2017年12月30日

ユタ・ヒップ・ウィズ・ズート・シムズ

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ユタ・ヒップ・ウィズ・ズート・シムズ

(BLUNOTE/EMIミュージック)

はい皆さん、2017年もあっという間で残り僅かとなっておりますが、如何お過ごしでしょう。

アタシはいつもと変わらず、働いたり動き回ったりしながら、いつもの倍ぐらいドタバタしています。

この数日、ユタ・ヒップについて書いております。ということは集中的に聴いている訳なんですが、いやぁ、こんな年末の忙しない時だからこそ、彼女のひとつひとつの音に丁寧に感情を乗せて奏で、かつしっかりとスイングしてドライブするピアノがやけに沁みて泣けてくるのです。

さて、その実力に見合ったキャリアを積むことなく、故郷ドイツから単身渡米し、名門ブルーノートに3枚の新録アルバムと、ドイツ時代に録音した1枚のアルバムをリリースしながら、2年にも満たない活動にひっそりと終止符を打ったユタ・ヒップの、今日は最後のアルバム『ユタ・ヒップ・ウィズ・ズート・シムズ』を皆様にご紹介します。

ライヴ・アルバム『ヒッコリー・ハウスのユタ・ヒップ』の内容に確かな手応えを感じていたブルーノート・レコードは、1956年7月、この女流ピアニストのスタジオ・アルバムを制作を考えておりました。

が、ユタは確かにピアニストとしてはオーソドックスなバップ・スタイルの中に、秘かに光る個性を持ちながらも、アメリカではまだまだ知名度が十分とは言えず、その上ピアノ・トリオというフォーマットでは、どうにも"押し"が弱く、ブルーノートでの1昨目のスタジオ・アルバムは、人気ホーン奏者と組ませた、少し賑やかな編成で行こうということになりました。

そこで白羽の矢が立ったのがズート・シムズです。

ズートはユタと同じ歳の1925年生まれで、まだハタチそこらの頃からウディ・ハーマン、スタン・ケントンといった大物白人オーケストラを渡り歩き、王道のスイング・テナーのスタイルでは、50年代当時の若手では最強と呼ばれておりました。

ジャズのスタイルがスイングからモダン・ジャズへと劇的に進化した後の1956年になっても、ズートはスタイルをほとんど変えることなく、時代の先端でソニー・ロリンズやスタン・ゲッツら同年代のモダン・テナーのスター達とも余裕で渡り合え、かつ豊かな暖かみに溢れた音色で、バラードやブルースもしっかりと聴かせることの出来る、真の実力派でありました。

資料によるとユタとズートは同い歳で、人見知りのユタもズートとは打ち解けて「一緒に演奏出来たらいいね」と楽しく交わしていたのがきっかけでこのセッションが実現したと書かれています。

多分実際は、当時人気と実力が絶頂にあり、かつ、ブルーノートのオーナー、アルフレッド・ライオン好みの"味のある黒いスイング感"を持っていたズートの作品を何とか作りたかったブルーノート側が

「う〜ん、ズートのレコード作りたいんだよなぁ。でもズートは今Prestigeとの契約があるし、リーダー作は無理か。・・・そうだ、ユタがズートと一緒にアルバム作りたいとか言ってたよな。丁度いいや、彼女のスタジオ盤にはホーンが欲しかったところだし、ユタ・ヒップのアルバムにズートがゲスト参加したってことにすればいいんじゃね?」

と、思い付いたんじゃあないかとアタシは思っております。






【パーソネル】
ユタ・ヒップ(p)
ズート・シムズ(ts)
ジェリー・ロイド(tp)
アーマッド・アブダル=マリク(b)
エド・シグペン(ds)

【収録曲】
1.ジャスト・ブルース
2.コートにすみれを
3.ダウン・ホーム
4.オールモスト・ライク・ビーイング・イン・ラヴ
5.ウィー・ドット
6.トゥー・クロース・フォー・コンフォート
7.ジーズ・フーリッシュ・シングス
8.ス・ワンダフル


(1956年7月28日録音)


で、内容なんですが、そんなブルーノートの思惑がチラチラ見えるぐらいに、見事なまでにズートが主役の作品に仕上がっております。

確かにこの当時は、ピアニストのリーダー作でメンバーのサックスやトランペットが目立ってることは(楽器の性質上)よくあったし、ユタも共演者差し置いてガンガン前に出る果敢な性格ではありません。

必然的にズートは目立ってしまうんですが、実はこのアルバム、トランペットでズートのかつてのバンドメンバーだったジェリー・ロイドという人も参加した2管編成なのですよ。

でも、トランペットやピアノに比べて、明らかにズートのテナーの音が、大きめに録音されてるんですね。

ズートの音は元々太くずっしりした、存在感のある音なんですが、それを考慮してもかなり意図的に目立たせようとしている録音であります。

「さぁ、大きな声では言えないが、あのズート・シムズのアルバムをブルーノートが作ってみたよ。ピアノは売り出し中のユタ・ヒップ。何?聴いたことないって?まぁ聴いてくれ、このコはドイツから来た女の子なんだが、ホレス・シルヴァーみたいな、なかなかに力強いファンキーなプレイをするんだぜ」


と言わんばかりです。

結果として、ブルーノートの「(表向き)サイドマンのズートを全面に押し出す録音」は大成功でした。

とことん豪快で、とことん男らしい優しさに溢れた、ズートのプレイが作品全体の舵取りをして、そこにしっかり寄り添うシンプルなバッキングと、ソロの時の繊細な煌めきに溢れたユタの機知に富んだピアノ、その横で控え目ながら味のあるジェリー・ロイドのトランペット、後ろでズ太い音でしっかりとした弾力あるウォーキングを刻むアーマッド・アブダル=マリクのベース、堅実な4ビート職人、エド・シグペンのドラムが無駄なく鳴り響く、実にバランスの取れた、飽きの来ない編成の妙が終始味わえます。

どの曲もこの時代のモダン・ジャズとして、または味わいの逸品揃いのブルーノートの作品として最高の出来ですが、1曲目のブルース曲『ジャスト・ブルース』と、バラードの『コートにすみれを』が出色ですね。
『コートにすみれを』は、ジョン・コルトレーンが初リーダー作の『コルトレーン』で、ジャズ史に残る名演を残していますが



繊細な音で訥々と愛をささやいているかのようなコルトレーンとはまるで違う、ふくよかな中低域を活かし、饒舌ながら余分な装飾のない、実にセンスの塊のようなズートのアプローチもまた、ジャズ・テナーの歴史に残すべきバラード名演と言えるのではないでしょうか。

ミデァム〜スローぐらいの、聴くにも味わうにも、心地よくノる分にもこのアルバムは最高です。

ユタにとっても、この作品は恐らく上出来で、これをステップにアメリカのジャズ・シーンで華麗な活躍を続けて行くはず・・・だったのですが、ユタはこのセッションの直後に

「アメリカに来て凄い人達の凄いプレイを目の当たりにして、私はすっかり自信をなくしてしまった」

という言葉を残してシーンから消え、二度と音楽の世界へカムバックすることはありませんでした。

ユタは音楽を止めてドイツにも帰らず、ニューヨークの裁縫工場で縫い子として働きながら、絵を描いて生活していたようですが、その後幸運には恵まれず、2003年独り暮らしの粗末なアパートでひっそりと息を引き取りました。享年78歳。

50年代ジャズの、都会的なセンスに溢れた彼女の作品は、どれもそれぞれに違った良さがありますが、改めて聴くとどれも共通する、ほんのりとした、哀しみが沁みます。





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2017年12月27日

ヒッコリーハウスのユタ・ヒップ Vol.2

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ヒッコリーハウスのユタ・ヒップ Vol.2

(BLUENOTE/EMIミュージック)


ユタ・ヒップという人は、ドイツからスカウトされてやってきて、1950年代のキラ星の如く輝くモダン・ジャズの名盤がズラッと並ぶBLUENOTEにおいて、ライヴ盤2枚を含む3枚のアルバムをひっそりと残し、わずか2年にも満たない活動を静かに終えてジャズの世界から姿を消した幻の女性ピアニストでありますが、その確かなピアノの実力、儚い哀愁をヘヴィな音色と強靭なグルーヴで織り交ぜたかのような唯一無二の個性でもって、決して”通好みの味わいあるミュージシャン”では終わらない強烈な存在感をジャズの歴史に刻み付けております。

前回ご紹介しました『ヒッコリーハウスのユタ・ヒップVol.1』は、そんな彼女がアメリカで初めて得た仕事、つまり彼女のピアノに惚れ込んでアメリカのジャズ界に連れてきた評論家レナード・フェザーが契約を取り付けたステーキのお店”ヒッコリーハウス”で行っていた定期ライヴの前半のステージを収めたライヴ盤です。

で、今日皆さんにご紹介する『ヒッコリーハウスのユタ・ヒップVol.2』は、同じ日の後半のステージを収めたライヴ続編なんですが、これがまたVol.1とは違った雰囲気で実に素晴らしい内容。



「何で1枚にまとめなかったの?Vol.1の評判が良かったから、後になって余った曲を集めてVol.2を作ったの?」

という読者の方からの声が、今微かに聞こえましたので、そこんところからちゃんと説明しますね。

まず、このヒッコリーハウスのユタ・ヒップ、Vol.1もVol.2も、作品として同じ時期にリリースされたものです。

何でわざわざ分けたかと言いますと、これは単純にこの時代のレコードの収録時間の関係上、2枚に分けざるを得なかっただけで、決してVol.2が後から出てきた没テイクを寄せ集めたものでもなければ、色気を出したレーベル側が、あざとく企画した続編でもありません。

そもそもがこのシリーズは『Vol.1』が前半の『Vol.2』の、同日同ステージの演奏を編集ナシで丸々収録したものであり、どういうことかというと

「ユタ・ヒップのライヴは素晴らしいから、これはどの曲もボツにせず、全部を発売すべきだと思う。何、収録時間が1枚に収まらない?だったら2枚に分けてリリースすればいい。多少売れ行きにムラはあるかも知れんがそんなことはどうだっていい。素晴らしい彼女の演奏を余すところなくジャズファンに聴いて欲しいんだよ」

という、ブルーノートのオーナー、アルフレッド・ライオンの粋で真摯なはからいなのであります。

そうなんです、ライヴ盤といえば今でこそツアー中のいくつかの演奏の中から出来の良いものをセレクトしたり、中の音にちょちょっと修正をかけたりして作られるものもあったりしますが、アルフレッド・ライオンという人はとことん現場主義で、良いと思ったら採算を度外視しても全曲収録したレコードをシリーズとして作り、かつまどろっこしい編集や、売るための細工なんぞは一切しない人でした。

何故、ドイツから来たばかりのほとんど無名のピアニストに周囲はそれほどまでに惚れ込んだのか?

それはアタシも惚れ込んだクチですから、演奏を聴いてくださいとしか言えませんが、この日のヒッコリーハウスでのライヴが、2枚の作品となってまで全ステージを収録したのかということに関しては、また別の理由があります。




【パーソネル】
ユタ・ヒップ(p)
ピーター・インド(b)
エド・シグペン(ds)

【収録曲】
1.風と共に去りぬ
2.アフター・アワーズ
3.ザ・スカーラル
4.ウィル・ビー・トゥゲザー・アゲイン
5.ホレーショ
6.アイ・マリード・アン・エンジェル
7.ヴァーモントの月
8.スター・アイズ
9.イフ・アイ・ハッド・ユー
10.マイ・ハート・ストゥッド・スティル

1956年4月5日録音


実は楚々とした気品の中に、どこか狂おしくて秘めた破壊衝動すらも感じてしまいそうな、奥深い感情のあれこれが渦巻いているかのような『Vol.1』と、エンジンがかかってグイグイ重く疾走するドライブ感でもってスイングする『Vol.2』は、雰囲気がまるで違います。

例えれば、恥ずかしがり屋で人見知りなユタさんと飲みに言ったとします。

繊細で控え目で、とにかく自分に自信がなかったと言われる彼女の性格ですから、まずはこう言ったことでしょう。

「あ、いや、私はお酒そんなに得意ではないんです。あ、話も聞いてるのは好きですがいざ喋るとなるとダメなんですよね。それと、私そんなに面白くないから・・・」

でも、彼女はとても慎重に言葉を選びながら、訥々とではありますが、その内容は真実の説得力に満ちたとても深い言葉が美しく煌めいている。そんな会話にいつしか同席している人はすっかり聞き手に回ってしまっい、気が付けば

「この人の話、もっと聞いていたい」

と、強く願うようになってしまっていた。


これが『Vol.1』です。

「あ、ごめんなさい。私の話・・・面白くないですよね。何か深刻な話ばかりしちゃってすいません・・・」

と言いつつも、酒は結構弾んでいて

「すいません、ウォッカください(5杯目)」

となってからが『Vol.2』です。

内気で知的な雰囲気は全く変わらず、酔いが心地良く回ったのか、彼女は次第に饒舌になってきます。

その言葉には気品が溢れ、どこか陰のある薄倖の魅力を常に漂わせながらも会話はリズミカルになって行き、意外にも低く、ドスの効いた言葉の力強さが前に出てきます(これ、最高にドライブする左手のフレージングのことを言ってます)。

彼女の魅力はでも、どんなに饒舌になっても、どんなに酔いが回っても決して大声を上げたり下品な内容にならないところで、どんな言葉もしっかりとその知性で選び抜かれた、余計な装飾や誇張のない、シンプルな真実が持つ芯の強さに溢れたものでありました。

そして彼女の仲間達、つまり優しく彼女の話を頷きながら聞き、お酒をそっとオーダーしたり、ツマミが切れたら運んで来たり、彼女が椅子から転げ落ちないように、しっかりと支えられる位置を近過ぎず遠過ぎない実に絶妙な距離でキープしているベースのピーター・インドとドラムのエド・シグペン。

えぇい、もう何か面倒臭いんでたとえ話終わりでストレートに演奏の話に戻しますが、このバックの2人のプレイがまた見事なんですよ。

方や”クール派”と呼ばれたレニー・トリスターノの愛弟子として、そのキッチリタイトなグルーヴに、まるでリズムマシーンのように正確な”4”を黙々刻むベーシストとして、一方は名手オスカー・ピーターソンやビリー・テイラーなど、軽やかなスウィング感が売りのピアニストとの相性抜群な、シャッシャと小粋なブラッシュワークで、演奏を心地良く飛翔させて加速させる知性派ドラマーとして名が知られた二人ですが、ここではインドは意外にもブイブイと弾力のある音で前に出て弾きまくり歌いまくってるし、シグペンも軽めのブラッシングではありますが、いつもよりリキが入ってビシバシやってハッスルしています。

とにかくもう、ユタさんの左手の強靭なグルーヴ感なんですよね。

バド・パウエルに憧れて、ホレス・シルヴァーに大きく影響を受けて、実際グルーヴィーなアップテンポの曲では独特の力強く粘る左手のラインが”まんま”だったりしますが、これだけ”ゴリッ”と骨太に走ってて、どこか儚さとか切なさを感じさせるのは、やはりこの人ならではのどうしようもないぐらいにこびり付いた個性だと思います。

インドとシグペンも、とにかくその左手に感化されまくって本気で飛ばしておりますよ。ライヴで火が点いたトリオの演奏としては、もう最高峰ぐらいの素晴らしく一体となったグルーヴであります。

ミディアムテンポの『ラ・スカラール』がもうとにかくバリバリで凄いです。聴いてください、いや、お聴きなさい。

あと、相当に濃いけどこの人のピアニストとしての本音、つまり”私はこうありたいのよ!”って部分は、2曲目のスローブルース『アフター・アワーズ』が悶絶モノの出来です。白人だとか女だとか、そういうの関係ない、誰が弾こうが感情を死ぬほど込めたらブルースはこんぐらいドロドロになるという美しい(えぇ、あえて)見本のようなブルースです。これもぜひ聴いてください。いた、お聴きなさい。






『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2017年12月26日

ヒッコリーハウスのユタ・ヒップ Vol.1

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ヒッコリーハウスのユタ・ヒップ Vol.1

(BLUENOTE/EMIミュージック)

冬になると聴きたくなるピアノといえば、そう、この人を忘れてはいけません。

モダン・ジャズ華やかかりし1950年代半ばにドイツからやってきてブルーノートに何枚かのアルバムをそっと残し、そして失意のうちにジャズの世界から静かに姿を消した哀しみの女流ピアニスト、ユタ・ヒップ。

確かな実力を持ちつつ、決してテクニックを派手に見せつけない楚々とした魅力のあるフレージング、そしてノリのいい軽快なナンバーを弾いてもどこか憂いを帯びた独特の音色。

ユタ・ヒップが作品を残したBLUENOTEの1500番台というシリーズは、それこそ全部のアーティストの全部の作品が”かっこいいジャズのお手本”と言っていいぐらいにファンキーでオシャレな名盤がズラッと揃っておるのですが、その中でも「ユタ・ヒップ」という文字があれば、何かこう「イェ〜イ♪」ではなく「キュ〜ン」と胸を締め付けられます。

アタシなんかは本日ご紹介する「ヒッコリー・ハウスのユタ・ヒップ」のジャケットを見て、このジャケに写ってる清楚な感じの白人女性をてっきりモデルさんだろうと思って「やっぱりブルーノートのジャケットは粋だよねぇ」なんてはしゃいでおったのですが、中身を聴いて自己紹介をするしとやかな声に続いて出てくる、さり気ない重みと哀愁のあるピアノに、最初からすっかり恋に落ちたクチです。

ユタとの出会いはバド・パウエルの『クレオパトラの夢』を聴いて、あの暗く重たい哀愁が、美しい旋律に引きずられながら転がってゆくの狂おしさが、あぁなんつうか凄くカッコイイなぁ、こんな感じのピアノもっとないかなぁと思っていた丁度その時だったんですね。

だからよく「ユタ・ヒップは革新的なスタイルを作った訳でもなくて全体的に地味だが好きな人は好き」みたいな紹介のされ方をした文章を見るんですが、アタシに言わせればてやんでぇなんです。

新しいスタイルを作ることがジャズじゃないし、影響を与えた人間の数で、そのアーティストの音楽的な価値が決まる訳ではありません。確かにユタはほんの少ししかアメリカのジャズ・シーンにいなかったし、そのスタイルも憧れだったバド・パウエルの影響からほとんど出ることはない、いわゆるオーソドックスなバップ・ピアノというやつではありますが、いやいや、音楽を聴きましょうよ。

この人みたいに内に秘めたものをフレーズに託して、情感豊かに鍵盤を転がせる人はちょっと他に見当たらないし、聴いた後にじわっと広がる儚い余韻の味わいというのがやはりどう聴いてもワン・アンド・オンリーの魅力があるんです。もちろんたった2年間のアメリカでの活動の中で残した数枚のアルバムは、どれも良質と言っていい味わいの深い逸品揃いなのです。

1925年にドイツのライプチヒで生まれたユタ・ヒップは、少女時代にジャズの魅力に目覚め、仲間達とバンドを組んで演奏を行ってましたが、時のナチス政権によってジャズは退廃芸術として弾圧の対象となっておりました。

けど、仲間達とこっそり集まっては外に漏れないようにジャズを聴き続けていたんですね。

やがて戦争が終わり、彼女の未来には希望の光が差し込みますが、この時ユタは決して許されない悲しい恋に落ち、私生児を身ごもって出産します(ユタが父親の事は一切口にしなかったので詳細は不明ですが、恐らくは進駐軍の黒人兵士との間の子ではないかと言われております)。

息子を生まれてすぐに養子に出し、全てをふっきるかのようにジャズにますます没入してゆく彼女は、やがて1950年代になると自分のバンドを率いるようになって、ドイツ全土でそこそこ名の知れた存在になり、その評判を聞きつけたアメリカのジャズ評論家レナード・フェザーがドイツに渡り何度も説得した上でアメリカに呼び寄せるという幸運に恵まれました。

が、実はユタはとてもあがり症で自分に自信が持てない性格のため、レナード・フェザーにほとんど強引に口説き落とされはしたものの

「自身がないから・・・多分少しだけ向こうに居てすぐに帰ると思う。それに私・・・私みたいな人間はきっと音楽だけで生活して行くことは出来ないと思うの。アメリカは都会だし、きっと私以上のピアニストなんていっぱい居るに決まってるわ・・・」

と、かなり後ろ向きだったようです。

不安がるユタに、何とかジャズ・ミュージシャンとしての本格的な活動を続けて欲しいとレナードは手を尽くしました。

まず、ニューヨークの多くのクラブハウスが集まる”西52丁目”地区にある、ライヴも出来るステーキの店”ヒッコリー・ハウス”のレギュラー出演者として彼女を出すように交渉し、これを承諾させ、更にブルーノート・レコードのオーナー、アルフレッド・ライオンに

「いやぁ、ドイツから凄いピアニストを連れて来たんだ。女の子なんだけどこれがバドみたいで凄く上手いんだ。アル、同じドイツ人だから贔屓してくれって言ってるんじゃない。アンタが音に公平なのはオレだってよく分かってる。まずは一度聴いてみてくれないか」

と、彼女を紹介。

レナードの言うように、音に関しては公平で厳しく、何よりも同じドイツ人だからと仕事の上でえこひいきするというような馴れ合いは、ドイツ人は大嫌いです。しかしそんなライオンをして「彼女のピアノいいね、ウチでレコード作るよ」と言わしめたユタ・ヒップ。



【パーソネル】
ユタ・ヒップ(p)
ピーター・インド(b)
エド・シグペン(ds)

【収録曲】
1.イントロダクション・バイ・レナード・フェザー
2.テイク・ミー・イン・ユア・アームズ
3.ディア・オールド・ストックホルム
4.ビリーズ・バウンス
5.四月の思い出
6.レディ・バード
7.マッド・アバウト・ザ・ボーイ
8.エイント・ミスビヘヴン
9.ジーズ・フーリッシュ・シングス
10.ジーパーズ・クリーパーズ
11.ザ・ムーン・ワズ・イエロー

1956年4月5日録音


で、この『ヒッコリー・ハウスのユタ・ヒップ』は、彼女がニューヨークへ来た最初の仕事をそのまま録音したアルバムです。

多分「あの性格ならスタジオでは緊張して本領を発揮できないだろう」と読んだライオンの彗眼でしょうね。その読み通り、このアルバムでは気負いも飾りもない、彼女の素の演奏が、しかも実際のステージでの演奏を順番すら変えずそのまま収録して『Vol.1』『Vol.2』という素晴らしいライヴ盤に仕上がりました。

今日ご紹介するのは、まずはVol.1の方です。

編成はユタのピアノに、ピーター・インドのベース、エド・シグペンのドラムス。

インドは当時最も革新的な集団として知られたレニー・トリスターノのバンドでリズムを支える知性派で、エド・シグペンの方は”ザ・トリオ”と呼ばれるオスカー・ピーターソン・トリオのレギュラー・メンバーを務める実力派中の実力派、特に2人共”ピアニストがリーダーの場合の引き立て方”というのを知り尽くしている、ユタにとっては最高の人選ですね。

実際、ステージを通してインドのキリッと締まった的確なウォーキングと、シグペンの繊細でメロディアスのブラッシュワークが、本当に素晴らしいサポートをしています。

そしてこのアルバム、全編に渡ってある種独特の重みを感じさせながらも見事にスイングして、美しいメロディもしっかりと過不足なく聴かせるユタのピアノの素晴らしさは余すところなく発揮されております。

聴きどころは前半のマイナー系疾走ナンバーの狂おしさが炸裂する『テイク・ミー・イン・ユア・アームズ』
と、しっとり落ち着いた哀しみをとことん聴かせる『ディア・オールド・ストックホルム』でしょう。

もちろん彼女にとっては”大好きなジャズ”を目一杯演奏してるんですが、この2曲には何というかそれだけでは終わらない凄みがみなぎっています。もう一度言いますが決して派手に弾きまくるタイプではないだけに、そしてアドリブも凄く丁寧に丁寧に弾いて、決して勢いに任せて熱くなるタイプではないだけに、秘めているものの重さ、あやうさみたいなものがキリキリと迫ってくるのです。はぁカッコイイ・・・。




『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2017年12月25日

ローラ・ニーロ イーライと13番目の懺悔

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ローラ・ニーロ/イーライと13番目の懺悔
(ソニー・ミュージック)

はい、相変わらず”歌”というものについてガラにもなく真面目に色々考えております。

ここのところのアタシのテーマは”ブルースとローラ・ニーロ”なので、前回のデビュー・アルバム『モア・ザ・ア・ニュー・ディスカバリー』に続きまして、本日は1968年にリリースされたセカンド・アルバム『イーライと13番目の懺悔』について書きたいと思います。

前にもちょっとお話しましたが、ローラ・ニーロという人は、まるで歌という生き物が人間の姿をしているかのような、言ってみれば化身のような存在です。

大体シンガーとかミュージシャンというのは、優しいとか激しいとか、声が綺麗とかパワフルだとか、何かに特化した形容詞で語られることが多く、実際聴いてみたら「あ、その通りだ」と思うことも多いのですが、ローラ・ニーロに関しては不思議なことに「ローラ・ニーロは〇〇なシンガーだよ」と、一言で形容するのはなかなか難しく、例え出来たとしても、その形容詞から彼女の個性や存在感、または歌に込められた底無しの情感や情念といったものがスーッと抜けて行く。

無理矢理形容してしまえば、彼女の声はとても澄んでいて妖しく濁っていて、繊細な感情表現とパワフルなエモーションの塊が同時に滲み出ながら吐き出されていて、明るいけどどこか闇があり、複雑な思考とストレートな感情の吐露が同じ瞬間に同じ言葉をつぶやいて叫び、つまり彼女の声は聴く人の魂のための子守唄であり、彼女自身の叫びである・・・。と。かなり無理矢理な感じになってしまいますが、実際に彼女の歌を聴くと、この全部を「あ、なるほど」と思えてしまう。そういう特別なシンガーなんです。



【収録曲】
(Disc-2)
1.ラッキー
2.ルー
3.スウィート・ブラインドネス
4.ポヴァティ・トレイン
5.ロンリー・ウィメン
6.イーライがやって来る
7.タイマー
8.ストーンド・ソウル・ピクニック
9.エミー
10.ウーマンズ・ブルース
11.ファーマー・ジョー
12.ディセンバーズ・ブードア
13.懺悔
14.ルー (デモ) (Previously unreleased) (ボーナス・トラック)
15.ストーンド・ソウル・ピクニック (デモ) (Previously unreleased) (ボーナス・トラック)
16.エミー (デモ) (Previously unreleased) (ボーナス・トラック)

(Disc-2)
1.ラッキー (MONO)
2.ルー (MONO)
3.スウィート・ブラインドネス (MONO)
4.ポヴァティ・トレイン (MONO)
5.ロンリー・ウィメン (MONO)
6.イーライがやって来る (MONO)
7.タイマー (MONO)
8.ストーンド・ソウル・ピクニック (MONO)
9.エミー (MONO)
10.ウーマンズ・ブルース (MONO)
11.ファーマー・ジョー (MONO)
12.ディセンバーズ・ブードア (MONO)
13.懺悔 (MONO)
14.イーライがやって来る (シングル・ヴァージョン) (MONO)
15.セイヴ・ザ・カントリー(国を救え) (シングル・ヴァージョン) (MONO)


『イーライと13番目の懺悔』は、ちょろっと聴いて深く不思議な感動を、ヒリヒリした感傷の疼きと共に覚えたローラ・ニーロという人のことをもっと知りたくて、アタシが最初に買ったアルバムです。

黒の背景に黒髪の、何とも言えない知的な憂いを感じさせる表情の女性だけが大写しになったポートレイト、このジャケットだけで「あ、これは買いだ」と思ってなけなしのカネをはたいてレコードを購入し、想像よりもやはり素晴らしくバラエティに富んだ飽きの来ない内容に夢中になった思い出深い一枚なんです。

楽曲はファースト・アルバムより更にジャズ的な洗練を推し進めたような感じで、都会的なジョニ・ミッチェル、雨の日の透明なジャニス・ジョプリン、或いは感情の振れ幅が凄まじいキャロル・キング、のような感じと言えるでしょうか。明るいのにどこかエキセントリックな狂気、あぁまた形容詞の泥沼にはまり込んでしまう・・・。

このアルバムからもR&Bを代表するコーラス・グループ、フィフス・ディメンションがカヴァーした大ヒット曲『スウィート・ブラインドネス』や『ストーンド・ソウル・ピクニック』、そしてカヴァー・ヒットの大家といえばの3ピース・ロック/ポップス・バンド、スリードッグナイトがヒットさせた『イーライがやってくる』など、ソングライターとしての凄まじさを証明するポップス名曲がたくさん入っているし、かの鬼才ポップスター、トッド・ラングレンが「イーライと13番目の懺悔は僕が一番影響を受けたアルバムなんだ」と語るなど、”凄いよ”ということの裏付けにはかかせませんが、そんなことすらアルバムを聴いて彼女の歌を聴きながら、めまぐるしく展開する凄いアレンジの曲が持つ、ソウルもジャズもたっぷり入っているけど(サックスには何とズート・シムズも参加している!)、そのどちらからもカッコ良く飛翔しているグルーヴに身も心も任せながら「はぁあ・・・くぅぅ・・・」と悶えて聴くのが正解です。

それにしてもこの声、そして誰にでも受け入れられそうな(実際他人がカバーして大ヒットとなった)曲をたくさん作っていながらも、全てが個性的過ぎてリアルタイムではあまり多くの人に理解されなかったというローラの音世界。

その素晴らしさ、それ以上に感情の一番脆いところをダイレクトに揺さぶってくる”歌”や”音”が持つエモーションはどう言葉で表現したらいいんでしょう。分かりませんね、未だに分かりません。その底知れぬ、安易な形容を美しく拒絶するローラの魅力は怖いぐらいです。だからいつまでも飽きることなく聴き込む度に聴き惚れてしまいます。






『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』
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2017年12月24日

清水翔太 SNOW SMILE

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清水翔太/SNOW SMILE
(ソニー・ミュージック)

のっけから手前の話で恐縮ですが、たまにイベントなどに出て下手なサックスを吹いたり歌を歌ったりします。

で、生で他の人の歌や音を色々と聴いて、目の前にいる人達の音や言葉の世界にズブズブとのめり込んでいると、ふと「音とは何ぞや」「歌とは何ぞ」という深淵な思考に入ってしまうことがよくある訳です。

特に「歌」ってのは凄いですね、人間が声を出して、そこに言葉を乗せてそれをメロディーに乗っけると物語が出来上がってしまう訳ですから、アレ、凄いですよね、何でしょうね、と思いつつ、ここんとこブルースのことやローラ・ニーロについて書いておりますが、うん、やっぱり「歌」について考えるとこれはもうとりとめもない。恐らく永遠のテーマだと思います。

これは何もライヴで生の歌唱を聴いてるだけのことではなくて、ふと流れてる音楽を耳にした時もスイッチが入る時があるんですね。

で、そういう時のスイッチをよく押してくれる最近のシンガーといえば清水翔太です。

不思議なんですよねこの人の声は、力強い質感で聴いてる人の心をグッと鷲掴みにするタイプとは正反対の、とても優しくて繊細な高い声、でも一旦気持ちの中にスッと入ってきたらもう離さない、そういう芯の強さがある声なんです。

聴いた印象としては90年代の洋楽R&Bのあの爽やかさです。

そして日本語歌詞をそのグルーヴィーなサウンドに自然に乗せることの出来る独特の語感。

普通洋楽テイストのJ-POPは、ノリやメロディへの"収まり"を重視する余り、歌詞の意味が犠牲になることが多いんですが、この人の歌唱はとにかく言葉を大切に大切に、胸の奥底から掬って吐き出している感じで、メロディやサウンドの心地良さに耳を傾けていたら、いつの間にか言葉の意味が入ってきて、これは大変に良いと思って聴いています。

調べてインタビューなどを追いかけて読んでいたら、やはり90年代のR&Bやソウル・ミュージックには並みならぬ愛着があり、特にそれらの音楽が持つメッセージ性を大切にしたいと、その穏やかな歌声とは裏腹なアツいテンションで語っていて、こういった人が今の日本の音楽シーンで、若い人達のカリスマとして支持を集めている、最高じゃないかと、心は踊りますね。






【収録曲】
1.SNOW SMILE
2.側に...
3.DREAM -JAZZIN'PARK A LONG AUTUMN NIGHT REMIX-
4.SNOW SMILE -INSTRUMENTAL-



今日はせっかくクリスマスなので、そんな清水翔太のクリスマス・ソングを。

メロディは上質なR&Bです、そして雰囲気も最高にメロウなので、流して聴きながら雰囲気を味わうのも良いですが、歌詞も甘いだけじゃない切なさがフワッと溢れててこれまた良いのですよ。

クリスマスという特別な日に「ただいま」「おかえり」の日常の安らぎを求めるストーリー、まるで切ない映画のワンシーンを切り取ったような歌ではないですか。









『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』
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2017年12月23日

チカソー

昨晩は名瀬屋仁川通りに程近い入舟町のバー『WOODNOTE』にて、アコースティック・クリスマス・ライヴに弾き語りで出演してきました。

といっても「クリスマス?ケッ」ぐらいの実に硬派で濃いメンツが集った、非常にディープで、10組出演した中で似通った音楽性の人達同士というのが全くいないという、色んなロックとロックンロールとブルースの狂乱の宴。えぇ、久々に深夜遅くまで楽しみましたよ〜。

「とりあえず歌え」というオファーを頂いた先週から、アタシは今回は全曲ブルースで行こうと決めてました。

しばらくギターを触ってなかったので、リハビリのためにオープンAチューニングの勘を取り戻すべくロバート・ジョンソンをやっていたら、案外弾けてなくもなかったので、ロバート・ジョンソンの2曲(『Kind Herted Woman Blues』『Come On In My Kitchen』は決まり。さてあとは何を歌おうか、おっとジョン・リー・フッカーの『Hobo Blues』があったべな、じゃあこれにしよう。あとオープン・チューニングでいけるのは・・・おぉ!アルヴィン・ヤングブラッド・ハートの『Big Mama's Door』があったではないか!じゃあこれ。

という具合に割と楽しく選曲をしてたんです。

で、久々の身を入れた練習。

洋楽曲を練習する時、アタシはまず歌詞カードをじっくり読んで頭に叩き入れ、歌詞カードがない時は聴き取りで歌詞の意味を頭に入れるところから始めます。

英語を”音”として覚えてその音の通り発声するのが一番手っ取り早いんですが、それだとよくある”雰囲気英語”になってしまいます。これはいけない。

という訳で、それこそこれらのレパートリーは頭に派生系の物語が生まれるまで何度も何度も聴き込んで読み込んで、昔モノにした曲ですが、意味を馴染ませるのにやり過ぎということはありません。

しかし、ひとつだけ歌詞の意味は分かったけど、その意図がよく分からなかったのが、一人だけ世代の違うアルヴィン・ヤングブラッド・ハート(1996年デビュー当時33歳)の『ビッグ・ママズ・ドア』です。



親指で弦をバチバチ弾く、非常にかっこいいデルタ・ブルース系の曲です。

このギターに憧れて、若い頃必死で研究し”オープンAの3フレカポ”に辿り着くまで3年ぐらいかかった曲なんですが、様になるように歌えるまでにはもっと時間がかかりました。

というのも、歌詞が実に牧歌的で、特にこれといった深い意味もないように、その当時思ったんですよ。

以下に歌詞と手前でやった訳をのっけます。


『Big Mama's Door』
(Alvin Youngblood Hart)

Goin' Down to Chikasaw
Gon' Take That Right Hand Road
Said I Ain't Gon Stop
'Til I Come Up in Big Mama's Door

Folk Down to Chikasaw
Say They All My Name
And When I'm Down There,Man
They Sho'be Glad I Came

Girl That I'm Lovin'
Got the Great Long Curly Hair
But Her Mama and Papa
Sho'Don't How Me There

What You Gonna Do
When You Find Your Biscuit Roller Gone?
Get in That Kitchen,Man
And Roll'em'Til She Come Home

Get Up in Them Woods
Man,We Sho' Have Lots of Fun
When I Come 'Round That Conner
Gonna See My Pony Run

Goin' Down to Chikasaw
Gon' Take That Right Hand Road
Said I Ain't Gon Stop
'Til I Come Up in Big Mama's Door

【日本語訳】※てきとう

チカソーへ行くんだ
道をまっすぐ、ビッグ・ママ(ばあちゃん)んちへ辿り着くまで
オレは一気に駆け抜けるんだ

チカソーのヤツらは
みんなオレの事を知ってるから
オレが来てそこに居る間は
いい感じに歓迎してくれるだろう

オレの愛しい女は
長いカーリーヘアだぜ
けどアイツのママとパパは
(オレに)あんまりいい顔はしない

ビスケットローラーが
なくなっちまっていたらどうする?
キッチンに駆け込んで
彼女が帰ってくるまでにロールしておけよ

森へ行こうぜ
たくさんのお楽しみが待っているから
そこのコーナーを回って来た時に
オレのポニーが走ってくるのを見たいんだ

チカソーへ行くんだ
道をまっすぐ、ビッグ・ママ(ばあちゃん)んちへ辿り着くまで
オレは一気に駆け抜けるんだ




どうです?簡単にいえば「ばあちゃんがいるチカソーに彼女がいる」ぐらいの他愛もない感じで、ビスケットローラーやポニーのくだりが、ブルースによくある性的な暗喩表現だなとは思うのですが、余りにもほのぼのとしてて、歌詞になかなか感情移入が出来ない。

ブルースの場合は歌詞の意味を呑み込むと、意味以上のへヴィなものがドワーッと降りてくる瞬間があって、アタシはコレを”ブルースが憑依する現象”と呼んでるんですが、この歌からは挑んでも挑んでも、待っても待っても”それ”が降りてこなかった。あぁだから家では歌っても人前で披露することはなかったんだ、そうじゃったそうじゃった・・・。

と、はいごめんなさいして歌詞カードを閉じようとしたんですね。

そしたら歌詞カードの隅っ子に書いてる注釈に

※チカソー:オクラホマ州に位置し、同名アメリカン・インディアンの居住区として知られる。

と、書いてあって、はい、読者の皆さんはこの時点でお気付きだと思いましょうが、アタシの脳裏を物凄い勢いで横切ったのはコレです。






この数日間、アタシの頭にこびりついて離れなかった『ブルースの成立とアメリカ・インディアンの”失われた文明”との深い関わり』のこと。

え、え、え??ちょっと待って!

と思って、アルヴィン・ヤングブラッド・ハートのことをよく調べてみました。彼もまたその複雑な成り立ちのブルースに出自が絡まっている末裔の一人ではないかと・・・。

アルヴィン・ヤングブラッド・ハートは1963年カリフォルニア州オークランド生まれ。

残念ながらその父母のルーツには、先住民と思しき人物の話は確認できませんでした(お父さんはGM社に務めるフツーのサラリーマン)。

が、彼の祖父母がミシシッピのデルタ地帯のど真ん中にあるキャロル・シティという村に住んでいて、少年時代はその”19世紀で時間が止まったような場所”で生活しておったそうなんです。

そして、そこに住んでいる叔父さんが、何と若い頃にチャーリー・パットンを観たことがあり、その話をアルヴィンは”鮮烈な原体験”として耳にしているという話なんですね。

ほうほう、ここでアタシの中で一本繋がりました。

そのギター・スタイルは戦前のカントリー・ブルースやヒルビリーまで網羅する幅広いものでありながら、とりわけミシシッピ・デルタ・ブルースへの造詣が深く、アルバム『ビッグ・ママズ・ドア』ではパットンの代表曲『ポニー・ブルース』をオリジナルに忠実な素晴らしいカヴァーで収録しているアルヴィンの、少年時代の鮮烈な原体験として、ミシシッピ・デルタでの生活や、叔父の「パットンを観た話」があるのなら、言い方は変ですがデルタの地霊となって彷徨っているパットンの、レコードや演奏を通しての交信というのはあったに違いなく、彼の内なるパットンが『ビッグ・ママズ・ドア』という曲を書かせた。

事実、この歌をパットンの物語として読み解けば、驚くほどリアルなドキュメントとして実感を覚えることが出来ます。


Goin' Down to Chikasaw
Gon' Take That Right Hand Road
Said I Ain't Gon Stop
'Til I Come Up in Big Mama's Door

そう”ビッグ・ママ”は実在したパットンの、アメリカ・インディアンの祖母であり、歌詞の中の”チカソー”は言うまでもなくその祖母の住む居留地。

Girl That I'm Lovin'
Got the Great Long Curly Hair
But Her Mama and Papa
Sho'Don't How Me There

そこでは美しく、自分に好意を寄せているネイティヴの彼女がいる(”カーリーヘア”で濁しているが”ロング・ヘア”は間違いなくインディアンの象徴)。しかし、黒人の血が濃い、つまりピュア・ネイティヴでないパットンが夫になることを、部族の両親は許さない。

Get Up in Them Woods
Man,We Sho' Have Lots of Fun
When I Come 'Round That Conner
Gonna See My Pony Run

Goin' Down to Chikasaw
Gon' Take That Right Hand Road
Said I Ain't Gon Stop
'Til I Come Up in Big Mama's Door

つまりこの居留地から抜け出して、二人で駆け落ちしようぜ。そう、今回こそはそのつもりで、オレ(パットン)はあの娘のいる、ビッグ・ママの居留地へ行くんだ。

と、最初の印象とはまるで違う深いストーリーが成り立ちます。

更に皆さん、この記事を読んで下さい(アタシにこのテーマについて考えるきっかけを与えてくださった方のブログ、必読です)↓
『岩野亮介 工房報告』〜 チャーリー・パットンのチェロキーへの帰属問題「Down the dirt road blues」

この歌詞をもっと深読みして

『”チカソーの娘”を、パットンが切望して結局勝ち取ることが出来なかったチェロキーの土地の権利』

として読むことは出来ませんか?



そして更に、これはアタシ自身の不勉強を恥じねばなりませんが、歌詞カード注釈の

『※チカソー:オクラホマ州に位置し、同名アメリカン・インディアンの居住区として知られる』

これ実は惜しい間違いで、地名の”チカソー”は、ミシシッピ州にある「かつてチカソー族が住んでいた土地」であり、そのチカソー族は、チェロキーやクリーク、チョクトー、セミノールといった他の部族らと共に、オクラホマの辺鄙な居留地に強制移動させられ、現在細々とその命脈を保っておるのです。

アルヴィンがその事実を知らないはずはなく、敢えて今現在チカソーの住んでいない”チカソーへ行くんだ”と歌った意図は、それこそ

「ブルースのルーツである、失われたアメリカ・インディアン文化への魂の旅」

であるのではないでしょうか。

いや、たまたま「この曲いいな、今度歌おうか」と、軽い気持ちで練習した『ビッグ・ママズ・ドア』の、一見他愛もない歌詞に、そこまで掘れる深い意味があったとは・・・。ただただ驚愕すると共に、これはもうブルースの導きだなと腹を据える気持ちでおります。

















”ブルース入門編 〜初心者のための優しいブルース講座〜”



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2017年12月20日

ローラ・ニーロ モア・ザン・ア・ニュー・ディスカバリー

1.jpg
ローラ・ニーロ/モア・ザン・ア・ニュー・ディスカバリー
(Verve/Folkways/ソニー)

「声は人間の魂の波動だから、人間の最もピュアな本質が出るんです」

と、スピリチュアル系な人に言われたら

「はぁ、そうですな。はっはっは・・・」

と言ってそのまま退散するしかありませんが、音楽を聴いていると、こういった考えにはある程度の理解が出てきます。

あのですね皆さん、”歌”って凄いですよね。

あぁ・・・、アタシが今更言うまでもありませんが、やっぱり優れたシンガーの声を聴くと魂がうち震えて、そのまんま浄化されていくんだなぁという実感というのは、スピリチュアルな人達に言われんでもそりゃあります。

そして、これも今更アタシが言わんでもなことなんですが、歌ってのは究極に言えば「上手い/下手」じゃない。どんなにお上手な人でも、全く心に響かないシンガーもおれば、その逆で「上手いなぁ」とは思わないんだけど、その声は確かに聴いてるこっちの魂の奥底に鳴り響いて、聴いた後にどうしようもなく焦がれるような感情を抱かせる人もおる。

何でだろう何でだろう?と思っていろいろ考えても「や、この人の歌にはソウルがあるんだな」という結論が出てしまう。歌ってつくづくそういうもんだなぁと。

で、アタシが好きな女性シンガー・・・はいっぱいおりますが、その中でも特別に”ソウルが極まってる人”、分かり易くいえばその声を一瞬耳にしただけで、どうにもやるせない感情に、手前の魂がヒリヒリと共鳴してしまうという人が3人おります。

一人はビリー・ホリデイ、もう一人はジャニス・ジョプリン、そして今日ご紹介するローラ・ニーロです。

ローラ・ニーロという人はアメリカの音楽の歴史において、本当に特殊な存在感を静かに放つ人であります。

その声はどこまでも透明で、たとえるなら真夜中の大海原を感じさせるような、静かな深みをたたえ、それでありながら非常にソウルフルでエモーショナルな歌唱表現。

ジャズやR&Bからの影響を大胆に取り入れた楽曲も、非常に上質なポップスでありながら、どこか微かな”陰”を、悲しい笑みを浮かべながら漂わせているような、そんな痛みと安らぎを同時に感じさせてくれる、不思議で深淵なニュアンスがあるのです。

ニューヨーク生まれのユダヤ系アメリカ人で、ジャズ・ミュージシャンの父親とクラシック愛好家の母親の影響で、幼い頃からたくさんの音楽を浴びるように聴き、特にゴスペルやR&Bには特別のめりこんで、高校生になった頃には自分で作った歌をレコード会社に売り込みに回っていたという、いわゆる早熟の天才。

十代の彼女から曲を”買った”アーティストの中には、60年代フォークを代表するスーパーグループ、ピータ・ポール&マリーもおります。

アタシがローラを知ったのは、丁度彼女が亡くなった1997年の事であります。

「ローラ・ニーロ亡くなったんだって?」

「え?まだ40代だよね」

「う〜ん、でも何となく早く亡くなりそうな感じあったじゃん。癌だってよ・・・」

と、コソコソ喋ってるレコード屋の先輩達の話を小耳に挟んで

「へ〜、誰だろう?」

と思い、こっそりバックルームにあったミュージック・マガジンやレコードコレクターズのバックナンバーを読んだ時、まず顔写真を見ました。

雑誌の片隅に『イーライと13番目の懺悔』という意味深なタイトルのアルバムのジャケットが載っていて、そこにややうつむき加減の色白で黒髪の女性の顔を目にして、何故か

「あ、この人は聴かねばならない」

と思ったんですね。

丁度表では「ローラ・ニーロかけて追悼しようぜ」となっておりましたので、顔を知って数分後に、ローラ・ニーロの音楽も知ることが出来たんです。

その時流したアルバムは確か『ファースト・ソング』という赤いジャケットのアルバムのレコードだったと思います。歌声が流れた時に、心はざわっと不思議に波打ったんですが、正直な感想は「え?もっとドロドロに暗い人だと思ったけど、ジョニ・ミッチェルみたいで聴き易いんだね」でした。

とりあえずその時はそれで終わり。でも、それから数日経っても、最初に聴いた時の、心の不思議な波打ちは収まりません。結局アルバム買ったんですね、先輩に「どれがいいですか?」と訊いても「どれって、どれ聴いてもローラ・ニーロはローラ・ニーロだよぉ」と笑うだけで、教えてくれないので結局最初に見て「これ」と思った『イーライと13番目の懺悔』を。

その話はまた次にするとして、真夜中、家で静かに聴くローラ・ニーロは本当に沁みました。

やはり声、声なんですね究極は。決してインパクトのある声質でもなくて、感情表現もジャニスみたいにいきなりドカッとくるタイプじゃないんだけど、その声は不思議と何だか心のささくれだってるところとか破れかけてるところに入ってくるんです。で、泣ける、何故か泣ける。しかも何か具体的な感情が湧いてきてワッと泣けるんじゃなくて、何にも傷つけられていない純粋な涙がジワッと溢れてくる。あれ、おっかしいな、俺別にヤなことあった訳じゃなくて、悲しいこと思い出した訳でもないのに何だこれ?と思いながらずっとそこに浸っていたくなる、そんな歌声だと思ったし、今もローラの声に関してはそう思ってます。




1.グッドバイ・ジョー(MONO)
2.ビリーズ・ブルース(MONO)
3.アンド・ホエン・アイ・ダイ(MONO)
4.ストーニィ・エンド(MONO)
5.レイジー・スーザン
6.フリム・フラム・マン
7.ウェディング・ベル・ブルース
8.バイ・アンド・セル
9.ヒーズ・ア・ランナー
10.ブローイング・アウェイ
11.アイ・ネバー・メント・トゥ・ハート・ユー
12.カリフォルニア・シューシャイン・ボーイ
13.ストーニィ・エンド(ボーナストラック)
14.グッドバイ・ジョー(ステレオ)
15.ビリーズ・ブルース(ステレオ)
16.アンド・ホエン・アイ・ダイ(ステレオ)
17.ストーニィ・エンド(ステレオ)
18.レイジー・スーザン (ステレオ)
19.フリム・フラム・マン (ステレオ)
20.ウェディング・ベル・ブルース(ステレオ)
21.バイ・アンド・セル(ステレオ)
22.ヒーズ・ア・ランナー(ステレオ)
23.ブローイング・アウェイ(ステレオ)
24.アイ・ネバー・メント・トゥ・ハート・ユー(ステレオ)
25.カリフォルニア・シューシャイン・ボーイ(ステレオ)


当時フリー・ジャズとかブルースの過激なやつとか、サイケのファズ轟音のやつばかり好んで聴いてたにも関わらず、ローラ・ニーロにはすっかりハマり、先輩の「どれって、どれ聴いてもローラ・ニーロはローラ・ニーロだよぉ」も、ほどなくあぁなるほどと理解できるようになります。

ローラはどれもいいんです。

繊細でエキセントリックな性格過ぎて、一時期音楽活動を中断してしまいますが、そこから復活した後のグッとジャズっぽくなったアルバムも良かった。

で、今年はそんなローラ・ニーロの生誕70周年記念らしいですね。

アタシが最初に聴いた『ファースト・ソングス』これが実は19歳のローラのデビュー・アルバムなんですが、最初Verve/Folkwaysというレーベルでリリースした後に、大手コロムビア(日本ではソニー系)に音源が譲渡されたという、多少ややこしい経緯があって、今回その”ややこしいあれこれ”をクリアにした形での、オリジナル盤と同じタイトル(『モア・ザン・ア・ニュー・ディスカバリー』)同じジャケットで再発されて、更にボーナストラックがたくさん付いてモノラルとステレオの両方で曲が楽しめるという訳なんですが、これのモノラル、はい、凄くいいです。

内容は10代の少女のデビュー作とは思えないぐらい音楽的に成熟していて、ジャズとR&Bが高度な次元で自然に融合した、良質な良質なポップです。

ピーター・ポール&マリーに打った『アンド・ホエン・アイ・ダイ』の、爽やかな中に切々と流れる感傷の深さとか、彼女自身の弾くピアノの静謐な響きにも引き込まれる『ビリーズ・ブルース』とか、本当にどの曲も名曲と言えるでしょう。

日本では「玄人受けするシンガー」海外では「60年代から70年代の多くのヒット曲の作曲者」として、アメリカを代表するシンガーソングライターの一人とされていますが、もっともっとこの人の、聴き手の魂を優しく深淵に引きずり込んでゆく、唯一無二の声の魅力が評価されてもいいと思います。



『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2017年12月19日

ヒューストン・ジャンプ・ブルース


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ヒューストン・ジャンプ・ブルース

(Pヴァイン)

さて皆さん、昨日の『ジャズとブルースの隙間の話』お楽しみ頂けたでしょうか?





ここでお話したのは、1930年代から40年代の、主にニューヨークでブームを巻き起こした大衆音楽”ジャイヴ”と”ジャンプ”のことでありますが、さぁ、本題はここから(!)今日はアメリカ地図をずずずぃ〜っと下ったアメリカ南部で、1940年代から50年代にかけて大流行した独自のジャンプ・ミュージックについて語ります。

はい、勘のいい読者の方は「南部っていやぁブルースの本場だもんな」と思ったに違いありません。そうなんです、ブルースの歴史はミシシッピとテキサスから、ジャズの歴史はその中間にあるルイジアナ州の港町、ニューオーリンズからと言うように、この一帯はアメリカ大陸を席捲する全てのブラック・ミュージックの故郷。

しかし、ジャズが港町ニューオーリンズの軍港閉鎖の煽りを受けてごっそり北部の都市シカゴ、続いてニューヨークへと旅立ってからも、南部ではトラディショナルなスタイルのジャズやブルースが、依然根強く好まれており、ここで独自の音楽へと変容を遂げていったんですね。

さて、お話はブルースの一方の故郷テキサスであります。

テキサスといえばブルースの故郷であると同時に、西部開拓の一大拠点、そしてカウボーイの都として、アメリカの中でもとりわけ、良く言えば開拓当初の精神を堅持している、悪く言えばスーパー保守な土地柄として、今も半分冗談で「アメリカの中の独立国家」「南部共和国」とか呼ばれているところであり、色んな意味で独立性が高いというのは、以前もお話しましたが、これは音楽の分野ではより顕著に表れておりました。

何でかというと、メキシコに国境を接している土地柄もありましょうが、テキサスは他のアメリカ南部の州と違って、ダラスやヒューストンなど、なかなかの規模の大都市を州内にいくつか持っていたんです。だから北部の大都市との関わりをさほど持たなくても自前で何となく成り立ってしまえる。そういう強みがあったんです。

だから「シカゴやニューヨークでこんなのが流行ってるよ!」という情報が入ってきても、それを

「おぉ、都会の音楽、イカすなぁ!」

と、こぞって真似するんじゃなくて

「シカゴがニューヨークが何かちゃ!ワシらのやっとる事のがカッコ良かたい!!」

「おぅ、クラブもようけあるし人口も500万からおっとぞ!負けんわ!!」

と、何かと張り合う気持ちの方が強かったらしく、どこか強烈にオリジナルなものになってしまうというのが、テキサスから生まれた音楽の宿命でもありました。

そんなテキサスはヒューストンの土地柄から生まれたのが、ヒューストン・ジャンプであります。

これ、いわゆる都会の”ジャンプ・ミュージック”の形態(ビッグバンドにヴォーカル、そしてホンカーと呼ばれるソロでバリバリ吹くテナー・サックス奏者が一通り揃ったフルバンド)を下敷きにしたものがほぼ土壌になっておるんですが、ここでテキサス独自の楽器が大々的に主役張ります。

そう、エレキギターです。

テキサスは元々ブルースがジャズを凌ぐほどガッツリと人気を掴んで離さなかった土地であります。

ピアニストもサンタフェを中心に素晴らしい人材が多く世に出ておりますが、やはりギターの歴史は戦前のブラインド・レモン・ジェファソンが独自に切り開いた単弦奏法をエレキギターで発展させたT・ボーン・ウォーカーという巨人が出現し、またT・ボーンに影響を受けた”ソロを弾くギタリスト達”が40年代次々に出てきて音量(アンプに突っ込んだら管楽器と対抗できる音が出るというのは、当時凄まじく画期的なことでした)とテクニックを競って、テナー・サックス奏者同士のバトルと同じくエレキギター同士のバトルというものステージの目玉となる出し物でありました。

ここなんですよ、ヒューストン・ジャンプと他のジャンプ・ミュージックとの決定的な違いというのは(!)。

はい、その違いを決定的に裏付ける人物が1940年代に”Tボーン・ウォーカーのライバル”として現れました。

ジャジ―で洗練されたフレージングで聴衆を魅了していたTボーンに多大な影響を受けながら、あくまで南部の荒くれだったワイルドネスを表現のコアとして、ギャリンギャリンにトンガッた音で弾き倒す、ルイジアナ生まれのクラレンス・”ゲイトマウス”・ブラウンその人であります!

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(見よ!このワルそーな顔!!)


ゲイトマウスのド派手で攻撃的なギター・プレイは、フルバンドの凶暴なホーン・アンサンブルにも負けない音の強さと存在感を放っておりました。ヒューストンで活躍するバンドマン達はこぞって彼のスタイルを真似し、また、バックバンドもコッテコテのブルースギターやブリブリのホンク・テナー、ガンガンなブギウギ・ピアノに合わせた、極端に弾むタテノリのシャッフルビートを、聴き易さより扇情的なノリに特化した形にどんどん研ぎ澄まされて、これが”ヒューストン・ジャンプ”となって行ったのです。





ゲイトマウス・ブラウンの初期ピーコック音源は、そんな感じのモロにゴキゲンなヒューストン・ジャンプ・サウンドであります♪


さて、この”信じがたくアグレッシブ”なギタリスト、クラレンス・”ゲイトマウス”・ブラウンとその周辺で発展したヒューストン・ジャンプは、曖昧ではなくハッキリとその後のロックンロールに直接の影響を与えます。 何せビートも激しいし、サウンドも”大きいことはいいことだ”とばかりに派手でギラギラしております。

ヒューストン・ジャンプはテキサスだけじゃなく、ルイジアナやミシシッピといった南部一帯で大人気でした。ティーンエイジャーだったエルヴィスも当然ヒューストン・ジャンプの疾走するビートには大きく感化されたことでしょうし、この辺の影響を語るとキリがありません。



さて、この狂乱の音楽は多くのスターを生んでおりますが、ロックンロールの分野で有名なのが何といってもビッグ・ジェイ・マクニーリー



そして後にアトランティックの専属として、アレサ・フランクリンのバックバンドや70年代は多くのジャズファンク名盤を残したキング・カーティス。



この辺の超の付くテナー・サックスの名手もヒューストン・ジャンプ出身で、いずれも野太い音でエレキギターと張り合いながらブリブリゴリゴリ言わせておった。




【アーティスト/収録曲】
1.メルヴィン・ダニエルズ・ウィズ・キング・カーティス・オーケストラ/Boogie In The Moonlight
2.メルヴィン・ダニエルズ・ウィズ・キング・カーティス・オーケストラ/I’ll Be There
3.メルヴィン・ダニエルズ・ウィズ・キング・カーティス・オーケストラ/Hey Hey Little Girl
4.メルヴィン・ダニエルズ・ウィズ・キング・カーティス・オーケストラ/If You Don’t Want My Lovin’
5.キング・カーティス/unknown instrumental
6.キング・カーティス/unknown instrumental
7.クイン・キンブル/Blue Memories
8.クイン・キンブル/Feel My Broom
9.ラッキー・イーノイス/Zig Zag Ziggin’
10.ラッキー・イーノイス/Crazy Man Crazy
11.クラレンス・ガーロウCrawfishin’
12.クラレンス・ガーロウ/Route“90”
13.コニー・マクブッカー/Love Me Pretty Baby
14.コニー・マクブッカー/All Alone
15.コニー・マクブッカー/Love Me Pretty Baby
16.ペパーミント・ハリス/Bye Bye Fare Thee Well
17.プリーチャー・スティーヴンス/Whoopin’&Hollerin’
18.プリーチャー・スティーヴンス/So Far Away
19.マーシー・ディー/True Love
20.マーシー・ディー/Come Back Maybellene
21.キング・カーティス/unknown instrumenta
22.キング・カーティス/unknown instrumental
23.ペパーミント・ハリス/The Blues Ain’t Nothing


という訳で、我が国で編集されたアルバムの中では最も"ヒューストン・ジャンプ"という音楽がまとまった形で聴く事が出来るアルバムがコチラ。

モダン/RPM/フレアといった1940's〜50'sの南部のイカしたブルースの、ジュークボックス・ヒット狙いのシングル盤をザクザク出していたレーベルの、アルバム未収録のレア曲ばかりを我が国のPヴァインが掘り起こして編集したという凄いコンセプトのオムニバスであります。

「レア音源集」といえば、マニア向けで初心者にはちょっとアレなんじゃないの?とかの心配は、この辺りの音楽にはご無用と思ってください。

何てったってアレンジだの編成だの知名度だの、そんな小難しいことなんかよりもノリと熱量が全てのヒューストン・ジャンプ。聴けば楽しく踊れる明快な曲ばかりであることをまず保証致します。

立役者のクラレンス・"ゲイトマウス"・ブラウンこそ入ってはおりませんが、その変わり目玉として入っているのが、若き日のキング・カーティス絡みの9曲(!)、録音データを見ると1952年と53年ですから、何とコレ、カーティスがまだハタチになるかならないかぐらいの時期の、間違いなく超初期の掘り出し物。

前半はメルヴィン・ダニエルズなるシンガー/ピアニストとの5曲、後半は自身のバンドを率いての「タイトルなし」のインストが4テイクなんですが、まずメルヴィン・ダニエルズの甲高くパンチの効いた唄いっぷりが豪快ですね〜。

ピアノも丸みとそれなりの重みのある音で、ガラゴロとロールしていて、このピアノだけでもかなり聴かせるブルースになってると思いますが、ドサッぽいカーティス・バンドのモワモワしたノリが、むせ返るほどに濃い熱気で相乗効果。

続くカーティス・バンドのインストは、カーティスの一本気なパワフルブロウもいいけれど、横でいい味出している謎のバリトン・サックスの醸すロウダウン&ロッキンなノリがたまりません。

その他の収録は、コニー・マクブッカー、マーシー・ディー、ペパーミント・ハリス、クラレンス・ガーロウ、ラッキー・イーノイス、プリーチャー・スティーヴンスと、およそ一般の音楽ファンには馴染みのない名前が並びますが、皆さん、ヒューストン・ジャンプの醍醐味はむしろここからですぞ!

ここからは、キング・カーティス絡みのトラックでは聴けない、ヒューストン・ジャンプがヒューストン・ジャンプたるゆえんの"エレキギターとホーンのえげつない絡み"がもうふんだんで、いやぃエグいエグい。

ヒューストン・ジャンプではこの人アリ!と言われたギター名手にカル・グリーンという人がいて、この人は後にソウル・ジャズ/ジャズ・ファンクの、いわゆる"コテコテ"ものの世界でも知る人ぞ知る存在になるんですが、このカル・グリーンが参加してるのがクイン・キンブルのFG、コニー・マクブッカーのLMNで、特にFでのフルバンドを向こうに回して炸裂するワイルド過ぎるギター弾き倒しは、アルバート・コリンズを通過してスティーヴィー・レイ・ヴォーンにまで突き抜ける、テキサス・ギターの魂の系譜が一気に脳裏に拡がるかのような名演です。

そうそう、コニー・マクブッカーも忘れちゃならんヒューストン・ジャンプの偉大な立役者の一人で、何とB.B.キングのバックバンドにいて、名ピアニストとして名を馳せた人でありんす。

ルイ・ジョーダンの都会派ジャンプ・サウンドに憧れたB.B.が、ヒューストン・ジャンプの大物をバックに従えていたという、ブルースの骨太な歴史の一幕にも思いを巡らせたところで、ねっとりべっちょりしたクセだらけのヴォーカルの味わいと、狂ったテンションのバンドのノリも素晴らしいペパーミント・ハリスや、素性が全く解らない正真正銘の"謎のシンガー"、プリーチャー・スティーヴンスの破壊力ハンパないシャウターぶりに、チャック・ベリーの『メイビリーン』のほとんどカヴァーといっていい『カムバック・メイビリーン』でのポップな中に死ぬほどグルーヴィーなテキサス・ピアノの真髄を噛み締めるマーシー・ディーと、ホントこのアルバム全編ゴキゲンで、退屈させてくれません。


その昔先輩に

「ヒューストン・ジャンプって何ですかね?」

と訊いたら、一言

「ノリだよ」

と言われて「???」となりましたが、いや、わかる、わかります。全てがノリとイキオイな、歪んだギターと吠えるテナー・サックスと、狂ったテンションでズダスダ言ってるビートだけで説明が付いてしまう。

ジャンプ・ミュージックっていうのは確かにジャズとブルースの融合で、両方のオイシイところが上手くブレンドされた音楽ですが、ブレンドされてから無駄なものがものが全部吹っ飛んだ感が物凄くあります。

「ジャズとブルースの間」を、特に日本で教えてくれる本やサイトは少ないけれど、聴いてみると本当にその部分には楽しくてゴキゲンな音楽いっぱいあるし、こりゃあ聴いて楽しまなきゃ損なんです。皆さんレッツ・ジャンピン・ジャイヴ!





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2017年12月18日

ジャズとブルースの隙間の話(スウィングからジャイヴ〜ジャンプ・ミュージックへ)



さてさて皆様、数日ぶりのご無沙汰でございます。12月というのは公私に渡って何だかんだと忙しくていやですねぇ。ブログをじっくりと書く時間もままならず、ヤんなっちゃいます。

さて、この何日か『ブルースとジャズの隙間問題』について色々と書いてきました。

サクッとまとめれば「ブルースとジャズの間にある音楽って凄くカッコイイし、有名じゃなくてもグッとくるものが多いから、聴かない手はないんだぜぇ」ということです。

ほんで、特にブルースやR&Bをその表現の核にしたテナー・サックス吹きのやつはカッコイイんだよね。ということで、バディ・テイトの叔父貴のアルバムを2枚紹介しました。

そこから読者の皆さんとあれこれと「ブルースとジャズ」の話で盛り上がって、ジャンプ・ブルース、或いはジャンプ・ミュージックはいいぜ!という話にもなりまして、なるほどジャズとブルースの丁度中間のイカした音楽といえばジャンプやジャイヴってことになりますなぁと。


とまぁいきなりそんなことを言われても何のことだぁ?とお思いの方も例によってたくさんいらっしゃることと思いますので、本日はちょいと過去に書いた関係アーティストの記事のリンクちょい多めでお届けしますね。

はい、それではジャンプやジャイヴって一体何なのさ?それって面白いの?ということにお答えしましょうね。

時をさかのぼること今から80年ぐらい前の1930年代、この頃はジャズでいえばビッグバンド全盛で、いわゆるスウィング・ジャズがニューヨークやシカゴなど、都会のクラブを中心に盛り上がっておりました。

そしてブルースはいわゆる「戦前ブルース」の時代。

アメリカ南部ミシシッピからメンフィスやセントルイスを経由して北部の大都市シカゴに移住したブルースマン達が、独自の洗練されたバンドブルースを奏でていたり、テキサスやルイジアナから西海岸の大都市であるロサンゼルスやサンフランシスコに移り住んだ人々が、ウエストコースト・ブルースという一派を形成したりして、こちらも盛り上がりを見せておりました。

この時代既に聴衆の間では

・ジャズ=都会の高級なクラブで盛装した楽団が演奏するもの

・ブルース=都会ではクラブで、クールなスーツに身を包んだブルースマンが演奏していたが、田舎の方では農場にある安酒場や路上でも聴ける音楽。

というイメージが大体根付いておりました。

これらのイメージは大体その通りなんですが、実は1920年代に普及したレコードがそのイメージを固定することと大きく関係しています。

今でもそうですが、ジャンルというのは音楽を売る時に、レコード会社などに説明の手間を省かせるとっても便利なものなんです。だからレコードを買う人達の階層に応じて「ジャズ」「ブルース」と、あらかじめカテゴライズしておけば、売り出しの時に中身の解説やアーティストの説明をすればいい。

お客さんも「これは何のレコード?」と訊けば店員が「それはジャズですよ」「あぁそうかジャズか、ブルースないの?」という具合に売る時に分かり易いやりとりが出来るってもんです。そんな訳でこの時代に「ジャンル分け」という概念がぼちぼち制作や販売の現場から出てきて、それがアメリカ全土に広まっていきました。

でも、現場ではそんな簡単に棲み分けなんか出来る訳がないし、何よりも演奏している当の本人達は、ほとんど商売の便宜上作られたジャンルとかは、実はそんなに意識もしておらず、ビッグバンドのシンガーとしてブルースマンが歌ってたり、ブルースのバンドがジャズらラグタイムの曲をフツーに演奏してて、で、現場で聴いてる人達も実は細かいことはあんま気にしてなかったという話だったりします。

ただ、面白いことに、この時代ブルースマンが小人数で演奏していると「もっと派手な編成で賑やかな曲やってくれよ」「田舎臭いのはやるなよ、ここはシカゴ(ニューヨーク)だ!」と注文が付いたり、ビッグバンドが真面目なインストナンバーばかりをやっていると「もっと歌入りの面白いのが聴きてぇよ」と、言われることはよくあった。

だからビッグバンドのバンドリーダーたる者、常にお客さんを楽しく笑わせる事に全力を尽くさねばならない。今やジャズの神様と言われ、まるで伝説の聖人のように扱われておりますデューク・エリントンですら、1920年代から30年代は、ギャングの経営する高級クラブに集うセレブな客を楽しませるために、コミカルな曲を作ったり、土人の恰好をさせた役者やメンバーに寸劇をさせたり、際どい衣装の女性ダンサーのバックを務めたり、そらもう涙ぐましい努力をしておりました。

そんな中で、エリントンと同時代のほぼ同じ現場で「コミカルで質の高いエンターテイメントならコイツだろう」と、グングン台頭してきたのが、キャブ・キャロウェイです。



キャブはダボダボの珍奇なスーツにシルクハットという、いかにも胡散臭い見た目でステージに上がり、ステージに上がればコミカルな楽曲と黒人スラングを多用した奇妙奇天烈な歌詞を独特の早口でまくしたてる。

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そんなコミカルな歌と(白人がバカにする)”黒人らしさ”をわざとディフォルメした大袈裟な振りでお客さんを笑わせつつ、キッチリとスウィングする完璧なバンドアンサンブルと、洗練を極めたタップダンサーのパフォーマンスなどで”聴かせる”“見せる”ことに関しても完璧でした。

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で、実はこのキャブ・キャロウェイが使ってたスラング多用の歌が、仲の良い黒人同士がかなりキツいスラングでもってからかい合う”ダズン”を発展させた”ジャイヴ・トーク”(からかいの会話)を、そのまんまスウィング・ジャズのリズムと結び付けたものだったんです。

おぉ!1970年代のニューヨーク・ブロンクス地区で誕生したと言われるラップ(ヒップホップ)のルーツは、更にその50年ぐらい前のニューヨーク・ハーレムにあったのか!!

と、アタシは喜びましたが、皆さんはどうでしょう? あ、今少しだけ「イェ〜イ」って声が聞こえました。ありがとうございますありがとうございます。誰も反応してくれなかったらどうしようかと思った・・・。

さあ、これは実に面白い。

何てったってキャブがニコニコしながら白人のセレブ〜な客に向かって大袈裟な身振り手振りでまくしてているのを見て、セレブ〜な客たちはハーレムの黒人スラングなんか分かんないから

「あっはっは、あのおかしな黒人野郎が何かわかんないこと言ってるよ」

と、笑っておったんですが、実は彼らこそがキャブに面と向かって

『お前をヤク漬けにして〇▲×☆ブチ込んで*△◎しちまうぞー』

とかいう、ホントどうしようもないことをしれっと歌われてディスられておった訳ですから。

とにかくまぁキャブ・キャロウェイは面白いぞということで、ハーレムの”面白い方の王者”として君臨しました。当然キャブみたいにやろうというバンドは増えてきます。

という訳で、ニューヨークではこのお下劣でどうしようもない”ジャイヴ・トーク”を歌うスウィング・バンドが増えました。これに合わせてダンスをするのも流行り、現在社交ダンスでも使われている”ジャイヴ”というダンスの名前もここから生まれたんですね。

しかし、流行になってくると、みんなが”ジャイヴ・トーク”の内容を段々理解してくる。かなり下品で際どいことを言っておったのが、内容がバレるとひんしゅくを買うどころか、ヘタすりゃそのまま雇い主のマフィアにかっさらわれて殺されることにもなりかねんのです。

なので歌詞も徐々にソフトになり、具体的な下ネタは男女のコミカルな痴話喧嘩程度の内容になり、ジャイヴのノリも徐々に洗練されたものになっていきます。

当然そうなってくると乱痴気騒ぎがしたい聴衆やミュージシャン達には不満が蓄積されます。特に都会の観客も、黒人層は「オレ達もっと激しく踊りたいぜ。お上品なスウィング・ジャズなんてまっぴらだ」と、もっと肉感的な、野性味に溢れた音楽を欲するようになります。

これが1930年代半ばの事で、ここでスウィング・ジャズの分野では、ニューヨークの洗練されたスウィングとはまた違った、ブルースの味付けが濃厚で、都会の聴衆が求める”跳ねるビート”を持った楽団が、中西部カンザス・シティからシカゴを経てニューヨークにやってきます。

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そう、カウント・ベイシー。

細かく言えばキリがありませんが、ベイシーの持ち味は「難しいこと抜きで、単純にリズムに乗ろう」というものでした。

1936年にリリースした『ワン・オクロック・ジャンプ』という曲が、ベイシーが世にその名を轟かせるきっかけとなったヒット曲ですが、皆さんこれどうでしょう。



リズムがシンプルに「ズ、チャッ、ズ、ッチャ♪」で、ソロも非常に分かり易く、変に凝ったコード展開もなくて形式は”ブルースの早いの”と呼んで差支えないと思います。人によっては「これ、ほとんどロックンロールだろ!?」という人も居て、その推察はあながち間違いでもありません。

1930年代後半にもなってくると、ビッグバンドのスウィング・ジャズが芸術性の高いものへと洗練されてゆく一方で、こういったシンプルな、分かり易いノリのジャズが凄くウケた。

実はこれ、都会では見向きもされなかったブルースのノリなんですね。

ベイシーが活動してたカンザス・シティは地方都市で、そういった所ではブルースやジャズの垣根がまだ建っておらず「とにかくノリたい」「踊りたい」という聴衆の求めに応じて楽団は小難しい事を極力排除したタフで直球なダンスビートを夜な夜なクラブで提供しておった。

こういったのが、ニューヨークやシカゴの大都会では、逆に新鮮だったんです。

ブルースの分野では、1940年代後半のシカゴで、洗練されたブルースの様式(いわゆる”ブルーバードビート”というやつ)に飽きた聴衆が、マディ・ウォーターズらの、南部直送のデルタ・ブルースを電気楽器で新しく味付けしたブルースに飛び付きます。

時期は若干違いますが、ニューヨークのジャズ・シーンとシカゴのブルース・シーンでは、同じような”回帰と発展ごちゃまぜのカオス”が求められてたんです。

さて、ベイシーの『ワン・オクロック・ジャンプ』を聴いて「オレらもあんなイキのいい音楽やりたいぜ」と思う若いジャズマンはたくさんおりました。

その中で頭角を現したのが、エリントンと並ぶ人気を誇っていたチック・ウェブ楽団から、エラ・フィッツジェラルドという人気シンガーを連れて独立を画策したためにクビになったルイ・ジョーダンというギョロ目の男。




彼はニューヨーク一流のビッグバンドのアルト・サックス奏者でありましたが、生まれは南部アーカンソーという、実はドロドロに濃いブルースのルーツを持つ男です。

ベイシーの”ジャンプするビート”を聴いた彼は「あ、コレはオレがガキん頃みんなが踊ってたあの感じだな」と、恐らくすぐにピンと来たことと思います。

キャブ・キャロウェイが打ち立てた”ジャイヴ”のコミカルさに、カウント・ベイシーが地方から持ち込んだ”ジャンプするビート”を巧みに結び付けたジョーダンは、深刻さを極力排除した”歌”を演奏の真ん中にズドンと置き、ブルースのシャッフル・ビートをリズムの真ん中で弾ませたヒットを連発。

また、歌詞の中でも”ロッキン”や”ジャンプ”という言葉を頻繁に使い、彼の周囲では次第にこの語を冠した”ジャンプ”というブルースの一形態が成立して行くのです。

この一連の30年代から40年代に流行したジャイヴやジャンプを総称して、今現在”ジャンピン・ジャイヴ”と呼ばれております。


ふー(汗)

今回は「ジャイヴとジャンプ」の成立について、前知識として解説しました。

次回はその流れが南部で独自の動きとなって炸裂した”ヒューストン・ジャンプ”を解説しますよー。つうかアタシはヒューストン・ジャンプについて長々語りたかったんだ。








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2017年12月13日

ジミー・フォレスト ナイト・トレイン

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ジミー・フォレスト/ナイト・トレイン
(Delmark/Pヴァイン)

そもそもジミー・フォレストという人を知ったのは、確か1998年だか1999年度版の「Pヴァインレコードカタログ」でありました。

あの頃といえばインターネットなどあんまよく知らないし、ケータイすらも持ってなかったので、情報といえば雑誌か本、そしてレコード屋さんに置いてある無料の冊子やチラシの類です。

特にレーベルが出しているカタログは、貧乏人には凄く有り難かったんですよ。アーティスト名/タイトル、値段や収録曲の他に、下の方に内容紹介の一口コメントが大体書いてある。

カタログをパラパラっと開いて、知ってるアーティストのアルバムなんかは「そうそう、そうなんだよね〜」と納得してニンマリやってましたが、重要なのはむしろ知らないアーティストの聴いたこともないアルバムの類で、カタログに載っている一口コメントを読みながら想像を膨らませ、ワクワクドキドキしながら購入してみる。なんてことの繰り返しが、今にして思えばアタシの音楽生活に素晴らしい実りをたくさんもたらしてくれました。

特にお世話になったのが、ブルースや洋楽ロックのヴィンテージな再発盤などをリリースしてくれる日本のインディーズレーベルのカタログ達。

その頃はブルースにドロドロのめり込んでいた時だったので、良質なブルースや、ブラック・ミュージック全般のリイシューに本気のPヴァインのカタログは、もう毎年カネ払ってでも欲しいけど、タダ!?ラッキー!ぐらいのバイブル的なもんでした。

ほいでもってPヴァインのカタログを眺めているとジャズのページもあります。

そのページが、アタシの知らない人達の作品がズラッと並んでて、いやこれは凄いと思って夢中で読んでおりました。

どんなのがあるんだろうと思ってコメントを読んでいたら、そこは流石に良質なブラック・ミュージックの牙城だけあって「コテコテ」「黒い」「タフな」「ソウルフル」と、コチラの心をくすぐるワードがじゃんじゃん表示されている。

ほほぉ、これは何か一枚買わねばならないなと思い、真っ先に目印を付けたのがジミー・フォレストなるテナー奏者の『ナイト・トレイン』というアルバムでした。

だって、ジャズのところに載っているのに「R&Bヒットとなった」と書かれてるんですよ。これは気になる!しかもレーベルを見ると、ジュニア・ウェルズやマジック・サム、ビッグ・ジョー・ウィリアムスなんかのシカゴ・ブルース名盤を多く出しているデルマーク・レコード。

聴いてみたら、まず曲がどうとかアドリブがどうとか、そういう細かい事はさておきで、何よりそのズ太くてタフなブルース・フィーリングの塊のようなそのテナー・サックスのサウンドと、いかに1950年代初期の、たとえばラジオとかジュークボックスから流れてきたら最高にカッコイイだろうなと思わせる音色がたまんなく響きました。

そう、これです。

いわゆるメジャーなレコード会社から出されているモダン・ジャズは、ブルースに比べて音質が良かった。

そりゃもちろんいいことなんですが、何となくブルースとジャズ、行ってみれば非常に近い所にあって、当時のクラブでフロアを熱狂させていたであろう二つの音楽の、近いようで何だか遠い距離感みたいなものを、アタシはちと感じておったので、この音色と、このストレートな演奏の良い意味でのB級感がドンピシャリでハマッた訳です。

1920年ミズーリ州セントルイス生まれ、南部と北部の中継地点であるこの街で、行き交う人々を楽しませていたブルースを少年時代から目一杯浴びて、やがて都会に出て一流のデューク・エリントン楽団や、チャーリー・パーカー、マイルス・デイヴィスも居たことのあるジェイ・マクシャンのオーケストラでその実力を認められ、40年代後半のモダン・ジャズ誕生のきっかけとなったビ・バップには目もくれず、セントルイス仕込みの強烈なブルース・フィーリングを染み込ませた、スウィング仕立ての豪快な吹きっぷりを手前のたったひとつの武器に、時に若いヤツらが好きなR&Bで大胆にブロウをかましながら、生き馬の目を抜くジャズ・シーンを生き抜いた男、いや漢。う〜んカッコイイ。




【パーソネル】
ジミー・フォレスト(ts)
チャウンシィ・ロック(tp)
バート・ダブニー(tb)
バンキー・パーカー(p)
チャールズ・フォックス(p)
ハーシェル・ハリス(b)
ジョニー・ミクソン(b)
オスカー・オルダム(ds)他

【収録曲】
1.Night Train
2.Calling Dr.Jazz
3.Sophisticated Lady
4.Swingin’ And Rockin’
5.Bolo Blues
6.Mister Goodbeat
7.Flight 3-D 
8.Hey Mrs.Jones 
9.My Buddy (Previously unissued)
10.Song Of The Wanderer
11.Blue Groove
12.Big Dip
13.Begin The Beguine (Previously unissued)
14.There Will Never Be Another You
15.Coach 13
16.Dig Those Feet (Previously unissued)
17.Mrs.Jones’ Daughter (Previously unissued)


【録音年:1951】



もうこういった人に関しては「語るより聴け」の方が早いんでサクサク紹介しちゃいます。

昨日の『アウト・オブ・ザ・フォレスト』に続きまして本日ご紹介いたしますのは1950年代初頭、ジミーがエリントン楽団を卒業して「男一匹食っていくための仕事」としてせっせと録音してはリリースしていたシングル盤を集めたアルバムであります。

どの曲もシングル盤(当時はSP)に収まる長さの3分ちょいぐらいの演奏時間で、ストレートなジャズありR&Bあり、当時流行っていたラテン風味あり、コク豊かなバラードありで、しかもどの曲でも変わらないタフなブロウが楽しめるって言うんだから、これはジャズファンもブラック・ミュージック好きも聴いて楽しまなければなりますまい。

冒頭を飾るのは1952年のR&Bチャートで、インスト曲ながらヒットして堂々1位を獲得した『ナイト・トレイン』。

R&Bというより、これはゆったりとしたテンポの(リズムに若干ラテンのテイストが入っとる)ロッキンなブラック・インストゥルメンタルってノリですね。

覚えやすく印象に残るリフが中心になって、テナーがゴキゲンに鳴り響くんですが、このテナーのアドリブは、主旋律をほとんど崩さず展開する実にシンプルなもの。

イェ〜イと聴いてたら、あっという間に終わってしまうので「え?もう?」とはなりますが、いやいや、このシンプルさ、分かり易さ、そして大きくたゆたうなだらかなグルーヴが醸すノリやすさが3拍子揃ったからこそのヒットなわけで、ジャズとかブルースとかそういう枠組みを外して単純に黒いノリのエンターティメントとして聴けば、この曲噛めば噛むほど味わいが出てくるスルメのような曲でして、だからこそ後年はオスカー・ピーターソンをはじめとする色んなジャズマンにカヴァーされてというのも納得。

そして実はこの曲は、ジミーのオリジナルではなくて、親分だったエリントンの「Happy Go Lucky Local(のろまな鈍足列車)」という曲のカバーだったりするんですね。

エリントンが「ディープ・サウス組曲」という曲を作ったその一部を構成するスロー・ブルース・ナンバーで、まぁどういった経緯でジミーが演奏することになったのかは分かりませんが、もしかしたら

「親分、あの曲ワシ録音してもいいですか?」

「あぁいいよ、おめぇはそういえばセントルイスの出身だったな」

「へぇ」

「ならブルースは得意だろう、最高にディープな演奏をやっとくれ」

「へい、頑張ります」

みたいな会話もあったんじゃなかろうかと想像するのも楽しいですな。

このアルバム『ナイト・トレイン』だけでなく、『アウト・オブ・ザ・フォレスト』の一発目でやっていた名刺代わりのスロー・ブルース『ボロ・ブルース』の(多分)初演ヴァージョンや、ストレートアヘッドなジャズをやらせても確かな実力と安定したテクニックを感じさせる『ブルー・グルーヴ』『スウィンギン・アンド・ロッキン』コーラス・グループが明るく歌うラテン風R&Bの『ヘイ・ミセス・ジョーンズ』、ブルージーなバラード表現にどことなく気品を感じさせる見事なバラード『ソフィスティケイテッド・レディ』『マイ・バディ』など、一本気でいて本当に芸の幅が広い、しかも全部の曲のアドリブを、3分ちょっとの中でピシャッと収めるセンスの良さ(タフネスばかりじゃあないんだぜ)も際立った職人芸に惚れ惚れします。

1940年代後半から50年代初頭の、まだジャズとブルースが完全に分かれていなかった頃の、何とも幸福な空気感はもちろんアルバム全体に漂っていて、繰り返しますが曲がどうのとか演奏のこの部分がどうのよりもまず、その空気感に触れて欲しいアルバムです。

まとめると「まぁそんなことよりコイツを聴きながら飲む酒は最高だぜ」の一言に尽きるんですが、飲めないアタシに変わってどなたかこのアルバムを聴いてそれを証明する記事なり書いてくださればと思います。

この辺のジャズ、本当に味がありますよ〜♪





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