2017年12月27日

ヒッコリーハウスのユタ・ヒップ Vol.2

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ヒッコリーハウスのユタ・ヒップ Vol.2

(BLUENOTE/EMIミュージック)


ユタ・ヒップという人は、ドイツからスカウトされてやってきて、1950年代のキラ星の如く輝くモダン・ジャズの名盤がズラッと並ぶBLUENOTEにおいて、ライヴ盤2枚を含む3枚のアルバムをひっそりと残し、わずか2年にも満たない活動を静かに終えてジャズの世界から姿を消した幻の女性ピアニストでありますが、その確かなピアノの実力、儚い哀愁をヘヴィな音色と強靭なグルーヴで織り交ぜたかのような唯一無二の個性でもって、決して”通好みの味わいあるミュージシャン”では終わらない強烈な存在感をジャズの歴史に刻み付けております。

前回ご紹介しました『ヒッコリーハウスのユタ・ヒップVol.1』は、そんな彼女がアメリカで初めて得た仕事、つまり彼女のピアノに惚れ込んでアメリカのジャズ界に連れてきた評論家レナード・フェザーが契約を取り付けたステーキのお店”ヒッコリーハウス”で行っていた定期ライヴの前半のステージを収めたライヴ盤です。

で、今日皆さんにご紹介する『ヒッコリーハウスのユタ・ヒップVol.2』は、同じ日の後半のステージを収めたライヴ続編なんですが、これがまたVol.1とは違った雰囲気で実に素晴らしい内容。



「何で1枚にまとめなかったの?Vol.1の評判が良かったから、後になって余った曲を集めてVol.2を作ったの?」

という読者の方からの声が、今微かに聞こえましたので、そこんところからちゃんと説明しますね。

まず、このヒッコリーハウスのユタ・ヒップ、Vol.1もVol.2も、作品として同じ時期にリリースされたものです。

何でわざわざ分けたかと言いますと、これは単純にこの時代のレコードの収録時間の関係上、2枚に分けざるを得なかっただけで、決してVol.2が後から出てきた没テイクを寄せ集めたものでもなければ、色気を出したレーベル側が、あざとく企画した続編でもありません。

そもそもがこのシリーズは『Vol.1』が前半の『Vol.2』の、同日同ステージの演奏を編集ナシで丸々収録したものであり、どういうことかというと

「ユタ・ヒップのライヴは素晴らしいから、これはどの曲もボツにせず、全部を発売すべきだと思う。何、収録時間が1枚に収まらない?だったら2枚に分けてリリースすればいい。多少売れ行きにムラはあるかも知れんがそんなことはどうだっていい。素晴らしい彼女の演奏を余すところなくジャズファンに聴いて欲しいんだよ」

という、ブルーノートのオーナー、アルフレッド・ライオンの粋で真摯なはからいなのであります。

そうなんです、ライヴ盤といえば今でこそツアー中のいくつかの演奏の中から出来の良いものをセレクトしたり、中の音にちょちょっと修正をかけたりして作られるものもあったりしますが、アルフレッド・ライオンという人はとことん現場主義で、良いと思ったら採算を度外視しても全曲収録したレコードをシリーズとして作り、かつまどろっこしい編集や、売るための細工なんぞは一切しない人でした。

何故、ドイツから来たばかりのほとんど無名のピアニストに周囲はそれほどまでに惚れ込んだのか?

それはアタシも惚れ込んだクチですから、演奏を聴いてくださいとしか言えませんが、この日のヒッコリーハウスでのライヴが、2枚の作品となってまで全ステージを収録したのかということに関しては、また別の理由があります。




【パーソネル】
ユタ・ヒップ(p)
ピーター・インド(b)
エド・シグペン(ds)

【収録曲】
1.風と共に去りぬ
2.アフター・アワーズ
3.ザ・スカーラル
4.ウィル・ビー・トゥゲザー・アゲイン
5.ホレーショ
6.アイ・マリード・アン・エンジェル
7.ヴァーモントの月
8.スター・アイズ
9.イフ・アイ・ハッド・ユー
10.マイ・ハート・ストゥッド・スティル

1956年4月5日録音


実は楚々とした気品の中に、どこか狂おしくて秘めた破壊衝動すらも感じてしまいそうな、奥深い感情のあれこれが渦巻いているかのような『Vol.1』と、エンジンがかかってグイグイ重く疾走するドライブ感でもってスイングする『Vol.2』は、雰囲気がまるで違います。

例えれば、恥ずかしがり屋で人見知りなユタさんと飲みに言ったとします。

繊細で控え目で、とにかく自分に自信がなかったと言われる彼女の性格ですから、まずはこう言ったことでしょう。

「あ、いや、私はお酒そんなに得意ではないんです。あ、話も聞いてるのは好きですがいざ喋るとなるとダメなんですよね。それと、私そんなに面白くないから・・・」

でも、彼女はとても慎重に言葉を選びながら、訥々とではありますが、その内容は真実の説得力に満ちたとても深い言葉が美しく煌めいている。そんな会話にいつしか同席している人はすっかり聞き手に回ってしまっい、気が付けば

「この人の話、もっと聞いていたい」

と、強く願うようになってしまっていた。


これが『Vol.1』です。

「あ、ごめんなさい。私の話・・・面白くないですよね。何か深刻な話ばかりしちゃってすいません・・・」

と言いつつも、酒は結構弾んでいて

「すいません、ウォッカください(5杯目)」

となってからが『Vol.2』です。

内気で知的な雰囲気は全く変わらず、酔いが心地良く回ったのか、彼女は次第に饒舌になってきます。

その言葉には気品が溢れ、どこか陰のある薄倖の魅力を常に漂わせながらも会話はリズミカルになって行き、意外にも低く、ドスの効いた言葉の力強さが前に出てきます(これ、最高にドライブする左手のフレージングのことを言ってます)。

彼女の魅力はでも、どんなに饒舌になっても、どんなに酔いが回っても決して大声を上げたり下品な内容にならないところで、どんな言葉もしっかりとその知性で選び抜かれた、余計な装飾や誇張のない、シンプルな真実が持つ芯の強さに溢れたものでありました。

そして彼女の仲間達、つまり優しく彼女の話を頷きながら聞き、お酒をそっとオーダーしたり、ツマミが切れたら運んで来たり、彼女が椅子から転げ落ちないように、しっかりと支えられる位置を近過ぎず遠過ぎない実に絶妙な距離でキープしているベースのピーター・インドとドラムのエド・シグペン。

えぇい、もう何か面倒臭いんでたとえ話終わりでストレートに演奏の話に戻しますが、このバックの2人のプレイがまた見事なんですよ。

方や”クール派”と呼ばれたレニー・トリスターノの愛弟子として、そのキッチリタイトなグルーヴに、まるでリズムマシーンのように正確な”4”を黙々刻むベーシストとして、一方は名手オスカー・ピーターソンやビリー・テイラーなど、軽やかなスウィング感が売りのピアニストとの相性抜群な、シャッシャと小粋なブラッシュワークで、演奏を心地良く飛翔させて加速させる知性派ドラマーとして名が知られた二人ですが、ここではインドは意外にもブイブイと弾力のある音で前に出て弾きまくり歌いまくってるし、シグペンも軽めのブラッシングではありますが、いつもよりリキが入ってビシバシやってハッスルしています。

とにかくもう、ユタさんの左手の強靭なグルーヴ感なんですよね。

バド・パウエルに憧れて、ホレス・シルヴァーに大きく影響を受けて、実際グルーヴィーなアップテンポの曲では独特の力強く粘る左手のラインが”まんま”だったりしますが、これだけ”ゴリッ”と骨太に走ってて、どこか儚さとか切なさを感じさせるのは、やはりこの人ならではのどうしようもないぐらいにこびり付いた個性だと思います。

インドとシグペンも、とにかくその左手に感化されまくって本気で飛ばしておりますよ。ライヴで火が点いたトリオの演奏としては、もう最高峰ぐらいの素晴らしく一体となったグルーヴであります。

ミディアムテンポの『ラ・スカラール』がもうとにかくバリバリで凄いです。聴いてください、いや、お聴きなさい。

あと、相当に濃いけどこの人のピアニストとしての本音、つまり”私はこうありたいのよ!”って部分は、2曲目のスローブルース『アフター・アワーズ』が悶絶モノの出来です。白人だとか女だとか、そういうの関係ない、誰が弾こうが感情を死ぬほど込めたらブルースはこんぐらいドロドロになるという美しい(えぇ、あえて)見本のようなブルースです。これもぜひ聴いてください。いた、お聴きなさい。






『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2017年12月26日

ヒッコリーハウスのユタ・ヒップ Vol.1

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ヒッコリーハウスのユタ・ヒップ Vol.1

(BLUENOTE/EMIミュージック)

冬になると聴きたくなるピアノといえば、そう、この人を忘れてはいけません。

モダン・ジャズ華やかかりし1950年代半ばにドイツからやってきてブルーノートに何枚かのアルバムをそっと残し、そして失意のうちにジャズの世界から静かに姿を消した哀しみの女流ピアニスト、ユタ・ヒップ。

確かな実力を持ちつつ、決してテクニックを派手に見せつけない楚々とした魅力のあるフレージング、そしてノリのいい軽快なナンバーを弾いてもどこか憂いを帯びた独特の音色。

ユタ・ヒップが作品を残したBLUENOTEの1500番台というシリーズは、それこそ全部のアーティストの全部の作品が”かっこいいジャズのお手本”と言っていいぐらいにファンキーでオシャレな名盤がズラッと揃っておるのですが、その中でも「ユタ・ヒップ」という文字があれば、何かこう「イェ〜イ♪」ではなく「キュ〜ン」と胸を締め付けられます。

アタシなんかは本日ご紹介する「ヒッコリー・ハウスのユタ・ヒップ」のジャケットを見て、このジャケに写ってる清楚な感じの白人女性をてっきりモデルさんだろうと思って「やっぱりブルーノートのジャケットは粋だよねぇ」なんてはしゃいでおったのですが、中身を聴いて自己紹介をするしとやかな声に続いて出てくる、さり気ない重みと哀愁のあるピアノに、最初からすっかり恋に落ちたクチです。

ユタとの出会いはバド・パウエルの『クレオパトラの夢』を聴いて、あの暗く重たい哀愁が、美しい旋律に引きずられながら転がってゆくの狂おしさが、あぁなんつうか凄くカッコイイなぁ、こんな感じのピアノもっとないかなぁと思っていた丁度その時だったんですね。

だからよく「ユタ・ヒップは革新的なスタイルを作った訳でもなくて全体的に地味だが好きな人は好き」みたいな紹介のされ方をした文章を見るんですが、アタシに言わせればてやんでぇなんです。

新しいスタイルを作ることがジャズじゃないし、影響を与えた人間の数で、そのアーティストの音楽的な価値が決まる訳ではありません。確かにユタはほんの少ししかアメリカのジャズ・シーンにいなかったし、そのスタイルも憧れだったバド・パウエルの影響からほとんど出ることはない、いわゆるオーソドックスなバップ・ピアノというやつではありますが、いやいや、音楽を聴きましょうよ。

この人みたいに内に秘めたものをフレーズに託して、情感豊かに鍵盤を転がせる人はちょっと他に見当たらないし、聴いた後にじわっと広がる儚い余韻の味わいというのがやはりどう聴いてもワン・アンド・オンリーの魅力があるんです。もちろんたった2年間のアメリカでの活動の中で残した数枚のアルバムは、どれも良質と言っていい味わいの深い逸品揃いなのです。

1925年にドイツのライプチヒで生まれたユタ・ヒップは、少女時代にジャズの魅力に目覚め、仲間達とバンドを組んで演奏を行ってましたが、時のナチス政権によってジャズは退廃芸術として弾圧の対象となっておりました。

けど、仲間達とこっそり集まっては外に漏れないようにジャズを聴き続けていたんですね。

やがて戦争が終わり、彼女の未来には希望の光が差し込みますが、この時ユタは決して許されない悲しい恋に落ち、私生児を身ごもって出産します(ユタが父親の事は一切口にしなかったので詳細は不明ですが、恐らくは進駐軍の黒人兵士との間の子ではないかと言われております)。

息子を生まれてすぐに養子に出し、全てをふっきるかのようにジャズにますます没入してゆく彼女は、やがて1950年代になると自分のバンドを率いるようになって、ドイツ全土でそこそこ名の知れた存在になり、その評判を聞きつけたアメリカのジャズ評論家レナード・フェザーがドイツに渡り何度も説得した上でアメリカに呼び寄せるという幸運に恵まれました。

が、実はユタはとてもあがり症で自分に自信が持てない性格のため、レナード・フェザーにほとんど強引に口説き落とされはしたものの

「自身がないから・・・多分少しだけ向こうに居てすぐに帰ると思う。それに私・・・私みたいな人間はきっと音楽だけで生活して行くことは出来ないと思うの。アメリカは都会だし、きっと私以上のピアニストなんていっぱい居るに決まってるわ・・・」

と、かなり後ろ向きだったようです。

不安がるユタに、何とかジャズ・ミュージシャンとしての本格的な活動を続けて欲しいとレナードは手を尽くしました。

まず、ニューヨークの多くのクラブハウスが集まる”西52丁目”地区にある、ライヴも出来るステーキの店”ヒッコリー・ハウス”のレギュラー出演者として彼女を出すように交渉し、これを承諾させ、更にブルーノート・レコードのオーナー、アルフレッド・ライオンに

「いやぁ、ドイツから凄いピアニストを連れて来たんだ。女の子なんだけどこれがバドみたいで凄く上手いんだ。アル、同じドイツ人だから贔屓してくれって言ってるんじゃない。アンタが音に公平なのはオレだってよく分かってる。まずは一度聴いてみてくれないか」

と、彼女を紹介。

レナードの言うように、音に関しては公平で厳しく、何よりも同じドイツ人だからと仕事の上でえこひいきするというような馴れ合いは、ドイツ人は大嫌いです。しかしそんなライオンをして「彼女のピアノいいね、ウチでレコード作るよ」と言わしめたユタ・ヒップ。



【パーソネル】
ユタ・ヒップ(p)
ピーター・インド(b)
エド・シグペン(ds)

【収録曲】
1.イントロダクション・バイ・レナード・フェザー
2.テイク・ミー・イン・ユア・アームズ
3.ディア・オールド・ストックホルム
4.ビリーズ・バウンス
5.四月の思い出
6.レディ・バード
7.マッド・アバウト・ザ・ボーイ
8.エイント・ミスビヘヴン
9.ジーズ・フーリッシュ・シングス
10.ジーパーズ・クリーパーズ
11.ザ・ムーン・ワズ・イエロー

1956年4月5日録音


で、この『ヒッコリー・ハウスのユタ・ヒップ』は、彼女がニューヨークへ来た最初の仕事をそのまま録音したアルバムです。

多分「あの性格ならスタジオでは緊張して本領を発揮できないだろう」と読んだライオンの彗眼でしょうね。その読み通り、このアルバムでは気負いも飾りもない、彼女の素の演奏が、しかも実際のステージでの演奏を順番すら変えずそのまま収録して『Vol.1』『Vol.2』という素晴らしいライヴ盤に仕上がりました。

今日ご紹介するのは、まずはVol.1の方です。

編成はユタのピアノに、ピーター・インドのベース、エド・シグペンのドラムス。

インドは当時最も革新的な集団として知られたレニー・トリスターノのバンドでリズムを支える知性派で、エド・シグペンの方は”ザ・トリオ”と呼ばれるオスカー・ピーターソン・トリオのレギュラー・メンバーを務める実力派中の実力派、特に2人共”ピアニストがリーダーの場合の引き立て方”というのを知り尽くしている、ユタにとっては最高の人選ですね。

実際、ステージを通してインドのキリッと締まった的確なウォーキングと、シグペンの繊細でメロディアスのブラッシュワークが、本当に素晴らしいサポートをしています。

そしてこのアルバム、全編に渡ってある種独特の重みを感じさせながらも見事にスイングして、美しいメロディもしっかりと過不足なく聴かせるユタのピアノの素晴らしさは余すところなく発揮されております。

聴きどころは前半のマイナー系疾走ナンバーの狂おしさが炸裂する『テイク・ミー・イン・ユア・アームズ』
と、しっとり落ち着いた哀しみをとことん聴かせる『ディア・オールド・ストックホルム』でしょう。

もちろん彼女にとっては”大好きなジャズ”を目一杯演奏してるんですが、この2曲には何というかそれだけでは終わらない凄みがみなぎっています。もう一度言いますが決して派手に弾きまくるタイプではないだけに、そしてアドリブも凄く丁寧に丁寧に弾いて、決して勢いに任せて熱くなるタイプではないだけに、秘めているものの重さ、あやうさみたいなものがキリキリと迫ってくるのです。はぁカッコイイ・・・。




『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2017年12月13日

ジミー・フォレスト ナイト・トレイン

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ジミー・フォレスト/ナイト・トレイン
(Delmark/Pヴァイン)

そもそもジミー・フォレストという人を知ったのは、確か1998年だか1999年度版の「Pヴァインレコードカタログ」でありました。

あの頃といえばインターネットなどあんまよく知らないし、ケータイすらも持ってなかったので、情報といえば雑誌か本、そしてレコード屋さんに置いてある無料の冊子やチラシの類です。

特にレーベルが出しているカタログは、貧乏人には凄く有り難かったんですよ。アーティスト名/タイトル、値段や収録曲の他に、下の方に内容紹介の一口コメントが大体書いてある。

カタログをパラパラっと開いて、知ってるアーティストのアルバムなんかは「そうそう、そうなんだよね〜」と納得してニンマリやってましたが、重要なのはむしろ知らないアーティストの聴いたこともないアルバムの類で、カタログに載っている一口コメントを読みながら想像を膨らませ、ワクワクドキドキしながら購入してみる。なんてことの繰り返しが、今にして思えばアタシの音楽生活に素晴らしい実りをたくさんもたらしてくれました。

特にお世話になったのが、ブルースや洋楽ロックのヴィンテージな再発盤などをリリースしてくれる日本のインディーズレーベルのカタログ達。

その頃はブルースにドロドロのめり込んでいた時だったので、良質なブルースや、ブラック・ミュージック全般のリイシューに本気のPヴァインのカタログは、もう毎年カネ払ってでも欲しいけど、タダ!?ラッキー!ぐらいのバイブル的なもんでした。

ほいでもってPヴァインのカタログを眺めているとジャズのページもあります。

そのページが、アタシの知らない人達の作品がズラッと並んでて、いやこれは凄いと思って夢中で読んでおりました。

どんなのがあるんだろうと思ってコメントを読んでいたら、そこは流石に良質なブラック・ミュージックの牙城だけあって「コテコテ」「黒い」「タフな」「ソウルフル」と、コチラの心をくすぐるワードがじゃんじゃん表示されている。

ほほぉ、これは何か一枚買わねばならないなと思い、真っ先に目印を付けたのがジミー・フォレストなるテナー奏者の『ナイト・トレイン』というアルバムでした。

だって、ジャズのところに載っているのに「R&Bヒットとなった」と書かれてるんですよ。これは気になる!しかもレーベルを見ると、ジュニア・ウェルズやマジック・サム、ビッグ・ジョー・ウィリアムスなんかのシカゴ・ブルース名盤を多く出しているデルマーク・レコード。

聴いてみたら、まず曲がどうとかアドリブがどうとか、そういう細かい事はさておきで、何よりそのズ太くてタフなブルース・フィーリングの塊のようなそのテナー・サックスのサウンドと、いかに1950年代初期の、たとえばラジオとかジュークボックスから流れてきたら最高にカッコイイだろうなと思わせる音色がたまんなく響きました。

そう、これです。

いわゆるメジャーなレコード会社から出されているモダン・ジャズは、ブルースに比べて音質が良かった。

そりゃもちろんいいことなんですが、何となくブルースとジャズ、行ってみれば非常に近い所にあって、当時のクラブでフロアを熱狂させていたであろう二つの音楽の、近いようで何だか遠い距離感みたいなものを、アタシはちと感じておったので、この音色と、このストレートな演奏の良い意味でのB級感がドンピシャリでハマッた訳です。

1920年ミズーリ州セントルイス生まれ、南部と北部の中継地点であるこの街で、行き交う人々を楽しませていたブルースを少年時代から目一杯浴びて、やがて都会に出て一流のデューク・エリントン楽団や、チャーリー・パーカー、マイルス・デイヴィスも居たことのあるジェイ・マクシャンのオーケストラでその実力を認められ、40年代後半のモダン・ジャズ誕生のきっかけとなったビ・バップには目もくれず、セントルイス仕込みの強烈なブルース・フィーリングを染み込ませた、スウィング仕立ての豪快な吹きっぷりを手前のたったひとつの武器に、時に若いヤツらが好きなR&Bで大胆にブロウをかましながら、生き馬の目を抜くジャズ・シーンを生き抜いた男、いや漢。う〜んカッコイイ。




【パーソネル】
ジミー・フォレスト(ts)
チャウンシィ・ロック(tp)
バート・ダブニー(tb)
バンキー・パーカー(p)
チャールズ・フォックス(p)
ハーシェル・ハリス(b)
ジョニー・ミクソン(b)
オスカー・オルダム(ds)他

【収録曲】
1.Night Train
2.Calling Dr.Jazz
3.Sophisticated Lady
4.Swingin’ And Rockin’
5.Bolo Blues
6.Mister Goodbeat
7.Flight 3-D 
8.Hey Mrs.Jones 
9.My Buddy (Previously unissued)
10.Song Of The Wanderer
11.Blue Groove
12.Big Dip
13.Begin The Beguine (Previously unissued)
14.There Will Never Be Another You
15.Coach 13
16.Dig Those Feet (Previously unissued)
17.Mrs.Jones’ Daughter (Previously unissued)


【録音年:1951】



もうこういった人に関しては「語るより聴け」の方が早いんでサクサク紹介しちゃいます。

昨日の『アウト・オブ・ザ・フォレスト』に続きまして本日ご紹介いたしますのは1950年代初頭、ジミーがエリントン楽団を卒業して「男一匹食っていくための仕事」としてせっせと録音してはリリースしていたシングル盤を集めたアルバムであります。

どの曲もシングル盤(当時はSP)に収まる長さの3分ちょいぐらいの演奏時間で、ストレートなジャズありR&Bあり、当時流行っていたラテン風味あり、コク豊かなバラードありで、しかもどの曲でも変わらないタフなブロウが楽しめるって言うんだから、これはジャズファンもブラック・ミュージック好きも聴いて楽しまなければなりますまい。

冒頭を飾るのは1952年のR&Bチャートで、インスト曲ながらヒットして堂々1位を獲得した『ナイト・トレイン』。

R&Bというより、これはゆったりとしたテンポの(リズムに若干ラテンのテイストが入っとる)ロッキンなブラック・インストゥルメンタルってノリですね。

覚えやすく印象に残るリフが中心になって、テナーがゴキゲンに鳴り響くんですが、このテナーのアドリブは、主旋律をほとんど崩さず展開する実にシンプルなもの。

イェ〜イと聴いてたら、あっという間に終わってしまうので「え?もう?」とはなりますが、いやいや、このシンプルさ、分かり易さ、そして大きくたゆたうなだらかなグルーヴが醸すノリやすさが3拍子揃ったからこそのヒットなわけで、ジャズとかブルースとかそういう枠組みを外して単純に黒いノリのエンターティメントとして聴けば、この曲噛めば噛むほど味わいが出てくるスルメのような曲でして、だからこそ後年はオスカー・ピーターソンをはじめとする色んなジャズマンにカヴァーされてというのも納得。

そして実はこの曲は、ジミーのオリジナルではなくて、親分だったエリントンの「Happy Go Lucky Local(のろまな鈍足列車)」という曲のカバーだったりするんですね。

エリントンが「ディープ・サウス組曲」という曲を作ったその一部を構成するスロー・ブルース・ナンバーで、まぁどういった経緯でジミーが演奏することになったのかは分かりませんが、もしかしたら

「親分、あの曲ワシ録音してもいいですか?」

「あぁいいよ、おめぇはそういえばセントルイスの出身だったな」

「へぇ」

「ならブルースは得意だろう、最高にディープな演奏をやっとくれ」

「へい、頑張ります」

みたいな会話もあったんじゃなかろうかと想像するのも楽しいですな。

このアルバム『ナイト・トレイン』だけでなく、『アウト・オブ・ザ・フォレスト』の一発目でやっていた名刺代わりのスロー・ブルース『ボロ・ブルース』の(多分)初演ヴァージョンや、ストレートアヘッドなジャズをやらせても確かな実力と安定したテクニックを感じさせる『ブルー・グルーヴ』『スウィンギン・アンド・ロッキン』コーラス・グループが明るく歌うラテン風R&Bの『ヘイ・ミセス・ジョーンズ』、ブルージーなバラード表現にどことなく気品を感じさせる見事なバラード『ソフィスティケイテッド・レディ』『マイ・バディ』など、一本気でいて本当に芸の幅が広い、しかも全部の曲のアドリブを、3分ちょっとの中でピシャッと収めるセンスの良さ(タフネスばかりじゃあないんだぜ)も際立った職人芸に惚れ惚れします。

1940年代後半から50年代初頭の、まだジャズとブルースが完全に分かれていなかった頃の、何とも幸福な空気感はもちろんアルバム全体に漂っていて、繰り返しますが曲がどうのとか演奏のこの部分がどうのよりもまず、その空気感に触れて欲しいアルバムです。

まとめると「まぁそんなことよりコイツを聴きながら飲む酒は最高だぜ」の一言に尽きるんですが、飲めないアタシに変わってどなたかこのアルバムを聴いてそれを証明する記事なり書いてくださればと思います。

この辺のジャズ、本当に味がありますよ〜♪





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2017年12月12日

ジミー・フォレスト アウト・オブ・ザ・フォレスト

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ジミー・フォレスト/アウト・オブ・ザ・フォレスト
(Prestige/OJC)

「ジャズはブルースを元にしているよ」

とはよく言われます。

なるほど、確かにジャズっていうのは黒人音楽特有の、シンコペーションとか、ブルースやるには欠かせないセブンスコードとかをもっと難しくしたよーなコードを使ってるし、曲だってブルースを下敷きにしたものが結構多いから、これはブルースの子孫だわい。

とは思います。

しかしアレですね、戦前のスウィング・ジャズの時代からすれば、ジャズは物凄いスピードで、高度で理知的な音楽、え?ジャズっすか?カッコイイけどアレっすよね、大学で理論とか勉強しないと演奏出来ないんでしょ?難しいっしょ?みたいなイメージを勝手に持たれるようになってしまい、一方のブルースといえば相変わらず「黒人の渋いオッサンがイェ〜イ」みたいなイメージで、この40年ぐらい安定して固定されてしまい、特に我が国においては、変な先入観とか固定観念とかナシで、両方を素直に「あーたのしいなー」と楽しむのって、かえって難しいような感じがせんでもないです。

ということをですね、アタシはブルースにドハマりして、別の路線(フリージャズ)から、ジャズの方にもズブズブのめり込んだハタチそこらの時に思っておったんです。

雑誌なんかでもジャズの人達は「評・論・家!」って感じで、紙面はその人達の、どうにも聞き覚えのない固有名詞や音楽理論用語のオンパレードで、アタシみたいなチンピラにはもうおっそろしくて、すいませんすいませんと言いながら読んでましたねぇ(慣れてくると、その中にも楽しく分かり易くジャズを教えてくれる人もたくさんおることに気付きました)。

で、大きなCD屋さんとか行っても、ジャズはクラシックの近くだったりするんですよね。『ジャズ/ブルース』じゃなくて『ジャズ/クラシック』なんです。不思議なことにこれはどこに行っても。

で、『ジャズ』のコーナーというのは、ロックとかソウルとかJ-POPとか、そういう世俗の音楽とは違うんだぞとばかりに、シックな茶色い柱とかあるコーナーに隔離されてたりするんですよねぇ。えぇ、東京って怖いところだなぁと思いまして、最初の頃は空気に圧倒されてすごすごと何も買わずに帰ってきたりとかしてたんです。

何が言いたいのかと言うと、とにかくどこへ行っても「ジャズ」と「ブルース」が交わらないんです。

アタシはこのふたつ、聴く時はほとんど近い親戚だと思って聴いてたし、たとえばジョン・リー・フッカー聴いた後のアーチー・シェップとか、おんなじように暑苦しくて最高だし、ルイ・アームストロングとハウリン・ウルフなんて、貧乏で不良だったけど一生懸命勉強して夜間大学出た性格のいい兄と、15の時家を飛び出してヤクザになった弟みたいなもんでしょう(ん?)。

恐らく今、アンケートを取っても「ジャズもブルースもおんなじぐらい好き!おんなじようにハマッて大変」という人は少数派なんじゃないかと思います。ネットをやるようになって分かったのですが、外国のジャズ好きな人って、マイルス・デイヴィスについて熱く語ってるようなサイトの違う日付の記事には「チャック・ベリーは最高だ」みたいなことフツーに書いてたりするんですよね。

ファンの中でも「私はジャズ!」「オレはブルース!」みたいな、妙な棲み分けが成立して、その縄張りが不可侵として何となーくキッチリ守られてるのって、これは多分日本だけの現象じゃないか?じゃあ日本で何があったんだ??ということを、アタシはずっと考えてたんです。

日本にまずジャズが本格的に入ってきたのは1960年代のモダン・ジャズ・ムーヴメントの頃。

昭和でいえば戦後がようやく終わって、そろそろ各家庭にオーディオなんかあってもいいんじゃない?レコード聴いて楽しもうよ、と言われ始めた昭和30年代半ば以降ですな。

この時アート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズとか、マイルス・デイヴィスとか、そういう大物が次々来日して、ジャズを聴くことが大きなトレンドになった。

アート・ブレイキーの『モーニン』なんて”そば屋の出前の兄ちゃんが鼻歌で歌う”とか言われるぐらい、日本人にとって、ジャズって音楽は凄いぞ、カッコイイぞ、というポピュラーなものになったんです。

で、ブルースは実はかなり遅くて、1970年代になってようやくB.B.キングとかスリーピー・ジョン・エスティスのLPが出回るようになった。

これに「お、イカすねぇ」と反応したのは、実はそれまでジャズを聴いてた人達じゃなくて、そのちょい下の世代の、ロックやフォークをやっていた人達だったんですね。

つまり日本で最初にポピュラーになったジャズが、50年代以降のモダン・ジャズで、ブルースと横並びで仲良くやっていた”それ以前のジャズ”というのはそんなに熱心に聴かれなかったと思われることと、ジャズを聴く層とブルースを聴く層の世代に、ザックリと感覚の違いがあった。だからこれは交わることはない。

という結論にひとつ、アタシなりの悪い頭でたどりついたんです。

でもまぁ音楽なんてのは、究極を言えば個人の好き嫌い/合う合わないだから、そこはもうそれぞれで楽しめばよろしいとは思うんですが、実はその断絶のせいでワリを食ってる分野がジャズにあるんですね。

例えば戦前のスウィング・ジャズや、スウィングとモダンの丁度中間にある”中間派”と呼ばれる1940年代から50年代のブルージーなジャズ。更にはジャズとブルースのほぼ真ん中にあって、歌って踊れるジャンプとかジャイヴとかいうエンターティメントな音楽。

あのね、実はね、この辺りがホントは凄く面白いし、ジャズとブルースのジュワっとした旨味が両方味わえる飽きの来ない音楽で、とってもいいのがいっぱいあるんです。

聴く/聴かないは、さっきも言ったけど、これは個人の自由だから、それこそその判断は皆さんにお任せしたいとかは思うんですが、とってもイカす人達なんで、一人でも多くの人に知ってもらいたいなぁとは切実に思いますんで、このブログではちょくちょく紹介していきますよー。


で、ジミー・フォレストという人を今日はご紹介します。

ジャズのテナー・サックスでは、実にブルースなフィーリングを濃い濃いと、野太い音に込めてブロウする人達がおりますが、この人達は俗に”ボステナー”とか、或いは南部出身でブルースやR&Bとかと深く関わってる人達のことを”テキサス・テナー”とか何とか言ったりしまして、ジミー・フォレストもその辺りの人です。

ジャズにおけるテナー・サックスの歴史は、コールマン・ホーキンスという人から始まっております。

それまで単なるビッグバンドの伴奏楽器だったテナーでソロを吹き、その実に男らしい低音と、メロディアスな奏法の見事なブレンドで、今日まで通用するテナー・サックスのアドリブラインの基礎を築いた人です。

ソロを確立して有名人になったのが1920年代後半から30年代、つまり戦前の話なんですが、この人の凄い所は戦後も大活躍して、しかもスタイルが全然古臭くならなかった。だからテナー・サックスの世界の”親父”ですね。

そこから行くと、このボステナーとかテキサステナーとか言われてる人達はテナー吹きからしたら”叔父貴”でしょう。いずれもコールマン・ホーキンスのスタイルをベースに、よりブルースやR&Bに適応した、男らしい部分を継承/発展させておるんですね。

まぁこの辺は”何故テキサスなのか?”も含めてかなり長くなりますんで、次回の記事で説明するとして、ジミー・フォレストです。

1920年”ブルースの街”と言われたミズーリ州セントルイスで生まれ、若いうちにジェイ・マクシャン、デューク・エリントンという超一流の楽団に、テナー奏者として参加します(70年代はカウント・ベイシーのオーケストラにも入ります)。

のっけから凄いバンドのメンバーとなるということは、それだけ実力があったということに異論はありません。

で、1940年代の終わり頃にエリントンのバンドを卒業した後、自分のグループを作って、ドサ回りやシングル用のレコーディングをしていたんですが、1952年にリリースした『ナイト・トレイン』という曲が大ヒット、しかもジャズではなく、何とビルボードの当時出来たばかりのR&Bのチャートで1位を獲得してしまいます。

ジャズで人気者になるつもりが、R&Bでヒットしちゃった。まぁいいか、オレは元々ブルース吹きよ。そもそもオレらにとっちゃあジャズもブルースもカンケーねぇ、どっちもゴキゲンな音楽さ。

と、ジミーは思っておったでしょう。

その頃ジャズでは、同い年のチャーリー・パーカーがビ・バップ旋風を巻き起こし、ジャズ界隈は一気に”新しい進化”へ気が向いてましたが、ジミーはそんなの知らんとばかりに、相変わらずブルースをガッツリと演奏の中心に添えた野太いジャズで、ドサ回り先の聴衆をワーワー言わせております。

彼のテナー・サックスのスタイルは、初期の40年代から晩年の70年代に出した作品や参加作、どれを聴いても実に一貫した、ブルージーなコクが極めて深い、理屈抜きの一本気スタイル。

何か新しい革命的な奏法を生み出したとか、物凄いテクニックの早吹きがどうとか、そんなものとは一切無縁の「黙ってブルース吹いとくれスタイル」。

いいですね、楽器をやっていて、奏法とか指が動くかとか、そういうことにしか興味のない人は置いといて、とりあえずサックス吹かない人にも「おぉ、これはいいサックスだ。くー、酒が美味いね♪」という言葉を嬉しいため息と共に吐かせるタイプです。これこれ、これですよ。おじちゃんはこういうのが大好きなんだ。





【パーソネル】
ジミー・フォレスト(ts)
ジョー・ザヴィヌル(p)
トミー・ポッター(b)
クラレンス・ジョンソン(ds)

【収録曲】
1.Bolo Blues
2.I Cried for You (Now It's Your Turn to Cry Over Me)
3.I've Got a Right to Cry
4.This Can't Be Love
5.By the River Sainte Marie
6.Yesterdays
7.Crush Program
8.That's All

【録音:1961年4月18日】

まずは有名な『ナイト・トレイン』を含む1950年代前半のシングル曲を集めたDelmark盤を!

と、言いたいところですが・・・とりあえずジャズファンの方には作品としてクオリティが高い、そしてブルージーなジャズとしての上質な魅力がギュッと一枚に詰まった1961年の老舗Prestigeレーベルで制作された本作『アウト・オブ・ザ・フォレスト』を最初の1枚としてオススメします。

スタジオで、一回のセッションで、しかもワン・ホーン(他のホーン奏者がいない)編成でスッキリまとめられた編成がよろしいですな。

とにかくこの人は、アドリブの展開にも演出にも、余計な気配りを一切しないので、のっけからオレ節全開のブルースで、聴く人の意識をトロリと溶けたバーボン内側(何じゃそりゃなんですが、ええい、聴けばわかる!)に引きずり込みます。

イントロのテナーの高音が「ふぃ〜・・・ん・・」と伸びに伸びるのに合わせて、どうか皆さん「いぇ〜い・・・」と小声で言ってくださいね。そうそう、そうです、それがブルース!

このジミー・フォレストっていう人がどんなスタイルのテナー吹きなのかは、1曲目からディープ過ぎる(そんなことないぜぇ!)『ボロ・ブルース』を聴けばもう分かってしまいます。

「ジャズって難しい音楽なんじゃ・・・」と思ってるそこのお嬢さん、そんなこたぁないですぜ。じゃあ2曲目以降を聴いてみましょう。

少しテンポをアップして、小粋な感じでキメたスタンダード曲『アイ・クライド・フォー・ユー』は、ビリー・ホリディなんかもよく歌ってたスタンダード。これもテナーのアドリブは小細工一切ナシ、シンプルに良いメロディを、ハスキーなトーンで歌うのみ。

で、お次はバラード『ジス・キャント・ビー・ラヴ』あぁ、このテのバラードは6曲目にも『イェスタディズ』って曲が入ってる。コイツもビリーが・・・、まぁいい。人を好きになったことは?・・・オーケー、ならコイツはお気に入りになるだろう。と、ジミーが言っておるようです。

実はこのアルバム、いずれもミディアムかスローかのブルースかスタンダードばかりなんですよね。でも退屈じゃない、むしろもっともっと俺を酔わせてくれー!とアンコールを向けたくなるところが実にニクい。

ワイルドに濁らせたトーンでのブロウも、何というか下品じゃなくて、ダンディな大人の色気ってやつが充満しております。パリッとスーツでキメて、口数少なく、行動は優しく、のアレです。

そしてこのアルバム唯一の早いテンポのナンバーが7曲目の『クラッシュ・プログラム』これ凄いですよー。

アドリブが入っていきなりピアノとベースが弾くの止めて、テナーとドラムの一騎打ちになるんです。うひゃー、この辺は流石戦前ビッグバンドで、アドリブ合戦の”場数”を踏んできた人ですよ。

全然スタイル違うんですが、コルトレーンもエルヴィン・ジョーンズと盛り上がって一騎打ちになることがよくありますよね。アレのルーツをここに見た感じがします。もちろんスタイルは全然違いますが、内包する熱気はほとんど一緒。アルバム全体として凄く”聴き入り易い”親しみ易い良盤でありますが、『ボロ・ブルース』の気合いと『クラッシュ・プログラム』でのアツいテナーVSドラムの一騎打ち聴くためだけに買ってもこれはお釣りがきますぜ旦那。

メンバーで注目は、ピアノで参加してるジョー・ザヴィヌルです。

ザヴィヌルといえば70年代に結成したウェザー・リポートで、それこそフュージョンの立役者であり、近未来的なシンセサイザー使いの人というイメージあるとは思いますが、このアルバムではジミーのプレイとガッツリ息の合った、ほとんどブルース畑出身のピアニストみたいなプレイをしております。

オーストリアのウィーンからやってきたばかりの白人で、しかもバークリー音楽院卒業してからしばらくのザヴィヌルは、色んな”コテコテ”のサックス奏者のバックで、とことん”ブルース”を体に染み込ませておったんですね。

「ジャズはアメリカの音楽だ!でもオレはヨーロッパ生まれの白人だ。じゃあどうすればいい?オーケー、オレはブラザーになりきってしまえばいいんだ!」

と、言わんばかりの演奏なんですよ。しかもこれが全然しっくりハマッててわざとらしさがない。ここまで読んでジミー・フォレストという人に全然興味が湧かない方も、ザヴィヌル先生の若い頃のピアノを聴くためだけに持ってても損はありませんぜ。

好きなテナー吹きだけに、やや長々と書いてしまいましたが、いやもうこの”ジャズ3、ブルース7”ぐらいのコク旨ブレンドのジャズを知ってしまえばきっと人生は味わい深いものになる。はず。という訳で次回もジミー・フォレストを掘り下げて紹介します。












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2017年11月28日

イントロデューシング・ポール・ブレイ

6.jpg



Introducing Paul Bray with.Charles Mingus,Art Blakey


(Debut/OJC)


昨日にひきつづき、ポール・ブレイです。

何でかって言うと、昨日書いた『オープン・トゥ・ラヴ』の記事を見ると、どうも自分の感激とか感動とか、そういう心の内側の想いの強さだけで、あぁ、記事を書いちゃったなぁ、これじゃあ肝心のポール・ブレイって人がどんな人だかよくわからんなぁと思ったからです。

いやしかしですね皆さん、言い訳になってしまうかも知れませんが、あのアルバムはもうしょうがないんですよ。ジャズがどうの、スタイルがどうのから、弾いてる人がどうのまで、演奏が凌駕してしまう、本当に演奏だけ、いや、演奏の中で響いている音や無音だけで存在が完璧に成り立ってしまうような、究極のピアノ芸術でありますから・・・。

という訳で(どんな訳だ)今日はこの鬼才ピアニストの初期のアルバムを紹介しながら、彼のバイオグラフィ的なことについてもちょこっとお話します。

まず、ポール・ブレイという人は1932年、カナダで生まれました。

服飾工場を経営する、比較的裕福なユダヤ系商人の家庭に生まれた彼は、幼少から恵まれた環境で音楽を学んでおり、何と11歳で地元のマクギル音楽院を卒業。そして、ニューヨークのジュリアード音楽院へ進学して、この時作曲法と指揮を学んでおります。

で、卒業後は完全に”ジャズの人”になります。

地元モントリオールの若者らとジャズの研究会を立ち上げ、その会でニューヨークの一流ミュージシャン達を次々と呼んで、更にセッションも行っておりますが、この時交流したミュージシャン達というのが、チャーリー・パーカーやレスター・ヤング、ベン・ウェブスターという、戦前〜戦後のジャズの、伝説と言っていい凄い人達。

ブレイ少年は、こんな凄いメンツを呼んで何をやってたかと言うと、何とフツーに共演して、一緒にレコーディングとかしてるんですね。

いやはや、クソ度胸があるというか末恐ろしいというか・・・。

ブレイは先輩達に上手におべっかを使って気に入られるような、そんなタイプではなく、むしろどんな相手にも毅然と接し、演奏や音楽のことにおいて、真摯に語ったりとことん質問して追究するようなタイプでありました。

「カナダの小僧、なかなかやるな」

と、大物達は思ったに違いありません。

そんなブレイに

「お前気に入った。オレがプロデュースしてやるからアルバム作らないか?」

と、声をかけた大物がチャールス・ミンガスです。

ミンガスって人は、もちろん凄腕のベーシストでありますが、実は早い段階から「ジャズの演奏に高度なアレンジや更に複雑なリズムを織り交ぜて、一等質の高いものを作ろう」と目論んでおりました。

音楽学校で専門の作曲や編曲技術を身に付け、しかもピアノは恐ろしく上手い。更に単なる頭でっかちではなくて、クールなたたずまいの中には知識から飛躍しようとするギラギラした野心も持っている。そんなブレイにミンガスは「コイツだ!」と思います。

丁度その頃といえば1953年。ミンガスはレコード会社の方針が気に入らず、自分が中心となって、アーティストの表現欲求を叶えるレーベルをシーンに定着させるべく『Debut(デビュー)』というインディーズレーベルを立ち上げており、若く新しい表現を開拓することに並ならぬ情熱を燃やすジャズミュージシャンも募っておったんです。






【収録曲】
ポール・ブレイ(p)
チャールス・ミンガス(b)
アート・ブレイキー(ds)

【収録曲】
1.Opus One
2.(Teapot) Walkin'
3.Like Someone in Love
4.Spontaneous Combustion
5.Split Kick
6.I Can't Get Started
7.Santa Claus Is Coming to Town
8.Opus One - (alternate take)
9.The Theme(bonus track)
10.This Time the Dream's on Me(bonus track)
11.Zootcase(bonus track)

録音年月日 1953年11月30日


これぞ鬼才として長いキャリア毎に、ジャズ・ピアノの常識を根底から次々と変えてゆく作品を世に放ってきた、ポール・ブレイのデビュー・アルバムです。

ブレイはこの時21歳。ミンガスが「ドラマーにはとっておきのヤツを用意しといたぜ」とスタジオに呼んだのが、何と後にジャズ・メッセンジャーズを結成し、モダン・ジャズの代名詞とも言われる超大物ドラマー、アート・ブレイキー。

しかし、ブレイはそんな大物を前にしても全然ビビったそぶりを見せません。

しっとりと落ち着いた、それでいて独自のキリッとした芯のあるピアノの音質で、極めて上質な”聴かせるジャズ”を演奏し、煽りに関しては超一流で、ようし一丁揉んでやるかーなテンションだったはずのミンガス、ブレイキーという荒武者を、見事にジェントルなサイドマンに仕立て上げて従えておるんです(ボリュームを上げると速めの曲で「Go,Go,」と、多分ミンガスの煽り声が聞こえますが)。

これが凄くいんですね。特に「Like Someone In Love」「I Can't Get Started」などのバラードで聴ける、とろけるような甘いメロディーの余韻は、もうこのままのスタイルでこれ以後やってても「ポール・ブレイというとにかくメロディの美的センスに優れたピアニストが・・・」と、形容されてもおかしくない、完成の域に達した演奏であります。

そうなんです、とかく個性的なスタイルを築き上げた人の初期のアルバムは「まだ個性が確立されてはいないが、この頃から予兆はある」とか「勢いに任せた荒削りなプレイが魅力」とか言われがちではありますが、ブレイのこのアルバムは、そんなところ微塵も感じさせません。

確かにこのアルバムでの演奏は、スッキリした”常識”の範囲内に収まった、実に聴き易いモダン・ジャズ、ビ・バップ・ピアノではありますが、それでもその枠組みの中で存分に発揮されたオリジナリティ、つまり甘美でクールでハードな持ち味というのは、他の誰とも似ていないのです。

ブレイは時期によってスタイルをガラッと変えておりますが、やはりどの時期のアルバムからも、全ての演奏に通じるゆるぎない美学を感じます。




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2017年11月27日

ポール・ブレイ オープン・トゥ・ラヴ

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ポール・ブレイ/オープン・トゥ・ラヴ
(ECM)


ジャズを聴いてて、あーピアノっていいなーと思って、あれこれ聴きます。

最初の頃は誰のどんなのがいいのかさっぱり分からなかったので、とにかく有名な人の有名なアルバムから、手当たり次第に聴いておりました。

マル・ウォルドロンのビシバシと容赦なくダークな音塊を叩き付けるような演奏にシビれ、セロニアス・モンクの、どこか調子外れに聞こえる、フレーズもリズムむ個性的なピアノに衝撃を受け、ビル・エヴァンスのひたすら美しく、切なさで心をスーッと撫でてゆくような演奏に涙し、バド・パウエルのノリノリでいながらその重たく歪んだ音の中に言い知れぬ狂気を感じさせるスリリングなプレイに圧倒され、そしてソニー・クラーク、ウィントン・ケリー、ボビー・ティモンズ、この辺の洒落たブルース・フィーリングと豊かな味わいを持ったモダン・ジャズの王道ピアノに「イェ〜イ、いいねぇ〜」となっていた訳です。

そう、ジャズの”ピアノもの”には期待してたのと何か違う、ガッカリ。みたいなハズレ盤はなかったんです。

どんなスタイルのどんな演奏でも、ピアノ+ベース+ドラムスという、いわゆるピアノ・トリオの編成で聴くと、何か受け入れることが出来てしまう。不思議だなぁと思って、全然知らない人の知らない作品を思い切って買ってみても、これがハズレない。

これは大分後になって知った事ですが、ジャズのピアノものってそういうものらしいんですね。

だから若い頃に色んなものをガンガン聴きまくってたジャズファンが、そろそろ落ち着きたい年齢になってくると、ピアノ・トリオ専門のコレクターになったりするような話もあるんだと聴いて、ほうほうそれは納得できますなぁと思いました。

や、まだまだ落ち着くつもりは毛頭ございませんが。

で、そんなこんなでジャズ・ピアノというものの魅力にどんどんのめり込んで行っている時に出会ったのがポール・ブレイという人です。

最初に聴いたのは『ブラッド』というアルバムで、これはなかなか鋭利な前衛臭の漂う過激派な作品だったんですが、うん、ピアノ・トリオだったらこういうアルバムでも、割とすんなり聴けるんだなこれが・・・。

と、思っていたら、耳にガシガシと刺激と共に妙な”引っ掛かり”を感じて、なかなかすんなりと胸の内に収まってくれなかったんです。彼より過激なプレイをするピアニストはいっぱいいたし、彼よりアクの強いピアニストはいっぱいいたにも関わらず、何かこう”これは一体何なんだろう?”の連続みたいな、不思議なプレイをする人。それがポール・ブレイの第一印象でした。

だから、好きとか嫌いとか、良いとか悪いとかじゃなくて、純粋に”分からない!でも気になる!”と思った、恐らくこの人は唯一の人です。

1960年代にフリー・ジャズのムーヴメントのただ中にあって、その中で一躍存在感を放っていた白人ピアニスト、うんわかる。でもその前は実はコテコテのバップ・ピアノの達人で、独特の硬いトーンでバド・パウエルみたいな重たいグルーヴを鍵盤から叩き出す人であったとか。うん、それも分かる。

でも、そうやって語られる以上の”何か”がこの人のプレイにはあるように思えました。

そう「フリー」とか「リリカル」とか「モダン」とか、形容詞では形容できない、もっともっと精神の奥底で、妖しい光を放ちながらうごめいてるようなもんが、どうしてもあるような気がする。でもわからない。ううん、気になる。もっともっと知りたいぞ!

と、思いつつ、主に彼の60年代、いわゆる”フリージャズ”と呼ばれる作品を集中的に集めては聴き込んでおりましたが、ある日何かの雑誌で「ポール・ブレイが1970年代に録音したソロ・ピアノの究極の傑作」というものらしい『オープン・トゥ・ラヴ』というアルバムを聴いて、さらなる「もっともっと!」の世界にアタシは引きずり込まれてしまいました。






【パーソネル】
ポール・ブレイ(p)

【収録曲】
1.クローサー
2.アイダ・ルピノ
3.スターテッド
4.オープン、トゥ・ラヴ
5.ハーレム
6.セヴン
7.ナッシング・エヴァー・ヴォズ、エニウェイ

収録年月日 1972年9月11日



端的に言うと

「これは究極だ!」

と思いました。

それまで聴いて、感動を覚えていたフリー・ジャズなピアノではない。そして、それ以前の、いわゆるスウィングするジャズなピアノでもない。繊細で官能的で、美しい美しいピアノ音楽。これを一体何ていうジャンルで形容すればいいのでしょう。未だに分かりません。

溶けるようなメロディの間にたっぷりと挟まれた、ため息のような余白。たった一台のピアノが作り出す、無音より更なる静寂が際立つ、そう、しんとした静けさの中で、ピアノの内側の弦の微かな震える音までが聞こえてきそうな、そんな透明な空気。未だにこれを何と言えばいいのか、それを形容する言葉が見つかりません。

ただ、繊細な部分にも、官能的な部分にも、やっぱりどこか綺麗に整った狂気みたいなものが秘められていて音が鳴ってるなというのは感じますし、それ故にこの寸分の狂いもスキもない美で出来たピアノ音楽は、度を超して魅力的なのだと思います。

うん、ポール・ブレイという人について、または彼の音楽について、もっと色々と語るべきではあるかと思いますが、今日は午後からずっとこのアルバムを聴いて、やっぱり形容を越えた静謐な美しさの前に、アタシはまたしてもまんまと言葉というものを失ってしまったようです。




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2017年11月25日

ソニー・ロリンズ ナウズ・ザ・タイム

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ソニー・ロリンズ/ナウズ・ザ・タイム
(RCA/ソニー・ミュージック)

世の中には、色んなポジティヴ・ミュージックが溢れてますが、アタシの中で「聴くと元気に、前向きになれる音楽」といえば、これはもうソニー・ロリンズです。

ズゴッと野太いテナー・サックスの音に、豪放磊落、それでいてメロディの骨の部分がしっかりと濃い輪郭で、アドリブの小節を重ねる毎にくっきりくっきり際立ってゆくプレイ・スタイル。ちょいとばかり実験的な方向性を取り入れたり電気楽器を導入したり、長いキャリアの中で色々とやってはいるけれど、基本は全く変わらない、安心して聴けるモダン・ジャズの王道そのものなストレートな音楽性。

だからロリンズのアルバムには、大ハズレという盤がありません。

どの時期のどのアルバムも

「よし、気合いを入れて聴くぞ」

ではなく

「ジャズ聴くよ〜」

或いは

「ジャズを聴くのだー」

ぐらいの気持ちに、サクッと気持ち良く男前なサウンドで応えてくれる。そして聴く人の気持ちをムクッと前向きにしてくれるのがロリンズです。思わず「兄貴、ワシついていきます」ってなっちゃいますね、えぇ、なっちゃうんです。

特にアタシが「ジャズを聴くのだー」の気分で楽しめるなぁと思うのが、1960年代RCAに移籍してから録音されたいくつかのアルバムたちです。

何というか、50年代若手のホープとしてバリバリに活躍していた頃の、理路整然と豪快なプレイと比較して、一層砕けて、肩の力を抜いて楽しめるんですよ。

ここに至るまでには、ロリンズ自身にちょっとした出来事がありました。ジャズファンにはすっかりお馴染みの「ロリンズ雲隠れ」であります。

そう、ロリンズは1959年に”人気絶頂なのに何故かふいっと失踪した”んです。

突然の雲隠れ(実は2度目)に「マジか!?」と「またか!」で騒然となったジャズ界隈でしたが、2年後にロリンズは「やぁやぁどうもどうも」と、何事もなかったように戻ってきたんですね。

理由については、実は今もよく分かっておりません。本人も訊かれる度に

「あぁ、オーネット・コールマンが出てきて、アイツのやってることが余りにも凄くて、オレのスタイルは古いんかなーとか色々考えたんだよね」

「毎日夜に演奏ばっかしてるとね、生活が乱れちゃうんだよね。寝不足で酒飲んで、運動不足で、あーこれはいかんなー、どっかで立て直さないとなーとか、色々考えたんだよ」

「ライヴとかレコーディングとか、本番ばっかりで練習する時間がなくてね。もっと巧くなりたい、ならなきゃ、と、色々考えたんだよ」

と、まぁ要するに「色々考えた」と本人が言っておるから、色々考えたんでしょう。

で、何をやってたかといえば、掃除夫のアルバイトをしながら、ヨガで体と精神を鍛えて、公園にテナー持ってって練習してたけど、公園で吹いてたら苦情が来たもんで、車しか通らない橋の上ならいいだろうと思って橋の上で練習してたよと。

この辺のメンタルが、実にもう兄貴ですよね。確かに繊細でストレスに弱い人だったから、雲隠れという行動に出てしまったんでしょうが「イヤんなったらとりあえず環境から離れて、やりたいことに集中すればいい」と思い立ったらポーンと出来ちゃうメンタルは見習いたいものです。

で、そんな生活を2年ぐらい続けて「もういいか」となってシーンに復帰。で、復帰した第一作目は、そうだね、オレ橋で練習してたから『橋』でいいんじゃね?と。

兄貴・・・。



【パーソネル】
ソニー・ロリンズ(ts)
サド・ジョーンズ(cor,C)
ハービー・ハンコック(p,@EF)
ロン・カーター(b,@D〜F)
ボブ・クラウンショウ(b,A〜CG)
ロイ・マッカーディ(ds,@〜G)

【収録曲】
1.ナウズ・ザ・タイム
2.ブルーン・ブギ
3.アイ・リメンバー・クリフォード
4.52丁目のテーマ
5.セント・トーマス
6.ラウンド・ミッドナイト
7.アフタヌーン・イン・パ
8.フォア

収録年1964.1月,2月


はい、そんなこんなで復帰作『橋』と共にロリンズ兄貴は、ファンに暖かく歓迎されて、再びジャズの人気テナー奏者として活躍することになります。

そんなRCAでの「やりたいことをそこそこ気合いを入れてやるのだ」な精神が、良い感じに小慣れてきた復帰2年後の『ナウズ・ザ・タイムス』が本日のオススメなんですが、ハッキリ言いますと、これ、ロリンズのアルバムの中で1,2を争う”適当さ”が、良い感じに作用したアルバムです。

やる曲はどれも、もうロリンズにとっては朝飯前ぐらいの、人気スタンダード曲、メンバーはハービー・ハンコックとかロン・カーターとか、その当時マイルス・デイヴィスのバンドで、バリバリにトンガッた洗練ジャズの最先端をやってた顔ぶれもおりますが、彼らもこのアルバムではマイルス・バンドとか、或いはその頃の自分の作品みたいな緊張感をそんなに出さず

「おぅ、いいねえ。楽しいねぇ」

みたいな感じで好きに吹きまくるロリンズ兄貴と、和気藹々で楽しんでおります

どの曲もいい意味で、曲の良さなんか全然活かしてない。ひたすら自分が楽しむため、気持ちいいプレイをしたいがために人気のスタンダードを持ってきて、その曲を単なる下敷きにして、アドリブを徹底的に伸び伸びと楽しんでいる。

と書くと誤解を受けそうですが、これはアドリブのセンスというものが人並外れてカッコいいロリンズ兄貴だから許される芸当なんですね。

で、実はその「曲を単なる素材としてアドリブに力を全振りする」ってスタイルをジャズの世界で最初に確立して必殺技にしちゃったのが、ロリンズが最も尊敬し、サックスのお手本にしたチャーリー・パーカーなんですが、1曲目のタイトル曲からしてこれはパーカーの曲(『ナウズ・ザ・タイム』は、曲としては全然大したことないっす。パーカーがアドリブを楽しむためだけに作った曲って感じするっす)で、あぁ、このアルバムは「オレはパーカーみたいにやるよ、楽しくね♪」と、大いに宣言しちゃってるアルバムなんだなーと、アタシも聴きながら楽しく感じております。

後は名盤『サキソフォン・コロッサス』の再演になる陽気なカリプソの『セント・トーマス』もいいですな。ハービーのピアノが抜けた、テナー+ベース+ドラムスのトリオで、和音の制約から離れた明るく健康的なプレイであります。

ロリンズが気の合う仲間達とお気楽なセッションを楽しんでる雰囲気、そしてどの曲もアドリブが最高なんだけど、アドリブ過多にならずに頃良い時間でサクッと終わる構成にも親しみを持てますね。ロリンズ兄貴はこれでいいのだ。





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2017年11月15日

マハヴィシュヌ・オーケストラ 火の鳥

1.jpg
マハヴィシュヌ・オーケストラ/火の鳥
(SMJミュージック)

そんな訳でジョン・マクラフリンです。

この人はもうアレですよね、全ジャンル合わせた多数のギタリスト達の中で

”スーパーギタリスト”

と、呼ばれるようになった、その元祖とも言える人でありましょうね。

一応ジャンルでいえば『ジャズ』のカテゴリに属してはおります。

でも、その活動は幅広くて、マイルスのエレクトリック・バンドでギンギンにロックなギターを弾いてたかと思えば、ソロではフュージョンの草分け的なことをやりつつ、インド音楽にドップリはまったり、パコ・デ・ルシアやアル・ディメオラとかとフラメンコ・ギターなことをやったり、ガットギターに内蔵シンセを仕込んで、ちょっと独特の音楽やったり(アタシはこれを”爽やか曇天サイケ”と呼んでおりますなぁ)、まぁ実にジャンルでは括れない人です。

とにかく「あ、これやろう♪」と思ったら、考えるより先にプレイしちゃうタイプなんでしょうね。

でも、どの方向に行っても、そのいずれのスタイルでも、もれなくガチな超絶技巧でギターを弾き倒してくれるので、節操がないと思ったことはありません。むしろあらゆる音楽に対してギター一本でボコボコにしに行くというか、どんな音楽だろうがオレのギターを聴かせるためのものであるという風に、どちらかといえば躊躇とか容赦とかいうものがない人だと思います。

故にジョン・マクラフリンって人は”スーパー・ギタリスト”なんですねぇ。音楽を聴く時は「今日はジャズを聴くぞ」とか「ブルースを聴くぞ」とか「激しい曲が聴きたい」とか「いいえ、しっとりしたいわ」とか、そういう風にジャンルや雰囲気でセレクトしたりすることが多いんですが、ジョン・マクラフリン聴く時は「あ、今日はジョン・マクラフリンのギターにボコボコにされたいな」と、みんな思って聴くんです。

ジョン・マクラフリンが異様な手数で煮えたぎった音符を空間に放てばそこにはもうジャズとかロックとか、微妙な情緒とかムードなんてものは存在しない。ひたすらに「ジョン・マクラフリンのギターが鳴ってる場所」というものになってしまい、他のものが入る余地は1ミリもなくなる。怖いですね。でもそういう圧倒的な存在感そのもので演奏を聴かせてしまう人って、実はそういるもんじゃあないんです。故にジョン・マクラフリンって人は”スーパー・ギタリスト”なんですねぇ(二回目)。

色んなメディアがその超絶技巧を絶賛しながら紹介する人でありますが、やはりその独自の世界を無理矢理力づくで切り開いたそのスタイルは、やはり言葉で説明するのは難しいんでしょう。特に90年代は”フュージョン”という枠で紹介されることの多い人だったんで、んで、その頃のアタシといえば

・フュージョン=爽やか

という偏見を勝手に持っていたので「フュージョンかぁ・・・」とナメていたのは事実です。

それを最初に打ち壊してくれたのが、マイルス・デイヴィスの『ジャック・ジョンソン』というアルバムで、その中でギンギンに歪んだ音で、多分マイルスに「やめろ!」って言われるまで止める気がないぐらいの勢いでギンギンにロックなソロを弾きまくっていた不良なギターに側頭部を撃たれてしまい、それがジョン・マクラフリンだよと知ってから、ちょいとばかり考え方が変わり、2発目に今度は後頭部を強打されて思わず「すいませんでした」と言ってしまったのがコレです↓



【パーソネル】
ジョン・マクラフリン(g)
ヤン・ハマー(key)
リック・レアード(b)
ビリー・コブハム(ds)
ジュリー・グッドマン(vln)

【収録曲】
1.火の鳥
2.マイルス・ビヨンド(マイルス・デイビス)
3.天界と下界を行き交う男
4.サファイア・バレット・オブ・ピュア・ラヴ
5.サウザンド・アイランド・パーク
6.ホープ
7.ワン・ワード
8.サンクチュアリ
9.オープン・カントリー・ジョイ
10.リゾリューション


これはジョン・マクラフリンが1973年、マイルス・デイヴィスの薦めで結成した自分のバンド”マハヴィシュヌ・オーケストラ”の2枚目のアルバムです。

オーケストラと言いながら編成はギター、キーボード、ベース、ドラム、ヴィオリンと、意外や小編成なんですが、はい、マクラフリンのギターと、ビリー・コブハムのドラムがですね、同じ楽器の演奏者3人分ぐらい手数多いしうるさいので、たった5人の演奏とは思えない重厚で激烈な”音の洪水”いやむしろ”手数の大炎上”を聴き狂うことが出来ます。

もちろん大人しく4ビートなんかやる訳もなく、最初からギターはディスト―ションガンガンだし、チョーキング撃ちまくりだし、この時代出たばかりのシンセで色んな音を出してはっちゃけてるヤン・ハマーは何となくマッド・サイエンティストな感じするし、ギターに寄り添うように上手く即興のソロに合いの手を入れたりフレーズをバトンタッチして美しいメロディを奏でてると思いきや、暴走するギターに合わせていつの間にか危ない展開まっしぐらのヴァイオリンもかなりキてるし、ジャズ、ロック、ファンク、それから多分インド音楽の即興からこれ、多くの影響を受けてると思うんですが、メジャーでもマイナーでもない奇妙奇天烈なフレーズが、あっち行ったりこっち行ったり、変拍子でぶった切られてはまたうにょうにょ増殖して、何つーかプログレの鬼みたいに激しいやつみたいな展開だし、で、一番大事なのはここなんですが、ビリー・コブハムのドラムがとにかくうるさい(笑)。

最初から最後まで、聴き手をホッとさせるような展開がまったくないんですよ。とにかく押して押して、叩いて叩いて弾き倒す。その力技極まりない全楽器の超絶技巧のフル爆発が、聴く人の意識を無理矢理何とも言えない快感の高みへかっさらっていくんですね。

だから音楽としてはジャズとロック、プラス何かの融合であるところの、正しい意味でのこれは”フュージョン”ではあるんですが、アタシがこの演奏と似たようなエネルギーを感じるのは、実はジャズでもプログレでもない、メタリカです。「メタル・ジャスティス」辺りの、凄まじいエネルギーの爆発と、考え尽くされたアレンジの奇跡のバランスで鳴り響いている音楽であるところのアレです。聴く時はくれぐれも爆音で。



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2017年11月14日

ジャック・ブルース Things We Like

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ジャック・ブルース Things We Like
(Polydor)


ごめーん、今日もジャック・ブルースです。

そしてごめーん!

これ最高です。

1968年、クリーム解散直前にジャック・ブルースが各方面に「ジャズやろうぜ」と声を掛け、「おう、いいぜ」と、ジャズとプログレッシブ・ロックの面々が集まって出来た、ブルースロックの”ブ”の字もなければクリームの”ク”の字もない、純度限りなく100に近い、気合いの入ったジャズ・アルバムなんです。

1960年代のイギリスのロッカーといえば、十代の頃はスキッフル・バンド(アコースティックでトラディショナル・ジャズやフォークソングを演奏し、歌う音楽)を経験し、その後ブルースやR&Bなどアメリカの黒人音楽に衝撃を受けて、エレキギターでブルースやR&Bのカヴァーをするバンドを結成するというのが、ひとつの王道なパターンだった訳ですが、クリームの場合はクラプトンはご存知の通り”ブルース少年からロッカー”のど真ん中におる人で、でもジャック・ブルースとジンジャー・ベイカーは、クリーム以前、グレアム・ボンドという人の、ホーンなんかも入ったかなりジャズ寄りのR&Bバンドが、そのキャリアのスタートでした。

このバンドのリズムというのが、ブルースのシャッフルやロックンロールの8ビートだけではなく、ジャズのチーチキ、つまり4ビートやラテン・ビートなんかも色々と使っている、なかなか画期的なバンドでありまして、何が言いたいのかと言うと、ジャック・ブルースとジンジャー・ベイカーという人達は、最初から英国ロックの王道な流れとは若干毛色の違う”ジャズ”という感覚に、割と早くからドップリだった人達だったんです。

あ、でも、このグレアム・ボンドのバンドでは、ジャックとジンジャーはものすごく仲悪くて、クリーム結成も、実はかつての不仲を知る周囲からは「アイツら仲悪かったよな?大丈夫かぁ!?」と散々心配されていたようなんですが、・・・結果は言わずもがなですね(汗)。

はい、余談はこれぐらいにして、とにかくジャック・ブルースは、そのソロ作品には常に「ロックの”当たり前”には収まらない音楽性の広さ」と感じさせます。なかんづく”ジャズ”というキーワードは、ジャックを語る時に外せない重要なワードなんですが、この「Things We Like」には、全編インスト、全編ウッドベースでガッツリJAZZをやっている、ジャックのある意味原点がかいま見られるアルバムであります。

実は録音年月日は、ソロ第一作目の『Songs for a Tailor』の前年の1968年ですが、発売が後だったんですね。だから実質ファースト・アルバムなんじゃないの?とも訊かれたことがあったりするんですが、このアルバムはジャック・ブルースのソロ作というよりも、イギリスの、ジャズの心得のある若手ミュージシャン達が集まって、特定のリーダーを決めずに行った自由なセッション・アルバムと言えるでしょう。

セッションに集った面々は、下の【パーソネル】にも記入しますが、まずウッドベースのジャック・ブルース、ギターのジョン・マクラフリン、サックスにディック・ヘクトール=スミス、ドラムにジョン・ハイズマンであります。

ジョン・マクラフリンは後に渡米してマイルス・デイヴィスのバンドや、トニー・ウィリアムスのライフタイム、そして自身の”マハヴィシュヌ・オーケストラ”などで70年代以降のジャズ・ギター界を代表するほどのビッグネームになりました。そうなんです、実はイギリス出身で、このセッションの直後にアメリカに渡っておるんです。

で、ディック・ヘクトール=スミスにジョン・ハイズマンといえば、これはもうプログレファンにはおなじみの”コロシアム”のメンバーですね。

プログレッシブ・ロックというのは、知らない人にとっては何だか頭のいい人達がやっている難しい音楽とか、サイコでおどろおどろしい音楽とか思われるかも知れませんが、元々はジャズ・バンドをやっていた連中が「じゃあ俺達もジャズをベースにしたロックをやるべ!」と、ジャズをベースにロックの色んな要素を掛け合わせたような音楽がベースなんですね。

だから全然難しくないし怖くもないよ〜ということを言いたいんですが、その中でもコロシアムのオリジナル・メンバーであるジョンとディックの2人は、元々イギリスのブルース・ロックの走りと言われるジョン・メイオールのブルース・ブレイカーズにも参加していた面々で、そういう意味で非常にキャッチ―な”掴み”に溢れたプレイも出来る人達です。

で、こんなグレイトな(や、よく分かんない人ごめんなさいだけど、後の各分野での活躍ぶりを知ってる人から見たら、これはあり得ない豪華顔合わせなんですよ)面々が、どうして集まったかというと、実はさっきちょこっと言った”グレアム・ボンド”の関係者なんですね。

マクラフリンとコロシアム組の2人共、グレアム・ボンドのバンドで演奏していた時期があって、ジャックともその頃から絡みがあったんです。いうなればこのアルバムは”グレアム・ボンド・バンドの同窓会的セッションであり、1960年代末期のイギリスで最もホットなジャズの記録でもないかしらと、聴きながら毎度アタシはワクワクします。






【パーソネル】
ジャック・ブルース(b)
ジョン・マクラフリン(g)
ジョン・ハイズマン(ds)
ディック・ヘクトール=スミス(ts,as)

【収録曲】
1.Over the Cliff
2.Statues
3.Sam Enchanted Dick Medley: Sam's Sack/Rill's Thrills [Medley]
4.Born to Be Blue
5.HCKHH Blues
6.Ballad for Arthur
7.Things We Like
8.Ageing Jack Bruce, Three, from Scotland, England



実に素晴らしいのはメンツだけではなくてやっぱり中身です。

演奏の方も実にそれぞれのプレイが個性的で、これがいわゆる「オーソドックスなアメリカのジャズの真似事」で終わっていないんです。

パッと聴いて「あ、面白いなぁ〜」と印象に残るのは、フツーに渋いフレーズも吹くけど、基本ひねくれて、よじれまくって、どこにすっ飛んで行くか分かんないフリーキーでアナーキーなディックのサックスと、アンプをガンガンに歪ませて、遠慮なく”オレが感じるロック”を、ジャズなフレーズの中に後先考えずガンガンぶち込んで、もう攻めに攻めるギターで楽しませてくれるジョン・マクラフリンのギターですよね。

全体的に60年代フリー・ジャズの不穏さ、不健全さに大きく影響を受けた実験的な香りがムンムン漂ってはいるんですが、キメのメイン・フレーズや、ディックが要所要所で披露するローランド・カークばりの”サックス2本同時吹き”に、特有の大道芸的な陽気さ「実は俺達、楽しみながら不健全やってんだよねー」みたいなカラッとした磊落さを感じます。

で、ジャックとドラムのジョン・ハイズマンは何をやってるのかというと、派手にやらかしているサックス&ギターのバックで、真面目に黙々と”コイツらがちゃんと暴れやすいように”と4ビート刻んでるんです。

や、バンバンボンボンとかなり手数多めにジャックは派手なアドリブをかましてるし、ハイズマンのドラムは実に知的で切れ味鋭くて、これもフロントに呼応しながら自由自在にリズム・パターンを変化させておるんですが(この辺は流石元祖プログレのバンドリーダーですよ)、その仕事ぶりがとても真面目で誠実なんです。

ジャックのベースは暴れてなんぼと、アタシは思ってますが、このアルバムで実は一番の聴きどころは、サックスやギターのソロが佳境に入ってブチ切れ気味になる一歩手前の時にフツーの4ビート刻んでるとこだったりします。

それにしても、これだけ見事にジャズしてるのに、やっぱり他のアメリカのジャズと聴き比べてみたら凄く特有の”ロックフィーリング”みたいなのがあって、それが気持ちいいんですよね。何がどうロックなのか?それを考えると結局雰囲気としか言えないからもどかしいのですが、敢えて言葉にするならば「ジャズのフォーマットの中で、ロック的な自由闊達なやりとりが成立してる」ということになるでしょうか。や、ジャック・ブルースという人は聴けば聴くほど奥が深いです。






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2017年11月08日

スティーヴ・キューン・トリオ スリー・ウェイヴス

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スティーヴ・キューン・トリオ/スリー・ウェイヴス
(Contact/Solid)

さて、本日は良い感じに秋の雨がしとしとと降っておりますので、引き続き”アタシの大好きな美しいジャズ・ピアノ”をご紹介致します。

あのですね、えっとですね、アタシには「雨の日はこの人を聴くぞ!」というピアニストがおりまして、それがスティーヴ・キューンという人なんですね。

コノ人との最初の出会いは、ECMというドイツのレーベルに興味を持ったことから始まります。

このレーベルは、それまでアタシが慣れ親しんでいたアメリカのジャズとは明らかに質感の違う、いかにもヨーロッパな、しんとした空気の静寂感と、ミュージシャン達による美学の結晶のような、どこまでも繊細で透明な演奏がとても魅力でした。

有名どころではキース・ジャレットの『ケルン・コンサート』とかチック・コリアの『リターン・トゥ・フォーエヴァー』とか、その辺がありますが、アタシの場合は上記2枚他キース・ジャレットの繋がりで色々と知らないアーティストのアルバムを買い集めていって、クラシックの作曲家、アルヴォ・ペルトという人の『アリーナ』という、それまで聴いたことのなかったような無駄のない美と安らぎに満ちた究極の一枚を知ってからというもの、すっかりECMに夢中になっておりました。


(静謐なものが好きな方はぜひともこのアルバムを一度は聴いてみてください)


そんなこんなでスティーヴ・キューンの『リメンバリング・トゥモロウ』というアルバムと出会う訳です。

モノクロの、何の風景か分からないようなポートレイトが、いかにもジャズっぽくなくて、何かありそうな気がしてふと手にしただけだったんですが、そこで聴いたピアノは、いわゆるモダン・ジャズの演奏スタイルからハッキリと”違うどこか”に立脚している、すこぶるクールで研ぎ澄まされた美を感じさせるものでした。




ビートは現代的な感じで、ピアノのフレーズは銀色の抽象画を観ているような、音楽で確実にここではない幻想的な世界を描いているキューン。

で、その後にアート・ファーマーの『ブルースをそっと歌って』。こっちはアート・ファーマーというバリバリに王道なモダン・ジャズ・トランぺッターのバックで、端正な”ジャズ”の4ビートで上品にバッキングしていると思ったら、突如キレて雪崩を起こしたり、冷静にトランペットのソロを引き立てながら、よくよく聴くとかなりトンガッたことをやっている(でも、パッと聴きはとてもエレガントに思える)このピアノ・トリオが、スティーヴ・キューン(p)、スティーヴ・スワロウ(b)、ピート・ラ・ロカ(ds)という、最初期のスティーヴ・キューン・トリオだということを知って、これはもう運命だから、覚悟を決めてこの人の音楽と付き合うしかない。そこまで思いました。

時は1990年代後半、丁度タイミングのいいことに、我が国のヴィーナス・レーベルからも何枚か趣味のいいピアノ・トリオ・アルバムを立て続けにリリースしていたこともあって、”スティーヴ・キューン”という名前はすぐに覚えることが出来ました。

気になったら調べ上げねばならない性格でありますので、バイオグラフィ的なことも本で調べたら、

・1938年ニューヨーク生まれのニューヨーク育ち、ヨーロッパ人だと思ったらバリバリのニューヨーカー

・小さい頃からピアノを習っていたけれど、バリトン・サックス奏者、サージ・チャロフ(ジャズマンよ♪)のお母さんのマーガレット・チャロフという人に習っていたことから、早くからジャズに目覚める。

・10代の頃にはクラブで演奏していたコールマン・ホーキンスやチェット・ベイカーなど、ジャズの”正統派な人気アーティスト”達と共演するなど、実は根っこにはスウィング〜モダンの王道ジャズが深くある。

・このまんまプロとして”趣味良くスウィングする若手白人ピアニスト”としてデビューしても良かったけど、何故か勉強に励み、ハーバード大学に入学して卒業している。理由は「文学を勉強したかったから」。

・卒業後は恐らく文学に毒されたんだろう、1950年代末にオーネット・コールマンやドン・チェリーなど、当時”前衛”と呼ばれていたフリー・ジャズ系ミュージシャンとコンサートで共演。多分感触は良かった。本人も「人とは何か違うスタイルを打ち立ててやろう」と大いに思った。

・で、今度は「革新的なスタイルで常識を打ち破る若手前衛ピアニスト」となるつもりが、スタン・ゲッツ、ゲイリー・マクファーランド、ケニー・ドーハム、ジョン・コルトレーン、アート・ファーマーと、やっぱり当時の王道をゆく大物達のグループに渡り歩いている。

・と、思いきや、スタン・ゲッツ、ジョン・コルトレーンのグループには、入ってすぐに数回のセッションでクビになっている。色んな話を総合すると「やっぱりサイドマンでありながら”何かを美しくブチ壊してやろう”という衝動が勝ってしまい、リーダーの指示に従わなかった」ことが原因らしい。ケニー・ドーハムはよくわからんが、アート・ファーマーはぶっちゃけいい人だったから、アルバムでも割と好きにさせた。その結果が『ブルースをそっと歌って』でのはっちゃけ。

はい、この人の前半生を一言でいえば”ニヒルなインテリの生き方”そのものでしょうね。

何だか音を聴いてバイオグラフィーを読むと、自分の中に表現のコアみたいなもんが、割と早いうちからあって、その中に絶対的な美を見出そうとして突き進んでいた。その突進はちょっとやそっとでは止まらずに(てか止まれずに)、バンドリーダーなどとはそのことが原因で対立したり、問答無用でクビになったりしたけれど、それぐらいでは僕の美への探究は収まらないんだ。なぜなら美しいものが全てだから。こんな感じでしょうね。

表現のために妥協をしない、そういうタイプですので確実に孤独に陥りがちなタイプなんですが、彼には同じような性質を持つ、心強いお友達がおりました。

それが、最初にトリオを組んだドラマーのピート・ラ・ロカたんです。

ラ・ロカについてはもうアタシ、大好きであちこちに書いてますけど、それはともかく彼もまたハッキリとそれと分かるクセを持っている人でした。で、自身も後に司法試験に受かって弁護士になるよーな人でありますので「ボクは曲げないぞー、自分に自信があるから」というような気持ちで、相手がどこの誰であろうが、ドラム・スタイルを変えなかった人ですね。

それがたまたまピタッとハマッたのがドン・フリードマンの『サークル・ワルツ』。ハマらなかったのがコルトレーン・バンドでの活動でしょう。

そう、キューンとラ・ロカは、共にコルトレーンのバンドに参加しましたが、参加してほんの少しで、キューン、ラ・ロカの順番であえなくクビにされてるんです。

これは彼らがヘタクソだったとか、センスがなかったからでは決してなくて、ワン&オンリーな自分の世界観を共に作っていけるメンバーが欲しかったコルトレーンとの相性の問題だったと思います(実際ラ・ロカとコルトレーン唯一の共演盤は、噛み合ってないけど演奏は最高にアツいもんね♪)。


で、コルレーンのバンドをクビになって、バーのカウンターで

「ロカ、君もクビになったのか」

「うん、そうだね。ライヴの後コルトレーンにさ”ピート、ちょっと話がある”って言われるから言ったらさ”分かるかい?俺は君の目指してるのとは違う音楽がやりたいんだよ”なんてジョンはモゴモゴ遠回しに言うんだ」

「そうか、奇遇だねぇ。僕ん時もそうだった。で、君何て言ったの?」

「しょうがないから”僕はスタイルを崩すつもりはありません”って言ったんだ。そしたら”そうか、わかった”つって、カウンターに僕の分のギャラとドリンク代を置いてそれっきりさ」

「一緒だね」

「うん、一緒だ。でもスティーヴ、ジョンがやりたい音楽をやりたいって言うんならしょうがないよね。思うに彼には僕の鋭角なリズムは理解できなかったんだと思うんだよ」

「そうだね、ジョンには理解できない。僕のリリシズムに溢れた哲学的なピアノも、彼には少し難し過ぎたと思うんだよね」

「じゃあ僕達が早過ぎたんだね」

「そうとしか考えられないよね、思うにジョンには罪はない」

「確かに。ところでスティーヴ、君、これから行くアテはあるかい?アート・ファーマーが一緒にどうだ?って言ってるんだよ」

「アートか、彼はジョンよりもオーソドックスな...言い方は悪いが保守的なトランぺッターじゃないのかい?」

「そうなんだが”ある程度は好きにやっていい”ってニコニコしながら言うんだな。知的でスタイリッシュなトリオが欲しいと」

「それはきっと僕達しか務まらないね」

「じゃあ行こうか」

「うん、そうだね」

と、実にポジティヴな展開から(うん、多分・汗)、彼らはアート・ファーマーの新バンドに行きました。

その時2人の隣で(うんうん、そうだ)と頷いていたのが、ベースのスティーヴ・スワロウ。

言い忘れてましたが、この人も”相当”です。

寡黙なくせに、上手に他の音と折り合いを付けながら、いつの間にかウニョウニョとアブストラクトなフレーズでもって、リズムを上手に溶かしながら、演奏全体を”どこへ行くか分からないアンニュイなスリル”の色に染め上げる変態...いや、名人です。

この3人はアレと似てます、ルパンV世のルパンと次元と五エ衛門です。

キューンとラ・ロカはルパン的なところと次元的なところを両方持つ、大胆で突拍子もない人達ですが、スワロウは間違いなく五ェ衛門です。何を考えてるかわかんないけど、することは一番おかしいという・・・。





【パーソネル】
スティーヴ・キューン(p)
スティーヴ・スワロウ(b)
ピート・ラ・ロカ(ds)

【収録曲】
1.アイダ・ルピノ
2.アー・ムーア
3.トゥデイ・アイム・ア・マン
4.メモリー
5.ホワイ・ディド・アイ・チューズ・ユー?
6.スリー・ウェイヴズ
7.ネヴァー・レット・ミー・ゴー
8.ビッツ・アンド・ピーセズ
9.コッド・ピース


とまれ、コルトレーンを経て、ファーマーを経て、3人が

ラ・ロカ「やったね、ファーマーのアルバムはなかなかいい感じだよ」

キューン「やっぱり僕達の表現の方向性に間違いはなかったんだよ、ファーマーも僕達をいい感じでサポートしてくれたよね」

スワロウ「(うんうん、そうだそうだ)」

アタシ(おいお前たち、ファーマーがリーダーのアルバムだぞ...。)

と、天然ポジティヴ最高潮になった時、ようやく満を持して”スティーヴ・キューン・トリオ”として制作/発表したのがこのアルバム。

一言で言うと「やりたい放題」です。

とは言っても、決してフリーで前衛でイケイケでバリバリのことをやっている訳ではない、3人のコンセプトはあくまでも”美”です。

キューンのピアノを中心に、どこまでも硬質で温度のない、まるで精巧なガラス細工のような透明な音楽が、奏でられ、胸が詰まるほどの香気を放ち、そして美しく散らされる。

あぁ、もうね...。何て言いますかね。

アタシは”美しいピアノ”ってのは、たとえばビル・エヴァンスや、昨日紹介したドン・フリードマンみたいに、端正込めた上質なメロディを、丁寧に丁寧に、たっぷりの詩情を絡めて紡いでゆくもんだと思っていたんです。

でもね、キューンの場合は、不意に狂気のスイッチが入って、その美しいメロディを「ガーン!」「バーン!」と破壊しちゃうんですよ。破壊とまではいかなくても、感極まった果てに執拗に同じフレーズをガッコンガッコン繰り返して、空間からどんどん血の気が引いてゆく、そして一通りの「ガーン!」が終わった後の静寂の”間”に、メロディーの残骸がキラキラ美しく舞っている。

いわばこれ”ほろびの美”です。

さっき”不意に狂気のスイッチが入って”と言いましたが、今このスリー・ウェイヴス聴いてると、キューンは最初から狂気全開にして弾いてるし、スワロウもラ・ロカも完全にそれに乗っかってて、狂気×3の完璧なヤバいコンビネーションでこれ、最初から最後まで演奏が流れてく。

ところがどっこいどこをどう聴いても「あぁ、これすごくメロディアスだ...」と、感動のため息しか出て来んのですよね。こんだけ激しく音を散らせているのに、どこにもメロディの破綻はなくて、完璧だとしか思えない。

考えてみればキューンのピアノって、この時期の「ジャズ崩すべぇか♪」な音も、ECMとかでやってた抽象幻想画な演奏も、最近のひたすら甘美なスタンダードも、一切のブレがなく、全部”美しい”の一言にスーッと着地できちゃう。”美しい”と言うには余りにも情感が過ぎて幻想が過ぎて甘美が過ぎるのかも知れませんけど、やはり一言でいえば”美しい”なんです。そう言えちゃうんです。相当に凄いことだと思うんですが、こういうのって一体何て言うんでしょう。


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