2021年01月09日

フレッチャー・ヘンダーソン ハーレム・イン・ザ・サーティース

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フレッチャー・ヘンダーソン/ハーレム・イン・ザ・サーティース
(OLYMPIC/アブソード・ミュージック)


ちょいと思うところあって、年末年始は「グッド・オールド・ジャズを聴こう!」と気合いを入れて、色々と聴いておりました。

オールド・ジャズって何だろう?と思う方もいらっしゃるのでちょいと解説をしましょう。ってか、解説するまでもなく、大体アタシの場合は戦前のスウィング・ジャズと、それよりも古いジャズをオールド・ジャズと呼んでおります。

ジャズの場合はハッキリとビ・バップを挟んでそれ以前それ以降で音の傾向みたいなのも違いますし、編成も違うのでとてもわかりやすいんですよ。モダンなジャズの場合は「よし、さぁ、今日はジャズを聴くぞ!」という時に聴いて己を高めるもの、オールドなジャズの場合は何となく幸せな気分になりたい時に聴いて己を幸せな気分にするためのもの、と何となく認識してはおります。

これはもちろん大雑把な話で、もちろんモダンなジャズの中でもほんわかいい感じにリラックスさせてくれるものもありますし、オールド・ジャズも最初は「あぁ〜良いですな〜」とか言いながら聴いているうちに、ビッグバンドの圧倒的なスウィング感の源になっているミュージシャン達の技量の奥深さについつい真剣に聴き入ってしまうことなんて毎度なんですが、そもそもが戦前のスウィングジャズや初期のデキシーランドとかは、その場にいるお客さんを楽しませてなんぼの音楽。やっぱりその核心みたいなものは、聴いてて心がぷわ〜っと華やいだり何か上等な気分に浸れたり、そういうところにあると思うんですね、えぇ。

はい、そんなこんなで殺伐としたニュースばかりの今の時代、皆さんに少しでも幸せな気分になって欲しいと思いますので、今日は極上のグッド・オールド・ジャズをご紹介いたしましょう。

1920年代後半から30年代にかけて、ジャズの最新の流行というのはビッグ・バンドが演奏するゴージャスなスウィング・ジャズでありました。ジャズという音楽は、まずアメリカの南の入り口である軍港の街ニューオーリンズで1900年頃に誕生しましたが、やがて軍港が廃止になってミュージシャン達は新天地を求めて北部の大都市へと移り住みます。

最初に彼らを受け入れた街がシカゴ。ここでジャズ王と言われたキング・オリヴァー、その後継者と言われ人気上昇中だったルイ・アームストロングらがジャズという音楽をあっという間に全国に拡げ、彼らはその勢いを得て、アメリカの経済と文化の中心地である大都会ニューヨークへと進出します。

1920年代のニューヨークにはハーレムという地区があって、ここがアメリカ各地とカリブ海から集まってきた黒人達の一大居住区として爆発的な人口の増加を迎えておりました。同時にここでは都市での自由な生活を手に居てた人々によって作られた、ハーレム・ルネッサンスと呼ばれる独自の黒人文化が花開いてもおりました。

さて、音楽の分野でハーレムといえば、何と言っても有名なのはビッグ・バンド、スウィングの王でありますデューク・エリントンですが、本日ご紹介するのはエリントンよりも少し早くにニューヨークでジャズを進化させ、30年代の黄金のスウィング・エイジの基礎を築いたフレッチャー・ヘンダーソンという人であります。

ヘンダーソンは1897年にアメリカ南部のジョージア州に生まれました。

父親は大学の学長まで務めた教育者で、彼自身も幼い頃から非常に恵まれた環境で一流の教育を受け、ニューヨークのコロンビア大学に進学しております。

後にミュージシャンになる人だから音楽学校に行ったのかと思いきや、少年時代の彼には化学者になるという夢があり、コロンビア大学でも専攻は化学でこの頃は音楽の”お”の字もありませんでした。

やがて大学も優秀な成績で無事卒業、名門大学卒業という輝かしい経歴でもって意気揚々と就職活動に励むのでありますが、当時はまだ都会のニューヨークとはいえ、人種差別が残る時代。「黒人である」という理由で彼は希望する化学の研究者にはなれず、やむなくブラック・スワン・レコードという、初めて黒人の手によって設立されたレコード会社の社員として就職し、これが生涯続く音楽との縁の始まりになるのです。

実はヘンダーソンの母親は、ピアニストでもありました(コンサートを行って収入を得ていたのか、教室で生徒を教えるような先生だったのかは不明)。幼い頃から彼は”習い事”として、母親からクラシック・ピアノの手ほどきも受けていたんですね。

そんなこんなでブラック・スワンのオーナーのハリー・ペースは、彼にレーベルの音楽監督兼レーベルのハウス・ピアニストという職を与えました。

ここで重要なのは、ヘンダーソンは黒人、しかもジョージアというアメリカの南部で生まれ育ちながら「それまで全くジャズやブルースに親しんでなかった」という事なんです。一説によりますと、クラシック・ピアニストの母親から「ジャズやブルースなんぞは堕落した下等な音楽だから絶対に聴いてはいけない」と厳しくしつけられていたとか。

ともかく音楽理論には精通していて、ブルースシンガーのバックで端正な伴奏が出来るので、ヘンダーソンはあっという間に売れっ子となり、ブルースの皇后ベッシー・スミスなど、色んなシンガーのバックでピアノを弾きます。

音楽家になるなんて思ってもいなかったヘンダーソンは、根が真面目でしっかりした人なので、与えられた仕事をキッチリとこなすだけではなく「ジャズがもっとカッコイイものになるにはどうしたらいいんだろう?」という事を真剣に考え、ピアノ演奏だけではなく、アレンジの研究に熱を入れるようになります。

そうこうしているうちにシカゴからニューヨークに出て来たばかりのルイ・アームストロング、若きテナー・サックス奏者で後にジャズにおけるサックス奏法の創始者と呼ばれることになるコールマン・ホーキンスなど、錚々たるスター・プレイヤーが彼の楽団に参加するようになり、そんな優れたソロイストを得たヘンダーソンは、彼らにそれまでのオールド・ジャズにはなかった独創的なソロを吹かせる事で”スウィング”というジャズの新時代を切り開いたのであります。

それまでのジャズといえば、西洋音楽に”ぶん、ちゃっ。ぶん、ちゃっ”というシンコペーションを付けてコード進行にセブンスという”濁る音”を混ぜたラグタイムが基本でした。

もっと分かりやすく言えば、運動会のかけっこの時に流れるBGMみたいなもの、と言えば良いでしょうか。とにかく「ぶん、ちゃっ、ぶん、ちゃっ」というリズムに乗って、仲良くテーマが合奏され、その後コルネットやクラリネットやピアノがソロを取り大団円。という流れ。この時代のジャズはひたすらホールのお客さんを踊らせるためのものだったので、それで全然盛り上がったんです。

ヘンダーソンはこの、ラグタイムを基調とした曲調の中で、様々なハーモニーを加え、楽曲によりムーディーな奥ゆかしさのようなものを生み出す事に成功しております。

メロディ面については、陽気な曲調にはあんまり合わないと思われていたマイナースケールを効果的に用いて、これまたただ景気よく盛り上げてなんぼのジャズに、リアルな”夜の空気”を吹き込んで、イメージを決定付けもしました。




ハーレム・イン・ザ・サーティーズ



【パーソネル】
フレッチャー・ヘンダーソン(p)
ボビー・スターク(tp)
レックス・スチュワート(tp,vo@I)
ラッセル・スミス(tp)
ジミー・ハリスン(tb)
クロード・ジョーンズ(tb)
ベニー・モートン(tb)
ベニー・カーター(as,cl)
ハーヴェイ・ブーン(as)
エドガー・サンプソン(cd,as,vln)
コールマン・ホーキンス(ts)
クラレンス・ホリディ(g)
ジョン・カービィ(b)
ウォルター・ジョンソン(ds)

【収録曲】
1,ユー・ラスカル・ユー
2.ブルー・リズム
3.シュガーフット・ストンプ
4.ロウ・ダウン・オン・ザ・バイユー
5.トゥウェルブ・ストリート・ラグ
6.マイレンバーグ・ジョイス
7.アフター・ユーヴ・ゴーン
8.スターダスト
9.タイガーラグ
10.サムバディ・ストール・マイ・ギャル

(録音:1931年)


知的で洗練されたヘンダーソンのビッグ・バンド・サウンドは正に、当時黒人が都会で自ら勝ち取った芸術的価値観を象徴するような輝きに溢れておりました。それぞれに事情と野望を抱えた凄腕のミュージシャン達が一旗上げるために彼のバンドに集まり、その斬新なアレンジの中で次々にその才能を開花させたそれは、正に奇跡を目の当たりにするような感動とイコールであります。

アルバム『ハーレム・イン・ザ・サーティース』は、1930年代初頭最も勢いのあった時代のフレッチャー・ヘンダーソン楽団の音源から10曲をチョイスしたコンピレーション・アルバムです。すぐに売れっ子となって独立していったルイ・アームストロングこそもうおりませんが、コールマン・ホーキンスの野太い音での華麗なアルペジオ奏法を中心に、ソロを取るミュージシャン達の演奏は素晴らしく、ハーレムの黒人達そのものの歓喜や悲哀すら、リアルに感じさせてくれます。

残念ながら学者肌で穏やかな性格だった彼自身は、バンドに集まるクセの強いミュージシャン達を束ねる剛腕はなく、自身のオーケストラも1939年には完全に解散。もっと長く活躍し、音源もたくさん出していたならば、デューク・エリントンやカウント・ベイシーの先達としてもっともっと認知され、その後のジャズも少し違うものになっていたかも知れません。

ヘンダーソンはその後、ベニー・グッドマン楽団のアレンジャーとして、自身が嚆矢を放ったスウィング・ジャズの最盛期のサウンド作りにも大きく関わっております。


最後にひとつ余談ですが、この時期のヘンダーソン楽団に参加しているギタリスト、クラレンス・ホリディはビリー・ホリディの父親です。ベッシー・スミスとルイ・アームストロングに憧れ、小さい頃から彼らのレコードを聴いていたビリーの父親と憧れのシンガー達の共通するバンドリーダーが同じフレッチャー・ヘンダーソンであった事、そして様々なバンドやセッションを渡り歩いていたクラレンスが生涯で残した唯一の録音物がフレッチャー・ヘンダーソン楽団に在籍していた時期のもののみであるという事に、何というか深淵な巡り合わせのドラマを感じずにはおれません。




『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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(2020年12月、阿部薫の本が文遊社より発売されます。私も少しですが執筆に参加しております。)
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2020年11月23日

セシル・テイラー ソロ

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セシル・テイラー/ソロ
(トリオ・レコード/DEEP JAZZ REALITY)


ジャズって音楽は、そもそもが1900年代初頭のニューオーリンズで産声を上げたその時から

「音楽の理論から外れた、何だか調子の狂った騒がしい音楽」

と、思われておりました。

ここで言う”音楽理論”ってぇのは、西洋のいわゆるクラシック音楽です。

クラシックには長調(メジャー)と短調(マイナー)の2つの概念しかない。リズムのシンコペーションというのも「正しいテンポから外れておるもの」とされておったんですね。だから黒人やクレオール(フランス系白人とアフリカ系黒人の混血)の連中が、めいめい勝手なシンコペーションを持つリズムを「コレがイカす!」とやって、展開の節々に長調でも短調でもない濁った音(いわゆるセブンスです)を混ぜながら弾いたり吹いたり叩いたりしておるのを聞いて

「これはいかん、音楽ではない!」

と、衝撃を受けたというところから始まっておるんですね。

その辺はルイ・アームストロングやビリー・ホリディが出ている『ニューオリンズ』っていう素晴らしい映画があるので、ぜひご覧になってください。




んで、そんなジャズの誕生から大体20年ぐらい経って、「え、いや、これはこれでイカした音楽だよ」ということで、ジャズは多くの人に認められ、クラブや劇場、そしてレコードなどのショウビジネスには欠かせない音楽として愛好されるうちに、今度はそのシンコペーションや”濁った音”を使った楽曲や演奏というものでもって、独自の音楽理論を作れるようになっていった。

つまり洗練とか進化とか、そういうものを独自に行うようになったんですね。

ほんで、第二次世界大戦が終わる頃には、その理論というのもなかなか込み入ったものになってきて、それまでホールのお客さんを踊らせたり笑わせたりするような事が主だったジャズという音楽は、ライヴハウスで「じっくり聴く」という鑑賞芸術として徐々に完成されて行ったんです。

じゃあそういう風に洗練を極めたジャズは、じっと静かに聴くような大人しい音楽になって行ったかというとこれは違います。

今度はその出来上がったジャズの理論から、如何に飛躍するか?どうやって音楽的な自由度を高めて行くか?というミュージシャンそれぞれの挑戦が始まりました。


ほとんどのミュージシャンは、音楽として気持ちよく聴けるギリギリの所でリズムやコード進行などを変えたりアドリブの中で”かっこいいハズし方”などに工夫を凝らしてそれを個性やスタイルとして確立していったのですが、時に「音楽そのものとして根本的にアウトしている、ジャズとしてもこれはかなり大胆にセオリーをぶっ壊している」という手法に踏み込む人が現れました。

それは1950年代も半ばから後半に差し掛かろうとしていた頃、ジャズの世界に現れたセシル・テイラーとオーネット・コールマンのスタイルというのが、正にそういった「それまでのジャズのお約束ごと」のようなものを根底からブチ壊すような、過激で自由な演奏でありました。

後にこの2人のスタイル、そしてこの2人に刺激されて、コードやスケール、そしてリズムの調制を大胆に逸脱する実験的な演奏は”フリージャズ”と呼ばれるようになりました。

ほほぉ〜、ってことはセシル・テイラーとオーネット・コールマンってのは、フリージャズの元祖って事だからやっぱり似たようなスタイルなのか〜。

と、思ってたんですが、実はこの2人のスタイルってのは全然似ていない、というか真逆な印象を受けるように思えます。

もちろんセシル・テイラーはピアニストで、オーネット・コールマンはアルト・サックス奏者って事で、使う楽器がまず決定的に違うってのはあるんですがそれだけじゃない。共に音楽理論のしきたりを大きく逸脱した音楽をやりながらも、何というかテイラーの音楽には無秩序というキッチリとした秩序があり、オーネットの音楽は「秩序とかいーんだよ」っていうような、あっけらかんとした楽しさがある。そんな風にずっと感じておりましたし、今も何となーくそう思っております。

で、本日ご紹介するのはセシル・テイラーであります。

セシル・テイラーは1929年にニューヨークで生まれました。年代的にはジョン・コルトレーンやソニー・ロリンズらとほぼ同年代、つまりモダン・ジャズが隆盛を極めた1950年代に、20代の若手としてシーンに出てきてその後のシーンを牽引した主な世代であります。

比較的裕福な中産階級の家庭で育ったテイラーは、6歳からピアノを弾き始め、21歳の頃にはプロのジャズ・ミュージシャンとして活動を開始します。

同時に彼は学校に通い、クラシックの技法や理論も学んでおり、プロデビュー後の1952年にニューイングランド音楽院に入学し、そこで作編曲の理論を本格的に勉強しながら、バルトークやシュトックハウゼンら、いわゆる現代音楽と呼ばれる前衛的な手法で楽曲を作っていた作曲家達の作曲スタイルの研究にのめり込みます。

少年時代から夢中で聴いて憧れていたデューク・エリントンのピアノ・スタイルと現代音楽。この2つの巨大な影響を融合させたテイラーは、過激な中にどこかピンと秩序の糸が張っているかのようなスタイルを早くから完成させます。それはそれまでのジャズや音楽の理論的なものから見ればかなり常識を逸脱した捉えどころのないようなスタイルで、1956年に最初のレコードをリリースするも、耳にしたほとんどの人からは「あんなものはデタラメだ」「全然スイングしていない」との酷評され、遂に50年代は正当な評価を得られないまま、不遇の時を過ごす事になります。


テイラーがようやく世に認められ始めたのは、1960年代半ばを過ぎてから。つまり彼やオーネット・コールマンらの「音楽理論の常識に囚われないスタイル」に影響や感銘を受けた様々なミュージシャン達が、次々と実験的なコンセプトの演奏を世に出すようになってから。

特に晩年のジョン・コルトレーンがフリーフォームな表現も取り入れ、それが大きく話題になると、その「前衛」「アヴァンギャルド」と形容されるスタイルのパイオニア的存在として、セシル・テイラーにも注目が集まるようにもなったのです。



ソロ(日本独自企画、最新リマスター、新規解説付)


【パーソネル】
セシル・テイラー(p)

【収録曲】
1.コーラル・オブ・ヴォイス(エリージョン)
2.ロノ
3.アサック・イン・アメ
4.インデント

(録音:1973年5月29日)


前置きが大分長くなりました(汗)。そんなテイラー独自のピアノって、一体どんな感じなんだろうとお思いの方には、まずソロ・ピアノで彼の個性をどっぷりと浴びてみる事をオススメします。

いきなりメロディも何もぶっ飛ばしたような「ガラガラガラ!」「ゴガッ!!」「ドゴゴゴ!!」という鍵盤の乱打に、まずほとんどの方が「え?何これ!?全然わかんない・・・」と困惑すると思います。いや、それでいいんです。アタシも最初はそうでした。

いかにフリージャズといえども、例えば晩年のコルトレーン、アルバート・アイラー、阿部薫、オーネット・コールマンなんかがアドリブで繰り出すメロディーからは、どこか切なさだったり郷愁を感じたり、そういう”意外な歌心”みたいなものにグッときたりウルッとなったりして、それにたまらなく惹かれてしまう。でも、セシル・テイラーは、いや、セシル・テイラーだけはそういうセンチメンタリズムみたいなのが一切なかった。

たとえれば冷たい金属の巨大な構造物が、キラキラと輝く破片を散らしながら永遠にぶっ壊れているのを、ただ茫然と見つめているしかないという感じでありましたが、いや、そこなんですよ。テイラーのピアノの、他の追随を許さない孤高のカッコ良さは、その徹底して”美”のみを追究した、容赦ない音楽の解体にこそあるんだなと思うんです。

ソロで聴くテイラーのピアノは、とにかく音が寸分の濁りもなく澄み切っていて、一見めちゃくちゃに聞こえるフレーズにも、ハッキリとした秩序があるように、どうしても感じてしまいます。というか、ピアノという楽器はとても難しい楽器で、感情がこもり過ぎてしまうと、どうしても音がべちゃっと潰れてしまうんですね。特にジャズの場合は、むしろそれが味になるようなところがあったりするんですが、テイラーの音はどんなに激しく鍵盤を叩いても一切潰れないし歪まない。

これは凄い事なんですよ。どういう事かというと、88個ある鍵盤をフルにコントロールして鳴らす事が出来ている。しかもこういう既存のスケールから完全に逸脱しているスタイルでこれが出来るという事は、鍛錬に鍛錬を重ねて、理論的にも実践的にも常に最高のレベルでこの人はピアノという楽器に向かっているということ。

セシル・テイラーは自宅にいる時はずっとピアノの練習をしていたみたいです。

まず鍵盤の一番低い音を「ゴーン」と綺麗に鳴らす、そして次は隣の鍵盤、その隣・・・といった具合に全部の鍵盤を最低音から最高音までゆっくり鳴らす。それから8時間の練習を、毎日毎日していたという凄まじい話を雑誌で読んだ事があります。

このアルバム、というかテイラーの作品全部、メロディもリズムもどれひとつ定型に収まっていないのでありますが、その”収まっていない”というのがもうひとつの様式であるのかなとも感じさせます。ピアノの音の美しさに最初ハッとなり、最近は小間切れ不定形のリズムが生み出す不安定な(でも圧倒的な)グルーヴの”波”が心地良いです。

ずっと理解とかそういうものと無縁な、ただもう息苦しい程に圧倒的で美しいものとして、この人の音楽を楽しんで行きたい、そう思います。









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2020年09月29日

ビル・エヴァンス ライヴ・イン・トーキョー

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ビル・エヴァンス/ライヴ・イン・トーキョー
(CBS/ソニー・ミュージック)


9月は仕事(正業)の方の疲労と別件の短歌の方で色々とあり、すっかりブログも更新出来ないままに日々が過ぎておりました。読者の皆さん本当にすいません。。。

さて、奄美はまだ少し動けば汗が出るぐらいの気温ではありますが、それでも夕方の陽が落ちるのが早くなり、そして日差しが和らいで涼しい風が吹くようになりました。

えぇ、秋でございます。待ちに待った秋でございますよ。

秋といえば聴きたくなるものといえばビル・エヴァンスですよね。

まぁその「ビル・エヴァンス誰?」という人であっても、少し涼しくなって外を流れる空気の中に何かこう切ないものが混ざっているのを感じる方なら、彼の儚くも美しく、そしてどこか甘美なあやうさに満ちたピアノを耳にすれば

「あぁ...、良いね」

となってくれるものと信じて、毎年アタシはリアルでもネット上でもビル・エヴァンスの話題に触れますし、このブログでも毎年エヴァンスの作品を採り上げてなるべくそのニュアンスをお読みになってくださっている皆さんに伝えようと頑張っております。

エヴァンスといえば、これはもう何度も何度もあちこちで書いておりますが、最初はアタシも

「何だか綺麗でオシャレだな〜、聴き易いピアノだな〜♪」

と、割とユルい感じで付き合える。そんな優しさを感じていたのですが、ある日突然、その綺麗でオシャレで優しいフレーズの中に含まれた物凄い質量の「悲哀」や「どうしようもなさ」に惹かれるようになって、以来20年、ずっとずっと中毒です。

20年以上に及ぶキャリアの中で、彼はジャズマンとしては格別な人気があり、出したアルバムはそれこそたくさんありますが、そのどれもが美しさと悲哀を目一杯感じさせる素晴らしいものであります。時期によってメンバーが変わったり、編成もちょこっと増えたり減ったりはありますが、基本的にはトリオ編成が主で、そして彼のピアノが醸す切ない切ないニュアンスというものは、どの時期のどんな編成でもずっと変わらず感動を届けてくれます。

今日ご紹介するのは、エヴァンスのライヴ名盤として根強い人気の『ライヴ・イン・トーキョー』であります。

これは1973年に、ビル・エヴァンスが初めて来日した時に、東京の郵便貯金ホールで行われたコンサートを収録したものであります。

エヴァンスの本格的なプロデビューは1956年です。そして1959年にスコット・ラファロ(b)、ポール・モチアン(ds)とトリオを結成し、それからトリオによる基本編成はメンバーを幾度か変えながら、70年代には3代目のベーシストとしてエディ・ゴメス、2代目ドラマーのマーティ・モレルが加入して、このトリオでの活動が最も長く安定したものとなるのですが、この時代のエヴァンスのプレイもまた、長い付き合いのメンバーと深い音楽の対話を重ねながら自己の音世界をどんどん研ぎ澄ませてゆく。そんな心地良い緊張感に溢れたものが多いんです。

で、日本でのエヴァンス人気というのは、1959年にマイルス・デイヴィスの名盤『カインド・オブ・ブルー』への参加から特に目覚ましいものがあり、多くの大物ミュージシャンが来日した1960年代半ばから後半にかけては特にレコードもよく売れ、ジャズ喫茶でもアルバムが頻繁にリクエストされ、エヴァンスがかかると大勢のお客さんが静かにうなだれて真剣に聴き入る光景が、全国で見られたというぐらいですから、やはりのめり込む人が相当多かったんじゃないかと思います。

さて、エヴァンスはトリオ最初期の名盤『ワルツ・フォー・デビィ』や『サンデイ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』がライヴ盤であるように、ライヴアルバムで素晴らしい作品を残す人でもあります。

特に1960年代末からは『ライヴ・アット・ザ・モントルー』『モントルーU』『ライヴ・イン・パリ』『ジャズハウス』など、世界を股にかけての素晴らしいパフォーマンスをライヴ・アルバムとして残していた、いわば脂の乗り切った時期。来日が決定し、それを録音する事も決まった時、ファンや関係者の期待というか喜びはどんなものだったでしょう。想像するだけで胸に熱いものがこみ上げてきます。


当時多くのジャズ・ミュージシャンにとっては日本という国は「たくさん稼げる良いマーケット」でありました。

ちょいと納得がいかない演奏であっても客は行儀よく鑑賞し、惜しみなく拍手を送る。

これはまぁ素晴らしい事なんですが、ミュージシャンによっては

「今の演奏良かったのかい?アイツらみんな拍手してるけどオレにはよくわからんなぁ」

とか

「まぁ日本だからどうせちょっとばかり気を抜いても有名なスタンダートとか”トーキョーなんたら”とかいう曲作ってやりさえすればウケるしいいんじゃね?」

みたいな考え方で、ちょいと小馬鹿にして適当な演奏をする人もおったとかおらなかったとか・・・。

それに日本企画のアルバムというのも割と短絡的な「そのミュージシャンの人気曲とかスタンダードの美味しい曲を入れれば売れるんじゃね?」的なものも、あったりするんですよね。特に大手メーカーが絡むとどうもそんな傾向が強いものも出ていたりしました。

で、エヴァンスのこのアルバムなんですが、企画制作はメジャー中のメジャーであるソニー・レコード、しかもエヴァンス自体が日本ではジャズファン以外も「オシャレだよね」と聴くぐらいの絶大な人気。

だもんでアタシは正直最初敬遠しておったんです。

「ん〜、エヴァンスは他のレーベルのやつ聴いてりゃいいかな。日本企画のライヴ盤なんてそれこそミーハーなノリだったら怖いし」

と。




ライヴ・イン・トーキョー(期間生産限定盤)


【パーソネル】
ビル・エヴァンス(p)
エディ・ゴメス(b)
マーティ・モレル(ds)

【収録曲】
1.モーニン・グローリー
2.アップ・ウィズ・ザ・ラーク
3.イエスタデイ・アイ・ハード・ザ・レイン
4.マイ・ロマンス
5.ホェン・オータム・カムズ
6.T.T.T.T.
7.ハロー・ボリナス
8.グロリアズ・ステップ
9.グリーン・ドルフィン・ストリート

(録音:1973年1月20日)



が、ちょっと待て。楽曲のクレジットを見る限りでは、ライトユーザーが喜びそうな有名スタンダードといえば『オン・グリーン・ドルフィン・ストリート』ぐらいで、エヴァンスの定番である『ワルツ・フォー・デビィ』とか『ナーディス』とかの人気曲すら入っていない。

これは、もしかしたらエヴァンスのライヴアルバムの中でも実はかなり硬派な部類に入るのではないか?そうでなくても「いやぁ、派手じゃないけど何かいいんだよね」ぐらいの味わい盤なのではなかろうか?と、何となく直感がザワザワ動いたんですよ。

で、聴いてみたらこれが・・・。

「ほ!!!!めちゃくちゃ良いではないか!!!!!!!」

なアルバムだったんです。

司会の短めのアナウンスから始まる『モーニング・グローリー』の、静謐な祈りのようなピアノが「シャン...」と立ち上がってから、もうたちまち深い、祈りのような哀愁がアタシを呑み込みました。

この時期の同じメンバーでのライヴ盤、特にアタシはライヴならではのダイナミックなタッチでエヴァンスがはちきれんばかりの耽美なフレーズと共に駆け抜けるかのような『モントルーU』が好きでしたが、この『ライヴ・イン・トーキョー』は、そんな”動”のエヴァンスとは対照的な、ひとつひとつの音を丁寧に慈しむかのように繊細に歌わせる”静”のエヴァンス。

もちろん曲によってはアグレッシブにピアノとベースとドラムが狂おしい火花を散らせる展開もあるのですが、ほとんどの曲はエヴァンスが内側の奥底にある底無しの悲哀の海にどんどん沈み込んで、それにメンバー達が美しいアクセントを付けながらムードにどこまでも深い色彩を加味してゆくという、高い芸術性という言葉を意識して聴かざるを得ない、そんな詩情そのものな内容です。

お客さんの反応も真剣そのもので、歓声や話し声はおろか、拍手以外の音を一切立てず、一音一音集中して聴き逃すまいとしながらエヴァンスと一緒に深い悲哀の海へと意識を沈めて行くような、そんな雰囲気に思わずスピーカーの前のアタシの意識を呑み込まれてしまいます。

あと、特筆すべきは録音の素晴らしさ。

70年代以降のエヴァンスのピアノは基本的にシャキッとした硬質なタッチであり、エディ・ゴメスのベースも固めの音で軽快に動いている感じの録音が多いのですが、このアルバムでのエヴァンスのピアノの音は、まるで初期60年代のトリオ時代のようにふくよかでしっとりとした余韻を湛え、エディ・ゴメスのベースもしっかりとした低音を気持ちよく響かせております。










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2020年08月24日

ジーン・アモンズ グルーヴ・ブルース

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ジーン・アモンズ・オールスターズ/グルーヴ・ブルース
(Prestige/OJC)

テナー・サックスという楽器は、その魅力的な中低音域の特徴ゆえ「ズ太い」とか「男らしい」とかいう形容でよく語られる楽器であります。

特にジャズの世界では、1920年代にコールマン・ホーキンスがその特徴をフルに活かしたソロを吹いてから、その影響を受けたテナー奏者が次々と現れるようになり、30年代のビッグバンドの時代になると、それまでソロの花形だったトランペット(コルネット)に代わってステージで喝采を浴びるソロの主役と呼ばれるようになりました。

はい、ジャズ・テナーをソロ楽器にしたコールマン・ホーキンスという偉人は、世界中の全てのテナー吹きから「親父」と親しまれる存在でありますが、そのホーキンスのズ太く男らしいテナー・スタイルは、アルト奏者のチャーリー・パーカーがビ・バップという全く新しいスタイルを築き上げてから、やや古臭いものと言う人もおるのですが、どっこいジャズやR&Bのテナー奏者達の中には、バップ・マナーも取り入れながら”親父(コールマン・ホーキンス)のタフで豪快なスタイルへのリスペクトを忘れない人達がちゃんといて、時代がどう変わろうが一定の勢力と人気を誇っていたんですね。

モダン・ジャズではソニー・ロリンズやデクスター・ゴードンといった大物達、R&Bの”ホンカー”と呼ばれるブルース野郎達、そしてアーネット・コブやイリノイ・ジャケーといった、アメリカ南部出身の”テキサス・テナー”の人達、それらをひっくるめて1950年代〜60年代以降もテナー本来のズ太い音と、小細工ナシのブルージーなフレーズ一発でライヴでもレコードでも豪快なブロウでファンを楽しませていた人達を「ボス・テナー」と言います。

この”ボス・テナー”という言葉、いつ誰が言い出したのか分かりませんが、戦後のジャズ・テナーで”ボス”と呼ばれていた、豪放磊落な性格そのものが音になったような、タフで貫禄に溢れたプレイで人気を博したテナー吹きがおります。その名もジーン・アモンズ。

一説によるとこの人の演奏を聴いてかつその豪快な人柄に触れた関係者が「アイツぁボステナーだな」と言った事が、この「ボステナー」なる言葉になって定着したと言われておりますが、その真偽はよくわかりません。が、彼は実際そう呼ばれていて、本人もその呼び名を気に入り、わざわざ「ボステナー」と冠したアルバムまでリリースしております。

偉大なブギウギ・ピアニストであるアルバート・アモンズの息子というジャズのエリートでありながら、そんな事を一切鼻にかけることもなく、気に入った現場で目一杯テナーが吹けさえすれば、レコードが売れようが売れまいがどうでもいい。ついでに後輩の面倒見はいいという、とにかく気風のいい、昔堅気の「親分!」と呼びたくなる性格だった事は確かなようで、麻薬で2回逮捕されたり、クスリの影響でセッションをすっぽかしたりとかもまぁあったようですが、ミュージシャン仲間や関係者でこの人の事を悪く言う人はいなかったどころか、この人が刑務所から出所する時は「親分、兄貴、叔父貴」と慕うミュージシャン達が刑務所の前にズラッと並んで出迎えたとか。。。


という訳で、今日はせっかくなんでそんなアモンズ親分とコルトレーンとの唯一の共演作であります『グルーヴ・ブルース』というアルバムを紹介しましょうね。

1957年に、Prestigeレコードはアモンズを中心にベテランから若手のサックス奏者を集めたオールスターズセッションを企画します。とりあえずアモンズのテナーに、実力派のバリトン吹きとして名を上げていたペッパー・アダムス、サックス、クラリネット、フルートと、あらゆるリード楽器を演奏出来る名手、ジェローム・リチャードソンは決まりましたが、更に人数多めにしてちょいと新しい個性を持ったやつをぶつけようという事で、当時Prestigeとソロ契約して売り出し中だったコルトレーンに白羽の矢が立つことになります。


で、ここからが面白いんですけど、アモンズは当時シカゴに住んでいたので、果たしてその日に遠く離れたニューヨークのスタジオに現れるかどうか、prestige側は甚だ不安だった。

だもんで、演奏も性格も安心安全なベテラン・テナーのポール・クィニシェットも、いざという時のためにスタジオに呼んでおったんですね。それで「もしアモンズ来なかったら"4サックス”ってことでそのまんまセッション初めるぞー」という感じで準備していたのですが、そこに

「おぅ・・・待たせたな野郎共」

と、はるばるシカゴから親分登場(!!)

わーいやったー!と、皆が喜んだんですが

「おいちょっと待て、オレとクィニシェットでテナーが2人、ほいでえぇと、お前何だっけ?」

「あ、アダムスです。ペッパー・アダムス」

「楽器は?」

「バ、バリトンっす!」

「オーケー。よぉジェローム!今日はおめぇ何吹くんだ?」

「あぁ、何でもいいけどこんだけサックス吹きがいるんじゃあな、オレはフルートだ」

「そうか、じゃあ頼む。・・・おい、お前は誰だ!?」

「ジョンです、ジョン・コルトレーン」

「何だって?」

「ジョン・コルトレーンです!」

「そうか、おめぇはアレか。マイルスのとこにいた若ぇ奴だろ?」

「いやその・・・色々あって・・・」

「何だって?」

「客分です!」

「そりゃあ良かったなぁ!」

「はい!ありがとうございます!!」

「ん?そういやおめぇ、テナー吹いてんだよな?」

「あ、いや・・・自分はその・・・」

「何だって?」

「昔アルト吹いてたんで今日はその、アルトを吹こうかなと・・・」

「そうかい、そいつはありがてぇ。よろしく頼むぞ」

という展開はありそうな事ですが、多分ないです。

とりあえずアモンズの考え方というのは

「オレぁテナーが吹けりゃーそれでいいんだよ」

というものでしたので、編成とかアレンジとかそういう細かい事には一切無関心で、そういう事は実質的なアレンジャーであるマル・ウォルドロンがささっと決めて、「2テナー、1アルトとバリトン、そしてフルート」というフロント編成で話はまとまって、軽く打ち合わせをしてセッションは行われたそうであります。




Groove Blues

【パーソネル】
ジーン・アモンズ(ts)
ジェローム・リチャードソン(fl,@AB)
ジョン・コルトレーン(as,@AC)
ポール・クィニシェット(ts,@A)
ペッパー・アダムス(bs,@A)
マル・ウォルドロン
ジョージ・ジョイナー(b)
アート・テイラー(ds)

【収録曲】
1.Ammon Joy
2.Groove Blues
3.Jug Handle
4.It Might As Well Be Spring

(録音:1958年1月3日)



さて、そんなこんなの”オールスターズ”とはいえ、実にPrestigeらしい出たとこ勝負のドタバタセッション、当然ながら大味な感じは否めないのですが、豪快なアモンズとジェントルなクィニシェットのテナーでの掛け合いを中心に、コルトレーンのいつものテナー・プレイのまんまなアルト・サックスに、程よく泥臭いジェローム・リチャードソンのフルート、そして実に良いコクとアクが出ているペッパー・アダムスのバリトンが、それぞれの個性を発揮して、良い感じのアットホーム感を醸しております。


前半のゆったりしたブルース調の『アモン・ジョイ』『グルーヴ・ブルース』は5管揃い踏みのゴージャスな感じ、アップテンポの『ジグ・ハンドル』は、アモンズとジェローム・リチャードソンが軽快&豪快にチェイス、バラードの『イット・マイト・アズ・ビー・ストロング』では「ススス...」という吐息混じりのサブトーンで色気たっぷりに吹くアモンズの後を受け、繊細な吹きっぷりでガラッと空気を変えるコルトレーンのバラード・プレイがとてもよろしいですねぇ。

そうそう、実はアモンズとコルトレーンって年齢はたったの2歳しか離れてないのですが、1940年代に18歳で既に名の知れたテナー吹きだったアモンズと、50年代の半ばを過ぎて、30歳手前でようやくソロのテナー吹きとして認められたコルトレーンとのキャリアの違いが生んだ音楽観の違いって結構デカいのですが、こうやってひとつのセッションで同じ曲を演奏し、その違いが出てもそれが互いの演奏を少しも侵害しないのは、何気に凄い事だと思うのですよ。特にラストのバラードでの2人の自然なやりとりを聴いていると、何故かじんわりと熱いものがこみ上げてきます。








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『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2020年08月20日

ファラオ・サンダース ラヴ・ウィル・ファインド・ア・ウェイ

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ファラオ・サンダース/ラヴ・ウィル・ファインド・ア・ウェイ
(ARISTA/ソニー・ミュージック)

いやぁ毎日暑いですねぇ、暑い、熱い、アツいといえば、後期コルトレーン・バンドで一人「ぶぎゃああぁぁあ!!ぼごぉぉぉおおお!!」と凄まじい悲鳴のような絶叫テナーを吹いていたファラオ・サンダースを思い出しますね。

もちろんアタシもコルトレーンの横でアナーキー極まりない(場面によっちゃあコルトレーンより強烈なインパクトを残してゆく)ファラオのプレイを聴いてファンになった一人です。

で、彼のソロ・アルバムに関しては「いやもう他人のサイドマンでこんだけやっちゃってるんだから、ソロだともっと乱暴狼藉な凄まじいフリージャズをやってるに違いない」と期待して、まずはImpulse!盤、そしてその後70年代以降に色んなレーベルに残したアルバムを順次聴きまくったんですね。

そしたらそしたら、意外な事にこの人のソロアルバムというのは、どちらかといえば聴いてて穏やかな気持ちに包まれる、ナチュラルなグルーヴ感溢れる”楽園”のムードに満ちたものが多かったんですね。

ソロになった最初の頃のImpulse!盤の70年代初頭のアルバムは、民俗音楽のようなトランス感がグイグイ意識を持って行くアルバムも多いです。曲だって長いものが多い。それが徐々にソウルやファンクみたいな、メロウでファンキーで、何よりキャッチーな曲がどんどん増えていって、Impulse!を離れた後のアルバムは、ほとんど何か踊れるものが多くなっているんです。

これにはびっくりしました。

ファラオの吹くテナー自体は、相変わらず「ぶぎゃあああ!ぼぎゃぁああ!!」とフリークトーンを炸裂させているにも関わらず、曲調がファンキーだったりピースフルだったりするので、こういうフリークトーンすら、何というか歓喜の叫びに聞こえてしまう。

じゃあ期待していたフリージャズなファラオじゃなくて、キャッチーでピースで”踊れる”ファラオにがっかりしたのかといえばそれは逆で、むしろ知らずに買ったファラオのアルバムの中にキャッチーな踊れる曲が入ってると嬉しくなって、家で皿洗ってる時爆音で流して皿洗いながら踊ったりしておりました。

そこで思ったんですね。

「あ、この人の本質っていうか本音の部分は明るくて屈託のない、そして凄くナチュラルなフィーリングで、それは師匠のコルトレーンとは真逆なベクトルのやつだったんだな」

と。

コルトレーンもファラオも同じテナーサックス吹きで、同じようにインドやアフリカといった非欧米の音楽に傾倒していて、同じように「音楽で魂の救済を。。。」とか考えていたのに、ギリギリのところでそのベクトルがそれぞれ真逆に振れて、そしてコルトレーンが亡くなった後、ファラオは全く彼なりのオリジナルな”救済”を、そのキャッチーでピースフルな音楽性の中に見出したんだなぁと思うと、ファラオの事もコルトレーンの事も、ますます深く好きになりました。

そいでもってファラオ・サンダースという人の懐の深さですよね。一見無秩序に、好き勝手にセオリー無視で吹きまくっていたかのようなあのプレイスタイルが、実は己の本音を上手く制御して、コルトレーンの音楽の核にあるシリアスな部分にしっかりと寄り添って、自分なりにそのシリアスを引き立てるプレイだったのかと思うと、何だかじわぁんと来てしまいます。ファラオ、お前(失礼!)いいやつじゃんと。。。





ラヴ・ウィル・ファインド・ア・ウェイ(期間生産限定盤)

【パーソネル】
ファラオ・サンダース(ss,ts)
デヴィッド・T・ウォーカー(g)
ワー・ワー・ワトソン(g)
ヒューバート・イーヴス(key)
ボビー・ライル(key)
ケネス・ナッシュ(key)
ハリド・モス(key)
ドニー・ベック(b,@CD)
アレックス・ブレイク(b,AB)
エディ・ワトソン(b.E)
ノーマン・コナーズ(perc,vo)
ジェームス・ギャドソン(ds,@CF)
ラリー・ホワイト(ds,AB)
レイモンド・パウンズ(ds,EF)
フィリス・ハイマン(vo,BDF)
ザ・ウォーター・ファミリー(cho)
〜ホーン・セクション〜
アーネスト・ワッツ(reeds)
オスカー・ブラッシャー(tp)
チャールズ・フィンドレイ(tp)
ジョージ・ボハノン(tb)
ルー・マックレヴィー(tb)
ヴィンセント・デ・ローサ(french horn)
シドニー・マルドロウ(french horn)
ウィリアム・グリーン(sax)
テリー・ハリントン(sax)

【収録曲】
1.ラヴ・ウィル・ファウンド・アウェイ
2.ファロンバ
3.ラヴ・イズ・ヒア
4.ガット・トゥ・ギヴ・イット・アップ
5.アズ・ユー・アー
6.アンサー・ミー・マイ・ラヴ
7.エヴリシング・アイ・ハヴ・イズ・グッド

(録音:1977年)



さて、感傷はそのぐらいに、今日はそんなファラオの、多分これは最もキャッチーな部類に入るんじゃないかというアルバムをご紹介します。

古巣のImpulse!を離れて3年後の1977年、新興のアリスタ・レコードと契約を交わしたのですが、このアリスタというレーベルは、特にジャズ専門というレーベルではなく、フュージョンやAOR、ブラック・コンテンポラリーと呼ばれていた新しいソウル・ミュージックを積極的にリリースし、新しい人材を次々と発掘していたレーベルです。

レーベルの作風は非常にライトで、70年代というより既に来るべき80年代のサウンドを予感させるような作品を世に出していた、そんなところに、ある意味ではジャズの最硬派な存在(と、未だ多くの人に認識されていた)ファラオがぽーんと入ったんですね。

そして、ファラオの新作を追いかけていた熱心なファンにとっては正に期待通り、コルトレーン時代のファラオ意外あんまり良く知らない人にとっては実に意外な、最先端のフュージョンと、流行を先取りしたキラッキラなディスコサウンドが、ファラオ独自のオーガニックな感性でもってとっても上質なムードに仕立て直された音楽が生まれたのであります。

のっけから美しいエレピとシンセサイザーが織り成す都会的なイントロに乗って、ファラオの吹く優しさに満ち溢れたサックスが軽やかに歌うメロウバラードの『ラヴ・ウィル・ファウンド・アウェイ』で、もう完全に虜です。

そこからトロピカルなアフリカン・ディスコのように急展開なノリノリ曲がいきなり始まったり、スピリチュアルな歌モノがきたり、どの曲も実に当時の流行の最先端という感じなのですが、ファラオのサックスは何らぶれることなく咆哮し、演奏そのもののグルーヴは重厚。つまり軽く聴けるしサウンドは爽やかなんだけど、土台の部分がものっすごく硬派なんですよね。


いやぁ、ポップスとかバラードとかダンス・ミュージックって、やっぱり音楽の基礎の部分がしっかりしてないと「いいよね」以上の説得力を持たせるのは凄く難しいのですね。と、このアルバムのファラオが生み出す壮大なスケールの”楽園”の心地良さに浸りながら思っております。




















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