2017年12月02日

マジック・サム ブラック・マジック

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マジック・サム/ブラック・マジック
(Delmark/Pヴァイン)


12月1日はマジック・サムの命日でした。

ブルースが好きな人にとっては、もちろんこの人は、その名前を目にしただけで、何か胸に特別な感情がグッと込み上げてくる人であります。

世代的には1960年代後半にデビューし、戦後の”モダン・ブルース”と呼ばれるスタイルを切り開いた比較的新しい世代で、戦前から連綿と続くディープ・ブルースと、50年代にブルースから発展した華やかな都会のR&B両方の影響を受けた、恐らく最後の世代でありましょう。

まだハタチそこらだった1950年代後半から、ウエストサイドやサウスサイドといった黒人居住区にあるクラブで、フレディ・キング、オーティス・ラッシュ、バディ・ガイらと共に腕を磨き、他にも若く才能に溢れた新世代のブルースマン達がキラ星のごとくしのぎを削っている中で、見事ソウルやR&Bのエッセンスをギター全開のブルースに取り入れたオリジナルなスタイルを打ち立てて頭角を現し、さあいよいよこれからだという時に、たった2枚のスタジオアルバムだけを残して、32歳という若さであっけなくこの世を去ってしまったマジック・サム。

「生きていれば」「もしも次のアルバムが出ていたら」「もっと早くから正当に評価されておれば」という声は、全ブルースマンの中でも恐らくズバ抜けて多い人だと思います。

えぇ、わかります。スタイル云々はさておいて、この人ほど湧き上るブルース衝動みたいなものが歌とギターにストレートにみなぎっている人はそうおりませんもの。

はい、今聴けば王道過ぎるぐらい王道で、ストレート極まりないモダンなブルースですが、この人の場合は音楽性がそうである故に、とかく暗い影が付いて来がちなブルースから闇を吹き飛ばし、全部カラッとポジティヴなエネルギーにして昇華させる、そんな特別な力でも持ってるんじゃなかろうかと、どのアルバムを聴いてもそう強く感じるんです。

マジック・サムは1937年に南部ミシシッピに生まれ、1950年には大都会シカゴにやってきております。

その頃のシカゴといえば、マディ・ウォーターズやサニーボーイ
ウィリアムスン、エルモア・ジェイムス、そして少し遅れてハウリン・ウルフなどの大物達が、南部そのままのタフでディープなフィーリングを、電気化させたバンド・サウンドに乗せて大暴れしてヒットを飛ばしていた正にその時代。

ハウリン・ウルフ・バンドのヒューバート・サムリンのカミソリのようなソリッドなギター、或いはよく路上でも演奏していたロバート・ナイトホークの、泣き叫ぶようなエモーショナルなスライド、そしてもちろんラジオから流れてくるB.B.キングの、それを一発放つだけで場の空気が一気に華やぐチョーキング奏法、日々そういうものを浴びるほど聴いて感動した若き日のサムは、ギターを持ってあちこちのクラブや飲み屋で演奏する生活に、すぐに浸るようになります。

サムがブルースで身を立てるべくクラブで奮闘していた1950年代半ばには、高級スーツに身を包み、ホーンセクションを従えたゴージャスでノリのいいサウンドで若い世代の恋愛を歌う”R&B”という新しい音楽がチャートを賑わせるようになりました。

いつだって若いヤツは新しいもの派手なものが大好きです。サムらシカゴの若いミュージシャン達は、こぞってこの新しいブルースの、特にリズムや歌唱法を熱心に研究し、ロックンロールやR&Bのリズムや曲調に対応した”今風のブルース”を生み出します。

これが”モダン・ブルース”という言葉の語源でありますね。

サムの50年代は、非常に充実したものでありました。クラブで夜な夜な繰り広げられるセッションでは、盟友であるフレディ・キング、オーティス・ラッシュ、バディ・ガイらと”その夜の飲み代”を賭けた本気のギターバトルをよくやっていたそうですが、これが大人気。

「今日のギターバトルは誰が勝つと思う?」

「フレディ・キングだな、今シカゴの若手じゃ勝てるヤツぁいねぇよ」

「オレはマジック・サムに賭けるね、先月のバトルでフレディに勝ったって言うじゃないか」

「おいおい、お前ら何言ってんだ、本気を出したオーティス・ラッシュが一番に決まってるじゃねぇか。オレは初めてヤツのギター聴いた時鳥肌が立ったぜ。オレはオーティスに賭ける」

「いや、バディ・ガイだ」

ヒッピ・ランクシャンだってすげぇぞ」

「バカ言えよ、アール・フッカーに決まってんだろうが」

こんな会話がクラブでは飛び交ってたんでしょうね、えぇ、ワクワクします。

サムの人気はレコード会社の耳にも届き、地元のインディーズレーベル”コブラ”より、サムは遂にレコードデビューを果たしました。

残念ながら小さなレーベルの悲しさから、爆発的なセールスに繋がることはありませんでしたが、この時の楽曲「All Your Love」は、ゆったりとしたテンポにソウルフルなシャウトが炸裂する、実に新しいフィーリングを持ったブルースでありました(アルバム『ウエスト・サイド・ソウル』で聴けます)。





レコードを出したこともあって、サムの活動そのものは順調でした。クラブでの仕事はギャラこそ安いものの、連日連夜彼のプレイを聴きに来る若い客でフロアは賑わい、報酬以上の充実感は大いにあったことと思われます。

ところが1959年、順調に活躍していた彼に、その後の運命を左右する不運(ハードラック)が襲い掛かります。そう、軍から召集令状が来てしまったのです。

この年、北ベトナムのホー・チミン政権は、アメリカが支援する南ベトナム政権を打倒するための武力攻撃を決議。

当然南ベトナムを支援するために展開していたアメリカ軍とは、本格的な戦闘が予想されましたので、国や軍は、北ベトナムを大量の兵器と人員で圧倒するべく一般的徴兵法に基づいた徴兵で若者を招集しましたが、ここに投入される兵員は、ほぼ消耗品でありました。そしてまだ差別的待遇が残っていた公民権運動前のアメリカでは、徴兵されたら真っ先に激戦地の最前線に送り込まれるのは黒人兵士と相場が決まっており、黒人社会ではそれが当然のことという認識がありました。

ここでサムが取った行動は、何と脱走です。

結果サムはMPに逮捕/投獄され、脱走罪で6ヶ月刑務所に服役することになりました。

この出来事が、サムにどれほどの精神的ダメージと経済的苦境を招いたかは計り知れませんが、60年代になってシカゴに戻ってきたサムは、元々多かった酒量が底無しになり、奥さんも子供も生活保護で栄養状態もままならない程の酷い生活を送っていたと言います。

サムが音楽活動を再開したのは、1960年代も半ばになってようやくのこと。友人や音楽仲間達の支えでシーンに復帰したサムは67年にはデビュー・アルバム『ウエスト・サイド・ソウル』をリリース。これが傑作として評判を呼び、サムの活動はふたたび軌道に乗り、翌68年にはセカンド・アルバム『ブラック・マジック』をリリース。更に翌年の1969年には第一回の”アン・アーバー・ブルース・フェスティバル”に出演、3万人の聴衆を前に演奏を行い、ここでも評判となります。

が、不遇時代から彼を蝕んできたアルコールは、確実に彼の体に修復不可能なダメージを与えておりました。

1969年12月1日、突然の心臓発作によりマジック・サムはあの世へ旅立ちます。享年32歳。


実はマジック・サム、亡くなった時点ではまだまだ世界では無名の存在でした。

もちろん若かったというのもありますが、レコードをリリースしたのはいずれもシカゴのインディーズレーベル、そして何より彼には代表曲となるオリジナル曲がまだまだ少なかったんです。

だからアン・アーバー・ブルース・フェスティバルに出演して3万人の聴衆を沸かせたことが、実はサムにとっては世界的に有名になる最初のチャンスだったんですね。

「レコードもそこそこ評判で、初めての大きなステージにも立った。やれやれ、どうなることかと思ったが
ようやくハードラックともおさらば出来そうだ。ここまで来るのは長かったが、俺の人生どうやらこれからだな」

と思った矢先の突然死。これ、皆さんどうお感じになられますかね、アタシはマジック・サムという人のズバ抜けた歌とギターのカッコ良さ、楽曲アレンジのセンスと共に、”気さくでよく冗談も飛ばす、明るいヤツだったよ”という人柄が表れた、底抜けにポジティブなブルース解釈を聴いて彼の人生を胸の中で重ね合わせる時、やはり何とも言えない気持ちが溢れてくるんです





【収録曲】
1.I Just Want a Little Bit
2.What Have I Done Wrong?
3.Easy Baby
4.You Belong to Me
5.It's All Your Fault
6.I Have the Same Old Blues
7.You Don't Love Me, Baby
8.San-Ho-Zay
9.Stop! You're Hurting Me
10.Keep Loving Me Baby


さぁ、マジック・サムを聴きましょう。本日のオススメは、1968年にリリースされた、彼の2作目にして最後のスタジオ・アルバムとなった『ブラック・マジック』です。

元よりR&B的なファンキーさを持っていて、デビュー作でもその雰囲気を見事オリジナリティとして刻んでいたサムが、よりファンキーで”踊れる”仕様のアレンジとギター・プレイで見事に個性を昇華させた一枚ですね。

時代はR&Bから、より洗練されたソウルや、より”踊れる”ビートへ特化したファンクへと流行が目まぐるしく移り変わっていた時代。ブルースマン達はその流行のスピードに押されて軒並み苦戦していたと言いますが、土台をしっかりとブルースに置きつつもアーバンなリズムで攻めに攻めるサムのプレイは、総じて覇気に溢れ、時代の荒波なんのそので突き抜けて行けそうなタフさがあります。

マンボの「ウーッ!」なノリでハジケるオープニングの@『I Just Want a Little Bit』から、歌唱は深くテンポは軽快な8ビートのA『What Have I Done Wrong?』、最初にレコーディングしたコブラ時代のセルフカバーのB『Easy Baby』(渋いスローブルース)、サムがとりわけ敬愛していたローウェル・フルスン御大のファンキーなヒット・ナンバー『Tramp』のパターンでファンキーにキメるC、後半には盟友フレディ・キングのゴキゲンなインスト・ナンバー『San-Ho-Zay』や、同じく盟友オーティス・ラッシュの『Keep Loving Me Baby』で、アルバム最後を軽快なシャッフルビートでシメる粋な演出も忘れてはおりません。

個人的には後半の”ダチの曲をカッコ良くカバーするもんねシリーズ”の目玉はアンドリュー・ブラウンの大名曲『Stop! You're Hurting Me』(原曲タイトルは『You Better Stop』)であります。スローテンポでジワジワと歌い上げる原曲に忠実なへヴィさに沿った歌とギターのコールに、見事なレスポンスで応える職人エディ・ショウのサックスがこれまた最高なんですよ。

今日は一日マジック・サムの手持ちのアルバムをずっと聴いておりますが、やはりどのアルバムも(死後に発表されたライヴ盤や未発表音源も含めて)細かなアレンジや音質の違い等あれど、演奏されていない”その先の音楽”が、まるで聞こえてくるような、そんなワクワク感ではちきれそうであります。

こういうの、本当の意味で個性とか味とか言うんだよなぁ。。。








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2017年11月21日

ブリューワー・フィリップス ハウンドドッグ・テイラーに捧ぐ

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ブリューワー・フィリップス ハウンドドッグ・テイラーに捧ぐ
(Delmark/Pヴァイン)

ブルースはパンクだ!!

という衝動を、ギャンギャンに歪んだギターの音と、ギター+ギター+ドラムスという変則トリオの絶妙なコンビネーションで、ブギまたブギのノリノリサウンドで最高に爆発させてくれるの唯一無二のバンドがハウンドドッグ・テイラー&ザ・ハウスロッカーズであります。

ブルースがそろそろ渋い大人の音楽と言われるようになり初めるようになった1970年代、ようやく出てきたおっさん達が、渋くない、良い意味でのチンピラ魂を全開にしてあひゃひゃと暴れ回るそのサウンドは、今もってブルース云々を通り越して「これはガレージ・ロックだ!」と狂喜する若者やおっさんを量産してると言いますから恐ろしい話であります。

で、そのハウスロッカーズ、ギター+ギター+ドラムスの変則トリオと書きましたが、ぎゅいんぎゅいんに歪ませたスライドで暴れるリーダーのハウンドドッグ・テイラーの隣で、大人しくコード・カッティングとかせず、ゴワゴワに歪んだ音でベースとほぼ同じフレーズをボコボコ弾きまくっているイカレたギタリストがおりまして、この人が本日の主役、ブリューワー・フィリップス!!!!

あのですねぇ、もうハウスロッカーズでのブリューワー・フィリップス、最高なんですよ。

ベースと同じフレーズ弾いてるんだったら、ベース弾いた方がバンド・サウンドに重みが出ていいんじゃないかと普通は思うし、実際その通りなところを、あえてギターで通してる理由とかそういうのはまーーーったくわかんないんですが、多分本人達に訊くと

「あぁ?そんなの決まってんじゃねぇか、やかましいからよ。ヒャッヒャッヒャ!」

としか返って来なさそうなので、そこんとこ、深く突っ込むのはやめときます。

とにかくもうハチャメチャなコンビネーションで、音楽やっているというより、一緒に悪いことやってるのを楽しんでいるような、ハウンドドッグ・テイラーとブリューワー・フィリップスです。

二人は共に戦前の南部生まれ(テイラー1915年生、フィリップス1924年か1930年生)、戦後にシカゴに出てきて70年代にハウスロッカーズを組むんですが、実は戦前に南部のあちこちでたまたま偶然会っていたようです。

「あぁ、オレが南部でチンピラやってた頃だな。ブリューワーはトラックの運転手だったみたいなんだよね。で、何故かアイツとは偶然会うことが多かったよ。歩いてたらトラックの運転席から”アンタよく会うけど何なんだ!”って。何なんだもクソもねぇよヒャッヒャッヒャッ!音楽?いんや、アイツがギター弾くなんてのを知ったのは、シカゴに来た後だ。1959年にヤツと一緒にやるようになってからだな。」

(ハウンドドッグさん、ブリューワーはメンフィス・ミニーにギターを習ってたらしいんですが・・・)

「メンフィス・ミニーかぁ、ありゃあイイ女だよなヒャッヒャッヒャ!何だって?アイツがメンフィス・ミニーにギターだって!?馬鹿言っちゃいけねぇよ、ミニーはその頃大人気でオレですらなかなかお近付きになれなかったんだ。アイツみてぇなチンピラ相手にされるかよ!」

(むしろブリューワーのギター・スタイルは、ジミー・リードのバックでウォーキングを刻んでいたエディ・テイラーに通じるものがあるように思えるんですがどうなんでしょう?)

「(機嫌がコロッとなおる)あぁそうだなぁ。エディとヤツはミシシッピにいた頃からよくツルんでたらしい。釣り仲間だってよ、ヒャッヒャッヒャ!お前さん真に受けちゃいけねぇぜ、アイツらの釣りは酒場でおねーちゃん釣るやつだからな」

(はぁそうですか・汗、で、エルモア・ジェイムスの破天荒なスタイルに影響を受けたアナタとジミー・リードのダウンホームなロッキン・スタイルをお手本にしたブリューワーが組んで・・・)

「おぅ、そうよ。オレが知る限りエルモアとジミー・リードってのは50年代シカゴの花形よォ。だからそのスタイルを掛け合わせたオレらのハウスロッカーズってのは結局イカしたバンドよ。ヒャッヒャッヒャッ!!」

はい、ハウンドドッグ・テイラーさん、ありがとうございました。

どうでしょう?このオッサンほとんどアテになりませんが、ブリューワー・フィリップスの前半生というものを少しは喋ってくれたでしょうか。話を続けます。

ハウンドドッグ・テイラーとブリューワー・フィリップスは、1959年から1975年まで仲良くハウスロッカーズの活動を続けました。

ブリューワーはハウンドドッグより10歳ぐらい年下でありますが、お互い”兄弟”と呼び合うフラットな関係で、冗談を言い合い、時に喧嘩もしながら日々のギグをこなしていたんですが、ある日のことブリューワーが

「よぉ兄弟、オレはゆうべお前の不細工な嫁さんとよろしくやってたぜぇ」

という、タチの悪い冗談を言ってしまい、それに激怒したハウンドドッグが持っていた銃で足を撃つという事件が起きてしまいました。

誤解のないように言っておきますが、ブルースの昔からヒップホップの現在まで、ブラックミュージックのコミュニティでは、このテのキツい冗談というのは、仲良しの証として言い合うというコミュニケーションが存在しております。

恐らく普段からこの二人にとって、このテの冗談は挨拶代わりの当たり前のことではあったんでしょうが、この日はハウンドドッグ、虫の居所が悪かったのか、つい発砲してしまいました(”つい発砲”ってところが何ともですが・・・)。

ブリューワーもこれにはアタマに来て「絶縁だバカヤロウ!」と。

ついでに刑事告訴して、ハウンドドッグは逮捕収監となるはずだったんですが、実はこの時ハウンドドッグは癌の末期で、後日警察ではなく病院に担ぎ込まれました。

銃をぶっ放たれて絶縁を突き付けたとはいえ、長年の相棒です。その相棒が明日をも知れぬ命で、病院で最期の時を待っていると知ったブリューワー、とにかく見舞って和解しようと病院へ駆け付け、いや、ハウンドドッグ、あの時はお前の機嫌も考えねぇでヒドいこと言っちまった。んなこたぁねぇよ、オレの方こそいくら虫の居所が悪かったとはいえ、相棒を撃っちまうなんてヤキが回ったな。お陰でこのザマだ、本当にすまねぇ。と、二人はめでたく和解。

俺達もう還暦のいいジジイなのに何やってんだろうな、おいおいハウンドドッグ、お前はそうかも知んねぇが、オレはまだ50だぜ?いや、55か。まぁどっちでもいいや。元気になったらまたブギしようぜ。あぁそうだな、なんて会話を交わしたその2日後に、ハウンドドッグ・テイラーはあの世へと旅立ってしまいました。

ハウンドドッグ・テイラーの偉いところは、世に本格的に認められたのが1970年代で、いわゆるロック世代の連中からは大御所扱いされなかったところなんです。世代的にはB.B.キングよりもちょい上で、マディ・ウォーターズは2コ上。

でも、そういう風にあがめられているブルースマン達のことなどどこ吹く風で、一貫して変えなかったダーティーなブギーを、相変わらず下町の狭く汚い(失礼!)クラブで演奏することで日銭を稼いでおった。もちろん彼をリスペクトする若いロック・ミュージシャンはたくさんいたでしょうが、そういうところにやあやあと出て行って、物分りのいい大人な演奏など絶対しなかった。カッコイイですよね、や、それしか出来なかっただけかも知れませんが。。。





【収録曲】
1.You Don't Have To Go
2.For You My Love
3.You're So Cold
4.Hen House Boogie
5.Lunchbucket Blues
6.Don't You Want To Go Home With Me
7.Blue Shadows
8.My Baby Don't Love Me No More
9.Laundromat Blues
10.Looking For A Woman
11.Cross Examination
12.Homebrew
13.Right Now
14.Tore Down
15.Let The Good Times Roll
16.Do What You Will Or May


ハウンドドッグが亡くなってからのブリューワーは、相変わらずゲットーの仲間達とツルみ、派手ではないものの、しっかりとブルースに根を生やした活動をしており、ギターを持ってゴキゲンにブギーする彼の姿はやはり小さなクラブハウスにありました。

で、1996年にいきなり「ハウンドドッグに捧ぐ」なるタイトルで、新作としてこのアルバムがリリースされた訳です。

とりあえずその事実だけでも事件なのに、このアルバム何が最高かって、ちょいとスクロールしてもう一度ジャケットを見てください。明らかに目つきのヤバいおっさんが、シャツのボタンほとんど外して、手に持ってるのはギターじゃなくて何故かハンマー(!)こんなもんアーティスト写真じゃなくてリアル事件現場の防犯カメラじゃないですか。

内容は、そんなちょっとアレな感じのジャケットに負けず劣らずの、実にタフで1950年代とか60年代の”ヤバかったころのシカゴ・ブルースそのまんま”の濃厚な香りのする、見事なダウンホーム・ブルース。

ハウスロッカーズのあのプレイしか知らなかったから、どんな演奏するんだろうと、少しハラハラしましたが、1曲目ジミー・リードの「You Don't Have To Go」のゴキゲンなウォーキングと、程よいドスが効いて実に味のあるヴォーカル、そしてルーズだけれどもキメるところはバシッとキメるバンド・サウンドを聴いて「あ、これは間違いない」と思いました。

必殺のブギーは、もちろんいい感じのがたくさん入ってますが、それだけじゃなくて、スロー・ブルースでメロディアスなチョーキング(抑え目だけどこれがまたいい!)を披露してくれるギター・ソロも実は上手い、いや、旨いんですよ。

とにかく全く”作り物”な感じのしない、往年のシカゴ・サウンド(しかもかなりやさぐれて渇いた質感のある)ですよ。1995年の録音!?ウソでしょ、何このリアリティ!!と、100回聴いて100回思えるダーティーな雰囲気、実にヤクザで最高です。

大物のスーパープレイを聴く醍醐味はもちろん素敵ですが、ブリューワー・フィリップスみたいな、現場第一主義でずっとやさぐれてきた人のサウンドを聴いて「くーーーー!!」ってなる素晴らしさがブルースにはありますね、えぇ、あるんです。くーー!





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2017年10月31日

ザ・ベスト・オブ・ブラインド・ブレイク

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ザ・ベスト・オブ・ブラインド・ブレイク
(Pヴァイン)

様々なジャンルの音楽を聴き込んでいくうちに、戦前ブルースに行き着いて「気が付けばその泥沼にハマッてしまってエライ事になってしまった」という話はよく聞きます。

実際アタシも18から19の時にある日突然ノイズだらけの古い録音のはずのブルースが、それまでにない生々しさでもってガツーンと聴こえるようになって以来、しばらく”戦前ブルースしか聴けない病”を患ってしまい、往生した記憶がございます。

最初はロックや戦後のブルースのルーツを探究するような気持で戦前ブルースを聴きかじるんですが、そのうち戦後の音楽にはない、戦前モノならではの楽しみや奥深さが楽しくなってしまい、結果泥沼にハマり込んでしまうことになってしまうのです。

では、その「戦前ブルースならではの魅力」とは何でしょうか?

うむ〜、これはもうたくさんあり過ぎて、全部書こうとすると長い上に精神的な重っ苦しい話もふんだんに混ぜられた、かなりイッちゃった文章になると思いますのでまず省略。

もっと音楽好きの皆さんに分かり易く説明するとすれば、戦前モノのブルースには、意外と洗練されて都会的な”陽”の部分に溢れたものがある、ということ。

そのひとつがラグタイムです。

ラグタイムはジャズの元になった音楽のひとつと言われ、大体19世紀頃に誕生しています。

西洋音楽起源の、当時のポップス(長調と単調による、非常にシンプルなもの)を、黒人がピアノで演奏する時、独自のシンコペーション(リズムのズレ、今で言う”アフタービートの黒っぽいノリ”ですねぇ)で、左手が「ボン、パン♪ ボン、パン♪」とリズムを刻めば、右手は主たるメロディーを(チャッチャッチャ♪チャラッチャ♪」と、前のめりにつっかかるように弾くようになり、これが「新しい!」と白人達にも大いにウケて、第一次世界大戦の時なんかは、人が集まる砕けた雰囲気の場所にピアノさえあればコレが演奏され、更に映画の世界ではコミカルな場面では必ず使われるぐらいに大流行した。

これがラグタイムなんですが、後にこの独特のグル―ヴィーな音楽を、ブルースマン達がギターで再現し、このスタイルの名手と呼ばれる人達が1920年代わんさか出てきました。

その代表的なギター名手が、本日ご紹介するブラインド・ブレイクです。

何にせよピアノでは右手と左手を使って、別々のシンコペーションで弾いていくというこのスタイルを、ギターを弾く右手の親指と人差し指(たまに中指も)を使って再現するというのは実に至難の技で、多くのブルースマンが「それっぽく弾ける」レベルでなかなかいい演奏をするのに対し、このブラインド・ブレイクという人は、完璧なリズム感、完全に独立した親指とそれ以外の動きで完璧に再現して、しかも他の追随を許さないオリジナリティを持っている訳で、ハッキリ言ってバケモノなんです。

戦前ブルースにハマりまくっていた時「盲目のブラインド・ブレイクは、特にその凄まじいギター・テクニックとラグタイム・ギターの完璧ともいえる完成度で」と書いてある何かの記事を見付け、早速ベスト・アルバムを買って聴いたら

「すげぇすげぇ、ブラインド・ブレイクも凄いけど、このサイドギターの人も凄いわ!ブレイクの弾くメロディにピッタリ合わせてしかも絶対にブレないしヨレない。恐ろしいリズム感だ!!」

と、興奮したんです。で、そのギタリストの名前を覚えようとライナノーツを読んだら、絶妙なリズムをバンボンバンボン刻んでいるサイドギタリストの事には一言も触れておらずに、ん?おかしいと思って色々と調べたら、実はあの「どう聴いても絶対に2本以上に聞こえるギターは、ブレイク本人が右手親指と人差し指による絶妙なコンビネーションで弾いているのだ」と知って、本気で卒倒しそうになりました。




【収録曲】
1.Blind Arthur’s Breakdown
2.Police Dog Blues
3.West Coast Blues (take 1)
4.Dry Bone Shuffle (take 2)
5.Too Tight Blues No.2
6.Skeedle Loo Doo Blues (take 2)
7.Bad Feeling Blues
8.Let Your Love Come Down
9.You Gonna Quit Me Blues
10.Diddie Wa Diddie
11.Early Morning Blues (take2)
12.Fightin’ The Jug
13.Sweet Papa Low Down
14.Sea Board Stomp
15.Black Dog Blues
16.Hastings St.
17.One Time Blues
18.Panther Squall Blues
19.Georgia Bound
20.Rope Stretchin’ Blues-Part1 (take2)

そん時買ったベスト・アルバムが、Pヴァインから出ていた怒涛の戦前ブルースの巨人達シリーズ『キング・オブ・ザ・ブルース〜』シリーズでしたが、今出ている上記ベスト盤は、その内容と一緒で値段が安くなったスグレ物であります。

例によって写真も一枚しか残っていないし、その生涯についても謎の多い、いや、多すぎるブレイクは、最初女性シンガーのバックでギターやピアノを弾くバック・ミュージシャンでしたが、そのギターの卓越した才能を認められ、ソロ・レコーディングをしてそれが予想外にブレイクした(ダジャレじゃないよ)したと言います。

主な活動地は、1920年代当時ジャズやブルースの最先端が毎晩のように演奏されていたシカゴ。

この地でほとんど独走状態の人気を誇り、後に戦前シカゴ・ブルース界で卓越したギタリストと評されることになるビッグ・ビル・ブルーンジィやタンパ・レッドなどにも直接影響を与えた人ではありますが、1934年に38歳という若さであっけなくこの世を去っており、また、30年代以降にはバンドブルースが隆盛を極め「ひとりジャズ・バンド」とも形容されたブレイクのようなラグタイム・ギターは徐々に演奏されなくなって、彼のスタイルを直接受け継いで今に伝える人はおりません(アコースティックなブルースをやるミュージシャンは時々ラグを演奏します、また、日本ではフォロワーとして有山じゅんじという凄い人もおりますが、いずれもレコードを通しての影響です)。

明るくリズミカルで、スローな曲もほんわかした味のあるブレイクの音楽は、ひょっとしたら最初はブルースに聞こえないかも知れませんが、それはそれで一向に構いません。このノリ、このグルーヴ、そして完璧なまでに洗練された音世界は、ワン&オンリーな音楽として、他のどのジャンルの音楽とも、ブレイク一人で対抗できるとアタシは思っております。

CDの内容についての解説、全然しておりませんが、アタシが何を言いたいのかは、このCDに収録されている彼の強烈無比なラグタイム・ナンバー『Blind Arthur’s Breakdown』『Dry Bone Shuffle』などを聴けば、ズドーンとお分かりになろうかと。


彼の謎に満ちた生涯については、過去にコチラ↓にも書いてありますんで、併せてお読み頂ければこれ幸い♪あ、文体が真面目ですが書いてるのはアタシです、ハイ。。。


”ブルース入門編 〜初心者のための優しいブルース講座〜”




『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2017年10月20日

ローウェル・フルスン ハング・ダウン・ヘッド

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ローウェル・フルスン/ハング・ダウン・ヘッド
(Chess/ユニバーサル)


アタシはブルースが大好きで、幸いアタシの周囲の音楽好きの仲間もブルースが好きですので、ブルースのある生活、もとい、ブルースが日常的に流れてる生活というものが当たり前なのですが、果たして世間一般からブルースという音楽は、どのように見られているのだろうかということをよく考えます。

世間話のついでにブルースについてどう思うかということを、街のおねーちゃんやおじちゃん達にさり気なく訊いてみますと。

「何か渋いよね」

「んー、わかんないけどー、”男!”みたいな」

「あんま聞かんけどね、何か気軽に手ェ出しちゃいかんような気がする」

「毛深そう」

・・・ん、まぁいろいろですが、これらの意見を要約してみると、ブルースという音楽は

『頑固親父がやっているこだわりのラーメン屋』

なのではないかという仮説が成り立ちます。


元々ラーメンというのは、安い値段で気軽に食える、庶民の味でありました。

ブルースですね。

ほんで、その味については、関東は醤油、九州はとんこつ、北海道は味噌など、地域によってベースとなるスープが大きく違っていたりします。

いいですね、ブルースです。

90年代半ば以降ですかね、とんこつラーメンの濃厚な味わいが、東京に住んでいる人達の好みに合い出してきて

「とんこつギトギトで、ニンニクがっつりで、背脂タップリ」

のようなお店が都心にたくさん出来てきて、若い店主達が個性を競い合い、ラーメンもどんどん派手で刺激の強い食べ物になってきたなぁというのが正直な感想です。

これはブルースがファンクとかソウルの土台になって、どんどん派手に進化していったのと似ています。

ほんで「こだわりの店」とかいうのが出てきました。

お店に何だかごっつい筆文字で書いた「感謝!」みたいなメッセージとか、「あれ禁止これ禁止」みたいなルールが書いてあったりとか、そういう、いわば飲食店というより道場みたいな店も増えてきたんだよと、都会に住んでる友人は云います。

で、お前さんどうだい?そういうお店でラーメン食うのかい?

いやぁ、あそこまで行っちゃうともうね、オレらみてぇなシロートや女子供にゃあ用はねぇって感じですよ。毎日ラーメン食べてそうな連中がカウンターで必死の形相してだまーって食ってやがるんです。昔みてぇにちょいと腹減ったからラーメンでも食おうかなんて気楽に入っちまうと怒られそうで、最近は遠慮してますねぇ。

しかしアレだねぇ、オレらなんかおめぇ九州の離島の街っ子だから、とんこつラーメンなんて当たり前で。でもどうだろうねぇ、昔は名瀬のラーメンつったら味竹とか菊水とかだったけど、言うほどこってりしてなくて、ちょうどいい味だったよねぇ。

そこなんですよ、オレらとんこつラーメン文化圏のヤツから言わせてもらうと、都会のとんこつラーメンってのはどうも濃すぎて、何でもドバドバ入れりゃいいみたいな、そういうところがあって・・・まぁ、全部が全部じゃあないんでしょうけど、オレぁそいつについて行けねぇんです。普通のラーメン食わせてくれよって思いますねぇ。


・・・なんて会話が延々交わされそうなので、ここら辺で切っておきます(汗

まぁその、ブルースをラーメンにたとえますと、恐らくは「味が派手になる前の九州とんこつラーメン」なんじゃないかということを言いたいんですね。

ブルースに影響を受けた音楽も、1980年代以降になると、ベテランとか大御所とかいう人達がそろそろ出てきて、じゃあそんな凄い人達が愛しく語る「ブルース」ってのは、何というかもっと凄いんじゃあないかと。うへぇ、聴いてみたいけどそんなそんな・・・、とっても恐れ多いというか何というか・・・。

と、高いところに持ち上げられて敬遠されてきた感もあるんじゃないかと思います。

でも、ブルース。特にエレキギターを使ったバンドスタイルのそれが形になった1950年代のものを聴いてみると「これよこれ、食べて安心出来る昔ながらのとんこつラーメンだよ!」という味わいのものが実に多く、たとえばドライブとか、家事をしながらのBGMなんかにはピッタリのものが意外に多いんですよ。

そんなわけでブルース界の「元祖とんこつラーメン」といえば、まさしく1950年代のローウェル・フルスン御大であります。

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フルスン御大は、そのどこまでも武骨で辛口なヴォーカルとギターの魅力もさることながら、何といっても表現全体から溢れてくる男の哀愁が、そのまんまブルースを体現しておる人で、超絶有名なスターではないけれども、源流であるテキサス・ブルースのコアな部分の伝道者であり、B.B.キングをはじめ、その後のモダン・ブルースにはとてつもない影響を与えている、ブルースを語るにはやはり外せない人で、だからアタシは目一杯の敬意を込めて”御大”と呼んでおります。

1921年オクラホマ州タルサ生まれで、少年時代は戦前テキサス・ブルースの創始者の一人であるテキサス・アレクサンダーの伴奏を務めるなど、早くから頭角を現しますが、やはり戦後60年代後半に、ファンキーな要素を大々的に取り入れた『トランプ』でブレイクしてからの活躍が、ファンには知られております。

つまり遅咲きの人であるんですが、最初に小ヒットを飛ばしたのは1950年代。その頃シカゴにあったシカゴ・ブルースの総本山的なレーベル”チェス”にてシングルを出していた頃の演奏を熱心に聴いていたB.B.キングによって「あの人はブルースの眠れる巨人だよ」と言わしめたのが、フルスン御大復活のきっかけでありましょう。




【収録曲】
1.ザッツ・オール・ライト
2.アイ・スティル・ラヴ・ユー、ベイビー
3.リコンシダー・ベイビー
4.アイ・ウォント・トゥ・ノウ
5.ロウ・ソサエティ
6.チェック・ユアセルフ
7.イッツ・ユア・オウン・フォルト
8.ドゥ・ミー・ライト
9.トラブル、トラブル
10.ハング・ダウン・ヘッド
11.トウリン・ベルズ
12.ドント・ドライヴ・ミー・ベイビー
13.ブルー・シャドウズ


という訳で、フルスン御大初期の集大成、チェスのシングル・コレクションとも言える名盤の「ハング・ダウン・ヘッド」であります。

このアルバムは凄くいいんですよ。

実はブルースには

・ミシシッピ→メンフィスとかいろいろ通ってシカゴ

という流れと

・テキサスから西海岸

というざっくりな二大流派がございまして、フルスンはテキサスから西海岸な流れの人なんですね。

でも、何でそんな人がとことんシカゴ・ブルースなチェスかといいますと、えぇ”たまたま”です。

地元シカゴのブルースマンばかりでなく、洗練されたゴージャスなスタイルの西海岸ブルースも手掛けてヒットを出したかったチェスがたまたま見つけたのが、当時「スリー・オクロック・ブルース」や「エヴリデイ・アイ・ハブ・ザ・ブルース」というヒット曲を出していたフルスン御大で

「えぇと、別に西海岸にいてもいいから、ウチからレコード出してくれないか?」

「うん、いいんじゃね?」

ぐらいのノリで決まったらしいです。

フルスン御大はスケールがデカいから、地域性やスタイルの違いなんて全く気にしません。

レコーディング・スタッフに西海岸に来てもらって、そのまんまシングル用の曲をちょこちょことレコーディングさせているんですね。

だから、このアルバムは1955年から1961年までの割と長い期間の曲が集められておりますが、録音のほとんどは西海岸で、フルスンのレギュラーバンドをバックに演奏された曲なので、シカゴブルースのような強烈な泥臭さはありません。むしろ西海岸流儀の洗練されたジャズィなバックの上で、ひたすら硬派で辛口な唄とギターのコアを剥き出しにシャウトするフルスン御大が聴けるって寸法です。

ブルースはパンクだと思っているアタシ、ブルースに”渋い”という形容はなるべく使わないで、皆さんにはそのフリーダムでアナーキーな魅力を楽しんでもらおうと思ってブログも書いておりますが、コレに関しては例外的に



渋い!!



と、声を大にして言わせていただきます。

いやぁ、渋いんですよ。もうね、むせび泣く男の哀愁が、最初から最後までじわ〜んと物凄い量沁み出ているし、物凄い勢いで空間を侵食しますよこれ。

特にこの時期の大ヒットであり、タイトル曲になった「リコシンダー・ベイビー」の、不器用だけど言葉より語るものに溢れたギター弾き倒しと、感情をクッと押し殺したヴォーカルの味わいは、ブルース知らない人が聴いても「これがブルースだ」と言わしめる強烈なカッコ良さに溢れております。

また、フルスンのゴツゴツした声やギターを絶妙に引き立てるバックの演奏が秀逸です。パシッと心地良く決まる乾いたリズム、ピアノにホーン、曲によってはヴィブラフォンまで入ったジャズ寄りと思わせて、実はしっかりと地に足の付いた、そう、テキサス・ブルース特有の”乾いた質感”が滲みまくるアレンジ。1950年代に若きB.B.キングが熱心に聴いてバンド・アンサンブルのお手本にしたサウンドです。

フルスンにしては珍しい、チェス・レコード唯一のアルバムではありますが、リリースされたのが1970年と、丁度日本で最初にブルースのレコードが聴かれるようになった時期と重なって、このアルバムは当時の多くのブルース・ファンにとって「原点の一枚」になったと言います。

CDの時代になって、フルスンの60年代以降のアルバムが次々リリースされ、その中には代表作と呼べるクオリティの名盤もたくさんありましたが「やっぱりフルスンはコレだよな♪」と、今なお多くの人に愛されております。

やっぱりこのアルバムは昔ながらのシンプルなとんこつラーメンだと、そのじんわりと辛口の沁みる味わいに舌鼓を打ちながらしみじみと・・・。





”ローウェル・フルスン”関連記事


”ブルース入門編 〜初心者のための優しいブルース講座〜”


『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2017年10月10日

スヌークス・イーグリン New Orleans Street Singer

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スヌークス・イーグリン/New Orleans Street Singer
(Smithonian Folkways)

独特のリズム感でもってソロにカッティングにと自由自在な個性を輝かせる信じられないギター・テクニックと、のほんとした声(のほほんではない)でもって、聴く人の感情にしんみりと訴える”情”の歌声。そして、ブルースからR&B、ソウル、ファンク、ジャズ、カントリー、フラメンコまで、とにかく演奏できるものならどんな音楽でも片っ端から自分のスタイルに取り込んで、そこに見事なオリジナリティを開花させてしまう、人呼んで”人間ジューク・ボックス”それがニューオーリンズの魔物、スヌークス・イーグリンなのであります。

そのキャリアは1950年代の半ばから、亡くなる2009年まで、実に50年以上にも及ぶ人ですが、アコースティック・ギターを持ってのブルース弾き語りが主だった初期と、ブルースをベースに様々な音楽をクロスオーヴァ―させた独自の幅広い音楽性が花開いた60年代以降に、音楽性は大きく分割されますが、どのスタイルでもその尋常ならざるテクニック(特にカッティングにおけるタイム感)のギターと哀愁のヴォーカルぶりは最大に発揮されており、多様性の中に一本芯の通ったものを感じさせるブルースマンです。

スヌークス・イーグリン、1936年ルイジアナ州ニューオリンズに生まれ、1歳半の時脳腫瘍と緑内障の後遺症で失明。5歳の時に父親にギターを与えられ、ラジオで聴く全ての音楽を耳コピし、11歳で地元のラジオ番組誌主催のコンテストで優勝し、10代半ばの頃には既に地元ニューオリンズではプロとしてバンド活動をしておりました(この時一緒にバンドをやっていた人として、まだ13歳だったアラン・トゥーサンがおったようです)。

ソロ・アーティストとしては1953年、17歳の時に地元の大学から、民俗学の資料としてのレコーディング以来が来ます。で、ここからが彼のソロ・アーティストとしてのキャリアはスタートするのです。

このブログでスヌークス・イーグリンを紹介するのは今日が初めてで、個人的にはその”何でもアリ芸”が円熟の境地に達した80年代後半のアルバムとかから皆さんに聴いて頂きたい気持ちもあったのですが、今日ちょいと彼の初期のアコギ弾き語りのアルバムを聴いていたら

「や、アコースティックだけど、実はこの人はこの時から何でもアリじゃないか。うん、ありきたりのブルースじゃないし、ギターを集中して聴くにも最高だ。うほ♪」

となりましたので、初期のアコースティック音源をまずはオススメとしてご紹介いたしましょう。




【収録曲】
1.Looking for a Woman
2.Walking Blues
3.Careless Love
4.Saint James Infirmary
5.High Society
6.I Got My Questionnaire
7.Let Me Go Home, Whiskey
8.Mama,Don't Tear My Clothes
9.Trouble in Mind
10.Lonesome Road
11.Helping Hand (A Thousand Miles Away from Home)
12.One Room Country Shack
13.Who's Been Foolin' You
14.Drifting Blues
15.Sophisticated Blues
16.Come Back, Baby
17.Rock Island Line
18.See See Rider
19.One Scotch, One Bourbon, One Beer
20.Mean Old World
21.Mean Old Frisco
22.Every Day I Have the Blues
23.Careless Love [2]
24.Drifting Blues [2]
25.Lonesome Road [2]


まず曲のラインナップが凄いんです。

「ハイ・ソサエティ」「聖ジェームス病院」などのオールド・ジャズ・クラシックスから「C.C.ライダー」「ロック・アイランド・ライン」など、元祖ソングスター、レッドベリーの愛唱歌、サン・ハウス、ロバート・ジョンソンでおなじみの「ウォーキング・ブルース」、ローウェル・フルスンが作り、B.B.キングが看板曲にした「エウリディ・アイ・ハブ・ザ・ブルース」、エルヴィス、リトル・ウォルターもカヴァーした、ロックンロールの味の素「ミーン・オールド・フリスコ」(アーサー”ビッグボーイ”クルーダップ)などなどなど・・・。お前アコギ一本でよくもこんなに節操のない幅広いレパートリーを集めてきたなぁと、クレジットを見るだけでクラクラします。

スヌークスは、大学のバックアップを得て、更にこのテの”アメリカ伝統音楽の録音”といえばのフォークウェイズ・レコードも本格的にレコーディングに乗り出したのを受けて、1958年から60年(つまり22歳から25歳ぐらいまでの間)に大量の弾き語り音源を残しておりますが、コチラに収録されているものは、最初にリリースされたものだそう。

つまり、このアルバムが(商業用ではないけれど)正真正銘のスヌークス・イーグリンのソロ・ミュージシャンとしてのまとまった作品として初のものなんです。

で、その中身の方はというと、もう既に後年に通じる”何でもアリ”の芸風は、恐ろしいことに完成しております・・・。

アコギ弾語りだから、全体的にのどかな感じではあるんですが、ありきたりのブルースやフォークっぽいやり方ではやっておりません。1曲目からカッティングはカリプソだし、かと思えば「ウォーキング・ブルース」は、ロバート・ジョンソンやサン・ハウスを飛び越して、まるでその頃のジョン・リー・フッカーばりのドロドロのスロー・ブルース(歌詞も違うからあの「ウォーキング・ブルース」と果たして同じ曲なんだろうかという疑問もありますが)。

圧巻なのはやはり「聖ジェームス病院」「ハイ・ソサエティ」と2曲続くジャズ・ナンバーで、前者はグッと抑揚を抑えた歌い方で、既にソウル・バラードみたいな雰囲気を(ギター1本でだぜ!?)醸しておりますし、後者に至っては、そこにロニー・ジョンソンかエディ・ラングの生き霊がおるんじゃないかと思うほどのギター・ピッカーぶりで「一体この人は何なんだ!」と、聴く人をしっかりと煙に巻いてもくれます。

例えば「エヴリデイ・アイ・ハブ・ザ・ブルース」なんか聴いておれば分かるんですが、この人は確かにジャンル幅広いし、渋さを一定に保ちつつ、万華鏡のような「一人歌謡ショーぶり」を如何なく発揮しておりますが、ただスタンダードを奇抜なアレンジでやっているのではなく、むしろトラディショナルなブルース・ナンバーは、有名なヴァージョンよりも更にディープでドロドロのブルースとして、一番コアな部分も感じさせてくれるのです。

しつこいようですが、これ、ギター弾き語りだぜ!?

と、アタシは聴く毎に思います。えぇ、今この時点で多分皆さんにはこの意味は伝わってないかと思うのですが、ブルースや古いR&B、あるいはジャズなんかが好きな人がこのアルバムを一回でも聴けば「うぇぇ、マジだ!」と、絶句すると思います。果たしてこれはブルースなのか、それとも弾き語りのR&Bなのかと、アタシ の中では未だ結論は出ませんが、すこぶる付きのグッドミュージックであることは確かです。



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2017年09月22日

ライトニン・スリム ルースター・ブルース

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ライトニン・スリム/ルースター・ブルース
(EXCELLO/ユニバーサル)

ブルースといえばシカゴにテキサス、ミシシッピ。ちょいとツウなら「メンフィスはどうだ?」「いやいや、デトロイトも捨てがたい」といった感じで、楽しく語ったてるうちに地名が出てくるもんでございます。

そう、皆さんにはぜひお手元にあるなら(今ならネットがある)ぜひ、ブルースを聴きながら、そのブルースマンがどこの人かを地図で確認しながら聴いてみてほしいんです。

今からおよそ100年昔、ディープ・サウスと呼ばれるミシシッピやテキサスで生まれ、徐々に南部全体、そして色んな街を経由して北部のシカゴや西海岸に運ばれていったブルースは、行った先々で独自の進化を遂げて、まったくその土地特有の風味を纏うようになりました。

後の時代のロックやソウルなんかでも、土地の名前を頭に付けた(フィラデルフィア・ソウル、リバプール・サウンド、めんたいロックなど)ものがあって、それぞれ聴くだけで「あ、この音はこれだね♪」と分かるものが多くありましたね。そんな感じでブルースも、人の個性と土地の空気感みたいなのが、最高にいい感じの味わいとなってギッシリと詰まって外側にむわんと漂っておるんです。

で、そういった「土地の風味」という意味で、シカゴやテキサスにも負けていない、独自の味わいを持った土地が南部にあります。

そこはルイジアナ!

テキサスとミシシッピに挟まれたこの州は、南の先っぽにジャズが生まれ育ったニューオーリンズがあって、更に歴史をたどってみれば、ほとんどがイギリスの植民地だったところからアメリカは始まってるんですが、ここだけ何と、フランスが入植して独自の風習文化を育んでいたという、他のアメリカの州と比べてかなり特殊な事情があります。

更に外海に開けた港町で、アメリカ全土はおろかカリブ海の島々や南米大陸からも色んな文化が入ってくるニューオーリンズのハイカラと、北部のバイユ―と呼ばれる広大な湿地帯近辺の街で生まれたブルースとでは、また味わいが全く違うって言うんですから、これはバイユ―のブルース達を聴かねば収まりません。

この地のブルースの特徴といえば、高温多湿な環境ゆえか、とにかくユルいんです。

代表的なブルースマンに、前にもご紹介したスリム・ハーポという人がおりますが、この人は”ユルユルの大将”なんですが、ルイジアナ・バイユー地域はこの人だけじゃない、まーユルくてトッポい連中の巣窟でございます。

「あっついしジメジメしてるし、なーんかやる気おこんねー。どーせ外から人も来ないしー、ダラダラブルースでもやるべぇかー」

という姿勢においては、みんな一致団結してブレが全くありません。大体この地のブルースマンの芸名の付け方なんかも

・スリム・ハーポ → ハーモニカのカッコイイ男

・ライトニン・スリム → 稲妻のカッコイイ男

・レイジー・レスター → ダラケたレスター

・ロンサム・サンダウン → 何かせつねー夕暮れ

とか、軒並み脳みその回っていない感じのシンプルで分かりやすい命名で、カッコイイんです。多分名前考えてる途中で、暑いから嫌になっちゃったんでしょう。

で、本日皆様にご紹介するのは、上から二番目(俺も大概やる気がない)のライトニン・スリムです。

ね「稲妻のカッコイイ男」なんたる名前かと思いますが、話聞いたらもっとなんたるごとで、この「ライトニン」の部分、実は


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はぁい、ブルースでライトニンといえばこの人、のライトニン・ホプキンスです。

実はライトニン・スリム、芸名を付けるに辺り、お隣テキサスにいる人気者ライトニン・ホプキンスを前から

「カッコイイなぁ〜、俺もあんな風になりたいべ」

と、リスペクトしており

「じゃあ、俺も名前をライトニンにするべ」

と、まんまな芸名にしちゃった。

「じゃあ」

って・・・。

お、おぅ。多分ムシ暑くて名前考えるのが途中から嫌になったんだ・・・。

そんでもって堂々”ライトニン・スリム”を名乗ったこの男、何だよパクリかよ、と思うなかれ。単純に名前を考えるのが嫌だった(?)だけで、実力はすこぶる付きのホンモノであります。

1915年生まれといいますから、実はライトニン・ホプキンス(1912年生)や、マディ・ウォーターズ(1913年)ら、戦後ブルース第一世代と言っていい人達と、トシはあんま変わらんです。どころかロバート・ジョンソンですら、たったの4歳年上ですから、若い頃からさぞ活躍していた、或いはギター一本持って地元ではそこそこ名の通った存在だったのかと思いきや、何とこの人がギターを持ってブルースを本格的に歌い始めたのが、1940年、年齢でいえばとっくに中年の35歳になった頃。

それまで何やってたんだ!と突っ込みつつ、色々と経歴を調べても、実際何をやっとったかよーわからん。まぁ多分暑いしダルいので、テキトーに仕事しながらウダウダやっておったんでしょうな。

レコード・デビューしたのは更に14年後の1954年で、もうやがて40代の後半になろうとかいう時でありますから、人生というのは何が起こるかわかんない。

この時ライトニン・スリムやスリム・ハーポ、それから先に名前を挙げたバイユ―の「いい加減な名前の凄腕ブルースマン達」をまとめてレコードデビューさせたのが、ケンタッキー州にあったエクセロというレコード会社であります。

ルイジアナのブルースを、何でカントリー王国ケンタッキーのレコード会社が?と思うところですが、まぁそこは深く考えない。とにかくエクセロ・レコードが他のどの地域のサウンドとも似ていない、ルイジアナ・バイユ―地域のユルく独自のレイジーさに溢れたブルースを世にたくさん出してくれたお陰で、アタシ達もこの個性的なブルースを聴くことが出来るんです。






【収録曲】
1.ルースター・ブルース
2.ロング・リーニー・ママ
3.マイ・スターター・ウォント・ワーク
4.G.I.スリム
5.ライトニンズ・トラブルス
6.ベッド・バグ・ブルース
7.フードゥー・ブルース
8.イッツ・マイティ・クレイジー
9.スウィート・リトル・ウーマン
10.トム・キャット・ブルース
11.フィーリン・オウフル・ブルース
12.アイム・リーヴィン・ユー・ベイビー
13.ライトニンズ・ブルース
14.ジャスト・メイド・トゥエンティ・ワン
15.シュガー・プラム

ライトニン・スリムのブルースは、一言でいえばユルさは強烈にありつつも、やや筋ばった男らしい濁った声と武骨なギターのインパクトで、かなり泥臭いものであります。

いや、濁った声と武骨なギターが、バイユ―独特のユルいアレンジの毒気にあてられて”沼”と化してると言うべきか。そんなユルいけど薄くない硬派な味わいがこの人の魅力であり、また、この地のブルースに共通する味であると思っていただけると幸いであります。

「まずはこの一枚!」

として、エクセロ時代の代表作といってもいい、オシャレなニワトリジャケットが最高の「ルースター・ブルース」を聴きましょう。

実はスリムは、その歌い方やギター・プレイの部分はライトニン・ホプキンスに影響を受けておりますが、楽曲のほとんどは、マディ・ウォーターズに影響を受けております。

聴いてると「お、この曲はアレだね」と思える曲がいくつもあって楽しくなりますが、どうやらスリムはへヴィでギラついたシカゴ・ブルースの音を、ルイジアナで再現したかったと思えるフシがあります。

ピアノこそ入っていないけど(きっと湿気ですぐ調律がダメになるんだ)やさぐれたエレキギター、ひなびたハープ、ベースにドラムという鉄壁のバンド・サウンドは、ほとんど当時大人気だったシカゴ・ブルースのそれでありますが、ハープはどこか洗練とは程遠い、ほんわかしたトーンだし、ドラムはもっと何かべっちゃりしてるし、結果として「南部の、しかもかなり湿度が高い場所のサウンド」になっているところがいいんですよ。

自己をどんどん変化させていってオリジナリティを確立していくというミュージシャンは多いですが、影響を受けた大物(ライトニン・ホプキンスやマディ)の路線をやろうと思っても、やっぱりどうしてもオリジナルなレイジーさがどわっと前に出たものになってしまう。もっといえば、無意識でブルースというよりも、この辺のサウンドにすっごく影響を受けた、タフでルーズなアメリカン・ロックンロールのエスプリを、どうしようもなく感じてしまいます。

実際このアルバムは、ロックンロール全盛の1959年から60年にかけて「新しいサウンド!」と、ロックンロール好きの若者にウケました。そして、南部の小さなレコード会社、エクセロのサウンドは、シカゴブルースから入ったイギリスの若者の耳に「や、これはすげーかっこいい」と響き、後の英国発ブルース・ロックを構成するサウンドに欠かせない要素となってゆくのです。

とにかくまぁまだ残暑も厳しいこの季節、できればやっすいオーディオで、ライトニン・スリムを適当なボリュームで流しながらダラダラ聴いてみてください。このレイジーでダウンホームな「あ〜、えぇなぁ〜感」は、やっぱりこの人、そしてエクセロ近辺のルイジアナ・ブルースでなきゃ味わえませんです、はい。




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2017年09月11日

アーサー”ビッグボーイ”クルーダップ ミーン・オール・フリスコ

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アーサー”ビッグボーイ”クルーダップ ミーン・オール・フリスコ
(FIRE/Pヴァイン)


人の良さそうな、やや甲高い声のシャウトと、4ビートのシャッフルに乗ってジャカジャカ警戒に掻き鳴らされるアンプ直のフルアコ。

くー、いいですなぁ、たまらんですなぁ。

この、ブルースといえばど真ん中どストライクのディープなフィーリングにまみれた、生粋のサザン・ブルースではあるんですが、それより何より、ホコリが立っていそうな乾いてて、ヘタな小細工のないギター、ベース、ドラムスの繰り出すストレートなノリの良さは、まるでロックンロールじゃないですか。

それが、戦前ブルースの名コンピ『RCAブルースの古典』のラストに収録されていた「ザッツ・オールライト」で、アーサー”ビッグボーイ”クルーダップを初めて聴いて思ったことでした。

ここで、音楽にちょいと詳しい人ならば

「ザッツ・オールライトっていえば、それはエルヴィス・プレスリーの曲なんじゃないか?」

と、思うでしょう。

そうなんです、ロック・ファン、ブルースファンの間でアーサー”ビッグボーイ”クルーダップといえば、何といってもエルヴィスのデビュー曲「ザッツ・オールライト・ママ」の作曲者として、まずは名前が挙がる人。

しかも、少年時代クルーダップのレコードを熱心に聴き込んで「オレもこういう風に音楽やりてぇ!」と思ったエルヴィスは、その原曲のアレンジを、ほぼ忠実に再現してて、見事なロックに仕上げている。

というよりも、実はアタシ達が「このノリはロックンロール(またはロカビリー)」と思っていたものが、実は実は1940年代のブルースで既に完成していたものだったなんて。こういうところに音楽というものの底知れぬパワーを感じてしまいます。

「ロックンロールのルーツはブルースで・・・」

と、アタシもよく言いますが、そこんところは難しく考えるような話では少しもなくて、まずはクルーダップを聴いてみてください、アタシが言葉をたくさん使ってこねくりまわすよりも、体感で「なるほど!」と納得できるでしょうから。と、ハッキリ断言してもよろしい。

さて”ギター、ベース、ドラムス”という、ロックバンドの基本編成の原型を作り、さらにその編成からロックンロールの原型を作ってジャカジャカやっていたアーサー”ビッグボーイ”クルーダップは、その音楽とは裏腹に、人生そのものがブルースの悲しいハードラックにまみれた人でありました。

1905年、季節労働者として南部や中西部を渡り歩いていた両親の元に生まれたクルーダップは、10歳ぐらいの時に教会でまずゴスペルを歌うようになります。

そうこうしているうちにギターも覚え、そうなってくると年頃になったら「カネにならないゴスペルじゃなくて、ブルースを歌ってちょいと稼ぐんだ」という気持ちが出てくるのが人間です。アーサー少年がギター片手にミシシッピ近辺の酒場や街辻などで歌うようになるまでに、さほど時間はかかりませんでした。

で、恐らくは常日頃から「ウチの両親みたいに報われない季節労働者なんてごめんだ」と思っていたであろうグルーダップ、割と早いうちから音楽で身を立てることを考え、ある日所属していたバンドのツアーでシカゴを訪れた際に「さて、シカゴでの演奏も終わったし南部に帰るぞ」と言う仲間達に「オレは残るよ、南部なんて帰りたくないね」と、ツテも何もないままに、シカゴでブルースマンとして生きて行くことを決意したのでありました。

これが1939年のことであります。

当時のシカゴは、ミシシッピの泥臭いブルースではなく、ジャズの要素もふんだんに取り入れた、オシャレで洗練されたバンド・ブルースが流行でした。

ビッグ・ビル・ブルーンジィ、タンパ・レッド、ビッグ・メイシオ、サニーボーイ・ウィリアムスン(T世)などなど、キラ星のようなスター達に憧れ、オレもそうなってやるぞと意欲をたぎらせていたクルーダップではありましたが、ツテのない悲しさで、いきなり飛び込んで行っても相手にしてくれるクラブなどあるわけもなく、加えて彼がやっていた、南部流儀丸出しの泥臭いスタイルのブルースでは、クラブに集まるようなオシャレなシカゴっ子達からは「田舎モンが何かやってるぞ」とバカにされるのがオチであります。

そんなこんなでその日暮らしのストリート・ミュージシャンとして、グルーダップは路上で歌い、ほとんどホームレスのような生活をしておりましたが、ある日、住み家にしていた梱包用の木箱を組んだ家に、恰幅のいい、ちょいとヤバそうな白人男性が来てこう言いました。

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「おい、お前はアレだろ?そこの通りでブルース歌ってる男だろ?オレは前から聴いてたんだが、なかなかいいじゃないか。泥臭くてここらじゃ聴けないフィーリングだ、あぁ気に入った。ちょいと話があるんだがいいか?おぅ、嫌ならとっとと田舎に帰んな」

まぁ、見た目や喋り方からして、多分ここらのクラブを仕切っているマフィアの関係者でありましょう。

余りに唐突な事にびっくりしているクルーダップのことなんか知るかとばかりに男はつづけます

「あぁ、オレか? かのジャズの生みの親ジェリー・ロール・モートンを世に出して、シカゴにやってきたジャズの帝王、キング・オリヴァーの世話もした。今じゃブルースの大物なんて崇められてるタンパ・レッド、ビッグ・ビル・・・アイツらもみんなオレがスターにしてやったようなもんだ。どうだBoy?レスター・メルローズって名前ぐらいは知ってるか?」

きょとんとして、首を2回縦に振るクルーダップを見てニヤッとした男は、更に一人で勝手に喋り続けます。

「まぁ俺は、いかにもな泥臭いブルースが好きなんだ。ところが今のシカゴじゃやたら小洒落たさっぱりしたものがウケるときてる。冗談じゃねぇ、今はそうかも知れんが、今からはな、もっともっと泥臭くて猥雑で、クレイジーなものが売れる時代が来るんだ。そこでお前、今度タンパ・レッドと一緒にレコーディングしてくれ。あぁ、紹介してやるよ。ヤツは俺が建ててやった家に住んでるんだ。嫌か?嫌なら田舎に帰んな」

びっくりして、首を2回横に振るクルーダップをニヤニヤしながら見ている男は「いついつにここに来るように」と、簡単な場所の説明だけをして、その場を立ち去って行きます。

ここでちょいと説明しましょう。

クルーダップに声をかけたこの男、レスター・メルローズは「戦前のシカゴで彼の紹介を受けてないブルースマンはいない」と言われていたほどの、超の付く重要人物。

元々は小さな楽譜出版社のオーナーでありましたが、1920年代の始め頃にニューオーリンズの大物ピアニスト、ジェリー・ロール・モートンの楽譜を出すために彼と交渉したのがきっかけで「ジャズやブルースを演奏する売れそうな黒人をレコード会社に紹介する」というスカウト業の世界にのめり込んでいきました。

こう書くと「黒人音楽に理解のある心優しい人」と、思われそうですが、実際は「カネになるから」という実に己の欲望に忠実な理由で、せっせとジャズやブルースの人間をレコード会社に紹介しては、その過程で生まれる紹介手数料を手にしてウハウハしていた、まぁこの世界によくいるヤクザなブローカーというやつであります。

余談ですが”スライド・ギターの魔術師”と呼ばれ、人気を博していたタンパ・レッドは彼のお気に入りで、スターになった彼には確かに家を買ってあげましたが、実際はレッドをその家に住まわしてちゃっかり家賃を取っていたというような人であります。一言でいえば実に胡散臭い。

で、ありますが、長年ホンモノのジャズやブルースに関わり続けていた彼の耳は確かなもので、彼が目を付けたビッグ・ビル・ブルーンジィ、タンパ・レッド、サニーボーイ・ウィリアムスン(T世)などの戦前シカゴを代表するブルースマン達は、軒並み大手RCAの参加のブルース専門レーベル”BLUEBIRD”の専属となり、「シカゴのブルースといえばブルーバード・サウンド!」と言われるぐらいの一時代を築いた人なんです。

さて、そんなメルローズの紹介で、ガッチガチになりながら憧れのタンパ・レッドと初のレコーディングを経験し、めでたく大物ひしめくBLUEBIRDの専属となったグルーダップの評判は上々でした。

それまでシカゴの主流を占めていた、どちらかというと軽やかで洗練されたサウンドにぼちぼち飽きてきた若者達や、南部で刺激を求めてた人達に、クルーダップの「ギター、ベース、ドラムス」というシンプルな編成から繰り出される煽り要素の強い演奏は大いに受け入れられ(その中にはメンフィスでこっそり黒人放送局のラジオを聴いていた少年エルヴィス・プレスリーもおりました)、南部からの呼びかけでツアーに出るなど、好調な活躍ぶりで40年代一躍人気者になるんですが、彼の実力とは関係のないところでのトラブル、つまりレコード会社との印税に関するトラブルが彼を襲い、結局コレが原因で作曲した曲の権利のほとんどを手にすることもなく、更にどこか新しいレーベルと契約したくてもできず、得意の絶頂からドン底の人生へと転落してしまいます。

だから50年代にエルヴィスが「ザッツ・オールライト・ママ」をヒットさせても、アーサー”ビッグボーイ”クルーダップの名は世間からの脚光を浴びることはありませんでしたし、もちろん著作権料も受け取ってないでしょう。

1974年にひっそりと亡くなるまでの彼は、時々お呼びがかかるコンサートやレコーディングに参加しながらも、普段は肉体労働や密造酒の販売などで細々と生計を立てていたといいます。





【収録曲】
1.Mean Old Frisco
2.Look on Yonder Wall
3.That’s Alright
4.Ethel Mae
5.Too Much Competition
6.Standing At My Window
7.Rock Me Mama
8.Greyhound Bus
9.Coal Black Mare
10.Katie Mae
11.Dig Myself A Hole
12.So Glad You’re Mine
13.Death Valley Blues
14.If I Get Lucky
15.Angel Child
16.The Moon Is Rising
17.My Mama Don’t Allow Me
18.I’m In The Mood


しかーし!

しかしですよ皆さん、いかに彼のブルース人生が、とんでもなくハードラックにまみれたものだったとはいえ、戦後になって録音された作品からもその煽りの強いロッキンな演奏のカッコ良さは健在だったりするんです。

最晩年の作品のみが、枯れた味わいの渋〜い感じでありますが、60年代に残された3枚のアルバムはどれもエレキをジャカジャカ掻き鳴らす好調な作品ばかりでありまして、その中でもゴキゲン度でいえば最高なのが、ジャケットもイカす1962年のFIRE音源であります「ミーン・オール・フリスコ」であります。

キレ味の鋭いドラムとベースをここでも従えて、良い意味で乱雑で気の抜けたクルーダップのギターとヴォーカル、やっぱりどストライクなサザン・ブルースで「マディ・ウォーターズ登場前」のバンド・ブルースのお手本のようなラフさがたまらんです。最高です。

楽曲も看板の「ザッツ・オールライト」タイトル曲の「ミーン・オール・フリスコ」(リトル・ウォルターをはじめ、これも名カヴァーが多いっす)など、渾身のオリジナル曲を「カネにならねぇんなら義理はいらねぇ!」とばかりに惜しみなくやっておって、そのヤケクソぶりもまたどっかのガレージパンクバンドみたいでたまらんです。最高です。


アーサー”ビッグボーイ”グル―ダップという人は、アタシ個人的に「戦前から活躍してるブルースマンの中で最もロックを感じる人」であります。

それはもちろんエルヴィス抜きには語れないのですが、ずっと聴いてると、それより何よりもっと深い”人としてロック”な部分がすごく見えてくるような気がするんですよ。何それ?って?まぁこの人のフルアコのジャカジャカを聴いてみてくださいな。ほれ「かっこいいロックは、イントロのギターの”ジャーン”でシビレる」って言うでしょ?平たくいえばそれですよ、それ。




「目標があったとしたらアーサー・クルーダップのような存在になることだった。1949年に彼を観た時にあんなふうに演りたいと思ったんだ」(エルヴィス・プレスリー)




”ブルース入門編 〜初心者のための優しいブルース講座〜”




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2017年08月25日

ジョン・リー・フッカー ブーン・ブーン

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ジョン・リー・フッカー ブーン・ブーン
(Capitol)


さて、夏といえばジョン・リー・フッカーです(?)

2001年に亡くなってはおりますが、今年はジョン・リー・フッカーの生誕100周年記念ということで、8月22日の誕生日にはネット上で大いに盛り上がっておりました。

何にせよブルースの孤高の巨人として、その地の底の暗闇から響いてくるかのようなドスの効いた低い声と、ブギー一発、或いはドロッドロのスロー・ブルース一発、いずれのスタイルでもドぎつくうねってとぐろを巻いて襲い掛かるギターと、それらを効果的に響かせる「カッ、カッ、カッ」という靴の音でもって、”〇〇ブルース”というものではなく、唯一無二の”ジョン・リー・フッカー・スタイル”というものを築き上げ、50年以上もそれを貫き通した人であります。

マディ・ウォーターズやB.B.キングと同じように、戦後すぐぐらいの時期から本格的に活動を始め、そして60年代になって彼の最凶にディープなブルースに惚れた多くの若手ブルースマンやロック・ミュージシャン達に慕われておりますが、誰に衝撃を与えようと、どんなスタイルの相手と一緒に演奏しようと、この人のスタイルはずっと変わらず、どころか微動だにせず、ほぼワン・コードのブギかドロドロのスロー・ブルースを唸るのみ。

更にそのスタイルが余りにもワン・アンド・オンリー過ぎて、フォロワーどころか似たようなスタイルでブルースをする人すら現れず、ついでに言えば音楽的に孤高を極めたからさぞストイックでアーティスティックな人なんだろうと思ったら、後輩達の呼びかけには割と気軽に答えてライヴやレコーディングにはニコニコとフットワークも軽く出かけてゆく。

インタビューなんかでも「オレがオレが」ではなく、ひとつひとつの質問にとても真摯に向き合って、丁寧に言葉を選びながら、そして適度なユーモアと茶目っ気を交えながら紳士的に答えてくれる。実に腰の低いジェントルマン。

またそこが最高にカッコ良くて、聴く人をどこまでも「かっこぇぇ〜、あ〜かっこぇぇ」とブルースの底なしの泥沼に引きずり込む男、それがジョン・リー。

そんなジョン・リーには、もちろんアタシもブルース聴き始めの頃、割と早い時期に惚れました。

例によって中学時代に親父に薦められて買ったオムニバス”アトランティック・ブルース・ギター”に、エレキ弾き語りのドロドロなスロー・ブルースが入っていたのに「これやっべぇ!」と思ったのが一番最初。

で、高校生になって、音楽の色んな本とかを読むようになって、ジョン・リーについてもちょこっと知ることが出来たんですが、丁度リアルタイムでリリースされて、ヤングギターとかにも広告がデカデカと載っていたので何も知らずに「とりあえず買っとくか」と思って買ったのが、1992年に新作としてリリースされた『ブーン・ブーン』




【収録曲】
1.ブーン・ブーン
2.ジェシー・ジェイムスみたいな悪い奴
3.あのブルースをもう一度
4.シュガー・ママ
5.トリック・バッグ
6.ブギー・アット・ラッシャン・ヒル
7.ヒッティン・ザ・ボトル・アゲイン
8.ボトル・アップ・アンド・ゴー
9.聴こえぬ声
10.アイ・エイント・ゴナ・サファー・ノー・モア


これ凄くいいアルバムだったんですよね。

何がどういいかっていうと、ブルースのことなんかちょっとかじった程度だったアタマの悪い高校生にも「おぉ、何だか渋いけどギラギラしてる。これがブルースか!」と、ストレートに分からせてくれたんですよ。

当時のアタシといえば、ロックのCDを買っても、タテノリの速い曲か、アコースティックの綺麗なバラード以外はすっとばして聴いてたアタマの悪い高校生(2回目)です。

そんな音楽のことなんか何もわかっとらんクソガキに、1曲目から「お、おぉ!?」とグイグイ引き付けた。もちろんその時は引き付けられてるということしか分からずに、友達にも「何これ、ブルース?」と訊かれて「おぉ、コレがカッコイイんだぁ」と、何となく答えることしか出来なかったんですが、後になって色々聴いて、その”引き付ける感じ”こそがこの人のディープな声とギターのシンプルにして最高な魅力、そして90年代という時代に、ジョン・リーと相性の良い最高なゲスト・ミュージシャン達が懸命に組み上げたキャッチ―なアレンジが、ブラックホールみたいなジョン・リーの曲に親しみを加味したんだなぁと気付くに至りました。

映画”ブルース・ブラザーズ”の路上演奏シーンでもおなじみの代表曲「ブーン・ブーン」がまず冒頭で、この曲は1962年にヒットしたやつの再録音ですが、ジョン・リーがザックザックと刻むワン・コードのバッキングに絡むスティーヴィー・レイ・ヴォーンのお兄ちゃん、ジミー・ヴォーンが弾くロッキンなソロに、締まったリズムのベース、ドラムがバシッと決まって、最高のバンド・サウンドです。

若手モダン・ブルースのホープとして、色んなギター関係の雑誌によく登場してたロバート・クレイが、王道のモダン・ブルース・スタイルで、ファンキーなクラプトンみたいなギターを炸裂させるスロー・ブルースの「あのブルースをもう一度」も、好きにやらせてるようで実は低く唸るヴォーカルと、手数こそ少ないけど「ガリッ!」とひと掻きするだけでその場の空気をガラッと変えてしまうジョン・リーが凄いし、暴力チョーキングの魔人、アルバート・コリンズのギャイギャイしたサウンドと、トランス感十分なジョン・リー・ブギな楽曲が絶妙にハマッた「ブギー・アット・ラッシャン・ヒル」とかその辺のバンド・ブルースの盛り上がる曲と、凄まじくへヴィなギター弾き語り、もしくはハーモニカ(チャールズ・マッセルホワイト)とのデュオとかでズブズブと沈み込んでゆくモノホンのディープ・ブルース(特に怪しいトレモロが効きまくったギターの音がヤバい「シュガー・ママ」凶悪!)との、楽曲の配分なんかも凄くいいのです。

ジョン・リーの傑作、名盤と呼ばれているものは、初期の弾き語り時代(たとえば「ザ・グレイト・ジョン・リー・フッカー」など)に集中しますが、それは本当にコアしかない深淵極まりない音楽だったりして、実際アタシもこのアルバムみたいな「ブルース知らない人も、しっかりノセながら引き込むアレンジ」が効いた90年代のジョン・リーを知っていなければ、果たして50年代の名盤をちゃんと聴けただろうかと思います。

今でも折に触れて聴いている大切な大切なアルバムです。当然「ブルース」という言葉にちょっとでもピクッとなる人は、とてもいいアルバムなのでぜひ聴いてくださいね♪




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2017年08月06日

マディ・ウォーターズ The Complete Plantation Recordings

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Muddy Waters/The Complete Plantation Recordings
(Chess/MCA)


小説や漫画とかで、いわゆるスピンオフというやつですか。主人公達の物語が始まる前の世界を書いた作品というものがありますね。あぁ、この出来事が原作のあの場面に繋がっていくんだ。とか、主人公の師匠の若い頃はこんなだったんだ・・・とか。

そういう風に、どんな物語も「それ以前のストーリー」というものがございます。

それは音楽の世界でも同じで、偉大なミュージシャンとか、巨人とか帝王とか呼ばれるようなアーティストにも、下積みやブレイク前の時代というものがあるわけですね。

ブルースの世界で「とてつもない巨人」といえば、これはもうシカゴでエレクトリックなバンドブルースの時代を切り開いたマディ・ウォーターズです。ギラギラに黒光りするエレキギターのスライドを弾きながら、貫禄いっぱいに野太くブルースを歌う王者マディ。

そもそも歌がどうとかギターがどうとか、そんなことよりも彼の内側から湧き出てくる膨大な質量のブルースの凄味、その底無しの説得力に、アタシらはもう息を呑んで圧倒されるしかないのですが、もちろんそんなマディも、シカゴに出てくる前はミシシッピの片田舎の農場で週末にギターを弾き、サン・ハウスやチャーリー・パットン、そしてロバート・ジョンソンといった先輩ブルースマン達がやってくると嬉々として演奏を聴きに行き、その歌の表現やギターの演奏法を見て学んでいた時代というのがあったんです。

1942年のある夏の日、ミシシッピ州のストラーヴァル・プランテーション(農場)に一人の紳士がやってきました。

彼の名は民俗学者アラン・ロマックス。

父のジョン・ロマックスと共に、主に政府や連邦議会図書館からの依頼を受けてアメリカ全土を旅しながら、各地に暮らす様々な人種の音楽をレコーディングしていたアランは、今回も国会図書館から

「南部の黒人音楽をレコーディングしてきてほしい」

という依頼を受けたのでした。

アランはこの時、当初からその噂を耳にしていた人物のレコーディングをしようと、その男を探しておりました。

その男の名はロバート・ジョンソン。

「とてつもなくギターが上手い」

「悪魔に魂を売った男だから関わらない方がいい」

「どんな曲でも一度耳にしたら弾けてしまう不思議なヤツだ」

ミシシッピ周辺の酒場やジューク・ジョイントに行けばロバート・ジョンソンの噂がささやかれ、それはロマックス親子のニューヨークのオフィスにも南部から届いてきておりました。

その亡霊のような不思議な存在感を持つブルースの化身のような男の声を、アランは何としても歴史の記録として残しておきたかったのですが、南部に入り、ミシシッピで聞き込みをしている時に

「旦那、ロバート・ジョンソンを探してるんだって?生憎だがヤツは死んだよ。・・・殺されたんだ」

というショッキングな事実を聞かされます。

「何だって!?ちくしょうせっかくレコーディングに来たのに・・・」

と、ガックリのアランでしたが、親子二代で培った”探し屋稼業”の血が、彼を手ぶらでニューヨークにすごすごとは帰らせませんでした。

それならロバート・ジョンソンのようなスタイルでブルースを歌うヤツを探し出してソイツを録音してやろう!と、執念を燃やしたアランは周辺で更に聞き込みを開始。

「あぁ、そういうヤツやら一人いるね。ストーヴァル農園に行ってみな、マディ・ウォーターズって呼ばれてる男がいいスライドを弾くぜ」

という情報をようやく得て、勇んでその農園に車を走らせたアラン。

農場の食堂で、周囲の「誰だ?」「警察か?」「密造酒のガサか?」という警戒の目に晒されて待っていたところに、がっしりした体格の、やたら風格のある一人の男が入ってきます。

「おい、何か妙な旦那がお前を探してるって・・・」

「何だって?」

「レコーディングがどうとか言ってるんだが、よくわかんねぇ。とにかく面倒はごめんだぞ」

「・・・あぁ」

そんな感じでヒソヒソと若いモンと話してアランのテーブルにその青年はゆっくりと腰掛けました。

「ようこそ旦那、俺の名前はマッキンリー・モーガンフィールド。ここいらじゃ”マディ・ウォーターズ”って呼ばれてるちったぁ知られたギター弾きでさぁ。で、今日は何の用ですかい?」

南部黒人の皆がやっているようにうやうやしくへりくだり、しかし警戒の目と威圧感を緩めない、一目で”できる男”の貫禄を、全身とその態度から漂わせている若き日のマディに、アランは「あぁ、コイツはタダ者ではない」と直感したアラン。

持参したギターを見せて「まぁ一杯どうだ」とバーボンを勧めながら丁寧にレコーディングをしたい旨を話しました。

密造酒の取り締まりか、身に覚えのない犯罪の嫌疑だろうと最大限に警戒していたマディは、アランの持ってきたギターとその真摯な説明を聞いてようやく警戒を解き、杯を重ねつつ生い立ちやブルースのことなど、アランの事細かい質問に、しっかりした言葉と態度で丁寧に答えたといいます。

都会からやってくる白人の音楽関係者も、最新式の録音機材(SP盤)も、マディにとっては生まれて初めて目にするものでありました。





【収録曲】
1.Country Blues(version1)
2.Interview #1 -
3.I Be's Troubled
4.Interview #2
5.Burr Clover Farm Blues
6.Interview #3
7.Ramblin' Kid Blues
8.Ramblin' Kid Blues
9.Rosalie
10.Joe Turner
11.Pearlie May Blues
12.Take A Walk With Me
13.Burr Clover Blues
14.Interview #4
15.I Be Bound To Write To You(version1)
16.I Be Bound To Write To You(version2)
17.You're Gonna Miss Me When I'm Gone(version1)
18.You Got To Take Sick And Die Some Of These Days
19.Why Don't You Live So God Can Use You
20.Country Blues(version2)
21.You're Gonna Miss Me When I'm Gone
22.32-20 Blues


そんなこんなで1941年4月、後にシカゴ・ブルースのボスマンとなり、ブルースの歴史を大きく変えたマディ・ウォーターズの初めてのレコーディングが、農場の食堂で行われました。実にこの時マディ・ウォーターズ28歳。

もちろんこの時点でマディはシカゴに出て音楽で生計を立てることなど考えておらず、アラン・ロマックスもまた、この男が後にブルースを代表する大スターになるなんて思ってもおりませんでした。

もちろんこの頃のマディは、近隣では名が知れ渡ってるとはいえ、昼間は農作業に勤しむアマチュア・ミュージシャン。

アランもまた、レコード会社の人間ではなく、レコーディングの目的はあくまで

「南部の日常に生きる黒人音楽をありのまま、資料として記録すること」

でした。

しかし、これが結果として大成功でした。

マディのスタイルは、ロバート・ジョンソンというよりもむしろ、更に前のサン・ハウスやチャーリー・パットンからのストレートな影響が濃厚な、タフで野太い純正デルタ・ブルース。

セッションはアラン・ロマックスによるマディのインタビューを挟んでの弾き語りに始まって、当時コンビを組んでいたギター&フィドル奏者サン・シムズをメインにしてのストリング・バンド形式のものや、チャールズ・ベリーのセカンド・ギターを付けたものなど、実に戦前のミシシッピ・デルタ地帯で日常的に歌われ、演奏されていたであろうブルースやバラッド(ブルース以前のフォークソング)の見本市のよう、バラエティ盛りだくさんの内容であります。

弾き語りでは後のヒット曲となる「l
Feel Like Going Home」や「l Can't Be Satisfied」の元になる演奏が聴けるだけでなく、エレキ持ってバンド組んで以降は"ここ一発"のリフやソロの時にタメて斬り込むスタイルになったギターが、アコースティックでは唄のバッキングを、パーカッシブなサン・ハウス・スタイルでガツガツ弾かれているところに注目してド肝を抜かれてください。

当たり前ですがマディ、ギター凄まじく上手いです。


そして「リアルな戦前ミシシッピ・ブルース」という意味では中盤のサン・シムズを中心にしたセッションが素晴らしい。

曲調はのどかで牧歌的ですらあるのに、演奏の冒頭からガラの悪い掛け声、これが演奏中にも度々出て来て、なんというか雰囲気最高なんです。

戦前ブルースといえば、戦後のフォーク・ブルース・ムーヴメントの折に再発見された人達の、渋かったり飄々としてたりのイメージから、何となくのどかで静かなイメージを勝手に抱いてましたが、このガラの悪さ、音だけじゃなく罵声奇声でガンガン煽りまくる演奏スタイルに

「あぁ、やっぱりブルースは昔からヤクザな連中のヤバい音楽だったんだな」

と、嫌でも納得してしまいます。

ちなみにサン・シムズは、戦前はチャーリー・パットンの相棒としてコンビを組んでいた人で、演奏中にガヤやセリフを言うことの多かったパットンとは、即興の掛け合いでもって、今で言うフリースタイルのようなガヤ芸をジューク・ジョイントでしょ炸裂させてたんでしょう。うん、ガラ悪くて最高です。


映画『キャデラック・レコード』は、マディのこのレコーディングの場面が出て来て、この時の録音盤でマディが初めて"自分の声"を聴いて、音楽で身を立てる決意をしてシカゴへ旅立った、という描かれ方をしています。

事の真偽はともかく、マディはこのレコーディングの後すぐにシカゴへ出ております。

もし、ロバート・ジョンソンが死んでおらず、マディがアラン・ロマックスと出会わず、レコーディングが行われてなかったらブルースの歴史は戦後まるで違う展開になっていたでしょう。




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2017年07月08日

ジミー・リード アイム・ジミー・リード

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ジミー・リード/アイム・ジミー・リード
(VeeJay)

みんな、うだるような暑さと湿気が絶好調な夏に聴きたいものといえばやっぱりレイジーでダウナーなブルースだよね♪

・・・ん、かなりの数の「いや、それは違う」という声も聞こえたような気もしますが、気にしない、気のせいです。話をつづけましょう。

今日みなさんにご紹介するのは、ぜひとも扇風機の前でビールでもやりながらシャツのボタンを5つほど外してダラダラ聴いて頂きたいブルースの代表格、ジミー・リードであります。

音楽の歴史に大きな足跡を残し、今なお世界中からリスペクトされている”ブルースの巨人”たとえばマディ・ウォーターズ、B.B.キング、ハウリン・ウルフ、ジョン・リー・フッカー、ロバート・ジョンソンなどなどなど・・・そういう名前が挙がる人達に比べたら若干知名度は劣るかも知れませんが、実はコノ人、楽曲のカヴァーされ具合、究極的に影響を受けたローリング・ストーンズ経由で、その後の音楽に与えた影響度という意味で、そんな巨人達を凌ぐほどのものなのであります。

実際にジミー・リードは、ブルースの歴史上屈指のヒットメイカーです。

覚えやすいメロディに単純明快な歌詞、そして”ダウンホーム・スタイル”と呼ばれる泥臭さを感じさせるレイジーな曲調、あんまり声を張り上げず、ゆったりまったりの語り口調のようなヴォーカル。

何よりも曲のほとんどがですね、例のブルースといえばの「ズッズジャッジャ、ズッズジャッジャ」のウォーキング・ビート”だけ”で成り立っていて、曲の違いといえば、コレがユルいか遅いかぐらいなんですね。

コノ人の辞書には「速い」とか「魂絞る」とか「頑張る」とかいう文字はないのでありまして、大体がコノおっさんは「酒が飲めりゃなんでもいい」ぐらいの筋金入りのドランカーなんですね。

まぁブルースマンなんて大体そんな人間ばかりなんですが、演奏に支障をきたすぐらいのレベルを常にキープしていた(エンディングや間奏のタイミングを決めないでずっとダラダラやってるからメンバーが勝手に決めてたとか、ライヴ中歌詞が出てこないぐらい当たり前なので、ちゃんと奥さんが横に立ってて、歌が止まったら耳元でその都度ささやいたとか、まぁザラです)のは、コノ人とテキサスのスモーキー・ホグぐらいだと伝説になってるぐらいのへべれけです。

だからその性格と性質上、気合いを入れて激しく演奏するなんてコノおっさんは出来なかったし、そもそもやる気がなかった。でも、人間というのは何が成功に繋がるか分からないというのは、この人の書く曲が、1950年代から60年代、それこそロックンロールの波に押されてブルースが軒並み勢いを失いかけていた頃に、ロックンロールを聴く若者から

「オーイェー、ジミー・リードの曲はロックンロールみたいなブルースだよな♪」

と、若者に大いにウケて、出す曲出す曲どれもヒットしていたこと。

ミシシッピからシカゴに出てきて、とりあえず食うためにカタギの仕事を転々としていたジミーなんですが、若い頃から大酒飲みで、田舎にいた頃からハーモニカとギターに多少の心得があるもんですから

「なんかこー夜は毎日呑んで昼の仕事したくねぇな、そうだ、ブルース唄ってメシが食えればいいんじゃね?」

と、実に適当なことを思い付いて

「今シカゴで一番売れる可能性のあるレーベルってどこ?あ?チェス?マディ・ウォーターズとかハウリン・ウルフとかリトル・ウォルターとかいんの?オレ、3人ともカッコイイなぁ、憧れるなぁって思ってたんだよ、じゃあそこに売り込みに行こう」

と、これまた実に適当に思い付いてチェスに行くのですが

「あー、ごめんね。ウチはマディとウルフとリトル・ウォルターでいっぱいいっぱいなんだ」

と、あっけなく追い返されます。

ここでガックリ来たジミーでしたが、ライヴで一緒に演奏するメンバーで、ドラムを叩いていたアルバート・キングというでっかい男が

「えぇと、今から出来るみたいなんだけどヴィー・ジェイってとこがあるんだと。そこに行けばいいんじゃね?」

と、新興のインディーズレーベルのVeeJayレコードを紹介し、ジミーはそこへ。で、まんまとレコーディング・アーティスト第一号となって、更に「まさかそんなに売れるとは思ってなかった」ヴィージェイのドル箱の看板ブルースマンとして快進撃を続けることになります。

えぇ、このVeeJay、後にジョン・リー・フッカーとか、ジャズのウィントン・ケリー、リー・モーガンとか凄いアーティスト達が60年代に結構な量の作品をレコーディングするんですが、その資金を稼いだのはほとんどジミー・リードだと言っても過言ではありません。ウィントン・ケリーの名盤「枯葉」や「ケリー・グレイト」をいいねと思って聴いているジャズファンの方、いらっしゃいましたらジミー・リードに感謝してください。

さて、皆さん気になることがあるでしょう。

そうです「ジミーにVeeJayを紹介したアルバート・キングというドラマー」なんですが、はい、あのアルバート・キングです。

アルバートはその頃ジョン・プリムという人のバンドにいて、彼がギタリストなもんだから、とりあえずまぁ叩けはするドラムをやってたんですね。で、ジミー・リードと知り合って

「オレのバックで叩いてくれよ」

「うん、いいけどオレ、本業はギターだからドラムはシャッフルぐれーしか叩けねーよ」

「あぁ、オレはそういう曲しかやらねぇからいいんだよ」

と、アッサリ決まったんだそうです。

後に

「ジミーはアイツぁ仕事中なのに酒ばっか呑んでライヴもレコーディングも全然真面目にやんないから辞めた」

と、怒ってバンドを脱退してます。あぁブルース・・・。




【収録曲】
1.Honest I Do
2.Go On to School
3.My First Plea
4.Boogie in the Dark
5.You Got Me Crying
6.Ain't That Lovin' You Baby
7.You Got Me Dizzy
8.Little Rain
9.Can't Stand to See You Go
10.Roll and Rhumba
11.You're Something Else
12.You Don't Have to Go


ジミー・リードの話をしてたら、もうそんなのばっかダラダラ出てきてしょうがないので、アルバムを紹介します。

ジミーは1958年からVeeJayが倒産する1966年までの間に実に10枚のアルバムをリリースしてますが、大体どれも一緒です。「ズッズジャッジャ、ズッズジャッジャ」のシャッフルに「ほぇぇ〜、ほえぇ〜ん」とヴォーカルが入り、ややへにゃったギターに首からホルダーでぶら下げたハープが良い感じにイナタく鳴り響くと。

ワンパターンもいいところで、最初聴いた時は「何これ飽きるんじゃないか!?」と思ったけど、不思議と何十年聴いてても飽きません。ローリング・ストーンズはこの人のダル〜なビート感覚とひなびたサウンドの何ともいえない持ち味を徹底して研究して、キッチリカッチリしたのが身上の英国ロックに大きな風穴を開け、ミック・ジャガーに至ってはヴォーカルのヨレ具合まで完全にモノにしている感がありますが、じゃあお前はローリング・ストーンズのメンバーぐらいジミー・スミスを好きなのかと言われたらちょっと自信がありません。

何故ならコノ人の音楽は聴き手に「オレのブルースを聴けぇえ!」と強烈に迫ってくることもなければ、聴き手を一発でノックアウトしてやろうとかそういう野心めいた、いや、悪魔めいたところが実に希薄で「うん、聴きたきゃ聴けばいいよね〜」と、淡々と飄々としている”だけ”なんですよ。でも聴いちゃう、気が付けば何か聴いちゃってる。

困ったなぁ、音楽的なことを真面目に解説しようとすればするほど、この人のユル〜いブルースは、そういう知識や言葉をうにゃうにゃとすり抜けてしまう。そういう人なんで皆さんどうかひとつよろしく。






『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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