2017年11月23日

ソル・ホオピイ Classic Hawaiian Steel Guitar 1933-34

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Sol Hoopii/Classic Hawaiian Steel Guitar 1933-34
(OJC)

こんな季節に何事かと思われるかも知れませんが、今日はハワイアンです。

ハワイの音楽といえばハワイアンですね。今、フラダンスをやっている人がかつてなく多くなってたり、また、昭和の昔からハワイアンのテイストを取り入れた「憧れのハワイ航路」のヒットを皮切りに、夏のビアホールの定番といえば生バンドが演奏するハワイアンがBGMの定番だったり、我が国では昔からハワイ人気、ハワイアン人気というものがあって衰えを知りません。

やっぱりアレですね、ハワイには戦前から日系移民が多くおりますし、王国だった頃は当時のカメハメハ大王が、アメリカやヨーロッパに対抗するために日本の皇室と縁組をして仲良くなろうとしたとか、そういう歴史もありまして、更に気候や風土は違えど、やっぱり島国ということで、お互いに本能的な親近感みたいなものが湧くんじゃなかろうかと思うんですがどうなんでしょう。

日本から行く観光客が多いのも、気候が穏やかとか治安がいいとか、そういうことだけじゃないと思うんですよね。「何となく安心する」のその「何となく」の部分はもっと掘り下げて考えてみたい。という訳でアタシはよく、戦前とかの古い時代のハワイアンを聴いてるんです。


さてこの「ハワイアン」なる音楽、ほとんどの人はハワイの伝統音楽だと思っておりますが、実は少々歴史が複雑であります。

元々ハワイにはフラという重要な文化があります。

これは元々は王宮のみで披露される芸能であり、神事でありました。

原初のフラを伴奏する音楽というのは、歌と打楽器だけの非常にシンプルなものだったそうですが、19世紀という割と早い段階で、西洋音楽の要素を取り入れてモダン化したんですね。

ハワイというところは1700年代に発見されてから、事あるごとに植民地化したい欧米列強の標的にされておりましたが、歴代の王様が非常に聡明な人が多く「ヨーロッパ人の平和的な移住は認めるけれども武力侵攻は認めない」という政策を貫き、実にしたたかにそれを実行したんです。

だから西洋の文明や文化は、ハワイにはしっかりと根付いております。で、19世紀以降のモダン・ハワイアンが更にモダンなポピュラー音楽になるのは1900年、アメリカによる完全な併合が成ってからのことであります。一気に移住してきたアメリカ人によってジャズやカントリーなどが持ち込まれ、ハワイの音楽家達もこぞってこれらの音楽の要素をハワイアンに取り込んで演奏するようになりました。

そのひとつの象徴がスティールギターであります。

ハワイアンバンドには必ずといっていいぐらいに使われる、あの横に寝かした状態でバーをスライドさせ、キュイ〜ンと独特のトロピカルな風情を醸してくれるあの楽器は、元々はギターを膝に置いてナイフをスライドさせる、ブルースのスライドギターから影響を受けて誕生した楽器なんです。

はい、かなーり前置きが長くなってしまいましたが、本日ご紹介する人はソル・ホオピイ。戦前の1920年代から30年代にかけて大活躍し、ハワイアンの歴史の中でスティールギターの演奏を最初に確立した人であります。

ソル・ホオピイは1902年ホノルル生まれのネイティヴ・ハワイアンです。

音楽一家(何と21人兄弟!)に生まれ、生計のために3歳からウクレレを手にして十代の頃にはもうギターを弾いていて、その頃には彼の弾くギターは膝に置いてナイフをスライドさせるスタイルだったと言います。

その頃の仕事は、豪華客船の専属バンドでギターを弾くことであり、それが評判になって何とそのままサンフランシスコに渡り、現地のカントリーバンドのメンバーになりました。

アメリカでみっちりカントリーの技法を覚え、ハワイに帰ったソルは、仲間とトリオ編成のバンドを結成。このトリオがまた、ジャズにカントリーに何でもござれ。しかもハワイの伝統的な古典歌謡などもしっかりとレパートリーの中に入れて、ハワイにいるどの人種、どの界隈の人のリクエストにも間違いなく応えられる驚異的な演奏技術とアレンジセンス、そして音楽的に底無しの懐の広さを持っており、地元ハワイはもちろん、アメリカでも大人気になったんです。



(フラとブルースの融合、その名も「フラ・ブルース」)





【収録曲】
1.I Like You
2.Drifting and Dreaming
3.I Want Someone to Love Me
4.King's Serenade
5.King Kamehameha (take A)
6.Kolo Pa
7.Don't Stop Loving Me
8.Akaka Falls
9.My Little Grass Shack in Kealakekua Hawaii
10.Weave a Lei - Flower Lei
11.An Orange Grove in California
12.Aloha Beloved
13.The Lei Vendor
14.On Our Parting Day
15.There's Nothing Else to Do In Ma-La-Ka-Mo-Ka-Lu
16.My Hawaiian Queen
17.Midnight's Near
18.Hula Girl
19.Hula Blues
20.Under the Tropical Moon
21.Ten Tiny Toes - One Baby Nose
22.Oh! Lady be Good!
23.King Kamehameha (take B)
24.It's Hard to Say Good-Bye


このCDは、ホオピイが1933年から34年、つまり全盛期に残した音源集であります。

聴いてびっくりなのが、まずそのスティール・ギターのテクニックです。

アンプもない時代でしたから、ギターでソロを取るというのは大変なことだったんですが、ホオピイのギターは単音で弾くメロディも、弾きながらのバッキングも、このまんま一流のジャズ・オーケストラのソロイストになれるんじゃなかろうかと思うぐらいに完璧です。この時代で彼のテクニックに対抗できる人といえば、ブルースではロニー・ジョンソンブラインド・ブレイク。ジャズでは白人ギタリストのエディ・ラングにフランスのジャンゴ・ラインハルトぐらいではないでしょうか。

ハワイアンとして、もちろん楽しくまったりも聴けますが、アタシのよーに戦前のブルースやジャズ、カントリーとか、そういうアコースティックなルーツ・ミュージックがたまらなく好きな人間の探究欲みたいなのも、楽しく聴きながら幸せに満たしてくれる素晴らしい演奏です。つまりハワイアンに興味がないけど、アンプラグドな音楽が好きな人にはぜひ聴いて欲しい人がソル・ホオピイですし、フラやハワイアンが好きな人にとっては「これが原点なんだ!」と新鮮な感動に浸りながら、一生穏やかに付き合っていける音楽だと思いますので、超絶オススメしておきますね♪

それにしてもソル・ホオピイのスライド奏法、1920年代に入る前には既に確立されてたと言います。シルヴェスター・ウィーヴァーによってブルースのスライドギターがレコーディングされたのが1923年だから、もしかしたらホオピイはアメリカでブルースマンに直にスライド奏法を学んだことになりませんかい?そうなってくるとブルースの誕生近辺にもこの人は深く関わってるということになりそうですが、そこら辺を示す資料は今のところありません(逆に彼の演奏がブルースマン達のスライド奏法に影響を与えたという話はわんさか出てきました、ワォ!)。ふむぅ・・・。



(シルヴェスター・ウィーバーによる”スライドギター最初の録音”についてはここに書いております)





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2017年09月24日

ミリアム・マケバ 1955-1962

6.jpgミリアム・マケバ/1955-1962
(オルターポップ)


「クイーン・オブ・アフリカン・ソウル」「アフリカン・ポップスの女王」として、広く知られるミリアム・マケバ。

「いや、そんなこと言われても誰?」という方でも、この人の最大のヒット曲となった『パタパタ』を聴けば「あー、流行ったね」「そういえば学校の創作ダンスとかで流れてたわ」と、なることうけあいです。

アタシも「パタパタ」は知っていて、というよりも何か聴いたことあるぐらいにずっと思っていて、この歌を歌ってる人が誰かということにさほど興味もなく過ごしていたんですが、2000年代の始め頃に、畠山美由紀さんがヴォーカルをやっているユニットでダブル・フェイマスというのがあって、このグループの音楽がとってもトロピカルで、アフリカやカリブの空気感満載でとっても良いなぁと感動していた時、たまたまこんな音楽をある場所で耳にしたんです。




「わ、これなんかすごいダブルフェイマスっぽいぞ!でもこれ、ジャズのようでもあるし、50年代のR&Bのコーラスグループっぽいよなぁ。でもすごく惹かれる、とっても気になる・・・」

と思ってたら、これこそアフリカン・ポップスの女王、ミリアム・マケバの初期音源なんだよ。彼女の音楽は当初洗練されたアメリカン・ミュージックの影響をすごく受けていた、極上のアフリカン・ジャズなんだよということを知って、それから一気に彼女の声、その伸びやかで極楽気分に溢れた歌と音楽の虜になってしまいました。

「アフリカ」といえばいろんな部族がいて、パーカッションや民俗楽器を使った非常にプリミティヴなものももちろんカッコ良くて、周囲のアフリカ好きの人達も、どっちかというとそういうものを好む人が多いのですが、50年代から70年代にかけてのアフリカ都市部の音楽、特にアメリカのブラック・ミュージックと深いところで共鳴しているポップスの素晴らしさといえば、もう一言では語り尽くせぬほどの魅力があるんです。

歴史的な事をちょいと説明すると、アフリカという地域は、長いことそのほとんどが欧米の植民地でありました。

この流れに変化が起きるのが第二次世界大戦が終わった後で、イギリスやフランスの植民地だった地域は、様々な問題を抱えつつも次々と独立して行きます。

人々は抑圧された体制から解放され、その自由を謳歌するために、或いは謳歌そのものとして自分達の音楽を高らかに歌い上げます。

ここらへんはジャマイカにおけるレゲエの誕生とも少々リンクしている話ですが、これらの国々では、元から合った部族の音楽に、西欧諸国で流行したポップスが絶妙に混ざり合って、また、ラジオやレコードを通して入ってきたアメリカの音楽、特に何となくお同胞意識を抱いていたアメリカ黒人達の音楽、つまるところのR&Bやジャズなんかを自分達なりの解釈でもって演奏したり歌ったりして、更に洗練させたり、独自性を加えてみたりして「アフリカのポップス」というものが、徐々に形作られていく訳でございます。

ミリアム・マケバは、南アフリカの生まれであります。

南アフリカといえば、アフリカの国々の中でも割と早い段階(1931年)に正式な独立を果たした国でありますが、一方で少数の白人が黒人を物心両面で支配下に置く、悪名高いアパルトヘイト政策をずっと続けてきた国で、彼女の音楽人生もまた、この国の不条理な事情とは無関係ではありませんでした。

貧しい家に生まれ、貧しさ故に親が犯した犯罪(密造酒販売)によって生後すぐに刑務所に収監されるという波乱万丈な人生のスタートを切る彼女ですが、そんな逆境にもめげず、人気ジャズ・バンドのヴォーカルとしてデビュー、その後突き抜けるようなポジティヴな歌声がすぐに人気を博して、1950年代の半ばには、彼女を中心といたヴォーカル・グループ”ザ・スカイラークス”が結成され、この時にレコーディングした曲の中に、彼女の生涯の代表曲となる”パタパタ”も入っております。

デビュー後のミリアムの人気は、この頃アフリカのみならず、アメリカにまで及んでおりました。

類まれまるその歌唱力は、ブロードウェイの耳に留まり、何とミリアムは1959年にアメリカに招かれて、ミュージカル「キングコング」に、主演のシンガー役で大抜擢を受けます。

そのまま世界ツアーに出た彼女は、ロンドンで名優であり大人気シンガーのハリー・ベラフォンテと親しくなり、この大物から

「どうだい、アメリカでデビューしないか?」

と、誘いを受け、成功への更なる大飛躍へと踏み出すのですが、彼女にはここで悲劇が起こります。

1960年、ミリアム28歳の時にお母さんが亡くなり、その葬儀に出るために帰国をしようとするのですが、南アフリカの政府は彼女のパスポートを失効とし、帰国を拒否してしまうのです。

これの理由は分かりませんが、恐らくは歌手として世界の舞台で活躍しようとしているミリアムの動向に不安を覚えた政府が、差別的な理由でもって彼女のパスポートを取り上げたんだろうと言われております。

それから2年後、やむなくアメリカにいたミリアムですが、国連に招かれて、そこで母国のアパルトヘイト政策に関して批判的な証言を行い、これに激怒した南アフリカ政府は、彼女の市民権と帰国する権利を永久に剥奪し、ミリアムは二度と母国へ帰れなくなってしまいまが、この悪意ある対応に激怒したアフリカやヨーロッパ諸国の国々が、次々と「世界市民として受け入れる」と、彼女にパスポートを発行。

彼女の名前は一気に「差別と闘う勇敢なシンガー」として、世界から称賛の的となります。

でも、彼女の偉いところは「自分はあくまでシンガー」と芸に真剣に取り組み、人々を嬉しく楽しくさせるような音楽を真摯にやっておったところです。

ジャズやソウルなど、アメリカのブラック・ミュージックの伝統から流行までも広く呑み込んで、それをアフリカのエッセンスで無理なく鮮やかに彩った彼女の音楽は、実にオリジナリティの塊であり、大好きだったエラ・フィッツジェラルドやサラ・ヴォーンらからの影響を感じさせつつも、他の誰とも似ていない、伸びやかでその声の余韻の中に深い慈愛を感じさせる歌声は、世界中の人々の心を掴みました。

ポピュラー音楽の頂点とされるグラミー賞を受賞し、リメイクした「パタパタ」の大ヒットで、押しも押されぬ世界のトップシンガーとなってもなお、彼女はその芸を深めることへの努力を惜しまず、60年代、70年代、80年代とその歌声に更なる深みを刻んでゆくのです。

アメリカやベルギー、ギニアなどを活動拠点にしていた彼女は、南アフリカのある活動家の支援に本格的に乗り出します。そう、後に南アフリカ大統領となるネルソン・マンデラの支援です。

1988年、ロンドンにあるウェンブリー・スタジアムにおいて行われた「投獄中のマンデラの70歳を祝うコンサート」が行われ、ボブ・ディラン、スティーヴィー・ワンダー、キース・リチャーズ、マイルス・デイヴィス、リンゴ・スター、ホイットニー・ヒューストン、ブルース・スプリングスティーン、ボノ(U2)、ピーター・ガブリエル、ランDMCなどなど・・・ありとあらゆるジャンルの大物ミュージシャン達が集結したこのコンサートでミリアムも歌い、こういった世界的な動きの中で南アフリカのアパルトヘイト政策は終わりを迎えるのでありました。

ちなみにこのコンサートの司会を務めたのは、ミリアムを世界に知らしめるきっかけを作ったハリー・ベラフォンテであります。

さて、ようやく30年近い漂白の身から晴れて南アフリカへ帰国したミリアムは、歌手活動を続けながら、差別や貧困、またはアフリカ社会で深刻な問題となっているHIVの問題など、あらゆる事柄に関係するチャリティーに本腰を入れました。

彼女が亡くなったのは2008年、76歳の時でしたが、この最期となったのがイタリアで行われたマフィア追放キャンペーンのステージで「パタパタ」を歌い終わった直後に心臓麻痺を起して帰らぬ人となっております。

信念の人だったのでしょうね。








【Disc-1:APARTHEID IN JOHANNESBURG】
(THE MANHATTAN BROTHERS)
1.LAKU TSHUNI ‘LANGA
2.TULA NDIVILE (SADUVA)
3.BABY NTSOARE
(THE SKYLARKS)
4.ORLANDO
5.OWAKHO
6.OLILILI
7.INTANDANE
8.PULA KGOSI SERETSE
9.KUTHENI SITHANDWA (DAY O)
10.NDIYA NXILA APHA E-BHAYI
11.BAYA NDI MEMEZA
12.VULU AMASANGO
13.UMBHAQANGA
14.NOMALUNGELO
15.TABLE MOUNTAIN
16.HUSH
17.MTSHAKASI
18.UTHANDO LUYAPHELA
19.PHANSI KWALOMHLABA
20.LIVE HUMBLE
21.SINDIZA NGECADILLACS
22.NDIMBONE DLUCA
23.NDAMCENGA
24.UNYANA WOLAHLEKO

【Disc-2:AFRICA’S QUEEN OF SOUL】
1.ROCKIN’ IN RHYTHM
2.INKOMO ZODWA
3.EKONENI
4.DARLIE KEA LEMANG
5.SOPHIATOWN IS GONE
6.MAKE US ONE
7.BACK OF THE MOON
8.QUICKLY IN LOVE
9.MAKOTI
10.THEMBA LAMI
11.UYADELA
12.YINI MADODA
13.NDIDIWE ZINTABA
14.UILE NGOAN’ A BATHO
15.SIYAVUYA
16.PHATA PHATA
17.MIRIAM’S GOODBYE TO AFRICA
(EXILE IN NEW YORK CITY)
18.JIKELE MAWENI (THE RETREAT SONG)
19.SULIRAM
20.QONQONTHWANE (THE CLICK SONG)
21.UMHOME
22.OLILIL

【Disc-3:NEW YORK】
1.LAKU TSHUNI ‘LANGA
2.MBUBE (THE LION SLEEPS TONIGHT/ WIMOWEH)
3.THE NAUGHTY LITTLE FLEA
4.WHERE DOES IT LEAD?
5.NOMEVA
6.HOUSE OF THE RISING SUN
7.SADUVA (TULA NDIVILE)
8.ONE MORE DANCE
9.IYA GUDUZA
10.KILIMANDJARO
11.ZENIZENABO
12.NTJILO NTJILO
13.UMQOKOZO
14.NGOLA KURILA
15.THANAYI THANAYI
16.LIWA WECHI
17.NAGULA
18.CARNIVAL (“ORFEO NEGRO” THEME)
19.NIGHT MUST FALL
20.LOVE TASTES LIKE STRAWBERRIES
21.CAN’T CROSS OVER


さらっと解説するつもりではありましたが、やはりミリアム・マケバという人の歌は、その波乱万丈の人生に裏付けられていると思いましたので、彼女の人生をざっと振り返って書かざるを得なくなりました。

このアルバムは、彼女が南アフリカでデビューした直後から、ニューヨークに拠点を置いた60年代初頭までの音源を選りすぐった素晴らしい初期ベストであります。

スコーンと明るい、アフリカン・ジャズ/R&Bのディスク1から、独自のジャズ・アレンジでスタンダードやアフリカン・ポップスを唄ったDisc-2,3どれも最高に聴き応えのある、本当にグッとくる、何だか聴いてるだけで心を自然と豊かにしてくれそうな、イカした音楽が目一杯詰まっております。

彼女の声の魅力は本当に奥深く、特に初期の声は大ファンだったというエラ・フィッツジェラルドからの影響が大きく、伸びやかで雑味のない声ですが、結構ドスの聴いた低音や、パンチの効いたシャウトも自在にこなすそのテクニシャンぶりには思わずうなってしまいます。

あと、この人の声はどこまでも優しくて、時にポロッと哀しみが漏れる瞬間が(特にフレーズの最後の、声が伸びて消え入る辺り)あって、アタシは毎回それにヤラレてます。

ミリアム・マケバはアフリカからやってきて、多くのジャズやソウルやR&Bのシンガーに影響お与えた人でもあります。特にニーナ・シモンとエリカ・バドゥは彼女から多くの表現の糧を得たんじゃないかなと思いますが、そこはお聴きになる皆さんの耳で直に確かめてみてください。

3枚組で聴き応え最高で、しかも国内盤なのでライナノーツもあります。




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2017年05月28日

ピエール・バルー サ・ヴァ、サ・ヴィアン

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ピエール・バルー/サ・ヴァ、サ・ヴィアン

(Saravah/コアポート)

音楽を聴くたのしみのひとつに「非日常を味わう」というのがあります。

ミュージシャン達が創造する音世界は、確かに非日常をそこに生み出す最高のツールで「音楽を好きになること=知らない世界との繋がりを深める」という公式は確かに成り立ちます。

知らない国の音楽でもいいし、生活したことのない時代の音楽でもいい。もしくは今の時代の音楽でも、テクノロジーによって完璧に演出された非日常をアタシ達は堪能して、そこに意識を泳がすことができます。

日本語で言うところの”ハレ”の感覚ですね。

さて、アタシもそうやって、音楽を好きになってからというもの、色んな色や形の非日常を楽しんで、或いは自分の内側にヒリッとした感触と共に記憶してきた訳ですが、ここへきて

「日常スレスレの感じを残した淡い非日常こそが、心にしんみりとした何ともいえない情景を残してくれるのではないか」

という感慨が深くなっております。

具体的に言いますと、フランスの巨匠音楽家、ピエール・バルーと、彼がレーベル・オーナー/プロデューサーを務めた”サラヴァ”レーベルの作品を、たとえば休日の午後なんかにぼんやり聴いていると、体は日常に残しながら、心の半分以上が、淡く切ない奇妙な非日常感の中を、ほわほわと漂っている時があるのです。

ピエール・バルー、フランス発のポピュラー・ミュージックの、深く果てしない支流を掘り続けてきたポピュラー音楽家でありシンガー、プロデューサー、役者、そして生粋の吟遊詩人。

貧しい家庭に生まれ、十代の頃から音楽の世界で生きることを志し、自作のシャンソンを書きながら、やがて20代になる頃に世界を放浪し、ポルトガルで聴いたボサノヴァに運命的な出会いを感じ

「この音楽をフランスに広めるぞ!」

と決意して、実際に彼の努力と、本場リオのカーニバルの来仏などによって、フランスではボサノヴァや古いサンバなどが聴かれるようになります。

バルーは後に「フレンチ・ボッサの立役者」と呼ばれるようになりますが、実は若い頃は音楽よりも演劇の世界での評価が高く、アーティストとしての最初の仕事は、役者として映画に出たことでした。

やがて役者としてちょいと知られるようになったバルーに、再び運命的な出会いが訪れます。

それが1966年の、クロード・ルルーシュ監督映画『男と女』。

何と役者としてのオファーとは別に、フランシス・レイが作曲した主題歌の歌詞を書かないか?というオファーが舞い込んで来たのです。

映画の大ヒット、そしてカンヌ映画祭でのグランプリの追い風もあって、映画の中でヒロインの夫として主題歌を歌ったバルーも一躍フランスを代表するアーティストとなります。

この年にバルーが、やりたい音楽を創作するレーベルとして設立したのが"Salava"です。





【収録曲】
1.サ・ヴァ、サ・ヴィアン
2.愛から愛へ
3.小さな映画館
4.おいしい水
5.靴墨のビンとマロンクリーム
6.愛する勇気
7.80 A.B
8.パリ・ウェリントン
9.地球を取って
10.港の歌
11.森林
12.小さな木馬
13.僕がアザラシだった頃
14.遭難 (シングル・ヴァージョン)
15.迷い (アルバム未発表ヴァージョン)
16.80 A.B (アルバム未発表ヴァージョン)
17.サ・ヴァ、サ・ヴィアン (映画ヴァージョン)


バルーの代表作として、今も多くの人に聴かれている「サ・ヴァ、サ・ヴィアン」は、1971年にリリースされたバルーの、ソロ名義としては2枚目のアルバム。








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2016年11月22日

伝説のギタリスト、ジョージ・シバンダ-ジンバブエ(ローテシア)南部-48'49'50'52

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伝説のギタリスト、ジョージ・シバンダ-ジンバブエ(ローテシア)南部-’48、’49、’50、’52
(アオラ・コーポーレーション)

「アフリカつっても太鼓や唄だけじゃねぇぞ!」ということを、声を大にして言いたいアタシにとって、戦後40年代〜60年代ぐらいまでのアフリカのポップス。つっても商業化されたド派手なものじゃなく、地元の人たちの間で素朴に聴かれてはいるが、その形態は伝統音楽とは違うものって、すごくグッとくるし興味をそそるんですよね。

あ、すいません「何のこっちゃ?」とお思いの方も多いと思いますが、例えばアメリカにはブルースがありますね。

その中でも”ダウンホーム・ブルース”と呼ばれる、例えばミシシッピとかの深南部で、レコーディング・スターではなく、週末になるとジューク・ジョイントという安酒場に集まってくる地元の人達相手に、流行とはまったく関係ない、アンダーグラウンド感満載で、どぶろくのような濃いブルースを演奏している人達の音楽が大好きなんです。

はい、戦後「ポップス」といえば、これはもうアメリカやイギリスの音楽がほとんどでした。

世界に向けて”売れる音楽”を供給できる販売網と宣伝力を持つのは、この2ヶ国だけだったからですね。だからそれ以外の国の音楽は「ローカル」です。つまりレコードが出されても、その国の人達だけか、せいぜい文化圏を同じくする周辺諸国の人達が聴くだけで、素晴らしいものが録音されて売り出されても、世界のほとんどの人が全く知らなかった訳です(だってほら、日本の歌謡曲の世界的な大ヒット曲でさえ”スキヤキ”でしたから・・・)。

で、最初に言ったように「アフリカといえば太鼓と唄だろう」というのも、これは間違いではないんですが、ある意味において偏見であり「世界の音楽がアメリカとイギリスのヒットしかなかった時代」の、悪い名残りだと思いますね。

はい、払拭いたしましょう。本日は1940年代末から50年代初頭にレコーディングされた、アフリカの素晴らしいギターポップを紹介します。

アフリカはジンバブエといえば、南アフリカの丁度真上に位置する「大陸最深部に近い国」です。

この国は、何といっても”ムビラ(カリンバ)”と呼ばれる親指でポロポロ弾く親指ピアノが有名で、かつて民族音楽の聖典、ノンサッチのシリーズでリリースされた時は、アフリカファンに大いに受け、これがきっかけでムビラは我が国でも有名になりました。楽器屋さんではなく、エスニックな雑貨屋さんなんかに行けば、オルゴールのご先祖みたいなムビラが置いてあるので、それで何となく遊んだ経験のある人も多いのではないかと思いますが、ムビラの話はまたの機会に。。。

で、そんなジンバブエ。

戦前は主に演奏されていたのは伝統的な音楽ばかりでしたが、1940年代にギターが普及して、この新しい楽器を片手に新たなる流行歌が、次々と生まれてきておりました。

街や村で、ギターを片手に歌い歩く人達はどこへ行っても人気者で、中には全国を旅して唄い歩く人も多かったといいます。

あれ?

ここまで書いて「お、ブルースマンじゃないか」と思ったアナタ、正解です。

正直リアルタイムでアメリカのブルースとジンバブエの音楽がどのような関係にあったのかは詳しく知りませんし、また、語られている資料も少ないので何ともいえないのですが、距離的にものすごーく離れていたはずの、二つの音楽は、もうびっくりするほどそっくりなんです。

いや、違うのは言葉だけで、独特のシンコペーションや間の取り方なんかは、もう双子なんじゃないか。いや、リアルタイムにアメリカで活躍していたブルースマンがこっそり密航してジンバブエで誰かにブルース教えたんじゃないかと思うぐらいのものです。



【収録曲】
1.Dali Ngiyakuthanda Bati Ha-Ha-
2.Ungahamba No Tsotsi
3.Ngiyakuthanda Ntombi Emnyama
4.Otsotsi
5.Guabi Guabi
6.Chuzi Mama
7.Kwantu
8.Kuyini Loku
9.Eranda Ngabop' Itrain
10.Llanga Lashona
11.Uma Lovie
12.Sake Sabotshwa
13.Sivele Sithandana
14.Inyakanyaka
15.Amandebele
16.Hamba La Venda
17.Emely Uyabizwa
18.Itshumi Lami Bafana
19.I-I Thina Lapha Esishupekayo
20.Mami
21.Dlala Laiza
22.Umfazi We Polisa Usegqoka Amal
23."Yinindaba Wena, My Boy"
24.Epilogue


この”まんまブルースなジンバブエのギター弾き語り男”の中で、最も伝説的な存在として語り継がれている人が、今回ご紹介するジョージ・ジバンダです。

民族音楽の世界では「この人がいなかったらアフリカ音楽の正しい姿はおそらく世界に伝わらなかったんじゃないか」と言われている民俗学者でヒュー・トレイシーという”漢”がおります。

アフリカ音楽の採集に命をかけているトレイシーが、ジンバブエ南部で現地の音楽を録音していた時に出会ったのがジョージ・シバンダで、数少ない資料には、彼がこの時披露した歌と、類まれなギターの才能に感動したヒュー・トレイシーが「録音しよう!そうだ、商業用のレコードも出そうよ!君は絶対に売れる」と約束して、1948年からおよそ10年近く、トレイシーの肝煎りでアフリカ諸国はもちろんアメリカにまで名が売れるシンガーとなったものの、典型的な「宵越しのカネは持たねぇ」主義だったジョージは、せっかく稼いだカネの全てを遊興とアルコールに注ぎ込み、結局それが元でミュージシャンとしての活動も僅か10年足らず、1枚の写真すら残さずに、あっという間に伝説の彼方の人になってしまいました。

とりあえず今出ているCDで、彼の演奏が聴けるのもこれだけのようです。

しかしどこまでも自然体ののどかな歌唱、でもバラッドやラグタイムなど、どこか不思議な洗練された完璧なギター・テクニックは、これは聴く人の心にふんわりと一生モノの感動を残してくれる音楽だと思います。

アフリカのブルース、いいよ♪


(これが1曲目、ゴキゲンやろー♪)

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2016年09月06日

ユッスー・ンドゥール&エトワール・ド・ダカール ンバラの誕生 1979−1981

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ユッスー・ンドゥール&エトワール・ド・ダカール ンバラの誕生 1979−1981
(ライス・レコード)

さて、昨日サリフ・ケイタを紹介しましたので、今回もアフリカの大物にご登場願います。

この人はおそらく、アフリカのミュージシャンで最も有名で、スティング、ピーター・ガブリエル、スティング、スティーヴィー・ワンダーら、世界的なポップスター達との数々の共演とか、日本でもドリカム、坂本龍一とも一緒に仕事をしておりますし、度々CMやドキュメンタリー番組の音楽などで楽曲が使われてもおりますので、多分「ユッスー・・・?誰?ワールド・ミュージック何?」な人でも、音を聴けば「あーーー!あのアフリカの!わかった!!」と、なると思います。

とにもかくにもユッスー・ンドゥールこそは、それまでひたすら「ディープで謎に包まれていたもの」と思われていたアフリカン・ミュージックを、欧米のポップスと肩を並べるものにした大功労者なのであります。

んで、アタシは今日、朝から「あぁぁああーー、ユッスー・ンドゥール紹介するんだけどぉ、何にしたらいいかなぁー、何をオススメしたらみんな聴いてくれるかなぁー・・・・」と悩みに悩みました。

何にせよ1970年代から現在まで、常にアフリカン・ミュージックのトップスターとして大活躍している人です。

アルバムの数も尋常じゃないし、その底なし沼のように広く深過ぎる音楽性ゆえ、アルバムも時期によって・・・どころか出す毎にその作風がガラッと変わったりしております。

なので、ここはあえて「ワールド・ミュージックを代表する大物アーティスト」になる前の、彼の原点を知る上で最も重要な時期の音源であり、彼がセネガル伝統のリズムとラテン・ミュージックから受けた影響を見事掛け合わせた独自のジャンル”ンバラ”という音楽を一番分かりやすく集めた2枚組をご紹介します。



【収録曲】
(Disc-2)
1.Thiely
2.Dom Sou Nare Bakh
3.Esta China
4.Mane Khouma Khol Thi Yao
5.Jalo
6.Absa Gueye
7.Thiapa Thioly
8.Dagotte
9.Dounya
10.Diandioli
11.Kine Kine
12.M'Badane

(Disc-2)
1.Tolou Badou N'Diaye
2.Nit Kou N'Gnoul
3.Yalaye Dogal
4.My Wa Wa
5.Lay Suma Lay
6.Diankha Demal
7.Khaley Etoile
8.Sama Guenth-Gui
9.M'Baye Gueye
10.Titeur
11.Maleo


1959年生まれのユッスー・ンドゥールルは、フェラ・クティ(1938年生)、サリフ・ケイタ(1949年生)よりも更に若い世代になります。

グリオの家系に生まれ、幼い頃からジャンベを巧みに操り唄わせる才能を開花させていた彼は、何と15歳でセネガルの首都ダカールで最も人気だった”スター・バンド”に加入。

すぐにそれと分かる特徴的な、よく通るハイトーン・ヴォイスで存在感を顕わにし、この国民的人気バンドの中心人物としての地位をあっという間に築きます。

今もユッスーといえば、あの突き抜けた晴天のようなヴォーカルでありますが、初期からもう揺ぎないスタイルを完成させていたんですね。

で、このスターバンドで、ユッスーはセネガルの伝統的な音楽をポップにしたものには飽き足らず「ここでちょっと世界にある同じ黒人音楽から、何か要素を入れてみようや」と、思い立ち、特に奴隷として西アフリカから連れてこられた黒人の子孫の多いカリブ海、つまりキューバやバハマなどの島々のアフロ・ラテン・ミュージックを、何とか自分達のアフリカン・ミュージックに融合させようと、色々と試みを見せております。

ユッスーがアフロ・ラテンに目を付けたのは、彼が元々ジャンベ奏者であり、人一倍リズムというものに鋭い感覚を持っており、南米でアフリカ時代より更に複雑で強靭なものとなったそのビートには、本能的に惹かれたものがあったのでしょう。

スターバンドでも、ユッスーがラテン・ミュージックからの影響を”試み”として融合させた成果はいくつか聴けるのではありますが、まだまだラテン音楽のコピーの域を脱していないものでした。

どうしても自分がやりたい音楽をやるには、やはり自分のバンドが必要。

そう思ったユッスーは、1979年、遂に自己のバンド「エトワール・ド・ダカール」を結成します。

このバンドは、セネガルのグリオが使う民族楽器「サバール」(ジャンベより大きい縦長の太鼓)で打ち鳴らすビートを軸に、その他伝統楽器、エレキギター、ベース、サックスなど、現代の楽器も通常編成に加え、主にキューバのルンバ、ハイチのコンゴ、そしてやはりこの要素を入れないと現代の音楽として成立しないファンクを、大幅に導入。

こう書くと「アフリカ音楽がラテンファンク化したのか!?」と、単純に捉えられそうですが、ユッスーはそこんとこのバランス感覚が尋常じゃなく、ものすごいラテン風味があっても、どう聴いてもファンクであっても、その中心の最もコアな部分にしっかりとアフリカの、いや、彼が幼い頃より慣れ親しんで完全に血肉と化したグリオの音楽がドッシリと据えてあり、トータルな音楽としては格別のオリジナリティと極めて高いクオリティの両方をしっかりと持っているものに、エトワール・ド・ダカールのサウンドは昇華しました。

このオリジナルな音楽に、ユッスーは「ンバラ」と名付け、この後ンバラはセネガルのみならず、アフリカの若者の間では、最高にカッコイイ音楽として、ひとつの時代を作ることになります。



この、1979年から1981年、超初期のエトワール・ド・ダカールの音源を集めた2枚組は、タイトル通りユッスー・ンドゥールという不世出の天才が「ンバラ」という音楽を生み出した正にその瞬間を余すところなく収めた素晴らしいCDです。

洗練を重ねて孤高の極みに達した今のユッスーもいいけど、適度に泥臭くてヤンチャなこの時期のユッスーもいいんすよ。








『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2016年09月05日

サリフ・ケイタ ソロ

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サリフ・ケイタ/ソロ
(ライス・レコード)

「アフリカ」といえばすぐにパッと思い浮かぶ音楽として、サリフ・ケイタの音楽があります。

カラッとした賑やかなファンク系ビートに、よく通る、しかしどこかその奥底には無限の説得力やカリスマな風格のある声が、最高に心地良いポイントで混ざり合ったそれは一言で「魂の音楽」と言ってもクサくはならんでしょう。

最初にサリフ・ケイタを聴いたのは、丁度22歳ぐらいの時。

70年代のアメリカのBLACK JAZZやSTRATA-EAST系の音が好きになり、その延長でフェラ・クティにハマッて、先輩に

「アフリカのこういうジャズっていうんすか?アフロポップ?とにかくカッコイイっすね。こういうのもっと聴きたいなぁ・・・」

と言ったら

「お前、アフリカ音楽好きだったらサリフ・ケイタは聴いてるんだろうな」

と言われ

「誰すか?」

となって、その後はお約束のパターンです。

フェラ・クティもサリフ・ケイタも、どちらも西アフリカ(ナイジェリアとマリ)で、どちらも西アフリカ伝統音楽に、ジャズやR&B、ファンクなど、アメリカン・ブラック・ミュージックの要素を大胆に取り入れた革新的なミュージシャンであり、どちらも「アフリカン・ポップスの巨匠」として名高いのですが、その音楽性はほとんど正反対ぐらい違います。

歌詞にふんだんに政治的なメッセージを盛り込んで、攻撃的なリズムの呪術っぽい繰り返しで熱狂のカオスを生み出すフェラ・クティに対し、サリフ・ケイタの音楽は、歌詞に込めたメッセージの熱を内に秘めつつも、政治的というよりは、もっと普遍的な、人間存在そのものの問題点を繊細に浮き彫りにしたような感触があります。

音楽的にも非常に聴き易く、全体的にポップであります。

ですが、そこはアフリカの王者サリフ、上っ面でなく”奥底”で聴かせます。

近年の作品は特に生楽器を中心としたシンプルなアンサンブルで、実に深みのある声で切々と聴かせる作品が多いのですが、音楽的色彩が相当にカラフルな初期の音源を聴いても、まずサウンドの華やかさよりも先に独特のコクと深みの方が強く印象に残ります。

とりあえず本日は、このブログでサリフ・ケイタを紹介するのは初めてだと思いますので、初期のソロ・デビュー・アルバム「ソロ」を紹介しながら、サリフ・ケイタという人について、ちょいと書いていこうと思います。




【収録曲】
1.ワンバ
2.ソロ
3.スアレバ
4.シナ
5.コノ
6.サンニ・ケニバ



(このCDの2曲目「ソロ」のライヴ、直立不動で歌う姿に何かもう凄いオーラが漂ってますな)



サリフ・ケイタは1949年、西アフリカはマリ共和国という国で生まれました。

このマリという国は、実に独自の弦楽器文化があり、アフリカ諸国の中でも素晴らしい民族音楽の宝庫なんですが、その話はちょい置いといて、サリフ・ケイタの話をサクサクいきましょう。

王族の末裔という凄い家に生を受けたサリフでしたが、アルビノという先天的に肌の色素が少ない体質であり(つまり黒人なのに肌が白い)、このアルビノというのは、病気でも障害でも何でもないのですが、やはりまだ「不吉だ」とかいう迷信が信じられていたのでしょう。生まれてほどなく、ほとんど勘当に近い形で一族を追われ、外に出てもずっと差別や迫害を受けるという悲惨な幼少期を過ごしました。

肌の色が人と違うというだけでマトモな生活ができないなんて、酷いといえば酷い話なんですが、そんなサリフをマリで唯一受け入れ、音楽の手ほどきをしたのが、西アフリカ一帯で音楽や歴史物語の”語り部”を生業としている”グリオ”と呼ばれる人々でした。

さっきのマリという国に独自の優れた管楽器文化がある云々という話をしましたが、それこそがこのグリオの人達が築き上げたものなんですね。

彼らはコラ(竪琴)ンゴニ(バンジョーの先祖)といった弦楽器のスペシャリストであり、太鼓や木琴楽器も自在に操り、また、演奏するだけでなく製作も行う世襲制の伝統職人であるだけでなく、国や王家の歴史や伝説の英雄の物語、神や悪霊を制する歌も継承しており、現地の人達からは、一種のシャーマンに近い畏敬を受ける集団です。

グリオは、その生い立ちから神聖な人々であるとされておりますが、同時に賤民として差別もされており、非常に複雑でデリケートな存在です。

さて、肌の色のことで差別され、一般社会では生きていくことの難しかったサリフ少年は、このグリオの集団に拾われ、彼らの直接の手ほどきを受けて、歌唱と楽器を覚えていくのですが、その過程で「声に人並み以上の力がある」と認められ、今度はグリオの世界からポピュラー音楽家への道へと突き進んで行くのですが、これが1967年、サリフ何と18歳の時であります。

彼がヴォーカリストとして参加した数々のバンドは地元や西アフリカ一帯で人気を博し「サリフ・ケイタ」という存在も、その肌の色も相俟って人々の口を通して、凄まじくミステリアスな神がかったシンガーとして有名になります(ここんとこ、ロバート・ジョンソンとかのブルースマンの伝説とちょいと似ております)。

ソロ・シンガーとして、更なる成功と名声を願ったサリフは1986年にフランスに移住、そこで元々グリオたちの伝統音楽と同じく”好き”であったジャズやR&Bなどの文化に大いに触れ、それらのエッセンスを見事血肉とします。

そして、満を持してのソロ・デビュー作が、1987年作。タイトルもそのままに「ソロ」でございます。

このアルバム、聴いてみれば分かるのですが、アフリカ伝統音楽の、かなりディープなフィーリングに、ジャズやアメリカン・ブラック・ミュージックのエッセンスが、全く不自然なく溶け合っていて、今聴いても「あ、これは凄い」となること請け合いなんですが、実はこんな凄いアルバムが、世界的に認められたのは、発売からちょっと経ってイギリス盤が出回ってからというから、歴史というのは何がどうなるのか分からないものですね。

とにかくサリフ・ケイタ「ソロ」は、アフリカの音楽ってどんななんだろう?あ、でもいきなり民族音楽全開なのはちょっと怖いかな・・・と思ってる人には、まずは何を置いてもオススメです。もちろん70年代のソウルジャズやジャズファンクなんかが好きな人にも♪


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2016年03月04日

アリ・ファルカ・トゥーレ Radio Mali

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Ali Farka Toure/Radio Mali
(Nonesuch/elektra)

西アフリカのマリ共和国、この国は非常に豊かな音楽の地であり、グリオーという吟遊詩人文化があり、コラ(竪琴)やンゴニ(三味線のような四弦楽器)といった、独自の弦楽器文化がある土地であります。

そんな中「マリのブルースマン」として世に現れ、世界中の多くの人々にその人間味溢れる唄と独特のギターの魅力と共にマリ音楽の素晴らしさを広く知らしめたのがアリ・ファルカ・トゥーレであります。

有名なのはアリが世に出るきっかけとなった1995年のライ・クーダーとの共演作なんですが、文字通り”ブルースマン”としての彼の表現のコアな部分に触れるアルバムとしては、弾き語り中心のシンプルな編成で深〜い味わいがたまんない「ラジオ・マリ」がオススメです。




【収録曲】
1.Njarka
2.Yer Mali Gakoyoyo
3.Soko
4.Bandalabourou
5.Machengoidi
6.Samariya
7.Hani
8.Gambari
9.(njarka) Gambari
10.Biennal
11.Arsani
12.Amadinin
13.Seygalare
14.Terei Kongo
15.Radio Mali
16.Njarka (excerpt)


1970年〜1978年、ラジオ放送用の音源です。

マリという国は実に音楽に力を入れている国で、1960年代に独立をしてから、何と政府が主体になって自国の伝統音楽も新しいポピュラー・ミュージックも「才能があるミュージシャンがいる」となればとにかくマーケティング、コンサートや作品制作などにも予算を惜しまずに「どんどんやれ!」と、ミュージシャン達を支援していたんです。

何でも当時の国の偉い人の思想には「我が国が欧米と肩を並べる一流の国になるには、経済やインフラなどはもちろんだが、それ以上に文化だろ!」というのがあったようで、特に新しいものに敏感な若者達が自分達で新しいマリの文化を作っていくことが出来るのならば、それは伝統音楽じゃなくても構わない。ポップスでもジャズでもロックでも何でもやりたいよーにやれば良い。と、文化的な一切にとても寛容であったといいます(何て素晴らしいんだ、どっかの国の偉い人達は爪の垢でも煎じて飲めばいい)。

その中から出てきたのがサリフ・ケイタです。言うまでもなくアフリカン・ポップスの頂点を極める偉人でありますが、その話は長くなるからまた今度ね(汗)

で、アリ・ファルカ・トゥーレです。

「アフリカのブルースマン」と言われているのにはちゃんと訳があって、彼は若い頃にラジオからジョン・リー・フッカーのブルースを聴いて「すっげぇ!俺、これになる!!」と決めて音楽の世界に入ったようで、その音楽は伝統的なマリ音楽独自のエッセンスを軸に、ジョン・リー・フッカーやロバート・ピート・ウィリアムス、スキップ・ジェイムス、ミシシッピ・フレッド・マクダウェルといったブルースの中でもとりわけクセやアクの強い、南部フィーリングを濃厚に持つカントリー・ブルースマン達からの影響が色濃く感じられます。アリの声をオクターブ低くしてドロッドロにしたら確かにジョン・リーみたいになるでしょう。

ただ「ブルースに影響を受けたからそれをまんまやる」というのではなく、ギターのアクセントやメジャーとマイナーの間を浮遊感たっぷりに自由に泳ぎながら、ワン・コード、或いは2コードの繰り返しが生み出すトリッピンなノリはアフリカそのものであり、いわゆる「ブルース」というよりも、この人にしかない「ブルースが一周して帰って来たらこうなっちゃった」な感じがたまらなくいいんです。




(これはブルースでしょう)


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2016年01月06日

イクンガ&ミスター・サムシング・サムシング ディープ・スリープ

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イクンガ&ミスター・サムシング・サムシング/ディープ・スリープ
(オルターポップ)

いきなりアタシの話で申し訳ありませんが、ブルースに目覚め、フリー・ジャズに狂って本格的にブラック・ミュージックなるものにハマッてからというもの、どこかでそのルーツたる音楽、つまりアフリカン・ミュージックというものを聴いておかねばならないな、という気持ちがあって、でも何を聴けばいいんだろうか・・・と思いつつ、色んなものに手を出しておりました。

それこそリアルタイムで「アフリカン・ポップス」と広く知られているようなものから、どこかの部族がやっているお祭りの音のクッソ悪いフィールド・レコーディングのやつまで、もう色んなものを聴きましたが、どうにも素直に”ピン”とくるものがない。

そんなモヤモヤは、アタシの「ルーツという幻想を求めて聴く」という、まぁ純粋にカッコイイものを探すんではなしに、どこかお勉強みたいなノリで「アフリカの音楽はこうでなきゃいけないんだ」という、視野の狭さからくる勝手な思い込みのせいでした。

そんなアタシに

「アンタなぁ、ジャズとかブルースの理想を安直にアフリカに求めなさんな。アメリカのブラザー達は何百年か前にアフリカから奴隷として連れていかれてアメリカで苦労したんや。で、今のアフリカのブラザー達が直面しとるのは今のアフリカの問題よ。どっちがどうとかじゃなくてそれぞれ人には事情ってもんがあるんでぇ」

と、クソかっこいい独自のグルーヴ渦巻くサウンドとキョーレツな政治的メッセージを突きつけて渇を入れてくれたのがフェラ・クティという人でありました。

ジャズやファンクなど欧米のブラック・ミュージックからの影響を存分に受けつつも「でも、アフリカ人であるオレらのアイデンティティはこうだ!」と言わんばかりの”アフロ・ビート”のカッコ良さには、今でも背中に溶岩吹き付けられたみたいな興奮を覚えてなりません。

優れたミュージシャン/バンド・リーダーであるだけでなく、思想家としてもアジテーターとしてもズバ抜けた実力とカリスマを持つフェラ・クティの音楽は、後進のアーティスト達に多大な影響を与えたことは間違いありませんが、その中から

「いや、師匠(フェラ)の表現はそうだったかも知らんけど、オレはもっと違う手法があってもいいと思う」

と、独自の道を追求して頭ひとつ抜けた存在になっている存在が、詩人のイクンガでしょう。

イクンガは師匠であるフェラ・クティの音楽、特に政治的、精神的なメッセージ性の強い歌詞に注目して、ノリノロのアフロビートに、一見すると正反対のベクトルかと思える深淵なポエトリー・リーディングを融合させて”アフロ・ポエット”という独自のジャンルをひとりで作り上げた、80年代〜現在に至るナイジェリア音楽シーンの”孤高”といっていい存在のミュージシャンであります。

アタシはこの人のことを雑誌(ミュージックマガジンだったかな?)の紹介記事で知りました。

正直フェラ・クティの”扇動”ともいえる激しいサウンドと、アジテーションのようなヴォーカルに「ぐわぁ!!」となっていたので、イクンガの「アフロ・ポエトリー」は全く想像が出来ませんでした。

しかし、考えてみれば、レゲエの世界に”ダブ・ポエトリー”という独自のジャンルを作ったリントン・クウェシ・ジョンソンという人がいて、その人が全く合うはずはなかろうと思っていたレゲエのリズムの上で、静かな知性と幽玄の美とが交錯する音世界を作り上げていて、アタシもそれには十代の時すごくヤラレましたので、期待はしてたんです。






【収録曲】
1.DNDABP
2.爆弾
3.アバンクワ
4.お前は美しい
5.ディープ・スリープ
6.DNDABP(radio edit)
7.爆弾(radio edit)
8.アバンクワ(radio edit)


実はイクンガという人は、詩人として80年代からその名が知られていて、主に大学生などの間でその作品がムーヴメントを引き起こすほどに社会情勢の中心にいた人なんですが、彼は医師として生計を立てる傍らで、朗読のコンサートを行ったり、フェラ・クティの息子、フェミ・クティのバンドの前座で出演したりと、その活動は断片的なものであったんです。

90年代までは「知る人ぞ知る」存在だったのが、ようやく重い腰を上げてミューシャンとして活動を始めたのが2004年になってからで、今のところ「たった2枚のアルバムのうちの貴重な一枚」と言われているこの「ディープ・スリープ」も、レコーディングのためにカナダのアフロ・ファンク・バンド”ミスター・サムシング&サムシング”と組んで綿密な打ち合わせの末にようやく楽曲を仕上げたという念の入れようなのです。


で、フェラ・クティのそれよりも更に洗練され、無駄を省いたストイックなサウンドのミスター・サムシング・サムシングのバックに乗せて訥々と社会問題を提起するイクンガのパフォーマンスは”静かな凄み”が終始みなぎっている凄いものです。

詩人であるイクンガは「歌詞の内容とサウンドが合っていないとダメなんだ、詩もサウンドに妥協して軽薄なものであってはならない」という姿勢を貫いております。

産油国ナイジェリアの貧困と欧米資本との根深い癒着問題を歌う「DNDABP」、強国批判(ここで批判しているのは欧米の未だに植民地主義的な途上国への態度)から戦争経済、強者のためのグローバル化への怒りを込めた「爆弾」、医者(精神科医)としての見識から、本当の知識、知恵とは何かを絶妙な韻を踏んだポエトリーで切々と説いている「アバンクワ」、自己と他者、或いは都会的な視点とローカルな視点の両方を持つことの意味を祈りのようなサウンドと朗読に込めた「お前は美しい」、「無意識の中の意識にこそ目を向けなさい」と、これまた心理学的な観点からの説得力のある覚醒を促す「ディー」など、このアルバムから一貫して感じられるのは深くよどみない”知性”そのものです。

アフリカの音楽に興味のある人は恐らくたくさんいると思います、その興味の中に「取って付けたような”らしさ”がギラギラしているもの」や「お勉強的なノリ」はちょっとどうかな?と、一歩進んだ深い疑問をお持ちの方はフェラ・クティやこのイクンガの音楽に触れてみることをオススメします。

両者は極端なぐらい「動」と「静」ですが、その根底にあるアツさ、問題提起の力強さは間違いなく”ホンモノ”です。




(「爆弾〜Di Bombs〜のPVです)



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2015年12月25日

国本武春&ザ・ラストフロンティア アパラチアン三味線

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国本武春&ザ・ラストフロンティア/アパラチアン三味線

(武春堂/シャミレコーズ)

浪曲に関しては恥ずかしながら二代目広沢虎造ぐらいしか知らず、親父が持っていたカセットを聴きながら

「赤城の山も今宵限りィーーーー””」

と、例のドス声で物真似をするぐらいの知識しかなかったアタシでしたが、ある日テレビでロックアレンジの浪曲、浪曲!?・・・浪曲!!

の「忠臣蔵」を観て血がアツくなると共に大爆笑してしまいました。

「まぁこの国本武春という人の今風の浪曲の何てポップで楽しいこと」

と。

はい、浪曲師の国本武春さんといえば、1990年代に新進気鋭の若手のホープとして、浪曲というものを「今ある音楽」をそれこそ何こそ使って、エンターティメントとして楽しく世のお茶の間に届けてくれた人なんですね。

ある年齢層より下の世代の方には、NHK教育テレビ「にほんごであそぼ」の”うなりやベベン”と言った方がピンとくるかも知れません。

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このキャラクターの濃さにして、このポップさ。

一言でこの人を言い表せる人は、恐らくいないんじゃなかろうかと思います。

そして、それからテレビで観る機会も多くなり、その三味線演奏家としての腕の凄さに、アタシはブッ飛ぶことになります。

「ロック三味線」

という触れ込みで「スモーク・オン・ザ・ウォーター」などのロックの名曲を三味線でバッキバキに弾きまくっているのを聴いて更にブッ飛ばされます。

あのね、伝統芸能の人が一番やっちゃいけないのは

「中途半端なポピュラー音楽とかワールド・ミュージックとのコラボ」

なんですよ。

いかにも優等生然としたイケメンイケ女が、どこを目指しているのか分からない衣装を着せられて、観ているこっちが恥ずかしくなるようなステージというのは、これはまぁよくあります。

コノ人達がまた音楽知らないんでしょうね「お稽古事」としてしか音楽をやってないもんだから、ポップス曲のカヴァーなんかの、聴いてるこっちが恥ずかしくなるぐらいの凄惨なものが日曜の朝っぱらからお茶の間を凍り付かせる・・・なんてことが、まぁ今でも多々ありますが(笑)

国本武春さんの三味線は、その辺の優等生芸能とはハッキリと質が違います。

どんなアレンジであろうがどんなジャンルであろうが常に「本気」なんですよ。

三味線のあらゆる伝統的なテクニックを駆使して洋楽にチャレンジしていても、それが全然「俺様伝統芸能」みたいな鼻に付くところがなくて、また「洋」の雰囲気に呑まれることもなく、しっかりと「和」で鳴っている。

とびきりにご機嫌なアルバムをここいらで皆さんにひとつご紹介いたしやしょうかい(←感化されて浪曲風)


おっとその前(めぇ)に動画がありやしたねぇ



「本気」の和三味線が、アタシの大好きなカントリー/ブルーグラスとこんなに素敵にマッチングしておりますよ♪




【収録曲】
1.Appalachian Shamisen
2.Are You Missing Me
3.Tiger Creek
4.Lonesome Dreams
5.Lonesome Yokocho
6.It Was Your Love
7.Eureko’s Breakdown
8.I’ll Never Shed Another Tear
9.Ninja Rag
10.Little Girl And The Dreadful Snake
11.Earl’s Medley
12.This World Is Not My Home
13.Dream of A Geisha
14.Pray For Asia (アジアの祈り)
15.Rawhide
16.Shami and Bird
17.Pancake Rag


2006年リリースの「国本武春&ザ・ラストフロンティア」という、これはもうガチなブルーグラスバンドとしての作品です。こぉれが大変にゴキゲンで実に聴いてて溜飲が下がる。

いっときますがこのアルバム「三味線が主役でバックがカントリー」とかいう失礼なアルバムじゃござんせん。

国本師匠はあくまで「ラストフロンティアのメンバー」として、ギターやバンジョー、マンドリンといったブルーグラスの定番楽器と同じ土俵で「フツーに三味線」でやっております。三味線の名手であることは言うまでもなく「ブルーグラス」という音楽に特別な愛とリスペクトがなければ、この節妙なバランス感、この最高なスイング感は絶対にありえんでしょう、いや、ありえんよ。

自身のレーベルから色んな作風のアルバムを出していて、色んなスタイルで三味線を唄わせておる国本師匠でありますが、やっぱりね、本気でロックもブルースもカントリーも浪曲も「同じように大好き!」だったんだと思います。その姿勢がね、最高にロックですよ♪





(昨晩東京の友人”三味線の黒師匠”に教えてもらいましたバディ・ガイとの魂のセッション!)


(古典の傑作として「南部坂の別れ」アタシぁこれ好きなんです)


55歳といえば、浪曲の世界では「まだまだ若手」ですよね・・・謹んでご冥福をお祈りします。


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2015年12月21日

《アイルランド》アイリッシュ・パイプの魅力

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《アイルランド》アイリッシュ・パイプの魅力
(NONESUCH/ワーナー)

え〜、アイルランドの音楽というのは、いわゆる民族音楽やワールド・ミュージックにハマっている人以外でも、ファンの多い「聴く人の層の厚い音楽」だと思います。

その背景にはやっぱりエンヤやチーフタンズ、ケルティック・ウーマンなどの人気歌手やグループが「ケルト音楽」というものをポップにアレンジして、独自のポピュラー・ミュージックにして広く世に知らしめた、或いはパンクやロックの流れでポーグスやU2といったバンド達が、或いはハッキリと、或いはそこはかとなく「アングロサクソンとは違うのだよアングロサクソンとは!」という主張をその音楽の中に盛り込んで主張した等々・・・色々な要素がありましょうが、決定的なのはやっぱりアイルランドやブリテン島北部に根強く残るケルト音楽、はたまたケルト文化の名残りというものは、どこか私たち日本人が空想する「ヨーロッパのおとぎ話のイメージ」というものを強く想起させてくれるからなんだと思います。

んで、幼い頃に絵本なんかで親しんだ「世界むかしばなしの世界」とか「風の谷のナウシカ」をはじめとするスタジオジブリ初期の記憶が、どこか私たちの心の中の「懐かしさ」を感じさせる回路にこうピーンと反応する。

実を言いますと、今現在この地球上には純粋な「ケルト人」というのは存在しておりません。

ここらへんは人種や宗教が複雑に入り乱れるヨーロッパの歴史のお勉強になるんですが、ケルトという民族は8世紀から9世紀にかけて侵入してきたノルマン人(いわゆるバイキングですな)に一度滅ぼされ、更にブリテン島やアイルランド島をはじめ、ヨーロッパ各地を支配したノルマン人はそれぞれの地域において土着化して混血を繰り返し、ブリテン島では元々いたアングル人が更に侵入してきたゲルマン系のサクソン人と交わって独自の「アングロ・サクソン系民族」というものを作って繁栄するんですが、アイルランドに住むノルマン人とケルトの末裔達の混血民族(あーややこしい)は、アングロ・サクソンの支配を潔しとせず、度々抵抗を重ねて、実質支配を何度も受けながら、その中でさっきも言ったように「俺たちはヤツらブリテン島の連中とは違うんだ!」と、もう独自文化を意地で継承しておったんです。

はい、アイルランドの歴史は複雑過ぎてややこしいので、大分はしょっておりますが、大体こんな感じです。

だもんでアイルランドには、人種としての「ケルト」は消えても、文化としての「ケルト」は細々と残りました。

その典型がアイリッシュ・ミュージックであり、んでもってイギリスの支配下に置かれた北アイルランドの人々が後に飢饉から逃れるためにアメリカ大陸に大量に移り住んでカントリー・ミュージックの素になる音楽を作って・・・という風に、実はアイリッシュ音楽は、今のポピュラー・ミュージックとはその成立の一番最初の時点から、実は切っても切れない深い因縁で結ばれてるんですけど、そこまで書いちゃうと本当に長くややこしい文章になってしまいますので、今日は触れないでおきます(でも、頭の片隅に「カントリー・ミュージックのルーツはアイルランドのトラッドなんだぜぇ」ってことは頭の片隅にでも入れといてください)。

さて、そんなアイルランドの音楽、「タン、タン、タンタンタン」と、弾むような”5”のリズム(これは奄美の八月踊りのリズムとも似通ってます)と、ゆったりとしたテンポの上をそよ風が撫でるようにメロディーが流れてゆくタイプの2つの曲調に大きく分かれますが、どちらも「繰り返し」のメロディーが基本です。

そこで長年アイリッシュ・ミュージックを演奏する人たちに親しまれてきたのが、ご当地を代表する”吹きもの”の楽器が「アイリッシュ・パイプ」と「ホィッスル」であります。

はい、「アイリッシュ・パイプ」というのはこれはいわゆる「バグパイプ」ですね。


(こちらは日本におけるバグパイプの第一人者、加藤健二郎さんによる、スコットランド・スタイルの演奏です)

アイルランドに限らず、スコットランドやイングランド、それからフランス、イタリア、スペイン、更にはトルコ辺りまで、様々な呼び名で広く使われておりますが、とりわけアイルランドとスコットランドでこの楽器は非常に重要なのであります。

特にアイルランドでは「アイリッシュ・パイプ」という呼び方に並々ならぬこだわりがありますので、現地で、もしくはアイルランドの人がコレを吹いておるのを見て間違っても「バグパイプ!」と言わないように。「何ぉ!?スコットランド人なんかと一緒にするない!!」と、怒られます(半分はジョークですが半分はマジです)。

一方の「ホィッスル」というのは、これはあのお巡りさんやスポーツの審判が「ピピーー!」と吹くアレではなくて、いわゆる「笛」全般のことを言います。


(コチラも日本人。ホィッスル演奏家hataoさんによる見事な演奏です)

別名を”ティン・ホィッスル”と言いまして、今は樹脂製やプラスチック製など様々な素材のものが使われておるようですが、基本はブリキで作られたシンプルな構造のヤツで、キィに合わせて色んな大きさのものを複数吹き分けるのがアイルランド・スタイルです(ブルース・ハープの笛版と思って頂ければよろしい)。

で、前置きがかなり長くなりましたが、本日ご紹介するアルバムは、この「アイリッシュ・パイプ」と「ホィッスル」の名手で、今もアイルランド音楽界では伝統を継承し、シーンを牽引している名手(物凄い有名人)、ティンバー・フュレーによる「ほぼ独奏」(ギターの伴奏がCのみで軽く付くぐらい)のコアなアルバムです。







【演奏】
ティンバー・フュレー(アイリッシュ・パイプ&ホイッスル)
エディー・フュレー(ギター)

【収録曲】
1.レイキッシュ・バディ
2.金持ち鬼婆
3.キャッスル・テラス
4.マダム・ポナパルト
5.牛の乳をしぼる若い娘
6.フィンのお気に入り
7.ピーター・バーンのファンシー
8.オロークのリール
9.ロイズ・ハンズ
10.ブランクスティ・デイヴィー
11.りっぱな薔薇のしげみ
12.エディーのファンシー
13.銀の槍

内訳は全13曲中9曲がパイプ、4曲がホィッスル。

どの曲も「これぞアイリッシュ・ミュージックの核、ケルトの伝統の真髄」と言いたくなるほどの、混ぜ物(今風のアレンジとか華美な伴奏とか)一切ナシ!で「最近のアイルランド・ポップスから聴いてケルト音楽の深いやつを聴いてみたくなった」という人の期待には120%応えて余りあるでしょう。

また、サウンズパル店頭に立っていた時は、音楽を作っている人がサンプリングソースとしてこのCDを買う人が結構いました(皆さん試聴して「こういうの欲しかったんだよ」と仰ってました)。




(最近のフィンバー・フュレーさん、実際は吹きものだけじゃなくて弦楽器も唄もやるマルチなアーティストなんです♪)


『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/

BASEショップもありますよ(ここでしか買えない商品アリ)http://soundspal.thebase.in/
posted by サウンズパル at 19:40| Comment(0) | 世界の民族音楽など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする