2018年06月24日

ミーターズ ニューオリンズ・ファンクの覇者

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ミーターズ/ニューオリンズ・ファンクの覇者
(Reprise/ワーナー・ミュージック)


はぁい皆さんこんばんは、この時期の軽い体調不良にヤラレておりましたので、今日はアタシにも皆さんにも、何かこう元気になるものを紹介したいと思います。

で、皆さん、元気な音楽といえばこれはもうファンクですよ。

どんなにヘバッている時でも、最悪体を動かないような時でも、頭の中で「ちゃか、ん、ちゃか、ちゃかちゃか、ん、ちゃん♪」とファンクなギターを鳴らして、ゴキゲンな16ビートでリズムを補完すれば、心はウキウキ言葉はオーイェ〜ってなるってもんですよ。

さて皆さん、よく「ファンク」とか「ファンキー」っていう言葉、アタシも無意識でよく使ってて、たまに意味を忘れることがあるので、ここでちょいとおさらいしておきましょう(うへぇ、”ファンキー”っていえばウチの親父がかなりうるさいんで、後でこの記事見られたらどうしよう・・・)。


まず、ブラック・ミュージックの歴史として

・ブルース → R&B(リズム・アンド・ブルース) → ソウル → ファンク

という流れがザックリあります。

ファンクというのは、1960年代中頃から徐々に形を成していき、それをやりはじめてひとつのスタイルまで昇華させたのが、言うまでもなく俺達のジェイムス・ブラウンなんですが、それ以前にももちろん”ファンク”や”ファンキー”という言葉は使われておりまして、それはどこで使われておったのかというと、1950年代のジャズの世界で使われておったんですね。

ジャズの世界で”ファンキー”といえば「ブルースやゴスペル(特にゴスペル)のノリを大々的に取り入れて、早いだけじゃない引きずるような”オーイェーな演奏”をやってるもの」という解釈がありまして、大体これで合ってます。

ほいで”ファンク”って何なのさ?ということなんですが、この言葉はもっと古くから黒人スラングとして使われておりました。

時は戦前のルイジアナ州ニューオーリンズ。

アメリカがアメリカになってからちょい後まで、ここはフランス領だったという特別な歴史がありまして、黒人と白人の間に生まれたハーフ達は”クレオール”と呼ばれ、これまたちょっと特殊な扱いを受けておりました。

その”特殊な扱い”が遠因となって、彼らは管楽器を手にしてジャズという音楽を演奏することになるんですけれども、そんな彼らが使っていたスラングの中に”ファンク”という言葉がありまして、ざっくり訳すれば”匂い”ということになりますが、隠語ですので当然かなりきわどい性的な意味が含まれます。

そういえば音楽の”ファンク”も、それまでのソウルやR&Bと比べて、より肉感的で体臭みたいなものを感じさせる音楽です。


はぁい、お勉強の時間はここまで!

今日はそんなことを考えていたら、おぉ、そういえば”ファンク”発祥の地であるニューオーリンズに、アメリカを代表する素晴らしいバンドがおったじゃないか!という事を急に思い出しましたので、ニューオーリンズ・ファンクの雄、ミーターズでございます。

ミーターズといえば、ソウル好きファンク好きの中でも特別な愛着を持つ人が多いバンドであり、また、ロックバンドやってる人の中でも「これこれ、ミーターズ♪」と、こよなく愛するファンが多いことでも有名です。

人気の秘訣は、独特の粘りに粘るビートと、元々がスタジオ・ミュージシャンだった彼らのズバ抜けた演奏力の高さ。そして、ロックとの深い関わり、つまり70年代からのローリング・ストーンズやリトル・フィート、ポール・マッカートニーら大物達からの絶大な評価と80年代以降のミクスチャーと呼ばれるロックのバンド達、特にレッド・ホット・チリ・ペッパーズに与えた影響の大きさなどでしょう。

実際にアタシの周囲にも「いやぁ、ファンクファンクって言うけど正直JBしか知らんくて、JBがもうズバ抜けてカッコイイから他はあんま変わらんと思ってたのに、ミーターズいいわぁ、これ最高だなぁ」という人、ちょっとおります。

確かに、大都会ニューヨークで、都会の洗練を目一杯演奏に活かしたJBバンドの、キッチリカッチリした完璧な演奏とはまた違う”南部ならではのタフかつワイルド、でもって演奏はキッチリしてる"というミーターズならではの魅力にハマッてしまう人っております(アタシもそうです)。


ミーターズは、リーダーのアート・ネヴィル(キーボード)が、1960年代中頃から組んでいた”アート・ネヴィル&ザ・サウンド”がメンバーチェンジを経て結成されたスタジオ・バンドです。

スタジオ・バンドというのは大体レコード会社の専属で、レーベルがシンガーをレコーディングする時にそのバックで演奏するバンドのこと。当然演奏が上手いのは当たり前として、どんなスタイルでも完璧に演奏出来る技術がないと出来ません。

この頃のミーターズは、ソウル、R&B、そして最新の流行になりつつあったファンクを、どれも完璧にこなすだけでなく、そのアレンジにニューオーリンズ独特のセカンドライン(「タカタカター、ツッタッター」というマーチのような独自のリズム)を見事混ぜ込み、確固たるオリジナリティを持っておりました。

やがて彼らの腕前は、単なるバックバンド以上の評価を得るようになって1969年にはミーターズ名義の録音が始まります。

最初は、4人組のインスト・ユニットとしてレコーディングを行い、アルバムも4枚リリースしております。

ファースト・アルバムを出した時点で、シングルカットされた曲がビルビード・チャート上位に入るなど、全米での評判もなかなかのもので、特に彼らの持つ独特の粘るグルーヴ、インストながらソリッドなファンク感は、ニューヨークなどの都市部にはない感覚として、ワイルドに憧れる都会の若者達のハートもしっかりと掴みました。

サード・アルバム以降はゲスト・ヴォーカルを迎えたり、徐々にサウンドの幅を拡げて”ファンクバンド”としての地位も不動のものにしております。

彼らのファンクバンドとしての極め付けの一枚が、1974年にリリースした5枚目のアルバム『ニューオリンズ・ファンクの覇者(Revolution)』であります。




ニューオリンズ・ファンクの覇者


【収録曲】
1.ピープル・セイ
2.ラヴ・イズ・フォー・ミー
3.ジャスト・キスト・マイ・ベイビー
4.ホワッチャ・セイ
5.ジャングル・マン
6.ヘイ・ポッキー・アウェイ
7.イット・エイント・ノー・ユース
8.ラヴィング・ユー・イズ・オン・マイ・マインド
9.アフリカ


アルバムを重ねる毎に、土臭いグルーヴ感はそのままに、楽曲やアレンジがどんどんポップになり、ノリと深みと聴き易さが高いレベルで融合して、たとえば音楽をリズムとか楽器の音色とか、細かい所まで聴くような人も、そんな難しいことは全然知らない、とにかくノリがいいのが聴きたい人も、みんなまとめて納得させ、そして踊らせる素晴らしいファンクの魔法が、このアルバムには詰まっております。

メイン・ヴォーカルを取るようになったアート・ネヴィルの声もすごく聴かせるいい声だし、初めて大々的に加えられたホーン・セクションも素晴らしい。グルーヴィーなファンク・ナンバーがやっぱりメインではありますが、しっとり聴かせるバラードもちゃんと入ってるし、アルバムトータルで聴かせる構成(プロデューサーはアラン・トゥーサン!)も、どれも完璧であります。


それもこれも全部含めてやっぱりアタシが聴いてしまうのは、結成当時からオリジナルなグルーヴを繰り出して来たレオ・ノセンテリのギターと、ジョージ・ポーターJr.のベース、ジョー“ジガブー”モデリストのドラムが生み出す強烈な”うねり”と”粘り”です。

「凄いベースとドラム」といえば、手数多くてバリバリのようなものを連想するかもですが、ミーターズのリズムセクションは違います。

ギター、ベース、ドラムスの音は極力少なく、でも、その少ない3つの音が生み出す絶妙な”間”、3つの音がそれぞれの空間を埋めずにしっかり繋ぎ合っている事で生まれるグルーヴが、このバンド独特の粘りを生んでいるんです。

いや、こういうのってほんと上手いと思います。それぞれの楽器のテクニックがあるだけではグルーヴってのは生まれませんし、お互いの音をしっかりと聴いて、相手のタイミングのクセまで知り尽くしてないと、これは絶対に真似できない。そういう境地にまで達している名人芸を軽〜くやっておるところがもうたまんないんです。

しかもミーターズは、録音でベースとドラムの音量が若干高めに設定されていたり、こういう”音作りのちょっとしたこと”が生み出す効果みたいなものを、本当に活かした心地良いサウンドなんですね。

レッチリのフリーが、オススメの音楽を挙げる時には「君、バンドやってるんならミーターズは聴いといた方がいいよ」と言っているということを何かで読んだことありまして、実はアタシもミーターズ気になったのはそのフリーの発言からなんですけど、バンドやってる人はミーターズの、この”引き算で生み出すリズム”というのは必須でしょう。

バンドやってない人は、そんな小難しいことは「そういえば奄美のCD屋がなんか言っとったなぁ」ぐらいに聴いても全然OKです。そうでなくてもミーターズは最高にカッコイイファンクとして十分に楽しめます。









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2018年06月16日

風に吹かれて〜ブラック・アメリカンが歌うボブ・ディラン

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風に吹かれて〜ブラック・アメリカンが歌うボブ・ディラン How Many Roads: Black America Sings Bob Dylan

(Ace/MSIレコード)



音楽を聴くという作業は、どこか家を建てる作業と似ております。


まず最初に衝撃を受けた”原点の音楽”があるとすれば、それは家の最も大切な部分を支える柱となり、そこを軸に色んな音楽を聴いて、知って、集めて行く上でまた新しいのを知って、聴いて・・・と、徐々に屋根とか内装とか、窓とかそういったものが出来て行くのです。

アタシにとっての音楽の”柱”は、パンクロックとアメリカン・フォーク・ソングであります。

スピード感があって刺激的なパンクロックと、アコースティック・ギターの伴奏で歌われる素朴なフォークソング、その聴いた印象は全くと言っていいほど違う音楽ではありましたが、何か深い所で通じるものがある。カッコイイ言い方をすれば音楽的な手法は違うかもわからんが、奥底に持っているスピリッツという意味ではこれらの音楽は一緒だと、アタマの悪い中学生ながら、アタシは感じておった訳です。

そもそものきっかけは、パンクロックのどっぷりハマッていた頃に、たまたまテレビで観たカントリー・フェスティバルの演奏でした。

バンジョーとかマンドリンとか、当時見たこともない楽器の物珍しさとか、バンドが全員生楽器でドラムもいないのに、何でこんなに迫力があってウキウキした音を出せるんだろうとか(その時ステージで演奏していたのはブルーグラス界のレジェンド、ビル・モンローでした)、とにかく言葉にならない衝撃を受けて、その夜帰って来た親父に

「あの、アメリカ人がギターとかヴァイオリンとか使ってやる・・・えぇと、あのアメリカの田舎とかでよく流れていそうな音楽ってアレ何だ!?」

と興奮して訊いたら

「そりゃお前カントリーだ、何観たんだ?え?白髪のもみあげの長いじーさんが、ちっちゃいギターみたいなのを持って、見た目とは全然違う高くて若い声で歌ってたって?んで、何か凄い大物みたいな扱いを受けてた?そりゃお前ビル・モンローだろう」


と、教えてもらい、そうだカントリーを聴こう!と思い立ち、じゃあビル・モンロー以外でどのカントリーを聴けばいいのかと更に訪ねたんですね。

そしたら親父、ちょいと考えて

「そりゃお前ボブ・ディランだな」

と。

その時親父が考えておったのは多分

「え〜、カントリーかよ〜、勘弁してくれよ国内盤少ないんだよ〜」

というのと

「ボブ・ディランを知る事でカントリーももっと深く知る事が出来るしブルースも聴くようになるぞしめしめ」

という事だったと思いますが、結果として親父のこの策は大当たりでした。

(詳しくは過去にコラムで書いたコチラを読んでくださればと思います↓)




最初は、何だか鼻つまんだような声で歌う変わったオッサンぐらいに思ってたボブ・ディランでしたが、その時リアルタイムでリリースされた弾き語りアルバム『グッド・アズ・アイ・ビーン・トゥ・ユー』や、雑誌で読んだ記事の「ボブ・ディランはフォークシンガーのウディ・ガスリーに影響を受けた。彼のギターには”This Guitar Kills Fascists”と書いてあった」とかいう文章を読んで、この人の表現姿勢や音楽からの影響の受け方にパンクを感て衝撃を受けたと同時に、ボブ・ディランの楽曲経由でブルースやカントリー、ゴスペルなど、広大なアメリカン・ルーツ・ミュージックの世界にアタシは漕ぎ出す事ができました。

ボブ・ディランの曲って不思議なんですよね。

10代20代の頃、昔(60年代〜70年代)のアルバムを聴いて、その時「ほぉ〜いいねぇ」と思ったら、誰か他の人のカヴァーを聴いて「は!?すげぇいい曲!!」となって、感心してオリジナルを聴くと相乗効果で更に「凄いいい曲だったんだ・・・」と感じる。最初に極め付けだったのがジミ・ヘンドリックスがカヴァーした『見張り塔からずっと』で、それからガンズ・アンド・ローゼスの『天国の扉』バーズの『ミスター・タンブリン・マン』と王道を辿って、それがまたどれもカッコ良かったもんだから、ますますボブ・ディランにハマり、今度は「ボブ・ディランってソウルとかR&Bの人達によくカヴァーされているよね』という話。

サム・クックが『風に吹かれて』を聴いて「この曲は僕達黒人の気持ちを歌ってる、よし、ではこの曲のアンサーソングを作ろう!」と、彼を代表する名曲『ザ・チェンジ・ゴナ・カム』を作り上げたという話と、同じく『風に吹かれて』をカヴァーして大ヒットさせたスティーヴィー・ワンダーが、10代の頃からボブ・ディランの大ファンで、楽曲をカヴァーしまくっていたという事実を知り、アタシの興味はボブ・ディランという一人のアーティストよりも、何故彼の歌うフォークソングが、同時代のコミュニティの違う黒人ミュージシャン達を虜にしたのか?という壮大なテーマに向かっておりました。







風に吹かれて~ブラック・アメリカが歌うボブ・ディラン



【収録曲(アーティスト)】

1.風に吹かれて(O.V. ライト)
2.北国の少女 (ハワード・テイト)
3.あわれな移民 (マリオン・ウィリアムズ)
4.マギーズ・ファーム (ソロモン・バーク)
5.くよくよするなよ (ブルック・ベントン)
6.ビュイック6型の想い出 (ゲイリー US ボンズ)
7.ザ・マン・イン・ミー (ザ・パースエーションズ)
8.ライク・ア・ローリング・ストーン (メジャー・ハリス)
9.神が味方 (ザ・ネヴィル・ブラザーズ)
10.ミスター・タンブリン・マン (コン・ファンク・シャン)
11.戦争の親玉 (ザ・ステイプル・シンガーズ)
12.アイル・ビー・ユア・ベイビー・トゥナイト(ビル・ブランドン)
13.我が道を行く (パティ・ラベル)
14.天国への扉 (ブッカー T ジョーンズ)
15.見張塔からずっと (ボビー・ウォーマック)
16.女の如く (ニーナ・シモン)
17.アイ・シャル・ビー・リリースト (フレディ・スコット)
18.レイ・レディ・レイ (アイズレー・ブラザーズ)
19.今宵はきみと (エスター・フィリップス)
20.エモーショナリィ・ユアーズ (オージェイズ)


言うまでもなくボブ・ディランの音楽には、アメリカン・ミュージックの根っこにある深い部分、つまりカントリーやブルースはもちろん、それより前の時代のヒルビリー(カントリーのご先祖)から、黒人も白人も歌っていたトラッド・ソングやスピリチュアル(ゴスペルのルーツ)などのルーツが最大の滋養となっております。

ディランがこれらの音楽、そして当時それらの楽曲を歌っていた人々への深いリスペクトを作品に反映させていただけではなく”その頃”の感覚、つまり大恐慌時代の貧しい環境に置かれた労働者達や、奴隷時代に報われない強いられていた人々の感情などを、リアルタイムで様々な形で湧き上がっていた社会問題と重ね合わせて「何故?どうして?」というメッセージを常に激しく発していた事は、60年代アメリカの黒人公民権運動そのものに強い刺激を与え、意識を共有する多くのソウルやR&B、ジャズなどのミュージシャン達のインスピレーションの源にもなりました。

だからディランの曲は、ソウルやR&Bのカヴァーが多く存在するんですね。そして、どんな人がどんなアレンジで歌っても演奏しても、あたかもそれが遠い昔から存在するブルースのソウル・アレンジとかに思えてしまうほど、ブラック・ミュージックとしての確かな骨格を持っているんです。

アタシの中では、少年時代にイコールで繋がった『ボブ・ディランとブラック・ミュージック』ですが、それにどういった深い意味があり、カヴァーしている人達がどんな感情を重ね合わせてその曲を採り上げているのかはまだまだおぼろげでありますので、優れたソウル・シンガー達が残した極上のボブ・ディラン・カヴァー曲を、少しでも多く聴きまくって、心の栄養にしたいと思います。

『ブラック・アメリカンが歌うボブ・ディラン』と名付けられたこのアルバムは、編集盤やリイシューを作らせたら本当に素晴らしいものを作る英ACEレーベルの愛がひしひしと感じさせる、極上のボブ・ディラン・カヴァー・アルバムです。

それぞれの曲とアーティストについては思い入れがありすぎて、解説すると文字数がとんでもないことになりそうなので、これはぜひ皆さんで「この曲いい!」という曲をぜひ見付けて堪能してください。そして「ボブ・ディランを歌うこと」で、ソウル/R&Bの人達がどのようなメッセージを世の中に放っていたか(いずれも深く、そして優しくてファンキーな名カヴァーです)を感じてください。





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2018年01月13日

ダニー・ハサウェイ ライヴ

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ダニー・ハサウェイ/ライヴ
(Atco/ワーナー・ミュージック)

デジタルダウンロードが最盛の時代にあって、ここのところアナログレコードやカセットテープなどの売り上げが伸びていると聞いております。

ほんでもって、僅かではありますが「やっぱり音楽はCDで聴きたいな」と、ダウンロードからCDに戻っている人もいるよという嬉しい話も耳にします。

当たり前の話ではあるんですが、やっぱり音楽ソフトっていいよねって思うのは、中身だけではなくて、歌詞カードやブックレットからジャケットに至るまでが、そのアーティストの心が入ったひとつの”作品”なんですよね。

で、不思議なことにそういう付加価値のいっぱいあるものってのは、手にした人にもたくさんのエピソードをお届けしてくれます。

「あのCD聴いてた時に失恋してさ、毎日泣きながら聴いてた」

とか

「友達の家に行ったら誰々のCDがあって、聴かせてもらったらエラいカッコ良かった」

とか

あぁすいません、アタシは発想が貧困な人間なので、こういったベタなたとえしかパッと出てきませんが、とにかくCDやレコードとか、そういった”モノ”としての音楽ソフトは、手にした人にとって、その人だけの特別な思い出が出来るんだよ、だからとってもいいもんだよ。

ということを、アタシはこれからも大々的に説いていきたいと思っております。

や、とにかく手軽に音楽聴きたいって時にはダウンロードも全然アリだし、youtubeで知らないアーティストを検索で引っかけて出会うとか、そういうことも素晴らしい。音楽に使うお金だって限られている訳だし、色んな素敵なものがタダで聴ける環境があるってのは否定しても何も始まらんですが、それを十分に肯定した上で

「気に入ったやつは記念としてCDとかレコードで聴いてみる」

っていうことを、どうかやってみてください。アナタの気に入った音楽の方からアナタに何らかの形で応えてくれるでしょう。

はい、音楽って本当に良いもんなんですよ。何より心を豊かにハッピーにしてくれる。


特にCDやレコードなど「作品」として作られた音楽にとっては、アルバム1枚という作りはひとつのドラマであります。

聴いているうちに、この曲がどうとかいった感覚ではなく「何か1枚通して聴いてしまうよね、グッとくるわ〜」という上質な感動に包まれる。

どのジャンルにも、そういったものの”究極”というのがあって、そういうのがいわゆる名盤というやつになります。

ベタな展開ですまんですが、今日は名盤を紹介しましょう。

その昔、アタシが大人になるかならないかぐらいの時、音楽好き、ロック好きの先輩の家に遊びに行けば、大体の確立でその人の家にあるアルバムというのがありました。

ダニー・ハサウェイの『ライヴ』です。

たとえば、CD棚にメタルやらローリング・ストーンズやら並んでいる中に、もしくはRCサクセションとかボ・ガンボスとか並んでる中に、唐突に『ダニー・ハサウェイ/ライヴ』と書かれた背表紙を発見するんですね。

そして、その率というのが、どういう訳か異常に高い訳です。

訊けば大体

「おぉ、コレはソウルだね。これいいぞー」

と、単純明快な答えが返ってきます。

というのも、この人達は「それ以上は知らん」訳なんですが、でも「これはいいものだから」と手に入れて棚に置き、大事に聴いてる訳です。

その頃はアタシもソウルとかはそんなに知らんかったので「ほぉ〜」ぐらいな感じでした。「どんな感じっすか?」と尋ねて耳にしても「なるほどオシャレでカッコイイわ」ぐらいの感想でとどまっておりました。ブルースは好きだったんですが、その反動でブラック・ミュージックには容赦ない濃さ/ドス黒さみたいなのを求めてたから、70年代の洗練されたソウル・ミュージックっていうのは、あぁ、まだオレには早いかなとしか、その頃は突っ張ってたので思えなかったんですね。

でも、そのほんの数年後に、このアルバムの凄さというか奥底からくる凄い”泣き”の部分に触れて

「うぉ!ダニー・ハサウェイって凄いですね!!あの”ライヴ”ってアルバム超名盤じゃないですか!!」

と興奮し、その都度

「いやだからお前、アレはいいぞって俺言っただろ」

とツッコミを喰らいました。





【収録曲】
1.愛のゆくえ(What's Going On)
2.ザ・ゲットー
3.ヘイ・ガール
4.きみの友だち
5.リトル・ゲットー・ボーイ
6.ウィアー・スティル・フレンズ
7.ジェラス・ガイ
8.エヴリシング・イズ・エヴリシング

何がどういうきっかけで、急に響いたのかは分かりません。ハタチ頃のアタシの精神状態といえば、よくある若者に特有の不安定なそれで、バカみたいなことばかり考えていて心はキュウキュウだった。そんなバカみたいな心に、この人の声、メロウでとことん優しい演奏、最高に暖かなライヴ会場の雰囲気みたいなものが一気に押し寄せたんでしょう。

何とはなしにいいなと思って聴いていたマーヴィン・ゲイの『ホワッツ・ゴーイング・オン』と、元々好きだったキャロル・キングの『きみの友だち』という2曲の絶品カヴァーが、とにかくぶわっときて、涙腺を刺激しました。

いや、人間本当に感動的なものに触れると、何も言葉が出なくなってボロボロと涙だけ出るってのは本当ですね。そんな体験がアタシの”はじめてのダニー・ハサウェイ体験”でした。いや、厳密には”はじめて”ではなかったんですが、そんなこたぁ関係ありません。感動で胸がいっぱいになったんです。

ダニー・ハサウェイがマーヴィン・ゲイ、カーティス・メイフィールドと並んで70年代ニュー・ソウルを代表するシンガーということや、元々アレンジャー/作曲家として60年代シカゴのソウル・シーンでは高い評価を受けていた人だったということ、彼のオリジナル曲はとても優しいけど、歌詞には非常に社会性の強いメッセージが込められているということ、ソロ・アーティストとして順調な活躍をしていたけれど、精神の病に悩まされ、若くして不幸な事故でこの世を去ってしまったことなどは、後で知りましたし、いずれもこのアルバムを聴いた”感動の裏付け”でありました。

もちろんロックやブルース、フリージャズだらけのアタシのCD棚に「珍しくソウルのアルバム」としてこのアルバムはありましたし、その後これを中心に70年代ソウルのCDもどんどん増えていったのでした。今でもこのアルバムは、色んな音楽の「これ、優しいな」という部分を見出すための、良い基準となっております。つまり良いんです。えぇ、言葉なんて今も上手に出てきません。







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2017年11月17日

O.V.ライト イントゥ・サムシン

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O.V.ライト/イントゥ・サムシン
(Hi/SOLID)

しとしとと冷たい雨の降る11月です。

何となく”歌”が聴きたくて、我が家のCDをあれこれ物色してますが、今日は「やっぱり歌といえばソウルでしょう」な気分。そうです、ソウルです。

え〜、ソウルにも色々ありまして・・・と言うと長い上にややこしい話になりますので割愛。名だたるシンガー”しか”いないソウルの世界でアタシがこよなく愛するのが、ディープなフィーリングとパワフルな歌唱で聴き手の魂までも強引に浄化してしまう”親方”ことO.V.ライト。

もうね、この人の声はスピーカーから出てきた瞬間に、聴いてる方の意識が別次元に飛ばされるんですよね。

十代の頃から南部のゴスペル・グループ(サンセット・トラベラーズ)で活躍し「天才リードシンガー」と呼ばれていたけれど、それこそリードともなれば”凄い”は当たり前の連中がゴロゴロしている中で頭ひとつ抜きん出た存在だったというのは、つまりもう形容する言葉もないぐらい、その歌声は素晴らしかったということです。

喉から腹からつま先まで、体全体を大きく震わせて放たれるその渾身のシャウトは、強いだけでなく、聴き手の心を激しくゆさぶった後に、えもいえぬ優しさが、じんわりじんわり沁みてくる。

えぇ、アタシは無学な日本人だ。英語の歌を聴いてパッとどんなことを歌ってんだかわからない。それでもねぇ、歌ってのはそんなじゃないんだよ、頭で聴くんじゃなくて魂(ソウル)で聴いてグッときたら、それが言葉以上の真実なんだよ。と親方はいいます。

イエス、ブラザー。おぉイエス、あぁいいねぇ・・・。と、聴いているうちに心の洗濯と漂白までも終わり(つまりCDやレコードが全部再生し終わったということ)さぁ俺も強く生きるべと、そんな力を与えてくれる親方の歌唱。あぁイエス・・・。

バイオグラフィーを辿れば、そのパワフルを極めた聖なる歌声とは裏腹に、服、車、酒、麻薬などであっという間にカネを消費して、ギャラはその場で使い果たす。特にヘロインに関しては何度も逮捕され投獄され、晩年には薬代欲しさで窃盗をしてしまって逮捕されてしまう。41歳で亡くなったのも結局は長年の不摂生に麻薬の常習がたたって血管がボロボロになったことが原因の心臓発作。

その歌声で多くの人を救いながらも、自らは何ひとつ救われなかった悲しい人生を見るに何ともしのびない気持ちになりますが、歌を聴いてると、何かもう人生全てを投げ打って”うた”に特化した人だったのかな、本人は多分それに気付いてなかったんだろうけどと思ってしまいます。

さてさて、そんなO.V.ライト親方が、麻薬中毒や度重なる逮捕投獄のトラブルにまみれながらも最後の魂を振り絞って名唱を聴かせてくれるのが、1977年から亡くなる1981年まで在籍していた南部メンフィスのハイ・レコード時代。

よく「O.V.ライトの全盛期は、ハイの前のバックビート時代だ」という声も聞きます。

確かにバックビート時代は素晴らしいという意見に異論はありませんが、この時代の音源がようやくCDで普通に出回って聴けるようになったのは、実はつい最近の事で、個人的にはそれ以前から十分な「凄さ」を教えてくれたハイ・レコード時代のアルバムに並みならぬ愛着を感じております。や、親方がシャウトしてスクリームすれば、それがいつの時代の音源であろうが、バックが何だろうがそりゃもう最高なんですが。

で、そんなバックビートにはデビュー後の1965年から1974年まで所属しておりましたが、なかなか大ヒットを出せず、しかもそのプライベートに様々な問題を抱えていたO.V.は、バックビートが倒産し、大手ABCに会社を売却した1975年に2枚のシングルを出した後に契約を解除されております。

実は73年から75年まで、例によって麻薬で逮捕されて刑務所に居たんですね。

逮捕され、レコード会社からの契約も解除され、身体には未だ麻薬中毒から抜け出せないという三重苦を抱えていて、ほとんど”もうダメな状態”にあった1976年、メンフィスにあるハイ・レコードがO.V.を拾う形で契約を取り付けております。

肉体的にも精神的にも、恐らくこの人は最期まで立ち直ることは出来なかったと思うんですが、マイクに向かった時は別人だったと、多くの関係者が証言しております。

ハイというレーベルは、南部メンフィスにありながら、独特のメロウな洗練されたサウンドが売りのレーベル。

ゴスペル上がりのR&Bシンガー特有のワイルドネスを持った、O.V.親方のヴォーカル・スタイルというのは、実はこの洗練された70年代型のサウンドとは水と油だったんです。

しかし、久々のレコーディングで意欲に燃えていた親方の気迫がそうさせたのか、移籍第一弾の「イントゥ・サムシン」は並々ならぬ完成度の高さと、メロウネス溢れるハイ・サウンドと魂のヴォーカルが奇跡の融合をこれでもかと聴かせてくれます。



【収録曲】
1.イントゥ・サムシング(キャント・シェイク・ルース) 
2.アイ・フィール・ラヴ・グロウイン 
3.プレシャス・プレシャス 
4.ザ・タイム・ウィ・ハヴ 
5.ユー・ガッタ・ハヴ・ラヴ 
6.トライング・トゥ・リヴ・マイ・ライフ 
7.メドレー:ゴッド・ブレスト・アワ・ラヴ〜男が女を愛する時〜ザッツ・ハウ・ストロング・マイ・ラヴ・イズ


ピアノだけをバックに、切々たるほぼアカペラのヴォーカルから、ファンキーなバンド・サウンドが入った瞬間にゴキゲンなミドル・アップのテンポでグイグイ攻めるオープニングの「イントゥ・サムシング(キャント・シェイク・ルース)」で、もう”決まり”であります。

本人曰く『ディスコ・サウンドを取り入れた』と語るアルバムですが、どんなにテンポアップしても、どんなにバックが華やかでも、声の切実度が常にメーター振り切っている親方の歌唱に、ディスコの(良い意味でも悪い意味でも)あの軽薄さはありません。

この一曲でガッツリ聴き手の心を沸点に高めて「ア・フィール・ラヴ・グロウィン」「プレシャス・プレシャス」「ザ・タイム・ウィ・ハヴ」と、たたみかけるバラードで、一気に天国の階段の最上段まで持って行く。そしてラストのソウル史上に残る名唱「ゴッド・ブレスト・アワ・ラヴ〜男が女を愛する時〜ザッツ・ハウ・ストロング・マイ・ラヴ・イズ」の12分にも及ぶ感動の嵐。

このメドレーはですね、アル・グリーン、パーシー・スレッジと、彼が目標としたシンガーの代表曲を歌って最後に、自分自身のデビュー曲をかますんですよね。曲と曲、それぞれのクライマックスからサビの凄さ、そりゃもちろんですが、この時親方の心に去来した想いは一体どんなだったろうと思うと胸の熱が止まりません。

とりあえず親方の作品に”これはハズレ”というのはございませんが、これ以降恐らく体調の悪化により、歌い方をメロウなものにシフトしてゆくO.V.の、これは最後の絶頂を記録したものであると共に「ソウルと呼ばれた音楽」その輝きの一番最後の方の、儚く美しい瞬間を刻んだものであると思います。

いや、もう何か泣けちゃって、このレビュー多分文章になってないです。







『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2017年09月29日

ベン・ブランチ ラスト・リクエスト〜キング牧師に捧ぐ

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ベン・ブランチ ラスト・リクエスト〜キング牧師に捧ぐ

ツイッターでふと思い付いた

#あなたの心の鎮痛剤

という企画をやっております。

「企画をやっております」とはいえ、アタシは大体がいい加減で適当な人間ですので、このハッシュタグを付けることで何がどうなるとか、何かをどうしたいとか、そういう気持ちは全くなくて、ただこの感傷の秋にピッタリな音楽、皆さんはどんなのを聴いているんだろうなぁと、ふんわり思い付いただけなんですね。

だから何を挙げようが自由、別に音楽じゃなくてもokという、実に他愛もない企画です。はい、遊んでるだけですが、皆さんの書き込みを見ていると、じんわりくる名盤や、しんみりくる名盤などなど、思い思いに本気の”これがいいんだよなぁ・・・”を出して下さり、その愛の深さに圧倒されながら、感動を噛み締めておる次第です。

音楽って本当にいいもんですね。

そんな中、ある方が

「これはいいですよね」

と出してくださった一枚のアルバムがあり、そのジャケットを見たアタシ

「そうだよ!これこれ!これを忘れてしまっていた!!」

と、大いに慌てました。

心の鎮痛剤

や、心が痛む時ならず、その音楽の持つ素晴らしいパワーで、まるで全てを浄化してしまうようなグレイト・ゴスペルにして、60年代ディープ・ソウルのホンモノの傑作であるところのベン・ブランチ「ザ・ラスト・リクエスト」。

・・・えぇと

今、かなりのボリュームで「誰それ?」と聞こえました。

えぇ、ベン・ブランチという人はジャズ/R&Bのサックス奏者として、色んなセッションに参加している人ではあるんですが、確かに自分からリーダーになって作品を作るようなタイプの人ではなくて、どちらかというと他人のバックでホーン・セクションの要となるような、いぶし銀の職人サックス奏者だから、多くの人が「知らない」というのも確かに頷けます。

ですが、そんなベンの知名度を脇に置いといても、このアルバムだけはもうブルースだろうがソウルだろうがジャズだろうが、ブラック・ミュージックが好きな人にとっては「あぁ・・・いいよな・・・」と、それこそ多くの人に共通する心の灯となっている作品でありますし、事実1960年代後半という時代の、ゴスペルを軸にしたブラック・ミュージックのカッコイイ所が物凄い濃度で凝縮されたような、もう何というかマスターピース的な聖典と言ってもいい、この作品がもしブラック・ミュージックの歴史に残されていなかったら、その後のゴスペルやソウルは一体どうなっていたんだろうと、音楽好きに深刻に思わせてもいいぐらいの重要な作品なのであります。

あぁ、ちょいとアツくなってしまいました(汗)

「何でそんなに重要なの?」

と、ジャケットとタイトルを見てピンと来れなかった方のための説明は後に取っておくとして、まずはベン・ブランチです。

ベン・ブランチは、1924年にテネシー州メンフィスで生まれております。

メンフィスという街は、これまで何度か説明しましたが、ミシシッピからシカゴへと向かう南部の黒人達が中継地点として集う都市で、自然とブルースが盛んになる土壌が、早い段階から出来ておりました。

恐らくは地元の教会やマーチングバンドなどに参加しているうちにテナー・サックスを覚えたベン、20代の頃に同じ年代の人気ブルースマン、B.B.キングのホーン・セクションの一員として本格的なデビューを果たします。

その後は地元メンフィスを拠点にジャズやブルース、R&Bの数々のセッションを重ね、B.B.キングからブッカーT&ザMG's、ジャズピアニストのフィニュアス・ニューボーンJr.など、あらゆるジャンルの、この地を語るには外せないミュージシャン達と演奏しております。

1960年代には、既にベテラン・セッションマンとして、南部のスタックス・レコード、そしてシカゴのチェスのスタジオなどを行き来する日々でしたが、この時にやはり彼も黒人公民権運動に深く関わることとなり、特にカリスマ的な運動指導者だったマーティン・ルーサー・キング牧師の非暴力思想には大いに共鳴することがあり、5つ年下のこのカリスマとの間には、緩やかな師弟関係のようなものがあったと言います。

ベンはミュージシャンとして、キング牧師が参加する講演会や教会での演奏に積極的に参加しました。

キング牧師の主張は

「黒人も白人も、共に兄弟として歩み寄ろうぜ。同じ人間で同じ神様(キリスト教)を信じてるモン同士、必ず分かり合えるはずだぜ」

という、聖書の人類愛を基礎にした、非常にシンプルかつ平和的なものでしたので、ミュージシャン達も共感して非常に協力してたんですね。

ところがそんなキング牧師の主張は、1964年の公民権法制定(初めて法律で「差別を禁止する」ということが制定される)以降

「生ぬるい」

「結局法律で差別禁止とか言われても、オレらの貧しい生活や日常での差別は何にもなくなってねーじゃんかよ!」

と、批判の的にされることが多くなりました。

イスラーム教を黒人優位思想と解釈したネイション・オブ・イスラムや、革命思想を唱えるブラックパンサー党など、人権を勝ち取るためには暴力も辞さないという考え方が、フラストレーションを抱える若者達に徐々に支持されるようになり、各地で黒人デモは過激な思想に影響を受けた人達によって暴動になっていたのです。

もちろん暴動を起こして社会状況や、自分達を取り巻く環境が良くなるはずはありません。

むしろ「黒人はああいう風に野蛮で暴力的である」と、差別主義者によって宣伝されれば、せっかく味方に付いた世論すら敵に回す可能性は多いにある。

悲観したキング牧師は暴動を抑えようと、各地で自ら出向いて必死の呼びかけを行いましたが、1968年4月4日、遂に凶弾に倒れ、帰らぬ人となってしまいました。




【収録曲】
1.プレシャス・ロード、テイク・マイ・ハンド
2.イフ・アイ・クッド・ヘルプ・サムバディ
3.レット・アス・ブレイク・ブレッド・トゥゲザー
4.ウィ・シャル・オーヴァーカム
5.マザーレス・チャイルド
6.マイ・ヘヴンリー・ファーザー
7.イェールド・ノット・トゥ・テンプテーション
8.ハード・タイムス
9.バトル・ヒム・オブ・ザ・リパブリック


このアルバムは、そうしたキング牧師の悲劇を受けたベンが、師を追悼し、その平和と非暴力の意志を音楽で表現し、世界に知らしめたアルバムなのです。

彼がアルバムを作ってまでキング牧師を追悼しようと思ったのは、もちろんそういった意志の力もありましょうが、実はそこにはキング牧師との深いエピソードがありました。

ある日ベンが「プレシャス・ロード、テイク・マイ・ハンド」という伝統的なゴスペル・ナンバーを演奏していたところ、キング牧師が

「いい曲だね、怒り狂った聴衆に聴かせたらきっと穏やかに静まってくれるに違いない。今度の集会でその曲演奏してくれよベン」

と、声をかけました。

「あぁいいよ。次の集会が楽しみだな」

と、ベンも軽く請け負ったんですが、実はこの会話が交わされたのがキング牧師が暗殺される直前のことで、結果としてこの約束が果たされることはありませんでした。

で、アルバムのタイトル「ラスト・リクエスト」は、この時のキング牧師のリクエスト、つまり「プレシャス・ロード、テイク・マイ・ハンド」をやってくれよ、という最後の約束そのものだったんです。

アルバムはこの曲で始まります。

祈りの静けさに満ち溢れたオルガンとピアノ、そしてたっぷりの感傷と郷愁にまみれたベンのテナー・サックスから、ドラム、ベース、ギターが入り、アツくシャウトするヴォーカルが、一気にクライマックスに盛り上げてゆく、正にゴスペルかくあるべし!の名演で幕を開け、最後までそのテンションが下がることがありません。

アタシはもちろん本場のゴスペルを生で体験したことはありませんが、きっと60年代の黒人教会で演奏されるゴスペルは、このレベルの盛り上がりが集会の最後まで続いたんだなと思わせるに十分すぎるほどエモーショナルであります。

メンバーとして名を連ねているのは、フィル・アップチャーチ(b)、ウェイン・ベネット(g)、レナード(レオナルド)・キャストン(p,g)など、この時代のR&B、ジャズファンク系には欠かせないいずれも凄腕のセッションマン達、そしてヴォーカルはホンモノの牧師でありゴスペル・シンガーの方々。もう、凄いノリです。感情の全部が持っていかれます。何度聴いても「すげぇ、これがゴスペル・・・」としか言葉が出てこんのです。


最初の方で申し上げましたが、ベン自身は決して表に立ってリーダー・アルバムを作ったりコンサートを行ったりする人ではなく、あくまで裏方として優れたリーダーの作品作りを手伝おうという思考の持ち主だったので、生涯を通じての作品は少ないです。

でも、そんな人が自分が表に立って作品を作り上げ、何とかメッセージを伝えようとした。そして、出来上がった作品はこの時代のゴスペルとして最高水準のもので、ソウル・ミュージックとしても最深部まで到達しており、何より聴く人の心をあらゆる意味で豊かなものにしてくれるものとしか、言いようのない傑作なんです。

ブラック・ミュージックという言葉に少しでも心ゆらめく人ならば、きっと一生モノの財産になると思います。






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2017年08月19日

スウィート・インスピレイションズ

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スウィート・インスピレイションズ
(Atlantic/ワーナー・ミュージック)

ここ1ヶ月の間、コルトレーンを中心にハードなジャズばかりを集中的に聴いておりましたので、気が付いたらふと音楽にポップさを求めてしまいます。

こういう時は60年代のソウル・ミュージックだよなぁ〜、と、しみじみ思いながら聴きまくっておりましたのがコチラ、ジャケットからしていかにも60年代後半の、ポップでキッチュでサイケな衣装もカワイイ女の子3人組”スウィート・インスピレイションズ”でありますよ。

中身は至福な楽曲と、まるで極楽のような見事なハーモニーが重なり合う、もう本当にこの時代の

「かっこいいソウル・ミュージック?」

「そうこれ!」

で決まりの、とにかく歌が上手い女性ヴォーカルものをお探しの方になら、目をつぶってもオススメできるぐらいのやつなんです。

そう、スウィート・インスピレイションズ、このグループは単純に心地よく聴くだけでも最高ですが、実はこの時代のガールズ・ソウルを語るには欠かせない、とても重要なグループです。

何で重要なのかというと、彼女達は教会でゴスペルを歌ってた、そのグループがそのまんまソウルのグループとしてデビューし、認められたんですね。

それのどこが重要なのかというと、今でこそゴスペルは、プロのシンガーになるための登竜門的な音楽になっておりますが、その流れを作ったのが、このスウィート・インスピレイションズなんです。

もちろん、彼女以前にも「教会でゴスペルを歌ってたのが、プロになってソウルシンガーになった」

という歌手はおりました。

代表的なのはサム・クックとアレサ・フランクリンです。

この人達は、ゴスペルのスタイル、培った歌唱法を全面に押し出して大成功しましたが、言うまでもなくゴスペルという音楽は、神様を讃える宗教音楽であります。

それこそ戦前なんかは「ブルースなんぞ悪魔の音楽、あんなもの歌う人間は地獄に落ちる」と、徹底して世俗の歌や、そういった娯楽に溺れる人間に対しては、教会音楽の世界は結構容赦なかったんです。

そういった考え方は戦後も根強く残っておりまして、50年代以降ゴスペル出身のシンガーがR&Bの歌手になるなんて言うと「教会で歌ってた人間が、R&Bなんていう世俗のイヤラシい音楽を歌うなんてとんでもない」と、非難されていた。そういう意識がまだまだあったんですね。

だからサムもアレサも、ゴスペルの世界を離れて、自分は俗世の音楽をやりますと、キッチリ”転向”した上でR&Bやソウルで、男と女の愛の歌などを歌ってた、またはその必要があったんです(アレサはその罪悪感に苛まれて、純粋なゴスペルアルバムをリリースしたりしております)。

この流れが徐々に緩和されていったのが1960年代半ば、10年以上にも及ぶ運動の末に、人種差別を禁止する公民権法が制定され、アメリカ黒人の社会的権利がようやく認められるようになってからであります。

この運動によって芽生えたのが「ブラザー、シスターみんなで手を取り合って世の中を変えて行こう」という意識であります。

こういった意識を持つんだぞと、音楽の世界からずっとメッセージを発し続けていたのがサム・クックを中心としたソウル・シンガー達であり、彼らのメッセージは「ソウルもゴスペルと同じく、人類愛を歌っているね」と、信仰に篤い人々からも一定の評価を得ました。

そしてアレサ・フランクリンもこの時期アトランティック・レコードと契約を交わし、それまでずっと抑えていたゴスペル・フィーリングを全面に打ち出した”ソウル”を歌い、これで大ブレイク。「アレサが歌うとちょっとした男女の恋愛の歌もまるで人類愛を歌ってるように聞こえる」といった世間の評価は、これもまた世俗と信仰の壁を薄くすることに大きく貢献しました。


ちょいと長ったらしくなりましたが、ブラック・ミュージックを深く楽しむために、教会音楽と世俗音楽の関係と、公民権運動ってのは絶対に避けて通れないお話なんで、まぁよくわからんでも「あぁそうか」と思って心の片隅に留めておいてくださいね。

で、スウィート・インスピレイションズであります。

彼女達は、元々がニューヨークのお隣のニュージャージー州の教会でゴスペルを歌ってた聖歌隊であります。

この中で透き通る力強い高音のヴォーカルを自在に操り、天才少女と呼ばれていたのが、リード・シンガーのシシー・ヒューストン(当時の名前は”シシー・ドリンカード”)。

彼女の活躍は凄まじく、十代の頃にはもう”ドリンカード・シンガーズ”という自分の名前を冠にしたグループを率いております。そして、1950年代の末には一流が集うニューポート・ジャズ・フェスティバルに出演し、ライヴ・アルバムも作っております。

ついでに言うとシシーはホイットニー・ヒューストンの母親であり、80代になった今でも現役のゴスペルシンガーとして活躍中です(2017年現在)。



【収録曲】
1.オー・ホワット・ア・フール・アイヴ・ビーン
2.ブルース・ステイ・アウェイ・フロム・ミー
3.ドント・レット・ミー・ルーズ・ディス・ドリーム
4.ノック・オン・ウッド
5.ドゥ・ライト・ウーマン、ドゥ・ライト・マン
6.ドント・ファイト・イット
7.スウィート・インスピレイション
8.レット・イット・ビー・ミー
9.アイム・ブルー
10.リーチ・アウト・フォー・ミー
11.ヒア・アイ・アム
12.ホワイ(アム・アイ・トリーテッド・ソー・バッド)

この”ドリンカード・シンガーズ”が前身となって、えりすぐりの実力派シンガーばかりを集めて結成されたのがスウィート・インスピレーションズ”です。

男女の甘い恋愛を想起させる”スウィート”という単語と、霊感を意味するそのまんまゴスペル用語である”インスピレーション”を掛け合わせたグループ名は、ソウルの世界において彼女達が「ゴスペルの背景を持っている」という堂々たる宣言であり、実に画期的なことだったんです(元々は”インスピレイションズ”という名前でソウルを歌いたかったけど、その名前は既に使われていたので”スウィート”を付けたということが結果的にインパクトを与えました)。

で、この当時のメンバーであるシシーと、双璧を成すパンチの効いたリードのエステル・ブラウン、バックで絶妙なコーラス・ワークの屋台骨を支えるマーナ・スミス、シルヴィアシェムイルの4人が奏でるハーモニーは、完全にゴスペルのそれであります。

シシーが伸びやかな声で主旋律を歌えば、そこに全く声質が違うのに何の違和感もなく掛け合い、ヴィブラートを見事に絡め合いながらリードを交代するエステル、このコンビネーションがとにかくもう見事で、バラードもファンキーなナンバーも、とにかく「あぁ、美しい」と、素直に浸れる感動的なものに仕上がっていて、それでいて敷居の高さは全く感じさせないんですね。最初に聴いた時それこそソウルとしてのキャッチ―さ、ゴスペル(の歌唱法、コーラスワーク)としての上質さの両方に、それこそ撃ち抜かれました。こんだけポップなのに、何かこう心洗われた気分になるのは一体どういうことだろう、凄い!あぁもう言葉もないと、もうそんな感じです。

楽曲はオリジナルに加え、ウィルソン・ピケット(この人もゴスペル出身)、アレサ・フランクリン、ディオンヌ・ワーウィックの素晴らしいカヴァーがいずれも美しいハーモニーで時に繊細に、時に力強く綴られております。

特にアレサの名バラード「ドゥ・ライト・ウーマン・ドゥーライト・マン」は絶品であります。



彼女達は、実はグループとしての活躍よりも、アレサ・フランクリン、エルヴィス・プレスリーのバック・コーラス隊として有名だったりするんですが(上の動画のコーラスが”スウィート・インプレッションズ”です)、既にバックを務めていたアレサの、本家にも迫るクオリティを聴くと、本当に凄い実力を持った人達なんだなぁと、しみじみ感じ入りますね。

この後はさっきも言ったように主にアレサやエルヴィスのバックとして活躍していたスウィート・インプレッションズ、グループとしては大々的なヒットを飛ばすというよりは、細く長い活動で今に至り、ブラック・ミュージック界の屋台骨を支えております。

で、60年代後半の洗練を見事パッケージしたこのアルバムの次にリリースされたのが、実に味わい深いゴスペル・アルバムで、コレがまた最高なんですが、そのお話はまた次の機会に。。。





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2017年07月10日

ビッグ・ジェイ・マクニーリー ライヴ・アット・シスコズ

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ビッグ・ジェイ・マクニーリー/ライヴ・アット・シスコズ

(Atlantic/ワーナー)


さぁみなさん、お待たせしました!今日は皆さんの大好きなホンカーの大将、ビッグ・ジェイ・マクニーリーですよー!!!!

えーーー!誰それ?

とか言うなかれ!

いや、知らなくてもいいし言ってもいいんですねどね、あーたホンカーを知らずして人生は楽しめないという古いことわざがアメリカにありますように、これはもうさいっこうに楽しい音楽なんです。

えぇ、そんなことわざなんか例によってないんですけれどもね。でも、1940年代にアメリカ南部のテキサスから”テキサス文化圏”ともいえる西海岸で流行ったのが、ブルースもジャズもR&Bも、そして後にはロックンロールもすべてブチ込んだ、ジャンプ・ミュージックというゴキゲンな音楽です。

ジャンプ・ミュージックのバンドっていえば大体がビッグバンドで、カッコいいスーツに身を包んで、ホーン隊が演奏中に立ち上がって踊ったりするのね。

「何だ、そんなのジャズじゃないか」


と思うなかれ、ジャズの場合はそういうエンターテイメント性がありつつもやっぱり「聴かせる」方に何だかんだ行く訳ですが、ジャンプの場合はそのベクトルが全く逆。ちょいとウケたらところん「踊らせる」方向に演奏は行っちゃうってぇ寸法なんです。 


「盛り上がれば何でもOK」ってことでエレキギターなんかもガンガンフィーチャーして、歪んだ音で弾かせてるし、場がノッてきたら曲の途中から全部手拍子と合唱でも全然構わない。そういう音楽の中身も客席とステージも厳密に区別しない、いかにもアメリカ南部の豪快でおおらかなノリのものが多いんですね。

そんなジャンプ・バンドの花形といえば、テナー・サックスでありました。

音響機器もまだまだ未発達の時代に、生音のソロでいかにデカい音を出していかに客を沸かせるかを真剣に考えて色々と「わぎゃー!」という叫び声のような音を出したり、吹きながら客席になだれ込んだりステージの上でのたうち回るアクションをしたり、とにかくもうソロタイムになると音と派手なアクションで、まるで怪獣のごとく現れては常識外れな音とアクションで大暴れして演奏を興奮のるつぼに巻き込むテナーサックスを持った生き物、そいつらが「ホンカー」と呼ばれ、当時はそんじょのジャズマンよりも現場人気を博していたんです。

有名なジャズマンでもホンカー出身はいっぱいおります。

多いのはやっぱりテキサスで、テキサス・テナーのアーネット・コブとかブッカー・アーヴィン、アレサ・フランクリンやサム・クックのバックでも有名なキング・カーティスなんかはそうですね。それから意外にも若い頃のコルトレーン、この人は反対側のニューヨークですが、食うためにR&Bのバンドでテナーを吹いて、バーのカウンターを練り歩きながらぶおーぶおーと吹いておった。そういうホンカーの真似事なんかをしておったみたいです。

1950年代ぐらいまでは、レコードはまだまだ一部の金持ちの道楽で、ほとんどの一般大衆はラジオやジュークボックスに小銭を入れて音楽を楽しんでおりました。

ジュークボックスが置いてあるのは、酒場とか遊技場とかそういった、とにかく人が集まってワイワイしてるところですよね。だからそういう場で好まれるのは、自然とみんなで盛り上がれる曲で、つまりそういう場では芸術性の高いものよりも、ポップでノリが良くて親しみやすいジャンプやR&Bだったんですね。

そしてアメリカのヒットを支えていたのが、このジュークボックスでリクエストされる音楽でした。

ジュークボックスにコインを入れるのは、主に労働者や若者層であります。

当時のビッグ・ジェイらジャンプのスター達がどれぐらい人気だったかといえば有名なこの写真

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熱狂の余りステージに寝っ転がって吹きまくるビッグ・ジェイを見る白人若者のこの顔(!!)

ヤラセではありません、ビッグ・ジェイのステージは実際にこんなもんではなく


『ビッグ・ジェイが物凄い音でソロを吹くと会場からコールの大合唱が起きる。んで、彼は客席を練り歩きながら吹きまくるんだが、その熱狂の凄まじさの中でいつの間にかいなくなってる。おかしなことになったと思ってもバンドも客も止められないぐらいにヒートアップしてそのまんま盛り上がってた。しばらくしてクラブに警察から電話がかかってきて、バンドのヤツを出してくれと言うから何だろうと思ったバンマスが電話を替わると”道の真ん中でおかしなヤツが地面をのたうちまわりながらサックスで雄たけびみたいな騒音を出している、危ないし迷惑だから迎えに来い”と』

何か前に紹介したギタースリムの話と似てますが、まぁ50年代のイカレたブルースマン達のノリといえば普通にこんなもんだったでしょう。

とにかくビッグ・ジェイの吹き倒すテナーといえば、小細工やテクニカルな技を披露すること微塵もナシ、ず太くまるでファズかディストーションが効いたような割れた音(これはですのぅ、グロウトーンといってサックス吹く時に”ウー”っていう声を混ぜると出せるんですが、普通にここまでの音は出らんです)でブオーとかギャー!!とかひたすら破壊力のある一音をぶっ放つ。

曲はブルースというよりもほとんどロックンロールに近い8ビートシャッフルで単純明快、バラードとかもやるけど、そしてそれはそれで実に味があって素晴らしいんだけれども、アップテンポでのテナーの「ボギャギャギャーーー!!」で情緒とか感慨とかセンチとかいったものが全部吹っ飛んでしまう。

雑誌には「元祖ヘヴィメタ」って書いてあり、アタシはそれを見て「昔のしかもリズム・アンド・ブルースでどれほどのものか」と、若干ナメてたんですが、もうその「ぼぎゃーー!」で完全に土下座です。「アンプとかエフェクターなしでよくぞここまでやってくれまました本当にすいませんでした」です。




【収録曲】
1.ビッグ・ジェイズ・シャッフル
2.ペルディード
3.ユー・ドント・ハフ・トゥ・ゴー
4.ビッグ・ボーイ
5.ビッグ・ジェイズ・カウント
6.シスコズ
7.サンセット
8.ディーコンズ・ホップ
9.ファーザー・オン・アップ・ザ・ロード
10.シェク・イット、シェイク・イット、ベイビー
11.ザ・パーティーズ・オーヴァー

で、そんなビッグ・ジェイは、やはりというか何というか、日本ではジャズファンとかよりも、どっちかというとロカビリーとかロックンロールとか好きな人に人気が高い。そりゃそうですよね、ムードは完全に50'sのそれで、随所に唄(ほとんどサビの掛け声)もあるしブライアン・セッツァー・オーケストラなんか好きな人が聴けばもう一発撃沈みたいなグレイトなサウンドですもんね。

アルバムはもうほんと「出てるものは全部いいから全部買え」と言いたいぐらいに、どれも見事な狂乱のクオリティを維持してます。でも、ようやくこうやって1963年という旬な時期のライヴ盤がようやく国内盤でしかもかなりハッピーな価格で出てくれたんでこれを聴きましょう。

最後に、ビッグ・ジェイはただめちゃくちゃにサックス吹いてる・・・んですが、決してデタラメをやってるんじゃなくて、音楽の基礎をちゃんと真面目に習って習得した人なんです。

クラシックを教える音楽学校で割と真面目な生徒だったみたいなんですが、真面目〜にクラシックばかりをやっていたら、自分のサックスの音がだんだん綺麗で優しいものになってきたから「これはいかん」と音楽学校を辞めて夜の世界へ飛び込んだんだと。うん、やっぱり頭オカシイ。ちなみに御年90を超えて今も現役で、流石にステージでは座ってることが多くなったけど、そのサックスからは相変わらずな「ボギャー!」がマイク要らんのじゃないかこれ?って音で出てくるんだと。


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2017年05月12日

シュギー・オーティス フリーダム・フライト

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シュギー・オーティス/フリーダム・フライト
(ソニー・ミュージック)

世の中には「早すぎた人」というのがおります。

才能やセンスに溢れまくっていて、独創性も影響力も十分すぎるほどにあったけれども、何故か主流になれず「その筋の者」への絶大な人気はあれど、広く一般には知れらていない。いや、知られるきっかけは色々あったけれども、本人の意思と時代のいたずらの両方の原因でもって、そこには乗らなかった或いは乗ることができなかった、眠れる偉人のことでございす。

例えば60年代にキャリアをスタートさせ、現在も”伝説のギタリスト”として活動しているシュギー・オーティスという人がいて、コノ人はそれこそ

「ローリング・ストーンズのツアーメンバーとして誘われてたけどそれを蹴った」

とか

「あのアメリカを代表するヒットメイカー、クインシー・ジョーンズがぜひプロデュースをと言ったが”いや、自分でやりますんで”と、これもあっさり蹴った」

とか

そういう伝説にはいとまがありません。

1953年に”R&Bのゴッド・ファーザー”と言われていたジョニー・オーティスの息子として生まれ、早くからギターの天才ぶりを発揮。

その後父の楽団で演奏しながらも、ブルースを出発点に、R&B、ファンク、ロック、ジャズなど、ありとあらゆる音楽を呑み込んだ、自由なプレイスタイルで多くのファンやアーティストを魅了。

また、全ての楽器を自ら演奏し、自宅にあるレコーダーで多重録音でもって作品を作ったりと、今で言う宅録の先駆けみたいなこともやっておりまして、基本的にそういった手法で作られたアルバムは、独特のポップさとブラック・ミュージックの濃さとロウファイなアナログ感がないまぜになった味があるんです。

昭和の時代にB級少年誌に載っていたSFとか近未来モノのような味わい、といえばちょっとは伝わるべか。とにかく、大スターの息子に生まれながら、天才ギタリストとして華やかなキャリアをスタートさせながら、本人はそんなこと知らんよとばかりに、セッションで裏方を喜んでやったり、自宅に篭って黙々と「自分の音楽」を一人で作っていた。そんな人です。

ですが、彼のプレイや、その宅録やセルフプロデュースという新しい手法にインスピレーションを受けたアーティストはいっぱいおります。

プリンス、スライ&ザ・ファミリー・ストーンのスライ・ストーン、トッド・ラングレン、レニー・クラヴィッツ、ジム・オルークなど、これも枚数にいとまがありません。

で、そんな人でありますから、自然と音楽性は幅広いものとなって、彼の付き合いはブルースやR&Bを越えたものになっていきます。

最初にシュギーに「一緒になんかやろうぜ」と声をかけたのが、1960年代末当時、気鋭のロック・ミュージシャンとして名を売っていたアル・クーパーとフランク・ザッパ(!)

1969年にはアル・クーパーの双頭セッション・アルバム「クパー・セッション」(何とあのマイク・ブルームフィールドとの「フィルモアの奇跡」の翌年の作品!)、そしてフランク・ザッパのサイケな名盤「ホット・ラッツ」に参加して話題になり・・・というより既に「ジョニー・オーティスの息子」ということで話題になってたんでしょうが、コレに目を付けた大手エピック・レコードがソロ契約を結んで、同年「ヒア・カムズ・シュギー・オーティス」でソロ・デビュー。

1作目では洗練されたR&B感覚で得意のブルースを、凄まじいテクニック(もちろん指が動くだけでなく”聴かせるテクニック”のことデス)で披露しました。

そして翌1970年の、ソロとしてはセカンドのアルバムが、本日ご紹介する「フリーダム・フライト」



(ギター・レジェンド・シリーズ)

【収録曲】
1.Ice Cold Daydream
2.Strawberry Letter 23
3.Sweet Thang
4.Me and My Woman
5.Someone's Always Singing
6.Purple
7.Freedom Flight


コレがソウル/ファンク、ジャズ、ブルースが、独自のやや内向的なシュギー独特の感覚で、トロンと溶け合った名盤なんです♪

参加メンツの中心に、当時ジョン・メイオール&ザ・ブルース・ブレイカーズ、そしてヤードバーズ脱退直後のジェフ・ベック・グループのドラマーを経験し、世界的な評価を高めつつあったエインズレー・ダンバーと、70年代後半からのディスコブーム時大活躍したスーパー・キーボーディスト、ジョージ・デューク(この時はまだ全然無名のジャズ志望の若きピアノ/オルガン奏者)がおるんです。そしてバラード名曲「ストロベリー・レター23」では、御大ジョニー・オーティスも参加して、大いに盛り上げております。

まずはのっけからアレンジのセンスと、乾いたビートにのっかってのゴキゲンなファンク・ナンバー「アイス・コールド・デイドリーム」から、何ともポップでたまらないノリです♪

「ストロベリー・レター23」も、熱唱系ソウル・バラードではなくて、ビートルズ辺りからの影響を強く感じさせるソフトな雰囲気で、続く「スウィート・サング」は、また空気をガラッと変えて、粘るビートにアコースティックなスライドギターがすこぶる渋く、4曲目「ミー・アンド・マイ・ウーマン」は、スモーキーなムードの中、情感豊かなギターがすすり泣く、洗練を極めたアーバン・ブルース。

後半はまったりしたオルガンと、暖かな歌声、そして爽やかなギター・カッティングからのハートウォームなソロが心地良いソウル・バラードの「サムワンズ・オールウェイズ・シンギング」そして7分以上に及ぶ渾身のスロー・ブルース(インスト)の「パープル」から、流れは一気にラスト・ナンバーのタイトル曲「フリーダム・フライト」へ。

アルバムとしては「ブラック・ミュージックと同年代のロックの要素を取り込んだ色んな音楽やってるよ、聴き易いよ♪」という、人懐っこい空気が漂ってきております。そう、シュギーの音楽性のすばらしいところは、とにかく音楽が好きで、流行とかスタイルとか関係なく、単純に「好き」というだけで色々やってるんだけど、何というかこの人ならではのマイルドな一貫性があるところなんです。

で、ギターを中心に聴いてみると、そんなマイルドなキャラクターの影に隠れた演奏者としてのストイックな姿勢がかいま見られる、相対する実に硬派でトンガッた姿勢すらも感じさせる。

とにかく一筋縄ではいかない、そして一言では語れない深みを持ったアーティスト、それがシュギー・オーティスト。この4年後にエピックからのラスト・アルバム「インスピレーション・インフォメーション」をリリースして、プイッと表舞台からいなくなり、何と再びソロ・アルバムをリリースしたのが2013年というから、いやはや本当に一筋縄ではいかない人であります。



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2017年01月23日

マーヴィン・ゲイ ミッドナイト・ラヴ

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マーヴィン・ゲイ/ミッドナイト・ラヴ
(CBS/ソニー・ミュージック)

60年代後半から70年代にかけての「ソウル」の代名詞、マーヴィン・ゲイであります。

マーヴィンが「Love」の一言を、その甘く切ない声と旋律に乗せて発する時、恐らくそれを耳にしているアタシ達の心の中にも、多くの体験から「あぁ、あれは確かにそうだったな・・・」と、追想と共に巡る同じような「Love」が、胸を焦がしてもうどうしようもなくなります。

さて、そんなマーヴィンといえば、60年代のデトロイトで誕生し、ブラック・ミュージックを究極的に洗練させて誰が聴いてもクオリティの高い上質なポピュラー・ミュージックにしたと言われるモータウン・レコードの看板シンガーでした。

彼の端正で豊かな拡がりのあるヴォーカルは、モータウン特有の、生バンドにストリングスやホーン・セクションを贅沢に配したゴージャスなサウンドと共鳴し、このレーベルでマーヴィンは「ホワッツ・ゴーイング・オン」をはじめとする数多くの名盤を次々とリリースし、それこそ音楽の歴史そのものを刻んでゆくのであります。

しかし、そんなマーヴィンの全盛も、モータウン・レコードの栄光も、1970年代をピークに斜陽に向かうことになります。

ひとつの時代を象徴するものを築いたら、今度は別のところから出てくる新しい時代の波に、古いものは呑み込まれてゆく。これは仕方のないことですが、マーヴィンにはモータウンとの金銭トラブル、私生活での2度の離婚に関わる泥沼の調停問題や破産、そして薬物への傾倒など、プライベートでの不幸な出来事が重なり、遂に70年代後半には身も心もズタボロになってしまいます。

失意のマーヴィンは、ヨーロッパやハワイで、まるで何かから逃げているかのような隠遁生活を送りますが、かつてデビュー前に同じドゥー・ワップ・グループで唄っていたハーヴィ・フュークワと、CBSコロムビアの副社長であり、ソウルの敏腕ディレクターとして有名だったラーキン・アーノルドという人達が献身的に彼を支援します。

特にラーキンは弁護士でもあり、この頃のマーヴィンを苦しめていたモータウンとの契約を切ってCBSに迎えるために、あれこれ必死で走り回って、契約の問題から元妻達への慰謝料など、ひとつひとつを的確にクリアーしていき、ようやくボロボロになっていたマーヴィンを迎えることに成功するのです。

とはいえ、この時のマーヴィンには、再び人前に出て唄えるかが心配なほど精神的に消耗しておりましたし、何より作品を作ったり音楽活動を行うための資金を持ち合わせておりませんでした(一説によると友人がマーヴィンの住んでいるアパートを訪れた時、彼は現金を10セントも持っていなかったと言われております)。

ラーキンとマネージャーは「麻薬をやめてクリーンになること、再び音楽で復活して、新しく契約するレーベルに利益をもたらすこと」を条件に、早速マーヴィンのアルバムを作ることを約束するのです。



【収録曲】
1.ミッドナイト・レディ
2.セクシャル・ヒーリング
3.ロッキン・アフター・ミッドナイト
4.この瞬間を愛して
5.愛の交歓
6.サード・ワールド・ガール
7.ジョイ
8.燃える情熱

そんなこんなの苦難の中から生まれたのが「セクシャル・ヒーリング」です。

1981年、世間ではもうマーヴィン・ゲイは「落ちぶれた元シンガー」でしかなく、予算もあまり取れない中、スタジオではかつて使っていたゴージャスな生バンドの代わりに、シンセサイザーやリズムマシーンといった機材を懸命に使いこなして楽曲やアレンジを試行錯誤するマーヴィンの姿がありました。

今でこそ打ち込みやサンプリングを使って、生バンドに劣らない程度のクオリティの楽曲を作ることは出来ますが、当時の機材は一番高価なものでも今(2010年代)の機材にはとても及ばないぐらいのサウンドしか出せませんでした。

しかし、マーヴィンはやります。

粗末とは言えないまでも、決して高価ではない機材を使い、心血を注いだ最高の作品を作り上げます。

もう一度言います『最高の作品』です。

様々な苦難を経験して、歌詞や声に、自己の内面を投影し、それをほぼ自分自身の手によるアレンジでギュッと音に詰め込んだこのアルバムは、マーヴィンの数ある作品の中で最も深く内側へ斬り込んだものと言えるでしょう。

でも、このアルバムはそういった作品特有の重さ、暗さがない。むしろチープな打ち込みや軽やかなシンセやギターのカッティングに彩られたサウンドは静謐でどこまでも優しく、マーヴィンの声も悲哀を秘めつつ、ふんわりと至福の時間の彼方へと聴く人の耳も心も誘います。

よく「このチープさが逆にいい」と言われるアルバムですが、アタシはむしろマーヴィンが意図してなかったところでチープな音が上質な輝きに変換されて、声と相乗効果で響き合っているように思います。

考えてみたら80年代後半から90年代のR&Bは、打ち込みやサンプリングによるトラックが主流で、それらは決して妥協の産物ではない独自のシルキーな味わいを宿しておりました。

その、流れを作ったのがこのアルバムだと思います。

シングルカットされた「セクシャル・ヒーリング」は大ヒットし、83年のグラミー賞も獲得。マーヴィンは苦境を乗り越え完全な復活を勝ち取ります。

ところが翌84年、些細なことから口論となった両親の仲裁に入り、激昂した父親が放った銃弾が胸に当たり、そのまま帰らぬ人となってしまいマーヴィンはそのまま帰らぬ人となると共に、永遠の伝説となってしまうのでした。


「もし、マーヴィンが生きていたら・・・」と考えると想像は尽きませんが、その音楽的な遺伝子は、ディアンジェロ、ブライアン・マクナイトをはじめ、特に80年代後半から90年代を経て今に至るブラック・コンテンポラリー・ミュージックの中に、しっかりと生命を宿らせて生き続けております。


(「セクシャル・ヒーリング」名曲ですねぇ、アレンジの爽やかさと共に歌声が染みます。。。)



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2016年12月11日

サム・クック ナイト・ビート

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サム・クック/ナイト・ビート(RCA/ソニー・ミュージック)


サム・クック

どこにでもいそうなアメリカ人の男性の名前ですが、この言葉を聞く時、私の胸の内には言いようのないアツく切ないものがこみ上げます。

彼こそはアメリカン・ミュージックの歴史の中で"特別の中の特別"なシンガーであり、1950年代後半から60年代の中盤、音楽も社会全体も大きく震え、変革する中で、最も多くの人々の感動の象徴であり、また、希望そのものでありました。

16歳の頃からゴスペル・グループのリード・ヴォーカルとして活躍し、やがてR&Bの世界へ進出。世俗の歌を唄っても、教会で福音を歌ってた頃と全く変わらぬ高揚と多幸感に満ち溢れた歌声で、聴く人の魂そのものを、彼は救済し続けました。

そう、サム・クックの声、その激烈シャウトと限りなく甘い囁きが奇跡の調和を保つ、全ての感情を揺さぶっては癒し、癒してはまた揺さぶるその歌声に包まれた時の聴く側の心の状態は、正に「救済」と呼ぶ他に、私は適切な言葉を知りません。

彼のヴォーカルが素晴らしいのは、もちろん天性の声に恵まれたのもあるでしょうし、幼い頃からゴスペル・グループの歌い手として、鍛練を重ねた結果でもあるでしょう。

けれどもそれ以上に、彼の歌は「上手い/カッコイイ」を飛び越えてどうしようもなく響くのです。

何故か?

それは分かりません、考えたって恐らく永遠に答えは出ないでしょう。

だから敢えて「偉大」とか「天才」とかいったありきたりの言葉でアタシはサム・クックを語りたくありません。

「お前はそこまで絶賛するけどサム・クックなんて本当にいいの?どうせ古い音楽なんだろ?」

という方には反論はしません、ただ黙ってサム・クックのアルバムを、何でもいいから聴いてごらんなさい。これは最高のソウルだしR&Bだしゴスペルだしロックだし、何より音楽だよ。

と、言うより他ありません。




【収録曲】
1.ノーバディ・ノウズ・ザ・トラブル・アイヴ・シーン
2.ロスト・アンド・ルッキン
3.ミーン・オールド・ワールド
4.プリーズ・ドント・ドライヴ・ミー・アウェイ
5.すべてを失くして
6.ゲット・ユアセルフ・アナザー・フール
7.リトル・レッド・ルースター
8.ラーフィン・アンド・クラウニン
9.トラブル・ブルース
10.ユー・ガッタ・ムーヴ
11.フールズ・パラダイス
12.シェイク・ラトル・アンド・ロール


1963年、サム・クックが亡くなる前年に発表した8枚目のアルバム「ナイトビート」を今日は皆さんに紹介します。

サム・クックといえば、以前も紹介した「ライヴ・アット・ザ・ハーレム・スクエア」や「ツイストで踊り明かそう」などの、その強烈に胸の透く力強い歌声が、ノリノリのゴキゲンな楽曲と共に炸裂して、感極った時にドコーン!とバラードがくる作品が人気で、再発される時もやっぱり注目を集めるんですが、サムの表現者としての底無しの凄味は、シャウトをグッと抑えて、優しい声で切々と唄う時により迫ります。

そう、このアルバムは、サムの深遠なるバラード・アルバム。

唄われているのはほとんどがブルースやゴスペルのカヴァーで、バックもしっとり落ち着いた小編成のバンドです。

この時代にずば抜けた人気をモノにしたサムには、度々レコード会社から「ポップスを唄わないか」と打診が来るようになりました。

というのも、R&Bで人気が出た黒人歌手は、次のステップとして、白人聴衆も購買層にすべく、いわゆる「黒っぽさ」を抑えたポップ・シンガーになることが、この時代望ましいとされていました。

何だかとても差別的に思えるかも知れませんが、この時代はブルースやR&Bの地位は驚くほど低く、音楽業界でもこういった考えは当たり前だったんです。

ところがサムは、デビューしてすぐにアーティストの著作権を正しく保護するための出版社を設立したり、マルコムXら公民権運動の指導者達とも非常に近しい関係にあり、自らも人種問題や政治的議論にも積極的に加わるほど、公民意識の高い人でありました。

レコード会社からの申し出はもちろん受け入れるのですが、彼が作った「ポップスなアルバム」は、シャウトは控え、ファンキーな"盛り上がるノリ"も抑えているにも関わらず、いや、それがかえって彼のルーツの最も深い部分にあるゴスペルの、荘厳な祈りのパートをポピュラー音楽の皮に包んで、リアルに鳴らすことに見事成功した、最高に質の高い、まごうことなきブラック・ミュージックの結晶がここには刻まれております。







(「ゲット・ユアセルフ・アナザー・フール」このピアノのイントロから唄、ギター、オルガンがゆっくり立ち上がる瞬間がもう・・・)



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