2019年06月18日

ドン&デューイ ジャングル・ホップ

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Don&Dewey/Jungle Hop
(Specialty)


さて、リトル・リチャードですっかり血圧が上がってしまいましたので、本日もゴキゲンな50年代元祖ロックンロールなR&Bをご紹介します。


ロックンロールはチャック・ベリーやリトル・リチャードの大ブレイクで全米で爆発的な人気を博し、そこに南部メンフィスから黒人音楽に多大な影響を受けたエルヴィス・プレスリーやジェリー・リー・ルイス、ビル・ヘイリーなどの白人勢も加わって、人種の壁を越えた若者の音楽となったのです。

何故そうなったのかというと、これは才能豊かなミュージシャン達がたまたま偶然世に出てきたからというだけでなく、ラジオの力もありました。

白人のティーンエイジャーの間では、実は割と早くから黒人の音楽、すなわちジャズやブルースやR&Bを聴く行為がカッコイイとされていたんです。

当時はまだまだ差別もあり、親の世代は「黒人音楽なんてあんなもん聴いたら不良になる」と、嫌な感じで見下しておったんですね。

でも、若者にとってみれば

「不良になる?おい聞いたか、黒人の音楽聴いたら不良になれるんだってよ。ラジオ聴いてみようぜ・・・おおお、何だコイツは!めちゃくちゃゴキゲンじゃねぇかおい!」

てな具合で、親達の目を盗んでは”ヒップな”ブラック・ミュージックを溜まり場で聴いたり、ダンスパーティーで爆音で流して踊り狂うなどして楽しんでいるうちに、50年代には白人の若者達の間でも、R&Bという音楽が、密かに最新の流行音楽になっておったという訳なんです。

これに目を付けたのが、ラジオのDJをしていたアラン・フリードという人で、この人は白人若者向けの自分の番組でビートの激しい最新のR&Bを、50年代初め頃からガンガンにかけておりました。

で、曲の合間のおしゃべりの最中に「コイツはイカすぜ、ロックンロールだ!」と注釈を付けた訳なんですね。

ロックンロールという言葉は元々は黒人スラングで、かなり卑猥な意味として使われる言葉でありましたが、アラン・フリードは青少年向けに、そういう意味を匂わせながら「ハイになって大騒ぎできる音楽だ」みたいな感じでR&Bを紹介しました。

ゴキゲンなビートやシャウトといった特有の表現とこの若者達にとっては全く未知の新しい単語は、いつしか「そういった音楽そのもの」を指す言葉として定着します。

そうこうしているうちにロックンロールという音楽が大ブレイクして、多くのイカしたR&Bが「ロックンロール」として市場に送り込まれる訳でありますが、そんな中、リトル・リチャードが所属するスペシャリティ・レコーズが、同じく強烈なシャウトを武器にしたアーティストを次々デビューさせるのですが、その中でもとりわけ強烈なインパクトを持って若者に衝撃を与えたのが本日ご紹介するドン・シュガーケイン・ハリスとデューイ・テリーによる強烈激烈シャウティングなデュオ『ドン&デューイ』であります!

甘いマスクでキリッとオシャレさんな2人なので、アタシはてっきりムーディーなバラードでも歌うんだろうと思ってレコードを買った訳なんですがね、まさかこんなにもワイルドで勢いのある芸風だとは正直思いませんでした。

とにかくまぁリトル・リチャードよりも更に濁ったダミ声でがなるがなるがなる!バシバシと痛快なアクセントの8ビートに乗って、シャウトをハモらせながら歌う2人の声だけでもうノリノリ、最高にグルーヴィーなんです。



Jungle Hop

【収録曲】
1.Jungle Hop
2.A Little Love
3.Hey Thelma
4.Baby Gotta Party
5.Miss Sue
6.Good Morning
7.Leavin' It All Up To You
8.Jelly Bean
9.Sweet Talk
10.Farmer John
11.Just A Little Lovin'
12.The Letter
13.When The Sun Has Begun To Shine
14.Bim Bam
15.Day By Day
16.Koko Joe
17.Justine
18.Little Sally Walker
19.Kill Me
20.Big Boy Pete
21.Farmer John
22.Pink Champagne
23.Jump Awhile
24.Mammer-Jammer
25.Get Your Hat


50年代から60年代初頭の活躍を一枚に収めたベスト盤が出ております。基本はダミ声でまくしたてながら疾走するアップテンポがこの2人の真骨頂。タイトル曲の『Jungle Hop』や『Baby Gotta Party』は、唾と汗でも飛んでこようかという熱い暑いナンバーで、激しさで言えばこの時代ぶっちぎりであります。

一方でこの2人、単なるヴォーカリストではなく、デビュー前からそれぞれソングライターとしての才能を買われており、加えてピアノにギター、ドラム、ヴァイオリンまで、楽器は何でもこなすマルチ・アーティストだったんですね。

なので一見ストレードに思える楽曲の数々も、決して一本調子ではなく、ミディアム・テンポのブルースや、無駄なく聴かせどころを押さえたアレンジでも「のせること」と「聴かせること」の両方をしっかり押さえてて飽きさせません。

がならずに伸びのある声で、デューイが切々と聴かせるバックで、ドンがエレキヴァイオリンで実に渋いソロを炸裂させるスローブルース『Pink Champagne』とか、何度聴いても心の奥底からグッとこみあげるものを感じてしまいます。

ドン&デューイは残念ながらロックンロールのムーヴメント終了と共に解散しておりますが、ドン・ハリスは”シュガーケイン・ハリス”名義でエレキヴァイオリン奏者として、ジャズやブルースをインストで演奏する味わい深いアルバムなどをリリースしており、デューイ・ハリスの方はゴスペルライク、或いはファンクまで自在にこなす本格的ソウル・シンガーとしていずれも活躍しております。

デュオを解散してからの2人は、シャウトを抑えた深みのあるミュージシャンになっていて、それぞれのアルバムもいずれかの機会に紹介しますね。とりあえずドン&デューイ、最高にゴキゲンです。












『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2019年06月16日

ヒアズ・リトル・リチャード!

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リトル・リチャード/Here's Little Richard!
(Specialty)


さて、今日も元気にまいりましょう!

・・・はい、とは言いつつもアタシは絶賛夏バテ中のカラ元気なんですが、病は気からと昔から言うように、せめて気持ちぐらいは毎日ゴキゲンなグッドミュージックを聴いて盛り上げたいものでございますよ。

という訳で、昨日はまったりとダウナーなボサ・ノヴァの名盤などをご紹介しましたが、今日はアレですよ〜、皆さん大好きなロックンロールですよ〜♪リトル・リチャードですよぉ〜♪

リトル・リチャードといえば何と言ってもその単純明快なカッコ良さとド迫力に満ちたシャウトであります。

ロックンロールといえば、よく並び称されるのがチャック・ベリーでありますが、チャックの場合はヴォーカルはそんなシャウトせず、あくまで甘くスタイリッシュにキメてるのに対して、リチャードのそれは

「とりあえず元々持ってるセンスの良さとかオシャレさとか、音楽的な知識とか、そんなもん全部投げ捨てて叫ぶ」

みたいな。

「まー、みんなよく聴きなさい、ほれ、そこの音楽とかあんま知らん、興味とかない、別にどーでもいいというアンタ、そんなアンタでも・・・いぇぇぇぇぇぇぇぇぇええええええい!!」

で、どんな気分の人をも巻き込んでノリノリにさせちゃう、そういう有無を言わさぬ強烈なもんを持っておるのがリトル・リチャードなんです。


アタシが中学とか高校の頃も、よく50年代のロックンロールとかロカビリーとかのCDをみんなで聴いてた時、80年代とか90年代の、音数が多くてギターとかもガンガンエフェクターかけて歪ませたような音に慣れた耳には、正直チャック・ベリーなんかよくわからんみたいな声が圧倒的だったんですが、リトル・リチャードに関しては、音楽性とかサウンド云々以前に

「コイツの歌ヤバイ」

「いきなり裏声で”フォォォ!!”とか叫んで頭狂っとる」

とか、訳も分からず「何かヤバイぞコイツは!!」という反応が結構ありましたし、アタシもこの年代の音楽では珍しく、リトル・リチャードだけは「最初から良さがガツンときたアーティスト」でありました。

とかくブルースとか、50年代や60年代の古い音楽というものに、アタシ達は意味とか深い何かを求めがちです。

でも、その当時の人にしてみれば、その時代の音楽こそ、小難しい意味だとかうんちくだとかそんなものを忘れて、バカみたいに踊り狂うためにあるもの。そんなだよ、そんなだぜべいべーイイェェェェエエエエエエエイ!!と、リトル・リチャードはその前しか向いていない、もしくは手前の頭上にしかツバを吐かない豪快かつキョーレツなシャウトでもって、アタシの頭をガツンガツンとやってくれるのであります。


ロックはよく「若者のフラストレーションの発露」と評される事があり、アタシもその言葉の信奉者であります。

たとえばヴォーカルのシャウトやエレキギターのやかましいジャンジャカギュンギュンも、端的に言えばそれであります。そして、ロックの元祖、ロックンロールの生みの親であるリトル・リチャードのシャウトというのは、もしかしたら「社会的フラストレーションに対して一番最初に挙げられた”叫び”の純化されたもの」であったのだろうと、いや、細かく言えばブルースの時代からそれはあるのかと思いますが、そう思わせるだけの徹底ぶりが、この人の唱法には感じられてならないのです。

アメリカ南部の厳格なクリスチャンの家庭に生まれながら、いや、だからこそその反動で非行に走り、かつ同性愛者であったことから家におれなくなって10代で家を飛び出して、最初メディスン・ショウの旅芸人一座に潜り込み、やがて聖歌隊で鍛えられた歌とピアノの腕前を活かして安酒場で演奏する日々。

何と16歳でラジオ番組のオーディションに合格し、レコードデビューを果たすも、当時流行のジャンプ・ブルースの”ありきたり”を脱することが出来ず、再び夜の街へ。

これだけでもう相当に屈折したエネルギーの有り余る若者の、ドラマチックなストーリーですが、リトル・リチャードの凄いところは、レコード・デビューが一度挫折してからの立ち直りの早さなのですよ。


Here's Little Richard

【収録曲】
1.Tutti-Frutti
2.True, Fine Mama
3.Can't Believe You Wanna Leave
4.Ready Teddy
5.Baby
6.Slippin' And Slidin'
7.Long Tall Sally
8.Miss Ann
9.Oh Why?
10.Rip It Up
11.Jenny, Jenny
12.She's Got It



1955年、23歳になったリチャードは、昼間はレストランで皿洗いのアルバイト、夜は女装バーで接客の仕事をしながら虎視眈々と次のチャンスを狙っておりました。

そんな時に飛び込んできたのは、彼がデモテープを送ったいくつかのメジャー・レーベルのうちのひとつ”スペシャリティ”が「ニューオーリンズでレコーディングをやらないか?」と声をかけてきます。

「きゃー!やったわ!レコーディングしてアタシ今度こそスターになるのよーーーー!!」

と、喜び勇んでニューオーリンズへと向かったリチャードでしたが、レーベル側の「これまでにないような新しいR&B」というリクエストに行き詰まり、作業はなかなかはかどりません。

あんまりにもイラついたリチャードは、スタッフやメンバーに当たり散らしたり、悪態をついて馬鹿にした歌を歌ったりしておったんですが、この時に「ラッパパルバ〜ドゥ・ワッパッパー」という意味不明な歌を、プロデューサーが

「それいいじゃないか!!」

と気に入り、気に入られたリチャードも

「ホント?やだアタシったら天才!!」

と一気に上機嫌になり

「そうだ、ここはニューオーリンズだから、ニューオーリンズのこの独特の転がるようなリズムとジャンプ・ブルースの激しいノリを組み合わせたらオシャレなのが出来るんじゃないの?やだアタシったら天才!!」

と、次々曲を思い付き、これがオシャレで野性的なノリを持つ新しい音楽「ロックンロール」が、名付けられる前の原石のような素晴らしいものとして、レコード盤に刻み付けられたのです。

アップテンポのシャッフルビートに「エェェェェエエエエ!」「アォウッ!」というクレイジーなシャウトと、叩き付けるピアノの3連譜が重なれば、もう石をも踊り出すってなもんで、その理屈抜きに激しくアッパーなサウンドは、あっという間に全米を席捲。チャック・ベリーやボ・ディドリーなどの「新時代ブルース・サウンド」や、黒人音楽に強く影響を受けたエルヴィス・プレスリーやジェリー・リー・ルイスら南部の白人勢が合流、50年代半ばから人種の壁を始めて越えた若者共通の流行であるロックンロールが世界中を揺るがすこととなるのであります。

ひゃー、それにしてもリトル・リチャードのシャウトは凄いですねぇ。ブームから半世紀以上経っても未だに生々しいライヴ感があるんですけど何ですかコレ・・・。









『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2018年12月11日

ソロモン・バーク ライヴ・アット・ザ・ハウス・オブ・ブルース

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ソロモン・バーク/ライヴ・アット・ザ・ハウス・オブ・ブルース
(Sony/Pヴァイン)

ソウルシンガーといえば、このブログで何度も書いているように

「小さい頃は教会でゴスペルを歌っていて、歌手としてデビューするために世俗のR&Bやソウルを歌うようになった」

というのが、割とお約束のパターンであります。

アタシ達日本人にしてみれば

「へぇぇ、アメリカさんの教会って凄いんだー。歌上手い人がいっぱいいるのねー」

ぐらいの認識かも知れませんが、教会というのは本質的には真剣にお祈りを捧げたり、神父さん牧師さんによる、聖書のお話をたくさん引用した真面目な説教を聞く所です。


それはゴスペルを歌うアメリカの黒人教会でも同じことです。

教会でゴスペルを歌う、或いはゴスペルを聴くために教会に集う彼らにとって「ゴスペル」とは、決して享楽的にはしゃぐための音楽ではなくて、信仰と共にある、それこそ生活の奥底にある罪や穢れを祓い清めてくれる大切な音楽なのです。

歴史をさかのぼればアフリカ黒人が奴隷としてアメリカに連れて来られてきた時に、先祖代々伝わる土着の信仰を禁止され「キリスト教だったら良い」と定められたんですが、もう本当に人間として扱われなかった、どうしようもなく辛い毎日を送る彼らにとっては、言ってみれば白人から与えられた白人の宗教がキリスト教ということになるんですが、それでもそれ以外に精神的に何もすがるものがない黒人奴隷達にとってみれば、それにしがみつくしかなかった。

で、南北戦争というのが起きて、結果として「奴隷なんてもうやめよう」という人達が勝利して、黒人は自由の身になるんですが、自由になったところで南部では相変わらず最低限の賃金で、今度は労働者としてこき使われるんですね。

カネもない、学もない、世の中に出ても底辺で貧しい暮らしを送るしかないという人達の絶望がブルースへ、「いや、それでも真面目に生きてればきっと救われる」という希望がゴスペルへと流れて行って、戦前から戦後のブラック・ミュージックというものが、歴史に深く根を張って動いている訳です。

えぇと、戦後ゴスペル出身の歌い手がソウルシンガーとして次々と成功を収めているうちに、教会の方もそういった歌手の育成などに力を入れてきた感は確かに今現在は大分ありますが、それでもやっぱりアメリカは凄いなぁと思うところは、2000年代になっても「お、このシンガーはどこか普通と違う底力がある歌を歌うなぁ」と思わせるようなズバ抜けた人がいて、経歴を調べてみるとやっぱり教会出身だなんてことが往々にしてあったりすることなんですよ。

これは多分理屈じゃ測れない、もう民族的無意識とか、そういう途方もないレベルの話なんじゃないですかね。と思うぐらい、ゴスペルっていうのはアメリカ黒人音楽の根底にあるんですね。

で、本日ご紹介するソロモン・バークなんですが、彼の場合は「教会の聖歌隊で歌ってた」なんてレベルじゃなくて、説教の方ですよ。これの天才的な人で、10歳になるかならないかぐらいの時から壇上で説教をすることにかけて天才的な才能を発揮してたと言うんですから、これは並大抵のシンガーではありません。

え?説教ってそんなに凄いのか?何か説教って言ったら親とか先生とかがガミガミ怒る時のアレでしょ?ですって?何を言いますか。

説教というのはですね、親や教師の小言じゃなくて、元々は牧師さんとかお坊さんが、神様や仏様のありがたいお話を説くことを言うんですよ。「教えを説く」と書いて説教です。

ほいでゴスペルの説教というのはですね、最初に「みなさん、神様はこう言われました」「聖書にこう書いてあります」とか、そういう真面目な”語り”が徐々に熱を帯びて、段々リズミカルになって信徒さんを煽るんですね。で、信徒さんも興奮して「その通り!」とか「神よ!」とか、煽りに応えてコール・アンド・レスポンスが成立する。こっからグルーヴが生まれ、徐々に説教とコール・アンド・レスポンスが歌になっていって最終的にじゃじゃーんとゴスペルが演奏されるというのが、昔からの教会での祈りの流れなんです。

そう、熱心なファンにしてみれば

「いやいや、ゴスペルつったらみんな曲が始まってからのアレだと思ってるでしょ?違うんだよ、ゴスペルの醍醐味はあの説教からのコール・アンド・レスポンスまでちゃんと聴かないと味わえないね」

ってヤツでして、アメリカではちゃんと歌とは別になっている「説教のレコード」なんてのも売られてたりしてて、これが「あ、〇〇牧師の説教だ、コレ凄いんだよな、もうノリノリだよ」と、実に熱狂的に受け入れられたりしておりました。

だから説教というのは、まずは聖書(新約旧約どっちも)に関する深い理解がないとダメで、次に真剣な信徒さんを納得させられる話の才能と、教会を熱狂へと誘う煽りのスキルと、最終的にズバ抜けた歌の上手さとか、トータルで色々ないと出来ないという、凄く高度なものなんです。

10歳なるかならないかぐらいでその高度なトータルスキルを求められる説教で「天才」と言われたソロモン・バークは、だから歌とライヴの才能というのに、もう凄まじく溢れまくっておったんでしょう。何と15歳で歌手デビューを果たし、その5年後にはR&Bシンガーとして、メジャー・レーベルのアトランティックからレコードをリリースしています。

彼がメジャーデビューしたのは1960年ですから、世代的にはソウルが流行る前のR&Bの世代のシンガーで、レイ・チャールズと共にR&Bという音楽をよりゴスペルに近づけて、ソウル・ミュージックの時代を未来から引き寄せた最大の功労者と言えるでしょう(もう一人の功労者はサム・クック)。

ソロモン・バークという人のルックスは、ハッキリ言ってイカツいです。

持ち前の巨体に、特に若い頃は目付きも鋭くて大体初期のジャケットなんかはイカツい顔で写っておりますから、ゴリゴリのパワー系シャウターと思われがちですが、実際聴いてみるとびっくりするほどふくよかな声質だし声域も無理なく超低音からか細い高温まで自由自在、歌も緩急を巧みに駆使した独自の節回しプラス、説教で培った”語り”の要素をメロディーに実に自然に挟み込む、ハッキリ言って1950年代のデビュー前から「歌」というものの無限の可能性が一人の人間の声の中にここまであるんだと思わせるぐらい、スケールの大きなシンガーです。




【収録曲】
1.Introduction Everybody Needs Somebody To Love
2.Medley
3.Cruel World
4.Cry To Me
5.Candy/Candy Rap
6.Got To Get You Off My Mind
7.No Nights By Myself
8.Ain’t Nobody’s Business
9.Down In The Valley
10.I Want A Little Girl
11.Medley
12.Good Rockin’ Tonight


確かこのブログでソロモン・バーク紹介するのは初めてだったはずなので、今日は「まずはこれ!」というアルバムを・・・というかコレはソウルとかR&Bとかそういうの知らなくても別にいいから、歌が好きな全ての人に聴いて欲しい、本当に素晴らしいライヴ盤です。

や、実は彼の代表作(スタジオ盤)は初期アトランティック時代にたくさんあって、その辺のアルバムは確かにソウル名盤特集とかでも真っ先に挙げられる類のものです。本当に素晴らしい。でも、歌以外の部分(語りや即興での物凄い煽り)の魅力といえばやっぱりライヴ盤にこそ詰まってるし、しかもこのライヴは1990年代のアルバムなんですけど、この人は底力凄いんで、2010年に亡くなるまで一切声が衰えたことなかったし、あぁ、興奮して何を言ってるのかわかんなくなってきましたが、とにかくマイナーレーベルからのリリースだったけど、Pヴァインが国内盤だからきっと悪いアルバムじゃないんだろうと思って買ったらこれが予想を軽くぶっとばして凄く凄いし、あぁぁ、今聴きながら書いてるんですけどね、聴きながらはいかんですよ、語彙が崩壊してしまいます。

正気を失う前にひとつだけ、このアルバムでやっているのは、ほぼ初期のまだ”ソウル”と呼ばれる前のR&B時代の名曲のセルフカヴァーです。

90年代に50年代〜60年代の曲をベテランシンガーがやる。

こう書くと熟練を極めた歌手が懐メロをくつろいで歌ってるんだろうとか、そういう風に思うんでしょうが、50年代〜60年代のR&Bが、アレンジや雰囲気も当時のものとそう変わりないのに、何だかものすごく”今の音楽”してるんです。で、今2018年なんですが、2018年に聴いても変わらずこのライヴは”今”のリアルな音楽として迫ってくる。これはちょっと凄く凄いことだと思います。あ、すいません、やっぱり語彙が崩壊しますんで後は聴いて確かめてください。








『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2018年12月07日

ウィリー・ハイタワー アウト・オブ・ザ・ブルー

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ウィリー・ハイタワー/アウト・オブ・ザ・ブルー
(Ace/Pヴァイン)


「音楽って素晴らしいな〜」

ってのは、ほれアレですよ。自分が知ってるつもりでも、ちょいと知らないところに素晴らしい音楽があって、そいつと出会った時に心の奥底から自分自身を揺さぶられるかのような感動を覚える時ってあることなんです。

サザン・ソウルの知る人ぞ知る名ヴォーカリスト、ウィリー・ハイタワーの名は、多少は知っておるつもりでありました。

黎明期のソウル巨人、サム・クックの影響を大きく受け、60年代70年代には数々のシングルを世に送り、いずれもそこそこのヒットとなるも、その後は実力に見合った活躍の場を与えられず、コアなソウルファンの間で伝説として語られてきたシンガー。

アルバムもそれまでのシングル曲を集めたものが1枚しかリリースされておらず、大抵は60年代ソウルのコンピレーションとかで数曲入っているのを「あぁ、この人いい声してんなぁ・・・」と、アタシは何となく聴いておりましたが、接する機会の少ないまま、そのまんまアタシの記憶からはすっかり消えておりました。

しかし!

しかしですよ、そんなこんなですっかり忘れていたウィリー・ハイタワーと再び巡り合って、しかも「うぉぉ!この人こんなにカッコ良かったんだ!!」と思わせるような素晴らしい出来事があったんです。

それは、毎週日曜日の夜に楽しみにしている永井ホトケ隆さんのラジオ番組『BluesPower』です(奄美エフエムで夜10:00から聞けるから、奄美の人達には本当に出来るだけチェックしてほしいっすよー!)。

いつものようにワクワクしながら聴いてたら、いつも静かにアツいホトケさんの声がやたらウキウキで「いや〜、行ってきましたよウィリー・ハイタワーのライヴ」と、力(りき)入ってたんです。

え?ウィリー・ハイタワー?あのソウルの?来日してたんだ、つうか今も現役で活動してたんだ。へぇぇ〜。

と思って聴いてたら、何とウィリー・ハイタワー、77歳にして初めての新作アルバムをリリースして、そのプロモーション・ツアーも兼ねての来日公演を行って、とにかくまぁそのステージが凄かった、往年のサザンソウル(アメリカ南部のソウルのことです)の雰囲気はもちろんそのまんま豊かに持っていたんだけど、何より今の音楽としてそれを聴かせる物凄い説得力があったんだ、と。


アメリカ南部アラバマ州で生まれ、幼い頃から地元の聖歌隊でゴスペルを歌い、サム・クックに憧れてソウルの世界へ飛び込む。60年代にデビューしたシンガーの典型的なタイプです。恐らく同じような過程を辿る(特にサム・クックに憧れるところ)シンガーはいっぱいいたでしょうが、彼の声にはやはり独特の優しさと繊細さがあって、その声がサザン・ソウルと呼ばれる独特の温かみのあるサウンドを奏でる地元バンドのバックと凄く合っていた。

シングル人気にそこそこ火が点いて、ヒットチャートの15位とか20位とか、そういうところの常連となるものの、彼はどちらかといえばインパクトよりもジワジワと染みて「あぁいいね・・・」と聴く人に思わせるシンガーです。世間を揺るがすほどの強烈なヒットがないまま、活動は下火になり、70年代以降はほとんど音楽シーンからも忘れられているような”幻のシンガー”となっておりました。

でも、彼の歌に静かに心動かされた人達というのはやはりいて、ほぼ引退状態だったウィリー・ハイタワーの復活を支えたり熱望したり、本当に真剣にこの素晴らしいシンガーの帰りを待ち望んでおりました。

その中にはリアルタイムのソウル世代ではなく、90年代以降のレアグルーヴ・ムーヴメントなどで彼の声を新たに聴いた世代のファンも居たと思います。


とにかくまぁ、欧米や日本における「ジワジワとした正しいソウル・ミュージック再評価」は、90年代から今まで息の長い静かなムーヴメントとして続いていて、それが何と50年ぐらいぶりのアルバムのリリースにも繋がって、まさかの来日公演まで実現させたってのは、本当に感慨の深いことです。



アウト・オブ・ザ・ブルー


【収録曲】
1.I Found you
2.Raining All The Time
3.Rock Me Gently
4.Somewhere Day
5.Tired Of Losing You
6.You Can't Love Me(Bettr Than You're Lovin' Me Now)
7.No Gettin' Over Me
8.Easy lovin'
9.Everybody Wants My Girl
10.Who Who Who


ラジオでかかったのは、そんなウィリー・ハイタワーの「77歳にして初のオリジナル・アルバム」から何曲かだったんです。

正直いい歳のおじいさんだし、枯れた味わいの渋い歌声に癒されるのかなと思っておりましたが、いやもうそんなアタシのぬるい期待なんか軽〜く打ち砕いてくれるベテランシンガー(それもホンモノのソウルシンガー)の、最高に魂の入ったエモーショナルな歌唱と、見事に進化して若い頃よりカッコ良くなった歌声に完全に虜にしてくれる、そんな素晴らしい体験を、ほんの数曲がさせてくれました。


端的に言うとアタシ泣いたんです。

いや、アタシも大体40代のおっさんだし、英語だってパッと聴いたぐらいでは何言ってんのか分からないのに、ウィリー・ハイタワーの歌声と感情が、理解とかを越えた部分でガチーンときまして、えぇ、気が付いたらもう涙がポロポロ出てたんですね。

この人の声は、さっきも言ったように凄くエモーショナルです。やっぱりゴスペルで鍛えただけあって、芯の方はすごくパワフルで、同時に都会モンにはないタフネスみたいなものを感じさせるんですが、それ以上にどこまでも優しくて、特にバラードでは「何でこんなに感情持ってくのー」ってぐらいに独特の緩やかなうねりがあるんです。

特に2曲目の『Raining All The Time』とかのバラードの、全く気負いのない、肩の力を抜いた歌い方なんだけど、奥底から情感がふわ〜っと浮き上がってくるような、噛み締めながらジワジワ歌いあげてゆくスタイル。こういうのはやりなさいと言われて出来るもんじゃないし、ヘタに強いシャウトをかますよりもずっと凄いことをやっているように思います。技術だけでもセンスだけでも、経験だけでも出来ない、全ての要素が心の奥の奥でピタッと重ならないとこれは出来ない。

あと、声にさり気なく寄り添うシンプルなバンド・サウンドも最高ですよね。乾いたギターに暖かなオルガン、最小の手数で最高のグルーヴを生み出すベースとドラム。60年代のサザン・ソウルは、このさり気ないサウンドに支えられて多くの根強いファンを増やしてますが、21世紀の2018年に出したアルバムで、まさかそのサウンドが懐古じゃなくて「今現在のリアルな音」として鳴り響いてるんですよ。そういうところも含めてウィリー・ハイタワーの『アウト・オブ・ザ・ブルー』ちょっと本当に凄いアルバムです。










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2018年10月20日

レイ・チャールズ ブルースを歌う

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レイ・チャールズ/ブルースを歌う
(Atlanic/ワーナー・ミュージック)


どのジャンルにも、そのジャンルを代表する偉大なアーティストという人がおります。


で、たとえば”リズム・アンド・ブルース”と聞くとアタシの中にはもうたった一人、そう、レイ・チャールズのあのピアノに向かって座り、黒いサングラスをかけて、顔を斜め上に、まるで天に向かって大声で呼びかけているかのような神々しい姿をぶわーっと思い浮かべてしまうのです。

とは言っても、アタシはレイ・チャールズの全ての作品を熱心に聴き込んだ訳でもなく、当然ですがリアルタイムで彼が飛ぶ鳥を落とす勢いでヒットチャートを爆走していた黄金の50年代や60年代を追っかけていた訳ではございません。


きっかけはやはり、映画『ブルース・ブラザーズ』で、道行く通行人を踊らせるゴキゲンな楽器屋の親父にシビレたからであり、中学の頃に「あのサザン・オールスターズの”いとしのエリー”をカヴァーした大物のミュージシャン」として、レイ・チャールズという人を知ったからでありました。

それからレイは、アタシの中では漠然と「凄い黒人ソウル・シンガー」です。

その頃ようやく洋楽に目覚め、クソガキなりにブルースという音楽に興味を持ち始めた”レイ・チャールズ”という人は、ブルースやR&Bのアーティストというより、もっともっと大きな世界で超有名な大御所ポピュラー・シンガーであり、それゆえに「何だかよくわかんないけどこの人凄い」という漠然から、逆に聴いてみようとCDを手にする行為に手を染めるのをずっとためらっていた人でありました。

ほれ、ビートルズとかローリング・ストーンズとか、余りにも有名過ぎてついつい「まぁそのうち・・・」となってしまうでしょう。

特にハタチを過ぎるまでは、音楽というものに刺激ばかりを求めておりましたので、勝手に”渋い”の枠組みの人として捉えておりましたレイ・チャールズは、そのまま”漠然と凄い人”でした。

ちゃんと聴いたのは、ある日格安のベスト盤レコードを買った時です。

初期1950年代や60年代の曲がたくさん入っていて、それを聴いて初めてレイ・チャールズの声にも、演奏するピアノの音にも、その頃夢中で聴いていたブルースの人達とほとんど変わらない独特の”土の臭い”が溢れている事を知り「レイ・チャールズはブルースだ」と認識することで、初めてこの偉大なシンガーの音楽にのめり込むことができました。

正直なところを書いてしまうと、どうも”レイ・チャールズ”といえば、とにかくみんなから尊敬される大御所ミュージシャンであるとか、盲目というハンディキャップを乗り越えて大成功したとか、流れてくる情報ではそういったことばかりが書かれていて、確かにそれは彼の音楽を形成する大事な部分ではあると思いますが、肝心の音楽についての情報になかなか出会えずに、ちゃんと”好き”になるまでに時間がかかり過ぎてしまったというのはあります。

でもまぁちゃんとレコードを買って聴いて「すげぇ!レイ・チャールズめちゃくちゃカッコイイ!!」と思えてからは、そんなことは些細なこことです。ちゃんと紹介されてなければ、手前で紹介すればいいんだ。



最初に書きましたが、レイ・チャールズは”リズム・アンド・ブルース”を代表する歌手の一人です。

リズム・アンド・ブルースとは何ぞや?と言いますと、まぁブルースです。

ブルースは1900年頃にアメリカ南部で黒人達の手によって生み出されたとされておりますが、そのブルースは生まれてすぐに南部の他のあらゆるスタイルの音楽を吸収し、また影響も与え、徐々に都会に広まってゆくにつれて、その演奏規模を大きなものにしていきます。

広いクラブやホールのステージで演奏するために、楽器編成は多彩になり、音量や厚み、そして華やかさを演出するために、それまで例えばギターなどの弦楽器とせいぜいピアノやハーモニカだけで演奏されていたようなブルースが、ドラムやベースやホーン楽器を揃えたフルバンドで演奏されるようになり、更に聴衆をより楽しませるために、リズムを大幅に強調した、派手でノリノリのアレンジが施され、それが人気を博すようになりました。

特に太平洋戦争が終結して以降、シカゴやニューヨーク、LAやデトロイトといった大都市では、黒人の労働者人口の増加から、そこそこ裕福な人達もちらほら出てきて、更にレコードの普及も拍車をかけ、これらの”イキのいい黒人音楽”が、シングル盤として大量に流通するようになり、独自のヒットチャートを作り出すまでになってきます。

その時代、ブラック・ミュージックといえば「レース・レコード」と呼ばれて区別されておりました。”レース”というのは”人種”という意味で、まだまだ人種差別も激しかった時代であります。

でも、レコード会社にとって、その”レース・レコード”を買ってゆく若者層や、ジュークボックスを置いてそれらの音楽をデカい音でかけるお店からの収益というのはバカに出来なくなりました。ぶっちゃけて言えば大手レコード会社にとっても、それらのレコードは会社の浮沈に関わる大切な売り上げになってきた訳です。

そんな世の流れを受けて、有力音楽誌ビルボードは「レース・ミュージックのチャートを”リズム・アンド・ブルース”と呼ぶことにします」と宣言し、1947年からそれが実際にチャート名として使われるようになりました。

それから50年代は、ブラック・ポピュラー・ミュージックの名称としての”リズム・アンド・ブルース”と、そのルーツ音楽としての名称の”ブルース”が分けて呼ばれるようになり、更に60年代には若者から絶大な支持を得た”ソウル・ミュージック”がポピュラー音楽としての名称を獲得し、リズム・アンド・ブルースはそのルーツ的なものと認識されるようになり、更に更に90年代にはソウルをルーツとする音楽として、新たな”R&B”が生まれ、現在に至ります。

で、レイ・チャールズが故郷南部ジョージア州から北部のシアトルに移り住んだのが1947年、17歳の時。

南部でブルースやゴスペルのディープなフィーリングをたっぷりと骨身に染み込ませたレイ少年が、丁度”リズム・アンド・ブルース”となったばかりの、都会のイカしたブルースに直に触れ、大いに興奮してその世界に飛び込んだであろうことは、想像に難しくありません。

最初はピアノ+ギター+ベースというトリオ編成で、甘く小洒落たブルースを歌うバンドを結成したレイ、40年代後半から50年の間に『How Long Blues』や『See See Rider』といった古典的なブルースをカヴァーしたシングルをリリースしますが、この時期に行っていたライヴ・ツアーでの演奏に目を付けた新興レーベルのアトランティックが

「君の音楽は、もっとレパートリーを増やせば必ず売れる!」

と声をかけてスカウトし、これが大当たり(!)

アトランティックは、レイにベース、ドラム、ホーン、そしてバックコーラスも付けた豪華編成のR&Bバンドを与え、レイの持つ声の良さと天性のグルーヴ感を大々的にバックアップしました。

「曲のバリエーション」というものに、より正面から向き合ったレイは、基本となるブルースに、ゴスペルやラテン、ジャズ(実はジャズ・ピアニストとしても凄腕なのだ)、カントリーなどのありとあらゆる要素を楽曲に混ぜ込むことに成功、ついに1959年にリリースした『ホワッド・アイ・セイ』で、紆余曲折を経てビルボード”リズム・アンド・ブルース”チャートの6位に輝き、R&B不滅の大スター、レイ・チャールズは誕生します。

さて、その後のレイ・チャールズのグレイトな快進撃は、既にあちこちで語られている通りでありますので、今日は彼の音楽の原点にあるブルースにスポットを当てたアルバム『ブルースを歌う』(The Genius Sings The Blues)を皆さんにご紹介します。





ブルースを歌う

【収録曲】
1.アーリー・インザ・モーニング
2.ハード・タイムズ
3.ザ・ミッドナイト・アワー
4.ナイト・タイム・イズ・ザ・ライト・タイム
5.フィーリン・サッド
6.レイズ・ブルース
7.アイム・ムーヴィン・オン
8.アイ・ビリーヴ・トゥ・マイ・ソウル
9.アイ・エイント・ガット・ノーバディ
10.ミスター・チャールズ・ブルース
11.サム・デイ・ベイビー
12.アイ・ワンダー・フー



リリースはレイの人気絶頂の1961年、内容はレイがアトランティック初期(1952年〜55年)にスタジオで吹き込んだ、古いブルースのカヴァーや、オリジナルのブルース曲です。

バックのサウンドはフルバンド、洒落ていて洗練されたウエスト・コースト・マナー、レイが最も大きな影響を受けた西海岸を代表するシンガー、チャールズ・ブラウンを彷彿させる、甘口と辛口が絶妙なブレンドで交錯する、終始深い味わいに溢れた歌唱とサウンドに、ひたすら引き込まれてしまいます。

ガッツリと芯のあるピアノ、奥底から魂を振り絞るヴォーカル、気負いも気取りも一切ない、レイの表現の奥底がスピーカーから迫ってきますが、かといって”渋さ””深さ”だけではなく、さり気ないアレンジの中に仕掛けられたリズムの斬新さや、アレンジのポップさもしっかりと活きていて、聴く側を最初から最後まで退屈させません。

オープニングを飾る『アーリー・イン・ザ・モーニング』の、明るく弾む三拍子に絡むコーラスのウキウキ感、ミディアム・テンポの『ナイト・タイム・イズ・ザ・ライト・タイム』でのコーラスとのポップな掛け合い、『フィーリン・サッド』での、張り裂けんばかりの感情をグッと堪えたやさぐれ感満載の歌い方、そしてオリジナル曲で最もオーソドックスなブルースを感じさせる『レイズ・ブルース』ぶっといベースのウォーキングと見事な対を成すカラフルなピアノが織りなすイントロから、パワフルな声が炸裂する『ミスター・チャールズ・ブルース』いやもう最高ですね。

とにかくアルバム全曲を通して感じるのは「何で”オーイェ〜”とワン・フレーズ歌っただけでこんなにジワッと染みるやるせなさがクるんだろう」という新鮮な驚きと同じ質量の深い感動であります。

数々のヒット曲を持つレイでありますが、基本にして究極の”何か”が、このブルース・アルバムには最高の密度で凝縮されているような気がします。とにかく聴けるのは”最高のブルース”であります。









『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 16:41| Comment(0) | ソウル、ファンク、R&B | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする