2018年02月02日

ウェルカム・バック!ズボンズ

1.jpgズボンズ/Welcome Back Zoobombs
(クアトロ)

「日本のロック」と聞いて、「これ!」というバンドがいくつかあります。

アタシ個人のことで大変に恐縮ではありますが、大体音楽とかロックとかいうものを聴いてカッコイイと思うようになったのは小6から中1にかけての時期で、その頃(1980年代末)というのは日本全国を席捲していたバンドブーム、それがもう終わりの頃でありましたが、個性的なバンドやアーティストが次々と出てきて

「次はどんな連中が出てくるんだろう、どんな音楽を聴かせてくれるんだろう」

と、ワクワクしてテレビの音楽番組にかじりついたり、ラジオでロックをやる番組を探しては夜中こっそりカセットテープに録音したり、雑誌の中から活きのいいバンド情報などを、一文字でも見逃すまいと必死で読んで、それこそ青春の全てを捧げる・・・訳ではないけれども、それぐらいの勢いで音楽を探しておりました。

音楽というのはその頃のアタシを、学校とか日常とかそういうとても狭くて息苦しい空間の泥沼から強引に引きはがしてくれる刺激であり、違う世界に意識を放り投げてくれる力そのものでありました。

三つ子の魂百までとは言いますが、オッサンになった今でも、どこかで音楽というのはそういうもんであると思っております。学生時代はとうの昔に過去になってしまいましたが、大人になったら学校より強烈な、プランテーションみたいな世間とか社会とかいうものがあり、何だかよくわかんないけれど、あぁこういうのとは戦わんといかん、そう思ってもうかれこれ20年は経っています。

戦って勝てる訳ではなかろうし、そもそも自分が何と戦っているのか、それすら定かではないのですが、バカは死んでも治らないと言いますから、アタシは多分死ぬまでこのスタンスでありましょう。

で、アタシが大人になってすぐの頃、まるで中学生の頃のようにワクワクドキドキさせてくれるたくさんのバンドと出会いました。

その”3大ワクワクバンド”といえば、ギターウルフ、ゆらゆら帝国、そしてズボンズです。

どのバンドも音楽性は違う。反体制的なメッセージを具体的に歌詞に入れていた訳でもない、でも、彼らが放つ「音」そのものの、もう笑っちゃうぐらいの強さ、そして突き抜けてオリジナルな世界観そのものが、これはもうしっかりとパンクであると。つまりアタシにとっての”戦う音楽”であるなと一方的に惚れて作品をおっかけておりました。

今日はズボンズをご紹介するんですが、いやもうズボンズ、ズボンズですよ。最初に出会ったのは確かタワーレコードかどこかの大きなCDショップの試聴機コーナーで、ズボンズというマジなのかフザケてんのか分からないバンド名と、子犬がじゃれあっている何かかわいいジャケットに「何だこれ」と思ったのが出会いの始まりでありました。



【収録曲】
1.ドント・ディドレイ
2.ブラック・インク・ジャイヴ
3.ジャンボ
4.フラット・トップ
5.スワンプ
6.N.R.
7.ビルボーン・ブルース
8.ノー・ライン
9.ブラック・インク・ジャム


「どーせそのへんのオシャレバンドじゃろ〜」

と、からかうつもりでヘッドフォン装着してスタートボタンを押したら


「!?」

「!!!!!!!!!!」

きったなく歪んだギターの音に、やたらトンガった、その辺にあるものを全部吐き捨てるようなヴォーカル、ゴリゴリうるさいベースにバシャバシャうるさいドラム、そうこれはアレだ、自分が思う”パンク”という音楽でありしかもその中でもとにかく荒削りなガレージとかそういうヤツだ。

粗い

汚い

エグい

カッコイイ

でも

カッコつけてるヤツの音楽じゃない

つまり血がたぎる!!

アルバム「ウェルカムバック・ズボンズ」を聴いて1ヶ月ぐらは、その初期衝動の塊そのものな、ひたすら磨かれず削られているサウンドを、ひたすら60年代型のガレージパンクだと思って聴いてました。

でも、よくよく聴いてゆくと、一見荒削りなサウンドの中に16ビートファンクのリズムが散りばめられてたり、ブルース、しかもいわゆる王道の”渋いブルース”ではない、タフで荒々しい南部のエレクトリック・パンクなブルースを思わせるスライドギターのフレーズが飛び交ってたり、ハモンドオルガンとギターのアドリブっぽい掛け合いが、ガレージではなくサイケデリック・ロックのそれと同じトリップ感を醸していたり、まぁよくもよくもこれだけシンプルでまっすぐに暴走しているかのような音楽性の中に、色んなルーツ・ミュージックの興奮作用を、しかもヤバイ方の原液だけを抽出して混ぜ込んだなぁと、頭の方もしっかり感心させてもくれるんです。

90年代といえば、いわゆるミクスチャーロックが花開いた時代です(ズボンズのこのアルバムは97年)。

でも、その頃”ミクスチャー”といえばヒップホップとハードロックを掛け合わせたやつをすればミクスチャーだろうとかいう、やや安直に考えてもそれが出来るぐらいに、スタイルというものが確立されておりました。

ズボンズの音楽って、よく聴いたらガレージとサイケとブルースとファンクの濃厚なミクスチャーだったりするんですが、この力強いサウンドには、そんな安直を蹴り飛ばして笑いながら踏みにじれるリアリティがあります。当たり前だけど今聴いても鼻血が出そうになるぐらい興奮します。もうカテゴリ的なアレは「いつまで経っても鼻血が出そうになるぐらい興奮するやつ」でいいんじゃないかと。







『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2018年01月17日

友川かずき 桜の国の散る中を

1.jpg
友川かずき/桜の国の散る中を
(キング/SHOWBOAT)


洋楽はもちろん大好きですが、時折息を吸うように日本語の歌を心身に取り入れたい時があります。

アタシはどちらかというと言語というのは、活字で取り込むタイプです。

しかし相当に飢えてしまいますと、もう取り込むなんて生易しい方法では何もかも足りないという時がある。

そういう時は、まるでピストルから撃ち放たれた弾丸のような、剥き出しの痛みや激しさを孕んだ言葉、そのどうしようもない”強さ”を持った歌を聴きます。

で、友川かずき(現:友川カズキ)です。

この世のあらゆる抒情と憤怒と悔恨を呑み込んで、それを血ヘドのように吐き出す強烈なヴォーカル、そして、それと同等かそれ以上の破壊力を持つ彼の言葉。

その歌からは、何かを表現したいとか、こういう音楽をやりたいとか、そういった前向きな欲求に基づく衝動ではなく、もっと何かこうどうしようもない内側と外側の衝動に潰される寸前の自我が、まるで断末魔の悲鳴を挙げているような、そんな”ギリギリ”をずっと感じております。

あのね、カッコイイもの、価値観を粉砕してくれるもの、窮屈な意味から良い感じに外れてしまっているものを、アタシは割と簡単に”パンクだ”と言いますが、そういう条件からも友川かずきの音楽を棲家としている情念ははみ出してしまう。

1975年にフォークシンガーとしてデビューした人ですが、当然流行の青春フォークのカテゴリに当然入るはずもなく、現在に至るまでこれはずっと”孤高のパンクシンガー”だと。

色んな音楽聴いてきて、それぞれにグッと感動してきたんだけれども、この人ほど「これは○○だね」と、ジャンルで括れない人はいないし、だからといって無節操に色んなサウンドを観に纏ってきている人でもない。むしろサウンドに関しては自らが激しく掻き鳴らすアコースティック・ギターを中心としたシンプルなもので、その時々で編成が変わるだけです。でもパンク、ゆえにパンク。




【収録曲】
1.口から木綿
2.おどの独白
3.赤子の限界
4.問うなれば
5.点
6.闇
7.犬
8.桜の国の散る中を(会田哲士君の霊に捧ぐ)
9.囚われのうた


今現在も精力的な活動をしていて、出してるアルバムは結構な数になりますが、ハッキリ言ってこの人の作品はどれを聴いても衝撃です。

本日アタシが聴いていたのは、1980年リリースの5枚目のアルバム『桜の国の散る中を』。

1970年代後半に友川は、現在も共に音楽活動をやっている頭脳警察のドラム&パーカッション奏者、石塚俊明と出会って意気投合。そのサウンド表現をより先鋭的なものにしつつ、深く関わっていた演劇の世界からも多くのインスピレーションを得て、作品や楽曲の完成度を高めており、この作品は正にそんな時期に作られたアルバムです。

プロデュースは石塚俊明で、バックにはギター、ピアノ、ベース、ドラムを中心に、コーラスや和楽器(尺八等)など、様々な音を配した、非常に日本土着の”地の感じ”の強いサウンドであります。

そこに乗り、中心で炸裂する友川自身の声、歌、歌詞がもう何と言いますか、残酷で美しい。

特に中盤からの『問うなれば』『闇』『犬』『桜の国の散る中を』『囚われのうた』からの怒涛の展開は、もう何度も何度も耳から叩き込んで脳裏に埋めて、心で何度も噛み締めました。春、花、死、海、そういった根源的なものがどうしようもなく日本的なものを生々しい鮮やかさで描くイメージと、寄せては返す冬の荒波のような音・・・。

勢いレビューが感覚的な文体になってしまっているのは、かれこれ20年以上前に友川から受けた死んで生き返ってしまうほどの衝撃を、まだ上手く消化出来ないでいるからです。


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2018年01月12日

レイ・ハラカミ Unrest

1.jpg
rei harakami/unrest
(Rings)


当時はアタシもリリースされる新しい音楽や古い音楽を、ただ夢中で追っかけてすげーすげー言ってただけでしたが、今になって考えてみると1990年代というのは、新しい手法で作られる音楽も、伝統的な手法への回帰を高らかに謳う音楽も、皆「今のリアルな音」というのもを表現の芯の部分に持ちながら、それぞれのジャンルが試行錯誤と切磋琢磨の程良い緊張感に満ちていたと思います。

だから自分がハマって購入するジャンルというものはあっても、その周辺で、例えば仲の良い友達とかがハマッているジャンルの音も聴かせてもらっては刺激をもらうというのは、音楽を聴く上でごく当たり前のことだったんですね。

とりわけアタシの周囲は、テクノに強烈にハマッてる人が、どこに行っても一定数おりました。

テクノに関しては

「何かアレだろ?打ち込みの繰り返しリズムの上で、電子音がピコピコ言ってるようなやつだろ?」

ぐらいに思っておりましたが、友達から

「いや違うよ、コレ聴いてみろよ!」

と言って聴かされたものがいっぱいあって、その中で

「なるほど、これはちょっと並の感性じゃないかも知れない。つうかテクノとかどうとかじゃなくて普通にカッコイイ音楽として聴けるぞ」

と思ったアーティスト達の中から、エイフェックス・ツイン、スクエア・プッシャー、ケン・イシイの名前を覚えました。

これも今にして思えば、なのですが、80年代は音楽が中身の質の部分はとにかく、出来るだけ新しく、いろいろ出来る機材を導入して、最先端の音を作ろうという考えの元に、テクノロジーを使った音楽というものが、シーンの表舞台で華やかに鳴り響いていたような気がしますが、これが90年代に入ってくると、進化というものに留意しつつ、その中で「新しい音楽」を奏でるために敢えて最先端よりも個性を確立することを選ぶアーティストが、ぼちぼち表舞台にも出てきた時代だったのだと思います。

で、テクノ・シーンの話になるんですが、外から見たら単なる”無機質な打ち込み音楽”でしかなく、恐らく中で音楽を作ってる本人達も「あぁそれで結構だよ」という意識があったのかも知れません。

テクノやハウスといった音楽は、あくまでクラブ・カルチャーの中の現場でその音を浴びて踊る人達のための音楽という認識があり、世に出される作品というのは、アナログレコードにジャケットすらない白とか黒とかの愛想のないプロモ盤のようなものばかりであり、事実それらは「今度クラブでこういう音楽流すから」というアーティスト達の無言の意思表示でもありました。

ところが90年代以降、この流れに変化が起こります。

世界でも日本でも”実力派”と呼ばれる、ポップスでもクラブでもファンを持つシンガー達によって、テクノ出身のアーティスト達が作成したトラックが使われたり、また、シングルのカップリング曲でリミックスと呼ばれるDJの録音アレンジが施されたものが、ポップスファンにも普通に鑑賞されるようになり、徐々に「生音楽(って言うのか)と電子音楽」を隔てる壁が薄くなってくるという現象が常時あちこちで起こっていたんですね。

今日ご紹介するレイ・ハラカミという人なんですが、この人はそんな時代を代表する電子音楽家で、もしかしたらこの人が生み出した音楽こそが、そんな時代を先頭きって切り拓いていったのかも知れません。

電子音だけど非常に繊細で透明で、その抽象的な表現の中にしっとり切ない”歌”を持っている。

この人の音楽を一言で言い現わすとこんな感じになります。

テクノと呼ばれるジャンルの中でも、リズムに特化せず、メロディというよりも”音と音との響き合いの隙間”に浮かび上がるフレーズを軸に音楽を展開し、特種な浮遊感の中でそれを泳がせるような、いわゆるアンビエントな質感で出来た音楽のことを『エレクトロニカ』と呼びますが、この人はその分野の世界的なアーティストです。

1996年に、ケン・イシイの変名ユニット『Flare』に収録されているリミックスを手掛けたことによってデビューしましたが、この時既に独特の”間”のある心地良い電子音で個性を発揮して、テクノ界隈のみならず、日本のロックやポップスのミュージシャン達の間で「京都から凄い人が出てきた!」と話題になっていたようです。

レイ・ハラカミは、後に矢野顕子、くるり、UA、ナンバーガール、GREAT3などなど、J-POPの名だたるバンドやシンガー達から依頼を受け、プロデュースやバックトラックの作成、リミックスなどで多くの名曲名演奏を生み出すことになります。

そのバックトラックは、敢えて旧式のMIDI機材を中心としたシンプルなサウンドを、逆再生という非常に古典的な手法で使うというスタイルを軸にした、電子音なのにどこかぬくもりのある質感を大事にしたもので、加えて過度に音を詰め込まない、モコモコしたアナログな音質、主旋律のどんなメロディにも美しく絡むメロディアスなトラックなどが「これはもうテクノとかエレクトロニカとか言うよりも、21世紀のポピュラー音楽の主流になる音なんじゃないか?」と各方面で絶賛され、レイ・ハラカミという名は世界的にも稀代のトラックメイカーとして知られることになるんです。

残念ながら活動が絶頂にあった2011年に40歳の若さで急逝してしまうんですが、それでも彼が作り出した”最先端よりも遥かなもの”であるところの音楽は、時代によりかからない、孤高の優しさと深さに満ち溢れているんです。






【収録曲】
1.on
2.more elbow
3.dessert
4.wreck
5.rho
6.pass
7.vice versa
8.code
9.after bonus (bonus track of this reissue album)
10.objective contents
11.bioscope
12.unrest

個人的にはUAの『閃光』とか矢野顕子とのユニット"yanokami"とか、くるりの『ばらの花』のリミックスとか、J-POPのズバ抜けた名曲が多い人ですが、レイ・ハラカミのソロ名義でその原点のサウンドが聴けるのが、このファースト・アルバム『Unrest』です。

彼のアルバムの中では最も”テクノ”と言っていいかも知れないこのアルバムの音楽は、基本王道といっていいミニマルな打ち込みが主となっております。楽曲そのものはどれも抽象的で幻想的ですが、独自の、いや、ワン&オンリーといっていい、ヒュッと胸をかすめて消えてゆくようなペーソスがふんだんに盛り込まれた音の質感、これが繰り返し聴いているうちに、本当に意識の奥底にジワジワと染み込んで、そして時折思い出したように切なくさせてくれて、これがとてもいいんです。

よく日本人が作るこういったエレクトロニカな音楽は、禅とか俳句とかに喩えられたりしますし、確かにレイ・ハラカミの音楽が持つ独自の情緒とか、和の音階じゃないのに和な感じのするトラックは、そういう風に評価されてなるほどと思いますが、静謐でメロディアスだからといって、決して内側に小さく入り込んでいるだけじゃないんですね。どんなに哲学的でもその音が持つ可憐な明るさみたいなものは、確実に外に向かってると思います。

そういうところがポップスと上手く溶け合ったんですよね、というよりこの人は最初からポップスを作っていたのかも知れません、使った機材がたまたま電子機器だっただけで。










『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2017年11月19日

INU メシ食うな

1.jpg
INU/メシ食うな
(徳間ジャパン)


みなさんこんばんは、気温も寒くなって機嫌が良いので、今日は”そもそも”についてお話しようと思います。

考えてみればそもそもアタシが音楽にハマッたきっかけは、小学校6年の頃に聴いたブルーハーツです。

音がどうとかスタイルがどうとか、アタマの悪い小学生にはそもそもそんなことは分かりません。

ただ、歌詞が良かったんですね。

そもそも思春期だったんです。

思春期といえば、友達関係とか異性のこととか、そういう事に思考がのめり込む時期で、アタシも一丁前にそういうことで悩み始めておりました。

そもそもアタシのいけないところは、手前のクダラナイ悩みにも、すーぐ世の中という、手前には手に負えないスケールのことを持ち出して、必要以上に深刻になってしまうことでありまして、ええ、最初にそういったことを具体的に思考に絡めて、よせばいいのに悩み苦しんでおったのが実に小学校から中学校に上がるか上がらないか、そのぐらいの時期だったんじゃないですかね。

その時に聴いたブルーハーツの歌詞というのが、アタシにとっては救いであり天啓であり、キリスト教徒にとっての聖書とか、中国共産党員にとっての毛沢東語録とか、アントニオ猪木ファンにとっての赤いバスタオルとか、猫にとってのマタタビとか、そういうものだったんですね。

で、親父に

「この音楽は一体何ていう音楽だ?」

と訊いたら、親父は

「パンクだ」

と言うのです。

そもそもパンクというのは、世の中の体制みたいなものにノーを唱えるメッセージみたいなもんが必要なんだ、と。

アタマの悪い小学生ながら、ほほぉと思いまして、アタシはパンクにのめりこんで行く訳です。

パンクロックというのは、1970年代のイギリスで誕生したんだと言われ、イギリスのパンクも聴きたかった訳なんですが、そもそもブルーハーツの歌詞に感動したお子様なので、英語の歌詞は分からないからとりあえず日本語のパンクを聴かせてくれやと、オススメされるままにアナーキーとかスタークラブとか、ラフィンノーズとかもよぉ聴いとりました。

その頃丁度バンドブームというのがあって、ラフィンノーズは2コ上とかの先輩達が「ゲット!ゲット!ゲットグローリー!」とか言って盛り上がってました。

アタシもその中に恐る恐る混ざってみたりしたこともありましたが、いやちょっと待て、そもそもこの”パンクロック”というのは、みんなで仲良く一緒にをーをー言う種類のパンクロックだ。そもそもアタシが好きなのは、何かこうもっと個人的なアレのヒリヒリしたところにチクッとくるようなものが欲しいんだ。と思いまして、田舎ということもあり「パンクロックは家で一人で聴く音楽」に、早々と認定してしまい、それについて学校とかではっちゃけることはあんまなかったです。

そもそもアタシは暗い人間です。

学校を適当に切り上げて、ウキウキで家に帰ってきたら自転車で街に出てCDとジュースとお菓子を買って、家で聴く。たまに友達と街で会えば、そりゃ遅くなるまで適当なことで盛り上がったりもしましたが、そもそも心はいつも我が家の自室のCDラジカセと共にあるよーなクソガキでした。

例えば夜の10時とかに帰ってきても、サッとメシ喰って、ジャッと風呂浴びて、部屋に籠って爆音で音楽を聴くと。

それを面白がって見ていたのが母親で「これを聴きなさい」とオススメしてくれたカセットテープには、スターリン、レピッシュ、PINK、BUCK-TICK、筋肉少女帯、そして町田町蔵のバンド”INU”なんかが入っておりました。

そもそも母親は、そういうカセットにしれっと遊佐未森なんかを入れるヒドい人なんでありますが、この人の「これ、パンクよ」と言うバンドやアーティストの曲は、大体どれも「仲間ををーをー言わない歌詞/音楽」だったりして、非常に好感が持てたのですが、特に「これがいいの!」と熱を上げていたのがスターリンと町田町蔵です。

今は作家の町田康として、素晴らしい小説や随筆をたくさん書いておられる人なんですが、そもそもこの人はパンクロッカーで、高校時代からもうバンド組んで関西では名の売れた人だったんですよ。



【収録曲】
1.フェイド アウト
2.つるつるの壷
3.おっさんとおばはん
4.ダムダム弾
5.夢の中へ
6.メシ喰うな!
7.ライト サイダーB(スカッと地獄)
8.インロウタキン
9.305
10.メリーゴーラウンド
11.気い狂て


INUですねぇ。

このアルバムは町蔵が”INU”としてリリースした唯一のアルバムです。はい『日本のパンクロックの黎明期の名盤』と呼ばれております。

名前がそもそも『町田町蔵』なんていうイカツい名前でパンクロッカーと言うんですから、アタシはてっきり何か物凄いゴツい声の、坊主頭で人相も凶悪で、上半身裸のプロレスラーみたいな人を想像していたんですが、ご本人のルックスは非常に端正なお兄さんで、ヴォーカル・スタイルも思ってたより全然ゴツくない、ついでに言えば音楽的にも拳振り上げて全力疾走する、いわゆるパンクロックというよりも、その後のニューウェーブの、物凄い硬派なヤツみたいな感じで、音楽的な完成度みたいなものが、あ、これは高いなと、そもそも音楽的な完成度とかそういう高度なことは分からなかったくせにそう思ったんです。

メンバーはとても流動的だったようですが、北田昌宏の緊張感溢れるギターが凄くて、町蔵の内へ内へと沈み込んで爆発する狂気のヴォーカルがギットギトに描く世界観と異常な親和性でリンクして、もう怖いぐらいなんですよ。

そう、このアルバムの「凄いなこれ」と思わせるところには、特有の”怖さ”というものがあります。

町蔵の歌詞は、この時代から(確かこれ書いた時はまだ十代だったと思う)実に文学的でやぶれかぶれで、内から湧き出るむき出しの言葉を、音程とか共感すらもどうでもいい、そんな潔さで聴き手の意識にぶつけてきます。

そもそも一人称が”俺達”になりがちな(言葉としてではなく態度として)ロックにあって、終始一貫して一人称”俺”なんですよ。


沢山の人間が居て 俺はその中の一人
定まらぬ視線の中で みんなお互い窒息寸前
ええ加減にせんと気い狂て死ぬ



大衆、世の中、世間・・・まぁ何でもいいんですが、そういった実に曖昧でやたら大きなものに、ガリガリの上半身を曝して包丁握って自爆しに行く。仲間なんぞいらん、勝手にやらかして勝手に死んだるわい!どの歌詞からも、そういったヒリヒリしたメッセージがガンガン飛んできて、あぁ、これはパンクだなと、納得なんか出来なくても、叫び、振り絞り、呻き、呟く町蔵のヴォーカルには、安直な”みんなでがんばろう”みたいなものを、吹き飛ばして切り裂いて、足で踏みつけてグチャグチャにする、凄まじい呪詛として、アタシの脳裏には写りました。

そもそも凄まじいネガティヴの力です。でもこのINUのサウンドと町蔵の怨念ヴォーカルには、クールでスタイリッシュなUKパンクから、そのまんま影響を受けた”パンク”にはない”パンク”を感じてしょうがないんですよ。

そもそも音楽に必要なものって、こういう正当な怒りなんじゃないかと、大人になってどうでもいい物分りの良さを身に付けたつもりのアタシは、今冷静に思っています。



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2017年11月10日

渦 ジャズとペプシ

昨日はちょいとお昼に時間があったので、窓を開けて寝ておりましたら、日差しが強くて何か顔がジリジリ熱い!というので目が覚めてしまいました。

・・・ほんとにね、もうね、11月ですよ奄美。

そんなことはどうでもよろしい、アタシは今日もそんなバテバテにめげずにグッド・ミュージックを紹介います。

ここんとこアレですね、秋なので感傷モードに入ってしまってピアノばっか聴いておりましたら、心の中に「あぁぁ!ロック聴きてぇ!!」という衝動が湧き上ってまいりました。いいぞいいぞ、で、何聴くよ?

と自問してみたら、導き出された答え

「うん、ロックつっても60年代とか70年代のクラシックスからちょいと離れて、最近の日本の、活きのいいバンドが聴きたいな。何つうか、こう青い勢いがあるような、そういうイカシたやつ」

ほうほう、青い勢いですかぁ。普段ロクなこと言っていないアタシですが、たまにはいいことを言うもんですな。

そんな感じで自分に感心しながら、最近のインディーバンドの音源などを「あれもいいこれもいい」と鑑賞していた折、特に心にグッときたのがコレ



あの〜”エモい”って言葉あるじゃないですか。

その言葉、今どんな意味で使われてるか、おじちゃんはよくわからんのですが、多分アタシの解釈では

「エモーショナルで内省的な、そこはかと哀愁漂うことがら」

だと思っとるんですね。

それって、そのまんま日本のロック、特に2000年以降のロックバンド達が出す音そのものだと思うんです。

で、今日ご紹介するのは”渦”というバンドです。

2015年に都内で結成されて、翌年に5曲入りミニ・アルバム『ジャズとペプシ』をリリースして、さっきの動画は今年、つうかつい来週の11月12日に(注:2017年現在)にリリースされる予定の4曲入り『ゴーグル2』
より最新の曲(「トレイラー」)なんですが、これ、いいですよ。シングルコイルのキラキラした鳴りの2本のギターが幻想を淡く紡いでゆく、パステルなサウンドカラーに繊細なヴォーカル、粘りのある音でキッチリビートを提供しながら、でもしっかり小技を効かせているベース、そして演奏の中心にドッシリあって、素晴らしくパワフルな、芯の座った音のドラム。

ほとばしるのは、淡く甘酸っぱい空気と、音楽が好きでたまんなくなって演奏をやっているその勢い。あぁ、いいねぇ、音楽ってこうだよねぇと、ジャンルやスタイルとかそういうもの以前にクッと胸が熱く押されるあの感じ。



6.jpg
【収録曲】
1.ソーリー
2.愛しのインディーガール
3.ドルフィン
4.ジャズとペプシ
5.オバケは走る


実はアタシ、去年この「ジャズとペプシ」を入手して以来、ジャズを聴いてブルースのCDをセットするまでの合間に、60年代から90年代の洋楽ロックを聴いてる合間に、そう、合間合間に挟んでよく流していました。

ピュアな衝動と、優しい歌詞の世界観が、どの音楽ともすごく合うことに、ちょいとビックリ♪

”渦”現在都内中心にライヴもガンガンやっております。

イベントの情報やCDのご案内はコチラ↓の公式ページからどうぞ!
https://banduzu.jimdo.com/














『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2017年06月13日

憂歌団 Complete Best 1974-1997+LIVE アナログ

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憂歌団/Complete Best 1974-1997+LIVE アナログ
(フォーライフ)


ブルースが好きです。

いや、ブルースのない人生は考えられない。音楽だけでなくても、日常生活の中で何かしら切なくてホロ苦いブルースなものやブルースなことと不意に出会ったら、何故でしょう切なくてホロ苦いのにどこか心が不思議と安らいで、何だか今日も頑張って生きていこうとそんな風に思ってしまう。

こういうのおかしいですか?うん、おかしな話だとアタシも思います。でも、音楽を好きになる気持ちが深まって、音楽を愛してしまってたまんないという風になるというのは、もしかしたらこういうことなのかも知れません。

で、ブルースです。

ブルースという音楽は、アタシが言うまでもなく、アメリカの黒人さんが生み出した音楽なんですが、日常の中での世知辛かったりしょっぱかったりする出来事を感じて嘆いたり悲しんだり、でもソイツを何とか明るく陽気に笑い飛ばしたりしようぜって心はアタシら庶民の中には万国共通でございます。

ね、元はブルーでどうしようもない気分とか因果とか、そういったヤツでもゴキゲンな音楽に乗せりゃあハッピーになれる、聴いた人もハッピーになる。

そういった”心意気としてのブルース”を、日本で演奏してきたバンドがおりまして、このバンドは憂歌団というんですが、そうそう妖怪人間みたいな顔のぺちゃっとした関西弁のおっちゃんが、キュートなダミ声で唄ってね、グラサンかけたギターの人がソロ弾くんだけどピッキングもスライドもめちゃくちゃ上手くて味があって、ベースとドラムもずんちゃかずんちゃか、こらもう聴いてるだけでウキウキしてくるようなスカーンとしたリズム刻んで・・・というあのバンドでございます。

あ、はい、ここまで読んで「誰だそいつら?」と思った人もいいから憂歌団ってのはそういう人達なんだーって一旦思っといてくださいね。

大体アレですよ、ブルースバンドってのは、何だか渋い曲をエレキギターをキュイーンと泣かせてやってるもんみたいなイメージがあるでしょうが、憂歌団はちゃいま(←エセ関西弁)。アコースティックな、戦前スタイルのズンチャカで軽快なバンドなんです。

戦前スタイルとは何ぞや?というご質問には、細かく答えておりますとヒジョーに長くなりますので、そこらへんは当ブログの「ブルース」のカテゴリをヒマな時呼んでくださいますようお願いしますとして、そんなヒマねぇよという方に、あぁそうですかいと乱暴に説明すれば、エレキギターキュイーンでオーイェになる前のブルースは、明るく疾走したり、みんなでワイワイ歌えるような曲がいっぱいあったんです。

実はアタシが本格的に洋楽なるものを聴いて、ブルースも親父に聴かされて「ほほぅ、何かわからんけどいいね」と思ったアタマの悪い中学1年生の時、奄美で生まれて初めて行ったブルースのライヴ。これが憂歌団のライヴだったんですよ。

ある日いきなり親父が

「オゥ、今度の土曜日は名瀬公民館に憂歌団観に行くからお前空けとけぇ」

と言うので

「ゆうかだん?何それ?」

と思いながらも、まぁ何かコンサートだろうと思って、本当に何もわからんまま行ったんですが、その時のライヴがまー初めて体験した「ホンモノ」いやもうホントすごかった。

酒をガンガン飲みながら曲の合間合間にガラガラの関西弁で喋ってる、これ絶対ミュージシャンじゃなきゃその辺の盛り場で朝潰れてるよーなおっさんなんだけど「ほないこか」と言って唄いはじめた時の木村充揮のその凄まじい声の威力と引力ときたら・・・。

そいでもってギターはサングラスかけて正直見た目怖い人っぽいけど、もうギター小僧志望のクソガキのアタシが見ても「あぁ、このギターはやべぇ、並じゃねぇ。いや、プロなんだからんなもん当たり前なんだけど、その中でもかなりハンパねぇ部類の人だ」と分かるぐらいの凄腕の内田勘太郎。

そしてクールにビシャっとリズムを刻む、こっちは見た目も出す音も実に渋い花岡献治のベースと島田和夫のドラムスの完璧なコンビネーション!

いや、バンドのことなんか、ブルースのことなんか全然わからなかったですよ。でも分からない子供のアタシでも、気が付いたら席を立って、手を叩きながら足で一緒にリズム取ってたんですよ。

ライヴ終わった帰りに、車の中で親父に質問攻めでした。あのヴォーカルの人はすごい声だったけど、どうやったらあんな声になるのか、ギターの人は何か指にビンみたいなのはめて弾いてたけど(ボトルネックね)、アレはなんなんだ、そもそもあんなジャンルの音楽はテレビとかで聴いたことないけどアレは一体何ていう音楽だ。と。

そしたら親父、ライヴの興奮冷めやらぬような感じのデカい声で

「アレがブルースよ!」

と、もうザックリ答えてくれました。


まぁブルースですね。色々考えてアタシが誰かに同じ質問されてもそうとしか答えられません。


【収録曲】
(Disc-1)
1.嫌んなった
2.キィ・トゥ・ザ・ハイウェイ
3.おそうじオバチャン
4.はんか街のはんぱ女
5.サマータイム
6.イフ・アイ・ディドゥント・ラブ・ユー
7.10$の恋
8.パチンコ~ランラン・ブルース
9.当れ!宝くじ
10.ALL OF ME
11.スティーリン
12.渚のボード・ウォーク
13.嘘は罪
14.Boy,My Boy
15.ザ・エン歌
16.ア・イ・シ・テ・ル
17.Midnight Drinker
18.シカゴ バウンド

(Disc-2)
1.大阪ビッグ・リバー・ブルース (Album Mix)
2.胸が痛い
3.かぞえきれない雨
4.心はいつも上天気
5.Good time’s rollin’, bad time’s rollin’
6.キスに願いを
7.You are my Angel
8.夢
9.SLOW BOAT TO CHINA
10.オンリー・ロンリー・ジャマイカ
11.君といつまでも(ステイ・ウィズ・ユー・フォーエバー)
12.家に帰ろう
13.ちっちゃなダイヤモンド
14.ファンキー・モンキー・ベイビー
15.WOO CHILD
16.あれからゾンビ
17.風のうわさに

(Disc-3/DVD)
1.Midnight Drinker
2.ドロボー
3.おそうじオバチャン
4.シカゴ バウンド
5.大阪ビッグ・リバー・ブルース
6.胸が痛い
7.嫌んなった
8.パチンコ
9.Stealin’
10.キスに願いを
11.君といつまでも(ステイ・ウィズ・ユー・フォーエバー)



もちろん憂歌団は音楽的にもちゃんとしたブルースです。

大体日本人でブルースっつったら妙に黒人っぽさを出そうとかそういう意識が働きがちですが、憂歌団はあくまで音楽的なブルースを演奏の基礎に置きながら、スピリッツの部分はどこまでも日本人、つうかとことん"大阪のおっちゃん"を極めようというベクトルがあって、それがサウンド、演奏スタイル、そして歌詞とでピタッと合致して他にはない味になってる。

彼らの有名な曲で「おそうじオバチャン」とか「パチンコ」とか、いうすこぶるゴキゲンなナンバーがあるんですが、歌詞凄いんですよ。

「私はおそうじオバチャン」と軽快なリズムに乗ってあぁおばちゃんが楽しく掃除してるんだなぁと思ったら

「1日働いてたったの¥2000!」

と、ズバッと悲哀を投げつけるし、「パチンコ」もあぁパチンコ楽しいんだなと思ったら、いや待てこれはアカンぞ、ギャンブル中毒者の歌だぞと「パチンコパチンコ!」とパンキッシュな絶叫の繰り返しの奥にじっとり潜む狂気をぶん投げてくる。

でも、憂歌団はそういう悲哀とか狂気とかを歌の表面に塗りたくったりはしません。明るく楽しく、そして難しくないシンプルな言葉で、大袈裟にいえば本質を歌い上げるんです。これがブルースでなくて一体何でしょう。

もちろんそういう歌以外にも、音楽的な幅は意外と広くて「胸が痛い」や「数えきれない雨」みたいな擦り切れるようなエモーショナルなバラードは、後になってRCサクセションやブルーハーツなんかに受け継がれるスタイルの原型のようでありますし、日本語でカヴァーされている古いブルースも、今そこの飲み屋で出来た曲みたいな親近感がありますな。

ご紹介したアルバムは、とりあえずで聴いてみたい方へ、間違いなく「とりあえず」以上の愛聴盤になること請け合いの2枚組フルボリュームのベストです。限定盤には初期の貴重な映像がたっぷり入ったDVDも付いててコレが凄いんだ。









『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2017年04月15日

松田聖子 SEIKO JAZZ

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松田聖子/SEIKO JAZZ
(Verve/ユニバーサル)

はい、色々とシャバダバしておりまして、身も心もパンク寸前ですので、今日はちょっと肩の力を抜いて聖子ちゃんについて語ってみましょう。

聖子ちゃんといえば、デビューからもう37年経ちますが、その間ずーーーーっと日本のアイドルの頂点に君臨してきた偉人です。

同期でデビューした人達、或いはそれこそキラ星のように彼女の後を追ってデビューしたアイドルの人達は、デビューして何年か経てつと女優さんになったり、もっと歌謡曲っぽい歌手になったり、アーティスティックな方向性を目指したり、とにかくある時期を境に「アイドル」から卒業していきました。

これはまぁ人間というのは黙っててもトシを取ってしまう生き物でありますから、当然の流れです。

しかし!聖子ちゃんは違います。

人間ならば20代、30代・・・と、トシを重ねて行く毎にそれ相応のカッコ良さみたいなものを目指すようになるものですが、聖子ちゃんは一貫してアイドル。

つまりいくつになっても「カワイイ」と言われる存在であるところに自身を置いて表現してゆくことが、アイドルを貫くこと。

アタシは1976年生まれで、物心付いた時は聖子ちゃんはアイドルでした。

もちろんその時は、別に凄いとも何とも思わず「あぁ、テレビ出てるなぁ」ぐらいに思ってましたし、そこから音楽を好きになった10代の頃、音楽にのめり込んだ20代の頃も、やっぱり自分の夢中になるものにまっしぐらで、そんなに松田聖子という人について考えたりしたことはありませんでした。

それがちょっと「おっ?もしかしてこの人は凄いんじゃ・・・?」と思ったのが、1996年の2度目のアメリカデビューとその後でした。

ファンの方には「何をいまさら」な話かも知れませんが、アメリカでアルバムをリリースして、そこから本格的な洋楽路線になるのかと思っていた矢先、帰国後に放った「あなたに逢いたくて〜Missing You〜」が大ヒット。

これが凄い曲だったんです。

歌詞なんかもごく当たり前のこと歌ってるだけなのに、何でこんなに耳に残るんだろう、と。

そこからアタシの中で「松田聖子」は「聖子ちゃん」になりました。

「あぁ、この人は40になっても50になっても、これは”アイドル”でしかない。他の存在ではない」

と・・・。つまり一言では言い表せない魅力なんですよ。





【収録曲】
1.スマイル
2.追憶
3.イパネマの娘
4.遥かなる影
5.マシュ・ケ・ナダ
6.アルフィー
7.静かな夜
8.ドント・ノー・ホワイ
9.恋の面影
10.星に願いを

で、今回はそんな聖子ちゃんが、満を持して「ジャズ」に挑んだアルバムです。

バックを努めるのは、ジャズの世界ではもう一流の、デヴィッド・マシューズ率いるマンハッタン・ジャズ・オーケストラ。

しっとりしたゴージャスな雰囲気の中、全て英語のチャーミングな発音で綺麗に歌われるジャズ・スタンダードやボサ・ノヴァ。

その、豪華と可憐で塗られた演奏の中から、フッと立ち上る、微かに切なくやるせない情感。

基本的に聖子ちゃんは、ジャズを歌おうが英語だろうが、もうこれ、聖子ちゃんでしかないんですが、それこそエンターティメントの真髄でありましょう。

そういや、まだポップスという音楽が出来る前は、ジャズが一番ポピュラーな大衆音楽で、楽団はヴォーカリストをやとったり、ゲストに招いたりして、一般大衆の人気を得ていたという話がありますが、このアルバムはある意味”それ”なんですよ。

「へ〜、松田聖子がジャズやってんだ〜」

で、聴いた人を、ジャズとかどうとかそういうのをすっとばして聖子ちゃんの魅力に「うはぁ、凄い!」と開眼させるような、そんな不思議で強烈な引力も持ってますし、もっとサラッと「耳に心地良い日本人歌手のジャズカバー」なBGMとしても聴ける(つうことはクオリティが高いということ)、今、まだちょっとしか聴いてませんが、聴く度に色んな凄さ、カッコ良さを教えてくれそうなアルバムです。



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2016年12月30日

リトル・クリーチャーズ 未知のアルバム

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リトル・クリーチャーズ/未知のアルバム
(Chordiary)

「知る人ぞ知る実力派」とかいう言葉が好きです。

そいでもって「その時代の流行と無縁」とか「正直どこからの影響でこんなサウンドになったのか分からない」という言葉も好きなアタシは、日本において、90年代初頭にデビューしたバンドで大好きなのがリトル・クリーチャーズ。

はい、この人達こそ「知る人ぞ知る」じゃないですか。ほいでもってその当時の流行と無縁というか、最先端のオシャレでカッコイイ音は作ってきたけれども、いわゆる渋谷系と近いようで本質的なものが何か全然違う。全曲英語の歌詞で、浮ついたところの一切ないクールな音楽性は、とても斬新で刺激的だったものです。

はい、かく言うアタシも90年代は激しい音楽ばかり求めて聴いていましたので、デビュー当時のリトル・クリーチャーズ、あんま知らんかったんです。ウチの奥さんが大大大ファンで、付き合った当初に教えてもらい。

「うそぉ!?あのバンドブーム最後の賑わいの時にこんなことやる日本人バンドいたんだー!!」

と、かなりびっくりして以来、特別に注目しています。

彼らが世に出てきたのは1990年、あの有名なオーディション番組「いかすバンド天国(イカ天)」で19代キングに輝いてからなんですね。

もうイカ天最後の方でしたが、この番組は、色んな意味でアクも個性も強くてカッコいいロックバンドをたくさん世に送った番組です。

ギラギラにトンガッたバンドや、サウンドもヴィジュアルも激しく自己主張していたバンドだらけだったイカ天で、ジャズや60年代ノーザンソウル、カントリーポップ(いずれもリアルタイムではそういう音楽だとは気付かなかった)などをサラッと消化して、しかも演奏がめちゃくちゃ上手い。その上手さも派手に弾きまくるとかそんなんじゃなくて、最小限の音で的確にグルーヴする、聴かせる上手さというか、まだ10代だったはずなのにその音楽性にも演奏にも不思議な熟練と、とても上質なアメリカン・ルーツ・ミュージックのエスプリが演奏全体に漂っておったんです。


(初期の彼らはこんな感じ)

それからリトル・クリーチャーズは大ブレイクすることもなく、コンスタントに良質な作品を作り続け、メンバー3人は、それぞれソロやセッションマン等で別個に活動をしながら音楽性をひたすら磨いてきました。

普通、バンドメンバーが、それぞれ外で色んなジャンルの音楽をやってきて、自分達のバンドの作品を作ると、幅が拡がったカラフルな作品が出来そうな気がするのですが、このバンドの凄いところは、それぞれ外で活動して、再び集まって作品を作る毎に、無駄な音がどんどん削ぎ落とされて、統一感のある作品が出来上がるんです。




【収録曲】
1.海原
2.未知の世界
3.夢ならば
4.絡めとられて
5.かんちがい
6.声なき者
7.月の顔
8.嘘の朝
9.赤いスカート
10.隼飛ぶ
11.わずかばかり


「未知のアルバム」は、5年という期間を置いて制作された7枚目のフル・アルバム。


「最小限の音数で、如何にグルーヴするか」ということに、ストイックにこだわったかのように、ギターはループする中毒性の高いリフを刻み、ベースはうねりながら微妙な緩急でサウンドを冷静にコントロールし、ドラムはひたすら乾いた音で、まるで打ち込みのように、厳選された打撃を重ねます。

リトル・クリーチャーズといえば、とにかく曲調とか展開とかよりも豊かに、楽曲に込められたストーリーを語る、青柳拓次、鈴木正人、栗原務の3人がそれぞれ持っている音色の豊かさに尽きるんですが、今回は本当にギター、ベース、ドラムという3つの楽器の音だけで、実に歌っています。

パッと聴くと、洗練を極めていてミニマルな要素で組み立てられた楽曲は無機質に聞こえなくもないはずですが、聴いてて心踊るしじんわりくるし、何よりも音楽そのものが暖かい。ジャンルで言えば何?って訊かれると非常に説明に困るのですが、これは間違いなくアナタの心を豊かにしてくるグッド・ミュージックです。

あと、これまでずっと英語で歌詞を付けてきたリトル・クリーチャーズが、今回全ての歌詞を日本語で唄ってます。これも意味と響きが不思議な次元で調和していてとってもとっても深いです。



(とてもスマートなシティ・ポップ。人力なのにどこかマシーンっぽいドラムもいいんです♪)



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2016年12月12日

クレイジーケンバンド 香港的士

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クレイジーケンバンド/香港的士
(ユニバーサル)

はい、昨日まではオーティス・レディングとサム・クックを気合いを入れて追悼しておりました(それぞれ12月10日、11日が命日)のと、ここ2週間ほどストーンズの「ブルー&ロンサム」が本当に素晴らしくて、もう頭ん中が濃厚極まりない”ソウル・ブルースモードに入っておりました。

う〜ん、このままでは日常生活に深刻な影響を及ぼしかねない!(いや、いいんですよ、ウェスカムですよ♪)ので、本日はユルりとクレイジーケンバンド♪

この夏(2016年)にリリースされました17枚目のフル・アルバム「香港的士」が、「おぉ〜、これは新作」と思って聴いたら、何と横山剣さんのミュージシャン生活35周年記念のアルバムとかで、剣さんがこれまで世のため人のために提供した楽曲をセルフカヴァーしているアルバムというじゃないですか。

イイーーーーーーーネ!!

そうなんです、イイんですよ。

剣さんはもちろんクレイジーケンバンドのフロントマンで、素晴らしいヴォーカリストで、また圧倒的な存在感を有するパフォーマー&エンターティナーであり、お茶の間の人気者です。

ところがそのキャリアの初期から、作詞作曲に非凡な才能を発揮して、色んなアーティストに素晴らしい楽曲を書いている作家さんでありました。

クレイジーケンバンドでのブレイクは、長年作詞作曲で培ってきたものを「じゃあ自分達の演奏でドーン!」と、炸裂させた結果のものなんですね。えぇ、素敵です。

バンドとしてデビューした当初から、彼らの楽曲のテーマには「歌謡曲」というひとつの巨大なコアがありました。

同時に「昭和」というキーワードもあって、でもそれは単なる懐かしさや、古い文化を面白おかしく再現するものではなく「歌謡曲」という戦後日本が生み出した全く新しい音楽の中にルーツとして存在する、古き良きアメリカの音楽(ジャズ、ソウル、R&B、ロカビリー、ロックンロール、ラテン、ボサ・ノヴァ等々・・・)のエッセンスを、最高にイカしたセンスとズバ抜けた演奏力でもってきちんと表に出すことにいつだって成功しているし、いつだって「イイーーーーーーネ!!」なんです。

はい、クレイジーケンバンドという最高にカッコイイ人達についてひとつだけ確実に言えることは

「この人たち本当に音楽が好きなんだ」

ということです。







【収録曲】
1.香港的士 -Hong Kong Taxi-(神崎まき)
2.本牧ソウルレディ(MOONDOGS)
3.タイムトンネル(TUBE)
4.退屈な日曜日(SMAP)
5.T字路/duet 野宮真貴(小泉今日子&中井貴一)
6.女ともだち(和田アキ子)
7.欧陽菲菲(グループ魂)
8.eye catch 湾仔巴士站 -Wan Chai Bus Stop-
9.バスが来る(神崎まき)
10.オヤコのマーチ(松崎しげる)
11.アルゼンチン逃避行(ジェロ)
12.第三京浜(渚よう子)
13.茶番劇(一青窈)
14.eye catch 本牧中央駅 -Honmoku Central Station-
15.TOTSUZEN CAR CLUB(CKB出演映画「イイネ!イイネ!イイネ!」挿入歌)
16.モトマチブラブラ(横浜元町チャーミングセール TVCMソング)
17.BABY BABY BABY(ダックテイルズ)
18.PLEASE(ダックテイルズ)
19.シンデレラ・リバティ(クールス)


アタシがごちゃごちゃ言うよりも、そりゃ聴いた方が早い!怒涛のセルフカバーいきますよー!!

上の曲名の横に()で書いてあるのがそれぞれの曲を提供したアーティストなんですけど、凄い名前が並んでいて壮観です。

しかし!

ここでクレイジーケンバンドによって新たにアレンジされ、演奏されているヴァージョンは、紛れもなく「クレイジーケンバンドの曲」になっていて、改めてクレジットを見返して「あれ?この曲確かアレだったよね!?」と、ようやく思い出すほど。

それぐらいクレイジーケンバンドのオリジナリティというのは圧倒的で、揺るぎない世界があるんですよね。ほら、じゃ〜んと一音鳴るだけで、ふわぁ〜っと夜の歓楽街のネオンとか、真夏のビーチとか、仲間とワイワイやる街の溜まり場とか、そういう風景が広がるんです。

個人的には後半に畳み掛けるダックテイルズ、クールスのナンバーに熱くなるものを感じましたが、いやいや、どの曲も演奏と歌詞が素晴らしい。

結婚する女友達を同性の立場から祝福するE、「これまでのパパはどこかフラフラしてたけど、君を授かることで、ここに生きる自信ができたよ」と"お父さん"の正直な本音をポロッと切なく唄うIとか、ユルく聴くつもりが、その本気の切なさとホロ苦さに引き込まれて、車の運転中にかなりヤバイことになりました(涙腺がね)。

あとDでデュエットしている野宮真貴さんの歌声は、本当にエレガンスの天国から降りてきた人の声だと思います。



”クレイジーケンバンド”関連記事



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2016年09月28日

玉置浩二 Gold

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玉置浩二/Gold
(Saltmoderate)


最近ね、凄くいいんですよ。

いや、何がって、玉置浩二ですよ。

いや、ホント。

ここ数日「大人になって改めてその良さがしみじみと分かってきた音楽」というテーマで、あれこれ聴いてるんですが、主にオーソドックスなジャズとか、60年代〜70年代のソウル、同じ時代のいわゆるアメリカン・ポップスなんかを聴いてるんですけどね、詰まるところこの時代の音楽の良さってのは何だろう?と考えた時に

「そりゃあ歌ですよ、歌としてグッとくるか、思わず一緒に唄ってしまっているか、そういう音楽がいいんですよ」

という、自分なりの結論がひとつ出ています。

ほぉん、唄かぁ・・・。

と、ぼんやり考えておったのが、3年前ですか。確か2013年頃だったと思うんですが、ボーッとテレビ見てたら、玉置浩二がドラマに出演してたんですよ。

不器用でクレイジーで、とっても優しいお父さんを演じてた「東京バンドワゴン」というドラマだったんですが、そのドラマの中で、しみじみといい味を出した演技を見せながら、ちょくちょくドラマの中で玉置浩二が唄うんですよ。

それが何というか、シーンとかセリフとか、登場人物達の心情に、どれもいちいちピッタリで、あの・・・狙ってスポット当ててはい唄〜って感じじゃないシーンばかりなのに、何でこんなに惹かれるんだろうと思ったんですよね。

そしてドラマのエンディング曲の「サーチライト」が、また凄く良かった。

どうしようもない人間の”孤独”みたいなのがあって、それに苛まれたり、傷付けられたりするんだけど、それでも僕は心を照らすサーチライト(愛しい存在の人の優しさ)を信じていたし、そうなりたいと思ってる。

という意味の歌詞を、この人独特の「ふをぉ〜ん」というハラー(叫ぶのでなく、ふくよかに張り上げる歌唱)をたっぷり交えた、そのサウンドといい、声の質感といい、物凄く奥底からくるブルース・フィーリングを、アタシなりに感じたんですね。

安全地帯の頃はアタシは小学生で、化粧してニューウェーブなサウンドを「面白い」とは思っても、真剣に聴くまでではなかったし、ソロになって「田園」ですごく売れた時は、バリバリの洋楽小僧で、日本のヒットチャートなんかには完全に背中向けてたんで、さほどの感慨は正直なかったんです。

そこへきて2010年代の”玉置浩二”これがとにかくグッときたんですよね。理屈でなしに。。。

「サーチライト」これは運命の一曲だと思って、アルバムを聴きました。



【収録曲】
1.それ以外に何がある
2.いつの日も
3.サーチライト
4.セコンド
5.かくれんぼ featuring.金子マリ
6.TOUCH
7.宙
8.泣くなひまわり
9.屋根の下のSmile
10.GOLD


というのも、さっきもちょっと触れましたが、ブルースやソウル、ゴスペルといったブラック・ミュージックが好きなアタシは、この玉置浩二のヴォーカルに、限りなくそのフィーリングを感じたんです。

フィーリングってのは「そういう風にやろう」と思ってもなかなか滲み出るもんじゃなくて、とにかく自分自身と、自分自身の持っている内側の”うた”を、どれほど濃密にリンクさせるかだと思うんですが、ほとんどの曲が統一された深い色合いを持つこのバラード・アルバム(あえてそう言おう)には、ハッキリとアタシの好きな60年代70年代ソウルのフィーリングを”玉置浩二のフィーリング”にした、一人の凄いシンガーがおりました。

アタシは昔からのファンでもないし、自分の好きな音楽を通じてしか玉置浩二を語れませんが、現在進行形の日本のポップスの、しかもかなりメジャーな位置に、こういうディープ・ソウル・ミュージックがあるというのは、素晴らしいことだと思います。



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