2019年04月24日

ジェシー・フラー フリスコ・バウンド

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Jesse Fuller/Frisco bound
(Arhoorie)


ブルースという音楽は、その100年の歴史の最初の30年ぐらいのうちに、徐々に形を整えていきました。

初めてブルースがレコードに録音されて人々の耳に届いた頃の1920年代という時代は、それこそ演奏する人歌う人が、それぞれ思う「これがブルースだ」というスタイルがあり、それがまたゆっくり弾かれたりガツガツとリズムを強調してワイルドに弾かれたり、例えば同じ曲を同じコード進行でやるにも、それぞれ違った解釈の演奏が楽しめて、良い意味で実に自由なんです。

加えて、古い世代のブルースマン達は、形式としての”ブルース”だけを歌うのではなく、ブルース以前のどちらかといえばフォークとかカントリーとかに近い感じのバラッドと呼ばれる民謡や、スピリチュアルと呼ばれるゴスペルの原型の曲、はたまたフィドル(ヴァイオリン)やバンジョー、マンドリンといったちょいと変わった楽器などもバックに付けたり、歌ってるのは思いっきりブルースなのに、コルネットやクラリネットを加えてのジャズ・アレンジ(そう、昔のジャズは戦後ほど複雑ではないので、ブルースとも自然と合うのだ)もやったり、何もかもが戦後のエレキギター+ベース+ドラムスのようなバンド形式のブルースとは、何もかもが違う感触だったりもするんですが、アタシなんかはそこに何とも言えない本質的なアナーキーさを感じたりしておるんですよ。

で、本日ご紹介するジェシー・フラーです。

ブルース聴き始めの頃にガイドブックに書かれていた

「12弦ギターとハーモニカとカズーと自作の足踏みベースを同時に操る」

という一文に、意味不明の凄味を感じ、更に意味不明な演奏写真を見て、アタシ一目惚れしたブルースマンです。


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見てくださいこの写真(!)


「12弦ギターとハーモニカとカズーと自作の足踏みベース」

どころか、左足の所にはドラムセットに付いてるハイハットらしきものまであって更に訳が分かりません。


何でこういう訳のわからんスタイルになったのか?という問いへのジェシーさんの答えがまたいい。

「バンドでやりたかったけど、一緒にやってくれるヤツがいなかったんだ。だから自分で全部やることにしたんだ」

おお、これぞDIY!アタシの大好きな初期ハードコアのスピリッツではないですか(!!)


しかも、このジェシーさん、1896年頃の生まれで、さっき言った「自由でアナーキーなブルース誕生初期」の空気を肌で身に付けているお人。

戦後のフォーク・ブルース・リヴァイバルの中で発見されて、本格的なミュージシャン活動をして若者に大人気になった人。

本格的な活動を始まる前は何をやっておったのかというと、南部ジョージアで生まれて、何か楽しそーだなという理由だけで、南部一帯を巡る旅芸人一座やサーカスに付いて回り、そのまんま一座の演奏家になったんですね。

こういう一座の演奏家ってのはアレです、客からブルースやれと言われたらブルースやるし、ノリノリの流行歌と言われたら当然やるし、ラグタイムやってくれと言われたらラグタイムをやる。つまり自然と持ち歌も芸の幅も増えて物凄い名人になっていくパターンが多いんです。

その芸の凄さについては後程言及しますが、とにかくジェシーさん、旅回りをしているうちに西海岸のサンフランシスコが気に入ってそこに住み着きます。

西海岸といえばハリウッドという巨大映画産業のある映画の都であります。

根っからの芸人ですから、まぁそういうのにのっかって食い扶持を得ようと思ってた訳です。

という訳でジェシーさんは

「えぇと、人が集まる所で歌えばいいんだな」

と、割とカラッと考えて、撮影所の前で靴磨きをしながら芸人としての自分を売り込むための商売を始めます。

撮影所に出入りする有名スターや業界のお偉いさんに

「旦那、いい靴を履いてますね。あっしが磨きやしょう」

と、声をかけ、靴を磨いている最中に

「いえね、あっしも実はここに落ち着くまでずっとサーカスと一緒に旅してましてね」

とやる訳です。

ついでに

「お望みの曲があれば何でも歌いやすぜ、ギターも弾きましょう、ハーモニカだって吹ける。おっと、こんなところにたまたま偶然ギターが!」

とやってるうちに


「お前面白いやつだなぁ、オレは気に入った」

と、戦前の大スターであり、脚本家プロデューサーとしても超大物だったダグラス・フェアバンクスという人に目をかけられて可愛がられ、何と映画にまで出演してしまいます。

やったぁ!これで俺もハリウッドスター

・・・という風にはなりませんでしたが”ギターと何でも一人で演奏する芸人”としては徐々に知られるようになり、1950年代にはクラブなどでの仕事もぼちぼち入るようになっておりました。

ラッキーなのは、この時代のサンフランシスコという街が、時代に反抗する若者達のカウンターカルチャーの聖地であり、その中でルーツ・ミュージックに対する再評価の機運が盛り上がって来たこと。


白人の若者の間では、ジェシーさん達が当たり前に歌っていた南部の古い民謡が「フォークソング」と呼ばれる新しいトレンドとなり、ジェシーさんのような人は彼らの尊敬の対象になり、若者が集うカフェや大学のコンサートに引っ張りだこになってレコードも録音できるようになります。





Frisco Bound


【収録曲】
1.Leavin' Memphis, Frisco Bound
2.Got a Date at Half Past Eight
3.Hump in My Back
4.Flavor in My Cream
5.Finger Twister
6.Just Like a Ship on the Deep Blue Sea
7.Cincinnati Blues
8.Just a Closer Walk With Thee
9.Motherless Children
10.Amazing Grace
11.Hark from the Tomb
12.As Long as I Can Feel the Spirit
13.I'm Going to Sit Down at the Welcome Table
14.Together Let Us Live
15.Memphis Boogie
16.Footdella Stomp
17.Crazy About a Woman
18.99 Years
19.Stranger Blues
20.Bill Bailey, Won't You Please Come Home
21.Preacher Lowdown
22.San Francisco Bay Blues


ジェシーさんは、南部に住む伝説のブルースマン達が再発見され、レコーディングをするのに先駆けて、1950年代に何と2枚のアルバムをリリースし、76年に亡くなるまで、結構な量の作品を残しています。

そのどのアルバムでもバラッド、ブルース、スピリチュアルなどを自由自在に歌い、弾き、吹き、叩く究極の”ひとりバンドスタイル”の至芸が楽しめるんですが、個人的にアタシの思い入れがあるアルバムは、1968年にアーフーリーからリリースされた『フリスコ・バウンド』です。

あのですねこの人が作った曲で『サンフランシスコ・ベイ・ブルース』という曲があるんです。

エリック・クラプトンがアンプラグドでカヴァーして有名になり、アタシもクラプトンのヴァージョン最初聴いた時うひょうと喜んだクチなのですが、実はアタシが最初に聴いて感激したのがジャニス・ジョプリンが2枚組のアルバム『ジャニス』で聴いた彼女のデビュー前のアコースティック・セッションのヴァージョンで、ほいでジャニスで知ってクラプトンを聴いた後にオリジナルが入ってるぞということでこのアルバムを買いました。

やや鼻をつまんだような素朴な声で、12弦ギターをチャカチャカ鳴らし、おもむろに軽快なハーモニカやカズーを吹く。何というか美しい”土着”を感じさせる原曲のカッコ良さには素直にヤラレましたが、ここへ至るまでの収録曲21曲がまぁ凄いんです。

リズミカルなラグタイムやスライドギターで奏でるブルース、カントリー調のバラッドなどなどなど、大体こういう”ひとりバンド”の人ってのは同時に色んな楽器をやるもんだから、ギターはシンプルなぶんちゃかのコードストローク一発で全曲通しそうなもんですが、まぁ何をどうやってるのか、よくよく聴くとぞれぞれ違うスタイルの曲で、細かくアプローチを変える、相当なテクニシャンぶりも発揮しております。

それでいて全体的に「ほんわかで賑やかで楽しい雰囲気」を醸せるのは、やはり長年の芸人生活で身に付けた凄味というものでしょう。ブルースは大好きですが、この人を「ブルース」という狭い枠で語るのは、何だかもったいない気がします。















(一人で同時に色んな楽器を演奏するワンマンバンドスタイルといえば、ジェシーさんとはまるでスタイルの違う、ロッキンなこの人もお忘れなく!)



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2019年04月19日

オーティス・スパン ウォーキング・ザ・ブルース

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オーティス・スパン/ウォーキング・ザ・ブルース
(CANDID)


さてさて、前回『オーティス・スパン・イズ・ザ・ブルース』を紹介したら、いやもうすっかりいい感じにアタシ酔ってしまいましてね〜♪





「いや、おめぇ酒飲めねぇじゃねぇか」

なんてツッコミはナシでお願いしますね〜、酒は一口入れただけで後ろにそのまんまひっくり返ってしまうんですが、だからこそ音楽で酔っぱらうって感覚を大事にしていますんで、えぇ。

まぁそれはどうでもよろしい。

『オーティス・スパン・イズ・ザ・ブルース』は、それまでマディ・ウォーターズの寡黙なサイドマンとして、その最強のバンドサウンドの中で重厚な存在感を放っていた名ピアニスト、スパンがソロ・アーティストとして世に出るきっかけとなった1960年のキャンディッド・セッションなのですが、実はこのセッションには続きがあります。

それが本日ご紹介する『ウォーキング・ザ・ブルース』であります。

これがまた、スパンのピアノとロバート・ジュニア・ロックウッドのギターの素晴らしさを、とことん無駄のないアレンジと生々しい臨場感で味わえる、前作と全く変わらないテンションの演奏なので、はい、こちらもオーティス・スパンを聴いてみたい、いや「ブルースのピアノで何かいいのないの〜?」って人には、1も2もなく絶対の自信を持ってオススメ出来る素晴らしい作品です。

実際、店頭でCDを売っていた頃、このアルバムはなかなかの頻度で売れました。

大体お店がヒマな午後1時から3時ぐらいの時間にボケーっと流していたら

「今かかってるの何ですか?」

と、お客さんに尋ねられて売れるパターンと

ジャズやブルースに興味がありそうな若いお客さんが、しばらくジャケットをじーっと見て

「・・・あの、これどんな感じですか?」

とおもむろに尋ねて、やっぱり試聴して

「これはヤバいですねー!」

と、喜んで買っていくパターンとがあったんですが、どちらのパターンもお客さんは

「ブルースはそんな知らない、オーティス・スパンは名前すら聴いたことがない」

という方ばかりでした。


色んな人が「ブルース」と聞いたら思い描くそれぞれのサウンドってのがあると思うんですが、スパンとロックウッドのデュオが醸す

「ピアノとギターが間合いや隙間を活かしながら無駄なく存分に歌ってて、かつヴォーカルに何とも言えない渋い味わいがある」

この感じが、多くの人が思う

「これがブルース!」

という理想にピッタリと合ったんだと思います。


現にアタシなんかも

「一番好きなブルースのスタイル」

といえば、時代や編成(アコースティックorエレキ)を問わず

「何だか行き過ぎやり過ぎのぶっこわれスタイル」

だったりするんですが、ここでのスパンとロックウッドの「言葉より語る深いやりとり」を聴くともうグゥの音も出ない。

もし、この2人のレコーディングの現場にアタシが居たとしましょう。

で、演奏の後にスパンかロックウッドに

「小僧よく覚えとけ、コレがブルースだ」

と言われたら、はいはいそうでございます、これ以上にブルースな音はそうありません。と、直立不動で答えることでありましょう。


それぐらいブルース。


2人は言うまでもなくこの時代の一流の演奏家であり、こと”フレーズのやりとり”に関しては(特にロックウッドの方は)かなり高度な事をやっています。

しかし、二人のやりとりは高度でありながら、その練りに練られたフレーズから、難解さや理屈っぽさはむしろ積極的にそぎ落とし、持てる技術やセンスの全てを「音そのものにどう魂を込めるか」みたいな事に注ぎ込んでおるかのようです。

とにかくもうスパンのピアノの強烈なアタック、歌のバックでも間奏でも「ここ!」という時に感情剥き出しの「ガガガ!ガガガ!」という3連譜を、何もかもかなぐり捨てて鬼のようにぶっこんでくる場面では『オーティス・スパン・イズ・ザ・ブルース』同様したたかに側頭部をヤラレる上に問答無用で鳥肌まで立たせられます。




Walking the Blues


【収録曲】
1.It Must Have Been The Devil
2.Otis Blues
3.Goin' Down Slow
4.Half Ain't Been Told
5.Monkey Face Blues
6.This Is The Blues
7.Can't Stand Your Evil Ways
8.Come Day, Go Day
9.Walkin' The Blues
10.Bad Condition
11.My Home Is In The Delta

そして、この一連のキャンディッド・セッションは、ロバート・ジュニア・ロックウッドにとっても、世間には初めて「ロバート・ジュニア・ロックウッドという凄いヤツがいる」と知らしめるきっかけになったセッションなんです。

ロックウッドが16歳の頃、シングルマザーだった母親に恋人が出来たんですな。

それがかのロバート・ジョンソンで、二人は「歳の近い親子」というよりは、まるで兄弟のように親しく接していた。

で、他人には警戒して演奏中の指の動きも見られるのも嫌がったロバートだけど、ロックウッドには「ちょいと来い、あの曲はこうやって弾くんだ」と、直接ギターの手ほどきもしたといいます。

そんな訳でロックウッドという人には何かと「ロバート・ジョンソンの義理の息子」という形容が付いて回ります。

晩年には真面目に訊かれさえすれば、ロバート・ジョンソンの事や、彼から受けたギターの影響なんかの話も丁寧に答えていたロックウッドではありますが、若い頃は同郷の先輩後輩の多いシカゴで「ロバート・ジョンソンの」と言われてもてはやされるのを嫌がり、その事に関しては一切口にも出さず、また、ソロ・ミュージシャンとかバンドリーダーとか、そういう目立つポジションにいるとやっぱりロバート・ジョンソンの義理の息子という出自に注目が集まりそうだったので、サイドマンとして目立たず活動してたんだとかいう話もあります。

そんなロックウッドが、眠れる巨人として初めて立ち上がり、バンド編成ではないデュオで、ソロにバッキングにと縦横無尽にそれまで培ってきたサポートギターの至芸を、主役と対等のボリュームで発揮しまくる(!)

1960年といえば、B.B.キングの影響を受けた若い世代のブルースマン達が、如何に派手なソロで聴く人を圧倒するかを競っていた時代。

そんな時代に「ブルースギターってのはな、押しだけじゃねぇんだよ」とばかりに、押し引き両方で聴く人を引き込んで圧倒するギター。いやもうギターをやっている人がこんなプレイを聴かされたらたまったもんじゃないですね。だって歌やピアノのバックに回っても、前に出てる音を一切邪魔しないで完璧に「このギターがないとこれは成り立たない」というプレイを軽々と披露するんですもの。


最後にこのアルバムでのみ、ゲスト・ヴォーカルとして4曲でセントルイス・ジミーという人が参加しております。

この人は戦前にスパンの大先輩であるピアニスト、ルーズヴェルト・サイクスとコンビを組んでヒットを放った人なんですが、程良く力の抜けた、いい感じに酔っぱらったようなヴォーカルが、緊張感溢れる2人のプレイと見事な対照となっていてとっても良いのです。

つうか3曲目の『ゴーイン・ダウン・スロウ』が素晴らしいですね。ほへ〜んとマイペースに歌ってるセントルイス・ジミーのバックで暴れまくるスパンのピアノ。鍵盤を叩き付け、掻きむしり、転がしまくるオブリガードをガンッガンに畳み掛けてくるんだけど、全体がこれ以上バランスが崩れたら音楽として崩壊するギリギリで持ちこたえて最高の演奏になっている。ブルースって何だ?これがブルースだ。



(その昔サウンズパルでこのアルバムをお買い上げ頂いた高野雲さんもいい感じにレビューしてくれてます、興味持たれた方はぜひコチラも読んでくださいね♪↓)
http://cafemontmartre.tokyo/music/blues/walking_blues/








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2019年04月17日

オーティス・スパン・イズ・ザ・ブルース

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Otis Spann Is The Blues
(Canded)


さあさあ、ブルース・ピアノの極上の煮汁が染み出る名コンピ『ブルース・ピアノ・オージー』を先日はご紹介しましたので、今日はせっかくだからその大トリを飾ったオーティス・スパンを勢いで紹介しちゃいます。

(昨日の記事はコレよ〜!↓)



オーティス・スパン。ブルースをよく知っている人ならもちろん知ってる。そんなに詳しくないよって人でも、実はブルースを聴く過程で、多分最初に出会う率ってのは凄く高いピアニストなんじゃないかと思います。

そう、ブルースといえば、戦後生まれの多くのブルースマン達、またはブルースに大きく影響を受けた黎明期のロック・ミュージシャン達が「リスペクトする人物」として必ず名前を挙げる、戦後シカゴ・ブルースの王者でマディ・ウォーターズという人がおります。

戦前の南部ミシシッピ・デルタの泥臭さや強烈なタメのビート感はそのままに、エレキギター、ピアノ、ハープ、ベース、ドラムスという基本編成のバンド・サウンドを先鋭化させることによって、それまでの

『都会のブルース=軽快で洒落た感じorホーンが揃ったビッグバンド形式のゴージャスなやつ』

という図式を見事ひっくり返したコアなサウンドを、大都会シカゴで響かせました。

はい、そのマディのバンドで、彼の忠実な左腕としてサウンドを支えたピアニスト、またはマディの所属するシカゴの名門チェス・レコードのスタジオ・ミュージシャンとして、黄金期シカゴブルースの名盤の数々にも参加しているのがオーティス・スパンなのであります。

ロック経由でブルースに興味持った人のパターンとして

「ブルース聴きたいな」

「やっぱりマディ・ウォーターズだな、ローリング・ストーンズがめちゃくちゃリスペクトしてる人らしいし」

「シカゴ・ブルースといえばチェスだよね」

「よし、チェスのマディ聴こう!」

というのがありまして、マディ・ウォーターズのチェス盤、つまり1950年代の初期マディのアルバムを聴いて、そこでオーティス・スパンのピアノ・プレイも自然と耳にするんです。

アタシもブルースとかよくわからん時に親父に「コレを聴け!」と貰ったマディのアルバムを聴きながら、スパンのピアノにも自然と親しんでおりました。


スタジオ・ミュージシャンが”主な稼ぎ”だったスパンは、マディのバンドではサイドマンとして黙々とピアノを弾いております。

派手に音を敷き詰めて、聴く人をアッと言わせるソロで驚かせるような奏法とは真逆の、シンプルなリフをひたすら刻んだり、ヴォーカルの隙間にコーラスのような絶妙な合いの手を入れたり、音数は少ない。けどその鍵盤を叩く指のアタックのパワフルなことパワフルなこと。

それも押しの一手ではなく、ガツッと叩き付けたかと思えば滑らかなメロディを芯を失わずに美しく紡いでゆく。単純に”弾くテクニック”云々じゃあなくて、まず歌ありきのブルースという音楽で、しっかりと歌をうたってる。つまりアタシの思うブルース・ピアノの理想が最初からそこにあるような気がした。

マディのブルースは独特の”間”が多く、まだパンクとかメタルとかの、ギンギンの音数とスピード感のある音楽に興奮してた十代のクソガキだったアタシの耳にも「このピアノはなんかよーわからんけど深い!」と思わせる、有無を言わさない説得力みたいなものがたぎってるような演奏でしたし、今も彼のピアノがチョロッとなるだけで条件反射でそう感じてしまいます。

抜群のコンビネーションを見せるマディには「オレの弟だぁ」と呼ばれていて、マディは周囲にもそう紹介してたようで、資料によっては年下の従兄弟と書かれてたりしますが、そこんとこはどうなんでしょ?と思っておりますが、確かにマディ独特のタイム感に”合わせる”ではく”自然に寄り添っている”感じのするプレイには、単なるミュージシャンとしての相性を越えた強い絆も感じてしまいますね。







Is the Blues

【収録曲】
1.The Hard Way
2.Take A Little Walk With Me
3.Otis In The Dark
4.Little Boy Blue
5.Country Boy
6.Beat-Up Team
7.My Daily Wish
8.Great Northern Stomp
9.I Got Rambling On My Mind #2
10.Worried Life Blues


1947年、17歳の時にミシシッピからシカゴへ出て来て、昼間は左官職人として仕事をしながら夜になるとピアノが弾ける場所でその凄腕を披露したスパン。実はお父さんがミシシッピではちょいと有名なピアニストだったらしく、小さい頃からピアノ演奏のいろはと音楽理論の基礎は叩き込まれておったようです。

50年代になるとマディのバンドに加入。若干ハタチそこそこで既にベテランのような貫禄と存在感で、マディのバンドにはなくてはならないメンバーになり、同時に当時新興だったチェス・レコードの専属ピアニストとしても頭角を現し、先も言ったように黄金期シカゴのバンド・ブルースを代表する数々の名盤に参加します。

ここでスパンは、スタジオ・ミュージシャン仲間として、ロバート・ジョンソンの義理の息子、ロバート・ジュニア・ロックウッドと出会います。

ロックウッドはギタリストでしたが、派手に前に出るタイプではなく、リーダーとの絶妙な間合いの測り方、音楽理論に裏付けられた効果的なリフやバッキングの組み合わせ、バンド全体をうねらせるグルーヴ感を武器に、これまた多くの名盤の誕生に貢献した職人肌の天才です。

チェスはあくまで彼らをスタジオ・ミュージシャン/目立つリーダーのサイドマンとして使っておりましたが、1960年代に

「オーティス・スパンとロバート・ジュニア、アイツらはタダのサイドマンじゃないよ、プロデュース次第ではリーダーとしても立派に出来る奴らだよ」

と、その才能を評価してリーダーアルバムの作成に燃える男がおりました。

気鋭のジャズ評論家であり「商業主義とは一線を画し、真にミュージシャンの表現欲求に応えるレーベルを!」という硬派なコンセプトを持つジャズレーベル”キャンディッド”の発起人でもある、ナット・ヘントフです。

ヘントフはスタジオにスパンとロックウッドを招き、ほぼ二人の声と楽器だけのアルバムを、初リーダー作としてレコーディングしました。

いずれも似た職人タイプのミュージシャン、恐らくヘントフは二人の実力を信じてスタジオで「自由にセッションしていい」とだけ指示したんでしょう。

おもむろに鳴らされるピアノ、それに乾いた情緒で見事絡みつくギター。

必要最小限の編成で、必要最小限の音をフルに使って見事にグルーヴする二人の演奏は、言うまでもなく極上であり、どこを切り取っても「これぞブルース!」と惜しみなく絶賛したくなる味わいと秘めた凄味のカッコ良さに満ち溢れております。

スパンとロックウッド、それぞれ交互にヴォーカルをとるんですが、スパンのハスキーで包容力のある声がまたいいんです。

このアルバムと一緒に酒を飲めば酒が美味くなる。誰かが「ブルースって会話みたいだな〜」と言ってたけど、これはブルースを極めた2人のホンモノによる、どこまでも深い会話です。






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2019年04月16日

ブルース・ピアノ・オージー

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ブルース・ピアノ・オージー
(Delmark/Pヴァイン】


大体アタシが金持ちだった事などないんですが、ハタチぐらいの頃はそりゃもう貧乏でした。

社会というものに放り出されたてホヤホヤの時期で、真面目に正社員の職なんてやっておる訳がないのですが、それでも自活するために仕事をせにゃあならん。


でも、元来が不器用なにで、自分が好きな仕事というよりは出来る事しか仕事に出来ません。

というわけでどこかレコード屋さんのバイトなんかないだろうかと、埼玉から東京エリアをあちこち物色してたんですね。

そんで運良く東京は中央線沿いにあるレコード屋さんに潜り込む事が出来ました。

フリーターというやつなんでしょうが、家業もCD屋だし、修行するには丁度いいなんて偉そうにしてました。

まぁそれでも最初のうちはそれ1本で自活するにはもう爪に火を灯すような生活をせざるを得ません。

何にせよ東京でカネがかかることといえば移動のための電車賃であり、一人暮らしでカネがかかるといえば、食費と光熱費でございます。

ここはとことん切り詰めました。

ほいでもって皆さんもそうだった(今、そうである)と思うんですが、ハタチなんて年の頃はレコードとかCDとか本だとかが一番欲しい時期ですよね。

しかもアタシの場合は職場がまずレコード屋で、駅前にある職場と、その駅の反対側にあった自宅アパートの間に、いい感じの古本屋があって、しかもここが丁度仕事が終わる頃の時間帯から表にワゴンを出して¥100〜¥300のセール品を放出する良心的なお店ときた。

月に何冊かセール品の古本(主に音楽本と哲学本と現代詩本)を買い、月に何枚か切実に欲しいCDやLPを、泣く泣く厳選に厳選を重ねて買う訳なんですが、買う訳なんですが、知識が増えると欲も増えるというのは本当で、知ってる事と「こんなのもあるんだ!」という新鮮な”知らない事”が増えると必然的に欲しいものが多くなってくる訳なんですよ。


そこでアタシはどうしたかというと、オムニバス盤を買いまくりました。

特にブルースは「この人知らない!」のオンパレードでしたので、まずは色んな人の音源がたくさん聴けるオムニバスを買って知ってみようと、個別のアルバムはそこで気に入った人のを買えばよろしかろうと。

それが結果的には泥沼への第一歩ではあったんですが、まぁ何せオムニバスというのは中古では単体アーティストのアルバムより常にちょいとだけ安かったりしたし、実際に重宝したんです。

とある日に国立のレコード屋さんで、ジャケットがすこぶるカッコいいレコードを見付けた。

それが1960年代のピアノ・ブルースマン達の名演を集めた『ブルース・ピアノ・オージー』でありました。

「オージーって何だ?オーストラリアのブルースか?まぁいいや、オーティス・スパン入ってるしジャケかっこいいしこれは買いだべ」

と、なけなしの¥980をはたいて中古の「ジャケットややスレあり」のレコードを買ったんです。



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【収録曲】
(スペックルド・レッド)
1.ブルース・ハート・マン・トング・トゥ・トーク
(ルーズヴェルト・サイクス)
2.ドレッサー・ドロワーズ
3.コンセントレーション・ブルース
4.キッキン・モーター・スクーター
5.(ニュー・イヤーズ)レソリューション・ブルース
(サニーランド・スリム)
6.マイ・ベイビーズ・カミン・ウィズ・ア・マリッジ・ライセンス
7.プア・ボーイ
8.エヴリ・タイム・アイ・ゲット・トゥ・ドリンキン
9.ディープレッション・ブルース
(リトル・ブラザー・モンゴメリー)
10.スタンダール・ストンプ
11.トレンブリン・ブルース
12.ノー・スペシャル・ライダー
13.ベース・キー・ブギー
(メンフィス・スリム)
14.ファイヴ・オクロック・ブルース
15.ナット・ディー・スペシャル
(カーティス・ジョーンズ)
16.ロンサム・ベッドルーム・ブルース
17.テイキン・オフ
18.ティン・パン・アレィ・ブルース
(オーティス・スパン)
19.スリー・イン・ワン・ブルース


ブルースっていえば大体がギターです。

中学の頃からぼちぼち聴いてはおりましたが、ロバート・ジョンソンにマディ・ウォーターズにミシシッピ・フレッド・マクドウェルにレッドベリーにブラインド・レモン・ジェファソンにバディ・ガイに・・・。と、十代までのアタシが知ってたブルースマンもまた、大体がギタリストでした。

でも、ピアノもカッコイイよね。ピアニストって誰がいたかな?リロイ・カーだね、リロイ・カーはいいぞ、ハウロング・ブスースだ。あとは・・・えぇとほら、マ、マディ・ウォーターズのバンドの舎弟頭みたいな・・・渋いけどすごく存在感のある・・・あのニューポートのライヴで最後に歌ってた・・・そうそうオーティス・スパンね。あとはえぇと・・・し、しまった、ほとんど知らんぞ。これは一大事、困ったもんだ。

というのがその頃のアタシの正直な心境でしたので、じゃあピアノ・ブルースを知って楽しむために何かを聴きましょうと、想い焦がれていたところにこのアルバム(というかジャケット)は、正に天啓でありました。


内容に関しては言わずもがな!戦前から戦後にかけて活躍した、ブルース・ピアノのえりすぐりの名手、ホント「ブルース・ピアノ」というタイトルでコンピを作るとしたら、絶対にハズせないメンバーで固めた凄い人選ですが、この凄い人達の音源を、このシカゴのマイナーレーベルだったデルマークが全部自前でレコーディングしてたってことでしょ!?と、内容とは別にデルマークというレコード会社のブルース愛にもシビレてしまいます。


まずは1曲目、ブギ・ウギ・ピアノの名人として、ブルース/ジャズ両方のファンをとりこにするスペックル・レッドのユルめのブギウギと力強いヴォーカルの『ブルース・ハート・マン・トング・トゥ・トーク』にド肝を抜かれ、戦前から両巨頭としてブルース・ピアノの王道の両横綱であったルーズヴェルト・サイクスとリトルブラザー・モンゴメリーの深い味わいが後からジワジワと染みてきます。

それから戦前南部〜戦後シカゴを股にかけて活躍したサニーランド・スリムの、全体の渋さとピアノプレイの豪快なタフネスもこれグッときますな〜。

戦後モダンなスタイルのピアノでエレキ化したバンドブルースにも対応したメンフィス・スリムやオーティス・スパンも、ここではグッと重心の低いソロ・ピアノのヘヴィなブルースを聴かせます。

特に最後の最後に入ってるオーティス・スパンはインストで、ガラガラと転がる左手のアタックの強さ「バーン!」と叩き付ける鍵盤の隙間から漏れてくる情感が、もう本当にブルースとしか言えないようなもので、レコードの針が上がった後もしばらく固まっておりました。

オムニバスで、それぞれ個性豊かなピアノマン達が、それぞれ違ったスタイルを聴かせるんですが「あれもありますこれもあります」のまとまりのないコンピではなく、ほぼ全員の演奏を、弾き語り中心の音数を絞った編成でまとめ、作品としてのまとまりも素晴らしい。

最初に聴いてからしばらくして、早速ルーズヴェルト・サイクスやリトルブラザー・モンゴメリー、サニーランド・スリムなんかは、食費を切り詰めに切り詰めてアルバムを買いに走った訳ですが、それらにシビレてもなお、このアルバムで聴けるそれぞれの演奏の味わい深さが薄まることはありません。

ピアノ・ブルースって本当に素晴らしいので、ブルースはギターを中心に聴いている人にもこのオムニバスはいい感じの気分転換になるとは思います。そしてジャズ好きの方が聴いたら色んな発見がもっといっぱいあるんじゃないかな〜と思っておりますよ〜♪







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2019年02月12日

チャンピオン・ジャック・デュプリー ブルース・フロム・ザ・ガター

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チャンピオン・ジャック・デュプリー/ブルース・フロム・ザ・ガター


テレビはあんまり見ませんし、スポーツもどちらかというとアタシは苦手なんですが、相撲とボクシングは小さい頃から好きでよく見ておりました。

ボクシングは小学生の頃から親父と一緒に見てまして、すると世界戦とかをやりますよね。日本人の選手が世界の相手に挑戦するとか防衛するとか、そういうのですっごい盛り上がる訳なんですが、大体「世界」といっても相手の選手は大体メキシコとかタイとか、あれ?アメリカとかソ連とかイギリスとかフランスとか、世界ってもっといっぱい色んな国があるんじゃないの?何でいつもメキシコとかタイとかフィリピンとかばっかりなの?と素直に疑問に思い、親父にそれを訊いたことがありました。

すると親父の答えはこうです。

「ボクシングってのはな、貧乏のドン底のヤツが、拳ひとつでチャンピオンになって賞金を稼ぐためにやってるんだ。だからメキシコとかタイとかフィリピンとか、そういう貧しい国のヤツがな、家族を食わせるためにボクサーになるんだぞ」

と。

ほいでもって、バリバリの戦中生まれでバリバリの下町少年愚連隊出身の親父から、あしたのジョーとかモハメド・アリのことも教えてもらったのが記憶にあります。

しかし、そこで親父が熱を込めてアツく語ったのが

「おォ、そいで黒人のボクサーってのは多いんだ、ジャズのピアノを弾く人でレッド・ガーランドってのが居てなァ、これはボクサーから世界一のマイルス・デイヴィスのバンドのピアニストにまでなった人なんだ」

という話だったんですが、小学生だったアタシには、レッド・ガーランドとかマイルスどころか、ジャズと言われても何のことやらさっぱり分かりません。


そんなこんなでボクシングはアタマの悪い中学生になっても高校生になっても、卒業して上京してからも、結婚して戻ってきてからも相変わらず好きで見ております。

その過程でレッド・ガーランドを知り「おぉ、この人がボクサーだったのか!」と思いましたが、ボクシング出身とはとても思えないハッピーで穏やかでエレガントなピアノに聴き惚れてしまいました。

そしてジャズやブルースの人達を知れば知るほど「ボクサーをやっていた」という人、ちょくちょく出てきます。

ほとんどの人はやっぱり貧しくて、それでガッツリチャンピオンになるためというよりは、やはり「カネのためのリングに上がった」というエピソードであり、ここで親父の言っていた「貧乏ドン底なやつが一攫千金を狙うためにボクサーになる」という話が初めてピンと来たのでありました。


はい、今日皆様にご紹介するのは、そんな「カネのためにボクサーやってたよ」というブルースマン、チャンピオン・ジャック・デュプリーでございます。

しかしこの人はですねぇ「音楽やってたんだけど食えなくてねー、しょうがないからオレになんか出来るかって思ったら、まぁ腕っぷしだけは自信あったからな。ボクシングやる?って言われてあぁいいよってリングに上がったら何か勝ち続けちゃってさ・・・」で、何と107回も試合をしてチャンピオンになっちゃった人なんです。

だから芸名が”チャンピオン”凄いですね。ブルースマンの芸名なんてのは大体が”カッコ良く思わせるためのハッタリ”だったりして、そこが何とも良かったりするんですが、この人はガチなチャンピオンですよ。

チャンピオン・ジャック・デュプリー、生年には1908年とか9年とか10年とか、諸説ありますが、とにかくブルースマンとしては古い世代の人であります。


出身地はルイジアナ州ニューオーリンズと言われておりますが、資料には一部ミシシッピ州ジャクソンという説もあります。そしてアフリカ系の父親と、先住民チェロキー族の血を引く母親の間に生まれます。

彼の人生は最初から波乱万丈でありました。

まず、幼い頃に火事で両親を亡くし、孤児院に引き取られて育ちます。

ピアノはここで少し習い、何となく音楽で生きて行こうと思ってやがて孤児院を出ることになったのですが、しかし、時は大恐慌が猛威を振るう1930年代。南部からは少しでも良い仕事を求めて北部や西海岸などに移住する人達が多く、盛り場も不景気になって、思うような音楽の仕事にはありつけることは出来ません。

結局北部の街シカゴに彼もまた移り住み、当時人気だった元説教師のピアニスト、ジョージア・トムと活動を共にしたり、はたまた更に移り住んだセントルイスで、戦前ブルース・ピアニストとしては破格の人気を誇ったリロイ・カーと親交を深めたりしますが、彼自身はミュージシャンとして、ピアニストとしての順調な活動の波には乗れませんでした。

シカゴではコックをしたり、密造酒の販売などにも絡んでいたそうで、そんなこんなでギリギリの生活をしながらシカゴに住んだりデトロイトに住んだり、不安定な生活をしているある日、デトロイトで伝説の黒人ボクサー(ヘビー級チャンピオン)のジョー・ルイスに「お前ボクシングやってみない?」と声をかけられ、「まぁそうだな、こんなうだつの上がらねぇ生活してるよりはボクサーにでもなった方がいいかな」と、ライト級ボクサーになってみた。そしたらあれよあれよという間に試合数は100を超えて、何とあっさりチャンピオンになってしまいました。


順風満帆のボクサー人生は、それなりにスリリングで金銭的にも充実したものでありましたが、それでもやはり音楽への思いは絶ち難く、デュプリーは再びシカゴへ行って、そこでようやくミュージシャンとしての仕事に多く恵まれ、クラブで忙しく演奏する日々を送っておりましたが、今度は第二次世界大戦が始まり、コックの経験を買われて海軍の調理兵として招集されます。

どこでどんな戦歴を送ったのかはあまりよく分かりませんが、この兵役で彼は最終的に日本軍の捕虜となって2年間を収容所で生活しております。

やがて戦争が終わり、母国へ舞い戻って再びピアニストとして大活躍。南部のバレルハウス(音楽が聴ける安酒場)で鍛えたゴツいタッチから繰り出される強靭なブギウギ・ビートでヒット曲も出すようになりました。

50年代後半に、ブルースの人気が下火になってくると思い切ってヨーロッパに移住。スイスやデンマーク、スウェーデンやイギリス、ドイツと行く先々で現地のオーディエンスやアーティスト達から「アメリカのすげぇブルースマン」として尊敬を集めるほど受け入れられました。特にイギリスではエリック・クラプトンらブリティッシュ・ブルースロックの若い連中とのセッションにも積極的に参加し、同地のブルースムーヴメントの盛り上がりに一役買い、最終的にアメリカでの再びのブルース人気にも多大な影響を及ぼしているのです。






ブルース・フロム・ザ・ガター

【収録曲】
1.Strollin'
2.T.B. Blues
3.Can't Kick the Habit
4.Evil Woman
5.Nasty Boogie
6.Junker's Blues
7.Bad Blood
8.Goin' Down Slow
9.Frankie and Johnny
10.Stack-O-Lee



長く充実したキャリアの中で名盤は数知れず。そしてどの時期のアルバムも奇をてらわない、時流に媚びない男気で骨太のブルース一本で聴く人の口から「く〜」という究極の感嘆詞を引き出すチャンピォン・ジャックですから、とりあえずどのアルバムも聴く価値はあります。

その中でも特に自身のヴォーカル&ピアノ、ギター、テナーサックス、ベース、ドラムスという程良い編成でじっくりとそのズンと腹にくるパワフルなピアノと深い味わいのヴォーカルを心行くまで味わえるといったら、1958年アトランティックに残した『ブルース・フロム・ザ・ガター』でしょう。


「ガター」とは貧民窟のこと。実際に社会の最底辺で泥水をすすりながら力強く生きてきたデュプリーが、それまでの人生を噛み締めるようにしみじみとしたコブシを効かせて歌うスローブルースや、陽気なブギウギにもしっかりと下町の夜の空気が隅々まで充満しております。

1950年代後半といえば、時代はロックンロールやR&B、カネと車と男と女みたいな歌が、できるだけ派手なアレンジの小粋なビートに乗せられて歌われておりましたが「オレに歌えるのはブルースだけだけどそれがどうした」と言わんばかりの、このヘヴィで男臭い歌唱、どんな言葉よりもズッシリと重厚なメッセージを伝えてくるピアノ。どうでしょう、彼自身の実にニヒルで媚びない魅力ってのも最高なんですが、それに合わせたシンプルで土臭いアレンジのバックも実に素晴らしい。

特にラリー・デイルの、まるで高倉健主演の任侠モノで、最後の死闘に途中から黙って付いてきて来て渋い立ち合いを演じる池部良のような、タメと弾きを心得た見事なサポート・ギターはその武骨極まりないトーンも含めて最高じゃあありませんか。

古き良きバレルハウス/ブギ・ウギ・ピアノの奏法に生まれ育ったニューオリンズの絶妙な軽快さが隠し味で効いているといったスタイル云々以前に、これはどの瞬間を切り取っても男の哀愁と心地良く重い夜の空気に満ちた極上のブルースであります。





『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 21:45| Comment(0) | ブルース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする