2018年10月20日

レイ・チャールズ ブルースを歌う

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レイ・チャールズ/ブルースを歌う
(Atlanic/ワーナー・ミュージック)


どのジャンルにも、そのジャンルを代表する偉大なアーティストという人がおります。


で、たとえば”リズム・アンド・ブルース”と聞くとアタシの中にはもうたった一人、そう、レイ・チャールズのあのピアノに向かって座り、黒いサングラスをかけて、顔を斜め上に、まるで天に向かって大声で呼びかけているかのような神々しい姿をぶわーっと思い浮かべてしまうのです。

とは言っても、アタシはレイ・チャールズの全ての作品を熱心に聴き込んだ訳でもなく、当然ですがリアルタイムで彼が飛ぶ鳥を落とす勢いでヒットチャートを爆走していた黄金の50年代や60年代を追っかけていた訳ではございません。


きっかけはやはり、映画『ブルース・ブラザーズ』で、道行く通行人を踊らせるゴキゲンな楽器屋の親父にシビレたからであり、中学の頃に「あのサザン・オールスターズの”いとしのエリー”をカヴァーした大物のミュージシャン」として、レイ・チャールズという人を知ったからでありました。

それからレイは、アタシの中では漠然と「凄い黒人ソウル・シンガー」です。

その頃ようやく洋楽に目覚め、クソガキなりにブルースという音楽に興味を持ち始めた”レイ・チャールズ”という人は、ブルースやR&Bのアーティストというより、もっともっと大きな世界で超有名な大御所ポピュラー・シンガーであり、それゆえに「何だかよくわかんないけどこの人凄い」という漠然から、逆に聴いてみようとCDを手にする行為に手を染めるのをずっとためらっていた人でありました。

ほれ、ビートルズとかローリング・ストーンズとか、余りにも有名過ぎてついつい「まぁそのうち・・・」となってしまうでしょう。

特にハタチを過ぎるまでは、音楽というものに刺激ばかりを求めておりましたので、勝手に”渋い”の枠組みの人として捉えておりましたレイ・チャールズは、そのまま”漠然と凄い人”でした。

ちゃんと聴いたのは、ある日格安のベスト盤レコードを買った時です。

初期1950年代や60年代の曲がたくさん入っていて、それを聴いて初めてレイ・チャールズの声にも、演奏するピアノの音にも、その頃夢中で聴いていたブルースの人達とほとんど変わらない独特の”土の臭い”が溢れている事を知り「レイ・チャールズはブルースだ」と認識することで、初めてこの偉大なシンガーの音楽にのめり込むことができました。

正直なところを書いてしまうと、どうも”レイ・チャールズ”といえば、とにかくみんなから尊敬される大御所ミュージシャンであるとか、盲目というハンディキャップを乗り越えて大成功したとか、流れてくる情報ではそういったことばかりが書かれていて、確かにそれは彼の音楽を形成する大事な部分ではあると思いますが、肝心の音楽についての情報になかなか出会えずに、ちゃんと”好き”になるまでに時間がかかり過ぎてしまったというのはあります。

でもまぁちゃんとレコードを買って聴いて「すげぇ!レイ・チャールズめちゃくちゃカッコイイ!!」と思えてからは、そんなことは些細なこことです。ちゃんと紹介されてなければ、手前で紹介すればいいんだ。



最初に書きましたが、レイ・チャールズは”リズム・アンド・ブルース”を代表する歌手の一人です。

リズム・アンド・ブルースとは何ぞや?と言いますと、まぁブルースです。

ブルースは1900年頃にアメリカ南部で黒人達の手によって生み出されたとされておりますが、そのブルースは生まれてすぐに南部の他のあらゆるスタイルの音楽を吸収し、また影響も与え、徐々に都会に広まってゆくにつれて、その演奏規模を大きなものにしていきます。

広いクラブやホールのステージで演奏するために、楽器編成は多彩になり、音量や厚み、そして華やかさを演出するために、それまで例えばギターなどの弦楽器とせいぜいピアノやハーモニカだけで演奏されていたようなブルースが、ドラムやベースやホーン楽器を揃えたフルバンドで演奏されるようになり、更に聴衆をより楽しませるために、リズムを大幅に強調した、派手でノリノリのアレンジが施され、それが人気を博すようになりました。

特に太平洋戦争が終結して以降、シカゴやニューヨーク、LAやデトロイトといった大都市では、黒人の労働者人口の増加から、そこそこ裕福な人達もちらほら出てきて、更にレコードの普及も拍車をかけ、これらの”イキのいい黒人音楽”が、シングル盤として大量に流通するようになり、独自のヒットチャートを作り出すまでになってきます。

その時代、ブラック・ミュージックといえば「レース・レコード」と呼ばれて区別されておりました。”レース”というのは”人種”という意味で、まだまだ人種差別も激しかった時代であります。

でも、レコード会社にとって、その”レース・レコード”を買ってゆく若者層や、ジュークボックスを置いてそれらの音楽をデカい音でかけるお店からの収益というのはバカに出来なくなりました。ぶっちゃけて言えば大手レコード会社にとっても、それらのレコードは会社の浮沈に関わる大切な売り上げになってきた訳です。

そんな世の流れを受けて、有力音楽誌ビルボードは「レース・ミュージックのチャートを”リズム・アンド・ブルース”と呼ぶことにします」と宣言し、1947年からそれが実際にチャート名として使われるようになりました。

それから50年代は、ブラック・ポピュラー・ミュージックの名称としての”リズム・アンド・ブルース”と、そのルーツ音楽としての名称の”ブルース”が分けて呼ばれるようになり、更に60年代には若者から絶大な支持を得た”ソウル・ミュージック”がポピュラー音楽としての名称を獲得し、リズム・アンド・ブルースはそのルーツ的なものと認識されるようになり、更に更に90年代にはソウルをルーツとする音楽として、新たな”R&B”が生まれ、現在に至ります。

で、レイ・チャールズが故郷南部ジョージア州から北部のシアトルに移り住んだのが1947年、17歳の時。

南部でブルースやゴスペルのディープなフィーリングをたっぷりと骨身に染み込ませたレイ少年が、丁度”リズム・アンド・ブルース”となったばかりの、都会のイカしたブルースに直に触れ、大いに興奮してその世界に飛び込んだであろうことは、想像に難しくありません。

最初はピアノ+ギター+ベースというトリオ編成で、甘く小洒落たブルースを歌うバンドを結成したレイ、40年代後半から50年の間に『How Long Blues』や『See See Rider』といった古典的なブルースをカヴァーしたシングルをリリースしますが、この時期に行っていたライヴ・ツアーでの演奏に目を付けた新興レーベルのアトランティックが

「君の音楽は、もっとレパートリーを増やせば必ず売れる!」

と声をかけてスカウトし、これが大当たり(!)

アトランティックは、レイにベース、ドラム、ホーン、そしてバックコーラスも付けた豪華編成のR&Bバンドを与え、レイの持つ声の良さと天性のグルーヴ感を大々的にバックアップしました。

「曲のバリエーション」というものに、より正面から向き合ったレイは、基本となるブルースに、ゴスペルやラテン、ジャズ(実はジャズ・ピアニストとしても凄腕なのだ)、カントリーなどのありとあらゆる要素を楽曲に混ぜ込むことに成功、ついに1959年にリリースした『ホワッド・アイ・セイ』で、紆余曲折を経てビルボード”リズム・アンド・ブルース”チャートの6位に輝き、R&B不滅の大スター、レイ・チャールズは誕生します。

さて、その後のレイ・チャールズのグレイトな快進撃は、既にあちこちで語られている通りでありますので、今日は彼の音楽の原点にあるブルースにスポットを当てたアルバム『ブルースを歌う』(The Genius Sings The Blues)を皆さんにご紹介します。





ブルースを歌う

【収録曲】
1.アーリー・インザ・モーニング
2.ハード・タイムズ
3.ザ・ミッドナイト・アワー
4.ナイト・タイム・イズ・ザ・ライト・タイム
5.フィーリン・サッド
6.レイズ・ブルース
7.アイム・ムーヴィン・オン
8.アイ・ビリーヴ・トゥ・マイ・ソウル
9.アイ・エイント・ガット・ノーバディ
10.ミスター・チャールズ・ブルース
11.サム・デイ・ベイビー
12.アイ・ワンダー・フー



リリースはレイの人気絶頂の1961年、内容はレイがアトランティック初期(1952年〜55年)にスタジオで吹き込んだ、古いブルースのカヴァーや、オリジナルのブルース曲です。

バックのサウンドはフルバンド、洒落ていて洗練されたウエスト・コースト・マナー、レイが最も大きな影響を受けた西海岸を代表するシンガー、チャールズ・ブラウンを彷彿させる、甘口と辛口が絶妙なブレンドで交錯する、終始深い味わいに溢れた歌唱とサウンドに、ひたすら引き込まれてしまいます。

ガッツリと芯のあるピアノ、奥底から魂を振り絞るヴォーカル、気負いも気取りも一切ない、レイの表現の奥底がスピーカーから迫ってきますが、かといって”渋さ””深さ”だけではなく、さり気ないアレンジの中に仕掛けられたリズムの斬新さや、アレンジのポップさもしっかりと活きていて、聴く側を最初から最後まで退屈させません。

オープニングを飾る『アーリー・イン・ザ・モーニング』の、明るく弾む三拍子に絡むコーラスのウキウキ感、ミディアム・テンポの『ナイト・タイム・イズ・ザ・ライト・タイム』でのコーラスとのポップな掛け合い、『フィーリン・サッド』での、張り裂けんばかりの感情をグッと堪えたやさぐれ感満載の歌い方、そしてオリジナル曲で最もオーソドックスなブルースを感じさせる『レイズ・ブルース』ぶっといベースのウォーキングと見事な対を成すカラフルなピアノが織りなすイントロから、パワフルな声が炸裂する『ミスター・チャールズ・ブルース』いやもう最高ですね。

とにかくアルバム全曲を通して感じるのは「何で”オーイェ〜”とワン・フレーズ歌っただけでこんなにジワッと染みるやるせなさがクるんだろう」という新鮮な驚きと同じ質量の深い感動であります。

数々のヒット曲を持つレイでありますが、基本にして究極の”何か”が、このブルース・アルバムには最高の密度で凝縮されているような気がします。とにかく聴けるのは”最高のブルース”であります。









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2018年08月17日

アレサ・フランクリン Amazing Grace

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Aretha Flanklin/Amazing Grace
(Atlantic)



それはもう感動なんて生易しいものじゃない。

司会者の自己紹介からおもむろに鳴り響くオルガン、それに合わさる割れんばかりの拍手、ピアノ、聖歌隊の「オッ、オッ、メェ〜リィ」の、ゆっくりしたテンポだけど踏みしめるような力強いコーラル、そして・・・!

「メェェリィ〜」

と、軽くささやくようにアレサが歌っただけでふわぁっと浮き上がるその場の空気、最初は聴衆に言い聞かせるように、たっぷりの間隔を持って発せられる言葉のワン・フレーズが、小節を重ねる毎に熱を帯び、気が付くとそれは伸びやかに空に放たれ、コーラス隊の合唱も、客席の手拍子も、まるで歓喜の叫びのように激しく、激しくなってゆく。


7分30秒近くにも及ぶ熱気がのっけから最高潮まで高まる1曲目『Mary, Don't You Weep』が、万雷の拍手や歓声と共に終わった時、思わず一度プレーヤーから針を上げました。

ゴスペルって、ゴスペルって、みんなで踊りながら何かこうハッピーなリズムに乗って一緒に歌うものだとばかり思っていた。いや、本当にすいません、何ですかこれは、まるでこの世の苦しみや絶望も全部一旦飲み込んで、ちょっと想像も出来ないほどのパワーで思いっきり浄化してるような・・・凄い、これがホンモノのゴスペル、これがアレサ・フランクリン・・・。


はい、最初にアレサ・フランクリンという人を知ったのは、親父と一緒に映画『ブルース・ブラザーズ』を観た、確かアタマの悪い中学生の時です。

せっかくカタギのレストランのオヤジになって真面目に働いていたのに、主役の2人の「なぁ、また音楽やらねぇか?」な誘いにすっかりその気になった元凄腕のギタリスト、マット・ギター・マーフィーに「何言ってんのよアンタ、せっかく足を洗ったのに、ちったぁ考えなさい」と、そのまま”Tink!”を熱唱しながら迫る迫力あるおかみさん、いや、フツーにレストランのおばちゃんだと思ってたけど何このおばちゃんめちゃめちゃ歌上手いな!と感激したら、

隣で親父が手拍子打ちながら「そりゃあカッコイイだろう、アレサ・フランクリンだから当たり前じゃー」と、ゴキゲンに酔っぱらってたのを覚えております。

その時は確かに「凄い!」「かっこいい!」とは思いましたが、まぁアメリカの一流の人ともなればそうなんだろうと、まだブルースもソウルもよく分からない気持ちのまま、それで終わっておりました。

アレサと再会したのは、東京に出てハタチも過ぎた時、その頃アタシはジャズにハマり、コルトレーン信者になって、ジャズのみならず、いわゆるブラックな音楽は、全部コルトレーンの繋がりで聴いていたんです。

で、中古レコード屋さんで物色していたら

『アレサ・フランクリン/至上の愛』

と帯に書かれたレコードがある、しかもジャケットがアフリカの民族衣装みたいなものを着ている女性の写真、おぉ、アレサ・フランクリンか!確かソウルの凄い人だよな、そうそう、昔ブルース・ブラザーズに出てたよな、アレ良かったよな。ほうほう『至上の愛』ってことはあのコルトレーンの名盤のカヴァーか何かだろうな、よし、ジャケも良いし買ってやろう。

と、割と軽い気持ちからの冒頭です。

結論から言えば、このアルバムは全曲ゴスペル曲で固められた、ソウル・クイーン、アレサによる純度100%のゴスペル・ライヴのアルバムで、コルトレーンのあのアルバムの曲はもちろん1曲もやっておりませんでした。つまりアタシの”勘違い”で購入したレコードだったんです。

しかし、この”勘違いは”一生モノでした。

ここに収録されているのは、アレサの歌声と伴奏と、それに熱狂で応えるオーディエンスの反応だけ。

ポピュラー音楽のライヴ盤も確かに素晴らしいものがたくさんありますが、商業的な”売れる”とか”ウケる”とかいうのを一切排した、純粋な”信仰”がコアにあるこのコンサートは、アレサと聴衆との真剣勝負に思えます。

ささやくように歌っても、力強くシャウトしても、その声の隅々にまで豊かな情感を染みわたらせたアレサの声の素晴らしさは、単純に「歌が上手い」とか「素晴らしい」とか、そういう言葉を使うのすらどうかと思ってしまうぐらいに、強さと厳しさと切なさと、それら全てを包み込む計測不能な慈愛の気で満たされている、そんな風にすら感じさせてしまう。そして、そう感じてしまったらもう引き込まれます。

アタシは後になって、もっとポピュラーな”ソウルを歌うアレサ”のカッコ良さにも完全に目覚めたし、彼女のカヴァーするポップス曲の素晴らしさについても虜になって聴きまくりました。

彼女は「何を歌わせても見事なソウルにする」と絶賛され続けてきました。

その”ソウルになる”というのはどういうことだろうかという事を考えたら、やはりこのアルバムのゴスペルのような「全てを包み込んで浄化してしまう凄いパワー」で歌というものに生命を吹き込んでいるということなんじゃなかろうかとアタシ思います。

いわゆる奥底のパワーですね、はい、アメリカ大陸に奴隷として連れて来られた黒人達が、想像を絶する辛さや苦しさを乗り越えて”ハッピー”を築いてきたその力が、ゴスペルです。ハッピーなだけじゃなく、怨念みたいなものも確かに背負っていて、怖いぐらいの迫力があったりします、でも、優しく美しい、そんな力をアレサは完全に宿してるんです。そして、その力を自らの”奥底”にしているシンガーなんです。



Amazing Grace

【収録曲】
1.Mary, Don't You Weep
2.Precious Lord, Take My Hand/You've Got A Friend (Medley)
3.Oldlandmark - By Aretha Franklin with James Cleveland & The Southern California Community
4.Give yourself To Juses
5.How I Get Over
6What A Friend We Have In Jesus
7Amazing Grace
8Precious Memories
9Climbing Higher Mountains
10Remarks By Reverend C L. Franklin
11God Will Take Care Of You
12Wholy Holy
13You'll Never Walk Alone
14Never Grow Old


アレサ・フランクリンは、牧師である父親の教育の元で、小さい頃から聖歌隊でシンガーとして活躍しており、また、人一倍強い信仰心を持ってもおりました。

ズバ抜けた歌唱力はたちまち話題になり、19歳の時の1961年に大手レーベルからスカウトが来て、ポピュラーシンガーとしてデビューしますが、最初はレーベルの「上品なポップスシンガーにしよう」というコンセプトにどうも馴染めず、66年には黒人音楽の専門レーベルとして大手を凌駕する勢いだったアトランティック・レコードに移籍。

ここから、ファンにはおなじみの『リスペクト』『小さな願い』『ナチュラル・ウーマン』などの大ヒットを連発し、誰しもが認め賞賛するソウル・クイーンとして、シーンのトップ・シンガーとなります。

商業的な成功と、スターとしての名声と、音楽的な充実を全て手に入れたアレサでしたが、実は彼女はデビュー当時から抱えていた心のモヤモヤがあり、成功してスターダムになるにつれ、それは彼女の中で大きなものとなり、心を苛んでおりました。

それは

『ゴスペルを歌ってた自分が、マイクや大勢の聴衆に向かって、男と女の恋愛の歌なんかを歌ってる。これは信仰を捨てたことになるんじゃないだろうか』

という罪の意識です。

お気楽な無宗教者の日本人であるアタシからしたら「はぁ?んなことで!?」という話ではあるんですが、やはりゴスペルってのはアメリカ黒人の人達にとって、会場で聴衆を失神させる程の熱烈な信仰がないとやってはいけない、というより、そこまでのものを持っていないと出来ない音楽。

そこまでやるということは、世俗とは思いっきり決別して生きていかねばなりません。

や、単純に信仰心というよりも、優れたシンガーとしての資質をずば抜けて備えていたアレサには

「ゴスペルから離れている事によって、私の歌の原動力となっているソウルが消えていってしまっているのではないだろうか」

という、それは危惧となって彼女の心に襲い掛かっていたのかも知れません。

そして、ソウル・シンガーとしての絶頂を極めていた1972年、突如アレサは原点のゴスペルを歌う事を決意します。

LAにあるニュー・ミッショナリー・パプティスト教会に、自分とバンドメンバー、そして”アメリカ・ゴスペルの父”と呼ばれた大物アーティスト、ジェイムス・クリーヴランド率いるサザン・カリフォルニア・クワイア(聖歌隊)、聴衆は観客ではなく、日頃から教会に参拝している信者のみ、という、完全に商業的なコンサートとは一線を画すした、ゴスペル流のリヴァイバルを、アレサは決行しました。

細かい事は申しません、全てが打ち震え、そして全ての振動に、アレサのみならず、ブラック・ミュージックの深淵が宿っている音楽です。これが魂(ソウル)です。




※2018年8月16日、アレサ・フランクリンはこの世を去りました。偉大なシンガーの冥福を祈りますと共に、彼女の音楽がいつまでも多くの人々に聴き継がれてゆくことを心から願います。





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2018年06月24日

ミーターズ ニューオリンズ・ファンクの覇者

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ミーターズ/ニューオリンズ・ファンクの覇者
(Reprise/ワーナー・ミュージック)


はぁい皆さんこんばんは、この時期の軽い体調不良にヤラレておりましたので、今日はアタシにも皆さんにも、何かこう元気になるものを紹介したいと思います。

で、皆さん、元気な音楽といえばこれはもうファンクですよ。

どんなにヘバッている時でも、最悪体を動かないような時でも、頭の中で「ちゃか、ん、ちゃか、ちゃかちゃか、ん、ちゃん♪」とファンクなギターを鳴らして、ゴキゲンな16ビートでリズムを補完すれば、心はウキウキ言葉はオーイェ〜ってなるってもんですよ。

さて皆さん、よく「ファンク」とか「ファンキー」っていう言葉、アタシも無意識でよく使ってて、たまに意味を忘れることがあるので、ここでちょいとおさらいしておきましょう(うへぇ、”ファンキー”っていえばウチの親父がかなりうるさいんで、後でこの記事見られたらどうしよう・・・)。


まず、ブラック・ミュージックの歴史として

・ブルース → R&B(リズム・アンド・ブルース) → ソウル → ファンク

という流れがザックリあります。

ファンクというのは、1960年代中頃から徐々に形を成していき、それをやりはじめてひとつのスタイルまで昇華させたのが、言うまでもなく俺達のジェイムス・ブラウンなんですが、それ以前にももちろん”ファンク”や”ファンキー”という言葉は使われておりまして、それはどこで使われておったのかというと、1950年代のジャズの世界で使われておったんですね。

ジャズの世界で”ファンキー”といえば「ブルースやゴスペル(特にゴスペル)のノリを大々的に取り入れて、早いだけじゃない引きずるような”オーイェーな演奏”をやってるもの」という解釈がありまして、大体これで合ってます。

ほいで”ファンク”って何なのさ?ということなんですが、この言葉はもっと古くから黒人スラングとして使われておりました。

時は戦前のルイジアナ州ニューオーリンズ。

アメリカがアメリカになってからちょい後まで、ここはフランス領だったという特別な歴史がありまして、黒人と白人の間に生まれたハーフ達は”クレオール”と呼ばれ、これまたちょっと特殊な扱いを受けておりました。

その”特殊な扱い”が遠因となって、彼らは管楽器を手にしてジャズという音楽を演奏することになるんですけれども、そんな彼らが使っていたスラングの中に”ファンク”という言葉がありまして、ざっくり訳すれば”匂い”ということになりますが、隠語ですので当然かなりきわどい性的な意味が含まれます。

そういえば音楽の”ファンク”も、それまでのソウルやR&Bと比べて、より肉感的で体臭みたいなものを感じさせる音楽です。


はぁい、お勉強の時間はここまで!

今日はそんなことを考えていたら、おぉ、そういえば”ファンク”発祥の地であるニューオーリンズに、アメリカを代表する素晴らしいバンドがおったじゃないか!という事を急に思い出しましたので、ニューオーリンズ・ファンクの雄、ミーターズでございます。

ミーターズといえば、ソウル好きファンク好きの中でも特別な愛着を持つ人が多いバンドであり、また、ロックバンドやってる人の中でも「これこれ、ミーターズ♪」と、こよなく愛するファンが多いことでも有名です。

人気の秘訣は、独特の粘りに粘るビートと、元々がスタジオ・ミュージシャンだった彼らのズバ抜けた演奏力の高さ。そして、ロックとの深い関わり、つまり70年代からのローリング・ストーンズやリトル・フィート、ポール・マッカートニーら大物達からの絶大な評価と80年代以降のミクスチャーと呼ばれるロックのバンド達、特にレッド・ホット・チリ・ペッパーズに与えた影響の大きさなどでしょう。

実際にアタシの周囲にも「いやぁ、ファンクファンクって言うけど正直JBしか知らんくて、JBがもうズバ抜けてカッコイイから他はあんま変わらんと思ってたのに、ミーターズいいわぁ、これ最高だなぁ」という人、ちょっとおります。

確かに、大都会ニューヨークで、都会の洗練を目一杯演奏に活かしたJBバンドの、キッチリカッチリした完璧な演奏とはまた違う”南部ならではのタフかつワイルド、でもって演奏はキッチリしてる"というミーターズならではの魅力にハマッてしまう人っております(アタシもそうです)。


ミーターズは、リーダーのアート・ネヴィル(キーボード)が、1960年代中頃から組んでいた”アート・ネヴィル&ザ・サウンド”がメンバーチェンジを経て結成されたスタジオ・バンドです。

スタジオ・バンドというのは大体レコード会社の専属で、レーベルがシンガーをレコーディングする時にそのバックで演奏するバンドのこと。当然演奏が上手いのは当たり前として、どんなスタイルでも完璧に演奏出来る技術がないと出来ません。

この頃のミーターズは、ソウル、R&B、そして最新の流行になりつつあったファンクを、どれも完璧にこなすだけでなく、そのアレンジにニューオーリンズ独特のセカンドライン(「タカタカター、ツッタッター」というマーチのような独自のリズム)を見事混ぜ込み、確固たるオリジナリティを持っておりました。

やがて彼らの腕前は、単なるバックバンド以上の評価を得るようになって1969年にはミーターズ名義の録音が始まります。

最初は、4人組のインスト・ユニットとしてレコーディングを行い、アルバムも4枚リリースしております。

ファースト・アルバムを出した時点で、シングルカットされた曲がビルビード・チャート上位に入るなど、全米での評判もなかなかのもので、特に彼らの持つ独特の粘るグルーヴ、インストながらソリッドなファンク感は、ニューヨークなどの都市部にはない感覚として、ワイルドに憧れる都会の若者達のハートもしっかりと掴みました。

サード・アルバム以降はゲスト・ヴォーカルを迎えたり、徐々にサウンドの幅を拡げて”ファンクバンド”としての地位も不動のものにしております。

彼らのファンクバンドとしての極め付けの一枚が、1974年にリリースした5枚目のアルバム『ニューオリンズ・ファンクの覇者(Revolution)』であります。




ニューオリンズ・ファンクの覇者


【収録曲】
1.ピープル・セイ
2.ラヴ・イズ・フォー・ミー
3.ジャスト・キスト・マイ・ベイビー
4.ホワッチャ・セイ
5.ジャングル・マン
6.ヘイ・ポッキー・アウェイ
7.イット・エイント・ノー・ユース
8.ラヴィング・ユー・イズ・オン・マイ・マインド
9.アフリカ


アルバムを重ねる毎に、土臭いグルーヴ感はそのままに、楽曲やアレンジがどんどんポップになり、ノリと深みと聴き易さが高いレベルで融合して、たとえば音楽をリズムとか楽器の音色とか、細かい所まで聴くような人も、そんな難しいことは全然知らない、とにかくノリがいいのが聴きたい人も、みんなまとめて納得させ、そして踊らせる素晴らしいファンクの魔法が、このアルバムには詰まっております。

メイン・ヴォーカルを取るようになったアート・ネヴィルの声もすごく聴かせるいい声だし、初めて大々的に加えられたホーン・セクションも素晴らしい。グルーヴィーなファンク・ナンバーがやっぱりメインではありますが、しっとり聴かせるバラードもちゃんと入ってるし、アルバムトータルで聴かせる構成(プロデューサーはアラン・トゥーサン!)も、どれも完璧であります。


それもこれも全部含めてやっぱりアタシが聴いてしまうのは、結成当時からオリジナルなグルーヴを繰り出して来たレオ・ノセンテリのギターと、ジョージ・ポーターJr.のベース、ジョー“ジガブー”モデリストのドラムが生み出す強烈な”うねり”と”粘り”です。

「凄いベースとドラム」といえば、手数多くてバリバリのようなものを連想するかもですが、ミーターズのリズムセクションは違います。

ギター、ベース、ドラムスの音は極力少なく、でも、その少ない3つの音が生み出す絶妙な”間”、3つの音がそれぞれの空間を埋めずにしっかり繋ぎ合っている事で生まれるグルーヴが、このバンド独特の粘りを生んでいるんです。

いや、こういうのってほんと上手いと思います。それぞれの楽器のテクニックがあるだけではグルーヴってのは生まれませんし、お互いの音をしっかりと聴いて、相手のタイミングのクセまで知り尽くしてないと、これは絶対に真似できない。そういう境地にまで達している名人芸を軽〜くやっておるところがもうたまんないんです。

しかもミーターズは、録音でベースとドラムの音量が若干高めに設定されていたり、こういう”音作りのちょっとしたこと”が生み出す効果みたいなものを、本当に活かした心地良いサウンドなんですね。

レッチリのフリーが、オススメの音楽を挙げる時には「君、バンドやってるんならミーターズは聴いといた方がいいよ」と言っているということを何かで読んだことありまして、実はアタシもミーターズ気になったのはそのフリーの発言からなんですけど、バンドやってる人はミーターズの、この”引き算で生み出すリズム”というのは必須でしょう。

バンドやってない人は、そんな小難しいことは「そういえば奄美のCD屋がなんか言っとったなぁ」ぐらいに聴いても全然OKです。そうでなくてもミーターズは最高にカッコイイファンクとして十分に楽しめます。









『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2018年06月16日

風に吹かれて〜ブラック・アメリカンが歌うボブ・ディラン

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風に吹かれて〜ブラック・アメリカンが歌うボブ・ディラン How Many Roads: Black America Sings Bob Dylan

(Ace/MSIレコード)



音楽を聴くという作業は、どこか家を建てる作業と似ております。


まず最初に衝撃を受けた”原点の音楽”があるとすれば、それは家の最も大切な部分を支える柱となり、そこを軸に色んな音楽を聴いて、知って、集めて行く上でまた新しいのを知って、聴いて・・・と、徐々に屋根とか内装とか、窓とかそういったものが出来て行くのです。

アタシにとっての音楽の”柱”は、パンクロックとアメリカン・フォーク・ソングであります。

スピード感があって刺激的なパンクロックと、アコースティック・ギターの伴奏で歌われる素朴なフォークソング、その聴いた印象は全くと言っていいほど違う音楽ではありましたが、何か深い所で通じるものがある。カッコイイ言い方をすれば音楽的な手法は違うかもわからんが、奥底に持っているスピリッツという意味ではこれらの音楽は一緒だと、アタマの悪い中学生ながら、アタシは感じておった訳です。

そもそものきっかけは、パンクロックのどっぷりハマッていた頃に、たまたまテレビで観たカントリー・フェスティバルの演奏でした。

バンジョーとかマンドリンとか、当時見たこともない楽器の物珍しさとか、バンドが全員生楽器でドラムもいないのに、何でこんなに迫力があってウキウキした音を出せるんだろうとか(その時ステージで演奏していたのはブルーグラス界のレジェンド、ビル・モンローでした)、とにかく言葉にならない衝撃を受けて、その夜帰って来た親父に

「あの、アメリカ人がギターとかヴァイオリンとか使ってやる・・・えぇと、あのアメリカの田舎とかでよく流れていそうな音楽ってアレ何だ!?」

と興奮して訊いたら

「そりゃお前カントリーだ、何観たんだ?え?白髪のもみあげの長いじーさんが、ちっちゃいギターみたいなのを持って、見た目とは全然違う高くて若い声で歌ってたって?んで、何か凄い大物みたいな扱いを受けてた?そりゃお前ビル・モンローだろう」


と、教えてもらい、そうだカントリーを聴こう!と思い立ち、じゃあビル・モンロー以外でどのカントリーを聴けばいいのかと更に訪ねたんですね。

そしたら親父、ちょいと考えて

「そりゃお前ボブ・ディランだな」

と。

その時親父が考えておったのは多分

「え〜、カントリーかよ〜、勘弁してくれよ国内盤少ないんだよ〜」

というのと

「ボブ・ディランを知る事でカントリーももっと深く知る事が出来るしブルースも聴くようになるぞしめしめ」

という事だったと思いますが、結果として親父のこの策は大当たりでした。

(詳しくは過去にコラムで書いたコチラを読んでくださればと思います↓)




最初は、何だか鼻つまんだような声で歌う変わったオッサンぐらいに思ってたボブ・ディランでしたが、その時リアルタイムでリリースされた弾き語りアルバム『グッド・アズ・アイ・ビーン・トゥ・ユー』や、雑誌で読んだ記事の「ボブ・ディランはフォークシンガーのウディ・ガスリーに影響を受けた。彼のギターには”This Guitar Kills Fascists”と書いてあった」とかいう文章を読んで、この人の表現姿勢や音楽からの影響の受け方にパンクを感て衝撃を受けたと同時に、ボブ・ディランの楽曲経由でブルースやカントリー、ゴスペルなど、広大なアメリカン・ルーツ・ミュージックの世界にアタシは漕ぎ出す事ができました。

ボブ・ディランの曲って不思議なんですよね。

10代20代の頃、昔(60年代〜70年代)のアルバムを聴いて、その時「ほぉ〜いいねぇ」と思ったら、誰か他の人のカヴァーを聴いて「は!?すげぇいい曲!!」となって、感心してオリジナルを聴くと相乗効果で更に「凄いいい曲だったんだ・・・」と感じる。最初に極め付けだったのがジミ・ヘンドリックスがカヴァーした『見張り塔からずっと』で、それからガンズ・アンド・ローゼスの『天国の扉』バーズの『ミスター・タンブリン・マン』と王道を辿って、それがまたどれもカッコ良かったもんだから、ますますボブ・ディランにハマり、今度は「ボブ・ディランってソウルとかR&Bの人達によくカヴァーされているよね』という話。

サム・クックが『風に吹かれて』を聴いて「この曲は僕達黒人の気持ちを歌ってる、よし、ではこの曲のアンサーソングを作ろう!」と、彼を代表する名曲『ザ・チェンジ・ゴナ・カム』を作り上げたという話と、同じく『風に吹かれて』をカヴァーして大ヒットさせたスティーヴィー・ワンダーが、10代の頃からボブ・ディランの大ファンで、楽曲をカヴァーしまくっていたという事実を知り、アタシの興味はボブ・ディランという一人のアーティストよりも、何故彼の歌うフォークソングが、同時代のコミュニティの違う黒人ミュージシャン達を虜にしたのか?という壮大なテーマに向かっておりました。







風に吹かれて~ブラック・アメリカが歌うボブ・ディラン



【収録曲(アーティスト)】

1.風に吹かれて(O.V. ライト)
2.北国の少女 (ハワード・テイト)
3.あわれな移民 (マリオン・ウィリアムズ)
4.マギーズ・ファーム (ソロモン・バーク)
5.くよくよするなよ (ブルック・ベントン)
6.ビュイック6型の想い出 (ゲイリー US ボンズ)
7.ザ・マン・イン・ミー (ザ・パースエーションズ)
8.ライク・ア・ローリング・ストーン (メジャー・ハリス)
9.神が味方 (ザ・ネヴィル・ブラザーズ)
10.ミスター・タンブリン・マン (コン・ファンク・シャン)
11.戦争の親玉 (ザ・ステイプル・シンガーズ)
12.アイル・ビー・ユア・ベイビー・トゥナイト(ビル・ブランドン)
13.我が道を行く (パティ・ラベル)
14.天国への扉 (ブッカー T ジョーンズ)
15.見張塔からずっと (ボビー・ウォーマック)
16.女の如く (ニーナ・シモン)
17.アイ・シャル・ビー・リリースト (フレディ・スコット)
18.レイ・レディ・レイ (アイズレー・ブラザーズ)
19.今宵はきみと (エスター・フィリップス)
20.エモーショナリィ・ユアーズ (オージェイズ)


言うまでもなくボブ・ディランの音楽には、アメリカン・ミュージックの根っこにある深い部分、つまりカントリーやブルースはもちろん、それより前の時代のヒルビリー(カントリーのご先祖)から、黒人も白人も歌っていたトラッド・ソングやスピリチュアル(ゴスペルのルーツ)などのルーツが最大の滋養となっております。

ディランがこれらの音楽、そして当時それらの楽曲を歌っていた人々への深いリスペクトを作品に反映させていただけではなく”その頃”の感覚、つまり大恐慌時代の貧しい環境に置かれた労働者達や、奴隷時代に報われない強いられていた人々の感情などを、リアルタイムで様々な形で湧き上がっていた社会問題と重ね合わせて「何故?どうして?」というメッセージを常に激しく発していた事は、60年代アメリカの黒人公民権運動そのものに強い刺激を与え、意識を共有する多くのソウルやR&B、ジャズなどのミュージシャン達のインスピレーションの源にもなりました。

だからディランの曲は、ソウルやR&Bのカヴァーが多く存在するんですね。そして、どんな人がどんなアレンジで歌っても演奏しても、あたかもそれが遠い昔から存在するブルースのソウル・アレンジとかに思えてしまうほど、ブラック・ミュージックとしての確かな骨格を持っているんです。

アタシの中では、少年時代にイコールで繋がった『ボブ・ディランとブラック・ミュージック』ですが、それにどういった深い意味があり、カヴァーしている人達がどんな感情を重ね合わせてその曲を採り上げているのかはまだまだおぼろげでありますので、優れたソウル・シンガー達が残した極上のボブ・ディラン・カヴァー曲を、少しでも多く聴きまくって、心の栄養にしたいと思います。

『ブラック・アメリカンが歌うボブ・ディラン』と名付けられたこのアルバムは、編集盤やリイシューを作らせたら本当に素晴らしいものを作る英ACEレーベルの愛がひしひしと感じさせる、極上のボブ・ディラン・カヴァー・アルバムです。

それぞれの曲とアーティストについては思い入れがありすぎて、解説すると文字数がとんでもないことになりそうなので、これはぜひ皆さんで「この曲いい!」という曲をぜひ見付けて堪能してください。そして「ボブ・ディランを歌うこと」で、ソウル/R&Bの人達がどのようなメッセージを世の中に放っていたか(いずれも深く、そして優しくてファンキーな名カヴァーです)を感じてください。





『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2018年01月13日

ダニー・ハサウェイ ライヴ

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ダニー・ハサウェイ/ライヴ
(Atco/ワーナー・ミュージック)

デジタルダウンロードが最盛の時代にあって、ここのところアナログレコードやカセットテープなどの売り上げが伸びていると聞いております。

ほんでもって、僅かではありますが「やっぱり音楽はCDで聴きたいな」と、ダウンロードからCDに戻っている人もいるよという嬉しい話も耳にします。

当たり前の話ではあるんですが、やっぱり音楽ソフトっていいよねって思うのは、中身だけではなくて、歌詞カードやブックレットからジャケットに至るまでが、そのアーティストの心が入ったひとつの”作品”なんですよね。

で、不思議なことにそういう付加価値のいっぱいあるものってのは、手にした人にもたくさんのエピソードをお届けしてくれます。

「あのCD聴いてた時に失恋してさ、毎日泣きながら聴いてた」

とか

「友達の家に行ったら誰々のCDがあって、聴かせてもらったらエラいカッコ良かった」

とか

あぁすいません、アタシは発想が貧困な人間なので、こういったベタなたとえしかパッと出てきませんが、とにかくCDやレコードとか、そういった”モノ”としての音楽ソフトは、手にした人にとって、その人だけの特別な思い出が出来るんだよ、だからとってもいいもんだよ。

ということを、アタシはこれからも大々的に説いていきたいと思っております。

や、とにかく手軽に音楽聴きたいって時にはダウンロードも全然アリだし、youtubeで知らないアーティストを検索で引っかけて出会うとか、そういうことも素晴らしい。音楽に使うお金だって限られている訳だし、色んな素敵なものがタダで聴ける環境があるってのは否定しても何も始まらんですが、それを十分に肯定した上で

「気に入ったやつは記念としてCDとかレコードで聴いてみる」

っていうことを、どうかやってみてください。アナタの気に入った音楽の方からアナタに何らかの形で応えてくれるでしょう。

はい、音楽って本当に良いもんなんですよ。何より心を豊かにハッピーにしてくれる。


特にCDやレコードなど「作品」として作られた音楽にとっては、アルバム1枚という作りはひとつのドラマであります。

聴いているうちに、この曲がどうとかいった感覚ではなく「何か1枚通して聴いてしまうよね、グッとくるわ〜」という上質な感動に包まれる。

どのジャンルにも、そういったものの”究極”というのがあって、そういうのがいわゆる名盤というやつになります。

ベタな展開ですまんですが、今日は名盤を紹介しましょう。

その昔、アタシが大人になるかならないかぐらいの時、音楽好き、ロック好きの先輩の家に遊びに行けば、大体の確立でその人の家にあるアルバムというのがありました。

ダニー・ハサウェイの『ライヴ』です。

たとえば、CD棚にメタルやらローリング・ストーンズやら並んでいる中に、もしくはRCサクセションとかボ・ガンボスとか並んでる中に、唐突に『ダニー・ハサウェイ/ライヴ』と書かれた背表紙を発見するんですね。

そして、その率というのが、どういう訳か異常に高い訳です。

訊けば大体

「おぉ、コレはソウルだね。これいいぞー」

と、単純明快な答えが返ってきます。

というのも、この人達は「それ以上は知らん」訳なんですが、でも「これはいいものだから」と手に入れて棚に置き、大事に聴いてる訳です。

その頃はアタシもソウルとかはそんなに知らんかったので「ほぉ〜」ぐらいな感じでした。「どんな感じっすか?」と尋ねて耳にしても「なるほどオシャレでカッコイイわ」ぐらいの感想でとどまっておりました。ブルースは好きだったんですが、その反動でブラック・ミュージックには容赦ない濃さ/ドス黒さみたいなのを求めてたから、70年代の洗練されたソウル・ミュージックっていうのは、あぁ、まだオレには早いかなとしか、その頃は突っ張ってたので思えなかったんですね。

でも、そのほんの数年後に、このアルバムの凄さというか奥底からくる凄い”泣き”の部分に触れて

「うぉ!ダニー・ハサウェイって凄いですね!!あの”ライヴ”ってアルバム超名盤じゃないですか!!」

と興奮し、その都度

「いやだからお前、アレはいいぞって俺言っただろ」

とツッコミを喰らいました。





【収録曲】
1.愛のゆくえ(What's Going On)
2.ザ・ゲットー
3.ヘイ・ガール
4.きみの友だち
5.リトル・ゲットー・ボーイ
6.ウィアー・スティル・フレンズ
7.ジェラス・ガイ
8.エヴリシング・イズ・エヴリシング

何がどういうきっかけで、急に響いたのかは分かりません。ハタチ頃のアタシの精神状態といえば、よくある若者に特有の不安定なそれで、バカみたいなことばかり考えていて心はキュウキュウだった。そんなバカみたいな心に、この人の声、メロウでとことん優しい演奏、最高に暖かなライヴ会場の雰囲気みたいなものが一気に押し寄せたんでしょう。

何とはなしにいいなと思って聴いていたマーヴィン・ゲイの『ホワッツ・ゴーイング・オン』と、元々好きだったキャロル・キングの『きみの友だち』という2曲の絶品カヴァーが、とにかくぶわっときて、涙腺を刺激しました。

いや、人間本当に感動的なものに触れると、何も言葉が出なくなってボロボロと涙だけ出るってのは本当ですね。そんな体験がアタシの”はじめてのダニー・ハサウェイ体験”でした。いや、厳密には”はじめて”ではなかったんですが、そんなこたぁ関係ありません。感動で胸がいっぱいになったんです。

ダニー・ハサウェイがマーヴィン・ゲイ、カーティス・メイフィールドと並んで70年代ニュー・ソウルを代表するシンガーということや、元々アレンジャー/作曲家として60年代シカゴのソウル・シーンでは高い評価を受けていた人だったということ、彼のオリジナル曲はとても優しいけど、歌詞には非常に社会性の強いメッセージが込められているということ、ソロ・アーティストとして順調な活躍をしていたけれど、精神の病に悩まされ、若くして不幸な事故でこの世を去ってしまったことなどは、後で知りましたし、いずれもこのアルバムを聴いた”感動の裏付け”でありました。

もちろんロックやブルース、フリージャズだらけのアタシのCD棚に「珍しくソウルのアルバム」としてこのアルバムはありましたし、その後これを中心に70年代ソウルのCDもどんどん増えていったのでした。今でもこのアルバムは、色んな音楽の「これ、優しいな」という部分を見出すための、良い基準となっております。つまり良いんです。えぇ、言葉なんて今も上手に出てきません。







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