ディープなコラム こちらにも書いてます♪

2017年08月14日

アーチー・シェップ フォア・フォー・トレーン

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アーチー・シェップ/フォア・フォー・トレーン
(Impulse!/ユニバーサル)

只今ブログで「大コルトレーン祭」と題しまして、ジョン・コルトレーンの特集をやっております。

もちろんこの特集は「ジャズの巨人にして音楽の偉人、ジョン・コルトレーンを多くの方に知ってもらい、聴いてもらおう!」という気持ちでやっておりますが、コルトレーンという、とりあえずジャズの中でも超有名の部類に入るコルトレーンを知って、共演者とか関係するミュージシャンのプレイを聴いて

「お、これは知らんかったなぁ、この人の演奏をもっと聴いてみたいぞ」

と、どんどんジャズの脇道に逸れていっても全然OK、むしろ音楽の聴き方としては、どんどん脇道に逸れながら知らない音楽を知っていくってのが本当に楽しいし、実りのある聴き方だと思いますんで、このブログをお読みのピースな音楽好きの皆さん、もしブログ中で知らないアーティストとかのことが書いてあったら(ジャズに限らず)、試聴でも何でもいいんで、ぜひとも聴いてみてくださいね。

というわけで本日は「コルトレーンの関係者」として、バンドメンバーでこそなかったけれども、とても重要な人として、アーチ−・シェップ兄さんでございます。

コルトレーンが活躍した1960年代は、彼を中心にした”新しいジャズの人脈”がシーンに大きく形成された時代でもありました。

特にコルトレーンは、セシル・テイラー、オーネット・コールマンらと共に、それまでの「心地良く聴くジャズ」の概念からちょいと逸脱した、いわゆる”ニュー・ジャズ”(後にフリージャズと呼ばれるよ)の有力な親分として、若いモンにも慕われてましたし、また、彼の所属するレーベル”Impulse!”も、ニューシングを合言葉に、コルトレーンの周囲に集まる個性的で前衛的な音楽性を持っておる若いのを常に探しておりましたので、彼らはコルトレーンの知己を得て、Inpulse!からレコード・デビューというのが、ジャズの世界のひとつの流れとして形成されておりました。

そうやって梁山泊のようなImpulse!に集まってきた若手フリージャズ・ミュージシャンといえば、アルバート・アイラー、ファラオ・サンダース、マリオン・ブラウン、そしてアーチー・シェップであります。

で、アタシはこのアーチー・シェップという人、個人的に”シェップ兄さん”とつい呼んでしまうぐらい好きです。

何でかっつうと、コノ人は非常に人間臭い。

や、アイラーもファラオもマリオンも、とても魂のたぎったヒューマンな音楽をやっていて、人間臭いという意味では他のジャズマンよりも頭3つ分ぐらい飛び抜けた人達ではあるんですが、コノ人達はミュージシャンというよりは修行僧とかそんな感じの人達です。

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(左からアルバート・アイラー、ファラオ・サンダース、マリオン・ブラウン)

何というか、彼らは非常にピュアで素朴な人達で、演奏を聴いてもキャリアを見ても、もう生粋の、根っからの音楽バカというか、音楽や表現の事に対して、余計なことは一切考えずにまっしぐらに突き進むタイプなんですね。個性は違えど、コルトレーンとは”同種”でありましょう。


で、そんな中一人異彩を放つシェップ兄さんはどうか

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うん、写真で見ても、ミュージシャン、運動家、活動家、頭の切れるヤクザの若頭、不動産屋、カネ持ってる寺の住職の普段着・・・。見ようによっては何にでも見えてしまう、でもキャラだけは強烈に濃い。そんな風情がありますねぇ。

実際にシェップ兄さんは、音楽的にも時代時代で様々な変換を経ております。

ザックリと

・(60年代)フリージャズの闘士としてバリバリに激烈な演奏をしてた。アフリカ音楽の要素もちゃっかり取り入れてた

・(70年代)”ブラック”をキーワードに、ソウルやファンク寄りの演奏を繰り広げる。アフリカ音楽に接近した演奏もちゃっかりやってる

・(80年代〜今)フリーやブラックな感じを上手に残しつつ、スタンダードやバラードを、オーソドックスなスタイルで吹いている

な感じで、割とその時代その時代の”注目されるもの””受け入れられそうな感じ”に敏感な嗅覚を活かしてスタイルを変えて対応していった感がしないでもないです。


そして、デビューからコルトレーンが亡くなる前後、兄さんは影響力のあったコルトレーンに必死で近付いて、そのネームバリューを自分のためにガンガン活用していったフシもあるんですよ。

節目節目で「○○フォー・トレーン」というアルバムを出しているし、コルトレーンの『アセンション』『至上の愛』ではスタジオに入ってるし(呼び集められた『アセンション』はともかく『至上の愛』はカルテットの録音なのに何故?という気がします)、多分何かコルトレーンの動向を掴んで「やぁやぁ、遊びに来ましたよ」といった具合に押しかけていったんでしょうな。

悪くいえばあざとい、抜け目ない。思いっきり計算に基づいた俗っぽい感覚で、ピュアでまっすぐな人の多いコルトレーン一家の中で”ワシがワシが”のズカズカ丸出しでその地位とスタイルを確立したシェップ兄さん。

こう書くとディスってるとか思われそうですが、アタシはそんな俗っぽいところこそがコノ人の魅力であり、シェップ兄さんの抜け目のなさが、ともすれば閉鎖的なものになりがちな前衛ジャズのシーンの実際に起爆剤になり、色んな層の人達に、そういう音楽も聴くきっかけを与えたと信じております。

それに、無節操にやるのも、コルトレーンみたいな音楽に対してストイックな人に、自分をズカズカで売り込んでその成果をモノにするのも、長いキャリアを音楽家として生きていくのも、並外れた実力がないと出来んことだと思うのですよ。

何よりシェップ兄さんは時代毎にスタイルは変えましたが、プレイそのもの、特にテナーの音色自体は一貫して火傷しそうなぐらいアツくて八方破れでずーーっと一貫してます。そしてどんなスタイルの音楽をやろうが、根っこのところに濃厚な”ブルース”を感じさせてくれます。だから皆さん、シェップ兄さんを聴きましょう♪






【パーソネル】
アーチー・シェップ(ts)
アラン・ショーター(flh)
ラズウェル・ラッド(tb)
ジョン・チカイ(as)
レジー・ワークマン(b)
チャールズ・モフェット(ds)

【収録曲】
1.シーダズ・ソング・フルート
2.ミスター・シムズ
3.カズン・メアリー
4.ナイーマ
5.ルーファス


さて「コルトレーンとの重要な関係」という意味で本日皆さんにご紹介するのは、兄さんがコルトレーンの推薦でImpulse!とめでたく契約を交わしてリリースした最初のアルバム「フォア・フォー・トレーン」であります。

「オレはコルトレーンとこんなに親しいんだぜ!」と言わんばかりのタイトルにジャケットで、あぁ最高とウットリしますね。で、中身もオリジナル曲の「ルーファス」を除いて全部コルトレーン・ナンバーで固めた、戦略仕様で、「で、どうなんだ?」と思うんですが、これが実にオリジナルな、シェップ兄さんの個性/俺節が炸裂しておるんです。

この人の個性は一言で言うと

「トラディショナルなアレンジに破天荒なアドリブ」

です。

テナー、アルト・サックス、フリューゲル・ホルン、トロンボーンの4管をフロントに配した重厚なアレンジで、リズムや展開そのものは、モダン・ジャズ以前のスウィングっぽいというか、実に地に足の付いた安定感があります。

で、しっかりしたリズム、しっかりしたホーン・アンサンブルをバックにシェップのソロがアドリブでブルージーな「ゴリゴリギャリギャリ〜!」という金属音をけたたましく響かせながら徐々に、そして瞬間的にぶっ壊れてゆく、その壊れ方が快感のツボにビシバシはまってくるんですね。

しかも、それぞれの曲をオリジナルのコルトレーンの演奏で聴くと、とってもシャープで都会的な感じがしますが、それらをまるで昔からジャズのスタンダードとして当たり前にある曲であるかのように、土着のブルース・フィーリングをドロドロに絡めて「さぁ喰らえ!」とガンガン叩き付けてくるからもうたまらんのです。

アーチー・シェップという人は「コルトレーンに影響を受けて自分もそうなろうと思った人」ではなくて、コルトレーンという色んな意味で大きな影響力を持っていた人に、野心ギラギラで自分自身の個性を遠慮なくぶつけていきながら、ミュージシャンとして成長を重ねた人なんだろうなぁと思います。やっぱりとても人間臭いですね。



”アーチー・シェップ”関連記事




『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2017年08月12日

デューク・エリントン&ジョン・コルトレーン

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デューク・エリントン&ジョン・コルトレーン
(Impulse!/ユニバーサル)


2000年年代以降「リスペクト」という言葉を若い人達が使うようになって、アタシは凄く嬉しく思っております。

リスペクトっていえば、尊敬とか敬意を払うということですね。はい、尊敬とか敬意とかいうのは、人間関係の根幹であり、最も深い部分に美しく根ざすものだと思うんです。

家族や友達など、近しい間柄での信頼に根差したリスペクトも素晴らしいですが、やっぱりアタシは、年齢とか趣味とかものの考え方とかが違っても、どこか尊敬できるものを他人に感じる「いや、あの人とは考え方違うけど、正直凄い人だと思う」とかいうのこそ、大いなる敬意、つまりリスペクトだと思いますね。

さてここに、そんな”リスペクト”に満ち溢れた素晴らしい一枚のアルバムがあります。

タイトルは『デューク・エリントン&ジョン・コルトレーン』。

はい、戦前からジャズの代表的なビッグバンド・リーダー、ピアニストと呼ばれ、ずっと人気と尊敬を一身に集めてきたデューク・エリントンと、戦後60年代以降の”新しいジャズ”のリーダー格として売り出し中だったコルトレーンとが、年齢やスタイルの違いを越えて、美しい音楽を魂と魂の大いなる交感で作り上げた素晴らしい作品です。

録音年月日の1962年9月26日といえば、コルトレーンが丁度『バラード』を録音していた時期ですね。つまりこのアルバムはレーベル側の

「ジョン、アグレッシブないい感じのアルバムは結構出したから、そろそろ落ち着いて聴けるバラードか何かでも作ろうか。古くからのジャズファンにも”お、アイツはちゃんとしとる”って思われるようなジャズアルバムをさ」

といった意向に沿ったものと思われます。

レコーディングはたった一日だけ、しかしあのエリントン(当たり前ですが当時どのミュージシャンからも尊敬されていました)が来るとなれば、コルトレーンのテンションはかなり上がったでしょう。

エリントンにしてみれば

「あぁ、そういえばインパルスのボブ・シールがスタジオに来てくれって言ってたな。誰のレコーディングだったか・・・。あぁそうそう、ジョン・コルトレーンとかいう子だよ。私はよく知らないが、ジョニー(ホッジス)のバンドに一時いた若い子らしいね」

ぐらいのもんだったと思いますが、エリントンの偉いところは、相手が若造だろうがよく知らない相手であろうが、「あ、コイツの音楽は本気だな」と分かればスッと懐に入って行って、一人のミュージシャンとしてそれに応えるところであります。




【パーソネル】
デューク・エリントン(p)
ジョン・コルトレーン(ts,ss)
アーロン・ベル(b)
ジミー・ギャリソン(b)
サム・ウッドヤード(ds)
エルヴィン・ジョーンズ(ds)

【収録曲】
1.イン・ア・センチメンタル・ムード
2.テイク・ザ・コルトレーン
3.ビッグ・ニック
4.スティーヴィー
5.マイ・リトル・ブラウン・ブック
6.アンジェリカ
7.ザ・フィーリング・オブ・ジャズ


実際に、このアルバムのセッションも、ジャケットが表すように緊張しているコルトレーンのところにェリントンがスッと寄って行って

「大丈夫だよ、君は君のスタイルでやればよい。君はサックス奏者だろう?なら私は君のプレイが映えるような伴奏をしよう」

と、優しくささやきながら行っているかのようであります。

アルバムにはのっけから名演が入っておりまして、美しいピアノが心地良い静かな時間の流れを導き、それに呼応するテナーが上質な歌を紡いでゆく「イン・ア・センチメンタル・ムード」。もうこのアルバムがどんなアルバム?って問いには「これをお聴きなさい」で全て答えられるぐらいの美しいバラードです。

この曲はエリントンが、看板ソロイストであったジョニー・ホッジスの、甘くとろけるようなアルトをフィーチャーした演奏を多く残した、いわばエリントン版「サックスのための協奏曲」とでも言える曲です。

しかも、そのアルト奏者のジョニー・ホッジスというのは、サックスを始めたばかりの頃のコルトレーンにとってはもう神様みたいな憧れのアイドル。で、目の前にいるのはホッジス通り越してデューク・エリントン。

そのデュークが「イン・ア・センチメンタル・ムードをやろうか。君、吹いてごらん」とニコニコして言ってる。普通に考えて何この神シュチュエーション!という事態でしょう。

で、ここからが”リスペクト”です。

コルトレーン、恐らくはエリントンやホッジスに対する、もうほぼ万感に近い思いをテナーに込めて吹いてます。当たり前ですがいくらホッジスに憧れてて、エリントンに並ならぬ敬愛の念を持っているからといって、まんまホッジスのようなスタイルではやらない。それやるとかえって失礼だということを心得ているコルトレーン。彼のテナーから芳香と共に放たれるのは、繊細でシャープな輪郭の、まぎれもなくコルトレーンのトーンとメロディです。

2曲目以降も、終始リラックスした極上の雰囲気の中、両者互いに敬意を払いながら、絶妙に自分のスタイルを織り交ぜながら演奏をしております。

コルトレーンがソロを吹いている間はバッキングに徹して、しかも絶妙な”間”と”空間”をそこに敷いてゆくエリントンのピアノ、本当に素晴らしいですね。そのエリントンの”間”を察知したコルトレーンも、どの曲でも吹き過ぎず、得意の”シーツ・オブ・サウンド”奏法の核の部分だけを抽出したような、中身の濃い演奏で聴かせてくれます。

レコーディングの最中、緊張でうまく表現できないと悩んだコルトレーンは「もう一度録音していいですか」と、切羽詰まった感じで言ったそうですが、エリントンは「どうしてもう一度録るんだい?一度やって素晴らしい演奏が録れた。それで十分じゃないか」と答え、コルトレーンは自分の一番痛いところを突かれた上で、ジャズの極意を諭されたような気持になったといいます。

たった一回のセッション、全曲ワン・テイク。そしてコルトレーンのことをよく知らないエリントン。もし、何度かレコーディングを重ねたら、コルトレーンにも”激情スイッチ”が入ってガンガンに吹きまくる展開があったでしょうし、それに応えたエリントンが「マネー・ジャングル」で見せたような本気を出して、コルトレーンをねじ伏せる瞬間もあったかも分かりません。

でも、アタシはこのアルバムに関しては、この距離感、このお互いに敬意を払い合いながら音楽的な”優しさ”の部分を絶妙な間合いで溶け合わせた演奏こそが至福だと思います。









posted by サウンズパル at 11:54| Comment(0) | 大コルトレーン祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月09日

マリオン・ブラウン ラ・プラシータ 〜ライヴ・イン・ヴィリサウ

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マリオン・ブラウン・カルテット/ラ・プラシータ 〜ライヴ・イン・ヴィリサウ
(Timeless/Solid)

1960年代に”フリー・ジャズの闘士”としてデビューし、世に紹介されながら、その実全然闘士じゃない。

たとえばコルトレーン史上最大の過激な問題作とされる『アセンション』に名を連ねる11人衆の一人として参加しながらも、激烈だったり先鋭的だったり猛烈だったりする他のホーン奏者達の中で、一人「ぱら〜ひゃら〜」と、何ともいえないユルさを醸すアルト・サックスを吹いていたのがマリオン・ブラウン。

アタシは『アセンション』や、アーチー・シェップの『ファイヤー・ミュージック』という、これまたImpulse!レーベルに録音された60年代の過激派ジャズの名盤と言われるアルバムなんかでこの人を知って、そのアブストラクトな音楽解釈と、別の次元のユルさやのどかさを感じさせるちょっと変わった音楽性と、繊細で澄み切ったアルトの音に惚れて、大好きになったアーティストです。

1930年代にアメリカ南部のジョージアで生まれ、ミュージシャンを目指してニューヨークへ出てくるも、どうやら仕事がなかったようで、古本屋の店員として働いてたら、その古本屋に常連として来ていたのがコルトレーンやアーチー・シェップ、ファラオ・サンダースとかいう人達で、文学や哲学、絵画や演劇など、彼らが欲する芸術関連の事柄に博識な店員さんのマリオンと親しく話すうちに、彼が実はミュージシャン志望で、アルト・サックスを吹くという事が判明し、コルトレーンが

「マリオン、君アルト吹くんだって?」

「うん、ちょっとね。一応学校で音楽理論とかの勉強もしたよ」

「そっかぁ、君は芸術全般に深い知識を持っているから、きっと個性的な演奏も出来るんだろう」

「いやぁ、勉強して理論は得意なんだけど、下手くそだからそっちの仕事にはなかなかありつけないんだ」

「(聞いてない)俺ね、今度新しい感性持った連中と一緒にアルバム作ろうかと思ってるんだ(メンバーにはまだ言ってないけど)。よかったら君参加してくれよ」

「え?いやいや、ボクは本当に下手だよ。君と一緒になんてそんな・・・」

「大丈夫、ホーン奏者は俺も入れて全部でえーっと・・・結構な人数いるから、好きに吹いてくれればいいから」

「え?いや・・・あの・・・その・・・」

といった具合に、半ば強制的に誘われて参加した『アセンション』のセッションが、マリオンのレコードデビューだったんですね。

で、マリオンはやっぱり演奏は下手です。

や、こんなこと言うと語弊があるかも知れませんが、この時期はみんなが基本として習得していたビ・バップの複雑で速いスケール展開を、もしかしたらちゃんと習得してなかったんじゃなかろうかと思えるフシがあります。

ただ、音色はそんじょのサックス吹きに負けないぐらい透明で美しく、何より「ぷわー」と吹くフレーズそのもので情景を描くセンスみたいなのは、ちょっと他の誰とも似ていないぐらい個性的で、磨かれたセンスがあるのです。

マリオンは、そういう意味で単なるアルト・サックスの演奏家というよりは、トータルな音世界を描く芸術家と言った方が良いでしょう。

『アセンション』の後はESPレーベルから実験的なソロ・アルバムを出し、そこで形式的には”フリー・ジャズ”とカテゴライズされてもいいような自由な即興演奏を聴かせてくれますが、やっぱりどんなに力んで過激なフレーズを吹こうとしても、どんなにアブストラクトにメロディーを解体しようとしても、この人の演奏からは、どこかのどかで大らかで、そしてすごくすごく繊細な、絵画のような心象風景が淡く浮かびあがってくる。

これに感動したアタシは、いつしかマリオン・ブラウンを”癒し系フリー・ジャズ”と呼ぶことになりました。

アメリカ南部のジョージアで生まれ育ったマリオンは、小さい頃から教会の土着的なゴスペルや、街にやってくるブルースマンやストリング・バンド、或いはまだ南部では消えていなかったメディスン・ショウやボードヴィル・ショウ(行商隊が大道で客寄せのために行う音楽とか演劇とかそういうやつ)なんかもちっちゃい頃に見ておったでしょう。

そういうアメリカ南部という土地で吸収したものを、持ち前の知識と感性で、幻想的に吐き出すことを、彼は最初から”ジャズ”というジャンルを通り越して表現したかったのかも知れません。

70年代になると

「よし、俺はこれでいいんだ」

という清々しい開き直りが出てきて、トータル・コンセプトに優れた、まるで映画のサウンドトラックのような、ジャズありポエトリー・リーディングあり、アフリカンテイストあり、クロスオーバーありの、美しい美しいアルバム達を、世に送り出すようになるんです。

そして70年代後半、自分が作曲した過去の曲やジャズのスタンダード・ナンバーを、今度は自分のアルト・サックスを中心に、シンプルなバンド編成で演奏することに目覚めて、ライヴやレコーディングに精を出すんですが、今日ご紹介するのはその中でも「あれはいいよね〜♪」と、何となく聴く人みんなを幸せな気分にさせてくれる素敵なライヴ・アルバム。





【パーソネル】
マリオン・ブラウン(as)
ブランドン・ロス(g)
ジャック・グレッグ(b)
スティーヴ・マクラヴァン(ds)

【収録曲】
1.ラ・プラシータ
2.フォーチュナート
3.ソニームーン・フォー・トゥー
4.ポスコ
5.アイム・ソーリー
6.ソフト・ウインズ

1977年に、スイスのヴィリサウというところで行われたライヴを収録したアルバムですね。

77年といえば、モダン・ジャズのブームはとっくに過ぎて、マリオンらが盛り上げていた前衛ジャズも昔の話。

世の中は空前のディスコ・ブームで、ジャズの人達も、若手の連中はマイルスやハービー・ハンコックに続けとばかりに電気化したポップな音楽をこぞってやっていた頃でありました。

が、マイペースなマリオンは

「それならそれで別にいい」

とばかりにアコースティックな編成(ギターはアンプ通してますが)で、別にロックやファンク要素を強調もしないバンドを引き連れて、世界中の小さなライヴハウスやコンサート会場をドサ回りしたマリオンは、気骨の人といえば気骨の人なんですが、60年代の後半からずっとフランスに住んでマイペースな活動をしていたので、特に世の中の動きとか流行とか、あんま関係ないし別にどうでもいいという気持ちの方が強かったんだと思います。根っからのアーティストであります。

実際の演奏も、そんなマリオンのスタンスがサウンドにもいい感じに表れている、実に自然で肩の凝らないものです。

元々ニューヨークのアンダーグラウンド界隈の住民であった頃も、レコードには「あれ?今のよく聴くとすごくポップじゃない?」という瞬間がちらほらあったどころか、アドリブこそフリーク・アウトするけれども、曲自体はまったり系のカリプソとかだったり、バラードも得意(といってもジャズの人達の”むせび泣く哀愁の”とかそんな感じじゃない、どちらかというと自然界の精霊と交信しているような感じのやつ)だったから、このライヴで再演しているオリジナル曲のカドが取れて、たとえば「ラ・プラシータ」とか、まんま爽やかなトロピカル・チューンになってるの全然違和感ないし、スタンダードのヨレた感じのソウル・ジャズ風味(B)も「いいね、ゴキゲンだね」と自然に聴けます。

で、バックを固めるメンバーの演奏がまた素晴らしいですね、特にギターのブランドン・ロス。

この人は後に80年代のロフト・ジャズ・シーン(というフリー系の流れを組む硬派なジャズですぜ)の中心人物の一人となって、シーンを牽引し、後にプロデューサー/シンガーソングライターとしても才能を発揮する、今の時代のジャズの超大物なんですが、この頃はバークリー音楽院を中退してブラブラしているうちにアーチー・シェップに誘われてプロデビューしたばかりで、そのギター・プレイも若さと、狭い意味での”ジャズ”にも、狭い意味での”前衛”にも囚われない、明るい自由さを感じさせるプレイであります。

特に音色がトロンとしたトロピカルな雰囲気を醸しておりまして、この音色と、ソロフレーズもバッキング・フレーズも常にゆるやかにアウトしているんで、その辺の間隔も演奏中の呼吸もマリオンとはぴったりなんです。

ベースのジャック・グレッグも、ドラムのスティーヴ・マクラヴァンのプレイも、リーダーのマリオンのコンセプト、というかそのユルい性格を熟知しているかのように変幻自在で、ビートの定型はきっちりしっかり守っていながらも、いわゆる紋切型の4ビートは一切やりません。

だからアルバム全体通して聴いても、全く個人的な感想ながら、どこかアフリカとかハイチとかドミニカとか、そういうところの現地バンドの人達が、ジャズをベースにした自分達のオリジナルな音楽を楽しみながら演奏しているようで窮屈さはゼロ。

ものっすごく気合いの入った名盤!という訳でもないし、息を呑むような超絶ウルトラプレイが聴けるアルバムはないです。

でも、聴いている人の気持ちを何となく「いいなぁこれ」と幸せにしてくれるアルバムであることは確かです。

あ、そんなこと言ったらマリオンのアルバムって全部そんな感じなんですよ。そこがいいんだよなぁ・・・♪



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2017年08月07日

ジョン・コルトレーン&ジョニー・ハートマン

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ジョン・コルトレーン・アンド・ジョニー・ハートマン
(Impulse!/ユニバーサル)


コルトレーンを聴いていると、どんな時期のどんな演奏でも

「あぁ、やっぱり”うた”だなぁ」

と、深く思います。

特に亡くなる直前の激烈な演奏は、やもすると原曲をけちょんけちょんに破壊して、やりたい放題のめちゃくちゃをやっているかのように聞こえる人もおるでしょう。

実際アタシも晩年のコルトレーンの演奏は、特にコルトレーンとファラオの凄まじい絶叫合戦で得られる本能的なカタルシスを求めて聴いております。

でも、ガーーー!と激しい演奏のふとした瞬間に「あ、今のメロディ・・・」と、死ぬほど美しくて儚いものあ、一瞬表れてはまたすぐに、音のガレキの洪水の中に消えていってしまうんです。

この切なさですよ。

気が付くと、死ぬほど激しい演奏の中に、そんな切なさを必死で追い求めるようにコルトレーンを聴きまくり、アルバムを集めまくっている自分がおりました。

あのですね

ジャズって究極に言えば切ない音楽。

その切なさは、コルトレーンだろうがマイルス・デイヴィスだろうが、ルイ・アームストロングだろうが、とにかくジャズマンと呼ばれる人達が、色んな形で持っている共通の影みたいなもの。

モダン・ジャズのノリノリの曲でも、スウィングの陽気な演奏でも、フリー・ジャズの激しい演奏でも、ふと気がつくと

「あ、今切ないのが通り過ぎていった」

という感覚にヒリッとすることってあるんです。

その切なさの正体を、アタシは未だ”これ!”と定義することはできません。

ミュージシャン個人の波乱万丈の人生から抜け出して、演奏に宿った何かかも知れませんし、ジャズという音楽が生まれた時にどこかからやってきて棲みついたものかも知れません(たとえばブルース)。

アタシは思います。コルトレーンという人は、どこかでその”切なさ”に憑り付かれ、気が付けば夢中になって、それこそ様式も何もかも投げ捨ててそれを追うためにまっしぐらに走って行った人なんじゃないかと。

僅か10年ちょっとのソロ・アーティストとしてのキャリアの中で、いくら時代がそうだったとはいえ、余りにもめまぐるしくスタイルを変えておりますし、アタシら素人がたとえば50年代のモダン・ジャズなコルトレーン聴いて

「かっけー!この路線でずっとやってても全然歴史に名前残るー!」

と、思っても、当のコルトレーンに”これでいい”という文字はなかった。

音を聴いている限りコルトレーンには、売れるため、満足のため、或いは名声のために音楽やっている感じがこれっぽっちもしない。

特に自分のカルテットを組んだ1961年以降は、そんなコルトレーンの”まっしぐら”に拍車がかかっておるようで、それこそそのサウンドには、聴いてる方も夢中で必死で喰らい付くように聴いてしまう。で、その激しさや荘厳さでたくさんデコレートされた演奏の中から立ち上る「あ、切ない・・・」と聴いてまたコルトレーンが聴きたくなる。

無限ループしそうなので、コルトレーンの、その切ない切ない”うた”に話を戻しましょう。

実は自分のバンドを結成して、続けざまに激しくディープで、ある意味ドロドロなアルバムをリリースしていたコルトレーンが、ふと原点に戻った”うた”をストレートに聴かせてくれるアルバムをまとめてレコーディングしていた時期がありました。

1962年に録音された『デューク・エリントン&ジョン・コルトレーン』、ジャズ名盤としても有名な『バラード』、そして翌1963年にヴォーカリストのジョニー・ハートマンを迎えて作られた『ジョン・コルトレーン&ジョニー・ハートマン』であります。





【パーソネル】
ジョン・コルトレーン(ts)
ジョニー・ハートマン(vo)
マッコイ・タイナー(p)
ジミー・ギャリソン(b)
エルヴィン・ジョーンズ(ds)

【収録曲】
1.ゼイ・セイ・イッツ・ワンダフル
2.テディケイテッド・トゥ・ユー
3.マイ・ワン・アンド・オンリー・ラヴ
4.ラッシュ・ライフ
5.ユー・アー・トゥー・ビューティフル
6.オータム・セレナーデ

さあこれからガンガン激しい方向へ進むぜ!

と、気力がみなぎっていたコルトレーンが、何故急に、しかも集中的にオーソドックスなジャズのスタイルで、バラード・アルバムを3枚もレコーディングしたのでしょう。

それについては余りに自分の世界に突っ走りがちなコルトレーンを、レコード会社側が心配して

「そういうのは後でたくさん録音させたげるから、ここらでひとつ一般の人にも聴きやすいアルバムを作らないか?」

と提案したとか、コルトレーンのマウスピースの調子が悪くて、激しい演奏が出来なかったからとか(『バラード』の時)色々言われておりますが、アタシは恐らく前者じゃないかと思います。

とにかく、コルトレーンの音楽をまずは知らない人にも多く聴いてもらうために、有名スタンダードばかりを集めた聴き易いアルバムを作ったり、ジャズファンやミュージシャンの誰もが敬愛するデューク・エリントンと共演させたり、「黒いシナトラ」と呼ばれ、耳のうるさいファンや批評家連からも高い評価を得ていた、ムーディーな歌謡を得意とするジョニー・ハートマンと組ませたり、とにかく試行錯誤してアルバム3つも作ったImpulse!プロデューサー、ボブ・シールの苦労はどれほどだったろうと思いますが、コルトレーンが素晴らしいのは、このいずれのアルバムでも、不満を感じさせることなく、素直な本気を切々と、スタンダードの美しい調べに乗せて聴かせてくれることであります。

ジョニー・ハートマンとの共演は、よくある”ヴォーカリストの伴奏をコルトレーンがする”というのではなくて、歌とサックスが完全に対等に、演奏の中で寄り添い合って、そしてハートマンのなめらかな憂いに満ちたバリトン・ヴォイスが、コルトレーンの中〜高音域をやるせなく行き来するテナーと、この上なく美しいハーモニーを奏でております。

このアルバムを聴くまでは、恥ずかしながらジョニー・ハートマンのことは知らず、あろうことか男性ジャズ・ヴォーカルはどうも親父臭くて苦手だとさえ思ってました。

が、やっぱりスタイルとかは関係ないんですね。

コルトレーンはインタビューで

「ジョニー・ハートマンという、全然すたるの違うヴォーカリストと共演したわけだが、彼の印象は?」

と訊かれ、一言

「バリトンだ」

とだけ答えたそうですが、コルトレーンが恐らく求める”切なさ”を、この人の声は持っている。たとえば「When I 〜」とハートマンが一節歌ううだけで、その場の空気は何か深い紫色に染められてからセピアに変わるみたいな、そんな色彩を感じさせるものです。

ハートマンの歌を受けて、一音一音丁寧に、噛み締めるように出てくるテナーのフレーズは、言葉を追いかけて飛んで行っては消えてゆく生き物のようであり、それ聴くだけでもコルトレーンが、ハートマンの声に言葉にならない程に深い何かを感じ、それに呼応していったのが分かります。

それこそインタビューで「どうだった?」と訊かれて「はいはい、さようでございますね、えーこれこれこうでした」って答えられるようじゃ全然感情移入した演奏じゃない。だからコルトレーンはハートマンの声を追っていくうちに夢中になって自我がとろける快感に浸っていたんじゃないでしょうかね。

どの曲もスローテンポで、や、これはもう曲がどうとかそういう類のものではなく、ただひたすら流して切なさに浸りながら、自然と遠い目になるためのアルバムです。もう何十回、何百回聴いてますが、このアルバムに終始ゆんわりただよっている、優しくもヒリヒリした切なさの正体を上手く言い表せる言葉を私はまだ持っておりません。







(名盤『バラード』はコチラ↓ やっぱり2枚1組で聴いてほしいのです)




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『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』


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2017年08月06日

マディ・ウォーターズ The Complete Plantation Recordings

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Muddy Waters/The Complete Plantation Recordings
(Chess/MCA)


小説や漫画とかで、いわゆるスピンオフというやつですか。主人公達の物語が始まる前の世界を書いた作品というものがありますね。あぁ、この出来事が原作のあの場面に繋がっていくんだ。とか、主人公の師匠の若い頃はこんなだったんだ・・・とか。

そういう風に、どんな物語も「それ以前のストーリー」というものがございます。

それは音楽の世界でも同じで、偉大なミュージシャンとか、巨人とか帝王とか呼ばれるようなアーティストにも、下積みやブレイク前の時代というものがあるわけですね。

ブルースの世界で「とてつもない巨人」といえば、これはもうシカゴでエレクトリックなバンドブルースの時代を切り開いたマディ・ウォーターズです。ギラギラに黒光りするエレキギターのスライドを弾きながら、貫禄いっぱいに野太くブルースを歌う王者マディ。

そもそも歌がどうとかギターがどうとか、そんなことよりも彼の内側から湧き出てくる膨大な質量のブルースの凄味、その底無しの説得力に、アタシらはもう息を呑んで圧倒されるしかないのですが、もちろんそんなマディも、シカゴに出てくる前はミシシッピの片田舎の農場で週末にギターを弾き、サン・ハウスやチャーリー・パットン、そしてロバート・ジョンソンといった先輩ブルースマン達がやってくると嬉々として演奏を聴きに行き、その歌の表現やギターの演奏法を見て学んでいた時代というのがあったんです。

1942年のある夏の日、ミシシッピ州のストラーヴァル・プランテーション(農場)に一人の紳士がやってきました。

彼の名は民俗学者アラン・ロマックス。

父のジョン・ロマックスと共に、主に政府や連邦議会図書館からの依頼を受けてアメリカ全土を旅しながら、各地に暮らす様々な人種の音楽をレコーディングしていたアランは、今回も国会図書館から

「南部の黒人音楽をレコーディングしてきてほしい」

という依頼を受けたのでした。

アランはこの時、当初からその噂を耳にしていた人物のレコーディングをしようと、その男を探しておりました。

その男の名はロバート・ジョンソン。

「とてつもなくギターが上手い」

「悪魔に魂を売った男だから関わらない方がいい」

「どんな曲でも一度耳にしたら弾けてしまう不思議なヤツだ」

ミシシッピ周辺の酒場やジューク・ジョイントに行けばロバート・ジョンソンの噂がささやかれ、それはロマックス親子のニューヨークのオフィスにも南部から届いてきておりました。

その亡霊のような不思議な存在感を持つブルースの化身のような男の声を、アランは何としても歴史の記録として残しておきたかったのですが、南部に入り、ミシシッピで聞き込みをしている時に

「旦那、ロバート・ジョンソンを探してるんだって?生憎だがヤツは死んだよ。・・・殺されたんだ」

というショッキングな事実を聞かされます。

「何だって!?ちくしょうせっかくレコーディングに来たのに・・・」

と、ガックリのアランでしたが、親子二代で培った”探し屋稼業”の血が、彼を手ぶらでニューヨークにすごすごとは帰らせませんでした。

それならロバート・ジョンソンのようなスタイルでブルースを歌うヤツを探し出してソイツを録音してやろう!と、執念を燃やしたアランは周辺で更に聞き込みを開始。

「あぁ、そういうヤツやら一人いるね。ストーヴァル農園に行ってみな、マディ・ウォーターズって呼ばれてる男がいいスライドを弾くぜ」

という情報をようやく得て、勇んでその農園に車を走らせたアラン。

農場の食堂で、周囲の「誰だ?」「警察か?」「密造酒のガサか?」という警戒の目に晒されて待っていたところに、がっしりした体格の、やたら風格のある一人の男が入ってきます。

「おい、何か妙な旦那がお前を探してるって・・・」

「何だって?」

「レコーディングがどうとか言ってるんだが、よくわかんねぇ。とにかく面倒はごめんだぞ」

「・・・あぁ」

そんな感じでヒソヒソと若いモンと話してアランのテーブルにその青年はゆっくりと腰掛けました。

「ようこそ旦那、俺の名前はマッキンリー・モーガンフィールド。ここいらじゃ”マディ・ウォーターズ”って呼ばれてるちったぁ知られたギター弾きでさぁ。で、今日は何の用ですかい?」

南部黒人の皆がやっているようにうやうやしくへりくだり、しかし警戒の目と威圧感を緩めない、一目で”できる男”の貫禄を、全身とその態度から漂わせている若き日のマディに、アランは「あぁ、コイツはタダ者ではない」と直感したアラン。

持参したギターを見せて「まぁ一杯どうだ」とバーボンを勧めながら丁寧にレコーディングをしたい旨を話しました。

密造酒の取り締まりか、身に覚えのない犯罪の嫌疑だろうと最大限に警戒していたマディは、アランの持ってきたギターとその真摯な説明を聞いてようやく警戒を解き、杯を重ねつつ生い立ちやブルースのことなど、アランの事細かい質問に、しっかりした言葉と態度で丁寧に答えたといいます。

都会からやってくる白人の音楽関係者も、最新式の録音機材(SP盤)も、マディにとっては生まれて初めて目にするものでありました。





【収録曲】
1.Country Blues(version1)
2.Interview #1 -
3.I Be's Troubled
4.Interview #2
5.Burr Clover Farm Blues
6.Interview #3
7.Ramblin' Kid Blues
8.Ramblin' Kid Blues
9.Rosalie
10.Joe Turner
11.Pearlie May Blues
12.Take A Walk With Me
13.Burr Clover Blues
14.Interview #4
15.I Be Bound To Write To You(version1)
16.I Be Bound To Write To You(version2)
17.You're Gonna Miss Me When I'm Gone(version1)
18.You Got To Take Sick And Die Some Of These Days
19.Why Don't You Live So God Can Use You
20.Country Blues(version2)
21.You're Gonna Miss Me When I'm Gone
22.32-20 Blues


そんなこんなで1941年4月、後にシカゴ・ブルースのボスマンとなり、ブルースの歴史を大きく変えたマディ・ウォーターズの初めてのレコーディングが、農場の食堂で行われました。実にこの時マディ・ウォーターズ28歳。

もちろんこの時点でマディはシカゴに出て音楽で生計を立てることなど考えておらず、アラン・ロマックスもまた、この男が後にブルースを代表する大スターになるなんて思ってもおりませんでした。

もちろんこの頃のマディは、近隣では名が知れ渡ってるとはいえ、昼間は農作業に勤しむアマチュア・ミュージシャン。

アランもまた、レコード会社の人間ではなく、レコーディングの目的はあくまで

「南部の日常に生きる黒人音楽をありのまま、資料として記録すること」

でした。

しかし、これが結果として大成功でした。

マディのスタイルは、ロバート・ジョンソンというよりもむしろ、更に前のサン・ハウスやチャーリー・パットンからのストレートな影響が濃厚な、タフで野太い純正デルタ・ブルース。

セッションはアラン・ロマックスによるマディのインタビューを挟んでの弾き語りに始まって、当時コンビを組んでいたギター&フィドル奏者サン・シムズをメインにしてのストリング・バンド形式のものや、チャールズ・ベリーのセカンド・ギターを付けたものなど、実に戦前のミシシッピ・デルタ地帯で日常的に歌われ、演奏されていたであろうブルースやバラッド(ブルース以前のフォークソング)の見本市のよう、バラエティ盛りだくさんの内容であります。

弾き語りでは後のヒット曲となる「l
Feel Like Going Home」や「l Can't Be Satisfied」の元になる演奏が聴けるだけでなく、エレキ持ってバンド組んで以降は"ここ一発"のリフやソロの時にタメて斬り込むスタイルになったギターが、アコースティックでは唄のバッキングを、パーカッシブなサン・ハウス・スタイルでガツガツ弾かれているところに注目してド肝を抜かれてください。

当たり前ですがマディ、ギター凄まじく上手いです。


そして「リアルな戦前ミシシッピ・ブルース」という意味では中盤のサン・シムズを中心にしたセッションが素晴らしい。

曲調はのどかで牧歌的ですらあるのに、演奏の冒頭からガラの悪い掛け声、これが演奏中にも度々出て来て、なんというか雰囲気最高なんです。

戦前ブルースといえば、戦後のフォーク・ブルース・ムーヴメントの折に再発見された人達の、渋かったり飄々としてたりのイメージから、何となくのどかで静かなイメージを勝手に抱いてましたが、このガラの悪さ、音だけじゃなく罵声奇声でガンガン煽りまくる演奏スタイルに

「あぁ、やっぱりブルースは昔からヤクザな連中のヤバい音楽だったんだな」

と、嫌でも納得してしまいます。

ちなみにサン・シムズは、戦前はチャーリー・パットンの相棒としてコンビを組んでいた人で、演奏中にガヤやセリフを言うことの多かったパットンとは、即興の掛け合いでもって、今で言うフリースタイルのようなガヤ芸をジューク・ジョイントでしょ炸裂させてたんでしょう。うん、ガラ悪くて最高です。


映画『キャデラック・レコード』は、マディのこのレコーディングの場面が出て来て、この時の録音盤でマディが初めて"自分の声"を聴いて、音楽で身を立てる決意をしてシカゴへ旅立った、という描かれ方をしています。

事の真偽はともかく、マディはこのレコーディングの後すぐにシカゴへ出ております。

もし、ロバート・ジョンソンが死んでおらず、マディがアラン・ロマックスと出会わず、レコーディングが行われてなかったらブルースの歴史は戦後まるで違う展開になっていたでしょう。




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