2016年09月19日

オーティス・レディング ドッグ・オブ・ザ・ベイ


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オーティス・レディング/ドッグ・オブ・ザ・ベイ
(Atlantic/ワーナー・ミュージック)

アタシはカタギの仕事をしながら、こうやってブログを書いたり、近所の常連さんからCDの注文を貰ってそれを配達したり、遠方の常連さんから受けた注文を発送したり、また、このブログを通してアマゾンでお買い物をしてくれた人がいればアマゾンから紹介手数料というものが振り込まれます(アフィリエイトというやつですね)。

そんなこんなで、お店を持たずにCD屋をやっておるんですが、これは結構大変ですが、大変でも「これは止めたらいかん!」と思いながら、地味にやっております。

「止めたらいかん!」の理由は色々ありますが、やっぱり音楽を通じて、CDやレコードを通じて人様と接していると、何というか大袈裟かも知れないですけれど「あぁ、人の心って美しいなぁ」と激しく感動することがいっぱいあるからなんですよ。

これはついこの間の話です。

先輩の某お店に行ったら、CDの注文をもらいました。

その中にあったのがオーティス・レディングの「ドッグ・オブ・ベイ」。

「おぉ、オーティスいいですね〜♪」

と、話題に花が咲きました。

ここからの先輩の話がいい。

「”ドッグ・オブ・ベイ”はね〜、俺が東京に居た頃の思い出の曲なんだよ。一緒にツルんでた先輩が、ジュークボックスあるところ行くと必ずオーティスの”ドッグ・オブ・ベイ”かけてたんだよな〜。何かそういうの、急に懐かしくなってねぇ。。。」

これですよ、もうホントこれですよね。

作った人や唄う人、演奏する人が魂を込めた音楽って、人の耳に届いて心に残るんです。

そして、心の中に残ったものは、その人の心の中で、かけがえのない”人生の物語”と溶け合って、いつまでも美しく存在する。

そして人様の会話の中で

「人生のこんな場面にあんな音楽があった」

というのを聞くと、こっちまで何というか幸せな気持ちになります。

こんな拙いブログではありますが、アタシは紹介する音盤が、読んでくれている人の「思い出に残るもの」になったら嬉しい。そんな気持ちで祈るように毎回書いております。

さて、オーティス・レディング「ドッグ・オブ・ザ・ベイ」です。



【収録曲】
1.ドック・オブ・ザ・ベイ
2.最愛のおまえ
3.レット・ミー・カム・オン・ホーム
4.オープン・ザ・ドア
5.ドント・メス・ウィズ・キューピッド
6.グローリー・オブ・ラヴ
7.アイム・カミング・ホーム
8.トランプ
9.ハックル・バック
10.誰も知らない
11.オール・マン・トラブル


1960年代のソウル・ミュージックを代表するシンガーの一人として、人気の絶頂にあったオーティス・レディング。

彼はしかしその絶頂のただ中の1967年、飛行機事故によって、僅か26年の生涯を儚く終えてしまいました。

本作はそのオーティスの死を受けて、アルバム未収録だった過去の楽曲などを急遽集めてリリースされた追悼アルバムです。

オーティスといえば「ガッタガッタ!」という独特の掛け声と共に、ハイ・テンションで聴き手を圧倒するパワフルなヴォーカルが真骨頂でありましたが、60年代の半ばからは、グッと感情を抑制して、盛り上がりの時に一気にそれを炸裂させる、より深い歌唱に転換しようと試みておりました。

アルバムでいえばこの作品の前に録音された4枚目「ザ・ソウル・アルバム」のオープニングを飾る名バラード「Just One More Day」で、熟成した”新しい感じ”の歌声を披露したオーティスですが、もしかしたらこの時に「次回はミディアム〜スローのバラードを中心とした作品を作ろう」と思っていたのかも知れません。

飛行機事故の3日前にレコーディングされた「ドッグ・オブ・ザ・ベイ」は、正にそんなオーティスの新境地。深く、一語一語の歌詞を噛み締めて唄うそのバラード表現は、聴いているこちらも思わず引き込まれてしまいますが、オーティス本人もいたく気に入り

「これは最高の楽曲だ、そうだね、今度のアルバムには絶対にコイツを入れてもらいたいよ」

と、言い残し、スタジオを後にして、そのまま帰らぬ人となりました。

この曲はオーティスの死後、シングルとしてリリースされて大ヒットした訳なのですが、アルバム全体を聴いてみても、前半の巧みな”バラードたたみ掛け”で、もう胸の内からアツいものがこみ上げてきます。

オーティスをあれこれ聴いて、アルバムも全て味わい尽くした人にとっては、確かに既存曲寄せ集めの編集は、不満があるかも知れませんが、それでもオーティスが魂込めて放った唄の素晴らしさが劣るものでは決してありません。

音楽って、本当に素晴らしいもんですよ♪

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2016年09月18日

エディ・マーフィーのものまね



エディ・マーフィーの「俺達のジェイムス・ブラウンのものまね」これ最高ですわ。


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2016年06月20日

O.V.ライト 8Men,4Women

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O.V.Wright/8Men,4Women
(Mca Special Products)

ブラック・ミュージックが好き、歌モノが好き。

という方で、今正に広大なるソウル・ミュージックの大海原に漕ぎ出そうとしている人には、まずは何を置いてでも聴いて頂きたいシンガーというのがおります。

いや、正直最初に聴くのは何だっていいんです。

今でも絶大な人気を誇るアーティストといえば、アレサ・フランクリン、マーヴィン・ゲイ、スティーヴィー・ワンダー、サム・クック、オーティス・レディングなどなどなど・・・。

これらの人たちの音盤ならば、ハッキリ言ってどれを最初に買っていてもいい。

時期によって、或いは作品やレーベルによって、それを聴くアナタの好みはありましょうが、この人たちはまずハズレがございません。

問題は”その次”であります。

今の時代ならyoutubeとかで好きなアーティストを検索して、関連動画で試聴して好みを探って行くなんて聴き方もできるとは思いますが、直感を頼りにしたいアナタ、もしくは

「あぁあ、”いかにもソウル”って感じの、とにかくパワフルで魂を揺さぶられるような歌が聴きたいわぁ〜」

と思ってるアナタにぜひとも聴いて欲しい天性のソウル・シンガーがこの人、O.V.ライトです。


と、その前に、一口に「ソウル」と言っても、大きく分けて”ノーザン・ソウル”と”サザン・ソウル”というものがありまして、これは”ノーザン”の方がシカゴやデトロイト、キャッチーでポップなモータウン・サウンドなんかがその代表ですね。

大して”サザン”というのはアメリカ南部、メンフィスを中心とする、よりブルースやゴスペルからの強い影響を色濃く残した泥臭くブラックなフィーリングが持ち味。

レーベルでいえばスタックスやゴールドワックス、初期のアトランティックなんかがよく知られております。

で、O.V.ライトは、このサザン・ソウルを代表するシンガーなんです。

この人の声がもう凄い。

1939年にアメリカ南部テネシー州に生まれ、幼い頃からブルースやゴスペル、R&Bを聴いて育ち、10代になるや地元で有名なゴスペル・グループにシンガーとして参加します。

当時のゴスペルといえば、今みたいに穏やかでハッピーなやつじゃなく(それも一部ではあると思いますが)、教会に集まる聴衆をハイにさせてトランスさせることこそが目的の、シャウトにつぐシャウトの、それはそれは凄まじい音楽だったんですね。

特に南部のゴスペル・グループというのは、それこそ強烈なシャウター(マイクなんざなくても全然コンサートできちゃうオッソロシイ人ら)が星の数ほど在籍し、しのぎを削っておりましたが、まだ若いO.V.は、そんな中で「凄いヤツがいる」とあっという間に人気者になり、1964年にはソウル・シンガーとして「That's How Strong My Love Is"」という曲でデビューするんですが、何とこの曲、あのオーティス・レディングがソッコーでカヴァーして、両人共に看板曲にしてしまいます。つまり”サザン・ソウルを代表する名曲”の2つの名唱が、ほぼ同時に生まれたんですね。

O.V.の歌は、とにかく腹の底から振り絞るような、理屈抜きで直接胸の内に”バコン!”とくる力強いものであります。

高音のスクリーム、空間が揺らぐほどの野太くどこまでも通るシャウト、かと思えばバラードでの感情表現を巧みにコントロールしてのストーリー性豊かな表現などなど、とにかくこの人のヴォーカルは”うた”として完璧なんですが、それだけじゃなく、タフで泥臭く、塩辛い。なのにどうしてこんなに繊細な切なさが胸にくるんだろう?というほどの、豊かな”余韻”をも備えております。

誰かが「どんな曲のどんなフレーズでも、O.V.ライトがワン・フレーズ歌うだけで魂が宿ってソウル・ミュージックになるんだよなぁ・・・」と、遠い目をしてしみじみと言ってましたが、正にその通り。アタシもO.V.を聴くときは、感動で散々に揺さぶられながら、気が付くと遠い目をしてその豊かなフィーリングの海に浸っております。




【収録曲】
1.Eight Men, Four Women
2.Ace of Spades
3.You're Gonna Make Me Cry
4.When You Took Your Love from Me
5.Nickel and a Nail
6.If It's Only Tonight
7.Monkey Dog
8.Gone for Good
9.Heartaches, Heartaches
10.What More Can I Do (To Prove My Love for You)

O.V.の”魂をゆさぶる歌”は、そのまま命を削るものでもありました。

派手な大ヒットには恵まれなかったものの、超一級のソウル・シンガーとして、ファンやミュージシャン達のリスペクトを一身に受けながら、70年代も数々の名唱を残したO.V.でしたが、いつしか心臓に持病を抱え、1980年に41歳という若さで天国へ旅立ってしまうのですが、その声は今もなお、多くの人を魅了しております。

特に日本では「泥臭いサザン・ソウルなんか売れないだろう」というレコード会社の思惑をよそにホンモノのソウルを求める若者達にバカウケし、しかも70年代末のディスコ・ブーム黎明期の頃、DJ達のプレイを期に、過去の音源も問い合わせが相次ぎ、日本国内でのレコード・プレス数にアメリカ本国のメーカーも「O.V.ライトの日本での人気はどうなってるんだ?何かあったのか?」と不思議がったほどだと言われております。

おっと、オススメのアルバムは、今一番お手頃な値段で入手しやすい「8Men,4Women」というベスト盤です。

シャウトなナンバーと、しっとりバラードのバランス最高な選曲はもちろん、アタシゃこの小細工ナシのどっからどう見てもソウルのアルバムにしか見えないジャケットが好き。タバコ持つ手の角度も必要以上にキラキラしてるグラサンも素敵♪




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2016年05月18日

リー・ドーシー Ya! Ya!

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Lee Dorsey/Ya! Ya!
(FURY)

さて、ここ数日ずっと50年代から60年代初期のR&Bばかりを聴いております。

色々と聴いて思うのは、リズム・アンド・ブルースは本能的に都市型の音楽であり、もちろんその根底には濃厚なブルース・フィーリングが流れては滲み出ているものの、究極的に”何か”が違います。

その”何か”を、この20年ほどアタシはずーーーーっと考えているのですが、はっきりとした答えは出ません。

ただ、リズム・アンド・ブルースは南部のラフで荒々しい酒場よりも、何となくシカゴやデトロイトといった都会のクラブハウスが良く似合う。何というか、タフさの中にも独特のクールネスを感じさせるR&Bの体感温度は、ブルースのそれよりも明らかにヒヤッとくるぐらいにクールなんです。

でも、同じR&Bというカテゴリの中にあって、唯一の例外とも言えるのが、独自の進化と発展を遂げたニューオーリンズのR&Bです。

ニューオーリンズといえば、アメリカ南部ルイジアナ州にある小都市でありますが、ここは何といってもジャズが産声を上げた土地であり、南はカリブ海や中南米大陸に向かって開かれた港町であり、古くはフレンチ・クレオール、ケイジャン、カリプソやアフリカ直送のドラム・ミュージックなど、およそ海を経由して入ってくるあらゆる人種のあらゆる音楽が自由に混血し、戦後もその流れをずーーーっと受け継いで、独自のリズム、底抜けに陽気なノリを持つブルース/リズム・アンド・ブルース文化を強烈に持っておったんですが、アメリカで唯一ブルースとR&Bが一本の太い線で繋がった音楽が生き残れた土地、いやいや、ニューオーリンズのブルースは、リズム・アンド・ブルースの誕生より遥か昔からリズム・アンド・ブルースであったよ、と言っても良いでしょう。

1940年代には既に独自のシンコペーションを持つ”セカンド・ライン奏法”でバリバリにピアノをロールさせていたプロフェッサー・ロングヘアという巨人がおりましたし、50年代もヒューイ・スミスを筆頭に、大都会で覇を競っているミュージシャン達を押しのけて、ヒットチャートにガンガン食い込んで行く人気者はざらにおりました。

こう書くと「シカゴやデトロイトとかニューヨークとかの大都会に対抗出来ていたニューオーリンズってやべー」となろうかと思うのですが、とんでもない、実は50年代においてはニューオーリンズこそが最先端のオシャレ発祥の地であり、北部の都会にいるR&Bのミュージシャン達は、明るく開けたニューオーリンズの音楽から影響を受け、ソイツを北部流儀のより洗練させたものに生まれ変わらせようと躍起になっておったんです。

ニューオーリンズR&Bにドップリ感化されたアーティストといえばボ・ディドリーがまず筆頭でしょう。

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ド派手なチェックのジャケットにあのトレモロを多様した熱帯気分のギター、マラカスやコンガなどのラテン・パーカッションを取り入れた無国籍なバンド・サウンドは明らかに「ニューオーリンズってこうなんだろうな」と、ボなりに考えて再現した結果として生まれたスタイルです。

また”ボ・ディドリー”という芸名も、”ディドリー・ボゥ”という南部に伝わる一弦の弦楽器からさり気なく取っていたり、なかなかに彼の芸風の演出にはニクいものがあります。

おっと、話が大分それてしまいそうなので、今日の本題に移りましょう。

そんなこんなで”ニューオーリンズ産”といえば、底抜けに明るく陽気でリズムが独特の中毒性の高いもので、オマケに曲そのものが、誰にとっても覚えやすい、シンプルで味のあるフレーズを組み上げたものであるよ、という特徴があります。

ポップスの中で、とりわけキャッチーで覚えやすい曲のことを”ノベルティ・ソング”と言いますが、ニューオーリンズR&Bは、そんなノベルティ・ソングの宝庫だった訳です。

で、今日の主役のリー・ドーシーさんなんですが、彼はニューオーリンズの”ノベルティ部門”を代表するシンガーであり・・・、いや、彼の存在があったからこそ「ニューオーリンズのシンガーって何かいい味があるよね」と、老若男女多くの人に思わしめた、アメリカポップス史上に君臨する歌手であると言って良いでしょう。




【収録曲】
1.Ya! Ya!
2.Give Me You
3.DO・RE・MI
4.People Gonna Talk
5.Chin Chin
6.Mess Around
7.Eenie Meenie Mini Mo
8.One And One
9.Yum Yum
10.Ixie Dixie
11.Behind The Eight-Ball


そんなに凄いシンガーならば、物凄いカリスマと、聴く者を有無を言わさずキョーレツに引き込む磁場のよーなものを持ってるのかといえばそうではなくむしろ逆で、やわらかいちょいとすっとぼけた声の「実にいいオッサンの歌」なんですよね。

経歴も少々変わっていて、本人はプロボクサーとして結構いい線を行ってたのですが、まぁ飽きたのかチャンピォンの壁を感じたのか、自動車修理工として働いておりました。

彼は鼻歌が好きで、自動車いじくりながら「フンフン♪」と唄っておったのですが、この歌声に「アンタすげぇよ!ぜひ歌手になってよ!!」と惚れこんだのが、若干23歳にしてすでに知る人ぞ知るニューオーリンズ音楽シーンの敏腕プロデューサーになっていた、アラン・トゥーサンでした。

この時リー・ドーシー37歳。

「あぁ?歌手?いいんじゃね?」

と、紹介されたレーベルに行って「これ唄ってよ」と言われた曲をほんほん♪と唄ったらコレが何と、R&Bチャートで1位、ポップスチャートでも7位となって、あれよあれよと修理工のおっちゃんだったドーシーはたちまち人気者になります。

でも、ここからがこのオッサン(失礼)のカッコイイところで、人気者になってからも相変わらず自動車修理工をしたり、「何か、召集令状来たから」と、兵役に行ったりしております(もういい中年なのに召集がくるというのは、恐らく彼が機械の修理とかに長けた技術下士官だったからだろうと思われます)。

でもって兵役から帰って来てからはアラン・トゥーサン・プロデュース、ミーターズがバックという黄金の布陣でレコーディングを次々行って「ニューオーリンズ・ソウルの巨匠」とか呼ばれるようになるんですが、本人の歌声には、相変わらず気負いもけれん味も全くナシ、ほんわか人情に溢れた声で、相変わらずコミカルでノリのいいミドル・ファンクな曲とか、しんみり唄わせても何故かクセになる愛嬌があったりで、残したアルバムはほとんどが「名作」と言って良いでしょう。

何というか、全ての技を極めた武道の達人が、若い修業者を相手に「ふぉっふぉっふぉ」とか言いながら、ひょいと必殺技をキメているような「達人の貫禄」がリー・ドーシーの声にはあるんですよ。何というか「何かよぉわからんが、このオッサンの声だけはつい聴いてしまうわい」といった不思議な、しかし根源的な魅力が・・・。

この「ヤー!ヤー!」は、1961年から63年にレコーディングされた、彼の最初期の音源を集めた実質的なファースト・アルバムです。タイトル曲は映画「アメリカン・グラフィティ」でも大々的にフィーチャーされて、聴けば「おぉ!」と思う人は多いんじゃないかと思います。ちなみにジャケット名盤としても有名なアルバムです。

最後にどうでもいい話を、ボクサーとして活躍していた頃のリングネームは”キッド・チョコレート”と言います。

うん、全然強そうじゃない名前だけどそこがいいのだよそこが!



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2016年05月16日

リトル・ウィリー・ジョン Early King Sessions

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Little Willie John/Early King Sessions
(Ace)

「ソウル・ブラザー・ナンバーワン」といえば俺達のジェイムス・ブラウンでありますが、彼がその称号を得る前、黒人社会ではダントツの人気を誇った、R&Bのトップスターであり、早過ぎたオリジナル・ソウルのパイオニアがおります。

彼の名はリトル・ウィリー・ジョン。

1955年、若干18歳の時に「All Around the World」で、いきなりR&Bチャート、ポップ・チャートの上位に彗星の如く出現し、その後30枚近くのシングル曲のほとんどをトップ・チャートに送り込んだ天才シンガー。



やや鼻にかかりながらも、一度聴いたら忘れられない声、そのえもいえぬ力強さと深い味わいの魅力には、今もなお、人種や男女を問わず聴く人を夢中にさせる”何か”があります。若さとか才能とか、そういった陳腐な言葉ではとても片付けられない何かもっと特別なものが・・・。

さて、50年代はブルースのみならず、アメリカの音楽全体がこれまでになく大きくうねり”戦後”という時代を一気に拓いた時でもありました。

盛り場や遊技場、ストアの店頭、ガソリンスタンドなど、人が集まるところにはどこにでもジューク・ボックスというものが置かれるようになり、この中に入ってる7インチのドーナツ盤が、若者の心に火を点けました。

中でもこのジューク・ボックスで若者の人気を集めたのが、都市部のゴージャスで洗練され、特にノリの良さを強調したブルースでありました。

先述のように、ジュークボックスというのは、人種に関係なく、人が集まる所にはどこにでも置かれたシロモノだったので、白人のティーンエイジャー達も、このちょっと危険で刺激に富んだノリノリの音楽にコインを投げ入れるようになります。

当時これらのブルースを収めたドーナツ盤は”レース・レコード”と呼ばれておりました。

「レース」というのは人種という意味で、あれよあれよという間に一気に需要が膨らんだため、製作側があくまで商品区分のために「黒人種のレコード」と呼んでいたのが市場でもそのまま使われ、まぁ、まだ人種差別も色濃く残っていた時代なので「そんないかがわしいレコードを若者に聴かせるもんじゃない」と、多くの苦情があったのでしょう。

ミュージシャンやレコード会社は「それじゃあコイツはどうだ」と”リズム・アンド・ブルース”という名を、この新しいスタイルのブルースに名付けたのであります。

やがて10年もしないうちにこの言葉は「ソウル・ミュージック」へと変わってゆくわけなんですが、リズム・アンド・ブルース(以下R&B)は、本当に短い流行の中で、正に百花繚乱、個性様々なスターやアイドルを生み出しました。

リトル・ウィリー・ジョンはR&Bの最初の国民的アイドルであり、R&Bが生んだ最初の国民的ヒーローでした。

天性のリズム感、さっきも言った声の魅力(特に歌詞の最後のフレーズにビブラートをかける時のググッとくる感じ、香り立つ色香はこの人ならではのものであります)、そして端正なルックスと激しいステージ・パフォーマンスとのギャップがまた、あらゆる若者をとりこにしました。

50年代といえば、丁度今NHKで「トットチャンネル」という黒柳徹子さんのドラマをやっておりますが、あんな風にテレビの黎明期であり、ブラウン管を通じてもリトル・ウィリー・ジョンはもう音楽のスタイルとかも超えた人気を爆発させていたといいますから、今でいえばジャニーズと福山雅治とディーン・フジオカが束になって一人の人間になった。ぐらいなもんでしょう。

今、アタシの手元には「アーリー・キング・イヤーズ」というアルバムがあります。



【収録曲】
1.All Around the World
2.Don't Leave Me Dear
3.Home at Last
4.Need Your Love So Bad
5.I'm Sticking With You Baby
6.Are You Ever Coming Back
7.Fever
8.Letter from My Darling
9.My Nerves
10.Do Something for Me
11.I've Been Around
12.Suffering With the Blues
13.Little Bit of Loving
14.Will the Sun Shine Tomorrow
15.You Got to Get Up Early in the Morning
16.Love, Life and Money
17.Look What You've Done to Me
18.I've Got to Go Cry
19.Young Girl
20.If I Thought You Needed Me
21.Uh Uh Baby
22.Dinner Date
23.Person to Person
24.Until You Do


丁度ジャズを一通り聴いて、ビリー・ホリディ以外のジャズ・ヴォーカルも聴けるようになった時、ペギー・リーという白人女性シンガーを「カッコイイなぁ・・・」とちょいとハマッて聴いておりました。

「フィーヴァー」という曲があるんですね。

いかにも”夜”って感じの、どこかアンニュイでちょいとばかり不良の香りがする、夜中に部屋で聴くには最高の、実に渋い曲なんですが、ある日先輩が

「あぁ、Feverね。アレはペギー・リーの大ヒットで、ほとんどの人がペギー・リーがオリジナルって思ってるんだろうけど、オリジナルはリトル・ウィリー・ジョンなんだよ。すげぇカッコイイよ」

と、教えてくれたのをきっかけに、ついでに調べていたら彼の短く悲しすぎる人生に感情移入しちゃって、そこでこのアルバムを入手して聴きまくった・・・というのが、アタシとリトル・ウィリー・ジョンとの出会いでありました。

録音は1955年から57年、文字通り彼の初期のヒットが全て入ってるベスト・アルバムです。

バックにはミッキー・ベイカーをはじめとして、当時最強のスタジオ・ミュージシャン達がガッツリ固め、ノリのいいブルース、ジャジーな曲、バラードなど、全方位でシンガーとして考えられる最良の歌唱がたっくさん入っております。

デビューから10年、文字通り彼はR&Bの”トップ”であり、出す曲出す曲ことごとくヒットしておりました。

が、残念ながら彼は天から与えられたその才能を客観的に見て次のキャリアに繋げられるしたたかさを持ち合わせておりませんでした。

伝記によるとウィリーは、その端正で愛嬌に満ちたルックスとは裏腹に性格は極めて短気で傲慢であり、加えて繊細過ぎたのか、歌で手にしたカネのほとんどを酒と女と薬物に注ぎ込み、その場にいる人とは些細な事で言い合いになったり暴力沙汰の喧嘩もしょっちゅうだったとあります。

50年代といえばミュージシャンはとにかく一発いくらのヒットを出せばいい、印税やプライバシーなどの権利など、紙切れほどにも思われていなかった時代。

もちろん彼自身の性格から、自ら引き受けなくてもいいトラブルを呼び込んでもいたでしょう。才能と人気に慢心して天狗にもなっていたのかも知れません。素の自分を押し殺して、テレビでひたすら求められるままにアイドルを演じ続けるということも、その時代誰も経験したことのなかった予想外のストレスであったかも知れません。

ところが人気とは裏腹にどんどん不安定になってゆく生活から逃れるかのように、彼は荒んだ日々に明け暮れるようになります。

そうしているうちに、本気で彼の才能に惚れていた音楽仲間、親身になってアドバイスしたり時に𠮟ってくれる友人などが、次々と彼の周りからいなくなりました。

そうなると取り巻きとして、彼の稼いだギャラや名声だけを目当てに近づいてくる有象無象やドラッグの売人などしか残らなくなります。

「R&Bの国民的スター」であったリトル・ウィリー・ジョンの人気に陰りが見え、絵に描いたような転落人生に陥るのに、そんなに時間はかかりませんでした。

1964年、自分の婚約パーティーの席上で、彼は些細なことがきっかけでその場に来ていた招待客の一人を殺してしまいます。

歌手としてのテレビ出演がめっきりすくなくなった彼が再びテレビのブラウン管に映し出された時に付いていた肩書きは「第二級殺人犯」という不名誉なものでした。

刑務所に服役して2年目の1968年、リトル・ウィリー・ジョンは心臓麻痺で30歳という短い生涯を終えます。

死因は公式な発表ですが、アイドルとしてキャーキャー言われていた人間が刑務所にブチ込まれたら、それは当然陰惨な目に遭ってそういう結末になってしまったのであろうことは容易に想像できます。

R&Bのトップスターは、残念ながら彼が牽引したシーンの成熟の中に君臨することはなく、サム・クックやオーティス・レディングといった、彼からの影響から歌の世界で大きく羽ばたいた後輩達と競うこともなく、その短く自暴自棄な人生を駆け抜けていってしまいました。

罪を犯してしまったことで音楽の歴史から半ば抹消のような扱いを受け、フィルムが破棄されたことで動画すら観ることができないリトル・ウィリー・ジョンですが、残された音源からは、暗く壮絶な人生など微塵も感じさせない、本当に「唄うためだけに生まれてきた天性のシンガー」の、心にいつまでも響いて止まない”うた”が明るい生命力と共にとめどなく流れてきます。






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