ディープなコラム こちらにも書いてます♪

2017年11月14日

ジャック・ブルース Things We Like

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ジャック・ブルース Things We Like
(Polydor)


ごめーん、今日もジャック・ブルースです。

そしてごめーん!

これ最高です。

1968年、クリーム解散直前にジャック・ブルースが各方面に「ジャズやろうぜ」と声を掛け、「おう、いいぜ」と、ジャズとプログレッシブ・ロックの面々が集まって出来た、ブルースロックの”ブ”の字もなければクリームの”ク”の字もない、純度限りなく100に近い、気合いの入ったジャズ・アルバムなんです。

1960年代のイギリスのロッカーといえば、十代の頃はスキッフル・バンド(アコースティックでトラディショナル・ジャズやフォークソングを演奏し、歌う音楽)を経験し、その後ブルースやR&Bなどアメリカの黒人音楽に衝撃を受けて、エレキギターでブルースやR&Bのカヴァーをするバンドを結成するというのが、ひとつの王道なパターンだった訳ですが、クリームの場合はクラプトンはご存知の通り”ブルース少年からロッカー”のど真ん中におる人で、でもジャック・ブルースとジンジャー・ベイカーは、クリーム以前、グレアム・ボンドという人の、ホーンなんかも入ったかなりジャズ寄りのR&Bバンドが、そのキャリアのスタートでした。

このバンドのリズムというのが、ブルースのシャッフルやロックンロールの8ビートだけではなく、ジャズのチーチキ、つまり4ビートやラテン・ビートなんかも色々と使っている、なかなか画期的なバンドでありまして、何が言いたいのかと言うと、ジャック・ブルースとジンジャー・ベイカーという人達は、最初から英国ロックの王道な流れとは若干毛色の違う”ジャズ”という感覚に、割と早くからドップリだった人達だったんです。

あ、でも、このグレアム・ボンドのバンドでは、ジャックとジンジャーはものすごく仲悪くて、クリーム結成も、実はかつての不仲を知る周囲からは「アイツら仲悪かったよな?大丈夫かぁ!?」と散々心配されていたようなんですが、・・・結果は言わずもがなですね(汗)。

はい、余談はこれぐらいにして、とにかくジャック・ブルースは、そのソロ作品には常に「ロックの”当たり前”には収まらない音楽性の広さ」と感じさせます。なかんづく”ジャズ”というキーワードは、ジャックを語る時に外せない重要なワードなんですが、この「Things We Like」には、全編インスト、全編ウッドベースでガッツリJAZZをやっている、ジャックのある意味原点がかいま見られるアルバムであります。

実は録音年月日は、ソロ第一作目の『Songs for a Tailor』の前年の1968年ですが、発売が後だったんですね。だから実質ファースト・アルバムなんじゃないの?とも訊かれたことがあったりするんですが、このアルバムはジャック・ブルースのソロ作というよりも、イギリスの、ジャズの心得のある若手ミュージシャン達が集まって、特定のリーダーを決めずに行った自由なセッション・アルバムと言えるでしょう。

セッションに集った面々は、下の【パーソネル】にも記入しますが、まずウッドベースのジャック・ブルース、ギターのジョン・マクラフリン、サックスにディック・ヘクトール=スミス、ドラムにジョン・ハイズマンであります。

ジョン・マクラフリンは後に渡米してマイルス・デイヴィスのバンドや、トニー・ウィリアムスのライフタイム、そして自身の”マハヴィシュヌ・オーケストラ”などで70年代以降のジャズ・ギター界を代表するほどのビッグネームになりました。そうなんです、実はイギリス出身で、このセッションの直後にアメリカに渡っておるんです。

で、ディック・ヘクトール=スミスにジョン・ハイズマンといえば、これはもうプログレファンにはおなじみの”コロシアム”のメンバーですね。

プログレッシブ・ロックというのは、知らない人にとっては何だか頭のいい人達がやっている難しい音楽とか、サイコでおどろおどろしい音楽とか思われるかも知れませんが、元々はジャズ・バンドをやっていた連中が「じゃあ俺達もジャズをベースにしたロックをやるべ!」と、ジャズをベースにロックの色んな要素を掛け合わせたような音楽がベースなんですね。

だから全然難しくないし怖くもないよ〜ということを言いたいんですが、その中でもコロシアムのオリジナル・メンバーであるジョンとディックの2人は、元々イギリスのブルース・ロックの走りと言われるジョン・メイオールのブルース・ブレイカーズにも参加していた面々で、そういう意味で非常にキャッチ―な”掴み”に溢れたプレイも出来る人達です。

で、こんなグレイトな(や、よく分かんない人ごめんなさいだけど、後の各分野での活躍ぶりを知ってる人から見たら、これはあり得ない豪華顔合わせなんですよ)面々が、どうして集まったかというと、実はさっきちょこっと言った”グレアム・ボンド”の関係者なんですね。

マクラフリンとコロシアム組の2人共、グレアム・ボンドのバンドで演奏していた時期があって、ジャックともその頃から絡みがあったんです。いうなればこのアルバムは”グレアム・ボンド・バンドの同窓会的セッションであり、1960年代末期のイギリスで最もホットなジャズの記録でもないかしらと、聴きながら毎度アタシはワクワクします。






【パーソネル】
ジャック・ブルース(b)
ジョン・マクラフリン(g)
ジョン・ハイズマン(ds)
ディック・ヘクトール=スミス(ts,as)

【収録曲】
1.Over the Cliff
2.Statues
3.Sam Enchanted Dick Medley: Sam's Sack/Rill's Thrills [Medley]
4.Born to Be Blue
5.HCKHH Blues
6.Ballad for Arthur
7.Things We Like
8.Ageing Jack Bruce, Three, from Scotland, England



実に素晴らしいのはメンツだけではなくてやっぱり中身です。

演奏の方も実にそれぞれのプレイが個性的で、これがいわゆる「オーソドックスなアメリカのジャズの真似事」で終わっていないんです。

パッと聴いて「あ、面白いなぁ〜」と印象に残るのは、フツーに渋いフレーズも吹くけど、基本ひねくれて、よじれまくって、どこにすっ飛んで行くか分かんないフリーキーでアナーキーなディックのサックスと、アンプをガンガンに歪ませて、遠慮なく”オレが感じるロック”を、ジャズなフレーズの中に後先考えずガンガンぶち込んで、もう攻めに攻めるギターで楽しませてくれるジョン・マクラフリンのギターですよね。

全体的に60年代フリー・ジャズの不穏さ、不健全さに大きく影響を受けた実験的な香りがムンムン漂ってはいるんですが、キメのメイン・フレーズや、ディックが要所要所で披露するローランド・カークばりの”サックス2本同時吹き”に、特有の大道芸的な陽気さ「実は俺達、楽しみながら不健全やってんだよねー」みたいなカラッとした磊落さを感じます。

で、ジャックとドラムのジョン・ハイズマンは何をやってるのかというと、派手にやらかしているサックス&ギターのバックで、真面目に黙々と”コイツらがちゃんと暴れやすいように”と4ビート刻んでるんです。

や、バンバンボンボンとかなり手数多めにジャックは派手なアドリブをかましてるし、ハイズマンのドラムは実に知的で切れ味鋭くて、これもフロントに呼応しながら自由自在にリズム・パターンを変化させておるんですが(この辺は流石元祖プログレのバンドリーダーですよ)、その仕事ぶりがとても真面目で誠実なんです。

ジャックのベースは暴れてなんぼと、アタシは思ってますが、このアルバムで実は一番の聴きどころは、サックスやギターのソロが佳境に入ってブチ切れ気味になる一歩手前の時にフツーの4ビート刻んでるとこだったりします。

それにしても、これだけ見事にジャズしてるのに、やっぱり他のアメリカのジャズと聴き比べてみたら凄く特有の”ロックフィーリング”みたいなのがあって、それが気持ちいいんですよね。何がどうロックなのか?それを考えると結局雰囲気としか言えないからもどかしいのですが、敢えて言葉にするならば「ジャズのフォーマットの中で、ロック的な自由闊達なやりとりが成立してる」ということになるでしょうか。や、ジャック・ブルースという人は聴けば聴くほど奥が深いです。






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『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2017年11月08日

スティーヴ・キューン・トリオ スリー・ウェイヴス

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スティーヴ・キューン・トリオ/スリー・ウェイヴス
(Contact/Solid)

さて、本日は良い感じに秋の雨がしとしとと降っておりますので、引き続き”アタシの大好きな美しいジャズ・ピアノ”をご紹介致します。

あのですね、えっとですね、アタシには「雨の日はこの人を聴くぞ!」というピアニストがおりまして、それがスティーヴ・キューンという人なんですね。

コノ人との最初の出会いは、ECMというドイツのレーベルに興味を持ったことから始まります。

このレーベルは、それまでアタシが慣れ親しんでいたアメリカのジャズとは明らかに質感の違う、いかにもヨーロッパな、しんとした空気の静寂感と、ミュージシャン達による美学の結晶のような、どこまでも繊細で透明な演奏がとても魅力でした。

有名どころではキース・ジャレットの『ケルン・コンサート』とかチック・コリアの『リターン・トゥ・フォーエヴァー』とか、その辺がありますが、アタシの場合は上記2枚他キース・ジャレットの繋がりで色々と知らないアーティストのアルバムを買い集めていって、クラシックの作曲家、アルヴォ・ペルトという人の『アリーナ』という、それまで聴いたことのなかったような無駄のない美と安らぎに満ちた究極の一枚を知ってからというもの、すっかりECMに夢中になっておりました。


(静謐なものが好きな方はぜひともこのアルバムを一度は聴いてみてください)


そんなこんなでスティーヴ・キューンの『リメンバリング・トゥモロウ』というアルバムと出会う訳です。

モノクロの、何の風景か分からないようなポートレイトが、いかにもジャズっぽくなくて、何かありそうな気がしてふと手にしただけだったんですが、そこで聴いたピアノは、いわゆるモダン・ジャズの演奏スタイルからハッキリと”違うどこか”に立脚している、すこぶるクールで研ぎ澄まされた美を感じさせるものでした。




ビートは現代的な感じで、ピアノのフレーズは銀色の抽象画を観ているような、音楽で確実にここではない幻想的な世界を描いているキューン。

で、その後にアート・ファーマーの『ブルースをそっと歌って』。こっちはアート・ファーマーというバリバリに王道なモダン・ジャズ・トランぺッターのバックで、端正な”ジャズ”の4ビートで上品にバッキングしていると思ったら、突如キレて雪崩を起こしたり、冷静にトランペットのソロを引き立てながら、よくよく聴くとかなりトンガッたことをやっている(でも、パッと聴きはとてもエレガントに思える)このピアノ・トリオが、スティーヴ・キューン(p)、スティーヴ・スワロウ(b)、ピート・ラ・ロカ(ds)という、最初期のスティーヴ・キューン・トリオだということを知って、これはもう運命だから、覚悟を決めてこの人の音楽と付き合うしかない。そこまで思いました。

時は1990年代後半、丁度タイミングのいいことに、我が国のヴィーナス・レーベルからも何枚か趣味のいいピアノ・トリオ・アルバムを立て続けにリリースしていたこともあって、”スティーヴ・キューン”という名前はすぐに覚えることが出来ました。

気になったら調べ上げねばならない性格でありますので、バイオグラフィ的なことも本で調べたら、

・1938年ニューヨーク生まれのニューヨーク育ち、ヨーロッパ人だと思ったらバリバリのニューヨーカー

・小さい頃からピアノを習っていたけれど、バリトン・サックス奏者、サージ・チャロフ(ジャズマンよ♪)のお母さんのマーガレット・チャロフという人に習っていたことから、早くからジャズに目覚める。

・10代の頃にはクラブで演奏していたコールマン・ホーキンスやチェット・ベイカーなど、ジャズの”正統派な人気アーティスト”達と共演するなど、実は根っこにはスウィング〜モダンの王道ジャズが深くある。

・このまんまプロとして”趣味良くスウィングする若手白人ピアニスト”としてデビューしても良かったけど、何故か勉強に励み、ハーバード大学に入学して卒業している。理由は「文学を勉強したかったから」。

・卒業後は恐らく文学に毒されたんだろう、1950年代末にオーネット・コールマンやドン・チェリーなど、当時”前衛”と呼ばれていたフリー・ジャズ系ミュージシャンとコンサートで共演。多分感触は良かった。本人も「人とは何か違うスタイルを打ち立ててやろう」と大いに思った。

・で、今度は「革新的なスタイルで常識を打ち破る若手前衛ピアニスト」となるつもりが、スタン・ゲッツ、ゲイリー・マクファーランド、ケニー・ドーハム、ジョン・コルトレーン、アート・ファーマーと、やっぱり当時の王道をゆく大物達のグループに渡り歩いている。

・と、思いきや、スタン・ゲッツ、ジョン・コルトレーンのグループには、入ってすぐに数回のセッションでクビになっている。色んな話を総合すると「やっぱりサイドマンでありながら”何かを美しくブチ壊してやろう”という衝動が勝ってしまい、リーダーの指示に従わなかった」ことが原因らしい。ケニー・ドーハムはよくわからんが、アート・ファーマーはぶっちゃけいい人だったから、アルバムでも割と好きにさせた。その結果が『ブルースをそっと歌って』でのはっちゃけ。

はい、この人の前半生を一言でいえば”ニヒルなインテリの生き方”そのものでしょうね。

何だか音を聴いてバイオグラフィーを読むと、自分の中に表現のコアみたいなもんが、割と早いうちからあって、その中に絶対的な美を見出そうとして突き進んでいた。その突進はちょっとやそっとでは止まらずに(てか止まれずに)、バンドリーダーなどとはそのことが原因で対立したり、問答無用でクビになったりしたけれど、それぐらいでは僕の美への探究は収まらないんだ。なぜなら美しいものが全てだから。こんな感じでしょうね。

表現のために妥協をしない、そういうタイプですので確実に孤独に陥りがちなタイプなんですが、彼には同じような性質を持つ、心強いお友達がおりました。

それが、最初にトリオを組んだドラマーのピート・ラ・ロカたんです。

ラ・ロカについてはもうアタシ、大好きであちこちに書いてますけど、それはともかく彼もまたハッキリとそれと分かるクセを持っている人でした。で、自身も後に司法試験に受かって弁護士になるよーな人でありますので「ボクは曲げないぞー、自分に自信があるから」というような気持ちで、相手がどこの誰であろうが、ドラム・スタイルを変えなかった人ですね。

それがたまたまピタッとハマッたのがドン・フリードマンの『サークル・ワルツ』。ハマらなかったのがコルトレーン・バンドでの活動でしょう。

そう、キューンとラ・ロカは、共にコルトレーンのバンドに参加しましたが、参加してほんの少しで、キューン、ラ・ロカの順番であえなくクビにされてるんです。

これは彼らがヘタクソだったとか、センスがなかったからでは決してなくて、ワン&オンリーな自分の世界観を共に作っていけるメンバーが欲しかったコルトレーンとの相性の問題だったと思います(実際ラ・ロカとコルトレーン唯一の共演盤は、噛み合ってないけど演奏は最高にアツいもんね♪)。


で、コルレーンのバンドをクビになって、バーのカウンターで

「ロカ、君もクビになったのか」

「うん、そうだね。ライヴの後コルトレーンにさ”ピート、ちょっと話がある”って言われるから言ったらさ”分かるかい?俺は君の目指してるのとは違う音楽がやりたいんだよ”なんてジョンはモゴモゴ遠回しに言うんだ」

「そうか、奇遇だねぇ。僕ん時もそうだった。で、君何て言ったの?」

「しょうがないから”僕はスタイルを崩すつもりはありません”って言ったんだ。そしたら”そうか、わかった”つって、カウンターに僕の分のギャラとドリンク代を置いてそれっきりさ」

「一緒だね」

「うん、一緒だ。でもスティーヴ、ジョンがやりたい音楽をやりたいって言うんならしょうがないよね。思うに彼には僕の鋭角なリズムは理解できなかったんだと思うんだよ」

「そうだね、ジョンには理解できない。僕のリリシズムに溢れた哲学的なピアノも、彼には少し難し過ぎたと思うんだよね」

「じゃあ僕達が早過ぎたんだね」

「そうとしか考えられないよね、思うにジョンには罪はない」

「確かに。ところでスティーヴ、君、これから行くアテはあるかい?アート・ファーマーが一緒にどうだ?って言ってるんだよ」

「アートか、彼はジョンよりもオーソドックスな...言い方は悪いが保守的なトランぺッターじゃないのかい?」

「そうなんだが”ある程度は好きにやっていい”ってニコニコしながら言うんだな。知的でスタイリッシュなトリオが欲しいと」

「それはきっと僕達しか務まらないね」

「じゃあ行こうか」

「うん、そうだね」

と、実にポジティヴな展開から(うん、多分・汗)、彼らはアート・ファーマーの新バンドに行きました。

その時2人の隣で(うんうん、そうだ)と頷いていたのが、ベースのスティーヴ・スワロウ。

言い忘れてましたが、この人も”相当”です。

寡黙なくせに、上手に他の音と折り合いを付けながら、いつの間にかウニョウニョとアブストラクトなフレーズでもって、リズムを上手に溶かしながら、演奏全体を”どこへ行くか分からないアンニュイなスリル”の色に染め上げる変態...いや、名人です。

この3人はアレと似てます、ルパンV世のルパンと次元と五エ衛門です。

キューンとラ・ロカはルパン的なところと次元的なところを両方持つ、大胆で突拍子もない人達ですが、スワロウは間違いなく五ェ衛門です。何を考えてるかわかんないけど、することは一番おかしいという・・・。





【パーソネル】
スティーヴ・キューン(p)
スティーヴ・スワロウ(b)
ピート・ラ・ロカ(ds)

【収録曲】
1.アイダ・ルピノ
2.アー・ムーア
3.トゥデイ・アイム・ア・マン
4.メモリー
5.ホワイ・ディド・アイ・チューズ・ユー?
6.スリー・ウェイヴズ
7.ネヴァー・レット・ミー・ゴー
8.ビッツ・アンド・ピーセズ
9.コッド・ピース


とまれ、コルトレーンを経て、ファーマーを経て、3人が

ラ・ロカ「やったね、ファーマーのアルバムはなかなかいい感じだよ」

キューン「やっぱり僕達の表現の方向性に間違いはなかったんだよ、ファーマーも僕達をいい感じでサポートしてくれたよね」

スワロウ「(うんうん、そうだそうだ)」

アタシ(おいお前たち、ファーマーがリーダーのアルバムだぞ...。)

と、天然ポジティヴ最高潮になった時、ようやく満を持して”スティーヴ・キューン・トリオ”として制作/発表したのがこのアルバム。

一言で言うと「やりたい放題」です。

とは言っても、決してフリーで前衛でイケイケでバリバリのことをやっている訳ではない、3人のコンセプトはあくまでも”美”です。

キューンのピアノを中心に、どこまでも硬質で温度のない、まるで精巧なガラス細工のような透明な音楽が、奏でられ、胸が詰まるほどの香気を放ち、そして美しく散らされる。

あぁ、もうね...。何て言いますかね。

アタシは”美しいピアノ”ってのは、たとえばビル・エヴァンスや、昨日紹介したドン・フリードマンみたいに、端正込めた上質なメロディを、丁寧に丁寧に、たっぷりの詩情を絡めて紡いでゆくもんだと思っていたんです。

でもね、キューンの場合は、不意に狂気のスイッチが入って、その美しいメロディを「ガーン!」「バーン!」と破壊しちゃうんですよ。破壊とまではいかなくても、感極まった果てに執拗に同じフレーズをガッコンガッコン繰り返して、空間からどんどん血の気が引いてゆく、そして一通りの「ガーン!」が終わった後の静寂の”間”に、メロディーの残骸がキラキラ美しく舞っている。

いわばこれ”ほろびの美”です。

さっき”不意に狂気のスイッチが入って”と言いましたが、今このスリー・ウェイヴス聴いてると、キューンは最初から狂気全開にして弾いてるし、スワロウもラ・ロカも完全にそれに乗っかってて、狂気×3の完璧なヤバいコンビネーションでこれ、最初から最後まで演奏が流れてく。

ところがどっこいどこをどう聴いても「あぁ、これすごくメロディアスだ...」と、感動のため息しか出て来んのですよね。こんだけ激しく音を散らせているのに、どこにもメロディの破綻はなくて、完璧だとしか思えない。

考えてみればキューンのピアノって、この時期の「ジャズ崩すべぇか♪」な音も、ECMとかでやってた抽象幻想画な演奏も、最近のひたすら甘美なスタンダードも、一切のブレがなく、全部”美しい”の一言にスーッと着地できちゃう。”美しい”と言うには余りにも情感が過ぎて幻想が過ぎて甘美が過ぎるのかも知れませんけど、やはり一言でいえば”美しい”なんです。そう言えちゃうんです。相当に凄いことだと思うんですが、こういうのって一体何て言うんでしょう。


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2017年11月06日

ドン・フリードマン サークル・ワルツ

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ドン・フリードマン/サークル・ワルツ
(Riverside/ユニバーサル)


昨日はボビー・ティモンズ『ディス・ヒア』を皆さんにご紹介しながら、ジャズにおける”ファンキー”とは何か?ということをお話ししましたので、本日はモダン・ジャズが成熟を極めた1960年代、今度はファンキーに代表される”ノリを求めるベクトル”のジャズとは真逆の方向から”鑑賞音楽としての質を重視したジャズ”というものについてお話しましょう。

ちょいとのっけから難しいことをのたまってしまったような気がしますが、コレはつまりアレです。ノリがいいのばっかり聴いてると「あー、何かこうメロディアスなやつも聴きたいね〜」と思うのが人情で、ジャズの世界にもそういうのがあったんですね。クラブでワイワイ言いながら聴くジャズもいいけど、家で静かにレコードで楽しみたいなぁとか、はい、そういうやつです。

具体的にいえば、クラシック音楽の耽美性を、ジャズ・ピアノの表現手法に大々的に盛り込んだスタイル。

とくれば、まず思い浮かぶのがビル・エヴァンスですね。

もちろんクラシックからの影響は、戦前からジャズの中に深く食い込んでおりましたし、モダン・ジャズ黎明期には、レニー・トリスターノというパイオニアがおりますが、エヴァンスはトリスターノの”クール”と呼ばれる水も漏らさないようなストイックな表現に、情緒の甘い毒を上手に絡めて「それを求める人誰もが感動できるようなピアノ表現」というものを大成させたんです。

ジャズ・ピアノの分野では”エヴァンス以降”あるいは”エヴァンス派”と呼ばれる一群がいて、今もこの流れを汲む人達の人気は非常に高いです。良いアーティストはたくさんおりますし、良い作品も多くあります。いずれも耽美でウットリするような美しい表現に秀でた人、多くおります。

知的でカッコ良くて、心の奥底の切ない部分をヒリリと刺激してくれる、そんなジャズ・ピアノが聴きたいという方のために、本日はこの界隈を代表する人の美しいアルバムをご紹介しましょうね、というわけでドン・フリードマンです。

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2016年に亡くなるまで、スタイルを変えることなく活動していた人なので、画像検索したら近年のとっても上品な老ジェントルマンな写真がたくさん出てきます。いいですよね、いかにも芸術家という感じがそのお姿からも滲み出ていて実にカッコイイ♪

この人は”エヴァンス派”の筆頭と呼ばれるピアニストで、耽美なメロディ重視のプレイ・スタイルは正にエヴァンスとの共通点をいっぱい見出すことが出来ますが、年齢的にはエヴァンスと同世代であり、幼い頃からガッツリクラシックを学んでいる(元々ジャズではなく、クラシックのピアニスト志望だった)そのやり方をあくまで自分なりにジャズ表現として寡黙に磨いてきた人であります。

ついでに言えばこの人のピアノ、最初は「お、これはビル・エヴァンスみたいでかっこいいね」となりますが、じっくりと聴けば聴く程、この人にしかないオリジナリティの虜になってしまって、正直アタシは「うん、この人はエヴァンス派というよりは、同時代にたまたま近いスタイルでもって世に出てきたライバルと言っていいんじゃないか」と思っております。



【パーソネル】
ドン・フリードマン(p)
チャック・イスラエル(b,@〜DF)
ピート・ラ・ロカ(ds,@〜DF)

【収録曲】
1.サークル・ワルツ
2.シーズ・ブリーズ
3.アイ・ヒア・ア・ラプソディ
4.イン・ユア・オウン・スウィート・ウェイ
5.ラヴズ・パーティング
6.ソー・イン・ラヴ
7.モーズ・ピヴォティング

この人の代表的名盤と呼ばれ、発売から50年以上経った現在も、多くのピアノ・ファンに聴かれ続けているのが、1962年録音の『サークル・ワルツ』であります。

全編美しく滑らかなタッチで奏でられるピアノと、ビル・エヴァンス・トリオ二代目ベーシストとして活躍したチャック・イスラエルの憂いのあるベース、そしてアタシ個人的に好きなドラマーNo.1のピート・ラ・ロカの鋭利な切れ味のドラムによるトリオ編成で、えも言えぬ幻想美に彩られた世界が描かれております。

一言でいえば「知的でロマンチック」たとえば一曲目『サークル・ワルツ』、イントロからどこか物哀しいメロディが躍動しながら立ち上がる瞬間の感動や、ハイ・テンポながらもそのアドリブにはふんだんに抒情が盛り込まれていて、聴く人の意識をどこか知らない”遠く”へ誘ってくれる『シーズ・ブリーズ』、静かなイントロからベース、ドラムが入ると加速して香気を振りまいてゆく『アイ・ヒアー・ア・ラプソディ』と、冒頭3曲だけでも、「はぁ美しい、はぁぁ美しい...」が止まりません。

中盤以降もその詩情の質を高純度で維持しながら、アルバム一枚分の憧憬をじっくり聴かせるフリードマンですが、後半に無伴奏ソロで奏でられる『ソー・イン・ラヴ』がクライマックスでしょう。穏やかなイントロ、急加速するアドリブ、そしてヒリヒリした余韻を残しながら消えてゆく何か...。これぞリリシズム!と、何度聴いても感動がこぼれて上手く言葉になりません。

特に素晴らしいのが、メロディアスに展開してゆくピアノのメロディーに、ピッタリ息を合わせ、歌うようにリズムを変化させてゆく、ピート・ラ・ロカのドラムです。

ラ・ロカといえば、以前にもジョン・コルトレーンの『Live At The Jazz Gallarey』でご紹介したように、個性的な管楽器奏者との共演においては、かなり独自のタイム感で、ある意味”かみ合わないところ”が魅力だったりします。

そんなラ・ロカがアタシはもう大好きなんですけど、このアルバムでのラ・ロカ、やっぱり絶妙な”間”と空白で、独自のアクセントを付けて叩いているんですが、その”間”と”空白”が、ピアノやベースの醸す抒情に、細かいところまでピタッ、ピタッと合わさるんですよ。

エヴァンスと違ってフリードマンの音色は、硬質で情緒に流されないところなんですが、そんなフリードマンの音色とも合った、細くしなやかなドラムの音も、いや本当に素晴らしい。



個人的に、ドン・フリードマンのアルバムで好みのものといえば、このアルバムより更に得意分野である現代音楽の方に踏み込んで、冷たい音で実験的なメロディーを紡いでゆくアルバムの方だったりするんですが、それでもやっぱり『サークル・ワルツ』を時折集中的に聴きたくなって、このアルバムにしかない、ひんやりと儚い抒情に浸りたくなるのは、やっぱりこのアルバムが作品としての”特別な何か”を持っているから。そして、どこをどう聴いても「最高に美しいジャズ・ピアノ作品」として、誰にオススメしても間違いがないからだと思うからであります。
















『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2017年11月04日

ボビー・ティモンズ ジス・ヒア

6.jpgボビー・ティモンズ/ジス・ヒア
(Riverside/ユニバーサル)


ジャズやブルースなんかが好きで聴いておりますと

「イェ〜イ、ファンキーだね♪」

とか

「く〜、アーシーでたまらん」

とか

「ブルース・フィーリングがあるね〜」

とか

ゴキゲンなやつを聴いていると、ついそういう言葉が口を付いて出てくることがあります。

ブラック・ミュージックに思い入れのある方なら

「うんうん、わかるわかる。ファンキーでアーシーでブルース・フィーリング溢れてるやつはカッコイイよね」

と、大いに賛同してくださるところなんですが、かつてお店に来てくれたジャズ初心者のお客さんに

「何がファンキーなのか全然わかんない、アーシーって何?ブルース・フィーリングってむずかしい」

とツッコまれたことがありまして、あぁ、そうだよね、知らずに使っている専門用語が、初心者の人から見たら何だか難しくて壁が高いような感じに思えることってあるよね。と、大いに反省した記憶がございます。

で、アタシ自身もジャズやブルースやソウルにファンク。その辺を分かったようなつもりで聴いてはおりますが、ふと口から漏れるこれらの言葉が意味する本当のところって何だろうか?と考える日々です。

や、こういったことは理屈ではなく、単純に「これがファンキーだよ」と思うものを聴いて頂ければ良い、それを聴いた人が「イェ〜イ」ってなればそれがファンキーなんじゃないか。大体お前はいつもそうだ、考えなくていいことをいつまでもそうやってウジウジ考えて悩むから、いつまで経ってもロクな大人になれんのだ。

という心の声が、今しがた脳内に響いたような気がしますが、うん、そうですね、心の声氏の言うことも一理あります。

はい、サクサクいきましょう。

とりあえず

『ファンキーとかアーシーって何?』

今日はジャズ編ですね。

ジャズという音楽は、誕生してすぐにブルースという音楽を主な成分として成長してきました。

ブルースっていうのは、アフリカから奴隷としてアメリカに連れてこられた黒人達の子孫が、宗教音楽の”スピリチュアル”と共に、心のよりどころにしていた音楽で、言うなればアメリカ黒人の民俗音楽と言えるでしょう。

ブルースは歌とともに、ジャズは管楽器などをメインに添えたインストの多い音楽として、時に寄り添いながら、時に独自の道を歩みながら発展していった訳なんですが、戦後になるとジャズの世界でビ・バップという新しいスタイルが誕生し、ジャズは古い概念を次々と脱ぎ捨てて凄まじいスピードで進化してゆく音楽となり、この時点でその大元であるブルースとは、かなり隔たったところで鳴り響いているものでした。

ビ・バップというのは一言でいえば、コードの複雑化、フレーズの高速化などによって、元々持っていた娯楽性の高い部分をそのままに、鑑賞音楽としての芸術性を高めることにシフトしていったジャズであるといえるでしょう。

これが1940年代半ばから1950年代初頭にかけて行われたんですが、1950年代中頃には、若いプレイヤー達の中から

「なぁ、ジャズがどんどん難しいものになっていったら、お客さんにあんまウケないよなぁ。もっとこう、色んな人が楽しめて、かつ聴いてカッコイイものを作ろうや」

みたいな流れがぼちぼち出てきます。

この中心におったのが、当時”ジャズ・メッセンジャーズ”というバンドでブイブイ言わせておったアート・ブレイキーとホレス・シルヴァーであります。

二人はドラマーとピアニストとして

「キャッチ―で、バンド全体がノレるような曲」

を、ガンガン作って演奏しておりました。

彼らが思うところの「キャッチ―」つまり”バンドの演奏にお客さんが一体になって盛り上がれるイメージ”というのは、実はジャズのステージではなく、彼らが幼い頃から親しんでいた教会でのリヴァイバル、つまりゴスペルのコンサートにその究極があったわけです。

ゴスペルというのは、まず牧師さんが聖書の言葉なんかを引用して、お話をします(これを”説教”といいます)。

段々その説教に熱が入ってくると、自然と歌っぽくなるんですね。

で、そのリズムに合わせてオルガンが「ミャ〜」っとコードを鳴らしたりする。

そうすると牧師さんの説教がますます歌っぽくなる、つうかそこでゴスペルの有名な曲とかのフレーズに説教を合わせて歌う訳です。

そしたら今度はギターやらドラムやらが絡んできて、もう完全に”ライヴ”のノリになってくる。

ここで重要なのはお客さんです。

お客さんは牧師さんの説教の段階で、既に

「そうだ!」

とか

「神よ!」

とか、そういう愛の手を入れて、牧師さんの”ライヴ”に参加しとるんです。

牧師さんが何か言えば、熱狂した聴衆がアツく応える。

これ、ちょっと味方を変えてこんな風にしてみましょう。

「オーイェー、ノッてるかーい!」

「イェ〜イ!」

「お前ら今日は最高だぜ!」

「ワー!」

「オーケー、じゃあ次の曲は〇〇だ。サビのとこ一緒に歌ってくれよな」

「イェーイ!パチパチパチ」

(ズンダカダカダカダカダカダンダン・・・)

(サビ)

「イェーイ〇×▲※!」

「〇×▲※〇×▲※※!!」


・・・ちょっとアレですが、はい、こういうのってよくロックのコンサートとかでも見る光景ですね。

実はコレも、ずーーーーーっと源流をたどってゆくとこのゴスペルの「よびかけ」と「応答」に行き当たります。

これを専門用語で

コール・アンド・レスポンス

といいます。

よくよく聴いてみると、ジャズの曲にはこのコール&レスポンスを上手に演奏の中に取り入れた曲が多い。

例えばメインになるテーマ部分で、管楽器がワン・フレーズを弾いて、それをバックが返すとか、或いは管楽器同士でそれをやって、各自のアドリブに入ってゆくとか、そういった感じで使われますが、とにかくこの、ゴスペル由来のコール&レスポンスがメインテーマの主になっている曲というのは、聴いていて気分がムクムクと盛り上がる、ちょいと一杯クイッとやりながら「イェ〜イ」と、聴いてるこっちも合いの手を入れたくなる曲、つまりファンキーな曲が多い訳であります。


さぁ皆様、実はモダン・ジャズにおいては”ファンキーこの1曲!”というものがございます。

ここまでくればもう勘のいい方ならお分かりと思いますが、モダン・ジャズで最も有名な曲と言われている、アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズの『モーニン』です。



このメインテーマ、最初にピアノが奏でるのが”コール”で、その後管楽器が「パー、パッ♪」とやってるのが”レスポンス”。次の小節では管楽器がコールをやってピアノがレスポンスしている。いや、見事ですね、実にカッコイイ。

1950年代半ば以降のハード・バップと呼ばれる音楽が目指していたのは、このワン・フレーズに凝縮されているような

・シンプルで、かつ完成度の高いカッコ良さ

だったんです。

ほんで、今日はこの曲「モーニン」の作曲者、ピアノのボビー・ティモンズのアルバムをご紹介しましょう。




【パーソネル】
ボビー・ティモンズ(p)
サム・ジョーンズ(b,@AC〜H)
ジミー・コブ(ds,@AC〜H)

【収録曲】
1.ジス・ヒア
2.モーニン
3.ラッシュ・ライフ
4.ザ・パーティ・イズ・オーヴァー
5.プレリュード・トゥ・ア・キス
6.ダット・デア
7.マイ・ファニー・ヴァレンタイン
8.降っても晴れても
9.ジョイ・ライド


何で「モーニン」が入ってるアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズのアルバムじゃなくて、ピアノのボビー・ティモンズのアルバムなのか?それはここ数日アタシが「く〜、カッコイイなぁ」と思いながら聴きまくっていたからです。

それと、このアルバムこそがピアノ・トリオという最小限の編成の中に凝縮された”ファンキー”つまり、オシャレでスタイリッシュでかっこいい黒人音楽のカッコ良さが、ジャズを好きな人にも、まだそんなに好きでもない人にも十分に伝わる形でしっかりと楽しめるからなんです。

ボビー・ティモンズは1956年にケニー・ドーハムの”ジャズ・プロフェット”に参加して、その後アート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズに参加して、名曲名演を数多く残しております。

バンドでの彼は、決して派手に前に飛び出さず、フロントのバックで実に職人魂溢れる、小粋なプレイを身上としておりました。

だから彼がバックでピアノを弾くと、バンド全体の演奏がキリッと締まるんです。

で、このアルバムは1960年に録音された、ティモンズにとっての初めてのリーダー作。

バックにベース、ドラムスを従えたティモンズのプレイはどうなんだろうと言いますと、これが実に粋でイナセな”都会の夜”を思わせる、渋い味わいに満ちた素晴らしいアルバムです。

注目曲はやはり「モーニン」でしょう。

コール&レスポンスで盛り上がるために作られたこの曲ですが、ティモンズはピアノでコールとレスポンスを一人演じながら、濃厚ななブラックコーヒーのようなプレイで聴かせます。

テーマからジワジワと盛り上がるアドリブも、決して勢いに任せたりはせず、じっくりと腰を据えて鍵盤の一打に内側に持っている”ブルース”を込めながら、ジワジワとアドリブで熱く盛り上がってゆく。

いいですねぇ、これですよ、これを”ファンキー”と言わずして何と言いましょう。

とにかくこの曲が聴ければ、それでもうアルバム一枚買うだけの価値があるぐらいの「モーニン」のカッコ良さですが、伴奏なしのソロで弾く「ラッシュ・ライフ」や、バラードの「マイ・ファニー・バレンタイン」なんかも、すこぶる沁みる名演です。

散々”ファンキー”と言っておりますが、アタシはこの人の魅力は、トリオでもフルバンドでも、良い感じの味わいになっている”抑えた音のカッコ良さ”にあると思います。

例えばブルースだったら、粘り気のあるフレーズをしつこく繰り返したり、どこまでも引き延ばすところが味です。でも、洗練と共に進化してきた都会の音楽であるところのモダン・ジャズでは、繰り返せるところや伸ばせるところをどこでキレよく寸止めにするか、つまり引き算で演奏するかが、その演奏者のセンスになってきます。

そういう意味でティモンズは天才的なセンスの塊ですし、彼のピアノそのものに、この時代のモダン・ジャズ(ハード・バップ)のカッコ良さが、とても伝わりやすい形で詰まっております。


ともかく「ピアノでジャズな気分を味わいたい」という方、これは長くお手元に置いておける一枚ですぞ。



『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
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posted by サウンズパル at 19:20| Comment(0) | ジャズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月01日

ミルフォード・グレイヴス Grand Unification

1.jpg
Milford Graves/Grand Unification
(Tzadic)


『人々は美味しいものが食べたいとか、綺麗な景色が見たいとか、目や口に入れるもののことはとても気にする。だが耳に入れるものに関しては驚くほど無関心だ。目や口に入れるものと同じぐらい、耳に入れる音楽は重要だ』(ミルフォード・グレイヴス)



よく「音楽には特別な力がある」とか「音楽で救われる」とかいう話がありまして、こういう話をすると人はすぐ、やれスピリチュアル系だとか意識高い系だとか言いますが、アタシはこういった話、信じています。

というよりも「特別な力がある」とか、そういう大袈裟な話にしなくても、ホンモノのグッド・ミュージックには、聴く人に「あぁ、これいいね。。。」と、特別な感情を抱かせるものですし、或いは個人個人の思い出なんかと密接にリンクして、人生語る時にはなくてはならないものだったりします。

つまり「音楽には特別な、たとえば人を救うぐらいの力があって当たり前」だと思うんです。

当たり前のことをいちいち言葉で飾って言わなくてもいい。でも、グッド・ミュージックを聴いてたまに胸の内でそういったことについて深く考察してみるのもいいのでは?

という訳で、何でいきなりこういう説教臭いことを書いているのかと言いますと、ミルフォード・グレイヴスを聴いてるんですね。

えぇ、ミルフォード・グレイヴスという人はジャズ・ドラマーであり、特に過激と言われるフリー・ジャズの世界に長年身を置いて、同時にジャンルにはこだわらないパーカッショニストとして、音楽を演奏するということはもとより「音楽と肉体や精神との関係」というテーマを真面目に考察し、体育、哲学、医学とパーカッション・ミュージックとの融合も真剣に、現実的な課題として捉え、積極的な活動をしてきた人です。

1941年にニューヨークで生まれ、60年代にはジョン・チカイ、ラズウェル・ラッド、レジー・ワークマンらと前衛ジャズの画期的なユニット”ニューヨーク・アート・カルテット”を結成し、アルバート・アイラーやジュゼッピ・ローガン、などのアルバムに参加して、一躍”フリー・ジャズの代表的なドラマー”の一人として脚光を浴びておりましたが、彼のドラミングは当初から、激しく感情を炸裂させるパワー・プレイではなく、自由なリズム展開でありながら、独特の柔らかくしなやかな打ち方と”間”を活かした空間全体を大きく呼吸させるような、そんな解放感すら感じさせるプレイが特徴的でした。

1977年には日本のフリー・ジャズ・ミュージシャンらとの共演のために来日して、阿部薫や近藤等則らとレコーディングも行います(この時作成されたアルバムが「メディテイション・アマング・アス」という名盤なんですが、この話はまた後の機会に...)。

そん時に”フリー・ジャズだ!”と、感情に任せてギャー!!とやっている日本のミュージシャン達の音を聴いて一言

「No,Not Free」

つまり、お前たちの音楽は激しくて力強いけれども、そこに自由は感じないんだと。

この話を聞いて「あ、この人はカッコイイな」と思いました。

ただの外国の偉いミュージシャンが日本に来て、エラそうに説教タレたんじゃなくて、音楽の可能性を引き出そうとして放った一言であったことは、それまでのミルフォードのドラムを聴いていたからすんなり理解できました。

「自由」

というものを音楽で表現する時は、それはもう生半可な気持ちではできない、意識を魂の根っこまで集中させて、そこにある不自由の元みたいなものを解き放つ音楽をやらなきゃいけない。という考えで音楽をやっているミルフォードは、人にも厳しいですが、自分自身にはもっと厳しいんです。

『この物質文明の社会においては、精神的なもの霊的なものが疎まれている。あらゆるものが物質的なものとしてとらえられている。例えばリズムがそうだ。それは人間やあらゆる生命体とこの自然、宇宙を反映させた生命力の表われとそのヴァイブレイションの法則なのだ』


ちょっと他の人が言えば実に胡散臭い言葉かも知れませんが(実際アタシも周囲の誰か大したことない素人が言ってたら空手チョップぐらい喰らわせそうになると思いますが)、ミルフォードはこういった自身の思想を具現化するために、規則正しい生活と節制を心がけるところから始まって、音楽理論、歴史、文学、哲学、医学、政治、宗教、物理学に至るまでの全ての学問に音楽のヒントとなることを求め、太鼓の皮の張り方やドラムのチューニングひとつひとつにも「聴く人間の心と体に作用する方法」で行うように気を配っていると言いますからやはり大したもんです。

彼の発言は本当に勉強になり、思考に良い刺激を与えてくれるワードの宝庫なんですが、直接引用するととても次元が高過ぎてそれなりの勉強を要しますので、まとめとして簡単にしたものがコレ↓

『古代アフリカでは、音楽というのは言葉以上のコミュニケーションの手段だったんだよ。嬉しい、悲しい、苦しい、楽しい、その他あらゆる感情を太鼓を使って相手に伝えることが出来た。何故なら文明によって作られた余計なものがなく、みんな自然体で人の心の精妙なゆらぎも理解できていたし、雨が降るとかあそこに動物がいるとか、そういったことも普通に理解できていたからだ。今の文明社会は余計なものが多過ぎて、音楽も抑圧されて死んだ音楽になっているから、そういったものとは真逆にある”生きている音楽”を作ることが僕たちミュージシャンの使命なんだ』




(作家、立松和平との対談で、とてもいいことを言ってます。ちょっと長いのですが時間のある時にでも)





【パーソネル】
ミルフォード・グレイヴス(ds,perc,voice)

【収録曲】
1.Grand Unification
2.Transcriptions
3.Gathering
4.Decisive Moments
5.Memory
6.Know Your Place
7.Intuitive Transformation
8.Transcendence


ミルフォードの「他の人と共演した名盤」はいっぱいあって、特にアルバート・アイラーの「ラヴ・クライ」とか、ジュゼッピ・ローガンの「ジュゼッピ・ローガン・カルテット」なんか本当にカッコイイんですが、彼のパーカッショニストとしての凄さ、表現者としての哲学の深さを聴きたきゃこのパーカッション・ソロ・アルバムでしょう。

全編ミルフォードが様々なリズムを駆使して叩く、アフリカン・パーカションと、彼自身のヴォイス”だけ”なんですが、しなやかなタッチで、まるでメロディ楽器を奏でているような、ストーリー性を持ったリズム、それが演奏の中で様々な形に変化しながら、気が付けば聴く人の意識を優しく包み込んで、えも言えぬ豊かなグルーヴに、知らぬ間に引き込んで躍動させる。

正直「パーカッション・ソロなんて退屈なだけなんじゃないかなぁ・・・」と思っていましたが、それ以前に耳に全然キツくないこのフリーな音楽を、一枚流して聴いた後、特に何も考えてないのに、感想が言葉として出てくる前に、体が何かほんわか喜んでいるんですよ。

音楽聴いて頭で理解する前に体が喜ぶ。

うん、本当は当たり前のことなんですが、それをメロディとか詞とか、他の楽器の装飾とかなーんもなしで、太鼓と声だけで感じさせるミルフォード、本当に凄い。凄いんですよ。

だからこれをジャズだとかフリー・ミュージックだとか、そういう風に意識して聴くのはよろしくないですね。「イカすグルーヴ」とユルく思って聴きましょう。確実に楽しいです♪










『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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