ディープなコラム こちらにも書いてます♪

2017年09月19日

リー・コニッツ ディープ・リー

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リー・コニッツ&トリオ・ミンサラー/ディープ・リー
(ENJA/SOLID)

夏の間は大コルトレーン祭をやっておりましたので、もうそれこそ耳に入れるサックスの音といったら、煮えたぎるような情熱で出来た硬質な音。

「お前、何で夏のクソ暑い時にそんなコルトレーンみたいな爽やか要素がひとつもないもんばっか聴いてるんだ」

と、心ある方々から結構マジなツッコミを頂くこともありますが、や、これはウチの宗派(大コルトレーン教)の教義でありまして・・・、と笑いながら返すと向こうも「そうか、それならしょうがないな」と笑って答えるのであります。

こういうのが平和って言うんですよね。えぇ、平和です。平和がいちばんよろしい。

そうやって、夏の間に目一杯カッカさせたりクラクラさせたりしておりますので、秋になると今度はクールな音楽で、良い感じに心身共に冷却です。

という訳で、アタシはコルトレーンの季節の後に、必ずリー・コニッツを集中して聴くようにしております。

この人が吹くアルト・サックスの音やフレーズ、ややふやけた脳みそをキリッと引き締めてくれる効果もあるし、同時にこわばった気持ちの部分を程よく溶かしてくれる、優しい効果も持っております。えぇ、独特といえば独特、ジャズの世界にこの人と似たような個性を持った人はいない、本当に不思議なカッコ良さを持っている人なんです。

リー・コニッツという人は、1940年代の末にデビューして、恐るべきことに89歳になった今も現役で活動しておりますが、彼の凄いのは「デビュー当時沸きに沸いていたビ・バップと、唯一そのクオリティと革新性で対抗出来ていたクール・ジャズ(詳しくはレニー・トリスターノの頁参照)、その中でアルト・サックス奏者として、当時のチャーリー・パーカーとライバル関係にあった」ということや、まだぺーぺーだった頃のマイルス・デイヴィスが彼のアドリブに惹かれ「どうやってんだ、教えてくれよ」と言ってきて、彼が教えたことのほとんどが、初期マイルスのあのクールで都会的なムードを生み出すのに役に立ったとか、その初期の活躍もなんですが、長い現役生活を続けるうちに、スタイルをどんどん進化させ、21世紀の今も

「あ、このサックスはとても新しい響きがある」

と、聴く人に思わせるところにあると思います。

もっといえば

「流行には一切迎合せず、ただ淡々と己の内側に進化を求めた結果、キャリアの中で一瞬も時代遅れになる音楽をすることがなかった」

ということになるでしょうか。

どんなに優れたミュージシャンでも時代の流れには勝てず、往年の輝きを失って失速したり、或いはロックやファンクなどの最新のサウンドを取り入れて、ある意味で華麗な転身を遂げて成功したり、そうやって「時代」というものに翻弄されて苦悩するものでありますが、コニッツはどの時代の演奏を聴いていても、そういった苦悩や変節とは全く無縁に思えます。

もちろん最初期の、トリスターノの愛弟子だった頃の、カミソリのような鋭いアルト・サックスの音色は、50年代半ばから徐々に丸みを帯びたウォームなものになっていきますし、60年代以降は作品によってフリージャズみたいなこともやったし、ちょいと座興で電気サックス(サックスにピックアップ付けてアンプに繋げたもの)を手にしたこともあるし軽めのボサ・ノヴァを吹いてるアルバムだってあります。

でも、そういうあれやこれやをやってみても、軸足はしっかりとアコースティックなジャズに置いてぶれないし、演奏スタイルも「即興」というものにストイックなまでの強い想いと「感情の高ぶりに流されない知性」というものを、一瞬たりともコニッツは失っておりません。

だからアタシはコニッツさんのアルバム、それこそ色んな年代のものを無節操に集めて聴いていますが、どのアルバムからも無駄のない芯の強さに彩られた美と、思考をジワジワと刺激し、別世界へと自然と誘ってくれる引力を感じます。




【パーソネル】
リー・コニッツ(as)
フローリアン・ウェーバー(p)
ジェフ・デンソン(b)
ジヴ・ラヴィッツ(ds)


【収録曲】
1.スリー・パート・スィート~インヴェンション
2.スリー・パート・スィート~コーラル
3.スリー・パート・スィート~カノン
4.ディープ・リー
5.星影のステラ
6.カクタス
7.アズ・ザ・スモーク・クリアーズ
8.W86th
9.シー・ザ・ワールド・フォー・ザ・ファースト・タイム
10.カラー
11.スパイダース


で、アタシはここ数日引き込まれるままに聴いているのが、2007年に録音されたこのアルバム。

「リー・コニッツと、ドイツの若手ピアノ・トリオが共演する」

という、発売前の宣伝文を見て何故か

「これは絶対に買わなきゃいけないやつだ」

と思いました。

1927年生まれのコニッツは、この時80歳。一方のミンサラーの3人は1976年と77年の生まれだから、この時30歳と31歳。

普通に考えて「大ベテランと彼をリスペクトする若手との、和やかなくつろぎに満ちた作品」に仕上がりそうなもんですが、こういうシチュエーションで絶対に、絶対にそんなぬるいことをやってくれないのがコニッツです。

果たしてその予感は当たり以上の大当たりでした。

コニッツの、厳しさを内に秘めた優しさとしなやかさ、そしてそれらに美しくまぶされた憂いの成分が薫り漂う、美しい音色のアルト。そこに恐らくはクラシックの基礎と、それに収まらない狂おしい衝動を持ったトリオ・ミンサラーの、完全に対等な、持てる全ての実力とリリシズムを遠慮なくぶつけてくる演奏。

どの曲も「コニッツのアルトとサポートするピアノトリオの好演」どころではありません。

コニッツが徹底して無駄を省いて厳しく再構築したアドリブの、幽玄の闇を漂うメロディーに、時に絡みつき、時にリードを丁寧に奪い、えも言えぬ静謐なハーモニーを、同じ歩調で生み出してゆくフローリアン・ウェーバーのピアノと、的確なリズムを付けていくだけじゃなくて、アルトとピアノの見事な即興同士の真剣勝負に自然と入り込み、どんどん”うた”を拡散させてゆくベースとドラム。

演奏はどの曲も切ない余韻をきらめかせながら、内へ内へと沈み込んでゆくような”クール”でありますが、だからこそやっぱり、コニッツを聴いた時にかならず胸に迫ってくる引き込みのヤバさが渦巻いております。これ、本当に素晴らしいです。






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2017年09月16日

ザ・フー マイ・ジェネレーション

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ザ・フー/マイ・ジェネレーション
(Polydor/USM)


イギリスの3大ロックバンドといえば、ビートルズとローリング・ストーンズ、そして今日ご紹介する"
ザ・フーThe Who"であります。

そして「イギリス3大ロックバンドの中で、どうもよく知らない」と言われるのがフーであります。

揺るぎない世界観と、ロックを通り越してポップスとしても秀逸なスタンダードの数々を生み出したビートルズと、ロックンロールのカッコ良くて分かり易いイメージがそのまんまバンドにんったかのようなストーンズは、確かにもう名前を聞いただけで、音楽にそんな興味のない人でも「あ、これ」とピンとくるものがある、確かにこの2つは別格の中の別格と言っていいほどのスーパーバンドでありましょう。

で、ザ・フーですが、実は3大バンドの中で、アタシはこのバンドほどロック”が”好きな人(ロック”は”好きとかロック”も”好き、ではない)にアツく支持されているバンドはないと思います。そして、このバンドほど様々な音楽の要素を取り入れ、それらのエッセンスを信じられない高みにまで持って行ってサウンド化したバンドはなかろうと思っております。

時期毎に、アルバム毎に彼らは飛躍的な進化を聴く人に叩き付けたザ・フー。

そして初期のアルバムは、パンクロックの誕生に決定的な刺激と影響を与え、キャリアを通じてその演奏の根底には、ひたすらアツく衝動的なロックンロールの魂がたぎっている。

音楽が、とりわけロックが好きな人達が惹かれ、そしてこよなく愛してしまうのが、彼らのそんなピュアな衝動の部分なんです。

アタシが最初にザ・フーを知ったのは、音楽雑誌で

『世界で初めてギターを投げ、ドラムをブチ壊すという破壊的なライヴ・パフォーマンス行った』

という衝撃の記事を目にしたことです。

パンクの登場前にそんなイカレたことをするバンド、いたんだ!

と、そりゃもうワクワクしたもんです。

そしてアルバムを聴く前に、深夜の音楽番組で観た彼らのライヴ・パフォーマンスは、ヴォーカルがマイクを鎖鎌みたいにブングル振り回し、ギターの鼻のでっかいおっさんが飛び跳ねたり腕を大回転させてギターを弾き、ドラムがセットを蹴飛ばして前に出てくるんじゃないかというぐらいの勢いでジタバタ叩いてまして、でも曲はやたらポップで楽しくて「あぁ、コイツらおっかしいなぁ、キてるなぁ・・・」というのが最初の印象でした。

そん時に観た映像は、確か80年代のライヴだったと思います。有名な「ぶっこわしパフォーマンス」こそ拝めませんでしたが、十代のアタシに「ザ・フーはイカレバンド」という美しいイメージを植え付けるのには、十分過ぎるほどぶっ飛んだ映像でありました。


【収録曲】
1.アウト・イン・ザ・ストリート
2.アイ・ドント・マインド
3.ザ・グッズ・ゴーン
4.ラ・ラ・ラ・ライズ
5.マッチ・トゥー・マッチ
6.マイ・ジェネレイション
7.キッズ・アー・オールライト
8.プリーズ・プリーズ・プリーズ
9.イッツ・ノット・トゥルー
10.アイム・ア・マン
11.ア・リーガル・マター
12.ジ・オックス


丁度その時夢中になっていたジュン・スカイ・ウォーカーズが「マイ・ジェネレーション」という曲を出していたので「え?つうことはフーはジュンスカに影響与えてんの?すげー」と、すっかりミーハー根性丸出しで聴いた『マイ・ジェネレーション』。

これですね、ザ・フーが1967年にリリースしたファースト・アルバムなんですが、これが本当にハタチそこらの若者の作ったバンドのデビュー・アルバムなんだろうか?と、思わせるぐらいに完成度が高いです。

パッと聴き、ビートルズをもっと走らせて不良っぽさをプラスしたようなやんちゃな雰囲気で、そこにところどころ、R&Bのテイストが入っており「ポップな曲」「ノリノリの曲」「R&Bテイストなバラード(AGのジェイムス・ブラウンのカヴァー)」のバランスが実に絶妙でした。

いかにも向こう気の強そうなロジャー・ダルトリーのハスキーなヴォーカル、当時のギターアンプの限界の歪で、ガシャガヤゴワゴワ弾きまくるピート・タウンゼントのギター、バシャバシャと耳に刺ささるキース・ムーンの攻撃的なドラム、そしてそして、ライヴでは全く動かず、ただ黙々とビートを刻んでるように思えたジョンエントウィッスルの、まるでリードギターのようにうにょうにょゴンゴン動きまくるハイテクなベース(!)

もちろんこれはアタマの悪い中学生が、聴いたその日に分かったことではありません。

それでも「曲はポップなのに、サウンドは全然大人しくない。そして楽器バカウマ!」ということは強烈に感じました。

イギリスのバンドといえば、大体がブルースやR&Bをカヴァーしまくって、そこに独自の色を徐々に付けて行って個性が花開くといったバンドが、60年代は多かったと思いますが、フ−に関しては元々「ブルースをやろう!」といった力みがそんなになくて、デビュー・アルバムでジェイムス・ブラウンのカヴァー2曲を除いて全部の曲がオリジナル。これがフーの強みであり、後に”音楽的な影響をブラック・ミュージックに依存しないパンクロック”を生んだきっかけになった、と言われたら確かにそうだと納得の出来るサウンドであります。

いやそれにしても、このアルバムの破壊衝動と見事な歌心が同居してる音楽のカッコ良さったら一体どういうことでしょう。ザ・フーに関しては掘り下げてお伝えしたいことは、まだまだ無限にありますが、まずは一切の先入観とか、何となく大物バンドとかいうイメージをかなぐり捨ててこのアルバムを聴いてみてください。やんちゃでカッコイイっす。



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2017年09月15日

ザ・ベスト・オブ・バディ・ホリー

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ザ・ベスト・オブ・バディ・ホリー
(ユニバーサル)

さて、イカしたロックンロール、その素となったロッキンなブルースをここんとこ紹介しています。

アタシは個人的に戦前から1950年代のアメリカの音楽、とっても好きなんですが、特に50年代の、いわゆるオールディーズと呼ばれている音楽に関しては、何がロックで何がロールかも全然分かってなかった(今でもそんなに分かっとらんです)中学時代に、周囲の先輩達が夢中になってるのを、それこそ見よう見まねで

「こういうのを聴いとけばカッコイイんだ」

と、ミーハー丸出しで聴きながらハマッたふりをしてました。

そのおかげで古いブルースとかボブ・ディランからフォーク、カントリーとかを抵抗なく聴けるようになったようなものなんで、思い入れは深いし、今この辺の時代の音楽聴いても、何かこう懐かしくて甘酸っぱいような、特別な感情がわらわらと湧いてきます。

中学の頃なんて、ない小遣いでCDなんか1枚買えればいい方でしたし、洋楽なんて何を聴けばいいのか当然分かりません。

で、サウンズパルに行って親父に相談するんですけど、これはまぁ無難に「ベスト・オブ・オールディーズ」みたいなもんを買えという訳です。

なるほどそうかと値段を見たら、当時の2枚組(平成の始め頃ですわ)だからとてもじゃないけど小遣いで買えた額じゃあない。

「親父ィ〜・・・」と思いましたが、アタシは強がって「いや、もっとこう通っぽいヤツ」と言って、映画『スタンド・バイ・ミー』のサウンドトラックを買ったんです。

音楽はよくわからんが、この映画はビデオを借りて友達の家でダベりながら観て大好きだったんで、これならまぁ分かるだろうと思って聴いたんですが、コレが素晴らしかったですね。ロカビリーもR&Bもドゥー・ワップも、ジャンル関係なく”オールディーズ”と呼ばれている音楽が詰め込まれていて、しかもキャッチ―で”歌える”曲が多くて、もちろん当時はこれがロカビリーでこれがドゥー・ワップとか、そんなことは全然分からなかったんですが、初めて”今の時代以外の音楽”の、扉を開いた、ちょいとばかりアタマの悪い中学生には、最高の入り口になったんです。

このサントラの1曲目に入っていたのが、バディ・ホリーの「エブリディ」。

映画の主題歌で、ベン・E・キングがパワフルに歌う「スタンド・バイ・ミー」とは真逆のテイストを持つ、ポップなメロディ、やけに耳に付いて離れない、少年のような甘い声がとにかく不思議で「この人は一体どんな人なんだろう・・・」と思いながら聴いたのが、アタシとバディ・ホリーとの出会いでした。

50年代を代表する、偉大なロックンロールの生みの親の一人、ギター、ベース、ドラムスという、ロックバンドの基本編成を最初に定着させた人、今やエレキギターの代名詞のひとつともいえる、フェンダーのストラトキャスターで最初にロックした人、ロックの世界で「メガネ」を最初にファッション・アイテムとして認知させた人・・・。

まぁとにかくこの人のことは知れば知るほど、上に挙げた以外にも次々と革新的な”初めての”がいっぱい出てきます。

特にアタシは、ワイルドな大人の不良をみんなが目指していた時代、ティーン・エイジャーとしてティーン・エイジャーのための音楽を、最初に作った人はバディ・ホリーなんじゃないかと思います。

もちろんそのちょっと前にチャック・ベリーが、歌詞の中に学校や休日のドライブなど「郊外のティーンエイジャーの日常」を織り込むという革命を起こしてはおりますが、バディはそのスタイルを更に突き詰めて、軽快なビートとシンプルな3コード、そして少年のような声とルックスでもって、音楽の中に

「唄ってバンドするティーン」

という姿を、世界で初めて具体的に作り上げた。その功績は計り知れないほどバカでかいし、彼のスタイルをそのまんま受け継いだのがビーチ・ボーイズであり、ビートルズでありストーンズであり、ラモーンズでありバズコックスであるといった具合に、後のロックからパンクロックの時代まで、自らが作り上げた音楽が、大幅な改造を加えられずにそのまんま後の時代まで生き続けている。そんな稀有な存在だと思うのです。

バディ・ホリーの音楽はとってもポップで、この時代の多くの白人ロックンローラー達がそうしたように、黒人のR&Bやゴスペルのエッセンスを大々的に取り入れてはおりますが、あまりにもサラッと洗練されていて、後味に苦味やアクを残さないそのスタイルは、てっきりニューヨークとかの大都会で培われた感性がそうさせたんだろうと思っておりましたが、出身地はテキサスというコテコテの南部。

音楽好きの両親の影響で、早いうちから楽器を持って歌うことを覚え、少年時代はカントリーのバンドで演奏し、コンテストで賞金を取って注目を集める存在だったといいます。

彼が親しんだカントリーがどんなものだったかは詳しい資料が今手元にありませんが、ヨーデル唱法の名人、ジミー・ロジャースや、ブルーグラスの生みの親、ビル・モンローなどの、軽妙で美しい高音のヴォーカルを中心に添えたスタイルのものだったんだろうということは、想像に難しくありません。

彼が19歳の時、ひとつ年上のエルヴィス・プレスリーとの出会いがありました。

既に南部が誇る大スターだったプレスリーは、カントリーだけでなく、ブルースやゴスペルなどの黒人音楽からの影響を強く押し出した音楽をやっていて、それに強烈な憧れを覚えたバディは、自分もエレキギターを持ったロックンロールをやろうと決意。

親友のジェリー・アリソンのドラム、ジョー・B・モウルディンのベース、ニッキー・サリヴァンのサイドギターという4人編成のバンド「ザ・クリケッツ」を結成します。

当時、バンドといえばギター、ベース、ドラムに、ピアノやホーンも加えた大々的なものをすることが、売れているバンドの絶対条件でしたが、当初「カネがないから」という理由でこの編成でずっとツアーをしてて(更にカネがなくてバディの歌とギター、ジェリーのドラムスだけでライヴするということもあった。ロックンロール!)、最初の方のレコーディングもこの編成で行っております。

結果としてコレが、ポップソングやカントリーとは違う、エレキギターを中心にした新しいサウンドとして、特に刺激を求めている若者に大いに支持されました。

たった1年ほどの活動で大人気になったバディはニューヨークに移り住み、活動もソロ・シンガーとしてのものが多くなって行きましたが、それでもバンド・サウンド、特にギター、ベース、ドラムスを中心としたアレンジを中心に持ってくることは忘れず、また、コーラス・パートには自分の声を重ね録りするなど、今のロックバンドに直接繋がる技法を次々と生み出していきます。

とにかくこの人は、そのメロウでソフトなサウンドとキャラクターからは想像も出来ないほど芯のあるオリジナリティの塊で、同時代のどのロックンローラーとも似ても似つかぬ孤高の道を行っておりました。繰り返しますが、楽曲は誰よりも親しみやすく、ポップなものであった”のに”です。




1.ザットル・ビー・ザ・デイ
2.オー・ボーイ!
3.ノット・フェイド・アウェイ
4.テル・ミー・ハウ
5.メイビー・ベイビー
6.エヴリデイ
7.ロック・アラウンド・ウィズ・オリー・ヴィー
8.イッツ・ソー・イージー
9.アイム・ルッキン・フォー・サムワン・トゥ・ラヴ
10.ペギー・スー
11.アイム・ゴナ・ラヴ・ユー・トゥー
12.ワーズ・オブ・ラヴ
13.レイヴ・オン
14.ウェル…オール・ライト
15.リッスン・トゥ・ミー
16.シンク・イット・オーヴァー
17.ハートビート
18.リミニシング
19.イット・ダズント・マター・エニモア
20.トゥルー・ラヴ・ウェイズ


この人ほど”その後”の活躍が気になる人はおりませんが、強烈な個性でもって時代を切り開いた人ほど、早くに天国に召されてしまうものであるようです。

1959年2月3日、ツアーのために移動中だったバディ・ホリーとリッチー・ヴァレンス、J.B.”ザ・ビッグポッパー・リチャードソンという3名のロックンロール・スターを乗せた小型飛行機がアイオワ州の農場に墜落、全員が死亡という痛ましい事故で、バディは22歳の短い人生を、そして僅か2年という一瞬のロックンローラー人生を儚く終えてしまいました。

この年、エルヴィス・プレスリーは兵役へ行き、チャック・ベリーは逮捕され、ロックンロールを世間に広めた最大の功績者だったラジオDJのアラン・フリードがペイオラ(ラジオで曲をかけてもらう見返りに貰う報酬)への関与で失脚。

そんな出来事が立て続けに重なって、ロックンロール人気はあっという間に失速して行きます。特にバディの死んだ日は、その前後の、ロックンロールにとって不幸な出来事と関連して「ロックンロールが死んだ日」と呼ばれております。

しかし、バディの残したものは、現在進行形で色んな所に生きておるんですね。

とにかく2年という活動期間の中で物凄い量のレコーディングを残し、存命中に出した3枚のオリジナル・アルバムもありますが、その量を遥かにしのぐレコーディングを行って、それがまとめられないまま彼は亡くなってしまったので(当時の若者向けのレコードはほとんどがシングル盤)、代表曲を手堅く抑えたベスト・アルバムから聴いてみるのが一番いいです。

このベスト・アルバムは、昔から「バディ・ホリーといえばコレ」と定番だったもので、デビュー直後のクリケッツとの音源からアレンジも幾分凝った曲まで、最適なボリュームと選曲で飽きることなく楽しめます。オールディーズ感満載のジャケットも良いです♪





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2017年09月12日

ストレイ・キャッツ プレミアム・カッツ

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ストレイ・キャッツ/プレミアム・カッツ
(M&I)

昨日のアーサー”ビッグボーイ・グルーダップ”を書いて、無性に聴きたくなったとです。

何がって「ギター+ベース+ドラムス」という最小編成のイカしたロックンロールをですよ。

という訳で、この編成でピンとくるバンドといえばストレイ・キャッツですね。ニルヴァーナもいいしピーズも好きだしギターウルフも最高だしグリーンデイもゴキゲンなんですが、80年代以降のロックバンドで3ピースの先駆けとなったのは、やっぱりストレイキャッツですよね〜。

50年代のロカビリーをカヴァーしたり、その時代の雰囲気が濃厚に漂うオリジナル曲を作り、イカすリーゼントとジャケットとグレッチとウッドベースとスタンディング・ドラムっつースタイルで、でもパンクロックのスピリッツを演奏の中核にブチ込んでセンセーションを巻き起こした。

いや、そんなことよりも

「ロックンロール、古くない」

という、今ではもう当たり前のことなんですが、誰もが最新の機材でピコピコした派手な音楽を追いかけがちうだった80年代に、ロックバンドが出来る最小の編成で、しかもテクノロジー的な小技に頼らず、そいでもって単なる懐古趣味でないロックンロールを世に放って、それを時代に流されない強靭なスタンダードにしたっちゅう意味で、ストレイキャッツは本当にグレイトなバンドなんですよ。あぁ、早速興奮してアタシ何言ってんだかわかんなくなっちった・・・。

えぇと、はい。ブライアン・セッツァー先輩(vo,g)リー・ロッカー先輩(b)スリム・ジム・ファントム先輩(ds)の3人で1980年にデビューしたストレイキャッツ。92年に二度目の解散をするまでに出したアルバムは全部で8枚。

どれも最高のロックンロールで素晴らしいことこの上なしなんですが、アタシは個人的にストレイキャッツみたいな小細工ナシのロックバンドの音源は、無性に”きったない音”で聴きたくなってしまう日があるんです。

だからライヴ盤なんですよ。ほい。



【収録曲】
1.ダブル・トーキン・ベイビー(ジーン・ヴィンセント)
2.ランブル・イン・ブライトン
3.ベイビー・ホワット・ユー・ウォント・ミー・トゥ・ドゥ(エルヴィス・プレスリー)※オリジナルはジミー・リード
4.フォード39年モデル(ジョニー・バネット)
5.ビューティフル・デライア(チャック・ベリー)
6.気取りやキャット
7.ロック・アラウンド・ウィズ・オリー・ヴィー(バディ・ホリー)
8.悩殺ストッキング
9.ジニー・ジニー・ジニー(エディ・コクラン)
10.ロック・タウンは恋の街
11.気取りやキャット
12.ラストゥン・ラヴ i
13.ミステリー・トレイン (エルヴィス・プレスリー)※オリジナルはジュニア・パーカー i
14.サマータイム・ブルース(エディ・コクラン)
15.オー・ボーイ(バディ・ホリー)


ロンドンにあったパンクスの聖地と同じ名前で、アメリカのハリウッドにもあった伝説のクラブ「ロキシー」での、デビュー直後のライヴが11曲、そして最初の再結成後、最高傑作と言われる(言われなくてもアタシが勝手に言う)7作目「レッツ・ゴー・ファスター」をリリースしたのと同じ年の1990年にスタジオで行われた4曲のセッションを収録したアルバムです。

ロキシーでのライヴは、その昔ブートで出てるはずよ?と、ファンの間でちょっと話題になってるのを小耳に挟んだことがあったのですが、その幻の音源を、何を思ったか日本のメジャー・レーベルであるポニー・キャニオンがオフィシャルな形でリリースしたというので、発売当初ちょっと話題になりました(なってなくてもアタシが話題にした)。

で、このアルバムのサイコ−なのは、やっぱり収録のほとんどを占める1981年のライヴですよ。

スタジオ盤の8倍ぐらい荒削りなサウンドで、勢いに任せてガンガンやってる、しかもオリジナルよりも彼らが敬愛する50年代のロカビリーやロックンローラー達のカヴァーがもう血圧上がるんですねー。

もちろんストレイキャッツは、ただオールディーズを懐かしんでやってるんじゃなくて、彼らならではの80年代でも全然ショボくない新しくて刺激に満ちたアレンジと、実は天才的な、洗練されたテクニックでもってビシッと演奏したからあんな風にブレイクしたバンドなんですが、何より往年のロックンロールのカヴァーをする時に全力で溢れ出すオリジナルへのリスペクト、彼らが聴いていて「あぁ、これはカッコイイ音楽だ!」と感動したその想いがそのまんま伝わってくるから最高なんです。そう、ロックってこの”アツさ”です。

無条件でアツいものが好きな方には、音質とかそんなしゃらくせぇこと関係ナシで、きっと心底楽しめると思います。収録曲のところに()でカヴァー元もオリジナルのアーティストの名前も書いときましたので、よかったらそっちも聴いてみてくださいね。


ちなみにこのCD、とっくの昔に廃盤だと思っていましたが、何気にアマゾンで検索したら1枚だけあったので、つい嬉しくてレビューしちゃいました。


『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2017年09月11日

アーサー”ビッグボーイ”クルーダップ ミーン・オール・フリスコ

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アーサー”ビッグボーイ”クルーダップ ミーン・オール・フリスコ
(FIRE/Pヴァイン)


人の良さそうな、やや甲高い声のシャウトと、4ビートのシャッフルに乗ってジャカジャカ警戒に掻き鳴らされるアンプ直のフルアコ。

くー、いいですなぁ、たまらんですなぁ。

この、ブルースといえばど真ん中どストライクのディープなフィーリングにまみれた、生粋のサザン・ブルースではあるんですが、それより何より、ホコリが立っていそうな乾いてて、ヘタな小細工のないギター、ベース、ドラムスの繰り出すストレートなノリの良さは、まるでロックンロールじゃないですか。

それが、戦前ブルースの名コンピ『RCAブルースの古典』のラストに収録されていた「ザッツ・オールライト」で、アーサー”ビッグボーイ”クルーダップを初めて聴いて思ったことでした。

ここで、音楽にちょいと詳しい人ならば

「ザッツ・オールライトっていえば、それはエルヴィス・プレスリーの曲なんじゃないか?」

と、思うでしょう。

そうなんです、ロック・ファン、ブルースファンの間でアーサー”ビッグボーイ”クルーダップといえば、何といってもエルヴィスのデビュー曲「ザッツ・オールライト・ママ」の作曲者として、まずは名前が挙がる人。

しかも、少年時代クルーダップのレコードを熱心に聴き込んで「オレもこういう風に音楽やりてぇ!」と思ったエルヴィスは、その原曲のアレンジを、ほぼ忠実に再現してて、見事なロックに仕上げている。

というよりも、実はアタシ達が「このノリはロックンロール(またはロカビリー)」と思っていたものが、実は実は1940年代のブルースで既に完成していたものだったなんて。こういうところに音楽というものの底知れぬパワーを感じてしまいます。

「ロックンロールのルーツはブルースで・・・」

と、アタシもよく言いますが、そこんところは難しく考えるような話では少しもなくて、まずはクルーダップを聴いてみてください、アタシが言葉をたくさん使ってこねくりまわすよりも、体感で「なるほど!」と納得できるでしょうから。と、ハッキリ断言してもよろしい。

さて”ギター、ベース、ドラムス”という、ロックバンドの基本編成の原型を作り、さらにその編成からロックンロールの原型を作ってジャカジャカやっていたアーサー”ビッグボーイ”クルーダップは、その音楽とは裏腹に、人生そのものがブルースの悲しいハードラックにまみれた人でありました。

1905年、季節労働者として南部や中西部を渡り歩いていた両親の元に生まれたクルーダップは、10歳ぐらいの時に教会でまずゴスペルを歌うようになります。

そうこうしているうちにギターも覚え、そうなってくると年頃になったら「カネにならないゴスペルじゃなくて、ブルースを歌ってちょいと稼ぐんだ」という気持ちが出てくるのが人間です。アーサー少年がギター片手にミシシッピ近辺の酒場や街辻などで歌うようになるまでに、さほど時間はかかりませんでした。

で、恐らくは常日頃から「ウチの両親みたいに報われない季節労働者なんてごめんだ」と思っていたであろうグルーダップ、割と早いうちから音楽で身を立てることを考え、ある日所属していたバンドのツアーでシカゴを訪れた際に「さて、シカゴでの演奏も終わったし南部に帰るぞ」と言う仲間達に「オレは残るよ、南部なんて帰りたくないね」と、ツテも何もないままに、シカゴでブルースマンとして生きて行くことを決意したのでありました。

これが1939年のことであります。

当時のシカゴは、ミシシッピの泥臭いブルースではなく、ジャズの要素もふんだんに取り入れた、オシャレで洗練されたバンド・ブルースが流行でした。

ビッグ・ビル・ブルーンジィ、タンパ・レッド、ビッグ・メイシオ、サニーボーイ・ウィリアムスン(T世)などなど、キラ星のようなスター達に憧れ、オレもそうなってやるぞと意欲をたぎらせていたクルーダップではありましたが、ツテのない悲しさで、いきなり飛び込んで行っても相手にしてくれるクラブなどあるわけもなく、加えて彼がやっていた、南部流儀丸出しの泥臭いスタイルのブルースでは、クラブに集まるようなオシャレなシカゴっ子達からは「田舎モンが何かやってるぞ」とバカにされるのがオチであります。

そんなこんなでその日暮らしのストリート・ミュージシャンとして、グルーダップは路上で歌い、ほとんどホームレスのような生活をしておりましたが、ある日、住み家にしていた梱包用の木箱を組んだ家に、恰幅のいい、ちょいとヤバそうな白人男性が来てこう言いました。

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「おい、お前はアレだろ?そこの通りでブルース歌ってる男だろ?オレは前から聴いてたんだが、なかなかいいじゃないか。泥臭くてここらじゃ聴けないフィーリングだ、あぁ気に入った。ちょいと話があるんだがいいか?おぅ、嫌ならとっとと田舎に帰んな」

まぁ、見た目や喋り方からして、多分ここらのクラブを仕切っているマフィアの関係者でありましょう。

余りに唐突な事にびっくりしているクルーダップのことなんか知るかとばかりに男はつづけます

「あぁ、オレか? かのジャズの生みの親ジェリー・ロール・モートンを世に出して、シカゴにやってきたジャズの帝王、キング・オリヴァーの世話もした。今じゃブルースの大物なんて崇められてるタンパ・レッド、ビッグ・ビル・・・アイツらもみんなオレがスターにしてやったようなもんだ。どうだBoy?レスター・メルローズって名前ぐらいは知ってるか?」

きょとんとして、首を2回縦に振るクルーダップを見てニヤッとした男は、更に一人で勝手に喋り続けます。

「まぁ俺は、いかにもな泥臭いブルースが好きなんだ。ところが今のシカゴじゃやたら小洒落たさっぱりしたものがウケるときてる。冗談じゃねぇ、今はそうかも知れんが、今からはな、もっともっと泥臭くて猥雑で、クレイジーなものが売れる時代が来るんだ。そこでお前、今度タンパ・レッドと一緒にレコーディングしてくれ。あぁ、紹介してやるよ。ヤツは俺が建ててやった家に住んでるんだ。嫌か?嫌なら田舎に帰んな」

びっくりして、首を2回横に振るクルーダップをニヤニヤしながら見ている男は「いついつにここに来るように」と、簡単な場所の説明だけをして、その場を立ち去って行きます。

ここでちょいと説明しましょう。

クルーダップに声をかけたこの男、レスター・メルローズは「戦前のシカゴで彼の紹介を受けてないブルースマンはいない」と言われていたほどの、超の付く重要人物。

元々は小さな楽譜出版社のオーナーでありましたが、1920年代の始め頃にニューオーリンズの大物ピアニスト、ジェリー・ロール・モートンの楽譜を出すために彼と交渉したのがきっかけで「ジャズやブルースを演奏する売れそうな黒人をレコード会社に紹介する」というスカウト業の世界にのめり込んでいきました。

こう書くと「黒人音楽に理解のある心優しい人」と、思われそうですが、実際は「カネになるから」という実に己の欲望に忠実な理由で、せっせとジャズやブルースの人間をレコード会社に紹介しては、その過程で生まれる紹介手数料を手にしてウハウハしていた、まぁこの世界によくいるヤクザなブローカーというやつであります。

余談ですが”スライド・ギターの魔術師”と呼ばれ、人気を博していたタンパ・レッドは彼のお気に入りで、スターになった彼には確かに家を買ってあげましたが、実際はレッドをその家に住まわしてちゃっかり家賃を取っていたというような人であります。一言でいえば実に胡散臭い。

で、ありますが、長年ホンモノのジャズやブルースに関わり続けていた彼の耳は確かなもので、彼が目を付けたビッグ・ビル・ブルーンジィ、タンパ・レッド、サニーボーイ・ウィリアムスン(T世)などの戦前シカゴを代表するブルースマン達は、軒並み大手RCAの参加のブルース専門レーベル”BLUEBIRD”の専属となり、「シカゴのブルースといえばブルーバード・サウンド!」と言われるぐらいの一時代を築いた人なんです。

さて、そんなメルローズの紹介で、ガッチガチになりながら憧れのタンパ・レッドと初のレコーディングを経験し、めでたく大物ひしめくBLUEBIRDの専属となったグルーダップの評判は上々でした。

それまでシカゴの主流を占めていた、どちらかというと軽やかで洗練されたサウンドにぼちぼち飽きてきた若者達や、南部で刺激を求めてた人達に、クルーダップの「ギター、ベース、ドラムス」というシンプルな編成から繰り出される煽り要素の強い演奏は大いに受け入れられ(その中にはメンフィスでこっそり黒人放送局のラジオを聴いていた少年エルヴィス・プレスリーもおりました)、南部からの呼びかけでツアーに出るなど、好調な活躍ぶりで40年代一躍人気者になるんですが、彼の実力とは関係のないところでのトラブル、つまりレコード会社との印税に関するトラブルが彼を襲い、結局コレが原因で作曲した曲の権利のほとんどを手にすることもなく、更にどこか新しいレーベルと契約したくてもできず、得意の絶頂からドン底の人生へと転落してしまいます。

だから50年代にエルヴィスが「ザッツ・オールライト・ママ」をヒットさせても、アーサー”ビッグボーイ”クルーダップの名は世間からの脚光を浴びることはありませんでしたし、もちろん著作権料も受け取ってないでしょう。

1974年にひっそりと亡くなるまでの彼は、時々お呼びがかかるコンサートやレコーディングに参加しながらも、普段は肉体労働や密造酒の販売などで細々と生計を立てていたといいます。





【収録曲】
1.Mean Old Frisco
2.Look on Yonder Wall
3.That’s Alright
4.Ethel Mae
5.Too Much Competition
6.Standing At My Window
7.Rock Me Mama
8.Greyhound Bus
9.Coal Black Mare
10.Katie Mae
11.Dig Myself A Hole
12.So Glad You’re Mine
13.Death Valley Blues
14.If I Get Lucky
15.Angel Child
16.The Moon Is Rising
17.My Mama Don’t Allow Me
18.I’m In The Mood


しかーし!

しかしですよ皆さん、いかに彼のブルース人生が、とんでもなくハードラックにまみれたものだったとはいえ、戦後になって録音された作品からもその煽りの強いロッキンな演奏のカッコ良さは健在だったりするんです。

最晩年の作品のみが、枯れた味わいの渋〜い感じでありますが、60年代に残された3枚のアルバムはどれもエレキをジャカジャカ掻き鳴らす好調な作品ばかりでありまして、その中でもゴキゲン度でいえば最高なのが、ジャケットもイカす1962年のFIRE音源であります「ミーン・オール・フリスコ」であります。

キレ味の鋭いドラムとベースをここでも従えて、良い意味で乱雑で気の抜けたクルーダップのギターとヴォーカル、やっぱりどストライクなサザン・ブルースで「マディ・ウォーターズ登場前」のバンド・ブルースのお手本のようなラフさがたまらんです。最高です。

楽曲も看板の「ザッツ・オールライト」タイトル曲の「ミーン・オール・フリスコ」(リトル・ウォルターをはじめ、これも名カヴァーが多いっす)など、渾身のオリジナル曲を「カネにならねぇんなら義理はいらねぇ!」とばかりに惜しみなくやっておって、そのヤケクソぶりもまたどっかのガレージパンクバンドみたいでたまらんです。最高です。


アーサー”ビッグボーイ”グル―ダップという人は、アタシ個人的に「戦前から活躍してるブルースマンの中で最もロックを感じる人」であります。

それはもちろんエルヴィス抜きには語れないのですが、ずっと聴いてると、それより何よりもっと深い”人としてロック”な部分がすごく見えてくるような気がするんですよ。何それ?って?まぁこの人のフルアコのジャカジャカを聴いてみてくださいな。ほれ「かっこいいロックは、イントロのギターの”ジャーン”でシビレる」って言うでしょ?平たくいえばそれですよ、それ。




「目標があったとしたらアーサー・クルーダップのような存在になることだった。1949年に彼を観た時にあんなふうに演りたいと思ったんだ」(エルヴィス・プレスリー)




”ブルース入門編 〜初心者のための優しいブルース講座〜”




『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 19:07| Comment(0) | ブルース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする