2017年11月08日

スティーヴ・キューン・トリオ スリー・ウェイヴス

6.jpg

スティーヴ・キューン・トリオ/スリー・ウェイヴス
(Contact/Solid)

さて、本日は良い感じに秋の雨がしとしとと降っておりますので、引き続き”アタシの大好きな美しいジャズ・ピアノ”をご紹介致します。

あのですね、えっとですね、アタシには「雨の日はこの人を聴くぞ!」というピアニストがおりまして、それがスティーヴ・キューンという人なんですね。

コノ人との最初の出会いは、ECMというドイツのレーベルに興味を持ったことから始まります。

このレーベルは、それまでアタシが慣れ親しんでいたアメリカのジャズとは明らかに質感の違う、いかにもヨーロッパな、しんとした空気の静寂感と、ミュージシャン達による美学の結晶のような、どこまでも繊細で透明な演奏がとても魅力でした。

有名どころではキース・ジャレットの『ケルン・コンサート』とかチック・コリアの『リターン・トゥ・フォーエヴァー』とか、その辺がありますが、アタシの場合は上記2枚他キース・ジャレットの繋がりで色々と知らないアーティストのアルバムを買い集めていって、クラシックの作曲家、アルヴォ・ペルトという人の『アリーナ』という、それまで聴いたことのなかったような無駄のない美と安らぎに満ちた究極の一枚を知ってからというもの、すっかりECMに夢中になっておりました。


(静謐なものが好きな方はぜひともこのアルバムを一度は聴いてみてください)


そんなこんなでスティーヴ・キューンの『リメンバリング・トゥモロウ』というアルバムと出会う訳です。

モノクロの、何の風景か分からないようなポートレイトが、いかにもジャズっぽくなくて、何かありそうな気がしてふと手にしただけだったんですが、そこで聴いたピアノは、いわゆるモダン・ジャズの演奏スタイルからハッキリと”違うどこか”に立脚している、すこぶるクールで研ぎ澄まされた美を感じさせるものでした。




ビートは現代的な感じで、ピアノのフレーズは銀色の抽象画を観ているような、音楽で確実にここではない幻想的な世界を描いているキューン。

で、その後にアート・ファーマーの『ブルースをそっと歌って』。こっちはアート・ファーマーというバリバリに王道なモダン・ジャズ・トランぺッターのバックで、端正な”ジャズ”の4ビートで上品にバッキングしていると思ったら、突如キレて雪崩を起こしたり、冷静にトランペットのソロを引き立てながら、よくよく聴くとかなりトンガッたことをやっている(でも、パッと聴きはとてもエレガントに思える)このピアノ・トリオが、スティーヴ・キューン(p)、スティーヴ・スワロウ(b)、ピート・ラ・ロカ(ds)という、最初期のスティーヴ・キューン・トリオだということを知って、これはもう運命だから、覚悟を決めてこの人の音楽と付き合うしかない。そこまで思いました。

時は1990年代後半、丁度タイミングのいいことに、我が国のヴィーナス・レーベルからも何枚か趣味のいいピアノ・トリオ・アルバムを立て続けにリリースしていたこともあって、”スティーヴ・キューン”という名前はすぐに覚えることが出来ました。

気になったら調べ上げねばならない性格でありますので、バイオグラフィ的なことも本で調べたら、

・1938年ニューヨーク生まれのニューヨーク育ち、ヨーロッパ人だと思ったらバリバリのニューヨーカー

・小さい頃からピアノを習っていたけれど、バリトン・サックス奏者、サージ・チャロフ(ジャズマンよ♪)のお母さんのマーガレット・チャロフという人に習っていたことから、早くからジャズに目覚める。

・10代の頃にはクラブで演奏していたコールマン・ホーキンスやチェット・ベイカーなど、ジャズの”正統派な人気アーティスト”達と共演するなど、実は根っこにはスウィング〜モダンの王道ジャズが深くある。

・このまんまプロとして”趣味良くスウィングする若手白人ピアニスト”としてデビューしても良かったけど、何故か勉強に励み、ハーバード大学に入学して卒業している。理由は「文学を勉強したかったから」。

・卒業後は恐らく文学に毒されたんだろう、1950年代末にオーネット・コールマンやドン・チェリーなど、当時”前衛”と呼ばれていたフリー・ジャズ系ミュージシャンとコンサートで共演。多分感触は良かった。本人も「人とは何か違うスタイルを打ち立ててやろう」と大いに思った。

・で、今度は「革新的なスタイルで常識を打ち破る若手前衛ピアニスト」となるつもりが、スタン・ゲッツ、ゲイリー・マクファーランド、ケニー・ドーハム、ジョン・コルトレーン、アート・ファーマーと、やっぱり当時の王道をゆく大物達のグループに渡り歩いている。

・と、思いきや、スタン・ゲッツ、ジョン・コルトレーンのグループには、入ってすぐに数回のセッションでクビになっている。色んな話を総合すると「やっぱりサイドマンでありながら”何かを美しくブチ壊してやろう”という衝動が勝ってしまい、リーダーの指示に従わなかった」ことが原因らしい。ケニー・ドーハムはよくわからんが、アート・ファーマーはぶっちゃけいい人だったから、アルバムでも割と好きにさせた。その結果が『ブルースをそっと歌って』でのはっちゃけ。

はい、この人の前半生を一言でいえば”ニヒルなインテリの生き方”そのものでしょうね。

何だか音を聴いてバイオグラフィーを読むと、自分の中に表現のコアみたいなもんが、割と早いうちからあって、その中に絶対的な美を見出そうとして突き進んでいた。その突進はちょっとやそっとでは止まらずに(てか止まれずに)、バンドリーダーなどとはそのことが原因で対立したり、問答無用でクビになったりしたけれど、それぐらいでは僕の美への探究は収まらないんだ。なぜなら美しいものが全てだから。こんな感じでしょうね。

表現のために妥協をしない、そういうタイプですので確実に孤独に陥りがちなタイプなんですが、彼には同じような性質を持つ、心強いお友達がおりました。

それが、最初にトリオを組んだドラマーのピート・ラ・ロカたんです。

ラ・ロカについてはもうアタシ、大好きであちこちに書いてますけど、それはともかく彼もまたハッキリとそれと分かるクセを持っている人でした。で、自身も後に司法試験に受かって弁護士になるよーな人でありますので「ボクは曲げないぞー、自分に自信があるから」というような気持ちで、相手がどこの誰であろうが、ドラム・スタイルを変えなかった人ですね。

それがたまたまピタッとハマッたのがドン・フリードマンの『サークル・ワルツ』。ハマらなかったのがコルトレーン・バンドでの活動でしょう。

そう、キューンとラ・ロカは、共にコルトレーンのバンドに参加しましたが、参加してほんの少しで、キューン、ラ・ロカの順番であえなくクビにされてるんです。

これは彼らがヘタクソだったとか、センスがなかったからでは決してなくて、ワン&オンリーな自分の世界観を共に作っていけるメンバーが欲しかったコルトレーンとの相性の問題だったと思います(実際ラ・ロカとコルトレーン唯一の共演盤は、噛み合ってないけど演奏は最高にアツいもんね♪)。


で、コルレーンのバンドをクビになって、バーのカウンターで

「ロカ、君もクビになったのか」

「うん、そうだね。ライヴの後コルトレーンにさ”ピート、ちょっと話がある”って言われるから言ったらさ”分かるかい?俺は君の目指してるのとは違う音楽がやりたいんだよ”なんてジョンはモゴモゴ遠回しに言うんだ」

「そうか、奇遇だねぇ。僕ん時もそうだった。で、君何て言ったの?」

「しょうがないから”僕はスタイルを崩すつもりはありません”って言ったんだ。そしたら”そうか、わかった”つって、カウンターに僕の分のギャラとドリンク代を置いてそれっきりさ」

「一緒だね」

「うん、一緒だ。でもスティーヴ、ジョンがやりたい音楽をやりたいって言うんならしょうがないよね。思うに彼には僕の鋭角なリズムは理解できなかったんだと思うんだよ」

「そうだね、ジョンには理解できない。僕のリリシズムに溢れた哲学的なピアノも、彼には少し難し過ぎたと思うんだよね」

「じゃあ僕達が早過ぎたんだね」

「そうとしか考えられないよね、思うにジョンには罪はない」

「確かに。ところでスティーヴ、君、これから行くアテはあるかい?アート・ファーマーが一緒にどうだ?って言ってるんだよ」

「アートか、彼はジョンよりもオーソドックスな...言い方は悪いが保守的なトランぺッターじゃないのかい?」

「そうなんだが”ある程度は好きにやっていい”ってニコニコしながら言うんだな。知的でスタイリッシュなトリオが欲しいと」

「それはきっと僕達しか務まらないね」

「じゃあ行こうか」

「うん、そうだね」

と、実にポジティヴな展開から(うん、多分・汗)、彼らはアート・ファーマーの新バンドに行きました。

その時2人の隣で(うんうん、そうだ)と頷いていたのが、ベースのスティーヴ・スワロウ。

言い忘れてましたが、この人も”相当”です。

寡黙なくせに、上手に他の音と折り合いを付けながら、いつの間にかウニョウニョとアブストラクトなフレーズでもって、リズムを上手に溶かしながら、演奏全体を”どこへ行くか分からないアンニュイなスリル”の色に染め上げる変態...いや、名人です。

この3人はアレと似てます、ルパンV世のルパンと次元と五エ衛門です。

キューンとラ・ロカはルパン的なところと次元的なところを両方持つ、大胆で突拍子もない人達ですが、スワロウは間違いなく五ェ衛門です。何を考えてるかわかんないけど、することは一番おかしいという・・・。





【パーソネル】
スティーヴ・キューン(p)
スティーヴ・スワロウ(b)
ピート・ラ・ロカ(ds)

【収録曲】
1.アイダ・ルピノ
2.アー・ムーア
3.トゥデイ・アイム・ア・マン
4.メモリー
5.ホワイ・ディド・アイ・チューズ・ユー?
6.スリー・ウェイヴズ
7.ネヴァー・レット・ミー・ゴー
8.ビッツ・アンド・ピーセズ
9.コッド・ピース


とまれ、コルトレーンを経て、ファーマーを経て、3人が

ラ・ロカ「やったね、ファーマーのアルバムはなかなかいい感じだよ」

キューン「やっぱり僕達の表現の方向性に間違いはなかったんだよ、ファーマーも僕達をいい感じでサポートしてくれたよね」

スワロウ「(うんうん、そうだそうだ)」

アタシ(おいお前たち、ファーマーがリーダーのアルバムだぞ...。)

と、天然ポジティヴ最高潮になった時、ようやく満を持して”スティーヴ・キューン・トリオ”として制作/発表したのがこのアルバム。

一言で言うと「やりたい放題」です。

とは言っても、決してフリーで前衛でイケイケでバリバリのことをやっている訳ではない、3人のコンセプトはあくまでも”美”です。

キューンのピアノを中心に、どこまでも硬質で温度のない、まるで精巧なガラス細工のような透明な音楽が、奏でられ、胸が詰まるほどの香気を放ち、そして美しく散らされる。

あぁ、もうね...。何て言いますかね。

アタシは”美しいピアノ”ってのは、たとえばビル・エヴァンスや、昨日紹介したドン・フリードマンみたいに、端正込めた上質なメロディを、丁寧に丁寧に、たっぷりの詩情を絡めて紡いでゆくもんだと思っていたんです。

でもね、キューンの場合は、不意に狂気のスイッチが入って、その美しいメロディを「ガーン!」「バーン!」と破壊しちゃうんですよ。破壊とまではいかなくても、感極まった果てに執拗に同じフレーズをガッコンガッコン繰り返して、空間からどんどん血の気が引いてゆく、そして一通りの「ガーン!」が終わった後の静寂の”間”に、メロディーの残骸がキラキラ美しく舞っている。

いわばこれ”ほろびの美”です。

さっき”不意に狂気のスイッチが入って”と言いましたが、今このスリー・ウェイヴス聴いてると、キューンは最初から狂気全開にして弾いてるし、スワロウもラ・ロカも完全にそれに乗っかってて、狂気×3の完璧なヤバいコンビネーションでこれ、最初から最後まで演奏が流れてく。

ところがどっこいどこをどう聴いても「あぁ、これすごくメロディアスだ...」と、感動のため息しか出て来んのですよね。こんだけ激しく音を散らせているのに、どこにもメロディの破綻はなくて、完璧だとしか思えない。

考えてみればキューンのピアノって、この時期の「ジャズ崩すべぇか♪」な音も、ECMとかでやってた抽象幻想画な演奏も、最近のひたすら甘美なスタンダードも、一切のブレがなく、全部”美しい”の一言にスーッと着地できちゃう。”美しい”と言うには余りにも情感が過ぎて幻想が過ぎて甘美が過ぎるのかも知れませんけど、やはり一言でいえば”美しい”なんです。そう言えちゃうんです。相当に凄いことだと思うんですが、こういうのって一体何て言うんでしょう。


"スティーヴ・キューン"関連記事




『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 19:35| Comment(0) | ジャズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月06日

ドン・フリードマン サークル・ワルツ

1.jpg
ドン・フリードマン/サークル・ワルツ
(Riverside/ユニバーサル)


昨日はボビー・ティモンズ『ディス・ヒア』を皆さんにご紹介しながら、ジャズにおける”ファンキー”とは何か?ということをお話ししましたので、本日はモダン・ジャズが成熟を極めた1960年代、今度はファンキーに代表される”ノリを求めるベクトル”のジャズとは真逆の方向から”鑑賞音楽としての質を重視したジャズ”というものについてお話しましょう。

ちょいとのっけから難しいことをのたまってしまったような気がしますが、コレはつまりアレです。ノリがいいのばっかり聴いてると「あー、何かこうメロディアスなやつも聴きたいね〜」と思うのが人情で、ジャズの世界にもそういうのがあったんですね。クラブでワイワイ言いながら聴くジャズもいいけど、家で静かにレコードで楽しみたいなぁとか、はい、そういうやつです。

具体的にいえば、クラシック音楽の耽美性を、ジャズ・ピアノの表現手法に大々的に盛り込んだスタイル。

とくれば、まず思い浮かぶのがビル・エヴァンスですね。

もちろんクラシックからの影響は、戦前からジャズの中に深く食い込んでおりましたし、モダン・ジャズ黎明期には、レニー・トリスターノというパイオニアがおりますが、エヴァンスはトリスターノの”クール”と呼ばれる水も漏らさないようなストイックな表現に、情緒の甘い毒を上手に絡めて「それを求める人誰もが感動できるようなピアノ表現」というものを大成させたんです。

ジャズ・ピアノの分野では”エヴァンス以降”あるいは”エヴァンス派”と呼ばれる一群がいて、今もこの流れを汲む人達の人気は非常に高いです。良いアーティストはたくさんおりますし、良い作品も多くあります。いずれも耽美でウットリするような美しい表現に秀でた人、多くおります。

知的でカッコ良くて、心の奥底の切ない部分をヒリリと刺激してくれる、そんなジャズ・ピアノが聴きたいという方のために、本日はこの界隈を代表する人の美しいアルバムをご紹介しましょうね、というわけでドン・フリードマンです。

6.jpg

2016年に亡くなるまで、スタイルを変えることなく活動していた人なので、画像検索したら近年のとっても上品な老ジェントルマンな写真がたくさん出てきます。いいですよね、いかにも芸術家という感じがそのお姿からも滲み出ていて実にカッコイイ♪

この人は”エヴァンス派”の筆頭と呼ばれるピアニストで、耽美なメロディ重視のプレイ・スタイルは正にエヴァンスとの共通点をいっぱい見出すことが出来ますが、年齢的にはエヴァンスと同世代であり、幼い頃からガッツリクラシックを学んでいる(元々ジャズではなく、クラシックのピアニスト志望だった)そのやり方をあくまで自分なりにジャズ表現として寡黙に磨いてきた人であります。

ついでに言えばこの人のピアノ、最初は「お、これはビル・エヴァンスみたいでかっこいいね」となりますが、じっくりと聴けば聴く程、この人にしかないオリジナリティの虜になってしまって、正直アタシは「うん、この人はエヴァンス派というよりは、同時代にたまたま近いスタイルでもって世に出てきたライバルと言っていいんじゃないか」と思っております。



【パーソネル】
ドン・フリードマン(p)
チャック・イスラエル(b,@〜DF)
ピート・ラ・ロカ(ds,@〜DF)

【収録曲】
1.サークル・ワルツ
2.シーズ・ブリーズ
3.アイ・ヒア・ア・ラプソディ
4.イン・ユア・オウン・スウィート・ウェイ
5.ラヴズ・パーティング
6.ソー・イン・ラヴ
7.モーズ・ピヴォティング

この人の代表的名盤と呼ばれ、発売から50年以上経った現在も、多くのピアノ・ファンに聴かれ続けているのが、1962年録音の『サークル・ワルツ』であります。

全編美しく滑らかなタッチで奏でられるピアノと、ビル・エヴァンス・トリオ二代目ベーシストとして活躍したチャック・イスラエルの憂いのあるベース、そしてアタシ個人的に好きなドラマーNo.1のピート・ラ・ロカの鋭利な切れ味のドラムによるトリオ編成で、えも言えぬ幻想美に彩られた世界が描かれております。

一言でいえば「知的でロマンチック」たとえば一曲目『サークル・ワルツ』、イントロからどこか物哀しいメロディが躍動しながら立ち上がる瞬間の感動や、ハイ・テンポながらもそのアドリブにはふんだんに抒情が盛り込まれていて、聴く人の意識をどこか知らない”遠く”へ誘ってくれる『シーズ・ブリーズ』、静かなイントロからベース、ドラムが入ると加速して香気を振りまいてゆく『アイ・ヒアー・ア・ラプソディ』と、冒頭3曲だけでも、「はぁ美しい、はぁぁ美しい...」が止まりません。

中盤以降もその詩情の質を高純度で維持しながら、アルバム一枚分の憧憬をじっくり聴かせるフリードマンですが、後半に無伴奏ソロで奏でられる『ソー・イン・ラヴ』がクライマックスでしょう。穏やかなイントロ、急加速するアドリブ、そしてヒリヒリした余韻を残しながら消えてゆく何か...。これぞリリシズム!と、何度聴いても感動がこぼれて上手く言葉になりません。

特に素晴らしいのが、メロディアスに展開してゆくピアノのメロディーに、ピッタリ息を合わせ、歌うようにリズムを変化させてゆく、ピート・ラ・ロカのドラムです。

ラ・ロカといえば、以前にもジョン・コルトレーンの『Live At The Jazz Gallarey』でご紹介したように、個性的な管楽器奏者との共演においては、かなり独自のタイム感で、ある意味”かみ合わないところ”が魅力だったりします。

そんなラ・ロカがアタシはもう大好きなんですけど、このアルバムでのラ・ロカ、やっぱり絶妙な”間”と空白で、独自のアクセントを付けて叩いているんですが、その”間”と”空白”が、ピアノやベースの醸す抒情に、細かいところまでピタッ、ピタッと合わさるんですよ。

エヴァンスと違ってフリードマンの音色は、硬質で情緒に流されないところなんですが、そんなフリードマンの音色とも合った、細くしなやかなドラムの音も、いや本当に素晴らしい。



個人的に、ドン・フリードマンのアルバムで好みのものといえば、このアルバムより更に得意分野である現代音楽の方に踏み込んで、冷たい音で実験的なメロディーを紡いでゆくアルバムの方だったりするんですが、それでもやっぱり『サークル・ワルツ』を時折集中的に聴きたくなって、このアルバムにしかない、ひんやりと儚い抒情に浸りたくなるのは、やっぱりこのアルバムが作品としての”特別な何か”を持っているから。そして、どこをどう聴いても「最高に美しいジャズ・ピアノ作品」として、誰にオススメしても間違いがないからだと思うからであります。
















『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 18:40| Comment(0) | ジャズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月04日

ボビー・ティモンズ ジス・ヒア

6.jpgボビー・ティモンズ/ジス・ヒア
(Riverside/ユニバーサル)


ジャズやブルースなんかが好きで聴いておりますと

「イェ〜イ、ファンキーだね♪」

とか

「く〜、アーシーでたまらん」

とか

「ブルース・フィーリングがあるね〜」

とか

ゴキゲンなやつを聴いていると、ついそういう言葉が口を付いて出てくることがあります。

ブラック・ミュージックに思い入れのある方なら

「うんうん、わかるわかる。ファンキーでアーシーでブルース・フィーリング溢れてるやつはカッコイイよね」

と、大いに賛同してくださるところなんですが、かつてお店に来てくれたジャズ初心者のお客さんに

「何がファンキーなのか全然わかんない、アーシーって何?ブルース・フィーリングってむずかしい」

とツッコまれたことがありまして、あぁ、そうだよね、知らずに使っている専門用語が、初心者の人から見たら何だか難しくて壁が高いような感じに思えることってあるよね。と、大いに反省した記憶がございます。

で、アタシ自身もジャズやブルースやソウルにファンク。その辺を分かったようなつもりで聴いてはおりますが、ふと口から漏れるこれらの言葉が意味する本当のところって何だろうか?と考える日々です。

や、こういったことは理屈ではなく、単純に「これがファンキーだよ」と思うものを聴いて頂ければ良い、それを聴いた人が「イェ〜イ」ってなればそれがファンキーなんじゃないか。大体お前はいつもそうだ、考えなくていいことをいつまでもそうやってウジウジ考えて悩むから、いつまで経ってもロクな大人になれんのだ。

という心の声が、今しがた脳内に響いたような気がしますが、うん、そうですね、心の声氏の言うことも一理あります。

はい、サクサクいきましょう。

とりあえず

『ファンキーとかアーシーって何?』

今日はジャズ編ですね。

ジャズという音楽は、誕生してすぐにブルースという音楽を主な成分として成長してきました。

ブルースっていうのは、アフリカから奴隷としてアメリカに連れてこられた黒人達の子孫が、宗教音楽の”スピリチュアル”と共に、心のよりどころにしていた音楽で、言うなればアメリカ黒人の民俗音楽と言えるでしょう。

ブルースは歌とともに、ジャズは管楽器などをメインに添えたインストの多い音楽として、時に寄り添いながら、時に独自の道を歩みながら発展していった訳なんですが、戦後になるとジャズの世界でビ・バップという新しいスタイルが誕生し、ジャズは古い概念を次々と脱ぎ捨てて凄まじいスピードで進化してゆく音楽となり、この時点でその大元であるブルースとは、かなり隔たったところで鳴り響いているものでした。

ビ・バップというのは一言でいえば、コードの複雑化、フレーズの高速化などによって、元々持っていた娯楽性の高い部分をそのままに、鑑賞音楽としての芸術性を高めることにシフトしていったジャズであるといえるでしょう。

これが1940年代半ばから1950年代初頭にかけて行われたんですが、1950年代中頃には、若いプレイヤー達の中から

「なぁ、ジャズがどんどん難しいものになっていったら、お客さんにあんまウケないよなぁ。もっとこう、色んな人が楽しめて、かつ聴いてカッコイイものを作ろうや」

みたいな流れがぼちぼち出てきます。

この中心におったのが、当時”ジャズ・メッセンジャーズ”というバンドでブイブイ言わせておったアート・ブレイキーとホレス・シルヴァーであります。

二人はドラマーとピアニストとして

「キャッチ―で、バンド全体がノレるような曲」

を、ガンガン作って演奏しておりました。

彼らが思うところの「キャッチ―」つまり”バンドの演奏にお客さんが一体になって盛り上がれるイメージ”というのは、実はジャズのステージではなく、彼らが幼い頃から親しんでいた教会でのリヴァイバル、つまりゴスペルのコンサートにその究極があったわけです。

ゴスペルというのは、まず牧師さんが聖書の言葉なんかを引用して、お話をします(これを”説教”といいます)。

段々その説教に熱が入ってくると、自然と歌っぽくなるんですね。

で、そのリズムに合わせてオルガンが「ミャ〜」っとコードを鳴らしたりする。

そうすると牧師さんの説教がますます歌っぽくなる、つうかそこでゴスペルの有名な曲とかのフレーズに説教を合わせて歌う訳です。

そしたら今度はギターやらドラムやらが絡んできて、もう完全に”ライヴ”のノリになってくる。

ここで重要なのはお客さんです。

お客さんは牧師さんの説教の段階で、既に

「そうだ!」

とか

「神よ!」

とか、そういう愛の手を入れて、牧師さんの”ライヴ”に参加しとるんです。

牧師さんが何か言えば、熱狂した聴衆がアツく応える。

これ、ちょっと味方を変えてこんな風にしてみましょう。

「オーイェー、ノッてるかーい!」

「イェ〜イ!」

「お前ら今日は最高だぜ!」

「ワー!」

「オーケー、じゃあ次の曲は〇〇だ。サビのとこ一緒に歌ってくれよな」

「イェーイ!パチパチパチ」

(ズンダカダカダカダカダカダンダン・・・)

(サビ)

「イェーイ〇×▲※!」

「〇×▲※〇×▲※※!!」


・・・ちょっとアレですが、はい、こういうのってよくロックのコンサートとかでも見る光景ですね。

実はコレも、ずーーーーーっと源流をたどってゆくとこのゴスペルの「よびかけ」と「応答」に行き当たります。

これを専門用語で

コール・アンド・レスポンス

といいます。

よくよく聴いてみると、ジャズの曲にはこのコール&レスポンスを上手に演奏の中に取り入れた曲が多い。

例えばメインになるテーマ部分で、管楽器がワン・フレーズを弾いて、それをバックが返すとか、或いは管楽器同士でそれをやって、各自のアドリブに入ってゆくとか、そういった感じで使われますが、とにかくこの、ゴスペル由来のコール&レスポンスがメインテーマの主になっている曲というのは、聴いていて気分がムクムクと盛り上がる、ちょいと一杯クイッとやりながら「イェ〜イ」と、聴いてるこっちも合いの手を入れたくなる曲、つまりファンキーな曲が多い訳であります。


さぁ皆様、実はモダン・ジャズにおいては”ファンキーこの1曲!”というものがございます。

ここまでくればもう勘のいい方ならお分かりと思いますが、モダン・ジャズで最も有名な曲と言われている、アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズの『モーニン』です。



このメインテーマ、最初にピアノが奏でるのが”コール”で、その後管楽器が「パー、パッ♪」とやってるのが”レスポンス”。次の小節では管楽器がコールをやってピアノがレスポンスしている。いや、見事ですね、実にカッコイイ。

1950年代半ば以降のハード・バップと呼ばれる音楽が目指していたのは、このワン・フレーズに凝縮されているような

・シンプルで、かつ完成度の高いカッコ良さ

だったんです。

ほんで、今日はこの曲「モーニン」の作曲者、ピアノのボビー・ティモンズのアルバムをご紹介しましょう。




【パーソネル】
ボビー・ティモンズ(p)
サム・ジョーンズ(b,@AC〜H)
ジミー・コブ(ds,@AC〜H)

【収録曲】
1.ジス・ヒア
2.モーニン
3.ラッシュ・ライフ
4.ザ・パーティ・イズ・オーヴァー
5.プレリュード・トゥ・ア・キス
6.ダット・デア
7.マイ・ファニー・ヴァレンタイン
8.降っても晴れても
9.ジョイ・ライド


何で「モーニン」が入ってるアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズのアルバムじゃなくて、ピアノのボビー・ティモンズのアルバムなのか?それはここ数日アタシが「く〜、カッコイイなぁ」と思いながら聴きまくっていたからです。

それと、このアルバムこそがピアノ・トリオという最小限の編成の中に凝縮された”ファンキー”つまり、オシャレでスタイリッシュでかっこいい黒人音楽のカッコ良さが、ジャズを好きな人にも、まだそんなに好きでもない人にも十分に伝わる形でしっかりと楽しめるからなんです。

ボビー・ティモンズは1956年にケニー・ドーハムの”ジャズ・プロフェット”に参加して、その後アート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズに参加して、名曲名演を数多く残しております。

バンドでの彼は、決して派手に前に飛び出さず、フロントのバックで実に職人魂溢れる、小粋なプレイを身上としておりました。

だから彼がバックでピアノを弾くと、バンド全体の演奏がキリッと締まるんです。

で、このアルバムは1960年に録音された、ティモンズにとっての初めてのリーダー作。

バックにベース、ドラムスを従えたティモンズのプレイはどうなんだろうと言いますと、これが実に粋でイナセな”都会の夜”を思わせる、渋い味わいに満ちた素晴らしいアルバムです。

注目曲はやはり「モーニン」でしょう。

コール&レスポンスで盛り上がるために作られたこの曲ですが、ティモンズはピアノでコールとレスポンスを一人演じながら、濃厚ななブラックコーヒーのようなプレイで聴かせます。

テーマからジワジワと盛り上がるアドリブも、決して勢いに任せたりはせず、じっくりと腰を据えて鍵盤の一打に内側に持っている”ブルース”を込めながら、ジワジワとアドリブで熱く盛り上がってゆく。

いいですねぇ、これですよ、これを”ファンキー”と言わずして何と言いましょう。

とにかくこの曲が聴ければ、それでもうアルバム一枚買うだけの価値があるぐらいの「モーニン」のカッコ良さですが、伴奏なしのソロで弾く「ラッシュ・ライフ」や、バラードの「マイ・ファニー・バレンタイン」なんかも、すこぶる沁みる名演です。

散々”ファンキー”と言っておりますが、アタシはこの人の魅力は、トリオでもフルバンドでも、良い感じの味わいになっている”抑えた音のカッコ良さ”にあると思います。

例えばブルースだったら、粘り気のあるフレーズをしつこく繰り返したり、どこまでも引き延ばすところが味です。でも、洗練と共に進化してきた都会の音楽であるところのモダン・ジャズでは、繰り返せるところや伸ばせるところをどこでキレよく寸止めにするか、つまり引き算で演奏するかが、その演奏者のセンスになってきます。

そういう意味でティモンズは天才的なセンスの塊ですし、彼のピアノそのものに、この時代のモダン・ジャズ(ハード・バップ)のカッコ良さが、とても伝わりやすい形で詰まっております。


ともかく「ピアノでジャズな気分を味わいたい」という方、これは長くお手元に置いておける一枚ですぞ。



『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 19:20| Comment(0) | ジャズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月01日

ミルフォード・グレイヴス Grand Unification

1.jpg
Milford Graves/Grand Unification
(Tzadic)


『人々は美味しいものが食べたいとか、綺麗な景色が見たいとか、目や口に入れるもののことはとても気にする。だが耳に入れるものに関しては驚くほど無関心だ。目や口に入れるものと同じぐらい、耳に入れる音楽は重要だ』(ミルフォード・グレイヴス)



よく「音楽には特別な力がある」とか「音楽で救われる」とかいう話がありまして、こういう話をすると人はすぐ、やれスピリチュアル系だとか意識高い系だとか言いますが、アタシはこういった話、信じています。

というよりも「特別な力がある」とか、そういう大袈裟な話にしなくても、ホンモノのグッド・ミュージックには、聴く人に「あぁ、これいいね。。。」と、特別な感情を抱かせるものですし、或いは個人個人の思い出なんかと密接にリンクして、人生語る時にはなくてはならないものだったりします。

つまり「音楽には特別な、たとえば人を救うぐらいの力があって当たり前」だと思うんです。

当たり前のことをいちいち言葉で飾って言わなくてもいい。でも、グッド・ミュージックを聴いてたまに胸の内でそういったことについて深く考察してみるのもいいのでは?

という訳で、何でいきなりこういう説教臭いことを書いているのかと言いますと、ミルフォード・グレイヴスを聴いてるんですね。

えぇ、ミルフォード・グレイヴスという人はジャズ・ドラマーであり、特に過激と言われるフリー・ジャズの世界に長年身を置いて、同時にジャンルにはこだわらないパーカッショニストとして、音楽を演奏するということはもとより「音楽と肉体や精神との関係」というテーマを真面目に考察し、体育、哲学、医学とパーカッション・ミュージックとの融合も真剣に、現実的な課題として捉え、積極的な活動をしてきた人です。

1941年にニューヨークで生まれ、60年代にはジョン・チカイ、ラズウェル・ラッド、レジー・ワークマンらと前衛ジャズの画期的なユニット”ニューヨーク・アート・カルテット”を結成し、アルバート・アイラーやジュゼッピ・ローガン、などのアルバムに参加して、一躍”フリー・ジャズの代表的なドラマー”の一人として脚光を浴びておりましたが、彼のドラミングは当初から、激しく感情を炸裂させるパワー・プレイではなく、自由なリズム展開でありながら、独特の柔らかくしなやかな打ち方と”間”を活かした空間全体を大きく呼吸させるような、そんな解放感すら感じさせるプレイが特徴的でした。

1977年には日本のフリー・ジャズ・ミュージシャンらとの共演のために来日して、阿部薫や近藤等則らとレコーディングも行います(この時作成されたアルバムが「メディテイション・アマング・アス」という名盤なんですが、この話はまた後の機会に...)。

そん時に”フリー・ジャズだ!”と、感情に任せてギャー!!とやっている日本のミュージシャン達の音を聴いて一言

「No,Not Free」

つまり、お前たちの音楽は激しくて力強いけれども、そこに自由は感じないんだと。

この話を聞いて「あ、この人はカッコイイな」と思いました。

ただの外国の偉いミュージシャンが日本に来て、エラそうに説教タレたんじゃなくて、音楽の可能性を引き出そうとして放った一言であったことは、それまでのミルフォードのドラムを聴いていたからすんなり理解できました。

「自由」

というものを音楽で表現する時は、それはもう生半可な気持ちではできない、意識を魂の根っこまで集中させて、そこにある不自由の元みたいなものを解き放つ音楽をやらなきゃいけない。という考えで音楽をやっているミルフォードは、人にも厳しいですが、自分自身にはもっと厳しいんです。

『この物質文明の社会においては、精神的なもの霊的なものが疎まれている。あらゆるものが物質的なものとしてとらえられている。例えばリズムがそうだ。それは人間やあらゆる生命体とこの自然、宇宙を反映させた生命力の表われとそのヴァイブレイションの法則なのだ』


ちょっと他の人が言えば実に胡散臭い言葉かも知れませんが(実際アタシも周囲の誰か大したことない素人が言ってたら空手チョップぐらい喰らわせそうになると思いますが)、ミルフォードはこういった自身の思想を具現化するために、規則正しい生活と節制を心がけるところから始まって、音楽理論、歴史、文学、哲学、医学、政治、宗教、物理学に至るまでの全ての学問に音楽のヒントとなることを求め、太鼓の皮の張り方やドラムのチューニングひとつひとつにも「聴く人間の心と体に作用する方法」で行うように気を配っていると言いますからやはり大したもんです。

彼の発言は本当に勉強になり、思考に良い刺激を与えてくれるワードの宝庫なんですが、直接引用するととても次元が高過ぎてそれなりの勉強を要しますので、まとめとして簡単にしたものがコレ↓

『古代アフリカでは、音楽というのは言葉以上のコミュニケーションの手段だったんだよ。嬉しい、悲しい、苦しい、楽しい、その他あらゆる感情を太鼓を使って相手に伝えることが出来た。何故なら文明によって作られた余計なものがなく、みんな自然体で人の心の精妙なゆらぎも理解できていたし、雨が降るとかあそこに動物がいるとか、そういったことも普通に理解できていたからだ。今の文明社会は余計なものが多過ぎて、音楽も抑圧されて死んだ音楽になっているから、そういったものとは真逆にある”生きている音楽”を作ることが僕たちミュージシャンの使命なんだ』




(作家、立松和平との対談で、とてもいいことを言ってます。ちょっと長いのですが時間のある時にでも)





【パーソネル】
ミルフォード・グレイヴス(ds,perc,voice)

【収録曲】
1.Grand Unification
2.Transcriptions
3.Gathering
4.Decisive Moments
5.Memory
6.Know Your Place
7.Intuitive Transformation
8.Transcendence


ミルフォードの「他の人と共演した名盤」はいっぱいあって、特にアルバート・アイラーの「ラヴ・クライ」とか、ジュゼッピ・ローガンの「ジュゼッピ・ローガン・カルテット」なんか本当にカッコイイんですが、彼のパーカッショニストとしての凄さ、表現者としての哲学の深さを聴きたきゃこのパーカッション・ソロ・アルバムでしょう。

全編ミルフォードが様々なリズムを駆使して叩く、アフリカン・パーカションと、彼自身のヴォイス”だけ”なんですが、しなやかなタッチで、まるでメロディ楽器を奏でているような、ストーリー性を持ったリズム、それが演奏の中で様々な形に変化しながら、気が付けば聴く人の意識を優しく包み込んで、えも言えぬ豊かなグルーヴに、知らぬ間に引き込んで躍動させる。

正直「パーカッション・ソロなんて退屈なだけなんじゃないかなぁ・・・」と思っていましたが、それ以前に耳に全然キツくないこのフリーな音楽を、一枚流して聴いた後、特に何も考えてないのに、感想が言葉として出てくる前に、体が何かほんわか喜んでいるんですよ。

音楽聴いて頭で理解する前に体が喜ぶ。

うん、本当は当たり前のことなんですが、それをメロディとか詞とか、他の楽器の装飾とかなーんもなしで、太鼓と声だけで感じさせるミルフォード、本当に凄い。凄いんですよ。

だからこれをジャズだとかフリー・ミュージックだとか、そういう風に意識して聴くのはよろしくないですね。「イカすグルーヴ」とユルく思って聴きましょう。確実に楽しいです♪










『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/


posted by サウンズパル at 19:34| Comment(0) | ジャズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月17日

ベニー・ゴルソン グルーヴィン・ウィズ・ゴルソン

1.jpg
ベニー・ゴルソン/グルーヴィン・ウィズ・ゴルソン
(Prestige/ユニバーサル)

え〜、世の中には「ジャズが好き」という方が結構いらっしゃいます。

で、そういう人達というのは、ほとんどが大人になってから

「何か家で落ち着いて聴ける音楽がいいなと思ってたらジャズが良かったんだよね」

と、何となくジャズの”イイネ”に気付いた方がほとんどです。

これはとっても素晴らしいことだと思うんですよね。

若い頃は流行の音楽を夢中で追っかけたり、刺激が欲しくてライヴやフェスなんかに行くでしょう。

でも、大人になって気付けば仕事に追われ、結婚したら家庭が最優先になって、すっかり「音楽を聴く生活」から離れてしまう。

そんな時、名前も曲名も知らないけど「何となく耳に入ってきた音楽が素晴らしかった」これ、本当は一番理想の音楽との出会いとか再会だと思うんですよね。

そうして「ジャズを好きになる人」が出てくると、今度はミュージシャンの名前とか、どんな感じの曲が好きなのか、少しづつ知ってくるようになるんです。

大体の人が、最初に出会うジャズ・ミュージシャンというのが、いわゆる”ジャズ・ジャイアント”という人達だと思います。

マイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーン、ビル・エヴァンス、アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズ、ソニー・ロリンズ、バド・パウエル、チャーリー・パーカー、セロニアス・モンク。

或いはハービー・ハンコック、チック・コリア、キース・ジャレット、ジャコ・パストリアスなどなど・・・。

この人達は、ジャズの中でもズバ抜けて大きな足跡を残した人達で、録音された音源も、何というかズバ抜けてカッコイイことをやっております。

で、ここからが大事なんです。

実は、ジャズを「あ、何かよくわかんないけどかっこいい音楽だよね」という雰囲気、そう、名前を知らずとも、曲を知らずとも、多くの人をジャズという素晴らしい音楽に惹きつけてくれる、あの暖かくて優しくて、ちょっぴりニヒルでワルな独特の雰囲気。

これを醸し出している「そんなに有名じゃないけどいい感じの人達」というのがジャズにはいっぱいいて、実はこの人達の演奏というのが、ジャズを聴く人達を

「ジャズが好き」

から

「ジャズいいよね〜、たまんなく好き〜」

にアゲてくれる演奏だったりするんです。

はい、ちょっと訳がわからんですよね。

つまり「超一流シェフの作る高級料理」が、さっき挙げたジャズ・ジャイアンツ達の一世一代の名演や名盤なら、「近所のたまんなく好きなカフェとかレストランの美味しい料理」を作る、ジャズマン達というのがおるんですね。

当ブログの”ジャズ”のカテゴリでは、そういった超有名ではないけれども、その人ならはの飽きない味を持つミュージシャンの作品を、できるだけ多く紹介しております。

えぇ、高級料理の味わいは格別だけれども「私だけのお気に入り」ってやっぱり近所の「ここのお店好きなんだよね、落ち着くんだよね」っていうお店のごちそうだったりするんですよ。

で、今日は皆さんに、アタシの”近所のごちそう”をご紹介します。

ジャズ、テナー・サックス奏者のベニー・ゴルソンといえば、1950年代から60年代のモダン・ジャズ(ハード・バップ)全盛の頃に活躍した人で、テナー、トランペット、トロンボーンによる必殺”ゴルソン・ハーモニー”っていうキメのフレーズで世のジャズ好きをして大いに「イェ〜イ♪」と言わしめた人です。

一番有名な例を挙げますと、アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズの代表曲であり、最近はNHK「美の壺」のテーマ(?)としてお茶の間でも有名過ぎるほど有名な「モーニン」。

アレの冒頭の「タッタターラララタッツター♪」というメロディのアレンジは、このゴルソンの手によるものです。

他にもこの人のアレンジした曲で、ジャズ詳しくない人でも「お、それ聴いたことあるぞ」な名曲名演はいっぱいあるのですが、ひとつひとつを挙げるとキリがありませんので今日は

「美の壺のあの曲のアレンジはベニー・ゴルソンなんだな」

ということだけ、何となく頭の片隅にでも置いてやってください。

とにかくこの人は、表に立って華やかなスポットを浴びるスターというよりも、アレンジャーや作曲家としての裏方としてのいい仕事が有名なんです。

でも、実はアタシ、この人のまろやかな渋味に満ちたテナー・サックスこそ、ジャズを好きになって「あ、これは何かたまんなく好きな部類のスタイルだ」と、こよなく愛しておるんです。

この人のテナー・サックスは、太くゆったりした音で、とにかく「ズズズズ・・・・」という吐息の混ざった音(サブトーンといいます)が心地良く暖かい。

で、多分サックス奏者として過小評価されているポイントはここだと思うんですが、どちらかというと速いテンポの曲でテクニカルなフレーズでグイグイ前に出るのよりも、ちょいとテンポを落としたブルージーな楽曲で、その太く豊かなトーンを活かした噛み締めるようなプレイにそこはかとない味わいの妙がある人なんですよ。

この人の「ぼへぼへぼへ〜」というテナーの音が出てきたら、どんな演奏でもいい感じにダウナーで、ちょっと影のある”大人のジャズ”になってしまう。

時代の先端を行く革新性も、天才的なアドリブの煌めきもないけれども、その噛み締めるワン・フレーズからジワッと沁みる男の哀愁や優しさの、何とカッコイイことだろう。テクニカルでは決してない、でもその音やちょっとしたフレーズの味わいには、誰にも真似できない豊かな響きとコクに溢れているのです。





【パーソネル】
ベニー・ゴルソン(ts)
カーティス・フラー(tb)
レイ・ブライアント(p)
ポール・チェンバース(b)
アート・ブレイキー(ds)

【収録曲】
1.マイ・ブルース・ハウス
2.ドラムブギー
3.時さえ忘れて
4.ザ・ストローラー
5.イエスタデイズ

そんなゴルソンの、テナー吹きとしての魅力を味わいたいならコレ!なアルバムが『グルーヴィン・ウィズ・ゴルソン』であります。

アレンジャーとしての得意分野は3管以上のちょっと大きめの編成ですが、ここでホーンを担当するのは本人とトロンボーンのカーティス・フラーのみ。で、バックはレイ・ブライアントのブルース職人ピアノと、ポール・チェンバース、アート・ブレイキーの超絶一流リズム隊であります。

ジャズの2管編成っていったら、普通はサックスとトランペットなんですよね。でも、ここでは高音担当のトランペットではなく、あえてミドル音域のトロンボーンを持ってきているところがヒジョーに重要なところなんですね。

カーティス・フラーのトロンボーン、アタシは”まろみ”って言ってますが、何とも人なつっこい味があるんです。

トロンボーンという楽器は、ボタンが付いてなくて、横についているハンドルをスライドさせることで音程をコントロールするんですけど、これがなかなかに難しくて(何人か例外的なテクニシャンはいますが)大体音がスパッと繋がらずにボホホンとした感じになってしまう。でもこれがジャズだと大変にそれっぽい泥臭い雰囲気が出てカッコイイんです。で、カーティス・フラーは、その”雰囲気”の塊のような音を出す人です。

この”まろみ”と、ゴルソンの中〜低音域を中心とした、男らしく実に渋いテナーの音色が、もうほんと絶妙であります。

どっちもまろやかな感じになるんだったら、機動力の高いサックスの方が高音使ってエッジの効いたフレーズを使った方が演奏にメリハリが付くと思うところなんですが、あえてそっちに行かず「どっちも溶け合って気持ちいい」演奏にしっかり軸足を置いてブレない、曲もスピーディーなものは極力使わずに、ミディアム以下のブルースやバラードでまとめているところも流石です。そしてこういうミディアム・テンポの曲にこそ、聴く人を飽きさせない、尽きせぬブルースの美味しさがギュッと詰まっていることを、ゴルソンはちゃーんと分かっています。

そしてバックの中心になっているドラムのアート・ブレイキー。

似たようなキャラの溶け合う音色とフレージングで仲良くソロを交換しているフロントを、どっしり支えつつ、ポール・チェンバースとガンガン煽るスタイルで、演奏を単調なものにしません。

「似たような曲ばかりで飽きるかな」と思わせておいて、それぞれの曲の持ち味、ゴルソン、フラー、そしてレイ・ブライアントとそれぞれ職人タイプながら微妙に違う個性が一瞬光った時を漏らさずにオカズを加えるドラミングは、これも真似しようと思って出来るものではありませんね。

アルバムで最高に「イェ〜イ」となるのが4曲目「ザ・ストローラー」です。

この曲だけややアップ・テンポでノリノリなんですが、ここでのゴルソンは凄いですよ。ズ太い音でゴリゴり吹きまくって「いや、ゴルソン本気出したら凄いじゃん!」と、思わせる勢いがあります。そんなゴルソンゴルソン言われても、何か全然ピンとこんという人は、この曲だけ聴いてもらってもいいです。この音、このズッシリとした加速、この渋さ、これがジャズ・テナーです!


サックス奏者としての確かな実力は持っているんだけど、それより何より曲やバンド全体のアレンジを聴かせるために、普段は一歩引いて共演者を立てているゴルソンが、純粋なプレイヤーとして遠慮なく吹いていて、その愚直な力強さにはジャズの良心みたいなものを感じて止みません。

もし「ジャズ聴きたいけど、やっぱり最初は有名な人のアルバムを買わなきゃダメ?」と悩んでる方がいらっしゃいましたらそんなことは全然ないですよ。有名じゃないけど、こういういい感じの飽きないものもいっぱいありますよ〜。と。







『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 19:24| Comment(0) | ジャズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月09日

アルバート・アイラー ゴーイン・ホーム

1.jpg

アルバート・アイラー/ゴーイン・ホーム 〜プレイズ・スピリチュアル

(MUZAK)

秋になって、日が落ちるのが早くなってくると、いつも通っている夕方の風景が、どこか儚い憂いを帯びているように感じませんか?

そう「秋」といえば、アタシは大好きな季節なんですが、春とか夏みたいな「さぁ今日も頑張るぞー」といったワクワク感はないんです。やっぱりどこか淋しいんです。でも、その寂しさ故に音楽とか文学とか、そういったものにホロッとなる、まぁその、カッコ良くいえば詩的感情みたいなものが、心の奥底からゆっくりと顔を出しているのを感じます。

そうなってくると音楽を聴くのが、俄然楽しくなりますね。えぇ、楽しいというよりは、好きな音楽はもっと好きになったり、それまで何となく聴いていた音楽の、気付かなかった良さみたいなものに急に目覚めてハッとしたりするようになる。そういう季節が秋なんだと思います。

で、アイラーです。

アルバート・アイラーは、このブログでも、もう何度か取り上げております。

ちょっとジャズを知っている人なら「アルバート・アイラーはフリー・ジャズの代表的なサックス奏者で、とにかく過激で型破り」なんていうイメージがすぐに言葉として出てくるかも知れません。

アイラーは確かに過激です。

その過激さというのは、スタイル云々ではなく、恐らくもっと根源的な、人間の魂の奥底から湧き上ってくる衝動に、とことん忠実な過激さでありましょう。

たとえば他のフリー・ジャズのアーティストなら、モダン・ジャズという基礎をみっちりやって、それを打ち破るようなスタイルで楽曲に挑んだり、或いはそれまで習得したものを全部かなぐり捨てた、出す音そのものを無機質になるまで徹底して解体し尽くした、現代音楽のようなものであったり。

とにかく、ほとんどのミュージシャンは、それを「過激」にしようと意識して、懸命に音楽を型枠から外していこうという挑戦をやっておる。んで、演奏のどこかに冷静な意識が働いているのを見る訳です。過激にやっていようと、破壊衝動を全面に出そうと、やはり演奏というものは人に聴かせるものなので、どこかにそういった配慮みたいなものを持っているのがプロのミュージシャンなんだなぁと、アタシのような素人は思う訳なんですね。

そこへいくとアイラーの演奏、というか演奏行為には

「これをこうやって崩してみよう」

とか

「こうすればこうかな・・・」

とかいう、作為のようなものが全く感じられません。

や、いかにアイラーといえども、その超初期の頃は、有名なスタンダードをフリー・ジャズ化しようと必死で吹いておりましたし、晩年の演奏は、エレキギターや朗読なんか加えて、挙句自分ですっとんきょうな裏声を張り上げて歌も唄っておるんですが、そういうのもひっくるめて、全て”素”でやっているという感じが凄いするんです。

もっと簡単にいえば、フリーにやろうがファンキーにやろうが、R&Bのホンカーよろしくブルージーなフレーズをゴリゴリ吹こうが、テナー・サックスを持って”ブッ”と音を出す瞬間には、この人の意識はもう完全に思考とか計算とか及ばない別の領域に飛んじゃって、そこでこの世のものにあらざる精霊とかそういうものとひたすら交信をしているような、そんな図を、聴いているこっちの脳裏に深く焼き付けてくれるんですよ。

アタシはハタチそこらの頃に「最強にぶっとんだジャズ、いやこれもうパンク」としてアイラーを認識しました。今でもその認識は1ミリもブレてません。

しかし、ただ過激で刺々しい刺激だけの音楽だったら、やがて刺激に慣れてすっかり飽きてくるはずだとも思ったんですが、それは全く違いました。

アイラーの音楽には、ある特種な”やさしさ”があります。

変な話ですが、ぶっこわれたフリーク・トーンで「ギョリギョリギョリ!」と吹いても、その豊かにヴィブラートを効かせまくった音色から感じるものは、深い愛としか言えない暖かいものなんです。

そして、彼の作る楽曲もまた、フリーキーにブチ壊れた部分を脳内で上手にリミットして聴けば、童謡や唱歌なんかとちっとも変らない、シンプルで口ずさみ易い、語弊を恐れずにいえば”カワイイ”メロディーで出来ているんです。

アタシは幸いにして(?)アイラー歴2年目にしてそのことに気付きました。

で、当時の先輩とフリージャズについてアツく語りながら「いやぁ、でも何だかんだ言ってアイラーってすごく優しいですよね、そしてすごくポップ」と、うっかり知ったような顔で言ってしまったんです。

最初は

「あっはっは、そうだよなー。坂田明も”アイラーの曲を吹いてたら、段々丸くなって、最終的にはゆうやけこやけのあかとんぼのメロディーになった”とか言ってたもんなー。大熊ワタルもチンドン屋アレンジでアイラーやってて、アレがすっげぇハマッてたんだよなー」

と、笑っていましたが、急に真剣な目になり

「おぅ、そういえばアイラーが一切フリーやらねぇで、古いブルースばかりやってるアルバムがあったなぁ。アレ、オレが聴いた中で一番凄かったよ・・・」

と言って絶句しました。





【パーソネル】
アルバート・アイラー(ts.ss)
コール・コブス(p)
ヘンリー・グライムス(b)
サニー・マレイ(ds)

【収録曲】
1.ゴーイング・ホーム
2.オールマン・リヴァー
3.ダウン・バイ・ザ・リヴァーサイド
4.スウィング・ロウ、スウィート・チャリオット
5.ディープ・リヴァー
6.聖者が街にやってくる
7.誰も知らない私の悩み
8.オールマン・リヴァー(take1)
9.スウィング・ロウ、スウィート・チャリオット(take1)
10.ダウン・バイ・ザ・リヴァー・サイド(take5)


「何ですかそれ!聴いたことないっす!アイラーがフリーやってないってそんなのあったんすか!?」

と、アタシは一方的に興奮しまして、先輩に質問したんですが

・そのアルバムは「スウィング・ロウ・スウィート・スピリチュアル」といって、80年代後半にディスク・ユニオンから出されたが、最近見ないということは、多分もう廃盤だろう(注:1997年当時)。

・オリジナルは輸入盤で、確かジャケットもタイトルも違ったような気がしたんだけど何て言ってたっけ、忘れた。

というすごく曖昧な答えしか返って来ず、でもアタシはその情報だけを頼りに、あちこちのCD屋を探して回りましたが、遂に見付けることはできませんでした。

でも、その頃はすっかりアイラーやコルトレーン、エリック・ドルフィーに夢中で「見かけたら何でも買う!」と息巻いていた時。

ある日フラッと入った中古レコード屋さんのCDコーナーで見かけた”見たことのないアイラー”を、何気なしに買って、聴いてみました。

冒頭、いきなりドヴォルザークの交響曲『家路』

そしてアルバムは「聖者の行進」や「ダウン・バイ・ザ・リヴァーサイド」など、スタンダードというよりも、古いトラディショナル・ジャズやゴスペル以前のスピリチュアル(黒人霊歌)ばかりが、一切フリーク・トーンの出てこないストレートな演奏で次々に奏でられていきます。

え・・・これ・・・?

ジャケットを確認しました。

「Going Home」

レーベルはBlack Lion・・・。

でもこれだ、これが例の「アイラーが一切フリーをやらずにブルースだけをやってるアルバム」だ!!

感動で打ち震えました。

その間もスピーカーからは淡々と、アイラーの目一杯の感傷を込めたヴィブラートが、テナー、ソプラノと楽器を時々替えても、何ら変わることない質量で、泣けとばかりにずーーーーっと迫ってきます。

泣きました。

生まれて初めて、特に悲しいことや、悔しいことがあった訳でもないのに、ただ音楽の美しさに涙腺をグッと押されたように、涙がボロボロ落ちてきました。

「うわぁ・・・何ていうんだろう。これは・・・超・・・音楽・・・」

そんな訳の分からないことを頭の中でぐるぐる回転させながらも、意志とは関係なく涙がこぼれ、胸の奥底からは、切ないような、ヒリヒリ痛むような、そしてどこか懐かしいような感情が、そんなのどこにあったんだと思うぐらい大量に溢れてきて、多分それが涙になっているようでした。

アイラーは優しい。それよりも何よりも、この音楽は一体何だ。

今でもこのアルバムはアタシの宝物です。

「アイラーで一番凄い」

先輩はそう言いましたが、アタシは、これはもう、音楽として一番深いところに響いて鳴り止まない何物かであると、今も思っております。



『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 19:30| Comment(0) | ジャズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月04日

ブッカー・リトル(Booker Little)

1.jpg
ブッカー・リトル/Booker Little
(Time)

この10月に入ってどハマりしている”ジャズ、哀しいトランペット・シリーズ”(うむ、他に何か良い言い回しはないだろうか・・・)でございます。

今週はウェブスター・ヤングトニー・フラッセラと、それぞれ違うタイプの「この人のラッパは凄く切なくて、そこはかとない味があっていいよね〜・・・」という二人を皆さんにご紹介してきました。

んで、他にこういう味わいを持っているトランぺッターっていないかなぁと、CD棚を物色していたら、おりました。

というよりも、まずもってアタシに生まれて初めて

「ジャズのトランペットってカッコイイかもよね」

と、思わせてくれた、原点である重要なトランぺッターの存在を、アタシはすっかり忘れておったんですね。

あぁいけません。

でも、そのままにしといたらきっといい加減で頭の弱いアタシは、またしても忘れてしまうと思いますので、忘れないうちにご紹介します。

ブッカー・リトルです。

アタシが決定的にジャズという音楽にハマり・・・や、その底無しの魔力にすっかり魅入られてしまったきっかけがエリック・ドルフィー

そのドルフィーの、最高にスリリングで、最高に妖しくて、最高に狂った毒に溢れているライヴ盤に「アット・ザ・ファイヴ・スポット」



というアルバムでした。

全員が全員、唯一無二のクセの塊のような個性を全力でぶつけ合った、今でも全てのジャズのライヴ盤の中でも最も刺激的なアルバム群(ファイヴ・スポット・シリーズは3枚の連作なのです)だと思っていますが、このアルバムで主役のドルフィーのひたすらブッ飛んだ演奏に対し、激しく盛り上がりながらも、時にフレーズを強引にアウトさせながらも、トータルでは美しく均整の取れたフレージングで全体のバランスを取っていたのが、トランペットのブッカー・リトルでした。

とはいえ、最初からドルフィー目当てでドルフィーのプレイしか聴いていなかったアタシにとって、その頃のリトルの印象は「いい感じに吹きまくってるけど、音は優しいし全体的に地味なトランペットだよね」というものでしかなかったのですが、それがある日突然、ドルフィーの特異で異様なソロの余韻をスーッと消して、全く独自の、激しさの中に憂いが満ち溢れた色に「パラパラパラ〜」と塗り替えてゆくその雰囲気にハッと気付いてから

「何て凄いトランペットなんだ!」

と、アタシはすっかりリトルにも夢中になったんです。

そう、この人の場合は「切ない哀しいトランペット」といっても、演奏スタイルそのものはどこまでも熱く激しく、聴き手にしっかり興奮も与えます。

資料に目を通してみたら、1950年代半ばに交通事故で不慮の死を遂げたモダン・ジャズ・トランペットの第一人者、クリフォード・ブラウンの正統な後継者として、演奏技術もアドリブセンスも、かなりの人に期待されておった。

つまりモダン・ジャズの本流の、次世代のスターとしてとても注目されるぐらいの実力者だったんです。

19歳で大物ドラマーであり、クリフォード・ブラウンと一緒にバンドをやっていたマックス・ローチに

「君いいね、クリフォードの後任としてウチのバンドに入りなさい」

と言われ、そこで評価を得て、バリバリの過激派と呼ばれたエリック・ドルフィーと一緒に「何か今まで誰もやってないような新しいジャズをやろうぜ!」とバンドを立ち上げたのが22歳の時。

正にミュージシャンとしては「これから」の時、尿毒症であっけなくあの世へ行ってしまったんですね。

周辺のミュージシャン達は

「ブッカーは元気でピンピンしてたのに、ある日いきなり病院運ばれてそこで死んだと。急死だよ、訳わかんねぇよ」

と、その若すぎる死に戸惑ったと言いますが、尿毒症・・・、多分喧嘩に巻き込まれて腹でも蹴られたんでしょうとアタシは思っております。倒されて激しく腹部を蹴られると、腎臓が損傷してそこから感染症を起こすことがあるのです。

それはそうと、リトルのミュージシャンとしての活動は、そんな風にたったの4年という短いものでありました。

もし生きてたら、リー・モーガンやフレディ・ハバードのように、60年代を代表するトランぺッターの一人として、数多くの作品を残してくれたに違いませんが、実はリトルは短い活動期間の中で3枚の正式なスタジオ盤を残しており、そのどれもが個性の輝きに満ちた、名作と呼ぶに全く値する珠玉のアルバムです。

その珠玉に順番なんかとても付けられませんが、彼のトランペットの素晴らしさに集中して最初から最後まで堪能できるのが、リーダー作として最初にリリースされた『ブッカー・リトル』



【パーソネル】
ブッカー・リトル(tp)
トミー・フラナガン(p)
ウィントン・ケリー(p)
スコット・ラファロ(b)
ロイ・ヘインズ(ds)

【収録曲】
1.オープニング・ステイトメント
2.マイナー・スウィート
3.ビー・ティーズ・マイナー・プレア
4.ライフズ・ア・リトル・ブルー
5.ザ・グランド・ヴァルス
6.フー・キャン・アイ・ターン・トゥ


トランペットのバルブの部分が、手書きで大きくイラストされたジャケットがもう最高ですね。ジャズのアルバムでこういう楽器を描いたもの結構あるんですが、そういうジャケットで中身がガッカリだったというアルバムには、未だ出会ったことがありません。

そしてメンバーが、ピアノにコルトレーンの『ジャイアント・ステップス』ロリンズの『サキソフォン・コロッサス』などなど、多くの作品で堅実なプレイを務め上げ、それらをことごとく名盤にしてきた、ザ・名盤請負人のトミー・フラナガン(BとCだけウィントン・ケリー)、ビル・エヴァンス初代トリオの天才ベーシスト、スコット・ラファロ。ドラムはバップからモダンから、ちょいと前衛なものまで、この人に任せておけば安心のロイ・ヘインズ。

モダン・ジャズの、ちょっとクセのあるカッコいいホーン奏者のワン・ホーンを聴きたいなと思ったら、これ以上望むべくもない最高のメンバーです。

そんなメンバー達、全員がしゃかりきになって個性をブチ撒けずに、カッコイイ伴奏に徹した、すこぶる大人な演奏なんですよ。

そのサポートを得て、思う存分に吹いているリトル。

この人の個性は「一見フツーに聴こえるんだけど、実はちょっとしたところにクセやアクがみなぎっている」とでも言いましょうか。とにかくブリリアントです、リズムに乗れば結構吹きまくります。決して”味”だけで売ってるラッパ吹きじゃないし、若さゆえの”突っ走り”もあって、テクニックだけで無難にそつなくこなす人でもありません。どちらかというと激しく突っ走ってる時でもメロディを意識して「丁寧に歌を紡ごう」という気配りに溢れた展開に、聴く側の意識を誘うのがとても上手い人です。

でも、この人独特の「クシュッ」とひしゃげた音色がそうさせるのか、それともアドリブの途中でさり気なく織り交ぜられるマイナー・フレーズの一瞬がそのような効果を持っているのか、とにかく全体がどこか沈んだ感じであり、そして聴き終わった後にヒリッとした切なさが残ります。

どの曲もカッコ良くて、キッチリ興奮もさせてくれますが「これ!」という曲は、2曲目の「マイナー・スイートと5曲目の「ザ・グランド・ヴァルス」。

「マイナー・スウィート」は、疾走系4ビート・ナンバーですが、無伴奏っぽく(ロイ・ヘインズが軽くアクセントでオカズを入れる)吹き上げている哀愁のイントロから、一気にやるせないアドリブが走り抜けてゆくこれがもうたまんなくて、「ザ・グランド・ヴァルス」はエリック・ドルフィー、メモリアル・アルバムに入ってる『ブッカーズ・ワルツ』と同じ曲ですが、コチラはテンポをグッと落としていて、クシャッとしたリトルの音のまろやかさと美しいメロディとの溶け合いに何だかウルッときてしまうのです。





”ブッカー・リトル”関連記事






『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 19:28| Comment(0) | ジャズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月03日

トニー・フラッセラ トランペットの詩人

1.jpg
トニー・フラッセラ トランペットの詩人
(Atlantic/ワーナー)

只今秋の感傷モードの真っ最中ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

ブログをご覧の皆様には、既にお気づきかと思います。アタシはこの秋になり「トランペットってもしかして切ねぇ!?」ということを、今更にして気付いてしまい、感動したジャズ・トランペットのアルバムについて書いております。

えぇ、皆さんも心の中に「これ、切ないよ」という音楽、あろうかと思いますので、秋になったらぜひともそういう音楽と、とことん切なくお過ごしになられたらと思いますが、まだそういう音楽ねーよという方や「ちょっと切ない音楽聴きたいけど何を聴けばいいのよ」という切実な思いをお持ちの方は、どうかこのブログでのアタシの戯言を記憶の片隅にでも置いて頂き、音盤と出会う時のご参考にしていただけたらと思っております。えぇ、切に願っております。

で、今日も「せっつねぇトランペット」いきましょうね。

トニー・フラッセラという、白人ジャズ・トランペットの、知る人ぞ知る名手がおります。

いや、どっちかというとあんま知られてないことの方が多い、隠れ名手と言うべきでしょうか。

知られてない理由を挙げると、やはり活動期間が短く、作品をほとんどリリースしていないということ、聴いた誰もが衝撃を受けるような、激しさとインパクトに溢れた演奏というものは一切やっていないということになるでしょう。

ですが、ジャズをこよなく愛し、色々と聴いてトニー・フラッセラに辿り着いた人達は口を揃えてこう言います。

「この人のトランペットは本当に深い。これを聴いていると、何か忘れていた大切なものを思い出したような気持になるね」

と。

はい、そうなんです。トニー・フラッセラの吹くトランペットは決して派手じゃない。聴く人を興奮させる速いフレーズとかスリリングな展開とか、そういうのはないけれども、その一音一音丁寧に噛み締めるような演奏スタイル、曲の持つメロディの肝とも言うべき部分をひたすら美しく磨き上げ、余分なもののないありのままの美しさを、鮮やかさとはまた別の、深く落ち着いた光沢で輝かせるようなアドリブで、聴く人の心にそっと花を置いてくれます。

そんなどこまでも抒情的な演奏をするフラッセラに付いたあだ名が”トランペットの詩人”。

はい、その通りだと思います。

でもこの”詩人”という言葉の響きって、彼の演奏を聴いていると、どこかやるせなく、どうしようもないものが青白く揺らめいているようでどこか哀しい、そして悲しい。

彼の人生は孤児院で始まって、そこを出た時に音楽に希望を見出して、見よう見まねでトランペットを手にする訳なんですが、良い感じに上達して、人気も出て、演奏活動そのものは順調のようでしたが、レコードセールスの波に乗れず、元々常用していた麻薬が彼を呑み込み、シーンから遠ざかることと、束の間復帰することを小さく繰り返しつつ、結局若くして亡くなってしまう。

音楽に簡単に、ミュージシャンの人生を反映させることはどうかと思いますが、彼の片言で懸命に愛を歌ってるかのようなトランペットを聴くと、何かそんなどうしようもない人生が、バカみたいにスッと折り重なってしまうのです。

似たようなタイプでチェット・ベイカーがおります。

才能にも容姿にも恵まれていながら、まるで自ら望んで破滅に向かって突き進んでいるかのような破天荒な人生という意味で2人は大いに重なりますが、チェット・ベイカーはトランペットの演奏技術が実はズバ抜けていて、優しく甘い音色とは裏腹な、派手で華のあるプレイをします(意外とベイカーは吹きまくっている演奏多いのですよ)。それゆえ生涯を通じて華やかなジャズの表舞台に常に居ることが出来たということを考えると、フラッセラのひたすら楚々として美しく、そして派手な脚光を浴びることのなかったジャズ人生って・・・と思い、また胸に切ない感情が滲んでくるのであります。




【パーソネル】
トニー・フラッセラ(tp)
アレン・イーガー(ts)
ダニー・バンク(bs,AD)
チャウンシー・ウェルシュ(tb,AD)
ビル・トリグリア(p)
ビル・アンソニー(b)
ビル・ブラッドレイ・ジュニア(ds)

【収録曲】
1.アイル・ビー・シーイング・ユー
2.ムイ
3.メトロポリタン・ブルース
4.レインツリー・カントリー
5.ソルト
6.ヒズ・マスターズ・ヴォイス
7.オールド・ハット
8.ブルー・セレナーデ
9.レッツ・プレイ・ザ・ブルース

彼の数少ない作品の中から、代表作であるところの「トランペットの詩人(原題:Tony Fruscella)」を聴きましょう。

とにかくもうこのジャケットですよね、繊細そうな良い男が、トランペットを抱えて沈んでる白黒のポートレイト。これは紛れもない本人で、決してアルバムジャケット用に取ったポーズではないでしょう。えぇ、普段からこんな雰囲気を醸す人であったらしいです。

とにかく中身を聴かずとも、このジャケットだけで、この中に収録されている音楽がどんなものであるか、8割がた語られていると言っていいと思います。

中身はフラッセラのトランペットが、”幻のテナーマン”と呼ばれたアレン・イーガーのまろやかで共通した翳のようなものを持っているテナー・サックスと、ひたすら美しいメロディを紡いでゆく、派手で猛々しいところが一切ない、アンニュイな空気から醸される上質な憂いが終始漂っておるアルバムです。

2曲でバリトン・サックスとトロンボーンが入り、ちょっとだけ賑やかにはなりますが、「ススス・・・」と吐息まじりでメロディを淡々と紡いでゆくフラッセラのトランペットが響くだけで、空気がスーンと落ち着いたものになるから不思議です。

リズム・セクションはビル・トリグリア(p)、ビル・アンソニー(b)、ビル・ブラッドレイ・ジュニア(ds)という、偶然にも”ビル”が3つ並んだトリオで、この人達もさほど有名な人達ではありませんが、落ち着いた気品のある、いいサポートです。

特にビル・トリグリアのピアノは、バックでは控え目にコードを、ソロは弾き過ぎずコンパクトに、の職人的な”引き”が感じられて、そのさり気ないセンスの良さがひたすら好感度高いです。

楽曲の中でオススメ、というか、聴く毎に何ともいえないやるせなさの海へ引きずり込まれてしまうのが6曲目の「ヒズ・マスターウ・ヴォイス」。

クラシックのフーガ風のイントロから落ち着いた4ビート(ドラムはブラシ)が入り、フラッセラ、イーガー、トリグリアと、静かにバトンが渡されてゆくソロの、何と切々と優しく身を切ることか。そしてまたエンディングでトランペットとテナー・サックスによる美しいフーガが哀しく響く。

あぁ、何だろうこのどうしようもないカッコ良さは。。。



(↓アナログもあります)





『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 19:15| Comment(0) | ジャズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月01日

ウェブスター・ヤング フォー・レディ

1.jpg
ウェブスター・ヤング/フォー・レディ
(Prestige/OJC)

夏が苦手で、というのも、夏になると目に見えて調子を崩したり、体の具合が明らかにおかしくなってきますので、7月8月は、実は「バテないぞ!」と気を張り詰めているんです。

ここ最近は、そういった気合いのおかげか、夏に目に見えて調子を崩すということはないのですが、その反動で9月になって不調が来ます。

不調というのは具体的には眩暈や動悸、えぇ、持病です。何とか誤魔化して馴染ませるために、色々と休み休み、今出来る環境にあるというのがせめてもの救いです。

調子がアレなもんで、この時期に聴ける音楽というのは限られても来ます。

ノリノリで爆音でけたたましいものは大好物なんですが、調子が悪い時は心は喜んでも体が喜んでくれないのでパス。

というとまったりした音楽、静かな音楽という具合になってきて、必然的にジャズやクラシックのCDやレコードに手が伸びることが多くもなるのです。で、ここんところ聴いているのが、マイナーなジャズ・トランペット奏者達のそこはかとない作品たちであります。

あのですね、トランペットという楽器は基本やっぱり派手でけたたましい楽器なんですよ。

ジャズがその創世記の頃、ソロ楽器として唯一もてはやされたのが、トランペットのご先祖のコルネットという楽器で、コレが何でソロ楽器としてもてはやされたのかというと

「音がデカいから」

という、実にシンプルでそれ以外ない理由からで、そもそもラッパ系の楽器というのが、軍楽で使われる号令のラッパが最初の形態でありますので、これはけたたましくないとお話にならないという因果がございます。

だもんで、時代を経てジャズで使われるようになっても、トランペットというのはやっぱりソロ楽器として一等派手で、ビッグバンドでも4,5人のコンボでも高音を煌めかせながら演奏を盛り上げる役割、というのが多いような気がします。これでは体調の悪い時に、とてもじゃないが聴けたもんじゃない。

しかーし!1950年代以降、マイルス・デイヴィスが消音機を被せた”ミュート奏法”を大々的に使うようになってから「トランペット=派手に吹きまくる」という常識は、ちょっとづつ覆され、その後この分野には、訥々と丁寧にメロディを吹くタイプの演奏家も出てきました。

うん、これなら調子悪い時も聴けるぞ!

と、皆さんにオススメしたい人がウェブスター・ヤングという人であります。

ミュージシャンのカッコ良さを測る要素として、味わい、テクニック、カリスマ、革新性という4つの要素があるとすれば、この人は徹底して”味わい”の人。

そのミュートを被せたコルネットから出されるフレーズは優しく哀しく、そして聴く人を淡い世界へいつの間にか誘ってくれる、実に奥深い味わいを持っておるのです。

50年代にはジャッキー・マクリーンやデクスター・ゴードンなどのサイドマンとして活躍し、その控えめでいながらもジャズのツボを押さえた演奏で、上手にリーダーを立てている作品をそこそこ残しつつも、60年代以降は一線から退き、音楽学校で理論を教える講師をやっていたことからも、性格的にもきっと控え目な人だったんでしょう。




【収録曲】
ウェブスター・ヤング(tp)
ポール・クィニシェット(ts)
マル・ウォルドロン(p)
ジョン・ピューマ(g)
アール・メイ(b)
エド・シグペン(ds)

【収録曲】
1.ザ・レディ
2.ゴッド・ブレス・ザ・チャイルド
3.モーニン・ロウ
4.グッド・モーニング・ハーテイク
5.ドント・エクスプレイン
6.奇妙な果実



さて、そんなヤングの初リーダー作にして、正式なものとしてはこれが唯一のアルバムが本作「フォー・レディ」であります。

このアルバムは「不世出のジャズ・シンガー」と呼ばれたビリー・ホリディに捧げられたもので、1曲目のオリジナル曲以外は全てビリー・ホリディがこよなく愛したナンバーばかりが揃えられ、メンバーも、丁度この時ビリーのバンドのピアニストだったマル・ウォルドロン、そしてビリーが音楽的にも人間的にも最高の敬愛を抱いていたテナーサックス奏者、レスター・ヤングのスタイルを最もピュアな形で形容し、レスターの”大統領”というあだ名に対し”副大統領”というニックネームを持っていたポール・クィニシェット(この時レスターが亡くなっていたので、彼に声がかかったんでしょう)をメンバーに従えた、トリビュート・アルバムです。

ビリー・ホリディという人の歌唱スタイルは、歌詞を噛み締めるように切々と、訴えるように歌うスタイルで、このスタイルがまた、ヤングのコルネットととても相性がいいんですよ。感情をドバッと出さず、くすんだ音色で丁寧に紡ぎ出す。

コルネットはトランペットより素朴な、味のある暖かい音色で、出てくるフレーズそのものにも、演奏全体にも、何となく淡く儚い翳のようなものが、じんわりと広がっております。このアルバムの何がたまんないかって、郷愁というか哀愁というか、そういうものがフワ〜っと当たり前のものとして、空間を埋め尽くすぐらいの質量で存在しているところがたまんないんです

。意識せず、ただ部屋で何となく流してるだけで、何だか泣けてくる、これです。グッド・ミュージックと言わずして何と言いましょう。

バックのメンバー達のプレイも、その”淡い哀感”を醸すのに、本当に見事なサポートをしています。

特にポール・クィニシェットの柔らかくメロディアスなテナー、マルのモノトーンの世界観なピアノ、ジョン・ピューマの滑らかな音色の、品の良いギターが楽曲の上で溶け合って、もう聴いてるこっちの意識もゆるやかにいけない世界へ持っていかれてしまいます。

アルバムのハイライトは後半「ドント・エクスプレイン」と「奇妙な果実」という、ビリーの愛唱曲の中でもとりわけてしっとりと、切々と訴える力のあるナンバー。

「ドント・エクスプレイン」は、アール・メイの深い響きのベースがまずイントロを奏で、そこから他の楽器が入ってきます。ここからの、どこまでも切なく堕ちてゆくアンサンブルをぜひ聴いてください。

どなたかのホームページで「ヤングがすすり泣き、クィニシェットがむぜび泣き、マルがもらい泣きする」と、この曲が評されてました。アタシはこの記事を書くに当たって、それ以上の表現を何とか探して書いてやろうと思いましたが、いや、降参です。これ以上に見事な表現はありません。

そして「奇妙な果実」。ひたすら重く、暗く、不吉なアレンジのイントロ、悲痛なメロディーに渾身の悲しみを込めて歌い上げるコルネット、もう言葉もありません。

「奇妙な果実」以外は余りにもそこはかとなく、しっとりとした風情が続くアルバムですので、最初は「うん、しっとりしていいね」ぐらいに思ってましたが、いや、これは凄いアルバムです。表面の優しさの裏に、中毒性がたっぷりと塗り込まれております。














『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 11:19| Comment(0) | ジャズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月27日

ビル・エヴァンス 自己との対話

1.jpg
ビル・エヴァンス/自己との対話
(Verve/ユニバーサル)

ようやくというか何というか、のっそりスローペースで、今年も秋がやってまいりました。

秋といえば、色々と「〇〇の秋」の〇〇の部分に好きなものを入れて楽しむ季節でしょう。食欲大いに結構、スポーツもいいでしょう、読書なんか最高です、芸術なんてもうヒューヒューです。

で、アタシの場合はこの時期は、溜まりに溜まった夏の鬱屈とした気分を浄化するために、感傷のスイッチをオンにして、切なくてヒリヒリする美しい音楽を聴きながら、感傷に目一杯浸ります。

個人的に

「心の鎮痛剤」

と呼んでるジャンルがありまして、それはズバリ、ジャズやクラシックなどのピアノの音楽のことなんです。

儚くて哀愁に満ち溢れたピアノの音色は、心に僅かな痛みをジンジンと響かせながら、内側にある苦しいものを、少しづつ詩に変えてくれるような、そんな効果を勝手に感じて、じんわりと耳を傾けておりますが、このジャンルの代表格といえばやはりビル・エヴァンスです。

「ピアノの詩人」と呼ばれ、ジャズの世界に”美しくそこはかとない情感”というものを、エヴァンスはそっと持ち込みました。もちろんエヴァンス以前にもうっとりするような美しいピアノを聴かせてくれる人は多くおりましたが、エヴァンスの強みは何といっても

「速めのテンポでノリノリの曲を演奏しても、どこか哀しい、何故か切ない」

と、聴く人を感じさせるその儚い詩情であります。

この感じのことを専門用語で「リリカル」といいますね。しかしこの言葉、ライターとか評論家とか、そういった専門家チックな人達がやたら連発するので、ジャズ初心者の方々には案外「なんかよーわからん言葉」と思われているようです。いかんですね、いかんですので、皆さんには


「リリカルっつったら”何か綺麗で切なくてやるせないヤツ”ですよ」

と、一言説明を入れておきましょう。お店とかネットとかで音楽に出会う際の参考にしてくださいね。

で、エヴァンスです。

心の鎮痛剤ジャンルでは、早く効いて長く効くエヴァンスのピアノは、どの時期のどの作品も、あらゆる切なさの集合体と言っても過言ではありません。

モダン・ジャズ全盛の1950年代半ばにデビューしたその時から、それまでのジャズ・ピアノの「イェ〜イな感じ」とは確実に一線を画す、内向きで知的な風情に溢れたピアノは、クールなサウンドを目指していたマイルス・デイヴィスの耳に留まり「カインド・オブ・ブルー」という、ジャズの歴史を大きく変える、知的で芸術性の高い作品を生み出すことに大きく貢献しました。

しかし、繊細過ぎる性格のエヴァンスは、マイルス・バンドでのストレスに耐えきれず、僅か1年ほどでバンドを脱退。

そこからはスコット・ラファロ(b)、ポール・モチアン(ds)と最初のトリオを組んで「ポートレイト・イン・ジャズ」「ワルツ・フォー・デビィ」など、ジャズ・ピアノ・トリオを代表する人気作を世に出しました。

このトリオは、単にエヴァンスの美しいピアノを引き立てるだけでなく、ベースのスコット・ラファロの大胆に切り込むハードなアドリブがエヴァンスの研ぎ澄まされた即興演奏の才能を更に引き出し、それまでの「ピアノ・トリオ=ピアノが主役でベース、ドラムは脇役」という常識を覆し、更にそれまで単なるリズム・セクション、もしくはBGM的にムードを演出する編成ぐらいに思われていたピアノ・トリオを「それだけで十分にスリリングで、しかもクオリティの高い音楽を聴かせることのできるフォーマット」へと、その地位そのものを高めたんです。

この初期のトリオにおけるエヴァンスの創造性というのは、今聴いても本当に鳥肌が立ちます。

ピアノとベースがガンガンとどこまでも激しくやりあっていても、エヴァンスの紡ぎ出すメロディというのは、どこか常に内側を向いているような感じがして、そして激しく弾けば弾くほど、彼の音はその、そこはかと帯びている哀しみを、もっと前面に出しているかのように響くのです。

1960年代初期に結成されたこのトリオは絶好調でした。

しかし、そんな絶頂の時に、ベーシストのスコット・ラファロが1961年、交通事故により23歳であっけなくあの世へと旅立ってしまいます。

最高の相棒を失ったエヴァンスは悲観に暮れて、かなりの鬱状態になり(この鬱がこれから後も度々彼の人生を苦しめて、結局エヴァンスの寿命を縮めることになります)ましたが、後任のベーシストとしてチャック・イスラエルが加入した後、精神は少し持ち直して、エヴァンス・トリオは復活します。

しかしエヴァンスの中でラファロの喪失は、周囲が思っているより遥かに大きく、エヴァンスはその孤独を埋めるべく、トリオやバンドでの活動以外にも、ソロ・ピアノで更に内なる世界の哀切の海へと漕ぎ出してゆくのです。




【パーソネル】
ビル・エヴァンス(p)

【収録曲】
1.ラウンド・ミッドナイト
2.ハウ・アバウト・ユー
3.スパルタカス 愛のテーマ
4.ブルー・モンク
5.星影のステラ
6.ヘイ・ゼア
7.N.Y.C`Sノー・ラーク
8.ジャスト・ユー、ジャスト・ミー
9.ベムシャ・スウィング
10.ア・スリーピング・ビー


1963年に、エヴァンスがたった一人で行った「自己との対話」がレコーディングされました。

それまでもエヴァンスは、一人スタジオでソロ・ピアノのレコーディングを試みましたが、恐らくどれも満足の行く仕上がりではなかったのでしょう(でも発掘音源としてリリースされたそれらは、孤独の内に本当に美しい輝きを宿している素晴らしい演奏です)、1年以上かけてようやく正式な”作品のためのレコーディング”となった「自己との対話」では、何と自分自身が演奏する3台のピアノを全編多重録音した、前代未聞の作品となっております。

「ソロ・ピアノ」というよりも「ピアノ・アンサンブル作品」と呼んだ方がいいアルバムですね。

実際に聴いてみても、低音でリズムを支える部分と高音でメロディを紡いでゆく部分、そしてそれら両方にアドリブで絡んでゆく部分と、3台のピアノがそれぞれどのような役割かは、何となく分かる仕様になっています。

音の印象としては、バラードでもアップテンポの曲でも、キラキラと砕けた宝石のような華麗な装飾音が、美しくも儚く鳴り響き、幻想的なイメージの世界へと誘ってくれる、非常に繊細な音世界であります。「スパルタカス愛のテーマ」は特に、エヴァンスのピアノの幽玄美の極致といっていいほど、深淵で壮大な詩情に溢れた、壮絶な美に溢れた演奏。

でも、やはりエヴァンスのカッコ良さは、原曲の表面をなぞっただけの”綺麗さ”ではなくて、やっぱり強い左手から繰り出される、信じ難いグルーヴによる、陶酔感でありましょう。

このアルバムには、セロニアス・モンクの曲が「ラウンド・ミッドナイト」「ブルー・モンク」「ベムシャ・スウィング」と3曲収録されていて、「ラウンドミッドナイト」はマイルスの愛奏曲でもありますし、エヴァンスもその後ライヴなどで何度も演奏している静かな曲でありますが、「ブルー・モンク」「ベムシャ・スウィング」は、モンクの調子っぱずれなピアノのユニークさが、軽快なテンポで強調された明るいナンバーなんです。

そんなエヴァンスの個性とは全く反対と言っていいこのナンバーを、エヴァンスは原曲のユニークさを壊さず演奏しているんですね。で、この2曲、特に「ベムシャ・スウィング」の左手を聴いて欲しいんです。

鍵盤、ガンガンに叩いて、びっくりするぐらい強靭な左手のリズムです。これが多重録音でガンゴン重なる展開があるんですが、この展開を耳で追っていくうちに、曲はノリノリでリズムも音色もゴツいはずなのに、何故か切なくなってくるんですよ。苦しいぐらいに何か泣けるものが胸めがけて一直線に刺さってくるんですよ。

色々聴いても、この「ノリノリで切なくさせる人」ってエヴァンスしかいません。何がどういう仕組みになってるのか未だによくわかりませんが、とにかく切ないし狂おしいし、ジワッと泣けてきちゃいます。

エヴァンスのピアノだけが鳴ってる空間で、しかもエヴァンスにしては珍しくノリノリでグルーヴィーな陶酔に満ちたナンバーも結構入っているので、いわゆる「内省的な作品」というのとは少し違います。

でも、この哀愁は聴く人をどうにも虜にしてしまいます。

いずれにせよエヴァンスの凄さ、いや、未だエヴァンスの凄さって究極的に儚い右手から紡ぎ出されるものなのか、強い左手から叩き出されるものなのか、究極的な答えは見付かりませんし、陶酔にヤラレてそんな気も起こりませんが、心の鎮痛剤としてはもう最高クラスのアルバムだと思って、この時期は浴びるように聴いております。



”ビル・エヴァンス”関連記事 



『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 19:33| Comment(0) | ジャズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする