ディープなコラム こちらにも書いてます♪

2017年11月23日

ソル・ホオピイ Classic Hawaiian Steel Guitar 1933-34

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Sol Hoopii/Classic Hawaiian Steel Guitar 1933-34
(OJC)

こんな季節に何事かと思われるかも知れませんが、今日はハワイアンです。

ハワイの音楽といえばハワイアンですね。今、フラダンスをやっている人がかつてなく多くなってたり、また、昭和の昔からハワイアンのテイストを取り入れた「憧れのハワイ航路」のヒットを皮切りに、夏のビアホールの定番といえば生バンドが演奏するハワイアンがBGMの定番だったり、我が国では昔からハワイ人気、ハワイアン人気というものがあって衰えを知りません。

やっぱりアレですね、ハワイには戦前から日系移民が多くおりますし、王国だった頃は当時のカメハメハ大王が、アメリカやヨーロッパに対抗するために日本の皇室と縁組をして仲良くなろうとしたとか、そういう歴史もありまして、更に気候や風土は違えど、やっぱり島国ということで、お互いに本能的な親近感みたいなものが湧くんじゃなかろうかと思うんですがどうなんでしょう。

日本から行く観光客が多いのも、気候が穏やかとか治安がいいとか、そういうことだけじゃないと思うんですよね。「何となく安心する」のその「何となく」の部分はもっと掘り下げて考えてみたい。という訳でアタシはよく、戦前とかの古い時代のハワイアンを聴いてるんです。


さてこの「ハワイアン」なる音楽、ほとんどの人はハワイの伝統音楽だと思っておりますが、実は少々歴史が複雑であります。

元々ハワイにはフラという重要な文化があります。

これは元々は王宮のみで披露される芸能であり、神事でありました。

原初のフラを伴奏する音楽というのは、歌と打楽器だけの非常にシンプルなものだったそうですが、19世紀という割と早い段階で、西洋音楽の要素を取り入れてモダン化したんですね。

ハワイというところは1700年代に発見されてから、事あるごとに植民地化したい欧米列強の標的にされておりましたが、歴代の王様が非常に聡明な人が多く「ヨーロッパ人の平和的な移住は認めるけれども武力侵攻は認めない」という政策を貫き、実にしたたかにそれを実行したんです。

だから西洋の文明や文化は、ハワイにはしっかりと根付いております。で、19世紀以降のモダン・ハワイアンが更にモダンなポピュラー音楽になるのは1900年、アメリカによる完全な併合が成ってからのことであります。一気に移住してきたアメリカ人によってジャズやカントリーなどが持ち込まれ、ハワイの音楽家達もこぞってこれらの音楽の要素をハワイアンに取り込んで演奏するようになりました。

そのひとつの象徴がスティールギターであります。

ハワイアンバンドには必ずといっていいぐらいに使われる、あの横に寝かした状態でバーをスライドさせ、キュイ〜ンと独特のトロピカルな風情を醸してくれるあの楽器は、元々はギターを膝に置いてナイフをスライドさせる、ブルースのスライドギターから影響を受けて誕生した楽器なんです。

はい、かなーり前置きが長くなってしまいましたが、本日ご紹介する人はソル・ホオピイ。戦前の1920年代から30年代にかけて大活躍し、ハワイアンの歴史の中でスティールギターの演奏を最初に確立した人であります。

ソル・ホオピイは1902年ホノルル生まれのネイティヴ・ハワイアンです。

音楽一家(何と21人兄弟!)に生まれ、生計のために3歳からウクレレを手にして十代の頃にはもうギターを弾いていて、その頃には彼の弾くギターは膝に置いてナイフをスライドさせるスタイルだったと言います。

その頃の仕事は、豪華客船の専属バンドでギターを弾くことであり、それが評判になって何とそのままサンフランシスコに渡り、現地のカントリーバンドのメンバーになりました。

アメリカでみっちりカントリーの技法を覚え、ハワイに帰ったソルは、仲間とトリオ編成のバンドを結成。このトリオがまた、ジャズにカントリーに何でもござれ。しかもハワイの伝統的な古典歌謡などもしっかりとレパートリーの中に入れて、ハワイにいるどの人種、どの界隈の人のリクエストにも間違いなく応えられる驚異的な演奏技術とアレンジセンス、そして音楽的に底無しの懐の広さを持っており、地元ハワイはもちろん、アメリカでも大人気になったんです。



(フラとブルースの融合、その名も「フラ・ブルース」)





【収録曲】
1.I Like You
2.Drifting and Dreaming
3.I Want Someone to Love Me
4.King's Serenade
5.King Kamehameha (take A)
6.Kolo Pa
7.Don't Stop Loving Me
8.Akaka Falls
9.My Little Grass Shack in Kealakekua Hawaii
10.Weave a Lei - Flower Lei
11.An Orange Grove in California
12.Aloha Beloved
13.The Lei Vendor
14.On Our Parting Day
15.There's Nothing Else to Do In Ma-La-Ka-Mo-Ka-Lu
16.My Hawaiian Queen
17.Midnight's Near
18.Hula Girl
19.Hula Blues
20.Under the Tropical Moon
21.Ten Tiny Toes - One Baby Nose
22.Oh! Lady be Good!
23.King Kamehameha (take B)
24.It's Hard to Say Good-Bye


このCDは、ホオピイが1933年から34年、つまり全盛期に残した音源集であります。

聴いてびっくりなのが、まずそのスティール・ギターのテクニックです。

アンプもない時代でしたから、ギターでソロを取るというのは大変なことだったんですが、ホオピイのギターは単音で弾くメロディも、弾きながらのバッキングも、このまんま一流のジャズ・オーケストラのソロイストになれるんじゃなかろうかと思うぐらいに完璧です。この時代で彼のテクニックに対抗できる人といえば、ブルースではロニー・ジョンソンブラインド・ブレイク。ジャズでは白人ギタリストのエディ・ラングにフランスのジャンゴ・ラインハルトぐらいではないでしょうか。

ハワイアンとして、もちろん楽しくまったりも聴けますが、アタシのよーに戦前のブルースやジャズ、カントリーとか、そういうアコースティックなルーツ・ミュージックがたまらなく好きな人間の探究欲みたいなのも、楽しく聴きながら幸せに満たしてくれる素晴らしい演奏です。つまりハワイアンに興味がないけど、アンプラグドな音楽が好きな人にはぜひ聴いて欲しい人がソル・ホオピイですし、フラやハワイアンが好きな人にとっては「これが原点なんだ!」と新鮮な感動に浸りながら、一生穏やかに付き合っていける音楽だと思いますので、超絶オススメしておきますね♪

それにしてもソル・ホオピイのスライド奏法、1920年代に入る前には既に確立されてたと言います。シルヴェスター・ウィーヴァーによってブルースのスライドギターがレコーディングされたのが1923年だから、もしかしたらホオピイはアメリカでブルースマンに直にスライド奏法を学んだことになりませんかい?そうなってくるとブルースの誕生近辺にもこの人は深く関わってるということになりそうですが、そこら辺を示す資料は今のところありません(逆に彼の演奏がブルースマン達のスライド奏法に影響を与えたという話はわんさか出てきました、ワォ!)。ふむぅ・・・。



(シルヴェスター・ウィーバーによる”スライドギター最初の録音”についてはここに書いております)





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2017年09月24日

ミリアム・マケバ 1955-1962

6.jpgミリアム・マケバ/1955-1962
(オルターポップ)


「クイーン・オブ・アフリカン・ソウル」「アフリカン・ポップスの女王」として、広く知られるミリアム・マケバ。

「いや、そんなこと言われても誰?」という方でも、この人の最大のヒット曲となった『パタパタ』を聴けば「あー、流行ったね」「そういえば学校の創作ダンスとかで流れてたわ」と、なることうけあいです。

アタシも「パタパタ」は知っていて、というよりも何か聴いたことあるぐらいにずっと思っていて、この歌を歌ってる人が誰かということにさほど興味もなく過ごしていたんですが、2000年代の始め頃に、畠山美由紀さんがヴォーカルをやっているユニットでダブル・フェイマスというのがあって、このグループの音楽がとってもトロピカルで、アフリカやカリブの空気感満載でとっても良いなぁと感動していた時、たまたまこんな音楽をある場所で耳にしたんです。




「わ、これなんかすごいダブルフェイマスっぽいぞ!でもこれ、ジャズのようでもあるし、50年代のR&Bのコーラスグループっぽいよなぁ。でもすごく惹かれる、とっても気になる・・・」

と思ってたら、これこそアフリカン・ポップスの女王、ミリアム・マケバの初期音源なんだよ。彼女の音楽は当初洗練されたアメリカン・ミュージックの影響をすごく受けていた、極上のアフリカン・ジャズなんだよということを知って、それから一気に彼女の声、その伸びやかで極楽気分に溢れた歌と音楽の虜になってしまいました。

「アフリカ」といえばいろんな部族がいて、パーカッションや民俗楽器を使った非常にプリミティヴなものももちろんカッコ良くて、周囲のアフリカ好きの人達も、どっちかというとそういうものを好む人が多いのですが、50年代から70年代にかけてのアフリカ都市部の音楽、特にアメリカのブラック・ミュージックと深いところで共鳴しているポップスの素晴らしさといえば、もう一言では語り尽くせぬほどの魅力があるんです。

歴史的な事をちょいと説明すると、アフリカという地域は、長いことそのほとんどが欧米の植民地でありました。

この流れに変化が起きるのが第二次世界大戦が終わった後で、イギリスやフランスの植民地だった地域は、様々な問題を抱えつつも次々と独立して行きます。

人々は抑圧された体制から解放され、その自由を謳歌するために、或いは謳歌そのものとして自分達の音楽を高らかに歌い上げます。

ここらへんはジャマイカにおけるレゲエの誕生とも少々リンクしている話ですが、これらの国々では、元から合った部族の音楽に、西欧諸国で流行したポップスが絶妙に混ざり合って、また、ラジオやレコードを通して入ってきたアメリカの音楽、特に何となくお同胞意識を抱いていたアメリカ黒人達の音楽、つまるところのR&Bやジャズなんかを自分達なりの解釈でもって演奏したり歌ったりして、更に洗練させたり、独自性を加えてみたりして「アフリカのポップス」というものが、徐々に形作られていく訳でございます。

ミリアム・マケバは、南アフリカの生まれであります。

南アフリカといえば、アフリカの国々の中でも割と早い段階(1931年)に正式な独立を果たした国でありますが、一方で少数の白人が黒人を物心両面で支配下に置く、悪名高いアパルトヘイト政策をずっと続けてきた国で、彼女の音楽人生もまた、この国の不条理な事情とは無関係ではありませんでした。

貧しい家に生まれ、貧しさ故に親が犯した犯罪(密造酒販売)によって生後すぐに刑務所に収監されるという波乱万丈な人生のスタートを切る彼女ですが、そんな逆境にもめげず、人気ジャズ・バンドのヴォーカルとしてデビュー、その後突き抜けるようなポジティヴな歌声がすぐに人気を博して、1950年代の半ばには、彼女を中心といたヴォーカル・グループ”ザ・スカイラークス”が結成され、この時にレコーディングした曲の中に、彼女の生涯の代表曲となる”パタパタ”も入っております。

デビュー後のミリアムの人気は、この頃アフリカのみならず、アメリカにまで及んでおりました。

類まれまるその歌唱力は、ブロードウェイの耳に留まり、何とミリアムは1959年にアメリカに招かれて、ミュージカル「キングコング」に、主演のシンガー役で大抜擢を受けます。

そのまま世界ツアーに出た彼女は、ロンドンで名優であり大人気シンガーのハリー・ベラフォンテと親しくなり、この大物から

「どうだい、アメリカでデビューしないか?」

と、誘いを受け、成功への更なる大飛躍へと踏み出すのですが、彼女にはここで悲劇が起こります。

1960年、ミリアム28歳の時にお母さんが亡くなり、その葬儀に出るために帰国をしようとするのですが、南アフリカの政府は彼女のパスポートを失効とし、帰国を拒否してしまうのです。

これの理由は分かりませんが、恐らくは歌手として世界の舞台で活躍しようとしているミリアムの動向に不安を覚えた政府が、差別的な理由でもって彼女のパスポートを取り上げたんだろうと言われております。

それから2年後、やむなくアメリカにいたミリアムですが、国連に招かれて、そこで母国のアパルトヘイト政策に関して批判的な証言を行い、これに激怒した南アフリカ政府は、彼女の市民権と帰国する権利を永久に剥奪し、ミリアムは二度と母国へ帰れなくなってしまいまが、この悪意ある対応に激怒したアフリカやヨーロッパ諸国の国々が、次々と「世界市民として受け入れる」と、彼女にパスポートを発行。

彼女の名前は一気に「差別と闘う勇敢なシンガー」として、世界から称賛の的となります。

でも、彼女の偉いところは「自分はあくまでシンガー」と芸に真剣に取り組み、人々を嬉しく楽しくさせるような音楽を真摯にやっておったところです。

ジャズやソウルなど、アメリカのブラック・ミュージックの伝統から流行までも広く呑み込んで、それをアフリカのエッセンスで無理なく鮮やかに彩った彼女の音楽は、実にオリジナリティの塊であり、大好きだったエラ・フィッツジェラルドやサラ・ヴォーンらからの影響を感じさせつつも、他の誰とも似ていない、伸びやかでその声の余韻の中に深い慈愛を感じさせる歌声は、世界中の人々の心を掴みました。

ポピュラー音楽の頂点とされるグラミー賞を受賞し、リメイクした「パタパタ」の大ヒットで、押しも押されぬ世界のトップシンガーとなってもなお、彼女はその芸を深めることへの努力を惜しまず、60年代、70年代、80年代とその歌声に更なる深みを刻んでゆくのです。

アメリカやベルギー、ギニアなどを活動拠点にしていた彼女は、南アフリカのある活動家の支援に本格的に乗り出します。そう、後に南アフリカ大統領となるネルソン・マンデラの支援です。

1988年、ロンドンにあるウェンブリー・スタジアムにおいて行われた「投獄中のマンデラの70歳を祝うコンサート」が行われ、ボブ・ディラン、スティーヴィー・ワンダー、キース・リチャーズ、マイルス・デイヴィス、リンゴ・スター、ホイットニー・ヒューストン、ブルース・スプリングスティーン、ボノ(U2)、ピーター・ガブリエル、ランDMCなどなど・・・ありとあらゆるジャンルの大物ミュージシャン達が集結したこのコンサートでミリアムも歌い、こういった世界的な動きの中で南アフリカのアパルトヘイト政策は終わりを迎えるのでありました。

ちなみにこのコンサートの司会を務めたのは、ミリアムを世界に知らしめるきっかけを作ったハリー・ベラフォンテであります。

さて、ようやく30年近い漂白の身から晴れて南アフリカへ帰国したミリアムは、歌手活動を続けながら、差別や貧困、またはアフリカ社会で深刻な問題となっているHIVの問題など、あらゆる事柄に関係するチャリティーに本腰を入れました。

彼女が亡くなったのは2008年、76歳の時でしたが、この最期となったのがイタリアで行われたマフィア追放キャンペーンのステージで「パタパタ」を歌い終わった直後に心臓麻痺を起して帰らぬ人となっております。

信念の人だったのでしょうね。








【Disc-1:APARTHEID IN JOHANNESBURG】
(THE MANHATTAN BROTHERS)
1.LAKU TSHUNI ‘LANGA
2.TULA NDIVILE (SADUVA)
3.BABY NTSOARE
(THE SKYLARKS)
4.ORLANDO
5.OWAKHO
6.OLILILI
7.INTANDANE
8.PULA KGOSI SERETSE
9.KUTHENI SITHANDWA (DAY O)
10.NDIYA NXILA APHA E-BHAYI
11.BAYA NDI MEMEZA
12.VULU AMASANGO
13.UMBHAQANGA
14.NOMALUNGELO
15.TABLE MOUNTAIN
16.HUSH
17.MTSHAKASI
18.UTHANDO LUYAPHELA
19.PHANSI KWALOMHLABA
20.LIVE HUMBLE
21.SINDIZA NGECADILLACS
22.NDIMBONE DLUCA
23.NDAMCENGA
24.UNYANA WOLAHLEKO

【Disc-2:AFRICA’S QUEEN OF SOUL】
1.ROCKIN’ IN RHYTHM
2.INKOMO ZODWA
3.EKONENI
4.DARLIE KEA LEMANG
5.SOPHIATOWN IS GONE
6.MAKE US ONE
7.BACK OF THE MOON
8.QUICKLY IN LOVE
9.MAKOTI
10.THEMBA LAMI
11.UYADELA
12.YINI MADODA
13.NDIDIWE ZINTABA
14.UILE NGOAN’ A BATHO
15.SIYAVUYA
16.PHATA PHATA
17.MIRIAM’S GOODBYE TO AFRICA
(EXILE IN NEW YORK CITY)
18.JIKELE MAWENI (THE RETREAT SONG)
19.SULIRAM
20.QONQONTHWANE (THE CLICK SONG)
21.UMHOME
22.OLILIL

【Disc-3:NEW YORK】
1.LAKU TSHUNI ‘LANGA
2.MBUBE (THE LION SLEEPS TONIGHT/ WIMOWEH)
3.THE NAUGHTY LITTLE FLEA
4.WHERE DOES IT LEAD?
5.NOMEVA
6.HOUSE OF THE RISING SUN
7.SADUVA (TULA NDIVILE)
8.ONE MORE DANCE
9.IYA GUDUZA
10.KILIMANDJARO
11.ZENIZENABO
12.NTJILO NTJILO
13.UMQOKOZO
14.NGOLA KURILA
15.THANAYI THANAYI
16.LIWA WECHI
17.NAGULA
18.CARNIVAL (“ORFEO NEGRO” THEME)
19.NIGHT MUST FALL
20.LOVE TASTES LIKE STRAWBERRIES
21.CAN’T CROSS OVER


さらっと解説するつもりではありましたが、やはりミリアム・マケバという人の歌は、その波乱万丈の人生に裏付けられていると思いましたので、彼女の人生をざっと振り返って書かざるを得なくなりました。

このアルバムは、彼女が南アフリカでデビューした直後から、ニューヨークに拠点を置いた60年代初頭までの音源を選りすぐった素晴らしい初期ベストであります。

スコーンと明るい、アフリカン・ジャズ/R&Bのディスク1から、独自のジャズ・アレンジでスタンダードやアフリカン・ポップスを唄ったDisc-2,3どれも最高に聴き応えのある、本当にグッとくる、何だか聴いてるだけで心を自然と豊かにしてくれそうな、イカした音楽が目一杯詰まっております。

彼女の声の魅力は本当に奥深く、特に初期の声は大ファンだったというエラ・フィッツジェラルドからの影響が大きく、伸びやかで雑味のない声ですが、結構ドスの聴いた低音や、パンチの効いたシャウトも自在にこなすそのテクニシャンぶりには思わずうなってしまいます。

あと、この人の声はどこまでも優しくて、時にポロッと哀しみが漏れる瞬間が(特にフレーズの最後の、声が伸びて消え入る辺り)あって、アタシは毎回それにヤラレてます。

ミリアム・マケバはアフリカからやってきて、多くのジャズやソウルやR&Bのシンガーに影響お与えた人でもあります。特にニーナ・シモンとエリカ・バドゥは彼女から多くの表現の糧を得たんじゃないかなと思いますが、そこはお聴きになる皆さんの耳で直に確かめてみてください。

3枚組で聴き応え最高で、しかも国内盤なのでライナノーツもあります。




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2017年05月28日

ピエール・バルー サ・ヴァ、サ・ヴィアン

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ピエール・バルー/サ・ヴァ、サ・ヴィアン

(Saravah/コアポート)

音楽を聴くたのしみのひとつに「非日常を味わう」というのがあります。

ミュージシャン達が創造する音世界は、確かに非日常をそこに生み出す最高のツールで「音楽を好きになること=知らない世界との繋がりを深める」という公式は確かに成り立ちます。

知らない国の音楽でもいいし、生活したことのない時代の音楽でもいい。もしくは今の時代の音楽でも、テクノロジーによって完璧に演出された非日常をアタシ達は堪能して、そこに意識を泳がすことができます。

日本語で言うところの”ハレ”の感覚ですね。

さて、アタシもそうやって、音楽を好きになってからというもの、色んな色や形の非日常を楽しんで、或いは自分の内側にヒリッとした感触と共に記憶してきた訳ですが、ここへきて

「日常スレスレの感じを残した淡い非日常こそが、心にしんみりとした何ともいえない情景を残してくれるのではないか」

という感慨が深くなっております。

具体的に言いますと、フランスの巨匠音楽家、ピエール・バルーと、彼がレーベル・オーナー/プロデューサーを務めた”サラヴァ”レーベルの作品を、たとえば休日の午後なんかにぼんやり聴いていると、体は日常に残しながら、心の半分以上が、淡く切ない奇妙な非日常感の中を、ほわほわと漂っている時があるのです。

ピエール・バルー、フランス発のポピュラー・ミュージックの、深く果てしない支流を掘り続けてきたポピュラー音楽家でありシンガー、プロデューサー、役者、そして生粋の吟遊詩人。

貧しい家庭に生まれ、十代の頃から音楽の世界で生きることを志し、自作のシャンソンを書きながら、やがて20代になる頃に世界を放浪し、ポルトガルで聴いたボサノヴァに運命的な出会いを感じ

「この音楽をフランスに広めるぞ!」

と決意して、実際に彼の努力と、本場リオのカーニバルの来仏などによって、フランスではボサノヴァや古いサンバなどが聴かれるようになります。

バルーは後に「フレンチ・ボッサの立役者」と呼ばれるようになりますが、実は若い頃は音楽よりも演劇の世界での評価が高く、アーティストとしての最初の仕事は、役者として映画に出たことでした。

やがて役者としてちょいと知られるようになったバルーに、再び運命的な出会いが訪れます。

それが1966年の、クロード・ルルーシュ監督映画『男と女』。

何と役者としてのオファーとは別に、フランシス・レイが作曲した主題歌の歌詞を書かないか?というオファーが舞い込んで来たのです。

映画の大ヒット、そしてカンヌ映画祭でのグランプリの追い風もあって、映画の中でヒロインの夫として主題歌を歌ったバルーも一躍フランスを代表するアーティストとなります。

この年にバルーが、やりたい音楽を創作するレーベルとして設立したのが"Salava"です。





【収録曲】
1.サ・ヴァ、サ・ヴィアン
2.愛から愛へ
3.小さな映画館
4.おいしい水
5.靴墨のビンとマロンクリーム
6.愛する勇気
7.80 A.B
8.パリ・ウェリントン
9.地球を取って
10.港の歌
11.森林
12.小さな木馬
13.僕がアザラシだった頃
14.遭難 (シングル・ヴァージョン)
15.迷い (アルバム未発表ヴァージョン)
16.80 A.B (アルバム未発表ヴァージョン)
17.サ・ヴァ、サ・ヴィアン (映画ヴァージョン)


バルーの代表作として、今も多くの人に聴かれている「サ・ヴァ、サ・ヴィアン」は、1971年にリリースされたバルーの、ソロ名義としては2枚目のアルバム。








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2016年11月22日

伝説のギタリスト、ジョージ・シバンダ-ジンバブエ(ローテシア)南部-48'49'50'52

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伝説のギタリスト、ジョージ・シバンダ-ジンバブエ(ローテシア)南部-’48、’49、’50、’52
(アオラ・コーポーレーション)

「アフリカつっても太鼓や唄だけじゃねぇぞ!」ということを、声を大にして言いたいアタシにとって、戦後40年代〜60年代ぐらいまでのアフリカのポップス。つっても商業化されたド派手なものじゃなく、地元の人たちの間で素朴に聴かれてはいるが、その形態は伝統音楽とは違うものって、すごくグッとくるし興味をそそるんですよね。

あ、すいません「何のこっちゃ?」とお思いの方も多いと思いますが、例えばアメリカにはブルースがありますね。

その中でも”ダウンホーム・ブルース”と呼ばれる、例えばミシシッピとかの深南部で、レコーディング・スターではなく、週末になるとジューク・ジョイントという安酒場に集まってくる地元の人達相手に、流行とはまったく関係ない、アンダーグラウンド感満載で、どぶろくのような濃いブルースを演奏している人達の音楽が大好きなんです。

はい、戦後「ポップス」といえば、これはもうアメリカやイギリスの音楽がほとんどでした。

世界に向けて”売れる音楽”を供給できる販売網と宣伝力を持つのは、この2ヶ国だけだったからですね。だからそれ以外の国の音楽は「ローカル」です。つまりレコードが出されても、その国の人達だけか、せいぜい文化圏を同じくする周辺諸国の人達が聴くだけで、素晴らしいものが録音されて売り出されても、世界のほとんどの人が全く知らなかった訳です(だってほら、日本の歌謡曲の世界的な大ヒット曲でさえ”スキヤキ”でしたから・・・)。

で、最初に言ったように「アフリカといえば太鼓と唄だろう」というのも、これは間違いではないんですが、ある意味において偏見であり「世界の音楽がアメリカとイギリスのヒットしかなかった時代」の、悪い名残りだと思いますね。

はい、払拭いたしましょう。本日は1940年代末から50年代初頭にレコーディングされた、アフリカの素晴らしいギターポップを紹介します。

アフリカはジンバブエといえば、南アフリカの丁度真上に位置する「大陸最深部に近い国」です。

この国は、何といっても”ムビラ(カリンバ)”と呼ばれる親指でポロポロ弾く親指ピアノが有名で、かつて民族音楽の聖典、ノンサッチのシリーズでリリースされた時は、アフリカファンに大いに受け、これがきっかけでムビラは我が国でも有名になりました。楽器屋さんではなく、エスニックな雑貨屋さんなんかに行けば、オルゴールのご先祖みたいなムビラが置いてあるので、それで何となく遊んだ経験のある人も多いのではないかと思いますが、ムビラの話はまたの機会に。。。

で、そんなジンバブエ。

戦前は主に演奏されていたのは伝統的な音楽ばかりでしたが、1940年代にギターが普及して、この新しい楽器を片手に新たなる流行歌が、次々と生まれてきておりました。

街や村で、ギターを片手に歌い歩く人達はどこへ行っても人気者で、中には全国を旅して唄い歩く人も多かったといいます。

あれ?

ここまで書いて「お、ブルースマンじゃないか」と思ったアナタ、正解です。

正直リアルタイムでアメリカのブルースとジンバブエの音楽がどのような関係にあったのかは詳しく知りませんし、また、語られている資料も少ないので何ともいえないのですが、距離的にものすごーく離れていたはずの、二つの音楽は、もうびっくりするほどそっくりなんです。

いや、違うのは言葉だけで、独特のシンコペーションや間の取り方なんかは、もう双子なんじゃないか。いや、リアルタイムにアメリカで活躍していたブルースマンがこっそり密航してジンバブエで誰かにブルース教えたんじゃないかと思うぐらいのものです。



【収録曲】
1.Dali Ngiyakuthanda Bati Ha-Ha-
2.Ungahamba No Tsotsi
3.Ngiyakuthanda Ntombi Emnyama
4.Otsotsi
5.Guabi Guabi
6.Chuzi Mama
7.Kwantu
8.Kuyini Loku
9.Eranda Ngabop' Itrain
10.Llanga Lashona
11.Uma Lovie
12.Sake Sabotshwa
13.Sivele Sithandana
14.Inyakanyaka
15.Amandebele
16.Hamba La Venda
17.Emely Uyabizwa
18.Itshumi Lami Bafana
19.I-I Thina Lapha Esishupekayo
20.Mami
21.Dlala Laiza
22.Umfazi We Polisa Usegqoka Amal
23."Yinindaba Wena, My Boy"
24.Epilogue


この”まんまブルースなジンバブエのギター弾き語り男”の中で、最も伝説的な存在として語り継がれている人が、今回ご紹介するジョージ・ジバンダです。

民族音楽の世界では「この人がいなかったらアフリカ音楽の正しい姿はおそらく世界に伝わらなかったんじゃないか」と言われている民俗学者でヒュー・トレイシーという”漢”がおります。

アフリカ音楽の採集に命をかけているトレイシーが、ジンバブエ南部で現地の音楽を録音していた時に出会ったのがジョージ・シバンダで、数少ない資料には、彼がこの時披露した歌と、類まれなギターの才能に感動したヒュー・トレイシーが「録音しよう!そうだ、商業用のレコードも出そうよ!君は絶対に売れる」と約束して、1948年からおよそ10年近く、トレイシーの肝煎りでアフリカ諸国はもちろんアメリカにまで名が売れるシンガーとなったものの、典型的な「宵越しのカネは持たねぇ」主義だったジョージは、せっかく稼いだカネの全てを遊興とアルコールに注ぎ込み、結局それが元でミュージシャンとしての活動も僅か10年足らず、1枚の写真すら残さずに、あっという間に伝説の彼方の人になってしまいました。

とりあえず今出ているCDで、彼の演奏が聴けるのもこれだけのようです。

しかしどこまでも自然体ののどかな歌唱、でもバラッドやラグタイムなど、どこか不思議な洗練された完璧なギター・テクニックは、これは聴く人の心にふんわりと一生モノの感動を残してくれる音楽だと思います。

アフリカのブルース、いいよ♪


(これが1曲目、ゴキゲンやろー♪)

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2016年09月06日

ユッスー・ンドゥール&エトワール・ド・ダカール ンバラの誕生 1979−1981

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ユッスー・ンドゥール&エトワール・ド・ダカール ンバラの誕生 1979−1981
(ライス・レコード)

さて、昨日サリフ・ケイタを紹介しましたので、今回もアフリカの大物にご登場願います。

この人はおそらく、アフリカのミュージシャンで最も有名で、スティング、ピーター・ガブリエル、スティング、スティーヴィー・ワンダーら、世界的なポップスター達との数々の共演とか、日本でもドリカム、坂本龍一とも一緒に仕事をしておりますし、度々CMやドキュメンタリー番組の音楽などで楽曲が使われてもおりますので、多分「ユッスー・・・?誰?ワールド・ミュージック何?」な人でも、音を聴けば「あーーー!あのアフリカの!わかった!!」と、なると思います。

とにもかくにもユッスー・ンドゥールこそは、それまでひたすら「ディープで謎に包まれていたもの」と思われていたアフリカン・ミュージックを、欧米のポップスと肩を並べるものにした大功労者なのであります。

んで、アタシは今日、朝から「あぁぁああーー、ユッスー・ンドゥール紹介するんだけどぉ、何にしたらいいかなぁー、何をオススメしたらみんな聴いてくれるかなぁー・・・・」と悩みに悩みました。

何にせよ1970年代から現在まで、常にアフリカン・ミュージックのトップスターとして大活躍している人です。

アルバムの数も尋常じゃないし、その底なし沼のように広く深過ぎる音楽性ゆえ、アルバムも時期によって・・・どころか出す毎にその作風がガラッと変わったりしております。

なので、ここはあえて「ワールド・ミュージックを代表する大物アーティスト」になる前の、彼の原点を知る上で最も重要な時期の音源であり、彼がセネガル伝統のリズムとラテン・ミュージックから受けた影響を見事掛け合わせた独自のジャンル”ンバラ”という音楽を一番分かりやすく集めた2枚組をご紹介します。



【収録曲】
(Disc-2)
1.Thiely
2.Dom Sou Nare Bakh
3.Esta China
4.Mane Khouma Khol Thi Yao
5.Jalo
6.Absa Gueye
7.Thiapa Thioly
8.Dagotte
9.Dounya
10.Diandioli
11.Kine Kine
12.M'Badane

(Disc-2)
1.Tolou Badou N'Diaye
2.Nit Kou N'Gnoul
3.Yalaye Dogal
4.My Wa Wa
5.Lay Suma Lay
6.Diankha Demal
7.Khaley Etoile
8.Sama Guenth-Gui
9.M'Baye Gueye
10.Titeur
11.Maleo


1959年生まれのユッスー・ンドゥールルは、フェラ・クティ(1938年生)、サリフ・ケイタ(1949年生)よりも更に若い世代になります。

グリオの家系に生まれ、幼い頃からジャンベを巧みに操り唄わせる才能を開花させていた彼は、何と15歳でセネガルの首都ダカールで最も人気だった”スター・バンド”に加入。

すぐにそれと分かる特徴的な、よく通るハイトーン・ヴォイスで存在感を顕わにし、この国民的人気バンドの中心人物としての地位をあっという間に築きます。

今もユッスーといえば、あの突き抜けた晴天のようなヴォーカルでありますが、初期からもう揺ぎないスタイルを完成させていたんですね。

で、このスターバンドで、ユッスーはセネガルの伝統的な音楽をポップにしたものには飽き足らず「ここでちょっと世界にある同じ黒人音楽から、何か要素を入れてみようや」と、思い立ち、特に奴隷として西アフリカから連れてこられた黒人の子孫の多いカリブ海、つまりキューバやバハマなどの島々のアフロ・ラテン・ミュージックを、何とか自分達のアフリカン・ミュージックに融合させようと、色々と試みを見せております。

ユッスーがアフロ・ラテンに目を付けたのは、彼が元々ジャンベ奏者であり、人一倍リズムというものに鋭い感覚を持っており、南米でアフリカ時代より更に複雑で強靭なものとなったそのビートには、本能的に惹かれたものがあったのでしょう。

スターバンドでも、ユッスーがラテン・ミュージックからの影響を”試み”として融合させた成果はいくつか聴けるのではありますが、まだまだラテン音楽のコピーの域を脱していないものでした。

どうしても自分がやりたい音楽をやるには、やはり自分のバンドが必要。

そう思ったユッスーは、1979年、遂に自己のバンド「エトワール・ド・ダカール」を結成します。

このバンドは、セネガルのグリオが使う民族楽器「サバール」(ジャンベより大きい縦長の太鼓)で打ち鳴らすビートを軸に、その他伝統楽器、エレキギター、ベース、サックスなど、現代の楽器も通常編成に加え、主にキューバのルンバ、ハイチのコンゴ、そしてやはりこの要素を入れないと現代の音楽として成立しないファンクを、大幅に導入。

こう書くと「アフリカ音楽がラテンファンク化したのか!?」と、単純に捉えられそうですが、ユッスーはそこんとこのバランス感覚が尋常じゃなく、ものすごいラテン風味があっても、どう聴いてもファンクであっても、その中心の最もコアな部分にしっかりとアフリカの、いや、彼が幼い頃より慣れ親しんで完全に血肉と化したグリオの音楽がドッシリと据えてあり、トータルな音楽としては格別のオリジナリティと極めて高いクオリティの両方をしっかりと持っているものに、エトワール・ド・ダカールのサウンドは昇華しました。

このオリジナルな音楽に、ユッスーは「ンバラ」と名付け、この後ンバラはセネガルのみならず、アフリカの若者の間では、最高にカッコイイ音楽として、ひとつの時代を作ることになります。



この、1979年から1981年、超初期のエトワール・ド・ダカールの音源を集めた2枚組は、タイトル通りユッスー・ンドゥールという不世出の天才が「ンバラ」という音楽を生み出した正にその瞬間を余すところなく収めた素晴らしいCDです。

洗練を重ねて孤高の極みに達した今のユッスーもいいけど、適度に泥臭くてヤンチャなこの時期のユッスーもいいんすよ。








『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 19:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 世界の民族音楽など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする