2020年09月29日

ビル・エヴァンス ライヴ・イン・トーキョー

51SFgNVViFL._AC_.jpg
ビル・エヴァンス/ライヴ・イン・トーキョー
(CBS/ソニー・ミュージック)


9月は仕事(正業)の方の疲労と別件の短歌の方で色々とあり、すっかりブログも更新出来ないままに日々が過ぎておりました。読者の皆さん本当にすいません。。。

さて、奄美はまだ少し動けば汗が出るぐらいの気温ではありますが、それでも夕方の陽が落ちるのが早くなり、そして日差しが和らいで涼しい風が吹くようになりました。

えぇ、秋でございます。待ちに待った秋でございますよ。

秋といえば聴きたくなるものといえばビル・エヴァンスですよね。

まぁその「ビル・エヴァンス誰?」という人であっても、少し涼しくなって外を流れる空気の中に何かこう切ないものが混ざっているのを感じる方なら、彼の儚くも美しく、そしてどこか甘美なあやうさに満ちたピアノを耳にすれば

「あぁ...、良いね」

となってくれるものと信じて、毎年アタシはリアルでもネット上でもビル・エヴァンスの話題に触れますし、このブログでも毎年エヴァンスの作品を採り上げてなるべくそのニュアンスをお読みになってくださっている皆さんに伝えようと頑張っております。

エヴァンスといえば、これはもう何度も何度もあちこちで書いておりますが、最初はアタシも

「何だか綺麗でオシャレだな〜、聴き易いピアノだな〜♪」

と、割とユルい感じで付き合える。そんな優しさを感じていたのですが、ある日突然、その綺麗でオシャレで優しいフレーズの中に含まれた物凄い質量の「悲哀」や「どうしようもなさ」に惹かれるようになって、以来20年、ずっとずっと中毒です。

20年以上に及ぶキャリアの中で、彼はジャズマンとしては格別な人気があり、出したアルバムはそれこそたくさんありますが、そのどれもが美しさと悲哀を目一杯感じさせる素晴らしいものであります。時期によってメンバーが変わったり、編成もちょこっと増えたり減ったりはありますが、基本的にはトリオ編成が主で、そして彼のピアノが醸す切ない切ないニュアンスというものは、どの時期のどんな編成でもずっと変わらず感動を届けてくれます。

今日ご紹介するのは、エヴァンスのライヴ名盤として根強い人気の『ライヴ・イン・トーキョー』であります。

これは1973年に、ビル・エヴァンスが初めて来日した時に、東京の郵便貯金ホールで行われたコンサートを収録したものであります。

エヴァンスの本格的なプロデビューは1956年です。そして1959年にスコット・ラファロ(b)、ポール・モチアン(ds)とトリオを結成し、それからトリオによる基本編成はメンバーを幾度か変えながら、70年代には3代目のベーシストとしてエディ・ゴメス、2代目ドラマーのマーティ・モレルが加入して、このトリオでの活動が最も長く安定したものとなるのですが、この時代のエヴァンスのプレイもまた、長い付き合いのメンバーと深い音楽の対話を重ねながら自己の音世界をどんどん研ぎ澄ませてゆく。そんな心地良い緊張感に溢れたものが多いんです。

で、日本でのエヴァンス人気というのは、1959年にマイルス・デイヴィスの名盤『カインド・オブ・ブルー』への参加から特に目覚ましいものがあり、多くの大物ミュージシャンが来日した1960年代半ばから後半にかけては特にレコードもよく売れ、ジャズ喫茶でもアルバムが頻繁にリクエストされ、エヴァンスがかかると大勢のお客さんが静かにうなだれて真剣に聴き入る光景が、全国で見られたというぐらいですから、やはりのめり込む人が相当多かったんじゃないかと思います。

さて、エヴァンスはトリオ最初期の名盤『ワルツ・フォー・デビィ』や『サンデイ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』がライヴ盤であるように、ライヴアルバムで素晴らしい作品を残す人でもあります。

特に1960年代末からは『ライヴ・アット・ザ・モントルー』『モントルーU』『ライヴ・イン・パリ』『ジャズハウス』など、世界を股にかけての素晴らしいパフォーマンスをライヴ・アルバムとして残していた、いわば脂の乗り切った時期。来日が決定し、それを録音する事も決まった時、ファンや関係者の期待というか喜びはどんなものだったでしょう。想像するだけで胸に熱いものがこみ上げてきます。


当時多くのジャズ・ミュージシャンにとっては日本という国は「たくさん稼げる良いマーケット」でありました。

ちょいと納得がいかない演奏であっても客は行儀よく鑑賞し、惜しみなく拍手を送る。

これはまぁ素晴らしい事なんですが、ミュージシャンによっては

「今の演奏良かったのかい?アイツらみんな拍手してるけどオレにはよくわからんなぁ」

とか

「まぁ日本だからどうせちょっとばかり気を抜いても有名なスタンダートとか”トーキョーなんたら”とかいう曲作ってやりさえすればウケるしいいんじゃね?」

みたいな考え方で、ちょいと小馬鹿にして適当な演奏をする人もおったとかおらなかったとか・・・。

それに日本企画のアルバムというのも割と短絡的な「そのミュージシャンの人気曲とかスタンダードの美味しい曲を入れれば売れるんじゃね?」的なものも、あったりするんですよね。特に大手メーカーが絡むとどうもそんな傾向が強いものも出ていたりしました。

で、エヴァンスのこのアルバムなんですが、企画制作はメジャー中のメジャーであるソニー・レコード、しかもエヴァンス自体が日本ではジャズファン以外も「オシャレだよね」と聴くぐらいの絶大な人気。

だもんでアタシは正直最初敬遠しておったんです。

「ん〜、エヴァンスは他のレーベルのやつ聴いてりゃいいかな。日本企画のライヴ盤なんてそれこそミーハーなノリだったら怖いし」

と。




ライヴ・イン・トーキョー(期間生産限定盤)


【パーソネル】
ビル・エヴァンス(p)
エディ・ゴメス(b)
マーティ・モレル(ds)

【収録曲】
1.モーニン・グローリー
2.アップ・ウィズ・ザ・ラーク
3.イエスタデイ・アイ・ハード・ザ・レイン
4.マイ・ロマンス
5.ホェン・オータム・カムズ
6.T.T.T.T.
7.ハロー・ボリナス
8.グロリアズ・ステップ
9.グリーン・ドルフィン・ストリート

(録音:1973年1月20日)



が、ちょっと待て。楽曲のクレジットを見る限りでは、ライトユーザーが喜びそうな有名スタンダードといえば『オン・グリーン・ドルフィン・ストリート』ぐらいで、エヴァンスの定番である『ワルツ・フォー・デビィ』とか『ナーディス』とかの人気曲すら入っていない。

これは、もしかしたらエヴァンスのライヴアルバムの中でも実はかなり硬派な部類に入るのではないか?そうでなくても「いやぁ、派手じゃないけど何かいいんだよね」ぐらいの味わい盤なのではなかろうか?と、何となく直感がザワザワ動いたんですよ。

で、聴いてみたらこれが・・・。

「ほ!!!!めちゃくちゃ良いではないか!!!!!!!」

なアルバムだったんです。

司会の短めのアナウンスから始まる『モーニング・グローリー』の、静謐な祈りのようなピアノが「シャン...」と立ち上がってから、もうたちまち深い、祈りのような哀愁がアタシを呑み込みました。

この時期の同じメンバーでのライヴ盤、特にアタシはライヴならではのダイナミックなタッチでエヴァンスがはちきれんばかりの耽美なフレーズと共に駆け抜けるかのような『モントルーU』が好きでしたが、この『ライヴ・イン・トーキョー』は、そんな”動”のエヴァンスとは対照的な、ひとつひとつの音を丁寧に慈しむかのように繊細に歌わせる”静”のエヴァンス。

もちろん曲によってはアグレッシブにピアノとベースとドラムが狂おしい火花を散らせる展開もあるのですが、ほとんどの曲はエヴァンスが内側の奥底にある底無しの悲哀の海にどんどん沈み込んで、それにメンバー達が美しいアクセントを付けながらムードにどこまでも深い色彩を加味してゆくという、高い芸術性という言葉を意識して聴かざるを得ない、そんな詩情そのものな内容です。

お客さんの反応も真剣そのもので、歓声や話し声はおろか、拍手以外の音を一切立てず、一音一音集中して聴き逃すまいとしながらエヴァンスと一緒に深い悲哀の海へと意識を沈めて行くような、そんな雰囲気に思わずスピーカーの前のアタシの意識を呑み込まれてしまいます。

あと、特筆すべきは録音の素晴らしさ。

70年代以降のエヴァンスのピアノは基本的にシャキッとした硬質なタッチであり、エディ・ゴメスのベースも固めの音で軽快に動いている感じの録音が多いのですが、このアルバムでのエヴァンスのピアノの音は、まるで初期60年代のトリオ時代のようにふくよかでしっとりとした余韻を湛え、エディ・ゴメスのベースもしっかりとした低音を気持ちよく響かせております。










”ビル・エヴァンス”関連記事 



『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 22:07| Comment(0) | ジャズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月24日

ジーン・アモンズ グルーヴ・ブルース

51SFgNVViFL._A.jpg

ジーン・アモンズ・オールスターズ/グルーヴ・ブルース
(Prestige/OJC)

テナー・サックスという楽器は、その魅力的な中低音域の特徴ゆえ「ズ太い」とか「男らしい」とかいう形容でよく語られる楽器であります。

特にジャズの世界では、1920年代にコールマン・ホーキンスがその特徴をフルに活かしたソロを吹いてから、その影響を受けたテナー奏者が次々と現れるようになり、30年代のビッグバンドの時代になると、それまでソロの花形だったトランペット(コルネット)に代わってステージで喝采を浴びるソロの主役と呼ばれるようになりました。

はい、ジャズ・テナーをソロ楽器にしたコールマン・ホーキンスという偉人は、世界中の全てのテナー吹きから「親父」と親しまれる存在でありますが、そのホーキンスのズ太く男らしいテナー・スタイルは、アルト奏者のチャーリー・パーカーがビ・バップという全く新しいスタイルを築き上げてから、やや古臭いものと言う人もおるのですが、どっこいジャズやR&Bのテナー奏者達の中には、バップ・マナーも取り入れながら”親父(コールマン・ホーキンス)のタフで豪快なスタイルへのリスペクトを忘れない人達がちゃんといて、時代がどう変わろうが一定の勢力と人気を誇っていたんですね。

モダン・ジャズではソニー・ロリンズやデクスター・ゴードンといった大物達、R&Bの”ホンカー”と呼ばれるブルース野郎達、そしてアーネット・コブやイリノイ・ジャケーといった、アメリカ南部出身の”テキサス・テナー”の人達、それらをひっくるめて1950年代〜60年代以降もテナー本来のズ太い音と、小細工ナシのブルージーなフレーズ一発でライヴでもレコードでも豪快なブロウでファンを楽しませていた人達を「ボス・テナー」と言います。

この”ボス・テナー”という言葉、いつ誰が言い出したのか分かりませんが、戦後のジャズ・テナーで”ボス”と呼ばれていた、豪放磊落な性格そのものが音になったような、タフで貫禄に溢れたプレイで人気を博したテナー吹きがおります。その名もジーン・アモンズ。

一説によるとこの人の演奏を聴いてかつその豪快な人柄に触れた関係者が「アイツぁボステナーだな」と言った事が、この「ボステナー」なる言葉になって定着したと言われておりますが、その真偽はよくわかりません。が、彼は実際そう呼ばれていて、本人もその呼び名を気に入り、わざわざ「ボステナー」と冠したアルバムまでリリースしております。

偉大なブギウギ・ピアニストであるアルバート・アモンズの息子というジャズのエリートでありながら、そんな事を一切鼻にかけることもなく、気に入った現場で目一杯テナーが吹けさえすれば、レコードが売れようが売れまいがどうでもいい。ついでに後輩の面倒見はいいという、とにかく気風のいい、昔堅気の「親分!」と呼びたくなる性格だった事は確かなようで、麻薬で2回逮捕されたり、クスリの影響でセッションをすっぽかしたりとかもまぁあったようですが、ミュージシャン仲間や関係者でこの人の事を悪く言う人はいなかったどころか、この人が刑務所から出所する時は「親分、兄貴、叔父貴」と慕うミュージシャン達が刑務所の前にズラッと並んで出迎えたとか。。。


という訳で、今日はせっかくなんでそんなアモンズ親分とコルトレーンとの唯一の共演作であります『グルーヴ・ブルース』というアルバムを紹介しましょうね。

1957年に、Prestigeレコードはアモンズを中心にベテランから若手のサックス奏者を集めたオールスターズセッションを企画します。とりあえずアモンズのテナーに、実力派のバリトン吹きとして名を上げていたペッパー・アダムス、サックス、クラリネット、フルートと、あらゆるリード楽器を演奏出来る名手、ジェローム・リチャードソンは決まりましたが、更に人数多めにしてちょいと新しい個性を持ったやつをぶつけようという事で、当時Prestigeとソロ契約して売り出し中だったコルトレーンに白羽の矢が立つことになります。


で、ここからが面白いんですけど、アモンズは当時シカゴに住んでいたので、果たしてその日に遠く離れたニューヨークのスタジオに現れるかどうか、prestige側は甚だ不安だった。

だもんで、演奏も性格も安心安全なベテラン・テナーのポール・クィニシェットも、いざという時のためにスタジオに呼んでおったんですね。それで「もしアモンズ来なかったら"4サックス”ってことでそのまんまセッション初めるぞー」という感じで準備していたのですが、そこに

「おぅ・・・待たせたな野郎共」

と、はるばるシカゴから親分登場(!!)

わーいやったー!と、皆が喜んだんですが

「おいちょっと待て、オレとクィニシェットでテナーが2人、ほいでえぇと、お前何だっけ?」

「あ、アダムスです。ペッパー・アダムス」

「楽器は?」

「バ、バリトンっす!」

「オーケー。よぉジェローム!今日はおめぇ何吹くんだ?」

「あぁ、何でもいいけどこんだけサックス吹きがいるんじゃあな、オレはフルートだ」

「そうか、じゃあ頼む。・・・おい、お前は誰だ!?」

「ジョンです、ジョン・コルトレーン」

「何だって?」

「ジョン・コルトレーンです!」

「そうか、おめぇはアレか。マイルスのとこにいた若ぇ奴だろ?」

「いやその・・・色々あって・・・」

「何だって?」

「客分です!」

「そりゃあ良かったなぁ!」

「はい!ありがとうございます!!」

「ん?そういやおめぇ、テナー吹いてんだよな?」

「あ、いや・・・自分はその・・・」

「何だって?」

「昔アルト吹いてたんで今日はその、アルトを吹こうかなと・・・」

「そうかい、そいつはありがてぇ。よろしく頼むぞ」

という展開はありそうな事ですが、多分ないです。

とりあえずアモンズの考え方というのは

「オレぁテナーが吹けりゃーそれでいいんだよ」

というものでしたので、編成とかアレンジとかそういう細かい事には一切無関心で、そういう事は実質的なアレンジャーであるマル・ウォルドロンがささっと決めて、「2テナー、1アルトとバリトン、そしてフルート」というフロント編成で話はまとまって、軽く打ち合わせをしてセッションは行われたそうであります。




Groove Blues

【パーソネル】
ジーン・アモンズ(ts)
ジェローム・リチャードソン(fl,@AB)
ジョン・コルトレーン(as,@AC)
ポール・クィニシェット(ts,@A)
ペッパー・アダムス(bs,@A)
マル・ウォルドロン
ジョージ・ジョイナー(b)
アート・テイラー(ds)

【収録曲】
1.Ammon Joy
2.Groove Blues
3.Jug Handle
4.It Might As Well Be Spring

(録音:1958年1月3日)



さて、そんなこんなの”オールスターズ”とはいえ、実にPrestigeらしい出たとこ勝負のドタバタセッション、当然ながら大味な感じは否めないのですが、豪快なアモンズとジェントルなクィニシェットのテナーでの掛け合いを中心に、コルトレーンのいつものテナー・プレイのまんまなアルト・サックスに、程よく泥臭いジェローム・リチャードソンのフルート、そして実に良いコクとアクが出ているペッパー・アダムスのバリトンが、それぞれの個性を発揮して、良い感じのアットホーム感を醸しております。


前半のゆったりしたブルース調の『アモン・ジョイ』『グルーヴ・ブルース』は5管揃い踏みのゴージャスな感じ、アップテンポの『ジグ・ハンドル』は、アモンズとジェローム・リチャードソンが軽快&豪快にチェイス、バラードの『イット・マイト・アズ・ビー・ストロング』では「ススス...」という吐息混じりのサブトーンで色気たっぷりに吹くアモンズの後を受け、繊細な吹きっぷりでガラッと空気を変えるコルトレーンのバラード・プレイがとてもよろしいですねぇ。

そうそう、実はアモンズとコルトレーンって年齢はたったの2歳しか離れてないのですが、1940年代に18歳で既に名の知れたテナー吹きだったアモンズと、50年代の半ばを過ぎて、30歳手前でようやくソロのテナー吹きとして認められたコルトレーンとのキャリアの違いが生んだ音楽観の違いって結構デカいのですが、こうやってひとつのセッションで同じ曲を演奏し、その違いが出てもそれが互いの演奏を少しも侵害しないのは、何気に凄い事だと思うのですよ。特にラストのバラードでの2人の自然なやりとりを聴いていると、何故かじんわりと熱いものがこみ上げてきます。








”ジーン・アモンズ”関連記事









”ジーン・アモンズ”関連記事





『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 23:23| Comment(0) | ジャズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月20日

ファラオ・サンダース ラヴ・ウィル・ファインド・ア・ウェイ

51SFgNVViFL._AC_.jpg
ファラオ・サンダース/ラヴ・ウィル・ファインド・ア・ウェイ
(ARISTA/ソニー・ミュージック)

いやぁ毎日暑いですねぇ、暑い、熱い、アツいといえば、後期コルトレーン・バンドで一人「ぶぎゃああぁぁあ!!ぼごぉぉぉおおお!!」と凄まじい悲鳴のような絶叫テナーを吹いていたファラオ・サンダースを思い出しますね。

もちろんアタシもコルトレーンの横でアナーキー極まりない(場面によっちゃあコルトレーンより強烈なインパクトを残してゆく)ファラオのプレイを聴いてファンになった一人です。

で、彼のソロ・アルバムに関しては「いやもう他人のサイドマンでこんだけやっちゃってるんだから、ソロだともっと乱暴狼藉な凄まじいフリージャズをやってるに違いない」と期待して、まずはImpulse!盤、そしてその後70年代以降に色んなレーベルに残したアルバムを順次聴きまくったんですね。

そしたらそしたら、意外な事にこの人のソロアルバムというのは、どちらかといえば聴いてて穏やかな気持ちに包まれる、ナチュラルなグルーヴ感溢れる”楽園”のムードに満ちたものが多かったんですね。

ソロになった最初の頃のImpulse!盤の70年代初頭のアルバムは、民俗音楽のようなトランス感がグイグイ意識を持って行くアルバムも多いです。曲だって長いものが多い。それが徐々にソウルやファンクみたいな、メロウでファンキーで、何よりキャッチーな曲がどんどん増えていって、Impulse!を離れた後のアルバムは、ほとんど何か踊れるものが多くなっているんです。

これにはびっくりしました。

ファラオの吹くテナー自体は、相変わらず「ぶぎゃあああ!ぼぎゃぁああ!!」とフリークトーンを炸裂させているにも関わらず、曲調がファンキーだったりピースフルだったりするので、こういうフリークトーンすら、何というか歓喜の叫びに聞こえてしまう。

じゃあ期待していたフリージャズなファラオじゃなくて、キャッチーでピースで”踊れる”ファラオにがっかりしたのかといえばそれは逆で、むしろ知らずに買ったファラオのアルバムの中にキャッチーな踊れる曲が入ってると嬉しくなって、家で皿洗ってる時爆音で流して皿洗いながら踊ったりしておりました。

そこで思ったんですね。

「あ、この人の本質っていうか本音の部分は明るくて屈託のない、そして凄くナチュラルなフィーリングで、それは師匠のコルトレーンとは真逆なベクトルのやつだったんだな」

と。

コルトレーンもファラオも同じテナーサックス吹きで、同じようにインドやアフリカといった非欧米の音楽に傾倒していて、同じように「音楽で魂の救済を。。。」とか考えていたのに、ギリギリのところでそのベクトルがそれぞれ真逆に振れて、そしてコルトレーンが亡くなった後、ファラオは全く彼なりのオリジナルな”救済”を、そのキャッチーでピースフルな音楽性の中に見出したんだなぁと思うと、ファラオの事もコルトレーンの事も、ますます深く好きになりました。

そいでもってファラオ・サンダースという人の懐の深さですよね。一見無秩序に、好き勝手にセオリー無視で吹きまくっていたかのようなあのプレイスタイルが、実は己の本音を上手く制御して、コルトレーンの音楽の核にあるシリアスな部分にしっかりと寄り添って、自分なりにそのシリアスを引き立てるプレイだったのかと思うと、何だかじわぁんと来てしまいます。ファラオ、お前(失礼!)いいやつじゃんと。。。





ラヴ・ウィル・ファインド・ア・ウェイ(期間生産限定盤)

【パーソネル】
ファラオ・サンダース(ss,ts)
デヴィッド・T・ウォーカー(g)
ワー・ワー・ワトソン(g)
ヒューバート・イーヴス(key)
ボビー・ライル(key)
ケネス・ナッシュ(key)
ハリド・モス(key)
ドニー・ベック(b,@CD)
アレックス・ブレイク(b,AB)
エディ・ワトソン(b.E)
ノーマン・コナーズ(perc,vo)
ジェームス・ギャドソン(ds,@CF)
ラリー・ホワイト(ds,AB)
レイモンド・パウンズ(ds,EF)
フィリス・ハイマン(vo,BDF)
ザ・ウォーター・ファミリー(cho)
〜ホーン・セクション〜
アーネスト・ワッツ(reeds)
オスカー・ブラッシャー(tp)
チャールズ・フィンドレイ(tp)
ジョージ・ボハノン(tb)
ルー・マックレヴィー(tb)
ヴィンセント・デ・ローサ(french horn)
シドニー・マルドロウ(french horn)
ウィリアム・グリーン(sax)
テリー・ハリントン(sax)

【収録曲】
1.ラヴ・ウィル・ファウンド・アウェイ
2.ファロンバ
3.ラヴ・イズ・ヒア
4.ガット・トゥ・ギヴ・イット・アップ
5.アズ・ユー・アー
6.アンサー・ミー・マイ・ラヴ
7.エヴリシング・アイ・ハヴ・イズ・グッド

(録音:1977年)



さて、感傷はそのぐらいに、今日はそんなファラオの、多分これは最もキャッチーな部類に入るんじゃないかというアルバムをご紹介します。

古巣のImpulse!を離れて3年後の1977年、新興のアリスタ・レコードと契約を交わしたのですが、このアリスタというレーベルは、特にジャズ専門というレーベルではなく、フュージョンやAOR、ブラック・コンテンポラリーと呼ばれていた新しいソウル・ミュージックを積極的にリリースし、新しい人材を次々と発掘していたレーベルです。

レーベルの作風は非常にライトで、70年代というより既に来るべき80年代のサウンドを予感させるような作品を世に出していた、そんなところに、ある意味ではジャズの最硬派な存在(と、未だ多くの人に認識されていた)ファラオがぽーんと入ったんですね。

そして、ファラオの新作を追いかけていた熱心なファンにとっては正に期待通り、コルトレーン時代のファラオ意外あんまり良く知らない人にとっては実に意外な、最先端のフュージョンと、流行を先取りしたキラッキラなディスコサウンドが、ファラオ独自のオーガニックな感性でもってとっても上質なムードに仕立て直された音楽が生まれたのであります。

のっけから美しいエレピとシンセサイザーが織り成す都会的なイントロに乗って、ファラオの吹く優しさに満ち溢れたサックスが軽やかに歌うメロウバラードの『ラヴ・ウィル・ファウンド・アウェイ』で、もう完全に虜です。

そこからトロピカルなアフリカン・ディスコのように急展開なノリノリ曲がいきなり始まったり、スピリチュアルな歌モノがきたり、どの曲も実に当時の流行の最先端という感じなのですが、ファラオのサックスは何らぶれることなく咆哮し、演奏そのもののグルーヴは重厚。つまり軽く聴けるしサウンドは爽やかなんだけど、土台の部分がものっすごく硬派なんですよね。


いやぁ、ポップスとかバラードとかダンス・ミュージックって、やっぱり音楽の基礎の部分がしっかりしてないと「いいよね」以上の説得力を持たせるのは凄く難しいのですね。と、このアルバムのファラオが生み出す壮大なスケールの”楽園”の心地良さに浸りながら思っております。




















”ファラオ・サンダース”関連記事




『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 23:10| Comment(0) | ジャズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月23日

ウィルバー・ハーディン&ジョン・コルトレーン メインストリーム1958

51SFgNVViFL._AC_.jpg
ウィルバー・ハーディン&ジョン・コルトレーン メインストリーム1958
(Savoy/日本コロムビア)


初期50年代のコルトレーンのアルバムでは、ドナルド・バードやアイドリース・シュリーマン、リー・モーガンやフレディ・ハバードといったトランぺッター達が代わる代わる参加しております。

で、アタシは今名前を挙げたトランぺッターの中では一番無名かも知れませんが、ドナルド・バードと同じぐらい参加が多いアイドリース・シュリーマンの演奏が大好きなんですよ。

えぇ、気鋭の若手としてガッツある演奏を聴かせてくれるバードやリー・モーガン、はたまたフレディ・ハバードなんかに比べると、アイドリース・シュリーマンのプレイは一見地味です。でも、硬質な音色でバリバリに吹きまくるコルトレーンのソロの後に、トランペットよりも柔らかくどこか儚い質感のフリューゲル・ホルンの音色が出てくると、他のサイドマンの演奏を聴いている時には感じられない妙な安心感が感じられて、何とも言えない至福な気分になります。




前回ご紹介した『スターダスト』は、特にバラード・プレイで美しいメロディを誠実に噛み締めるように吹いてゆくコルトレーンと、それを受けて丁寧な旋律を柔らかく柔らかく繋いでゆくハーディンとのやりとりから生じる香気のようなものがもう格別で、アタシにとっては長年の愛聴盤なんですが、今日ご紹介するアルバムは、今度はコルトレーンがサイドマンとして参加しているハーディンのアルバムであります。


その前にハーディンなんですが、彼は1924年生まれでコルトレーンの2歳年上のほぼ同世代。生まれはアメリカ南部アラバマ州でありますが、R&Bが盛んなミシガン州デトロイトで、R&Bバンドのトランぺッターとしてキャリアをスタートさせてから、1957年にユセフ・ラティーフのバンドのサイドマンとして参加し、本格的なジャズ・ミュージシャンとしてのキャリアをスタートさせております。

さて、デトロイトといえばモーターシティであり、後にモータウンサウンドが大ブレイクしてソウルの都と呼ばれるようにもなったのですが、ジャズの方はやはりニューヨークの方が盛んであり、仕事もいっぱいあったので、デトロイトで一緒に頑張っていたトミー・フラナガンやケニー・バレル、ダグ・ワトキンスといった仲間達は早々にニューヨークへと住まいを移し、そこで次々と頭角を現して行ったのです。

「いいなー、俺もニューヨーク行って活躍してぇなー」

と、ハーディンも思っていたに違いありません。そんな折

「ニューヨークにおいでよ。仕事、あるよ」

と、かつての仲間達と共に、何故かコルトレーンから呼びかけがありました。

何故デトロイトには住んでいなかったコルトレーンからハーディンに親しい呼びかけがあったのかは分かりませんが、コルトレーンは若い頃からデトロイト出身のポールチェンバースやトミー・フラナガン、ケニー・バレルなんかとは仲が良く、演奏以外でもよく一緒に飲みに行ったり色んな話で盛り上がる仲間で、言ってみればコルトレーンは「ニューヨークにいるデトロイト人脈」の中に入って楽しんでた。そんな感じだったようなんですね。

で、彼らからハーディンの事は聞いていた。或いはツルんでいるうちに何度か会ったり電話や手紙でやりとりなんかもしておったんでしょう。そしてハーディンという人は恐らく”ぶっちゃけいい奴”だったので、年も近いコルトレーンはすっかり彼に好意を抱いて「一緒に演奏したいなぁ」とか思っていたのかも知れません。

そして1958年、コルトレーンも(どういう訳か)含むデトロイト人脈の仲間達の呼びかけに応じる形でハーディンはニューヨークに到着。早速ライヴ活動も出来てサヴォイというレコード会社とも契約出来て、順風満帆に思えるニューヨークでのジャズマン生活をスタートさせます。

しかし、彼のニューヨークでのジャズマン生活は長くは続きませんでした。

1960年のカーティス・フラーとのレコーディングを最後に、彼は忽然と音楽の世界から姿を消してしまいます。詳しい事情は謎でありますが、彼は元々繊細で、ニューヨークに来た頃は既に精神の病を患っていたとも、契約したサヴォイ・レコードの待遇の余りの酷さに絶望してプロとしての音楽活動そのものに情熱を持てなくなったとも言われておりますが、プレイを聴く限り優しく繊細なハーディンのような人が生きるには、ニューヨークという大都会の生き馬の目を抜くような音楽シーンは余りにも過酷で、そのプレッシャーに耐えられなくなったのではなかろうかとは思います。





メイン・ストリーム1958


【パーソネル】
ウィルバー・ハーディン(flh)
ジョン・コルトレーン(ts)
トミー・フラナガン(p)
ダグ・ワトキンス(b)
ルイス・ヘイズ(ds)

【収録曲】
1.ウェルズ・ファーゴ
2.ウエスト・42ndストリート
3.E.F.F.P.H.
4.スナッフィ
5.ロードマグネチックス

(録音:1958年3月13日)


さて、本日ご紹介するアルバムは、ハーディンがニューヨークへやってきて最初に行ったレコーディング・セッションであります。

メンバーはハーディンと、彼に熱心なラブ・コールを送ったコルトレーン、そしてトミー・フラナガン、ダグ・ワトキンス、ルイス・ヘイズという勝手知ったるデトロイト人脈で固められた、安心と極上のくつろぎに満ちたアルバムに仕上がったおります。

まずはバックを固めるフラナガン、ワトキンス、ヘイズのトリオが素晴らしいですね。軽やかで華やかなリズムの内側から滲み出るフラナガンの奥深いフレージングの美しさに、ワトキンスのぶっといベースの存在感、ヘイズの職人的燻し銀の小技が実に冴えております。この3人のトリオだけでの演奏でも、恐らくは大満足なぐらいのハイセンスな作品になるかと思いますが、その上質なリズムの上で華麗に舞うのがハーディンのフリューゲル・ホルン。

楽曲はミディアム・テンポの小粋なナンバー『ウェルズ・ファーゴ』から、ややテンポ早めの『ウエスト・42ndストリート』カラフルなルンバのリズムが効いた『E.F.F.P.H.』一転シャープにスウィングする『スナッフィ』からそのままの勢いのアップテンポ『ロードマグネチックス』と、実はバラードがないんです。でも、、ハーディンのプレイはひとつひとつの音を丁寧に丁寧に意味を込めて語るように染み込みます。

そのソロを受けて”シーツ・オブ・サウンド”で吹きまくり、演奏全体をガラッとハード・ドライビングなノリにしてしまうコルトレーンのソロがまた好対照で、もうどこから聴いてもこの2人は名コンビという他ありません。

そして、ハーディンは作曲家としても非常に優れた人でありました。

何とこのアルバム、全ての曲がハーディン作曲のオリジナルなんですが、どの曲も聴いた瞬間に味わいとコクがじわ〜っと溢れ出る見事なハードバップ曲で、例えばこの人がブルーノート辺りと契約していたら、もしかして作曲家として多くのスタンダードを残していたのではないかと、つくづくその才能が早くにジャズ界から消えた事が惜しくてなりません。


シーンを去ってからのハーディンは、療養施設に入って1969年にはひっそりとこの世を去っております。本格的な活動は僅かに1年という悲しさでありますが、それでもその間に残した彼の演奏はどれもジャズのカッコ良さと特有の”どうしようもなさ”に溢れた美しいものばかりです。











『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/







posted by サウンズパル at 23:28| Comment(0) | ジャズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月20日

阿部薫 19770916 @ AYLER, SAPPORO

51SFgNVViFL._AC_.jpg
阿部薫/19770916 @ AYLER, SAPPORO
(doubtmusic)

仔細あってここのところずっと阿部薫を聴いておりました。

阿部薫に関しては、アタシがハタチそこらの頃に「音楽はとにかく刺激だ!頭をぐっちゃんぐっちゃんにしてくれるようなイカレた音楽くれ!!」となっていた時期(それは丁度フリージャズ覚えたての頃でした)確かに聴いて、確かに最初は「日本人でもこんな凄まじい怨念と破壊力に満ちたフリージャズ、しかも無伴奏のたったの1本のサックスで出来る人いたんだ!」と衝撃を受けて、それからはもうハマりまくって朝から晩まで聴き狂っていた時期があったのですが、聴いていくうちに、いや、多分最初から、その破壊力に満ちた演奏の裏側にある、えもいえぬ抒情とか即興で繰り出されるフレーズのメロディアスな美しさとか、演奏の、いや、無音の部分からすらもうわぁ〜んと迫ってくる狂おしさみたいなものに憑りつかれ、そりゃあもう一言ではとても言い尽くせない存在になって久しくあります。かれこれ四半世紀近く。

考えてみれば阿部薫はアタシに

「フリージャズつってもな、ただ滅茶苦茶のデタラメをやっていい訳じゃないんだ。どんなに自由に吹き散らかしても美しくなきゃダメなんだ」

という事を一番最初に教えてくれたアーティストだったかも知れません。

アルバムに関しては見かけたら買っていました。主に経済的な理由から全然追いついてはおりませんが、たとえどのアルバムも「ソロは大体似たような感じ」であろうが、不思議な事に阿部薫の演奏というのは”飽きる”という事がありませんでした。同じアルバムを何度聴いても良い意味で体が慣れない、だから聴く毎に受けた衝撃が一旦更新されて次に聴く時も初めて聴いた時のような「出てくる最初の音をドキドキしながら待っている」という状態になりました。これは本当に不思議ですがそうなんです。


彼のソロ・インプロヴィゼーションは、さっきも言ったようにどれも強烈な衝撃と、ゾッとするような音色の美しさ、そして即興で奏でられる調制の枠を大きく逸脱しているはずのメロディがどこまでも哀しくて美しい。

1970年代初頭から亡くなる直線の1978年の演奏まで、彼は一貫してそのスタイルでありますが、1970年代半ば以降演奏に更なる緊張感を醸す無音部の”間”が多くなります。

その”間”の凄味が味わえる音源の極北といえば、やはり1978年の「最後のツアー」での北海道での音源。

『ラスト・デイト』というアルバムがあって、このアルバムは実は最後に入ってるハーモニカでの演奏が凄いんですが、1曲目がアルト・サックスの演奏で、この演奏の途中にいきなり物凄く長い”間”があるんですよ。

ガーッ!と吹いて唐突に、多分3分以上あろうかと思う異様な無音。

これをアタシは「凄い・・・」と感じたんですね。無音であるということは音が鳴ってない状態なので、それが音楽的にどうこうという訳ではないはずなのに、その無音部の中に、彼が吹くアルト・サックスの、あの断片的なメロディの”あの感じ”の空気そのものが反響している、ような錯覚に陥ってしまったんです。

うん、阿部薫の音楽知らない人にとってみれば「コイツは何を言ってるんだ?」な話ではあろうかと思いますが、や、だからこそこの部分は阿部薫という人をまだ聴いた事ない人にとって物凄く大事な部分だと思いますんで、はい「そういう音楽なんだな」と思ってくだされば幸いです。ほんとにね、真剣にのめり込んで聴けば聴くほどそういう不思議な事がちょくちょく起こるんですよね。

さて、今『ラスト・デイト』の話が出ました。

このアルバムは、1978年の8月28日に彼の最後の演奏活動となった北海道ツアーにて録音されたもので、発掘されリリースされたのが1989年という、いわゆる未発表音源というやつでした。

そう、これこそが阿部薫の最後の演奏とずっと言われていた音源でしたが、それから14年後の2003年に『ラスト・デイト』の日の翌日に行われた室蘭でのレコーディングが『ラスト・レコーディング』としてリリースされ、コチラは20分足らずの短い演奏でしたが全編サックスを吹いていて、そのエモーショナルな内容に大変ド肝を抜かれた事を覚えています。

話をちょっと横道で整理します。

阿部薫は1978年9月9日に催眠剤の過剰摂取により亡くなっておりますが、その直前に行われた北海道ツアーは、8月27日に小樽、8月28日に札幌、29日に室蘭、そして最終日の30日に旭川という日程でありましたが、このうち旭川での正真正銘の最後の演奏が録音されることなく永遠にその場限りのものとなっております。


で、『ラスト・デイト』に書かれていたライナノーツで、アタシは気になる一文を見付けました。その内容は、実は阿部薫はこのラストツアーのおよそ1年前の1977年に北海道で演奏してて、その時札幌の『アイラー』というジャズ喫茶でライヴをしたと。で、78年に演奏した札幌の『街かど』というお店では、サックスの音が天上に反響してしまった事にちょっと納得が行かない様子で「アイラーの方が良かった、ツアーが終わったらまたアイラーでやるよ」と言って『アイラー』の主人もそのつもりだったが、結局旭川から戻ってきた阿部の疲労が激しかった様子だったのでライヴは行われなかった。という内容でした。

これを読んでアタシの中では当然、本人が”良かった”と言ってた『アイラー』での演奏が聴きたいという気持ちと、もし78年のラストツアーの最後に『アイラー』でのコンサートが行われていたらどうだったんだろうという二つの気持ちが膨らみました。

が、77年の『アイラー』での音源は、CDとしてリリースされてなかったんですね。

90年代から2000年代は、町田康・広田レオナ主演の映画『エンドレス・ワルツ』の影響もあって、にわかに阿部薫への注目が彼の演奏をリアルタイムで体験したことのない世代の人からも集まったことと、関係者の尽力によって様々なレーベルから彼の未発表ライヴがリリースされておりましたが、その中にも1977年札幌『アイラー』での演奏はありませんでしたので「あぁ、こりゃあもう永遠に幻だな、でもそういうのがあるのって何だか”らしい”な」と、想像の隙間にその幻をそっとしまいこんでおりました。



19770916 @ AYLER, SAPPORO
【パーソネル】
阿部薫(as-@AC,sopranino-B)

【収録曲】
1.solo improvisation 19770916-1 (alto)
2.solo improvisation 19770916-1 (alto)
3.solo improvisation 19770916-1 (sopranino)
4.solo improvisation 19770916-1 (alto)

(録音:1977年9月16日)




ところが「出た」んですね。その幻の音源が、何と演奏から43年後の2020年というほとんど半世紀に近い時を経て誰もが聴けるCDとしてリリースされたんです。

そういやちょっと前に「音源はどこかにあるけど色々事情があって埋もれてるはず」という話は聞いておりました。けどそれはもう関係者でも何でもない、単なる1ファンのアタシが”聞いた話”であって、過剰に期待したり、彼の音楽以外の事をあれこれ考えるのはやめようと思っておりました。

それだけにこのリリースは、ちょっと衝撃というよりも、リリースのニュースを聞いた瞬間に思考が吹っ飛んで狂喜しました。

単純に考えても、1977年の阿部薫といえばそれまでの悲哀と激情の凄まじい次元での炸裂というか、そういう演奏からあの独特の空間そのものを凝縮させるかのような”間”を多用した演奏に変化してゆく丁度その過程の演奏です。CDを聴く前に「どうなんだろうどうなんだろう」と、ワクワクしながらも緊張して、音が出てくる前から自分の感覚の妙な部分が研ぎ澄まされてゆく、つまり「阿部薫を聴く前に起こるいつもの不思議な感覚」があって、何故か「よし!」と声が出ましたが、何故なんだろうとか考えません。「そういうもんだ」と思った方が良いんです。

で、演奏です。

「ギュルル!!ギャギャギャギャギャギャギャギャーーー!!!!!!」と吐き出される最初の一発目の音から「あぁ、これ・・・」です。

良いとか悪いとかそういうのじゃなくて、人間の「本気」(よく言われるそれではなく、人間にある限界みたいなものを突破する程の気迫という意味です)。最初から最後まで、即興で繰り出されるフレーズから無音に至るまで、或いは演奏が終わってお客さんの拍手が鳴っているその場の空気中にまでそれがみなぎっている。30分ぐらいの演奏ですが、長いも短いもありません。凄まじい本気に圧倒されて息を呑んでいる間に音楽は遥か彼方に消え去って行ってしまいます。

冷静になって解説らしいことをすれば、全体にみなぎっている空気感は、初期の鋭く圧倒的なスタイルのそれ。でも、音とメロディの美しさは1970年代後半の、ただ”凄い”だけじゃなくて何かこう凄さを超越したヘヴィな陶酔に彩られております。

2曲目最初付近の無音部と、3曲目ソプラニーノの高音で奏でられる「風に吹かれて」のメロディなどは、やっぱり聴く人の意識を遠い所へかっさらって行く強力な”美”だなぁと思うのです。








(販売はアマゾンでも行っておりますが、↓にメーカー直送の確実迅速なページがありますのでぜひご利用ください↓)

http://www.doubtmusic.com/mart/new.html




doubtmusicオフィシャルHP









”阿部薫”関連記事



『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 22:34| Comment(0) | ジャズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする