ディープなコラム こちらにも書いてます♪

2017年08月19日

スウィート・インスピレイションズ

1.jpg
スウィート・インスピレイションズ
(Atlantic/ワーナー・ミュージック)

ここ1ヶ月の間、コルトレーンを中心にハードなジャズばかりを集中的に聴いておりましたので、気が付いたらふと音楽にポップさを求めてしまいます。

こういう時は60年代のソウル・ミュージックだよなぁ〜、と、しみじみ思いながら聴きまくっておりましたのがコチラ、ジャケットからしていかにも60年代後半の、ポップでキッチュでサイケな衣装もカワイイ女の子3人組”スウィート・インスピレイションズ”でありますよ。

中身は至福な楽曲と、まるで極楽のような見事なハーモニーが重なり合う、もう本当にこの時代の

「かっこいいソウル・ミュージック?」

「そうこれ!」

で決まりの、とにかく歌が上手い女性ヴォーカルものをお探しの方になら、目をつぶってもオススメできるぐらいのやつなんです。

そう、スウィート・インスピレイションズ、このグループは単純に心地よく聴くだけでも最高ですが、実はこの時代のガールズ・ソウルを語るには欠かせない、とても重要なグループです。

何で重要なのかというと、彼女達は教会でゴスペルを歌ってた、そのグループがそのまんまソウルのグループとしてデビューし、認められたんですね。

それのどこが重要なのかというと、今でこそゴスペルは、プロのシンガーになるための登竜門的な音楽になっておりますが、その流れを作ったのが、このスウィート・インスピレイションズなんです。

もちろん、彼女以前にも「教会でゴスペルを歌ってたのが、プロになってソウルシンガーになった」

という歌手はおりました。

代表的なのはサム・クックとアレサ・フランクリンです。

この人達は、ゴスペルのスタイル、培った歌唱法を全面に押し出して大成功しましたが、言うまでもなくゴスペルという音楽は、神様を讃える宗教音楽であります。

それこそ戦前なんかは「ブルースなんぞ悪魔の音楽、あんなもの歌う人間は地獄に落ちる」と、徹底して世俗の歌や、そういった娯楽に溺れる人間に対しては、教会音楽の世界は結構容赦なかったんです。

そういった考え方は戦後も根強く残っておりまして、50年代以降ゴスペル出身のシンガーがR&Bの歌手になるなんて言うと「教会で歌ってた人間が、R&Bなんていう世俗のイヤラシい音楽を歌うなんてとんでもない」と、非難されていた。そういう意識がまだまだあったんですね。

だからサムもアレサも、ゴスペルの世界を離れて、自分は俗世の音楽をやりますと、キッチリ”転向”した上でR&Bやソウルで、男と女の愛の歌などを歌ってた、またはその必要があったんです(アレサはその罪悪感に苛まれて、純粋なゴスペルアルバムをリリースしたりしております)。

この流れが徐々に緩和されていったのが1960年代半ば、10年以上にも及ぶ運動の末に、人種差別を禁止する公民権法が制定され、アメリカ黒人の社会的権利がようやく認められるようになってからであります。

この運動によって芽生えたのが「ブラザー、シスターみんなで手を取り合って世の中を変えて行こう」という意識であります。

こういった意識を持つんだぞと、音楽の世界からずっとメッセージを発し続けていたのがサム・クックを中心としたソウル・シンガー達であり、彼らのメッセージは「ソウルもゴスペルと同じく、人類愛を歌っているね」と、信仰に篤い人々からも一定の評価を得ました。

そしてアレサ・フランクリンもこの時期アトランティック・レコードと契約を交わし、それまでずっと抑えていたゴスペル・フィーリングを全面に打ち出した”ソウル”を歌い、これで大ブレイク。「アレサが歌うとちょっとした男女の恋愛の歌もまるで人類愛を歌ってるように聞こえる」といった世間の評価は、これもまた世俗と信仰の壁を薄くすることに大きく貢献しました。


ちょいと長ったらしくなりましたが、ブラック・ミュージックを深く楽しむために、教会音楽と世俗音楽の関係と、公民権運動ってのは絶対に避けて通れないお話なんで、まぁよくわからんでも「あぁそうか」と思って心の片隅に留めておいてくださいね。

で、スウィート・インスピレイションズであります。

彼女達は、元々がニューヨークのお隣のニュージャージー州の教会でゴスペルを歌ってた聖歌隊であります。

この中で透き通る力強い高音のヴォーカルを自在に操り、天才少女と呼ばれていたのが、リード・シンガーのシシー・ヒューストン(当時の名前は”シシー・ドリンカード”)。

彼女の活躍は凄まじく、十代の頃にはもう”ドリンカード・シンガーズ”という自分の名前を冠にしたグループを率いております。そして、1950年代の末には一流が集うニューポート・ジャズ・フェスティバルに出演し、ライヴ・アルバムも作っております。

ついでに言うとシシーはホイットニー・ヒューストンの母親であり、80代になった今でも現役のゴスペルシンガーとして活躍中です(2017年現在)。



【収録曲】
1.オー・ホワット・ア・フール・アイヴ・ビーン
2.ブルース・ステイ・アウェイ・フロム・ミー
3.ドント・レット・ミー・ルーズ・ディス・ドリーム
4.ノック・オン・ウッド
5.ドゥ・ライト・ウーマン、ドゥ・ライト・マン
6.ドント・ファイト・イット
7.スウィート・インスピレイション
8.レット・イット・ビー・ミー
9.アイム・ブルー
10.リーチ・アウト・フォー・ミー
11.ヒア・アイ・アム
12.ホワイ(アム・アイ・トリーテッド・ソー・バッド)

この”ドリンカード・シンガーズ”が前身となって、えりすぐりの実力派シンガーばかりを集めて結成されたのがスウィート・インスピレーションズ”です。

男女の甘い恋愛を想起させる”スウィート”という単語と、霊感を意味するそのまんまゴスペル用語である”インスピレーション”を掛け合わせたグループ名は、ソウルの世界において彼女達が「ゴスペルの背景を持っている」という堂々たる宣言であり、実に画期的なことだったんです(元々は”インスピレイションズ”という名前でソウルを歌いたかったけど、その名前は既に使われていたので”スウィート”を付けたということが結果的にインパクトを与えました)。

で、この当時のメンバーであるシシーと、双璧を成すパンチの効いたリードのエステル・ブラウン、バックで絶妙なコーラス・ワークの屋台骨を支えるマーナ・スミス、シルヴィアシェムイルの4人が奏でるハーモニーは、完全にゴスペルのそれであります。

シシーが伸びやかな声で主旋律を歌えば、そこに全く声質が違うのに何の違和感もなく掛け合い、ヴィブラートを見事に絡め合いながらリードを交代するエステル、このコンビネーションがとにかくもう見事で、バラードもファンキーなナンバーも、とにかく「あぁ、美しい」と、素直に浸れる感動的なものに仕上がっていて、それでいて敷居の高さは全く感じさせないんですね。最初に聴いた時それこそソウルとしてのキャッチ―さ、ゴスペル(の歌唱法、コーラスワーク)としての上質さの両方に、それこそ撃ち抜かれました。こんだけポップなのに、何かこう心洗われた気分になるのは一体どういうことだろう、凄い!あぁもう言葉もないと、もうそんな感じです。

楽曲はオリジナルに加え、ウィルソン・ピケット(この人もゴスペル出身)、アレサ・フランクリン、ディオンヌ・ワーウィックの素晴らしいカヴァーがいずれも美しいハーモニーで時に繊細に、時に力強く綴られております。

特にアレサの名バラード「ドゥ・ライト・ウーマン・ドゥーライト・マン」は絶品であります。



彼女達は、実はグループとしての活躍よりも、アレサ・フランクリン、エルヴィス・プレスリーのバック・コーラス隊として有名だったりするんですが(上の動画のコーラスが”スウィート・インプレッションズ”です)、既にバックを務めていたアレサの、本家にも迫るクオリティを聴くと、本当に凄い実力を持った人達なんだなぁと、しみじみ感じ入りますね。

この後はさっきも言ったように主にアレサやエルヴィスのバックとして活躍していたスウィート・インプレッションズ、グループとしては大々的なヒットを飛ばすというよりは、細く長い活動で今に至り、ブラック・ミュージック界の屋台骨を支えております。

で、60年代後半の洗練を見事パッケージしたこのアルバムの次にリリースされたのが、実に味わい深いゴスペル・アルバムで、コレがまた最高なんですが、そのお話はまた次の機会に。。。





『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 11:56| Comment(0) | ソウル、ファンク、R&B | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月10日

ビッグ・ジェイ・マクニーリー ライヴ・アット・シスコズ

4.jpg

ビッグ・ジェイ・マクニーリー/ライヴ・アット・シスコズ

(Atlantic/ワーナー)


さぁみなさん、お待たせしました!今日は皆さんの大好きなホンカーの大将、ビッグ・ジェイ・マクニーリーですよー!!!!

えーーー!誰それ?

とか言うなかれ!

いや、知らなくてもいいし言ってもいいんですねどね、あーたホンカーを知らずして人生は楽しめないという古いことわざがアメリカにありますように、これはもうさいっこうに楽しい音楽なんです。

えぇ、そんなことわざなんか例によってないんですけれどもね。でも、1940年代にアメリカ南部のテキサスから”テキサス文化圏”ともいえる西海岸で流行ったのが、ブルースもジャズもR&Bも、そして後にはロックンロールもすべてブチ込んだ、ジャンプ・ミュージックというゴキゲンな音楽です。

ジャンプ・ミュージックのバンドっていえば大体がビッグバンドで、カッコいいスーツに身を包んで、ホーン隊が演奏中に立ち上がって踊ったりするのね。

「何だ、そんなのジャズじゃないか」


と思うなかれ、ジャズの場合はそういうエンターテイメント性がありつつもやっぱり「聴かせる」方に何だかんだ行く訳ですが、ジャンプの場合はそのベクトルが全く逆。ちょいとウケたらところん「踊らせる」方向に演奏は行っちゃうってぇ寸法なんです。 


「盛り上がれば何でもOK」ってことでエレキギターなんかもガンガンフィーチャーして、歪んだ音で弾かせてるし、場がノッてきたら曲の途中から全部手拍子と合唱でも全然構わない。そういう音楽の中身も客席とステージも厳密に区別しない、いかにもアメリカ南部の豪快でおおらかなノリのものが多いんですね。

そんなジャンプ・バンドの花形といえば、テナー・サックスでありました。

音響機器もまだまだ未発達の時代に、生音のソロでいかにデカい音を出していかに客を沸かせるかを真剣に考えて色々と「わぎゃー!」という叫び声のような音を出したり、吹きながら客席になだれ込んだりステージの上でのたうち回るアクションをしたり、とにかくもうソロタイムになると音と派手なアクションで、まるで怪獣のごとく現れては常識外れな音とアクションで大暴れして演奏を興奮のるつぼに巻き込むテナーサックスを持った生き物、そいつらが「ホンカー」と呼ばれ、当時はそんじょのジャズマンよりも現場人気を博していたんです。

有名なジャズマンでもホンカー出身はいっぱいおります。

多いのはやっぱりテキサスで、テキサス・テナーのアーネット・コブとかブッカー・アーヴィン、アレサ・フランクリンやサム・クックのバックでも有名なキング・カーティスなんかはそうですね。それから意外にも若い頃のコルトレーン、この人は反対側のニューヨークですが、食うためにR&Bのバンドでテナーを吹いて、バーのカウンターを練り歩きながらぶおーぶおーと吹いておった。そういうホンカーの真似事なんかをしておったみたいです。

1950年代ぐらいまでは、レコードはまだまだ一部の金持ちの道楽で、ほとんどの一般大衆はラジオやジュークボックスに小銭を入れて音楽を楽しんでおりました。

ジュークボックスが置いてあるのは、酒場とか遊技場とかそういった、とにかく人が集まってワイワイしてるところですよね。だからそういう場で好まれるのは、自然とみんなで盛り上がれる曲で、つまりそういう場では芸術性の高いものよりも、ポップでノリが良くて親しみやすいジャンプやR&Bだったんですね。

そしてアメリカのヒットを支えていたのが、このジュークボックスでリクエストされる音楽でした。

ジュークボックスにコインを入れるのは、主に労働者や若者層であります。

当時のビッグ・ジェイらジャンプのスター達がどれぐらい人気だったかといえば有名なこの写真

5.jpg

熱狂の余りステージに寝っ転がって吹きまくるビッグ・ジェイを見る白人若者のこの顔(!!)

ヤラセではありません、ビッグ・ジェイのステージは実際にこんなもんではなく


『ビッグ・ジェイが物凄い音でソロを吹くと会場からコールの大合唱が起きる。んで、彼は客席を練り歩きながら吹きまくるんだが、その熱狂の凄まじさの中でいつの間にかいなくなってる。おかしなことになったと思ってもバンドも客も止められないぐらいにヒートアップしてそのまんま盛り上がってた。しばらくしてクラブに警察から電話がかかってきて、バンドのヤツを出してくれと言うから何だろうと思ったバンマスが電話を替わると”道の真ん中でおかしなヤツが地面をのたうちまわりながらサックスで雄たけびみたいな騒音を出している、危ないし迷惑だから迎えに来い”と』

何か前に紹介したギタースリムの話と似てますが、まぁ50年代のイカレたブルースマン達のノリといえば普通にこんなもんだったでしょう。

とにかくビッグ・ジェイの吹き倒すテナーといえば、小細工やテクニカルな技を披露すること微塵もナシ、ず太くまるでファズかディストーションが効いたような割れた音(これはですのぅ、グロウトーンといってサックス吹く時に”ウー”っていう声を混ぜると出せるんですが、普通にここまでの音は出らんです)でブオーとかギャー!!とかひたすら破壊力のある一音をぶっ放つ。

曲はブルースというよりもほとんどロックンロールに近い8ビートシャッフルで単純明快、バラードとかもやるけど、そしてそれはそれで実に味があって素晴らしいんだけれども、アップテンポでのテナーの「ボギャギャギャーーー!!」で情緒とか感慨とかセンチとかいったものが全部吹っ飛んでしまう。

雑誌には「元祖ヘヴィメタ」って書いてあり、アタシはそれを見て「昔のしかもリズム・アンド・ブルースでどれほどのものか」と、若干ナメてたんですが、もうその「ぼぎゃーー!」で完全に土下座です。「アンプとかエフェクターなしでよくぞここまでやってくれまました本当にすいませんでした」です。




【収録曲】
1.ビッグ・ジェイズ・シャッフル
2.ペルディード
3.ユー・ドント・ハフ・トゥ・ゴー
4.ビッグ・ボーイ
5.ビッグ・ジェイズ・カウント
6.シスコズ
7.サンセット
8.ディーコンズ・ホップ
9.ファーザー・オン・アップ・ザ・ロード
10.シェク・イット、シェイク・イット、ベイビー
11.ザ・パーティーズ・オーヴァー

で、そんなビッグ・ジェイは、やはりというか何というか、日本ではジャズファンとかよりも、どっちかというとロカビリーとかロックンロールとか好きな人に人気が高い。そりゃそうですよね、ムードは完全に50'sのそれで、随所に唄(ほとんどサビの掛け声)もあるしブライアン・セッツァー・オーケストラなんか好きな人が聴けばもう一発撃沈みたいなグレイトなサウンドですもんね。

アルバムはもうほんと「出てるものは全部いいから全部買え」と言いたいぐらいに、どれも見事な狂乱のクオリティを維持してます。でも、ようやくこうやって1963年という旬な時期のライヴ盤がようやく国内盤でしかもかなりハッピーな価格で出てくれたんでこれを聴きましょう。

最後に、ビッグ・ジェイはただめちゃくちゃにサックス吹いてる・・・んですが、決してデタラメをやってるんじゃなくて、音楽の基礎をちゃんと真面目に習って習得した人なんです。

クラシックを教える音楽学校で割と真面目な生徒だったみたいなんですが、真面目〜にクラシックばかりをやっていたら、自分のサックスの音がだんだん綺麗で優しいものになってきたから「これはいかん」と音楽学校を辞めて夜の世界へ飛び込んだんだと。うん、やっぱり頭オカシイ。ちなみに御年90を超えて今も現役で、流石にステージでは座ってることが多くなったけど、そのサックスからは相変わらずな「ボギャー!」がマイク要らんのじゃないかこれ?って音で出てくるんだと。


『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 19:28| Comment(0) | TrackBack(0) | ソウル、ファンク、R&B | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月12日

シュギー・オーティス フリーダム・フライト

5.jpg
シュギー・オーティス/フリーダム・フライト
(ソニー・ミュージック)

世の中には「早すぎた人」というのがおります。

才能やセンスに溢れまくっていて、独創性も影響力も十分すぎるほどにあったけれども、何故か主流になれず「その筋の者」への絶大な人気はあれど、広く一般には知れらていない。いや、知られるきっかけは色々あったけれども、本人の意思と時代のいたずらの両方の原因でもって、そこには乗らなかった或いは乗ることができなかった、眠れる偉人のことでございす。

例えば60年代にキャリアをスタートさせ、現在も”伝説のギタリスト”として活動しているシュギー・オーティスという人がいて、コノ人はそれこそ

「ローリング・ストーンズのツアーメンバーとして誘われてたけどそれを蹴った」

とか

「あのアメリカを代表するヒットメイカー、クインシー・ジョーンズがぜひプロデュースをと言ったが”いや、自分でやりますんで”と、これもあっさり蹴った」

とか

そういう伝説にはいとまがありません。

1953年に”R&Bのゴッド・ファーザー”と言われていたジョニー・オーティスの息子として生まれ、早くからギターの天才ぶりを発揮。

その後父の楽団で演奏しながらも、ブルースを出発点に、R&B、ファンク、ロック、ジャズなど、ありとあらゆる音楽を呑み込んだ、自由なプレイスタイルで多くのファンやアーティストを魅了。

また、全ての楽器を自ら演奏し、自宅にあるレコーダーで多重録音でもって作品を作ったりと、今で言う宅録の先駆けみたいなこともやっておりまして、基本的にそういった手法で作られたアルバムは、独特のポップさとブラック・ミュージックの濃さとロウファイなアナログ感がないまぜになった味があるんです。

昭和の時代にB級少年誌に載っていたSFとか近未来モノのような味わい、といえばちょっとは伝わるべか。とにかく、大スターの息子に生まれながら、天才ギタリストとして華やかなキャリアをスタートさせながら、本人はそんなこと知らんよとばかりに、セッションで裏方を喜んでやったり、自宅に篭って黙々と「自分の音楽」を一人で作っていた。そんな人です。

ですが、彼のプレイや、その宅録やセルフプロデュースという新しい手法にインスピレーションを受けたアーティストはいっぱいおります。

プリンス、スライ&ザ・ファミリー・ストーンのスライ・ストーン、トッド・ラングレン、レニー・クラヴィッツ、ジム・オルークなど、これも枚数にいとまがありません。

で、そんな人でありますから、自然と音楽性は幅広いものとなって、彼の付き合いはブルースやR&Bを越えたものになっていきます。

最初にシュギーに「一緒になんかやろうぜ」と声をかけたのが、1960年代末当時、気鋭のロック・ミュージシャンとして名を売っていたアル・クーパーとフランク・ザッパ(!)

1969年にはアル・クーパーの双頭セッション・アルバム「クパー・セッション」(何とあのマイク・ブルームフィールドとの「フィルモアの奇跡」の翌年の作品!)、そしてフランク・ザッパのサイケな名盤「ホット・ラッツ」に参加して話題になり・・・というより既に「ジョニー・オーティスの息子」ということで話題になってたんでしょうが、コレに目を付けた大手エピック・レコードがソロ契約を結んで、同年「ヒア・カムズ・シュギー・オーティス」でソロ・デビュー。

1作目では洗練されたR&B感覚で得意のブルースを、凄まじいテクニック(もちろん指が動くだけでなく”聴かせるテクニック”のことデス)で披露しました。

そして翌1970年の、ソロとしてはセカンドのアルバムが、本日ご紹介する「フリーダム・フライト」



(ギター・レジェンド・シリーズ)

【収録曲】
1.Ice Cold Daydream
2.Strawberry Letter 23
3.Sweet Thang
4.Me and My Woman
5.Someone's Always Singing
6.Purple
7.Freedom Flight


コレがソウル/ファンク、ジャズ、ブルースが、独自のやや内向的なシュギー独特の感覚で、トロンと溶け合った名盤なんです♪

参加メンツの中心に、当時ジョン・メイオール&ザ・ブルース・ブレイカーズ、そしてヤードバーズ脱退直後のジェフ・ベック・グループのドラマーを経験し、世界的な評価を高めつつあったエインズレー・ダンバーと、70年代後半からのディスコブーム時大活躍したスーパー・キーボーディスト、ジョージ・デューク(この時はまだ全然無名のジャズ志望の若きピアノ/オルガン奏者)がおるんです。そしてバラード名曲「ストロベリー・レター23」では、御大ジョニー・オーティスも参加して、大いに盛り上げております。

まずはのっけからアレンジのセンスと、乾いたビートにのっかってのゴキゲンなファンク・ナンバー「アイス・コールド・デイドリーム」から、何ともポップでたまらないノリです♪

「ストロベリー・レター23」も、熱唱系ソウル・バラードではなくて、ビートルズ辺りからの影響を強く感じさせるソフトな雰囲気で、続く「スウィート・サング」は、また空気をガラッと変えて、粘るビートにアコースティックなスライドギターがすこぶる渋く、4曲目「ミー・アンド・マイ・ウーマン」は、スモーキーなムードの中、情感豊かなギターがすすり泣く、洗練を極めたアーバン・ブルース。

後半はまったりしたオルガンと、暖かな歌声、そして爽やかなギター・カッティングからのハートウォームなソロが心地良いソウル・バラードの「サムワンズ・オールウェイズ・シンギング」そして7分以上に及ぶ渾身のスロー・ブルース(インスト)の「パープル」から、流れは一気にラスト・ナンバーのタイトル曲「フリーダム・フライト」へ。

アルバムとしては「ブラック・ミュージックと同年代のロックの要素を取り込んだ色んな音楽やってるよ、聴き易いよ♪」という、人懐っこい空気が漂ってきております。そう、シュギーの音楽性のすばらしいところは、とにかく音楽が好きで、流行とかスタイルとか関係なく、単純に「好き」というだけで色々やってるんだけど、何というかこの人ならではのマイルドな一貫性があるところなんです。

で、ギターを中心に聴いてみると、そんなマイルドなキャラクターの影に隠れた演奏者としてのストイックな姿勢がかいま見られる、相対する実に硬派でトンガッた姿勢すらも感じさせる。

とにかく一筋縄ではいかない、そして一言では語れない深みを持ったアーティスト、それがシュギー・オーティスト。この4年後にエピックからのラスト・アルバム「インスピレーション・インフォメーション」をリリースして、プイッと表舞台からいなくなり、何と再びソロ・アルバムをリリースしたのが2013年というから、いやはや本当に一筋縄ではいかない人であります。



『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 18:45| Comment(0) | TrackBack(0) | ソウル、ファンク、R&B | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月23日

マーヴィン・ゲイ ミッドナイト・ラヴ

5.jpg
マーヴィン・ゲイ/ミッドナイト・ラヴ
(CBS/ソニー・ミュージック)

60年代後半から70年代にかけての「ソウル」の代名詞、マーヴィン・ゲイであります。

マーヴィンが「Love」の一言を、その甘く切ない声と旋律に乗せて発する時、恐らくそれを耳にしているアタシ達の心の中にも、多くの体験から「あぁ、あれは確かにそうだったな・・・」と、追想と共に巡る同じような「Love」が、胸を焦がしてもうどうしようもなくなります。

さて、そんなマーヴィンといえば、60年代のデトロイトで誕生し、ブラック・ミュージックを究極的に洗練させて誰が聴いてもクオリティの高い上質なポピュラー・ミュージックにしたと言われるモータウン・レコードの看板シンガーでした。

彼の端正で豊かな拡がりのあるヴォーカルは、モータウン特有の、生バンドにストリングスやホーン・セクションを贅沢に配したゴージャスなサウンドと共鳴し、このレーベルでマーヴィンは「ホワッツ・ゴーイング・オン」をはじめとする数多くの名盤を次々とリリースし、それこそ音楽の歴史そのものを刻んでゆくのであります。

しかし、そんなマーヴィンの全盛も、モータウン・レコードの栄光も、1970年代をピークに斜陽に向かうことになります。

ひとつの時代を象徴するものを築いたら、今度は別のところから出てくる新しい時代の波に、古いものは呑み込まれてゆく。これは仕方のないことですが、マーヴィンにはモータウンとの金銭トラブル、私生活での2度の離婚に関わる泥沼の調停問題や破産、そして薬物への傾倒など、プライベートでの不幸な出来事が重なり、遂に70年代後半には身も心もズタボロになってしまいます。

失意のマーヴィンは、ヨーロッパやハワイで、まるで何かから逃げているかのような隠遁生活を送りますが、かつてデビュー前に同じドゥー・ワップ・グループで唄っていたハーヴィ・フュークワと、CBSコロムビアの副社長であり、ソウルの敏腕ディレクターとして有名だったラーキン・アーノルドという人達が献身的に彼を支援します。

特にラーキンは弁護士でもあり、この頃のマーヴィンを苦しめていたモータウンとの契約を切ってCBSに迎えるために、あれこれ必死で走り回って、契約の問題から元妻達への慰謝料など、ひとつひとつを的確にクリアーしていき、ようやくボロボロになっていたマーヴィンを迎えることに成功するのです。

とはいえ、この時のマーヴィンには、再び人前に出て唄えるかが心配なほど精神的に消耗しておりましたし、何より作品を作ったり音楽活動を行うための資金を持ち合わせておりませんでした(一説によると友人がマーヴィンの住んでいるアパートを訪れた時、彼は現金を10セントも持っていなかったと言われております)。

ラーキンとマネージャーは「麻薬をやめてクリーンになること、再び音楽で復活して、新しく契約するレーベルに利益をもたらすこと」を条件に、早速マーヴィンのアルバムを作ることを約束するのです。



【収録曲】
1.ミッドナイト・レディ
2.セクシャル・ヒーリング
3.ロッキン・アフター・ミッドナイト
4.この瞬間を愛して
5.愛の交歓
6.サード・ワールド・ガール
7.ジョイ
8.燃える情熱

そんなこんなの苦難の中から生まれたのが「セクシャル・ヒーリング」です。

1981年、世間ではもうマーヴィン・ゲイは「落ちぶれた元シンガー」でしかなく、予算もあまり取れない中、スタジオではかつて使っていたゴージャスな生バンドの代わりに、シンセサイザーやリズムマシーンといった機材を懸命に使いこなして楽曲やアレンジを試行錯誤するマーヴィンの姿がありました。

今でこそ打ち込みやサンプリングを使って、生バンドに劣らない程度のクオリティの楽曲を作ることは出来ますが、当時の機材は一番高価なものでも今(2010年代)の機材にはとても及ばないぐらいのサウンドしか出せませんでした。

しかし、マーヴィンはやります。

粗末とは言えないまでも、決して高価ではない機材を使い、心血を注いだ最高の作品を作り上げます。

もう一度言います『最高の作品』です。

様々な苦難を経験して、歌詞や声に、自己の内面を投影し、それをほぼ自分自身の手によるアレンジでギュッと音に詰め込んだこのアルバムは、マーヴィンの数ある作品の中で最も深く内側へ斬り込んだものと言えるでしょう。

でも、このアルバムはそういった作品特有の重さ、暗さがない。むしろチープな打ち込みや軽やかなシンセやギターのカッティングに彩られたサウンドは静謐でどこまでも優しく、マーヴィンの声も悲哀を秘めつつ、ふんわりと至福の時間の彼方へと聴く人の耳も心も誘います。

よく「このチープさが逆にいい」と言われるアルバムですが、アタシはむしろマーヴィンが意図してなかったところでチープな音が上質な輝きに変換されて、声と相乗効果で響き合っているように思います。

考えてみたら80年代後半から90年代のR&Bは、打ち込みやサンプリングによるトラックが主流で、それらは決して妥協の産物ではない独自のシルキーな味わいを宿しておりました。

その、流れを作ったのがこのアルバムだと思います。

シングルカットされた「セクシャル・ヒーリング」は大ヒットし、83年のグラミー賞も獲得。マーヴィンは苦境を乗り越え完全な復活を勝ち取ります。

ところが翌84年、些細なことから口論となった両親の仲裁に入り、激昂した父親が放った銃弾が胸に当たり、そのまま帰らぬ人となってしまいマーヴィンはそのまま帰らぬ人となると共に、永遠の伝説となってしまうのでした。


「もし、マーヴィンが生きていたら・・・」と考えると想像は尽きませんが、その音楽的な遺伝子は、ディアンジェロ、ブライアン・マクナイトをはじめ、特に80年代後半から90年代を経て今に至るブラック・コンテンポラリー・ミュージックの中に、しっかりと生命を宿らせて生き続けております。


(「セクシャル・ヒーリング」名曲ですねぇ、アレンジの爽やかさと共に歌声が染みます。。。)



”マーヴィン・ゲイ”関連記事



『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 23:23| Comment(0) | TrackBack(0) | ソウル、ファンク、R&B | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月11日

サム・クック ナイト・ビート

4.jpg

サム・クック/ナイト・ビート(RCA/ソニー・ミュージック)


サム・クック

どこにでもいそうなアメリカ人の男性の名前ですが、この言葉を聞く時、私の胸の内には言いようのないアツく切ないものがこみ上げます。

彼こそはアメリカン・ミュージックの歴史の中で"特別の中の特別"なシンガーであり、1950年代後半から60年代の中盤、音楽も社会全体も大きく震え、変革する中で、最も多くの人々の感動の象徴であり、また、希望そのものでありました。

16歳の頃からゴスペル・グループのリード・ヴォーカルとして活躍し、やがてR&Bの世界へ進出。世俗の歌を唄っても、教会で福音を歌ってた頃と全く変わらぬ高揚と多幸感に満ち溢れた歌声で、聴く人の魂そのものを、彼は救済し続けました。

そう、サム・クックの声、その激烈シャウトと限りなく甘い囁きが奇跡の調和を保つ、全ての感情を揺さぶっては癒し、癒してはまた揺さぶるその歌声に包まれた時の聴く側の心の状態は、正に「救済」と呼ぶ他に、私は適切な言葉を知りません。

彼のヴォーカルが素晴らしいのは、もちろん天性の声に恵まれたのもあるでしょうし、幼い頃からゴスペル・グループの歌い手として、鍛練を重ねた結果でもあるでしょう。

けれどもそれ以上に、彼の歌は「上手い/カッコイイ」を飛び越えてどうしようもなく響くのです。

何故か?

それは分かりません、考えたって恐らく永遠に答えは出ないでしょう。

だから敢えて「偉大」とか「天才」とかいったありきたりの言葉でアタシはサム・クックを語りたくありません。

「お前はそこまで絶賛するけどサム・クックなんて本当にいいの?どうせ古い音楽なんだろ?」

という方には反論はしません、ただ黙ってサム・クックのアルバムを、何でもいいから聴いてごらんなさい。これは最高のソウルだしR&Bだしゴスペルだしロックだし、何より音楽だよ。

と、言うより他ありません。




【収録曲】
1.ノーバディ・ノウズ・ザ・トラブル・アイヴ・シーン
2.ロスト・アンド・ルッキン
3.ミーン・オールド・ワールド
4.プリーズ・ドント・ドライヴ・ミー・アウェイ
5.すべてを失くして
6.ゲット・ユアセルフ・アナザー・フール
7.リトル・レッド・ルースター
8.ラーフィン・アンド・クラウニン
9.トラブル・ブルース
10.ユー・ガッタ・ムーヴ
11.フールズ・パラダイス
12.シェイク・ラトル・アンド・ロール


1963年、サム・クックが亡くなる前年に発表した8枚目のアルバム「ナイトビート」を今日は皆さんに紹介します。

サム・クックといえば、以前も紹介した「ライヴ・アット・ザ・ハーレム・スクエア」や「ツイストで踊り明かそう」などの、その強烈に胸の透く力強い歌声が、ノリノリのゴキゲンな楽曲と共に炸裂して、感極った時にドコーン!とバラードがくる作品が人気で、再発される時もやっぱり注目を集めるんですが、サムの表現者としての底無しの凄味は、シャウトをグッと抑えて、優しい声で切々と唄う時により迫ります。

そう、このアルバムは、サムの深遠なるバラード・アルバム。

唄われているのはほとんどがブルースやゴスペルのカヴァーで、バックもしっとり落ち着いた小編成のバンドです。

この時代にずば抜けた人気をモノにしたサムには、度々レコード会社から「ポップスを唄わないか」と打診が来るようになりました。

というのも、R&Bで人気が出た黒人歌手は、次のステップとして、白人聴衆も購買層にすべく、いわゆる「黒っぽさ」を抑えたポップ・シンガーになることが、この時代望ましいとされていました。

何だかとても差別的に思えるかも知れませんが、この時代はブルースやR&Bの地位は驚くほど低く、音楽業界でもこういった考えは当たり前だったんです。

ところがサムは、デビューしてすぐにアーティストの著作権を正しく保護するための出版社を設立したり、マルコムXら公民権運動の指導者達とも非常に近しい関係にあり、自らも人種問題や政治的議論にも積極的に加わるほど、公民意識の高い人でありました。

レコード会社からの申し出はもちろん受け入れるのですが、彼が作った「ポップスなアルバム」は、シャウトは控え、ファンキーな"盛り上がるノリ"も抑えているにも関わらず、いや、それがかえって彼のルーツの最も深い部分にあるゴスペルの、荘厳な祈りのパートをポピュラー音楽の皮に包んで、リアルに鳴らすことに見事成功した、最高に質の高い、まごうことなきブラック・ミュージックの結晶がここには刻まれております。







(「ゲット・ユアセルフ・アナザー・フール」このピアノのイントロから唄、ギター、オルガンがゆっくり立ち上がる瞬間がもう・・・)



”サム・クック”関連記事




『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 19:32| Comment(0) | TrackBack(0) | ソウル、ファンク、R&B | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする