ディープなコラム こちらにも書いてます♪

2017年08月27日

ジョン・コルトレーン トランジション

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ジョン・コルトレーン/トランジション
(Impulse!)

ジョン・コルトレーンという人は、もちろんジャズを代表する偉大なミュージシャンでありますが、同時に「激動の60年代を象徴するアーティスト」と言われます。

紆余曲折を経て、1961年に、コルトレーン、マッコイ・タイナー、ジミー・ギャリソン、エルヴィン・ジョーンズの4人による”コルトレーン・カルテット”を結成。このバンドは、コルトレーンにとっては初めて自分が追究したい音楽を、個性とセンスに秀出た若いメンバー達と存分に追究することが出来た初めてのバンドでありますが、このバンドでもってコルトレーンが追究した音楽というのが、ジャズをより人間の根源に迫る迫力のある音楽に深化させたものであり、同時に彼らの内からマグマのように湧き出る喜怒哀楽の激しい感情を剥き出しの形で演奏に叩き付けたように感じさせるものでありました。

そんな彼らの激しく、聴く側にとっては何か激しく怒っているような、もしかしたら政治的宗教的なメッセージを発しているように思えるような演奏は、黒人公民権運動やベトナム戦争といった激しく激動する社会情勢とリンクして、特に変化を求める若者達からある種カリスマ的な人気を集めるに至ったのです。

言っときますがコルトレーン自身は政治や宗教、哲学に対する造詣は深く、読書量も並ならぬものがありましたが、政治や宗教に対する発言は非常に控えめです。ひとつひとつの事件についてはメッセージを発したり、楽曲を作ったりはしても、「世の中に物申す!」という極端なスタンスとは、終生静かに距離を置く姿勢を貫いておりました。

だからコルトレーンが、というよりは、彼の60年代以降の演奏が、同時代の人々の意識に語らずして深い共感を呼び起こしていたのでしょう。それは彼の死後、50年経った2017年の現代でも変わりません。

本日ご紹介するアルバム『トランジション』は、そんなコルトレーン・カルテット末期の、こと”感情の激しい動き”という意味では、これはもう最高峰に位置する名盤です。

録音は1965年。前回ご紹介した『ジョン・コルトレーン・カルテット・プレイズ』と同じく、カルテットの芸術の到達点を記録した『至上の愛』と、編成とジャズの定型フォーマットからの解放を試みた実験的な作品である『アセンション』との狭間の時期にレコーディングされたアルバムでありますが、神秘的な静寂が終始漂う『カルテット・プレイズ』とは対照的な、演奏の限界に挑んでいるかのような、カルテット作品中最も激しい演奏が聴けます。



【パーソネル】
ジョン・コルトレーン(ts)
マッコイ・タイナー(p)
ジミー・ギャリソン(b)
エルヴィン・ジョーンズ)(ds,@B)
ロイ・ヘインズ(ds,A)

【収録曲】
1.トランジション
2.ディア・ロード
3.組曲(プレイヤー・アンド・メディテイション:デイ/ピース・アンド・アフター/プレイヤー・アンド・メディテイション:イブニング/アフェアーメイション)


まぁ一曲目の「トランジション」からもう激しい激しい。

コルトレーンのテナーは長い長いソロを吹きまくり、そのアドリブは小節を経る毎にどんどん、定型を打ち破れとばかりにアツく激しく燃え上がっております。

もちろんカルテットの初期から、その前のエリック・ドルフィーが一時在籍していた頃から、コルトレーンのソロは過激で、長時間のアドリブの中でカッコよくスケール・アウトしていくスリリングな展開はたくさんあたのですが、この時期になるともう最初から意識的に「暴走してやる!」という意識がコルトレーンを支配していて、特にエルヴィンが叩く定型4ビートに挑みかかるようにリズムを外したフレーズで、しかもどう展開するか先が全く見えない大胆なフレーズ運びで、完全なカオスを生み出してるんですね。

そう、このアルバムで一番重要なのは、この曲と3曲目の組曲での、コルトレーンとエルヴィンとのエゴ丸出しのエグいほどの仁義なきバトルなんです。

あらゆるビートを同時に鳴らしながら、それを複合させてまるで別々のリズムが共鳴し合っているかのような独自性の強いエルヴィンのドラミング(ポリ・リズムと言います)は、コルトレーンにとっては当初最高に「自由」と「可能性」を感じさせるものであり、事実1960年から65年までは、この2人の”調制ギリギリのせめぎ合い”がカルテットの売りでした。

しかしもうコルトレーンは”調制は要らない!”と、自ら着地点や言葉のコミュニケーションを放棄したかのように、一人でどこか遠い世界を突っ走っております。エルヴィンやマッコイにとっては「おいおい、ボスはどうしちまったんだ。せめて合図ぐらいよこせよ、これじゃあ演奏にならねぇ!」と、憤慨すること甚だしかったことでしょう。ギャリソン?うん、彼は「あー、まぁ演奏中は色々あるんじゃね?知らんけどビールうめぇ」っていう鋼のメンタルの持ち主ですから、2人が脱退した後もバンドに残ることが出来ました。

エルヴィンのドラムは明らかに怒ってます。アンタを尊敬し、彼の音楽を愛し、ここまで一緒にやってきたのに、何でアンタはオレらの音に耳を貸さずに一人で突っ走ってしまうんだ!?と、シンバルの乱打やスネアのロールで、必死にリーダーに訴えているようでもあります。そんな状況でもありながら、カルテットのテンションは高く、演奏がこれまでになく凄まじく高いクオリティに達しているから余計に両者の溝の深さを、聴いてるこっちも手に汗を握りながら感じない訳にはいきません。

とにかくこの「トランジション」、カルテット崩壊寸前の、最後の完全燃焼を記録したアルバムとして、剥き出しのスリルが(今となっては)楽しめます。こと”演奏”という意味ではコレを最高傑作に挙げる人も多いのですが、その意見にはアタシも賛成です。

一曲だけ、ロイ・ヘインズがエルヴィンの代役でドラムを叩いた「ディア・ロード」という曲が入ってますが、この曲がもうコルトレーンのバラード演奏としては、これも別次元のような美しさで胸に迫るんです。あんなに激しい「トランジション」と「組曲」の間にこんな美しい演奏を入れるんだ。もうこの人達の間で”音楽”って一体どんな領域に達してたんだ・・・と、これも感嘆のため息とともに吐き出さざるを得ません。

で、こんなに凄いアルバムなんですが、実はコルトレーンは演奏の仕上がりに納得せず(恐らくもっとフリー・ジャズなことをやりたかった)、生前はオクラ入りにしていたんです。ようやく発売されたのが、死後何年か経ってから、コルトレーンにとって”新しいメンバー”だった奥さんのアリス・コルトレーンが「本人が納得していなかったとしても、コレは私の大好きだったあの素晴らしいバンドの一番凄い演奏だと思うから世に出すべきだわ」と、リリースを決意したといいます。





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2017年08月25日

ジョン・リー・フッカー ブーン・ブーン

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ジョン・リー・フッカー ブーン・ブーン
(Capitol)


さて、夏といえばジョン・リー・フッカーです(?)

2001年に亡くなってはおりますが、今年はジョン・リー・フッカーの生誕100周年記念ということで、8月22日の誕生日にはネット上で大いに盛り上がっておりました。

何にせよブルースの孤高の巨人として、その地の底の暗闇から響いてくるかのようなドスの効いた低い声と、ブギー一発、或いはドロッドロのスロー・ブルース一発、いずれのスタイルでもドぎつくうねってとぐろを巻いて襲い掛かるギターと、それらを効果的に響かせる「カッ、カッ、カッ」という靴の音でもって、”〇〇ブルース”というものではなく、唯一無二の”ジョン・リー・フッカー・スタイル”というものを築き上げ、50年以上もそれを貫き通した人であります。

マディ・ウォーターズやB.B.キングと同じように、戦後すぐぐらいの時期から本格的に活動を始め、そして60年代になって彼の最凶にディープなブルースに惚れた多くの若手ブルースマンやロック・ミュージシャン達に慕われておりますが、誰に衝撃を与えようと、どんなスタイルの相手と一緒に演奏しようと、この人のスタイルはずっと変わらず、どころか微動だにせず、ほぼワン・コードのブギかドロドロのスロー・ブルースを唸るのみ。

更にそのスタイルが余りにもワン・アンド・オンリー過ぎて、フォロワーどころか似たようなスタイルでブルースをする人すら現れず、ついでに言えば音楽的に孤高を極めたからさぞストイックでアーティスティックな人なんだろうと思ったら、後輩達の呼びかけには割と気軽に答えてライヴやレコーディングにはニコニコとフットワークも軽く出かけてゆく。

インタビューなんかでも「オレがオレが」ではなく、ひとつひとつの質問にとても真摯に向き合って、丁寧に言葉を選びながら、そして適度なユーモアと茶目っ気を交えながら紳士的に答えてくれる。実に腰の低いジェントルマン。

またそこが最高にカッコ良くて、聴く人をどこまでも「かっこぇぇ〜、あ〜かっこぇぇ」とブルースの底なしの泥沼に引きずり込む男、それがジョン・リー。

そんなジョン・リーには、もちろんアタシもブルース聴き始めの頃、割と早い時期に惚れました。

例によって中学時代に親父に薦められて買ったオムニバス”アトランティック・ブルース・ギター”に、エレキ弾き語りのドロドロなスロー・ブルースが入っていたのに「これやっべぇ!」と思ったのが一番最初。

で、高校生になって、音楽の色んな本とかを読むようになって、ジョン・リーについてもちょこっと知ることが出来たんですが、丁度リアルタイムでリリースされて、ヤングギターとかにも広告がデカデカと載っていたので何も知らずに「とりあえず買っとくか」と思って買ったのが、1992年に新作としてリリースされた『ブーン・ブーン』




【収録曲】
1.ブーン・ブーン
2.ジェシー・ジェイムスみたいな悪い奴
3.あのブルースをもう一度
4.シュガー・ママ
5.トリック・バッグ
6.ブギー・アット・ラッシャン・ヒル
7.ヒッティン・ザ・ボトル・アゲイン
8.ボトル・アップ・アンド・ゴー
9.聴こえぬ声
10.アイ・エイント・ゴナ・サファー・ノー・モア


これ凄くいいアルバムだったんですよね。

何がどういいかっていうと、ブルースのことなんかちょっとかじった程度だったアタマの悪い高校生にも「おぉ、何だか渋いけどギラギラしてる。これがブルースか!」と、ストレートに分からせてくれたんですよ。

当時のアタシといえば、ロックのCDを買っても、タテノリの速い曲か、アコースティックの綺麗なバラード以外はすっとばして聴いてたアタマの悪い高校生(2回目)です。

そんな音楽のことなんか何もわかっとらんクソガキに、1曲目から「お、おぉ!?」とグイグイ引き付けた。もちろんその時は引き付けられてるということしか分からずに、友達にも「何これ、ブルース?」と訊かれて「おぉ、コレがカッコイイんだぁ」と、何となく答えることしか出来なかったんですが、後になって色々聴いて、その”引き付ける感じ”こそがこの人のディープな声とギターのシンプルにして最高な魅力、そして90年代という時代に、ジョン・リーと相性の良い最高なゲスト・ミュージシャン達が懸命に組み上げたキャッチ―なアレンジが、ブラックホールみたいなジョン・リーの曲に親しみを加味したんだなぁと気付くに至りました。

映画”ブルース・ブラザーズ”の路上演奏シーンでもおなじみの代表曲「ブーン・ブーン」がまず冒頭で、この曲は1962年にヒットしたやつの再録音ですが、ジョン・リーがザックザックと刻むワン・コードのバッキングに絡むスティーヴィー・レイ・ヴォーンのお兄ちゃん、ジミー・ヴォーンが弾くロッキンなソロに、締まったリズムのベース、ドラムがバシッと決まって、最高のバンド・サウンドです。

若手モダン・ブルースのホープとして、色んなギター関係の雑誌によく登場してたロバート・クレイが、王道のモダン・ブルース・スタイルで、ファンキーなクラプトンみたいなギターを炸裂させるスロー・ブルースの「あのブルースをもう一度」も、好きにやらせてるようで実は低く唸るヴォーカルと、手数こそ少ないけど「ガリッ!」とひと掻きするだけでその場の空気をガラッと変えてしまうジョン・リーが凄いし、暴力チョーキングの魔人、アルバート・コリンズのギャイギャイしたサウンドと、トランス感十分なジョン・リー・ブギな楽曲が絶妙にハマッた「ブギー・アット・ラッシャン・ヒル」とかその辺のバンド・ブルースの盛り上がる曲と、凄まじくへヴィなギター弾き語り、もしくはハーモニカ(チャールズ・マッセルホワイト)とのデュオとかでズブズブと沈み込んでゆくモノホンのディープ・ブルース(特に怪しいトレモロが効きまくったギターの音がヤバい「シュガー・ママ」凶悪!)との、楽曲の配分なんかも凄くいいのです。

ジョン・リーの傑作、名盤と呼ばれているものは、初期の弾き語り時代(たとえば「ザ・グレイト・ジョン・リー・フッカー」など)に集中しますが、それは本当にコアしかない深淵極まりない音楽だったりして、実際アタシもこのアルバムみたいな「ブルース知らない人も、しっかりノセながら引き込むアレンジ」が効いた90年代のジョン・リーを知っていなければ、果たして50年代の名盤をちゃんと聴けただろうかと思います。

今でも折に触れて聴いている大切な大切なアルバムです。当然「ブルース」という言葉にちょっとでもピクッとなる人は、とてもいいアルバムなのでぜひ聴いてくださいね♪




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2017年08月24日

ジョン・コルトレーン・カルテット・プレイズ

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ジョン・コルトレーン・カルテット・プレイズ
(Impulse!)

暦の上ではもう秋ですが、残暑はまだまだ続いております。

嫌ですね、暑いしセミはもうこの世の終わりとばかりにミンミンジンジン鳴きまくってるし、一年で一番体力も気力も奪われるのがこの8月の後半なんですが、こんな重たい季節に聴きたくなるコルトレーンのアルバムに『ジョン・コルトレーン・カルテット・プレイズ』というのがあります。

終始どんよりとした不穏な空気と、聴く人の意識を深く深く瞑想の内側へと誘うかのような、ある意味スピリチュアルなムードが、アルバム全体を覆い尽くすような、いかにも60年代以降Impulse!時代のコルトレーンといった辛口でも甘口でもない、しいて言えば”重口”の味わいですね。

録音年は1965年で、名盤で代表作と言われる『至上の愛』と、最大の問題作と呼ばれる『アセンション』の間に挟まれた時期に録音され、しかもさっきも言ったように全編に渡って重く内省的なムードで覆い尽くされておりますので、コルトレーンの作品の中でもいささか地味な扱いを受けていたこともあって、お客さんにオススメしてても「へー、こんなのあったんだ。知らなかった〜」とか言われることもありました。

えぇ、そんな可哀想なアルバムなんですが、さっきも言ったように、このアルバムには独自の濃厚を極めた”重口の味わい”があって、アタシは大好きです。名盤や問題作と呼ばれている作品に衝撃を受けた後に、実際にアーティストの深い持ち味、もしかしたらその人が本当に表現したかった深層のサウンドは、こういったアルバムの中にこそあるんだと思います。

それこそ『ライヴ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード・アゲイン』を聴いて

「うわぁ!何だこりゃ!!コルトレーンってこんなヤバい音楽やってたんだ!こんなんパンクですわ、ぬはっ!!」(←アホ)と、すっかり鼻息を荒くしたハタチそこらのチンピラだったアタシが、池袋のWAVE(懐かしいね)のアナログコーナーに走って買った2枚目のコルトレーンのレコードがコレ。

そん時も確かギラギラ暑い夏の時期で、朝も昼も夜も「ヴィレッジ・ヴァンガード・アゲイン」と「カルテット・プレイズ」をターンテーブルに交互に乗せてききまくっておりました。

ムシ暑い部屋の中で、汗をダラダラかきながら「よし聴くぞ!」と気合いを入れて聴いてたのが「アゲイン」の方で、意識せずムードに浸るために頻繁に流してたのは、実は「プレイズ」の方だったんですよね。何というか「聴こう」と構えなくても針を落としてレコードを回してさえおれば、自然と音が入ってくる。

そして厚さと疲れにいい感じにヤラレた心身を休めるために部屋の片隅に腰を下ろし、タバコふかしながらボーッとする時、ひたすらダークで重たいはずのこのアルバムに入ってる楽曲、コルトレーン・カルテットの演奏から繰り出されるフレーズのひとつひとつが、不思議な心地良さを伴って、体から心の奥底の方(多分)に、ジワジワと入り込んできて、そこに優しく拡がっていった感覚を、今でも思い出しますし、今でもこのアルバムを聴くとその感覚がじわっと蘇ってきます。




【パーソネル】
ジョン・コルトレーン(ts,ss)
マッコイ・タイナー(p)
ジミー・ギャリソン(b)
アート・デイヴィス(b,B)
エルヴィン・ジョーンズ(ds)

【収録曲】
1.チム・チム・チェリー
2.ブラジリア
3.ネイチャー・ボーイ
4.ソング・オブ・プレイス


まぁ、そんなことを言っても、所詮は”個人の感想”です。

聴いてどう感じるかは、これからこの作品に出会う皆様方お一人お一人に体験して頂くことにして、ちゃんとした説明を致します。

実はこのアルバムには”チム・チム・チェリー”というもうひとつの呼び名があって、それは何でかと言いますと、はい、一曲目に収録されておるからなんですね。

”チム・チム・チェリー”といえば、ミュージカル「メリー・ポピンズ」の歌です。それ以前に

チムチムニー、チムチムニー、チムチームチェリー、わたしーはーえんとーつ そうじーやーさん♪


と、皆さん保育園や幼稚園なんかで唄った経験はあるんじゃないんでしょうか。そう、我が国ではそんな感じで子供の歌う童謡として有名です。

そんな、みんなが知っているマイナー調の3拍子の曲、これをコルトレーンが最高にカッコいいジャズ・ワルツにしてるんです。ソプラノ・サックスを最初は切々と哀愁のあるメロディーを慈しむように、でもアドリブに入ると指の速度を早め、狂おしさに青白い炎を燃やしながら。

コルトレーンの伝記本とかジャズのガイドブックの類では、コルトレーン最大のヒット曲となった「マイ・フェイバリット・シングス」みたいなミュージカル・ナンバーで、3拍子で、しかも同じようにソプラノ・サックスを吹いて、再びヒットを飛ばそうと目論んだレーベル側が、コルトレーンにカヴァーさせたと書いてありまして、確かにそんな背景はレコーディング時にはあったと思うんですが、もうこの時期の”コルトレーン・ミュージック”を4人で揺るぎない領域にまで作り上げたコルトレーン・カルテットには、ヒットとか有名曲とかそういうのはどうでもいいことで、スタンダードをいかに自分達の世界の奥深くで鳴らしてしまうか、それだけを激しく思考しながら、別世界の”チム・チム・チェリー”がここに仕上がっております。

同じことは、3曲目の「ネイチャー・ボーイ」にもいえます。

ナット・キング・コールのヒット曲として知られ、サラ・ヴォーン、スタン・ゲッツ、マイルス・デイヴィスなどなど、多くの有名ミュージシャンがカヴァーしている、大スタンダード。

原曲は美しいバラードですが、これも主たるメロディーがマイナースケールで出来ておりまして、例えばナット・キング・コールなんかのヴァージョンは「ちょっと物悲しい」くらいの悲しさを、コルトレーンはもうどこまでも沈み込む壮大なスケールの鎮魂歌のように仕上げていて、逆にアタシは何年か後にナット・キング・コールのオリジナルを聴いて「え?こんな感じだったの」とぶったまげたほど。

有名ミュージカルナンバーと、誰もが知る歌モノの有名バラードを入れたアルバムなのに、キャッチ―に仕上がるはずの曲なのに、ここまで深淵に沈めてしまうコルトレーン、容赦なくかっこいいです。。。

オリジナルの「ブラジリア」「ソング・オブ・プレイス」も、同様に深く沈み込むナンバーであります。

特にエンディングの「ソング・オブ・プレイス」は、ジミー・ギャリソンの長い長いベース・ソロがありまして、これがアルバム全体にそれまで漂っていた静かな熱気を吸いこむブラックホールのようで、で、実際ギャリソンの重厚な静寂に収縮されたカルテットのエネルギーが、3分30秒辺りで低音をゆっくりと響かせながら登場してくるコルトレーンの、まるで暗闇に流れ出すマグマのようなテナーで、これまた重く響き渡る。

アルバム全体的に重く、最後までドカーン!と炸裂する場面はないんですが、とてつもないエネルギーが煮立ってることを、この「ソング・オブ・プレイス」のコルトレーンが出てきて吹いている場面でいつも感じます。


深く、重く、・・・と何度も言ってますが、これこそがコルトレーンです。






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2017年08月22日

ブラックフラッグ Damaged

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Black Flag/Damaged
(SST)


「気合いの入ったロックを教えてください」

お店に立ってた頃、若いお客さんからよくこういう問い合わせを受けておりました。

時は1990年代後半。

うん、アタシも若かったですが、お客さんはもっと若かった。

大体そういう問い合わせをしてくる人達は、当時空前のブームだったメロコアから洋楽に入って、もうちょっと激しいやつを聴いてみたいと思って、ハードコアとかモダンヘヴィネスとか、その辺を聴き漁りたいという素晴らしい意欲を持っている人達です。

「気合いの入ったロックを・・・」

の問いにアタシは大体即答はせず、とりあえず「そうねぇ、メロコアに飽きたら次はやっぱりハードコアっしょー」とか、言って反応を伺ってましたが、この”ハードコア”というワードに、まぁみんな反応すること反応すること。「うぉぉ、ハードコア!」「聞いたことあるっす、ヤバイっすよね!」と、その時点でお客さん達もアタシも理屈を脱ぎ捨てて本能のみで、内側からこみあげてくるアツい感情をストレートな単語や擬音にして、まずは盛り上がります。

今にして思えば、CDが売れるとかオススメを気に入ってもらえるとか、そんなことよりも、こうやってうわぁっ!って盛り上がる瞬間が一番楽しかったですね。

それで”で、ハードコアといえばこの人ですよ”と、色々と古今東西のパンク系の人達のライヴやクリップを録画したビデオに入ってる、ヘンリー・ロリンズのライヴ・パフォーマンスを観てもらう訳です。

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ガッツリ鍛え上げられた上半身をむき出しに、常にファイティング・ポーズのような、足を踏ん張った姿勢でビシッとまっすぐ前を向いてそして叫ぶ、叫ぶ、叫ぶ!しかも激しく動いて激しく叫んでいるのに、体鍛えまくっているから姿勢が崩れたりよろめいたりしない。

「ほら、これがハードコア。これを気合いが入ったロックと言わずして何を気合いの入ったロックと言うの。フフフ」

という言葉がつい興奮して出そうになりますが、あえてそこは無言でニコニコと反応を伺います。

反応は伺うまでもなく「すげぇ・・・」「やべぇ・・・」の声が彼らの口からため息と共に漏れているのを、アタシはひたすらニヤニヤしながら聞いてました。もちろん、モニターの画面にくぎ付けになっている目が真ん丸になっているのも含めて。

曲が終わって「これ・・・何て人ですか」という言葉を聞いてようやく、アタシは説明に入ります。

この人はヘンリー・ロリンズといって、アメリカのハードコアの初期の頃に出てきた第一人者みたいな人で、デビューした頃からもうこんな感じで気合いの塊みたいな人なんだ。でもね、どっからどう見てもパンクな人なのに、実はめちゃくちゃ規則正しい生活をしていて、筋トレもしてるし、政治とか哲学とかの本も読みまくってるインテリ。俳優もやってて映画にも出てるんだけど、ほとんど名前のないちょい役とか、でも色んなのに出てるから「あ、またあの人出てる」って、映画ファンには根強い人気があったりする。

で「うぉぉ、何か知らんけどすげぇ、カッコイイ!」と、ロリンズ・バンドのCDを手にする人、結構いました。

で、更に「この人のこともっと知りたい!」という人には、アタシはロリンズが最初に在籍していた、ブラックフラッグのことをオススメしていました。






【収録曲】
1.Rise Above
2Spray Paint
3.Six Pack
4.What I See
5.TV Party
6.Thirsty and Miserable
7.Police Story
8.Gimmie Gimmie Gimmie
9.Depression
10.Room 13
11.Damaged II
12.No More
13.Padded Cell
14.Life of Pain
15.Damaged I


やっぱりパンクといえば、ハードコアといえば、このバンド抜きに語ることは出来ないんですね。

1976年、イギリスでピストルズやクラッシュなどのオリジナル・パンクがセンセーションを巻き起こしていた頃に結成されて、アメリカならではの、もっと泥臭く、もっと暴力的なサウンドを追い求め、更に商業的な成功に重きを置かない気骨のバンドを世に出すために、元祖インディーズ・レーベルの”SST”を設立して、その後のパンク/ハードコア、そして世界のロック・シーンに与えた影響はとてつもなくデカい。

そんなことより何よりまず、ヘンリー・ロリンズがヴォーカリストとして在籍していた時の、無軌道で荒削りなサウンドの、理屈も理性も見事にぶっ飛ばすその破壊力は、どんなに音楽が進化しても、機械的に激しく荒々しい音が出せるようになった現在でも、十分に刺激的な音として通用するんです。通用するどころか未だに”気合い”という一点で、ロリンズ先生の居た頃のブラックフラッグのサウンドを突破できるバンドっているのか?いやいない。とアタシ思います、はい。

さて、そんなブラックフラッグの、まずはオススメのアルバムが、実質的なファースト・アルバムであります「ダメージド」。

実はブラックフラッグは、結成してからメンバーの流動が激しく、1枚目のアルバムを出すまでに3人のヴォーカリストが入れ替わっておりますが、1981年にワシントンのハードコアバンド”ステイト・オブ・アラート”に居たヘンリー・ロリンズが加入してからバンドはパワーと安定感を増し、西海岸のマイナーバンドだったブラックフラッグはアメリカのアンダーグラウンド界隈で一気に中心的な存在となってゆくのです。

で「ダメージド」。サウンドの要であるリーダーのグレッグ・ギンが叩き付ける”割れたきったない音”のギターと、パンチの効きまくった、いや、もう拳しかないぐらいのロリンズ先生のストレート、ど根性、気合い大炸裂なヴォーカルとが、ひたすら暴力的に疾走します。

優れたロックバンドのファーストは、大体荒削りで初期衝動に溢れた名盤が多いというジンクスがありますが、その見本のような、どこから聴いてもどんな風に聴いても初期衝動しかない、そんなアルバムです。

ブラックフラッグはこの後86年の一旦解散まで、ヘヴィメタルからの影響も取り込みつつ、どんどん音をへヴィな方向に深化させていきます。

ハッキリ言ってブラック・フラッグやその後のロリンズ・バンドには駄作というものがありませんが、やっぱり無駄の一切ない、というより荒々しさしかないこのファーストは「気合いの入ったロック」をお求めならばまずは聴くべきでありましょう。







『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2017年08月21日

ジョン・コルトレーン ザ・ラスト・トレーン

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ジョン・コルトレーン/ザ・ラスト・トレーン

(Prestige)


よく言われる話ですが、これはコルトレーンのラスト・アルバムではありません。

で、これもよく言われる話ですが、このアルバムでコルトレーンはソプラノ・サックスを吹いておりません。

えぇと、簡単に説明しますと、1950年代後半に、コルトレーンが当時所属していたPrestigeというレーベルでレコーディングしていて、そのまんまうやむやになっていた音源を集め、1965年にあたかも新作のようにリリースしたアルバムです。

その頃コルトレーンは、Impulse!に所属して、ちょうどマッコイ・タイナー、ジミー・ギャリソン、エルヴィン・ジョーンズとの黄金のカルテットで『至上の愛』などをリリースしていた時で、つまり人気実力共にひとつのピークを迎えていた時期ですね。

Prestigeというレコード会社は、50年代60年代のジャズ名盤を多く残してくれたレーベルなんですが、リアルタイムではニューヨークの雑居ビルの一角に狭いオフィスを持っているだけの、弱小インディーレーベルに過ぎなかったわけです。

「どうも最近シノギが厳しいのぅ。昔は小遣いもらえるちゅうてウチに頭下げてレコーディングさせてくれゆうとった連中が今はギャラはいくらで印税はどうのとかうるさくてやれんわい。それにコルトレーンのガキちゅうたら、インパルスに行ってから人気者になりよった・・・。おぅ?コルトレーン??。・・・そうじゃ!まだ発売しとらんコルトレーンの音源をのぅ、新作みたいにして売ったるんじゃ。結構あるじゃろう、それを全部レコードにして売っちゃれ、あぁ、売り上げちゃれい!」

と、まるで仁義なき経営理念にのっとって、あざとく稼ごうとしとった訳です。

で、Prestigeからはコルトレーンとの契約がとっくに切れていたにも関わらず、人気に便乗しての未発表音源が、あたかも新作のようにリリースされてた時期がありまして、この『ラスト・トレーン』もそんな一枚です。

とりあえず契約当時吹いてなかったソプラノを吹いている写真を使って”いかにも”な感じに仕上げてるところに、このレーベルのドス黒い商魂みたいなのを感じて、アタシは結構好きです。

ついでに言うとラストトレーンっていういう意味深なタイトルも、コルトレーンのラストアルバムでは当然なくて、Prestigeでレコーディングした最後のセッションという訳でもなくて

「はい、これがウチから出る最後のコルトレーンです。ウチにはもうこれでコルトレーンの音源は何も残っておりません。最終大サービスですよー!」

という、実にレーベルな都合で付けただけっていうオチも、アタシは結構嫌いじゃないです。




【パーソネル】
ジョン・コルトレーン(ts)
ドナルド・バード(tp,@C)
レッド・ガーランド(p,@BC)
アール・メイ(b,A)
ポール・チェンバース(b,@BC)
アート・テイラー(ds,AB)
ルイス・ヘイズ(ds,@C)

【収録曲】
1.ラヴァー
2.スロウトレーン
3.バイ・ザ・ナンバーズ
4.降っても晴れても



そんな胡散臭い経緯でリリースされたこのアルバムではありますが、中身は実にしっかりした、”1950年代末の急成長期のコルトレーン”の姿をリアルに捉えたものであり、作品としても素晴らしくバランスの良いものであります。

コルトレーンにとってはマイルス・バンドを一旦卒業して、セロニアス・モンクのところでの修行期間のうちに、独自の突き抜けたアドリブ技法を身に付けた1957年から58年という時期の3つのセッションを集めたもので、アップ・テンポとミディアム・ナンバーで溌剌とした爽快な演奏が楽しめます。

「ラヴァー」というバラードっぽいタイトルが付いていながら、細かい音符を空間にうわぁ!っと敷き詰めていく”シーツ・オブ・サウンド”の迫力とスピード感に圧倒されるオープニングから、ミディアム・テンポのブルージーな展開の中でベースとドラムだけを従えてグングン加速してゆく「スロウトレーン」、長年コンビを組んできたレッド・ガーランドのやるせなくもエレガントなピアノとの、もう”魂のやりとり”と言ってもいい至福の掛け合いがグッとくる「バイ・ザ・ナンバーズ」、そしてこれも気合いの入ったミディアム・テンポの中でコルトレーンの吹きまくりとガーランドの後ろ髪引かれるように儚いソロが絵画のように美しい対比で輝く「降っても晴れても」。

たった4曲しか収録されていないのに、いずれもたっぷり時間をかけて濃い演奏がなされ、かつドラマチック極まりない(特に後半)ので、ガツンと味わった気分になれます。

コルトレーンのプレイに関しては、この時期特有の”モダン・ジャズの領域にギリギリとどまってる感じ”が凄くあって、いまにもアウトしてどこかへすっ飛んで行きそうなほどに勢いのあるアドリブを、モダン・ジャズの象徴みたいなレッド・ガーランドのピアノやドナルド・バードのトランペットが必死で現世に留めているような、そんな緊迫したやりとりを見ているかのようでもあります。

いや、全体的な空気が、ジャズとして完璧なほど落ち着いていて、アドリブのフレーズひとつにしても、ソロからソロに移るほんの一瞬の絶妙な間ひとつにしても、全てがしっくりきた大人の演奏なだけに、余計に表には出ていないせめぎ合いみたいなものを感じます。これもまた名盤です。


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『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』


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posted by サウンズパル at 19:34| Comment(0) | 大コルトレーン祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする