2020年01月05日

バンジャマン・アラール/J.S.バッハ:鍵盤のための作品全集Vol.1

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バンジャマン・アラール/J.S.バッハ:鍵盤のための作品全集Vol.1
(harmonia mundi/キング・インターナショナル)


皆様あけましておめでとうございます。

いや〜、今年の年末は、よりによってクリスマス・イブの日に39度の高熱が出て、まー熱自体は1日で下がり、よしよしと思っていたのですが、その後もずっと咳が出て、30日にちょっとまた熱っぽくなったり、ええ、幸いインフルエンザではなかったのですが、咳が出なくなって4日、声が全然出なくて笑っております。

で、正月なんですが、元旦は実家で過ごし、2日から4日までちょいと旅行に行ってまして、えぇ、実に有意義な正月休みを過ごさせてもらいました。喉さえこんなじゃなければ多分もっと楽しめたのにー、と恨み言を申すのはナシにしましょう。全ては必然で巡りあわせです。

巡り合わせといえば、アタシには音楽以外の不思議な縁で繋がった遠方のお友達がおりまして、ご一緒しておりましたネット上の趣味のサークルから離れて以来、何年も連絡がなくなって(ネットというものはそういうもんでございますね)たんですが、昨年実に久々に連絡が来て、いやいやお元気でしたかー、いやいやほんと久しぶりですなぁ、とかそういう会話を交わして旧交を温めつつ、色んな分野の趣味の話になったのです。

そのついでに音楽の話になって、教えて頂いたアーティストが、今とっても注目されている若手パイプオルガン&チェンバロ奏者、バンジャマン・アラールです。

まず、クラシックの若手の注目演奏家といえば、大体ピアノとかヴァイオリンですよ。そこへきて『パイプオルガンとチェンバロ』っていうのがいいじゃありませんか。

しかも、このアラールさんは「ピアノも弾くよ」って人じゃなくて、プロとして活動を始める随分前から古楽、とくにJ.S.バッハに傾倒し、バッハの時代にバッハが演奏していた楽器であるパイプオルガンとチェンバロを「これだ!」と思って演奏することにしたというから、これはもうこのエピソードだけで、クラシックさほど詳しくないアタシのようなチンピラでも「よさそう!」と思ってしまうというものであります。

「これは素晴らしそうですねー」

と、お友達に言いましたらば

「素晴らしいですよ」

と、公開されている動画のいくつかを教えて頂き、その中で観たパイプオルガンの演奏

(!!)

これがもう凄かったのです。

パイプオルガンという楽器はそのほとんどが教会に付属する楽器であり、自ずと聖堂全体に音がよく響き渡る、荘厳さと清浄な雰囲気を醸す楽器ではありますが、アラールさんの演奏は、そういうのを軽やかに飛び越えて、優しい優しい音色が、まるで天国そのものから降ってきたものであるかのような、そういった安らぎを与えてくれるものでした。

その時もう私は

「あ、この人のCDは買う。絶対買う。つうか俺、この人のバッハ聴かないと成仏(?)できんわ」

と、そこまで思ったんです。

そう、これこそが巡り合わせであるよと。

詳しく情報を根掘り葉掘り調べたら、アラールさんは最初はピアノを習っていたけれども、幼少の頃に祖母に連れられて行った教会で聴いたパイプオルガンの音に衝撃を受け「あぁ、もうこの楽器を演奏出来るようになろう」と思ったとか。チェンバロに関しても同様で、その音楽に対するどこまでも純粋で静かに熱い想いは、よくある「習い事としてやって、エリートコースに乗っかって、国際的なコンベンションで派手は賞を取って、高名な演奏家に師事して」という、よくあるプロトタイプな”若手クラシック演奏家”のイメージからは良い意味で全然遠く、それはまるでロックが好きな少年が、エレキギターをアンプに突っ込んで「ジャーン」とやった時の感動そのままにバンドをやってデビューしたかのような、そういうピュアな衝動と同じ類のものを感じたアタシは、もうますます好きになってしまい、これは絶対にCD買って聴きまくって成仏(おい)しようと固く決意したのでありました。



ヨハン・セバスティアン・バッハ : 鍵盤のための作品全集Vol.1~若き継承者 (1699-1705) (J.S.Bach: Complete works for keyboard vol.1) [CD] [Import] [日本語帯・解説・歌詞対訳付]


ヨハン・セバスティアン・バッハ (1685-1750) : 鍵盤のための作品全集Vol.1 ~若き継承者 (1699-1705)

≪収録内容≫

Disc-1(オルドルフ時代)
≪ヨハン・ミヒャエル・バッハ≫
1.コラール「いざ来ませ、異邦人の救い主よ」
≪J.S.バッハ≫
2.ファンタジア ハ長調 BWV570
3.コラール「高き天よりわれは来たれり」ハ長調 BWV 700
≪ジローラモ・フレスコバルディ≫
4. ベルガマスク F12.46
≪ヨハン・クリストフ・バッハ≫
5. プレリュードとフーガ 変ホ長調
≪ヨハン・クーナウ≫
6.ソナタ第4番「ヒスキア王の病とその回復」
≪J.S.バッハ≫
7.コラール「古き年は過ぎ去りぬ」BWV 1091
8.コラール「わがことを神にゆだね」BWV 1113
≪ゲオルク・ベーム≫
9.コラール「天にましますわれらの父よ」
≪J.S.バッハ≫
10.コラール「キリストこそわが生命」BWV 1112
11.アルビノーニの主題に基づくフーガ ハ長調 BWV 946
12.フーガ イ長調 BWV 949
13.コラール「源泉を求めて」BWV 1119
14.コラール「キリストよ、受難せる汝に栄光あれ」BWV 1097
15.コラール「神の子は来たりたまえり」BWV 724
16.コラール「おおイエスよ、いかに汝の姿は」BWV 1094
≪ヨハン・ヤーコプ・フローベルガー≫
17.カンツォーナ
≪ヨハン・パッヘルベル≫
18.コラール「バビロンの流れのほとりに」
≪ルイ・マルシャン≫
19.組曲 ニ短調よりプレリュード、サラバンド、シャコンヌ
≪J.S. バッハ≫
20.プレリュードとフーガ イ短調 BWV 551
≪ニコラ・ド・グリニー≫
21.グラン・ジューのポワン・ドルグ

Disc-2【リューネブルク時代】
≪J.S.バッハ≫
1.プレリュードとフーガ ニ短調 BWV 549a
2.コラール「ああ神よ、天よりみそなわし"」BWV 741
3.コラール「イエス、わが喜び」 BWV 1105
4.コラール「主なる神よ、いざ天の扉を開きたまえ」BWV 1092
5.コラール「目覚めよ、わが心よ」BWV 1118
6.コラール「神よ、汝の慈しみによりてわれを遇い給え」に基づくフーガ BWV 957
7.コラール「われ、心より汝を愛す、おお主よ」BWV 1115
8.カプリッチョ ホ長調(「ヨハン・クリストフ・バッハを讃えて」)BWV 993
9.ソナタ イ短調 BWV 967
10.フーガ イ短調 BWV 947
11.前奏曲とフーガ イ長調 BWV 896(平均律クラヴィーア曲集第2巻より)
12.コラール「主イエス・キリスト、汝こよなき宝」 BWV 1114
13.コラール「人はみな死すべきさだめ」BWV 1117
14.パルティータ「ああ、罪人なるわれ、何をすべきか」 BWV 770
15.コラール「神なしたもう御業こそいと善けれ」 BWV 1116
16.コラール「深き淵より、われ汝に呼ばわる」BWV 1099
17.コラール「いまぞ身を葬らん」BWV 1111
18.前奏曲とフーガ ハ長調 BWV 531


Disc-3【アルンシュタット時代】
≪J.S.バッハ≫
1.ファンタジー ハ短調 BWV 1121
2.カプリッリョ 変ロ長調(『最愛の兄の旅立ちに寄せて』)BWV 992
3.第3旋法によるプレリュードとパルティータ ヘ長調 BWV 833
4.組曲 イ長調 BWV 832
5.アリアと変奏 イ短調 BWV 989
6.プレリュードとフーガ ト短調 BWV 535a
7.ソナタ ニ長調 BWV 963
8.フーガ イ長調 BWV 950
9.ファンタジー ト長調 BWV 571
10.プレリュードとフーガ ホ短調 BWV 533
11.プレリュード(ファンタジア)と模倣曲 ロ短調 BWV 563
12.アルビノーニの主題に基づくフーガ ロ短調 BWV 951a

【演奏】
バンジャマン・アラール(パイプオルガン、チェンバロ)
ジェルリンド・ゼーマン(ソプラノ)






で、そんなアタシの与太をお友達に正直にお伝えして

「何かCD出てないっすかね!?」

とぶしつけにも訊いてみたところ

「うむ、バッハの全ての鍵盤楽曲とオルガン曲を10年がかりで演奏するという壮大なプロジェクトを今やっていて、正に今そのCD第一弾が出ておるところじゃ」

と、教えて頂きました。

そう、これが正に先月の出来事。

鼻息も荒く買いました『J.S.バッハ:鍵盤のための作品全集Vol.1』。

何と、アラールさんは「バッハのスコアを細部まで徹底的に研究し尽くして、バッハが当時演奏していたニュアンスまで忠実に再現する」ということを生涯の目標にしている人でありまして、この壮大な(おそらく10年ぐらいかかるはず)プロジェクトは、そういう意味ではバンジャマン・アラールという個人の演奏プロジェクトという意義を超えて、バッハという偉大な作曲家であり演奏家の、限りなく原典に近い演奏が初めてこの世に残されるという、これは多分50年後とか100年後の音楽の未来に大きな影響と希望を与える意義がこれから出てくるんじゃないかなぁと思います。

さて、バッハという人は、今でこそ「楽聖」とか「音楽史上最大の偉人」と評価されておりますが、1600年代から700年代までのリアルタイムではドイツの地方の宮廷音楽家、宗教音楽家、オルガン演奏家、これ以上の評価はされておらず、世界のあちこちで活躍した息子達の方が実は知名度がありました。

でも、残された楽譜をハイドンやベートーヴェンといった音楽家達が「何という凄い音楽だ!」と、その緻密で計算された完璧な美しさを称え
、ようやく音楽に見合った評価をされるようになったのです。

本作はそんなバッハの10代前半から20代までに作られた楽曲と、大叔父であるヨハン・ミヒャエル・バッハやルイ・マルシャン、パッヘルベルなど、多感な頃のバッハに深く影響を与えた音楽家達の楽曲も収録されております。

何故、バッハの作品集にこれら他の作曲家の作品が収録されておるのかというと、実はバッハという人は、優れた即興演奏家であり、特に先輩作曲家達のテキストを物凄く読み込んで、そこに全く独自の解釈を加え、優れた即興演奏をこなせる人でもあったんです。

「えぇぇ!?クラシックに即興演奏?」

と驚かれる方もいらっしゃると思いますが、実はバッハの時代はこれが当たり前で、主に雇い主である王侯貴族や聖職者達の求めに応じて優れた即興演奏が出来る演奏家は高く評価されておりました。なのでここに収録されているバッハ以外の作曲家達の演奏も、全てバッハの解釈で仕上げられたものであり、貴重な「J.S.バッハ作品」と言っても差し支えはないでしょう。

軽やかで、譜面の奥底にある繊細な感情を、丁寧に丁寧に、まるで400年前の世界と対話しながら、その当時の空気感まで抽出し、現代に蘇らせているかのようなアラールさんのオルガンもチェンバロも天上の響きを有しております。そして曲によって参加しているソプラノ歌手ジェルリンド・ゼーマンの清浄な声も本当に美しい。至福の内で止まった時間のぬくもりを十二分に堪能できるCD3枚組です。













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2019年07月06日

ブラームス 間奏曲集4つのバラードより&2つのラプソディ(グールド)

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ブラームス 間奏曲集4つのバラードより&2つのラプソディ(グールド)
(SMJ)


この時期になりますと毎年言ってるような気がしますが、調子が悪いです。

あの〜、気温と湿度が上がりますと、頭がのぼせてボーッとなるでしょう。それが元々の自律神経の乱れみたいなのと合体して、体調はおろか気分まで落ち込んでくるからいけません。


さて、ここから健康番組みたいな展開になりますが、体が重い、気分も何だか盛り上がらない。そんな時はどんな音楽を聴いたらいいでしょう?

ある程度元気があれば、ガンガンに元気の出るような、ポジティブな音楽を聴くのもいいかも知れません。

でも、本当に調子悪くて、端的にいえば誰とも会いたくないような時は、どうなんでしょうね。心が出所不明の悲しみに覆われて、ふさぎこんでしまう、そんな時はアタシの経験上ですが、とことん静かに悲しみに沈ませてくれる音楽が良いです。

「沈み込む」ってのは悪いことじゃあないんです。とことん沈んで、沈んで沈んでいくうちに、自然と癒えることもありますし、沈み込んだその先で、悲しい部分に繋がった美しい何かを見付ける事もあります。

アタシは一体何を言ってるのでしょう。まぁ「あーコイツ暑いからいよいよ頭おかしくなった」と思われても結構です。話をつづけましょう。

音楽の素晴らしい所は、自分自身の悲しい気持ちだったり、イライラだったり、そういうどちらかといえば日常生活にとっては厄介なものになるようなネガティブ、つまり負の感情と結びついて、それらと共鳴して発散させたり浄化させてくれるものがあるという事です。

心身共にキツイとき、アタシは沈み込むためにピアノを聴きます。

ジャズにせよクラシックにせよ、ピアノという楽器はちょっと繊細な人を演奏家として惹き付ける楽器であるようで、色んな意味でシンパシーを感じる人や演奏がたくさんあります。

で、グールドです。

グレン・グールドといえば、クラシックの世界のみならず、あらゆる音楽好き、ピアノ好きにとって、これはもう象徴的な存在でありましょう。

自己の演奏を徹底的に研ぎ澄ます事にその繊細過ぎる神経の全てを注ぎ込み、それゆえに世間から見て「奇行」と思われるような行動も多く、かくいうアタシも彼の演奏よりも、そのエピソード(寒さを極端に恐れ、真夏でもマフラーとブ厚い手袋をしていたとか、コンサート活動からの引退を宣言して、以後はスタジオに引き籠っての創作活動のみをしていたなどなど)に興味をくすぐられて、それこそ興味本位で知った人ではあったのですが、試しに聴いてみた彼のバッハがんもぅ素晴らしく心に染みて、以来「落ち込んだ時の友」だと勝手に思っているんです。

グールドのバッハというのは、一言でいえば「感情」が鍵盤に活き活きと乗っている。聴いているといつの間にか、その美しく研ぎ澄まされた音に仕込まれた喜怒哀楽の揺さぶりに、こちらも気持ち良く巻き込まれてゆく快感があります。

で、バッハ以外のグールドがどうなんだと思って、バッハ以外を物色していたアタシの琴線に物凄い勢いで突き刺さったのがブラームス。

あのですね、グールドの弾くバッハというのは、さっきも言ったように、喜怒哀楽の全てで、芸術表現として完璧なものだと思うんですよ。これがブラームスになると、喜怒哀楽というよりも徹底して”悲哀”に特化した、いわば人類の悲しみのためにあるような音楽のように思います。

ブラームスという人はですね、いわゆるロマン派という、モーツァルトがそのきっかけとなって、ベートーヴェンが大成させた、人間の感情表現に特化したクラシック音楽の流れにおる人なんですが、ドラマチックで非常に繊細な起伏を持つ曲を作る一方で、バッハを敬愛し、古典的な技法の中にあるエモーショナルな部分というのも丁寧に抽出して、独自の美意識がたゆたう音楽を生み出した人でもあるんです。

その音楽に対する姿勢というのが、これがストイック。過大に評価されることを好まず、自分が作った曲も最初に起こした譜面は全て「これは完全ではない」と廃棄する程の完璧主義者だったようです。

また、楽曲が認められ、知名度もあって金銭的にも恵まれる状況になっても質素なアパートに住み、余分なお金はほとんど親戚や若い音楽家への援助に充てていたほどに、音楽一筋の人でありました。

ここら辺が、同じように「音楽が全て、というよりも他の無駄なものは一切必要ない」という姿勢を生涯貫き通していたグールドから見ても、大いにシンパシーを感じるものであったのではないでしょうか。




ブラームス:間奏曲集、4つのバラードより&2つのラプソディ(日本独自企画盤)


【収録曲】
1.間奏曲集 間奏曲変ホ長調 作品117-1
2.間奏曲集 間奏曲変ロ短調 作品117-2
3.間奏曲集 間奏曲嬰ハ短調 作品117-3
4.間奏曲集 間奏曲変ホ短調 作品118-6
5.間奏曲集 間奏曲ホ長調 作品116-4
6.間奏曲集 間奏曲イ短調 作品76-7
7.間奏曲集 間奏曲イ長調 作品76-6
8.間奏曲集 間奏曲ロ短調 作品119-1
9.間奏曲集 間奏曲イ短調 作品118-1
10.間奏曲集 間奏曲イ長調 作品118-2
11.4つのバラード 作品10より 第1曲 ニ短調
12.4つのバラード 作品10より 第4曲 ロ長調
13.2つのラプソディ 作品79 第1曲 ロ短調
14.2つのラプソディ 作品79 第2曲 ト短調


これ聴いてください。1曲目の『間奏曲変ホ長調 作品117-1』からもう凄いんですよ。

美しく澄み切った音、はもちろんですが、音が現れる前の空気すら、すんと澄み渡った”祈り”の空気にすら感じられます。たまに「最初の1音が出て来る前から”あ、これは凄いかも”と思わせる作品」というのがありますが、このアルバムは正にそれ。

この『作品117-1』は『子守唄』というタイトルが付いております。本当に無駄のない美しいメロディが、しんしんと心に降り積もってゆくような自然な音の連なり、ほんの少しでもリズムが崩れたら全てが儚く消えてしまいそうな繊細な構造。ブラームスの曲って「うわぁ・・・」と溜息が出るような美しさを持つ曲が本当に多いのですが、これはもうその究極。何ですかこれは、華美な装飾が全くなくて、無駄のない悲哀とそれに裏付けられた優しさだけが、これほどまでに人の心を激しく揺さぶるとは!


はぁぁ、冷静になってアルバムを紹介しますね。

このアルバムは前半の間奏曲が1960年、後半のバラードとラプソディが1982年の録音です。

つまり若い頃と、晩年の亡くなる直前の演奏を合わせたものですが、凄いのは若い頃と晩年の演奏の間に変化やブレが一切なく、ひたすら自分の感情を脇に置いて、ブラームスと真摯に対話をして、彼が表したかった感情のみを指先に集めて紡ぎ出している、その趣が最初から最後まで徹底しております。だから余計な装飾が一切なく、純粋な悲しみと哀しみだけしかここにはありません。

グールドは本当に凄いなぁ「感情表現」ってのは演奏家の持っているそれだけじゃなくて、作曲家の・・・というよりは音楽そのものが持っている微妙な揺らぎを感情として汲み取って、それを表現出来てるんですよねぇ。人間の感情というのはどんなものでも強くて粗いのですが、音楽そのものの精妙な揺らぎって、繊細でそこはかとない。でもこういうのは、心の一番奥にある部分に優しく届きますね。


















『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2019年01月26日

灰の音楽~シューマン&ホリガー 室内楽作品集

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灰の音楽~シューマン&ホリガー 室内楽作品集
(ECM)

冬の寒い時期に聴きたくなる音楽というのがありますね。

そして「眺めていたい雰囲気のジャケット」というのもあります。

アタシにとってそれはECMというレーベルの音楽で、そのジャケットだったりします。

ジャズやクラシックの人にはよく

「ECM独特の・・・」

と評される、透明感とキンと冷えた空気感に満ち溢れた音、そして風景や人物や静物をひたすらモノクロームで散りばめる、何というか独特の鎮静効果がありそうなジャケット。

このレーベルが制作する音楽作品と、ジャケットさえ眺めていたら、騒々しい世間の事は一旦脇に置ける。そう、そんな感じのある種の救済のように、アタシにとってECMというレーベルは存在しております。

このECMというレーベルは、元々ジャズのレコードをリリースするレーベルとして、1969年、当時の西ドイツで設立されました。

ジャズといえばアメリカの音楽で、レコードから出て来るサウンドも、どこか翳りのある都会の夜の空気を、ズ太く増強された中低音でもって響かせているのが当たり前だった時代、オーナーでありプロデューサーのマンフレート・アイヒヤーはその”逆”に挑戦しました。

演奏家のタッチの細かいニュアンスや、楽器の響きそのものを如何に雑味なく再現できるかということを徹底して追究し、録音から音響まで、とにかく細部にまでこだわった精妙な音作りで作品を仕上げており、こうやって出来上がった作品が、図らずもそれまでの「夜、ダーティー、ワイルド」といったジャズのイメージの真逆に位置するものを生み出し、その芸術性の高さはヨーロッパはもちろんアメリカや日本でも高く評価され、名盤として評価の高い作品を今も世に送り出しております。

カタログをザッと見ただけでも、キース・ジャレットやチック・コリア、パット・メセニー、スティーヴ・キューン、ポール・ブレイなどなどなど、音色の美しい人が代表作をリリースしております。

ほいでもってこのレーベルのコンセプトが

『沈黙の次に美しい音楽』

はぁぁ・・・もう最高ですね。


・・・


はい、気を取り直して続けます。

ECMはヨーロッパの新興ジャズ・レーベルとして成功を収め、80年代にはクラシックの作品もリリースするようになります。


リトアニア出身の現代音楽家アルヴォ・ペルトの作品を皮切りに、世にあまり知られていない気鋭の作曲家の作品のリリースに努め、次第に古典や有名演奏家などの作品も、ECMはリリースするようになりました。






のアルヴォ・ペルトのところにもちょこっと書いていますが、ECMはクラシックこそヤバい!!

アタシなんかはとにかくクラシックは未だによくわかんなくて、ただ単純に「バッハ中毒」というのと「カッコイイかそうでないか」という2つのセンサーだけを動かして、ミーハーに聴いているに過ぎないんですが、もうね、ECMのクラシック・シリーズはアタシのそんなチャチいセンサーにさえもガンガン引っかかってくれるんですよ。

クラシックっていう音楽は「え〜と、バロックから始まってモーツァルトからベートーヴェンとかの流れがあって〜、ロマン派がこうで〜」と、一通りの知識が頭の中にあれば、鑑賞がとても楽しい音楽なんですが(それはクラシックに限らずロックもジャズもブルースもそうなんですが)、それより何より「はぁぁあ、今日はとっても切ない音楽に胸を撃ち抜かれたいぃ!!」とか「もう別世界にワープしてそこに住みたいぃぃ!!」という願望だけで聴ける音楽でもあるんです。

作曲家のことや理論的な事はひとまず置いて、そういった衝動に突き動かされてしまった時にそのまんまECMのクラシックに飛び込んでしまえば精神が豊かに満たされる。そんな経験はこの20年ぐらいで17回ぐらいありました。なのでECMのクラシックシリーズは、今もジャケ買いとかしております。オススメです。飛び込んでごらんなさい。




灰の音楽~シューマン&ホリガー:室内楽作品集

【収録曲】
1.カノン形式による6つの小品 作品56 (オーボエ・ダモーレ、チェロとピアノのための) 第1曲:速すぎずに
2.カノン形式による6つの小品 作品56 (オーボエ・ダモーレ、チェロとピアノのための) 第2曲:心からの表現で
3.カノン形式による6つの小品 作品56 (オーボエ・ダモーレ、チェロとピアノのための) 第3曲:アンダンティーノ
4.カノン形式による6つの小品 作品56 (オーボエ・ダモーレ、チェロとピアノのための) 第4曲:心から
5.カノン形式による6つの小品 作品56 (オーボエ・ダモーレ、チェロとピアノのための) 第5曲:速すぎずに
6.カノン形式による6つの小品 作品56 (オーボエ・ダモーレ、チェロとピアノのための) 第6曲:アダージョ
7.3つのロマンス 作品94 (オーボエとピアノのための) 第1曲:速くなく
8.3つのロマンス 作品94 (オーボエとピアノのための) 第2曲:素朴に、心から
9.3つのロマンス 作品94 (オーボエとピアノのための) 第3曲:速くなく
10.ロマンサンドル (チェロとピアノのための) Kondukt I(C.S.-R.S.)
11.ロマンサンドル (チェロとピアノのための) IAurora(Nachts)
12.ロマンサンドル (チェロとピアノのための) IIR(asche)S Flugelschlagen
13.ロマンサンドル (チェロとピアノのための) III“Der Wurgengel der Gegenwart”
14.ロマンサンドル (チェロとピアノのための) IV“heiter bewegt”(“Es wehet ein Schatten darin”)
15.ロマンサンドル (チェロとピアノのための) Kondukt II(“Der bleiche Engel der Zukunft”)
16.間奏曲-FAEソナタ イ短調 WoO2から (オーボエ・ダモーレとピアノによる)
17.ヴァイオリン・ソナタ 第1番 イ短調 作品105 (チェロとピアノによる) 第1楽章:情熱的な表現で
18.ヴァイオリン・ソナタ 第1番 イ短調 作品105 (チェロとピアノによる) 第2楽章:アレグレット
19.ヴァイオリン・ソナタ 第1番 イ短調 作品105 (チェロとピアノによる) 第3楽章:生き生きと


【演奏】
ハインツ・ホリガー(オーボエ)
アニタ・ルージンガー(チェロ)
アントン・ケルニャック(ピアノ)



はい、そんな訳で今日はECMクラシック・シリーズの中から、ホリガーのシューマン作品集であります。

ホリガーといえばクラシック界ではオーボエの名手、いやもう現代の演奏家の中では頂点に立つ人として評価の高い名人中の名人であり、演奏家以外でも指揮者としても著名で、また現代音楽の作曲家としても、あらゆる方面で大活躍する音楽家です。

で、シューマンといえばクラシックちょっとでも好きな人はもうご存知ですよね、バッハとベートーヴェンを崇拝し、ベートーヴェン後一気に広がった宮廷音楽から脱却したポピュラー音楽(と言った方がわかりやすい)としてのクラシックの進化に大きく貢献した作曲家、ロベルト・シューマン。

この人は凄い人で、作曲をさせればもう純真さと悲哀が狂おしく満ちたものを書くし、音楽だけでなく文学や哲学にも非常に造形が深くておまけに評論はキレッキレのマルチな才能を持つスーパースターなんですが、若い頃から精神の病にさいなまれ、特に40代の晩年から最期に至るまでは本当にその生き様が悲痛で、楽曲もその悲痛が音になったようなものを多く残しております。

一般的に人気だったりするのは何故か初期の作品が多く、晩年のシューマンの作品といえば、どちらかといとマイナーで、知る人ぞ知る隠れた名曲が多い、ぐらいの位置付けであると、どこかで聞いた事があるのですが、ホリガーは演奏家として、音楽家としてそんな晩年のシューマンの、作品をこよなく愛しました。


「シューマンの晩年の作品は本当に素晴らしい、この狂気一歩手前の旋律の中に輝く美しさ、胸が詰まるほどの詩的な抒情を演奏したいねぇ」

と、ホリガーは切実に願っていたと思うんですが、こういう所に事細かく気付くのがECMです。

「じゃあやりましょう、一緒に演奏したい人は誰っすか?」

という訳で、ホリガーとは気の合う音楽仲間だというルージンガー(チェロ)とケルニャック(ピアノ)の3人で、リラックスした雰囲気の中でレコーディングされたのがこの『灰の音楽』であります。

ホリガーのオーボエは、本当にクリアで研ぎ澄まされていて、オーボエ独特の「べらーん」とした雑味がないんです。そこは超一流だから当たり前だよと言われたらそこまでなんですが、それにしてもこれほどまでに綺麗なオーボエの音は聴いた事がありません。

共演のルージンガーとケルニャックのチェロとピアノの豊かな情感に溢れたチェロとピアノの音も最高ですね。特にホリガーとはコンサートでもよく伴奏を務めるケルニャックのピアノの音色の何とも切々と訴える力に満ち溢れた詩的な弾きっぷりが激しく胸を撃ちます。

「晩年のシューマン」に全然前知識なしで、何となくシューマンはピアノ曲がいいんだよなぁとか思っておりましたが、いや、晩年のシューマンの、どの曲のどの演奏からも迫ってくる詩情って本当に凄いです。

後半にはホリガー自作曲の「ロマンサンドル(チェロとピアノのための)」が収録されていて、こっちはガラッと趣を変えたヒリヒリする現代音楽ですが、ここでのチェロとピアノの緊張感溢れるやりとりと、フレーズを繰り出す毎にどんどん鋭く輝く刃のような演奏の質感、これも良いですね。

「シューマン作品集」としてはもちろん、純粋に「クラシックの凄い演奏を、最高の音質で聴きたい」という気持ちも満たしてくれます。




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2018年04月27日

ホロヴィッツ ザ・ラスト・レコーディング

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ホロヴィッツ/ザ・ラスト・レコーディング

(Sonny Crassical/SMJ)



ホロヴィッツ晩年のコンサート名盤『モスクワ・ライヴ1986』を聴いていたら、ホロヴィッツ晩年の音源の素晴らしさについてもうちょっと書
いてみたくなりました。

ちょっとコレはアタシの持論でありますが、クラシックでもジャズでもロックでも、あらゆる分野にそれぞれの巨匠とかレジェンドとか言われる人達がいて、その人達はもちろん自分の分野を究極に極めているんだけど、フッと拘りが抜けたように、ジャンル的な垣根を超えた自由を感じさせる演奏をすることがあって、それをアタシは晩年のホロヴィッツに凄く感じてしまいます。

若い頃は超絶技巧と指をペターっと鍵盤にくっつけた独自のタッチから生み出される、演奏の圧倒的なダイナミズムで聴く人を圧倒してきたホロヴィッツ。

しかし、極端に神経質な性格と、それに起因する様々な心身の不調に死ぬまで悩まされ、常に内なるものとの戦いに生きてきた人であります。

恐らく若い頃は、不調を力づくで克服して、全盛期の煌めきを取り戻そうと躍起になって不調にもぶつかって行ったでしょう。でも、歳を取ってから、特に80を過ぎた最晩年の演奏を聴くに「あ、もうダメなものはダメなんだ。しゃーない。じゃあ得意な部分を活かした演奏を、俺は更に磨くわ」という爽やかな開き直りが功を奏した穏やかさの中に、程良い緊張感と研ぎ澄まされた精神の美をかいま見ることが出来るのです。


1989年、ホロヴィッツが86歳の時に録音された『ザ・ラスト・レコーディング』は、先日紹介したモスクワ・コンサートと共に、それまでの音楽人生の陰と陽が見事な調和で混ざり合い、その完璧な深みを宿した音楽の絶妙なコントラストを見せてくれます。

内容的な解説をする前に、この時のホロヴィッツはどんなだったかというと、感情の起伏が極端に激しく、ちょっとでも機嫌を損ねると当たり散らしたり、演奏中だととんでもなく乱雑に弾いて周囲を困惑させたりすることもしばしばだったようです。

あれ?このワガママっぷりってもしかして若い頃と全然変わってない?

いえ、逆に悪化してるんですね。単純に人として見れば、元々の気難しさが爺さんになって更に面倒臭くなった、実に困った人です。実に困った人であるんですが、純粋に音楽に向き合える良い環境で、静かに集中してピアノに向かえば、この世のものとは思えない美しいメロディ感覚と、老人とは思えないほどの恐ろしく粒の揃った力強い音色で、まるで聖人が弾いているかのような音楽を生み出す。

実際『ラスト・レコーディング』は、ホロヴィッツの自宅に録音機材を持ち込んで録音されました。一流の機材が揃ったスタジオではなく自宅での公式作品の録音にしたのは、第一に86歳のホロヴィッツの体力的な事に配慮してのこととは思いますが、やはり慣れた環境でリラックスした演奏をしてもらうことで、ホロヴィッツの良い所を最大限に引き出そうというレコード会社の中の”分かってる人”の上手な気配りの優しさも感じられます。




【ハイドン】
1.ソナタ第49番 変ホ長調 Hob.XVI:49 第1楽章 アレグロ
2.ソナタ第49番 変ホ長調 Hob.XVI:49 第2楽章 アダージョ・エ・カンタービレ
3.ソナタ第49番 変ホ長調 Hob.XVI:49 第3楽章 フィナーレ : テンポ・ディ・メヌエット
【ショパン】
4.マズルカ第35番ハ短調 作品56-3
5.ノクターン第16番 変ホ長調 作品55-2
6.幻想即興曲 嬰ハ短調 作品66
7.エチュード変イ長調 作品25-1
8.エチュード ホ短調 作品25-5
9.ノクターン第17番ロ長調 作品62-1
【リスト】
10.バッハのカンタータ第12番 「泣き、嘆き、悲しみ、おののき」 による前奏曲
【ワーグナー】
11.「トリスタンとイゾルデ」 より 「イゾルデの愛の死」


この、自宅レコーディングは結果的に大成功。ハイドン、ショパンとお得意の小品から、リスト編のバッハとワーグナー(つまり演奏者のセンスと技巧と相当な集中力が試される曲)の選曲は、恐らくホロヴィッツ本人の強い希望によるものでしょう。演奏を聴いてビックリしたんですが、このアルバムからは遺作というと連想される、暗い死の影なんかは全然感じられなくて、若い頃と全然変わらないイケイケで、特有の凛とした芯の強さの音色と、周囲の空気をもごっそり揺さぶるダイナミズムに溢れた演奏を武器に、ホロヴィッツは果敢に楽曲に挑みまくっておるんです。


言っても86歳、そりゃちょっとしたミストーンが出たり、テンポが一瞬ぐらついたりするところもあったりしますが、いやむしろそういうマイナス要素があっても「それがどーした!」と挽回し、逆にカッコ良く聴かせてしまうところがもう最高です。特にショパンの即興曲とかエモーショナルの極みな『イゾルデ愛の死』なんかでは、譜面にはない即興も入れて、かなり大胆に攻めてるんですよ。

冒頭で「ジャンルを超えたカッコ良さ」と書きましたが、そうそう、それはこういうところ。他のジャンルの音楽を取り入れるとか、そういう上っ面じゃなくて、クラシックならクラシックをとことんやって極めた音を出して向こう側へ突き抜ける。その突き抜けっぷりが聴き手の意識にあるジャンルやカテゴライズの壁を綺麗さっぱり吹き飛ばしてくれるんです。

ここでホロヴィッツが披露している即興も、変に演奏を崩すためのものではなくて、楽曲を効果的に美しくするために、恐らくは厳選と試行錯誤を重ねた音を弾いているんでしょう。むしろ学問としての側面が巨大になり、楽譜や作曲家の権威が高まって固定された20世紀以前のクラシックの空気を知っている最後の世代だから出来る(ホロヴィッツ自身は20世紀の生まれですが、彼が師事した人達は19世紀の自由な空気を知っていた人達です)、これは正しく洗練されたオシャレと言うべきでありましょう。

レコーディングは1989年の10月20日と11月4日の2回に渡って行われました。

2回目のレコーディングを終えた後もホロヴィッツはとても上機嫌で、更に収録を増やす予定でもあったと言います。

が、その日のうちに急に容態が悪化して食事中に急逝。

技巧的な面で彼より上手い演奏家は、恐らく結構いると思いますが、こんなにも演奏そのもので聴かせる人は今後出てくるかどうかと思ってしまいます。

もし興味を持たれた方がいらっしゃるなら、このアルバムぜひじっくり聴いてください。何度も言っている音そのものの澄み切った美しさと、独自のタッチから繰り出される圧倒的な強靭さを誇るグルーヴが、若い頃から変わらないこの人の魅力ですが、晩年の”間”の取り方は、更に輪をかけて凄いです。










『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
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2018年04月23日

ホロヴィッツ モスクワ・ライヴ1986


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ホロヴィッツ/モスクワ・ライヴ1986

(Deutsche Grammophon Gesellschaft /ユニバーサル)



体調絶賛不良中でございますので、ピアノものしか聴けません。

という訳で、ここ数日はバド・パウエルを聴きまくり、そこからジャズやクラシックのピアノを穏やかに聴いております。

ん?「穏やかに」というのはちょっと違いますねー。


カッコいいピアニストってのは、もちろん「うぅぅっ」ってくるぐらい耽美な音を奏でるんですが、その耽美の中にどうしようもない哀しみだとか、ふとした狂気の部分を感じさせてくれる人が多い。っていうかそういう部分がないと、ただの「綺麗でお上手なピアノね」で終わってしまって思い出に残らない。

これ、アタシだけかなぁと思ったら、周囲のピアノ好きの意見を聞いたり、ネット好きな人のブログレビューなんか読んでおりますと「あ、この人も狂気感じているなー」と思って安心します。

うん、安心していいもんだろうかとちょっと思いますが、そういうもんです。そういうもんらしい。

で、今日はクラシック。

ウラジミール・ホロヴィッツといえば、20世紀を代表する巨匠として、クラシックの世界ではもうレジェンド中のレジェンドであります。

バロックからロマン派、近現代音楽までそのレパートリーは幅広く、どんな時代の曲だろうが、その澄み切って豊かに鳴り響く音色で見事に演奏してしまう。

しかも余りにも独自の解釈で(例えば古典をロマン派っぽく弾くとか)自分流に演奏してしまうので「ホロヴィッツの演奏は、作曲した音楽家でなくホロヴィッツ聴くための演奏なんじゃね?」と皮肉られたりとか、あるコンサートで指揮者と意見が合わず「いや、オレはぜってーこのテンポじゃなくてもっと速くこうだ!」と、演奏中にマイ・テンポに設定変えしてしまい、結局オーケストラも巻き込んでノリノリに仕立て上げ、聴衆からやんやの喝采を受けたとか、また、極度の神経過敏で、そのために体調を崩してしまうこともしばしばで、演奏にはその調子のムラが出てしまうこともあったり、病院から大量に処方された薬を飲みながら、お酒も好きでガンガン飲んでしまい、フラフラになったままコンサートを行ったりと、まぁなかなかにパンクな人です。

もちろんホロヴィッツという人を、アタシはアタシなりに、そういった「天才とか巨匠ならではの破天荒エピソード」で決定的に好きになった訳ですけれど(えぇ、ミーハーです)、そのもっと前、そんなエピソードを知らない時に、アタシはやっぱりその澄み切った、豊かに響く音色の魅力にヤラレてしまいました。

最初に聴いたのは、やはり定番のシューマン『子供の情景』だったと思いますが、ここでびっくりしたのが、音が消え入りそうなほど小さく弾いた時に掠れない。言うまでもなくピアノの音の大小というのは、タッチでの指の力の強弱なんですね。つまり大きな音を出そうと思ったら指に力を入れて、小さく出そうと思ったら指の力を抜いて鍵盤を叩く。

で、当然小さな音を出す時は力を極力抜いている訳ですから、音の輪郭は音量相応に微かな響きになるんですよ。でも、ホロヴィッツの小さな音は、音量は限りなく小さいのに、その音には芯があるどころか凛として粒が立っているんです。

まるで録音時に機械の方をいじって、音量レベルだけを落としたような音ですが、普通に考えて演奏の途中で何回もそんな絶妙な演出を、しかも昔の演奏家がする訳がありません。

本当に不思議なんですが、これ、ホロヴィッツ独自の”技”のようで、どんなに名人と言われるピアニストも、限りなく小さな音でこれほどしっかりと音を響かせることは出来ないんだということを後で知って、もう完全にこの人すげぇとなった訳です。





【D.スカルラッティ】
1.ソナタ ホ長調 K.380(L.23)
【モーツァルト】
2. ピアノ・ソナタ 第10番 ハ長調 K.330(300h) 第1楽章: Allegro moderato
3. ピアノ・ソナタ 第10番 ハ長調 K.330(300h) 第2楽章: Andante cantabile
4. ピアノ・ソナタ 第10番 ハ長調 K.330(300h) 第3楽章: Allegretto
【ラフマニノフ】
5. 前奏曲 ト長調 作品32の5
6. 前奏曲 嬰ト短調 作品32の12
【スクリャービン】
7. 練習曲 嬰ハ短調 作品2の1
8. 練習曲 嬰ニ短調 作品8の12
【シューベルト/リスト編】
9. ウィーンの夜会 (ヴァルス・カプリース 第6番)
【リスト】
10. ペトラルカのソネット 第104番 (巡礼の年 第2年≪イタリア≫から)
【ショパン】
11. マズルカ 嬰ハ短調 作品30の4
12. マズルカ へ短調 作品7の3
【シューマン】
13.トロイメライ (≪子供の情景≫から)
【モシュコフスキ】
14.火花 作品36の6
【ラフマニノフ】
15.W.R.のポルカ


演奏:ウラディミール・ホロヴィッツ(p)


晩年は衰えたとか、指が動かなくなったとか、色々細かいことを言われてはおりますが、アタシにとってはそんなことはどうでも良くて、要はこの人の豊かな音色が堪能出来る盤だったら、もう何でもいいんです。

という訳でこの人の「音の凄さ」は、コンサートでの生演奏を録音したアルバムでリアルに聴くことが出来ます。

このモスクワ・コンサートは、ホロヴィッツ83歳の時にモスクワで行った、演奏もお客さんの反応も最高の一枚。

ウクライナ生まれで、ずっとアメリカを拠点に活動していたホロヴィッツが、久々に故郷(当時ウクライナはソビエト連邦)に錦を飾る形となったこのコンサート。当然本人は気合いが入ってますし、お客さんにしては「ソビエト圏の伝説の英雄が来る」という期待感でもう胸がいっぱいだったでしょう。

跳ねるように闊達なスカルラッティのソナタから始まって、モーツァルト、ラフマニノフ、スクリャービン、ショパン、シューマンと、過去に名演を残した得意の作曲家のナンバーを総動員してお客さんの期待に応え、それに対するお客さんの拍手や「ブラボー」のやりとりが本当に心温まるんですが、このコンサート、特にモーツァルト以降のホロヴィッツの没入の仕方がもうハンパないんです。

ラフマニノフの前奏曲(嬰ハ短調)からスクリャービンの練習曲が、感情炸裂(でも、音は乱れない)の凄まじいハイライトが、やっぱり名演と言われておりますし、事実名演極まりないぐらい、聴いてるこっちの意識まで根こそぎ持って行きます。

で、そんな根こそぎ持って行かれたままの感情に追撃をかけるようなショパンのマズルカ、切ない!あぁ切ない!!

・・・はいすいません、興奮し過ぎました。もうね、何と言えばいいんでしょう、クラシックとか巨匠のとか、このアルバム聴く時は一切そんなもん頭から外して聴きましょう。音楽です、超音楽です。

ハァハァ、こんな感情丸出しなのに、こんなに美しく乱れないピアノって、もうね、もう何と言えばいいんでしょう。


『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
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