2020年01月09日

セロニアス・モンク アンダーグラウンド

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セロニアス・モンク/アンダーグラウンド
(Columbia/ソニー)


「あーなんか体だりーなー、ゴキゲンなやつが聴きたいなー」

と、途方に暮れる気持ちが芽生えてきた時に、憂鬱への初期予防として、セロニアス・モンクを聴くということがよくあります。

常に独特のタイミングの”ズレ”を活かして鍵盤をガコボコピコパコ叩き付けるその”踊っているリズム”、わざと鍵盤の隣同士の音を叩いて調子っぱずれなファニー感を溢れかえらせるそのメロディー感覚。いやもう最高です。

セロニアス・モンクは1940年代初頭から早々とプロとしての活動を始め、早くからその天才的な煌めきを感じさせるピアノ・プレイが注目されておりましたが、1945年に麻薬不法所持の友人(バド・パウエル)を庇うために嫌疑をかけられ、逮捕された挙句にクラブや飲食店での演奏許可証を取り上げられてしまい、20代から30代の最も活動意欲に燃えていた期間を不遇のうちに過ごすこととなりました。

演奏許可証が再発行される1957年まで、生演奏で聴衆にアピールする事は出来ず、何とかBLUENOTEと契約してレコードを出すのですが、これが

「いや、モンク君の音楽は楽しいしわかりやすい!バド・パウエルよりもぼかぁ彼の方が売れると思うなぁ」

と、自信満々で2枚のレコードを送り出したブルーノート社長のアルフレッド・ライオンの思惑とは裏腹に、巷からは

「う〜ん、何かヘンテコ過ぎてついていけないなぁ」

「これ、難しいよ」

「ピアノの調律狂ってるような弾き方はわざと?」

と、その余りにも独創的なスタイルは、聴衆から一方的に「難解」のレッテルを貼られてしまい。

「でも、でも、彼のライヴは楽しいよ!ほれ、場が盛り上がったらいきなりピアノ弾くの止めて踊り出したりするし!!」

と、如何に擁護しようにも、肝心のモンクの楽しい生演奏は、演奏許可証がないので見せる事は叶わず、結局モンクは自宅に引き籠って誰に聴かせるでもない楽曲をただひたすら作り続けるという生活を送っておりました。

そして1950年代後半、ようやくクラブでの生演奏が出来るようになったことと、彼を敬愛するミュージシャン達が「セロニアス・モンクって人は本当に凄いんだ」と口コミを広め、実際レコーディングにも喜んで参加する事によって、彼の人気も上り調子となり、その独創的な音楽性もやっとのことで正当に評価されるようになってきます。

そして1960年代、そろそろ従来のモダン・ジャズの新しさに陰りが見え始めた頃、モンクの活動と人気を頂点を迎えることとなります。

具体的にはそれまで僅かな報酬とレコーディング時間しか得られなかったRiversideやPrestigeといったマイナー・レーベルを離れ、メジャーレーベルのColumbiaへの移籍が成功します。

ついでに、テナー・サックスのチャーリー・ラウズを中心とした、自身のレギュラーバンドでの安定した活動が出来るようになり、このバンドを率いてのコンスタントなツアーやレコーディングを行えるようになりました。


モンクの音楽性はどうなったかというと、スリリングで何が起こるか分からない緊張感を孕んだ50年代の演奏に安定と熟成が加わり、その持ち前の個性は変わらずに、60年代以降は元々持っていた「聴きやすい」「ノリやすい」部分がより前面に出た感じになりました。


だから60年代以降のモンクは、最初に言ったように最高な「ゴキゲンの補充」であり「憂鬱への予防薬」なのです。つまり素直にゴキゲンなものが多い。


アンダーグラウンド+3


【パーソネル】
セロニアス・モンク(p)
チャーリー・ラウズ(ts,ACE)
ラリー・ゲイルズ(b)
ベン・ライリー(ds)
ジョー・ヘンドリックス(vo,F)


【収録曲】
1.セロニアス (テイク1)
2.アグリー・ビューティー (テイク5)
3.レイズ・フォー
4.ブー・ブーズ・バースデイ (テイク11)
5.イージー・ストリート
6.グリーン・チムニーズ
7.イン・ウォークド・バド
(録音:1967年12月14日/21日,1968年2月14日/12月14日)


本日はそんなモンクの60年代「ゴキゲン」なアルバム群の中から、中身もジャケットも特にいい感じの『アンダーグラウンド』をご紹介しましょう。

手りゅう弾やらナチスドイツ親衛隊(?)の捕虜(!?)やら、酒瓶だか薬瓶やらが転がっている部屋で、自動小銃小脇に抱えてピアノを弾いているモンクの肖像が、あぁいかにもアンダーグラウンドの怪しげな何かみたいで良いですねこのジャケ。

これが何とグラミー賞の最優秀アルバムジャケット賞を受賞して、ジャズファン以外にも「セロニアス・モンクってイカすじゃない」と知らしめたとか何とか。

元々モンクは、1960年代にはもちろん真っ当な、でもちょいと風変りなジャズの巨人としての評価を不動のものとしておりましたが、60年代後半にはどういう訳かロックやフォークを聴く若者やヒッピー達から、アンダーグラウンドのカリスマという、ちょっと不思議な支持も得ておりました。

やっぱりその誰の真似でもない音楽と、世間の雑音などどこ吹く風な孤高の姿勢(インタビューの返しとかほんと最高だからどこかで見つけたら読んでみてくださいな)は、自由に媚びずに生きたい若者から見たら憧れだったんでしょう。

ほんで、メジャーレーベルというのはそういうとこほんと敏感なので、モンクの”そういうイメージ”で売り込んでやるぜどやーってジャケットにそれっぽいタイトルを付けて売り出したと。

アタシもこのアルバムに関してはジャケ買いです。アンダーグラウンドかどうかはともかく、モンクの音楽には楽しくてウキウキしながらも、その放つ音符の周囲には、どこか謎めいた不可思議な空気がまとわりつき、聴く側の想像力を豊かに刺激してくれる。このジャケットは正にそんな想像の一端を的確に表している。そんな気がすごーくすごーくするのです。

中身の方も、ピアノ・トリオ3曲、ラウズのテナー入りカルテットが3曲、そしてラストにジョー・ヘンドリックスのヴォーカルが入った1曲が入っていて、それぞれの編成がモンクのモンクたるゆえんの摩訶不思議ムードをそれぞれ違った形で盛り上げていて、塩梅が実に良い。

この時期のモンクといえば「無邪気に跳ねるピアノ+それぞ淡々とフォローするベースとドラム+全ての音を堅実な吹きっぷりで硬派に彩るラウズのテナー」というパターンが特徴的で、コレがピタッとハマればハマるほど安定したクセのない音楽に聞こえることが多く、初期の演奏が好きなファンからはちょいと物足りないという声も上がってしまうのですが、バンド全体が奇妙な音塊にまとまったサウンドが、スピーカーの中から丸まって「ぼよーん」とか「ぼかーん」とか来るこの感じ、やはり他では味わい難いクセになるものであります。

ほんで、このアルバムは登場する2曲目から、ラウズがやたら調子良く吹きまくっていて、60年代のいつものモンクな感じに丁度良い緊張感が加わって、アルバム通しての緩急が結構激しく付いていて飽きさせません。ラストにいきなり出てくるジョー・ヘンドリックスの、どこかすっとぼけた味のある、奇妙奇天烈なヴォーカルも、何だか楽しくて実に良いアクセント。楽しい、とても楽しい♪とキャッキャしながら深淵なるモンク沼にハマッてしまえるアルバムです。












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『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2019年12月29日

ジュゼッピ・ローガン The Giuseppi logan Quartet

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THE GIUSEPPI LOGAN QUARTET
(Tompkins Square)

年末ですねー。ほんっと忙しかったり高熱出してうなされている間に年末ですわ。早いですねー、凄いですねー。

はい。

今日ご紹介するのは、ジュゼッピ・ローガンであります。

この人はですね、アタシからしてみればもう「ジャズの奇跡」とでも言いたいぐらい、他の誰とも似通っていない独自の音楽の世界観を創り上げた偉人の一人。それぐらい重要な人なんですけど、いかんせんメジャーなところでの知名度がほとんどなくて、名前を口にしてもほとんど反応してくれる人がいない、それぐらい知られていない人なんですよねぇ。

それもそのはずで、この人が1960年代の半ばにシーンに出てきて活動したのは僅か2年ぐらい。

しかも、リリースしたアルバムが、ESPという超アングラなマイナーレーベルから出ていたたったの2枚だけ(スタジオ盤1枚、ライヴ盤1枚)という事ですから、こりゃあ有名じゃないのも無理はない。

アタシも最初はそれこそ名前なんか全然知らないどころか、ジュゼッピ・ローガンの情報は雑誌やガイドブックの類にも全然なくて、ESPからのデビュー・アルバム『ジュゼッピ・ローガン・カルテット』を、ある日レコード屋さんで見かけて、その強烈に不気味でドロドロしているジャケットを見かけて

「じいゆせっぴ?ろがーん??知らないなぁ、でもこのジャケはヤッバいな〜。ESPレーベルだし絶対フリージャズっぽいから買っちゃえ〜♪」

と、衝動でジャケ買いをしたのが、そもそもこの人の事を知ったきっかけです。





ローガンのアルバムを出していたESPというアルバムは、それこそ60年代ニューヨークのフリー・ジャズやサイケデリックロック、実験音楽や音楽だか何だかよーわからん奇抜なパフォーマンスの人とか、とにかくもうあの時代のあの街の「ヤバい連中」ばかりをレコーディングして音源化していたような、そんなレーベルです。

んで、アタシは丁度その頃フリージャズを好きになって間もない頃で、アルバート・アイラーやサン・ラー、ファラオ・サンダースのレコードを出しているという事で、このレーベルに非常に好意を持っていて「こりゃあレーベル買いをしても結構面白いのが当たるかもな」と、完全に”信頼のレーベル買い”をしようとしていたその時。

ドロッドロのジャケットに完全に魅入られて購入したそのレコードは、実は思っていたような衝動の赴くままにぶっ壊れたような激しいフリーミュージックではなくて、あらゆるものが音楽になりそうな一歩手前で美しく崩壊し、その残骸がメロディを奏で、リズムの上で壊れたダンスを披露しているような。そんな、今まで聴いたことがない、どころかそれまで聴いたジャズの誰とも似ていない圧倒的なワン&オンリーの世界観に、その日のうちですっかり夢中になってしまいました。


その時買ったアルバムのライナーには『彼の創るものはどれも悲しく、そしてどれも美しい』と書いてあり、そこでまた鳥肌が立ちました。

ええ、本当に最初の音を聴いた瞬間にアタシはそんな風に思ったんです。

そして、ローガンは精神を病んでしまい、その名が広く知られる前に、音楽で完全な生計を立てられるようになる前に、突如シーンから・・・いや、完全なる行方不明になってしまいました。

上のレビューでも書きましたが、ホームレスをしてたとか、生活に困って麻薬の売人をして捕まってしまったとか、そういう”噂”は耳にしておりました。


そういう話というのは、ミュージシャンの悲しい末路としてよくあること。でも、本当に他の誰とも似ていないこの唯一無二の才能が余りにも悲しすぎる。もしどこかで生きているのなら、レコーディングは無理でもせめて楽器が演奏出来るぐらいの支援がなされて欲しい。

そう思っていたんですが、何と(!!)2008年に公園でホームレス同然の生活を送っているところを発見されました。

「オレはミュージシャンなんだがバスクラが壊れて修理するカネがない。誰か支援してくれないか」

と言っていたところ

「アンタは何ていうミュージシャンなんだい?」

と訊くと

「ジュゼッピ・ローガンだ。ジーアイユーエスイーピーピーアイ」

と言うので、発見者は大層驚いたと言います。




その後、彼が公園でアルトサックスやクラリネットを吹く姿がYoutubeで世界中に拡散され、過去のアルバムでその音楽を知るファンや、このいきさつに感激した新しいファンの間で話題になり、翌2009年には奇跡のカムバック作がレコーディングされるに至りました。





The Giuseppi Logan Quintet (Dig)

【パーソネル】
ジュゼッピ・ローガン(as-@BCD,ts‐AF,p-EG,vo-G)
マット・ラヴェール(tp-@DF,B-clB)
デイヴ・バレル(p-@〜DF)
フランソワ・グリヨ(b)
ウォーレン・スミス(ds)


【収録曲】
1.Steppin'
2.Around
3.Modes
4.Over The Rainbow
5.Bop Dues
6.Blue Moon
7.Freddie Freeloader
8.Love Me Tonight

(収録:2009年9月15日)



コチラがその復帰作!

正直アタシは、ヨレヨレのボロボロになっていようとも、かつてのようなオドロオドロしい引力が消え失せていようとも、ジュゼッピ・ローガンが演奏しているという事実だけが、録音という形で確認出来ればそれでいいと思っておりました。


ところが、このアルバムが予想の100倍ぐらい、音楽的に素晴らしく、聴いた後に「本当にいいものを聴いた」という暖かな感慨に溢れる美しいアルバムだったからもうアタシの涙腺は崩壊してしまいました。

もちろんローガン自身、長年のブランクと高齢による体力の衰えで、ズバズバ!と斬り込むような激しいプレイはしておりません。フラフラと、奇妙によじれたりすっ飛んでいったりしながら結局どこにも帰着しない、歪んだ抽象画のようなソロを、最初から最後まで延々と吹いております。

でも、考えてみたらローガンは60年代からそういうひたすら同じ場所を旋回しながらドロドロ溶けてゆくよーな、そういう得体の知れない生物のようなサックスやフルートやバス・クラリネットを吹いておったので、そこの所は全然気にならんです。音楽性は50年前とまっっったく変わっていない、やはりドロドロ系のフリージャズなんですが、特にアルトサックスの音色がとても柔らかで暖かなものに進化していて、その音色から、本当にジャズとか音楽が好きでたまらない、吹く事が出来てうれしい!っていう嬉々とした感情がね、ほわ〜んと伝わってくるんですよ。

特に美しいのが『オーバー・ザ・レインボウ』。アドリブはやっぱり奇妙に歪んでおります、でも、その歪んだ線が描く虹の何と淡く優しいことか。繊細な音が空の彼方に消え入りそうな余韻を残すひとつひとつのフレーズが、心に優しく響きます。

バックは60年代のものよりも、4ビートをどちらかというとキッチリ固めたオーソドックスなアレンジです。ピアノのデイヴ・バレルがぶっ壊れる時に激しくぶっ壊れて、美しくまとめる時は本当に端正なフレーズで演奏全体をキッチリとまとめ上げて実に好サポート。

あと、ラストでローガンは歌も歌うんですよね。これが酔ったおっちゃんが上機嫌でマイク持ったような感じなんですが、これが最後に入ってる事で、アルバムの特別感が引き立つんですよ。スタイルがどうとかそんなことはどーでもよくて、とにかくジャズとして、音楽として素晴らしく上質であります。














(公園でサックス吹きながらCDを売っております)








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『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2019年12月07日

トミー・フラナガン・トリオ

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(Moodsville/ユニバーサル)


「音を楽しむと書いて音楽」という考え方がありますね。

これは文字通り、楽しむために音楽はあるんだという考え方なんだと。

音楽ってのはハッピーなんだ、そこにネガティヴな感情の入り込む余地はないんだ、さあ楽しく踊って騒ごうぜ!っていう考え方、嫌いじゃないです。嫌いじゃないんですけど、まぁその、アタシの場合はどうしても心がハッピーな時よりもネガティヴな時の方が多い。

そういうネガティヴな・・・つまり心が落ち込んだり、荒んだりしている時、隣にそっと寄り添って

「うんうん、わかるよ」

と言ってくれるような音楽を、どうしても心が欲してしまう時があって、そういう時に聴く用の”そこはかとないもの”を見つけると非常に嬉しくなってしまいます。

あぁ、こういうのこそが、気持ちがわっと浮き立つような感情と対局にあるけど立派な「音を楽しむこと」なんじゃないかと思う時がありますね。

そういう音楽って、どちらかというと強烈な自己主張をしてくるようなものではなくて、本当にそこはかとなく「あぁ、良い・・・」と感じさせてくれるもの。

最近よくレビューしているケニー・ドーハムなんて正にそんな典型です。

で、ドーハムの『静かなるケニー』で思い出したんですが、このアルバムを1枚も2枚も上の上質な空気にしてくれているのが、ピアノのトミー・フラナガンでしたよ。そうそう、トミー・フラナガン(!)実はこの人の作品こそがアタシにとっては究極の

「うんうん、わかるよ」

と言いながら寄り添ってくれるものの究極だったりします。

トミー・フラナガン。スタン・ゲッツやコールマン・ホーキンス、エラ・フィッツジェラルドなどなど、名だたる大物もバックを次々と務めて以降、特に70年代以降ソロ・アーティストとしてコンスタントに素晴らしいピアノ・トリオ・アルバムを発表しておりますが、この人の魅力の本当の部分は、やはり「そこはかとなくカッコイイところ」だと思います。


派手で華やかな超絶プレイは、多分やろうと思えばいくらでも出来る超一流の実力派。にも関わらず、自分の実力のほとんどの部分を「演奏全体を美しいものに、総合的に仕上げること」に惜しみなく費やした。いやはやこれこそが本当の実力派であるといえるでしょう。

「名盤請負い人」として、ソニー・ロリンズのサキソフォン・コロッサス、ジョン・コルトレーンのジャイアント・ステップス、ウエス・モンゴメリーのデビュー作『イングレディブル・ジャズ・ギター』、コールマン・ホーキンスの『ジェリコの戦い』ちょいと渋いカーティス・フラーの『ブルースエット』やケニー・ドーハムの『静かなるケニー』など、ジャズの歴史を賑わせる本当に素晴らしい作品の数々に、フラナガンは参加して、しかもそれぞれの作品で決して派手に前に出る事無く、個性の塊のようなリーダー達をひたすら引き立て、それでいて「ピアノはやっぱりトミフラじゃないとね」な、重要な存在感を放っているんです。

これは、ちょっとやそっとの腕の良さでは出来る事ではない。




トミー・フラナガン・トリオ

【パーソネル】
トミー・フラナガン(p)
トミー・ポッター(b)
ロイ・ヘインズ(ds)

【収録曲】
1.イン・ザ・ブルー・オブ・ジ・イブニング
2.ユー・ゴー・トゥ・マイ・ヘッド
3.ヴェルヴェット・ムーン
4.カム・サンデイ
5.ボーン・トゥ・ビー・ブルー
6.ジェスファイン
7.イン・ア・センチメンタル・ムード

(録音:1960年5月18日)


さてさて、アタシは何が言いたいのかというと、もちろん「トミー・フラナガンは良いぞ」ということなんですが、なかんづくほとんど優秀なサイドマンとして活躍してて、ソロ・アルバムなどはほとんど出していなかった、1960年代前半のトミー・フラナガンのトリオアルバムがとても良いぞ。ということなんです。

この時期にフラナガンがリーダーとして出しているアルバムはたったの2枚。そのうちの1枚が『オーバーシーズ』というアルバムで、これはもうジャズ・ピアノ・トリオの傑作として有名で、ウィルバー・ウェア(b)、エルヴィン・ジョーンズ(ds)という、リズムも音色も強い個性を持つ2人がバックを固め、ぐいぐいとドライブする強靭なリズムに乗って端正にスウィングするピアノが非常にカッコイイ、どこから聴いても耳を奪われる、百点満点のトリオ作です。

で、もう1枚といえば、ほとんどの人が「ん?あったっけ?」となるんです。

そう、余りにも完璧にカッコイイ『オーバーシーズ』の影に隠れてしまってほとんどの人が気付かない。それぐらいそこはかとないもう1枚の60年代トリオ作『トミー・フラナガン・トリオ』個人的にアタシはこれこそがトミー・フラナガンという人の、いかにも”らしい”名盤であり、そのそこはかとなく凄い個性が、演出ナシの素のままの姿で丁寧に刻まれた作品だと思いつつ、いつも「はぁ・・・いい・・・」と、感嘆のため息を漏らしながら聴いている、大好きなピアノ・アルバムでございます。

当時、有名ジャズ・レーベルとして名を馳せていたPrestigeには、傍系として起こした4つのレーベルがあって、それぞれ小粋でノリの良いジャズを集めた”Swingville”、文字通りムーディーで落ち着いた雰囲気の”Moodsville”、ブルースマン達によるモノホンのブルースを集めた"Bluesville”、黒人マーケットを狙ったゴスペルの”Tru Sound”というのがそれなんですが、トミー・フラナガンの初リーダー作である本作は、Moodsville”でリリースされました。

レーベルとしては「まぁ、何かピアノ・トリオで綺麗系のものなんかあればいいんじゃない?ほれ、最近ビル・エヴァンスが人気っていうからさぁ。便乗して売れそうなやつ何かない?あ、そうだ、トミー・フラナガンがいたなぁ」ぐらいのノリだった(つうかPrestigeは大体こういうノリで決めちゃうユルいレーベル)と思います。

が、そんなレーベルの軽いノリなど心地良くフッと飛ばすかのように、とても上質で高級感の溢れるアルバムを、フラナガンは見事に仕上げてくれました。

ベースはトミー・ポッター、ドラムにロイ・ヘインズ。いずれも堅実で歌心あるリズムを刻める職人肌のプレイヤーであります。

ポッターがひたすら落ち着いたプレイでウォーキングを刻み、ヘインズは得意のブラッシュワークで、まるで絹が舞うような軽やかでしっとりしたリズムを決める。その上でフラナガンのとにかく繊細で軽やかな美メロが舞う、舞う、舞う。

「この曲が!」と思わせる間もなく、ただもう聴く側の耳を至福と恍惚の彼方へと軽やかに誘う。そして聴いた後に切ない余韻が心地良く響く。「美しいピアノ・トリオ・アルバム」としては、比類なき完璧さです。

しかしまぁ徹底して「聴け!」と迫ることなく確実に聴き手の意識を引き込む。やはりトミー・フラナガンという人の実力というものは底無しなのです。よく「詩人」と言われますが、この人は一流の詩人であると同時に、一流の魔法使いでもあるんじゃないかとアタシは思います。中毒性、かなり高いです。











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『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2019年12月02日

ケニー・ドーハム 静かなるケニー

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ケニー・ドーハム/ 静かなるケニー
(Prestige/ユニバーサル)

突然ですがパソコンが壊れておりまして、新しいものが届くまで、しばらくブログ関係はなーんにも出来ず、更新がおろそかになってしまっておりました。

こんな事を言うと「スマホで書けばいいじゃん!」と言われるのですが、あ〜スマホでは文字を100文字入力するのにえらい時間がかかってしまう昭和のおじさんなので、スマホでブログを書いている間に昼が来て夜が来て色々と終ってしまいそうな恐怖感に襲われてしまって、スマホで書く勇気が湧かなかったのです、本当にすいません。

で、その間やっぱりアタシはケニー・ドーハムを中心に色々聴いておりました。


いや〜、ケニー・ドーハム。何年かに一度定期的にハマるトランぺッターなんですけど、もしかしたらここまで集中的に聴いてここまで一気にハマッたのは初めてかも知れません。

これは何度も書きましたが、ジャズという音楽は、アドリブという個人技量に占める演奏の雰囲気の割合がとても高い音楽で、かつ基本インストなので、各楽器のヒーローというのが出てくるんですね。

しかも、強烈な個性を持っていれば持っているほど、それが突出して出てくる。

例えばマイルス・デイヴィスやチャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーン、ソニー・ロリンズなど、カリスマや天才と呼ばれる圧倒的な存在感を放つアーティストの演奏ってのは、パッと聴いただけで何かこう「うぉぉ!」と圧倒されるものがある。

ほんで、そういうカリスマや天才と呼ばれる人達ってのは、演奏だけじゃなくて、音楽全般な面でも革新的なアイディアでもって、ジャズのスタイルそのものを果敢に変革してきた。つまり歴史を作り上げてきた。

でも、ジャズって音楽が生まれてから今までずっといろんな人に愛されて「ジャズっていいよね」と聴かれ続けているのって、実は一握りの天才やカリスマ達の功績よりも、ケニー・ドーハムみたいな実直な味のあるミュージシャン達による功績の方が実は大きいんじゃなかって、特に最近つとに思うんですよね。


ドーハムは1950年代のモダン・ジャズ全盛の頃にアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズっていう物凄い人気のバンドのメンバーとして注目されて、必然的に「いかにもモダン・ジャズな(ハードバップな)ジャズを聴かせてくれるトランぺッター」という評価が定まって以来、彼はその期待を裏切ることなく亡くなるまでずーーーーっと「いかにもモダン・ジャズなトランぺッター」であり続け、例えば60年代とかも中ごろになってくると、ちょいと進化したモードジャズとか、もっと突っ込んだフリー・ジャズとか、流行のソウル・ジャズとかに路線変更して人気になるジャズマンも多かったんです。

でも、ドーハムはそういう”変化”に自分のプレイを委ねる事無く、キャラクターを変えることなく、愚直に「これがジャズなんだよ」ってプレイに徹した。スタイルを変えて若者ウケするプレイをしようと思えば余裕で出来たかも知れないけど、そういう事はしなかった。

だからこそこの人の演奏は、いつの時期のどのアルバムを聴いても「あぁ・・・良いなぁ・・・」と、聴く人を素敵な安心感で包んでくれるんです。カリスマや天才の演奏は「すげっ!!ヤバイ!!カッコイイ!!」と「!」がいっぱい付くの連続で、それはそれでアタシも大好きなんですが、そういう演奏はこっちも気合いが入ってる時じゃないと負けてしまいます。だからふと聴きたい時に聴いてじわじわ染みるドーハムの演奏はとてもよろしいんですよ。


静かなるケニー

【パーソネル】
ケニー・ドーハム(tp)
トミー・フラナガン(p)
ポール・チェンバース(b)
アート・テイラー(ds)

【収録曲】
1.蓮の花
2.マイ・アイディアル
3.ブルー・フライディ
4.アローン・トゥギャザー
5.ブルー・スプリング・シャッフル
6.アイ・ハド・ザ・クレイジェスト・ドリーム
7.オールド・フォークス
8.マック・ザ・ナイフ

(録音:1959年11月13日)


で、そんなドーハムのトランペットのじわじわ染みるカッコ良さが、ピアノ+ベース+ドラムスという、シンプルなリズムセクションだけを付けたワン・ホーン編成で心ゆくまで味わえるのが、この『静かなるケニー』。

昔からドーハムの代表作、名盤として有名なんですが、いや〜どーなんでしょう。『名盤!』として大袈裟に扱うよりも

「あのね、ボクね、実はジャズ、いいなぁ〜って思うんです。あ、いや、詳しい事は全然なんですけど、このケニー・ドーハムって人のトランペット、何かいいな〜って。えぇ、詳しい事は全然わかんないんですけど、これは何かいいな〜って思うんです」

ぐらいの気持ちで末永く愛聴したいし、これから知る人にもぜひそんぐらいの気持ちで聴いて欲しいな〜と優しく思えるそんなアルバム。

『静かなるケニー』ってタイトル付いていながら、しかも『蓮の花』っていういかにもバラードでありそうな曲名付いていながら、1曲目は軽快なテンポの曲だったりするんですが、実はこの曲の、これだけ軽快でキャッチーな作りなのに、ドーハムがアドリブフレーズのひとつひとつを丁寧に丁寧に吹く事によって醸される何とも深い、大人な感じになってしまうその絶妙な”不思議”を味わうためにあるんです。

んで『静かなるケニー』の本領発揮は2曲目から。

歌心通り越して詩情たゆたうバラードの『マイ・アイディアル』からほぼ交互にバラードとミドル・テンポが演奏されます。ちょいとくすんだ感じのドーハムの音色を、演奏全体が1段も2段も上質になったような効果を最高にジェントルマンなピアノ・プレイで醸すトミー・フラナガン、ふくよかな音色とメロディアスなウォーキングベースが、更に高級感に輪をかけるポール・チェンバースのベースプレイ、更に終始落ち着いたブラッシングで知的なリズムを提供するアート・テイラーと、バックもドーハムの繊細な吹きっぷりを邪魔せず引き立てに徹して見事なサポートを聴かせてくれる。

やっぱり「名盤」なんて仰々しいものじゃなくて、このアルバム「良いよね盤」ぐらいの感じでずっと聴いていたいですな〜。























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『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2019年11月11日

ブルー・ミッチェル ブルース・ムーズ

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ブルー・ミッチェル/ブルース・ムーズ
(Riverside/ユニバーサル)

ケニー・ドーハムをずっと聴いておりましたらすっかり何年ぶりかのケニー・ドーハム・ムーヴメントが来てしまい、毎日が至福です。

で、今日もケニー・ドーハムといきたかったのですが、ちょいとごめんなすって今興奮気味ですので、少し頭を冷やすために「こんな素晴らしいジャズ・トランペットのアルバムもある」という意味で、知られざる味わいのトランぺッターを皆さんにご紹介したいと思います。

とはいっても、今日皆さんにご紹介するアルバムは、実はジャズファン、トランペット好きの間では有名なアルバムです。

これまた強烈なインパクトがあるとか、ジャズ名盤特集みたいなので必ず取り上げられるとかそんなんじゃなくて、存在自体は多分B級なんですが、ジャズが好きで色々と聴いている人が「トランペットだったらコレがいいんだよ〜」と何故か取り出す確率はかなり高く、そしてそれを見た他のジャズ好きが「アンタもか!?いや、実は私も好きなんだよ。これはいいよね〜」となる確率はもっと高い。

そう、これこそが「知名度とか歴史的重要性とかはどうでもよくて、とにかく内容が良いからみんなが”これいいよね”ってなれるアルバム」であり、ある意味そういうのこそが名盤と言えるんじゃないか?とアタシは思う、何というかジャズの良心の部分を凝縮してパッケージしたような、ジャズ好きのジャズ好きによる、ジャズを愛する心の一番深いところにす〜んと届いていつまでも鳴り響くエヴァーグリーンのよきムードに溢れた作品なんです。

はい、ブルー・ミッチェルの『ブルーズ・ムーズ』でありますねぇ。

ブルー・ミッチェルという人は、前回ご紹介したケニー・ドーハムと比べてもなかなかにジャズの世界では地味な存在の人ではあります。

1930年フロリダ生まれ。高校時代にトランペットを始め、卒業後はR&Bの楽団に入ってホーン・セクションのアンサンブル要因としてのキャリアをスタートさせ、ドサ回りに明け暮れますが、やがてキャノンボール・アダレイに認められ、1958年にアダレイのリーダー作『ポートレイト・オブ・キャノンボール』に参加して、その年のうちにはもうリーダー作『ビッグ6』をレコーディングします。

ミッチェルという人は、元々がR&B畑の出身で、バリバリの超絶テクニックはありませんが、その明るく素直な音色から滲むブルース・フィーリングや独自のファンキーなノリがなかなかに個性的だった人で、そのファンキーな持ち味を好むキャノンボールやホレス・シルヴァーといった大物達のバックアップを得て、50年代後半から60年代にかけて「これぞファンキー!これぞハードバップ!」という味のある作品を、RiversideやBLUENOTEといったファンキー好みなレーベルに、コンスタントに録音して行くんですね。

で『ブルーズ・ムーズ』なんですが、コレはそんなコンスタントな録音の中の、ミッチェルにとっては「通常営業な1枚」だったんです。

リリースされた60年から、恐らく彼が亡くなった77年以降しばらくも、このアルバムは特にバカ売れした訳でもなく

「ブルー・ミッチェル?あぁ地味だけどファンキーでなかなか味のある良いトランぺッターだよね」

ぐらいの評価の中に、長年埋もれていたアルバムであったと思います。


ところが根強い人気はじわじわと長い年月をかけて広がり、90年代後半ぐらいの時期には「これは隠れ名盤だぞ」という評価がぼちぼち出てきました。

そういう評価が出てから、往年のジャズファンの間で「そうだろ?オレもそう思ってたんだよ!」という声が挙がるようになりました。そして、もう名盤とかモダン・ジャズとかフュージョンとかそういうスタイルは関係ない若い世代の人達の間で

「いや、フツーにいいっすよコレ」

と見直され、今やネットを開いて検索すると、普通に名盤としての評価を不動のものにしている。

そんな感じがいたします。

あの〜、ブルー・ミッチェルはですね、実は70年代に多くのマイナー・レーベルに残したジャズ・ファンクなアルバムが結構良くてですね。この辺のアルバムが(しつこいようですが良いんですよ)90年代のレア・グルーヴ・ブームで正当に評価されて、アタシら世代(今の40代前半から30代後半)の中で”ブルー・ミッチェル”という名前の知名度がある程度浸透したことも、その前のハード・バップ時代のミッチェルの再評価に繋がってると思うんですが、そこんところはどうなんでしょ?まぁいいか。



ブルーズ・ムーズ


【パーソネル】
ブルー・ミッチェル(tp)
ウィントン・ケリー(p)
サム・ジョーンズ(b)
ロイ・ブルックス(ds)

【収録曲】
1.I'll Close My Eyes
2.Avars
3.Scrapple From The Apple
4.Kinda Vague
5.Sir John
6.When I Fall In Love
7.Sweet Pumpkin
8.I Wish I Knew

(録音:1960年8月24日、25日)

個人的にミッチェルは「遅れてきたハードバッパー」だと思います。

現に活動が軌道に乗り始めた1950年代末の頃といえば、同じトランペッターであるマイルス・デイヴィスが、アルバム『カインド・オブ・ブルー』をリリースし、このアルバムがより高度で複雑な理論を用いた”モード”という新しいスタイルのジャズを定義し、続く若手トランぺッター達も、この流れに乗り遅れるまいと、次々と斬新なコンセプトの演奏に取り組み、方やより新しい”ファンキー”を開拓すべく、8ビートや16ビート、つまりより踊れてよりコマーシャルなスタイルのジャズへと一気になだれ込みました。

それまでのR&Bで培ったスタイルでもってハードバップの世界へ乗り込んだミッチェルは、後にジャズファンク路線で本領を発揮しますが、この時点ではまだまだ純粋にハードバップスタイルで勝負せざるを得ない状況でありました。

丁度、その『カインド・オブ・ブルー』のセッションを最後に、マイルスのグループを「新しいスタイルには適さない」という理由でクビになったピアニストのウィントン・ケリーを伴って、1960年の8月に、ミッチェルはワン・ホーンの作品を録音すべく、リヴァーサイドのスタジオに入ります。


このアルバムこそが、実に素直なプレイとサウンドによって、ジャズの、50年代ハードバップの”粋”をありのまま刻んだ素晴らしいアルバムとなって、リリースから50年以上経った時代にも「これは良いね」と語り継がれる名盤となりました。

まずは冒頭の『アイル・クロール・マイ・アイズ』です。

タイトルからしてバラードかと思いきや、軽快なミディアム・テンポに乗ったミッチェルの曇りのない音色に微かな哀愁が滲むトランペットの音、続くケリーの何ともハッピーにスウィングするピアノとが見事なコントラストを描き、理想的な「素直なメロディを最高の演奏で楽しめるジャズの醍醐味」が味わえます。

あぁ、これは曲のメロディが素直で親しみやすいだけに、何度聴いても飽きませんねぇ。最初にテーマと軽いソロを吹いたミッチェルからケリーのピアノ・ソロが終わってから再びソロで登場するミッチェルのアドリブの、何と朗々として歌心に溢れていることか。弾力のあるトーンのサム・ジョーンズのベース、小粋で弾むリズムのロイ・ブルックスのドラムと共に、誰一人無理せず無駄ない演奏が平等に響き合って実に良い雰囲気です。

続く『エイヴァーズ』は、ややダークな曲調ですが、繊細な吹きっぷりの中に深いブルースを感じさせるトランペットがとても良い。アップテンポの『スクラップル・フロム・ザ・アップル』も、アドリブは凝ったテクニックに走らず、サラッと吹き切る姿に好感度はグッと上がりますし、バラードの『ホエン・アイ・フォール・イン・ラヴ』も、敢えてハリのあるトランペットらしい明快なトーンが爽やかな愛の告白という感じでありますが、目玉はやはりミッチェル、ケリー、サム・ジョーンズそれぞれの”ブルース心”の深さが滲み出る『キンダ・ヴァーグ』。これは単調なリフの繰り返しとシンプルなアドリブが時間をかけてジワジワきます。ケリーのプレイが噛めば噛むほど味の出るするめみたいなアーシーぶりでとてもよろしいです。


ミッチェルは派手なプレイヤーじゃなくて、ケニー・ドーハムみたいに「実はバリバリ上手いし個性の塊」みたいな底無しの味わいに凄味がある訳でもないです。どちらかといえばテクニックやフィーリングは一旦置いて、その素直な、やや線の細い音色にそこはかと滲む哀愁と、アドリブにおけるメロディーが素直に歌ってる快感をジワッと楽しませてくれる気さくなキャラクターのトランぺッターであります。こういう人の演奏って、最初はそれほどとは思えなくても、一度「お、いいかも」と思ったらそこからがずっと飽きることなく味わえるんですよね。












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『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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posted by サウンズパル at 22:35| Comment(0) | ジャズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする