ディープなコラム こちらにも書いてます♪

2017年09月24日

ミリアム・マケバ 1955-1962

6.jpgミリアム・マケバ/1955-1962
(オルターポップ)


「クイーン・オブ・アフリカン・ソウル」「アフリカン・ポップスの女王」として、広く知られるミリアム・マケバ。

「いや、そんなこと言われても誰?」という方でも、この人の最大のヒット曲となった『パタパタ』を聴けば「あー、流行ったね」「そういえば学校の創作ダンスとかで流れてたわ」と、なることうけあいです。

アタシも「パタパタ」は知っていて、というよりも何か聴いたことあるぐらいにずっと思っていて、この歌を歌ってる人が誰かということにさほど興味もなく過ごしていたんですが、2000年代の始め頃に、畠山美由紀さんがヴォーカルをやっているユニットでダブル・フェイマスというのがあって、このグループの音楽がとってもトロピカルで、アフリカやカリブの空気感満載でとっても良いなぁと感動していた時、たまたまこんな音楽をある場所で耳にしたんです。




「わ、これなんかすごいダブルフェイマスっぽいぞ!でもこれ、ジャズのようでもあるし、50年代のR&Bのコーラスグループっぽいよなぁ。でもすごく惹かれる、とっても気になる・・・」

と思ってたら、これこそアフリカン・ポップスの女王、ミリアム・マケバの初期音源なんだよ。彼女の音楽は当初洗練されたアメリカン・ミュージックの影響をすごく受けていた、極上のアフリカン・ジャズなんだよということを知って、それから一気に彼女の声、その伸びやかで極楽気分に溢れた歌と音楽の虜になってしまいました。

「アフリカ」といえばいろんな部族がいて、パーカッションや民俗楽器を使った非常にプリミティヴなものももちろんカッコ良くて、周囲のアフリカ好きの人達も、どっちかというとそういうものを好む人が多いのですが、50年代から70年代にかけてのアフリカ都市部の音楽、特にアメリカのブラック・ミュージックと深いところで共鳴しているポップスの素晴らしさといえば、もう一言では語り尽くせぬほどの魅力があるんです。

歴史的な事をちょいと説明すると、アフリカという地域は、長いことそのほとんどが欧米の植民地でありました。

この流れに変化が起きるのが第二次世界大戦が終わった後で、イギリスやフランスの植民地だった地域は、様々な問題を抱えつつも次々と独立して行きます。

人々は抑圧された体制から解放され、その自由を謳歌するために、或いは謳歌そのものとして自分達の音楽を高らかに歌い上げます。

ここらへんはジャマイカにおけるレゲエの誕生とも少々リンクしている話ですが、これらの国々では、元から合った部族の音楽に、西欧諸国で流行したポップスが絶妙に混ざり合って、また、ラジオやレコードを通して入ってきたアメリカの音楽、特に何となくお同胞意識を抱いていたアメリカ黒人達の音楽、つまるところのR&Bやジャズなんかを自分達なりの解釈でもって演奏したり歌ったりして、更に洗練させたり、独自性を加えてみたりして「アフリカのポップス」というものが、徐々に形作られていく訳でございます。

ミリアム・マケバは、南アフリカの生まれであります。

南アフリカといえば、アフリカの国々の中でも割と早い段階(1931年)に正式な独立を果たした国でありますが、一方で少数の白人が黒人を物心両面で支配下に置く、悪名高いアパルトヘイト政策をずっと続けてきた国で、彼女の音楽人生もまた、この国の不条理な事情とは無関係ではありませんでした。

貧しい家に生まれ、貧しさ故に親が犯した犯罪(密造酒販売)によって生後すぐに刑務所に収監されるという波乱万丈な人生のスタートを切る彼女ですが、そんな逆境にもめげず、人気ジャズ・バンドのヴォーカルとしてデビュー、その後突き抜けるようなポジティヴな歌声がすぐに人気を博して、1950年代の半ばには、彼女を中心といたヴォーカル・グループ”ザ・スカイラークス”が結成され、この時にレコーディングした曲の中に、彼女の生涯の代表曲となる”パタパタ”も入っております。

デビュー後のミリアムの人気は、この頃アフリカのみならず、アメリカにまで及んでおりました。

類まれまるその歌唱力は、ブロードウェイの耳に留まり、何とミリアムは1959年にアメリカに招かれて、ミュージカル「キングコング」に、主演のシンガー役で大抜擢を受けます。

そのまま世界ツアーに出た彼女は、ロンドンで名優であり大人気シンガーのハリー・ベラフォンテと親しくなり、この大物から

「どうだい、アメリカでデビューしないか?」

と、誘いを受け、成功への更なる大飛躍へと踏み出すのですが、彼女にはここで悲劇が起こります。

1960年、ミリアム28歳の時にお母さんが亡くなり、その葬儀に出るために帰国をしようとするのですが、南アフリカの政府は彼女のパスポートを失効とし、帰国を拒否してしまうのです。

これの理由は分かりませんが、恐らくは歌手として世界の舞台で活躍しようとしているミリアムの動向に不安を覚えた政府が、差別的な理由でもって彼女のパスポートを取り上げたんだろうと言われております。

それから2年後、やむなくアメリカにいたミリアムですが、国連に招かれて、そこで母国のアパルトヘイト政策に関して批判的な証言を行い、これに激怒した南アフリカ政府は、彼女の市民権と帰国する権利を永久に剥奪し、ミリアムは二度と母国へ帰れなくなってしまいまが、この悪意ある対応に激怒したアフリカやヨーロッパ諸国の国々が、次々と「世界市民として受け入れる」と、彼女にパスポートを発行。

彼女の名前は一気に「差別と闘う勇敢なシンガー」として、世界から称賛の的となります。

でも、彼女の偉いところは「自分はあくまでシンガー」と芸に真剣に取り組み、人々を嬉しく楽しくさせるような音楽を真摯にやっておったところです。

ジャズやソウルなど、アメリカのブラック・ミュージックの伝統から流行までも広く呑み込んで、それをアフリカのエッセンスで無理なく鮮やかに彩った彼女の音楽は、実にオリジナリティの塊であり、大好きだったエラ・フィッツジェラルドやサラ・ヴォーンらからの影響を感じさせつつも、他の誰とも似ていない、伸びやかでその声の余韻の中に深い慈愛を感じさせる歌声は、世界中の人々の心を掴みました。

ポピュラー音楽の頂点とされるグラミー賞を受賞し、リメイクした「パタパタ」の大ヒットで、押しも押されぬ世界のトップシンガーとなってもなお、彼女はその芸を深めることへの努力を惜しまず、60年代、70年代、80年代とその歌声に更なる深みを刻んでゆくのです。

アメリカやベルギー、ギニアなどを活動拠点にしていた彼女は、南アフリカのある活動家の支援に本格的に乗り出します。そう、後に南アフリカ大統領となるネルソン・マンデラの支援です。

1988年、ロンドンにあるウェンブリー・スタジアムにおいて行われた「投獄中のマンデラの70歳を祝うコンサート」が行われ、ボブ・ディラン、スティーヴィー・ワンダー、キース・リチャーズ、マイルス・デイヴィス、リンゴ・スター、ホイットニー・ヒューストン、ブルース・スプリングスティーン、ボノ(U2)、ピーター・ガブリエル、ランDMCなどなど・・・ありとあらゆるジャンルの大物ミュージシャン達が集結したこのコンサートでミリアムも歌い、こういった世界的な動きの中で南アフリカのアパルトヘイト政策は終わりを迎えるのでありました。

ちなみにこのコンサートの司会を務めたのは、ミリアムを世界に知らしめるきっかけを作ったハリー・ベラフォンテであります。

さて、ようやく30年近い漂白の身から晴れて南アフリカへ帰国したミリアムは、歌手活動を続けながら、差別や貧困、またはアフリカ社会で深刻な問題となっているHIVの問題など、あらゆる事柄に関係するチャリティーに本腰を入れました。

彼女が亡くなったのは2008年、76歳の時でしたが、この最期となったのがイタリアで行われたマフィア追放キャンペーンのステージで「パタパタ」を歌い終わった直後に心臓麻痺を起して帰らぬ人となっております。

信念の人だったのでしょうね。








【Disc-1:APARTHEID IN JOHANNESBURG】
(THE MANHATTAN BROTHERS)
1.LAKU TSHUNI ‘LANGA
2.TULA NDIVILE (SADUVA)
3.BABY NTSOARE
(THE SKYLARKS)
4.ORLANDO
5.OWAKHO
6.OLILILI
7.INTANDANE
8.PULA KGOSI SERETSE
9.KUTHENI SITHANDWA (DAY O)
10.NDIYA NXILA APHA E-BHAYI
11.BAYA NDI MEMEZA
12.VULU AMASANGO
13.UMBHAQANGA
14.NOMALUNGELO
15.TABLE MOUNTAIN
16.HUSH
17.MTSHAKASI
18.UTHANDO LUYAPHELA
19.PHANSI KWALOMHLABA
20.LIVE HUMBLE
21.SINDIZA NGECADILLACS
22.NDIMBONE DLUCA
23.NDAMCENGA
24.UNYANA WOLAHLEKO

【Disc-2:AFRICA’S QUEEN OF SOUL】
1.ROCKIN’ IN RHYTHM
2.INKOMO ZODWA
3.EKONENI
4.DARLIE KEA LEMANG
5.SOPHIATOWN IS GONE
6.MAKE US ONE
7.BACK OF THE MOON
8.QUICKLY IN LOVE
9.MAKOTI
10.THEMBA LAMI
11.UYADELA
12.YINI MADODA
13.NDIDIWE ZINTABA
14.UILE NGOAN’ A BATHO
15.SIYAVUYA
16.PHATA PHATA
17.MIRIAM’S GOODBYE TO AFRICA
(EXILE IN NEW YORK CITY)
18.JIKELE MAWENI (THE RETREAT SONG)
19.SULIRAM
20.QONQONTHWANE (THE CLICK SONG)
21.UMHOME
22.OLILIL

【Disc-3:NEW YORK】
1.LAKU TSHUNI ‘LANGA
2.MBUBE (THE LION SLEEPS TONIGHT/ WIMOWEH)
3.THE NAUGHTY LITTLE FLEA
4.WHERE DOES IT LEAD?
5.NOMEVA
6.HOUSE OF THE RISING SUN
7.SADUVA (TULA NDIVILE)
8.ONE MORE DANCE
9.IYA GUDUZA
10.KILIMANDJARO
11.ZENIZENABO
12.NTJILO NTJILO
13.UMQOKOZO
14.NGOLA KURILA
15.THANAYI THANAYI
16.LIWA WECHI
17.NAGULA
18.CARNIVAL (“ORFEO NEGRO” THEME)
19.NIGHT MUST FALL
20.LOVE TASTES LIKE STRAWBERRIES
21.CAN’T CROSS OVER


さらっと解説するつもりではありましたが、やはりミリアム・マケバという人の歌は、その波乱万丈の人生に裏付けられていると思いましたので、彼女の人生をざっと振り返って書かざるを得なくなりました。

このアルバムは、彼女が南アフリカでデビューした直後から、ニューヨークに拠点を置いた60年代初頭までの音源を選りすぐった素晴らしい初期ベストであります。

スコーンと明るい、アフリカン・ジャズ/R&Bのディスク1から、独自のジャズ・アレンジでスタンダードやアフリカン・ポップスを唄ったDisc-2,3どれも最高に聴き応えのある、本当にグッとくる、何だか聴いてるだけで心を自然と豊かにしてくれそうな、イカした音楽が目一杯詰まっております。

彼女の声の魅力は本当に奥深く、特に初期の声は大ファンだったというエラ・フィッツジェラルドからの影響が大きく、伸びやかで雑味のない声ですが、結構ドスの聴いた低音や、パンチの効いたシャウトも自在にこなすそのテクニシャンぶりには思わずうなってしまいます。

あと、この人の声はどこまでも優しくて、時にポロッと哀しみが漏れる瞬間が(特にフレーズの最後の、声が伸びて消え入る辺り)あって、アタシは毎回それにヤラレてます。

ミリアム・マケバはアフリカからやってきて、多くのジャズやソウルやR&Bのシンガーに影響お与えた人でもあります。特にニーナ・シモンとエリカ・バドゥは彼女から多くの表現の糧を得たんじゃないかなと思いますが、そこはお聴きになる皆さんの耳で直に確かめてみてください。

3枚組で聴き応え最高で、しかも国内盤なのでライナノーツもあります。




『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2017年05月28日

ピエール・バルー サ・ヴァ、サ・ヴィアン

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ピエール・バルー/サ・ヴァ、サ・ヴィアン

(Saravah/コアポート)

音楽を聴くたのしみのひとつに「非日常を味わう」というのがあります。

ミュージシャン達が創造する音世界は、確かに非日常をそこに生み出す最高のツールで「音楽を好きになること=知らない世界との繋がりを深める」という公式は確かに成り立ちます。

知らない国の音楽でもいいし、生活したことのない時代の音楽でもいい。もしくは今の時代の音楽でも、テクノロジーによって完璧に演出された非日常をアタシ達は堪能して、そこに意識を泳がすことができます。

日本語で言うところの”ハレ”の感覚ですね。

さて、アタシもそうやって、音楽を好きになってからというもの、色んな色や形の非日常を楽しんで、或いは自分の内側にヒリッとした感触と共に記憶してきた訳ですが、ここへきて

「日常スレスレの感じを残した淡い非日常こそが、心にしんみりとした何ともいえない情景を残してくれるのではないか」

という感慨が深くなっております。

具体的に言いますと、フランスの巨匠音楽家、ピエール・バルーと、彼がレーベル・オーナー/プロデューサーを務めた”サラヴァ”レーベルの作品を、たとえば休日の午後なんかにぼんやり聴いていると、体は日常に残しながら、心の半分以上が、淡く切ない奇妙な非日常感の中を、ほわほわと漂っている時があるのです。

ピエール・バルー、フランス発のポピュラー・ミュージックの、深く果てしない支流を掘り続けてきたポピュラー音楽家でありシンガー、プロデューサー、役者、そして生粋の吟遊詩人。

貧しい家庭に生まれ、十代の頃から音楽の世界で生きることを志し、自作のシャンソンを書きながら、やがて20代になる頃に世界を放浪し、ポルトガルで聴いたボサノヴァに運命的な出会いを感じ

「この音楽をフランスに広めるぞ!」

と決意して、実際に彼の努力と、本場リオのカーニバルの来仏などによって、フランスではボサノヴァや古いサンバなどが聴かれるようになります。

バルーは後に「フレンチ・ボッサの立役者」と呼ばれるようになりますが、実は若い頃は音楽よりも演劇の世界での評価が高く、アーティストとしての最初の仕事は、役者として映画に出たことでした。

やがて役者としてちょいと知られるようになったバルーに、再び運命的な出会いが訪れます。

それが1966年の、クロード・ルルーシュ監督映画『男と女』。

何と役者としてのオファーとは別に、フランシス・レイが作曲した主題歌の歌詞を書かないか?というオファーが舞い込んで来たのです。

映画の大ヒット、そしてカンヌ映画祭でのグランプリの追い風もあって、映画の中でヒロインの夫として主題歌を歌ったバルーも一躍フランスを代表するアーティストとなります。

この年にバルーが、やりたい音楽を創作するレーベルとして設立したのが"Salava"です。





【収録曲】
1.サ・ヴァ、サ・ヴィアン
2.愛から愛へ
3.小さな映画館
4.おいしい水
5.靴墨のビンとマロンクリーム
6.愛する勇気
7.80 A.B
8.パリ・ウェリントン
9.地球を取って
10.港の歌
11.森林
12.小さな木馬
13.僕がアザラシだった頃
14.遭難 (シングル・ヴァージョン)
15.迷い (アルバム未発表ヴァージョン)
16.80 A.B (アルバム未発表ヴァージョン)
17.サ・ヴァ、サ・ヴィアン (映画ヴァージョン)


バルーの代表作として、今も多くの人に聴かれている「サ・ヴァ、サ・ヴィアン」は、1971年にリリースされたバルーの、ソロ名義としては2枚目のアルバム。








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2016年11月22日

伝説のギタリスト、ジョージ・シバンダ-ジンバブエ(ローテシア)南部-48'49'50'52

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伝説のギタリスト、ジョージ・シバンダ-ジンバブエ(ローテシア)南部-’48、’49、’50、’52
(アオラ・コーポーレーション)

「アフリカつっても太鼓や唄だけじゃねぇぞ!」ということを、声を大にして言いたいアタシにとって、戦後40年代〜60年代ぐらいまでのアフリカのポップス。つっても商業化されたド派手なものじゃなく、地元の人たちの間で素朴に聴かれてはいるが、その形態は伝統音楽とは違うものって、すごくグッとくるし興味をそそるんですよね。

あ、すいません「何のこっちゃ?」とお思いの方も多いと思いますが、例えばアメリカにはブルースがありますね。

その中でも”ダウンホーム・ブルース”と呼ばれる、例えばミシシッピとかの深南部で、レコーディング・スターではなく、週末になるとジューク・ジョイントという安酒場に集まってくる地元の人達相手に、流行とはまったく関係ない、アンダーグラウンド感満載で、どぶろくのような濃いブルースを演奏している人達の音楽が大好きなんです。

はい、戦後「ポップス」といえば、これはもうアメリカやイギリスの音楽がほとんどでした。

世界に向けて”売れる音楽”を供給できる販売網と宣伝力を持つのは、この2ヶ国だけだったからですね。だからそれ以外の国の音楽は「ローカル」です。つまりレコードが出されても、その国の人達だけか、せいぜい文化圏を同じくする周辺諸国の人達が聴くだけで、素晴らしいものが録音されて売り出されても、世界のほとんどの人が全く知らなかった訳です(だってほら、日本の歌謡曲の世界的な大ヒット曲でさえ”スキヤキ”でしたから・・・)。

で、最初に言ったように「アフリカといえば太鼓と唄だろう」というのも、これは間違いではないんですが、ある意味において偏見であり「世界の音楽がアメリカとイギリスのヒットしかなかった時代」の、悪い名残りだと思いますね。

はい、払拭いたしましょう。本日は1940年代末から50年代初頭にレコーディングされた、アフリカの素晴らしいギターポップを紹介します。

アフリカはジンバブエといえば、南アフリカの丁度真上に位置する「大陸最深部に近い国」です。

この国は、何といっても”ムビラ(カリンバ)”と呼ばれる親指でポロポロ弾く親指ピアノが有名で、かつて民族音楽の聖典、ノンサッチのシリーズでリリースされた時は、アフリカファンに大いに受け、これがきっかけでムビラは我が国でも有名になりました。楽器屋さんではなく、エスニックな雑貨屋さんなんかに行けば、オルゴールのご先祖みたいなムビラが置いてあるので、それで何となく遊んだ経験のある人も多いのではないかと思いますが、ムビラの話はまたの機会に。。。

で、そんなジンバブエ。

戦前は主に演奏されていたのは伝統的な音楽ばかりでしたが、1940年代にギターが普及して、この新しい楽器を片手に新たなる流行歌が、次々と生まれてきておりました。

街や村で、ギターを片手に歌い歩く人達はどこへ行っても人気者で、中には全国を旅して唄い歩く人も多かったといいます。

あれ?

ここまで書いて「お、ブルースマンじゃないか」と思ったアナタ、正解です。

正直リアルタイムでアメリカのブルースとジンバブエの音楽がどのような関係にあったのかは詳しく知りませんし、また、語られている資料も少ないので何ともいえないのですが、距離的にものすごーく離れていたはずの、二つの音楽は、もうびっくりするほどそっくりなんです。

いや、違うのは言葉だけで、独特のシンコペーションや間の取り方なんかは、もう双子なんじゃないか。いや、リアルタイムにアメリカで活躍していたブルースマンがこっそり密航してジンバブエで誰かにブルース教えたんじゃないかと思うぐらいのものです。



【収録曲】
1.Dali Ngiyakuthanda Bati Ha-Ha-
2.Ungahamba No Tsotsi
3.Ngiyakuthanda Ntombi Emnyama
4.Otsotsi
5.Guabi Guabi
6.Chuzi Mama
7.Kwantu
8.Kuyini Loku
9.Eranda Ngabop' Itrain
10.Llanga Lashona
11.Uma Lovie
12.Sake Sabotshwa
13.Sivele Sithandana
14.Inyakanyaka
15.Amandebele
16.Hamba La Venda
17.Emely Uyabizwa
18.Itshumi Lami Bafana
19.I-I Thina Lapha Esishupekayo
20.Mami
21.Dlala Laiza
22.Umfazi We Polisa Usegqoka Amal
23."Yinindaba Wena, My Boy"
24.Epilogue


この”まんまブルースなジンバブエのギター弾き語り男”の中で、最も伝説的な存在として語り継がれている人が、今回ご紹介するジョージ・ジバンダです。

民族音楽の世界では「この人がいなかったらアフリカ音楽の正しい姿はおそらく世界に伝わらなかったんじゃないか」と言われている民俗学者でヒュー・トレイシーという”漢”がおります。

アフリカ音楽の採集に命をかけているトレイシーが、ジンバブエ南部で現地の音楽を録音していた時に出会ったのがジョージ・シバンダで、数少ない資料には、彼がこの時披露した歌と、類まれなギターの才能に感動したヒュー・トレイシーが「録音しよう!そうだ、商業用のレコードも出そうよ!君は絶対に売れる」と約束して、1948年からおよそ10年近く、トレイシーの肝煎りでアフリカ諸国はもちろんアメリカにまで名が売れるシンガーとなったものの、典型的な「宵越しのカネは持たねぇ」主義だったジョージは、せっかく稼いだカネの全てを遊興とアルコールに注ぎ込み、結局それが元でミュージシャンとしての活動も僅か10年足らず、1枚の写真すら残さずに、あっという間に伝説の彼方の人になってしまいました。

とりあえず今出ているCDで、彼の演奏が聴けるのもこれだけのようです。

しかしどこまでも自然体ののどかな歌唱、でもバラッドやラグタイムなど、どこか不思議な洗練された完璧なギター・テクニックは、これは聴く人の心にふんわりと一生モノの感動を残してくれる音楽だと思います。

アフリカのブルース、いいよ♪


(これが1曲目、ゴキゲンやろー♪)

『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2016年09月06日

ユッスー・ンドゥール&エトワール・ド・ダカール ンバラの誕生 1979−1981

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ユッスー・ンドゥール&エトワール・ド・ダカール ンバラの誕生 1979−1981
(ライス・レコード)

さて、昨日サリフ・ケイタを紹介しましたので、今回もアフリカの大物にご登場願います。

この人はおそらく、アフリカのミュージシャンで最も有名で、スティング、ピーター・ガブリエル、スティング、スティーヴィー・ワンダーら、世界的なポップスター達との数々の共演とか、日本でもドリカム、坂本龍一とも一緒に仕事をしておりますし、度々CMやドキュメンタリー番組の音楽などで楽曲が使われてもおりますので、多分「ユッスー・・・?誰?ワールド・ミュージック何?」な人でも、音を聴けば「あーーー!あのアフリカの!わかった!!」と、なると思います。

とにもかくにもユッスー・ンドゥールこそは、それまでひたすら「ディープで謎に包まれていたもの」と思われていたアフリカン・ミュージックを、欧米のポップスと肩を並べるものにした大功労者なのであります。

んで、アタシは今日、朝から「あぁぁああーー、ユッスー・ンドゥール紹介するんだけどぉ、何にしたらいいかなぁー、何をオススメしたらみんな聴いてくれるかなぁー・・・・」と悩みに悩みました。

何にせよ1970年代から現在まで、常にアフリカン・ミュージックのトップスターとして大活躍している人です。

アルバムの数も尋常じゃないし、その底なし沼のように広く深過ぎる音楽性ゆえ、アルバムも時期によって・・・どころか出す毎にその作風がガラッと変わったりしております。

なので、ここはあえて「ワールド・ミュージックを代表する大物アーティスト」になる前の、彼の原点を知る上で最も重要な時期の音源であり、彼がセネガル伝統のリズムとラテン・ミュージックから受けた影響を見事掛け合わせた独自のジャンル”ンバラ”という音楽を一番分かりやすく集めた2枚組をご紹介します。



【収録曲】
(Disc-2)
1.Thiely
2.Dom Sou Nare Bakh
3.Esta China
4.Mane Khouma Khol Thi Yao
5.Jalo
6.Absa Gueye
7.Thiapa Thioly
8.Dagotte
9.Dounya
10.Diandioli
11.Kine Kine
12.M'Badane

(Disc-2)
1.Tolou Badou N'Diaye
2.Nit Kou N'Gnoul
3.Yalaye Dogal
4.My Wa Wa
5.Lay Suma Lay
6.Diankha Demal
7.Khaley Etoile
8.Sama Guenth-Gui
9.M'Baye Gueye
10.Titeur
11.Maleo


1959年生まれのユッスー・ンドゥールルは、フェラ・クティ(1938年生)、サリフ・ケイタ(1949年生)よりも更に若い世代になります。

グリオの家系に生まれ、幼い頃からジャンベを巧みに操り唄わせる才能を開花させていた彼は、何と15歳でセネガルの首都ダカールで最も人気だった”スター・バンド”に加入。

すぐにそれと分かる特徴的な、よく通るハイトーン・ヴォイスで存在感を顕わにし、この国民的人気バンドの中心人物としての地位をあっという間に築きます。

今もユッスーといえば、あの突き抜けた晴天のようなヴォーカルでありますが、初期からもう揺ぎないスタイルを完成させていたんですね。

で、このスターバンドで、ユッスーはセネガルの伝統的な音楽をポップにしたものには飽き足らず「ここでちょっと世界にある同じ黒人音楽から、何か要素を入れてみようや」と、思い立ち、特に奴隷として西アフリカから連れてこられた黒人の子孫の多いカリブ海、つまりキューバやバハマなどの島々のアフロ・ラテン・ミュージックを、何とか自分達のアフリカン・ミュージックに融合させようと、色々と試みを見せております。

ユッスーがアフロ・ラテンに目を付けたのは、彼が元々ジャンベ奏者であり、人一倍リズムというものに鋭い感覚を持っており、南米でアフリカ時代より更に複雑で強靭なものとなったそのビートには、本能的に惹かれたものがあったのでしょう。

スターバンドでも、ユッスーがラテン・ミュージックからの影響を”試み”として融合させた成果はいくつか聴けるのではありますが、まだまだラテン音楽のコピーの域を脱していないものでした。

どうしても自分がやりたい音楽をやるには、やはり自分のバンドが必要。

そう思ったユッスーは、1979年、遂に自己のバンド「エトワール・ド・ダカール」を結成します。

このバンドは、セネガルのグリオが使う民族楽器「サバール」(ジャンベより大きい縦長の太鼓)で打ち鳴らすビートを軸に、その他伝統楽器、エレキギター、ベース、サックスなど、現代の楽器も通常編成に加え、主にキューバのルンバ、ハイチのコンゴ、そしてやはりこの要素を入れないと現代の音楽として成立しないファンクを、大幅に導入。

こう書くと「アフリカ音楽がラテンファンク化したのか!?」と、単純に捉えられそうですが、ユッスーはそこんとこのバランス感覚が尋常じゃなく、ものすごいラテン風味があっても、どう聴いてもファンクであっても、その中心の最もコアな部分にしっかりとアフリカの、いや、彼が幼い頃より慣れ親しんで完全に血肉と化したグリオの音楽がドッシリと据えてあり、トータルな音楽としては格別のオリジナリティと極めて高いクオリティの両方をしっかりと持っているものに、エトワール・ド・ダカールのサウンドは昇華しました。

このオリジナルな音楽に、ユッスーは「ンバラ」と名付け、この後ンバラはセネガルのみならず、アフリカの若者の間では、最高にカッコイイ音楽として、ひとつの時代を作ることになります。



この、1979年から1981年、超初期のエトワール・ド・ダカールの音源を集めた2枚組は、タイトル通りユッスー・ンドゥールという不世出の天才が「ンバラ」という音楽を生み出した正にその瞬間を余すところなく収めた素晴らしいCDです。

洗練を重ねて孤高の極みに達した今のユッスーもいいけど、適度に泥臭くてヤンチャなこの時期のユッスーもいいんすよ。








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2016年09月05日

サリフ・ケイタ ソロ

4.jpg
サリフ・ケイタ/ソロ
(ライス・レコード)

「アフリカ」といえばすぐにパッと思い浮かぶ音楽として、サリフ・ケイタの音楽があります。

カラッとした賑やかなファンク系ビートに、よく通る、しかしどこかその奥底には無限の説得力やカリスマな風格のある声が、最高に心地良いポイントで混ざり合ったそれは一言で「魂の音楽」と言ってもクサくはならんでしょう。

最初にサリフ・ケイタを聴いたのは、丁度22歳ぐらいの時。

70年代のアメリカのBLACK JAZZやSTRATA-EAST系の音が好きになり、その延長でフェラ・クティにハマッて、先輩に

「アフリカのこういうジャズっていうんすか?アフロポップ?とにかくカッコイイっすね。こういうのもっと聴きたいなぁ・・・」

と言ったら

「お前、アフリカ音楽好きだったらサリフ・ケイタは聴いてるんだろうな」

と言われ

「誰すか?」

となって、その後はお約束のパターンです。

フェラ・クティもサリフ・ケイタも、どちらも西アフリカ(ナイジェリアとマリ)で、どちらも西アフリカ伝統音楽に、ジャズやR&B、ファンクなど、アメリカン・ブラック・ミュージックの要素を大胆に取り入れた革新的なミュージシャンであり、どちらも「アフリカン・ポップスの巨匠」として名高いのですが、その音楽性はほとんど正反対ぐらい違います。

歌詞にふんだんに政治的なメッセージを盛り込んで、攻撃的なリズムの呪術っぽい繰り返しで熱狂のカオスを生み出すフェラ・クティに対し、サリフ・ケイタの音楽は、歌詞に込めたメッセージの熱を内に秘めつつも、政治的というよりは、もっと普遍的な、人間存在そのものの問題点を繊細に浮き彫りにしたような感触があります。

音楽的にも非常に聴き易く、全体的にポップであります。

ですが、そこはアフリカの王者サリフ、上っ面でなく”奥底”で聴かせます。

近年の作品は特に生楽器を中心としたシンプルなアンサンブルで、実に深みのある声で切々と聴かせる作品が多いのですが、音楽的色彩が相当にカラフルな初期の音源を聴いても、まずサウンドの華やかさよりも先に独特のコクと深みの方が強く印象に残ります。

とりあえず本日は、このブログでサリフ・ケイタを紹介するのは初めてだと思いますので、初期のソロ・デビュー・アルバム「ソロ」を紹介しながら、サリフ・ケイタという人について、ちょいと書いていこうと思います。




【収録曲】
1.ワンバ
2.ソロ
3.スアレバ
4.シナ
5.コノ
6.サンニ・ケニバ



(このCDの2曲目「ソロ」のライヴ、直立不動で歌う姿に何かもう凄いオーラが漂ってますな)



サリフ・ケイタは1949年、西アフリカはマリ共和国という国で生まれました。

このマリという国は、実に独自の弦楽器文化があり、アフリカ諸国の中でも素晴らしい民族音楽の宝庫なんですが、その話はちょい置いといて、サリフ・ケイタの話をサクサクいきましょう。

王族の末裔という凄い家に生を受けたサリフでしたが、アルビノという先天的に肌の色素が少ない体質であり(つまり黒人なのに肌が白い)、このアルビノというのは、病気でも障害でも何でもないのですが、やはりまだ「不吉だ」とかいう迷信が信じられていたのでしょう。生まれてほどなく、ほとんど勘当に近い形で一族を追われ、外に出てもずっと差別や迫害を受けるという悲惨な幼少期を過ごしました。

肌の色が人と違うというだけでマトモな生活ができないなんて、酷いといえば酷い話なんですが、そんなサリフをマリで唯一受け入れ、音楽の手ほどきをしたのが、西アフリカ一帯で音楽や歴史物語の”語り部”を生業としている”グリオ”と呼ばれる人々でした。

さっきのマリという国に独自の優れた管楽器文化がある云々という話をしましたが、それこそがこのグリオの人達が築き上げたものなんですね。

彼らはコラ(竪琴)ンゴニ(バンジョーの先祖)といった弦楽器のスペシャリストであり、太鼓や木琴楽器も自在に操り、また、演奏するだけでなく製作も行う世襲制の伝統職人であるだけでなく、国や王家の歴史や伝説の英雄の物語、神や悪霊を制する歌も継承しており、現地の人達からは、一種のシャーマンに近い畏敬を受ける集団です。

グリオは、その生い立ちから神聖な人々であるとされておりますが、同時に賤民として差別もされており、非常に複雑でデリケートな存在です。

さて、肌の色のことで差別され、一般社会では生きていくことの難しかったサリフ少年は、このグリオの集団に拾われ、彼らの直接の手ほどきを受けて、歌唱と楽器を覚えていくのですが、その過程で「声に人並み以上の力がある」と認められ、今度はグリオの世界からポピュラー音楽家への道へと突き進んで行くのですが、これが1967年、サリフ何と18歳の時であります。

彼がヴォーカリストとして参加した数々のバンドは地元や西アフリカ一帯で人気を博し「サリフ・ケイタ」という存在も、その肌の色も相俟って人々の口を通して、凄まじくミステリアスな神がかったシンガーとして有名になります(ここんとこ、ロバート・ジョンソンとかのブルースマンの伝説とちょいと似ております)。

ソロ・シンガーとして、更なる成功と名声を願ったサリフは1986年にフランスに移住、そこで元々グリオたちの伝統音楽と同じく”好き”であったジャズやR&Bなどの文化に大いに触れ、それらのエッセンスを見事血肉とします。

そして、満を持してのソロ・デビュー作が、1987年作。タイトルもそのままに「ソロ」でございます。

このアルバム、聴いてみれば分かるのですが、アフリカ伝統音楽の、かなりディープなフィーリングに、ジャズやアメリカン・ブラック・ミュージックのエッセンスが、全く不自然なく溶け合っていて、今聴いても「あ、これは凄い」となること請け合いなんですが、実はこんな凄いアルバムが、世界的に認められたのは、発売からちょっと経ってイギリス盤が出回ってからというから、歴史というのは何がどうなるのか分からないものですね。

とにかくサリフ・ケイタ「ソロ」は、アフリカの音楽ってどんななんだろう?あ、でもいきなり民族音楽全開なのはちょっと怖いかな・・・と思ってる人には、まずは何を置いてもオススメです。もちろん70年代のソウルジャズやジャズファンクなんかが好きな人にも♪


『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 18:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 世界の民族音楽など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする