2018年01月19日

ビリー・ハーパー ブラック・セイント

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ビリー・ハーパー/ブラック・セイント
(Black Saint/SOLID)

アタシ達が”ジャズ”といえば、まずパッと思い付くのがモダン・ジャズ全盛期、1950年代のサウンドであり、ジャケットを見ただけで心がワクワクする名盤群でありましょう。

確かにジャズという音楽の人気がピークを迎え、その後人気は徐々に低迷し、70年代辺りになるとミュージシャン達もほとんど仕事に困って、よほどの人気者でない限り世界中のあちこちをツアーで回って、その間に細々と作品を作るという試練の状態が日常化したと言われております。

が、いつの時代も人気と中身の良し悪しがイコールな訳じゃない。すごく有名という訳ではないけれど、素晴らしく個性的な演奏をするミュージシャンは次々世に出ておりましたし、それに値する作品だって結構出てたんですよ。

特に面白いのは70年代。

この時代というのは、エレクトリックなサウンドを展開したマイルス・デイヴィスの影響下から派生していったフュージョン。フリー・ジャズに傾倒しながら、ジャズという音楽をよりスピリチュアルなものとして捉えたジョン・コルトレーンの影響を受けた先鋭的ジャズ、または民族音楽のようなテイストを取り入れた多国籍/無国籍なジャズ。はたまた流行のソウルやファンクでジャズをやってしまおうとハッスルしていたソウル・ジャズ/ジャズ・ファンク界隈の人達等、それぞれが試行錯誤の末の、独自路線な”ジャズの進化型”を聴かせてくれる作品というのが、メジャーなところからちょっとマイナーなところまで、掘れば結構ザクザク出てきたりします。

アタシにとっては特に

「うはっ!70年代ってコルトレーンに影響受けた人がいっぱいいて面白い!!」

でしたねぇ、理屈抜きに。

しかも、それぞれ「コルトレーンの影響受けてまっす!」という、パッと聴けばアタシみたいな少々鈍い人間でもアッと分かるスタイルなのに、それぞれが”まんま”の物真似じゃなく、晩年のコルトレーンが表現していたもの、または表現したかったものを一生懸命考えて、それに独自の味を加えて出したサウンドが、何というかとても硬派で親しみやすいものに思えました。

そんな中から「おっ、この人はいいなぁ」と思ったのが、本日ご紹介するビリー・ハーパーであります。

最初に90年代に出された『ソマリア』というアルバムを聴いて、そのヘヴィなアフリカン・テイストのサウンドに乗って、骨太なトーンでブリブリ吹いてるのを聴いて、カッコイイなと思っていたら、いつの間にか初期70年代のアルバムを買ってハマり、そのままズルズルと今も聴いている人です。

スタイルや音色、趣向する音楽性から、間違いなくコルトレーンに強い影響を受けた人でありますが、彼に影響を受けた黒人テナー奏者がことごとく精神的な深みのようなものを追究していったり、もっともっと過激な方向性を見出そうとしていた中で、この人はコルトレーンの音楽から重くのしかかるような精神性(のようなもの)を一旦取っ払い、トップギアに入って超高速で畳み掛けるように吹きまくる”シーツ・オブ・サウンド”の技法も使わず、ひたすら硬質な野太い音で、その表現の核にある部分のみをシンプルに抽出したような、実にサクッと分かり易い男らしさなんです。


【パーソネル】
ビリー・ハーパー(ts)
ヴァージル・ジョーンズ(tp)
ジョー・ボナー(p)
デヴィッド・フリーセン (b)
マルコム・ピンソン(ds)

【収録曲】
1.ダンス、エターナル・スピリット、ダンス!
2.コール・オブ・ザ・ワイルド・アンド・ピースフル・ハート
3.クロケット・バレー

(録音:1975年7月21・22日)


そんなハーパーの”良いところ”が見事に刻まれているのが、1970年代のデビューから数作。

この『ブラック・セイント』は、1975年にイタリアのインディーレーベル「Black Saint」からリリースされた(そして言うまでもなくこのアルバムタイトルが、そのまんまレーベル名になった)、ハーパー2枚目のリーダー作。

音楽の内容は、60年代中ごろのコルトレーンが、マッコイ、ギャリソン、エルヴィンとやっていたような「モード・ジャズ+気持ちフリー」な、重量級ジャズであります。

全曲、どれもミドル・テンポのやや似た感じの長めの演奏なんですね。特にキャッチーな”キメ”のフレーズが入ってる訳でもなく、アレンジに趣向を凝らした訳でもなく、アルバム全体に壮大なコンセプトがある訳でもない。

なんて言うと誤解を招きそうですが、そんな中で、ハーパーのテナー・サックスはひたすら硬派に吠え、有名とは言えないサイドマン達も、余計なことをしない、ビシッと気合いの入った演奏で黙々応えてる。そんな訳で「四の五の言わないで演奏を聴きやがれ!」なアルバムなんですよ。

サイドマン、特にリズム隊の力量はハッキリ言って平凡です。でも、その「淡々とアツい真面目な演奏ぶり」が、ハーパーの男気溢れるテナーの良さを引き立てているので、そこは問題じゃありません。聴く方も小難しいことを考えず、この”ジャズのアツさだけが入った演奏”に、グッと拳を握りながら没入すれば良い。そうすることによって「お、このフレーズいい!」「あー、今のブロウたまらん!」と、次々と鑑賞のツボが見付かる、不思議と言えば不思議なアルバム。

でも、この無駄のないカッコ良さ、麺とスープだけで勝負している老舗ラーメン屋のとんこつラーメンのような味わいの深さと確かな後味、これはクセになります。

「名盤」だけが決して愛聴盤になるわけじゃあありません、むしろこういう”何てことないカッコ良さ”をシンプルに聴かせてくれるアルバムを、後生大事に聴いていきたいと、硬派なハーパー兄貴のブロウを聴きながら思うのです。

70年代ジャズ、ええですよ。





『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2018年01月17日

友川かずき 桜の国の散る中を

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友川かずき/桜の国の散る中を
(キング/SHOWBOAT)


洋楽はもちろん大好きですが、時折息を吸うように日本語の歌を心身に取り入れたい時があります。

アタシはどちらかというと言語というのは、活字で取り込むタイプです。

しかし相当に飢えてしまいますと、もう取り込むなんて生易しい方法では何もかも足りないという時がある。

そういう時は、まるでピストルから撃ち放たれた弾丸のような、剥き出しの痛みや激しさを孕んだ言葉、そのどうしようもない”強さ”を持った歌を聴きます。

で、友川かずき(現:友川カズキ)です。

この世のあらゆる抒情と憤怒と悔恨を呑み込んで、それを血ヘドのように吐き出す強烈なヴォーカル、そして、それと同等かそれ以上の破壊力を持つ彼の言葉。

その歌からは、何かを表現したいとか、こういう音楽をやりたいとか、そういった前向きな欲求に基づく衝動ではなく、もっと何かこうどうしようもない内側と外側の衝動に潰される寸前の自我が、まるで断末魔の悲鳴を挙げているような、そんな”ギリギリ”をずっと感じております。

あのね、カッコイイもの、価値観を粉砕してくれるもの、窮屈な意味から良い感じに外れてしまっているものを、アタシは割と簡単に”パンクだ”と言いますが、そういう条件からも友川かずきの音楽を棲家としている情念ははみ出してしまう。

1975年にフォークシンガーとしてデビューした人ですが、当然流行の青春フォークのカテゴリに当然入るはずもなく、現在に至るまでこれはずっと”孤高のパンクシンガー”だと。

色んな音楽聴いてきて、それぞれにグッと感動してきたんだけれども、この人ほど「これは○○だね」と、ジャンルで括れない人はいないし、だからといって無節操に色んなサウンドを観に纏ってきている人でもない。むしろサウンドに関しては自らが激しく掻き鳴らすアコースティック・ギターを中心としたシンプルなもので、その時々で編成が変わるだけです。でもパンク、ゆえにパンク。




【収録曲】
1.口から木綿
2.おどの独白
3.赤子の限界
4.問うなれば
5.点
6.闇
7.犬
8.桜の国の散る中を(会田哲士君の霊に捧ぐ)
9.囚われのうた


今現在も精力的な活動をしていて、出してるアルバムは結構な数になりますが、ハッキリ言ってこの人の作品はどれを聴いても衝撃です。

本日アタシが聴いていたのは、1980年リリースの5枚目のアルバム『桜の国の散る中を』。

1970年代後半に友川は、現在も共に音楽活動をやっている頭脳警察のドラム&パーカッション奏者、石塚俊明と出会って意気投合。そのサウンド表現をより先鋭的なものにしつつ、深く関わっていた演劇の世界からも多くのインスピレーションを得て、作品や楽曲の完成度を高めており、この作品は正にそんな時期に作られたアルバムです。

プロデュースは石塚俊明で、バックにはギター、ピアノ、ベース、ドラムを中心に、コーラスや和楽器(尺八等)など、様々な音を配した、非常に日本土着の”地の感じ”の強いサウンドであります。

そこに乗り、中心で炸裂する友川自身の声、歌、歌詞がもう何と言いますか、残酷で美しい。

特に中盤からの『問うなれば』『闇』『犬』『桜の国の散る中を』『囚われのうた』からの怒涛の展開は、もう何度も何度も耳から叩き込んで脳裏に埋めて、心で何度も噛み締めました。春、花、死、海、そういった根源的なものがどうしようもなく日本的なものを生々しい鮮やかさで描くイメージと、寄せては返す冬の荒波のような音・・・。

勢いレビューが感覚的な文体になってしまっているのは、かれこれ20年以上前に友川から受けた死んで生き返ってしまうほどの衝撃を、まだ上手く消化出来ないでいるからです。


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2018年01月16日

スキップ・ジェイムス Complete Early Recordings

6.jpgSkip James/Complete Early Recordings
(Yazoo)

1960年代のフォーク・ブルース・リヴァイバル。

この時戦前に録音を残し、その後消息を絶っていた伝説のブルースマン達が次々と”再発見”され、再び音楽シーンの表舞台で、多くの”生のブルース”を聴いたことのない聴衆に、多くの感動をもたらしました。

その中で、アメリカ白人の若者達に、一際人気だったのがミシシッピ・ジョン・ハートです。

この人の音楽は”ブルース”といって強烈泥臭くなく、どちらかというといわゆるフォークソングの範中語られてもいいぐらいに、のどかで牧歌的なものでありました(つうか戦前の、ブルースが流行する前の音楽はこんなだった)。

加えて、ともすれば気難しかったり、酒飲んで暴れるような曲者の多いブルースマン達の中にあって実に人当りが良くて、凄いミュージシャンなのに話をするとまるで近所のおじいちゃんのように飄々としてとても優しかったミッシシッピ・ジョン・ハートの周囲には、常に昔話をせがむ子供のように、ピュアな若者達が群がっておりました。

「ミスター・ジョン・ハート」

「ん?ジョンでいいよ」

「リクエストいいですか?かなり古い歌なんですが」

「あぁ、俺が知ってれば何だって歌うよ」

といった具合に、褒められてもやや無茶ぶりなリクエストでもニコニコと笑顔で返すミシシッピ・ジョン・ハートでしたが、若者達のある一言だけは

「それは違うよ」

と、やや厳しい顔で否定していたと言います。

その一言とは

「ミスター・ジョン・ハート。あなたは世界一のブルースマンだ、恐らく再発見された誰よりも上手い」

といったような

「アンタが一番」

といったニュアンスのことでした。

そういうことを言われた時、彼は決まってこう言っておりました。

「・・・お前さん達は何も分かっちゃいない。スキップ・ジェイムスを聴いたことがあるか?ヤツは俺なんかより全然凄いんだよ。俺の歌やギターなんてのはせいぜい凡人の上等なレベルぐらいのもんだが、スキップは別格だ。人間離れしているよ。深過ぎて付いて行けるヤツがなかなかいないがね、凡人とは違う次元でブルースと会話しているのはヤツだけだ。とにかくスキップ・ジェイムスを聴いてみることだよ」

と。

その”伝説の中の伝説”スキップ・ジェイムスは、確かに他のブルースマン達とは全く違う”異次元”を感じさせるブルースマンです。

アタシが初めて彼の名前を知ったのは、ロバート・ジョンソンのブックレットの記述で、ロバートの曲の中でもとりわけ重く、禍々しい沈鬱なムードに彩られた『ヘルハウンド・オン・マイ・トレイル(地獄の猟犬が追ってくる)』は、スキップ・ジェイムスのスタイルから多大な影響を受けているとの一文を目にしたことが始まりでした。

とはいっても、その時は「へー」と思ったぐらいでしたが、数年後、中古のレコードで『Great Bluesmen Newport』(Vanguard:LP77)というオムニバス盤を購入しました。

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正にこのライヴ盤こそが、戦後再発見されたレジェンド達が一堂に会したニューポート・ブルース・フェスティヴァルのステージをそのまんま収録したマスターピースな名盤だったんですが、当時はそんなこと知りません。

ただ

「うぉお、これすごい、サン・ハウスにフレッド・マクダウェル、ライトニン・ホプキンスにジョン・リー・フッカーまで入ってる!買いだ」

と、単純に知ってる大物ブルースマン達の名前が並んでるというだけで買ったんですが、これに実はスキップ・ジェイムスが入っておりました。

でも正直、この時の印象は

「ん?何だこのスキップ・ジェイムスって人は?裏声で静かに歌ってて、何か変わった人だなぁ」

ぐらいのもんでした。

ブルースっていうと「強烈、濃厚、激烈」みたいなものを、戦前だろうが戦後だろうが勝手に求めていたアタシにとっては、その頃はまだまだ彼の繊細な妖気が漂うディープ・ブルースを理解できる感性がなかったといえばそれまでのこと。

そう、彼を特に評価していたミシシッピ・ジョン・ハートですら

「ヤツのブルースは深過ぎて付いて行けるヤツは少ないんだ」

と言っていた、正にその通りなんです。

でも、スキップ・ジェイムスのブルース・・・いや、彼のブルースに憑いている不可思議な”もの”の存在を、旋律と共に実感するのに、時間はそんなにかかりませんでした。

それから数か月後、Yazoo原盤で、当時国内盤は日本のVIVIDから出ていた『ルーツ・オブ・ロバート・ジョンソン』というコンピレーションがありまして、コレの1曲目に入っていたのが、スキップ・ジェイムスの代表曲『Devil Got My Woman』の戦前に録音されたオリジナル・ヴァージョン。


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ブルースの曲としては極めて珍しい、マイナー・キーでボロンボロン奏でられるイントロの重たいリフ、そして、どこかあの世の冷たい地の底から、誰かがか細く助けを求めているような「...アァァァァァイガッタビィアデェボォォゥ...」という、痛切極まりない声と歌い出しのフレーズ。

よくわかんないけど、よくわかんないけど、これは何かこう、ブルースの・・・いや、もう何というか、すっごい大袈裟かもしれないけど、人間の”闇”だ、闇の部分がこういう音楽になって、こういう人の声になって鳴り響いているんだ。何これ、スキップ・ジェイムス?えぇ、マジかよ、こんな凄い人だったのか?いやもうこれ人じゃねぇな、だったら何なんだよ、凄ぇ・・・。

と、脳内混乱&絶句に次ぐ絶句でありました。

マジですか?ええマジですよ、だからスキップ・ジェイムス聴いてくださいね皆さん。

スキップ・ジェイムスのブルースは、確かに他の誰とも違います。

その沈鬱で、実際にマイナー・キーとメジャーやセブンスの間を不安定にゆらゆらと音階がゆらめいているような究極に繊細であやうい雰囲気、絹を擦ったようなファルセット、そして独特の複雑な展開と細かく高度なテクニックが伴奏のリズムの中に散りばめられたギター、時々弾かれる、基本ブギウギなんだけど、ストップ・モーション(つまりフレーズの唐突なぶった切りで生まれる無音の”間”)を多用した、単純にノセてくれないピアノのどれもが、ちょっと似た人すらいないほどに個性的で、また、捉えどころはないけれどもその背後にある確かな”何か”、そう、衝動的なものの巨大な気配に揺り動かされて、歌や演奏として発せられているのは、怖いぐらいリアルに感じることが出来ます。

1902年ミシシッピのベントニアという寒村に、牧師の子として生まれ、教会で両親達の演奏の手伝いをするうちに身に付いた基礎的な技術、当時としては珍しく高校まで進学し、そこで音楽に合わせてとにかく愉快に踊りまくったことから”スキッピー”(跳ねる奴)というあだ名が付き、それがそのままブルースマンとしての”スキップ”という芸名になったけど、そのもっともらしいエピソードのどれもが、彼のどこまでもおぼろな異世界から漏れているようなブルースを聴くと、史実と幻想のあやふやな境界で空しく溶けていってしまうのです。






1.Devil Got My Woman
2.Cypress Grove Blues
3.Little Cow and Calf Is Gonna Die Blues
4.Hard Time Killin' Floor Blues
5.Drunken Spree
6.Cherry Ball Blues
7.Jesus Is a Mighty Good Leader
8.Illinois Blues
9.How Long Blues
10.4O'Clock Blues
11.22-21 Blues
12.Hard Luck Child
13.If You Haven't Any Hay Get on Down the Road
14.Be Ready When He Comes
15.Yola My Blues Away
16.I'm So Glad
17.What Am I to Do Blues
18.Special Rider Blues


そしてスキップは、1931年に大手パラマウント・レコードの目に止まり、”ブルースマンとして”一気に18曲のレコーディングを行います。

パラマウントはきっと売れると見込んで、スキップにレコーディングの謝礼として現金を渡し、録り溜めていた演奏を、SP盤で小出しにして儲けようと画策しましたが、出されたのは結局『Devil Got My Woman』をはじめとした数曲のみ。

パラマウントは折からの不景気と経営不振がたたって倒産してしまい、スキップのレコードがそれ以上世に出ることもなく、スキップ自身もブルースとは早々に縁を切り、また元の敬虔な牧師の家庭に戻り、その後30年以上説教師としてつつましく生活をしておりました。

何故、スキップがティーンの頃まではダンスが大好きな、陽気な少年だったのに、急に憑かれたように重く沈鬱なブルースを歌う男になってしまったのか、何故ミシシッピの、デルタよりも更に寂れたペントニアという地にあって、有名なデルタのブルースマン達と頻繁にセッションしていた訳でもなく、長旅に出てあちこちで名を売って有名になっていた訳でもない彼に、大手パラマウントがレコーディングの話を持ちかけたのか、何故ブルースマンになった彼が再び教会に戻ってきた時、家族は受け入れることが出来たのか、これらは全くの謎であります。

そんなスキップが”再発見”されたのが、丁度体調を崩して入院していた地元の病院でのこと。

白人リサーチャーの熱心な説得により、最初はブルースを再び歌うことに難色を示していたスキップは、手始めとしてニューポートでの大掛かりなフェスティバルに出演することを承諾。

サン・ハウスほどのインパクトもなく、ミシシッピ・ジョン・ハートほどの親しみ易さとも無縁の、ただひたすら内側と対話するかのような彼のブルースが熱狂と共にアツく受け入れられることはありませんでしたが、熱心にブルースを求める聴衆の中には必ず彼の歌と演奏の虜になる人間は必ず一定数いたし、ミュージシャンや仲間のブルースマン達は

「あれは凄い、俺達とは別の世界にいる」

と、敬意と恐れが入り交じった複雑な口調で、彼の事を語るのでした。

フォーク・ブルース・リヴァイバルの中でスキップは、多くのライヴを行い、録音もこなしました。

しかし、再発見された時は既に病魔に侵されていたのでしょう、3年ほど活動をして程なく体調を崩して入院。1969年に死去。

亡くなる少し前にクリームが彼の『l'm So Glad』をカヴァーし、その印税が病気の治療費に充てられていたそうであります。

その繊細なブルース表現とは裏腹に、スキップは雄弁な男だったそうです。特に話題が人種の事となると彼は差別に関する自分が受けた不条理にストレートな怒りをぶつけ、相手が白人であろうと意見を臆せず言って毅然としていたと云います。

が、ブルースの事はほとんど語らず、結局私達は彼がどうやってあの独特な、裏声を多用するヴォーカル・スタイルを身に付けたか、何故オープンDmという特種なチューニングでギターを弾くことを思い付いたのか、その動機の手掛かりすらも掴むことが出来ません。

スキップ・ジェイムス、彼は本当の意味でブルースの"闇"そのもののような存在だったのかも知れません。





”ブルース入門編 〜初心者のための優しいブルース講座〜”



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ラベル:ブルース 戦前
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2018年01月15日

キャロル・キング ファンタジー

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キャロル・キング/ファンタジー
(ソニー・ミュージック)

昨日は70年代ニュー・ソウルの旗手、ダニー・ハサウェイの名盤『ライヴ』を紹介しました。

戦後アメリカが反映の影で抱えていた様々な問題は、公民権運動やベトナム戦争、ヒッピー・ムーヴメントなど、といった大きな社会的な動きの中で、その問題を大きく外に噴出させます。

これに大きな反応を示し、社会の動きをある方向からリードしていたのが音楽のシーンであります。

とりわけアメリカ北部、シカゴやデトロイトといった都市部での黒人ミュージシャン達は、人種差別や貧困といった、自分達の直面する問題にとりわけ真剣に向き合い、あらゆる形の問題提起を歌詞に込めた歌を作るようになりました。

音楽的には元々”ノーザン・ソウル”と呼ばれていた北部のソウル・ミュージックは、60年代から70年代にかけてその洗練を更に加速させていきます。

この非常に社会的知性の強い歌詞と、都会的な洗練を極めたサウンドというのは、これを好む多くの若いリスナーだけでなく、既にシーンの表舞台で活躍している、一流と呼ばれるアーティスト達からも憧れの対象として見られておりました。

ダニー・ハサウェイが1970年『Everything is Evreything』(邦題『新しいソウルの光と道』)をリリースしてソロ・デビューを果たした時、このレコードを夢中になって聴き、周囲のミュージシャン仲間達に「これは最高に素晴らしいからぜひ聴きなさい」と配って回ったシンガーソングライターが、キャロル・キング。

彼女のダニーへの傾倒は半端なものではなく、アルバム『つづれおり』に収録した『きみの友だち』をダニーに提供。この歌はダニー・ハサウェイ&ロバータ・フラッグのデュオによるスマッシュ・ヒットとなり、もちろんダニー自身の持ち歌ともなります。

アタシなんかはどうしてもキャロルといえば『つづれおり』のイメージがあって、その完璧過ぎるほどに完璧なポップス。つまり爽やかで聴き易く、耳にスイスイ入ってくる究極に優しくちょっと切ない彼女の音楽が、その頃アタシの知っているソウルやR&Bと直接繋がらなくて「んん?」と思ってたんですが、それは違うんです。大きな勘違いだったんです。

アタシがキャロル・キング独特の”この感じ”と思っていた音というのは、実は60年代のノーザン・ソウルが下敷きになった、ソウル・ミュージックの延長線上にある音だったんです。

「ソウル大好き!」を公言してはばからなかったキャロルが、そういう意味で本当にやりたい音楽をやったアルバム、つまり目一杯「私のソウル」を歌ったアルバムが1973年リリースの『ファンタジー』でありましょう。




【収録曲】
1.ファンタジー・ビギニング
2.道
3.愛
4.涙の消える日はいつ
5.愛の日々をもう一度
6.ウィークデイズ
7.ヘイウッド
8.この手に平和な世界を
9.悲しみのシンフォニー
10.微笑にささえられて
11.コラソン
12.ヒューマニティ
13.ファンタジー・エンド
14.ビリーヴ・イン・ヒューマニティー(Live)*

*ボーナストラック


全曲作詞作曲、そしてバックにはデヴィッド・T・ウォーカー(ギター)、チャールズ・ラーキー(b)、ハービー・メイソン(ds)というリズム・セクションを軸にした、ソウル/ジャズ・ファンク系の腕利きミュージシャンで固めた完璧な編成。

そしてキャロル自身が「ファンタジーの世界なら黒くも白くも、男にも女にもなれるの」と高らかな宣言から始まり、貧困、人種差別、麻薬やシングルマザーの問題など、正にニュー・ソウルが提起していた歌詞が、キャロルの繊細なハスキー・ヴォイスと最高にメロウなグルーヴと共に、優れた物語のように空間を流れ、包み込み、消えた後にもヒリリと切ない余韻を残します。

例えば『道』(『You've Been Around Too Long』)の、クールに刻まれるハイハットの16ビートと、デヴィッド・T・ウォーカーが奏でる、上品な色気に満ちたギターの甘い甘いトーンが刻む絶妙な”裏”のカッティングといったらもう絶品です。

キャロル本人が言うように、これは黒人とか白人とかそういう表面的なことは全く関係ない、社会との軋轢に悩む全ての若者に向けて優しく優しく奏でられる最高のソウル・ミュージックであり、そして最高のポップスでありましょう。

この、ソウルへの傾倒が単なるミーハーなものではなく、その音楽的な美しさや思想の切実さに共鳴したキャロルの”本気”であることは、やや暗いトーンで切々と愛と平和を訴える『愛』(Being at War With Each Other)や、タメの効いたリズムとピッタリと息も音色も合わせた彼女のピアノがカッコイイ『ハリウッド』、そしてこのアルバムのハイライトであり、彼女が作った全ての楽曲の中でも屈指の名曲『ヒューマニティ』(Believe in Humanity)の妥協のない”アーバンなファンキーさ”で、心身両方の奥底で感じてください。

正直キャロル・キングは『つづれおり』が名盤で、それさえ聴けば後は一緒だろうと思っていたアタシ、もちろん『つづれおり』が彼女の代表作で20世紀のポップスそのものの究極形と言っていい珠玉の名曲揃いなモンスター・アルバムであるという認識は少しも揺らぎませんが、彼女が大好きな音楽を、理想のサウンドを奏でるメンバー達ととことんまで突き詰めたこの『ファンタジー』、どれが好きかと言われたら「コレが一番好き!」と即答で答えてしまう作品です。

『つづれおり』しか聴いたことない人はぜひとも、そうでなくてもソウル好きならば何が何でも(!)





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2018年01月13日

ダニー・ハサウェイ ライヴ

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ダニー・ハサウェイ/ライヴ
(Atco/ワーナー・ミュージック)

デジタルダウンロードが最盛の時代にあって、ここのところアナログレコードやカセットテープなどの売り上げが伸びていると聞いております。

ほんでもって、僅かではありますが「やっぱり音楽はCDで聴きたいな」と、ダウンロードからCDに戻っている人もいるよという嬉しい話も耳にします。

当たり前の話ではあるんですが、やっぱり音楽ソフトっていいよねって思うのは、中身だけではなくて、歌詞カードやブックレットからジャケットに至るまでが、そのアーティストの心が入ったひとつの”作品”なんですよね。

で、不思議なことにそういう付加価値のいっぱいあるものってのは、手にした人にもたくさんのエピソードをお届けしてくれます。

「あのCD聴いてた時に失恋してさ、毎日泣きながら聴いてた」

とか

「友達の家に行ったら誰々のCDがあって、聴かせてもらったらエラいカッコ良かった」

とか

あぁすいません、アタシは発想が貧困な人間なので、こういったベタなたとえしかパッと出てきませんが、とにかくCDやレコードとか、そういった”モノ”としての音楽ソフトは、手にした人にとって、その人だけの特別な思い出が出来るんだよ、だからとってもいいもんだよ。

ということを、アタシはこれからも大々的に説いていきたいと思っております。

や、とにかく手軽に音楽聴きたいって時にはダウンロードも全然アリだし、youtubeで知らないアーティストを検索で引っかけて出会うとか、そういうことも素晴らしい。音楽に使うお金だって限られている訳だし、色んな素敵なものがタダで聴ける環境があるってのは否定しても何も始まらんですが、それを十分に肯定した上で

「気に入ったやつは記念としてCDとかレコードで聴いてみる」

っていうことを、どうかやってみてください。アナタの気に入った音楽の方からアナタに何らかの形で応えてくれるでしょう。

はい、音楽って本当に良いもんなんですよ。何より心を豊かにハッピーにしてくれる。


特にCDやレコードなど「作品」として作られた音楽にとっては、アルバム1枚という作りはひとつのドラマであります。

聴いているうちに、この曲がどうとかいった感覚ではなく「何か1枚通して聴いてしまうよね、グッとくるわ〜」という上質な感動に包まれる。

どのジャンルにも、そういったものの”究極”というのがあって、そういうのがいわゆる名盤というやつになります。

ベタな展開ですまんですが、今日は名盤を紹介しましょう。

その昔、アタシが大人になるかならないかぐらいの時、音楽好き、ロック好きの先輩の家に遊びに行けば、大体の確立でその人の家にあるアルバムというのがありました。

ダニー・ハサウェイの『ライヴ』です。

たとえば、CD棚にメタルやらローリング・ストーンズやら並んでいる中に、もしくはRCサクセションとかボ・ガンボスとか並んでる中に、唐突に『ダニー・ハサウェイ/ライヴ』と書かれた背表紙を発見するんですね。

そして、その率というのが、どういう訳か異常に高い訳です。

訊けば大体

「おぉ、コレはソウルだね。これいいぞー」

と、単純明快な答えが返ってきます。

というのも、この人達は「それ以上は知らん」訳なんですが、でも「これはいいものだから」と手に入れて棚に置き、大事に聴いてる訳です。

その頃はアタシもソウルとかはそんなに知らんかったので「ほぉ〜」ぐらいな感じでした。「どんな感じっすか?」と尋ねて耳にしても「なるほどオシャレでカッコイイわ」ぐらいの感想でとどまっておりました。ブルースは好きだったんですが、その反動でブラック・ミュージックには容赦ない濃さ/ドス黒さみたいなのを求めてたから、70年代の洗練されたソウル・ミュージックっていうのは、あぁ、まだオレには早いかなとしか、その頃は突っ張ってたので思えなかったんですね。

でも、そのほんの数年後に、このアルバムの凄さというか奥底からくる凄い”泣き”の部分に触れて

「うぉ!ダニー・ハサウェイって凄いですね!!あの”ライヴ”ってアルバム超名盤じゃないですか!!」

と興奮し、その都度

「いやだからお前、アレはいいぞって俺言っただろ」

とツッコミを喰らいました。





【収録曲】
1.愛のゆくえ(What's Going On)
2.ザ・ゲットー
3.ヘイ・ガール
4.きみの友だち
5.リトル・ゲットー・ボーイ
6.ウィアー・スティル・フレンズ
7.ジェラス・ガイ
8.エヴリシング・イズ・エヴリシング

何がどういうきっかけで、急に響いたのかは分かりません。ハタチ頃のアタシの精神状態といえば、よくある若者に特有の不安定なそれで、バカみたいなことばかり考えていて心はキュウキュウだった。そんなバカみたいな心に、この人の声、メロウでとことん優しい演奏、最高に暖かなライヴ会場の雰囲気みたいなものが一気に押し寄せたんでしょう。

何とはなしにいいなと思って聴いていたマーヴィン・ゲイの『ホワッツ・ゴーイング・オン』と、元々好きだったキャロル・キングの『きみの友だち』という2曲の絶品カヴァーが、とにかくぶわっときて、涙腺を刺激しました。

いや、人間本当に感動的なものに触れると、何も言葉が出なくなってボロボロと涙だけ出るってのは本当ですね。そんな体験がアタシの”はじめてのダニー・ハサウェイ体験”でした。いや、厳密には”はじめて”ではなかったんですが、そんなこたぁ関係ありません。感動で胸がいっぱいになったんです。

ダニー・ハサウェイがマーヴィン・ゲイ、カーティス・メイフィールドと並んで70年代ニュー・ソウルを代表するシンガーということや、元々アレンジャー/作曲家として60年代シカゴのソウル・シーンでは高い評価を受けていた人だったということ、彼のオリジナル曲はとても優しいけど、歌詞には非常に社会性の強いメッセージが込められているということ、ソロ・アーティストとして順調な活躍をしていたけれど、精神の病に悩まされ、若くして不幸な事故でこの世を去ってしまったことなどは、後で知りましたし、いずれもこのアルバムを聴いた”感動の裏付け”でありました。

もちろんロックやブルース、フリージャズだらけのアタシのCD棚に「珍しくソウルのアルバム」としてこのアルバムはありましたし、その後これを中心に70年代ソウルのCDもどんどん増えていったのでした。今でもこのアルバムは、色んな音楽の「これ、優しいな」という部分を見出すための、良い基準となっております。つまり良いんです。えぇ、言葉なんて今も上手に出てきません。







”ダニー・ハサウェイ”関連記事




『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2018年01月12日

レイ・ハラカミ Unrest

1.jpg
rei harakami/unrest
(Rings)


当時はアタシもリリースされる新しい音楽や古い音楽を、ただ夢中で追っかけてすげーすげー言ってただけでしたが、今になって考えてみると1990年代というのは、新しい手法で作られる音楽も、伝統的な手法への回帰を高らかに謳う音楽も、皆「今のリアルな音」というのもを表現の芯の部分に持ちながら、それぞれのジャンルが試行錯誤と切磋琢磨の程良い緊張感に満ちていたと思います。

だから自分がハマって購入するジャンルというものはあっても、その周辺で、例えば仲の良い友達とかがハマッているジャンルの音も聴かせてもらっては刺激をもらうというのは、音楽を聴く上でごく当たり前のことだったんですね。

とりわけアタシの周囲は、テクノに強烈にハマッてる人が、どこに行っても一定数おりました。

テクノに関しては

「何かアレだろ?打ち込みの繰り返しリズムの上で、電子音がピコピコ言ってるようなやつだろ?」

ぐらいに思っておりましたが、友達から

「いや違うよ、コレ聴いてみろよ!」

と言って聴かされたものがいっぱいあって、その中で

「なるほど、これはちょっと並の感性じゃないかも知れない。つうかテクノとかどうとかじゃなくて普通にカッコイイ音楽として聴けるぞ」

と思ったアーティスト達の中から、エイフェックス・ツイン、スクエア・プッシャー、ケン・イシイの名前を覚えました。

これも今にして思えば、なのですが、80年代は音楽が中身の質の部分はとにかく、出来るだけ新しく、いろいろ出来る機材を導入して、最先端の音を作ろうという考えの元に、テクノロジーを使った音楽というものが、シーンの表舞台で華やかに鳴り響いていたような気がしますが、これが90年代に入ってくると、進化というものに留意しつつ、その中で「新しい音楽」を奏でるために敢えて最先端よりも個性を確立することを選ぶアーティストが、ぼちぼち表舞台にも出てきた時代だったのだと思います。

で、テクノ・シーンの話になるんですが、外から見たら単なる”無機質な打ち込み音楽”でしかなく、恐らく中で音楽を作ってる本人達も「あぁそれで結構だよ」という意識があったのかも知れません。

テクノやハウスといった音楽は、あくまでクラブ・カルチャーの中の現場でその音を浴びて踊る人達のための音楽という認識があり、世に出される作品というのは、アナログレコードにジャケットすらない白とか黒とかの愛想のないプロモ盤のようなものばかりであり、事実それらは「今度クラブでこういう音楽流すから」というアーティスト達の無言の意思表示でもありました。

ところが90年代以降、この流れに変化が起こります。

世界でも日本でも”実力派”と呼ばれる、ポップスでもクラブでもファンを持つシンガー達によって、テクノ出身のアーティスト達が作成したトラックが使われたり、また、シングルのカップリング曲でリミックスと呼ばれるDJの録音アレンジが施されたものが、ポップスファンにも普通に鑑賞されるようになり、徐々に「生音楽(って言うのか)と電子音楽」を隔てる壁が薄くなってくるという現象が常時あちこちで起こっていたんですね。

今日ご紹介するレイ・ハラカミという人なんですが、この人はそんな時代を代表する電子音楽家で、もしかしたらこの人が生み出した音楽こそが、そんな時代を先頭きって切り拓いていったのかも知れません。

電子音だけど非常に繊細で透明で、その抽象的な表現の中にしっとり切ない”歌”を持っている。

この人の音楽を一言で言い現わすとこんな感じになります。

テクノと呼ばれるジャンルの中でも、リズムに特化せず、メロディというよりも”音と音との響き合いの隙間”に浮かび上がるフレーズを軸に音楽を展開し、特種な浮遊感の中でそれを泳がせるような、いわゆるアンビエントな質感で出来た音楽のことを『エレクトロニカ』と呼びますが、この人はその分野の世界的なアーティストです。

1996年に、ケン・イシイの変名ユニット『Flare』に収録されているリミックスを手掛けたことによってデビューしましたが、この時既に独特の”間”のある心地良い電子音で個性を発揮して、テクノ界隈のみならず、日本のロックやポップスのミュージシャン達の間で「京都から凄い人が出てきた!」と話題になっていたようです。

レイ・ハラカミは、後に矢野顕子、くるり、UA、ナンバーガール、GREAT3などなど、J-POPの名だたるバンドやシンガー達から依頼を受け、プロデュースやバックトラックの作成、リミックスなどで多くの名曲名演奏を生み出すことになります。

そのバックトラックは、敢えて旧式のMIDI機材を中心としたシンプルなサウンドを、逆再生という非常に古典的な手法で使うというスタイルを軸にした、電子音なのにどこかぬくもりのある質感を大事にしたもので、加えて過度に音を詰め込まない、モコモコしたアナログな音質、主旋律のどんなメロディにも美しく絡むメロディアスなトラックなどが「これはもうテクノとかエレクトロニカとか言うよりも、21世紀のポピュラー音楽の主流になる音なんじゃないか?」と各方面で絶賛され、レイ・ハラカミという名は世界的にも稀代のトラックメイカーとして知られることになるんです。

残念ながら活動が絶頂にあった2011年に40歳の若さで急逝してしまうんですが、それでも彼が作り出した”最先端よりも遥かなもの”であるところの音楽は、時代によりかからない、孤高の優しさと深さに満ち溢れているんです。






【収録曲】
1.on
2.more elbow
3.dessert
4.wreck
5.rho
6.pass
7.vice versa
8.code
9.after bonus (bonus track of this reissue album)
10.objective contents
11.bioscope
12.unrest

個人的にはUAの『閃光』とか矢野顕子とのユニット"yanokami"とか、くるりの『ばらの花』のリミックスとか、J-POPのズバ抜けた名曲が多い人ですが、レイ・ハラカミのソロ名義でその原点のサウンドが聴けるのが、このファースト・アルバム『Unrest』です。

彼のアルバムの中では最も”テクノ”と言っていいかも知れないこのアルバムの音楽は、基本王道といっていいミニマルな打ち込みが主となっております。楽曲そのものはどれも抽象的で幻想的ですが、独自の、いや、ワン&オンリーといっていい、ヒュッと胸をかすめて消えてゆくようなペーソスがふんだんに盛り込まれた音の質感、これが繰り返し聴いているうちに、本当に意識の奥底にジワジワと染み込んで、そして時折思い出したように切なくさせてくれて、これがとてもいいんです。

よく日本人が作るこういったエレクトロニカな音楽は、禅とか俳句とかに喩えられたりしますし、確かにレイ・ハラカミの音楽が持つ独自の情緒とか、和の音階じゃないのに和な感じのするトラックは、そういう風に評価されてなるほどと思いますが、静謐でメロディアスだからといって、決して内側に小さく入り込んでいるだけじゃないんですね。どんなに哲学的でもその音が持つ可憐な明るさみたいなものは、確実に外に向かってると思います。

そういうところがポップスと上手く溶け合ったんですよね、というよりこの人は最初からポップスを作っていたのかも知れません、使った機材がたまたま電子機器だっただけで。










『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2018年01月10日

バディ・ガイ ストーン・クレイジー

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バディ・ガイ/ストーン・クレイジー
(Alligator/Pヴァイン)

バディ・ガイといえば、現在(注:2018年)81歳にしていまだバリバリの現役。

B.B.キング亡き後のブルース界では、今や長老として若手を引っ張る第一人者であります。

1960年代に故郷ルイジアナからシカゴへ移り住み、先輩であるマディ・ウォーターズや同年代の仲間であるマジック・サム、オーティス・ラッシュ、フレディ・キングらと技を競い、その感情に任せて暴力的にギターを泣かせるプレイスタイルと、血管も切れんばかりのヒステリックなシャウトでシカゴ・モダン・ブルース・シーンの一翼を担ってきました。

その頃のプレイに衝撃を受けたのがジミ・ヘンドリックス、エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジといったスーパー・ギタリスト達で、そのアグレッシブ極まりないギターはその後のブルースよりもロック・ギターに与えた影響の大きさで、感嘆や驚嘆の声と共に語られる事が多い、とにかくまぁレジェンドといえば今現在この人以上に相応しい人はいないでしょう。

が、この人ほど実は、実際の音楽と”レジェンド”という何だか遠く有り難いところに居るような飄々とした大御所のイメージとは程遠い人はいないんです。

どの年代のどのアルバムでも、この人のプレイといえば、心身の奥底にある衝動をコントロールすることなく、常に全力でドバー!と出すことのみに特化していて、何というか売れようがトシ食おうが、ドス持って捨て身で突っ込んでゆくチンピラの気概を、この人はいつまで経っても感じさせるんです。

試しにこれ↓


2017年のコンサートの動画なんですが、カジュアルなオシャレをしてギャリギャリの音でギターを弾きじゃくり「イャァァアアア!!」という裏声のシャウトをも厭わない。

しかも渾身のトチ切れたようなシャウトをして満面の笑顔(!)

これが80過ぎのご老人だよと言って、バディ・ガイ知らない人のうち何人が「そうだね、年相応に渋いよね」と思うでしょうか。えぇ、年齢なんてこの人にとってはタダの数字に過ぎんのです。

で、本人はこんな凶悪なプレイをするにも関わらず

「いや、オレはマジック・サムとかオーティス・ラッシュみたいにゃ上手くは弾けないんだよな」

と、照れながら語るほどのウルトラ・シャイ。

そのシャイぶりは実は筋金入りで、シカゴに出てきて出演させてもらえるところを必死で探していたのに、ドギマギしてしまってその事をいつも上手く切り出せないので、見かねた先輩のマディ・ウォーターズが

「コイツはいいギターを弾くんだぜ」

とあちこち連れて回り、仲間のオーティス・ラッシュに

「なぁバディ、おめぇいつまでもそんなんじゃあせっかくいい腕持ってんのにラチがあかねぇ。オレがレーベルを紹介するよ」

と、当時ラッシュが所属していたコブラ・レコードを紹介され、そこでようやくソロ・デビューにあり付けたという話はとても有名です。

そこを指摘すると

「あぁそうだよ、オレはシャイなんだ。何で”バディ”って名乗ったんだろうな、本当は”シャイ・ガイ”なのになぁ(笑)」

と、謙遜して言うでしょう(そう、シャイだけどとってもお茶目なんです)。

えぇ、そういう人なんです。これ以上の回りくどい説明は要らんでしょう。

今日はそんなバディ・ガイの持ち味である”キレの醍醐味”が最高に楽しめる狂気の名盤『ストーン・クレイジー』をご紹介いたしましょう。





【収録曲】
1.I Smell A Rat
2.Are You Losing Your Mind?
3.You've Been Gone Too Long
4.She's Out There Somewhere
5.Outskirts Of Town
6.When I Left Home

バディが”シカゴ・モダン・ブルースの若手注目株”として注目を浴びたのが1960年代。

この地の牙城であるチェス・レーベルに初のフル・アルバム(チェスから出したシングルを集めたLP)『アイ・ウォズ・ウォーキン・スルー・ジ・ウッズ』を1968年にリリース。

70年代は更に勢いに乗り、かつ生涯最高の相棒と言えるハープ吹きのジュニア・ウェルズとのコンビを本格的に始動し、シカゴ・モダン・ブルースのヤバいエキスを煮込んで煮込んでぶちまけたような凄まじいノリの作品を多数リリースしております。

このままバディは順調に活動して、ノリにノッて今に至るのかなと思うでしょうが、ここから長く苦しい不遇の時代が続きます。

バディはもちろんブルースマンとして、ライヴでは好調な活躍をしていたし、彼をリスペクトするロック・ミュージシャン達からは相変わらず兄貴兄貴と頼りにされてはおったんですが、80年代といえばとにかくテクノロジーを尽くした最先端な音楽がもてはやされていた時代。

いかにバディといえども、音楽シーンの華やかな表舞台には出ること叶わず、悶々とした日々を過ごしていたんです。

このアルバムが録音されたのは1979年。

丁度不遇の時代に入る直前に、シカゴで立ち上がった新興のインディーズ・レーベル”アリゲーター”によって録音されたアルバムなんですが、これがもう狂気、怒気、緊張感、フラストレーション、その他もろもろのものが限界まで詰め込まれたかのような、まるでこれから始まる不遇の時代を先取りしたバディが「どうにもならねぇこと」と必死で、いや捨て身で格闘しているかのような、壮絶な内容であります。

編成はバディと弟フィル・ガイのサイドギターにベース+ドラムスの最小限、収録曲はたったの6曲なのですが、1曲の長さと重さが半端なく、聴いていて息が詰まるほどの空気が最初から最後まで充満しております。

どれぐらい凄い内容かというと

「バディの最高傑作と言ったらコレだよな」

と言った人が、その直後に

「でも、気迫が凄すぎて正直最後まで聴くのがしんどいんだ」

と、驚嘆と落胆の声を同時に上げるほど。

この時バディは40を過ぎた辺りなんですが、先ほども言ったようにこの人にとっては年齢なんぞはタダの数字でしかありません。

楽曲を単なる素材と冷酷に割り切って、与えられた時間のほとんどをギター・ソロの即興で、渾身の念を込めて、そして普段は出さない「ウゥン、ウゥン、アァ〜ア」という唸り声も交えて、普段の”カミソリのような”と形容される鋭角なソロに尋常ならざる加重を乗っけたナタのようなチョーキングで、一曲辺りの長い空間を切り裂いてゆくバディ。

何度も何度も聴いて、アタシ自身も「楽しむぞ!」という意識が、この怨念の塊のようなパフォーマンスに弾き返されてるんですが、それでもこのアルバムは間違いなくこの人の狂気の側面が最高に詰まっているものであり、ここに音作りやプロデュースなどの、制作側の”大人の意見の反映”は一切ありません。

ブルースってもちろんカッコイイ音楽で、それこそその楽しさを知ると、もう毎日がウキウキになってしまうぐらいの音楽ではあるんですがどうでしょう、もっと深くブルースを好きになるために、たまにはこれぐらいヘヴィなものを聴いてみるのもいいと思います。



”バディ・ガイ”関連記事


『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2018年01月09日

永井ホトケ隆のブルースパワー・ラジオ・アワー

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永井ホトケ隆のブルースパワー・ラジオ・アワー
(Pヴァイン)

このブログは”奄美のCD屋”が、有名無名古今東西に関係なく良い音楽を紹介しようと、割とイキリ立って実際耳にして「これは本当にいいぞ!」と感じたものを紹介しているブログです。

その音楽を知っている人はもちろん、その音楽を知らない人にこそ、出会って衝撃を受けたりジワッと深く感動して欲しい。そして願わくば、このブログを読んで新たな音楽に出会う皆さんが、それぞれの人生をもっと豊かなものにするために、音楽というものをじゃんじゃん活用して欲しい。そういうささやかな願いを込めて書いております。

というわけで、アタシの大切な音楽として”ブルース”という音楽があります。

ブルースは今のロックやR&B、ポップスなど、アメリカやイギリス原産のポピュラー・ミュージックの最も大きなルーツのひとつとして、音楽を語る時絶対にハズせないという、音楽史的観点から言うところの重要度や影響の大きさもさることながら、やっぱりあらゆる音楽の、精製前のネタといいますか素と言いますか、そういったものであると思うんです。

ルーツだから崇めなさいとか、そんなことを言う人には耳を貸さなくてもいいと思います。やっぱり大事なのは音楽としてどうなんだ、感動出来るのか、ということなんですが、イエス、ブルースという音楽は、古き良き時代の空気を濃厚に纏いながらも、その実その音楽から醸し出される深いコクや味わい、人間の感情のコアの部分にうごめくもののリアルな息遣いのようなものを、誕生から100年以上経った今の時代にも余計な装飾ナシでキッチリと聴く人の耳と心に届けてくれる素晴らしい”今の音楽”です。

ブルースを聴いて、そのカッコ良さにシビレて、そして自分自身もブルースという音楽を必死で聴き狂い、挙げ句歌ったり演奏してしまうような人がいて(はぁいアタシです♪)、そういったのめり込み方を”ブルースに憑りつかれる”とか言いますが、今日ご紹介するCDは、我が国日本において”ブルースに憑りつかれた男”が何とブルースを紹介するラジオ番組を、そのまんまパッケージングしたという正気の沙汰とは思えない素晴らしい企画のコンピレーションなのであります。

日本に”ブルース”というものが入ってきたのは、実は戦前なんですが、B.B.キングやマディ・ウォーターズなど、いわゆるブルースマンと呼ばれる人達が本格的に紹介され、レコードもお店に並ぶようになったのは大分後で、1970年代が始まるか始まらないかぐらいの頃だったと思います。

丁度ビートルズ旋風が吹き荒れて、そこから若者が大量にロックに目覚めた時期ですね。

そんな60年代末から70年代初頭に

『ロックバンドをやっていた時聴いたブルースにシビレるぐらいの衝撃を受け』

た人達が、我が国におけるブルース第一世代としてシーンを牽引し、今も最前線で大活躍していて、この世代の方々が素晴らしいと思うのは、自分で演奏して楽しむだけじゃなく、ブルースという音楽を知って欲しい!楽しんで欲しい!と、書籍や雑誌での執筆やメディアでのブルースの紹介を、凄く分かり易く丁寧にしてくれているというところにあります。

本日ご紹介する永井ホトケ隆さんも、そんな日本を代表するブルースマンであり、積極的にブルースの魅力を世に紹介している偉大なブルース伝道師の一人です。

元々大学時代にロックバンドをやっていましたが、在学中に耳にしたブルースに衝撃を受け「コレだ!」と思って翌年の1972年、自身のバンド”ウエストロード・ブルース・バンド”を結成。ブルースの拠点として盛り上がっていた大阪で、憂歌団や上田正樹、山岸潤史らと関西のブルース・シーンを築きつつ、東京で活躍する妹尾隆一郎、吾妻光良、小出斉らとも親交を深め、様々なセッションやライヴイベントの主催をするだけでなく、ギター教則本の執筆にも力を注ぎ、日本でブルース人口を広めることに大きく貢献します。

この人の功績は本当に書ききれないほどいっぱいあるんですが、今現在、演奏活動以外で最も注目を浴びているのが、ラジオのパーソナリティであります。

青森県弘前市のFMアップルウェーブにて『BLUES POWER』というラジオ番組を、2008年から開始。

この番組は永井ホトケさんが、毎回解説と共にブルースを流し、その魅力や実際に体験した貴重なエピソードを語る番組として放送を開始して以来、ジワジワと人気が盛り上がり、今は青森や東北だけでなく、全国のコミュニティFMなどから聴けるようになりましたが、何と、アタシが住んでいるあまみエフエム”ディ”でも日曜日の夜10時からの番組として放送されてるんですね〜♪

番組タイトルは、ホトケさんが最初に結成したバンド、ウエストロード・ブルース・バンドのファースト・アルバムのタイトルからで「聴けばブルースが好きになる」のコンセプト通り、主に一人のブルースマンやブルースウーマンにスポットを当てて、そのアーティストの素晴らしさ、音楽のカッコ良さ、人間的な魅力、そして自らミュージシャンであるホトケさんは、演奏スタイルなどについても、非常に丁寧に、愛のある関西訛りの喋りで、かなり掘り下げて解説してくれます。

しかもその解説が、全然マニアックじゃないんですね。「とにかく聴いてもらおう、知ってもらおう」と、物凄く考えておられて、ブルースマンの面白いエピソード(ホント人としてぶっ飛んでる人達ばかりなので、最高なエピソードばっかなんですよブルースマンは)を中心に、知らない人が聞いても楽しく夢中に聞かせてくれるんです。

もちろん選曲も最高で、代表曲と言われるような有名曲から「そんなにヒットした曲じゃないけどこれは凄い演奏なんですよ」というレアなものまで、番組の中で1曲丸々しっかりとかけてくれる。


【収録】
1.ザ・ブルース・パワー/I BELIEVE
2.DJ Talk about “Mojo Hand”
3.ライトニン・ホプキンス/MOJO HAND
4.DJ Talk about “Riding In The Moonlight”
5.ハウリン・ウルフ/RIDING IN THE MOONLIGHT
6.DJ Talk about “Roll ‘N’ Roll”
7.ジョン・リー・フッカー/ROLL ‘N’ ROLL
8.DJ Talk about “Keep On Drinkin’”
9.リトル・ブラザー・モンゴメリー/KEEP ON DRINKIN’
10.DJ Talk about “Swingin’ The Boogie”
11.ジェームス”ピート”ジョンソン/SWINGIN’ THE BOOGIE(SUNSET ROMP)
12.DJ Talk about “Hey Hey Baby”
13.Tボーン・ウォーカー/HEY HEY BABY
14.DJ Talk about “Blue Shadows”
15.B.B.キング/BLUE SHADOWS
16.DJ Talk about “Talkin’ Woman
17.ローウェル・フルスン/TALKIN’ WOMAN
18.DJ Talk about “Match Box Blues”
19.ブラインド・レモン・ジェファーソン/MATCH BOX BLUES
20.DJ Talk about “The Sky Is Crying”
21.エルモア・ジェイムス/THE SKY IS CRYING
22.DJ Talk about “Little By Little”
23.ジュニア・ウェルズ/LITTLE BY LITTLE
24.DJ Talk about “Easy Baby”
25.マジック・サム/EASY BABY
26.DJ Talk about “I Can’t Quit You Baby”
27.オーティス・ラッシュ/I CAN’T QUIT YOU BABY
28.DJ Talk about “I Feel So Good”
29.J.B.ルノアー/I FEEL SO GOOD
30.DJ Talk about “Kansas City”
31.ウィルバート・ハリソン/KANSAS CITY
32.ブルース・ザ・ブッチャー/VOODOO MUSIC



ただ、ひとつだけ不満があるとすれば、30分番組なので、楽しく深いトークとゴキゲン極まりない選曲で、気持ちが最高にノッてきているうちに、あっという間に番組が終わってしまう。

ブルースが好きで、或いはホトケさんのこの番組でブルースのカッコ良さに目覚めた人は、きっと次の回まで淋しい気持ちで過ごすんじゃないかと思います(はぁいアタシです)。

だもんでこの番組をもっと楽しみたい!ブルースをもっと好きになりたい!という人、はたまた番組を聴いてみたいけど、夜は大体家にいないという人のために、何と『ブルースパワー』番組そのまんまの内容を忠実に再現して、しかも収録時間もたっぷり長いCDが、2015年に番組放送7周年記念盤としてリリースされました!

これはもう細かい事は言いません、聴きましょう。

収録されているのは、ブルースといえばこの人のこの曲!ぐらいの有名曲がたっぷりと、興味はあっても"最初の1枚"としてはなかなか手が伸ばし辛い戦前ブルースが3曲(特に戦前ピアノのリトルブラザー・モンゴメリーと、ジャズにも大きな影響を与えたジェームス・ジョンソンのブギウギ・ピアノの2つを入れたのはホント素晴らしい!)、そしてホトケさんの「この人絶対カッコイイから聴いて!」という愛を強く感じるシカゴの個性派&社会派シンガー、JBルノアーや、実はマルチ楽器奏者のR&Bシンガー、ウィルバート・ハリソンなど、渋いところも解説付きで聴けるのも有難いところです。

収録曲は番組同様全て丸々1曲がキッチリ手抜きなく入っておりますので、このCDは全くブルースのCDを持っていない人のための、これ以上ない入門用コンピレーションとしてオススメです。

また、ブルースをある程度聴き込んだ、またはこれに入ってる曲は大体持ってるよという人にとっては、ホトケさんの解説を聴くだけでもお釣りがくるほどの価値があります。

実際数々の現場でブルースマンのぶっ飛び行動や、人としての暖かさや奥深さにたくさん触れてきたホトケさんが語るエピソードの数々は、ブ厚いディスクガイドや本と同様かそれ以上の価値があり、既に知っている(持っている)ブルースのCDやレコードを、今の100倍深く楽しませてくれるでしょう。これはアタシが保証します。

あんまりホトケさんのトークの中身を書くとネタバレになりますので書きませんがひとつだけ、ブルースマンというのは、若い人がブルースを歌ったり演奏することを、自分の事のように喜んでくれる人達
なんです。

日本人だからとか白人だからとか、そんな事は関係ない、みんな心にブルースを持っている。だから俺達は魂込めてブルースをやってきたし、それを若いヤツらが受け継いでくれるのは嬉しいよ。

というような、ホトケさんが本当に嬉しそうに語るブルースの巨人達の暖かいエピソードを聞いて、アタシはブルースが好きで本当に良かったし、ブルースという音楽がますます好きになりました。

ブルースマン、自分の事なんかより、ブルースを聴いてもらう、知ってもらう、そして好きになってもらう事の方が大事なんですよ。

そしてそんな巨人達のスピリッツを引き受けるかのように、全国をツアーしながらブルースの魅力を伝えることに全てを惜しまない永井ホトケ隆さん、最高にカッコいいブルースマンです。




↓そして『永井ホトケ隆のブルースパワー』大好評につき、2018年1月25日に第2段がリリースされます!これも聴くぞー!!みんな聴いてー!!





”ブルース入門編 〜初心者のための優しいブルース講座〜”



『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2018年01月08日

DNA on DNA

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DNA on DNA


1970年代末期のアメリカ、ニューヨークの最先端であり最前衛の音楽をまとめたコンピレーション『ノー・ニューヨーク』の衝撃は、広く世界に、ではなく、世界の音楽や芸術シーンに深い衝撃を与えました。

パンク、或いはロックという音楽の側面からいえばこれはある意味イギリスのロンドンで起こったパンク・ロックのムーブメント以上にジャンルやカテゴライズの壁をぶち壊し、音楽のあらゆる要素が計画的無秩序に裁断され、粉砕されたその美しく危険な残骸を残骸のまま輝かせた、ということになりましょうか。

や、実はこのノー・ニューヨークというコンピに収録されたバンド達の演奏は、過激で暴力的でありながら、その表現の根幹には知性を感じさせるものが多いんです。

だから聴いてると、心と体は

「うをー!カッコイイ!ぎゃー!!」

と、ストレートに反応してしまいますが、頭の中にはどこか哲学的文学的な思考というのがループします。

一番最初に衝撃を受けたのは「ヴォーカルのやつが絶叫してサックスを吹く」というコントーションズでしたが、それとは別に「こんなにハチャメチャなのにクール!」と、これまた価値観や常識に捕らわれた脳味噌に回し蹴りを喰らわせてくれたバンドが"DNA"でした。

とにかくもうアート・リンゼイのキョーレツ極まりないノイズ・ギターです。

「ギャリギャリギャリギャリ!!」と耳をつんざくような凄まじく尖った雑音、どこをどうやって押さえて、どんなエフェクター使ってるのか?まず聴いた時にそんなことを思いましたが、何と、聞くところによるとアート・リンゼイ氏は12弦ギターに弦を11本だけ張って、それらの弦をまったくチューニングしないでムチャクチャに掻き鳴らしてるんだとか。

えぇぇ恐ろしい、何それ怖い・・・。

と、アタクシ狂喜しました。

そもそもこのDNAというバンドが、オリジナル・メンバーの3人(アート・リンゼイ、ロビン・クラッチフォード、イクエ・モリ)が3人共、楽器をマトモに弾けない”超”の付く初心者。

それぞれの話をすると、リンゼイ氏はDNA以前はパンクバンドでヴォーカルなどやっていたそうですが、元々は詩作に精を出す文学志向の青年で、ドラムのイクエモリは日本人ですが「ニューヨークの前衛シーンが面白いと聞いて・・・」ぐらいのノリで、ガッツリNYの過激なロックシーンを見たいという本気の青年(レックと言う人で、この人は帰国してフリクションというバンドを結成、日本のアンダーグラウンド・シーンのカリスマになりました)に付いていっただけなんですね。

で、ニューヨークには、音楽や文学、アートや演劇など、とにかくジャンルに関係なく過激で面白いもの、それまで誰もやってなかったようなことをやろうという若者達のパーティーがよく行われていて、そこでリンゼイ氏がメチャクチャなギターを弾いているバックで「おい、誰かドラムやってくれ」ということになり、”たまたま8ビートらしきものが叩けた”イクエ・モリを「君いいね、バンドやろう」と、リンゼイ氏とロビンが声をかけたことが始まりと言われております。

で、その声をかけたロビン・クラッチフォードは、一応キーボードを弾いてたけど、もちろん両手使ってちゃんと弾ける訳ではなくて、1本の指で鍵盤をガー!っと押さえてたと。

そんな連中がバンドをやる訳です、出す音は自ずと客観的に見れば”常識に囚われない/斬新な音楽”になります。

結成した78年にシングルを出し、続いてプロデューサーのブライアン・イーノの肝入りで『No New York』に参加。

この時の演奏が、マンハッタンの片隅でしか知られてなかったDNAの名をアメリカ東海岸の地下シーンに轟かし、しかもその評判は音楽(ロック)界隈ではなく、やっぱりアート界隈で「最高じゃねぇか!」「素晴らしい、価値観への新たなる挑戦だ!」と話題になりました。

ところがその直後に新しいバンドを結成したいという理由からロビンが脱退。

で、後任のメンバーとして、ベーシストのティム・ライトという人が加入します。

名の知れたパンク・バンド”ペル・ウブ”の結成メンバーであり、唯一ちゃんと楽器が出来るティムの参加は、DNAの音楽の質を一気に高めました。

リンゼイ氏もイクエ・モリも、流石に文学やアートに造詣が深いだけあって、素人とはいえ、そのセンスは並外れております。

ハチャメチャとはいえ「ここでこういうタイミング、こういう間で放ったら効果的である」ということをキチンと考えているフシが伺えるリンゼイ氏のギターはもちろん、イクエ・モリのドラムも「バスとスネアでリズムの軸を刻んで、タムやシンバルでオカズを入れる」というドラムのセオリーに則らず、タムタムで軸のビートを刻んだり、とにかく予測不可能なパターン度外視のリズムも本当に素晴らしく「これは磨けば確かなものになる」と、ティムは直感でそう思ったのでしょう。




【収録曲】
1.You & You
2.Little Ants
3.Egomaniac's Kiss
4.Lionel
5.Not Moving
6.Size
7.New Fast
8.5:30
9.Blonde Red Head
10.32123
11.New New
12.Lying on the Sofa of Life
13.Grapefruit
14.Taking Kid to School
15.Young Teenagers Talk Sex
16.Delivering the Good
17.Police Chase
18.Cop Buys a Donut
19.Detached [Early Version]
20.Low
21.Nearing
22.5:30 [Early Version]
23.Surrender
24.Newest Fastest
25.Detached
26.Brand New
27.Horse
28.Forgery
29.Action
30.Marshall
31.New Low
32.Calling to Phone


アルバム『DNA on DNA』は、そんなDNAの、最初期のシングルや、6曲入りたった10分ぐらいのデビュー・ミニ・アルバム『A Taste of DNA』と、ライヴ音源も含む編集ベストであります(リリースは2004年)。

ベストとはいえ、1978年の結成から84年の解散まで、短い期間で残した彼らのスタジオ音源の全てが入っておりますので、これはもうこれさえ持っていればOKぐらいの決定盤でしょう。

初期の野放図なカオス演奏もカッコイイけど、やはりティム加入後の、ほとんどの曲を2分弱とか3分以内に収めた、無駄のない深淵な演奏が絶品です。炸裂する初期衝動の中に奥深い知性をたたえながら、どこまでも聴き手の想像力を刺激して止まない”間”がたゆたう演奏は、俳句にも喩えられるほどに研ぎ澄まされた芸術性をやはり有しております。




『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2018年01月06日

ジェームス・チャンス&ザ・コントーションズ BUY

1.jpg
ジェームス・チャンス&ザ・コントーションズ/BUY
(ZE/Pヴァイン)

パンク小僧にとっては永遠の憧れの作品のひとつとして『No New York』というコンピレーションがありました。

これはですのう、アタシはアタマの悪い高校時代に、例によって雑誌の記事でイギリスやアメリカのパンクの歴史みたいなものを特集したページがあって、それをパラパラと読んでいたら出てきたんですね。

『ノー・ニューヨーク』というタイトルからして何かこう激しいものを感じますね。まずそこが気に入って、細かい文字を読んでみたら、これはお前凄いんだぞと。ここに入ってる4組のバンドはノーウェーブと言って、70年代後半のニューヨークで、まず流行していたファッションパンクやニューウェーブへのアンチであり、既存のあらゆる音楽にノーを突き立てる、他のどのパンクよりも精神が過激で、音楽的な”ちゃんとした形”を根本からぶっ壊しててとにかくヤバイんだぞと。お前らとにかくパンク好きだったら、オリジナルパンクやハードコアもいいけど、ここまで聴かんとパンクの精神を理解したとは言えんのぞと。

まぁそんな書き方はしてませんでしたが、内容的にはそんな感じでした。

アタシも大概アタマが悪いので

「カッコイイからってピストルズやクラッシュの成り恰好ばかり真似したよーなのはパンクじゃないんじゃ、音楽的にどんだけイカレたことやるかっつうことにアホみたいに命かけてるよーなタワケが真のパンクスなんじゃ」

と、それはもうピュア真っ盛りでそんな風に思い込んで(つうかほとんど思い詰めて)音楽聴いてましたから、この雑誌の特集ページの『No New York』に関する一文は、それこそ天から降りてきた神の声か何かみたいにビビーンと来たんです。

このコンピレーションに絡む逸話として気に入ったのが、DNAというバンドのアート・リンゼイというギターの人は、チューニングがまるでデタラメなギターを、まるでデタラメのまんま弾きまくってるという話と、コントーションズというバンドでサックス吹きながらヴォーカルやってるジェームス・ホワイトというヤツは、演奏中に客席に降りて行ってとりあえず客をぶん殴る。で、殴り返されるから目の下にいつも青アザが出来てた。

という話でした。

おおお、パンクじゃ!つーかこのジェームス・ホワイトってヤツは本当のイカレ野郎だ!聴きたい!ノーニューヨーク聴きたい!コントーションズ聴いてみたい!!

と、思って、当時親父の経営するサウンズパルに行って

「ノーニューヨークくれ!!」

とイキリ立ったんですが

「あー、あれはない。ずっと廃盤じゃ」

と言われ、マジで心がポッキリ折れてしまいました。

その頃はパンクつっても、イギリスのパンクか初期ハードコアぐらいしか知らんかったので、そのノーウェーブとかいうやつをどうしても聴きたかったんですが、No New Yorkは1978年に一度リリースされたっきり一回も再発されず、その頃(90年代前半)にはもう伝説とか幻の作品として語られているような、レア盤の代名詞みたいなものだったんですね。

なので、アタシがノーニューヨークを本当の本当に初めて聴いたのは、大人になってから。

1997年にLPとCDで初めての再発が成され、これは当時アタシが丁稚をしていたレコード屋さん界隈でもすごく話題になって、店長から「ノーニューヨークを買う人は早めに予約してください」と指示が出たぐらいだったんです。

アタシ、もちろん予約して買いました。

さて、ワクワクドキドキで手にして、家に帰って針を落としたノー・ニューヨーク、いやもう全部の曲が予想より攻撃的で、予想以上に暴力的で、予想を遥かに超えて他の「パンク」と呼ばれているどの音楽との全然似てなくて、しばしアタシも正気を失ってしまうぐらい興奮してました。

どれぐらい興奮してたかというと、正座したままピョンピョン飛び跳ねるぐらい興奮してました。

冒頭に入ってたのが”ジェームス・チャンス&ザ・コントーションズ”!

あれ?確か雑誌の紹介では「ジェームス・ホワイト」ってなってたはずなのに、ジェームス・チャンス?まぁいいか、一緒名前だ。と一瞬ゆらっとなりましたが、いやもうこれ、バカ。

バカスカうるさいドラムと、ギャリギャリやかましいギターをバックに、思いっきり調子のずれたサックス、気合いを振り絞ったというより、ガラの悪いあんちゃんを、適当に吊るして締め上げたかのような捨身の絶叫系ヴォーカル。うほっ!




【収録曲】
1.Design To Kill
2.My Infatuation
3.Don’t Want To Be Happy
4.Anesthetic
5.Contort Yourself
6.Throw Me Away
7.Roving Eye
8.Twice Removed
9.Bedroom Athlete
10.Throw Me Away (Live)*
11.Twice Removed (Live)*
12.Jailhouse Rock (Live)*

*ボーナストラック


で、コンピレーションでカッコ良かったんだから、当然オリジナル・アルバムも探して聴くでしょうということで、都内の中古屋さんを探したら、ノー・ニューヨークの幻ぶりに比べて実にあっさりと、それほど高くもない値段で発見出来たジェームス・チャンス&ザ・コントーションズの、これがファースト・アルバムです。

内容は、オリジナル・アルバムだからコンピと違うとか全くそんなことなくて、初めて聴いて衝撃を受けた時のイメージそのまんまの、弾けてぶち壊れて、激しく調子が外れたまんま何かに全力でぶつかって、その都度粉々に砕け散る、絶好調の自己破壊サウンド。

これパンク? イエス、これパンク。

とはもう固く固ーく思うのです。たとえば90年代に出てきたマッチョで分厚くヘヴィなサウンドのハードコアなんかと比べたら、音の質感はうっすいカミソリみたいにヨレヨレのヘロヘロ。ただ、その分表現の仕方がぶっ壊れてるので、リアルタイムの音と比べても鬼気迫る狂気みたいなもんは遥かに上です。つうか何かと比べようがないです、良い意味でバカ過ぎて。

で、アタマの悪いアタシがすっかりハマって「これがパンクじゃあうひゃひゃひゃひゃ!」と聴きまくったのは言うまでもありません。

でも、彼らのとことん”自己破壊&巻き込み型の他者破壊”な表現のコアとは別に、音楽、特にリズムの方をよくよく聴くと、ロックにありがちな8ビートは一切使ってないんですよね。

サックスやギターの上モノがとにかくズッ外れてるし、ヴォーカルは絶叫だから気付かなかったんですが、リズムはむしろファンクなんです。

大体パンクでサックスなんか吹いてるところからしてフツーではないとは思ってましたが、彼らの音楽性というのは実に多彩で、いやその、ニューヨークというところは大体色んな人種の色んな音楽が集まるところだし、音楽以外にもアートや演劇など、あらゆる前衛芸術がこんずほぐれつやりあって、地下シーンから生まれるものは大体のっけからミクスチャーなものだということは理屈では分かっておりますが、コントーションズのミクスチャーぶりは、余りにもそのパンクな表現とマッチし過ぎていたのでうっかり見過ごすところでありました。

ノーウェーブっていうのは、当時パンクから派生したポップス路線のロックとして人気だったから、そういった商業主義的なものはクソだ、んなもんいらねぇという気持ちでもって名付けられたと聞きましたが、コントーションズ聴いていると、それ以上に気持ちいいBGMとかオシャレアイテムになっちゃったジャズとか、当初のソウルやファンクの反骨精神を失ったディスコ・ミュージックまでも射程に捉えて、全部の音楽のダメな部分に中指おっ立てておった。これはそういう音楽なんじゃなかろうかと、そのサウンドに心底興奮すると共に、その恐るべき反逆精神に心底ゾクッとする訳です。

それより何よりジェームス・チャンス、今もうすっかり60代半ばのいいおじいちゃんになってるのに、未だ”この”スタイルで現役です。それが一番おそろしい・・・。





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