。















ブルース入門編 〜初心者のための優しいブルース講座〜



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