2018年07月18日

ジミー・ギャリソンのベース


皆さんこんばんは。

毎年の恒例に倣いまして、このブログでは夏が終わる8月の末日まで『大コルトレーン祭』と題しまして、ジョン・コルトレーンのことについて集中的に書いていきたいと思います。

で、特に命日の7月17日から31日までは、毎回コルトレーンのアルバムレビューや、その素晴らしさについて語るちょっとしたコラムを書きますので、どうかひとつよろしくお願いします。

で、今日はちょいとしたコラムなんですが、皆さんは「コルトレーン・バンドのメンバー」といえば誰が好きですかね?

こういうアンケートとやると、大体コルトレーン黄金期のバンド・サウンドの主軸となった、スーパー・ドラマーのエルヴィン・ジョーンズ、続いてそのカルテットにサウンドに、狂おしい激情と詩的衝動の両方をブチ込んだピアノのマッコイ・タイナー、或いは晩年のフリー・ジャズに突入したトレーンを、決して出過ぎることはなく、ひたすら知的な大胆さが光るプレイで支えた奥さんのアリス・コルトレーン、いやいや、エルヴィンはもちろん最高だけど、ラシッド・アリの散弾みたいに細かい打撃が物凄い勢いで拡散しまくる太鼓も凄いぞ、とか、若い世代の人には、90年代以降”踊れるスピリチュアル・ジャズのカリスマ”として急激に支持されてきておるファラオ・サンダースも、マッコイやアリスとタメ張れるぐらいの人気者でありましょう。

そんな中で、カルテットから最晩年までずっとコルトレーン・バンドのメンバーでありながら、人気という点では今ひとつなのが、ベースのジミー・ギャリソン。

img2.jpg


写真や映像では、激しく暴れまくってるコルトレーン・サウンドの荒ぶる部分を、温泉のように噴き出す湯気まじりの生汗をしたたらせながら、潰れたカニのような「ぎやーーーー!!」という凄い顔でしっかりと支えてくれている人なんですが


「ぶっちゃけギャリソンのベースって何やってっかよくわかんないよね」

「うん、どうしても音聴いてるとコルトレーンとエルヴィンの激突に持ってかれるからなー。あとマッコイのガッコンガッコン言う左手」

「で、ギャリソンは?」

「う〜ん・・・」

「う〜ん・・・」

と、コルトレーンのファンですらなってしまうことが多かったりします。


正直アタシも、最初はジミー・ギャリソンのベースが、コルトレーンのバンド・サウンドにどのような効果をもたらしているのかピンと来ませんでした。

スタジオ盤ではやっぱり強いのはコルトレーンのサックスとドラム、次にピアノで、ベースは多くのバンドにおいて派手に出しゃばらない縁の下の力持ち的な存在であるとはいえ、どうも埋もれてしまっている。

バンド内でのジミー・ギャリソンという人は、コワモテで硬いイメージのあるコルトレーン・グループ(カルテット時代はコワモテ、晩年のクインテットは寡黙な求道者揃いなイメージあるでしょう)の中において、唯一ひょうきん者で、いつもニコニコ愛嬌のある笑顔で場を和ませる人だったそうで、開演前に「あ、ちょっくら」とビールとか飲んで、コルトレーンに「お前今度それやったらクビだぞ」と怒られたりもしていたらしい。まぁ、グループに一人おれば風通しの良くなる次男坊スタイルのお調子者キャラだったようなんですね。


だからエルヴィンとマッコイが脱退した後も、コルトレーンはギャリソンだけはその愛すべきキャラクターがメンバー同士のコミュニケーションを保つのに重要だと判断したから残したんだろう、うん、きっとそうだ。だって新しいメンバーといえばファラオもラシッドもアリスさんも、どっちかというと真面目〜で、コミュニケーションよりもひたすらコルトレーンに黙って従いながらマイペースに我が道を行ってしまいそうなタイプだもんな〜、意志の疎通とかあんま関係ないよな〜。誰にでもすぐ友達になれそうなギャリソンいたらコルトレーン楽だよな〜。

と、思ってました。

しかしよくよく考えたんですよ。

サウンド追求第一の、つうかそれが全てのコルトレーンが、メンバー同士のコミュニケーションのことなんか考えていただろうか?

と。

や、多分コルトレーン、特に麻薬を克服して自分のグループを持つようになってからは、もう芯からの「新しいサウンド追究バカ」と言っていいぐらいにストイックな人になっておりますから、メンバー間のコミュニケーションなんかどーだっていいんです。

どころかやっぱりサウンドが自分の求めているものと違うと感じたら、どんなにセンスのいい人間でも容赦なくクビにしてますから(スティーヴ・キューンにピート・ラ・ロカ)、やっぱりギャリソンに関してもその人柄よりもプレイにコルトレーンが「コイツじゃなきゃな」と感ずるところがあったんでしょう。

アタシはコルトレーンの感性を信じて、ギャリソンのプレイを注意深く聴いてました。

すると、ある日突然、コルトレーンのバンドにおける”ギャリソンにしか果たせない役割”に気付いたんです。

ギャリソンのベース、スタジオ盤などで聴くとやはりくぐもっていてよく聴き取りづらくはあるんですが、これ、多分ワザとなんですよ。

ギャリソンという人のベースの音は、基本的に粒の粗い、ゴリゴリした音です。しかし、コルトレーン以外のバックで演奏したものを聴いてみると、その粗さの中にもしっかりとした芯のある、実に力強く響く音であります。

試みに、ウォルター・ビショップJr.という人の、これはもうモダン・ジャズのピアノ・トリオ名盤と言われる『スピーク・ロウ』というアルバムがありますが、これのギャリソンのプレイを聴いてみてくださいな。





実に力強いベースが、グイグイと演奏を引っ張っておるんですね。

ギャリソンがベーシストとしては、間違いなく当代一流であると証明する、素晴らしいアルバムです。

こんな存在感のあるベースを弾くギャリソンが、コルトレーン・バンドのサウンドで埋もれてしまっているように聞こえるのは何故か?

これをアタシはずっと考えてたんですが、それは

「コルトレーン・バンドの中で、歪み系エフェクターのような役割を担ってたからなんじゃないか」

というひとつの結論に達しました。

歪み系エフェクターっていうのは、エレキギターに繋ぐと潰れた音がグワシャーン!と出るアレです。音は潰れますが、音そのものに激しさと迫力がエラい勢いでプラスされますんで、初めて使ったその日に魂に電流が走る経験をして「あ、俺プロになれる」という経験を、ギター小僧ならしたことがあるかと思います。

60年代といえばエレキギターを使ったバンド・サウンドが、世を席捲していた時期、これを受けた生楽器主体のジャズのバンドも「お、オレ達もバンドにドカーンと迫力欲しいな」と思ってたはずで、特にコルトレーンみたいな「新しいもの」を目指すミュージシャンがそう思わないはずはありません。

一時期はウエス・モンゴメリーと一緒にやろうとしていたぐらいのコルトレーン、ですが自分自身のバンドでのエレキギター導入はまだ早いと感じたのか、それとも目指すサウンドにエレキギターの音は響かなかったのか、多分その両方だとは思いますが、やはり”迫力”は重要視しておりました。

エルヴィンのドラムをコルトレーンが気に入ったのも、やはりその「同時に色んなリズムを繰り出せるテクニックと、それによって生じる音の歪んだ拡散力」でありましょう。特にリズム隊に関しては「いつもやってるよりも激しく叩いたり弾いたりすることによって、音をグシャッとワイルドなものにして欲しいんだ」という支持は出したか、ベースとドラムがそういう音を出すように、暗に煽りながらしむけていたフシが、まずエルヴィンのプレイには感じられます。エルヴィンもコルトレーンのグループに入る前のプレイを聴いていたら、鋭さと繊細さを巧みに織り交ぜてプレイする、オーソドックス・プラスアルファのプレイをしておりますから。


で、ギャリソンもまた、これまでやってきたように、弦の一本一本を人差し指でボワンと弾く奏法ではなく、ルートを刻みながら4本指で強く引っ掻くようなプレイをコルトレーンのバックではやってます。

このプレイ・スタイルは、音のひとつひとつの粒は砕けますが、倍音が激しく全体に響いて、演奏全体がわしゃー!と歪んでるような、そんな効果を生み出すんです。エルヴィンもシンバルやハイハットを激しくクラッシュさせるように刻んでますから、2人の倍音は混ざり合って、ギャリソンの方は掻き消されているように思えますが、ところがどっこい、ギャリソンのベースは倍音の中でちゃんと響いてるんですね。


もっと色々な角度から、ギャリソンのベースは聴き込んで再評価されるべきと、アタシは思っております。ギャリソンの音が比較的よく聞こえる「音の良いライヴ盤」をぜひ聞いてみてください。彼のベースは決して引っ込んでなく、コルトレーンとマッコイのバック、そしてエルヴィンのドラムのすぐ横の”ちょうどいい空間”を激しく歪ませてモーターのように鳴り響いて演奏を加熱させているのがよく分かります。






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2018年06月27日

ネイキッド・シティ(ジョン・ゾーン)

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Naked City/Naked City

(Nonesuch/elektra)


もし、アタシがジャズを聴くようにならず、パンクからアメリカのハードコアをずっと追いかけていたとしても、必ずこの人とは出会ってただろうなという人がおります。

ジョン・ゾーンであります。

この人は、一応サックス吹きであり、一応ジャズのカテゴリで語られる人ではありますが、正直よーわからん人です。

1953年生まれのユダヤ系アメリカ人、若い頃は何をやっとったか知らんが、とにかく早くからニューヨークのアンダーグラウンドな場所にばかり居て、ほとんど自主製作なレコードをボコボコ出していたけど、そん時の音源は正直よーわからんのですが、ハナッからジャズなんぞ眼中にないような、前衛的とか実験的とか言われる類の音楽だったそうです。

で、この人がいきなりシーンの表舞台(つっても限りなく”裏”に近い表ではありますが)に出て来たのが80年代の半ば。

クラシックとか民族音楽とかで有名なノンサッチというレーベルから、映画音楽の巨匠エンニオ・モリコーネのカバー集(でも、内容は映画ファンぶっ飛びのかなりぎちょんぎちょんな実験音楽)で出てきたんですが、そっからクラスト・コアの連中とツルんだり、日本(高円寺)に住んで歌謡曲のレコード集めまくったり、「イギー・ポップとゴダールに衝撃を受けたんだ」と、インタビューで語ったり、ボアダムスでブレイクする前の山塚アイの絶叫と自分のサックスでギャーピー言ってる、ほとんどノイズみたいなレコード作ったりと、ジャズにハマり出した1997年頃、この人の作品を聴いては、聴いた数だけ困惑するという、この曲がカッコイイとか、どのアルバムがいいとか、音楽に対する姿勢がとか、そんなことを考えさせる前に、アタシの神経をかき乱すだけかき乱しては去って行くとか、つまりそういう訳のわからん感覚だけが募って、東京のアタシのアパートには、ジョン・ゾーン関係の訳のわからんCDばかりが溜まっていくという怪現象が起きておりました。


そのルックスはひょろっとした顔に眼鏡をかけた、いかにもオタクな白人青年。

でも、そんな人がサックスでそれまで聴いたことないようなヒステリックにキーキー叫ぶカミソリみたいな音をぶっ放して、更にブラストビートとかコラージュノイズとか、多分”マトモ”な音楽の常識で考えたら禁じ手な、アブナい音ばかりぶっこんで、ジャズともパンクともノイズとも言えないような、最低に不快で最高に刺激的なもんを作る。

あの〜、よく見た目インテリなのに凶暴なヤツのことを「インテリヤクザ」とか言うじゃないですか、アタシもジョン・ゾーン知って、その音楽に触れた時にそう思ったんですけど、そう思ったのは一瞬で、これはヤクザすら「アイツとは関わるな」とサジを投げるインテリマッドの方なんじゃないかと思いましたねぇ。

ともかくジョン・ゾーンって人はよくわからん。

一応彼の作品には”マトモな”(?)フリー・ジャズのセッションなんかもあったり、90年代後半に組んだ"マサダ”なんかは、4ビートのジャズとユダヤ民族の伝統音楽クレツマーを融合させた、音楽的には前衛なようでいてなかなか鋭くルーツに踏み込んだこともやってる。


うん、だからこそこの人がますます何者なのか分からなくなってくるのです。

アルトサックス吹くし、ジャズの人ではあるんだろうけど、アタシはもうかれこれこの人の音楽は20年以上の付き合いになるのですが、どうしてもハードコアとかその辺と同じ臭いを感じるし、この人の音楽から痛いほどにビシバシ飛んで来る安心や安定を一切伴わない刺激は、やっぱりパンクと言う他ないのです。




Naked City


【パーソネル】
ジョン・ゾーン(as) 
ビル・フリーゼル(g) 
ウェイン・ホロヴィッツ(Key)
フレッド・フリス(b) 
ジョーイ・バロン(ds)
山塚アイ(vo)


【収録曲】
1.Batman
2.The Sicilian Clan (エンニオ・モリコーネ)
3.You Will Be Shot
4.Latin Quarter
5.A Shot In The Dark(ヘンリー・マンシーニ)
6.Reanimator
7.Snagglepuss
8.I Want To Live (ジョニー・マンデル)
9.Lonely Woman (オーネット・コールマン)
10.Igneous Ejeculation
11.Blood Duster
12.Hammerhead
13.Demon Sanctuary
14.Obeah Man
15.Ujaku
16.Fuck The Facts
17.Speedball
18.Chinatown (ジェリー・ゴールドスミス)
19.Punk China Doll
20.N.Y. Flat Top Box
21.Saigon Pickup
22.The James Bond Thema (ジョン・バリー)
23.Den Of Sins
24.Contempt
25.Graveyard Shift
26.Inside Straight

(録音:1989年)


90年代後半の、アンダーグラウンド音楽を愛好する人達にとって、そんなジョン・ゾーンはひとつの大きなアイコンのような存在でした。

ボアダムスもソニック・ユースも繋がるし、ジム・オルークや灰野敬二だって、聴いてりゃジョン・ゾーンに当たる。ノイズやグラインド・コアしか聴かないような、ちょっと距離を置きたくなるような人とだって

「ジョン・ゾーンの”スパイvsスパイ”がね」

「おーーー!アレはいい!!」

と盛り上がれたんです。

むしろジャズ好きな人達の

「えぇぇ、ジョン・ゾーンですかぁ・・・」

な反応の方が、眺めてて楽しかったというか、多分こういう多方面からの評価や反応って”めちゃくちゃ頭のいい人”だというジョン・ゾーンにとってはしめしめなことだったと思います。

はい、そういう「あえて期待を裏切ることを全力でやる」というジョン・ゾーン先生の、まずは聴くべき正しく狂った1枚が、1990年リリースのバンド”ネイキッド・シティ”のファースト・アルバムです。

これはですのぅ、物騒極まりないジャケットを見て「えぇぇ、グロいのはちょっと・・・」と思ったんです。思ったんですがその”グロいの”を期待して聴いたら、ん?お?フツーに8ビートとか16ビートとかでポップスな曲やってて、すごく聴き易いんじゃね?あ、カントリーっぽいフレーズも出て来た。あらなぁに?この場末のキャバレー感、いいわぁって思ってたら急にサックスが悲鳴を上げ出したり、ギターがノイズ吐いたり、高速ブラストビートがポップな雰囲気を全部なぎ倒したり、山塚アイに至っては(いつものことですが)ヴォーカルってクレジットされてんのに「アァァァアア!!!!ギャアァァァァァアア!!」と絶叫しかしてないの、何だこれは、しかもそういう”ぶっ壊れ”を一瞬とか曲の一部とかで放送事故みたいにやっちまいやがった後、瞬時に”マトモ”に戻ってる、そんな曲がほとんどです。


えぇぇと、ジョン・ゾーン先生のアルバムには、もっと過激なものもあります。もっとガツンと終始刺激が飛んで来るのもあるし、ドロドロにグロテスクなものもいっぱいあります。

でも、その辺を一通り聴いて、いわゆる初期の名盤と呼ばれるこのネイキッド・シティを聴くと、そういった「まっすぐに壊れてる音楽」よりかえってタチの悪さが際立っておるなぁと、驚愕と戦慄と困惑が入り混じった感情で聴く事を止められません。


























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2018年06月25日

チェット・ベイカー ピース

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チェット・ベイカー/ピース
(Enja/ソリッド)


チェット・ベイカーですよ。

えぇ、チェット・ベイカーなんですよ。

何というかもうね、今、梅雨の後半で、もう多分奄美地方梅雨明けするでしょ、そしたらギラッギラの紫外線が容赦なく降り注ぐ夏になってくる。

あぁもう暑いし日差しまぶしいなー、この時期だけなーんにもしないで冷房の効いた場所で自堕落に生きていたいな〜。

と、思うでしょう。

そしたらチェット・ベイカーの、特に晩年といっていい1980年代の音源から流れてくるふわ〜んとしたトランペットの音が


「わかる、わかるよ。だからこっちにおいでよ。もうそんな生きることとか考えなくていいからさ」

って言うんですよ。

そしたらアタシも

「あぁそうだね〜、こんな暑いんだったら頑張って生きてても意味ないよね〜、じゃあそっち行こうか」

と、つい思っちゃう。

で、あ、いかん。と。

何やってんだ、俺、生きねば。と。


チェット・ベイカーの音楽って、彼がデビューした1950年代から、どこかそんなところがあります。

ジャズっていう何だかキラキラした華やかな世界を一身に背負ったイケメンが、そのセクシーなトランペットと声を大事に抱えて、緩やかに破滅の方向に向かってゆわ〜んと進んで行ってるような、これはもちろんアタシは彼のドラッグにまみれて最後は悲惨な末路を辿った人生というものを知っていて、無意識のうちで音楽にその悲劇を重ね合わせているからそう思えるのか、いや違う。アタシが最初にチェット聴いた時、そんな彼の悲惨な人生なんて何にも知らなかった。でも、その淡くアンニュイなラッパと声には、やっぱり穏やかな破滅に向かってる人間の業のようなものの気配をうっすら感じた。

それがロックスターのような(たとえばカート・コバーンのような)、激しく悲痛な叫びに彩られたものだったのなら、逆にまだ救いはあったかも知れない。でも、チェットの音楽はどこまでも優しくて柔らかくて、爽やかですらあるから”うっすら”だったんです。”うっすら”だっただけに余計に言葉に出来ないリアリティを感じてしまいました。


しかしまぁ、若い頃のチェット・ベイカーのサウンドは、そんな危険な芳香と若さゆえの生命の輝きみたいなものがあって、特にヴォーカルなしのトランペット演奏だけやってるアルバムなんかは、純粋にカッコイイ音楽、ウエストコーストの粋でオシャレなジャズとして楽しめる余裕みたいなものがありました。

ヘロインに溺れ、行く先々で麻薬絡みのトラブルを起こし、結果仕事を失ってから何とか復活したのが1970年から73年。

この絶望の期間を経て、活動の拠点をヨーロッパに移したのが1975年なんですが、こっからのチェット・ベイカーが実は凄いんですよ。

深みを増した声の頽廃はもちろん、何と言ってもトランペットの音が凄いんです。

本人が「ふわぁぁ〜ん」と吹くトランペットが、枯淡と幽玄の境地を極めていて、聴くだけであの世の静謐でゾッとするほど清らかな水辺がそこに拡がっているかのような、中毒性の高い音になってるんですが、それだけじゃなくて共演者のサウンドまでその幽玄に染めていて、バックの繰り出す音までが、どうもこの世の響きじゃない何かを有しているように感じられてしまうんですね。特にバラード。


チェットがどん底にあった1970年から1973年の間、何があったんでしょう。箇条書きにしてみると


・麻薬のトラブルでボコボコにされ、前歯を折られる。

・その後遺症でトランペットを吹けず一時的に引退

・生活保護を受けながらガソリンスタンドで働く

・この間、何とか練習により、トランペットを吹けるぐらいになるまで回復

・しかし、麻薬とは遂に縁が切れず、70年代はまだ40代ぐらいのはずなのに、シワシワの老人のような風体になってしまう。



えぇと、”復活後”のチェットのトランペット、確かに枯淡と幽玄の境地で凄い!と書いてその通り凄くなってるんですが、これを見る限りシーンから遠ざかってる間に彼のプレイに凄味を与えた決定的な出来事ってないんです。むしろトランぺッターにとってはほとんどマイナスになる要素しかない。

実際、前歯を失ってからチェットは若い頃のようなハイテンポな曲で軽やかに飛翔するようなテクニカルな奏法を封印しました。

理由は「出来なくなったから」しかないと思うんですが、にも関わらずチェットのトランペット、純粋に音色で比較しても若い頃とは比べ物にならないぐらい「何か凄い」し、フレーズに込められる想いの密度みたいなものも、他のミュージシャンからは感じることの出来ない種類の切実さを感じます。

演奏テクニックが衰えた変わりに、物凄い”感動させるプレイヤー”になったのって、ジャズの世界でチェット・ベイカー以外にいますかね、アタシはレスター・ヤングがいい線行ってるとは思いはしますが、それでもレスターにはやっぱり”衰え”の暗い影を幾分感じます。チェットに関して言えばその”衰え”が微塵も感じられないんです。これちょっと、ゾッとするぐらい凄い事だと思います。








ピース

【パーソネル】
チェット・ベイカー(tp)
デヴィッド・フリードマン(vib,marimba)
バスター・ウィリアムス(ds)
ジョー・チェンバース(ds,perc)

【収録曲】
1.サイジジーズ(3+1=5)
2.ピース
3.ラメント・フォー・セロニアス
4.ザ・ソング・イズ・ユー
5.シャドウズ
6.フォー・ナウ
7.サイジジーズ(3+1=5)*
8.ピース*

*ボーナストラック

(録音:1982年2月2日)



チェットは1988年にホテルの窓から転落という、事故か自殺か他殺かよくわからん死に方をしてますが、アタシが特に好きなのが、亡くなる前の1980年代の演奏です。

「死を予感した」

とかそういうのじゃないんですよ、えぇ、聴いて頂くと分かると思うんですけど、そういうのじゃあないんですよ。

言うなれば、死すら超越した淋しい世界に鳴り響く穏やかなトランペット。

それがデヴィッド・フリードマンのマリンバとヴィブラフォン、バスター・ウィリアムスの「びよーん、ぼよーん」と粘るウッドベース、ジョー・チェンバースの繊細なドラムの音を全部巻き込んで、えもいえぬ美しい水彩画を描いておるのです。

1曲目のように割と小粋なテンポでやっている曲でさえも幻想に彩られるって、ほんと凄いんですが、やっぱり心底感動してしまうのが、バラードの2曲目と6曲目。これを聴いてください。


アタシ?今日は昼間ずーっとコレ聴いて

「なんかもーこのまま沫になってもいいやー」

って思ってました。

えぇ、チェット・ベイカーですよ。

チェット・ベイカー、とっても優しくてとっても危険なんですよ。












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2018年05月28日

ポール・ゴンザルヴェス ゲッティン・トゥゲザー!

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ポール・ゴンザルヴェス ゲッティン・トゥゲザー!

(JAZZLAND/OJC)


楽器を演奏している人同士で話をしていると

「上手い/下手」

の話になってくることがよくあります。

いわゆる演奏技術、テクニックの話でありますね。

これはとても大事な話で、つまり要するにテクニックというのは

「音楽を聴かせる技術」

のことでありますから、大いに議論して自分も「上手い」に近づけて行こうと。

ここまでは分かる。

でも、時々これが行き過ぎて

「上手い/下手」

しか話題にしない人がたまーにおります。

アタシはテナーサックスを吹きますが、奄美にはほんとバンドで管楽器やってる人少ないんで「サックスやってるよ」という人の所には喜んで行きますし、ネットとかでアマチュアのサックス吹きの人がどんな話をしてるんだろーなとか思ってワクワクしながら会話を覗いたりしますが、まぁたまにそういう人がおりまして、ゲンナリすることがあるんですね。

こういうの人はそんなにいないだろうと信じてはおりますが

「50年代とか60年代のジャズの人達ってヘタクソじゃないですかー。今だったらコルトレーンとかソニー・ロリンズがあの頃やってたことぐらいアマチュアでも出来るんですよねー」

みたいな書き込みをたまに見ると、それはそれは悲しくなっております。

あぁ、この人は音楽に全然興味なくて、ただ「ユビガドレダケウゴクカ」しか興味ないんだな。何で楽器やってんだろう?

と。


何を言いたいかと言いますと、つまりそういう人は、ポール・ゴンザルヴェスの素晴らしさに「ウホッ、いい!このテナーいいよぉぉぉぉ!!」と悶絶することなく一生を終えてしまうんだろうなと。そういうことです。

ポール・ゴンザルヴェス、1950年代半ばからの(つまり後期の)デューク・エリントン楽団の花形テナー・サックス奏者、顔は甘めのイケメン、その繰り出すフレーズは、意外にもワイルドで逞しい。が、私生活では酒とおクスリが大好きで、その影響かステージで自分のソロの順番になっても気持ち良く眠りこけていたり、ステージに上がる時足元がヨロっときてずっこけ、デュークに「お前もう帰れ」と言われてそのまま退場するなんてことは日常茶飯事。

テナー・サックス奏者としては「オーネット・コールマンやコルトレーン、エリック・ドルフィーよりも先に調制を逸脱した革新的なフレーズで吹いた」つまりスケールの常識から大胆にはみ出すような、自由かつ斬新なフレーズでソロを吹いたと一部でかなり評価が高いが、エリントン・ファンからは

「いやー、そいつはどうかな?あのオッサン、日頃のへべれけがそのまんまあのスーダラなフレーズになっただけで、本人は革新的なことやろうとかいう気持ちはあんまなかったかもよ」

と、愛情溢れる笑顔で語られる、永遠の愛すべき三枚目キャラ。


そう、そのテナー・サックスの、ふにふにとどこへ飛んで行って、どこへ着地するかよくわからない。よく聴くと、いやよく聴かなくても音程が気分良くヨレながら、やっぱりふにふにとどこから飛んできてどこへ飛んで行って、どこへ着地するかよく分からない、でもビシバシと空中を浮遊する”キメ”を的確にキャッチして、聴いてる人をその名人芸に「おぉ・・・」と言わせるその見事なヨレっぷりとキメっぷりのメリハリは、さながら酔拳の達人の名人芸を見るかのようなのであります。


ポール・ゴンザルヴェスを聴いておるとですね、1920年生まれという意外な若さが持つモダンな感覚(ジャズ特有の渋さってやつでさぁ)と共に、ジャズという音楽がタフでラフでルーズな大人の、最高の娯楽音楽だった時代そのものが音楽として鳴っているような、そんな感慨を受けるんです。

大体ジャズなんてガキの頃から勉強もスポーツもしたくねぇ、仕事なんかもっとやりたくねぇ、楽器ぐらいしか能がねぇヤツが、手っ取り早くカネを稼げて、朝はダラダラ好きなだけ眠って昼間っから酒飲んで、女とイチャイチャしたいからやるような”職業”だったんです。

ポール・ゴンザルヴェスは、音楽にも生き様にも、顔にもファッションにも、そういった”愛すべきダメダメ”なヤツ特有のムードとかエスプリとかペーソスが素晴らしく満ち溢れてるんですよねぇ。あぁ、できればオレもこうなりてぇって思わせる何かが・・・。



【パーソネル】
ポール・ゴンザルヴェス(ts)
ナット・アダレイ(cor,ACDF)
ウィントン・ケリー(p)
サム・ジョーンズ(b)
ジミー・コブ(ds)

【収録曲】
1.Yesterdays
2.J.and.B.Blues
3.I Surrender Dear
4.Hard Groove
5.Low Gravy
6.I Cover The Water Front
7.Gettin' Together
8.Walkin'

(録音:1960年12月20日)


ポール・ゴンザルヴェスは、そんな感じで割とキッチリしたデューク・エリントン・オーケストラ(そりゃそうだ、アメリカを代表する超一流ビッグバンドだもん)でも、その特異なキャラクターと個性的なプレイスタイルで人気でありました。

ダメなところも含めてファンにも愛され、メンバーにも愛され、そして何よりボスのデューク・エリントンに愛されておりました。

20年代既にNo.1ビッグバンドの地位と他の追随を許さない強固な音世界を作り上げたエリントンのビッグ・バンドが、それからおよそ30年経っても音楽シーンの中で求心力を失わず、刺激的な存在で居続けることが出来たのは、アタシはゴンザルヴェスのような超個性を歴史やスタイルに縛らずに活躍させたエリントンの器のデカさがあったからだと思います。

で、ゴンザルヴェスですが、ステージ以外の行動にも良い感じで好き勝手が許されてたのか、ソロや他の人のバックとかでも、割と仕事を選ばずに自由に動いていて、レイ・チャールズのバックとか、マイルスが全面バックアップしたことから名盤となったミシェル・ルグランの『ルグラン・ジャズ』とか、クインシー・ジョーンズの出世作『ビッグ・バンド・ボサ・ノヴァ』なんかにもしれっと参加しております。

で、ソロ・アルバムも多く、これがいい感じにハズレがない、というよりも、この人のスーダラとキメのメリハリが、どのアルバムでも楽しめる、っていうかソロでやりたい放題にさせたらもうコイツこの人は「やっちまえー」で最高なのです。


楽しめる人はどれ聴いてもしっかりと楽しめますが、ウィントン・ケリー、サム・ジョーンズ、ジミー・コブというハード・バップ屈指のしっかり者を集め、人なつっこいナット・アダレイのコルネットを脇に従えた贅沢な編成で、そのテナーの個性、素晴らしい浮きっぷりを堪能できる1960年の『ゲッティン・トゥゲザー』をまずはオススメとして挙げましょう。

実はこのアルバムは、ポール・ゴンザルヴェスの数あるソロ作の中でも、最も”渋く、コクのある一枚”だとアタシ思います。

アタシは散々この人のテナーをスーダラだと書いてきましたが、ただズ太いだけでなく、ふわっとした男性らしい優しさに溢れたトーンで吹かれるバラードや、ちょいとユルめのテンポのブルースっぽいナンバーは、気品すら感じさせる見事な演奏です。


『Yesterdays』での、どこからともなくフラッと表れて儚く消えてゆくソロ、『I Cover The Water Front』の切々とした表現に、アタシは特に惹かれて「こういう風に吹きたい」と憧れますが、やっぱりこういったニュアンスを出せるようになるには、まだまだ技術も足りないし、何より人生経験が足りないなぁと、結構切実に思ってしまいます。

そう、ニュアンスです。

ゴンザルヴェスのフレーズは独特の捉えどころになさがあって、音程もフラついてたりしますが、やっぱりこの「どうしようもなくジャズ」の雰囲気を醸し出すことが出来て、それを聴く人にも深く豊かな味わいと共に感じさせる技術というのは、指がどれだけ動くかとか、ピッチがどれだけ正確かとか、そういうことと対極にありながら同じぐらい大事な演奏技術。

もしかしたら、というよりこれは「絶対にそう」と言い切っていいと思いますが、ゴンザルヴェスは独自のニュアンスを出すために、あえて常識的な正しさをかなぐり捨てて吹いていたんだとしみじみ思います。故にこの人の演奏はいつも素敵な音に酔わせながら「表現って何だろうね」という根源的な問いをふわっと問いかけてくるのです。

何か真面目にまとめてしまいましたが、ジャズが好きでジャズの空気を愛する人には、この人の個性と味わいを知って楽しんでほしいなと強く願います。









『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2018年05月23日

サン・ラーについて(職場の若い子との会話)

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職場の若い子 「高良さん、今日は何聴いてるんですか?」

俺「サン・ラーだ、かっこいいだろう」

職場の若い子 「何か、昔のアメリカの映画音楽みたいでいいですね」

俺 「そうだ、サン・ラーはジャズも演奏するが、こういった音楽はリズム・アンド・ブルースって言うんだけどそういうのもやるし、何でもやる」

職場の若い子 「凄いですね、何でも出来たんだー」

俺 「それだけじゃないんだ、手作りのキラッキラの衣装をバンドの何十人もいるメンバー全員で着て、歌うし踊るし劇もやる」

職場の若い子 「すごーい、何でそんな全部やるんですか?」

俺 「うむ、宇宙の調和と安定のためだよ」

職場の若い子 「へ?」

俺 「この人は土星からやってきたんだよ」

職場の若い子 「土星?」


俺 「うむ、正しくは土星からやってきた古代エジプト人の子孫だ」

職場の若い子 「ほんとなんですか?」

俺 「本人がそう言ってるから間違いない。地球の人類は色々と間違ってるから、音楽を通してもっと正しく生きなさいとメッセージを送るんだと。そういう活動をしている」

俺「音楽とかパフォーマンスだけじゃないんだよ。この人は政治とか歴史とか科学とか医学とか、とにかくあらゆる学問に通じた人で、ライヴでは"講義"ってのもあった。物凄い知識を総動員して、じゃあ人類は何をすればいいのかをちゃんと説明してる」

職場の若い子「それ、みんな理解出来るんですか?」

俺「進み過ぎて理解は出来なかっただろうね。でも、この人が喋る内容は整然としててデタラメじゃないんだ。それだけは解るから、最初見た目とかでバカにしてた人も、何となく真面目に聴くようになる。実際バンドもアホみたいに演奏上手いからね。ミュージシャン達にもそこは尊敬されてた。ね、今鳴ってるこの音楽も分かりやすくて全然変じゃないでしょ?」

職場の若い子「うん、ジャズってもっと難しくて分かりにくいと思ってました。でもこれはポップで雰囲気がいいです」

俺「雰囲気がいい!それよ。何かいいなって思った時点で心が安心する」

職場の若い子「しますします!こういうのラジオとかで聴いたら何かいい感じ」

俺「それが宇宙の安定よ。ほら心って宇宙でしょ?」

職場の若い子「心?・・・宇宙だ!ほんとだ凄い!ヤバい!!」

敬愛するミスター・サン・ラー、今日地球の若者が1人正しく導かれました。

スペース・イズ・ザ・プレイス!




本日車内で聴いていたサン・ラー『シングルス』のアルバム詳細はコチラ↓







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2018年05月22日

サン・ラー ジョイフル・ノイズ(DVD)


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サン・ラー/ジョイフル・ノイズ
(アップリンク)


地球の皆様こんばんは。

本日5月22日は何の日でしょう?

そう、迷える地球人を正しく導くために土星からやってきた古代エジプト人の子孫であります、われらがサン・ラーの誕生日・・・おっと”地球に降臨した日”であります。

このブログを熱心にご覧になっておられます賢明な皆様には、サン・ラーが正しく地球人類を導くために土星からやってきて、そして間違いなく導かれた人というのが存在する(はぁいアタシです)ことは、もうご存知でありましょう。

アタシもサン・ラーの素晴らしい音楽と、それを楽しく裏付けるワン&オンリーのかっこいいパフォーマンス、そしてサン・ラー自身の知的でぶっ飛んだ蘊蓄に富んだ、その宇宙哲学に惚れ込んで以来、音楽とあらゆる芸術を包括したその平和思想に、古代中国の伝説的な王であり、薬学や商売の神として知られる神農との共通点を多く見出したアタシは、サン・ラーを聴くこと、サン・ラーの表現を楽しむこと、そしてサン・ラーの深淵な哲学を理解しようと努めることを『宇宙神農道』と名付け、日々鍛錬しております。

えぇ、えぇ、こういった事はまじめーに考えるよりも、ネタとして楽しんで頂いた方が楽しいから、今までアタシが書いたことも、これからアツく書き記して行くことも、賢明なる音楽好きの皆様は、ぜひ健康的にネタとして楽しみながら読んでください。

さて、サン・ラーとは一体何者で、どういう人なんでしょうね。非常に気になりますね、ワクワクしますね。

音楽的に説明すれば、サン・ラーはジャズをやる人です。

そのジャズを、ピシャッと決まった正統派のスウィング・スタイルからモダン・ジャズ、歌モノ入りのR&B、エレキギターやシンセサイザー炸裂のファンク風、はたまたフリーク・サウンドの阿鼻叫喚なスタイルまで、とにかく「およそ考えられる音楽の手法すべて」を駆使して自在に演奏出来る、優れたビッグ・バンドのリーダーであり、一流の鍵盤楽器奏者です。

1940年代後半にジャズ・ミュージシャンとしての活動を始めたと言われている彼は、1993年に土星に還る(この星の言葉で言うところの死去する)まで、常にジャズという音楽の最前線で演奏しながら、多くの先鋭的かつ革新的なミュージシャン達とは全く違う独自のやり方で、メインストリームに属するものでもあり、アンダーグラウンドに属するものでもある、あらゆる可能性に満ち溢れた演奏を繰り広げ、時に音楽というカテゴライズからも自由に飛び出した、新たな表現手法を生み出してきました。

有名なジャズ・ミュージシャンで彼の影響を受けたのは、ジョン・コルトレーンを筆頭に、枚数にいとまがありませんが、ジャズ以外でもジョージ・クリントンやアース・ウインド&ファイアー、フェラ・クティ、MC5、ジャイルス・ピーターソンなどなど、R&B、ロック、アフリカン・ミュージック、ハウスなどのアーティスト/DJで彼を崇拝して、その音楽的遺産から多くを得ている人は数知れず(デトロイト・テクノはジャンルそのものの源流にサン・ラーがいるとすら言われています)。

1960年代から70年代までは、彼の自由な表現に対する理解はまだ薄く、その派手で風変わりなアーケストラの手作り衣装やダンスや寸劇もあるステージでのパフォーマンス、そして真面目な顔で宇宙の摂理を語るサン・ラーを「変人」と決めつけることで、ずっと彼をアングラとかキワモノとか世の中は言ってきましたが、時代が変わり、彼の音楽がその時代のちょっと先を行く音楽のある部分を先取りしてやっていた事や、彼の語る宇宙の摂理や平和(調和)を説いたメッセージが、よくあるデタラメなスピリチュアリズムとは違い、歴史や科学や世界中の宗教の思想を深く研究した上で丁寧に考え抜かれてきた、地に足の付いた哲学だという事が、残されたインタビューや発言の分析から知られてくると、ジャズというジャンルに囚われない「音楽は音楽」で自由に楽しもうという人々に、本当に真剣に支持され、そして再評価されてきたのです。


アタシも最初にサン・ラーと出会った時は、その派手で奇抜な衣装を見て笑いました。

インタビュー記事を読んで、自分は土星人であるとか、地球人は正しく導かれなければいけないとか、そういったことを真剣に語るサン・ラーに「おぉ、ぶっ飛んでるのぉー」と思ったものです。

で、演奏を聴いて(最初に聴いたのは『Space Is The Place』↓)





「これは・・・凄い!最高にイカレてるけど最高にちゃんとしてる!!」

と、衝撃を受けた訳です。


そんな事を言っても、まだ実際にサン・ラーの動いて演奏をする姿を見たことがなかったうちは

「すごくカッコいい音楽」

のうちでしかなかったんです。

が!


本当の意味での衝撃は、ビデオ映像で”サン・ラーの動く姿”を見た時だったんです。




サン・ラーはよく

「我々の演奏は、ただ耳に入ってくる音楽だけではない。衣装も演奏で、ダンスも演奏、ステージの上での誰かが喋ってメッセージを発してもそれは演奏だ」

というような事を言います。

それは意地悪な言い方をすれば、とっても理想的な理屈です。

ちょっとカッコいいバンドがそういう風に言えば、そりゃあ全部がそう思えるだろうと。

で「どんなもんかのー」とビデオで見たサン・ラーの演奏


・・・!!

・・・・・・!!!!

一言で言えば、彼らの音楽は絶対にあの衣装でなければダメだし、この音楽にこの衣装でなければ、この歌ったり踊ったりのステージはあり得ないし、サン・ラーがこの音楽をやっていて、こういった衣装を着て、こういうパフォーマンスを素晴らしいクオリティで見せてくれるから「宇宙が」とか「地球人は」とか言っても、全然嘘くさくならんのです。









それでもまだ「サン・ラーなんて変わったことやってる変なオッサン」だと思ってる人は、この最高のドキュメント・ムービーを見てください。

のっけからその深淵な宇宙哲学を、まるで大学教授のような知的な口調で語るサン・ラー、そして演奏シーン、共同生活しているアパートでの、びっくりするほど真剣なリハーサル、みんなで経営している駄菓子屋に訪れる子供たちとの、心温まるふれあいのシーン、もう何て言えばいいんでしょうね、これほどまでに音楽の本質と共に、アーティストとして生きる人々全部に共通する本質をありのまま(しかもマイナスな過激さは一切なく)ピュアな形で撮りきった音楽ドキュメンタリーってありません。

今はyoutubeがあるから、サン・ラーのライヴ映像はいくらでも観られますが、このドキュメントは字幕付きは動画で出回ってませんし、何より音楽はもちろん最高ですが、ビジュアルも思想も音楽と同じぐらい深い感動を与えてくれるサン・ラーの素晴らしさは、字幕付きのこのDVDで全ての音楽的にじっくりと堪能してもらいたいと思います。

「サン・ラを知ってからロックが楽しく聴けるようになった。だって今の90年代のロックがやれそうでやれないようなことまで何十年も前にサン・ラがやってるもんね」

とは、あるバンドマンの言ですが、その後に

「突き抜けてカッコイイことやってるヤツを聴くと、コレをやらなきゃいけないって思うよね。でもサン・ラの凄いところは”別にやらなくてもいい”って思わせてくれるところだと思う。あれしろこれしろ、こう感じろとは聴く人に絶対押し付けない。オレらは自由に楽しんでるからお前も好きにやれって感じ?自由過ぎてカッコイイわ」

と、言ってくれたことを思い出して、あ、サン・ラー信者のアタシが長々書いてきた今までの文章が、この2言で全部綺麗にまとめられたと思っています。そんなサン・ラーはやっぱり突き抜けております。





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2018年05月12日

デクスター・ゴードン ゲッティン・アラウンド

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Dexter Gordon/Gettin' Around
(BLUENOTE)


アタシもいいトシのおっさんですので「おっさんになってもカッコイイ男とは何か?」ということを、結構真剣に考えなければなりません。

まー色々と考えたんですが、見た目に関してはこれはもうしょうがありません。人間歳を取ると皺だって増えるし、髪も抜けてくるだろうし、体形も崩れてくる。こういう物理的なものはしょうがない。

でも、世の中にはそういった加齢と共にやってくる物理的な変化を経てもなお、カッコ良くて魅力的な人というのが居る。そういう人達を観察していると、いくつか”カッコイイおっさん”の条件ってのが見えてきたんです。

色々とありますが、ザックリ言えばこんな感じ↓


・佇まいから全体的に哀愁が滲み出ている

・思慮深く、言葉使いや行動がスマート

・目が死んでない

・頭の回転が早く、ユーモアを絶やさない

・なんだかんだやっぱりオシャレ


全ての条件を満たしている人は、当然ながらなかなかおりません。

が、音楽の世界、なかんづくジャズの世界を眺めておれば、この条件に見合う人達って結構いるんです。

や、昔のジャズマンなんて人生滅茶苦茶人間のオンパレードではあるんですが、それでいてもなおこれら条件をスルッと満たしている人がおりますんで、まぁその、いわゆる世間一般の常識だとか良識とかと、カッコ良さというのは別次元にあるものなんだなぁと思います。

はい、そんなダンディでカッコ良くて、スマートでオシャレで、醸す空気はスーパー哀愁。更にユーモアのセンスも人一倍あるジャズマンの中でも最高のジェントルマンといえばデクスター・ゴードン。


この人の、グッと渋いくぐもったトーンのテナー・サックスから、ちょい遅れたタイミングで放たれるフレーズが、もう最高に男の哀愁とホッとするユーモアに溢れてて、190cmのスマートな長身で、眉間にクッと皺を寄せて吹くその立ち姿、羽織るジャケットの趣味ももうホントたまんないんですね。世界中の35歳以上の男を集めて「いいかお前らこれが男ぞ」と言いたくなるぐらい、同性のオッサンから見ても惚れ惚れするぐらいのイイ男です。


そんなイイ男なもんだから、1986年には何と映画『ラウンド・ミッドナイト』で役者としてスクリーンに登場しております。

映画はフランスに住んでいるアル中ヤク中のジャズマン(実は伝説のテナー吹き)が、一人の若者の献身的なサポートで見事立ち直るのですが・・・というストーリーも、デクスター本人による素晴らしいジャズ演奏もどこまでもほろ苦い、ジャズという音楽のカッコ良さと深すぎる業の両方を見事に描いた映画なんで、これはジャズ好きの方全員に観て欲しいと思うんですが、演技の勉強なんか全然してないはずの生粋のジャズマンであるデクスターが、役者顔負けの渋い声で、ゆっくりと噛み締めるような独自の台詞回しで完璧な”ジャズマン”を、ベテラン役者の貫禄で演じきっていると、映画界でも話題になりました。

まぁ、ジャズマンだからジャズマン演じるのは訳ないんだろうと、アタシら素人は思ってしまいますが、映画の関係者によると、デクスターのあの見事な演技は、実はほぼ”素”らしいんです。

オファーがあった時にデクスターが

「オレ、テナーしか吹いてこなかった男だから演技なんて出来るかどうかわかんねぇよ」

と不安を漏らした時に監督が

「いや、アンタはそのまんまでいいんだ。吹いて歩いて、いつも通り喋ってくれればいい。この映画はジャズの映画だからね」

と言って

「あぁそうか、ジャズの映画か。じゃあそのまんまやるよ」

と、役を意識せずに出演したら、結果として何だか凄い演技になったんだとか。




サウンド、プレイ、立ち居振る舞い、身に着けるもの、全てがジャズの理想を体現していて、1940年代末に「ビ・バップの期待の若手テナー」と評価されつつも、麻薬中毒になって最も大事な20代から30代前半の時期の時期をほとんど棒に振り、その後麻薬は断ち切れたものの、67歳で亡くなるまでの間は、麻薬の代わりに浸っていた酒との縁を切れず、結局肝臓をヤラレてしまう。そういうジャズの”どうしようもなさ”みたいなものも背負ってしまっている人で、その”Good"と”Bad"の絶妙なバランスが、デクスター・ゴードンという人を、存在そのものがジャズとしか言いようのない完璧な(そして少しいびつな)”男”に作り上げたんだと思います。

んで、ここからはジャズ・テナー・サックス奏者としてのデクスター・ゴードンのお話です。

麻薬や酒に溺れる人間的な脆さを持っていても、彼の場合はその音楽にはそういった脆さを一切寄せ付けず、実に余裕とダンディズム溢れる演奏を、死ぬまで貫きました。

特に麻薬トラブルから復帰した1960年代以降のアルバムは、そのどれもが太く豊かに鳴るテナーが、コクと風味とホロ苦さに溢れた人生の物語を訥々と、時にユーモアを交えながら語る、ジャズをそんなに知らない人でも「あぁ、カッコイイなぁ。これがジャズなんだよなぁ」と、どうしても感嘆してしまう、素晴らしい説得力に溢れております。



ハッキリ言ってこの人の場合は、あてずっぽうでえ〜いと選んだアルバムはどれも”当たり”です。

かなりのハイスピードでも揺るがなくアドリブをかっ飛ばせる腕は当然ありますが、敢えてスピード勝負に懸けず独特の後ノリでフレーズを繰り出すそのスタイルで、ミディアム・テンポの曲やバラードで無双の強さを発揮するタイプであり、長いキャリアの中でどれだけジャズが進化しても自分のスタイルは一切崩さず、己の道を黙って貫いたその姿勢、両方のカッコ良さが本当に全部のアルバムから滲み出ているからです。







【パーソネル】
デクスター・ゴードン(ts)
ボビー・ハッチャーソン(vib)
バリー・ハリス(p)
ボブ・クラウンショウ(b)
ビリー・ヒギンス(ds)


【収録曲】
1.Manha de Carnaval
2.Who Can I Turn To (When Nobody Needs Me)
3.Heartaches
4.Shiny Stockings
5.Everybody's Somebody's Fool
6.Le Coiffeur


(録音:1965年5月28日、29日)



キャリアの長い人ですので、アルバムは色んなレーベルに結構な数あります。そして、その水準はどれも軒並み高い、というより、どれも安心して「極上のジャズだね」と聴く人に語らしめる雰囲気の”上質”がみなぎっていますから「この一枚を聴け!」とかそういうのは似合わない。

それでも「何かオススメないっすか?」と言われたら、ゴードンの実に男らしい粋と色気と哀愁にドップリ浸れるワン・ホーン作品がよろしいです。

ブルーノートでリリースした『ゲッティン・アラウンド』は、ヴィブラフォン+ピアノ+ベース+ドラムスのシンプルなバックが作り出すミディアム〜スローテンポのリズムに乗って、朗々と、そして切々と吹かれるテナーから立ち上る”うた”に心ゆくまでウットリできる一枚。

もうとにかく1曲目の『黒いオルフェ』です。

色んな人に、それこそ色んなアレンジでカヴァーされまくっているルイス・ボンファ作曲のサンバ曲で、同名映画(1959年公開)の主題歌。

哀しげなメロディーが胸にくる曲を、ゴードンのむせび泣くテナー、クールに情景を描くヴィブラフォン、押し殺した感傷を少しづつ滲ませてゆくようなピアノと、それぞれのソロリレーが更に胸に来るアレンジにまず引き込まれるんですが、そこからバラード、ミディアム・テンポの小粋な曲と続きます。

で、この「ノリノリの曲をあえて1つも置かず、全曲バラードかミディアム・テンポのナンバーで統一しましたよ」というアルバムの作りが最高で、どの曲も染みるんですね。

明るい曲といえばボサ・ノヴァ・アレンジの『ル・クワフール』が後半に入ってくるんですが、これも明るく軽快なテンポに乗っかるアドリブの心地良さの中にふわっとした切なさが一瞬感じられたりして、もうどこをどう切り取っても上質な大人のジャズ。まるで映画を見ているような、そんな至福です。

派手に吹きまくったり、ノリと勢いで興奮させてくれるジャズももちろん最高ですが、例えば一人でじっくり聴いて「はぁあ、ジャズいいなぁ・・・」と思わせてくれるのはこういったアルバム。

さて、コイツを聴いて、このムードから立ち上る大人の男のダンディズム、言葉より語る哀愁に浸ったら、アタシはかっこいいおっさんになれるのだろうか。いやもうそんな事を考えるのは野暮ってもんですね。これは純粋に聴いて浸りたい。












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2018年04月21日

バド・パウエル ザ・シーン・チェンジズ!

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バド・パウエル/ザ・シーン・チェンジズ 〜アメイジング・バド・パウエル5

(BLUENOTE/EMIミュージック)


本日もバド・パウエルということは、アタシは今絶好調に夏バテしております。

いや、眩暈がですね・・・。まぁいいか。

本日皆様にご紹介しますのは、バド・パウエルのアルバムの中でもダントツの人気、そしてもはや「モダン・ジャズ・ピアノを代表する名盤と語り継がれる作品」と言っても良いのではないでしょうか。バドがブルーノート・レーベルに残した『アメイジング・バド・パウエル』というタイトルを持つ5枚の作品の最後を飾る『ザ・シーン・チェンジズ』であります。

かつて、ジャズ喫茶が全盛の頃、このアルバムがひっきりなしにリクエストされていたと言います。

それこそ気合いの入ったジャズファンから、ジャズはそんなに詳しくないよという人まで次々魅了して大人気を獲得した。

バドのアルバムは、他にも凄い作品というのがいっぱいあったにも関わらず、そして、バドは確かに偉大ではありますが、その頃(日本でジャズ喫茶が全盛だったのは1960年代から70年代)は50年代の名作のリイシューはもとより、新譜として刺激的かつ内容の素晴らしいアルバムもたくさん出ていたにも関わらず、です。

ジャズにおける『ザ・シーン・チェンジズ人気』は、それから80年代、90年代になっても消えることなく残り続けました。

ブルーノートの名盤がCDでリイシューされると、やっぱりこのアルバムや、ソニー・クラークの『クール・ストラッティン』が中心になって、それはそれは売れるんですよ。


しかも、買う人のほとんどが「ちょっとこれからジャズを聴いてみたくて・・・。で、最初に聴くんだったらやっぱりピアノかな?で、これがすごくいいって聞いたんで・・・」という感じで買っていくんですね。

そのあまりにも自然な「何となくコレ」といった感じを見ると、あぁやっぱりこのアルバムの良さはしっかり語り継がれているんだなぁと、感慨もひとしきりだったんです。


その”もの”について、具体的な情報が薄くなるほど時が経過しても”何となくの伝承”として、魅力が知られてるって凄くないですか?

アタシは素直に凄いと思います。


で、このアルバムに何がそんなに人の心を惹き付けるんだろうと考えて、実際聴いてみますと「あぁ、これだ」と、ジャズそんなによくわかんない人でもピンとくる強烈な要素がひとつあります。

それはですね、やっぱり冒頭の『クレオパトラの夢』です。

この曲はミディアム・アップの程良い(聴いた人の耳がしっかりついてこれる)速さで、哀愁たっぷりのマイナー・スケールが走るナンバー。

つまり

”ノリがいいのに暗い”

曲なんです。

あぁ、やっぱりアレだよ。クレオパトラの夢なんて初心者向けで、バドにはもっといい演奏がどーたらこーたら言う人もいますけど、これはいいよ。やっぱりねぇ、アタシも含めて日本人は、こういった哀愁系疾走ナンバーに弱いんだ。この曲は今風に言うところのエモい曲ですよ。元々エモい、つまりダークなカッコ良さが売りのバドなんですが、その中でも特にエモい曲がこの『クレオパトラの夢』だということは、バドが大好きで、アルバム何枚も買って、どのアルバムにもしっかり中毒になったアタシでもこれは認めざるを得ない。

何だかんだ言ってもこのイントロが鳴って曲が走って行くのを聴くだけで、理屈抜きで胸がギューッとなる感じに襲われてついつい追いかけてしまう。

もちろんアタシ個人的に”好き”なバドのアルバムは他にあります。

でも、そういったお気に入りを聴いてもなお、このアルバムを思い出したように聴くと、このアルバム独自の「持ち味のダークさから、ちょっぴり哀しみの成分を抽出して増幅させた感じ」に、ついクラッとなってしまいます。






【パーソネル】
バド・パウエル(p)
ポール・チェンバース(b)
アート・テイラー(ds)

【収録曲】
1.クレオパトラの夢
2.デュイッド・ディード
3.ダウン・ウィズ・イット
4.ダンスランド
5.ボーダリック
6.クロッシン・ザ・チャンネル
7.カミン・アップ
8.ゲッティン・ゼア
9.ザ・シーン・チェンジズ

(録音:1958年12月29日)



はい、このアルバム独自の”哀しみ”これが日本人特有の「演歌(マイナー調の音楽)に本能的に惹かれる心」を、多分どうしようもなくくすぐってしまうんですね。

アメリカでは、「バドのたくさんあるうちの、まぁ悪くない1枚」ぐらいの評価であり「何で日本ではアレが特別人気なんだ!?」とびっくりされるという都市伝説も聞いたことがありますが、それはすっごく分かります。派手で景気のいいゴージャスな表現と、このアルバムでのバドのピアノ表現は、まるで対極にあったりします。

でも、単純に”暗い”だけじゃあないんですね。看板の『クレオパトラの夢』だって、ノリだけ聴くとシャキシャキとしたテンポでドライブするナンバーですし、バドがこのアルバムのために気合いを入れて作曲したオリジナル曲のほとんどは、ミディアム・テンポなノリのいい曲が多いんです。

だけど全体のイメージが、ジャケットの色合いとピッタリ重なる、そこはかとなく重たいブルーな雰囲気というのが、やっぱり最大のポイントでしょう。

ピアノだけを聴くとバドは非常に調子が良さそうではありますが、ところどころ音が乱れて、グシャッと潰れているところなんかもあります。でも、この”潰れ”を、バドは実にカッコいいジャズ的な”崩し”に持って行くんです。

「バドは天才だ」と、色んな所で書かれていて、その引き合いに初期のバリバリ指が動いていた頃の超絶プレイは出されますが、いやいやいや、ちょいとお待ちよお父さん、アタシはバドの”天才”は、こういう風に無意識でマイナス要素も音として出た時にプラス要因にしてしまう、この体に染みついたセンスの良さにこそあると思います。

このアルバムは、バックのサポートの素晴らしさも特筆モノです。

ベースのポール・チェンバースは、言うまでもなくこの時代、レコーディングにセッションにライヴの助っ人にと一番忙しかった人で、安定したぶっといビートを提供する間違いのないベース・プレイはもちろん、フロントでガンガンやっているピアニストやホーン奏者のアドリブ・メロディを引き立てる歌心溢れるウォーキングがとにかくズバ抜けている人です。

形こそは王道のモダン・ジャズ、つまりビ・バップの定型をしっかりと守るバドですが、アドリブで「どう切り込んでくるか分からない緊張感」ってのが結構あるんですが、アドリブでノリノリになって次々出てくるフレーズに、チェンバースは迷うことなく”この瞬間で一番歌ってるベースライン”をサラッとぶつけてバドのメロディアスな側面をしっかりと引き出しております。

そして、それ以上にバドの個性を引き出しているのが、バドとは長年の付き合いのドラム職人アート・テイラー。

特にミディアム・ナンバーで決まりに決まるビシバシと歯切れの良いスネアとシンバルが、最高に決まっておりますよ。しかもほぼ全編スティックじゃなくてブラシを使っているんですが(バドの指示だといわれております)、これがもう鋭い!

ドラマーのバンドでの重要な役割は、全体のグルーヴを支えて、ソロを奏でるフロントをガンガン煽りまくることだと思うのですが、テイラーのビシバシ決まるドラムは正にそれで、もちろんこの強靭なグルーヴの上でバドがアドリブに集中出来ているのは伝わってきますし、それ以上に”刻むこと”に全神経を動員した結果、バドの全てのプレイがハッキリと浮彫りになって妖艶な輝きを放っておるようであります。


ノリノリで切なくて、どこか暗くて夜が似合う。これはジャズの醍醐味になるイメージの一部でありますが、まだジャズとかよくわからなかった頃のアタシがジャズに抱いていて、そして憧れていたイメージであります。

で、バドを選ぶ「何かよくわかんないけどジャズのカッコいいピアノのやつが聴きたいなぁ」という人の期待も、このアルバムが持つ、ノリノリで切なくて、どこか暗くて夜が似合う、そんなイメージが十分に満たしてくれるでしょう。切なくてカッコイイものに感動する時、選ぶ言葉は「くぅ〜切ない!素敵!」でいいんです。『ザ・シーン・チェンジズ』は、理屈じゃないいくつかの要素だけで、人をコロッと虜に出来る、やっぱり素晴らしいジャズ・ピアノの名作なんです。





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2018年04月18日

バド・パウエル ストリクトリー・パウエル

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バド・パウエル/ストリクトリー・パウエル

(RCA/SMJ)



ストリクトリー・パウエル!あぁ、言葉の意味はよーわからんが、何という胸を打つ言葉の響き、そして俯いて一心不乱にピアノを弾いているパウエルのポートレイトが大写しになったこのほの暗いジャケットの何と美しいことでありましょう。

このアルバムには特別な思い入れがあります。

あれはいつだったか、多分若い頃であります。

みんなそうだと思いますが、訳もなく気分が落ち込んで、一人になると何だか酷く感傷的な気分になって、涙がボロボロ落ちる時期がありました。そう、若い頃です。

特に都会に住んでいて一人、どうしようもなく孤独感にさいなまれ「あぁ、俺はひとりぼっちなんだ」と、すごく寂しくて悔しくて情けなくなってしまう、そんなブルーな気持ちは、あろうことか仕事の休憩時間に襲ってきました。

バックルームでアタシは一人、そしてドア一枚隔てた表(職場)では、同僚さんがお客さんと喋る声や、BGMで流している賑やかな音楽が聞こえます。

この賑やかな感じがいけなかった。

弁当も食べる気にならず、ペットボトルのお茶をボーっと持っているだけで、無性に悲しくなってきます。もちろん理由なんてないのですが、深みにハマッてしまった心は、もっともらしい理由ばかりを求めてしまいます。

いけない、こんな気持ちではいけない・・・。

考えても考えても、いや、考えるから余計に気持ちは落ち込むものです。

その時、ふと、周囲の音が一瞬止まりました。

多分表のCDを変えるためにストップしたのでしょう。

やがて・・・。

軽快な調子のピアノ、ベース、ドラムがジャズを奏でました。

あぁ、こんな気分の時はこういう音楽がいいなぁと、少し気持ちがホッとしましたが、イントロが流れ終わってメインテーマをピアノが奏でた時、妙な違和感が耳に重くのしかかってきました。

不思議・・・曲はゴキゲンなのに、ピアノの、特に左手のタッチが凄まじく粗くて重いんです。その粗くて重いタッチが醸すムードは、その時アタシが抱えていた、訳もなくどん底な不安や寂寥とシンクロして、グイグイと心を惹き付けます。

正直ジャズは好きになり始めた時期だったけど、まだまだその頃は感情を激しく揺さぶってくれるフリー・ジャズにしか、強烈には惹かれておりませんでしたが、このジャズ、何の変哲もないストレートなジャズでしかもピアノ・トリオの演奏なのに凄い。心を激しく揺さぶって、狂おしくかき乱す何かがある。

それはお客さんが中古の状態を確かめるために視聴したレコードでした。

覚えておこうと遠目からチラッと見ましたら、音のイメージにピッタリのポートレイトに、僅かに確認できた”POWELL”の文字。

あれ?バド・パウエル?

そう、知っているどころか何枚か持っていて家で聴いているはずの、あの有名なバド・パウエルです。

帰宅して家に2枚あるバドのアルバム『ザ・シーン・チェンジズ』と『ジニアス・オブ・バド・パウエル』をじっくり聴いてみました。

どちらも彼の代表作として有名なアルバムです。

実際『ジニアス・オブ・バド・パウエル』は、初期の頃の、凄まじいスピードで駆け抜ける前半の収録曲にパンク・スピリッツを感じ、『シーン・チェンジズ』は、曲として気に入ったマイナー・チューンの『クレオパトラの夢』をいいなと思って、ちょっとオシャレな作品として聴いておりました。

しかし、アタシは実はちょっとだけ気付いておったんです。この人の本質は、テクニックとかオシャレではなく、根底にある狂気の部分とか、ジャズという音楽の持つ、暗くて重い”どうしようもなさ”の部分で音楽やってるところなんだろうなということを。

実際に初期の名盤『ジニアス・オブ〜』で感じたのはカミソリのような鋭い狂気、精神的にボロボロになった1950年代後半の人気盤『ザ・シーン・チェンジズ』で感じたのは、この人特有の、どこか重たくて引きずるような情念の魅力でありました。

それはまだぼんやりとした直感的なものだったのですが、この日聴いたバド・パウエルの演奏で、アタシの直感は確信に変わりました。








【パーソネル】
バド・パウエル(p)
ジョージ・デュヴィヴィエ(b)
アート・テイラー(ds)

【収録曲】
1.ゼアル・ネヴァー・ビー・アナザー・ユー
2.コスクレイン
3.虹の彼方に
4.ブルース・フォー・ベシー
5.タイム・ウォズ
6.トプシー・ターヴィ
7.ラッシュ・ライフ
8.エレジー
9.ゼイ・ディドント・ビリーヴ・ミー
10.波止場にたたずみ
11.ジャンプ・シティ


(録音:1956年10月5日)


この日聴いて、狂おしく虜になってしまったのが『ストリクトリー・パウエル』バドのアルバムでは珍しいRCAというメジャー・レーベルの、たった2枚しかない作品のひとつで、最初に録音されたものだということでした。

そして、中期から後期のバドの持ち味といえる、重く沈んだ音色が奏でる独特のムードが演奏の前面に出た最初のアルバムとされております。


恐らくは彼がこの頃抱えていた精神の病、ドラッグ、アルコールその他もろもろの影響が色濃く出たのでありましょう。RCAの2枚目である『スインギン・ウィズ・バド』よりも好調に走る演奏や、右手の華麗なアドリブのノリは鳴りを潜め、アルバム全編がミディアム・スロウから、盛り上がってもちょっと小走りになる程度のテンポで統一され、それが余計にバドの指から繰り出される重く歪んだ情念の響きを際立たせております。


最初に胸倉を掴まれたのはもちろん1曲目の『ゼアル・ネヴァー・ビー・アナザー・ユー 』でありましたが、アルバムをじっくり聴くと、ポピュラー曲として有名な『虹の彼方に (Over The Rainbow)』の、訥々とした弾きっぷりからジワリと迫る切実な感傷、『ラッシュ・ライフ』の、夕暮れの光景がボロボロと音を立てて崩壊してゆくような滅びの美のようなもの、破れた哀しい恋の感情が歌われる『ゼイ・ディドント・ビリーヴ・ミー』、流れるような気品の中に何とも言えない寂しさが溢れる『水辺にたたずみ』など、さり気ないスタンダード曲が、どれもバドの情念にまみれて本当に素晴らしいんです。

アタシはこのアルバムに激しく心打たれたことがきっかけで、バド・パウエルというピアニストの本当の素晴らしさに気付きました。単純に「調子が良くて、胸のすくような快演を繰り広げているアルバム」でもないし、アドリブも冴えまくっている訳ではありません。でも、この病んだ精神の奥底から訴えてくる音楽衝動の切実さ、これが多分バド・パウエルという人がジャズの中でも大きく語られ、今も虜になってしまう人を増やし続けている理由のような気がします。









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2018年04月15日

バド・パウエル スインギン・ウィズ・バド

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バド・パウエル/スインギン・ウィズ・バド


忙しさが続くと、肉体的にも精神的にも徐々にすり減ってきます。

いわゆる「ストレスが溜まる状態」なんですね、えぇ、実にいけません。

このブログを読んでいる皆さんのストレスが溜まった時の解消法というのは、きっと好きな音楽を浴びるように聴くことと思いますが、如何なもんでしょう。

アタシは精神のシグナルが黄色く点滅し出したら「あぁ、こりゃヤバイな」と察知して
バド・パウエルを聴きまくるモードが作動してしまいます。

えぇ、バド・パウエルです。

1940年代、若くして颯爽とジャズ・シーンにデビュー、その圧倒的なテクニックと湯水の如く次々湧いてくる煌めきに満ちたアドリブの、他の追随を許さないメロディアスさでもって、天才、神童の名を欲しいままにし、また、デビュー直後に巻き起こったジャズの大革命であるところのビ・バップ・ムーヴメントでも中心的役割を果たし、彼が築き上げたリズムとアドリブのスタイルは、そのまんまモダン・ジャズ・ピアノの究極のお手本として、後続のピアニスト達の演奏法に軒並み影響を与えた、ジャズ・ピアノの申し子のようなバド。

しかし、天賦の才能がありながら、人気や活躍と比例して、元々患っていた精神の病をどんどん悪化させ、更にお約束のようにドラッグやアルコールにも蝕まれ、彼の人としての一生は、決して幸せと言えるものではありませんでした。

更に1950年代以降はかつての超人的なテクニックも影を潜め、録音によってはほぼ彼のその時の精神状態が音に出ているものもあったり、彼の作品は聴いていて決して爽やかに心が晴れるようなものではありません。

ですが、敢えて言わせてもらいます。

アタシにとっては、彼の1950年代以降の作品こそが、テンパッて切羽詰まった精神の崇高な拠り所であり、苦悩して病み葛藤する人間が、一縷の希望のような美の生々しい姿を見せてくれる最高の芸術であります。

そうですとも、本当にキツい時は「癒し」なんていう生ぬるく薄っぺらい価値観をベタベタ塗りたくられた音楽なんぞに用はありません。同じように...いやいや、手前の悩みや苦労なんざよりずっとずっとヘヴィなものにまみれつつも、それでも美しく心の奥底に響いてくれる音楽がいいんです。

1950年代以降のバドについて説明すると、閃光のような速さで超絶技巧フレーズを奏でる右手から、神は去ったかも知れませんが、その代わり左手に悪魔が宿りました。

ちょい大袈裟なたとえかも知れませんが、50年代以降のバドの何がそんなにカッコイイかと言われれば、あの「ガーン」と和音を押さえただけで全てのムードが重く妖艶な輝きを放つ左手のタッチ。

よく「ビ・バップ以降の全てのモダン・ジャズ・ピアニストは、バドのやっている事をまずはまんまコピーして、それから自分達のオリジナリティを確立していった」と言われるほど、バドのプレイ自体は非常にオーソドックスで、理論的にはもはや研究され尽くした感もあるといえばあるんですが、バドの影響を受けたピアニスト達が、誰一人真似できなかったのが、この左手から醸し出されるムードとニュアンスなのであります。

そう、実はアタシはバド聴いて「すげぇな」と心底思ったアルバムは、初期の凄まじいテクニックと才気のほとばしりが生んだアルバムではなく1956年録音のRCA盤『スクリクトリー・パウエル』。

このアルバムでの凄まじく重い、まるで虚無そのものが鳴り響いているかのような左手のプレイを聴いてから、それまで「かっこいいー!」と思っていたバド・パウエルに対する感情は、もうこれを聴かないとどうにかなってしまいそうな程に焦がれてしまいました。つまり”虜”になってしまったんですな。




(ちょっと昔の記事なので短い。このアルバムに関しては改めてレビューしますね)。

バド・パウエルといえば、有名な『クレオパトラの夢』が入ってる”アメイジング・バド・パウエル・シリーズ”をリリースしているブルーノートのアルバムが何といっても人気です。次が初期の演奏からもしっかりと録音していてリリース数も多いVerveです。

RCAにはバドのアルバムはたった2枚しかなくて、しかもジャズ雑誌やガイドブックなどではほとんど話題になってなくて、正直ノーマークでしたが。これはアレなんですね、評論家の間でRCAのバドは「精彩を欠きはじめた頃の作品」として、あんまり評価が高くなかったんです。

でも実際聴くと、50年代中期以降のバドは素晴らしいし、特にその皮切りとなったRCAの2枚は何かこう特別に胸をかきむしられるような狂おしさに溢れてる。それでいて疲れた心身にその狂おしさがジワジワ染みてきて何だか泣けてくる。






【パーソネル】
バド・パウエル(p)
ジョージ・デュヴィヴィエ(b)
アート・テイラー(ds)

【収録曲】
1.アナザー・ダズン
2.オールモスト・ライク・ビーイング・イン・ラヴ
3.ソルト・ピーナッツ
4.シー
5.スウェディッシュ・パストリー
6.ショウナフ
7.オブリヴィオン
8.暗い夜
9.ゲット・イット
10.バードランド・ブルース
11.ミッドウェイ

(録音:1957年2月11日)

はい、今日は胸をかきむしられるような狂おしさに溢れるRCAのバド、その素晴らしい2作目『スウィンギン・ウィズ・バド』をご紹介します。

録音は1957年、『スクリクトリー・パウエル』の前年であり、この直後にブルーノートで『アメイジング・バド・パウエル』Vol.3からVol.5までの怒涛の録音を行う訳で、つまりバドにとっては色々あって病んでしまったけれど、その中でも創作意欲に満ち溢れた時期の録音といえるでしょう。

トリオ編成でリズムを支えるのは、ジョージ・デュヴィヴィエ(ベース)とアート・テイラー(ドラムス)という、バドにとっては気心の知れた信頼できる仲間です。ズ太い音で安定したリズムを提供しながらも、実はアドリブによるメロディ作りのセンスも優れたデュヴィヴィエと、芯のある繊細さで的確なリズムキープをさせたらこの人!のテイラー。この2人のサポートはバドを心地良くくつろがせ、そして十分な刺激を与えまくっております。

やや早めのミディアムナンバーで、得意のビ・バップ・フレーズをキメまくって疾走するオープニングの『アナザー・ダズン』、デュヴィヴィエの高速ランニングと、ビシバシ叩きまくるテイラーのスネアに煽られて走るピアノに興奮する『ソルト・ピーナッツ』、多分収録はこのアルバムのみの珍しいオリジナル曲『ミッドウェイ』(こういうちょっとマイナー調のナンバーで走るバド最高なんですよ)等、タイトルの「スインギン」に偽りなしのスピード感溢れるナンバーがやはり看板ですが、このアルバムで実は効いているのがバラードとブルース。

特に『ライク・サムワン・イン・ラヴ』でのイントロを聴いてみてください。アタシが散々「バドの左手ヤバイ!」と言ってるのはコレなんです。曲自体はキュートともいえるぐらいにポップな美メロで、実際バドのプレイもとてもロマンチック。でも、これですよ、この主旋律と同時にガラゴロ言ってる左手のアルペジオ、これなんです。このガラゴロが、綺麗なメロディに死ぬほどの哀感をふんだんにまぶした、もう何か切なさの絵巻物みたいな壮絶な”絵”を浮かび上がらせてくれてヤバイんです。

バラードは他にも丁度いい並びで入ってて、その死ぬほどの耽美と虚無と哀感が、感情を振り乱して走るミディアム・ナンバーの後に耳と胸を襲います。あぁ、何でこんなにカッコイイ音楽が、リアルタイムでちゃんと評価されてなかったんだろう。それはさておきでもしもアナタが心身共に疲れてて、そんじょの生ぬるい音にはとても救いなんて求め得ないと思ったら、RCAのバドを聴いてみてください。きっと激しくかきむしられてかきむしられて救われます。

やっぱりギリギリの水際で鳴っている音楽、良いんですよ。






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