ディープなコラム こちらにも書いてます♪

2017年10月04日

ブッカー・リトル(Booker Little)

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ブッカー・リトル/Booker Little
(Time)

この10月に入ってどハマりしている”ジャズ、哀しいトランペット・シリーズ”(うむ、他に何か良い言い回しはないだろうか・・・)でございます。

今週はウェブスター・ヤングトニー・フラッセラと、それぞれ違うタイプの「この人のラッパは凄く切なくて、そこはかとない味があっていいよね〜・・・」という二人を皆さんにご紹介してきました。

んで、他にこういう味わいを持っているトランぺッターっていないかなぁと、CD棚を物色していたら、おりました。

というよりも、まずもってアタシに生まれて初めて

「ジャズのトランペットってカッコイイかもよね」

と、思わせてくれた、原点である重要なトランぺッターの存在を、アタシはすっかり忘れておったんですね。

あぁいけません。

でも、そのままにしといたらきっといい加減で頭の弱いアタシは、またしても忘れてしまうと思いますので、忘れないうちにご紹介します。

ブッカー・リトルです。

アタシが決定的にジャズという音楽にハマり・・・や、その底無しの魔力にすっかり魅入られてしまったきっかけがエリック・ドルフィー

そのドルフィーの、最高にスリリングで、最高に妖しくて、最高に狂った毒に溢れているライヴ盤に「アット・ザ・ファイヴ・スポット」



というアルバムでした。

全員が全員、唯一無二のクセの塊のような個性を全力でぶつけ合った、今でも全てのジャズのライヴ盤の中でも最も刺激的なアルバム群(ファイヴ・スポット・シリーズは3枚の連作なのです)だと思っていますが、このアルバムで主役のドルフィーのひたすらブッ飛んだ演奏に対し、激しく盛り上がりながらも、時にフレーズを強引にアウトさせながらも、トータルでは美しく均整の取れたフレージングで全体のバランスを取っていたのが、トランペットのブッカー・リトルでした。

とはいえ、最初からドルフィー目当てでドルフィーのプレイしか聴いていなかったアタシにとって、その頃のリトルの印象は「いい感じに吹きまくってるけど、音は優しいし全体的に地味なトランペットだよね」というものでしかなかったのですが、それがある日突然、ドルフィーの特異で異様なソロの余韻をスーッと消して、全く独自の、激しさの中に憂いが満ち溢れた色に「パラパラパラ〜」と塗り替えてゆくその雰囲気にハッと気付いてから

「何て凄いトランペットなんだ!」

と、アタシはすっかりリトルにも夢中になったんです。

そう、この人の場合は「切ない哀しいトランペット」といっても、演奏スタイルそのものはどこまでも熱く激しく、聴き手にしっかり興奮も与えます。

資料に目を通してみたら、1950年代半ばに交通事故で不慮の死を遂げたモダン・ジャズ・トランペットの第一人者、クリフォード・ブラウンの正統な後継者として、演奏技術もアドリブセンスも、かなりの人に期待されておった。

つまりモダン・ジャズの本流の、次世代のスターとしてとても注目されるぐらいの実力者だったんです。

19歳で大物ドラマーであり、クリフォード・ブラウンと一緒にバンドをやっていたマックス・ローチに

「君いいね、クリフォードの後任としてウチのバンドに入りなさい」

と言われ、そこで評価を得て、バリバリの過激派と呼ばれたエリック・ドルフィーと一緒に「何か今まで誰もやってないような新しいジャズをやろうぜ!」とバンドを立ち上げたのが22歳の時。

正にミュージシャンとしては「これから」の時、尿毒症であっけなくあの世へ行ってしまったんですね。

周辺のミュージシャン達は

「ブッカーは元気でピンピンしてたのに、ある日いきなり病院運ばれてそこで死んだと。急死だよ、訳わかんねぇよ」

と、その若すぎる死に戸惑ったと言いますが、尿毒症・・・、多分喧嘩に巻き込まれて腹でも蹴られたんでしょうとアタシは思っております。倒されて激しく腹部を蹴られると、腎臓が損傷してそこから感染症を起こすことがあるのです。

それはそうと、リトルのミュージシャンとしての活動は、そんな風にたったの4年という短いものでありました。

もし生きてたら、リー・モーガンやフレディ・ハバードのように、60年代を代表するトランぺッターの一人として、数多くの作品を残してくれたに違いませんが、実はリトルは短い活動期間の中で3枚の正式なスタジオ盤を残しており、そのどれもが個性の輝きに満ちた、名作と呼ぶに全く値する珠玉のアルバムです。

その珠玉に順番なんかとても付けられませんが、彼のトランペットの素晴らしさに集中して最初から最後まで堪能できるのが、リーダー作として最初にリリースされた『ブッカー・リトル』



【パーソネル】
ブッカー・リトル(tp)
トミー・フラナガン(p)
ウィントン・ケリー(p)
スコット・ラファロ(b)
ロイ・ヘインズ(ds)

【収録曲】
1.オープニング・ステイトメント
2.マイナー・スウィート
3.ビー・ティーズ・マイナー・プレア
4.ライフズ・ア・リトル・ブルー
5.ザ・グランド・ヴァルス
6.フー・キャン・アイ・ターン・トゥ


トランペットのバルブの部分が、手書きで大きくイラストされたジャケットがもう最高ですね。ジャズのアルバムでこういう楽器を描いたもの結構あるんですが、そういうジャケットで中身がガッカリだったというアルバムには、未だ出会ったことがありません。

そしてメンバーが、ピアノにコルトレーンの『ジャイアント・ステップス』ロリンズの『サキソフォン・コロッサス』などなど、多くの作品で堅実なプレイを務め上げ、それらをことごとく名盤にしてきた、ザ・名盤請負人のトミー・フラナガン(BとCだけウィントン・ケリー)、ビル・エヴァンス初代トリオの天才ベーシスト、スコット・ラファロ。ドラムはバップからモダンから、ちょいと前衛なものまで、この人に任せておけば安心のロイ・ヘインズ。

モダン・ジャズの、ちょっとクセのあるカッコいいホーン奏者のワン・ホーンを聴きたいなと思ったら、これ以上望むべくもない最高のメンバーです。

そんなメンバー達、全員がしゃかりきになって個性をブチ撒けずに、カッコイイ伴奏に徹した、すこぶる大人な演奏なんですよ。

そのサポートを得て、思う存分に吹いているリトル。

この人の個性は「一見フツーに聴こえるんだけど、実はちょっとしたところにクセやアクがみなぎっている」とでも言いましょうか。とにかくブリリアントです、リズムに乗れば結構吹きまくります。決して”味”だけで売ってるラッパ吹きじゃないし、若さゆえの”突っ走り”もあって、テクニックだけで無難にそつなくこなす人でもありません。どちらかというと激しく突っ走ってる時でもメロディを意識して「丁寧に歌を紡ごう」という気配りに溢れた展開に、聴く側の意識を誘うのがとても上手い人です。

でも、この人独特の「クシュッ」とひしゃげた音色がそうさせるのか、それともアドリブの途中でさり気なく織り交ぜられるマイナー・フレーズの一瞬がそのような効果を持っているのか、とにかく全体がどこか沈んだ感じであり、そして聴き終わった後にヒリッとした切なさが残ります。

どの曲もカッコ良くて、キッチリ興奮もさせてくれますが「これ!」という曲は、2曲目の「マイナー・スイートと5曲目の「ザ・グランド・ヴァルス」。

「マイナー・スウィート」は、疾走系4ビート・ナンバーですが、無伴奏っぽく(ロイ・ヘインズが軽くアクセントでオカズを入れる)吹き上げている哀愁のイントロから、一気にやるせないアドリブが走り抜けてゆくこれがもうたまんなくて、「ザ・グランド・ヴァルス」はエリック・ドルフィー、メモリアル・アルバムに入ってる『ブッカーズ・ワルツ』と同じ曲ですが、コチラはテンポをグッと落としていて、クシャッとしたリトルの音のまろやかさと美しいメロディとの溶け合いに何だかウルッときてしまうのです。





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『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2017年10月03日

トニー・フラッセラ トランペットの詩人

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トニー・フラッセラ トランペットの詩人
(Atlantic/ワーナー)

只今秋の感傷モードの真っ最中ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

ブログをご覧の皆様には、既にお気づきかと思います。アタシはこの秋になり「トランペットってもしかして切ねぇ!?」ということを、今更にして気付いてしまい、感動したジャズ・トランペットのアルバムについて書いております。

えぇ、皆さんも心の中に「これ、切ないよ」という音楽、あろうかと思いますので、秋になったらぜひともそういう音楽と、とことん切なくお過ごしになられたらと思いますが、まだそういう音楽ねーよという方や「ちょっと切ない音楽聴きたいけど何を聴けばいいのよ」という切実な思いをお持ちの方は、どうかこのブログでのアタシの戯言を記憶の片隅にでも置いて頂き、音盤と出会う時のご参考にしていただけたらと思っております。えぇ、切に願っております。

で、今日も「せっつねぇトランペット」いきましょうね。

トニー・フラッセラという、白人ジャズ・トランペットの、知る人ぞ知る名手がおります。

いや、どっちかというとあんま知られてないことの方が多い、隠れ名手と言うべきでしょうか。

知られてない理由を挙げると、やはり活動期間が短く、作品をほとんどリリースしていないということ、聴いた誰もが衝撃を受けるような、激しさとインパクトに溢れた演奏というものは一切やっていないということになるでしょう。

ですが、ジャズをこよなく愛し、色々と聴いてトニー・フラッセラに辿り着いた人達は口を揃えてこう言います。

「この人のトランペットは本当に深い。これを聴いていると、何か忘れていた大切なものを思い出したような気持になるね」

と。

はい、そうなんです。トニー・フラッセラの吹くトランペットは決して派手じゃない。聴く人を興奮させる速いフレーズとかスリリングな展開とか、そういうのはないけれども、その一音一音丁寧に噛み締めるような演奏スタイル、曲の持つメロディの肝とも言うべき部分をひたすら美しく磨き上げ、余分なもののないありのままの美しさを、鮮やかさとはまた別の、深く落ち着いた光沢で輝かせるようなアドリブで、聴く人の心にそっと花を置いてくれます。

そんなどこまでも抒情的な演奏をするフラッセラに付いたあだ名が”トランペットの詩人”。

はい、その通りだと思います。

でもこの”詩人”という言葉の響きって、彼の演奏を聴いていると、どこかやるせなく、どうしようもないものが青白く揺らめいているようでどこか哀しい、そして悲しい。

彼の人生は孤児院で始まって、そこを出た時に音楽に希望を見出して、見よう見まねでトランペットを手にする訳なんですが、良い感じに上達して、人気も出て、演奏活動そのものは順調のようでしたが、レコードセールスの波に乗れず、元々常用していた麻薬が彼を呑み込み、シーンから遠ざかることと、束の間復帰することを小さく繰り返しつつ、結局若くして亡くなってしまう。

音楽に簡単に、ミュージシャンの人生を反映させることはどうかと思いますが、彼の片言で懸命に愛を歌ってるかのようなトランペットを聴くと、何かそんなどうしようもない人生が、バカみたいにスッと折り重なってしまうのです。

似たようなタイプでチェット・ベイカーがおります。

才能にも容姿にも恵まれていながら、まるで自ら望んで破滅に向かって突き進んでいるかのような破天荒な人生という意味で2人は大いに重なりますが、チェット・ベイカーはトランペットの演奏技術が実はズバ抜けていて、優しく甘い音色とは裏腹な、派手で華のあるプレイをします(意外とベイカーは吹きまくっている演奏多いのですよ)。それゆえ生涯を通じて華やかなジャズの表舞台に常に居ることが出来たということを考えると、フラッセラのひたすら楚々として美しく、そして派手な脚光を浴びることのなかったジャズ人生って・・・と思い、また胸に切ない感情が滲んでくるのであります。




【パーソネル】
トニー・フラッセラ(tp)
アレン・イーガー(ts)
ダニー・バンク(bs,AD)
チャウンシー・ウェルシュ(tb,AD)
ビル・トリグリア(p)
ビル・アンソニー(b)
ビル・ブラッドレイ・ジュニア(ds)

【収録曲】
1.アイル・ビー・シーイング・ユー
2.ムイ
3.メトロポリタン・ブルース
4.レインツリー・カントリー
5.ソルト
6.ヒズ・マスターズ・ヴォイス
7.オールド・ハット
8.ブルー・セレナーデ
9.レッツ・プレイ・ザ・ブルース

彼の数少ない作品の中から、代表作であるところの「トランペットの詩人(原題:Tony Fruscella)」を聴きましょう。

とにかくもうこのジャケットですよね、繊細そうな良い男が、トランペットを抱えて沈んでる白黒のポートレイト。これは紛れもない本人で、決してアルバムジャケット用に取ったポーズではないでしょう。えぇ、普段からこんな雰囲気を醸す人であったらしいです。

とにかく中身を聴かずとも、このジャケットだけで、この中に収録されている音楽がどんなものであるか、8割がた語られていると言っていいと思います。

中身はフラッセラのトランペットが、”幻のテナーマン”と呼ばれたアレン・イーガーのまろやかで共通した翳のようなものを持っているテナー・サックスと、ひたすら美しいメロディを紡いでゆく、派手で猛々しいところが一切ない、アンニュイな空気から醸される上質な憂いが終始漂っておるアルバムです。

2曲でバリトン・サックスとトロンボーンが入り、ちょっとだけ賑やかにはなりますが、「ススス・・・」と吐息まじりでメロディを淡々と紡いでゆくフラッセラのトランペットが響くだけで、空気がスーンと落ち着いたものになるから不思議です。

リズム・セクションはビル・トリグリア(p)、ビル・アンソニー(b)、ビル・ブラッドレイ・ジュニア(ds)という、偶然にも”ビル”が3つ並んだトリオで、この人達もさほど有名な人達ではありませんが、落ち着いた気品のある、いいサポートです。

特にビル・トリグリアのピアノは、バックでは控え目にコードを、ソロは弾き過ぎずコンパクトに、の職人的な”引き”が感じられて、そのさり気ないセンスの良さがひたすら好感度高いです。

楽曲の中でオススメ、というか、聴く毎に何ともいえないやるせなさの海へ引きずり込まれてしまうのが6曲目の「ヒズ・マスターウ・ヴォイス」。

クラシックのフーガ風のイントロから落ち着いた4ビート(ドラムはブラシ)が入り、フラッセラ、イーガー、トリグリアと、静かにバトンが渡されてゆくソロの、何と切々と優しく身を切ることか。そしてまたエンディングでトランペットとテナー・サックスによる美しいフーガが哀しく響く。

あぁ、何だろうこのどうしようもないカッコ良さは。。。



(↓アナログもあります)





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2017年10月01日

ウェブスター・ヤング フォー・レディ

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ウェブスター・ヤング/フォー・レディ
(Prestige/OJC)

夏が苦手で、というのも、夏になると目に見えて調子を崩したり、体の具合が明らかにおかしくなってきますので、7月8月は、実は「バテないぞ!」と気を張り詰めているんです。

ここ最近は、そういった気合いのおかげか、夏に目に見えて調子を崩すということはないのですが、その反動で9月になって不調が来ます。

不調というのは具体的には眩暈や動悸、えぇ、持病です。何とか誤魔化して馴染ませるために、色々と休み休み、今出来る環境にあるというのがせめてもの救いです。

調子がアレなもんで、この時期に聴ける音楽というのは限られても来ます。

ノリノリで爆音でけたたましいものは大好物なんですが、調子が悪い時は心は喜んでも体が喜んでくれないのでパス。

というとまったりした音楽、静かな音楽という具合になってきて、必然的にジャズやクラシックのCDやレコードに手が伸びることが多くもなるのです。で、ここんところ聴いているのが、マイナーなジャズ・トランペット奏者達のそこはかとない作品たちであります。

あのですね、トランペットという楽器は基本やっぱり派手でけたたましい楽器なんですよ。

ジャズがその創世記の頃、ソロ楽器として唯一もてはやされたのが、トランペットのご先祖のコルネットという楽器で、コレが何でソロ楽器としてもてはやされたのかというと

「音がデカいから」

という、実にシンプルでそれ以外ない理由からで、そもそもラッパ系の楽器というのが、軍楽で使われる号令のラッパが最初の形態でありますので、これはけたたましくないとお話にならないという因果がございます。

だもんで、時代を経てジャズで使われるようになっても、トランペットというのはやっぱりソロ楽器として一等派手で、ビッグバンドでも4,5人のコンボでも高音を煌めかせながら演奏を盛り上げる役割、というのが多いような気がします。これでは体調の悪い時に、とてもじゃないが聴けたもんじゃない。

しかーし!1950年代以降、マイルス・デイヴィスが消音機を被せた”ミュート奏法”を大々的に使うようになってから「トランペット=派手に吹きまくる」という常識は、ちょっとづつ覆され、その後この分野には、訥々と丁寧にメロディを吹くタイプの演奏家も出てきました。

うん、これなら調子悪い時も聴けるぞ!

と、皆さんにオススメしたい人がウェブスター・ヤングという人であります。

ミュージシャンのカッコ良さを測る要素として、味わい、テクニック、カリスマ、革新性という4つの要素があるとすれば、この人は徹底して”味わい”の人。

そのミュートを被せたコルネットから出されるフレーズは優しく哀しく、そして聴く人を淡い世界へいつの間にか誘ってくれる、実に奥深い味わいを持っておるのです。

50年代にはジャッキー・マクリーンやデクスター・ゴードンなどのサイドマンとして活躍し、その控えめでいながらもジャズのツボを押さえた演奏で、上手にリーダーを立てている作品をそこそこ残しつつも、60年代以降は一線から退き、音楽学校で理論を教える講師をやっていたことからも、性格的にもきっと控え目な人だったんでしょう。




【収録曲】
ウェブスター・ヤング(tp)
ポール・クィニシェット(ts)
マル・ウォルドロン(p)
ジョン・ピューマ(g)
アール・メイ(b)
エド・シグペン(ds)

【収録曲】
1.ザ・レディ
2.ゴッド・ブレス・ザ・チャイルド
3.モーニン・ロウ
4.グッド・モーニング・ハーテイク
5.ドント・エクスプレイン
6.奇妙な果実



さて、そんなヤングの初リーダー作にして、正式なものとしてはこれが唯一のアルバムが本作「フォー・レディ」であります。

このアルバムは「不世出のジャズ・シンガー」と呼ばれたビリー・ホリディに捧げられたもので、1曲目のオリジナル曲以外は全てビリー・ホリディがこよなく愛したナンバーばかりが揃えられ、メンバーも、丁度この時ビリーのバンドのピアニストだったマル・ウォルドロン、そしてビリーが音楽的にも人間的にも最高の敬愛を抱いていたテナーサックス奏者、レスター・ヤングのスタイルを最もピュアな形で形容し、レスターの”大統領”というあだ名に対し”副大統領”というニックネームを持っていたポール・クィニシェット(この時レスターが亡くなっていたので、彼に声がかかったんでしょう)をメンバーに従えた、トリビュート・アルバムです。

ビリー・ホリディという人の歌唱スタイルは、歌詞を噛み締めるように切々と、訴えるように歌うスタイルで、このスタイルがまた、ヤングのコルネットととても相性がいいんですよ。感情をドバッと出さず、くすんだ音色で丁寧に紡ぎ出す。

コルネットはトランペットより素朴な、味のある暖かい音色で、出てくるフレーズそのものにも、演奏全体にも、何となく淡く儚い翳のようなものが、じんわりと広がっております。このアルバムの何がたまんないかって、郷愁というか哀愁というか、そういうものがフワ〜っと当たり前のものとして、空間を埋め尽くすぐらいの質量で存在しているところがたまんないんです

。意識せず、ただ部屋で何となく流してるだけで、何だか泣けてくる、これです。グッド・ミュージックと言わずして何と言いましょう。

バックのメンバー達のプレイも、その”淡い哀感”を醸すのに、本当に見事なサポートをしています。

特にポール・クィニシェットの柔らかくメロディアスなテナー、マルのモノトーンの世界観なピアノ、ジョン・ピューマの滑らかな音色の、品の良いギターが楽曲の上で溶け合って、もう聴いてるこっちの意識もゆるやかにいけない世界へ持っていかれてしまいます。

アルバムのハイライトは後半「ドント・エクスプレイン」と「奇妙な果実」という、ビリーの愛唱曲の中でもとりわけてしっとりと、切々と訴える力のあるナンバー。

「ドント・エクスプレイン」は、アール・メイの深い響きのベースがまずイントロを奏で、そこから他の楽器が入ってきます。ここからの、どこまでも切なく堕ちてゆくアンサンブルをぜひ聴いてください。

どなたかのホームページで「ヤングがすすり泣き、クィニシェットがむぜび泣き、マルがもらい泣きする」と、この曲が評されてました。アタシはこの記事を書くに当たって、それ以上の表現を何とか探して書いてやろうと思いましたが、いや、降参です。これ以上に見事な表現はありません。

そして「奇妙な果実」。ひたすら重く、暗く、不吉なアレンジのイントロ、悲痛なメロディーに渾身の悲しみを込めて歌い上げるコルネット、もう言葉もありません。

「奇妙な果実」以外は余りにもそこはかとなく、しっとりとした風情が続くアルバムですので、最初は「うん、しっとりしていいね」ぐらいに思ってましたが、いや、これは凄いアルバムです。表面の優しさの裏に、中毒性がたっぷりと塗り込まれております。














『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2017年09月29日

ベン・ブランチ ラスト・リクエスト〜キング牧師に捧ぐ

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ベン・ブランチ ラスト・リクエスト〜キング牧師に捧ぐ

ツイッターでふと思い付いた

#あなたの心の鎮痛剤

という企画をやっております。

「企画をやっております」とはいえ、アタシは大体がいい加減で適当な人間ですので、このハッシュタグを付けることで何がどうなるとか、何かをどうしたいとか、そういう気持ちは全くなくて、ただこの感傷の秋にピッタリな音楽、皆さんはどんなのを聴いているんだろうなぁと、ふんわり思い付いただけなんですね。

だから何を挙げようが自由、別に音楽じゃなくてもokという、実に他愛もない企画です。はい、遊んでるだけですが、皆さんの書き込みを見ていると、じんわりくる名盤や、しんみりくる名盤などなど、思い思いに本気の”これがいいんだよなぁ・・・”を出して下さり、その愛の深さに圧倒されながら、感動を噛み締めておる次第です。

音楽って本当にいいもんですね。

そんな中、ある方が

「これはいいですよね」

と出してくださった一枚のアルバムがあり、そのジャケットを見たアタシ

「そうだよ!これこれ!これを忘れてしまっていた!!」

と、大いに慌てました。

心の鎮痛剤

や、心が痛む時ならず、その音楽の持つ素晴らしいパワーで、まるで全てを浄化してしまうようなグレイト・ゴスペルにして、60年代ディープ・ソウルのホンモノの傑作であるところのベン・ブランチ「ザ・ラスト・リクエスト」。

・・・えぇと

今、かなりのボリュームで「誰それ?」と聞こえました。

えぇ、ベン・ブランチという人はジャズ/R&Bのサックス奏者として、色んなセッションに参加している人ではあるんですが、確かに自分からリーダーになって作品を作るようなタイプの人ではなくて、どちらかというと他人のバックでホーン・セクションの要となるような、いぶし銀の職人サックス奏者だから、多くの人が「知らない」というのも確かに頷けます。

ですが、そんなベンの知名度を脇に置いといても、このアルバムだけはもうブルースだろうがソウルだろうがジャズだろうが、ブラック・ミュージックが好きな人にとっては「あぁ・・・いいよな・・・」と、それこそ多くの人に共通する心の灯となっている作品でありますし、事実1960年代後半という時代の、ゴスペルを軸にしたブラック・ミュージックのカッコイイ所が物凄い濃度で凝縮されたような、もう何というかマスターピース的な聖典と言ってもいい、この作品がもしブラック・ミュージックの歴史に残されていなかったら、その後のゴスペルやソウルは一体どうなっていたんだろうと、音楽好きに深刻に思わせてもいいぐらいの重要な作品なのであります。

あぁ、ちょいとアツくなってしまいました(汗)

「何でそんなに重要なの?」

と、ジャケットとタイトルを見てピンと来れなかった方のための説明は後に取っておくとして、まずはベン・ブランチです。

ベン・ブランチは、1924年にテネシー州メンフィスで生まれております。

メンフィスという街は、これまで何度か説明しましたが、ミシシッピからシカゴへと向かう南部の黒人達が中継地点として集う都市で、自然とブルースが盛んになる土壌が、早い段階から出来ておりました。

恐らくは地元の教会やマーチングバンドなどに参加しているうちにテナー・サックスを覚えたベン、20代の頃に同じ年代の人気ブルースマン、B.B.キングのホーン・セクションの一員として本格的なデビューを果たします。

その後は地元メンフィスを拠点にジャズやブルース、R&Bの数々のセッションを重ね、B.B.キングからブッカーT&ザMG's、ジャズピアニストのフィニュアス・ニューボーンJr.など、あらゆるジャンルの、この地を語るには外せないミュージシャン達と演奏しております。

1960年代には、既にベテラン・セッションマンとして、南部のスタックス・レコード、そしてシカゴのチェスのスタジオなどを行き来する日々でしたが、この時にやはり彼も黒人公民権運動に深く関わることとなり、特にカリスマ的な運動指導者だったマーティン・ルーサー・キング牧師の非暴力思想には大いに共鳴することがあり、5つ年下のこのカリスマとの間には、緩やかな師弟関係のようなものがあったと言います。

ベンはミュージシャンとして、キング牧師が参加する講演会や教会での演奏に積極的に参加しました。

キング牧師の主張は

「黒人も白人も、共に兄弟として歩み寄ろうぜ。同じ人間で同じ神様(キリスト教)を信じてるモン同士、必ず分かり合えるはずだぜ」

という、聖書の人類愛を基礎にした、非常にシンプルかつ平和的なものでしたので、ミュージシャン達も共感して非常に協力してたんですね。

ところがそんなキング牧師の主張は、1964年の公民権法制定(初めて法律で「差別を禁止する」ということが制定される)以降

「生ぬるい」

「結局法律で差別禁止とか言われても、オレらの貧しい生活や日常での差別は何にもなくなってねーじゃんかよ!」

と、批判の的にされることが多くなりました。

イスラーム教を黒人優位思想と解釈したネイション・オブ・イスラムや、革命思想を唱えるブラックパンサー党など、人権を勝ち取るためには暴力も辞さないという考え方が、フラストレーションを抱える若者達に徐々に支持されるようになり、各地で黒人デモは過激な思想に影響を受けた人達によって暴動になっていたのです。

もちろん暴動を起こして社会状況や、自分達を取り巻く環境が良くなるはずはありません。

むしろ「黒人はああいう風に野蛮で暴力的である」と、差別主義者によって宣伝されれば、せっかく味方に付いた世論すら敵に回す可能性は多いにある。

悲観したキング牧師は暴動を抑えようと、各地で自ら出向いて必死の呼びかけを行いましたが、1968年4月4日、遂に凶弾に倒れ、帰らぬ人となってしまいました。




【収録曲】
1.プレシャス・ロード、テイク・マイ・ハンド
2.イフ・アイ・クッド・ヘルプ・サムバディ
3.レット・アス・ブレイク・ブレッド・トゥゲザー
4.ウィ・シャル・オーヴァーカム
5.マザーレス・チャイルド
6.マイ・ヘヴンリー・ファーザー
7.イェールド・ノット・トゥ・テンプテーション
8.ハード・タイムス
9.バトル・ヒム・オブ・ザ・リパブリック


このアルバムは、そうしたキング牧師の悲劇を受けたベンが、師を追悼し、その平和と非暴力の意志を音楽で表現し、世界に知らしめたアルバムなのです。

彼がアルバムを作ってまでキング牧師を追悼しようと思ったのは、もちろんそういった意志の力もありましょうが、実はそこにはキング牧師との深いエピソードがありました。

ある日ベンが「プレシャス・ロード、テイク・マイ・ハンド」という伝統的なゴスペル・ナンバーを演奏していたところ、キング牧師が

「いい曲だね、怒り狂った聴衆に聴かせたらきっと穏やかに静まってくれるに違いない。今度の集会でその曲演奏してくれよベン」

と、声をかけました。

「あぁいいよ。次の集会が楽しみだな」

と、ベンも軽く請け負ったんですが、実はこの会話が交わされたのがキング牧師が暗殺される直前のことで、結果としてこの約束が果たされることはありませんでした。

で、アルバムのタイトル「ラスト・リクエスト」は、この時のキング牧師のリクエスト、つまり「プレシャス・ロード、テイク・マイ・ハンド」をやってくれよ、という最後の約束そのものだったんです。

アルバムはこの曲で始まります。

祈りの静けさに満ち溢れたオルガンとピアノ、そしてたっぷりの感傷と郷愁にまみれたベンのテナー・サックスから、ドラム、ベース、ギターが入り、アツくシャウトするヴォーカルが、一気にクライマックスに盛り上げてゆく、正にゴスペルかくあるべし!の名演で幕を開け、最後までそのテンションが下がることがありません。

アタシはもちろん本場のゴスペルを生で体験したことはありませんが、きっと60年代の黒人教会で演奏されるゴスペルは、このレベルの盛り上がりが集会の最後まで続いたんだなと思わせるに十分すぎるほどエモーショナルであります。

メンバーとして名を連ねているのは、フィル・アップチャーチ(b)、ウェイン・ベネット(g)、レナード(レオナルド)・キャストン(p,g)など、この時代のR&B、ジャズファンク系には欠かせないいずれも凄腕のセッションマン達、そしてヴォーカルはホンモノの牧師でありゴスペル・シンガーの方々。もう、凄いノリです。感情の全部が持っていかれます。何度聴いても「すげぇ、これがゴスペル・・・」としか言葉が出てこんのです。


最初の方で申し上げましたが、ベン自身は決して表に立ってリーダー・アルバムを作ったりコンサートを行ったりする人ではなく、あくまで裏方として優れたリーダーの作品作りを手伝おうという思考の持ち主だったので、生涯を通じての作品は少ないです。

でも、そんな人が自分が表に立って作品を作り上げ、何とかメッセージを伝えようとした。そして、出来上がった作品はこの時代のゴスペルとして最高水準のもので、ソウル・ミュージックとしても最深部まで到達しており、何より聴く人の心をあらゆる意味で豊かなものにしてくれるものとしか、言いようのない傑作なんです。

ブラック・ミュージックという言葉に少しでも心ゆらめく人ならば、きっと一生モノの財産になると思います。






『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2017年09月27日

ビル・エヴァンス 自己との対話

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ビル・エヴァンス/自己との対話
(Verve/ユニバーサル)

ようやくというか何というか、のっそりスローペースで、今年も秋がやってまいりました。

秋といえば、色々と「〇〇の秋」の〇〇の部分に好きなものを入れて楽しむ季節でしょう。食欲大いに結構、スポーツもいいでしょう、読書なんか最高です、芸術なんてもうヒューヒューです。

で、アタシの場合はこの時期は、溜まりに溜まった夏の鬱屈とした気分を浄化するために、感傷のスイッチをオンにして、切なくてヒリヒリする美しい音楽を聴きながら、感傷に目一杯浸ります。

個人的に

「心の鎮痛剤」

と呼んでるジャンルがありまして、それはズバリ、ジャズやクラシックなどのピアノの音楽のことなんです。

儚くて哀愁に満ち溢れたピアノの音色は、心に僅かな痛みをジンジンと響かせながら、内側にある苦しいものを、少しづつ詩に変えてくれるような、そんな効果を勝手に感じて、じんわりと耳を傾けておりますが、このジャンルの代表格といえばやはりビル・エヴァンスです。

「ピアノの詩人」と呼ばれ、ジャズの世界に”美しくそこはかとない情感”というものを、エヴァンスはそっと持ち込みました。もちろんエヴァンス以前にもうっとりするような美しいピアノを聴かせてくれる人は多くおりましたが、エヴァンスの強みは何といっても

「速めのテンポでノリノリの曲を演奏しても、どこか哀しい、何故か切ない」

と、聴く人を感じさせるその儚い詩情であります。

この感じのことを専門用語で「リリカル」といいますね。しかしこの言葉、ライターとか評論家とか、そういった専門家チックな人達がやたら連発するので、ジャズ初心者の方々には案外「なんかよーわからん言葉」と思われているようです。いかんですね、いかんですので、皆さんには


「リリカルっつったら”何か綺麗で切なくてやるせないヤツ”ですよ」

と、一言説明を入れておきましょう。お店とかネットとかで音楽に出会う際の参考にしてくださいね。

で、エヴァンスです。

心の鎮痛剤ジャンルでは、早く効いて長く効くエヴァンスのピアノは、どの時期のどの作品も、あらゆる切なさの集合体と言っても過言ではありません。

モダン・ジャズ全盛の1950年代半ばにデビューしたその時から、それまでのジャズ・ピアノの「イェ〜イな感じ」とは確実に一線を画す、内向きで知的な風情に溢れたピアノは、クールなサウンドを目指していたマイルス・デイヴィスの耳に留まり「カインド・オブ・ブルー」という、ジャズの歴史を大きく変える、知的で芸術性の高い作品を生み出すことに大きく貢献しました。

しかし、繊細過ぎる性格のエヴァンスは、マイルス・バンドでのストレスに耐えきれず、僅か1年ほどでバンドを脱退。

そこからはスコット・ラファロ(b)、ポール・モチアン(ds)と最初のトリオを組んで「ポートレイト・イン・ジャズ」「ワルツ・フォー・デビィ」など、ジャズ・ピアノ・トリオを代表する人気作を世に出しました。

このトリオは、単にエヴァンスの美しいピアノを引き立てるだけでなく、ベースのスコット・ラファロの大胆に切り込むハードなアドリブがエヴァンスの研ぎ澄まされた即興演奏の才能を更に引き出し、それまでの「ピアノ・トリオ=ピアノが主役でベース、ドラムは脇役」という常識を覆し、更にそれまで単なるリズム・セクション、もしくはBGM的にムードを演出する編成ぐらいに思われていたピアノ・トリオを「それだけで十分にスリリングで、しかもクオリティの高い音楽を聴かせることのできるフォーマット」へと、その地位そのものを高めたんです。

この初期のトリオにおけるエヴァンスの創造性というのは、今聴いても本当に鳥肌が立ちます。

ピアノとベースがガンガンとどこまでも激しくやりあっていても、エヴァンスの紡ぎ出すメロディというのは、どこか常に内側を向いているような感じがして、そして激しく弾けば弾くほど、彼の音はその、そこはかと帯びている哀しみを、もっと前面に出しているかのように響くのです。

1960年代初期に結成されたこのトリオは絶好調でした。

しかし、そんな絶頂の時に、ベーシストのスコット・ラファロが1961年、交通事故により23歳であっけなくあの世へと旅立ってしまいます。

最高の相棒を失ったエヴァンスは悲観に暮れて、かなりの鬱状態になり(この鬱がこれから後も度々彼の人生を苦しめて、結局エヴァンスの寿命を縮めることになります)ましたが、後任のベーシストとしてチャック・イスラエルが加入した後、精神は少し持ち直して、エヴァンス・トリオは復活します。

しかしエヴァンスの中でラファロの喪失は、周囲が思っているより遥かに大きく、エヴァンスはその孤独を埋めるべく、トリオやバンドでの活動以外にも、ソロ・ピアノで更に内なる世界の哀切の海へと漕ぎ出してゆくのです。




【パーソネル】
ビル・エヴァンス(p)

【収録曲】
1.ラウンド・ミッドナイト
2.ハウ・アバウト・ユー
3.スパルタカス 愛のテーマ
4.ブルー・モンク
5.星影のステラ
6.ヘイ・ゼア
7.N.Y.C`Sノー・ラーク
8.ジャスト・ユー、ジャスト・ミー
9.ベムシャ・スウィング
10.ア・スリーピング・ビー


1963年に、エヴァンスがたった一人で行った「自己との対話」がレコーディングされました。

それまでもエヴァンスは、一人スタジオでソロ・ピアノのレコーディングを試みましたが、恐らくどれも満足の行く仕上がりではなかったのでしょう(でも発掘音源としてリリースされたそれらは、孤独の内に本当に美しい輝きを宿している素晴らしい演奏です)、1年以上かけてようやく正式な”作品のためのレコーディング”となった「自己との対話」では、何と自分自身が演奏する3台のピアノを全編多重録音した、前代未聞の作品となっております。

「ソロ・ピアノ」というよりも「ピアノ・アンサンブル作品」と呼んだ方がいいアルバムですね。

実際に聴いてみても、低音でリズムを支える部分と高音でメロディを紡いでゆく部分、そしてそれら両方にアドリブで絡んでゆく部分と、3台のピアノがそれぞれどのような役割かは、何となく分かる仕様になっています。

音の印象としては、バラードでもアップテンポの曲でも、キラキラと砕けた宝石のような華麗な装飾音が、美しくも儚く鳴り響き、幻想的なイメージの世界へと誘ってくれる、非常に繊細な音世界であります。「スパルタカス愛のテーマ」は特に、エヴァンスのピアノの幽玄美の極致といっていいほど、深淵で壮大な詩情に溢れた、壮絶な美に溢れた演奏。

でも、やはりエヴァンスのカッコ良さは、原曲の表面をなぞっただけの”綺麗さ”ではなくて、やっぱり強い左手から繰り出される、信じ難いグルーヴによる、陶酔感でありましょう。

このアルバムには、セロニアス・モンクの曲が「ラウンド・ミッドナイト」「ブルー・モンク」「ベムシャ・スウィング」と3曲収録されていて、「ラウンドミッドナイト」はマイルスの愛奏曲でもありますし、エヴァンスもその後ライヴなどで何度も演奏している静かな曲でありますが、「ブルー・モンク」「ベムシャ・スウィング」は、モンクの調子っぱずれなピアノのユニークさが、軽快なテンポで強調された明るいナンバーなんです。

そんなエヴァンスの個性とは全く反対と言っていいこのナンバーを、エヴァンスは原曲のユニークさを壊さず演奏しているんですね。で、この2曲、特に「ベムシャ・スウィング」の左手を聴いて欲しいんです。

鍵盤、ガンガンに叩いて、びっくりするぐらい強靭な左手のリズムです。これが多重録音でガンゴン重なる展開があるんですが、この展開を耳で追っていくうちに、曲はノリノリでリズムも音色もゴツいはずなのに、何故か切なくなってくるんですよ。苦しいぐらいに何か泣けるものが胸めがけて一直線に刺さってくるんですよ。

色々聴いても、この「ノリノリで切なくさせる人」ってエヴァンスしかいません。何がどういう仕組みになってるのか未だによくわかりませんが、とにかく切ないし狂おしいし、ジワッと泣けてきちゃいます。

エヴァンスのピアノだけが鳴ってる空間で、しかもエヴァンスにしては珍しくノリノリでグルーヴィーな陶酔に満ちたナンバーも結構入っているので、いわゆる「内省的な作品」というのとは少し違います。

でも、この哀愁は聴く人をどうにも虜にしてしまいます。

いずれにせよエヴァンスの凄さ、いや、未だエヴァンスの凄さって究極的に儚い右手から紡ぎ出されるものなのか、強い左手から叩き出されるものなのか、究極的な答えは見付かりませんし、陶酔にヤラレてそんな気も起こりませんが、心の鎮痛剤としてはもう最高クラスのアルバムだと思って、この時期は浴びるように聴いております。



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『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
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posted by サウンズパル at 19:33| Comment(0) | ジャズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする