2016年03月01日

ギリェルミ・ジ・ブリート 幻のファースト・アルバム

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ギリェルミ・ジ・ブリート/幻のファースト・アルバム
(ライス・レコード)



ボサ・ノヴァが普通にポップスとして聴かれるようになって、そこからブラジル音楽の奥深い魅力にハマッてゆく人が、年々静かに増えているようでございます。

お店に来ていたお客さんが口々に言うには

「最初は心地良くて癒しの音楽だと思ってボサノバ聴いてたんだけど、だんだん聴いてるうちに何かこう切なくなってね〜」

なのです。

うん、わかる。すごくわかる。

ボサ・ノヴァの心地よく、軽やかな雰囲気は、あくまで表面を優しくコーティングする「外側」の部分です。

しかし、その奥底にあるどうしようもなくヒリヒリするような切ない味わいというのがあって、これは独特の深さがあり、一度好きになった人にとってはかけがえのないものになってきます。

アタシもそうだったんですが、大体ボサ・ノヴァにハマるのは順序があって、まずは小野リサさん、それからジョアン・ジルベルトとかアントニオ・カルロス・ジョビンとかの有名どころを聴いて・・・おっといけない、ジャズ好きとしてはスタン・ゲッツとジョアン・ジルベルトが組んだ歴史的名盤「ゲッツ/ジルベルト」を忘れちゃいけない。

90年代以降はNaomi&GoroとかBophanaとか、日本のグループで本当に上質なブラジル音楽を聴かせてくれるグループも次々出てきましたね。もちろんそれらの音盤も素晴らしい。

で、一通り聴いたところでほとんどの人が辿り着くのがサンバです。

え?何であんな柔らかく穏やかなボサ・ノヴァ聴いててあんなにぎやかなサンバに行くの?

はい、大抵の人はそう思うでしょう。

でもね、皆さんが良く知るあの”サンバ”は、ブラジルでは「カーニバルのサンバ」といって、サンバのごくごく一部分なのですよ。実はサンバというのは、ブラジルの地でポルトガルから白人が持ってきたヨーロッパ音楽にアフリカからつれて来られた黒人達の音楽が融合して、独自のリズム(シンコペーション、2ビートなど)が哀愁溢れる美しいメロディで紡がれる、ブラジルの古典ポピュラー音楽として人々に長く親しまれてきた音楽なんですね。

サンバの原型となるダンス音楽がブラジル内陸部のバイーア地方で誕生したのが17世紀、それから自由なリズム音楽だったサンバに徐々にメロディーが絡むようになって、白人音楽からの影響が強い”ショーロ”を取り込む形で洗練を増していったのが、19世紀の奴隷解放後のことと言われております。

んで、アントニオ・カルロス・ジョビンやジョアン・ジルベルト、ルイス・ボンファといった、ボサ・ノヴァの生みの親達は、みんなそれぞれ若い頃に”サンビスタ”と呼ばれたサンバの歌い手に憧れて音楽の道に入ります。

戦前のサンビスタ達は、ギターを爪弾いたりしながら情感たっぷりに哀愁のある唄を酒場やホールで聴かせ、大いに人気を博しておりました。中には(というよりもほとんどの女性は)その歌の世界を通じてオシャレで憂いある声の歌手に恋をして、それがまた新たなサンバを生む・・・というような感じだったようです。

そんな戦前から活躍するサンビスタの中でも、現代のボサ・ノヴァの原型に最も近いソフトなサンバを聴かせてくれるのが、ギリェルミ・ジ・ブリートです。




【収録曲】
1.俺を忘れておくれ
2.私の平穏
3.花ととげ
4.私の孤独
5.私のディレンマ
6.詩人の涙
7.生きてるうちに優しさを
8.荒野のバラ
9.心のない女
10.架け橋
11.枯れ葉のサンバ
12.愛しいおまえ

1922年生まれ、戦前から地道な活動を続けており、一旦衰退していたサンバに戦後新たな命を吹き込んだ人であり、60年代ボサ・ノヴァ・ムーヴメントの影響をさかのぼってゆくと必ずこの人に当たるという巨人であります。

しかし、それほどの凄い人でありながら、とても繊細な性格であり、ちゃんとしたアルバムが製作されたのは、何と1980年のこと。

その音源も彼が亡くなるまで陽の目を見ていなかったので、これは文字通り「幻のファースト・アルバム」です。

もうやがて60になろうかというギリェルミの声はどこまでも深く、慈愛に溢れ、バックのシンプルな弦楽器を中心とした切ない切ない伴奏もまた胸の深いところにどこまでもしみてゆきます。

これを聴いている時は言葉もなく、ただもう「あぁ、上質な音楽だなぁ・・・」と思うのです。実際「よし、ギリェルミのレビュー書こう!」と思ってから今日まで、実に1年近く経ってしまいました。この素晴らしいアルバムの魅力を伝えるには、まだまだ言葉が足りないと思うのですが、続きは皆さんがそれぞれ聴いてみて補ってください。それだけの価値がある一枚です。

『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2015年10月17日

カルロス・ガルデル〜Best of

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Best of Carlos Gardel
(EMI)


タンゴといえば1997年にキョーレツな”ピアソラ体験”をして以来、すっかり中毒になってしまったアタシなんですが、ピアソラをある程度聴いているうちに

「ちょっと待て、ピアソラが影響を受けたタンゴが聴きたいぞ」

と、思うようになりました。

あのですねアタシ、音楽聴く上でとっても大事なことって

「好きなアーティストが影響を受けたアーティストをどんどん掘ってゆく」

ってことだと思うんですよ。

ミーハー心でいいんです「これカッコイイ!」と思ったバンドなりミュージシャンなりが一言でも「誰々が好きで聴いてた」というのを目にしたり耳にしたら、ソッコーでメモってその音楽を聴いてください。

でも、まぁそん時は「これの何に影響受けたんだろう」「今イチわからん」とアナタは思うかも知れません。

でもね、それでいいんです。

そういう音楽ってある日突然”クる”んですよ。

「何だこれ!こんなにカッコ良かったか!?」

と、ぶっとぶほどの衝撃を受ける日が、必ずきます。

その時が、アナタの感性が”広がった”瞬間です。

感性が広がると、色んなものがカッコ良く聴けるようになります。えぇ、ジャンルとかカンケーなく、音楽聴くのが楽しくて楽しくてしょうがなくなるんですよ。とっても豊かになれるんですよ♪

おっと、話が大分横道に逸れました(汗)

で、ピアソラよりも古い時代のタンゴのCDを探して

・・・とはいっても、最初は本当にどのアーティストを聴けばいいのか全然分かりませんでしたし、大体大型CDショップに行っても「タンゴ」ってほとんどない。

だからオムニバス盤とか、クラシック・ギターの演奏家がタンゴをやっているのを中心に買いました。

その作曲者の中で、頻繁に目にするようになったのが「カルロス・ガルデル」という名前です。

「わが愛しのブエノス・アイレス(Mi Buenos Aires Querido)」という曲




は、そういえばタンゴとか洋楽とか全然知らない時から、何となく耳にしていた曲だったので

「えぇ!?これ、タンゴだったんだー」

とびっくりすると共に

「よし、カルロス・ガルデルという人をちょいと聴いてみよう」

と思ってCDを買いつつ、バイオグラフィ的なものも、調べてみました。

ガルデルは、1910年代から35年にかけて活躍したタンゴの歌手、作曲家でありますが、その活動は音楽には収まらず、端正なマスクと持ち前の美声を活かし、何と俳優としても人気を博し、単なるスターを越えた「アルゼンチンの国民的英雄」として、今も語り継がれる程の偉大なアーティストです。

その人気も、単に華やかな成功とカリスマにあったものでなく、しっかりとした音楽的な才能と革新性に裏付けられたものでありました。

タンゴ関連の資料に目を通せば、よく「タンゴは港で生まれ、ガルデルが育て上げた」みたいなこともよく書かれております。

事実ガルデルが世に出る前(1890年代頃から1900年代初頭)まで、タンゴという音楽は単なる「酒場で踊るための音楽」でしかなく、曲も単調で歌が入ってもそれは演奏の添え物的なものの域を出ない、他愛もない内容のものがほとんどだったようです。

タンゴを生んだアルゼンチンのブエノス・アイレスという街は、絶えず人が流動する港町です。

タンゴが生まれた時代にアルゼンチンに集まってきた人々の多くは、スペインやイタリアから新大陸へ一攫千金を狙ってやってくる移民達や、海に出たらば明日の命など知る由もない船乗り達やそれに関わる海千山千の商売人達でした。

いずれも「生きてくためにあんまり深いことは考えない」ような人達であったことは想像に難しくありません。タダでさえ陽気でアツいラテン気質の民族ですから、「ひとつの音楽の芸術性を高めるために、深く追究する」ようなことにはあまり興味がなかったのかも知れません。

ガルデルもそんな中で民謡や俗歌などを中心に唄うシンガーの一人でしかありませんでしたが、
「Mi Noche Triste(我が悲しみの夜)」 で、独自の哀愁を帯びた曲調と豊かな声量と表情豊かな声でもってタンゴの歌唱法を確立。

それが瞬く間にラテン・アメリカ諸国で空前の大ヒットを記録し、本格的な作曲活動に踏み出すと共に、南米からニューヨーク、パリなどの国際的なツアーを行い、世界的な成功を収めるに至りました。

ガルデルの海外での成功が、アルゼンチン国内でタンゴを見直す動きに拍車をかけたのでしょう。

酒場やダンスホールでしか演奏されなかったタンゴは、ちゃんとしたホールや演劇場で”鑑賞音楽”として演奏されるようになり、そこでまたガルデルの作った楽曲の質の高さに注目が集まることになります。

更に、無声映画からトーキーの時代への転換期が重なって、アルゼンチンの映画では、ガルデルが役者として演じて唄うシーンがあれば、その映画は大ヒットという具合に、メディアもガルデルの魅力を多くの人に伝える追い風になり、人々の心にタンゴという音楽はキッチリと焼きつくことになりますが、絶頂期の1935年、ガルデルは不慮の飛行機事故により、44歳という若さで伝説となってしまいます。

ところがガルデルの残した楽曲は、今もタンゴでは欠かすことのできない重要なレパートリーとして演奏され、クラシックでもよく採り上げられるほどになっております(さっきも言ったように、オムニバスやクラシック・ギターものとかには絶対というぐらい入ってる!)。

と、ダラダラと「カルロス・ガルデルってばこんなにも凄いんど!」ということを書いてきましたが、ガルデルの魅力=「タンゴという音楽が正に産声を上げて形になってゆくその過程」であります。







【収録曲】
1.Mi Buenos Aires Querido
2.Melodia de Arrabal
3.Leguisamo Solo
4.Tomo y Obligo
5.Silencio
6.Golondrinas
7.Por Una Cabeza
8.Sus Ojos Se Cerraron
9.Volver
10.Rubias de Nueva York
11.Dia Que Me Quieras
12.Cuesta Abajo
13.Madreselva
14.Amargura
15.Estudiante
16.Soy Una Fiera
17.Buenos Aires
18.Arrabal Amargo
19.Volvio una Noche
20.Lejana Tierra Mia

とは言っても、ガルデルのCDはなかなか出回ってません。

その中にメジャー・レーベルEMIから、値段よし選曲よしのベストが出ているのは、天佑と言っていいと思います(つまり出ているうちに買っといた方が良いということ)。

個人的には土着のフォルクローレや、フランスのシャンソンからの影響、同じくラテン圏の音楽であるファドとの類似点なんかを、この時代(戦前)のガルデルの音源から感じることが出来て深い感慨に浸っております。


単純に「戦前録音のノスタルジックな音楽を聴きたいな〜」という軽い気持ちで耳にしてもガルデルは心地良く酔わせてもくれますよ〜♪




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2015年09月18日

サブー パロ・コンゴ

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サブー/パロ・コンゴ
(Bluenote/EMIミュージック)

その昔「ブルーノート¥1100シリーズ」という好企画がありまして、わがサウンズパルは「これだ!」と思って大量に仕入れたことがあったんです。

ブルーノートといえば、これはもうジャズにちょっとでも、いやもうほんのちょっとでも興味があるぐらいだったらその名を聞いたことがあるぐらいの、超名門レーベルです。

特に1950年代、いわゆる「モダン・ジャズ」を代表する名盤がもうわんさかあって「とりあえずジャズでも聴いてみようかと思うんだけど、何から聴けばいいのかわからない・・・」とお悩みのお客さんには

「ちょうどいいのがありますよー!」

と、この「ブルーノート¥1100シリーズ」を、オススメしていたもんです。

サウンズパルのモットーは「いいものは聴いてもらってオススメする」だったんで、お客さんが「試聴したい」といえば、喜んで家から持ってきた私物のCDやレコードなんかをお店でガンガン流して、お客さんの好みに合ったものを選んで頂いてたんですがコレが大好評。

特に「今までジャズを聴いたこともなかった」というお客さんには

「これこれ!こんな感じのジャズが聴きたかったんだよ!」

と、特に好評を頂きました。

ブルーノートは、当時アメリカのインディー・レーベルでしたが、オーナーのアルフレッド・ライオンという人が、この人はドイツ人で「ジャズが聴きたくてアメリカに移住した」ぐらいの熱狂的なジャズファンで、もう「大好きなジャズのためなら!」と、本当に頑張って、良質な音盤を次々にレコーディングしては世に出したというのもあるんですが、何よりジャズ・ミュージシャンに心からリスペクトを捧げ、特に黒人ジャズマン達には、単純に契約してはいおわりじゃなくて、個人的な相談事にも親身になって乗っていたぐらいに偉い人なんですが、その話は長いのでコチラを読んでいただくとして話をつづけます。

さて、サウンズパルで「ブルーノート聴いてもらい売り」をしていたら、ある時から不思議な事が起こるようになりました。

何と、その「ブルーノート〜」のシリーズの中で唯一

「全然ジャズじゃないアルバム」

が、若い人たちを中心に

「ヤバい!」

「コレは凄い!!」

と、評判が評判を読んで次々と売れて、何と、洋楽もJ-POPも全部一緒にした「週間総合ランキング」のトップ10にまで入るようになったんです。

「全然ジャズじゃない」その内容は、もう凄まじく濃厚な「ラテン・パーカッション大饗宴!」のサブー・マルティネスというパーカッショニストのコチラ↓




【パーソネル】
サブー・マルチネス(conga,bongo,vo,g)
アルセニオ・ロドリゲス(conga,vo,tres)
ラウロ・トラヴィエソ(conga,vo)
イスラエル・モイセス・トラヴィエソ(conga)
レイ・ロメオ(conga)
エヴァリスト・バロ(b)
ウィリー・カポ(vo)
サラ・バロ(vo)

【収録曲】
1.エル・クンバンチェロ
2.ビュリンバ・パロ・コンゴ
3.チェフリート・ブレーナ
4.アサバチェ
5.シンバ
6.素晴らしき幻想(南京豆売り)
7.エレグアに捧ぐ
8.歌うあばずれ女
9.シャレード

”サブー”という、ニックネームのこのアルバムのリーダーの本名はチャノ・ポソというスパニッシュ系の移民で、ニューヨーク生まれハーレム育ちであります。

子供の頃からハーレムのストリートで空き缶などを叩いて遊んでいるうちに、ご近所のジャズマン達とすっかり仲良くなって、特にアート・ブレイキーとは気が合って一緒にレコーディングなんかもやっております

そこに目をつけたのがブルーノート社長のアルフレッド・ライオン。

彼はジャズだけじゃなくて、ブルースもゴスペルも大好きで、ブラック・ミュージックと深い繋がりを持つアフロ・キューバン・ミュージックも大好物だったんですね。

ブレイキーに紹介されたサブーの音が気に入ったライオンは

「おぅ、じゃあいっちょう本格的なアフロ・キューバンのアルバムを作ろうか。何?ジャズじゃない?そんなこたぁカンケーないよ。君が思うがままにそのパーカッションで血肉に染み込んだとびっきりのラテン音楽をやりゃあいいんだよ。・・・そうだな、君のために”助っ人”もスタジオに呼んでこよう。」

と、ライオンが言ったかどうかは分かりませんが「これはカッコイイ!」と直感で判断したら物凄い行動力を発揮するライオンです。

何と、ニューヨーク、ハーレムの無名の若いパーカッション奏者のために、物凄い”助っ人”を引き連れてライオンはスタジオにやってきました。

その”助っ人”が「キューバ音楽のゴッドファーザー」と呼ばれていた大物中の大物、アルセニオ・ロドリゲスと彼のファミリーです。

これは大事件だったんです。

どれぐらい大事件だったかというと、インディーズでバイトしながら何とか地元のライヴハウスの企画に参加できるぐらいのバンドのレコーディングに、忌野清志郎がゲスト参加するぐらいの大事件です。

サブーは多分ビビりました。目の前にいきなりグラサンかけたアルセニオ・ロドリゲス・・・サブーに言わせれば「オレの親父が”コノ人はすげぇんだ”って言いながらラジオで夢中になって聴いてたぐらいの超大物」がファミリー引き連れてオレと同じ空間にいる・・・・。もうビビリまくって声も出なかったと思います。

そんなビビるサブーと「さて、若いの。何やるかね?」とドーンと構えているアルセニオを前に、満面の笑みのライオンが

「とびっきりの、まじりっけのないアフロ・キューバンをやってくれ!制約は何もナシだ、好きにしていい!」

と、恐らくは言ったんでしょう。

編成はほとんど打楽器と合唱(と、アルセニオ自身が弾くトレース)のみ、本国ではゴージャスなオーケストラも引き連れてーの、大衆ウケするポップな曲もガンガンにやっておったアルセニオの「最もシンプルで土臭い、アフロ・キューバンの根源的な音」が、どういう訳かアメリカで、しかもどういう訳かジャズ専門レーベルのブルーノートで炸裂しておるんですよ。

いや、コレはホントに”炸裂”です。

奄美の人はラテン、特にパーカッション音楽には凄く敏感で、しかも余計なアレンジとかのない、純粋に「太鼓!!」ってヤツが好きだったんですけど、もう、コレ聴いた瞬間にほとんどの人が飛んでましたもん。それぐらいコレは”濃い”一枚です。ジャズじゃない、全然ジャズじゃないけど、これはこれでいいんです。

しかしこのアルバム、サブーには申し訳ないけど、キューバの至宝アルセニオ・ロドリゲスの最もコアなパフォーマンスが聴ける、ラテンの超名盤なんですよ。なので「ラテン」にちょっとでも興味ある人はぜひ聴きましょう。

特に3曲目「チェフリート・ブレーナ」この畳み掛けるビートにのっかって狂おしいほどに哀愁をぶちまけるアルセニオのトーレスのソロ、歴史に残る名演だと思います。濃いよ、ホントに。







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2015年08月16日

ザ・ラフ・ガイド・トゥ・サイケデリック・サルサ

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ザ・ラフ・ガイド・トゥ・サイケデリック・サルサ

(ライス・レコード)

世界各国の音楽の中でも、とりわけ質の高いものを厳選して聴かせてくれる「ザ・ラフ・ガイド〜」シリーズは、我が国が誇るワールド・ミュージックの良心、ライス・レコードの素晴らしいコンピレーション・シリーズであります。

で、その「ザ・ラフ・ガイド〜」の中でも特にサイケな音源ばかりを集めてシリーズ化したすんばらしい企画が「ザ・ラフ・ガイド・トゥ・サイケデリック〜」シリーズであります。

これね、アタシね、とても目の付け所がいい企画だなと思うんです。

特に60年代〜70年代の音楽史を見れば、当然アメリカとイギリスの、要は「英語圏の音楽」がポピュラー・ミュージックとして扱われ、大体「それ」が基準だったんですね。

で、世界の若者達は、ラジオやレコードで聴くロックなんかを「かっけー!」と真似する訳なんですが、今みたいにネット動画とかもない、テレビもそんなに普及していない時代、外国のロックやポップスが”ちょっとおかしな伝わり方”をしておったんですよ。

英語圏以外の国では、大体がギターアンプとかトレモロとかオルガンとかそういう最先端な楽器を、まぁ各国の国民性もあろうかとは思いますが「何かよくわからんけど、このツマミ回せばいいんじゃね?」「えっと、ボタンがいくつかあるけど・・いいか、全部ONにしちまえ!」というダイナミックな発想で、それはもう「天然サイケ」としか形容のしようがない音楽が街に流れ、若者の間で人気を博したんです。

日本も例外じゃないですよ?マーティ・フリードマンとかサーストン・ムーアとかジム・オルークだとかジョン・ゾーンとか、いわゆる「日本大好き」なアーティスト達は口々に言います。

「60年代の日本の歌謡曲こそサイケだ」

と。。。

「そんなバカな」

と思って、例えば勝新太郎のアルバムとか青山ミチとかぴんから兄弟とか、色々と「サイケ耳」で聴いてたら

「あ・・・ホントだ。歌もヤバイけどバックがサイケ・・・」

と、痛烈に実感したものです。


と、このままでは話が「サイケでアシッドな昭和歌謡談義」になってしまいそうなので強引に軌道修正をしましょうね(汗)

アタシがサイケ好きになった時にハマッたのは、70年代の中南米サイケでした。

あのですね、南米ロックは今もアツいけど、何というかアノ人たちおかしいんだ。アメリカ人の「全部ぶっこんでしまえ!」的なアタマの悪さも好きですが、ラテンの人たちは何て言いますかね、そういう陽気な壊
れっぷりにマイナースケールで死ぬほどの情念がぶっこんでくるからもうね、始末が悪いんです(笑)。


東京で務めておった時、アタシのサイケ先輩だったYさんに「これ、南米サイケな」と言われて聴かされたヤツや大体どれも”大当たり”でした。あとカンボジアのロック、アレは「うをっ!」て思ったんだけど「あぁ、カンボジアのバンドの連中は全部ポル・ポトに殺されてるから今もう誰一人残ってるヤツいねーんだ」という言葉聞いてゾッとしました。

・・・話を南米に戻します(汗)

「サルサ」と聴けば皆さん何を想像しますか?


あぁ、はい。大体の人は社交ダンスのBGMと答えるでしょう。その通りです。ちょっと音楽詳しい方なら「オルケスタ・デラルス!」というバンド名も出すでしょうね。それも合ってます。


このサルサという言葉、直訳すれば「ソース」になります。

ソースって、色んな野菜やら香辛料やらを全部ごった煮して煮詰めたアレです。

だから意訳すれば「サルサ」はごった煮音楽!

アメリカの南東沖にキューバという国があるのは皆さん知っていると思いますが、この国のすぐ隣にプエルトリコという国があります。

プエルトリコという国は、キューバと一緒に戦ってスペインから独立するんですが、とっても複雑な経緯を経て「アメリカの中の特別自治連邦区」という、半分独立国で、半分アメリカの自治州みたいなそういう特殊な地域になってるんですね。

しかし、プエルトリコは1950年代になっても政治経済がなかなか安定せず、特に農村の荒廃が深刻化しました。

農業で食って行けない人達は、一番近いアメリカの大都市ニューヨークに、職を求めて大量に移り住みます。

彼らは”ニューヨークのプエルトリカン”という意味で”ニューヨリカン”と呼ばれました。

言語はスペイン語、そして彼らにとっては英語圏の音楽よりは、お隣のキューバで流行していたソンやルンバがポピュラー・ミュージックとして肌身に染み付いていたのですが、アメリカに住んで世代を経たニューヨリカン達は、あくまでリズムの主軸をクラーヴェ(4拍子のリズムを3拍で繋ぐ、ラテン音楽独特の”チャッ、チャッ、チャ。チャッ、チャッ、チャ。というアレ)に置きつつも、ジャズやソウル、R&B、60年代以降はロックンロールからロック・ミュージックなど様々な音楽を独自に融合させた革新的な音楽を次々と生み出して行った。

コレが”サルサ”です。

で、音楽的なこととはまた別で、とっても重要な時代背景にも、サルサを語る時にはどうしても触れなければなりません。

ターニングポイントはやはり1960年代です。

よく「激動の60年代」と呼ばれておりますが、この年代アメリカは内外で抱えている様々な問題が一気に噴出しておりました。

外交においてはソ連との冷戦、ベトナム戦争、そして極めつけはケネディ大統領時代に「米ソの核戦争が始まる」と世界を震撼させたキューバ危機が起こります。

内政においては、このブログでも何度も何度も書いてきた黒人公民権運動、ドラッグの蔓延など、いずれも大国アメリカを根底から覆すような大きな事態が、文字通り全米を揺るがしておった訳なんです。

この黒人公民権運動に呼応して、「俺達中南米移民にも人権を!」と、在アメリカのヒスパニック系の若者達が声を挙げました。

当時の黒人青年達がブラック・ナショナリズムを大儀として掲げるブラック・パンサー党を立ち上げると、ラテン系の青年達も”ヤング・ローズ”という政治団体を立ち上げ、政権と激しく対立や衝突もやっておった訳です。

このようなニューヨリカンやチカーノ(メキシコ系移民)といった中南米移民の血を引く過激な若者達のカウンター・カルチャーとして、サルサは更に発展し、人気を博しました。

「サルサの牙城」と呼ばれたファニア・レコードの中心人物であったジョニー・バチェーコは反体制側の若者による人種を越えた連携」を目指しており、あのウッドストック・フェスティバルの仕掛人となるマイケル・ラングとは60年代当初から、深い親交を持っており、二人の間では「サルサの熱気とロックの熱気を社会変革へのエネルギーにしようぜ」というような話をガンガンやっておったとも言われております。

白人(アングロサクソン)の若者が、社会に対する鬱屈した感情をロックで爆発させておった頃に、ラテン系の若者達はサルサで、そして黒人達はソウルや前衛ジャズなどで・・・といった具合に、60年代は音楽史の中でそれぞれが別個に動いてそれぞれのムーヴメントを巻き起こしていたように見えますが、実はどの音楽も、互いに影響を与え合いながらガッツリ結びついておったわけなんですね。

もちろん、彼らを結びつけていたのは、単純に音楽だけではなく、ドラッグや暴力などでもあったということは、コレ非常に大事な事なので書き記しております。つまりロックもソウルもフリー・ジャズもサルサも、同じように”ヤバいところ”から生まれたヤバい音楽なのですと。


さて、サルサの歴史をサラッと書いたつもりですが、もちろんライス・レコードは「サルサとサイケって、実際不自然な組み合わせでも何でもねーし」ってことを、実によく分かってらっしゃいます。




【アーティスト/収録曲】
1.Grupo Fantasma Feat. Larry Harlow/Naci De La Rumba Y Guaguanco
2.La Mecanica Popular/La Paz Del Freak
3.Quantic Presenta Flowering Inferno/Dub Y Guaguanco
4.Conjunto Siglo 21/Jud Ross
5.Ray Perez Y Su Orquesta/Recordando Los Soneros
6.San Lazaro/Muchacho Tranquilo
7.Bacalao Men/Japones
8.Nelson Y Sus Estrellas/Londres (London)
9.Los Sander'S De Nana/Recuerdos
10.Los Pambele/Cannabis
11.Fruko Y Sus Tesos/El Son Del Carangano
12.Orchestra Rytmo Africa-Cubana/Vamos Pa' Dakar
13.Bio Ritmo/Chuleta


このタイトルもジャケットも秀逸なコンピレーション「ザ・ラフ・ガイド・トゥ・サイケデリック・サルサ」は、60年代から最近に至るまで、新旧のサルサ・バンドの中から、有名無名を問わず「うん、サイケ!」と、納得の、実にディープな曲ばかりガッツリ13曲もセレクトされております。

ギャンギャンに鳴りまくるオルガン、アシッド感満載のファズやトレモロかかったギター、そして明らかに”ブッ飛びすぎ”のエコーなど、もう何でもアリです。でも、あえて「ロック寄りの曲」ではなく、しっかり黒くうねって哀愁をバラ撒く”ラテン曲”だけでアルバムを構成しておりますから、その選曲センス、内容の統一感は流石と唸るしかございません。

全曲詳しい解説を付けたいんですが、特にアタシが気に入った曲について、ちょちょっと書きますね。


まずはConjunto Sigloの「Jud Ross」この不自然な揺れのトレモロギターのイントロ!と思ったら、おい!そのまんまソロ弾くんかい!!と、全編揺れっぱなしのトリップ野郎なギターがこれ最高です。

Bacalao Men「Japones」は、一聴凄くマトモな曲みたいなんですが、あれ?これ、バックで「キュキュキュッ」て鳴ってるのって、DJのスクラッチ・ノイズだよね?いやいや、コレは実にアンダーグラウンド臭プンプンで実によろしい。中盤のピアノソロもジャジーでイイよイイよ〜♪

Los Pambeleの「Cannabis」なんかは、イントロの掛け声から、ヤクザな香りプンプンで「あぁ、サルサって本当にやべー音楽だったんだなぁ〜・・・」と、もうね、ゾクゾクしますよね。オルガンサイケとしてもコレは秀逸です。怪しさ&イカガワシさ共に本盤のクライマックスでしょう。


Orchestra Rytmo Africa-Cubanaは1980年にヒットした「Vamos Pa' Dakar」この辺はグルーヴだけで躍らせる名曲で、特に「サイケ」の看板外しても「カッコイイラテンの曲」として、DJプレイでもリスニングでもいけます、いや、イケます。

最終トラックはサルサの”今”を代表するバンドBio Ritmoの「Chuleta」。

これなんかはフツーに健康的で”踊れるサルサ”ですが、間奏で音数少なめで妖しくゆらぐエレピの音がうん、サイケ。タイトルを日本語訳すれば「あばら肉」うん、サイケ。

ドロッドロな前半と、徐々に洗練がかってくる後半への流れも、コンピとしてはもう満点です。

とりあえず社交ダンス経由でラテン音楽に興味を持った人も、映画「サルサ」で感動した人も「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」のあの感じが好きな人も、ディープでブッ飛んだロックでは飽き足らない人も「サイケデリック・サルサ」これはぜひ聴きましょう。汗だくになりながら聴いて残暑をブッ飛ばしましょう(!)





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2015年05月07日

ナラ・レオン 美しきボサノヴァのミューズ

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ナラ・レオン 美しきボサノヴァのミューズ

(Polydor/ユニバーサル)

正直私はボサノヴァをナメてたんです。

十代の頃はもうパンクとかハードコアとか、スラッシュメタルとかグランジとか、そういう激しい音楽まっしぐらで、それとブルース(それも戦前モノ)とカントリー(ブルーグラス)は「別格」と思って、もう脇目もふらずに聴いておったんですね。

ちょうどアタシが上京するかしないかの頃っていうのはアレですよ、バンドブームが終わって「さて次に何が来るか!?」と言われておった時にレッチリが大ブレイクしてミクスチャーが流行ったでしょ?そしてそれに触発されるようにヒップホップが「ラップ」と呼ばれて一般に広まった。更に電気グルーヴがメジャーでヒット飛ばすようになってテクノも市民権を得た。

そして決定的だったのは、フリッパーズ・ギターとかピチカート・ファイヴとかオリジナル・ラヴとかサニーデイ・サービスとかカヒミ・カリィとか、いわゆる「渋谷系」ですよ。

今にして思えばこの人達のお陰で、60年代〜70年代の良質な音楽が、ジャンルを問わずにたくさん世に紹介され、再評価されてそれまで「レア盤」と呼ばれていたものが次々とCDやアナログで再発されて、私らもその恩恵を受けまくっていたんだから、感謝しなければいけないんですよ。

しかし、当時のアタシは若気が至っておったんでしょうね。

「渋谷系だとぉ?軟弱な!ラップ!?チャラチャラしやがってこのォ〜!!」

と、ことごとく否定しておったんです。

ボサ・ノヴァに関しては、まったく知らなかったんで、知らない勢いで

「あ、あんな甘ったるくて盛り上がりも何もないお上品な音楽なんて・・・」

と、ややコンプレックス丸出しで近寄りもせんかったですね(笑)

いや、実は私、高校時代に小野リサさんがテレビでギター持って演奏しているのを見て、で、小野リサさんはあの可愛らしいお顔にふんわりした穏やかな喋り方でしょう。

秘かに「あぁ何て素敵な人なんだろう・・・」

と、淡い気持ちでもって見てたんですよ。てへ。

でもそこはやっぱり若気の至りとコンプレックスで

「ど、どうせ俺みたいな小汚いパンク小僧なんか、ああいう人らには相手にもされんもん・・・」

と、もう思い込みもいいとこで、今書いてて恥ずかしくなってるんですが、はい、ボサ・ノヴァに関してはぶっちゃけ「小野リサさんかわいい・・・」ぐらいの気持ちで、まぁそれ以外はナメとったんです。

私の認識が変わったのは、やはりナラ・レオンの「美しきボサノヴァのミューズ」を聴いてからでした。

何を隠そう当時付き合ってた彼女、つまり今の嫁さんなんですが、その人がバリバリの「渋谷系少女」だったんですね(照)

で、私はある日それまで足を止めたこともなかったCD屋さんの「ボサ・ノヴァ」のコーナーで、彼女のプレゼントを買うためにあれこれ物色しておった。

このアルバムは、何か「ピン」と来たんですよ。

まず、ジャケットがいい。

モノクロの、決して明るいと言えない雨の景色に佇む女性ノフォトグラフ。。。

ボサ・ノヴァって「ブラジルの、何か明るくて爽やかで軽い音楽なんだろう」ぐらいに思ってた私のボサ・ノヴァに対する認識はこのジャケを見てまず軽くジャブを喰らってよろめきました。

「まぁいいや、とりあえず内容は知らんが買ってみよう」

と思って購入。

とりあえず2人で一緒に聴いてみたんですが、その時購入したCDは、現行リリースされているものとちょっと曲順が違ってて、今は13曲目にクレジットされている「ポル・トーダ・ミーニャ・ヴィーダ」が1曲目だったんです。

悲しげな調べのギター・アルペジオ、そして哀感たっぷりのストリングス、深い情念を奥底に秘めている気配を感じさせながら、憂いの影をどこまでも引きずるようなナラのヴォーカル。コレがもうカウンターフックで、まず私が完全にノックアウトされました。

「ボサ・ノヴァって!ボサ・ノヴァってこんなに深くてカッコイイ音楽だったんだ!!!!」

と。


衝撃を受けたら、当然ライナノーツや歌詞カードも隅々まで読まねば、私は気が済みません。

そこでナラ・レオンという人の人生。1950年代から天才歌手としてデビューを果たし、「ボサ・ノヴァの歌姫」と期待されながらも、文学や社会問題に対する深い造詣と凛とした主張を持ち、「私は娯楽のためのボサ・ノヴァなんか歌わない、流行の片棒を担ぐつもりもない」と、ボサ・ノヴァ(”ちょっと変わったやり方”という意味を持つスラング)を頑なに拒否していた彼女の”美しく戦うシンガー”としての姿勢に深い共感を覚えました。

「この人の姿勢は、ジョー・ストラマー先輩と何も変わらない!」

と(うぅ、純粋なボサ・ノヴァ好きの人すいません・・・)。


そしてボサ・ノヴァの歌詞。

これも読んで驚愕しました。

まぁ、思い描いていた「甘い恋愛の歌」なんかほとんどなくて、何とも切なくて悲しくて、そして高度に誌的な「孤独」や「葛藤」の表現の、何と研ぎ澄まされて美しいことか・・・。

収録されている曲のほとんどは「ボサ・ノヴァを代表する名曲」と呼ばれる有名なナンバーばかりですが、今なら「ちょっとオシャレな場所に行けばどこででも流れているあの曲この曲」の歌詞が、実はこんなにも深いものであったと教えてくれたのがナラ・レオンであり、この「美しきボサノヴァのミューズ」であったのです。







【収録曲】
1.インセンサチス
2.ワン・ノート・サンバ
3.白と黒のポートレート
4.コルコヴァード
5.イパネマの娘
6.ポイズ・エ
7.想いあふれて
8.ボニータ
9.あなたと私
10.フォトグラフ
11.オ・グランヂ・アモール
12.エストラーダ・ド・ソル
13.ル・トーダ・ミーニャ・ヴィーダ
14.ジザフィナード
15.私の恋人
16.まじめな青年
17.ヴォウ・ポル・アイー
18.平和な愛
19.サビアー
20.メディテーション
21.春
22.まなざし
23.いまひとたびの
24.ヂマイス

ちなみにナラにとって「初めてのボサ・ノヴァ作」であるこのアルバムが製作されたのは、1971年という「世界的なボサ・ノヴァ・ブーム」が一通り落ち着きを見せた1971年。録音は亡命先のパリであります。

私にはナラが「みんなボサ・ノヴァはいいって浮かれてたけど、誰も本当のボサノヴァなんて知らない。だから私は歌うの。例えば精神の、心地良い擦り傷のようなボサ・ノヴァをね」

と、言っているような気がしてならんです。

実際、これ以上に切々と心に訴えるものを持っていて、聴いた後に心がヒリヒリと心地良く痛むボサ・ノヴァのアルバムを私は知りません。



『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/

BASEショップもありますよ(ここでしか買えない商品アリ)http://soundspal.thebase.in/
posted by サウンズパル at 19:24| Comment(0) | ラテン/ブラジル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする