2017年10月17日

ベニー・ゴルソン グルーヴィン・ウィズ・ゴルソン

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ベニー・ゴルソン/グルーヴィン・ウィズ・ゴルソン
(Prestige/ユニバーサル)

え〜、世の中には「ジャズが好き」という方が結構いらっしゃいます。

で、そういう人達というのは、ほとんどが大人になってから

「何か家で落ち着いて聴ける音楽がいいなと思ってたらジャズが良かったんだよね」

と、何となくジャズの”イイネ”に気付いた方がほとんどです。

これはとっても素晴らしいことだと思うんですよね。

若い頃は流行の音楽を夢中で追っかけたり、刺激が欲しくてライヴやフェスなんかに行くでしょう。

でも、大人になって気付けば仕事に追われ、結婚したら家庭が最優先になって、すっかり「音楽を聴く生活」から離れてしまう。

そんな時、名前も曲名も知らないけど「何となく耳に入ってきた音楽が素晴らしかった」これ、本当は一番理想の音楽との出会いとか再会だと思うんですよね。

そうして「ジャズを好きになる人」が出てくると、今度はミュージシャンの名前とか、どんな感じの曲が好きなのか、少しづつ知ってくるようになるんです。

大体の人が、最初に出会うジャズ・ミュージシャンというのが、いわゆる”ジャズ・ジャイアント”という人達だと思います。

マイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーン、ビル・エヴァンス、アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズ、ソニー・ロリンズ、バド・パウエル、チャーリー・パーカー、セロニアス・モンク。

或いはハービー・ハンコック、チック・コリア、キース・ジャレット、ジャコ・パストリアスなどなど・・・。

この人達は、ジャズの中でもズバ抜けて大きな足跡を残した人達で、録音された音源も、何というかズバ抜けてカッコイイことをやっております。

で、ここからが大事なんです。

実は、ジャズを「あ、何かよくわかんないけどかっこいい音楽だよね」という雰囲気、そう、名前を知らずとも、曲を知らずとも、多くの人をジャズという素晴らしい音楽に惹きつけてくれる、あの暖かくて優しくて、ちょっぴりニヒルでワルな独特の雰囲気。

これを醸し出している「そんなに有名じゃないけどいい感じの人達」というのがジャズにはいっぱいいて、実はこの人達の演奏というのが、ジャズを聴く人達を

「ジャズが好き」

から

「ジャズいいよね〜、たまんなく好き〜」

にアゲてくれる演奏だったりするんです。

はい、ちょっと訳がわからんですよね。

つまり「超一流シェフの作る高級料理」が、さっき挙げたジャズ・ジャイアンツ達の一世一代の名演や名盤なら、「近所のたまんなく好きなカフェとかレストランの美味しい料理」を作る、ジャズマン達というのがおるんですね。

当ブログの”ジャズ”のカテゴリでは、そういった超有名ではないけれども、その人ならはの飽きない味を持つミュージシャンの作品を、できるだけ多く紹介しております。

えぇ、高級料理の味わいは格別だけれども「私だけのお気に入り」ってやっぱり近所の「ここのお店好きなんだよね、落ち着くんだよね」っていうお店のごちそうだったりするんですよ。

で、今日は皆さんに、アタシの”近所のごちそう”をご紹介します。

ジャズ、テナー・サックス奏者のベニー・ゴルソンといえば、1950年代から60年代のモダン・ジャズ(ハード・バップ)全盛の頃に活躍した人で、テナー、トランペット、トロンボーンによる必殺”ゴルソン・ハーモニー”っていうキメのフレーズで世のジャズ好きをして大いに「イェ〜イ♪」と言わしめた人です。

一番有名な例を挙げますと、アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズの代表曲であり、最近はNHK「美の壺」のテーマ(?)としてお茶の間でも有名過ぎるほど有名な「モーニン」。

アレの冒頭の「タッタターラララタッツター♪」というメロディのアレンジは、このゴルソンの手によるものです。

他にもこの人のアレンジした曲で、ジャズ詳しくない人でも「お、それ聴いたことあるぞ」な名曲名演はいっぱいあるのですが、ひとつひとつを挙げるとキリがありませんので今日は

「美の壺のあの曲のアレンジはベニー・ゴルソンなんだな」

ということだけ、何となく頭の片隅にでも置いてやってください。

とにかくこの人は、表に立って華やかなスポットを浴びるスターというよりも、アレンジャーや作曲家としての裏方としてのいい仕事が有名なんです。

でも、実はアタシ、この人のまろやかな渋味に満ちたテナー・サックスこそ、ジャズを好きになって「あ、これは何かたまんなく好きな部類のスタイルだ」と、こよなく愛しておるんです。

この人のテナー・サックスは、太くゆったりした音で、とにかく「ズズズズ・・・・」という吐息の混ざった音(サブトーンといいます)が心地良く暖かい。

で、多分サックス奏者として過小評価されているポイントはここだと思うんですが、どちらかというと速いテンポの曲でテクニカルなフレーズでグイグイ前に出るのよりも、ちょいとテンポを落としたブルージーな楽曲で、その太く豊かなトーンを活かした噛み締めるようなプレイにそこはかとない味わいの妙がある人なんですよ。

この人の「ぼへぼへぼへ〜」というテナーの音が出てきたら、どんな演奏でもいい感じにダウナーで、ちょっと影のある”大人のジャズ”になってしまう。

時代の先端を行く革新性も、天才的なアドリブの煌めきもないけれども、その噛み締めるワン・フレーズからジワッと沁みる男の哀愁や優しさの、何とカッコイイことだろう。テクニカルでは決してない、でもその音やちょっとしたフレーズの味わいには、誰にも真似できない豊かな響きとコクに溢れているのです。





【パーソネル】
ベニー・ゴルソン(ts)
カーティス・フラー(tb)
レイ・ブライアント(p)
ポール・チェンバース(b)
アート・ブレイキー(ds)

【収録曲】
1.マイ・ブルース・ハウス
2.ドラムブギー
3.時さえ忘れて
4.ザ・ストローラー
5.イエスタデイズ

そんなゴルソンの、テナー吹きとしての魅力を味わいたいならコレ!なアルバムが『グルーヴィン・ウィズ・ゴルソン』であります。

アレンジャーとしての得意分野は3管以上のちょっと大きめの編成ですが、ここでホーンを担当するのは本人とトロンボーンのカーティス・フラーのみ。で、バックはレイ・ブライアントのブルース職人ピアノと、ポール・チェンバース、アート・ブレイキーの超絶一流リズム隊であります。

ジャズの2管編成っていったら、普通はサックスとトランペットなんですよね。でも、ここでは高音担当のトランペットではなく、あえてミドル音域のトロンボーンを持ってきているところがヒジョーに重要なところなんですね。

カーティス・フラーのトロンボーン、アタシは”まろみ”って言ってますが、何とも人なつっこい味があるんです。

トロンボーンという楽器は、ボタンが付いてなくて、横についているハンドルをスライドさせることで音程をコントロールするんですけど、これがなかなかに難しくて(何人か例外的なテクニシャンはいますが)大体音がスパッと繋がらずにボホホンとした感じになってしまう。でもこれがジャズだと大変にそれっぽい泥臭い雰囲気が出てカッコイイんです。で、カーティス・フラーは、その”雰囲気”の塊のような音を出す人です。

この”まろみ”と、ゴルソンの中〜低音域を中心とした、男らしく実に渋いテナーの音色が、もうほんと絶妙であります。

どっちもまろやかな感じになるんだったら、機動力の高いサックスの方が高音使ってエッジの効いたフレーズを使った方が演奏にメリハリが付くと思うところなんですが、あえてそっちに行かず「どっちも溶け合って気持ちいい」演奏にしっかり軸足を置いてブレない、曲もスピーディーなものは極力使わずに、ミディアム以下のブルースやバラードでまとめているところも流石です。そしてこういうミディアム・テンポの曲にこそ、聴く人を飽きさせない、尽きせぬブルースの美味しさがギュッと詰まっていることを、ゴルソンはちゃーんと分かっています。

そしてバックの中心になっているドラムのアート・ブレイキー。

似たようなキャラの溶け合う音色とフレージングで仲良くソロを交換しているフロントを、どっしり支えつつ、ポール・チェンバースとガンガン煽るスタイルで、演奏を単調なものにしません。

「似たような曲ばかりで飽きるかな」と思わせておいて、それぞれの曲の持ち味、ゴルソン、フラー、そしてレイ・ブライアントとそれぞれ職人タイプながら微妙に違う個性が一瞬光った時を漏らさずにオカズを加えるドラミングは、これも真似しようと思って出来るものではありませんね。

アルバムで最高に「イェ〜イ」となるのが4曲目「ザ・ストローラー」です。

この曲だけややアップ・テンポでノリノリなんですが、ここでのゴルソンは凄いですよ。ズ太い音でゴリゴり吹きまくって「いや、ゴルソン本気出したら凄いじゃん!」と、思わせる勢いがあります。そんなゴルソンゴルソン言われても、何か全然ピンとこんという人は、この曲だけ聴いてもらってもいいです。この音、このズッシリとした加速、この渋さ、これがジャズ・テナーです!


サックス奏者としての確かな実力は持っているんだけど、それより何より曲やバンド全体のアレンジを聴かせるために、普段は一歩引いて共演者を立てているゴルソンが、純粋なプレイヤーとして遠慮なく吹いていて、その愚直な力強さにはジャズの良心みたいなものを感じて止みません。

もし「ジャズ聴きたいけど、やっぱり最初は有名な人のアルバムを買わなきゃダメ?」と悩んでる方がいらっしゃいましたらそんなことは全然ないですよ。有名じゃないけど、こういういい感じの飽きないものもいっぱいありますよ〜。と。







『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2017年10月09日

アルバート・アイラー ゴーイン・ホーム

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アルバート・アイラー/ゴーイン・ホーム 〜プレイズ・スピリチュアル

(MUZAK)

秋になって、日が落ちるのが早くなってくると、いつも通っている夕方の風景が、どこか儚い憂いを帯びているように感じませんか?

そう「秋」といえば、アタシは大好きな季節なんですが、春とか夏みたいな「さぁ今日も頑張るぞー」といったワクワク感はないんです。やっぱりどこか淋しいんです。でも、その寂しさ故に音楽とか文学とか、そういったものにホロッとなる、まぁその、カッコ良くいえば詩的感情みたいなものが、心の奥底からゆっくりと顔を出しているのを感じます。

そうなってくると音楽を聴くのが、俄然楽しくなりますね。えぇ、楽しいというよりは、好きな音楽はもっと好きになったり、それまで何となく聴いていた音楽の、気付かなかった良さみたいなものに急に目覚めてハッとしたりするようになる。そういう季節が秋なんだと思います。

で、アイラーです。

アルバート・アイラーは、このブログでも、もう何度か取り上げております。

ちょっとジャズを知っている人なら「アルバート・アイラーはフリー・ジャズの代表的なサックス奏者で、とにかく過激で型破り」なんていうイメージがすぐに言葉として出てくるかも知れません。

アイラーは確かに過激です。

その過激さというのは、スタイル云々ではなく、恐らくもっと根源的な、人間の魂の奥底から湧き上ってくる衝動に、とことん忠実な過激さでありましょう。

たとえば他のフリー・ジャズのアーティストなら、モダン・ジャズという基礎をみっちりやって、それを打ち破るようなスタイルで楽曲に挑んだり、或いはそれまで習得したものを全部かなぐり捨てた、出す音そのものを無機質になるまで徹底して解体し尽くした、現代音楽のようなものであったり。

とにかく、ほとんどのミュージシャンは、それを「過激」にしようと意識して、懸命に音楽を型枠から外していこうという挑戦をやっておる。んで、演奏のどこかに冷静な意識が働いているのを見る訳です。過激にやっていようと、破壊衝動を全面に出そうと、やはり演奏というものは人に聴かせるものなので、どこかにそういった配慮みたいなものを持っているのがプロのミュージシャンなんだなぁと、アタシのような素人は思う訳なんですね。

そこへいくとアイラーの演奏、というか演奏行為には

「これをこうやって崩してみよう」

とか

「こうすればこうかな・・・」

とかいう、作為のようなものが全く感じられません。

や、いかにアイラーといえども、その超初期の頃は、有名なスタンダードをフリー・ジャズ化しようと必死で吹いておりましたし、晩年の演奏は、エレキギターや朗読なんか加えて、挙句自分ですっとんきょうな裏声を張り上げて歌も唄っておるんですが、そういうのもひっくるめて、全て”素”でやっているという感じが凄いするんです。

もっと簡単にいえば、フリーにやろうがファンキーにやろうが、R&Bのホンカーよろしくブルージーなフレーズをゴリゴリ吹こうが、テナー・サックスを持って”ブッ”と音を出す瞬間には、この人の意識はもう完全に思考とか計算とか及ばない別の領域に飛んじゃって、そこでこの世のものにあらざる精霊とかそういうものとひたすら交信をしているような、そんな図を、聴いているこっちの脳裏に深く焼き付けてくれるんですよ。

アタシはハタチそこらの頃に「最強にぶっとんだジャズ、いやこれもうパンク」としてアイラーを認識しました。今でもその認識は1ミリもブレてません。

しかし、ただ過激で刺々しい刺激だけの音楽だったら、やがて刺激に慣れてすっかり飽きてくるはずだとも思ったんですが、それは全く違いました。

アイラーの音楽には、ある特種な”やさしさ”があります。

変な話ですが、ぶっこわれたフリーク・トーンで「ギョリギョリギョリ!」と吹いても、その豊かにヴィブラートを効かせまくった音色から感じるものは、深い愛としか言えない暖かいものなんです。

そして、彼の作る楽曲もまた、フリーキーにブチ壊れた部分を脳内で上手にリミットして聴けば、童謡や唱歌なんかとちっとも変らない、シンプルで口ずさみ易い、語弊を恐れずにいえば”カワイイ”メロディーで出来ているんです。

アタシは幸いにして(?)アイラー歴2年目にしてそのことに気付きました。

で、当時の先輩とフリージャズについてアツく語りながら「いやぁ、でも何だかんだ言ってアイラーってすごく優しいですよね、そしてすごくポップ」と、うっかり知ったような顔で言ってしまったんです。

最初は

「あっはっは、そうだよなー。坂田明も”アイラーの曲を吹いてたら、段々丸くなって、最終的にはゆうやけこやけのあかとんぼのメロディーになった”とか言ってたもんなー。大熊ワタルもチンドン屋アレンジでアイラーやってて、アレがすっげぇハマッてたんだよなー」

と、笑っていましたが、急に真剣な目になり

「おぅ、そういえばアイラーが一切フリーやらねぇで、古いブルースばかりやってるアルバムがあったなぁ。アレ、オレが聴いた中で一番凄かったよ・・・」

と言って絶句しました。





【パーソネル】
アルバート・アイラー(ts.ss)
コール・コブス(p)
ヘンリー・グライムス(b)
サニー・マレイ(ds)

【収録曲】
1.ゴーイング・ホーム
2.オールマン・リヴァー
3.ダウン・バイ・ザ・リヴァーサイド
4.スウィング・ロウ、スウィート・チャリオット
5.ディープ・リヴァー
6.聖者が街にやってくる
7.誰も知らない私の悩み
8.オールマン・リヴァー(take1)
9.スウィング・ロウ、スウィート・チャリオット(take1)
10.ダウン・バイ・ザ・リヴァー・サイド(take5)


「何ですかそれ!聴いたことないっす!アイラーがフリーやってないってそんなのあったんすか!?」

と、アタシは一方的に興奮しまして、先輩に質問したんですが

・そのアルバムは「スウィング・ロウ・スウィート・スピリチュアル」といって、80年代後半にディスク・ユニオンから出されたが、最近見ないということは、多分もう廃盤だろう(注:1997年当時)。

・オリジナルは輸入盤で、確かジャケットもタイトルも違ったような気がしたんだけど何て言ってたっけ、忘れた。

というすごく曖昧な答えしか返って来ず、でもアタシはその情報だけを頼りに、あちこちのCD屋を探して回りましたが、遂に見付けることはできませんでした。

でも、その頃はすっかりアイラーやコルトレーン、エリック・ドルフィーに夢中で「見かけたら何でも買う!」と息巻いていた時。

ある日フラッと入った中古レコード屋さんのCDコーナーで見かけた”見たことのないアイラー”を、何気なしに買って、聴いてみました。

冒頭、いきなりドヴォルザークの交響曲『家路』

そしてアルバムは「聖者の行進」や「ダウン・バイ・ザ・リヴァーサイド」など、スタンダードというよりも、古いトラディショナル・ジャズやゴスペル以前のスピリチュアル(黒人霊歌)ばかりが、一切フリーク・トーンの出てこないストレートな演奏で次々に奏でられていきます。

え・・・これ・・・?

ジャケットを確認しました。

「Going Home」

レーベルはBlack Lion・・・。

でもこれだ、これが例の「アイラーが一切フリーをやらずにブルースだけをやってるアルバム」だ!!

感動で打ち震えました。

その間もスピーカーからは淡々と、アイラーの目一杯の感傷を込めたヴィブラートが、テナー、ソプラノと楽器を時々替えても、何ら変わることない質量で、泣けとばかりにずーーーーっと迫ってきます。

泣きました。

生まれて初めて、特に悲しいことや、悔しいことがあった訳でもないのに、ただ音楽の美しさに涙腺をグッと押されたように、涙がボロボロ落ちてきました。

「うわぁ・・・何ていうんだろう。これは・・・超・・・音楽・・・」

そんな訳の分からないことを頭の中でぐるぐる回転させながらも、意志とは関係なく涙がこぼれ、胸の奥底からは、切ないような、ヒリヒリ痛むような、そしてどこか懐かしいような感情が、そんなのどこにあったんだと思うぐらい大量に溢れてきて、多分それが涙になっているようでした。

アイラーは優しい。それよりも何よりも、この音楽は一体何だ。

今でもこのアルバムはアタシの宝物です。

「アイラーで一番凄い」

先輩はそう言いましたが、アタシは、これはもう、音楽として一番深いところに響いて鳴り止まない何物かであると、今も思っております。



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2017年10月04日

ブッカー・リトル(Booker Little)

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ブッカー・リトル/Booker Little
(Time)

この10月に入ってどハマりしている”ジャズ、哀しいトランペット・シリーズ”(うむ、他に何か良い言い回しはないだろうか・・・)でございます。

今週はウェブスター・ヤングトニー・フラッセラと、それぞれ違うタイプの「この人のラッパは凄く切なくて、そこはかとない味があっていいよね〜・・・」という二人を皆さんにご紹介してきました。

んで、他にこういう味わいを持っているトランぺッターっていないかなぁと、CD棚を物色していたら、おりました。

というよりも、まずもってアタシに生まれて初めて

「ジャズのトランペットってカッコイイかもよね」

と、思わせてくれた、原点である重要なトランぺッターの存在を、アタシはすっかり忘れておったんですね。

あぁいけません。

でも、そのままにしといたらきっといい加減で頭の弱いアタシは、またしても忘れてしまうと思いますので、忘れないうちにご紹介します。

ブッカー・リトルです。

アタシが決定的にジャズという音楽にハマり・・・や、その底無しの魔力にすっかり魅入られてしまったきっかけがエリック・ドルフィー

そのドルフィーの、最高にスリリングで、最高に妖しくて、最高に狂った毒に溢れているライヴ盤に「アット・ザ・ファイヴ・スポット」



というアルバムでした。

全員が全員、唯一無二のクセの塊のような個性を全力でぶつけ合った、今でも全てのジャズのライヴ盤の中でも最も刺激的なアルバム群(ファイヴ・スポット・シリーズは3枚の連作なのです)だと思っていますが、このアルバムで主役のドルフィーのひたすらブッ飛んだ演奏に対し、激しく盛り上がりながらも、時にフレーズを強引にアウトさせながらも、トータルでは美しく均整の取れたフレージングで全体のバランスを取っていたのが、トランペットのブッカー・リトルでした。

とはいえ、最初からドルフィー目当てでドルフィーのプレイしか聴いていなかったアタシにとって、その頃のリトルの印象は「いい感じに吹きまくってるけど、音は優しいし全体的に地味なトランペットだよね」というものでしかなかったのですが、それがある日突然、ドルフィーの特異で異様なソロの余韻をスーッと消して、全く独自の、激しさの中に憂いが満ち溢れた色に「パラパラパラ〜」と塗り替えてゆくその雰囲気にハッと気付いてから

「何て凄いトランペットなんだ!」

と、アタシはすっかりリトルにも夢中になったんです。

そう、この人の場合は「切ない哀しいトランペット」といっても、演奏スタイルそのものはどこまでも熱く激しく、聴き手にしっかり興奮も与えます。

資料に目を通してみたら、1950年代半ばに交通事故で不慮の死を遂げたモダン・ジャズ・トランペットの第一人者、クリフォード・ブラウンの正統な後継者として、演奏技術もアドリブセンスも、かなりの人に期待されておった。

つまりモダン・ジャズの本流の、次世代のスターとしてとても注目されるぐらいの実力者だったんです。

19歳で大物ドラマーであり、クリフォード・ブラウンと一緒にバンドをやっていたマックス・ローチに

「君いいね、クリフォードの後任としてウチのバンドに入りなさい」

と言われ、そこで評価を得て、バリバリの過激派と呼ばれたエリック・ドルフィーと一緒に「何か今まで誰もやってないような新しいジャズをやろうぜ!」とバンドを立ち上げたのが22歳の時。

正にミュージシャンとしては「これから」の時、尿毒症であっけなくあの世へ行ってしまったんですね。

周辺のミュージシャン達は

「ブッカーは元気でピンピンしてたのに、ある日いきなり病院運ばれてそこで死んだと。急死だよ、訳わかんねぇよ」

と、その若すぎる死に戸惑ったと言いますが、尿毒症・・・、多分喧嘩に巻き込まれて腹でも蹴られたんでしょうとアタシは思っております。倒されて激しく腹部を蹴られると、腎臓が損傷してそこから感染症を起こすことがあるのです。

それはそうと、リトルのミュージシャンとしての活動は、そんな風にたったの4年という短いものでありました。

もし生きてたら、リー・モーガンやフレディ・ハバードのように、60年代を代表するトランぺッターの一人として、数多くの作品を残してくれたに違いませんが、実はリトルは短い活動期間の中で3枚の正式なスタジオ盤を残しており、そのどれもが個性の輝きに満ちた、名作と呼ぶに全く値する珠玉のアルバムです。

その珠玉に順番なんかとても付けられませんが、彼のトランペットの素晴らしさに集中して最初から最後まで堪能できるのが、リーダー作として最初にリリースされた『ブッカー・リトル』



【パーソネル】
ブッカー・リトル(tp)
トミー・フラナガン(p)
ウィントン・ケリー(p)
スコット・ラファロ(b)
ロイ・ヘインズ(ds)

【収録曲】
1.オープニング・ステイトメント
2.マイナー・スウィート
3.ビー・ティーズ・マイナー・プレア
4.ライフズ・ア・リトル・ブルー
5.ザ・グランド・ヴァルス
6.フー・キャン・アイ・ターン・トゥ


トランペットのバルブの部分が、手書きで大きくイラストされたジャケットがもう最高ですね。ジャズのアルバムでこういう楽器を描いたもの結構あるんですが、そういうジャケットで中身がガッカリだったというアルバムには、未だ出会ったことがありません。

そしてメンバーが、ピアノにコルトレーンの『ジャイアント・ステップス』ロリンズの『サキソフォン・コロッサス』などなど、多くの作品で堅実なプレイを務め上げ、それらをことごとく名盤にしてきた、ザ・名盤請負人のトミー・フラナガン(BとCだけウィントン・ケリー)、ビル・エヴァンス初代トリオの天才ベーシスト、スコット・ラファロ。ドラムはバップからモダンから、ちょいと前衛なものまで、この人に任せておけば安心のロイ・ヘインズ。

モダン・ジャズの、ちょっとクセのあるカッコいいホーン奏者のワン・ホーンを聴きたいなと思ったら、これ以上望むべくもない最高のメンバーです。

そんなメンバー達、全員がしゃかりきになって個性をブチ撒けずに、カッコイイ伴奏に徹した、すこぶる大人な演奏なんですよ。

そのサポートを得て、思う存分に吹いているリトル。

この人の個性は「一見フツーに聴こえるんだけど、実はちょっとしたところにクセやアクがみなぎっている」とでも言いましょうか。とにかくブリリアントです、リズムに乗れば結構吹きまくります。決して”味”だけで売ってるラッパ吹きじゃないし、若さゆえの”突っ走り”もあって、テクニックだけで無難にそつなくこなす人でもありません。どちらかというと激しく突っ走ってる時でもメロディを意識して「丁寧に歌を紡ごう」という気配りに溢れた展開に、聴く側の意識を誘うのがとても上手い人です。

でも、この人独特の「クシュッ」とひしゃげた音色がそうさせるのか、それともアドリブの途中でさり気なく織り交ぜられるマイナー・フレーズの一瞬がそのような効果を持っているのか、とにかく全体がどこか沈んだ感じであり、そして聴き終わった後にヒリッとした切なさが残ります。

どの曲もカッコ良くて、キッチリ興奮もさせてくれますが「これ!」という曲は、2曲目の「マイナー・スイートと5曲目の「ザ・グランド・ヴァルス」。

「マイナー・スウィート」は、疾走系4ビート・ナンバーですが、無伴奏っぽく(ロイ・ヘインズが軽くアクセントでオカズを入れる)吹き上げている哀愁のイントロから、一気にやるせないアドリブが走り抜けてゆくこれがもうたまんなくて、「ザ・グランド・ヴァルス」はエリック・ドルフィー、メモリアル・アルバムに入ってる『ブッカーズ・ワルツ』と同じ曲ですが、コチラはテンポをグッと落としていて、クシャッとしたリトルの音のまろやかさと美しいメロディとの溶け合いに何だかウルッときてしまうのです。





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2017年10月03日

トニー・フラッセラ トランペットの詩人

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トニー・フラッセラ トランペットの詩人
(Atlantic/ワーナー)

只今秋の感傷モードの真っ最中ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

ブログをご覧の皆様には、既にお気づきかと思います。アタシはこの秋になり「トランペットってもしかして切ねぇ!?」ということを、今更にして気付いてしまい、感動したジャズ・トランペットのアルバムについて書いております。

えぇ、皆さんも心の中に「これ、切ないよ」という音楽、あろうかと思いますので、秋になったらぜひともそういう音楽と、とことん切なくお過ごしになられたらと思いますが、まだそういう音楽ねーよという方や「ちょっと切ない音楽聴きたいけど何を聴けばいいのよ」という切実な思いをお持ちの方は、どうかこのブログでのアタシの戯言を記憶の片隅にでも置いて頂き、音盤と出会う時のご参考にしていただけたらと思っております。えぇ、切に願っております。

で、今日も「せっつねぇトランペット」いきましょうね。

トニー・フラッセラという、白人ジャズ・トランペットの、知る人ぞ知る名手がおります。

いや、どっちかというとあんま知られてないことの方が多い、隠れ名手と言うべきでしょうか。

知られてない理由を挙げると、やはり活動期間が短く、作品をほとんどリリースしていないということ、聴いた誰もが衝撃を受けるような、激しさとインパクトに溢れた演奏というものは一切やっていないということになるでしょう。

ですが、ジャズをこよなく愛し、色々と聴いてトニー・フラッセラに辿り着いた人達は口を揃えてこう言います。

「この人のトランペットは本当に深い。これを聴いていると、何か忘れていた大切なものを思い出したような気持になるね」

と。

はい、そうなんです。トニー・フラッセラの吹くトランペットは決して派手じゃない。聴く人を興奮させる速いフレーズとかスリリングな展開とか、そういうのはないけれども、その一音一音丁寧に噛み締めるような演奏スタイル、曲の持つメロディの肝とも言うべき部分をひたすら美しく磨き上げ、余分なもののないありのままの美しさを、鮮やかさとはまた別の、深く落ち着いた光沢で輝かせるようなアドリブで、聴く人の心にそっと花を置いてくれます。

そんなどこまでも抒情的な演奏をするフラッセラに付いたあだ名が”トランペットの詩人”。

はい、その通りだと思います。

でもこの”詩人”という言葉の響きって、彼の演奏を聴いていると、どこかやるせなく、どうしようもないものが青白く揺らめいているようでどこか哀しい、そして悲しい。

彼の人生は孤児院で始まって、そこを出た時に音楽に希望を見出して、見よう見まねでトランペットを手にする訳なんですが、良い感じに上達して、人気も出て、演奏活動そのものは順調のようでしたが、レコードセールスの波に乗れず、元々常用していた麻薬が彼を呑み込み、シーンから遠ざかることと、束の間復帰することを小さく繰り返しつつ、結局若くして亡くなってしまう。

音楽に簡単に、ミュージシャンの人生を反映させることはどうかと思いますが、彼の片言で懸命に愛を歌ってるかのようなトランペットを聴くと、何かそんなどうしようもない人生が、バカみたいにスッと折り重なってしまうのです。

似たようなタイプでチェット・ベイカーがおります。

才能にも容姿にも恵まれていながら、まるで自ら望んで破滅に向かって突き進んでいるかのような破天荒な人生という意味で2人は大いに重なりますが、チェット・ベイカーはトランペットの演奏技術が実はズバ抜けていて、優しく甘い音色とは裏腹な、派手で華のあるプレイをします(意外とベイカーは吹きまくっている演奏多いのですよ)。それゆえ生涯を通じて華やかなジャズの表舞台に常に居ることが出来たということを考えると、フラッセラのひたすら楚々として美しく、そして派手な脚光を浴びることのなかったジャズ人生って・・・と思い、また胸に切ない感情が滲んでくるのであります。




【パーソネル】
トニー・フラッセラ(tp)
アレン・イーガー(ts)
ダニー・バンク(bs,AD)
チャウンシー・ウェルシュ(tb,AD)
ビル・トリグリア(p)
ビル・アンソニー(b)
ビル・ブラッドレイ・ジュニア(ds)

【収録曲】
1.アイル・ビー・シーイング・ユー
2.ムイ
3.メトロポリタン・ブルース
4.レインツリー・カントリー
5.ソルト
6.ヒズ・マスターズ・ヴォイス
7.オールド・ハット
8.ブルー・セレナーデ
9.レッツ・プレイ・ザ・ブルース

彼の数少ない作品の中から、代表作であるところの「トランペットの詩人(原題:Tony Fruscella)」を聴きましょう。

とにかくもうこのジャケットですよね、繊細そうな良い男が、トランペットを抱えて沈んでる白黒のポートレイト。これは紛れもない本人で、決してアルバムジャケット用に取ったポーズではないでしょう。えぇ、普段からこんな雰囲気を醸す人であったらしいです。

とにかく中身を聴かずとも、このジャケットだけで、この中に収録されている音楽がどんなものであるか、8割がた語られていると言っていいと思います。

中身はフラッセラのトランペットが、”幻のテナーマン”と呼ばれたアレン・イーガーのまろやかで共通した翳のようなものを持っているテナー・サックスと、ひたすら美しいメロディを紡いでゆく、派手で猛々しいところが一切ない、アンニュイな空気から醸される上質な憂いが終始漂っておるアルバムです。

2曲でバリトン・サックスとトロンボーンが入り、ちょっとだけ賑やかにはなりますが、「ススス・・・」と吐息まじりでメロディを淡々と紡いでゆくフラッセラのトランペットが響くだけで、空気がスーンと落ち着いたものになるから不思議です。

リズム・セクションはビル・トリグリア(p)、ビル・アンソニー(b)、ビル・ブラッドレイ・ジュニア(ds)という、偶然にも”ビル”が3つ並んだトリオで、この人達もさほど有名な人達ではありませんが、落ち着いた気品のある、いいサポートです。

特にビル・トリグリアのピアノは、バックでは控え目にコードを、ソロは弾き過ぎずコンパクトに、の職人的な”引き”が感じられて、そのさり気ないセンスの良さがひたすら好感度高いです。

楽曲の中でオススメ、というか、聴く毎に何ともいえないやるせなさの海へ引きずり込まれてしまうのが6曲目の「ヒズ・マスターウ・ヴォイス」。

クラシックのフーガ風のイントロから落ち着いた4ビート(ドラムはブラシ)が入り、フラッセラ、イーガー、トリグリアと、静かにバトンが渡されてゆくソロの、何と切々と優しく身を切ることか。そしてまたエンディングでトランペットとテナー・サックスによる美しいフーガが哀しく響く。

あぁ、何だろうこのどうしようもないカッコ良さは。。。



(↓アナログもあります)





『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2017年10月01日

ウェブスター・ヤング フォー・レディ

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ウェブスター・ヤング/フォー・レディ
(Prestige/OJC)

夏が苦手で、というのも、夏になると目に見えて調子を崩したり、体の具合が明らかにおかしくなってきますので、7月8月は、実は「バテないぞ!」と気を張り詰めているんです。

ここ最近は、そういった気合いのおかげか、夏に目に見えて調子を崩すということはないのですが、その反動で9月になって不調が来ます。

不調というのは具体的には眩暈や動悸、えぇ、持病です。何とか誤魔化して馴染ませるために、色々と休み休み、今出来る環境にあるというのがせめてもの救いです。

調子がアレなもんで、この時期に聴ける音楽というのは限られても来ます。

ノリノリで爆音でけたたましいものは大好物なんですが、調子が悪い時は心は喜んでも体が喜んでくれないのでパス。

というとまったりした音楽、静かな音楽という具合になってきて、必然的にジャズやクラシックのCDやレコードに手が伸びることが多くもなるのです。で、ここんところ聴いているのが、マイナーなジャズ・トランペット奏者達のそこはかとない作品たちであります。

あのですね、トランペットという楽器は基本やっぱり派手でけたたましい楽器なんですよ。

ジャズがその創世記の頃、ソロ楽器として唯一もてはやされたのが、トランペットのご先祖のコルネットという楽器で、コレが何でソロ楽器としてもてはやされたのかというと

「音がデカいから」

という、実にシンプルでそれ以外ない理由からで、そもそもラッパ系の楽器というのが、軍楽で使われる号令のラッパが最初の形態でありますので、これはけたたましくないとお話にならないという因果がございます。

だもんで、時代を経てジャズで使われるようになっても、トランペットというのはやっぱりソロ楽器として一等派手で、ビッグバンドでも4,5人のコンボでも高音を煌めかせながら演奏を盛り上げる役割、というのが多いような気がします。これでは体調の悪い時に、とてもじゃないが聴けたもんじゃない。

しかーし!1950年代以降、マイルス・デイヴィスが消音機を被せた”ミュート奏法”を大々的に使うようになってから「トランペット=派手に吹きまくる」という常識は、ちょっとづつ覆され、その後この分野には、訥々と丁寧にメロディを吹くタイプの演奏家も出てきました。

うん、これなら調子悪い時も聴けるぞ!

と、皆さんにオススメしたい人がウェブスター・ヤングという人であります。

ミュージシャンのカッコ良さを測る要素として、味わい、テクニック、カリスマ、革新性という4つの要素があるとすれば、この人は徹底して”味わい”の人。

そのミュートを被せたコルネットから出されるフレーズは優しく哀しく、そして聴く人を淡い世界へいつの間にか誘ってくれる、実に奥深い味わいを持っておるのです。

50年代にはジャッキー・マクリーンやデクスター・ゴードンなどのサイドマンとして活躍し、その控えめでいながらもジャズのツボを押さえた演奏で、上手にリーダーを立てている作品をそこそこ残しつつも、60年代以降は一線から退き、音楽学校で理論を教える講師をやっていたことからも、性格的にもきっと控え目な人だったんでしょう。




【収録曲】
ウェブスター・ヤング(tp)
ポール・クィニシェット(ts)
マル・ウォルドロン(p)
ジョン・ピューマ(g)
アール・メイ(b)
エド・シグペン(ds)

【収録曲】
1.ザ・レディ
2.ゴッド・ブレス・ザ・チャイルド
3.モーニン・ロウ
4.グッド・モーニング・ハーテイク
5.ドント・エクスプレイン
6.奇妙な果実



さて、そんなヤングの初リーダー作にして、正式なものとしてはこれが唯一のアルバムが本作「フォー・レディ」であります。

このアルバムは「不世出のジャズ・シンガー」と呼ばれたビリー・ホリディに捧げられたもので、1曲目のオリジナル曲以外は全てビリー・ホリディがこよなく愛したナンバーばかりが揃えられ、メンバーも、丁度この時ビリーのバンドのピアニストだったマル・ウォルドロン、そしてビリーが音楽的にも人間的にも最高の敬愛を抱いていたテナーサックス奏者、レスター・ヤングのスタイルを最もピュアな形で形容し、レスターの”大統領”というあだ名に対し”副大統領”というニックネームを持っていたポール・クィニシェット(この時レスターが亡くなっていたので、彼に声がかかったんでしょう)をメンバーに従えた、トリビュート・アルバムです。

ビリー・ホリディという人の歌唱スタイルは、歌詞を噛み締めるように切々と、訴えるように歌うスタイルで、このスタイルがまた、ヤングのコルネットととても相性がいいんですよ。感情をドバッと出さず、くすんだ音色で丁寧に紡ぎ出す。

コルネットはトランペットより素朴な、味のある暖かい音色で、出てくるフレーズそのものにも、演奏全体にも、何となく淡く儚い翳のようなものが、じんわりと広がっております。このアルバムの何がたまんないかって、郷愁というか哀愁というか、そういうものがフワ〜っと当たり前のものとして、空間を埋め尽くすぐらいの質量で存在しているところがたまんないんです

。意識せず、ただ部屋で何となく流してるだけで、何だか泣けてくる、これです。グッド・ミュージックと言わずして何と言いましょう。

バックのメンバー達のプレイも、その”淡い哀感”を醸すのに、本当に見事なサポートをしています。

特にポール・クィニシェットの柔らかくメロディアスなテナー、マルのモノトーンの世界観なピアノ、ジョン・ピューマの滑らかな音色の、品の良いギターが楽曲の上で溶け合って、もう聴いてるこっちの意識もゆるやかにいけない世界へ持っていかれてしまいます。

アルバムのハイライトは後半「ドント・エクスプレイン」と「奇妙な果実」という、ビリーの愛唱曲の中でもとりわけてしっとりと、切々と訴える力のあるナンバー。

「ドント・エクスプレイン」は、アール・メイの深い響きのベースがまずイントロを奏で、そこから他の楽器が入ってきます。ここからの、どこまでも切なく堕ちてゆくアンサンブルをぜひ聴いてください。

どなたかのホームページで「ヤングがすすり泣き、クィニシェットがむぜび泣き、マルがもらい泣きする」と、この曲が評されてました。アタシはこの記事を書くに当たって、それ以上の表現を何とか探して書いてやろうと思いましたが、いや、降参です。これ以上に見事な表現はありません。

そして「奇妙な果実」。ひたすら重く、暗く、不吉なアレンジのイントロ、悲痛なメロディーに渾身の悲しみを込めて歌い上げるコルネット、もう言葉もありません。

「奇妙な果実」以外は余りにもそこはかとなく、しっとりとした風情が続くアルバムですので、最初は「うん、しっとりしていいね」ぐらいに思ってましたが、いや、これは凄いアルバムです。表面の優しさの裏に、中毒性がたっぷりと塗り込まれております。














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2017年09月27日

ビル・エヴァンス 自己との対話

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ビル・エヴァンス/自己との対話
(Verve/ユニバーサル)

ようやくというか何というか、のっそりスローペースで、今年も秋がやってまいりました。

秋といえば、色々と「〇〇の秋」の〇〇の部分に好きなものを入れて楽しむ季節でしょう。食欲大いに結構、スポーツもいいでしょう、読書なんか最高です、芸術なんてもうヒューヒューです。

で、アタシの場合はこの時期は、溜まりに溜まった夏の鬱屈とした気分を浄化するために、感傷のスイッチをオンにして、切なくてヒリヒリする美しい音楽を聴きながら、感傷に目一杯浸ります。

個人的に

「心の鎮痛剤」

と呼んでるジャンルがありまして、それはズバリ、ジャズやクラシックなどのピアノの音楽のことなんです。

儚くて哀愁に満ち溢れたピアノの音色は、心に僅かな痛みをジンジンと響かせながら、内側にある苦しいものを、少しづつ詩に変えてくれるような、そんな効果を勝手に感じて、じんわりと耳を傾けておりますが、このジャンルの代表格といえばやはりビル・エヴァンスです。

「ピアノの詩人」と呼ばれ、ジャズの世界に”美しくそこはかとない情感”というものを、エヴァンスはそっと持ち込みました。もちろんエヴァンス以前にもうっとりするような美しいピアノを聴かせてくれる人は多くおりましたが、エヴァンスの強みは何といっても

「速めのテンポでノリノリの曲を演奏しても、どこか哀しい、何故か切ない」

と、聴く人を感じさせるその儚い詩情であります。

この感じのことを専門用語で「リリカル」といいますね。しかしこの言葉、ライターとか評論家とか、そういった専門家チックな人達がやたら連発するので、ジャズ初心者の方々には案外「なんかよーわからん言葉」と思われているようです。いかんですね、いかんですので、皆さんには


「リリカルっつったら”何か綺麗で切なくてやるせないヤツ”ですよ」

と、一言説明を入れておきましょう。お店とかネットとかで音楽に出会う際の参考にしてくださいね。

で、エヴァンスです。

心の鎮痛剤ジャンルでは、早く効いて長く効くエヴァンスのピアノは、どの時期のどの作品も、あらゆる切なさの集合体と言っても過言ではありません。

モダン・ジャズ全盛の1950年代半ばにデビューしたその時から、それまでのジャズ・ピアノの「イェ〜イな感じ」とは確実に一線を画す、内向きで知的な風情に溢れたピアノは、クールなサウンドを目指していたマイルス・デイヴィスの耳に留まり「カインド・オブ・ブルー」という、ジャズの歴史を大きく変える、知的で芸術性の高い作品を生み出すことに大きく貢献しました。

しかし、繊細過ぎる性格のエヴァンスは、マイルス・バンドでのストレスに耐えきれず、僅か1年ほどでバンドを脱退。

そこからはスコット・ラファロ(b)、ポール・モチアン(ds)と最初のトリオを組んで「ポートレイト・イン・ジャズ」「ワルツ・フォー・デビィ」など、ジャズ・ピアノ・トリオを代表する人気作を世に出しました。

このトリオは、単にエヴァンスの美しいピアノを引き立てるだけでなく、ベースのスコット・ラファロの大胆に切り込むハードなアドリブがエヴァンスの研ぎ澄まされた即興演奏の才能を更に引き出し、それまでの「ピアノ・トリオ=ピアノが主役でベース、ドラムは脇役」という常識を覆し、更にそれまで単なるリズム・セクション、もしくはBGM的にムードを演出する編成ぐらいに思われていたピアノ・トリオを「それだけで十分にスリリングで、しかもクオリティの高い音楽を聴かせることのできるフォーマット」へと、その地位そのものを高めたんです。

この初期のトリオにおけるエヴァンスの創造性というのは、今聴いても本当に鳥肌が立ちます。

ピアノとベースがガンガンとどこまでも激しくやりあっていても、エヴァンスの紡ぎ出すメロディというのは、どこか常に内側を向いているような感じがして、そして激しく弾けば弾くほど、彼の音はその、そこはかと帯びている哀しみを、もっと前面に出しているかのように響くのです。

1960年代初期に結成されたこのトリオは絶好調でした。

しかし、そんな絶頂の時に、ベーシストのスコット・ラファロが1961年、交通事故により23歳であっけなくあの世へと旅立ってしまいます。

最高の相棒を失ったエヴァンスは悲観に暮れて、かなりの鬱状態になり(この鬱がこれから後も度々彼の人生を苦しめて、結局エヴァンスの寿命を縮めることになります)ましたが、後任のベーシストとしてチャック・イスラエルが加入した後、精神は少し持ち直して、エヴァンス・トリオは復活します。

しかしエヴァンスの中でラファロの喪失は、周囲が思っているより遥かに大きく、エヴァンスはその孤独を埋めるべく、トリオやバンドでの活動以外にも、ソロ・ピアノで更に内なる世界の哀切の海へと漕ぎ出してゆくのです。




【パーソネル】
ビル・エヴァンス(p)

【収録曲】
1.ラウンド・ミッドナイト
2.ハウ・アバウト・ユー
3.スパルタカス 愛のテーマ
4.ブルー・モンク
5.星影のステラ
6.ヘイ・ゼア
7.N.Y.C`Sノー・ラーク
8.ジャスト・ユー、ジャスト・ミー
9.ベムシャ・スウィング
10.ア・スリーピング・ビー


1963年に、エヴァンスがたった一人で行った「自己との対話」がレコーディングされました。

それまでもエヴァンスは、一人スタジオでソロ・ピアノのレコーディングを試みましたが、恐らくどれも満足の行く仕上がりではなかったのでしょう(でも発掘音源としてリリースされたそれらは、孤独の内に本当に美しい輝きを宿している素晴らしい演奏です)、1年以上かけてようやく正式な”作品のためのレコーディング”となった「自己との対話」では、何と自分自身が演奏する3台のピアノを全編多重録音した、前代未聞の作品となっております。

「ソロ・ピアノ」というよりも「ピアノ・アンサンブル作品」と呼んだ方がいいアルバムですね。

実際に聴いてみても、低音でリズムを支える部分と高音でメロディを紡いでゆく部分、そしてそれら両方にアドリブで絡んでゆく部分と、3台のピアノがそれぞれどのような役割かは、何となく分かる仕様になっています。

音の印象としては、バラードでもアップテンポの曲でも、キラキラと砕けた宝石のような華麗な装飾音が、美しくも儚く鳴り響き、幻想的なイメージの世界へと誘ってくれる、非常に繊細な音世界であります。「スパルタカス愛のテーマ」は特に、エヴァンスのピアノの幽玄美の極致といっていいほど、深淵で壮大な詩情に溢れた、壮絶な美に溢れた演奏。

でも、やはりエヴァンスのカッコ良さは、原曲の表面をなぞっただけの”綺麗さ”ではなくて、やっぱり強い左手から繰り出される、信じ難いグルーヴによる、陶酔感でありましょう。

このアルバムには、セロニアス・モンクの曲が「ラウンド・ミッドナイト」「ブルー・モンク」「ベムシャ・スウィング」と3曲収録されていて、「ラウンドミッドナイト」はマイルスの愛奏曲でもありますし、エヴァンスもその後ライヴなどで何度も演奏している静かな曲でありますが、「ブルー・モンク」「ベムシャ・スウィング」は、モンクの調子っぱずれなピアノのユニークさが、軽快なテンポで強調された明るいナンバーなんです。

そんなエヴァンスの個性とは全く反対と言っていいこのナンバーを、エヴァンスは原曲のユニークさを壊さず演奏しているんですね。で、この2曲、特に「ベムシャ・スウィング」の左手を聴いて欲しいんです。

鍵盤、ガンガンに叩いて、びっくりするぐらい強靭な左手のリズムです。これが多重録音でガンゴン重なる展開があるんですが、この展開を耳で追っていくうちに、曲はノリノリでリズムも音色もゴツいはずなのに、何故か切なくなってくるんですよ。苦しいぐらいに何か泣けるものが胸めがけて一直線に刺さってくるんですよ。

色々聴いても、この「ノリノリで切なくさせる人」ってエヴァンスしかいません。何がどういう仕組みになってるのか未だによくわかりませんが、とにかく切ないし狂おしいし、ジワッと泣けてきちゃいます。

エヴァンスのピアノだけが鳴ってる空間で、しかもエヴァンスにしては珍しくノリノリでグルーヴィーな陶酔に満ちたナンバーも結構入っているので、いわゆる「内省的な作品」というのとは少し違います。

でも、この哀愁は聴く人をどうにも虜にしてしまいます。

いずれにせよエヴァンスの凄さ、いや、未だエヴァンスの凄さって究極的に儚い右手から紡ぎ出されるものなのか、強い左手から叩き出されるものなのか、究極的な答えは見付かりませんし、陶酔にヤラレてそんな気も起こりませんが、心の鎮痛剤としてはもう最高クラスのアルバムだと思って、この時期は浴びるように聴いております。



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2017年09月19日

リー・コニッツ ディープ・リー

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リー・コニッツ&トリオ・ミンサラー/ディープ・リー
(ENJA/SOLID)

夏の間は大コルトレーン祭をやっておりましたので、もうそれこそ耳に入れるサックスの音といったら、煮えたぎるような情熱で出来た硬質な音。

「お前、何で夏のクソ暑い時にそんなコルトレーンみたいな爽やか要素がひとつもないもんばっか聴いてるんだ」

と、心ある方々から結構マジなツッコミを頂くこともありますが、や、これはウチの宗派(大コルトレーン教)の教義でありまして・・・、と笑いながら返すと向こうも「そうか、それならしょうがないな」と笑って答えるのであります。

こういうのが平和って言うんですよね。えぇ、平和です。平和がいちばんよろしい。

そうやって、夏の間に目一杯カッカさせたりクラクラさせたりしておりますので、秋になると今度はクールな音楽で、良い感じに心身共に冷却です。

という訳で、アタシはコルトレーンの季節の後に、必ずリー・コニッツを集中して聴くようにしております。

この人が吹くアルト・サックスの音やフレーズ、ややふやけた脳みそをキリッと引き締めてくれる効果もあるし、同時にこわばった気持ちの部分を程よく溶かしてくれる、優しい効果も持っております。えぇ、独特といえば独特、ジャズの世界にこの人と似たような個性を持った人はいない、本当に不思議なカッコ良さを持っている人なんです。

リー・コニッツという人は、1940年代の末にデビューして、恐るべきことに89歳になった今も現役で活動しておりますが、彼の凄いのは「デビュー当時沸きに沸いていたビ・バップと、唯一そのクオリティと革新性で対抗出来ていたクール・ジャズ(詳しくはレニー・トリスターノの頁参照)、その中でアルト・サックス奏者として、当時のチャーリー・パーカーとライバル関係にあった」ということや、まだぺーぺーだった頃のマイルス・デイヴィスが彼のアドリブに惹かれ「どうやってんだ、教えてくれよ」と言ってきて、彼が教えたことのほとんどが、初期マイルスのあのクールで都会的なムードを生み出すのに役に立ったとか、その初期の活躍もなんですが、長い現役生活を続けるうちに、スタイルをどんどん進化させ、21世紀の今も

「あ、このサックスはとても新しい響きがある」

と、聴く人に思わせるところにあると思います。

もっといえば

「流行には一切迎合せず、ただ淡々と己の内側に進化を求めた結果、キャリアの中で一瞬も時代遅れになる音楽をすることがなかった」

ということになるでしょうか。

どんなに優れたミュージシャンでも時代の流れには勝てず、往年の輝きを失って失速したり、或いはロックやファンクなどの最新のサウンドを取り入れて、ある意味で華麗な転身を遂げて成功したり、そうやって「時代」というものに翻弄されて苦悩するものでありますが、コニッツはどの時代の演奏を聴いていても、そういった苦悩や変節とは全く無縁に思えます。

もちろん最初期の、トリスターノの愛弟子だった頃の、カミソリのような鋭いアルト・サックスの音色は、50年代半ばから徐々に丸みを帯びたウォームなものになっていきますし、60年代以降は作品によってフリージャズみたいなこともやったし、ちょいと座興で電気サックス(サックスにピックアップ付けてアンプに繋げたもの)を手にしたこともあるし軽めのボサ・ノヴァを吹いてるアルバムだってあります。

でも、そういうあれやこれやをやってみても、軸足はしっかりとアコースティックなジャズに置いてぶれないし、演奏スタイルも「即興」というものにストイックなまでの強い想いと「感情の高ぶりに流されない知性」というものを、一瞬たりともコニッツは失っておりません。

だからアタシはコニッツさんのアルバム、それこそ色んな年代のものを無節操に集めて聴いていますが、どのアルバムからも無駄のない芯の強さに彩られた美と、思考をジワジワと刺激し、別世界へと自然と誘ってくれる引力を感じます。




【パーソネル】
リー・コニッツ(as)
フローリアン・ウェーバー(p)
ジェフ・デンソン(b)
ジヴ・ラヴィッツ(ds)


【収録曲】
1.スリー・パート・スィート~インヴェンション
2.スリー・パート・スィート~コーラル
3.スリー・パート・スィート~カノン
4.ディープ・リー
5.星影のステラ
6.カクタス
7.アズ・ザ・スモーク・クリアーズ
8.W86th
9.シー・ザ・ワールド・フォー・ザ・ファースト・タイム
10.カラー
11.スパイダース


で、アタシはここ数日引き込まれるままに聴いているのが、2007年に録音されたこのアルバム。

「リー・コニッツと、ドイツの若手ピアノ・トリオが共演する」

という、発売前の宣伝文を見て何故か

「これは絶対に買わなきゃいけないやつだ」

と思いました。

1927年生まれのコニッツは、この時80歳。一方のミンサラーの3人は1976年と77年の生まれだから、この時30歳と31歳。

普通に考えて「大ベテランと彼をリスペクトする若手との、和やかなくつろぎに満ちた作品」に仕上がりそうなもんですが、こういうシチュエーションで絶対に、絶対にそんなぬるいことをやってくれないのがコニッツです。

果たしてその予感は当たり以上の大当たりでした。

コニッツの、厳しさを内に秘めた優しさとしなやかさ、そしてそれらに美しくまぶされた憂いの成分が薫り漂う、美しい音色のアルト。そこに恐らくはクラシックの基礎と、それに収まらない狂おしい衝動を持ったトリオ・ミンサラーの、完全に対等な、持てる全ての実力とリリシズムを遠慮なくぶつけてくる演奏。

どの曲も「コニッツのアルトとサポートするピアノトリオの好演」どころではありません。

コニッツが徹底して無駄を省いて厳しく再構築したアドリブの、幽玄の闇を漂うメロディーに、時に絡みつき、時にリードを丁寧に奪い、えも言えぬ静謐なハーモニーを、同じ歩調で生み出してゆくフローリアン・ウェーバーのピアノと、的確なリズムを付けていくだけじゃなくて、アルトとピアノの見事な即興同士の真剣勝負に自然と入り込み、どんどん”うた”を拡散させてゆくベースとドラム。

演奏はどの曲も切ない余韻をきらめかせながら、内へ内へと沈み込んでゆくような”クール”でありますが、だからこそやっぱり、コニッツを聴いた時にかならず胸に迫ってくる引き込みのヤバさが渦巻いております。これ、本当に素晴らしいです。






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2017年08月29日

ジョー・ヘンダーソン イン・ン・アウト

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ジョー・ヘンダーソン/イン・ン・アウト
(Bluenote)

ジャズの歴史には、1960年代のコルトレーンブレイク後に出てきた、いわゆる”ポスト・コルトレーン”という若手サックス奏者達がおりました。

まずはコルトレーンが所属していたImpulse!レコードで活躍していた、アーチー・シェップ、ファラオ・サンダースといった人達で、彼らはコルトレーンの演奏スタイルというよりは、その演奏から感じられる神秘的な部分や、60年代の”時代の闘士”のように言われていたカリスマ性などにシンパシーを覚え、自己の存在やパフォーマンスを磨いていった人達であります。

一方で、ジャズのメインストリームに位置し、モダン・ジャズの数々の名盤を作り上げてきたBLUENOTE、ここで気鋭の活躍をしていた”ポスト・コルトレーン”の人達もおりました。

代表的なのが、ウェイン・ショーターとジョー・ヘンダーソンであります。

この人達は、コルトレーンの神秘的なムードや、その昔盛んに言われていた”精神性”みたいなものはとりあえず置いといて、その”テナー・サックスなのにズ太く泥臭い方向へ行かない、シャープでソリッドな質感の演奏”をひたすら自己のスタイルに取り込んで、そこからオリジナルな個性を築いていった人です。

特にこの2人に関しては、50年代末にマイルス・デイヴィスが大成させた”モード”の使い手でありました。

モードってのは一体どんなものなのか?それを説明するとややこしい音楽理論の話になってしまいますので今回もザックリ行きますと「要はスケール(音階)を自由に使え。ただし演奏が壊れない範囲でセンスよく」という考え方でありまして、マイルスは自由なメロディ展開を促すために、曲からコードそのものを大幅に削減してしまった。で、そんなマイルスのバンドで一緒にモードの開発にいそしんでいたコルトレーンは、逆にコード・チェンジを細かく激しくした上で、更に速く激しい自分のソロを限界まで敷き詰めちゃった。

で、大事なのは、彼らがそんな新しい理論を発明しちゃったよ。ということではなくて

「ほうほう。で、そのモードってやつをすることによって演奏はどうなっちゃうの?」

という方ですよね。

一言で言うと

「マイルス達の演奏には、クールで都会的な独特の浮遊感が出てきて、何だかそれまでのジャズと違って知的な質感になった」

「コルトレーンの演奏は、アドリブの体感速度が急上昇して、更にどこへ飛んでいくか分からないスりルが加味された」

ということになるんです。

それまでの、たとえばビ・バップやハード・バップ等のモダン・ジャズだと、テーマ→アドリブ→盛り上がり→テーマみたいに、曲の起承転結がハッキリしておりました。

コードに合ったスケールを使って演奏すれば、それはおのずからそうなるんですが、モードなら”和音にちょっとでも関係ある音なら何でもOK、着地しなくてもセンス良くキメたらOK”ですから、縦にピシャッとハマるはずの音がすら〜っと横へ伸びてったりする。それがとてもクールで新しい”感じ”に聞こえる。

まぁ多分この抽象的でヘタクソな説明で「おぅ、わかるぜぇ」となる人はあんまいないと思いますんで、もっと簡単にいえば

「今っぽくて頭のよさそうな音楽に聞こえる種類のジャズは、モード奏法使ってるかもだぜ♪」

と、言ってシメます。はい、何事も理屈よりフィーリングが大事です(苦)

で、今日皆さんにご紹介するのは、そんな”コルトレーンのフォロワーにして、モードの使い手”ジョー・ヘンダーソンですね。

この人は、一言でいうと「とっても面白い人」です。

ゆらゆらフラフラして、終始どこへ行くか分からないフレーズが、いきなり”キメ”のところで最高にキャッチ―なフレーズに化けたり、音に情念をほとんど込めずに淡々と弱い音で吹いてるなーと思ったら、聴いたあと何か不思議な感触を耳に残してくれる。でもそれが具体的になんなのかは結局分からない。

うん、とにかくクセはあるしアクもあるんだけど、まるでイカのようにその音色やフレーズが掴めない。でもその”掴めなさ”こそが個性で、故にとっても面白いと、聴く人に思わせてくれる、そんな稀有な個性を持っておる人であります。

そのフレーズ展開からは、コルトレーンから強い影響を受けているのは分かるのですが、よくよく聴くと「あらゆる点でコルトレーンとは逆のことをやってる人」とも言えます。

例えば音色。

マウスピースを深くガッと加えて、サックスから出てくる音にどれだけの感情をぶっ込めるかで勝負しているような、とにかく熱い、暑い、厚い音を出すのがコルトレーンだとしたら、ヘンダーソンのトーンは「あれ?」っていうほど軽やかなんです。

どんなに感情が高ぶっても、盛り上がる展開でも、音量は一定でフレーズが感情に乗っからない。

えぇ?じゃあ機械的でつまんないじゃん?

という人もいるかも知れませんが、それがその逆で、常に一定の音量、あえて抑揚を抑えたフレーズは、楽曲の核を見事に引き立たせて、アドリブは掴みどころがないのに、素材本来の味で唸らせるオーガニック料理職人みたいな、不思議なナチュラル感をこの人出すんですよ。



(↑ホレス・シルヴァーの「ソング・フォー・マイ・ファーザー」という有名な曲がありますが、コレのソロを聴いてください。凄くかっこいいです)



【パーソネル】
ジョー・ヘンダーソン(ts)
ケニー・ドーハム(tp)
マッコイ・タイナー(p)
リチャード・デイヴィス(b)
エルヴィン・ジョーンズ(ds)

【収録曲】
1.イン・ン・アウト
2.パンジャブ
3.セレニティ
4.ショート・ストーリー
5.ブラウンズ・タウン


アルバムとしてまず面白いのは、マッコイ・タイナーとエルヴィン・ジョーンズという、憧れのコルトレーンのバックをメンバーに迎えて、1964年にレコーディングした「イン・ン・アウト」。

64年といえば、マッコイとエルヴィンが、コルトレーンのバックでバリバリに活躍してた頃。

「オレらの大将と似たよーなプレイするっていうジョー・ヘンダーソンってヤツなんだけど、一緒に演奏してみたらドカンとまっすぐな大将と真逆のウネウネクネクネしたテナー吹いて、アレ面白いなー」

と、二人は思ったはずです。

両名ともユニークな構造を持つ変化球尽くしのヘンダーソンのオリジナル曲、良心的なハードップでファンキーなケニー・ドーハムの曲で、いつもの”コルトレーン風味”全開でガンガンやってますが、”ふにくね”なヘンダーソン、堅実なドーハムのデコボココンビのボケと柔らかい突っ込みみたいなアドリブの応報に楽しく乗ってるような感じがしますし、コルトレーンのバックでやってることとほぼ同じことやっていながらも
コチラは妙にスタイリッシュでおしゃれーな感じがするんですよね。

最初から最後まで、とにかくポップな”掴み”には溢れてるんですが、結局何がどうカッコイイのか、ギリギリの所で言葉にさせないヘンダーソンの、優しい呪いがかかったような、そんな世界は何故だかやみつきになってしまいます。


ところで「サックスでずっと一定の音量をブレずに出す」って、実は一番難しいことなんですよ。それをしれっとやってのけている、更に音量ほぼ一定でありながら演奏が全然無機質にならないって、アンタ実は相当凄いんじゃないか・・・。と、最近アタシは畏敬の念でジョー・ヘンダーソン聴いてます。

コルトレーンの単なるエピゴーネン、ではないよなぁ・・・。

”ジョー・ヘンダーソン”関連記事


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2017年08月14日

アーチー・シェップ フォア・フォー・トレーン

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アーチー・シェップ/フォア・フォー・トレーン
(Impulse!/ユニバーサル)

只今ブログで「大コルトレーン祭」と題しまして、ジョン・コルトレーンの特集をやっております。

もちろんこの特集は「ジャズの巨人にして音楽の偉人、ジョン・コルトレーンを多くの方に知ってもらい、聴いてもらおう!」という気持ちでやっておりますが、コルトレーンという、とりあえずジャズの中でも超有名の部類に入るコルトレーンを知って、共演者とか関係するミュージシャンのプレイを聴いて

「お、これは知らんかったなぁ、この人の演奏をもっと聴いてみたいぞ」

と、どんどんジャズの脇道に逸れていっても全然OK、むしろ音楽の聴き方としては、どんどん脇道に逸れながら知らない音楽を知っていくってのが本当に楽しいし、実りのある聴き方だと思いますんで、このブログをお読みのピースな音楽好きの皆さん、もしブログ中で知らないアーティストとかのことが書いてあったら(ジャズに限らず)、試聴でも何でもいいんで、ぜひとも聴いてみてくださいね。

というわけで本日は「コルトレーンの関係者」として、バンドメンバーでこそなかったけれども、とても重要な人として、アーチ−・シェップ兄さんでございます。

コルトレーンが活躍した1960年代は、彼を中心にした”新しいジャズの人脈”がシーンに大きく形成された時代でもありました。

特にコルトレーンは、セシル・テイラー、オーネット・コールマンらと共に、それまでの「心地良く聴くジャズ」の概念からちょいと逸脱した、いわゆる”ニュー・ジャズ”(後にフリージャズと呼ばれるよ)の有力な親分として、若いモンにも慕われてましたし、また、彼の所属するレーベル”Impulse!”も、ニューシングを合言葉に、コルトレーンの周囲に集まる個性的で前衛的な音楽性を持っておる若いのを常に探しておりましたので、彼らはコルトレーンの知己を得て、Inpulse!からレコード・デビューというのが、ジャズの世界のひとつの流れとして形成されておりました。

そうやって梁山泊のようなImpulse!に集まってきた若手フリージャズ・ミュージシャンといえば、アルバート・アイラー、ファラオ・サンダース、マリオン・ブラウン、そしてアーチー・シェップであります。

で、アタシはこのアーチー・シェップという人、個人的に”シェップ兄さん”とつい呼んでしまうぐらい好きです。

何でかっつうと、コノ人は非常に人間臭い。

や、アイラーもファラオもマリオンも、とても魂のたぎったヒューマンな音楽をやっていて、人間臭いという意味では他のジャズマンよりも頭3つ分ぐらい飛び抜けた人達ではあるんですが、コノ人達はミュージシャンというよりは修行僧とかそんな感じの人達です。

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(左からアルバート・アイラー、ファラオ・サンダース、マリオン・ブラウン)

何というか、彼らは非常にピュアで素朴な人達で、演奏を聴いてもキャリアを見ても、もう生粋の、根っからの音楽バカというか、音楽や表現の事に対して、余計なことは一切考えずにまっしぐらに突き進むタイプなんですね。個性は違えど、コルトレーンとは”同種”でありましょう。


で、そんな中一人異彩を放つシェップ兄さんはどうか

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うん、写真で見ても、ミュージシャン、運動家、活動家、頭の切れるヤクザの若頭、不動産屋、カネ持ってる寺の住職の普段着・・・。見ようによっては何にでも見えてしまう、でもキャラだけは強烈に濃い。そんな風情がありますねぇ。

実際にシェップ兄さんは、音楽的にも時代時代で様々な変換を経ております。

ザックリと

・(60年代)フリージャズの闘士としてバリバリに激烈な演奏をしてた。アフリカ音楽の要素もちゃっかり取り入れてた

・(70年代)”ブラック”をキーワードに、ソウルやファンク寄りの演奏を繰り広げる。アフリカ音楽に接近した演奏もちゃっかりやってる

・(80年代〜今)フリーやブラックな感じを上手に残しつつ、スタンダードやバラードを、オーソドックスなスタイルで吹いている

な感じで、割とその時代その時代の”注目されるもの””受け入れられそうな感じ”に敏感な嗅覚を活かしてスタイルを変えて対応していった感がしないでもないです。


そして、デビューからコルトレーンが亡くなる前後、兄さんは影響力のあったコルトレーンに必死で近付いて、そのネームバリューを自分のためにガンガン活用していったフシもあるんですよ。

節目節目で「○○フォー・トレーン」というアルバムを出しているし、コルトレーンの『アセンション』『至上の愛』ではスタジオに入ってるし(呼び集められた『アセンション』はともかく『至上の愛』はカルテットの録音なのに何故?という気がします)、多分何かコルトレーンの動向を掴んで「やぁやぁ、遊びに来ましたよ」といった具合に押しかけていったんでしょうな。

悪くいえばあざとい、抜け目ない。思いっきり計算に基づいた俗っぽい感覚で、ピュアでまっすぐな人の多いコルトレーン一家の中で”ワシがワシが”のズカズカ丸出しでその地位とスタイルを確立したシェップ兄さん。

こう書くとディスってるとか思われそうですが、アタシはそんな俗っぽいところこそがコノ人の魅力であり、シェップ兄さんの抜け目のなさが、ともすれば閉鎖的なものになりがちな前衛ジャズのシーンの実際に起爆剤になり、色んな層の人達に、そういう音楽も聴くきっかけを与えたと信じております。

それに、無節操にやるのも、コルトレーンみたいな音楽に対してストイックな人に、自分をズカズカで売り込んでその成果をモノにするのも、長いキャリアを音楽家として生きていくのも、並外れた実力がないと出来んことだと思うのですよ。

何よりシェップ兄さんは時代毎にスタイルは変えましたが、プレイそのもの、特にテナーの音色自体は一貫して火傷しそうなぐらいアツくて八方破れでずーーっと一貫してます。そしてどんなスタイルの音楽をやろうが、根っこのところに濃厚な”ブルース”を感じさせてくれます。だから皆さん、シェップ兄さんを聴きましょう♪






【パーソネル】
アーチー・シェップ(ts)
アラン・ショーター(flh)
ラズウェル・ラッド(tb)
ジョン・チカイ(as)
レジー・ワークマン(b)
チャールズ・モフェット(ds)

【収録曲】
1.シーダズ・ソング・フルート
2.ミスター・シムズ
3.カズン・メアリー
4.ナイーマ
5.ルーファス


さて「コルトレーンとの重要な関係」という意味で本日皆さんにご紹介するのは、兄さんがコルトレーンの推薦でImpulse!とめでたく契約を交わしてリリースした最初のアルバム「フォア・フォー・トレーン」であります。

「オレはコルトレーンとこんなに親しいんだぜ!」と言わんばかりのタイトルにジャケットで、あぁ最高とウットリしますね。で、中身もオリジナル曲の「ルーファス」を除いて全部コルトレーン・ナンバーで固めた、戦略仕様で、「で、どうなんだ?」と思うんですが、これが実にオリジナルな、シェップ兄さんの個性/俺節が炸裂しておるんです。

この人の個性は一言で言うと

「トラディショナルなアレンジに破天荒なアドリブ」

です。

テナー、アルト・サックス、フリューゲル・ホルン、トロンボーンの4管をフロントに配した重厚なアレンジで、リズムや展開そのものは、モダン・ジャズ以前のスウィングっぽいというか、実に地に足の付いた安定感があります。

で、しっかりしたリズム、しっかりしたホーン・アンサンブルをバックにシェップのソロがアドリブでブルージーな「ゴリゴリギャリギャリ〜!」という金属音をけたたましく響かせながら徐々に、そして瞬間的にぶっ壊れてゆく、その壊れ方が快感のツボにビシバシはまってくるんですね。

しかも、それぞれの曲をオリジナルのコルトレーンの演奏で聴くと、とってもシャープで都会的な感じがしますが、それらをまるで昔からジャズのスタンダードとして当たり前にある曲であるかのように、土着のブルース・フィーリングをドロドロに絡めて「さぁ喰らえ!」とガンガン叩き付けてくるからもうたまらんのです。

アーチー・シェップという人は「コルトレーンに影響を受けて自分もそうなろうと思った人」ではなくて、コルトレーンという色んな意味で大きな影響力を持っていた人に、野心ギラギラで自分自身の個性を遠慮なくぶつけていきながら、ミュージシャンとして成長を重ねた人なんだろうなぁと思います。やっぱりとても人間臭いですね。



”アーチー・シェップ”関連記事




『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/

BASEショップもありますよ(ここでしか買えない商品アリ)http://soundspal.thebase.in/
posted by サウンズパル at 18:56| Comment(0) | ジャズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月09日

マリオン・ブラウン ラ・プラシータ 〜ライヴ・イン・ヴィリサウ

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マリオン・ブラウン・カルテット/ラ・プラシータ 〜ライヴ・イン・ヴィリサウ
(Timeless/Solid)

1960年代に”フリー・ジャズの闘士”としてデビューし、世に紹介されながら、その実全然闘士じゃない。

たとえばコルトレーン史上最大の過激な問題作とされる『アセンション』に名を連ねる11人衆の一人として参加しながらも、激烈だったり先鋭的だったり猛烈だったりする他のホーン奏者達の中で、一人「ぱら〜ひゃら〜」と、何ともいえないユルさを醸すアルト・サックスを吹いていたのがマリオン・ブラウン。

アタシは『アセンション』や、アーチー・シェップの『ファイヤー・ミュージック』という、これまたImpulse!レーベルに録音された60年代の過激派ジャズの名盤と言われるアルバムなんかでこの人を知って、そのアブストラクトな音楽解釈と、別の次元のユルさやのどかさを感じさせるちょっと変わった音楽性と、繊細で澄み切ったアルトの音に惚れて、大好きになったアーティストです。

1930年代にアメリカ南部のジョージアで生まれ、ミュージシャンを目指してニューヨークへ出てくるも、どうやら仕事がなかったようで、古本屋の店員として働いてたら、その古本屋に常連として来ていたのがコルトレーンやアーチー・シェップ、ファラオ・サンダースとかいう人達で、文学や哲学、絵画や演劇など、彼らが欲する芸術関連の事柄に博識な店員さんのマリオンと親しく話すうちに、彼が実はミュージシャン志望で、アルト・サックスを吹くという事が判明し、コルトレーンが

「マリオン、君アルト吹くんだって?」

「うん、ちょっとね。一応学校で音楽理論とかの勉強もしたよ」

「そっかぁ、君は芸術全般に深い知識を持っているから、きっと個性的な演奏も出来るんだろう」

「いやぁ、勉強して理論は得意なんだけど、下手くそだからそっちの仕事にはなかなかありつけないんだ」

「(聞いてない)俺ね、今度新しい感性持った連中と一緒にアルバム作ろうかと思ってるんだ(メンバーにはまだ言ってないけど)。よかったら君参加してくれよ」

「え?いやいや、ボクは本当に下手だよ。君と一緒になんてそんな・・・」

「大丈夫、ホーン奏者は俺も入れて全部でえーっと・・・結構な人数いるから、好きに吹いてくれればいいから」

「え?いや・・・あの・・・その・・・」

といった具合に、半ば強制的に誘われて参加した『アセンション』のセッションが、マリオンのレコードデビューだったんですね。

で、マリオンはやっぱり演奏は下手です。

や、こんなこと言うと語弊があるかも知れませんが、この時期はみんなが基本として習得していたビ・バップの複雑で速いスケール展開を、もしかしたらちゃんと習得してなかったんじゃなかろうかと思えるフシがあります。

ただ、音色はそんじょのサックス吹きに負けないぐらい透明で美しく、何より「ぷわー」と吹くフレーズそのもので情景を描くセンスみたいなのは、ちょっと他の誰とも似ていないぐらい個性的で、磨かれたセンスがあるのです。

マリオンは、そういう意味で単なるアルト・サックスの演奏家というよりは、トータルな音世界を描く芸術家と言った方が良いでしょう。

『アセンション』の後はESPレーベルから実験的なソロ・アルバムを出し、そこで形式的には”フリー・ジャズ”とカテゴライズされてもいいような自由な即興演奏を聴かせてくれますが、やっぱりどんなに力んで過激なフレーズを吹こうとしても、どんなにアブストラクトにメロディーを解体しようとしても、この人の演奏からは、どこかのどかで大らかで、そしてすごくすごく繊細な、絵画のような心象風景が淡く浮かびあがってくる。

これに感動したアタシは、いつしかマリオン・ブラウンを”癒し系フリー・ジャズ”と呼ぶことになりました。

アメリカ南部のジョージアで生まれ育ったマリオンは、小さい頃から教会の土着的なゴスペルや、街にやってくるブルースマンやストリング・バンド、或いはまだ南部では消えていなかったメディスン・ショウやボードヴィル・ショウ(行商隊が大道で客寄せのために行う音楽とか演劇とかそういうやつ)なんかもちっちゃい頃に見ておったでしょう。

そういうアメリカ南部という土地で吸収したものを、持ち前の知識と感性で、幻想的に吐き出すことを、彼は最初から”ジャズ”というジャンルを通り越して表現したかったのかも知れません。

70年代になると

「よし、俺はこれでいいんだ」

という清々しい開き直りが出てきて、トータル・コンセプトに優れた、まるで映画のサウンドトラックのような、ジャズありポエトリー・リーディングあり、アフリカンテイストあり、クロスオーバーありの、美しい美しいアルバム達を、世に送り出すようになるんです。

そして70年代後半、自分が作曲した過去の曲やジャズのスタンダード・ナンバーを、今度は自分のアルト・サックスを中心に、シンプルなバンド編成で演奏することに目覚めて、ライヴやレコーディングに精を出すんですが、今日ご紹介するのはその中でも「あれはいいよね〜♪」と、何となく聴く人みんなを幸せな気分にさせてくれる素敵なライヴ・アルバム。





【パーソネル】
マリオン・ブラウン(as)
ブランドン・ロス(g)
ジャック・グレッグ(b)
スティーヴ・マクラヴァン(ds)

【収録曲】
1.ラ・プラシータ
2.フォーチュナート
3.ソニームーン・フォー・トゥー
4.ポスコ
5.アイム・ソーリー
6.ソフト・ウインズ

1977年に、スイスのヴィリサウというところで行われたライヴを収録したアルバムですね。

77年といえば、モダン・ジャズのブームはとっくに過ぎて、マリオンらが盛り上げていた前衛ジャズも昔の話。

世の中は空前のディスコ・ブームで、ジャズの人達も、若手の連中はマイルスやハービー・ハンコックに続けとばかりに電気化したポップな音楽をこぞってやっていた頃でありました。

が、マイペースなマリオンは

「それならそれで別にいい」

とばかりにアコースティックな編成(ギターはアンプ通してますが)で、別にロックやファンク要素を強調もしないバンドを引き連れて、世界中の小さなライヴハウスやコンサート会場をドサ回りしたマリオンは、気骨の人といえば気骨の人なんですが、60年代の後半からずっとフランスに住んでマイペースな活動をしていたので、特に世の中の動きとか流行とか、あんま関係ないし別にどうでもいいという気持ちの方が強かったんだと思います。根っからのアーティストであります。

実際の演奏も、そんなマリオンのスタンスがサウンドにもいい感じに表れている、実に自然で肩の凝らないものです。

元々ニューヨークのアンダーグラウンド界隈の住民であった頃も、レコードには「あれ?今のよく聴くとすごくポップじゃない?」という瞬間がちらほらあったどころか、アドリブこそフリーク・アウトするけれども、曲自体はまったり系のカリプソとかだったり、バラードも得意(といってもジャズの人達の”むせび泣く哀愁の”とかそんな感じじゃない、どちらかというと自然界の精霊と交信しているような感じのやつ)だったから、このライヴで再演しているオリジナル曲のカドが取れて、たとえば「ラ・プラシータ」とか、まんま爽やかなトロピカル・チューンになってるの全然違和感ないし、スタンダードのヨレた感じのソウル・ジャズ風味(B)も「いいね、ゴキゲンだね」と自然に聴けます。

で、バックを固めるメンバーの演奏がまた素晴らしいですね、特にギターのブランドン・ロス。

この人は後に80年代のロフト・ジャズ・シーン(というフリー系の流れを組む硬派なジャズですぜ)の中心人物の一人となって、シーンを牽引し、後にプロデューサー/シンガーソングライターとしても才能を発揮する、今の時代のジャズの超大物なんですが、この頃はバークリー音楽院を中退してブラブラしているうちにアーチー・シェップに誘われてプロデビューしたばかりで、そのギター・プレイも若さと、狭い意味での”ジャズ”にも、狭い意味での”前衛”にも囚われない、明るい自由さを感じさせるプレイであります。

特に音色がトロンとしたトロピカルな雰囲気を醸しておりまして、この音色と、ソロフレーズもバッキング・フレーズも常にゆるやかにアウトしているんで、その辺の間隔も演奏中の呼吸もマリオンとはぴったりなんです。

ベースのジャック・グレッグも、ドラムのスティーヴ・マクラヴァンのプレイも、リーダーのマリオンのコンセプト、というかそのユルい性格を熟知しているかのように変幻自在で、ビートの定型はきっちりしっかり守っていながらも、いわゆる紋切型の4ビートは一切やりません。

だからアルバム全体通して聴いても、全く個人的な感想ながら、どこかアフリカとかハイチとかドミニカとか、そういうところの現地バンドの人達が、ジャズをベースにした自分達のオリジナルな音楽を楽しみながら演奏しているようで窮屈さはゼロ。

ものっすごく気合いの入った名盤!という訳でもないし、息を呑むような超絶ウルトラプレイが聴けるアルバムはないです。

でも、聴いている人の気持ちを何となく「いいなぁこれ」と幸せにしてくれるアルバムであることは確かです。

あ、そんなこと言ったらマリオンのアルバムって全部そんな感じなんですよ。そこがいいんだよなぁ・・・♪



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『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 19:15| Comment(0) | ジャズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする