2020年06月27日

鈴木智彦 ヤクザときどきピアノ


ヤクザときどきピアノ
(CCCメディアハウス)

久々に心の底から”撃たれた”というものを読みました。

これは素晴らしい「音楽の本」であります。

鈴木智彦さんという人は、日本の裏社会へ単身乗り込んで行って体を張ったレポを書くヤクザ専門ライターです。

その文章はとにかく鋭い写実そのもので、アタシが今まで読んだどのレポも「ヤクザ」という対象を通して、社会が絶えず生み出している不条理そのものが文章から迫ってくるようで、常にそれなりの緊張感を持って読んでおりました。

そんな鈴木さんの新しいエッセイのテーマが何と「ピアノ」と聞いてちょっと驚きましたね。

もちろん鈴木さん自身はヤクザでもコワモテの人でもない、どちらかというとどんな現場であれ丁寧に足を運んで、無駄のない文章で記事にする今ドキ珍しいぐらいの真面目な生粋の”文屋”です。前評判のあらすじを見れば

「50を過ぎてピアノを習いはじめる」

とあり、うむむ、そのように完全なる”趣味の分野”のあれこれと、これまで読んできた文章からかいま見られる硬派なイメージとがどうも直結せずにおりましたが、内容は今まで読んだ著作とは全く違うユーモアとピュアネスに溢れた微笑ましいものだけど、これが凄く硬派で面白い(!)

事の発端は『ヤクザとサカナ』の原稿を全て書き終えて、いわゆるライターズ・ハイになっている時、フラッと入った映画館で観たミュージカル映画、そこで使われていたABBAの『ダンシング・クイーン』を聴いたこと。そして、不意にその曲を聴いて涙が溢れて止まらなかったこと。

「ダンシング・クイーンをピアノで弾けるようになりたい!」とそれからまるで何かに憑りつかれたようになって、門前払い覚悟であちこちのピアノ教室に電話をかける。「アバのダンシング・クイーンをピアノで弾けるようになりますか?」と電話で訊き、ほとんどの教室で「無理です」「男性の方のレッスンは受け付けていません」と冷たく断られるが、アポ取り2日(!)を費やした後見学に訪れたピアノ教室で、運命の”レイコ先生”との出会いを果たします。

「アバのダンシング・クイーンが弾けるようになりますか?」

「練習すれば弾けない曲はありません」

「俺でも弾けるんですか?」

「練習すればどんな曲でも必ず弾けます」

「難しい曲でもですか?」

「講師に二言はないわ」


まるで習う側が何をしたいか、どうなりたいかを聞く前から知っているようにピシャリと断言するこのレイコ先生に

「人を殺したことのあるヤクザが特別なオーラを放っているのに似ている雰囲気」

を感じ、更にレイコ先生が「弾けるようになったお手本」として弾いたリストの『ラ・カンパネラ』を目の前で聴いて

「LAで防弾チョッキ越しに38口径の銃弾を受けた思い出」

が、衝撃と共に生々しく蘇り、同時にピアノという楽器本来の素晴らしさに目覚め、猛練習を重ねて・・・。

というノンフィクションです。

途中途中で引用によるクラシック音楽の歴史やピアノという楽器についての詳細な解説、やはり切っても切り離せないヤクザなたとえが軽妙に挟まれながら、最初から最後まで一気にダレることなく読ませてくれます。

鈴木さんとレイコ先生の名言金言は、それこそもうわんさか出てきて何度も無言で頷きましたが、最初から最後まで一貫しているのは

「音楽を本気で愛する2人の人間の、どこまでも真摯でひたむきな音楽愛の表現」

が、会話にも行動にも滲み出ているということでしょう。

レイコ先生は一応クラシックのピアノ講師ですが、そもそもプロとしての華やかな道ではなく、最初からピアノの先生を目指して音大に入っただけあって、それはつまり「音楽が好きで、自分が教えた人が音楽を本当に好きになるのが嬉しいから」というちゃんとした理由があり、全ての音楽に偏見がない。そして「行ってきなさい」と暗に背中を押すようにフジロックの話をしたりします。

学生時代はロック大好きで、ザ・キュアーのようなディープなパンク/ニューウェーブ系のサウンドを追っかけていた鈴木さんは「何でオレがABBAみたいなポップスに感激したんだろうか?」と、不思議に思いながらも、最後にその理由をちゃんと”音楽的”に理解するに至ります。アタシ的にはこの辺りがもう感動的で、涙が滲みました。


アタシも音楽が大好きで、CD屋を閉じてからもこうやって音楽のブログをやっております。で、今音楽って世の中にあんまり大切にされていないように思える事が凄く多くて気が滅入ることもありますが、世の中には鈴木さんやレイコ先生のように、音楽が好きでそれを大切に守ったり育んだりしている人がきっとたくさんいる。そうだ、そもそも音楽っていうのはひとりひとりの個人の心に大切なものであって、それを売れるとか売れないとか、注目されているとかされていないとか、そういう尺度で測るもんじゃあない。そう思えてアタシも頑張らなくてはと、心に強く決意しました。

音楽好きな人にもあんま興味ない人にも、人生を豊かなものにして欲しいと思っておりますので、この本はぜひとも読んで欲しいです。












『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2020年06月20日

阿部薫 19770916 @ AYLER, SAPPORO

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阿部薫/19770916 @ AYLER, SAPPORO
(doubtmusic)

仔細あってここのところずっと阿部薫を聴いておりました。

阿部薫に関しては、アタシがハタチそこらの頃に「音楽はとにかく刺激だ!頭をぐっちゃんぐっちゃんにしてくれるようなイカレた音楽くれ!!」となっていた時期(それは丁度フリージャズ覚えたての頃でした)確かに聴いて、確かに最初は「日本人でもこんな凄まじい怨念と破壊力に満ちたフリージャズ、しかも無伴奏のたったの1本のサックスで出来る人いたんだ!」と衝撃を受けて、それからはもうハマりまくって朝から晩まで聴き狂っていた時期があったのですが、聴いていくうちに、いや、多分最初から、その破壊力に満ちた演奏の裏側にある、えもいえぬ抒情とか即興で繰り出されるフレーズのメロディアスな美しさとか、演奏の、いや、無音の部分からすらもうわぁ〜んと迫ってくる狂おしさみたいなものに憑りつかれ、そりゃあもう一言ではとても言い尽くせない存在になって久しくあります。かれこれ四半世紀近く。

考えてみれば阿部薫はアタシに

「フリージャズつってもな、ただ滅茶苦茶のデタラメをやっていい訳じゃないんだ。どんなに自由に吹き散らかしても美しくなきゃダメなんだ」

という事を一番最初に教えてくれたアーティストだったかも知れません。

アルバムに関しては見かけたら買っていました。主に経済的な理由から全然追いついてはおりませんが、たとえどのアルバムも「ソロは大体似たような感じ」であろうが、不思議な事に阿部薫の演奏というのは”飽きる”という事がありませんでした。同じアルバムを何度聴いても良い意味で体が慣れない、だから聴く毎に受けた衝撃が一旦更新されて次に聴く時も初めて聴いた時のような「出てくる最初の音をドキドキしながら待っている」という状態になりました。これは本当に不思議ですがそうなんです。


彼のソロ・インプロヴィゼーションは、さっきも言ったようにどれも強烈な衝撃と、ゾッとするような音色の美しさ、そして即興で奏でられる調制の枠を大きく逸脱しているはずのメロディがどこまでも哀しくて美しい。

1970年代初頭から亡くなる直線の1978年の演奏まで、彼は一貫してそのスタイルでありますが、1970年代半ば以降演奏に更なる緊張感を醸す無音部の”間”が多くなります。

その”間”の凄味が味わえる音源の極北といえば、やはり1978年の「最後のツアー」での北海道での音源。

『ラスト・デイト』というアルバムがあって、このアルバムは実は最後に入ってるハーモニカでの演奏が凄いんですが、1曲目がアルト・サックスの演奏で、この演奏の途中にいきなり物凄く長い”間”があるんですよ。

ガーッ!と吹いて唐突に、多分3分以上あろうかと思う異様な無音。

これをアタシは「凄い・・・」と感じたんですね。無音であるということは音が鳴ってない状態なので、それが音楽的にどうこうという訳ではないはずなのに、その無音部の中に、彼が吹くアルト・サックスの、あの断片的なメロディの”あの感じ”の空気そのものが反響している、ような錯覚に陥ってしまったんです。

うん、阿部薫の音楽知らない人にとってみれば「コイツは何を言ってるんだ?」な話ではあろうかと思いますが、や、だからこそこの部分は阿部薫という人をまだ聴いた事ない人にとって物凄く大事な部分だと思いますんで、はい「そういう音楽なんだな」と思ってくだされば幸いです。ほんとにね、真剣にのめり込んで聴けば聴くほどそういう不思議な事がちょくちょく起こるんですよね。

さて、今『ラスト・デイト』の話が出ました。

このアルバムは、1978年の8月28日に彼の最後の演奏活動となった北海道ツアーにて録音されたもので、発掘されリリースされたのが1989年という、いわゆる未発表音源というやつでした。

そう、これこそが阿部薫の最後の演奏とずっと言われていた音源でしたが、それから14年後の2003年に『ラスト・デイト』の日の翌日に行われた室蘭でのレコーディングが『ラスト・レコーディング』としてリリースされ、コチラは20分足らずの短い演奏でしたが全編サックスを吹いていて、そのエモーショナルな内容に大変ド肝を抜かれた事を覚えています。

話をちょっと横道で整理します。

阿部薫は1978年9月9日に催眠剤の過剰摂取により亡くなっておりますが、その直前に行われた北海道ツアーは、8月27日に小樽、8月28日に札幌、29日に室蘭、そして最終日の30日に旭川という日程でありましたが、このうち旭川での正真正銘の最後の演奏が録音されることなく永遠にその場限りのものとなっております。


で、『ラスト・デイト』に書かれていたライナノーツで、アタシは気になる一文を見付けました。その内容は、実は阿部薫はこのラストツアーのおよそ1年前の1977年に北海道で演奏してて、その時札幌の『アイラー』というジャズ喫茶でライヴをしたと。で、78年に演奏した札幌の『街かど』というお店では、サックスの音が天上に反響してしまった事にちょっと納得が行かない様子で「アイラーの方が良かった、ツアーが終わったらまたアイラーでやるよ」と言って『アイラー』の主人もそのつもりだったが、結局旭川から戻ってきた阿部の疲労が激しかった様子だったのでライヴは行われなかった。という内容でした。

これを読んでアタシの中では当然、本人が”良かった”と言ってた『アイラー』での演奏が聴きたいという気持ちと、もし78年のラストツアーの最後に『アイラー』でのコンサートが行われていたらどうだったんだろうという二つの気持ちが膨らみました。

が、77年の『アイラー』での音源は、CDとしてリリースされてなかったんですね。

90年代から2000年代は、町田康・広田レオナ主演の映画『エンドレス・ワルツ』の影響もあって、にわかに阿部薫への注目が彼の演奏をリアルタイムで体験したことのない世代の人からも集まったことと、関係者の尽力によって様々なレーベルから彼の未発表ライヴがリリースされておりましたが、その中にも1977年札幌『アイラー』での演奏はありませんでしたので「あぁ、こりゃあもう永遠に幻だな、でもそういうのがあるのって何だか”らしい”な」と、想像の隙間にその幻をそっとしまいこんでおりました。



19770916 @ AYLER, SAPPORO
【パーソネル】
阿部薫(as-@AC,sopranino-B)

【収録曲】
1.solo improvisation 19770916-1 (alto)
2.solo improvisation 19770916-1 (alto)
3.solo improvisation 19770916-1 (sopranino)
4.solo improvisation 19770916-1 (alto)

(録音:1977年9月16日)




ところが「出た」んですね。その幻の音源が、何と演奏から43年後の2020年というほとんど半世紀に近い時を経て誰もが聴けるCDとしてリリースされたんです。

そういやちょっと前に「音源はどこかにあるけど色々事情があって埋もれてるはず」という話は聞いておりました。けどそれはもう関係者でも何でもない、単なる1ファンのアタシが”聞いた話”であって、過剰に期待したり、彼の音楽以外の事をあれこれ考えるのはやめようと思っておりました。

それだけにこのリリースは、ちょっと衝撃というよりも、リリースのニュースを聞いた瞬間に思考が吹っ飛んで狂喜しました。

単純に考えても、1977年の阿部薫といえばそれまでの悲哀と激情の凄まじい次元での炸裂というか、そういう演奏からあの独特の空間そのものを凝縮させるかのような”間”を多用した演奏に変化してゆく丁度その過程の演奏です。CDを聴く前に「どうなんだろうどうなんだろう」と、ワクワクしながらも緊張して、音が出てくる前から自分の感覚の妙な部分が研ぎ澄まされてゆく、つまり「阿部薫を聴く前に起こるいつもの不思議な感覚」があって、何故か「よし!」と声が出ましたが、何故なんだろうとか考えません。「そういうもんだ」と思った方が良いんです。

で、演奏です。

「ギュルル!!ギャギャギャギャギャギャギャギャーーー!!!!!!」と吐き出される最初の一発目の音から「あぁ、これ・・・」です。

良いとか悪いとかそういうのじゃなくて、人間の「本気」(よく言われるそれではなく、人間にある限界みたいなものを突破する程の気迫という意味です)。最初から最後まで、即興で繰り出されるフレーズから無音に至るまで、或いは演奏が終わってお客さんの拍手が鳴っているその場の空気中にまでそれがみなぎっている。30分ぐらいの演奏ですが、長いも短いもありません。凄まじい本気に圧倒されて息を呑んでいる間に音楽は遥か彼方に消え去って行ってしまいます。

冷静になって解説らしいことをすれば、全体にみなぎっている空気感は、初期の鋭く圧倒的なスタイルのそれ。でも、音とメロディの美しさは1970年代後半の、ただ”凄い”だけじゃなくて何かこう凄さを超越したヘヴィな陶酔に彩られております。

2曲目最初付近の無音部と、3曲目ソプラニーノの高音で奏でられる「風に吹かれて」のメロディなどは、やっぱり聴く人の意識を遠い所へかっさらって行く強力な”美”だなぁと思うのです。








(販売はアマゾンでも行っておりますが、↓にメーカー直送の確実迅速なページがありますのでぜひご利用ください↓)

http://www.doubtmusic.com/mart/new.html




doubtmusicオフィシャルHP









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2020年05月22日

メンフィス・スリム U.S.A

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メンフィス・スリムwith.マット”ギター”マーフィー/メンフィス・スリム U.S.A
(United/Delmark/Pヴァイン)


全開サニーランド・スリムについて書いたら、やはりこの”スリム”についても語らない訳にはいきますまい。という訳で今回はブルース界におけるスリム”伊達男”の一人であり、サニーランド・スリムと同じくピアニスト、そしてサニーランド・スリムと同じく戦前と戦後を股にかけて活躍したこの人、メンフィス・スリムであります。

1916年にその名の通りメンフィスで生まれ、その後メンフィス、ウエスト・メンフィス、アーカンソーなどのバレルハウスで腕を磨き、1939年にはシカゴへ移住し、そこですぐさまビッグ・ビル・ブルーンジィとコンビを組んで、戦前のシカゴ・ブルース・スタイルを生み出す事にも貢献します。

この頃のシカゴ・ブルースといえば、いわゆるシティ・ブルースというやつで、洗練されたピアノとギターのコンビが小粋で哀愁の効いたブルースを歌うというやつだったんですが、南部ミシシッピ生まれでかつ超絶技巧のラグタイムの名手でもあったビッグ・ビルは、小粋で洗練された中に、よりリズムパターンの幅を広げ、泥臭い南部のフィーリングもそのリズムの中で隠し味的に効かせる事で、それまでの悪く言えば平坦なシティ・ブルースのスタイルに一石を投じました。

そんなビッグ・ビルのリズムの冒険を支えたのが、南部のバレルハウス上がりのスリムのタフなブギウギ・ピアノでありました。

40年代のビッグ・ビルの音源なんかを聴いてみれば彼のおおらかな歌と小技の効いたギターのバックで強靭なスリムのピアノ、そのベースラインがスローブルースでも「ガラゴロッ!」と転がってたまんないグルーヴになっているのが凄く分かるんです。これにサニーボーイ・ウィリアムスン(T世)のハープが入ったらこらもう最高にカッコイイ!うぉう!!

・・・おっと、今日はビッグ・ビルと組んでいた初期の話ではなく、ソロのブルースマンとして独立してからのメンフィス・スリムの話をする予定ですので、あんまりここで盛り上がり過ぎてはいきません。冷静になって話を戻しましょう。。。


メンフィス・スリムの初のソロ・レコーディングは1941年に行われました。コチラはウォッシュボード(洗濯板)などを入れたいかにも戦前のスタイルで、録音自体もスリムのというよりも気楽なセッションという感じです。

正規の形での「メンフィス・スリムのソロ」が初めて録音されたのは、それから8年後の1949年。

この頃になってくると、まずはジャズの世界で新しいスタイルであるビ・バップが出てきて、ブルースもまたホーン・セクションを多く従えたジャンプ・ミュージックと呼ばれるゴージャスでノリノリのものが流行り出してきます。

そういうノリの良い新しいブルースであるという意味で「R&B(リズム・アンド・ブルース)」なんて言葉も使われるようになったのも丁度この頃であり、そのウキウキオラオラした感覚ってのは、多分に南部の荒っぽいシーンから出てきたスリムの心を思いっきりくすぐったんだと思います。そんな訳でこのデビュー本格的デビュー音源は、ドラムとギターを付けずベースと2本のサックスを加えたという面白い編成のもの。

えぇ、そうなんです。実はメンフィス・スリム「オレぁ自分のバックにギターとかハーモニカ付けるのが嫌ぇなんだよ」と公言してはばからなかった人で、自分のレコーディングにはギターは要らん、しっかりしたリズムを刻むベースかドラム、後はパーッと派手に装飾音付けてくれるホーンがおれば良い、当初は頑なに思っていたみたいなんです。

えぇ!?最初の頃にビッグ・ビル・ブルーンジィっていう最強ともいえるギタリストと、サニーボーイ・ウィリアムスン(T世)っていう、コチラも当代きっての名手と組んで素晴らしい音楽作ってたのにどういうこと!?なんですが、真相は分かりません。この2人の余りにも素晴らしいプレイに満足しきって「他の奴らに務まるはずがない」と思っていたのか、それともビッグ・ビルとサニーボーイが余りにも凄すぎて、ギターとハープが加わったら、きっと自分のプレイが目立たないまま終わってしまうんじゃないかと思ったか、どちらかなんでしょうが、とにかく1950年代になっても「やだ、ギターはいらんもんね」と、プンスカしてたみたいなんです。

が、1954年、スリムは自身の「ギタリストきらーい」を撤回せざるを得ない程の優れた腕を持ったギタリストと出会うことになるのです。

彼の名はマット”ギター”マーフィー。1929年南部ミシシッピで生まれ、その後スリムの出身地であるメンフィスで本格的な活動を行ってギタリストとしての腕を磨きます。

スリムがメンフィス出身ということと、南部育ちでありながらTボーン・ウォーカーの洗練された奏法に影響を受け、ジャズも出来るし音楽理論にも強い。しかも性格が”ぶっちゃけいいやつ”で、間違ってもリーダーを押しのけてワシがワシがで歌おうとしない。そもそもの志向が

「あー、自分ソロでやってくっつうよりも色んな人のバックで弾いてかっこいいバンド・サウンド作るとかそういうのの方が興味あるっす。それにソロシンガーとかで一発当てるより、バックの安定した仕事いっぱいあった方が食いっぱぐれなくないっすか?」

ということだったので、頑固なスリムも「はいお前合格〜」と、なったのではと思います。




メンフィス・スリムUSA【初回限定生産】

【収録曲】
1.Memphis Slim U.S.A.
2.Sassy Mae
3.Little Piece of Mind
4.Got To Find My Baby
5.Banana Oil
6.Blue And Lonesome
7.Two Of A Kind
8.She’s Allright
9.Blues All Around My Head
10.Wish Me Well
11.Four Years of Torment
12.Got To Find My Baby (Previously unissued)
13.Slim Was Just Kiddin’
14.Jive Time Bounce
15.Backbone Boogie
16.Memphis Slim U.S.A. (alternate) (Previously unissued)
17.She’s Allright (alternate) (Previously unissued)
18.Blues All Around My Head (alternate) (Previously unissued)
19.Blue And Lonesome (alternate) (Previously unissued)


メンフィス・スリムとマット”ギター”マーフィーといえば、このアルバムから3年後の1957年録音の『アット・ザ・ゲイト・オブ・ホーン』というのが、代表作どころか50年代のブルースを代表する1枚である超名盤と知られておりますが、いやいやこの2人の初顔合わせである本作も、演奏のヘヴィ級のインパクトとコンビネーションの見事な掛け合いという意味では全然負けておりません。

スリムはシカゴで長く活動を続けていても、そのピアノの力強さから生まれ故郷南部のドス黒いフィーリングが薄まることがありませんでした。

通常これは、洗練を旨とする流行音楽では敬遠されるんですが、ブルースの場合は戦後になって大量にシカゴに移住してきた南部の人達が、洗練よりも荒々しいフィーリングとそれを増幅するテクノロジーを求めたんですね。それはイコール、スリムのタフでワイルドなピアノと、マットの縦横無尽なエレキギター・サウンドだった訳です。

で、タフでワイルドなピアノと縦横無尽なエレキギターが絡むとどうなるのかというと、スリムのブルース自体がものっすごくモダンで奥深いものになったんですね。

このアルバムは『アット・ザ・ゲイト・オブ・ホーン』とその後のヨーロッパ移住後の戦前スタイルのピアノ弾き語りものをちょろちょろ聴いてて「まーこんな感じだろー」と思ってたアタシにとっては、それはそれは素晴らしい不意打ちでした。

や、まさかここまで凄いとは思わなかったんです。のっけからピアノはガシガシと岩みたいに強靭なフレーズを繰り出してくるし、マットのギターは洗練されてかつ凶悪(!)そして50年代ならではのエコーがかかったスリムの声がもうワルでワルで「求めてたブルースこれだ!!」とさえ思いました。

これはちょっと細かく色々語るよりも一発聴いて欲しいなーと思ってます。ブルース・イズ・サ・フィーリングということで、あのですね、スリムもちろん凄いんですけどね、後半のギター主役のインストが・・・。ええ、ヤバいです。












『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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posted by サウンズパル at 23:35| Comment(0) | ブルース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする