ディープなコラム こちらにも書いてます♪

2017年06月29日

レニー・トリスターノ 鬼才トリスターノ

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レニー・トリスターノ/鬼才トリスターノ
(Atlantic/ワーナー・ミュージック)

さて、ここんとこずっとアート・ペッパーにハマッておりまして、いわゆる1950年代のクール・ジャズというものについて考えを巡らせておりますが、実はこの”クール・ジャズ”には、西海岸のオシャレで軽妙な(でもその奥底にはどうしようもなくやるせない詩情が渦巻いている)ものとは別に、東海岸はニューヨークで発生してその後のジャズ演奏に計り知れない影響を与えたクール・ジャズが存在するというお話を致しましょう。

今日ご紹介するのはピアニストで作曲家のレニー・トリスターノです。



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カッコイイですよね〜。アタシは「ジャズ界の成田三樹夫」と呼んでおりますが、どの写真を見ても何というか、ジャユミュージシャンというよりは孤高の哲学者みたいなオーラを放っていて実に知的でカッコイイ。

えぇ、いつ紹介しよう、いつ紹介しようと思いつつも、今まで好き過ぎてなかなかレビューが書けなかった。そんぐらいの心の師匠(マスター)なんですね。その後のジャズ、いや、音楽全般に与えた影響は計り知れないけれども、その前にアタシに与えた影響が計り知れない。と、朝から訳の分からんことを言っておりましてごめんなさい、ここんとこは皆さんがサラッと流してくださると信じまして、話を続けます。

レニー・トリスターノは1919年にシカゴでイタリア移民の家に生まれまして、小さい頃に視力を失ってしまいますが、その頃から音楽に関する並ならぬ関心を持ち、クラシックのピアノ教室に通いながらピアノの演奏と音楽理論を習います。

彼が住んでいた頃のシカゴというのは、ニューオーリンズから北上してきた第一世代のジャズ・ミュージシャン達がニューヨークよりも大勢おりまして、まぁ移住者の黒人と移民のイタリア系は居住区もそれぞれ近いところにいたんですね。それでジャズをやる黒人やクレオールの連中が、何やら表で賑やかにやっておるけれどもあの音楽は何だろうな、ピアノで弾けないかしら、やってみようか。

とかレニー少年は思っているうちにジャズの魅力にドップリとハマったんでしょう。24歳の時にシカゴの音楽院を卒業してしばらく経ってから「今ジャズはニューヨークのが最先端だぜ」という話を聞いたのか、ニューヨークに進出して音楽活動を始めます。

大体のミュージシャンは、一攫千金を夢見て楽器片手にナイトクラブの世界へ飛び込むというのが常でありましたが、トリスターノの場合はちょっと変わっていて、自宅アパートに当時最先端の録音機材を揃えて音楽教室をやりながら黙々と理論と作曲の研究に没頭して、今で言う宅録というものを繰り返してたんです。

で、驚くべきことに、既に1940年代という時代に”無調”の音楽を演奏しております。

いわゆるメロディやコード、そしてリズムの「お約束」を取っ払ったスタイル、後の”フリー・ジャズ”と呼ばれる演奏を、セシル・テイラーやオーネット・コールマンが1950年代の後半です。トリスターノの場合は特にジャズのスタイルとしてではなく、彼自身造詣が深かった現代音楽のやり方を実験的にジャズと融合させて個人的に録音を試みていただけとはいえ、これは実に革新的なことであります。

更に彼は自宅にて、当時開発されたばかりのテープでもって多重録音もやっております。

えぇと、ポピュラー音楽で最初に多重録音を使用してヒットとなったのがパティ・ペイジの「テネシーワルツ」。これが1950年のことでありますから、もう凄いとしか言いようがありません。

もっとも、彼の場合は何か目新しいことをやって世間を沸かせようとしていたんじゃなくて、ただひたすらに自己の音楽を理想に近い形で創り上げるための手段としてのテクノロジーだったようです。だとしたらますます凄いですよね。


そんなトリスターノのアパートには、すぐに”新しい音楽”を生み出そうという意欲に溢れた若者達が出入りするようになりました。

リー・コニッツやビリー・バウアー、ロニー・ボール、ジェフ・モートンといった、後の彼の弟子達はもちろんでありましたが、中でも頻繁に訪れて音楽談義に花を咲かせていたのが、当時チャーリー・パーカーの相方トランペッターだったマイルス・デイヴィスと、アレンジャー志望だった若きギル・エヴァンスの2人です。

この時の会話の様子は残念ながら文献で詳しくまとめられてはおりませんが、コニッツやマイルス、ギルらが音楽理論的な質問を次々して、それにトリスターノがピアノによる実演を交えながらひとつひとつ的確に答えて行く類のものだったようです。

マイルスの証言としては、以下のようなものがありました。

『トリスターノのギグが終わった後な、何度かトリスターノに、彼がやっていたハーモニーについて質問したことがある。どれも独創的で、オレには彼が白いセロニアス・モンクに思えたよ』

トリスターノのひたすら知的で抑制の効いた奏法の中に無限の可能性を見たマイルスは、丁度ビ・バップの「とにかく速いソロ吹いて客を沸かせようぜ」という刹那的なノリに飽き飽きして、もっと鑑賞に向いたクールな音楽をやりたいと思っていたその矢先、自分がバンドを組んだらビ・バップから一歩も二歩も進んだ、クールで芸術性の高い音楽をやろうと決意したといいます。

マイルスやギル・エヴァンスがトリスターノから受けた影響の大きさや深さは、その後の彼らの作品、例えば「カインド・オブ・ブルー」や「スケッチ・オブ・スペイン」などを聴けば一目瞭然ですね。ちなみに「カインド・オブ・ブルー」に参加して印象的なサウンドの誕生に大きく貢献したビル・エヴァンスもトリスターノからは決定的ともいえるぐらいの影響を受けておりますし、マイルスが生み出したモード・ジャズと、その門下生であるウェイン・ショーターやハービー・ハンコックらが発展させた”新主流派”といわれる60年代の極めて知的でスタイリッシュなジャズにも、その横へ横へと独特の浮遊感を漂わせながら流れてゆくメロディや高度に計算されたアレンジには、どうしてもトリスターノの影を見てしまいます。






【パーソネル】
レニー・トリスターノ(p)
リー・コニッツ(as,D〜H)
ピーター・インド(d,@)
ジーン・ラミー(b,D〜H)
ジェフ・モートン(ds,@B)
アート・テイラー(ds,D〜H)

【収録曲】
1.ライン・アップ
2.レクイエム
3.ターキッシュ・マンボ
4.東32丁目
5.ジーズ・フーリッシュ・シングス
6.ユー・ゴー・トゥ・マイ・ヘッド
7.君がいたなら
8.ゴースト・オブ・ア・チャンス
9.君はわがすべて


とにかくもう後年のマイルス・デイヴィスから派生した様々なスタイルのジャズを聴いていると、それに関連してトリスターノのことをガンガン語りたくなるのですが、そこらへんの検証や「お、こういうところがトリスターノの影響だな!」という発見の楽しみは、半分皆さんに委ねようと思います。

もっと語れば高柳昌行とかエイフェックス・ツインとかエマーソン・レイク&パーマーとかクラフトワークとかジョー・サトリアーニとか本当に色々と出て来るんですが、そこまで語れば本当に収集が付かなくなります。

とにかくレニー・トリスターノがいなかったら、ジャズ、フュージョン、プログレ、テクノ、この4つの音楽はなかったか、あっても全然別物のようになっていただろうということは断言できます。厳しい姿勢でジャズからポップな要素をどんどん削ぎ落とした演奏を繰り広げていた人なのでリアルタイムでバカ売れはしませんでしたが、これだけ売れないで凄まじい影響を与えた音楽家というのはアタシは他に知りません。しつこいようですが皆さんには「それぐらい凄い人だったんだ」と思っていただけると本当に幸いです。

で、アルバム「鬼才トリスターノ」は、1955年に満を持してリリースされた、トリスターノの公式なデビュー作にして、彼の孤高の極みともいえる芸術表現がピアノを前面に押し出したスタジオ録音と、コニッツのサックス入りのライヴ録音の両方でじっくりと味わうことが出来る、まずは究極の一枚です。

というよりは、一切妥協をしなかった厳しい人だったためにレコード会社にも完璧を求めて喧嘩しちゃったんですね。だからメジャーレーベルから出されたちゃんとしたアルバムはコレと2作目だけのたった2枚なんですね。

前半、まるでリズムマシーンのように正確で鋭く4ビートを刻むドラムとベースに乗って、まるで”ジャズ化したバッハ”の如く鋭利な音階をヘヴィなトーンで鍵盤に叩き付けるピアノ。え?ジャズっていえばズラしたり伸ばしたりしてイェ〜イな感じを出す音楽だよね?何このピッチリとスキのないグルーヴは。え?何これ凄い、こんだけ無駄のない遊びのないノリなのに、何だか奥底からジワジワと揺さぶるものがある!ありえない!凄い!!

と、最初聴いた時思いました。

後で知ったんですが、このレコーディングではトリスターノがピアノを弾いて、その上にリズムを被せるオーバーダビングや、テープの回転数をいじってピシャッとならした、今でいうリミックスみたいなことをしておるんです。いや、言われなきゃ気付かない。それぐらい演奏が凄いんです演奏が。

キッチリ正しい演奏なのに、そこに乗っけられた情念の質量がハンパない。あの〜、正しく狂ってるって正にこんなののことを言うんだなと思います。

で、後半の演奏はホーン入り&お客さん入りのライヴといこともあって、よく知られたスタンダードを中心に、幾分柔らかで気品豊かに聴かせる演奏です。

前半の壮絶を先に浴びてますから、最初は「ん?意外と普通に綺麗なジャズだ」と思いましたが、軽やかな演奏のバッキングでかなりぶっ飛んだ和音を「ガコォ!」と食らわせたり、ソロ取ってるコニッツのフレーズに不思議な絡み方をしたり、で、その軽やかに吹いているはずのコニッツのアルトも、よく聴くと美しい展開のそこかしこに不穏な「間」や「横への逸脱」があったりして、後から後からジワジワくるんです。

聴いていて決して楽しい音楽ではありませんが、確実に人間の奥底に作用して不思議な中毒性を持つ、レニー・トリスターノのクール・ジャズは、聴けば聴くほどアタシ達を無限の可能性が広がる闇に連れてってくれます。ホントにねぇ、凄いんですよ。



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2017年06月28日

アート・ペッパー・ミーツ・ザ・リズムセクション

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アート・ペッパー・ミーツ・ザ・リズムセクション
(Contemporary/ユニバーサル)


「毒を食らわば皿まで」

という言葉が好きなので、今日もひつこくアート・ペッパーをご紹介したいと思います。

えぇ、これはもうね、しょうがないんですよ。ペッパーという人の甘美でいてどこか危うい演奏とアルト・サックスのえもいえぬ音色には、何というか「あぁかっこいいなぁ、もう一回聴いてみよう」と思ううちに何回もズルズルと聴く人を引き込んでしまう。もう何度も言いますが、正に”甘い毒”そのものだから、えぇ、これはもうね、しょうがないんです。ペッパーをよく知らないという人もですね、これはもうそういうもんだー、しょうがないんだーと思いながらここからの記事を読んでくださいね。

今日は人気の高いアート・ペッパーのアルバムの中でも「モダン・アート」と並んで特に代表的な名盤と言われている「ミーツ・ザ・リズムセクション」であります。

これはですのぅ、当時の西海岸白人ジャズ、いわゆる”クールなウエスト・コースト・ジャズ”を代表する人気者のアート・ペッパーと、東海岸ニューヨークの粋でイナセなモダン・ジャズ、いわゆる”ハードバップ”を代表する大物のマイルス・デイヴィスのバンドのピアノとベースとドラムのリズムセクションの3人が競演した、今で言うところの「夢のコラボ企画」の走りみたいなアルバムなんですね。

当時はアメリカもニューヨークを中心とした東海岸と、カリフォルニアを中心とした西海岸では、そのスタイルが大きく異なっておりました。

そんなスタイルの違う人気者同士を共演させたら、きっと目新しいカッコイイものが出来るに違いない!ジャズ好きならばそう思うのが自然でありますね。そうでなくてもジャズが好きな人というのはジャズのどこが好きかというと

『個性的なプレイヤー同士が、その個性を思う存分ぶつけ合うことで生まれるマジック』

というのが好きなんです。

んで、ペッパーと”リズムセクション”という一言だけでもうあぁコイツらだとジャズ好きにはピンと来るぐらいに有名だったマイルス・デイヴィスのリズムセクション、すなわちピアノのレッド・ガーランドとベースのポール・チェンバースとドラムのフィリー・ジョー・ジョーンズの3人による演奏は、果たしてどんな具合に仕上がったのでしょう?

はい、これが言うまでもなく「大成功」だったんです。

元より当時のマイルス・デイヴィスのバンドは、ハードドライヴィングなリズムを繰り出した派手な演奏、ホットな演奏をすることも出来ましたが、マイルスが目指すところは「勢いだけに頼らない都会的な洗練を生み出すサウンド」であり、選ばれたメンバー達もそれぞれそのコンセプトに適う実力とセンスを持った人達でした。

彼らのリラックスしてて都会的な”小粋”をふんだんに振りまくグルーヴ(特にレッド・ガーランドの優雅で気品に満ちたピアノはカッコイイですね)を得たペッパーが、持ち前のメロディアスな感性を全開にして吹かない訳がありません。

一説によるとこの日のレコーディングに臨んだペッパーは

「うえぇ、あのマイルス・デイヴィスのリズム・セクションと一緒にやるのかぁ。怖いなぁ・・・そうだ、クスリをキメたら少し大丈夫になるだろう」

と、自宅でラリラリになっていて、演奏どころか歩くのもヘロヘロな状態で、それでもビビリながらスタジオに入ったとか言われておりますが、本人の回想によると

『ん〜、マイルスのバンドとか言われても実際よくわかんなかったんだよね。ニューヨークで人気なんだって?ソイツらが西海岸にツアーに来て、レコード会社はわざわざ一緒にレコーディングさせるって言う。正直あんま乗り気じゃなかったのよ。オレはあん時体調悪かったし、何しろスタジオには1日しか入れない。で、一緒に演るのは知らんヤツらだし曲もマトモに準備してない。ビビッてなんかないよ、ただ困るよね。だから何とかバックれてやろうと思ったの。遅刻してきたのと体調悪かったのはそもそもクスリが原因だったってのは正直すまんかった』

ということだそうで、とにかく「知らない人と一緒に演奏するの悩んじゃうよね」というぐらいペッパーが物凄く繊細だったというのと、東海岸流儀の”出たとこ勝負のセッションをそのまんま一発録りしよう”というような感覚が、恐らくこの頃の”しっかりと譜面を用意してリハーサルもたっぷりやってからレコーディングする”というのが当たり前の西海岸のミュージシャン感覚にはちょっと理解できないことがあったんではないかと思われます。





【パーソネル】
アート・ペッパー(as)
レッド・ガーランド(p)
ポール・チェンバース(b)
フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)

【収録曲】
1.ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ
2.レッド・ペッパー・ブルース
3.イマジネーション
4.ワルツ・ミー・ブルース
5.ストレート・ライフ
6.ジャズ・ミー・ブルース
7.ティン・ティン・デオ
8.スター・アイズ
9.バークス・ワークス
10.ザ・マン・アイ・ラヴ (ボーナス・トラック)


ところが、そんな繊細さとか感覚の違いとかを、当日ややラリラリになりながらも演奏では見事克服したペッパーも偉いんですけど、ペッパーの緊張を解いてベスト・プレイを導き出したガーランドとチェンバースとフィリー・ジョーの3人が偉いと思いますわ。

こっからは想像の会話です。

ペッパー「・・・あ、どうもお疲れ様です。ご一統様お揃いで・・・」

ガーランド「おうおう、西海岸のスター様のご到着だ。いやぁはじめまして、噂はかねがね聞いてるよ。すっげぇクールなプレイするんだってな。ウチのリーダーも褒めてたよ(嘘、マイルスが注目してたのはチェット・ベイカーの方)」

ペッパー「いやそんな、嬉しいな。今日はひとつお手柔らかによろしく・・・。ん?君随分若いがいくつ?」

チェンバース「ポールだよ。歳はう〜んと、22です」

ペッパー「(ええぇ、こんな少年みたいなベーシストがそんな凄いのか・・・)よ、よろしくポール」

フィリー・ジョー「あー、えーっと、お兄さん大分ヘロヘロじゃねぇか。キメてきたんだろ?後でオレにもちょっと(以下不適切につき割愛)」

ペッパーとフィリー・ジョー(ニコニコ・・・)←会話の結果一番意気投合している。

エンジニア「よーし、じゃあはじめるか!時間ないぞー、一発でバシッとな」

ペッパー「え?ちょっと待って、まだ準備が。それに何やればいいのか・・」

ガーランド「オーケー、アート。まぁブルースやろうか」

ペッパー「(ブルースなら・・・)あ、わかった」

という訳で初顔合わせではお約束のブルース(ここではACEがそれです)を演奏して、お互いの実力の高さ、特にペッパーから見て、この3人の「ツーといえばカー」の見事な即応能力は相当にヤル気を出させて余りあるものだったと思います。

「オレ、こんなフレーズ思いついたんだー」

とガーランドが弾くピアノに合わせてバックの2人が完璧なリズムを提供、それに触発されてアドリブを繰り出すペッパーのプレイを気に入って「よし、じゃあこの曲はオレらの名前を取って”レッド・ペッパー・ブルースでどうだ?」と、笑いも混ぜながら和気藹々の中進むブルース・セッション。

やがて機嫌がよくなった4人で

「スタンダードならどの曲がいい?」

「オレ、あの曲好きなんだー」

「マジか?それニューヨークでもウケてるぜ」

「じゃあやろう」

と、スタンダードのセッションが始まって、生まれた名演が冒頭の『ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ』最初の3音が朗々と伸びてゆく大変にふくよかなこの曲は、ヴォーカルものではヘレン・メリルがクリフォード・ブラウンと一緒にやったもの、インストものならコレといわれるぐらいに素晴らしく完成度の高い”歌”が聴けて、文句ナシの一曲目ですね。

あと、ノリにノッて急速調のリズムの上でペッパーが珍しくアツく吹きまくる『ストレート・ライフ』、フィリー・ジョーが得意のラテン・リズムを転がしながら、ペッパーのアドリブから艶やかな色気を最大に引き出しております。

とにかくブルースもスタンダードも、ペッパーと”リズム・セクション”それぞれのリラックスした中にアツく燃える瞬間がいくつもある、見事にガチンコなやりとりの中で最高に活きておりますね。

最初は

「おうおう、西の代表ペッパーの軽快によく歌うサックスと、東のナンバーワン・リズムセクションのハードに粘るグルーヴの掛け合わせが最高だわい」

とか思ってて、実際にそういう味わいの違うもの同士の融合の奇跡な部分はあるんですが、聴く毎にペッパーの持つ狂おしいメロディ感覚と、リズム・セクションの小粋な深みのある演奏が、本当に自然に溶け合ってるなぁと思って感動し、その自然な心地良さに酔えるアルバムだと思うに至ります。

本当にたった1日の初顔合わせセッションなのに演奏のクオリティは高く、捨て曲もなく、この4人ずっと一緒に演奏してきた人達なんじゃないか?とすら思うほどです。





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2017年06月27日

アート・ペッパー モダン・アート

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アート・ペッパー/モダン・アート
(Intro/ユニバーサル)


「サーフ・ライド」で若さ炸裂の爽快なペッパーのアルト・サックスを聴いていたら、ついあれも聴きたいこれも聴きたいと、この3日ぐらいすっかりアート・ペッパー祭状態でした。

サックスといえば突き抜けた過激なスタイルも大好物なんですが、そういう激しいヤツをガーッと聴いた後に、メロウなトーンで優しく切なく吹いているサックスを聴くと「おぉ、かっこいい・・・」と、クラッとなってしまいます。

でも、そこはジャズですがら、単純に”綺麗”とか”上手い”とかいうのではダメで、一見端正で破綻のない演奏の内側に、どこかやりきれない哀しさとか、もっといえば背後にうっすら感じる破滅の気配みたいなものがないと満足できません。

いかにも真夜中のバーなんかが似合う、ニューヨークの黒人ジャズに比べ、軽妙でオシャレ、カラッとした昼間の空気が似合って健康的だね、なんて言われる1950年代のウエスト・コーストの白人ジャズではありますが、実はアタシは、この一見健康的で何の屈託もなさそうな明るいジャズの中にこそ、そういった”どうしようもなさ”の類の気配をとても感じて、胸がギューッとなってしまうのです。

で、アート・ペッパーです。

50年代にジャズという枠組みを超えて、ハリウッド俳優並の人気を誇ったジャズ界の二大色男といえばチェット・ベイカーとこのペッパーですが、彼らの演奏は、正に切なさと狂おしさと、マイルドな表現の奥底に秘められた破滅の匂いそのものでした。

デビューしたその頃から、いわゆる重度の麻薬中毒患者だったんですね。

ペッパーの方は懸命な断薬治療をして中毒を克服しており、ベイカーの方は晩年までヘロインにドップリで、最後はホテルの部屋から落下するという、事故なのか自殺なのか他殺なのかよく分からない不幸な最期を迎えております。

最期に関してはともかく、50年代から60年代に活躍したジャズマンのほとんどは、麻薬や酒、ギャンブルに溺れ、異性関係でのトラブルをいくつも抱えるなんてことは珍しくないことでありました。物理的には黒人であれ白人であれ、来るか来ないか分からない仕事で一攫千金を狙い、レコード会社からは印税を搾取され、マフィアが経営するクラブで日銭を稼ぎ、少しカネが入ったら彼らの”ビジネス”の顧客にされて、色んなところから骨の髄まで搾り取られる生活の中におり、一方で華やかなステージで脚光を浴びてモテまくる。

こんな中にいたら、マトモな感覚なんか来るってしまいます。繊細で感性が敏感な人ほど、何が信じられることで何が信じられないことかの判断が崩壊し、唯一信じられるもの=「確実に現実から逃避させてくれるもの」としての麻薬に手を出すことに、さほど抵抗はなかったのかも知れません。

悲しいかなこれが当時のミュージシャンを取り巻く環境でありました。

才能に溢れながらも表現のことや生活のことで多くの苦悩を抱えていた若き日のペッパーも、苦悩の果てにやぶれかぶれになってヘロインに手を出したであろうことは想像に難しくありません。

デビュー作「サーフ・ライド」のセッションをすべてレコーディングした後に彼は麻薬の不法所持で最初の逮捕。最初は微罪だったので、療養施設でリハビリをして社会復帰した後に西海岸で最も売り出し中のジャズ・レーベル”コンテンポラリー”と契約を交わすのですが、実はこの間に小遣い稼ぎ(実際は麻薬を買うカネ欲しさ)にイントロという小さなレーベルでの仕事を一個だけ引き受けます。

スタジオに集められたのは”サーフ・ライド”でも素晴らしいコンビネーションをキメた、この時期の西海岸サウンドにはなくてはならないピアニストのラス・フリーマンに、ベースのベン・タッカーにドラムのチャック・フローレスという一流どころの面々でありましたが、ペッパーにとってはそんなことよりも日銭が欲しい、早くしようぜ、何やるの?うぅ〜ん、まず適当にブルースやって、後はスタンダードでもやるか。はい、じゃあはじめよう、ワン、ツー・・・。





【パーソネル】
アート・ペッパー(as)
ラス・フリーマン(p)
ベン・タッカー(b)
チャック・フローレス(ds)

【収録曲】
1.ブルース・イン
2.魅せられて
3.君微笑めば
4.クール・バニー
5.ダイアンのジレンマ
6.サヴォイでストンプ
7.恋とは何でしょう
8.ブルース・アウト


ぐらいの感じだったと云います。

実はこのペッパー、最初の逮捕と治療もどこ吹く風で、シャバに出たらもうとっととヘロインを仕入れて打ってたんですね。

初期ペッパーの名盤といえばもうひとつ「ミーツ・ザ・リズム・セクション」というアルバムがありますが、コレもレコーディングのときはもうクスリでヘロヘロになって、スタジオに遅刻してきて、吹いてる時も意識朦朧で大変だったそうなんですが、この時期のペッパーのコレが”平常運転”なのです。

でも、そんなヘロッヘロでまるでダメな状態のペッパー

「本当はチャーリー・パーカーみたいにエキサイティングなトーンでバリバリに速い曲を吹きまくりたいんだー!」

という思いとは裏腹に、麻薬の悪影響で思うように気合いが入りません。

でもね皆さん、ここからがあり得ない話なんですが、そんな”気合いが入ってないはずのペッパーの音”が、レコーディングされた演奏からは何とも甘く艶やかなトーンで、独特の憂いを帯びた美しい旋律を奏でているんです。

麻薬中毒のことを知らなければ、全く破綻のない「こういうスウィートな演奏をする人なんだ」で当たり前に通用する音です。

(恐らくは)ペッパーの演奏前の状態を見て「あぁ、コレはオレらが必死で盛り上げないとダメだぞ」と思ったであろうメンバー達の、すこぶる爽快な”カチッ”とした綺麗にスウィングするビートは全編に渡って見事で、特にバンドの中心となっているラス・フリーマンの決して主役を押しのけない、でもソロの中では全力で歌世界を築き上げる知性と品性に満ちたピアノは素晴らしいのですが、冒頭の「ブルース・イン」エンディングの「ブルース・アウト」で、ペッパーとピッタリ呼吸の合ったベースを聴かせるベン・タッカー、もう最高です。

そんなバックのキッチリしたグルーヴに、ペッパーの情緒てんめりで妖しく美しく鳴り響くアルト・サックスの音、えぇいもう麻薬中毒とかそういう色眼鏡ナシで聴きましょうや。

・・・でも、やっぱりどこか危険な香りがするよぉ!

この独特な危険なカッコ良さは、マイナー・レーベルでのちょっとしたレコーディングのつもりだった、ヘタをすれば録音したペッパー本人の記憶にもあんまり残ってないぐらいのレコードを、奇跡の大名盤に育て上げます。

くれぐれもペッパーは本調子ではないのです。で、どんなに素晴らしい才能を持っていても、麻薬がそれを終わらせることはあるけれど、開花させることは絶対にないのです。でも、このアルバム全編を覆いながらペッパーのプレイのあちこちから胸の内を破って出てくるかのような切ない切ないエモーションは、ちょっと何事でしょうという感じであります。やっぱりどうしようもなくジャズなアルバムなんです。

この音と出会ってしまったばかりにアタシの人生どこか変わってしまったかもなぁ・・・。

でも、まぁいいか。







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2017年06月26日

アート・ペッパー サーフ・ライド

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アート・ペッパー/サーフ・ライド
(Savoy/日本コロムビア)

笑顔でサーフィンに興じる派手なビキニ姿の女性のイラスト。

いくら目を引くとはいえアナタ、これが1950年代に出されたジャズのアルバムのジャケットだと信じられますか?

そうなんです、ジャケットだけを見る限りではまーったくそんな雰囲気は致しません。

でもこれ、正真正銘の立派な50年代ジャズなんです。

中で演奏している方はもちろんビキニ姿の女性ではなくてこの人

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はい、アート・ペッパーです。

1950年代にはチェット・ベイカーと並んで「ジャズ界を代表するイイ男」として抜群な人気があった人で、でも顔だけじゃなくてその軽やかさと芯の強さを併せ持つアルト・サックスのプレイにおいても、間違いなく時代を代表する実力者の一人でありましょう。

この時代のジャズ・シーンは、主にニューヨークのナイトクラブでの興行を中心とした東海岸ジャズと、ハリウッド等の映画産業と密接な関わりを持つ西海岸ジャズとに大きく分かれておりました。

ニューヨークでは40年代の後半にチャーリー・パーカーらによって、非常にスピーディーで迫力に満ちたジャズ、つまりビ・バップが生み出され、とにかく現場でのアドリブ合戦に強いプレイヤーが次々とそれまでの常識を覆すような演奏でシーンを沸かせておりました。

それに対する西海岸のジャズは、夜はクラブで演奏するミュージシャン達も、ちょくちょいく映画や舞台の音楽の仕事に呼ばれ、スタジオでしっかりと譜面を見ながら、アンサンブルを重視した知的かつ軽妙な演奏を得意としておりました。

とはいえ、東と西、それぞれの地域のジャズマン達が、互いのことなど全く眼中になく、それぞれのスタイルの範疇でジャズをやっていたのかといえばそうではなく、西海岸のミュージシャン達はビ・バップのスピーディーでエキサイティングな演奏をセッションではこぞってやっておりましたし、東海岸のミュージシャンの中でも、マイルス・デイヴィスのような、若く探究心に溢れたミュージシャン達は西海岸のバンドのアレンジを熱心に研究し、またツアーで互いに行き来をしながら親しくセッションをしたりレコーディングの話なんかも持ち掛け合ったりしながら、1950年代は東と西で競合しながら互いの良いところを取り込んで、両方の個性がグングン確立されていった時代、と言えましょう。

さて、本日の主役のアート・ペッパーですが、この人は西海岸にこのバンドありと言われたスタン・ケントンのビッグバンドに若き白人アルト奏者として籍を置くことでミュージシャンとしてのキャリアをスタートさせました。

ケントンのオーケストラは、クラシックの技法なども積極的に取り入れ「ホールでダンスするためだけのジャズではなくて、コンサートでキチンとした鑑賞に耐えうるジャズを作ろうよ」と、緻密でドラマチックなスコアを練り上げて楽曲を完成させ、また「コイツはできる」と思ったメンバーには、そのアレンジの中で出来るだけ本人の感性に任せたソロを取らせる人でもありました。

ペッパーはそんなケントンのバンドで、才能をグングン発揮して1952年、27歳の時に満を持してソロ・デビューのレコーディングを行います。

その後彼はソロ・アーティストとして知らない人はいないぐらいの存在になり、その端正なルックスに劣らない詩的な叙情に溢れたサックス・プレイで多くの人の心を捉え、また、麻薬中毒による長い社会不在と奇跡の復活を繰り返した正にジャズマンを地で行くような劇的な人生などなど、まぁとにかく話題には事欠きませんが、本日はペッパーの記念すべき1952年の初リーダーセッションと翌年翌々年のセッションを集めたデビュー・アルバム、冒頭でジャケットのお話をした「サーフ・ライド」をご紹介いたしましょう。




【パーソネル】
アート・ペッパー(as)

(@〜B)
ラス・フリーマン(p)
ボブ・ウィトロック(b)
ボビー・ホワイト(ds)

(C〜E)
ハンプトン・ホーズ(p)
ジョー・モンドラゴン(b)
ラリー・バンカー(ds)

(F〜K)
ジャック・モンテローズ
クロード・ウィリアムソン
モンティ・バドウィック
ラリー・バンカー

【収録曲】
1.ティックル・トゥ
2.チリ・ペッパー
3.スージー・ザ・プードル
4.ブラウン・ゴールド
5.ホリデイ・フライト
6.サーフ・ライド
7.ストレート・ライフ
8.ザ・ウェイ・ユー・ルック・トゥナイト
9.シナモン
10.ナツメグ
11.タイム・タイム
12.アーツ・オレガーノ



さてさてアタクシ、冒頭で「このサーフィンのジャケットがジャズのアルバムなんて信じられないわ」と申し上げまして、読者の皆さんもにわかにそのようにお思いになっておるとは思いますが、実は1950年代はまだロックやポップスもない時代、ブルースからロックンロールが生まれチャートではR&Bが破竹の快進撃を続けていたことは確かに事実ではありますが、この時代ポピュラー音楽といえばやっぱりジャズだったんです。

で、最新のトレンドだった西海岸のクールなジャズを売り出すために、ジャケットに持ってきたレジャー界の最新トレンドがサーフィン。

元々はハワイやポリネシアの極めて民族的な意味合いが強かったこの海での遊びがアメリカに渡ったのは、1900年のアメリカによるハワイ併合がきっかけであります。ハワイに入植した若い軍人達が兵役を終えてこの遊びを本国に持って帰ったのですが、アメリカで温暖かつサーフィンが出来る広い海岸があるという条件を満たしていたのが西海岸のカリフォルニア。

で、第二次世界大戦も終わってアメリカが豊かになり、レジャーとかリゾートとかいう考えがぼちぼち定着し始めた1950年代初頭、アメリカの西海岸に住む、裕福な白人の若者達の間で「サーフィンっていうクールな遊びがあるんだぜ」と流行りました。日本で言うところの太陽族みたいなもんですな。

つまりこの、オシャレ最先端のジャケットの中に入っているのは、サーフィンのメッカ西海岸の最高にカッコイイ音楽なんだぜ。ということを、実に当時の若者に分かりやすく説明しているのでありますよ。

ビーチボーイズの「サーフィンUSA」が世界中でヒットしてブームが巻き起こる10年以上前に、こんなところで音楽とサーフィンのコラボは既に始まってたんですなぁ。

SP用に録音していた音源がLPになって、ジャケはその時に作られたとはいえ、これは物凄く歴史的なことかも知れません。

おっと、ジャケットの"サーフィン"の話はこれに終わりません。実は内容とも密接にリンクしておりまして、それまでの西海岸ジャズといえば、先に申し上げたように、綿密なアンサンブルが生み出す心地よいグルーヴにノレるものと相場が決まっていたのですが、ここでペッパーは、東海岸のホットでスピーディーなビ・バップのやり方を大胆に取り入れたスリリンなプレイを繰り広げて、新しい西海岸ジャズの「速いけどクールなスタイル」を確立しております。

初期のペッパーといえば、繊細で軽やかなフレージング。そいつにたっぷりの情緒や哀感を乗っけて吹く50年代後半のスタイルがすぐに思い浮かびますが、もっと初期のコチラでは、意外やスパッと芯の強い音で勢いに任せてひたすら吹きまくる、若さと勢いのあるスタイルです。

ハンプトン・ホーズやラス・フリーマンなど、西海岸一流のバックによるスマートな伴奏を得てかっ飛ばすワン・ホーンの前半に、ジャック・モントローズのテナーとハイテクなやり取りを聴かせつつ、ソロになるとやっぱりたまらなくなって疾走するかのような後半、どちらもかなりパワフルで勢いありすぎてもう笑いしか出ないぐらいの快演で、このスリル、疾走感はたとえるならばやはり波乗りでしょう。









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2017年06月24日

ジュニア・ウェルズ サウス・サイド・ブルース・ジャム

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ジュニア・ウェルズ/サウス・サイド・ブルース・ジャム
(Delmark/Pヴァイン)

季節は夏、湿った重たい夜の空気にからみ付きブルースが歌う。

ベランダから真っ黒な空を眺めると、雲の向こうにある月がぼんやりと鈍い光を放つ。背中からは「ドン、ドドッ・・・」と、まるで砂袋を殴りながら引きずっているかのようなビートを刻むドラムが、この夜に果てなどないことを訥々と語っている。

突如、狂ったように鋭利なギターが宙を切り裂く。剥き身の刃のようなストラトキャスターの音はバディ・ガイだ。1960年代から70年代のシカゴで、全米各地からの移住者を受け容れて急激に人口が増えていた”最も治安の悪い地区”サウスサイドで、今や知らぬ者はいない若きギタリスト。

夜な夜な盛り場に繰り出す不良達の間では今、この街の若いヤツらの中で、誰が一番ヤバいブルースができるか?ということが話題になっている。

テキサスからやってきて、B.B.キングばりの巨体とよく歌う豪快なスクィーズ・ギターでみんなの心をかっさらったフレディ・キング。気分にムラがあってノらない時はさほどでもないが、一旦ハイになると誰も寄せ付けない凄まじいプレイをするサウスポーのオーティス・ラッシュ。

あるいは隣のウエスト・サイドで急激に名を売り出していた、イカシたギター・テクニックとサム・クックのようなエモーショナルなヴォーカルで、どんなクラブだろうと独断場にしてしまうマジック・サム。または他の連中とはちょっと違った、ジャジーでスカした感覚が最高にヒップなフェントン・ロビンソン・・・。

ブルース、R&B、そしてジャズ。あらゆる黒人音楽の猛者がひしめくシカゴで、ノリにノッている連中の名前を出せば、コイツらの名前は必ず挙がり、そこに集まった大体のヤツらはひとつひとつの”ヤバさ”をハイになって語りながら、互いに「あぁそうだ」と深く頷き合うのだ。

そして”シカゴ1キレたギターとヴォーカル”のバディ・ガイと、重くヒリヒリとした緊張感を孕んだブルース・フィーリングと、ジェイムス・ブラウンから大きく影響を受けた斬新なR&Bのノリを自在に操るヴォーカル&ハープのジュニア・ウェルズが最近コンビでツルんでいるらしいということも、他聞に漏れずサウスサイドの不良達の間ではハイな話題の中心だった。

このコンビのことは、クラブでのステージ以前に1965年に地元サウスサイドにあるレコード・レーベル”デルマーク”で録音された「フードゥーマン・ブルース」というアルバムで広く知られていた。

イギリスから海を渡ってきたロックが、親と慕うブルースを模倣して、また実際に往年のヒットチャートを賑わせていたマディ・ウォーターズ、ハウリン・ウルフ、ボ・ディドリー、そしてチャック・ベリーといったブルースの伝説たちを再び世に引っ張り出して脚光を浴びさせていた頃、彼らより若い世代のウェルズやバディは、そんな流れに真っ向から対抗するように、よりブラックなノリと勢いに溢れたR&Bから多くを取り入れ

「オレたちにしか出せない新しいブルースの音」

を、それぞれ必死で模索していた。

故に「フードゥーマン・ブルース」は、当時のロックにはないスカスカな音で、ブルースを極限まで研いで研いで、その重い切れ味で元々のブルースファンは元より、多くのロックファンに耳に斬り込んでそして虜にした名盤だ。

それからおよそ5年

ウェルズとバディはサウスサイドにあるデルマーク・スタジオにいた。もちろん久々のこのレーベルでのレコーディングをするために。

集まったのは2人の他に、シカゴでは最強のリズム・セクションとして知られていた”ジ・エイシズ”のギタリスト、ルイス・マイヤーズとドラマーのフレッド・ビロウ。当時バディのバンドでベースを弾いていたアーネスト・ジョンソン。

そしてマディ・ウォーターズの左腕として、素晴らしいピアノ・プレイと温厚な人柄で、マディのバンドにも、我の強い暴れん坊揃いのシカゴ・ブルース・シーンにもなくてはならない存在だったオーティス・スパン。

「オーティス、久しぶりだなぁ。ヨーロッパはどうだった?」

「悪くなかったね、まぁあんなもんだ」

「顔色が悪いぜ大丈夫か?」

「あぁ、ちょっとここんとこ調子が悪いんだがすぐによくなるさ。・・・はじめようか。今日はどうすんだい?」

「今日はセッションだ。普段やってるありのままの、オレ達のサウスサイドのタフなブルースだな」

「そいつはいいな」

録音マイクがオンになり、テープが周り続けているスタジオの中、男たちの談笑の声が響く。やがて誰かが楽器を鳴らし始めると、その空間には一気に緊張が走る。楽曲のほとんどはスローテンポの典型的なブルース。

しかし、異様な粘度で絡み付くリズム、重く叩き付けられるピアノ、それらに絡み付くウェルズの声とハープに緊張を溜めに溜めて一気に切り裂くバディのギター、それらの音の濃厚な存在感は、単純にスタジオでのお気楽なジャム・セッションの枠を大きくはみ出して時間と空間の中を黒々と塗りつぶしてゆく。

オーティスはこの直後に死んだ。レコーディングの時は既に肝臓をヤラレていて深刻な病状だったそうだが、あんな凄まじいプレイを目の当たりにしたメンバー達も、レコードを聴いたリスナー達も、誰もがそれを信じなかった。


真夏のベランダから夜空へ、鈍い月の光以外には何もない暗闇に、タバコの煙と追想が流れては消える。

今から45年以上前の音楽から狂おしいまでに漏れてくる異様な空気感の何とリアルなことか。









【収録曲】
1.Stop Breaking Dwon
2.I Could Have Had A Religion
3.I Just Want To Make Love To You
4.Baby, Please Lend Me Your Love
5.You Say You Love Me
6.Blues For Mayor Daley
7.I Wish I Knew What I Know Now
8.Trouble Don't Last Always


今日はちょっと趣向を変えて、文体をハードボイルド風にしてみました。

色々書いては消しましたが、このラフで凄まじくヘヴィなブルース・ジャムセッションを一言で形容する言葉は未だ見付かりません。








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