2017年10月10日

スヌークス・イーグリン New Orleans Street Singer

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スヌークス・イーグリン/New Orleans Street Singer
(Smithonian Folkways)

独特のリズム感でもってソロにカッティングにと自由自在な個性を輝かせる信じられないギター・テクニックと、のほんとした声(のほほんではない)でもって、聴く人の感情にしんみりと訴える”情”の歌声。そして、ブルースからR&B、ソウル、ファンク、ジャズ、カントリー、フラメンコまで、とにかく演奏できるものならどんな音楽でも片っ端から自分のスタイルに取り込んで、そこに見事なオリジナリティを開花させてしまう、人呼んで”人間ジューク・ボックス”それがニューオーリンズの魔物、スヌークス・イーグリンなのであります。

そのキャリアは1950年代の半ばから、亡くなる2009年まで、実に50年以上にも及ぶ人ですが、アコースティック・ギターを持ってのブルース弾き語りが主だった初期と、ブルースをベースに様々な音楽をクロスオーヴァ―させた独自の幅広い音楽性が花開いた60年代以降に、音楽性は大きく分割されますが、どのスタイルでもその尋常ならざるテクニック(特にカッティングにおけるタイム感)のギターと哀愁のヴォーカルぶりは最大に発揮されており、多様性の中に一本芯の通ったものを感じさせるブルースマンです。

スヌークス・イーグリン、1936年ルイジアナ州ニューオリンズに生まれ、1歳半の時脳腫瘍と緑内障の後遺症で失明。5歳の時に父親にギターを与えられ、ラジオで聴く全ての音楽を耳コピし、11歳で地元のラジオ番組誌主催のコンテストで優勝し、10代半ばの頃には既に地元ニューオリンズではプロとしてバンド活動をしておりました(この時一緒にバンドをやっていた人として、まだ13歳だったアラン・トゥーサンがおったようです)。

ソロ・アーティストとしては1953年、17歳の時に地元の大学から、民俗学の資料としてのレコーディング以来が来ます。で、ここからが彼のソロ・アーティストとしてのキャリアはスタートするのです。

このブログでスヌークス・イーグリンを紹介するのは今日が初めてで、個人的にはその”何でもアリ芸”が円熟の境地に達した80年代後半のアルバムとかから皆さんに聴いて頂きたい気持ちもあったのですが、今日ちょいと彼の初期のアコギ弾き語りのアルバムを聴いていたら

「や、アコースティックだけど、実はこの人はこの時から何でもアリじゃないか。うん、ありきたりのブルースじゃないし、ギターを集中して聴くにも最高だ。うほ♪」

となりましたので、初期のアコースティック音源をまずはオススメとしてご紹介いたしましょう。




【収録曲】
1.Looking for a Woman
2.Walking Blues
3.Careless Love
4.Saint James Infirmary
5.High Society
6.I Got My Questionnaire
7.Let Me Go Home, Whiskey
8.Mama,Don't Tear My Clothes
9.Trouble in Mind
10.Lonesome Road
11.Helping Hand (A Thousand Miles Away from Home)
12.One Room Country Shack
13.Who's Been Foolin' You
14.Drifting Blues
15.Sophisticated Blues
16.Come Back, Baby
17.Rock Island Line
18.See See Rider
19.One Scotch, One Bourbon, One Beer
20.Mean Old World
21.Mean Old Frisco
22.Every Day I Have the Blues
23.Careless Love [2]
24.Drifting Blues [2]
25.Lonesome Road [2]


まず曲のラインナップが凄いんです。

「ハイ・ソサエティ」「聖ジェームス病院」などのオールド・ジャズ・クラシックスから「C.C.ライダー」「ロック・アイランド・ライン」など、元祖ソングスター、レッドベリーの愛唱歌、サン・ハウス、ロバート・ジョンソンでおなじみの「ウォーキング・ブルース」、ローウェル・フルスンが作り、B.B.キングが看板曲にした「エウリディ・アイ・ハブ・ザ・ブルース」、エルヴィス、リトル・ウォルターもカヴァーした、ロックンロールの味の素「ミーン・オールド・フリスコ」(アーサー”ビッグボーイ”クルーダップ)などなどなど・・・。お前アコギ一本でよくもこんなに節操のない幅広いレパートリーを集めてきたなぁと、クレジットを見るだけでクラクラします。

スヌークスは、大学のバックアップを得て、更にこのテの”アメリカ伝統音楽の録音”といえばのフォークウェイズ・レコードも本格的にレコーディングに乗り出したのを受けて、1958年から60年(つまり22歳から25歳ぐらいまでの間)に大量の弾き語り音源を残しておりますが、コチラに収録されているものは、最初にリリースされたものだそう。

つまり、このアルバムが(商業用ではないけれど)正真正銘のスヌークス・イーグリンのソロ・ミュージシャンとしてのまとまった作品として初のものなんです。

で、その中身の方はというと、もう既に後年に通じる”何でもアリ”の芸風は、恐ろしいことに完成しております・・・。

アコギ弾語りだから、全体的にのどかな感じではあるんですが、ありきたりのブルースやフォークっぽいやり方ではやっておりません。1曲目からカッティングはカリプソだし、かと思えば「ウォーキング・ブルース」は、ロバート・ジョンソンやサン・ハウスを飛び越して、まるでその頃のジョン・リー・フッカーばりのドロドロのスロー・ブルース(歌詞も違うからあの「ウォーキング・ブルース」と果たして同じ曲なんだろうかという疑問もありますが)。

圧巻なのはやはり「聖ジェームス病院」「ハイ・ソサエティ」と2曲続くジャズ・ナンバーで、前者はグッと抑揚を抑えた歌い方で、既にソウル・バラードみたいな雰囲気を(ギター1本でだぜ!?)醸しておりますし、後者に至っては、そこにロニー・ジョンソンかエディ・ラングの生き霊がおるんじゃないかと思うほどのギター・ピッカーぶりで「一体この人は何なんだ!」と、聴く人をしっかりと煙に巻いてもくれます。

例えば「エヴリデイ・アイ・ハブ・ザ・ブルース」なんか聴いておれば分かるんですが、この人は確かにジャンル幅広いし、渋さを一定に保ちつつ、万華鏡のような「一人歌謡ショーぶり」を如何なく発揮しておりますが、ただスタンダードを奇抜なアレンジでやっているのではなく、むしろトラディショナルなブルース・ナンバーは、有名なヴァージョンよりも更にディープでドロドロのブルースとして、一番コアな部分も感じさせてくれるのです。

しつこいようですが、これ、ギター弾き語りだぜ!?

と、アタシは聴く毎に思います。えぇ、今この時点で多分皆さんにはこの意味は伝わってないかと思うのですが、ブルースや古いR&B、あるいはジャズなんかが好きな人がこのアルバムを一回でも聴けば「うぇぇ、マジだ!」と、絶句すると思います。果たしてこれはブルースなのか、それとも弾き語りのR&Bなのかと、アタシ の中では未だ結論は出ませんが、すこぶる付きのグッドミュージックであることは確かです。



『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
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2017年09月22日

ライトニン・スリム ルースター・ブルース

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ライトニン・スリム/ルースター・ブルース
(EXCELLO/ユニバーサル)

ブルースといえばシカゴにテキサス、ミシシッピ。ちょいとツウなら「メンフィスはどうだ?」「いやいや、デトロイトも捨てがたい」といった感じで、楽しく語ったてるうちに地名が出てくるもんでございます。

そう、皆さんにはぜひお手元にあるなら(今ならネットがある)ぜひ、ブルースを聴きながら、そのブルースマンがどこの人かを地図で確認しながら聴いてみてほしいんです。

今からおよそ100年昔、ディープ・サウスと呼ばれるミシシッピやテキサスで生まれ、徐々に南部全体、そして色んな街を経由して北部のシカゴや西海岸に運ばれていったブルースは、行った先々で独自の進化を遂げて、まったくその土地特有の風味を纏うようになりました。

後の時代のロックやソウルなんかでも、土地の名前を頭に付けた(フィラデルフィア・ソウル、リバプール・サウンド、めんたいロックなど)ものがあって、それぞれ聴くだけで「あ、この音はこれだね♪」と分かるものが多くありましたね。そんな感じでブルースも、人の個性と土地の空気感みたいなのが、最高にいい感じの味わいとなってギッシリと詰まって外側にむわんと漂っておるんです。

で、そういった「土地の風味」という意味で、シカゴやテキサスにも負けていない、独自の味わいを持った土地が南部にあります。

そこはルイジアナ!

テキサスとミシシッピに挟まれたこの州は、南の先っぽにジャズが生まれ育ったニューオーリンズがあって、更に歴史をたどってみれば、ほとんどがイギリスの植民地だったところからアメリカは始まってるんですが、ここだけ何と、フランスが入植して独自の風習文化を育んでいたという、他のアメリカの州と比べてかなり特殊な事情があります。

更に外海に開けた港町で、アメリカ全土はおろかカリブ海の島々や南米大陸からも色んな文化が入ってくるニューオーリンズのハイカラと、北部のバイユ―と呼ばれる広大な湿地帯近辺の街で生まれたブルースとでは、また味わいが全く違うって言うんですから、これはバイユ―のブルース達を聴かねば収まりません。

この地のブルースの特徴といえば、高温多湿な環境ゆえか、とにかくユルいんです。

代表的なブルースマンに、前にもご紹介したスリム・ハーポという人がおりますが、この人は”ユルユルの大将”なんですが、ルイジアナ・バイユー地域はこの人だけじゃない、まーユルくてトッポい連中の巣窟でございます。

「あっついしジメジメしてるし、なーんかやる気おこんねー。どーせ外から人も来ないしー、ダラダラブルースでもやるべぇかー」

という姿勢においては、みんな一致団結してブレが全くありません。大体この地のブルースマンの芸名の付け方なんかも

・スリム・ハーポ → ハーモニカのカッコイイ男

・ライトニン・スリム → 稲妻のカッコイイ男

・レイジー・レスター → ダラケたレスター

・ロンサム・サンダウン → 何かせつねー夕暮れ

とか、軒並み脳みその回っていない感じのシンプルで分かりやすい命名で、カッコイイんです。多分名前考えてる途中で、暑いから嫌になっちゃったんでしょう。

で、本日皆様にご紹介するのは、上から二番目(俺も大概やる気がない)のライトニン・スリムです。

ね「稲妻のカッコイイ男」なんたる名前かと思いますが、話聞いたらもっとなんたるごとで、この「ライトニン」の部分、実は


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はぁい、ブルースでライトニンといえばこの人、のライトニン・ホプキンスです。

実はライトニン・スリム、芸名を付けるに辺り、お隣テキサスにいる人気者ライトニン・ホプキンスを前から

「カッコイイなぁ〜、俺もあんな風になりたいべ」

と、リスペクトしており

「じゃあ、俺も名前をライトニンにするべ」

と、まんまな芸名にしちゃった。

「じゃあ」

って・・・。

お、おぅ。多分ムシ暑くて名前考えるのが途中から嫌になったんだ・・・。

そんでもって堂々”ライトニン・スリム”を名乗ったこの男、何だよパクリかよ、と思うなかれ。単純に名前を考えるのが嫌だった(?)だけで、実力はすこぶる付きのホンモノであります。

1915年生まれといいますから、実はライトニン・ホプキンス(1912年生)や、マディ・ウォーターズ(1913年)ら、戦後ブルース第一世代と言っていい人達と、トシはあんま変わらんです。どころかロバート・ジョンソンですら、たったの4歳年上ですから、若い頃からさぞ活躍していた、或いはギター一本持って地元ではそこそこ名の通った存在だったのかと思いきや、何とこの人がギターを持ってブルースを本格的に歌い始めたのが、1940年、年齢でいえばとっくに中年の35歳になった頃。

それまで何やってたんだ!と突っ込みつつ、色々と経歴を調べても、実際何をやっとったかよーわからん。まぁ多分暑いしダルいので、テキトーに仕事しながらウダウダやっておったんでしょうな。

レコード・デビューしたのは更に14年後の1954年で、もうやがて40代の後半になろうとかいう時でありますから、人生というのは何が起こるかわかんない。

この時ライトニン・スリムやスリム・ハーポ、それから先に名前を挙げたバイユ―の「いい加減な名前の凄腕ブルースマン達」をまとめてレコードデビューさせたのが、ケンタッキー州にあったエクセロというレコード会社であります。

ルイジアナのブルースを、何でカントリー王国ケンタッキーのレコード会社が?と思うところですが、まぁそこは深く考えない。とにかくエクセロ・レコードが他のどの地域のサウンドとも似ていない、ルイジアナ・バイユ―地域のユルく独自のレイジーさに溢れたブルースを世にたくさん出してくれたお陰で、アタシ達もこの個性的なブルースを聴くことが出来るんです。






【収録曲】
1.ルースター・ブルース
2.ロング・リーニー・ママ
3.マイ・スターター・ウォント・ワーク
4.G.I.スリム
5.ライトニンズ・トラブルス
6.ベッド・バグ・ブルース
7.フードゥー・ブルース
8.イッツ・マイティ・クレイジー
9.スウィート・リトル・ウーマン
10.トム・キャット・ブルース
11.フィーリン・オウフル・ブルース
12.アイム・リーヴィン・ユー・ベイビー
13.ライトニンズ・ブルース
14.ジャスト・メイド・トゥエンティ・ワン
15.シュガー・プラム

ライトニン・スリムのブルースは、一言でいえばユルさは強烈にありつつも、やや筋ばった男らしい濁った声と武骨なギターのインパクトで、かなり泥臭いものであります。

いや、濁った声と武骨なギターが、バイユ―独特のユルいアレンジの毒気にあてられて”沼”と化してると言うべきか。そんなユルいけど薄くない硬派な味わいがこの人の魅力であり、また、この地のブルースに共通する味であると思っていただけると幸いであります。

「まずはこの一枚!」

として、エクセロ時代の代表作といってもいい、オシャレなニワトリジャケットが最高の「ルースター・ブルース」を聴きましょう。

実はスリムは、その歌い方やギター・プレイの部分はライトニン・ホプキンスに影響を受けておりますが、楽曲のほとんどは、マディ・ウォーターズに影響を受けております。

聴いてると「お、この曲はアレだね」と思える曲がいくつもあって楽しくなりますが、どうやらスリムはへヴィでギラついたシカゴ・ブルースの音を、ルイジアナで再現したかったと思えるフシがあります。

ピアノこそ入っていないけど(きっと湿気ですぐ調律がダメになるんだ)やさぐれたエレキギター、ひなびたハープ、ベースにドラムという鉄壁のバンド・サウンドは、ほとんど当時大人気だったシカゴ・ブルースのそれでありますが、ハープはどこか洗練とは程遠い、ほんわかしたトーンだし、ドラムはもっと何かべっちゃりしてるし、結果として「南部の、しかもかなり湿度が高い場所のサウンド」になっているところがいいんですよ。

自己をどんどん変化させていってオリジナリティを確立していくというミュージシャンは多いですが、影響を受けた大物(ライトニン・ホプキンスやマディ)の路線をやろうと思っても、やっぱりどうしてもオリジナルなレイジーさがどわっと前に出たものになってしまう。もっといえば、無意識でブルースというよりも、この辺のサウンドにすっごく影響を受けた、タフでルーズなアメリカン・ロックンロールのエスプリを、どうしようもなく感じてしまいます。

実際このアルバムは、ロックンロール全盛の1959年から60年にかけて「新しいサウンド!」と、ロックンロール好きの若者にウケました。そして、南部の小さなレコード会社、エクセロのサウンドは、シカゴブルースから入ったイギリスの若者の耳に「や、これはすげーかっこいい」と響き、後の英国発ブルース・ロックを構成するサウンドに欠かせない要素となってゆくのです。

とにかくまぁまだ残暑も厳しいこの季節、できればやっすいオーディオで、ライトニン・スリムを適当なボリュームで流しながらダラダラ聴いてみてください。このレイジーでダウンホームな「あ〜、えぇなぁ〜感」は、やっぱりこの人、そしてエクセロ近辺のルイジアナ・ブルースでなきゃ味わえませんです、はい。




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2017年09月11日

アーサー”ビッグボーイ”クルーダップ ミーン・オール・フリスコ

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アーサー”ビッグボーイ”クルーダップ ミーン・オール・フリスコ
(FIRE/Pヴァイン)


人の良さそうな、やや甲高い声のシャウトと、4ビートのシャッフルに乗ってジャカジャカ警戒に掻き鳴らされるアンプ直のフルアコ。

くー、いいですなぁ、たまらんですなぁ。

この、ブルースといえばど真ん中どストライクのディープなフィーリングにまみれた、生粋のサザン・ブルースではあるんですが、それより何より、ホコリが立っていそうな乾いてて、ヘタな小細工のないギター、ベース、ドラムスの繰り出すストレートなノリの良さは、まるでロックンロールじゃないですか。

それが、戦前ブルースの名コンピ『RCAブルースの古典』のラストに収録されていた「ザッツ・オールライト」で、アーサー”ビッグボーイ”クルーダップを初めて聴いて思ったことでした。

ここで、音楽にちょいと詳しい人ならば

「ザッツ・オールライトっていえば、それはエルヴィス・プレスリーの曲なんじゃないか?」

と、思うでしょう。

そうなんです、ロック・ファン、ブルースファンの間でアーサー”ビッグボーイ”クルーダップといえば、何といってもエルヴィスのデビュー曲「ザッツ・オールライト・ママ」の作曲者として、まずは名前が挙がる人。

しかも、少年時代クルーダップのレコードを熱心に聴き込んで「オレもこういう風に音楽やりてぇ!」と思ったエルヴィスは、その原曲のアレンジを、ほぼ忠実に再現してて、見事なロックに仕上げている。

というよりも、実はアタシ達が「このノリはロックンロール(またはロカビリー)」と思っていたものが、実は実は1940年代のブルースで既に完成していたものだったなんて。こういうところに音楽というものの底知れぬパワーを感じてしまいます。

「ロックンロールのルーツはブルースで・・・」

と、アタシもよく言いますが、そこんところは難しく考えるような話では少しもなくて、まずはクルーダップを聴いてみてください、アタシが言葉をたくさん使ってこねくりまわすよりも、体感で「なるほど!」と納得できるでしょうから。と、ハッキリ断言してもよろしい。

さて”ギター、ベース、ドラムス”という、ロックバンドの基本編成の原型を作り、さらにその編成からロックンロールの原型を作ってジャカジャカやっていたアーサー”ビッグボーイ”クルーダップは、その音楽とは裏腹に、人生そのものがブルースの悲しいハードラックにまみれた人でありました。

1905年、季節労働者として南部や中西部を渡り歩いていた両親の元に生まれたクルーダップは、10歳ぐらいの時に教会でまずゴスペルを歌うようになります。

そうこうしているうちにギターも覚え、そうなってくると年頃になったら「カネにならないゴスペルじゃなくて、ブルースを歌ってちょいと稼ぐんだ」という気持ちが出てくるのが人間です。アーサー少年がギター片手にミシシッピ近辺の酒場や街辻などで歌うようになるまでに、さほど時間はかかりませんでした。

で、恐らくは常日頃から「ウチの両親みたいに報われない季節労働者なんてごめんだ」と思っていたであろうグルーダップ、割と早いうちから音楽で身を立てることを考え、ある日所属していたバンドのツアーでシカゴを訪れた際に「さて、シカゴでの演奏も終わったし南部に帰るぞ」と言う仲間達に「オレは残るよ、南部なんて帰りたくないね」と、ツテも何もないままに、シカゴでブルースマンとして生きて行くことを決意したのでありました。

これが1939年のことであります。

当時のシカゴは、ミシシッピの泥臭いブルースではなく、ジャズの要素もふんだんに取り入れた、オシャレで洗練されたバンド・ブルースが流行でした。

ビッグ・ビル・ブルーンジィ、タンパ・レッド、ビッグ・メイシオ、サニーボーイ・ウィリアムスン(T世)などなど、キラ星のようなスター達に憧れ、オレもそうなってやるぞと意欲をたぎらせていたクルーダップではありましたが、ツテのない悲しさで、いきなり飛び込んで行っても相手にしてくれるクラブなどあるわけもなく、加えて彼がやっていた、南部流儀丸出しの泥臭いスタイルのブルースでは、クラブに集まるようなオシャレなシカゴっ子達からは「田舎モンが何かやってるぞ」とバカにされるのがオチであります。

そんなこんなでその日暮らしのストリート・ミュージシャンとして、グルーダップは路上で歌い、ほとんどホームレスのような生活をしておりましたが、ある日、住み家にしていた梱包用の木箱を組んだ家に、恰幅のいい、ちょいとヤバそうな白人男性が来てこう言いました。

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「おい、お前はアレだろ?そこの通りでブルース歌ってる男だろ?オレは前から聴いてたんだが、なかなかいいじゃないか。泥臭くてここらじゃ聴けないフィーリングだ、あぁ気に入った。ちょいと話があるんだがいいか?おぅ、嫌ならとっとと田舎に帰んな」

まぁ、見た目や喋り方からして、多分ここらのクラブを仕切っているマフィアの関係者でありましょう。

余りに唐突な事にびっくりしているクルーダップのことなんか知るかとばかりに男はつづけます

「あぁ、オレか? かのジャズの生みの親ジェリー・ロール・モートンを世に出して、シカゴにやってきたジャズの帝王、キング・オリヴァーの世話もした。今じゃブルースの大物なんて崇められてるタンパ・レッド、ビッグ・ビル・・・アイツらもみんなオレがスターにしてやったようなもんだ。どうだBoy?レスター・メルローズって名前ぐらいは知ってるか?」

きょとんとして、首を2回縦に振るクルーダップを見てニヤッとした男は、更に一人で勝手に喋り続けます。

「まぁ俺は、いかにもな泥臭いブルースが好きなんだ。ところが今のシカゴじゃやたら小洒落たさっぱりしたものがウケるときてる。冗談じゃねぇ、今はそうかも知れんが、今からはな、もっともっと泥臭くて猥雑で、クレイジーなものが売れる時代が来るんだ。そこでお前、今度タンパ・レッドと一緒にレコーディングしてくれ。あぁ、紹介してやるよ。ヤツは俺が建ててやった家に住んでるんだ。嫌か?嫌なら田舎に帰んな」

びっくりして、首を2回横に振るクルーダップをニヤニヤしながら見ている男は「いついつにここに来るように」と、簡単な場所の説明だけをして、その場を立ち去って行きます。

ここでちょいと説明しましょう。

クルーダップに声をかけたこの男、レスター・メルローズは「戦前のシカゴで彼の紹介を受けてないブルースマンはいない」と言われていたほどの、超の付く重要人物。

元々は小さな楽譜出版社のオーナーでありましたが、1920年代の始め頃にニューオーリンズの大物ピアニスト、ジェリー・ロール・モートンの楽譜を出すために彼と交渉したのがきっかけで「ジャズやブルースを演奏する売れそうな黒人をレコード会社に紹介する」というスカウト業の世界にのめり込んでいきました。

こう書くと「黒人音楽に理解のある心優しい人」と、思われそうですが、実際は「カネになるから」という実に己の欲望に忠実な理由で、せっせとジャズやブルースの人間をレコード会社に紹介しては、その過程で生まれる紹介手数料を手にしてウハウハしていた、まぁこの世界によくいるヤクザなブローカーというやつであります。

余談ですが”スライド・ギターの魔術師”と呼ばれ、人気を博していたタンパ・レッドは彼のお気に入りで、スターになった彼には確かに家を買ってあげましたが、実際はレッドをその家に住まわしてちゃっかり家賃を取っていたというような人であります。一言でいえば実に胡散臭い。

で、ありますが、長年ホンモノのジャズやブルースに関わり続けていた彼の耳は確かなもので、彼が目を付けたビッグ・ビル・ブルーンジィ、タンパ・レッド、サニーボーイ・ウィリアムスン(T世)などの戦前シカゴを代表するブルースマン達は、軒並み大手RCAの参加のブルース専門レーベル”BLUEBIRD”の専属となり、「シカゴのブルースといえばブルーバード・サウンド!」と言われるぐらいの一時代を築いた人なんです。

さて、そんなメルローズの紹介で、ガッチガチになりながら憧れのタンパ・レッドと初のレコーディングを経験し、めでたく大物ひしめくBLUEBIRDの専属となったグルーダップの評判は上々でした。

それまでシカゴの主流を占めていた、どちらかというと軽やかで洗練されたサウンドにぼちぼち飽きてきた若者達や、南部で刺激を求めてた人達に、クルーダップの「ギター、ベース、ドラムス」というシンプルな編成から繰り出される煽り要素の強い演奏は大いに受け入れられ(その中にはメンフィスでこっそり黒人放送局のラジオを聴いていた少年エルヴィス・プレスリーもおりました)、南部からの呼びかけでツアーに出るなど、好調な活躍ぶりで40年代一躍人気者になるんですが、彼の実力とは関係のないところでのトラブル、つまりレコード会社との印税に関するトラブルが彼を襲い、結局コレが原因で作曲した曲の権利のほとんどを手にすることもなく、更にどこか新しいレーベルと契約したくてもできず、得意の絶頂からドン底の人生へと転落してしまいます。

だから50年代にエルヴィスが「ザッツ・オールライト・ママ」をヒットさせても、アーサー”ビッグボーイ”クルーダップの名は世間からの脚光を浴びることはありませんでしたし、もちろん著作権料も受け取ってないでしょう。

1974年にひっそりと亡くなるまでの彼は、時々お呼びがかかるコンサートやレコーディングに参加しながらも、普段は肉体労働や密造酒の販売などで細々と生計を立てていたといいます。





【収録曲】
1.Mean Old Frisco
2.Look on Yonder Wall
3.That’s Alright
4.Ethel Mae
5.Too Much Competition
6.Standing At My Window
7.Rock Me Mama
8.Greyhound Bus
9.Coal Black Mare
10.Katie Mae
11.Dig Myself A Hole
12.So Glad You’re Mine
13.Death Valley Blues
14.If I Get Lucky
15.Angel Child
16.The Moon Is Rising
17.My Mama Don’t Allow Me
18.I’m In The Mood


しかーし!

しかしですよ皆さん、いかに彼のブルース人生が、とんでもなくハードラックにまみれたものだったとはいえ、戦後になって録音された作品からもその煽りの強いロッキンな演奏のカッコ良さは健在だったりするんです。

最晩年の作品のみが、枯れた味わいの渋〜い感じでありますが、60年代に残された3枚のアルバムはどれもエレキをジャカジャカ掻き鳴らす好調な作品ばかりでありまして、その中でもゴキゲン度でいえば最高なのが、ジャケットもイカす1962年のFIRE音源であります「ミーン・オール・フリスコ」であります。

キレ味の鋭いドラムとベースをここでも従えて、良い意味で乱雑で気の抜けたクルーダップのギターとヴォーカル、やっぱりどストライクなサザン・ブルースで「マディ・ウォーターズ登場前」のバンド・ブルースのお手本のようなラフさがたまらんです。最高です。

楽曲も看板の「ザッツ・オールライト」タイトル曲の「ミーン・オール・フリスコ」(リトル・ウォルターをはじめ、これも名カヴァーが多いっす)など、渾身のオリジナル曲を「カネにならねぇんなら義理はいらねぇ!」とばかりに惜しみなくやっておって、そのヤケクソぶりもまたどっかのガレージパンクバンドみたいでたまらんです。最高です。


アーサー”ビッグボーイ”グル―ダップという人は、アタシ個人的に「戦前から活躍してるブルースマンの中で最もロックを感じる人」であります。

それはもちろんエルヴィス抜きには語れないのですが、ずっと聴いてると、それより何よりもっと深い”人としてロック”な部分がすごく見えてくるような気がするんですよ。何それ?って?まぁこの人のフルアコのジャカジャカを聴いてみてくださいな。ほれ「かっこいいロックは、イントロのギターの”ジャーン”でシビレる」って言うでしょ?平たくいえばそれですよ、それ。




「目標があったとしたらアーサー・クルーダップのような存在になることだった。1949年に彼を観た時にあんなふうに演りたいと思ったんだ」(エルヴィス・プレスリー)




”ブルース入門編 〜初心者のための優しいブルース講座〜”




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2017年08月25日

ジョン・リー・フッカー ブーン・ブーン

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ジョン・リー・フッカー ブーン・ブーン
(Capitol)


さて、夏といえばジョン・リー・フッカーです(?)

2001年に亡くなってはおりますが、今年はジョン・リー・フッカーの生誕100周年記念ということで、8月22日の誕生日にはネット上で大いに盛り上がっておりました。

何にせよブルースの孤高の巨人として、その地の底の暗闇から響いてくるかのようなドスの効いた低い声と、ブギー一発、或いはドロッドロのスロー・ブルース一発、いずれのスタイルでもドぎつくうねってとぐろを巻いて襲い掛かるギターと、それらを効果的に響かせる「カッ、カッ、カッ」という靴の音でもって、”〇〇ブルース”というものではなく、唯一無二の”ジョン・リー・フッカー・スタイル”というものを築き上げ、50年以上もそれを貫き通した人であります。

マディ・ウォーターズやB.B.キングと同じように、戦後すぐぐらいの時期から本格的に活動を始め、そして60年代になって彼の最凶にディープなブルースに惚れた多くの若手ブルースマンやロック・ミュージシャン達に慕われておりますが、誰に衝撃を与えようと、どんなスタイルの相手と一緒に演奏しようと、この人のスタイルはずっと変わらず、どころか微動だにせず、ほぼワン・コードのブギかドロドロのスロー・ブルースを唸るのみ。

更にそのスタイルが余りにもワン・アンド・オンリー過ぎて、フォロワーどころか似たようなスタイルでブルースをする人すら現れず、ついでに言えば音楽的に孤高を極めたからさぞストイックでアーティスティックな人なんだろうと思ったら、後輩達の呼びかけには割と気軽に答えてライヴやレコーディングにはニコニコとフットワークも軽く出かけてゆく。

インタビューなんかでも「オレがオレが」ではなく、ひとつひとつの質問にとても真摯に向き合って、丁寧に言葉を選びながら、そして適度なユーモアと茶目っ気を交えながら紳士的に答えてくれる。実に腰の低いジェントルマン。

またそこが最高にカッコ良くて、聴く人をどこまでも「かっこぇぇ〜、あ〜かっこぇぇ」とブルースの底なしの泥沼に引きずり込む男、それがジョン・リー。

そんなジョン・リーには、もちろんアタシもブルース聴き始めの頃、割と早い時期に惚れました。

例によって中学時代に親父に薦められて買ったオムニバス”アトランティック・ブルース・ギター”に、エレキ弾き語りのドロドロなスロー・ブルースが入っていたのに「これやっべぇ!」と思ったのが一番最初。

で、高校生になって、音楽の色んな本とかを読むようになって、ジョン・リーについてもちょこっと知ることが出来たんですが、丁度リアルタイムでリリースされて、ヤングギターとかにも広告がデカデカと載っていたので何も知らずに「とりあえず買っとくか」と思って買ったのが、1992年に新作としてリリースされた『ブーン・ブーン』




【収録曲】
1.ブーン・ブーン
2.ジェシー・ジェイムスみたいな悪い奴
3.あのブルースをもう一度
4.シュガー・ママ
5.トリック・バッグ
6.ブギー・アット・ラッシャン・ヒル
7.ヒッティン・ザ・ボトル・アゲイン
8.ボトル・アップ・アンド・ゴー
9.聴こえぬ声
10.アイ・エイント・ゴナ・サファー・ノー・モア


これ凄くいいアルバムだったんですよね。

何がどういいかっていうと、ブルースのことなんかちょっとかじった程度だったアタマの悪い高校生にも「おぉ、何だか渋いけどギラギラしてる。これがブルースか!」と、ストレートに分からせてくれたんですよ。

当時のアタシといえば、ロックのCDを買っても、タテノリの速い曲か、アコースティックの綺麗なバラード以外はすっとばして聴いてたアタマの悪い高校生(2回目)です。

そんな音楽のことなんか何もわかっとらんクソガキに、1曲目から「お、おぉ!?」とグイグイ引き付けた。もちろんその時は引き付けられてるということしか分からずに、友達にも「何これ、ブルース?」と訊かれて「おぉ、コレがカッコイイんだぁ」と、何となく答えることしか出来なかったんですが、後になって色々聴いて、その”引き付ける感じ”こそがこの人のディープな声とギターのシンプルにして最高な魅力、そして90年代という時代に、ジョン・リーと相性の良い最高なゲスト・ミュージシャン達が懸命に組み上げたキャッチ―なアレンジが、ブラックホールみたいなジョン・リーの曲に親しみを加味したんだなぁと気付くに至りました。

映画”ブルース・ブラザーズ”の路上演奏シーンでもおなじみの代表曲「ブーン・ブーン」がまず冒頭で、この曲は1962年にヒットしたやつの再録音ですが、ジョン・リーがザックザックと刻むワン・コードのバッキングに絡むスティーヴィー・レイ・ヴォーンのお兄ちゃん、ジミー・ヴォーンが弾くロッキンなソロに、締まったリズムのベース、ドラムがバシッと決まって、最高のバンド・サウンドです。

若手モダン・ブルースのホープとして、色んなギター関係の雑誌によく登場してたロバート・クレイが、王道のモダン・ブルース・スタイルで、ファンキーなクラプトンみたいなギターを炸裂させるスロー・ブルースの「あのブルースをもう一度」も、好きにやらせてるようで実は低く唸るヴォーカルと、手数こそ少ないけど「ガリッ!」とひと掻きするだけでその場の空気をガラッと変えてしまうジョン・リーが凄いし、暴力チョーキングの魔人、アルバート・コリンズのギャイギャイしたサウンドと、トランス感十分なジョン・リー・ブギな楽曲が絶妙にハマッた「ブギー・アット・ラッシャン・ヒル」とかその辺のバンド・ブルースの盛り上がる曲と、凄まじくへヴィなギター弾き語り、もしくはハーモニカ(チャールズ・マッセルホワイト)とのデュオとかでズブズブと沈み込んでゆくモノホンのディープ・ブルース(特に怪しいトレモロが効きまくったギターの音がヤバい「シュガー・ママ」凶悪!)との、楽曲の配分なんかも凄くいいのです。

ジョン・リーの傑作、名盤と呼ばれているものは、初期の弾き語り時代(たとえば「ザ・グレイト・ジョン・リー・フッカー」など)に集中しますが、それは本当にコアしかない深淵極まりない音楽だったりして、実際アタシもこのアルバムみたいな「ブルース知らない人も、しっかりノセながら引き込むアレンジ」が効いた90年代のジョン・リーを知っていなければ、果たして50年代の名盤をちゃんと聴けただろうかと思います。

今でも折に触れて聴いている大切な大切なアルバムです。当然「ブルース」という言葉にちょっとでもピクッとなる人は、とてもいいアルバムなのでぜひ聴いてくださいね♪




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2017年08月06日

マディ・ウォーターズ The Complete Plantation Recordings

1.jpg
Muddy Waters/The Complete Plantation Recordings
(Chess/MCA)


小説や漫画とかで、いわゆるスピンオフというやつですか。主人公達の物語が始まる前の世界を書いた作品というものがありますね。あぁ、この出来事が原作のあの場面に繋がっていくんだ。とか、主人公の師匠の若い頃はこんなだったんだ・・・とか。

そういう風に、どんな物語も「それ以前のストーリー」というものがございます。

それは音楽の世界でも同じで、偉大なミュージシャンとか、巨人とか帝王とか呼ばれるようなアーティストにも、下積みやブレイク前の時代というものがあるわけですね。

ブルースの世界で「とてつもない巨人」といえば、これはもうシカゴでエレクトリックなバンドブルースの時代を切り開いたマディ・ウォーターズです。ギラギラに黒光りするエレキギターのスライドを弾きながら、貫禄いっぱいに野太くブルースを歌う王者マディ。

そもそも歌がどうとかギターがどうとか、そんなことよりも彼の内側から湧き出てくる膨大な質量のブルースの凄味、その底無しの説得力に、アタシらはもう息を呑んで圧倒されるしかないのですが、もちろんそんなマディも、シカゴに出てくる前はミシシッピの片田舎の農場で週末にギターを弾き、サン・ハウスやチャーリー・パットン、そしてロバート・ジョンソンといった先輩ブルースマン達がやってくると嬉々として演奏を聴きに行き、その歌の表現やギターの演奏法を見て学んでいた時代というのがあったんです。

1942年のある夏の日、ミシシッピ州のストラーヴァル・プランテーション(農場)に一人の紳士がやってきました。

彼の名は民俗学者アラン・ロマックス。

父のジョン・ロマックスと共に、主に政府や連邦議会図書館からの依頼を受けてアメリカ全土を旅しながら、各地に暮らす様々な人種の音楽をレコーディングしていたアランは、今回も国会図書館から

「南部の黒人音楽をレコーディングしてきてほしい」

という依頼を受けたのでした。

アランはこの時、当初からその噂を耳にしていた人物のレコーディングをしようと、その男を探しておりました。

その男の名はロバート・ジョンソン。

「とてつもなくギターが上手い」

「悪魔に魂を売った男だから関わらない方がいい」

「どんな曲でも一度耳にしたら弾けてしまう不思議なヤツだ」

ミシシッピ周辺の酒場やジューク・ジョイントに行けばロバート・ジョンソンの噂がささやかれ、それはロマックス親子のニューヨークのオフィスにも南部から届いてきておりました。

その亡霊のような不思議な存在感を持つブルースの化身のような男の声を、アランは何としても歴史の記録として残しておきたかったのですが、南部に入り、ミシシッピで聞き込みをしている時に

「旦那、ロバート・ジョンソンを探してるんだって?生憎だがヤツは死んだよ。・・・殺されたんだ」

というショッキングな事実を聞かされます。

「何だって!?ちくしょうせっかくレコーディングに来たのに・・・」

と、ガックリのアランでしたが、親子二代で培った”探し屋稼業”の血が、彼を手ぶらでニューヨークにすごすごとは帰らせませんでした。

それならロバート・ジョンソンのようなスタイルでブルースを歌うヤツを探し出してソイツを録音してやろう!と、執念を燃やしたアランは周辺で更に聞き込みを開始。

「あぁ、そういうヤツやら一人いるね。ストーヴァル農園に行ってみな、マディ・ウォーターズって呼ばれてる男がいいスライドを弾くぜ」

という情報をようやく得て、勇んでその農園に車を走らせたアラン。

農場の食堂で、周囲の「誰だ?」「警察か?」「密造酒のガサか?」という警戒の目に晒されて待っていたところに、がっしりした体格の、やたら風格のある一人の男が入ってきます。

「おい、何か妙な旦那がお前を探してるって・・・」

「何だって?」

「レコーディングがどうとか言ってるんだが、よくわかんねぇ。とにかく面倒はごめんだぞ」

「・・・あぁ」

そんな感じでヒソヒソと若いモンと話してアランのテーブルにその青年はゆっくりと腰掛けました。

「ようこそ旦那、俺の名前はマッキンリー・モーガンフィールド。ここいらじゃ”マディ・ウォーターズ”って呼ばれてるちったぁ知られたギター弾きでさぁ。で、今日は何の用ですかい?」

南部黒人の皆がやっているようにうやうやしくへりくだり、しかし警戒の目と威圧感を緩めない、一目で”できる男”の貫禄を、全身とその態度から漂わせている若き日のマディに、アランは「あぁ、コイツはタダ者ではない」と直感したアラン。

持参したギターを見せて「まぁ一杯どうだ」とバーボンを勧めながら丁寧にレコーディングをしたい旨を話しました。

密造酒の取り締まりか、身に覚えのない犯罪の嫌疑だろうと最大限に警戒していたマディは、アランの持ってきたギターとその真摯な説明を聞いてようやく警戒を解き、杯を重ねつつ生い立ちやブルースのことなど、アランの事細かい質問に、しっかりした言葉と態度で丁寧に答えたといいます。

都会からやってくる白人の音楽関係者も、最新式の録音機材(SP盤)も、マディにとっては生まれて初めて目にするものでありました。





【収録曲】
1.Country Blues(version1)
2.Interview #1 -
3.I Be's Troubled
4.Interview #2
5.Burr Clover Farm Blues
6.Interview #3
7.Ramblin' Kid Blues
8.Ramblin' Kid Blues
9.Rosalie
10.Joe Turner
11.Pearlie May Blues
12.Take A Walk With Me
13.Burr Clover Blues
14.Interview #4
15.I Be Bound To Write To You(version1)
16.I Be Bound To Write To You(version2)
17.You're Gonna Miss Me When I'm Gone(version1)
18.You Got To Take Sick And Die Some Of These Days
19.Why Don't You Live So God Can Use You
20.Country Blues(version2)
21.You're Gonna Miss Me When I'm Gone
22.32-20 Blues


そんなこんなで1941年4月、後にシカゴ・ブルースのボスマンとなり、ブルースの歴史を大きく変えたマディ・ウォーターズの初めてのレコーディングが、農場の食堂で行われました。実にこの時マディ・ウォーターズ28歳。

もちろんこの時点でマディはシカゴに出て音楽で生計を立てることなど考えておらず、アラン・ロマックスもまた、この男が後にブルースを代表する大スターになるなんて思ってもおりませんでした。

もちろんこの頃のマディは、近隣では名が知れ渡ってるとはいえ、昼間は農作業に勤しむアマチュア・ミュージシャン。

アランもまた、レコード会社の人間ではなく、レコーディングの目的はあくまで

「南部の日常に生きる黒人音楽をありのまま、資料として記録すること」

でした。

しかし、これが結果として大成功でした。

マディのスタイルは、ロバート・ジョンソンというよりもむしろ、更に前のサン・ハウスやチャーリー・パットンからのストレートな影響が濃厚な、タフで野太い純正デルタ・ブルース。

セッションはアラン・ロマックスによるマディのインタビューを挟んでの弾き語りに始まって、当時コンビを組んでいたギター&フィドル奏者サン・シムズをメインにしてのストリング・バンド形式のものや、チャールズ・ベリーのセカンド・ギターを付けたものなど、実に戦前のミシシッピ・デルタ地帯で日常的に歌われ、演奏されていたであろうブルースやバラッド(ブルース以前のフォークソング)の見本市のよう、バラエティ盛りだくさんの内容であります。

弾き語りでは後のヒット曲となる「l
Feel Like Going Home」や「l Can't Be Satisfied」の元になる演奏が聴けるだけでなく、エレキ持ってバンド組んで以降は"ここ一発"のリフやソロの時にタメて斬り込むスタイルになったギターが、アコースティックでは唄のバッキングを、パーカッシブなサン・ハウス・スタイルでガツガツ弾かれているところに注目してド肝を抜かれてください。

当たり前ですがマディ、ギター凄まじく上手いです。


そして「リアルな戦前ミシシッピ・ブルース」という意味では中盤のサン・シムズを中心にしたセッションが素晴らしい。

曲調はのどかで牧歌的ですらあるのに、演奏の冒頭からガラの悪い掛け声、これが演奏中にも度々出て来て、なんというか雰囲気最高なんです。

戦前ブルースといえば、戦後のフォーク・ブルース・ムーヴメントの折に再発見された人達の、渋かったり飄々としてたりのイメージから、何となくのどかで静かなイメージを勝手に抱いてましたが、このガラの悪さ、音だけじゃなく罵声奇声でガンガン煽りまくる演奏スタイルに

「あぁ、やっぱりブルースは昔からヤクザな連中のヤバい音楽だったんだな」

と、嫌でも納得してしまいます。

ちなみにサン・シムズは、戦前はチャーリー・パットンの相棒としてコンビを組んでいた人で、演奏中にガヤやセリフを言うことの多かったパットンとは、即興の掛け合いでもって、今で言うフリースタイルのようなガヤ芸をジューク・ジョイントでしょ炸裂させてたんでしょう。うん、ガラ悪くて最高です。


映画『キャデラック・レコード』は、マディのこのレコーディングの場面が出て来て、この時の録音盤でマディが初めて"自分の声"を聴いて、音楽で身を立てる決意をしてシカゴへ旅立った、という描かれ方をしています。

事の真偽はともかく、マディはこのレコーディングの後すぐにシカゴへ出ております。

もし、ロバート・ジョンソンが死んでおらず、マディがアラン・ロマックスと出会わず、レコーディングが行われてなかったらブルースの歴史は戦後まるで違う展開になっていたでしょう。




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2017年07月08日

ジミー・リード アイム・ジミー・リード

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ジミー・リード/アイム・ジミー・リード
(VeeJay)

みんな、うだるような暑さと湿気が絶好調な夏に聴きたいものといえばやっぱりレイジーでダウナーなブルースだよね♪

・・・ん、かなりの数の「いや、それは違う」という声も聞こえたような気もしますが、気にしない、気のせいです。話をつづけましょう。

今日みなさんにご紹介するのは、ぜひとも扇風機の前でビールでもやりながらシャツのボタンを5つほど外してダラダラ聴いて頂きたいブルースの代表格、ジミー・リードであります。

音楽の歴史に大きな足跡を残し、今なお世界中からリスペクトされている”ブルースの巨人”たとえばマディ・ウォーターズ、B.B.キング、ハウリン・ウルフ、ジョン・リー・フッカー、ロバート・ジョンソンなどなどなど・・・そういう名前が挙がる人達に比べたら若干知名度は劣るかも知れませんが、実はコノ人、楽曲のカヴァーされ具合、究極的に影響を受けたローリング・ストーンズ経由で、その後の音楽に与えた影響度という意味で、そんな巨人達を凌ぐほどのものなのであります。

実際にジミー・リードは、ブルースの歴史上屈指のヒットメイカーです。

覚えやすいメロディに単純明快な歌詞、そして”ダウンホーム・スタイル”と呼ばれる泥臭さを感じさせるレイジーな曲調、あんまり声を張り上げず、ゆったりまったりの語り口調のようなヴォーカル。

何よりも曲のほとんどがですね、例のブルースといえばの「ズッズジャッジャ、ズッズジャッジャ」のウォーキング・ビート”だけ”で成り立っていて、曲の違いといえば、コレがユルいか遅いかぐらいなんですね。

コノ人の辞書には「速い」とか「魂絞る」とか「頑張る」とかいう文字はないのでありまして、大体がコノおっさんは「酒が飲めりゃなんでもいい」ぐらいの筋金入りのドランカーなんですね。

まぁブルースマンなんて大体そんな人間ばかりなんですが、演奏に支障をきたすぐらいのレベルを常にキープしていた(エンディングや間奏のタイミングを決めないでずっとダラダラやってるからメンバーが勝手に決めてたとか、ライヴ中歌詞が出てこないぐらい当たり前なので、ちゃんと奥さんが横に立ってて、歌が止まったら耳元でその都度ささやいたとか、まぁザラです)のは、コノ人とテキサスのスモーキー・ホグぐらいだと伝説になってるぐらいのへべれけです。

だからその性格と性質上、気合いを入れて激しく演奏するなんてコノおっさんは出来なかったし、そもそもやる気がなかった。でも、人間というのは何が成功に繋がるか分からないというのは、この人の書く曲が、1950年代から60年代、それこそロックンロールの波に押されてブルースが軒並み勢いを失いかけていた頃に、ロックンロールを聴く若者から

「オーイェー、ジミー・リードの曲はロックンロールみたいなブルースだよな♪」

と、若者に大いにウケて、出す曲出す曲どれもヒットしていたこと。

ミシシッピからシカゴに出てきて、とりあえず食うためにカタギの仕事を転々としていたジミーなんですが、若い頃から大酒飲みで、田舎にいた頃からハーモニカとギターに多少の心得があるもんですから

「なんかこー夜は毎日呑んで昼の仕事したくねぇな、そうだ、ブルース唄ってメシが食えればいいんじゃね?」

と、実に適当なことを思い付いて

「今シカゴで一番売れる可能性のあるレーベルってどこ?あ?チェス?マディ・ウォーターズとかハウリン・ウルフとかリトル・ウォルターとかいんの?オレ、3人ともカッコイイなぁ、憧れるなぁって思ってたんだよ、じゃあそこに売り込みに行こう」

と、これまた実に適当に思い付いてチェスに行くのですが

「あー、ごめんね。ウチはマディとウルフとリトル・ウォルターでいっぱいいっぱいなんだ」

と、あっけなく追い返されます。

ここでガックリ来たジミーでしたが、ライヴで一緒に演奏するメンバーで、ドラムを叩いていたアルバート・キングというでっかい男が

「えぇと、今から出来るみたいなんだけどヴィー・ジェイってとこがあるんだと。そこに行けばいいんじゃね?」

と、新興のインディーズレーベルのVeeJayレコードを紹介し、ジミーはそこへ。で、まんまとレコーディング・アーティスト第一号となって、更に「まさかそんなに売れるとは思ってなかった」ヴィージェイのドル箱の看板ブルースマンとして快進撃を続けることになります。

えぇ、このVeeJay、後にジョン・リー・フッカーとか、ジャズのウィントン・ケリー、リー・モーガンとか凄いアーティスト達が60年代に結構な量の作品をレコーディングするんですが、その資金を稼いだのはほとんどジミー・リードだと言っても過言ではありません。ウィントン・ケリーの名盤「枯葉」や「ケリー・グレイト」をいいねと思って聴いているジャズファンの方、いらっしゃいましたらジミー・リードに感謝してください。

さて、皆さん気になることがあるでしょう。

そうです「ジミーにVeeJayを紹介したアルバート・キングというドラマー」なんですが、はい、あのアルバート・キングです。

アルバートはその頃ジョン・プリムという人のバンドにいて、彼がギタリストなもんだから、とりあえずまぁ叩けはするドラムをやってたんですね。で、ジミー・リードと知り合って

「オレのバックで叩いてくれよ」

「うん、いいけどオレ、本業はギターだからドラムはシャッフルぐれーしか叩けねーよ」

「あぁ、オレはそういう曲しかやらねぇからいいんだよ」

と、アッサリ決まったんだそうです。

後に

「ジミーはアイツぁ仕事中なのに酒ばっか呑んでライヴもレコーディングも全然真面目にやんないから辞めた」

と、怒ってバンドを脱退してます。あぁブルース・・・。




【収録曲】
1.Honest I Do
2.Go On to School
3.My First Plea
4.Boogie in the Dark
5.You Got Me Crying
6.Ain't That Lovin' You Baby
7.You Got Me Dizzy
8.Little Rain
9.Can't Stand to See You Go
10.Roll and Rhumba
11.You're Something Else
12.You Don't Have to Go


ジミー・リードの話をしてたら、もうそんなのばっかダラダラ出てきてしょうがないので、アルバムを紹介します。

ジミーは1958年からVeeJayが倒産する1966年までの間に実に10枚のアルバムをリリースしてますが、大体どれも一緒です。「ズッズジャッジャ、ズッズジャッジャ」のシャッフルに「ほぇぇ〜、ほえぇ〜ん」とヴォーカルが入り、ややへにゃったギターに首からホルダーでぶら下げたハープが良い感じにイナタく鳴り響くと。

ワンパターンもいいところで、最初聴いた時は「何これ飽きるんじゃないか!?」と思ったけど、不思議と何十年聴いてても飽きません。ローリング・ストーンズはこの人のダル〜なビート感覚とひなびたサウンドの何ともいえない持ち味を徹底して研究して、キッチリカッチリしたのが身上の英国ロックに大きな風穴を開け、ミック・ジャガーに至ってはヴォーカルのヨレ具合まで完全にモノにしている感がありますが、じゃあお前はローリング・ストーンズのメンバーぐらいジミー・スミスを好きなのかと言われたらちょっと自信がありません。

何故ならコノ人の音楽は聴き手に「オレのブルースを聴けぇえ!」と強烈に迫ってくることもなければ、聴き手を一発でノックアウトしてやろうとかそういう野心めいた、いや、悪魔めいたところが実に希薄で「うん、聴きたきゃ聴けばいいよね〜」と、淡々と飄々としている”だけ”なんですよ。でも聴いちゃう、気が付けば何か聴いちゃってる。

困ったなぁ、音楽的なことを真面目に解説しようとすればするほど、この人のユル〜いブルースは、そういう知識や言葉をうにゃうにゃとすり抜けてしまう。そういう人なんで皆さんどうかひとつよろしく。






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2017年06月24日

ジュニア・ウェルズ サウス・サイド・ブルース・ジャム

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ジュニア・ウェルズ/サウス・サイド・ブルース・ジャム
(Delmark/Pヴァイン)

季節は夏、湿った重たい夜の空気にからみ付きブルースが歌う。

ベランダから真っ黒な空を眺めると、雲の向こうにある月がぼんやりと鈍い光を放つ。背中からは「ドン、ドドッ・・・」と、まるで砂袋を殴りながら引きずっているかのようなビートを刻むドラムが、この夜に果てなどないことを訥々と語っている。

突如、狂ったように鋭利なギターが宙を切り裂く。剥き身の刃のようなストラトキャスターの音はバディ・ガイだ。1960年代から70年代のシカゴで、全米各地からの移住者を受け容れて急激に人口が増えていた”最も治安の悪い地区”サウスサイドで、今や知らぬ者はいない若きギタリスト。

夜な夜な盛り場に繰り出す不良達の間では今、この街の若いヤツらの中で、誰が一番ヤバいブルースができるか?ということが話題になっている。

テキサスからやってきて、B.B.キングばりの巨体とよく歌う豪快なスクィーズ・ギターでみんなの心をかっさらったフレディ・キング。気分にムラがあってノらない時はさほどでもないが、一旦ハイになると誰も寄せ付けない凄まじいプレイをするサウスポーのオーティス・ラッシュ。

あるいは隣のウエスト・サイドで急激に名を売り出していた、イカシたギター・テクニックとサム・クックのようなエモーショナルなヴォーカルで、どんなクラブだろうと独断場にしてしまうマジック・サム。または他の連中とはちょっと違った、ジャジーでスカした感覚が最高にヒップなフェントン・ロビンソン・・・。

ブルース、R&B、そしてジャズ。あらゆる黒人音楽の猛者がひしめくシカゴで、ノリにノッている連中の名前を出せば、コイツらの名前は必ず挙がり、そこに集まった大体のヤツらはひとつひとつの”ヤバさ”をハイになって語りながら、互いに「あぁそうだ」と深く頷き合うのだ。

そして”シカゴ1キレたギターとヴォーカル”のバディ・ガイと、重くヒリヒリとした緊張感を孕んだブルース・フィーリングと、ジェイムス・ブラウンから大きく影響を受けた斬新なR&Bのノリを自在に操るヴォーカル&ハープのジュニア・ウェルズが最近コンビでツルんでいるらしいということも、他聞に漏れずサウスサイドの不良達の間ではハイな話題の中心だった。

このコンビのことは、クラブでのステージ以前に1965年に地元サウスサイドにあるレコード・レーベル”デルマーク”で録音された「フードゥーマン・ブルース」というアルバムで広く知られていた。

イギリスから海を渡ってきたロックが、親と慕うブルースを模倣して、また実際に往年のヒットチャートを賑わせていたマディ・ウォーターズ、ハウリン・ウルフ、ボ・ディドリー、そしてチャック・ベリーといったブルースの伝説たちを再び世に引っ張り出して脚光を浴びさせていた頃、彼らより若い世代のウェルズやバディは、そんな流れに真っ向から対抗するように、よりブラックなノリと勢いに溢れたR&Bから多くを取り入れ

「オレたちにしか出せない新しいブルースの音」

を、それぞれ必死で模索していた。

故に「フードゥーマン・ブルース」は、当時のロックにはないスカスカな音で、ブルースを極限まで研いで研いで、その重い切れ味で元々のブルースファンは元より、多くのロックファンに耳に斬り込んでそして虜にした名盤だ。

それからおよそ5年

ウェルズとバディはサウスサイドにあるデルマーク・スタジオにいた。もちろん久々のこのレーベルでのレコーディングをするために。

集まったのは2人の他に、シカゴでは最強のリズム・セクションとして知られていた”ジ・エイシズ”のギタリスト、ルイス・マイヤーズとドラマーのフレッド・ビロウ。当時バディのバンドでベースを弾いていたアーネスト・ジョンソン。

そしてマディ・ウォーターズの左腕として、素晴らしいピアノ・プレイと温厚な人柄で、マディのバンドにも、我の強い暴れん坊揃いのシカゴ・ブルース・シーンにもなくてはならない存在だったオーティス・スパン。

「オーティス、久しぶりだなぁ。ヨーロッパはどうだった?」

「悪くなかったね、まぁあんなもんだ」

「顔色が悪いぜ大丈夫か?」

「あぁ、ちょっとここんとこ調子が悪いんだがすぐによくなるさ。・・・はじめようか。今日はどうすんだい?」

「今日はセッションだ。普段やってるありのままの、オレ達のサウスサイドのタフなブルースだな」

「そいつはいいな」

録音マイクがオンになり、テープが周り続けているスタジオの中、男たちの談笑の声が響く。やがて誰かが楽器を鳴らし始めると、その空間には一気に緊張が走る。楽曲のほとんどはスローテンポの典型的なブルース。

しかし、異様な粘度で絡み付くリズム、重く叩き付けられるピアノ、それらに絡み付くウェルズの声とハープに緊張を溜めに溜めて一気に切り裂くバディのギター、それらの音の濃厚な存在感は、単純にスタジオでのお気楽なジャム・セッションの枠を大きくはみ出して時間と空間の中を黒々と塗りつぶしてゆく。

オーティスはこの直後に死んだ。レコーディングの時は既に肝臓をヤラレていて深刻な病状だったそうだが、あんな凄まじいプレイを目の当たりにしたメンバー達も、レコードを聴いたリスナー達も、誰もがそれを信じなかった。


真夏のベランダから夜空へ、鈍い月の光以外には何もない暗闇に、タバコの煙と追想が流れては消える。

今から45年以上前の音楽から狂おしいまでに漏れてくる異様な空気感の何とリアルなことか。









【収録曲】
1.Stop Breaking Dwon
2.I Could Have Had A Religion
3.I Just Want To Make Love To You
4.Baby, Please Lend Me Your Love
5.You Say You Love Me
6.Blues For Mayor Daley
7.I Wish I Knew What I Know Now
8.Trouble Don't Last Always


今日はちょっと趣向を変えて、文体をハードボイルド風にしてみました。

色々書いては消しましたが、このラフで凄まじくヘヴィなブルース・ジャムセッションを一言で形容する言葉は未だ見付かりません。








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2017年05月21日

バディ・ガイ フィールズ・ライク・レイン

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バディ・ガイ/フィールズ・ライク・レイン
(ソニー・ミュージック)

今やブルース界の長老として、後輩ブルースマンやロック・ギタリスト達からの絶大なるリスペクトを集めているバディ・ガイ。

元々が直情型のフレージングと、ピックを使ったアタックの強い、つまり「小手先のテクニックよりもエモーションばこーん!」なタイプでありますので、バディの場合はロック側からの人気は非常に高かったんです。

で、年代的にもストーンズの連中とかジェフ・ベックとかクラプトンとかとは、大体10ぐらいしかトシが離れておりませんので「尊敬する大先輩」というよりは「頼れるアニキ」って感じだったんでしょう。特に最近のライヴ映像なんかを観ると、ラフな格好で「やぁやぁどうもどうも」みたいな笑顔で出てきて、凄まじい弾き倒しを疲労してくれるバディを後輩達が「どうだ、アニキは凄いだろう」と、笑顔でプレゼンツしているみたいな、そんな気さくさ、フレンドリーさ、あと、インタビューなんかでの滲み出る人柄の良さに、アタシは何だか「あぁ、ブルースってとってもいいな」と思ってしまうのです。

そんな感慨は、特にバディが長い不遇の時代を経てカムバックした90年代以降のアルバムを聴いて湧いてきます。

ファンの皆さんには、シルヴァートーンからの復帰第一作「アイ・ガット・ザ・ブルース」が、名作として人気がありますが、その翌年にリリースされた2作目の「フィールズ・ライク・レイン」もなかなかいい。というよりも、ジョン・メイオール、ポール・ロジャース、ボニー・レイット、イアン・マクレガンなど、彼をアニキとしたう豪華なゲストに囲まれて、豊かに幅の広がった曲風の中で、和気藹々をやりつつも直情に火が点いたら猛烈に暴れまくる快演が聴ける、これもまた名盤でございます。

元より、ブルースマンとしては若い世代(シカゴ・ブルース第二世代とか言われておりまする)のバディは、デビュー当時からR&Bの影響を強く受けたミクスチャーなブルースをやっておりました。

この”元からあった音楽性の広さ”が、90年代には本人の感情コントロールの見事さも相俟って、実に良い塩梅で花開いておるんですね。特にロックサイドには、デカい影響を与えた側の当人が、ニコニコしながら強烈なギター・プレイをひっさげて迫ってきている感アリで、単純に「丸くなった」「落ち着いた」では済まされない凄みもあったりするんです。



(ギター・レジェンド・シリーズ)

【収録曲】
1.シーズ・ア・スーパースター
2.アイ・ゴー・クレイジー
3.フィールズ・ライク・レイン
4.シーズ・ナインティーン・イヤーズ・オールド
5.サム・カインド・オブ・ワンダフル
6.サファリン・マインド
7.チェンジ・イン・ザ・ウェザー
8.アイ・クッド・クライ
9.マリー・アン
10.トラブル・マン
11.カントリー・マン


アルバム全体の空気として「伸び伸びやって、キリッと締めてる感じ」がとても心ニクいんです♪

正統派モダン・ブルースの「シーズ・ア・スーパースター」「アイ・ゴー・クレイジー」で、まずはテンション高めの弾き倒しで健在ぶりを最高にアピールして、看板曲であります3曲目「フィールズ・ライク・ア・レイン」です。

この曲はそれまでとガラッと変わってバラード、しかもかなりキャッチーなソウル・バラードみたいな感じで、バディの声も抑揚が美しく、つい聴き惚れてしまいます。更にバックでコーラスとスライドギターの何とも優しいソロを弾いているボニー・レイットのプレイが光っております。

原曲は1988年にリリースされたシンガー・ソングライター、ジョン・ハイアットのポップス曲なんですが、コレは曲も素晴らしいですが、歌詞もいいんですよね。人生の辛酸や苦難は直接表現されていないけれども、美しい情景の中でしみじみと迫るものがある男と女の純愛を、バディが切々と、語りかけるように歌う素晴らしいバラード。

中盤から後半は、掛け合いも楽しい「サム・カインド・オブ・ワンダフル」(with.ポール・ロジャース)「チェンジ・イン・ザ・ウェザー」(with.トラヴィス・トリット)、転がるマンボ・ビートの上でギターがキュインキュイン鳴り響くイントロから、B.B.キングばりの変拍子で更にチョーキングを炸裂させる「マリー・アン」バディが敬愛するギター・スリムの、原曲にほぼ忠実な渋いカヴァーがあり、ラストは「トラブル・マン」「カントリー・マン」と、往年のキレもやっぱり衰えていない必殺のスロー・ブルースでシメ。

非常に聴き易いし、楽しい展開とグッと渋い展開の分かり易さで退屈させません。

改めて90年代のバディを聴いてると「何かブルース聴きたいな〜」というブルース初心者の方のピュアな欲求に優しく応えてくれるのはこの辺じゃないかなぁと思えてきました。とにかく最近のバディすごく良いよ。


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2017年05月17日

タジ・マハール Taji Mahal

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タジ・マハール/Taji Mahal
(ソニー・ミュージック)


さて「ブルース」といえば、今やポピュラー・ミュージックの中のひとつでありますが、一方でアフリカン・アメリカンが小さな頃から周囲の演奏を見聞きして覚え、それが自然と身に付いてゆく、或いはそれが自然と身に付く環境で生まれるものであります。

のっけからちょっと専門的な物言いですいません。えぇと、何が言いたいのかと言うと、ブルースって音楽は、ポピュラー音楽でありながら、人種のるつぼである比較的若い国アメリカに住む、アフリカ系の人々の民俗音楽みたいな側面もあるんじゃないか。ということであります。

例えばマディ・ウォーターズやB.B.キングら大御所のインタビューとかではよく

「ちっちゃい頃から綿花畑で働いてたんだ、作業をしながらみんなで唄ってたアレがブルースだったんだなァ」

とかそういう話をします。

つまりアメリカ南部で生まれ育ち、物心付いた頃には周囲の生活の中でブルースが溢れ、それを聴いてくうちに覚えてブルースが歌えたり演奏したり出来るようになったんだ。と。

1950年代ぐらいまでシーンで名を馳せたブルースマン達のほとんどは、そういったコミュニティで生まれ育ち、大人になるとシカゴやデトロイト、或いは西海岸などに移住してその地でブルースの新しいスタイルを切り拓いていきました。

で、今度はブルースが上ってきた都市部で生まれ育った世代のブルースマンになると、上の世代から教わったブルースのダイレクトな影響に、リアルタイムで流れていたヒットチャートのR&Bが加わったり、60年代になるとソウルやロックなど、コミュニティの外にあるメディアからの音楽が、黒人青少年達にどんどん影響を与えるようになるのです。

本日ご紹介するのはタジ・マハールであります。

タジは、ブルースを演りながらもその出自はいわゆるブルース・コミュニィの外にありました。

お父さんがジャズ・ピアニストでお母さんは学校で先生をしながら教会でゴスペルを唄っていた音楽一家に生まれますが、家庭は比較的裕福で、タジも学校成績がよく、何と地元マサチューセッツの大学に進学して1964年に卒業するまで獣医師の勉強をしておりました。

いわゆる「ガキの頃からブルースまみれで」といったタイプではなく、ここまではいわゆるフツーの「都会の大学生」だったんですね。

大学を卒業したタジが「とりあえずプラプラするため」に目指したのは、西海岸の大都市ロサンゼルスであります。

ここは各地からインテリ達が集まって、政治や文化芸術に関する熱いディスカッションで熱気を帯びていた街。或いは単純に”面白いこと”を求めて集まってくる、一風変わった若者達もたくさんおりました。

インテリであり一風変わった若者であったタジは、ここで似たような仲間と出会うのですが、その中の一人にライ・クーダーがおり、意気投合した二人はバンドを組みます。

元々両親の影響で、ジャズやブルースやゴスペル”も”聴いてたタジと、当時の典型的な音楽好きの白人、つまりブルースやR&Bに異様な関心を持っていたライの二人は、互いにセッションや音楽についての会話をしながら、互いの腕を磨き才能をグイグイ引き出し合っていきます。

二人が目指したのは「ブルースを思いっきり土台にした、全く新しい感覚のロック」であり、その目指すところは一定の支持を集めて二人のバンドはメジャー・レーベルと契約しましたが、せっかくレコーディングしたアルバムが何故か日の目を見ることなくバンドは解散。それぞれがソロとしての活動へと足を踏み出すことになります。

それからの二人は言うまでもなく、ライ・クーダーの方はアメリカを代表するスライド・ギターの名手として、今やロックファンでは知らぬ者はいないぐらいのビッグネームになります。

一方タジの方は、ソロ・デビューしばらく後はブルースロックをやっておりましたが、徐々に自らのルーツの探求へとのめり込み、アコースティック・ギターによるカントリー・ブルースの素晴らしさを世に広めるとともに、カリプソ(タジの父親はジャマイカ出身でありました)ハワイアンなども幅広く手掛け、今は「すげぇ渋いアコースティック・ブルースとワールドおじさん」として知られ、更に90年代以降デビューした若手ブルースマンのバックアップにも精力的であります。

アタシがタジのことを知ったのも、弾き語りカントリー・ブルースのビデオでの解説者としてです。

そのビデオの中で

「ブルースというのはこういう歴史があるんだ」

「次は誰々なんだけど、彼のスタイルはこういった感じで・・・(と、おもむろに持っているアコギを爪弾く)」

といった彼の優しく丁寧な解説は、アタシにとってもブルースの素晴らしい玄関口でありました。




(ギター・レジェンド・シリーズ)

【収録曲】
1.リーヴィング・トランク
2.ステイツボロ・ブルース
3.チェッキン・アップ・オン・マイ・ベイビー
4.エヴリバディズ・ゴット・トゥ・チェンジ・サムタイム
5.E.Z.ライダー
6.ダスト・マイ・ブルーム
7.ダイヴィング・ダック・ブルース
8.セレブレイテッド・ウォーキン・ブルース

さて、アルバムの解説に移りましょう。

タジのソロ・デビュー作は1968年のリリースであり、ラッキーなことにデビューの年にローリング・ストーンズが主催するイベント「ロックンロール・サーカス」に招かれ、好評を博してタジの名と、彼がその頃やっていた”アメリカ産の新しいブルースロック”は、イギリスのブルースファン(めちゃくちゃ気合い入ってた)やミュージシャン達に喝采と共に迎え入れられ、タジの方がストーンズやエリック・クラプトン、それからサザン・ロックの雄、オールマン・ブラザーズに与えた影響が実はものすごくデカいんじゃないかと言われております。

はい、このファースト・アルバムを聴けば、彼が如何にその後のアメリカ、イギリス双方のロックに刺激を与えていたかがとてもリアルに体感できるのでありますよ。

スリーピー・ジョン・エスティスやブラインド・ウィリー・マクテル、ロバート・ジョンソンなど、戦前に大きな足跡を残したブルースマン達の楽曲を大胆にロック・アレンジのバンド・サウンドでガツーンと演奏しているんですが、コレが実にけれん味がなくて、すごく真摯な感じに演奏されております。

タジはギタリストとしても優れた腕の持ち主ですが、ここではリードギターのほとんどを、ジェシ・エド・デイヴィスに任せ、サイドギターを実はしれっと「RYLAND P.COODER」という名前(多分本名?)で参加しているライ・クーダーとビル・ボートマンに任せ、自分は実に渋いヴォーカルとブルースハープに洗練しています。

1曲目からいい味出しているタジのハープ、すごく味わい深くてコレだけでグッとディープなブルース感が出ているんですけど、演奏の中心になっているのはジェシ・エド・デイヴィスのリードギター。

チョーキング炸裂のスクィーズ・ギターもスライドも、厚みのある豊かなトーンでグイグイ攻めるように弾いております。ここでの彼のプレイは「ブルース弾くロックの人のベスト」と言っていいでしょうね。うん、言っちゃう♪

アルバム全体が活力のあるへヴィ・ボトムなブルースロックの教科書みたいな、素晴らしい作りであり、コレ聴いて夢中でコピーした同年代のロッカーはいっぱいいただろうなと思います。

例えば「スティツボロ・ブルース」は後のオールマン・ブラザーズの人気曲ですが、そのアレンジの原型をここに見ますし(ジェシのスライドもギュインギュイン唸ってますよー)、「E.Z.ライダー」「ダイヴィング・ダック・ブルース」は、ジョニー・ウィンターがそれぞれこのアルバムのアレンジをモロお手本にした演奏を残してます。



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2017年05月14日

ケブ・モ ジャスト・ライク・ユー

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ケブ・モ/ジャスト・ライク・ユー
(ソニー・ミュージック)

ギターにすっかり夢中になっていた高校時代、友達の家で観てすっかりハマッた映画がありました。

皆さん「クロスロード」という映画、ご存知ですかね?



ギター少年が、ふとしたことがきっかけで、かつてロバート・ジョンソンと一緒に演奏したこともあるブルースマン”ウィリー・ブラウン”と出会い「ロバート・ジョンソンの幻の曲を探しに行く」ほいでもってクライマックスではロバート・ジョンソンが魂を売ったという”悪魔(フツーに金持ちそうな黒人の男性)”と、その手下である超絶技巧のギタリストと勝負とかもしたり、もう夢や希望に満ち溢れている面白い映画です。

”ウィリー・ブラウン”の役が、ホンモノのブルースマンであるところのフランク・フロストだったり、悪魔の手下の超絶ギタリストが、当時ギター小僧の憧れのスティーヴ・ヴァイだったりと、そういう見所なんかもいっぱいあって、これは今でも楽しめるし、安くで売ってますんでぜひDVDを買ってください。

で「クロスロード」もう夢中で観てたんですが、アタシが一番心惹かれたシーンはクライマックスのギターバトルじゃなくて、オープニングのコレ↓



「すげーなこの役者さん、ロバート・ジョンソンそっくりだ。つうかアテレコだとは思うんだけどね、この演奏は誰がやってんだろう」

と、そこから数年、アタシにとってはそれこそ幻のロバート・ジョンソンを探すような気持ちで、このオープニング映像の”主”を探していたもんですが、長年に渡るリサーチの末に(してない)この人がケブ・モという、最近(当時1994年)デビューしたブルースマンで、何とあの映像は本人自身の唄とギターによるものなのだという衝撃の事実にブチ当たりました。

90年代初頭までは「ブルースの若手」といえば、シカゴ・ブルースとかB.B.キング系のモダン・ブルースに影響を受けた、要するに「チョーキングぎゅいーん系」の人たちがほとんどだったんですが、90年代半ばぐらいからロバート・ジョンソン・ブーム、そしてMTVアンプラグド・ブームが後押しして、戦前のカントリー・ブルースや、南部のダウンホーム・ブルースをスタイルとして取り込んだ、アコースティックなブルースマン達が”新人”として次々デビューしてきたんですね。

で、ケブ・モは、その先陣を切ってシーンに躍り出た、アコースティックな表現を基本にしているブルースマンでした。

1994年にリリースされたファースト・アルバム「ケブ・モ」は、彼が恐らく最も影響を受けたであろうロバート・ジョンソンや、その他の戦前ブルースのエッセンスを、単なる懐古趣味で終わらせない現代的なシャープさや、アコギを中心にクールなアレンジが施されたハイ・センスな演奏で見事現代に蘇らせた名盤です。

”若手”といっても1951年生まれのケブ・モは、94年の段階で既に分別盛りの40代であり、最初スティール・ギター奏者として細々と活動を続けながら、30歳を過ぎて本格的に音楽で食っていくことを考えて、ブルースの世界へ飛び込んだ人です。

その才能を見出したのは、西海岸を拠点にするアメリカを代表するサイケ・バンド”ジェファーソン・エアプレイン”のヴァイオリン奏者、パパ・ジョン・クリーチであったと言われており、そのジェファーソン・エアプレインというバンドの人達は、バンド名を戦前テキサスブルースの巨人ブラインド・レモン・ジェファソンから取っている事から分かるように、全員が気合いの入ったブルースマニアであります。

「だから何?」と言われるとちと困りますが、つまりケブ・モはそういう気合いの入ったブルースフマニアの耳をして

「おみゃーはホンモノだで、人のバックでやるより自分でギター弾いて唄った方がええがや」

と、言わしめるぐらいの実力とフィーリングの持ち主であったんですね。

果たして43歳で遅咲きのデビューを果たしたケブ・モには、単なる戦前ブルースのコピー野郎で終わらない、幅広くそして深い音楽の蓄積があり、デビュー・アルバム「ケブ・モ」は、アコースティックなサウンドを基調に、カントリー・ブルース、モダン・ブルース、ブルース・ロック、ソウル、R&Bなどのあらゆるルーツ・ミュージックを無理なく無駄なく取り込み、成熟された味わいで多くのファンを魅了しました。ブルースのアルバムとしては異例のスマッシュ・ヒットにもなりまして、

「このケブ・モって人は素晴らしい、ブルースの枠に留めずに、現代の打ち込みやサンプリングに頼らないピュアなR&Bのアーティストとして評価されるべきだ」

という声があちこちで沸き上がり、その2年後にリリースされたセカンド・アルバム「ジャスト・ライク・ユー」は、果たしてそういった内外の声に応えるかのような、ナチュラルなブラック・ミュージックの集大成的な仕上がりとなっております。




(ギター・レジェンド・シリーズ)
【収録曲】
1.ザッツ・ノット・ラヴ
2.パーペチュアル・ブルース・マシーン
3.モア・ザン・ワン・ウェイ・ホーム
4.アイム・オン・ユア・サイド
5.ジャスト・ライク・ユー
6.ユー・キャン・ラヴ・ユアセルフ
7.デンジャラス・ムード
8.ジ・アクション
9.ハンド・イット・オーヴァー
10.スタンディン・アット・ザ・ステーション
11.ママ, ホエアーズ・マイ・ダディ
12.最後の勝負も勝ち目なし
13.ララバイ・ベイビー・ブルース
14.テイク・イット・アウェイ


実は、アタシが個人的に最初に手にしたケブ・モのアルバムがコレでして、本当に思い入れのある一枚なんです。

最初はやっぱり「クロスロード」のイメージで、こらもうロバート・ジョンソンばりの、渋い渋いアコースティック弾き語りだとしか思ってなくて、もちろんアコースティック・ギターは弾きますし2曲目「パーペチュアル・ブルース・マシーン」とか6曲目の「ユー・キャン・ラヴ・ユアセルフ」のように、モロ戦前の空気を纏ったカントリー・ブルースもありましたが、実際にメインになっているのは、彼自身の野太く震動力(っていうのかしらん)に溢れた声を全面にして、ギターは乾いたバンド・サウンドの中で、あくまでそっと声に寄り添うように弾かれているナンバーでした。

そのフィーリングは表面的な戦前ブルース、カントリー・ブルースをなぞってなくて、もっともっと深い、奥底に染み付いている部分から、例えばサザン・ソウルやカントリーなんかを通して、まだ見ぬアメリカ南部の、どこまでも”生”な空気をスピーカーから放っているようで、色々と細かいことをごちゃごちゃ頭で考えていたアタシの期待を、良い意味でスカーンと飛ばしてくれたのです。

で、ロバート・ジョンソン好きな方は「最後の勝負も勝ち目なし」がしれっとアルバム後半に収録されているのお気付きだと思いますが、コレもアレンジは全く違っています。でもこの”違い”が、嬉しくなるアレンジなんです。ロバート・ジョンソンと同じくアコギでスライドやってますが、何というか胸にジーンとくるんですよ、ミシシッピ川の河口が見えてきよるんです。




”ブルース入門編 〜初心者のための優しいブルース講座〜”

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