2020年06月20日

阿部薫 19770916 @ AYLER, SAPPORO

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阿部薫/19770916 @ AYLER, SAPPORO
(doubtmusic)

仔細あってここのところずっと阿部薫を聴いておりました。

阿部薫に関しては、アタシがハタチそこらの頃に「音楽はとにかく刺激だ!頭をぐっちゃんぐっちゃんにしてくれるようなイカレた音楽くれ!!」となっていた時期(それは丁度フリージャズ覚えたての頃でした)確かに聴いて、確かに最初は「日本人でもこんな凄まじい怨念と破壊力に満ちたフリージャズ、しかも無伴奏のたったの1本のサックスで出来る人いたんだ!」と衝撃を受けて、それからはもうハマりまくって朝から晩まで聴き狂っていた時期があったのですが、聴いていくうちに、いや、多分最初から、その破壊力に満ちた演奏の裏側にある、えもいえぬ抒情とか即興で繰り出されるフレーズのメロディアスな美しさとか、演奏の、いや、無音の部分からすらもうわぁ〜んと迫ってくる狂おしさみたいなものに憑りつかれ、そりゃあもう一言ではとても言い尽くせない存在になって久しくあります。かれこれ四半世紀近く。

考えてみれば阿部薫はアタシに

「フリージャズつってもな、ただ滅茶苦茶のデタラメをやっていい訳じゃないんだ。どんなに自由に吹き散らかしても美しくなきゃダメなんだ」

という事を一番最初に教えてくれたアーティストだったかも知れません。

アルバムに関しては見かけたら買っていました。主に経済的な理由から全然追いついてはおりませんが、たとえどのアルバムも「ソロは大体似たような感じ」であろうが、不思議な事に阿部薫の演奏というのは”飽きる”という事がありませんでした。同じアルバムを何度聴いても良い意味で体が慣れない、だから聴く毎に受けた衝撃が一旦更新されて次に聴く時も初めて聴いた時のような「出てくる最初の音をドキドキしながら待っている」という状態になりました。これは本当に不思議ですがそうなんです。


彼のソロ・インプロヴィゼーションは、さっきも言ったようにどれも強烈な衝撃と、ゾッとするような音色の美しさ、そして即興で奏でられる調制の枠を大きく逸脱しているはずのメロディがどこまでも哀しくて美しい。

1970年代初頭から亡くなる直線の1978年の演奏まで、彼は一貫してそのスタイルでありますが、1970年代半ば以降演奏に更なる緊張感を醸す無音部の”間”が多くなります。

その”間”の凄味が味わえる音源の極北といえば、やはり1978年の「最後のツアー」での北海道での音源。

『ラスト・デイト』というアルバムがあって、このアルバムは実は最後に入ってるハーモニカでの演奏が凄いんですが、1曲目がアルト・サックスの演奏で、この演奏の途中にいきなり物凄く長い”間”があるんですよ。

ガーッ!と吹いて唐突に、多分3分以上あろうかと思う異様な無音。

これをアタシは「凄い・・・」と感じたんですね。無音であるということは音が鳴ってない状態なので、それが音楽的にどうこうという訳ではないはずなのに、その無音部の中に、彼が吹くアルト・サックスの、あの断片的なメロディの”あの感じ”の空気そのものが反響している、ような錯覚に陥ってしまったんです。

うん、阿部薫の音楽知らない人にとってみれば「コイツは何を言ってるんだ?」な話ではあろうかと思いますが、や、だからこそこの部分は阿部薫という人をまだ聴いた事ない人にとって物凄く大事な部分だと思いますんで、はい「そういう音楽なんだな」と思ってくだされば幸いです。ほんとにね、真剣にのめり込んで聴けば聴くほどそういう不思議な事がちょくちょく起こるんですよね。

さて、今『ラスト・デイト』の話が出ました。

このアルバムは、1978年の8月28日に彼の最後の演奏活動となった北海道ツアーにて録音されたもので、発掘されリリースされたのが1989年という、いわゆる未発表音源というやつでした。

そう、これこそが阿部薫の最後の演奏とずっと言われていた音源でしたが、それから14年後の2003年に『ラスト・デイト』の日の翌日に行われた室蘭でのレコーディングが『ラスト・レコーディング』としてリリースされ、コチラは20分足らずの短い演奏でしたが全編サックスを吹いていて、そのエモーショナルな内容に大変ド肝を抜かれた事を覚えています。

話をちょっと横道で整理します。

阿部薫は1978年9月9日に催眠剤の過剰摂取により亡くなっておりますが、その直前に行われた北海道ツアーは、8月27日に小樽、8月28日に札幌、29日に室蘭、そして最終日の30日に旭川という日程でありましたが、このうち旭川での正真正銘の最後の演奏が録音されることなく永遠にその場限りのものとなっております。


で、『ラスト・デイト』に書かれていたライナノーツで、アタシは気になる一文を見付けました。その内容は、実は阿部薫はこのラストツアーのおよそ1年前の1977年に北海道で演奏してて、その時札幌の『アイラー』というジャズ喫茶でライヴをしたと。で、78年に演奏した札幌の『街かど』というお店では、サックスの音が天上に反響してしまった事にちょっと納得が行かない様子で「アイラーの方が良かった、ツアーが終わったらまたアイラーでやるよ」と言って『アイラー』の主人もそのつもりだったが、結局旭川から戻ってきた阿部の疲労が激しかった様子だったのでライヴは行われなかった。という内容でした。

これを読んでアタシの中では当然、本人が”良かった”と言ってた『アイラー』での演奏が聴きたいという気持ちと、もし78年のラストツアーの最後に『アイラー』でのコンサートが行われていたらどうだったんだろうという二つの気持ちが膨らみました。

が、77年の『アイラー』での音源は、CDとしてリリースされてなかったんですね。

90年代から2000年代は、町田康・広田レオナ主演の映画『エンドレス・ワルツ』の影響もあって、にわかに阿部薫への注目が彼の演奏をリアルタイムで体験したことのない世代の人からも集まったことと、関係者の尽力によって様々なレーベルから彼の未発表ライヴがリリースされておりましたが、その中にも1977年札幌『アイラー』での演奏はありませんでしたので「あぁ、こりゃあもう永遠に幻だな、でもそういうのがあるのって何だか”らしい”な」と、想像の隙間にその幻をそっとしまいこんでおりました。



19770916 @ AYLER, SAPPORO
【パーソネル】
阿部薫(as-@AC,sopranino-B)

【収録曲】
1.solo improvisation 19770916-1 (alto)
2.solo improvisation 19770916-1 (alto)
3.solo improvisation 19770916-1 (sopranino)
4.solo improvisation 19770916-1 (alto)

(録音:1977年9月16日)




ところが「出た」んですね。その幻の音源が、何と演奏から43年後の2020年というほとんど半世紀に近い時を経て誰もが聴けるCDとしてリリースされたんです。

そういやちょっと前に「音源はどこかにあるけど色々事情があって埋もれてるはず」という話は聞いておりました。けどそれはもう関係者でも何でもない、単なる1ファンのアタシが”聞いた話”であって、過剰に期待したり、彼の音楽以外の事をあれこれ考えるのはやめようと思っておりました。

それだけにこのリリースは、ちょっと衝撃というよりも、リリースのニュースを聞いた瞬間に思考が吹っ飛んで狂喜しました。

単純に考えても、1977年の阿部薫といえばそれまでの悲哀と激情の凄まじい次元での炸裂というか、そういう演奏からあの独特の空間そのものを凝縮させるかのような”間”を多用した演奏に変化してゆく丁度その過程の演奏です。CDを聴く前に「どうなんだろうどうなんだろう」と、ワクワクしながらも緊張して、音が出てくる前から自分の感覚の妙な部分が研ぎ澄まされてゆく、つまり「阿部薫を聴く前に起こるいつもの不思議な感覚」があって、何故か「よし!」と声が出ましたが、何故なんだろうとか考えません。「そういうもんだ」と思った方が良いんです。

で、演奏です。

「ギュルル!!ギャギャギャギャギャギャギャギャーーー!!!!!!」と吐き出される最初の一発目の音から「あぁ、これ・・・」です。

良いとか悪いとかそういうのじゃなくて、人間の「本気」(よく言われるそれではなく、人間にある限界みたいなものを突破する程の気迫という意味です)。最初から最後まで、即興で繰り出されるフレーズから無音に至るまで、或いは演奏が終わってお客さんの拍手が鳴っているその場の空気中にまでそれがみなぎっている。30分ぐらいの演奏ですが、長いも短いもありません。凄まじい本気に圧倒されて息を呑んでいる間に音楽は遥か彼方に消え去って行ってしまいます。

冷静になって解説らしいことをすれば、全体にみなぎっている空気感は、初期の鋭く圧倒的なスタイルのそれ。でも、音とメロディの美しさは1970年代後半の、ただ”凄い”だけじゃなくて何かこう凄さを超越したヘヴィな陶酔に彩られております。

2曲目最初付近の無音部と、3曲目ソプラニーノの高音で奏でられる「風に吹かれて」のメロディなどは、やっぱり聴く人の意識を遠い所へかっさらって行く強力な”美”だなぁと思うのです。








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『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2020年04月27日

サラ・ヴォーン 枯葉

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サラ・ヴォーン/枯葉
(Pablo/ユニバーサル)

「ジャズ・ヴォーカルで誰が一番凄いか?」

という話になると、エラ・フィッツジェラルドと共に必ず名前が挙がるのがこの人、サラ・ヴォーンです。

そう、俗に言う”3大ジャズ・ヴォーカリスト”の中では、ビリー・ホリディはもう上手いとかそういうのを超えて別格の人でありますから(アタシ基準)、歌が上手いという観点で言えば、エラ・フィッツ・ジェラルドとサラ・ヴォーンは、互いに同じ次元で勝負出来る唯一無二の存在であったと思います。

とにかく2人とも声に特徴があり、声域が広く、独自のズバ抜けたオリジナルな表現力を持っているという意味では共通するものがありますが、その個性は全く違います。これだから歌ってのは面白い。


パッと聴いて分かる違いといえば、エラさんの声はキュートですが、サラさんの声はとにかく匂い立つような大人の気品とエレガンスを感じます。

で、サラさんの声は低域から高域まで、そのレンジの広さを最大限に活かした歌唱を繰り広げるんですね。特に安定した中域をサラさんは持っておりますが、これを軸にした素晴らしく安定感のある声でもって、その歌いこなせる楽曲の幅がとにかく広い。

その幅の広さといったら、軽快にスウィングするナンバーからバラードまで。どころの話ではなくて、あらゆるテンポのジャズ、更にバカラックやビートルズといったポップスからボサノヴァやラテンの曲まで、見事なジャズとしてたちまちのうちにサラッと歌いこなしてしまう程なんです。

そしてどんな曲を歌っても、この人の声からは深〜いコクのようなものが漂ってきます。サラ・ヴォーンが好きな人と「いいよね」っていう話をすれば、大体「いや、どのアルバムがとか、どの歌がってより、聴いてて心地良いムードに浸れるんだよな。それが気持ちいいからついつい色々聴き込んでしまう」という結論に達します。

さて、そんなサラ・ヴォーン。生まれは1924年。両親はいずれもアマチュアですが、お父さんはギターを弾きながら歌う事が好きで、お母さんは教会でオルガンを弾きながら歌っていたという恵まれた環境に生まれ、自身も12歳の時には既にオルガンを弾きながら歌を歌えるようになり、19歳の時、エラ・フィッツジェラルドも優勝したことのあるアポロシアターでのオーディションで優勝します。

サラのパフォーマンスを見たビリー・エクスタイン。この人は当時大人気だったアール・ハインズ・オーケストラでメイン・ヴォーカルを張っていたスター歌手だったんですが、この人が

「君いいね。君に紹介したい仕事があるんだが・・・」

と早速声をかけてきました。

憧れのビリー・エクスタインに声をかけられ、サラはもうドキドキです。

「アール・ハインズは知ってるだろう?そう、オレのボスで最高にスウィングするあのイカしたピアニストさ。彼がね、自分のビッグバンドに新しいメンバーを入れたいと」

「まぁ、アール・ハインズ・オーケストラですって!?凄い凄い!そこで歌えれば私も一流シンガーじゃない!」

つい昨日まで地元の教会なんかで、もちろんノーギャラで歌っていた女の子が、オーディションで憧れの歌手に声をかけられて、誰もが羨む一流ピアニストが率いる一流のオーケストラのヴォーカルに。まー絵に描いたようなシンデレラストーリーじゃないですか。

で、はやる気持ちを懸命に抑え、ビリー・エクスタインの紹介でアール・ハインズと対面したサラ。

「やあやあお嬢ちゃん、ビリーが言ってたアポロの女王ってのは君かな?」

「はい、よろしくお願いします!私がんばります!」

「おー、元気いいねー。よしよし、じゃあ君、あそこのピアノを弾きたまえ」

「ピアノ?あの・・・ハインズさん。ピアノはハインズさんが・・・」

「あー、ワシはねぇ、確かに世界一の偉大なピアニストなんだが、ほれ、バンドリーダーってのは色々とアレなんだよ。指揮したりしなきゃいけないだろ?だからここぞという時以外はキミがね、セカンドピアニストとして伴奏をしてて欲しいんだ」

歌が歌えると思ったサラはがっかり。でも、せっかくもらった一流オーケストラでの仕事を蹴る訳にはいきません。色々と不満はあったものの、持ち前の真面目さでセカンド・ピアニストの仕事をしっかりとこなしているうちにハインズにも他のメンバーにも信頼され、やがて正式にヴォーカリストとしてサラを使うようになります。

そしてビリー・エクスタインはサラの才能と人柄を大いに認め、自分の妹のように可愛がるようになるのです。そのビリーがハインズの楽団から独立のため脱退したのが1944年、サラは迷わずビリーについて行き、最初はビリーとのデュオでシングル盤をリリースし、ステージでもビリーの全面バックアップを得て立っておりましたが、その歌声が多くのファンを獲得するには、大して時間はかかりませんでした。

やがてサラの方がソロでの活動が多くなり、単独でのライヴやレコーディングの話が舞い込むようになります。

サラにしてみれば嬉しい反面、恩人のビリーへの裏切りになるんじゃないかという気持ちがありましたが、ビリーは

「いや、オレが君の歌声はいいって思ったんだ。自分が見出した才能が世間に認められる事は嬉しいに決まってるじゃないか。それに君はオレにとっては妹みたいなもんだ。妹の成功を喜ばない兄はいないだろ?」

と、ひたすら成功を喜んで、背中を押してくれたのです。

その後、1950年代から、サラ・ヴォーンといえば押しも押されぬジャズ・ヴォーカルのビッグネームとなっていきます。



枯葉

【パーソネル】
サラ・ヴォーン(vo)
ローランド・ハナ(p)
ジョー・パス(g,@〜E)
アンディ・シンプキンス(b,@〜F)
ハロルド・ジョーンズ(ds,@〜F)

【収録曲】
1.時さえ忘れて
2.ザッツ・オール
3.枯葉
4.ラヴ・ダンス
5.ジ・アイランド
6.シーズンズ
7.イン・ラヴ・イン・ヴェイン
8.ユー・アー・トゥー・ビューティフル


大体この人の歌唱というのは、先も言ったように「どの曲が、どのアルバムが」というよりも、どの曲でもどのアルバムでも味わえる極上のムードが肝ですので、作品にはいわゆるハズレというものがほとんどありません。

その上で「やっぱり最初に聴いて欲しいアルバムといえばコレ」というのがありまして、それが1982年、サラが58歳の時にレコーディングされた『枯葉』です。

いや、これほんと凄いんですよ。人間ってのは誰しもがピークというものがあって、それは大体若い頃に訪れて、特にヴォーカリストは、若い頃の溌剌とした声が、歳を取る毎に渋みのある深いものになっていくってのは本当に優れた一部の人で、大体は全盛期の頃のパワーというものが衰えてしまうもの。

ところがサラさんに関して言えば、歳を取る毎に渋みのある深い声になったというのはもちろんあるんですが、それ以上にそれ以前に、歳と取れば取る程、声がパワフルになって、しかも歌がどんどんどんどん上手くなっている。

そんな超人ぶりがギッシリ詰まった『枯葉』は、彼女の代表作中の代表作と言って良いでしょう。何度も言いますが、これほんと凄いんです。

まず、このアルバムのタイトル『枯葉』は、日本オリジナルのタイトルで、原盤の正式タイトルは『Crazy And Mixed Up』というものがあります。タイトルをあえて枯葉にしたのは、この曲がみんなが知る超有名スタンダードだったという理由だけでなく、このアルバムに収められている『枯葉』が、ジャズ・ヴォーカル、いや、ジャズ史に残る物凄い名唱であるからでしょう。


イントロからまさかのアップテンポで、軽快なリズムの前奏に導かれて出てくるサラのふくよかなスキャット、原曲のメロディはまるで魔法のように解体されて、小節を経る毎にどんどん自由に、そして力強くなるスキャット。後半になってもう長編映画のクライマックスのように感動的なドラマをその場に作り上げるスキャット。原曲のメロディはところどころ「あ、これだ」と気付く程度に抑えられ、全編が優れた楽器演奏者のような見事なアドリブによるスキャット。

・・・!!そうなんです、サラ・ヴォーンの『枯葉』は、歌詞を一切歌わない、全編スキャットによる素晴らしく斬新な『枯葉』。いや、アタシは最初コレ聴いた時、もう心の奥底からの感動と興奮と「嘘!?」って言葉しか出てきませんでした。あれからン十年経って、今聴きながらコレ書いているんですけど、やっぱり言葉が出ませんね。いやほんと凄い、カッコイイ。


アルバムには他にも心地良いミディアム・テンポに彼女の”ムード”がくまなく香る『時さえ忘れて』や、ジャズの領域を超えた名バラード『ジ・アイランド』など、とにかくクオリティ高い美の結晶のような曲がいっぱい入っております。

あと、歌伴の名手、ローランド・ハナのピアノとジョー・パスのギターによるサポートも見事。硬質な澄み切った音でサラに寄り添うピアノ、最高のテクニックと類まれなリズム感で、自由にアドリブするサラの歌に挑みながら引き立てるギター、ほんと至福ですよ。











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2020年04月24日

エラ・フィッツジェラルド エラ・イン・ベルリン

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エラ・フィッツジェラルド/マック・ザ・ナイフ〜エラ・イン・ベルリン
(Verve/ユニバーサル)

さてさて、ジャズの名盤定番を紹介するこのシリーズを書いておりましたら

「おい、そういやヴォーカルは?」

というツッコミが来ました。

そしてそういやこのブログ、ジャズのヴォーカルものってあんま紹介してないなーという事に気付きました。

やー、そうでしたそうでしたー。ほんとすいません。

フリー・ジャズからジャズに入ったアタシなんですが、それ以前にビリー・ホリディだけは別枠で大好きで、ヴォーカルは歌モノの音楽で、ジャズはインストってのがどーも感覚から抜けん。だから歌が心地良いものは、ジャズだろうとポップスだろうと「良い歌モノ」として聴いているので、そんなこんなで「あーええなー」と聴いているうちにすっかりレビュー書くのを忘れてってしまう。

いかんですねぇ、ええ、じつにいかん。

という訳で今日は

「ヴォーカルなんだけどジャズならではのスリリングな空気感が極上な、まごうことなきジャズ・アルバム」

を紹介します。


『マック・ザ・ナイフ〜エラ・イン・ベルリン」

これですね。もうこれです。

ジャズ・ヴォーカルの世界では3大ヴォーカリストとして「エラ、サラ、ビリー」というのがありますが、ものすごく乱暴にざっくり言えばビリー・ホリディは人生そのものの悲哀を情感豊かに切々と歌う人、サラ・ヴォーンは哀愁も楽しさも織り交ぜてとにかく聴かせる人、そしてエラ・フィッツジェラルドといえば、とにかく歌が上手い。バラードはもちろん、何よりもノリノリの曲でまるで楽器のアドリブのように自由自在に声を操るそのスキャット芸にもう神業を感じさせる、明るくハッピーなジャズの神、のような人であります。


その、エラさんの神のスキャットがもう存分に楽しめる最高にゴキゲンなライヴがこのアルバムでありまして、えぇ、アタシの個人的な「エラさんといえばこれだろー」と思うイチオシの作品であるばかりでなく「ジャズ聴きたいね。でも楽器だけのやつは何か難しそうだから最初に聴くんならヴォーカルがいいわ〜」という切実な願いをお持ちの方にも掛値ナシでオススメしたい、こりゃもう最高にゴキゲンなライヴなんです(2回目)。

エラさんの特徴といえば、まずはそのキュート極まりない声なんですよ。

この世のものとは思えないピュアで清らかな声が、軽快なリズムに乗ってちょいと歌えば、それだけでもうその場は華やぎ、聴いてる人は漏れなく何だかウキウキしちゃって幸せな気持ちになれる。

そんでもってこの人の凄い所は、単純に可愛い声でポップな歌を歌うことだけじゃなくて、その歌唱、特に発声を聴いていると恐ろしい程に声域が広く、そのフレーズの伸ばし方、声の響かせ方、ヴィブラートの掛け方なんかが尋常じゃなく完成されているところなんです。

エラ・フィッツジェラルドという人は、本当に歌が上手い。そしてその”上手さ”が通り一遍のものではなく、細かいところに粗を探しながら聴いても、何ひとつツッコミどころがない。いやもう本当にこの人は、音楽の神様に愛されている、というより、音楽の神様そのものなんじゃないかとすら思うことがあります。

いわば完璧な、非の打ち所がない優等生であり、音楽を聴いて楽しめる幸福の伝道師でもあるエラさんですが、その生い立ちは10代で母親を亡くして孤児となり、マフィアの小間使いみたいな事をやって生きていかざるをえなかった悲惨なものでありました。

そんな生活を抜け出すために、17歳の時ハーレムにあったアポロシアター(黒人音楽の殿堂と呼ばれる名門ホール)で開催された、アマチュア芸能オーディションにエラさんは応募します。

最初はダンサーとして出るつもりでしたが、自分の出番の前に出たダンサー達の素晴らしいステージに圧倒されたエラさん、何と急遽予定を変更して、歌で出ることになりました。

もちろん予定になかった事で緊張はかなりのもの。苦し紛れに何とか好きな歌手であるコニー・ボズウェルという人の物真似に近い歌で勝負したのでありますが、結果は何と合格。

「いやぁ良かったよ。君みたいなお嬢ちゃんがダンスでもするのかと思ったら、何と大人びた歌を歌うなんてねぇ。何だっけ、そうだ、コニー・ボズウェルみたいだったよ。大分意識してたんじゃないの?」

「え?えぇ・・・意識は・・そんなにしてなかったけど、コニーの歌は好きでよく聴いてるから・・・その・・・知らずにそうなっちゃったみたいで・・・えへ・・・」

てな具合に、エラさんはホームレスの孤児として、或いはマフィアの小間使いとしてしょっちゅう警察のお世話になっていた不良として這い回っていたニューヨーク・ハーレムで、めでたく歌手として住人達に知られるようになり、その後ハーレム・オペラ・ハウスのオーディションでは見事優勝。そうなってくるとようやく歌手として派手に仕事が舞い込んできて、タイニー・ブラッドショウ楽団、やがてチック・ウェブ楽団という人気ビッグバンドの専属ヴォーカリストとして、華々しくデビューを果たすことになります。

1941年には急死したチック・ウェブの跡を継ぐ形でバンドを率いますが、慣れないバンドリーダーの仕事に耐え切れず解散。しかしこれが逆に吉と出て、その後エラさんは1940年代、50年代にソロ・シンガーとして、不動の人気を誇りながら大手レコード会社から、一流のバック・ミュージシャンに恵まれた素晴らしいソロ・アルバムを多くリリースすることとなるのであります。





マック・ザ・ナイフ~エラ・イン・ベルリン

【パーソネル】
エラ・フィッツジェラルド(vo)
ポール・スミス(p)
ジム・ホール(g)
ウィルフレッド・ミドルブルックス(b)
ガス・ジョンソン(ds)


【収録曲】
1.風と共に去りぬ
2.ミスティ
3.ザ・レディ・イズ・ア・トランプ
4.私の彼氏
5.サマータイム
6.トゥー・ダーン・ホット
7.ローレライ
8.マック・ザ・ナイフ
9.ハウ・ハイ・ザ・ムーン

(録音:1960年2月13日)

アメリカの音楽専門誌『ダウンビート』のアンケート投票では、何と19年連続で、ジャズ・ヴォーカル部門の第一位に輝き続け、当然アメリカだけでなく、世界的に彼女はトップシンガーとして、ツアーの先々で大歓迎を受けることになります。

『エラ・イン・ベルリン』は、そんな人気絶頂の折の1960年にドイツのベルリンで行われたコンサートを収録したライヴアルバムです。

ドイツといえばジャズ・ミュージシャン達にとっては「真剣に聴いてくれるしノリもいい」と、大好評な土地柄で、ライヴ名盤も多く録音されているところであります。

そんなドイツに上陸したエラさんは43歳。シンガーとしては最高に脂の乗った時期。バックには厳選したお気に入りのミュージシャン達を従えての公演。悪かろうはずがありません。

1曲目の軽快なミディアム・テンポの「風と共に去りぬ」から聴衆をガッツリ引き付け、バラードの『ミスティ』で完全に引き込んだ後、『レディ・イズ・ア・トランプ』で一気にノリノリのテンションになり、お客さんが大いに盛り上がったところで『ザ・マン・アイ・ラヴ(私の彼氏)』『サマータイム』のバラード2連発で更に聴かせる。

もうこの前半から中盤までの流れだけでも最高なんですが、いよいよ後半、いや、もうこの後半が凄まじい。お客さんの笑い声も起きる『イッツ・トゥー・ダーン・ホット』で軽く乗せておいて、ミディアムスローの『ローレライ』でじわじわテンションを上げて、さあ、さあ、ここからがこのライヴ盤の本当の聴きどころ『マック・ザ・ナイフ』と『ハウ・ハイ・ザ・ムーン』のハイテンションたたみかけです(!)

この2曲が、エラさんの金看板スキャットが、最高に楽しめる曲なんですよ。

まず『マック・ザ・ナイフ』は、ミディアム・テンポのナンバーなんですが、転調を繰り返しながら、徐々にテンションを上げて行くその後半でスキャット。これがエラさん大好きなルイ・アームストロングの物真似で、そっからのヴォーカルの力の入り具合いはもうほんと!もうほんと!!なんです。

そして『ハウ・ハイ・ザ・ムーン』。まず7分近い曲の長さ(歌モノですよアナタ!)にもビビるんですが、や、ビビッてる暇なんざぁないんです。軽く導入部を歌ってテンポアップしてからの大スキャット大会、途中でチャーリー・パーカーの『コンファメーション』になったり、これはもう楽器のアドリブ以上に自由で突き抜けたカッコ良さの至芸、あぁもう至芸です。

興奮して何だかよくわからなくなってきたので、多分これ以上文章はまとまらないと思いますので、解説はこれまで。「そんな興奮するほどかぁ〜?」ってお思いの方は、ぜひアルバムを聴いてください『ハウ・ハイ・ザ・ムーン』だけでいいから。凄いよ。









『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2020年04月19日

モダン・ジャズ・カルテット ジャンゴ

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モダン・ジャズ・カルテット/ジャンゴ
(Prestige/ユニバーサル)


「モダン・ジャズ」という言葉が生まれたのは、1950年代と言われております。

ジャズという音楽は元々はニューオーリンズでダンス・ミュージックとして誕生し、それがやがてシカゴやニューヨークといった大都会のクラブでゴージャスなビッグバンドスタイルで演奏されるようになって最初の全盛期を迎えた訳です。

ところが物事には必ず栄枯盛衰というものがあり、流行りがあれば廃れがあります。

1930年代から40年代にかけて人気を博したビッグバンドも、第二次世界大戦を主とする様々な時代の流れをモロに受け、たくさんあってしのぎを削ったビッグバンドも、徐々に食えないグループが多くなり、デューク・エリントンやカウント・ベイシー、ベニー・グッドマンなど一部の人気バンドを除いて解散や規模縮小などの憂き目を見ることになりました。

ところが、だからと言ってジャズという音楽の人気が廃れたわけじゃあない。特に若くてカネのないミュージシャン達は

「おぅ、だったらオレらは少人数で演奏出来て、ギャラもツアー代も安上がりなコンボ組むべ」

となった訳です。

これは前にも書きましたが、ビッグバンドと小人数のコンボでは、どうしても物理的な音の迫力というものが違います。

スウィング・ジャズのリズムや奏法で演奏しても、ただ人数が違うだけでほとんどの演奏が「なんかしょぼく」聞こえてしまうという致命的欠陥がありました。

そこで若手達は考えました。

「じゃあさ、ビッグバンドの迫力に負けないものを考えなきゃね!そうだ、リズムやコード進行をもっと複雑にして、その上でめちゃくちゃ速くて目立つソロ吹けばいいんじゃね?そしたら音の迫力ではビッグバンドに勝てないかも知れないけど、演奏の迫力ではもしかしたら勝てるかも知れないじゃん?で、人数少ないからソロ吹くやつが目立つじゃん?一石二鳥じゃん!」

と。

そんなこんなでコード進行をすっげぇ複雑にして、リズムも細分化して加速を加え、単純にソロを吹いたり弾いたりする時の難易度がグッと上がったビ・バップという音楽が生まれました。

ビ・バップは過激でクール(かっこいい)で新しいものを好む若者達に熱狂的に支持され、40年代末から50年代初頭のアメリカのジャズ・シーンの勢力図を一変に塗り替えるほど、その人気は盛り上がりました。

まずはビ・バップが「それまでにない新しいジャズ」という意味でもって「モダン・ジャズ」と言われるようになったんです。

ビ・バップはカッコイイ、ビ・バップは新しい、ビ・バップはクールだ、ビ・バップはヒップ。

そんな声が巷で行き交っている最中に、そのビ・バップのムーヴメントを盛り上げていたジャズマン達の中には

「でもよぉ、ただ速くして盛り上げておしまいって何かつまんなくね?俺達せっかくジャズをここまで変えたんだから、もっと変えてった方がヒップなんじゃね?」

と、思った連中がおりました。

代表的なのが、チャーリー・パーカーのサイドマンを務めていたマイルス・デイヴィス。

この人は「ガヤガヤうるさいクラブで、パーカーが凄いソロ吹くだけでわーわー言って盛り上がりやがるんだ。そりゃあパーカーは凄いよ。でもあの人が吹いてない時の客どもときたらおしゃべりに夢中で音楽なんて聴いちゃいねぇ。だからジャズはもっと”聴かれる音楽”であるべきだとオレは思うんだ。西海岸の連中がうらやましいよ。」

と、ビ・バップの熱狂的な盛り上がりを単なるバカ騒ぎみたいなもんだと苦々しく思いながら、バップとは真逆の厳しい表現のレニー・トリスターノ率いる”クール・ジャズ”の一派と関わりを持ったり、アンサンブルやハーモニーといった、理論に基づいた心地良さを演奏に巧みに取り入れている西海岸ジャズの人達とも共演したりしながら、新しい方向性を模索しておりました。

そして、50年代初頭に”ジャズ・メッセンジャーズ”を立ち上げることになるアート・ブレイキーとホレス・シルヴァー。この人達はリズムというものの表現の幅をもっともっと多彩なものにしようとラテンビートやアフリカン・ビートの研究に明け暮れ、更に黒人音楽のルーツの根っこにかかるゴスペルの表現手法をジャズに取り入れて、より自然とノることが出来るジャズを作り上げようとしておったのです。

そしてもうひとつ「マイルスの言う”聴かせるじジャズ”いいねぇ、ブレイキーとかシルヴァーがやっているゴスペルとかブルースとかのあぁいうノリをバップと掛け合わせるものいい。うんうん、オレはどっちもやりたいねぇ」と、深く頷いている男がおりました。

この人こそヴィブラフォン奏者のミルト・ジャクソン。

えぇと、ミルトは50年代以降有名になって、その後の長いキャリアの中で人気を集めた人であったのですが、実はこの人こそがニューヨーク52番街のクラブで、チャーリー・パーカーやディジー・ガレスピー、セロニアス・モンク、ケニー・クラークといった人達と、夜な夜な「新しいジャズを生み出すためのセッション」に常連として参加し、多くの常識を打ち破る試みの下ごしらえを作っていた、文字通りのバップ(モダン・ジャズ)の立役者の一人だったんです。

でもまぁヴィブラフォンという、サックスやトランペットのようにフロントには立てないし、ピアノやベースやドラム、またはギターのように伴奏の要でいつでも必要という楽器でもないヴィブラフォン(鉄琴)というやや特殊な楽器の使い手であったので、リーダーとしての活動はせず、40年代の終わり頃までは盟友であるディジー・ガレスピーのバックバンドにいたんです。

ある日の事、ミルトは同じくガレスピーバンドでリズム・セクションをやっていたピアノのジョン・ルイス、ベースのレイ・ブラウン、ドラムのケニー・クラークに「よぉ、俺達のバンドを組まないかい?」と声をかけました。

言い出しっぺはミルト・ジャクソンなので、最初このバンドは『ミルト・ジャクソン・クァルテット』のイニシャルを取って『M.J.Q』と名乗ったんですね。

結成した1951年に早速ガレスピーの所属するSavoy Recordsで録音。おっと、この直前にサイドマンとしての仕事があちこち忙しくなったレイ・ブラウンがグループを抜け、代わりにパーシー・ヒースが加入します。そしてリーダー名を入れない『The Quartet』というタイトルのアルバムをリリースしました。

これが「モダン・ジャズ・クァルテット」の始まりだったんですが、このアルバムはまだよく知られたスタンダードナンバーを、管楽器を入れないクールな4人編成で小粋にセンスよく演奏しているだけなんですが、当時は「管楽器が入ってないグループ」というのはとても珍しく、その珍しさもあって「いや、管楽器ナシでもこんだけ聴かせる演奏って逆に凄いよな」と話題になり、ジャズファンの中でもにわかに「MJ(ミルト・ジャクソン)こそが真のMJ(モダン・ジャズ)」という声も挙がって、この全く新しい編成と指向を持ったグループへの注目は一気に集まる事になるのです。




ジャンゴ


【パーソネル】
ジョン・ルイス(p)
ミルト・ジャクソン(vib)
パーシー・ヒース(b)
ケニー・クラーク(ds)

【収録曲】
1.ジャンゴ
2.ワン・ベース・ヒット
3.ラ・ロンド組曲
4.ザ・クイーンズ・ファンシー
5.デローネイのジレンマ
6.ニューヨークの秋
7.バット・ノット・フォー・ミー
8.ミラノ

(録音:1953年6月25日,1954年12月23日,1955年1月9日)


「管楽器が入ってないグループは珍しい」と書きましたが、これは当時のジャズの常識では、まずサックスやトランペットがいて、華麗なソロを吹いて盛り上がるというのが定型であり、ピアノやベースやドラムスはあくまでバックのリズムセクション。

ましてや知名度でいえばそのリズム・セクション楽器以下のヴィブラフォンなんていう何だかへんてこな楽器(もちろんミルト以前にもライオネル・ハンプトンという大スターがおりましたが、彼は同時に手練れを揃えたビッグバンドの優れたリーダーであり、例外中の例外だったんです)がフロントだなんて、本当にもうあり得ないことだったんです。

「サックスもトランペットもいない?おいおいじゃあソロはどうするんだい?」

と、多くの人が思ったはずですが、MJQはそんな不安を逆手に取り、キッチリと統制の取れた全員が主役を張れるアレンジの中で、目立てば目立つ程バンドとしての個性が光る絶妙なソロのクールさを際立たせ、正に他のどこにもない、他の誰にも出来ない斬新なサウンドを生み出すことに成功しました。

さて、この「ミルト・ジャクソンと彼のモダン・ジャズ・クァルテット」は、Savoyを離れ、1952年にPrestigeと契約。最初ピアノをホレス・シルヴァーにした”ミルト・ジャクソン・クァルテット”名義のアルバムをリリースし、2作目からは正式な”モダン・ジャズ・クァルテット”のアルバムがリリースされることとなります。

ここでミルト・ジャクソンは、ピアノのジョン・ルイスの作曲とアレンジを大々的にグループの要とします。

ジョン・ルイスはもちろんビ・バップの優れたピアニストではありましたが、クラシック演奏家の妻を持ち、自身もバッハやバロック時代の音楽に造詣が深く、ミルトは「そういうのもっとどんどん出してくれよ。このグループならいけると思うぜ」と、ルイスに働きかけ、ルイスも「そういうことならじゃあ遠慮なく行きまっさ」と、ガンガンクラシックに影響されたフレーズやアレンジを出してきます。

で、MJQの凄い所は、単純に「ジャズをクラシック風にお上品にしてみました〜♪」っていう軽いものに終わらせいところなんですね。むしろMJQのサウンドはどんなにクラシック”風”になっても根っこのところでブラックなフィーリングが隅々まで滲むジャズだし、何よりクラシック風味を全開にしてピアノ弾いてるジョン・ルイスのリズム感覚とアドリブフレーズがもう骨の髄までかっこいいバップなんですから、軽く消費して聞き飽きるなんてことがない。

さて、Prestige第二作目の『ジャンゴ』は、そんなジョン・ルイスのクラシック感覚が骨の髄までなハイセンスのモダン・ジャズと、これ以上、これ以外ない絶妙なバランスで響き合う、正に「MJQってこんなサウンドだよ」とこれ一枚で紹介出来る名刺変わりのような一枚。今、アタシが聴いている国内盤CDのオビには

『タイトル曲や組曲に代表される室内楽風の独自のサウンドを打ち出し、M.J.Q.の名声を決定付けた不朽の名盤!』

と、やや興奮気味に書かれていますが、興奮を抑えてもほんとその通りだと思いますね。

まずはタイトル曲の『ジャンゴ』これはベルギー出身でフランスに拠点を置いて大活躍したギタリスト、ジャンゴ・ラインハルトに捧げられた、悲しく美しいメロディを持つメインテーマが秀逸な曲なんですが、そんな悲しく美しいテーマに続き、ややテンポアップしたリズムに乗せられて繰り出されるミルトとルイスそれぞれのソロが、哀愁をふりまきつつ聴く人をしっかりとノせる、そのグルーヴ感にもう持って行かれますね。

続いてはパーシー・ヒースのぶっといベースをフィーチャーしたゴキゲンなミディアム・アップな『ワン・ベース・ヒット』。短い演奏なんですが、弾力のあるイマジネーションを膨らませていくベースと、その横で楽しく戯れてるようなヴィブラフォン、ピアノ、ドラムのバックアップにウキウキしてしまいます。

そして『ジャンゴ』と並ぶもうひとつの目玉の『ラ・ロンド組曲』これはアップテンポから始まって目まぐるしく展開が変わる4部編成の組曲。ここではケニー・クラークのビシバシと的確に場面場面を決めてゆくドラムスが中心になって、ルイス、ヒース、ミルトが華麗にソロをリレーしてゆく。これはもう各人の技量も凄いし、こんな超展開を一体になって聴かせるバンドとしての演奏力の凄まじさにビビらざるを得ません。

ルイスのクラシック感覚全開といえば、4曲目の『ザ・クイーン・オブ・ファンシー』も良いですね。戴冠式を思わせる優雅なテーマ、でもミルトがここで思いっきりファンキーなソロをぶち込んでくる。でも雰囲気崩れない。

そして後半はスタンダード大会が3曲。まずは『デローネイのテーマ』ちょいとコミカルな感じの曲で、4人共にゴキゲンなミディアム・テンポの上でノリノリのソロとバッキング。つづく『ニューヨークの秋』は、戦前からいろんな人にカヴァーされている美しいメロディのバラードですが、これは雫のようにこぼれるミルトのヴィブラフォンが本当に美しい。

『バッド・ノット・フォー・ミー』も、ガーシュウィン作曲の有名曲。テーマから一貫して華やかで小粋。サラッと3分43秒で終わるんですけど、よくよく聴くとアレンジ凄いです。

ラストは再びジョン・ルイスのオリジナルに戻って『ミラノ』。タイトルからしてクラシック風全開か?と思わせておいて、骨組みのしっかりとした、見事なジャズ・バラードです。

いやぁ、最初聴いた時は「ジャンゴいい曲だねー、他の曲もふんふん、心地良いねぇ」ぐらいに正直思ってたんですけど、改めて静かな環境で集中してひとつひとつの音を聴けば、そのアレンジに凝らされた素晴らしいテクニックと、やっぱりバンドとしての演奏水準の高さに驚きます。MJQはやっぱり凄いバンドであり「モダン・ジャズ」の代名詞という言葉に、百回ぐらい頷かされる『ジャンゴ』は名盤であります。

















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2020年04月15日

レッド・ガーランド グルーヴィー

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レッド・ガーランド/グルーヴィー
(Prestige/ユニバーサル)

「ジャズの世界では言わずと知れた名盤なんだけど、何故かレビュー書いてなかったシリーズ第3弾は、レッド・ガーランド・トリオの『グルーヴィー』であります。

これはもうアレですね、モダン・ジャズ/ハードバップの時代を代表するピアニストの一人であるレッド・ガーランドを代表する究極の一枚にして

「おぅ、何かゴキゲンなピアノ・トリオのアルバムかけてくれい!」

という問い合わせがあれば

「ほいきた!」

と、つい流したくなってくる一枚です。

とにかくもうタイトル通りのジャズのグルーヴ感と、大人の上質なオシャレな雰囲気と共に底抜けにハッピーなジャズ・ピアノのカッコ良さを、とことん無駄のない編成とアドリブで、いつどんな気分の時でもしっかりと楽しませてくれるといいますか、本当に「ここぞ!」という時にガッツリ盛り上げて、しっとりと聴かせる時はとことん聴かせる上質なプロの技が無理なく楽しめるアルバムなんです。

個人的にはこのアルバム、親父所有のレコード棚の中にあり、このコンクリートに何やら英語で書いてあるデザインが4歳の頃のアタシの心をくすぐって、あの、アタシはこの頃ミニカーや飛行機のおもちゃで遊ぶのが大好きなちびっ子だったのですが、このジャケットのデザインが何となく空母みたいだなと思ったんですよ。

で、ジャケットの上にミニカーや飛行機を並べたり走らせたりして遊んでおりました。当然親父には「バカヤロウ!俺のガーランドに何てことしやがるんだ!!」と、こっぴどく怒られました。

そんな訳で「レッド・ガーランド」という名前とこのジャケットは、アタシの脳裏には長い事こびりついておりました。それから10年以上の月日が経ち、音楽雑誌とかでよくこのアルバムのジャケットを目にするようになるんです。

で「あ、これはジャズのとても有名な人の人気のアルバムだったんだな」

と気付く訳です。

例によって後期コルトレーン経由のフリージャズの底なし沼からジャズに入っていったアタシは、よく知られているモダンジャズの名盤というものを、大体1年ぐらい経ってからようやく聴き始める訳なんです。

最初は「ほー、これが名盤かぁ。まぁ確かにカッコイイかもね、でも今ひとつ心にグサッと来ないなぁ〜」とか生意気な事を思いながら、その頃のアタシの心境的に「フツーのジャズ」を何とか理解しようと思いながら聴いてた訳です。

レッド・ガーランド。この人は確か初期コルトレーンとかマイルスのバックでそういや凄く端正なピアノ弾いてたし、トリオか、まぁいい感じなんだろうな〜。と、何となーくナメてかかっていた『グルーヴィー』でしたが、いやいやコレが予想を遥かに上回るカッコ良さ、というよりも、無知なアタシに初めて「4ビートのスウィングするジャズのカッコ良さ」を教えてくれたアルバムになったんです。

まず、グッときたのがポール・チェンバースのベースです。

1曲目の『Cジャム・ブルース』。この曲はメインテーマのフレーズがたったの2音という恐ろしくシンプルな曲なんですが、ガーランドが右手一本指(シングル・トーン)でリズミカルに弾くこのフレーズのバックで「ブンブンブンブン♪ブンブンブンブン♪」と、物凄く弾力のあるリズムと音色で、ズ太いリズムを膨らませてゆく。

一言でいえばこの”ノリ”のズバ抜けた気持ち良さ。知識も好みの見栄も何もかも吹っ飛ばしてグルーヴに身を任せる心地良さに、この曲のチェンバースが浸らしてくれました。そして思ったんです「あぁ、コレがジャズの気持ち良さなんだ!」と。





グルーヴィー

【パーソネル】
レッド・ガーランド(p)
ポール・チェンバース(b)
アート・テイラー(ds)

【収録曲】
1.Cジャム・ブルース
2.ゴーン・アゲイン
3.ウィル・ユー・スティル・ビー・マイン?
4.柳よ泣いておくれ
5.ホワット・キャン・アイ・セイ
6.ヘイ・ナウ

【録音:1957年5月24日,8月9日】


そんなチェンバースのベースにグイグイ引き込まれているうちに、ガーランドのピアノにハマりました。

ガーランドのピアノは、さっきも言ったシングルトーンという右手の単音弾きでメロディを弾いて、ブロックコードと呼ばれる左手の和音弾きで、右手の旋律にアクセントと共に華麗な装飾を付けて行くという、手法としてはとてもシンプルで、複雑な事は何ひとつやっていない、とても分かりやすいものです。

そして、彼の弾くアドリブのメロディは、深刻さがひとつもありません。ノリの良い曲はひたすらハッピーに、バラードはひたすら可憐で美しくというのが身上です。とにかく弾き方も音楽性も、自分の内面をどうこうというより、聴いている人をどれだけリラックスさせ、楽しませるかに特化したような、良質なエンターティメント性に溢れたスタイルであります。

だから時としてガーランドのスタイルは「シリアスでないカクテルピアノ」とか揶揄されることもあったのですが、いやいやいや、そのちょっとしたフレーズも奥底からスウィングさせる技量というのは、中途半端なハッピーピアノには絶対に出来ない技です。

よく優れたお笑い芸人が、プライベートではほとんど冗談も言わない真面目な人だったという話を聞きますが、レッド・ガーランドは正にそういう人なんでしょうね。ステージではハッピーにさせること、難しく考えさせることなく聴いてる人にジャズを楽しんでもらうことを真剣に考え、恐らくは血のにじむような努力の末に、この無駄なく幸福なピアノ・スタイルを会得した。と言えるのではないでしょうか。

ガーランドのアルバムはこれ以外の作品も、トリオ物は大体同じ芸風で、しかも総じて高いクオリティでいわゆる”ハズレ”がないんです。アーティストとか表現者ではなく、根っからのジャズ屋なんだなぁと、彼のピアノを聴くといつもしみじみ思います。で、思っている頃にはその何でもカッコ良く転がすグルーヴに夢中になって聴いているんです。こういう人はいそうでなかなかいるもんじゃないですね。











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