2017年12月12日

ジミー・フォレスト アウト・オブ・ザ・フォレスト

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ジミー・フォレスト/アウト・オブ・ザ・フォレスト
(Prestige/OJC)

「ジャズはブルースを元にしているよ」

とはよく言われます。

なるほど、確かにジャズっていうのは黒人音楽特有の、シンコペーションとか、ブルースやるには欠かせないセブンスコードとかをもっと難しくしたよーなコードを使ってるし、曲だってブルースを下敷きにしたものが結構多いから、これはブルースの子孫だわい。

とは思います。

しかしアレですね、戦前のスウィング・ジャズの時代からすれば、ジャズは物凄いスピードで、高度で理知的な音楽、え?ジャズっすか?カッコイイけどアレっすよね、大学で理論とか勉強しないと演奏出来ないんでしょ?難しいっしょ?みたいなイメージを勝手に持たれるようになってしまい、一方のブルースといえば相変わらず「黒人の渋いオッサンがイェ〜イ」みたいなイメージで、この40年ぐらい安定して固定されてしまい、特に我が国においては、変な先入観とか固定観念とかナシで、両方を素直に「あーたのしいなー」と楽しむのって、かえって難しいような感じがせんでもないです。

ということをですね、アタシはブルースにドハマりして、別の路線(フリージャズ)から、ジャズの方にもズブズブのめり込んだハタチそこらの時に思っておったんです。

雑誌なんかでもジャズの人達は「評・論・家!」って感じで、紙面はその人達の、どうにも聞き覚えのない固有名詞や音楽理論用語のオンパレードで、アタシみたいなチンピラにはもうおっそろしくて、すいませんすいませんと言いながら読んでましたねぇ(慣れてくると、その中にも楽しく分かり易くジャズを教えてくれる人もたくさんおることに気付きました)。

で、大きなCD屋さんとか行っても、ジャズはクラシックの近くだったりするんですよね。『ジャズ/ブルース』じゃなくて『ジャズ/クラシック』なんです。不思議なことにこれはどこに行っても。

で、『ジャズ』のコーナーというのは、ロックとかソウルとかJ-POPとか、そういう世俗の音楽とは違うんだぞとばかりに、シックな茶色い柱とかあるコーナーに隔離されてたりするんですよねぇ。えぇ、東京って怖いところだなぁと思いまして、最初の頃は空気に圧倒されてすごすごと何も買わずに帰ってきたりとかしてたんです。

何が言いたいのかと言うと、とにかくどこへ行っても「ジャズ」と「ブルース」が交わらないんです。

アタシはこのふたつ、聴く時はほとんど近い親戚だと思って聴いてたし、たとえばジョン・リー・フッカー聴いた後のアーチー・シェップとか、おんなじように暑苦しくて最高だし、ルイ・アームストロングとハウリン・ウルフなんて、貧乏で不良だったけど一生懸命勉強して夜間大学出た性格のいい兄と、15の時家を飛び出してヤクザになった弟みたいなもんでしょう(ん?)。

恐らく今、アンケートを取っても「ジャズもブルースもおんなじぐらい好き!おんなじようにハマッて大変」という人は少数派なんじゃないかと思います。ネットをやるようになって分かったのですが、外国のジャズ好きな人って、マイルス・デイヴィスについて熱く語ってるようなサイトの違う日付の記事には「チャック・ベリーは最高だ」みたいなことフツーに書いてたりするんですよね。

ファンの中でも「私はジャズ!」「オレはブルース!」みたいな、妙な棲み分けが成立して、その縄張りが不可侵として何となーくキッチリ守られてるのって、これは多分日本だけの現象じゃないか?じゃあ日本で何があったんだ??ということを、アタシはずっと考えてたんです。

日本にまずジャズが本格的に入ってきたのは1960年代のモダン・ジャズ・ムーヴメントの頃。

昭和でいえば戦後がようやく終わって、そろそろ各家庭にオーディオなんかあってもいいんじゃない?レコード聴いて楽しもうよ、と言われ始めた昭和30年代半ば以降ですな。

この時アート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズとか、マイルス・デイヴィスとか、そういう大物が次々来日して、ジャズを聴くことが大きなトレンドになった。

アート・ブレイキーの『モーニン』なんて”そば屋の出前の兄ちゃんが鼻歌で歌う”とか言われるぐらい、日本人にとって、ジャズって音楽は凄いぞ、カッコイイぞ、というポピュラーなものになったんです。

で、ブルースは実はかなり遅くて、1970年代になってようやくB.B.キングとかスリーピー・ジョン・エスティスのLPが出回るようになった。

これに「お、イカすねぇ」と反応したのは、実はそれまでジャズを聴いてた人達じゃなくて、そのちょい下の世代の、ロックやフォークをやっていた人達だったんですね。

つまり日本で最初にポピュラーになったジャズが、50年代以降のモダン・ジャズで、ブルースと横並びで仲良くやっていた”それ以前のジャズ”というのはそんなに熱心に聴かれなかったと思われることと、ジャズを聴く層とブルースを聴く層の世代に、ザックリと感覚の違いがあった。だからこれは交わることはない。

という結論にひとつ、アタシなりの悪い頭でたどりついたんです。

でもまぁ音楽なんてのは、究極を言えば個人の好き嫌い/合う合わないだから、そこはもうそれぞれで楽しめばよろしいとは思うんですが、実はその断絶のせいでワリを食ってる分野がジャズにあるんですね。

例えば戦前のスウィング・ジャズや、スウィングとモダンの丁度中間にある”中間派”と呼ばれる1940年代から50年代のブルージーなジャズ。更にはジャズとブルースのほぼ真ん中にあって、歌って踊れるジャンプとかジャイヴとかいうエンターティメントな音楽。

あのね、実はね、この辺りがホントは凄く面白いし、ジャズとブルースのジュワっとした旨味が両方味わえる飽きの来ない音楽で、とってもいいのがいっぱいあるんです。

聴く/聴かないは、さっきも言ったけど、これは個人の自由だから、それこそその判断は皆さんにお任せしたいとかは思うんですが、とってもイカす人達なんで、一人でも多くの人に知ってもらいたいなぁとは切実に思いますんで、このブログではちょくちょく紹介していきますよー。


で、ジミー・フォレストという人を今日はご紹介します。

ジャズのテナー・サックスでは、実にブルースなフィーリングを濃い濃いと、野太い音に込めてブロウする人達がおりますが、この人達は俗に”ボステナー”とか、或いは南部出身でブルースやR&Bとかと深く関わってる人達のことを”テキサス・テナー”とか何とか言ったりしまして、ジミー・フォレストもその辺りの人です。

ジャズにおけるテナー・サックスの歴史は、コールマン・ホーキンスという人から始まっております。

それまで単なるビッグバンドの伴奏楽器だったテナーでソロを吹き、その実に男らしい低音と、メロディアスな奏法の見事なブレンドで、今日まで通用するテナー・サックスのアドリブラインの基礎を築いた人です。

ソロを確立して有名人になったのが1920年代後半から30年代、つまり戦前の話なんですが、この人の凄い所は戦後も大活躍して、しかもスタイルが全然古臭くならなかった。だからテナー・サックスの世界の”親父”ですね。

そこから行くと、このボステナーとかテキサステナーとか言われてる人達はテナー吹きからしたら”叔父貴”でしょう。いずれもコールマン・ホーキンスのスタイルをベースに、よりブルースやR&Bに適応した、男らしい部分を継承/発展させておるんですね。

まぁこの辺は”何故テキサスなのか?”も含めてかなり長くなりますんで、次回の記事で説明するとして、ジミー・フォレストです。

1920年”ブルースの街”と言われたミズーリ州セントルイスで生まれ、若いうちにジェイ・マクシャン、デューク・エリントンという超一流の楽団に、テナー奏者として参加します(70年代はカウント・ベイシーのオーケストラにも入ります)。

のっけから凄いバンドのメンバーとなるということは、それだけ実力があったということに異論はありません。

で、1940年代の終わり頃にエリントンのバンドを卒業した後、自分のグループを作って、ドサ回りやシングル用のレコーディングをしていたんですが、1952年にリリースした『ナイト・トレイン』という曲が大ヒット、しかもジャズではなく、何とビルボードの当時出来たばかりのR&Bのチャートで1位を獲得してしまいます。

ジャズで人気者になるつもりが、R&Bでヒットしちゃった。まぁいいか、オレは元々ブルース吹きよ。そもそもオレらにとっちゃあジャズもブルースもカンケーねぇ、どっちもゴキゲンな音楽さ。

と、ジミーは思っておったでしょう。

その頃ジャズでは、同い年のチャーリー・パーカーがビ・バップ旋風を巻き起こし、ジャズ界隈は一気に”新しい進化”へ気が向いてましたが、ジミーはそんなの知らんとばかりに、相変わらずブルースをガッツリと演奏の中心に添えた野太いジャズで、ドサ回り先の聴衆をワーワー言わせております。

彼のテナー・サックスのスタイルは、初期の40年代から晩年の70年代に出した作品や参加作、どれを聴いても実に一貫した、ブルージーなコクが極めて深い、理屈抜きの一本気スタイル。

何か新しい革命的な奏法を生み出したとか、物凄いテクニックの早吹きがどうとか、そんなものとは一切無縁の「黙ってブルース吹いとくれスタイル」。

いいですね、楽器をやっていて、奏法とか指が動くかとか、そういうことにしか興味のない人は置いといて、とりあえずサックス吹かない人にも「おぉ、これはいいサックスだ。くー、酒が美味いね♪」という言葉を嬉しいため息と共に吐かせるタイプです。これこれ、これですよ。おじちゃんはこういうのが大好きなんだ。





【パーソネル】
ジミー・フォレスト(ts)
ジョー・ザヴィヌル(p)
トミー・ポッター(b)
クラレンス・ジョンソン(ds)

【収録曲】
1.Bolo Blues
2.I Cried for You (Now It's Your Turn to Cry Over Me)
3.I've Got a Right to Cry
4.This Can't Be Love
5.By the River Sainte Marie
6.Yesterdays
7.Crush Program
8.That's All

【録音:1961年4月18日】

まずは有名な『ナイト・トレイン』を含む1950年代前半のシングル曲を集めたDelmark盤を!

と、言いたいところですが・・・とりあえずジャズファンの方には作品としてクオリティが高い、そしてブルージーなジャズとしての上質な魅力がギュッと一枚に詰まった1961年の老舗Prestigeレーベルで制作された本作『アウト・オブ・ザ・フォレスト』を最初の1枚としてオススメします。

スタジオで、一回のセッションで、しかもワン・ホーン(他のホーン奏者がいない)編成でスッキリまとめられた編成がよろしいですな。

とにかくこの人は、アドリブの展開にも演出にも、余計な気配りを一切しないので、のっけからオレ節全開のブルースで、聴く人の意識をトロリと溶けたバーボン内側(何じゃそりゃなんですが、ええい、聴けばわかる!)に引きずり込みます。

イントロのテナーの高音が「ふぃ〜・・・ん・・」と伸びに伸びるのに合わせて、どうか皆さん「いぇ〜い・・・」と小声で言ってくださいね。そうそう、そうです、それがブルース!

このジミー・フォレストっていう人がどんなスタイルのテナー吹きなのかは、1曲目からディープ過ぎる(そんなことないぜぇ!)『ボロ・ブルース』を聴けばもう分かってしまいます。

「ジャズって難しい音楽なんじゃ・・・」と思ってるそこのお嬢さん、そんなこたぁないですぜ。じゃあ2曲目以降を聴いてみましょう。

少しテンポをアップして、小粋な感じでキメたスタンダード曲『アイ・クライド・フォー・ユー』は、ビリー・ホリディなんかもよく歌ってたスタンダード。これもテナーのアドリブは小細工一切ナシ、シンプルに良いメロディを、ハスキーなトーンで歌うのみ。

で、お次はバラード『ジス・キャント・ビー・ラヴ』あぁ、このテのバラードは6曲目にも『イェスタディズ』って曲が入ってる。コイツもビリーが・・・、まぁいい。人を好きになったことは?・・・オーケー、ならコイツはお気に入りになるだろう。と、ジミーが言っておるようです。

実はこのアルバム、いずれもミディアムかスローかのブルースかスタンダードばかりなんですよね。でも退屈じゃない、むしろもっともっと俺を酔わせてくれー!とアンコールを向けたくなるところが実にニクい。

ワイルドに濁らせたトーンでのブロウも、何というか下品じゃなくて、ダンディな大人の色気ってやつが充満しております。パリッとスーツでキメて、口数少なく、行動は優しく、のアレです。

そしてこのアルバム唯一の早いテンポのナンバーが7曲目の『クラッシュ・プログラム』これ凄いですよー。

アドリブが入っていきなりピアノとベースが弾くの止めて、テナーとドラムの一騎打ちになるんです。うひゃー、この辺は流石戦前ビッグバンドで、アドリブ合戦の”場数”を踏んできた人ですよ。

全然スタイル違うんですが、コルトレーンもエルヴィン・ジョーンズと盛り上がって一騎打ちになることがよくありますよね。アレのルーツをここに見た感じがします。もちろんスタイルは全然違いますが、内包する熱気はほとんど一緒。アルバム全体として凄く”聴き入り易い”親しみ易い良盤でありますが、『ボロ・ブルース』の気合いと『クラッシュ・プログラム』でのアツいテナーVSドラムの一騎打ち聴くためだけに買ってもこれはお釣りがきますぜ旦那。

メンバーで注目は、ピアノで参加してるジョー・ザヴィヌルです。

ザヴィヌルといえば70年代に結成したウェザー・リポートで、それこそフュージョンの立役者であり、近未来的なシンセサイザー使いの人というイメージあるとは思いますが、このアルバムではジミーのプレイとガッツリ息の合った、ほとんどブルース畑出身のピアニストみたいなプレイをしております。

オーストリアのウィーンからやってきたばかりの白人で、しかもバークリー音楽院卒業してからしばらくのザヴィヌルは、色んな”コテコテ”のサックス奏者のバックで、とことん”ブルース”を体に染み込ませておったんですね。

「ジャズはアメリカの音楽だ!でもオレはヨーロッパ生まれの白人だ。じゃあどうすればいい?オーケー、オレはブラザーになりきってしまえばいいんだ!」

と、言わんばかりの演奏なんですよ。しかもこれが全然しっくりハマッててわざとらしさがない。ここまで読んでジミー・フォレストという人に全然興味が湧かない方も、ザヴィヌル先生の若い頃のピアノを聴くためだけに持ってても損はありませんぜ。

好きなテナー吹きだけに、やや長々と書いてしまいましたが、いやもうこの”ジャズ3、ブルース7”ぐらいのコク旨ブレンドのジャズを知ってしまえばきっと人生は味わい深いものになる。はず。という訳で次回もジミー・フォレストを掘り下げて紹介します。












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2017年12月10日

チャーリー・パットン(黒人ブルース)とアメリカ先住民の文化の話




郷愁は未知の荒野に吹きすさぶブルースそして乾きたる草


先週遠方から短歌のお友達がきまして歌会をしました。

『ここではないどこか』

という題で歌を詠み合った時、やはりブルースの、荒涼とした原風景のようなイメージが頭に出てきましたので、それを言葉にしたという次第です。

きっかけは、ある方の「ブルースの誕生には、私達が思ってるよりもっと深く、アメリカ先住民の文化が関わっていたのではないか?」というある方の考察です。

先日ハワイアン・スティール・ギターの巨匠、ソル・ホオピイの記事を書きました。





ソル・ホオピイのギターは、アメリカのブルースやカントリーに大きく影響を受けているし、実は影響をもたらしてもいる。

という記事内容に、ブルース好きの方々が好意的に反応してくださって「では、ハワイ音楽がブルースに与えた影響とは?」という話で盛り上がり、ある方が「1898年ミシシッピで万博が開催されて、そこにハワイのフラダンサー達が参加してる」という決定的な情報を提供して下さいました。

おお、ミシシッピといえば1900年代初頭にW.C.ハンディがブルースを採譜するために訪れて「ギターのネックにネイフを滑らせて弾いているのを目撃した」と、スライドギターが世界で初めて文献に登場するその文章を書いた場所ではないですか。

ということはということは、1898年の万博でのフラの実演を見たミシシッピの黒人演奏家が

「お、何だこれ面白いな。フラって言うハワイの音楽かぁ。ギターのヤツは何やってんだ?・・・ほうほう、ああやってギターを膝に置いてバーを滑らせるとああいう不思議な音がするんだな。オレもやってみるべか・・・」

と思い付いて、これがやがてブルースのナイフスライドやボトルネックの原型となり広まっていった・・・。

という仮説を立てても、あながち”むりやり”ではないことになります。

いずれもレコードが普及する前の話であり、また、ブルースやハワイアンの成り立ちについて細かく記載されてある文献というものは存在しないので、想像するしかありませんが、とにかくブルースという音楽は、アフリカから連れて来られた奴隷達とその子孫達が、自分達の民族的なルーツであるアフリカ音楽の残り香”だけ”で生み出したものではなく、アメリカで生活していく中で、関わりのあったあらゆる音楽からの影響を積極的に取り入れて作り上げていった、そんな壮大なスケールの音楽であると、何だかワクワクしながら感動を新たにしました。

そして、更にその方が

「ブルースの誕生には、失われたインディアン文化が深く関わっていると思います」

という、究極の考察の種を与えてくださいました。


これ、実はアタシにとっては目からウロコの一言だったんです。

皆さんもご存知のようにインディアン、つまりアメリカ先住民の文化というのは、実はとことん排斥された挙げ句に失われております。

で、アメリカのインディアン政策というのは、非常に悪質な絶滅政策なんですね。

部族というものの団結力が非常に強い彼らを厄介に思った白人入植者達は、その団結力を削ぐためにあらゆることを行いました。

部族同士を対立させ、白人側に協力して敵対部族を殲滅した部族も、先祖伝来の土地から切り離されて不毛の居留地に押し込められたり、とにかくありとあらゆる手段で追い詰められる政策の犠牲になっております。

黒人との関わりは、そうやって出来た居留地に逃亡してきた奴隷との関わりから始まります。

居留地に受け入れられた黒人達は、そこで配偶者を見付け、必然的に混血児が生まれます。

※ただ、居留地に逃げ込んだ黒人達の全てが暖かく迎え入れられた訳ではなく、やはり差別の対象であったり白人化した集団からは奴隷として扱われたりもしております。ここのとこの関係は本当に複雑なんです。


で、古い世代のブルースマン達には、実はこういったインディアンとの混血が多く、有名人だけでもマディ・ウォーターズ、ローウェル・フルスン、タンパ・レッド、チャック・ベリーなど、ザッと挙げるだけでもこれだけ出てきます(確かジミ・ヘンドリックスやマイケル・ジャクソンもそうでしたね)。

極めつけは写真のチャーリー・パットン。

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「デルタブルースの創始者」と呼ばれていて、形式としてのブルースの生みの親の一人であるとも云われておりますが、彼は顔を見ても分かるように、ネイティヴ・アメリカンの血を一際多く受け継ぐ混血です。

一説によると彼は幼い頃に祖母が暮らす居留地で育ったとあります。

パットンのプリミティヴなデルタ・ブルースを改めてじっくり聴いてみると、そのザラ付いた声と、独特の激しく打ち鳴らされる裏打ちの縦ノリに近いビートが鮮烈に醸す荒涼たる風景は、どこか他のブルースマン達が見せてくれる世界観と異質な感じにも思えます。

明らかにプランテーションや飯場、農村の黒人コミュニティだけではない、もっと淋しく閑散とした風景が、パットンの歌う”ブルース”の中に、チラッ、チラッ、と姿を現すんですね。

これ、何だろうとずっと思っておりましたが、あぁそうか、これは居留地の風景で、彼の音楽的な部分の根幹には、腰を横に揺らすアフリカ系グルーヴと、足を踏み鳴らして縦にジャンプするネイティヴ・アメリカンのグルーヴが複雑に入り組んでいるんだなと。

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教えてくださった方が指摘してくださったように、ネイティヴ・アメリカンの音楽文化は、部族文化や部族そのものの消失と共に、永遠に失われております。

なのでブルースと失われたアメリカ文化との関わり(恐らくそれはアタシ達が思っているよりずっと深く強固に結び付いているであろうにも関わらず)を、ズバリこれだ!と断言することはもう永久に出来ないでしょう。

けれども昔の音楽を聴くことで、ミュージシャン達が好むと好まざるとに依らず背負った”業”の正体のようなものに、感性で迫ることは今後とも可能だと思います。

アタシは音楽が好きです。

何故音楽を聴いているのかといえば、それはもちろん聴いて感動する、興奮する、カッコいいミュージシャンに憧れる。そういうのも理由ではありますが、そこをもっと深く問い詰めると"知らないけれど知っている風景"が浮かんできます。

正体不明の郷愁に、何故だか胸が締め付けられる時がよくあるんです。

これも多分答えは出ない永遠の問いであるとは思いますが、きっと人間の奥底にある、共通の原風景ですよね。

チャーリー・パットンのザラついた声の奥底に流れる荒涼は、とても胸にきますね。









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2017年12月06日

オジー・オズボーン トリビュート〜ランディ・ローズに捧ぐ

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オジー・オズボーン/リビュート〜ランディ・ローズに捧ぐ
(ソニー・ミュージック)


洋楽を聴き始めの頃に知って、ギター覚えたての頃に聴きまくって、そのリフや凄腕のギターソロを何とかコピーしたいと思ったギタリストがいます。

それはランディ・ローズです。

はい、言わずと知れたオジー・オズボーン・バンドの初代ギタリストであり、ソリッドできらびやか、そして何よりメロディアスなギター・プレイでオジーをとことん刺激して、彼が「ヘヴィメタルの帝王」への道筋を歩むその第一歩を切り拓いた天才であると思います。

ブラック・サバスで成功はしたものの、ドラッグにアルコール、そしてメンバーとの不仲によって、クビ同然で脱退したオジーは、新たなる活動の地をアメリカに求めておりました。

「ハードロックは俺が作った」という自負と自身があったオジーでしたが、時は既に70年代後半で、果たして自分のやり方が、アメリカの若い奴らに受け入れられるのか?新たなバンドのメンバーとは、上手くやっていけるのか?色んな事を悩みながらのオーディションをしたオジーでしたが、会場であるホテルの一室にやってきた大人しい少年が、アンプにギターを繋いで軽くウォーミングアップしているのを見て

「君に決まりだ、よろしく頼む」

と、すぐさまメンバーに決めました。

「え?決まりだって?僕はまだアナタと曲を合わせてもないし、ちゃんと演奏もしていないのに・・・」

と困惑するランディ・ローズ少年(といっても華奢でかなりの童顔だったのでそう見えただけで実際は21歳)。

地元カリフォルニアでクワイエット・ライオットというハードロックバンドで活動しながら、母親が経営する音楽教室で子供達にギターを教えている、それだけの”ほとんど素人”でした。

実はこのオーディションにランディはそもそも乗り気ではなく友人ベーシスト、ルディ・サーゾから

「ランディ聞いたか?あのブラックサバスのオジー・オズボーンがギタリストを募集してるってよ!」

と、興奮気味に教えられても

「うん、僕は今ギター教室とバンドの練習で忙しいんだよ。それに有名なオジー・オズボーンが僕なんか相手にする訳ないじゃないか」

と、ほとんど消極的だったそうです。

しかし、ルディの再三に渡る説得と、母親の

「アナタも音楽で食べて行こうと思うなら、ショウビジネスの世界で長年やってきた人と会っておいた方がいいわ。きっと何かの役に立つ経験が得られるいい機会だから、オーディションを受けるというのではなくて、オジーという人に会ってくるぐらいの気持ちで一度行って来てごらんなさい」

という言葉が決め手となり、しょうがなくオジーとアポを取って、オーディションを受けたという話だったんですね。


ところがオジーは直感で「運命を感じ」て、すぐさまランディはギタリストとしてオジーと一緒にイギリスへレコーディングをするべく旅立つことになります。

ランディに「オジーのオーディションを受けなよ」と推薦したルディは、何とランディの推薦でベーシストとして、これまたオジーのバンドに加入しています。


オジーを得てからのランディ、いや、ランディを得てからのオジーの煌めきは、正に神がかっておりました。

オジーが「なぁ、ちょっと思いついたんだ」というちょっとしたアイディアでも、ランディはそれに的確なコード進行とリフを付け、サビからエンディングまで完璧に仕上げました。

元々譜面が読めて、音楽理論に精通し、何よりオジーのようなかなり特殊な性格の人間とずっと行動していても、いつもにこやかにふるまって周囲にもストレスを与えないランディの人格は、10歳近く年上でありながら、オジーをミュージシャンとしても人間としても成長させました。


オジーが元々持っていた、ブリティッシュ・ロック(ブルースが土台にある)のフィーリング、そして何よりブラック・サバス時代のへヴィで硬質な音楽性というものを素早く理解したランディは、その”オジーが築き上げたもの”のイメージを全く壊すことなく、より鋭角で手数の多いギター・プレイと、疾走感を増したアメリカン・ハードロックの手法で新たなステージへ引き上げました。




【収録曲】
1.アイ・ドント・ノウ
2.クレイジー・トレイン
3.ビリーバー
4.ミスター・クロウリー <死の番人>
5.フライング・ハイ・アゲイン
6.レヴェレイション <天の黙示> (マザー・アース)
7.スティール・アウェイ (ザ・ナイト) (ドラム・ソロ)
8.スーサイド・ソリューション (ギター・ソロ)
9.アイアン・マン
10.チルドレン・オブ・ザ・グレイヴ
11.パラノイド
12.グッバイ・トゥ・ロマンス
13.ノー・ボーン・ムービーズ
14.ディー (ランディ・ローズ・スタジオ・アウト・テイク)



その”オジーとランディが組むことによって生まれた新しいロック・サウンド”が、最高にアツい現場で鳴っている瞬間を集めたものが、このライヴ・アルバムであります。

80年代はヘヴィメタルの時代と言われますが、ここでランディが弾く、ザクザクとメリハリに溢れたかっこいいギターリフや、華麗な速弾きには、もうその新しい時代の呼吸が活き活きと躍動しております。

『アイ・ドント・ノウ』や『クレイジー・トレイン』の衝撃的なリフは本当にカッコ良くてインパクトがあって、どうやったらギターで弾けるようになるんだろうと思ってチャレンジしたら、実はそんなに難しいことはやってなくて「えぇ!?こんなにシンプルな指の動きで、あんなカッコいいリフになるの!?」と、仰天した記憶がありますし、『ミスター・グロウリー』や『グッバイ・トゥ・ロマンス』で、前者は荘厳で重々しいナンバー、後者はひたすら美しいバラードですが、どちらもランディの最高の情感が彩るメロディアスなソロによって、幻想を極めた美しい異世界に、意識を持っていかれてしまいます。

ブラック・サバスの代表曲『アイアン・マン』『パラノイド』もやっておりますが、コチラも原曲の曲調は全くいじってない、忠実なアレンジに関わらず、雰囲気はひたすらへヴィなサバスとは対照的な解放感に溢れていて、特に堰を切ったように溢れ出すギターのアイディアにはもう言葉がありません。

当然オジーもゴキゲンでノリノリであります。ソロ・アーティストの”オジー・オズボーン”として、新しいハードロックの時代の先鋒に立つバンドとして、これ以上ない程に素晴らしいパフォーマンスがここに収録されております。

このバンド、スタジオ盤もこのライヴ盤も最高なんですが、ランディの早すぎる死によって、突如活動に終止符が打たれてしまうんです。

ランディが亡くなったのは1982年12月。そしてこの「トリビュート」というライヴ・アルバムがリリースされたのが1987年。蛇足ながらアタシがこのアルバムを初めて聴いたのが1991年。でも、その頃リリースされていた、他のアーティストの”新譜”のメタルやハードロックのアルバムと比べても、録音から10年の時間経過はほとんど感じませんでした。

ランディ・ローズのギターは、プレイ自体は非常に激しくて刺激的ですが、サウンドは繊細で構造もよく出来ていて、特に音色は極端な歪みやパワープレイに頼らない、このままのセッティングでロックならどんなジャンルでもいけそうなナチュラルな音なんですよね。この音はいつまでも心地良いし、多分いつまでも鮮やかに聴く人の耳に残るんだと思います。

そして感動と興奮のライヴが終わり、エピローグのように入っているラストの『ディー』。

これは楽屋にクラシック・ギターを持ち込んで練習してたランディが好んで弾いていたオリジナル曲です。もちろんランディ本人がクラシックギター1本で弾いてます。

夢中で聴いていた当時は「ランディ・ローズはこんな全然ジャンルの違う音楽もできるんだ、凄い」と思ってましたが、違うんですよね。ランディにとってはエレキを持って激しくロックする曲もクラシックギターで自己と向き合う曲も、そのメロディの中には同じようにキラキラした美しいものがあって、彼はそれを純粋に愛でていただけなんじゃないでしょうかね。

ランディ・ローズの深く純粋な音楽への愛情にも、思いを馳せて、また胸がいっぱいになっております。


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2017年12月05日

マジック・サム ライヴ!

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マジック・サム/ライヴ!
(Delmark/Pヴァイン)

さあさあ、マジック・サムのアルバムは、まだまだ名盤つづきますよー!

という訳で、ブルースファン、いや、これはもう『エレキギターが炸裂する全ての音楽が好きな人にとって
、出会ってしまったら一生を捧げて聴きまくりたいぐらいになるアルバム』であると断言しちゃいます。マジック・サムの『ライヴ!』と銘打たれた2枚組のこのアルバム。

これはもう何と言いましょう。個人的な体験から申し上げるのを許して頂きますと、それまで戦前ブルースが大好きで、B.B.キング以降のモダン・ブルースに関しては「いいんだけど何だかワンパターンな曲が多いなぁ」ぐらいにしか思えてなかったアタシはコレを聴いて「い、い、いや、すげぇ、やべぇ、すいませんでした!」と、自らの不明を恥じ、CDで買って余りにも素晴らしかったものだから、思わずレコード屋さんで見かけたアナログ盤も購入してそのまま友人にプレゼントしたという、そういうことをやりました。

とにかくスタイルとか年代とか、曲とか音とか、そんなことよりも音楽そのもののパワー、いや、もっと言えばこの音盤の中に収録されているライヴと、それを演奏しているマジック・サムという人と、ライヴを目一杯楽しんでいるオーディエンスが、それぞれ「音楽ってサイコーだー!!!!」と感じ入ってるパワーに圧倒される。そう、理屈を超えてひたすら聴く人を圧倒し、その素晴らしい空気の中に力強く引き込んでくれるんですね。

1枚目がサムがよく出演してたシカゴの小さなクラブでのライヴ、そして2枚目が3万人の聴衆を前にしての大規模フェスでのライヴ。どっちの録音も、ポーダブルデッキでのマイク一発録りで当然音はクリアではない。しかし、この割れてくぐもったサウンドからリアルに伝わってくる熱気、音楽をやらずにはおれない男の凄まじい気迫の何と凄いことか。あぁ・・・(!)

はい、マジック・サムに関しては、その名を目にしただけで胸に何かアツいものが込み上げてくると、これまでもあちこちで書いておりますが、その”アツいもの”とは、すなわちこのライヴ盤に刻まれた空気そのものかも知れない。そう思っておりますし、これからも多分この考えは変わることはないでしょう。

言っておきますが、マジック・サムが生前に残した2枚のアルバム(『ウエスト・サイド・ソウル』と『ブラック・マジック』)はいずれも名盤です。いずれもサムの快調な歌いっぷり弾きっぷりと共に、1960年代後半のシカゴ・ブルースの粋とイナセを、感動しながらお腹いっぱい楽しめます。

で、このアルバムは、出来れば生前に残した2枚のスタジオ・アルバムを堪能してから、そのテンションが更に粗くリアリティに溢れた音質でドカーンと飛んでくるこのアルバムを聴いて頂きたいことなんですが、ちょっと待って、今聴きながら書いてますけど、えぇ、そういうのとりあえずどうでもいいです。最初にコレを聴いてズガーンとヤラレた人は、その時点で恐らくブルースという音楽に魅入られてしまった人ですので、えぇと、何を言いたかったか忘れてしまいましたが、聴いてください。



(Disc-1)
1.Every Night About This Time
2.I Don't Believe You'd Let Me Down
3.Mole's Blues
4.I Just Got To Know
5.Tore Down
6.You Were Wrong
7.Backstroke
8.Come On In This House
9.Looking Good
10.Riding High

(Disc-2)
1.San-Ho-Zay
2.I Need You So Bad
3.You Don't Love Me
4.Strange Things Happening
5.I Feel So Good (I Wanna Boogie)
6.All Your Love
7.Sweet Home Chicago
8.I Got Papers On You, Baby
9.Looking Good
10.Looking Good (encore)


まずは1963年と64年に収録された、シカゴのクラブ「アレックス」での演奏からいきましょう!

もう曲が始まる前から、テンションの高いアナウンスと客のヤジ。クラブの薄暗い中での熱気がムンムンとこもってるこのザワついた雰囲気、そしてサムも異常なテンションで、何度も「イェー!イェー!!」と煽りまくる。くあぁ、たまらんねぇこれ・・・と思ってたら、いきなりおっぱじまります気合いのスローブルース(!)

そしてもうのっけからアルバム全部のクライマックスが、この1曲目で来ちゃってるんですが、歌い出し

「エェェェビバデナイバウディスタァァァーーーーム!!」

のサムの声とユニゾンでハモッてるのは、何と一緒に歌ってる観客の女性。

いやいや、ブルースのライヴ盤では、確かに客が歌うのもあるし、テンションがヤバいことになった聴衆の熱狂とか掛け声とか、そういうのが凄いのたくさんありますが、この歌い出しの「知らないネーチャンとの合唱」これに勝る感動的なオープニングはそうはないだろうと思います。

で、誰だって女の子が一緒に歌ってくれれば気合いが入って機嫌も良くなるってもんです。サムは終始曲間に「イェエエイ!!」と奇声を上げ、歌もギターもヤバすぎるテンションですこぶる盛り上がります。

ブルースといえば、ギターソロで、サムもところどころ「フレディ・キングとのバトルで勝利した伝説」を裏付けるかっこいいソロを聴かせてくれますが、この盤でのサムのギターの凄さは、ソロよりもむしろギャリギャリに歪んだ音でのブギ系曲のリフ・バッキング。そうなんですよ、サムの魅力は歌とかギターソロとかそういう一部にだけ偏ってない、テンション高いし荒削りなところも味ではありますが、それでいて全体が安定してカッコイイところにあるんです。

編成はヴォーカル、ギター+ベース、ドラム。曲によってキーボードと、何とエディ・ショウにA.C.リードという、戦後シカゴ・ブルースのサックスを語る時に絶対ハズせない大物2人が同時共演。凄いですよコレ、普通はホーン・セクションといえば、サックス+トランペットとか、或いはそれにトロンボーン加えてとかが多いのに、テナー・サックスが2本ですからね。しかもどちらもサムのプレイを邪魔せずいいところで絶妙なフレーズで好サポートしておりますから流石であります。

Disc-2の1969年”アン・アーバー・ブルース・フェスティバル”はサムが亡くなる4ヶ月前の演奏で、この日サムは具合でも悪かったのか、或いは飲み過ぎたか、会場には白人ベーシストだけを引き連れてかなり遅刻して入ってきたらしいのですが、この時助っ人で「オゥ、オレが叩いてやってもいいぜ」と加わったのが、当時ポール・バターフィールド・ブルースバンドでキレッキレのドラムを叩き、それ以前にも”シカゴで一番万能なドラマー”として評判だったサム・レイ(!)

さあここから3万人の聴衆を前にしての、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスもかくやと思われる怒涛の3ピースの熱演が始まります。

オープニングはアルバムでもおなじみフレディ・キングのナンバーですが、まぁこのテンション、鬼気迫るド迫力の演奏といったらどうでしょう。えぇ?これでたった3人?マジかよ!?となること必至の音圧、空間の埋め尽くしでありますよ。

これ、録音がもっと良かったら多分ここまで音がひと固まりになって「ゴワーン!」と響く感じにはならなかったでしょうね。とにかくサムの緊張が演奏に尋常じゃない覇気を与えた歌とギター、サム・レイのバシッ!バシッ!とカッコイイところで容赦なく決まるドラミングが最高であります。

これもまた「全曲推し!」と言いたいところですが(だってホントに気の抜けた一瞬すらないんだもん)、個人的にお気に入りは『Strange Things Happening』ですねぇ。

原曲は50's R&Bの偉大なるシンガーソングライター、パーシー・メイフィールドが歌う落ち着いたスロー・ブルースですが、サムは更にテンポを落として感情を沸々とたぎらせるへヴィなブルースで歌を、2本の弦を「ギャイーン!」とヒットさせるタフなプレイでギターを炸裂させます。

ここから一気にテンポ・アップしてハイテンションのブギーになだれこんで、更にその歪んだ音と鋭過ぎるドラミングがもうヤバイんですよ。えぇ、聴いてください、聴けば分かります。

2枚組というのがウソみたいに短く感じられる、どこから聴いてもどれだけ聴いても、決して衝撃が色あせない、本当の意味での”生”の音楽の凄さです。えぇ、もうこれ以上の言葉はいらんでしょう。

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2017年12月02日

マジック・サム ブラック・マジック

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マジック・サム/ブラック・マジック
(Delmark/Pヴァイン)


12月1日はマジック・サムの命日でした。

ブルースが好きな人にとっては、もちろんこの人は、その名前を目にしただけで、何か胸に特別な感情がグッと込み上げてくる人であります。

世代的には1960年代後半にデビューし、戦後の”モダン・ブルース”と呼ばれるスタイルを切り開いた比較的新しい世代で、戦前から連綿と続くディープ・ブルースと、50年代にブルースから発展した華やかな都会のR&B両方の影響を受けた、恐らく最後の世代でありましょう。

まだハタチそこらだった1950年代後半から、ウエストサイドやサウスサイドといった黒人居住区にあるクラブで、フレディ・キング、オーティス・ラッシュ、バディ・ガイらと共に腕を磨き、他にも若く才能に溢れた新世代のブルースマン達がキラ星のごとくしのぎを削っている中で、見事ソウルやR&Bのエッセンスをギター全開のブルースに取り入れたオリジナルなスタイルを打ち立てて頭角を現し、さあいよいよこれからだという時に、たった2枚のスタジオアルバムだけを残して、32歳という若さであっけなくこの世を去ってしまったマジック・サム。

「生きていれば」「もしも次のアルバムが出ていたら」「もっと早くから正当に評価されておれば」という声は、全ブルースマンの中でも恐らくズバ抜けて多い人だと思います。

えぇ、わかります。スタイル云々はさておいて、この人ほど湧き上るブルース衝動みたいなものが歌とギターにストレートにみなぎっている人はそうおりませんもの。

はい、今聴けば王道過ぎるぐらい王道で、ストレート極まりないモダンなブルースですが、この人の場合は音楽性がそうである故に、とかく暗い影が付いて来がちなブルースから闇を吹き飛ばし、全部カラッとポジティヴなエネルギーにして昇華させる、そんな特別な力でも持ってるんじゃなかろうかと、どのアルバムを聴いてもそう強く感じるんです。

マジック・サムは1937年に南部ミシシッピに生まれ、1950年には大都会シカゴにやってきております。

その頃のシカゴといえば、マディ・ウォーターズやサニーボーイ
ウィリアムスン、エルモア・ジェイムス、そして少し遅れてハウリン・ウルフなどの大物達が、南部そのままのタフでディープなフィーリングを、電気化させたバンド・サウンドに乗せて大暴れしてヒットを飛ばしていた正にその時代。

ハウリン・ウルフ・バンドのヒューバート・サムリンのカミソリのようなソリッドなギター、或いはよく路上でも演奏していたロバート・ナイトホークの、泣き叫ぶようなエモーショナルなスライド、そしてもちろんラジオから流れてくるB.B.キングの、それを一発放つだけで場の空気が一気に華やぐチョーキング奏法、日々そういうものを浴びるほど聴いて感動した若き日のサムは、ギターを持ってあちこちのクラブや飲み屋で演奏する生活に、すぐに浸るようになります。

サムがブルースで身を立てるべくクラブで奮闘していた1950年代半ばには、高級スーツに身を包み、ホーンセクションを従えたゴージャスでノリのいいサウンドで若い世代の恋愛を歌う”R&B”という新しい音楽がチャートを賑わせるようになりました。

いつだって若いヤツは新しいもの派手なものが大好きです。サムらシカゴの若いミュージシャン達は、こぞってこの新しいブルースの、特にリズムや歌唱法を熱心に研究し、ロックンロールやR&Bのリズムや曲調に対応した”今風のブルース”を生み出します。

これが”モダン・ブルース”という言葉の語源でありますね。

サムの50年代は、非常に充実したものでありました。クラブで夜な夜な繰り広げられるセッションでは、盟友であるフレディ・キング、オーティス・ラッシュ、バディ・ガイらと”その夜の飲み代”を賭けた本気のギターバトルをよくやっていたそうですが、これが大人気。

「今日のギターバトルは誰が勝つと思う?」

「フレディ・キングだな、今シカゴの若手じゃ勝てるヤツぁいねぇよ」

「オレはマジック・サムに賭けるね、先月のバトルでフレディに勝ったって言うじゃないか」

「おいおい、お前ら何言ってんだ、本気を出したオーティス・ラッシュが一番に決まってるじゃねぇか。オレは初めてヤツのギター聴いた時鳥肌が立ったぜ。オレはオーティスに賭ける」

「いや、バディ・ガイだ」

ヒッピ・ランクシャンだってすげぇぞ」

「バカ言えよ、アール・フッカーに決まってんだろうが」

こんな会話がクラブでは飛び交ってたんでしょうね、えぇ、ワクワクします。

サムの人気はレコード会社の耳にも届き、地元のインディーズレーベル”コブラ”より、サムは遂にレコードデビューを果たしました。

残念ながら小さなレーベルの悲しさから、爆発的なセールスに繋がることはありませんでしたが、この時の楽曲「All Your Love」は、ゆったりとしたテンポにソウルフルなシャウトが炸裂する、実に新しいフィーリングを持ったブルースでありました(アルバム『ウエスト・サイド・ソウル』で聴けます)。





レコードを出したこともあって、サムの活動そのものは順調でした。クラブでの仕事はギャラこそ安いものの、連日連夜彼のプレイを聴きに来る若い客でフロアは賑わい、報酬以上の充実感は大いにあったことと思われます。

ところが1959年、順調に活躍していた彼に、その後の運命を左右する不運(ハードラック)が襲い掛かります。そう、軍から召集令状が来てしまったのです。

この年、北ベトナムのホー・チミン政権は、アメリカが支援する南ベトナム政権を打倒するための武力攻撃を決議。

当然南ベトナムを支援するために展開していたアメリカ軍とは、本格的な戦闘が予想されましたので、国や軍は、北ベトナムを大量の兵器と人員で圧倒するべく一般的徴兵法に基づいた徴兵で若者を招集しましたが、ここに投入される兵員は、ほぼ消耗品でありました。そしてまだ差別的待遇が残っていた公民権運動前のアメリカでは、徴兵されたら真っ先に激戦地の最前線に送り込まれるのは黒人兵士と相場が決まっており、黒人社会ではそれが当然のことという認識がありました。

ここでサムが取った行動は、何と脱走です。

結果サムはMPに逮捕/投獄され、脱走罪で6ヶ月刑務所に服役することになりました。

この出来事が、サムにどれほどの精神的ダメージと経済的苦境を招いたかは計り知れませんが、60年代になってシカゴに戻ってきたサムは、元々多かった酒量が底無しになり、奥さんも子供も生活保護で栄養状態もままならない程の酷い生活を送っていたと言います。

サムが音楽活動を再開したのは、1960年代も半ばになってようやくのこと。友人や音楽仲間達の支えでシーンに復帰したサムは67年にはデビュー・アルバム『ウエスト・サイド・ソウル』をリリース。これが傑作として評判を呼び、サムの活動はふたたび軌道に乗り、翌68年にはセカンド・アルバム『ブラック・マジック』をリリース。更に翌年の1969年には第一回の”アン・アーバー・ブルース・フェスティバル”に出演、3万人の聴衆を前に演奏を行い、ここでも評判となります。

が、不遇時代から彼を蝕んできたアルコールは、確実に彼の体に修復不可能なダメージを与えておりました。

1969年12月1日、突然の心臓発作によりマジック・サムはあの世へ旅立ちます。享年32歳。


実はマジック・サム、亡くなった時点ではまだまだ世界では無名の存在でした。

もちろん若かったというのもありますが、レコードをリリースしたのはいずれもシカゴのインディーズレーベル、そして何より彼には代表曲となるオリジナル曲がまだまだ少なかったんです。

だからアン・アーバー・ブルース・フェスティバルに出演して3万人の聴衆を沸かせたことが、実はサムにとっては世界的に有名になる最初のチャンスだったんですね。

「レコードもそこそこ評判で、初めての大きなステージにも立った。やれやれ、どうなることかと思ったが
ようやくハードラックともおさらば出来そうだ。ここまで来るのは長かったが、俺の人生どうやらこれからだな」

と思った矢先の突然死。これ、皆さんどうお感じになられますかね、アタシはマジック・サムという人のズバ抜けた歌とギターのカッコ良さ、楽曲アレンジのセンスと共に、”気さくでよく冗談も飛ばす、明るいヤツだったよ”という人柄が表れた、底抜けにポジティブなブルース解釈を聴いて彼の人生を胸の中で重ね合わせる時、やはり何とも言えない気持ちが溢れてくるんです





【収録曲】
1.I Just Want a Little Bit
2.What Have I Done Wrong?
3.Easy Baby
4.You Belong to Me
5.It's All Your Fault
6.I Have the Same Old Blues
7.You Don't Love Me, Baby
8.San-Ho-Zay
9.Stop! You're Hurting Me
10.Keep Loving Me Baby


さぁ、マジック・サムを聴きましょう。本日のオススメは、1968年にリリースされた、彼の2作目にして最後のスタジオ・アルバムとなった『ブラック・マジック』です。

元よりR&B的なファンキーさを持っていて、デビュー作でもその雰囲気を見事オリジナリティとして刻んでいたサムが、よりファンキーで”踊れる”仕様のアレンジとギター・プレイで見事に個性を昇華させた一枚ですね。

時代はR&Bから、より洗練されたソウルや、より”踊れる”ビートへ特化したファンクへと流行が目まぐるしく移り変わっていた時代。ブルースマン達はその流行のスピードに押されて軒並み苦戦していたと言いますが、土台をしっかりとブルースに置きつつもアーバンなリズムで攻めに攻めるサムのプレイは、総じて覇気に溢れ、時代の荒波なんのそので突き抜けて行けそうなタフさがあります。

マンボの「ウーッ!」なノリでハジケるオープニングの@『I Just Want a Little Bit』から、歌唱は深くテンポは軽快な8ビートのA『What Have I Done Wrong?』、最初にレコーディングしたコブラ時代のセルフカバーのB『Easy Baby』(渋いスローブルース)、サムがとりわけ敬愛していたローウェル・フルスン御大のファンキーなヒット・ナンバー『Tramp』のパターンでファンキーにキメるC、後半には盟友フレディ・キングのゴキゲンなインスト・ナンバー『San-Ho-Zay』や、同じく盟友オーティス・ラッシュの『Keep Loving Me Baby』で、アルバム最後を軽快なシャッフルビートでシメる粋な演出も忘れてはおりません。

個人的には後半の”ダチの曲をカッコ良くカバーするもんねシリーズ”の目玉はアンドリュー・ブラウンの大名曲『Stop! You're Hurting Me』(原曲タイトルは『You Better Stop』)であります。スローテンポでジワジワと歌い上げる原曲に忠実なへヴィさに沿った歌とギターのコールに、見事なレスポンスで応える職人エディ・ショウのサックスがこれまた最高なんですよ。

今日は一日マジック・サムの手持ちのアルバムをずっと聴いておりますが、やはりどのアルバムも(死後に発表されたライヴ盤や未発表音源も含めて)細かなアレンジや音質の違い等あれど、演奏されていない”その先の音楽”が、まるで聞こえてくるような、そんなワクワク感ではちきれそうであります。

こういうの、本当の意味で個性とか味とか言うんだよなぁ。。。








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”ブルース入門編 〜初心者のための優しいブルース講座〜”



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2017年11月30日

Boogie Woogie Santa Claus

1.jpg
Boogie Woogie Santa Claus–An R&B Christmas
(RWA)

皆さんこんばんは、バタバタしているうちにもう今年もあとわずかになってしまいましたが、いかがお過ごしでしょうか。

いやぁ12月といえばクリスマスですよ。もうね、好むと好まざるとにかかわらず年末年始というものは、クリスマスがやってきてお正月がやってきてしまうもんなんですね。え、冬休み?ないない、オトナにはそんなもんはございませんよ。

で、クリスマスもお正月も、どうせだから楽しんでしまおう!ということですよ。若い人もお父さんもお母さんも、カップルな人もお一人な人も、分け隔てなくハッピーな気持ちにしてくれるのが音楽であります。

はいはい、これを言いたかった。

もうこの際だからぶっちゃけてしまいますと、クリスマスだろうがなかろうが、音楽を聴いてハッピーになろうぜ♪と、アタシは毎度毎度ブログにメッセージを込めております。えぇ、その中でも年中行事やお祝い事などの”雰囲気”を楽しむというのは、より深く豊かな音楽の楽しみ方です。クリスマス?けっ!と思っていた時期もありましたが、まぁクリスマスは別にアタシのこと嫌いじゃない、とくれば乗っかることは乗っかっても、そこで自分なりの楽しみ方をするんですよ、えへへ。

で、クリスマスというものを、いつもいい感じで楽しんでいるのが、アメリカのジャズやソウルやR&Bの方々ですね。50年ぐらい前から、この時期になると売れっ子ミュージシャン達はクリスマス・ソングをリリースして、お祭り気分を盛り上げてた・・・と思ったら、何とそのずっと前、1920年代から、ブルースの人達がクリスマス・ソングやニューイヤーソングを出していたっていうんですから驚きです。

アメリカ人、どんだけクリスマス好きなんだと。

そう、100年近い「クリスマスソングで盛り上がろうぜ」というのを続けてきているブラック・ミュージックの方々は気合いが違う。素晴らしいのいっぱい出してきます。

流石に戦前ブルースのクリスマス・ソングを集めたコンピは出てないっぽいので、今日は戦後すぐの1950年代前半から半ばぐらいの時期にリリースされたR&Bソングのイカすやつをドカンと詰め込んだコンピレーション・アルバムをご紹介します。


1.Chuck Berry/Run Rudolph Run
2.The Moonglows/Hey Santa Claus
3.Jimmy Liggind and his Drops Of Joy/I Want My Baby For Christmas 
4.Oscar McLollie and his Honey Jumpers/Dig That Crazy Santa Claus
5.Jimmy Butler/Trim Your Tree
6.Cecil Gant/Hello Santa Claus
7.Mabel Scott/Boogie Woogie Santa Claus
8.Lowell Fulson/Lonesome Christmas (Part 1)
9.The Cadillacs/Rudolph The Red-Nosed Reindeer
10.Titus Turner/Christmas Morning
11.The Penguins/Jingle Jangle
12.Charles Brown/Christmas Finds Me Oh So Sad
13.Jesse Thomas/Christmas Celebration
14.Amos Milburn/Let's Make Christmas Merry,Baby
15.The Drifters/White Christmas
16.Jimmy McCracklin/Christmas Time (Part 1)
17.Huey (Piano) Smith and the Clowns/Silent Night
18.Chuck Berry/Merry Christmas Baby
19.The Orioles/(It's Gonna Be A) Lonely Christmas
20.Big Bud/Rock Around The Christmas Tree
21.Jimmy Witherspoon/How I Hate To See Xmas Come Around
22.Roy Milton and his Solid Senders/Christmas Time Blues
23.Solomon Burke/Christmas Presents
24. Willie John and the Three Lads And A Lass/Mommy What Happened To Our Christmas Tree
25.Alex Harvey/The Little Boy That Santa Claus Forgot
26.Little Willie Littlefield/Merry Xmas
27.The Five Keys /It's Christmas Time
28.Johnny Moore's Blazers with Frankie Ervin/Christmas Eve Baby
29.The Harmony Grits/Santa Claus Is Coming To Town



”Richard Weise Archive(RWA)”というレーベルがありまして、このレーベルが凄いんですよ。1940年代〜60年代ぐらいまでのアメリカのソウルやR&B、ロカビリーやカントリーなどを、良心的なセレクトでリリースしまくっているんです。

冷やかしでホームページ覗いたら、まー「うひょー、こんなのあったんだ!!」と目の玉がまんまるになるような、有名どころからレアなアーティストまで、もう素敵すぎるラインナップ。

その中にあったクリスマス・コンピがこの「ブギウギ・サンタクロース」ですよ。

これはですのう、とにかく50年代R&Bです。

まーこの辺のコンピとなると、有名人集めて、名前で売ろうというコンピが多いんですが、とにかくメンツをご覧くださいな。無名という訳ではないですが、ブラック・ミュージックの、かなりのツワモノファンが見て「おほっ」と喜ぶ、実に渋い面々のクリスマス・ソングがずらり。

えーと、ちょっと待ってくださいね、この中でお茶の間レベルで名前が通るのと言ったら、チャック・ベリー、ドリフターズ・・・ぐらいかなー(驚)。

でも、この中に収録されているアーティスト達は、いずれも50年代のR&Bで、一目も二目も置かれる超の付く実力派揃い。

ドゥー・ワップの代表格ムーン・グロウズが粋なヴォーカル・ハーモニーで聴かせれば、ジャンプするピアノ野郎のエイモス・ミルバーンが、ロールするノリノリのクリスマス・ソングで沸かせて、ブルース界からはローウェル・フルスンがちょっとジャジーなバックを従えてゴージャスに大人のクリスマスを歌います。

あぁ、セシル・ギャントとかも実に渋い!そしてジャンピン・ジャイヴの粋で洗練されたサウンドで一世を風靡したジョー・リギンス・・・じゃなくて、同じくジャンピン・ジャイヴながら、すっとんきょうな歌声と破天荒なバンド・サウンドでロックする弟のジミー・リギンス(!!)も入ってるし、セクシーなテナーヴォイスで甘くキメるチャールズ・ブラウン、R&Bの至宝ソロモン・バーグ(ヴァン・モリソンやミック・ジャガーがすっげぇ影響を受けたすっげぇ人)、この辺の歌唱は誰が聴いてもカッコイイの域でありましょう。

いやぁ、これだけ”中身”にこだわって、確実に盛り上がれてしかもじっくり聴けるR&Bのクリスマス・コンピはなかなかないですよ。こういうの欲しかったんです♪







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2017年11月28日

イントロデューシング・ポール・ブレイ

6.jpg



Introducing Paul Bray with.Charles Mingus,Art Blakey


(Debut/OJC)


昨日にひきつづき、ポール・ブレイです。

何でかって言うと、昨日書いた『オープン・トゥ・ラヴ』の記事を見ると、どうも自分の感激とか感動とか、そういう心の内側の想いの強さだけで、あぁ、記事を書いちゃったなぁ、これじゃあ肝心のポール・ブレイって人がどんな人だかよくわからんなぁと思ったからです。

いやしかしですね皆さん、言い訳になってしまうかも知れませんが、あのアルバムはもうしょうがないんですよ。ジャズがどうの、スタイルがどうのから、弾いてる人がどうのまで、演奏が凌駕してしまう、本当に演奏だけ、いや、演奏の中で響いている音や無音だけで存在が完璧に成り立ってしまうような、究極のピアノ芸術でありますから・・・。

という訳で(どんな訳だ)今日はこの鬼才ピアニストの初期のアルバムを紹介しながら、彼のバイオグラフィ的なことについてもちょこっとお話します。

まず、ポール・ブレイという人は1932年、カナダで生まれました。

服飾工場を経営する、比較的裕福なユダヤ系商人の家庭に生まれた彼は、幼少から恵まれた環境で音楽を学んでおり、何と11歳で地元のマクギル音楽院を卒業。そして、ニューヨークのジュリアード音楽院へ進学して、この時作曲法と指揮を学んでおります。

で、卒業後は完全に”ジャズの人”になります。

地元モントリオールの若者らとジャズの研究会を立ち上げ、その会でニューヨークの一流ミュージシャン達を次々と呼んで、更にセッションも行っておりますが、この時交流したミュージシャン達というのが、チャーリー・パーカーやレスター・ヤング、ベン・ウェブスターという、戦前〜戦後のジャズの、伝説と言っていい凄い人達。

ブレイ少年は、こんな凄いメンツを呼んで何をやってたかと言うと、何とフツーに共演して、一緒にレコーディングとかしてるんですね。

いやはや、クソ度胸があるというか末恐ろしいというか・・・。

ブレイは先輩達に上手におべっかを使って気に入られるような、そんなタイプではなく、むしろどんな相手にも毅然と接し、演奏や音楽のことにおいて、真摯に語ったりとことん質問して追究するようなタイプでありました。

「カナダの小僧、なかなかやるな」

と、大物達は思ったに違いありません。

そんなブレイに

「お前気に入った。オレがプロデュースしてやるからアルバム作らないか?」

と、声をかけた大物がチャールス・ミンガスです。

ミンガスって人は、もちろん凄腕のベーシストでありますが、実は早い段階から「ジャズの演奏に高度なアレンジや更に複雑なリズムを織り交ぜて、一等質の高いものを作ろう」と目論んでおりました。

音楽学校で専門の作曲や編曲技術を身に付け、しかもピアノは恐ろしく上手い。更に単なる頭でっかちではなくて、クールなたたずまいの中には知識から飛躍しようとするギラギラした野心も持っている。そんなブレイにミンガスは「コイツだ!」と思います。

丁度その頃といえば1953年。ミンガスはレコード会社の方針が気に入らず、自分が中心となって、アーティストの表現欲求を叶えるレーベルをシーンに定着させるべく『Debut(デビュー)』というインディーズレーベルを立ち上げており、若く新しい表現を開拓することに並ならぬ情熱を燃やすジャズミュージシャンも募っておったんです。






【収録曲】
ポール・ブレイ(p)
チャールス・ミンガス(b)
アート・ブレイキー(ds)

【収録曲】
1.Opus One
2.(Teapot) Walkin'
3.Like Someone in Love
4.Spontaneous Combustion
5.Split Kick
6.I Can't Get Started
7.Santa Claus Is Coming to Town
8.Opus One - (alternate take)
9.The Theme(bonus track)
10.This Time the Dream's on Me(bonus track)
11.Zootcase(bonus track)

録音年月日 1953年11月30日


これぞ鬼才として長いキャリア毎に、ジャズ・ピアノの常識を根底から次々と変えてゆく作品を世に放ってきた、ポール・ブレイのデビュー・アルバムです。

ブレイはこの時21歳。ミンガスが「ドラマーにはとっておきのヤツを用意しといたぜ」とスタジオに呼んだのが、何と後にジャズ・メッセンジャーズを結成し、モダン・ジャズの代名詞とも言われる超大物ドラマー、アート・ブレイキー。

しかし、ブレイはそんな大物を前にしても全然ビビったそぶりを見せません。

しっとりと落ち着いた、それでいて独自のキリッとした芯のあるピアノの音質で、極めて上質な”聴かせるジャズ”を演奏し、煽りに関しては超一流で、ようし一丁揉んでやるかーなテンションだったはずのミンガス、ブレイキーという荒武者を、見事にジェントルなサイドマンに仕立て上げて従えておるんです(ボリュームを上げると速めの曲で「Go,Go,」と、多分ミンガスの煽り声が聞こえますが)。

これが凄くいんですね。特に「Like Someone In Love」「I Can't Get Started」などのバラードで聴ける、とろけるような甘いメロディーの余韻は、もうこのままのスタイルでこれ以後やってても「ポール・ブレイというとにかくメロディの美的センスに優れたピアニストが・・・」と、形容されてもおかしくない、完成の域に達した演奏であります。

そうなんです、とかく個性的なスタイルを築き上げた人の初期のアルバムは「まだ個性が確立されてはいないが、この頃から予兆はある」とか「勢いに任せた荒削りなプレイが魅力」とか言われがちではありますが、ブレイのこのアルバムは、そんなところ微塵も感じさせません。

確かにこのアルバムでの演奏は、スッキリした”常識”の範囲内に収まった、実に聴き易いモダン・ジャズ、ビ・バップ・ピアノではありますが、それでもその枠組みの中で存分に発揮されたオリジナリティ、つまり甘美でクールでハードな持ち味というのは、他の誰とも似ていないのです。

ブレイは時期によってスタイルをガラッと変えておりますが、やはりどの時期のアルバムからも、全ての演奏に通じるゆるぎない美学を感じます。




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2017年11月27日

ポール・ブレイ オープン・トゥ・ラヴ

6.jpg
ポール・ブレイ/オープン・トゥ・ラヴ
(ECM)


ジャズを聴いてて、あーピアノっていいなーと思って、あれこれ聴きます。

最初の頃は誰のどんなのがいいのかさっぱり分からなかったので、とにかく有名な人の有名なアルバムから、手当たり次第に聴いておりました。

マル・ウォルドロンのビシバシと容赦なくダークな音塊を叩き付けるような演奏にシビれ、セロニアス・モンクの、どこか調子外れに聞こえる、フレーズもリズムむ個性的なピアノに衝撃を受け、ビル・エヴァンスのひたすら美しく、切なさで心をスーッと撫でてゆくような演奏に涙し、バド・パウエルのノリノリでいながらその重たく歪んだ音の中に言い知れぬ狂気を感じさせるスリリングなプレイに圧倒され、そしてソニー・クラーク、ウィントン・ケリー、ボビー・ティモンズ、この辺の洒落たブルース・フィーリングと豊かな味わいを持ったモダン・ジャズの王道ピアノに「イェ〜イ、いいねぇ〜」となっていた訳です。

そう、ジャズの”ピアノもの”には期待してたのと何か違う、ガッカリ。みたいなハズレ盤はなかったんです。

どんなスタイルのどんな演奏でも、ピアノ+ベース+ドラムスという、いわゆるピアノ・トリオの編成で聴くと、何か受け入れることが出来てしまう。不思議だなぁと思って、全然知らない人の知らない作品を思い切って買ってみても、これがハズレない。

これは大分後になって知った事ですが、ジャズのピアノものってそういうものらしいんですね。

だから若い頃に色んなものをガンガン聴きまくってたジャズファンが、そろそろ落ち着きたい年齢になってくると、ピアノ・トリオ専門のコレクターになったりするような話もあるんだと聴いて、ほうほうそれは納得できますなぁと思いました。

や、まだまだ落ち着くつもりは毛頭ございませんが。

で、そんなこんなでジャズ・ピアノというものの魅力にどんどんのめり込んで行っている時に出会ったのがポール・ブレイという人です。

最初に聴いたのは『ブラッド』というアルバムで、これはなかなか鋭利な前衛臭の漂う過激派な作品だったんですが、うん、ピアノ・トリオだったらこういうアルバムでも、割とすんなり聴けるんだなこれが・・・。

と、思っていたら、耳にガシガシと刺激と共に妙な”引っ掛かり”を感じて、なかなかすんなりと胸の内に収まってくれなかったんです。彼より過激なプレイをするピアニストはいっぱいいたし、彼よりアクの強いピアニストはいっぱいいたにも関わらず、何かこう”これは一体何なんだろう?”の連続みたいな、不思議なプレイをする人。それがポール・ブレイの第一印象でした。

だから、好きとか嫌いとか、良いとか悪いとかじゃなくて、純粋に”分からない!でも気になる!”と思った、恐らくこの人は唯一の人です。

1960年代にフリー・ジャズのムーヴメントのただ中にあって、その中で一躍存在感を放っていた白人ピアニスト、うんわかる。でもその前は実はコテコテのバップ・ピアノの達人で、独特の硬いトーンでバド・パウエルみたいな重たいグルーヴを鍵盤から叩き出す人であったとか。うん、それも分かる。

でも、そうやって語られる以上の”何か”がこの人のプレイにはあるように思えました。

そう「フリー」とか「リリカル」とか「モダン」とか、形容詞では形容できない、もっともっと精神の奥底で、妖しい光を放ちながらうごめいてるようなもんが、どうしてもあるような気がする。でもわからない。ううん、気になる。もっともっと知りたいぞ!

と、思いつつ、主に彼の60年代、いわゆる”フリージャズ”と呼ばれる作品を集中的に集めては聴き込んでおりましたが、ある日何かの雑誌で「ポール・ブレイが1970年代に録音したソロ・ピアノの究極の傑作」というものらしい『オープン・トゥ・ラヴ』というアルバムを聴いて、さらなる「もっともっと!」の世界にアタシは引きずり込まれてしまいました。






【パーソネル】
ポール・ブレイ(p)

【収録曲】
1.クローサー
2.アイダ・ルピノ
3.スターテッド
4.オープン、トゥ・ラヴ
5.ハーレム
6.セヴン
7.ナッシング・エヴァー・ヴォズ、エニウェイ

収録年月日 1972年9月11日



端的に言うと

「これは究極だ!」

と思いました。

それまで聴いて、感動を覚えていたフリー・ジャズなピアノではない。そして、それ以前の、いわゆるスウィングするジャズなピアノでもない。繊細で官能的で、美しい美しいピアノ音楽。これを一体何ていうジャンルで形容すればいいのでしょう。未だに分かりません。

溶けるようなメロディの間にたっぷりと挟まれた、ため息のような余白。たった一台のピアノが作り出す、無音より更なる静寂が際立つ、そう、しんとした静けさの中で、ピアノの内側の弦の微かな震える音までが聞こえてきそうな、そんな透明な空気。未だにこれを何と言えばいいのか、それを形容する言葉が見つかりません。

ただ、繊細な部分にも、官能的な部分にも、やっぱりどこか綺麗に整った狂気みたいなものが秘められていて音が鳴ってるなというのは感じますし、それ故にこの寸分の狂いもスキもない美で出来たピアノ音楽は、度を超して魅力的なのだと思います。

うん、ポール・ブレイという人について、または彼の音楽について、もっと色々と語るべきではあるかと思いますが、今日は午後からずっとこのアルバムを聴いて、やっぱり形容を越えた静謐な美しさの前に、アタシはまたしてもまんまと言葉というものを失ってしまったようです。




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2017年11月25日

ソニー・ロリンズ ナウズ・ザ・タイム

6.jpg
ソニー・ロリンズ/ナウズ・ザ・タイム
(RCA/ソニー・ミュージック)

世の中には、色んなポジティヴ・ミュージックが溢れてますが、アタシの中で「聴くと元気に、前向きになれる音楽」といえば、これはもうソニー・ロリンズです。

ズゴッと野太いテナー・サックスの音に、豪放磊落、それでいてメロディの骨の部分がしっかりと濃い輪郭で、アドリブの小節を重ねる毎にくっきりくっきり際立ってゆくプレイ・スタイル。ちょいとばかり実験的な方向性を取り入れたり電気楽器を導入したり、長いキャリアの中で色々とやってはいるけれど、基本は全く変わらない、安心して聴けるモダン・ジャズの王道そのものなストレートな音楽性。

だからロリンズのアルバムには、大ハズレという盤がありません。

どの時期のどのアルバムも

「よし、気合いを入れて聴くぞ」

ではなく

「ジャズ聴くよ〜」

或いは

「ジャズを聴くのだー」

ぐらいの気持ちに、サクッと気持ち良く男前なサウンドで応えてくれる。そして聴く人の気持ちをムクッと前向きにしてくれるのがロリンズです。思わず「兄貴、ワシついていきます」ってなっちゃいますね、えぇ、なっちゃうんです。

特にアタシが「ジャズを聴くのだー」の気分で楽しめるなぁと思うのが、1960年代RCAに移籍してから録音されたいくつかのアルバムたちです。

何というか、50年代若手のホープとしてバリバリに活躍していた頃の、理路整然と豪快なプレイと比較して、一層砕けて、肩の力を抜いて楽しめるんですよ。

ここに至るまでには、ロリンズ自身にちょっとした出来事がありました。ジャズファンにはすっかりお馴染みの「ロリンズ雲隠れ」であります。

そう、ロリンズは1959年に”人気絶頂なのに何故かふいっと失踪した”んです。

突然の雲隠れ(実は2度目)に「マジか!?」と「またか!」で騒然となったジャズ界隈でしたが、2年後にロリンズは「やぁやぁどうもどうも」と、何事もなかったように戻ってきたんですね。

理由については、実は今もよく分かっておりません。本人も訊かれる度に

「あぁ、オーネット・コールマンが出てきて、アイツのやってることが余りにも凄くて、オレのスタイルは古いんかなーとか色々考えたんだよね」

「毎日夜に演奏ばっかしてるとね、生活が乱れちゃうんだよね。寝不足で酒飲んで、運動不足で、あーこれはいかんなー、どっかで立て直さないとなーとか、色々考えたんだよ」

「ライヴとかレコーディングとか、本番ばっかりで練習する時間がなくてね。もっと巧くなりたい、ならなきゃ、と、色々考えたんだよ」

と、まぁ要するに「色々考えた」と本人が言っておるから、色々考えたんでしょう。

で、何をやってたかといえば、掃除夫のアルバイトをしながら、ヨガで体と精神を鍛えて、公園にテナー持ってって練習してたけど、公園で吹いてたら苦情が来たもんで、車しか通らない橋の上ならいいだろうと思って橋の上で練習してたよと。

この辺のメンタルが、実にもう兄貴ですよね。確かに繊細でストレスに弱い人だったから、雲隠れという行動に出てしまったんでしょうが「イヤんなったらとりあえず環境から離れて、やりたいことに集中すればいい」と思い立ったらポーンと出来ちゃうメンタルは見習いたいものです。

で、そんな生活を2年ぐらい続けて「もういいか」となってシーンに復帰。で、復帰した第一作目は、そうだね、オレ橋で練習してたから『橋』でいいんじゃね?と。

兄貴・・・。



【パーソネル】
ソニー・ロリンズ(ts)
サド・ジョーンズ(cor,C)
ハービー・ハンコック(p,@EF)
ロン・カーター(b,@D〜F)
ボブ・クラウンショウ(b,A〜CG)
ロイ・マッカーディ(ds,@〜G)

【収録曲】
1.ナウズ・ザ・タイム
2.ブルーン・ブギ
3.アイ・リメンバー・クリフォード
4.52丁目のテーマ
5.セント・トーマス
6.ラウンド・ミッドナイト
7.アフタヌーン・イン・パ
8.フォア

収録年1964.1月,2月


はい、そんなこんなで復帰作『橋』と共にロリンズ兄貴は、ファンに暖かく歓迎されて、再びジャズの人気テナー奏者として活躍することになります。

そんなRCAでの「やりたいことをそこそこ気合いを入れてやるのだ」な精神が、良い感じに小慣れてきた復帰2年後の『ナウズ・ザ・タイムス』が本日のオススメなんですが、ハッキリ言いますと、これ、ロリンズのアルバムの中で1,2を争う”適当さ”が、良い感じに作用したアルバムです。

やる曲はどれも、もうロリンズにとっては朝飯前ぐらいの、人気スタンダード曲、メンバーはハービー・ハンコックとかロン・カーターとか、その当時マイルス・デイヴィスのバンドで、バリバリにトンガッた洗練ジャズの最先端をやってた顔ぶれもおりますが、彼らもこのアルバムではマイルス・バンドとか、或いはその頃の自分の作品みたいな緊張感をそんなに出さず

「おぅ、いいねえ。楽しいねぇ」

みたいな感じで好きに吹きまくるロリンズ兄貴と、和気藹々で楽しんでおります

どの曲もいい意味で、曲の良さなんか全然活かしてない。ひたすら自分が楽しむため、気持ちいいプレイをしたいがために人気のスタンダードを持ってきて、その曲を単なる下敷きにして、アドリブを徹底的に伸び伸びと楽しんでいる。

と書くと誤解を受けそうですが、これはアドリブのセンスというものが人並外れてカッコいいロリンズ兄貴だから許される芸当なんですね。

で、実はその「曲を単なる素材としてアドリブに力を全振りする」ってスタイルをジャズの世界で最初に確立して必殺技にしちゃったのが、ロリンズが最も尊敬し、サックスのお手本にしたチャーリー・パーカーなんですが、1曲目のタイトル曲からしてこれはパーカーの曲(『ナウズ・ザ・タイム』は、曲としては全然大したことないっす。パーカーがアドリブを楽しむためだけに作った曲って感じするっす)で、あぁ、このアルバムは「オレはパーカーみたいにやるよ、楽しくね♪」と、大いに宣言しちゃってるアルバムなんだなーと、アタシも聴きながら楽しく感じております。

後は名盤『サキソフォン・コロッサス』の再演になる陽気なカリプソの『セント・トーマス』もいいですな。ハービーのピアノが抜けた、テナー+ベース+ドラムスのトリオで、和音の制約から離れた明るく健康的なプレイであります。

ロリンズが気の合う仲間達とお気楽なセッションを楽しんでる雰囲気、そしてどの曲もアドリブが最高なんだけど、アドリブ過多にならずに頃良い時間でサクッと終わる構成にも親しみを持てますね。ロリンズ兄貴はこれでいいのだ。





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2017年11月23日

ソル・ホオピイ Classic Hawaiian Steel Guitar 1933-34

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Sol Hoopii/Classic Hawaiian Steel Guitar 1933-34
(OJC)

こんな季節に何事かと思われるかも知れませんが、今日はハワイアンです。

ハワイの音楽といえばハワイアンですね。今、フラダンスをやっている人がかつてなく多くなってたり、また、昭和の昔からハワイアンのテイストを取り入れた「憧れのハワイ航路」のヒットを皮切りに、夏のビアホールの定番といえば生バンドが演奏するハワイアンがBGMの定番だったり、我が国では昔からハワイ人気、ハワイアン人気というものがあって衰えを知りません。

やっぱりアレですね、ハワイには戦前から日系移民が多くおりますし、王国だった頃は当時のカメハメハ大王が、アメリカやヨーロッパに対抗するために日本の皇室と縁組をして仲良くなろうとしたとか、そういう歴史もありまして、更に気候や風土は違えど、やっぱり島国ということで、お互いに本能的な親近感みたいなものが湧くんじゃなかろうかと思うんですがどうなんでしょう。

日本から行く観光客が多いのも、気候が穏やかとか治安がいいとか、そういうことだけじゃないと思うんですよね。「何となく安心する」のその「何となく」の部分はもっと掘り下げて考えてみたい。という訳でアタシはよく、戦前とかの古い時代のハワイアンを聴いてるんです。


さてこの「ハワイアン」なる音楽、ほとんどの人はハワイの伝統音楽だと思っておりますが、実は少々歴史が複雑であります。

元々ハワイにはフラという重要な文化があります。

これは元々は王宮のみで披露される芸能であり、神事でありました。

原初のフラを伴奏する音楽というのは、歌と打楽器だけの非常にシンプルなものだったそうですが、19世紀という割と早い段階で、西洋音楽の要素を取り入れてモダン化したんですね。

ハワイというところは1700年代に発見されてから、事あるごとに植民地化したい欧米列強の標的にされておりましたが、歴代の王様が非常に聡明な人が多く「ヨーロッパ人の平和的な移住は認めるけれども武力侵攻は認めない」という政策を貫き、実にしたたかにそれを実行したんです。

だから西洋の文明や文化は、ハワイにはしっかりと根付いております。で、19世紀以降のモダン・ハワイアンが更にモダンなポピュラー音楽になるのは1900年、アメリカによる完全な併合が成ってからのことであります。一気に移住してきたアメリカ人によってジャズやカントリーなどが持ち込まれ、ハワイの音楽家達もこぞってこれらの音楽の要素をハワイアンに取り込んで演奏するようになりました。

そのひとつの象徴がスティールギターであります。

ハワイアンバンドには必ずといっていいぐらいに使われる、あの横に寝かした状態でバーをスライドさせ、キュイ〜ンと独特のトロピカルな風情を醸してくれるあの楽器は、元々はギターを膝に置いてナイフをスライドさせる、ブルースのスライドギターから影響を受けて誕生した楽器なんです。

はい、かなーり前置きが長くなってしまいましたが、本日ご紹介する人はソル・ホオピイ。戦前の1920年代から30年代にかけて大活躍し、ハワイアンの歴史の中でスティールギターの演奏を最初に確立した人であります。

ソル・ホオピイは1902年ホノルル生まれのネイティヴ・ハワイアンです。

音楽一家(何と21人兄弟!)に生まれ、生計のために3歳からウクレレを手にして十代の頃にはもうギターを弾いていて、その頃には彼の弾くギターは膝に置いてナイフをスライドさせるスタイルだったと言います。

その頃の仕事は、豪華客船の専属バンドでギターを弾くことであり、それが評判になって何とそのままサンフランシスコに渡り、現地のカントリーバンドのメンバーになりました。

アメリカでみっちりカントリーの技法を覚え、ハワイに帰ったソルは、仲間とトリオ編成のバンドを結成。このトリオがまた、ジャズにカントリーに何でもござれ。しかもハワイの伝統的な古典歌謡などもしっかりとレパートリーの中に入れて、ハワイにいるどの人種、どの界隈の人のリクエストにも間違いなく応えられる驚異的な演奏技術とアレンジセンス、そして音楽的に底無しの懐の広さを持っており、地元ハワイはもちろん、アメリカでも大人気になったんです。



(フラとブルースの融合、その名も「フラ・ブルース」)





【収録曲】
1.I Like You
2.Drifting and Dreaming
3.I Want Someone to Love Me
4.King's Serenade
5.King Kamehameha (take A)
6.Kolo Pa
7.Don't Stop Loving Me
8.Akaka Falls
9.My Little Grass Shack in Kealakekua Hawaii
10.Weave a Lei - Flower Lei
11.An Orange Grove in California
12.Aloha Beloved
13.The Lei Vendor
14.On Our Parting Day
15.There's Nothing Else to Do In Ma-La-Ka-Mo-Ka-Lu
16.My Hawaiian Queen
17.Midnight's Near
18.Hula Girl
19.Hula Blues
20.Under the Tropical Moon
21.Ten Tiny Toes - One Baby Nose
22.Oh! Lady be Good!
23.King Kamehameha (take B)
24.It's Hard to Say Good-Bye


このCDは、ホオピイが1933年から34年、つまり全盛期に残した音源集であります。

聴いてびっくりなのが、まずそのスティール・ギターのテクニックです。

アンプもない時代でしたから、ギターでソロを取るというのは大変なことだったんですが、ホオピイのギターは単音で弾くメロディも、弾きながらのバッキングも、このまんま一流のジャズ・オーケストラのソロイストになれるんじゃなかろうかと思うぐらいに完璧です。この時代で彼のテクニックに対抗できる人といえば、ブルースではロニー・ジョンソンブラインド・ブレイク。ジャズでは白人ギタリストのエディ・ラングにフランスのジャンゴ・ラインハルトぐらいではないでしょうか。

ハワイアンとして、もちろん楽しくまったりも聴けますが、アタシのよーに戦前のブルースやジャズ、カントリーとか、そういうアコースティックなルーツ・ミュージックがたまらなく好きな人間の探究欲みたいなのも、楽しく聴きながら幸せに満たしてくれる素晴らしい演奏です。つまりハワイアンに興味がないけど、アンプラグドな音楽が好きな人にはぜひ聴いて欲しい人がソル・ホオピイですし、フラやハワイアンが好きな人にとっては「これが原点なんだ!」と新鮮な感動に浸りながら、一生穏やかに付き合っていける音楽だと思いますので、超絶オススメしておきますね♪

それにしてもソル・ホオピイのスライド奏法、1920年代に入る前には既に確立されてたと言います。シルヴェスター・ウィーヴァーによってブルースのスライドギターがレコーディングされたのが1923年だから、もしかしたらホオピイはアメリカでブルースマンに直にスライド奏法を学んだことになりませんかい?そうなってくるとブルースの誕生近辺にもこの人は深く関わってるということになりそうですが、そこら辺を示す資料は今のところありません(逆に彼の演奏がブルースマン達のスライド奏法に影響を与えたという話はわんさか出てきました、ワォ!)。ふむぅ・・・。



(シルヴェスター・ウィーバーによる”スライドギター最初の録音”についてはここに書いております)





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