2021年03月27日

アストル・ピアソラ タンゴの歴史第1集・第2集

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アストル・ピアソラ/タンゴの歴史第1集〜グァルディア・ビエハ
アストル・ピアソラ/タンゴの歴史第2集〜ロマンティック時代
(Polydor/ユニバーサル)


ピアソラといえば今でこそモダン・タンゴの生みの親、アルゼンチンの国民的英雄、20世紀最高の作曲家などなど、その名前が賛辞と共に形容され、実際に彼の楽曲はタンゴを超えてクラシックやジャズ、ポップスなど様々なジャンルの音楽家によってカヴァーされ、世界中多くの人の耳にそのメロディが刻まれるほどにポピュラーな存在として知られておりますが、その50年に及ぶ音楽活動の半分以上は、広くその真価を認められず苦悩していた時代を抱えておりました。


ザッと語りますればピアソラは最初からタンゴのローカルさ、つまりは「酒場での喧噪の中で人を踊らせるためだけに存在する娯楽音楽」としての部分を、何とか「コンサートホールでの鑑賞に耐え得る芸術音楽」の域にまで高めたかった。そのために好きで聴いていたジャズや留学で学んだクラシックのあれこれをタンゴにまぜこぜして、タンゴ本来のダイナミズムを損ねることなく、研ぎ澄まされた洗練と高い芸術性をプラスするような真面目な活動に専念しておったのです。

ピアソラのそんな活動は、アルゼンチンの文化省や芸術家達からは「お、何か意識が高いことやってるねぇ」と、ぼちぼち認められてはおりました。

が「やっぱりタンゴはええで、踊れるしのぉ♪」と楽しんでいたそれまでのタンゴ好きの大部分からは

「な!?このピアソラっつうヤツのタンゴは何じゃい、踊れんやんけこんなもん!」

「おい、クラシックやないんぞ!何お上品に気取っとるんじゃい!」

と、おおむね否定的な評価を投げつけられておりました。

特にピアソラが故国アルゼンチンに戻ってきて、意欲に燃えていた1960年代は、創作の意欲と世間での悪評との板挟みになって、ピアソラは大いに苦しんだと思います。

古典ファンにも比較的掴みやすく、編成もシンプルだった五重奏団で演奏したと思ったら、今度はその五重奏団にオーケストラを模した様々な楽器を加えた大編成バンドでもって、複雑な編曲の作品をリリースしたり、この時期のピアソラの作品には聴衆も戸惑ったとは思いますが、ピアソラ自身が苦悩と迷いを抱え、かなり参っていたのではないかと思います(作品1枚1枚のクオリティは、それ故に息を呑むほどの緊張感に満ち溢れたものがズラッと並んでおりますが)。

それでも1965年、アルゼンチンの文化交流事業の一旦としてニューヨークのフィルハーモニックホールでの公演を大成功を収め、その勢いをそのままスタジオで再現した『ニューヨークのアストル・ピアソラ』という生涯屈指の名作を作る事が出来たピアソラの快進撃は、これをきっかけに始まるものと一部ではかなり期待されておりました。



ところがこの時期のピアソラには、音楽的な苦悩とは別に、プライベートでの深刻なトラブルがありました。

1942年に結婚していたピアソラ、実は女性には結構だらしなかったらしく、加えて前から奥さんとは政治的な考え方がどうにも合わず、60年代はずっと別居生活を送っていたんですが、何とか弁護士を間に立てて和解しようとしていたのですが、そこに新たな女性が現れて、何とピアソラはその女性と同棲生活を始めてしまいました。おい、和解のための調停の最中に何てことするんだ。

この一件でピアソラは、音楽的な非難以上の非難にさらされ、ますます苦悩に打ちひしがれることとなり、その反動で「曲が全く書けない」という深刻な事態に陥る事になってしまったのであります。

う、うん...。そりゃあアナタそうなりますよとは思うのですが、話はこのまま続けます。

そんな、全く曲が書けなくなってしまったピアソラを見かねたレコード会社は提案します。

「なぁ、曲が書けないんならどうだい?ここでひとつ伝統的な古典タンゴの作品集でも作ってみないかい?」

ところがピアソラは

「いやぁ、俺は自分の曲以外やる気がしないんだよ。大体自分は古典タンゴのマンネリを打ち破るために音楽をやってるんであってゴネゴネゴネ...」

と、やる気を出しません。


ごねるピアソラにプロデューサーは

「いや、おめぇのくだらねぇ女絡みのスキャンダルのせいで今こんな事態になってんだろうが!このまんま契約打ち切られて消えたくなければとっとと古典タンゴの作品集作りやがれ!!」

とキレたのか

「何を言いますかマエストロ。あなたの斬新な感覚でもってこれまでと全く違うあなたにしか出来ないアレンジを施して、埃にまみれた古臭いタンゴを生まれ変わらせるのです!マエストロ、あなたは天才だ。きっとこんな事ぐらい訳もなく簡単にこなせてしまうでしょう」

と持ち上げたのかは分かりませんが、とにかく何となく乗り気でなかったピアソラは、気合いを入れた古典タンゴの作品集
をレコーディングすることになります。

それが『タンゴの歴史』と名付けられた2枚のアルバムです。


タンゴの歴史 第1集/グアルディア・ビエハ


【収録曲】
1.エル・チョクロ
2.オホス・ネグロス(黒い瞳)
3.ラ・クンパルシータ
4.ラ・カチーラ
5.ラ・マレーバ
6.わが悲しみの夜
7.ガウチョの嘆き
8.恋人もなく
9.夢の中で
10.バンドネオンの嘆き
11.ボヘミアンの魂
12.淡き光に


タンゴの歴史 第2集/ロマンティック時代+7

【収録曲】 
1.タコネアンド(靴音高く)
2.グリセータ
3.酔いどれたち
4.ロカ・ボエミア
5.レクエルド(想い出)
6.ボエド
7.影の中で
8.パンペーロ
9.ラ・レバンチャ
10.愛の夜
11.ウノ*
12.スール(南)*
13.マレーナ*
14.ペルカル *
15.私自身の肖像*
16.闇の女グラシエラ*
17.バラとツバメたち*

(*ボーナストラック)



『グアルディア・ビエハ』と名付けられた第1集は、タンゴ創世記と呼ばれる1900年代初頭から1920年代までに作曲された、これはもうアルゼンチン・タンゴのスタンダードと呼ばれ、現代にいたるまでありとあらゆるアーティスト達によって演奏され続けてきた名曲のオンパレード。

アレンジは意外にも奇をてらわずに、シンプルに美しく、原曲の素朴なメロディの良さを隅々まで緊張感がピンと張りつめたピアソラならではの美的感覚でもって最大に引き出したものが多く、非常に深みのあるタンゴ名曲集として、最初から最後までじっくりと聴いて楽しむことが出来ます。

「これなら保守的なタンゴ好きも納得して大人しく聴けるだろう」と、プロデューサーもレコード会社もホッとしたことと思いますが、基本に忠実な演奏をしながらも、ちょっとしたところで独自性を仕掛けとしてぶち込んでくるのがピアソラの恐ろしいところ。

まずは楽器編成ですが、通常の五重奏団に、12本のバイオリンに4本のづつ配されたチェロとヴィオラ、そしてヴィブラフォンにシロフォン、小さいパーカッション類。とどめにコーラスとしてのソプラノ歌手を加えたかなり変則的なオーケストラ編成なんです。この編成の中でピアソラのバンドネオンやアントニオ・アグリのヴァイオリンが際立って美しいソロを奏で、その効果を倍増させるためのオーケストラによるリフがむせるような香気を炸裂させるという、1枚の中でいくつもの時限爆弾が間髪を入れずに炸裂するという中毒性の高い構成にヤラレます。

そして、基本的に原曲に忠実な解釈の中、誰もが知る中の誰もが知るタンゴ名曲『ラ・クンパルシータ』での、原曲の解体ぶりが異様なカッコ良さを放っております。いや、最初聴いた時、これがあの曲だとは、アタシは全然気づきませんでしたが、コードやスケールは全くいじらず、これがこんな風な演奏になるんですねぇ・・・。


そして『ロマンティック時代』と名付けられた第2集は、アルゼンチン・タンゴが音楽としてひとつのピークに達した1920年代から30年代の曲を中心に選曲。

コチラも編成は第1集とほぼ変わらない、研ぎ澄まされた弦楽オーケストラ・サウンドですが、この時代のタンゴは正にピアソラが幼少期から青春時代に影響を受けた作曲家や楽曲がたくさんいるために、ピアソラ自身が「かなり思い入れがある曲を選んだ」と語るぐらいに気合いが入っております。ピアソラが「克服すべきもの」として対峙していた”踊らせるたけのタンゴ”と魂で理解し合い、それへのリスペクトを燃やしながら、徐々に古典タンゴを自らの音楽として構築してゆく生々しいドキュメントを、第1集より更に激しい温度で感じられるような、そんな真剣さがみなぎっております。

この「ピアソラが古典タンゴを演奏するプロジェクト」は、続いて1940年代から50年代、そして60年代へと至る第3集と第4集の4部作としてリリースされる予定ではありましたが、途中でピアソラが「あ、もういいわ。俺、新曲出来そうだわ」となって第3集のレコーディング途中で放棄。

第2集のボーナストラックには、その第3集になるはずだった音源と、スランプ期に書かれたオリジナルが収録されているEP音源が入っておりますが、このEP音源の『私自身の肖像』が、後に『ルナ』として晩年に至るまでの重要なレパートリーなので、ピアソラ好きはお聴き逃しなく。そうでなくともこの独特の沈鬱さが哀愁として昇華してゆくこの曲、たまらなく良いよなぁ。。。
















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2021年03月17日

ニューヨークのアストル・ピアソラ

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ニューヨークのアストル・ピアソラ
(Polydor/ユニバーサル)


今年2021年は、アストル・ピアソラ生誕100周年記念という事で、何かあるんじゃないかと思っていましたが、何とユニバーサル・ミュージックから、ピアソラのポリドール時代の名作や、これまでCD化された事がなかったレア・アルバムが一挙7タイトル再発になりました。

メーカーからのインフォメーションを見てる段階で「おぉ〜、ずっと欲しかったやつだ!」とか「えぇえ!?これはタイトルしか知らなかったぞ!」とかいうものが目白押しで、アタシはもう入手して聴く前から非常に興奮しておりました。

この再発シリーズの中で、アタシも一番欲しかったものは『ニューヨークのアストル・ピアソラ』です。

このアルバムはですね、数あるピアソラの名盤と呼ばれるものの中でも、初期1960年代屈指の素晴らしい出来であると、あちこちで絶賛されているアルバムで、しかしかなり前に国内で一回だけリリースされたっきり、ずっと廃盤だったやつなんですね。確か1990年代の初め頃(今調べたら1992年でした)にピアソラが亡くなって、その少し後に追悼盤として初CD化されたとか何とかで、90年代の終わり頃、といえばアタシがピアソラを「カッコイイ!!」と思い始めていた丁度その時ぐらいまでは、何となく大きなCDショップの店頭には並んでいたと思います。

が、やっぱりその頃は一連のキップ・ハンラハン・プロデュースのやつやら、その辺のリリースされたばかりのアルバムを必死で集めようと思っていた時期で、ほんでもって『ニューヨークのアストル・ピアソラ』が凄くいい(らしい)という事も知らずにスルーしておったんですね。

という訳で、欲しいと思った頃にはもう流通しておらず、随分と長い間淋しい思いをしておりました。

さてさて、そんなアタシの与太はともかくとして、何故このアルバムが名盤なのか?それはやはりピアソラにとって、ニューヨークという街が特別であったからというのが、まず大きな理由として挙げられるでしょう。

ピアソラはアルゼンチンで生まれましたが、4歳の頃に家族でニューヨークに移住。そこで15歳まで過ごしております。

多感な少年時代を過ごした大都会。そこでピアソラは母国の文化よりも先に、ジャズやミュージカルなどの、最先端のアメリカ文化に夢中になります。

ピアソラはアルゼンチンの音楽であるタンゴに、ジャズやクラシックといった外部の音楽から受けた影響を大胆に取り入れ、独自の芸術性の高い音楽へと昇華させてゆくのですが、その原点である原体験が、この幼少から少年期に培われたものであったのです。

その後ピアソラ一家は故国アルゼンチンに戻り、若き青年アストル・ピアソラはこの頃にはもういっぱしのミュージシャンとして、地元のタンゴ・グループにバンドネオン奏者として参加して演奏活動を行っております。当初からピアソラは「タンゴで何か革新的なものをやろう」という志に燃えており、自身が率いるグループで先鋭的な演奏をしていたのですが、これが全く受け入れられずバンドも解散。ピアソラは裏方として古典単語の編曲の仕事などをやりながら、再びの活動の機会を待っておりした。

が、アーティストとして認められない現状に悶々としているうちにタンゴそのものに失望したピアソラは、クラシックの音楽家になるためパリへ留学。

んで、↓に書いてあるいきさつを経て、ピアソラは再びアルゼンチンに帰国して、タンゴの世界へ戻ります。



アルゼンチンに戻ってきたピアソラは、以前にも増して「他の誰にも出来ない革命的タンゴ」の創造に燃えており、早速エレキギターを入れたグループを結成し、クラシックの対位法やジャズから強く影響を受けた即興的要素を大胆に演奏の中に取り入れますが、今度は受け入れられないどころか「タンゴの破壊者」という罵倒や「お前の家に火をつけてやる!」といった脅迫なども浴びせられ、今度は逃げるようにアルゼンチンを離れ、ニューヨークへと舞い戻ります。

世界の文化の中心地ニューヨークで、私はきっとタンゴの革命を成し遂げる!と意気込んだピアソラでありましたが、結局思うように仕事は得られず、更に故郷の父親の訃報がツアー中に届くなど、ピアソラにとってショックな事が立て続けに起きてしまい。結局1960年には再びアルゼンチンに帰国することとなります。

アルゼンチンに戻ったピアソラは、バンドの編成も『バンドネオン、ヴァイオリン、ギター、ピアノ、コントラバス』というシンプルで基本的な編成に立ち返り、この編成で、あくまでタンゴというフォーマットの中で出来る最大限の実験に集中し、ピアソラの評価は徐々に一部の進歩的な音楽好き達によって「みんな彼のタンゴは踊れないなんて言うけど、よく聴いてみたらアレはなかなか大した事をやっとるぞ」というものへとなっていきました。

それでもピアソラは、70年代にヨーロッパで正当な評価を手にするまでは、アルゼンチン周辺の「知る人ぞ知る」音楽家、或いは保守的なタンゴの愛好家からは「前衛かぶれのいけすかないヤツ」として知られるのみでありました。



ニューヨークのアストル・ピアソラ +6

【収録曲】
1.悪魔のタンゴ
2.悪魔のロマンス
3.悪魔をやっつけろ
4.10月の歌
5.マルデルプラタ70
6.トード・ブエノスアイレス
7.天使のミロンガ
8.天使の復活
9.ラ・ムーファ
10.ブエノスアイレスの夏*
11.ゲートルのリズムで*
12.セ・ラムール*
13.トレス・サルヘントス*
14.革命家*
15.アルフレド・ゴビの肖像*

(*ボーナストラック)


それでもピアソラはめげません。元より古典タンゴを心から愛し、表現の技法は完璧にマスターし、その上で真剣に学んだクラシックやジャズのエッセンスを、大胆で緻密なアレンジに、究極に真剣を尖らせて練り込んでいった彼の音楽は、当初からその完成度やダイナミズムにおいては、やはり(単純にタンゴ以外のジャンルを全部ひっくるめても)世界でも群を抜いたものでありました。

『ニューヨークのアストル・ピアソラ』は、正にそんな時期のピアソラと彼の作る”新しいタンゴ”の特異性と、バンドの研ぎ澄まされたチームワークと個々の凄まじいテクニックが最初のピークに達した瞬間を収めた作品であります。

このアルバムは1965年、ピアソラ五重奏団によってレコーディングされたスタジオ・アルバムであります。タイトルは『ニューヨークのアストル・ピアソラ』だし、オリジナルのジャケットにはスペイン語で「ニューヨーク・フィルハーモニック・ホールにて」と書いてありますが、実は録音はアルゼンチンのスタジオの中で行われたという、少々紛らわしい仕様なのですが、どうやらこれはプロデューサーによる「ピアソラはアメリカでこんなに評価されて凄いんだぞ!」と、アルゼンチンの人々に宣伝したいという思惑によって成されたものであるそうです。

が、実際にピアソラはこのアルバムを録音する前に実際ニューヨークのフィルハーモニック・ホールでコンサートを行っており、そのコンサートは”最先端”を求めるアメリカの音楽ファンからは賞賛を以て話題になったものでありました。

少年時代に大きなインスピレーションを受ける原体験をしたことと、大人になって果敢に挑んでも思うような成功に繋がらなかった、そんな両極端な経験をしたピアソラにとって、ニューヨークでのコンサートの成功は、言い表せないぐらい嬉しく興奮する出来事であったのでしょう。その興奮は、アルバムでも十分に表れております。

五重奏団のメンバーは、ピアソラ(バンドネオン)、アントニオ・アグリ(ヴァイオリン)ハイメ・ゴーシス(ピアノ)、オルカル・ロペス・ルイス(ギター)、キチョ・ディアス(コントラバス)です。

ピアソラの片腕として、時にピアソラ以上に鋭くロマンチックなリードで演奏を一気に華やかなものにする、”ピアソラの相棒”と称されたアントニオ・アグリと、激しく唸るベースラインでピアソラがこだわった”リズム”の核となるキチョ・ディアスのコントラバス、演奏の中ではバックを支える屋台骨でありますが、実はそのエレキギター奏法には、ジャズのバッキングやアドリブによるオブリガードなど、物凄く斬新なテクニックをさりげなく散りばめたオスカル・ロペス・ルイス、クラシックを極め、初期ピアソラのコンセプトを完璧に理解し、演奏に深みとドラマ性を持たせたハイメ・ゴーシスのピアノ、このキャリアも出身ジャンルも微妙に違うメンバー達が、それぞれの個性を発揮しながら、演奏がぶっ壊れるギリギリを瞬時に見極めて、尋常ならざる煌めきの瞬間を、いくつもいくつも炸裂させていて、もう冒頭の『悪魔のタンゴ』のオープニングから心臓がドキドキしてしまう程。

アルバムのコンセプトも『天使と悪魔』をモチーフに、清浄と妖艶が際どいコントラストで歌詞のない物語を壮大なスケールで描いております。しかも、どの曲どの演奏も溶けそうなほど官能的。


ピアソラが初期60年代に残した作品の数々は、今の時代の私達にとっては本当に素晴らしい魂の結晶である芸術作品でありますが、その時のピアソラといえば、狭い世間からの黙殺や悪評にじっと耐えながらひたすら未知の音楽を信じて作り続けていたんですね。そんな事を考えながらこの時期の作品を聴くと、やはり胸にグッと熱いものがこみ上げてくるのです。












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2020年03月14日

イラケレ

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イラケレ
(Colombia/SMJ)

今日はちと寒いのですが、これからの季節のためにちょいとホットで気合いの入るラテン音楽の極上なヤツをひとつご紹介していこうと思います。

はい、1970年代にキューバで結成され、その後「知る人ぞ知るスーパーバンド」として密かな人気をずーーーっと持ち続けているイラケレ。キューバといえば、例のライ・クーダー・プロデュースの『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』のブレイクによって一気に世界に知られるようになり、すっかり「オシャレなちょいワルな大人の音楽」と思っている方もたくさんいらっしゃると思います。

確かにキューバの1950年代からの時代を生きてきたベテラン勢達は粋でオシャレでダンディでちょいヤクザなカッコ良さが、演奏からもその風体からもムンムン匂ってきてカッコイイことこの上ないんですが、実はキューバの音楽は「それ以後」も十分アツい進化を遂げていてカッコイイんです。

ということを、イラケレを聴くとしみじみ思います。

ちょいと小難しい事をいえば、アメリカの南に浮かぶ島国キューバの音楽は、やはり戦前からアメリカの音楽と深い関係がありました。

創世記のジャズは、ニューオーリンズで産声を上げたその時既に、すぐ対岸に点在するカリブの島々の黒人たちのリズムをもうその演奏の中に取り入れていたと言いますし、そうでなくともジャズやR&Bは、常にキューバをはじめとするカリブ海に浮かぶ島々のリズムを「コレが新しいリズムだ!」と、1920年代から40年代、50年代にかけて取り込んで進化していきます。

そんなアメリカの最先端な音楽であるジャズを、今度はキューバのミュージシャン達が聴いて「カッコイイ!オレ達もこんなオシャレな音楽やるべ!!」とジャズを学び、土着の演奏をその洗練で研ぎ澄ませていき・・・といった風に、相互に影響を与え合って進化してきた訳です。

しかし、1959年にキューバで革命が起き、社会主義政権が誕生すると、今度は資本主義陣営のリーダーであるアメリカ政府とキューバ政府との間が険悪になり、思って立った交流というものがなくなってしまうんです。

ところが今度は亡命してきたキューバの人達がニューヨークとかでコミュニティを作り、隣接する黒人地区やその他の移民の人達と草の根の交流が生まれ、ジャズやR&B、ポピュラー音楽の中に、キューバの音楽の要素がよりダイレクトに入ってくるようになって、1960年代後半にはもうラテン・ジャズとかアフロ・キューバンなんて言葉はジャズの中では当たり前になって、今度は「ラテン」という言葉すら使わなくても良いぐらいに最初からラテン音楽のリズムやメロデイが入っているフュージョンなんて音楽も生まれてくるようになります。

一方でR&Bから発展したファンクが大ブームとなり、アメリカのラジオを受信出来るキューバでは、流行の最先端であるフュージョンやファンクを聴いて

「おぉ、カッコイイ!オレ達もこんなのやりたいぜ!!」

と、思ってバンドを結成する若者達が70年代に出てくるんですね。

はい、ちょいと回りくどい前置きになってしまいましたが、イラケレというバンドは、そんなこんなで70年代に出てきた、全く新しい感性を持った、キューバオリジナルのフュージョン&ジャズファンク・バンドなんです。

1973年に、ピアノ/キーボードのチョーチョ・ヴァルデスが中心になって結成され、基本編成がピアノ(キーボード)、サックス、トランペット他ホーン・セクション、エレキギター、エレキベース、ドラムス、パーカッション複数という大所帯で、音楽的な部分の多くをジャズ・フュージョンにインスピレーションを得てファンキーでグルーヴィーな演奏を展開しておりますが、アメリカのフュージョンと明らかに違う所はやっぱりアレンジの中にラテン・パーカッションが織りなす複雑で多様性に富んだリズムを大胆にぶっ込んだところでありましょう。

フュージョンっていえば何となく軽やか爽やかバカテクみたいなイメージがありますが、イラケレはバカテクの上にむせるような熱気とリズムの強烈なアフロ・ニュアンスがもんわり匂ってこれがこれがまー凄まじい勢いで聴く人をひたすら圧倒してきます。



イラケレ +3(期間生産限定盤)

【収録曲】
1.フアナ・ミル・シエント
2.イリア
3.アダージョ
4.ミサ・ネグラ(ブラック・マス)
5.アグアニーレ
6.シオマラ*
7.ポル・ロンペール・エル・ココ*
8.バイラ・ミ・リトモ*

*ボーナストラック



さあ、もうこういう音楽にごちゃごちゃ理屈はいらんでしょう。たとえばジャンルは違えどフェラ・クティとかのアフロビートとか、サンタナとかのアツくたぎるラテン・ロックのあの感じとか、初期ウェザーリポートのめちゃくちゃにファンキーでドロッとした感じとか、踊れるジャズファンクとか70年代以降のファラオ・サンダースとかのスピリチュアルなあの雰囲気とか好きな人には、イラケレが持つグルーヴのすさまじさ、その大所帯バンドが一丸となってグイグイとフロアを沸かして聴く人を腰から引き込む魅力にメロンメロンになって頂けるんじゃあないかと思います。

オススメは1980年に何とグラミー賞を取っちゃったライヴ・アルバム『イラケレ』。これは正にグループの活動がキューバで軌道に乗って、東西冷戦の隙間を上手いことすり抜けてその人気をちゃっかり世界的にしてしまった1970年代後半のアメリカとヨーロッパでのライヴを集めたもの。

のっけからパーカッションが作るリズムの洪水から、ブ厚いホーンセクションのリフにジャコパスも真っ青のうねりまくるベースラインが心に火を点けてたまらんのですが、熱いグルーヴを維持しながら中盤から後半に向けて美しいメロディをじっくり聴かせる展開があったり、ただのノリと勢いだけでなく、音楽的に素晴らしく深いキューバン・ミュージックの真髄が味わえます。











『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2019年10月15日

トロピカル・スウィンギン! キューバ 楽園のギタリストたち

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V.A./トロピカル・スウィンギン! キューバ 楽園のギタリストたち
(アオラ・コーポレーション)


10月になると本土の皆さんは、もうすっかりめっきり秋を感じておられることと思います。

秋になるとすっかり気温も下がって、陽が落ちるのも早くなって、何だかこう切ないというか淋しいというか、ちょっぴりセンチな気持ちになってきて、まぁアタシもビル・エヴァンスなんか取り出して「あぁ・・・このピアノ切ない!やっぱり秋はエヴァンスだわ」とか、一丁前に分かったような口を利いている訳なんでございますけれどももね、あのねぇ、奄美ぜんっぜん秋めいてこないんですよ!!(怒)

このやろー!このやろー!今日も暑いんじゃー!と、10月になってからほぼ毎日言ってます。

しかしまぁ、あんまり「暑い、嫌だ」とばかり言ってても、しょーもない人間になって終わりっぽい気がしたので「よし、これはひとつ気候のこういう不快な夏っぽさを心地良さで上回るゴキゲンなサマー・ミュージックを聴いて、徳の高い人間になってやろう」と、ほぼやけくそに思い立ちました。アタシ偉い。

ゴキゲンなサマー・ミュージックといえば皆様、やっぱりラテンですよね。

情熱的なサルサやマンボのリズムに乗って、エモーショナルなヴォーカルにサックスにトランペット、ほいでもってトロピカルなギターとかピアノが鳴り響く。どうですこれ、良いですよえぇ。

特にアタシは個人的に、今の最新技術でのクリアな録音より、どこかこう粗くてあったかみのある、例えば屋外のラジオとかから流れてくるような音質の、つまりは古い時代のラテン音楽に、たまらない魅力を感じるんです。

なので、今日は1960年代に最も面白かったキューバ音楽のシーンで活躍したギターの名手達を集めた日本独自規格のオムニバス『トロピカル・スウィンギン!キューバ楽園のギタリストたち』を聴きつつ、これすごく良いよと皆さんにご紹介したいと思います。

はい、キューバといえば、1990年代の後半に、ライ・クーダー監修の映画とそのサントラ盤『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』で、多くの人々に知られるようになり、今じゃたとえばロックやジャズやブルース聴いてる人達の間でも「キューバいいよね」という話題が当たり前に出るようになりました。

アタシも「ブエナ・ビスタ」に感激して、そこに参加しているアーティスト達の作品を聴きながら、少しづつキューバ音楽を知っておりましたが、ここへきて2018年に、そこからさらに突っ込んだこういう内容のコンピが出るのは凄く嬉しいし、聴き続けてもうかれこれ20年近くになりますが、ちっとも深まらないアタシのキューバ知識の補充にも物凄く役に立ちます。えぇ、有難いですね。




トロピカル・スウィンギン! キューバ 楽園のギタリストたち


【アーティスト/収録曲】
1.ウィルソン・ブリアン/南京豆売り
2.ウィルソン・ブリアン/第三の男
3.ウィルソン・ブリアン/ブルース
4.セネン・スアレス /私はカンペシーノ
5.セネン・スアレス/ベリンダ
6.セネン・スアレス/ソン・デ・ラ・ロマ
7.フアニート・マルケス/Llavimaso ジャビマソ
8.フアニート・マルケス/ヒタ・ノバ
9.フアニート・マルケス /トゥンバオNo.1
10.カルロス・エミリオ・モラレス /君は愛をわかっていない
11.カルロス・エミリオ・モラレス /デスカルガを楽しめ
12.カルロス・エミリオ・モラレス /ワン・ミント・ジュレップ
13.マヌエル・ガルバン/私の悲しみ
14.ホセ・アントニオ・メンデス/マンボのテーマ
15. ニーニョ・リベーラ /モンテ・アデントロ
16.アルセニオ・ロドリーゲス/ソン・パチャンガ
17.パピ・オビエド/ラ・ブローチャ
18.パピ・オビエド/トレスを弾いてくれ
19.パブロ・カノ/デスカルガ・ア・ロ・ロジェール
20.パブロ・カノ/アンダルシア
21.パブロ・カノ/イパネマの娘



さてさて、このコンプレーションなんですが、「最近ズバ抜けて攻めてる楽器専門誌」としてギター弾き以外のハートも射抜きまくっているギターマガジン監修で、我が国では屈指のカリプソ・ギタリストのワダマコトさん(カセットコンロス)解説のコンピであります。

内容は、主に50年代から60年代にかけて活躍した、キューバやカリブ諸国では伝説の巨匠としてかの地の音楽史を語る上でも、ラテンのギター演奏を語る上でも超絶有名な人達の名演を「これでもか!」というぐらいの質量で収録してあるスグレものです。

キューバという国は、地理的にはアメリカのすぐ下にあって、かつ同じ島の中にアメリカの中の自治領というかなり特殊なプエルトリコという国があり、古くからアメリカとの関わりが深いんです。キューバが社会主義国となって、アメリカとは敵対関係になってからも、移民としてニューヨークに住むキューバ人は多く、例えば大都市ニューヨークなんかでは、キューバやプエルトリコから来た人々が、独自のコミュニティを作って、大きな文化圏を作ったりしております。

だもんで、ここで聴かれる60年代キューバの音楽というのは、昔からの土着のリズムやパーカッション・アレンジの中でソロを取るギターやアレンジの中で主要な位置を占めるホーンセクションなんかは、実はかなりアメリカのジャズやR&Bの影響を受けてるんですね。それらは周波数をいじくれば流れてくるアメリカのラジオ放送からダイレクトに受けたものでもあり、またはアメリカに居る同胞達からもたらされた、新鮮な”生”の情報だったりしていた訳で、そんな中でアメリカとキューバ、互いに影響を受け合い与え合いしていたものが、くんずほぐれつでそれぞれの新しいサウンドを生み出していた、ちょうどそんな時代の、混沌とした活力が、名手達のギター・プレイにはピュアな形で反映されております。

たとえばジャケットに写ってるコンラード・ステン・ウィルソン・ブリアン。ジャマイカ出身のこの人のプレイなんかは、タイトルに偽りナシのトロピカルなムードの中、ジャンプ・ブルース系の実に鋭くアグレッシヴなソロでいきなり異彩を放っております。

それぞれに実に個性的で「誰が誰だかハッキリと違いが分かるぐらいに個性の塊」のプレイヤー達の中で、最もテクニカルなモダン・ジャズのマナーに斬り込んだプレイを聴かせてくれるファニート・マルケスのべらぼうに速く滑らかなフィンガリングなんかも「キューバ=のんびりでヨイヨイな感じ」をイメージしていたアタシには寝耳に落雷ぐらいの衝撃でした。解説によるとキューバでいち早くエレキギターを手にし、近年はプロデューサーとしても大活躍とか。

ごった煮の魅力が終始満載のアルバムのラストで、見事なボサ・ノヴァを披露してれるパブロ・カノの、クールで知的なプレイも実にジャズ的な洗練を感じますね。特にちょっとしたフレージングの歌わせ方には、単純にボサ・ノヴァとかキューバとか、地域性では括れないフィーリングの深さがあるような気がしてなりません。


しかしこの、今の綺麗な録音と違って、それぞれの楽器がガッチャガッチャ鳴ってる全体にもわんとエコーがかかってる録音がとてもよろしいですな。家で聴いててもキューバの街の露店にあるラジオから聞こえてくるようなこの空気感も演奏同様クセになります。







(↑特集記事が素晴らしいギターマガジンもぜひ)























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2019年06月14日

ジョアン・ジルベルト AMOROSO(イマージュの部屋)

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ジョアン・ジルベルト/AMOROSO(イマージュの部屋)
(ワーナー)


恐らくは体調の問題だとは思うのですが、夏になると大体いつも頭がボーッとなって、耳に入ってきてしっかり届く音楽とそうでない音楽の境界というものが曖昧になってきます。

えぇ、いきなり「何を言ってるんだ?」「お前は大丈夫か?」とお思いの方すいません。要するに頭がボーッとするんです、そいでもっていつもは「あぁいいな」って思って聴いている音楽が、何だか遠くでボワボワ鳴っているように思えてしまう。

例えばロックの熱狂も、ジャズの享楽も、陽炎の彼方でゆらゆらと揺れて、その中に飛び込んで行こうとすれば遠ざかる。そんな感じ。うん、よくわかりませんね。

もっと簡単に言えば「感動するために音楽を聴いているのに、何かこう感動の手前で自分の感覚が淡くなってしまって感動出来ない」という状態とでも言いましょうか、人にこんな話をしたら「そりゃお前、軽い鬱だよ」と言われることうけあいですが、あぁそう言われてみればそうかも知れません。

とにかく由々しき事態ですので、急遽普段好きで聴いている音楽から「ボーッとしてても耳にガツンと入って来なくても、心がおのずと淡い感動で潤うような音楽」をチョイスして処方しております。

そんな都合のいい音楽なんてあるのかお前と言われそうですが、これがあるんです。

ボサ・ノヴァです。

あぁそうね、ボサ・ノヴァって心地良いし、軽くてオシャレだし、サラッと聴けるよね。

違います。

何というかボサ・ノヴァっていう音楽は、アタシにとっては凄い切実なもので、かつ「今聴いとかないとヤバイ気がする!」っていう危機感を、心地良く麻痺させて、その麻痺の隙間からジワジワと快楽を送り込む、ヒジョーにヤバい音楽なんです。

とりわけジョアン・ジルベルトです。

ジョアンについてはもう何をか言わんや、アントニオ・カルロス・ジョビンと並ぶ、ボサ・ノヴァの生みの親であり、戦後のブラジリアン・ミュージックを代表するシンガーソングライターであり、彼の周囲から一気に「オシャレで爽やかで心地良いボサ・ノヴァ」というのが、今なお生まれては増殖を繰り返しておるのでありますが、その輪の中心のコアの所に居るこの大御所が持つ、得体の知れない程のディープな存在感というのが、いまなお少しも薄れてゆく気配すらない、その歌や音楽の表面的な佇まいは、あくまで知的で穏やかのに、一度その魅力の深い所にはまり込んだ聴き手に対しては、何かこう絶対的な畏怖に近い感情で、グァ〜っと五感を圧迫してくる。

えぇ「ジョアン・ジルベルトの歌が気持ちいい」というのは、その圧迫によって完全に麻痺させられた五感と六感と阿頼耶識が覚える快楽でありまして・・・アタシは一体何を言ってるんでしょうねぇ。




AMOROSO(イマージュの部屋) <BRASIL SUPERSTAR 1200>


【収録曲】
1.ス・ワンダフル
2.夏のうた
3.チン・チン・ポル・チン・チン
4.ベサメ・ムーチョ
5.波
6.十字路
7.トリスチ
8.白と黒のポートレイト


ジョアンに対してはもう「偉大なる〇〇」とか「ボサ・ノヴァの立役者」とかいった陳腐な賛美の言葉など、何ら無力のような気も致します。4の5の言わずにその作品に収録された、独白のような柔らかな声の底無しの魅力に憑かれてしまいましょう。

今日はバックに配されたストリングス・アレンジの美しさも相俟って、ジョアンの歌声がどこかアタシ達の住んでいる世界とは根本的に違う次元でゆらいでいる、1977年リリースのアルバム『AMOROSO』であります。

1960年代にアメリカでブレイクした事がきっかけになったボサ・ノヴァ人気は70年代になっても衰えを知らず、むしろジャズ、フュージョン、AORなどのアメリカ音楽の最先端を取り込んで消化しながら、その表現領域をどんどん拡げていきます。

ボサ・ノヴァは元々ジャズ・テナーサックス奏者のスタン・ゲッツとジョアンの共演盤『ゲッツ/ジツベルト』で世界に知れ渡った訳ですが、それは土着のブラジル音楽であるサンバをもっと洗練させたいと願った当事者達の意識と、ヨーロッパ系アフリカ系、原住民系の血が複雑に入り混じるブラジルという土地柄の宿命が必然を呼び起こして生まれた音楽としての在り方を現すものだったのかも知れません。

さて、このアルバムでは、ジョアンの声を幽玄で彩るストリングス・アレンジを、クラウス・オガーマンという人が取り仕切っております。

クラウス・オガーマンという人はですね、50年代からジャズ/ポピュラーの歌手やバンドのバック・アレンジをこなしつつ、60年代にはビル・エヴァンスの『ウィズ・シンフォニー・オーケストラ』や、ウェス・モンゴメリーの『テキーラ』、更には80年代に空前の大ヒットとなったジョージ・ベンソンの『ブリージン』などでオーケストラやストリングスの指揮とアレンジをキメ、関わる多くの作品を「名盤」の仲間入りさせた凄い人です。

この人のアレンジの特徴は、バックそれのみで聴いてもうっとりするほど美しい情感に溢れた綿密かつ躍動的なところなんですね。

で、60年代にブラジルに行き、そこでボサ・ノヴァという新しい音楽を試行錯誤の末形にしていたアントニオ・カルロス・ジョビンと出会い、その音楽的な完成度の高さとリズムの繊細さ、楽曲の美しさに感動し「よし、アンタのアルバム作るんだったらオレもいっちょう貢献してやるぞ」と賛同してボサ・ノヴァを代表する1枚『波(Wave)』が後に生まれたりしたんです。

で、ジョビンとの仕事などでボサ・ノヴァの仕組みみたいなのをしっかりと熟知したオガーマンと、存在そのものがボサ・ノヴァみたいなジョアンとの共演でありますから、これが悪くない訳がない。

大体音楽は、他のジャンルと接触する過程でそっちに寄りつつ進化して行くのでありますが、ボサ・ノヴァ、特にジョアンのそれは美しく他ジャンルと溶け合いながらも本質を一切変えず、歌という形で悠久の響きをそこに生じさせておるのです。

そう、経験と楽理と全神経と全感情を総動員して、ジョアンの音楽をバックアップしようと、これまでになく研ぎ澄まされた幻想美で彩られたオガーマンアレンジのオーケストレーションに対し「余計な音などいらない、俺は俺でいい」とばかりに、淡々と一定の距離を置きながら内へ内へと沈み込んでゆくジョアンとの、緊張感に満ちた交感が、ただの””気持ち良さ”に終わらない、冷たくも美しい幽玄の世界を淡く描いております。

これが夏の暑い日に聴くと、もう大変なんです。温度すら存在しないかのような世界へ意識はふわっと飛ばされます。ジョアン・ジルベルト、本当に麻薬です。






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