ディープなコラム こちらにも書いてます♪

2017年07月19日

ジョン・コルトレーン アセンション

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ジョン・コルトレーン/アセンション
(Impulse!/Verve)


アセンショーン!

アセンショーン!!

あ、はい、すいません。あんまり暑いのでつい叫んでしまいましたが、大した意味などないのですよ。

いやぁ、アセンションですねぇ。

何というか、ジョン・コルトレーンの数ある作品中、最も賛否両論を巻き起こした問題作と言われておりますアセンションです。

このアルバムはですのぅ、一言で言いましたら

「ううむ、音楽の可能性をもっと拡げたい。そうだ、フリー・ジャズっていう言葉、最近ちらほら聞くよね。アレって2年前だったっけ?オーネット・コールマンがふたつのバンドを”せーの”で自由にやらせたアレね。エリック(ドルフィー)も参加してて、よくはわからんかったけどスリリングではあったよね。うん、今までにない何かを感じた。だからオレもやってみたいなぁなんて思ってるのよね」

と、思い立ったコルトレーンが、バンドメンバーのマッコイ、ギャリソン、エルヴィンの他に、気鋭の若手ミュージシャンと呼ばれていたコワモテの11人を集めて、景気よく派手に”君らが思うフリーでやっとくれ”と吹きまくらせて、おまけに気前よくソロも自由に吹かまくったアルバムです。

で、それの何が問題かといえば、コルトレーンがですのう、そのゲスト参加したコワモテ連中に大した注文も付けずにやりたい放題やらせた結果、1曲40分とかいうべらぼうな長さになって、おまけに何が曲のテーマでどこがサビでとか、そういうのもぐっちゃんぐっちゃんなパンクな作品になっちゃったからなんでしょうな。

えっとですね、室町幕府ってあるでしょう。アレは足利尊氏という人が作ったやつなんですけれども、武士は領地とか戦の後の恩賞とかをちゃんとやらないと不満を持って反乱を起こすというのを、自分も反乱を起こした一味だった足利さんはよく分かっていて、じゃあお前らが不満を持たないように領地あげますと、全国の土地を有力な武士さん達にほいほい土地を与えてしまった結果、今度は与えられた部下達の力が大きくなりすぎてエライことになって、でも力を持っちゃった連中をどうにもできなくて結局戦国時代に突入しちゃった政権ですね。

「アセンション」も一緒ですな。

コルトレーンが気前のいい大将の足利さんで、マッコイとかエルヴィンとかは、まぁ鎌倉時代から一緒にやっておる上杉さんとか細川さんとかでしょう。

この人達で順調に来れたもんだから、もっと新しい勢力基盤をと、アーチー・シェップとかファラオ・サンダースとかマリオン・ブラウンとか、そういう赤松さんとか大内さんみたいな、出自がどうだかよくわからんけどとにかく戦はイケイケでやたら強い新興の豪族連中を、古くからの家臣には割と何の相談もなしに

「まぁまぁアイツらにはワシがちゃんと言っておくから」

と、館に招いて重臣の席に座らせた結果、異様な緊張感が生まれて利害の対立から紛争が起こるわそれぞれにお家騒動が起こるわでエライことになちゃった。

そういうアレで明徳の乱とか嘉吉の乱とかを経て応仁の乱のカオスへと突き進んでゆくというね、もうね・・・。

うん、ごめんなさい。ジャズとかよくわからん人のために歴史で例えようと思ったのですが、がちょっと悪かった。ごめんなさいね。

でも「アセンション」の音楽をどう表現すればいいのだろうと思ったら、キーワードは「長い混沌」これでしたから、他にいい例えがないのですよ。

事実、コルトレーンはこのアルバムを録音した1965年、すごく音楽的に迷って悩んでおりました。

というのも、コルトレーンはストイックに自分の可能性を追究していた人で「これがウケたからこれでいいんだ」という妥協とは無縁の人であります。

『至上の愛』で、マッコイ、ギャリソン、エルヴィンのカルテットで、音楽的なひとつの境地に達したコルトレーンは、更なる音楽的な高みを、いわゆるフリーな表現に感じており、しかしコルトレーンはデビューから60年代までずっとどちらかといえばオーソドックスなジャズの世界を生きてきた人です。

なので自分より若く、規定の表現に囚われない人達の力を借りて、新しい何かを作る・・・というよりも今までやってきたものを一旦混沌と共に打破したかった。そういう衝動があったんでしょう。


【パーソネル】
ジョン・コルトレーン(ts)
フレディ・ハバード(tp)
デューイ・ジョンソン(tp)
ファラオ・サンダース(ts)
アーチー・シェップ(ts)
ジョン・チカイ(as)
マリオン・ブラウン(as)
マッコイ・タイナー(p)
ジミー・ギャリソン(b)
アート・デイヴィス(b)
エルヴィン・ジョーンズ(ds)

【収録曲】  
1.アセンション(Edition1)
2.アセンション(Edition2)

スタジオに集められた11人、その中で6人のホーン奏者たちは、いずれもコルトレーンより後輩で、それぞれ斬新なアイディアや表現手法を持った人達でありました。

とりわけ”フリー””前衛”と呼ばれ、彼ら自身もコルトレーンの音楽や姿勢から多大な影響を受けているファラオ・サンダース、アーチー・シェップ、マリオン・ブラウン、ジョン・チカイといったサックス奏者達の演奏に、コルトレーンは起爆剤的なものを期待したんでしょう。

多分マッコイやエルヴィンには言ったか言わなかったかぐらいの軽い説明だけでスタジオに招き、セッションする曲についての細かい打合せやリハーサルなどはあんまやらず

「ジョン。で、俺らはどうすればいいんです?」

というメンバーや後輩達の問いにも

「・・・そうだな、ソロの順番はこうだから後は好きにやってくれ。なるべく自由にだ」

と、ボソボソ言う程度の説明しかしなかったでしょうが、それこそコルトレーンやスタジオに招いた若手達の中でも特にファラオ、シェップ、マリオン、チカイらにとっては”のぞむところ”であり、このアルバムではコルトレーンと若い彼らのエネルギーが、自由な裁量で与えられたソロの中で炸裂しており、それに対してあくまでオーソドックスの枠組みを大きく逸脱したくないトランペットの2人や、そもそもこのセッションをコルトレーンがどういう思考の元におっぱじめたのかさっぱり分からない、いや、相談もなしにウチの大将は何やってんだ?という戸惑いと苛立ちを隠せないマッコイとエルヴィン(ギャリソンは多分何も考えていない・笑)との、気迫というか怒気に満ちた演奏が、1曲40分の中で、混沌に混沌を被せるような形で壮絶を描いております。

ソロの中で特に素晴らしいのはやはり後にコルトレーン、バンドに加入することになるファラオ・サンダースの強烈なフリーク・トーンと、フリー派のはずなのに優しい音で独特の”間”でもって混沌が渦を巻くこのアルバムの中で、調子はずれなはずなのにどこか和みの風情を醸しているマリオン・ブラウンのアルトです。

で、散々「難しい」とか「何やってっかわかんねー」と過去に言われてきたこのアルバムですが、実は当初言われていた”問題作要素”は、1曲40分という非常識な演奏時間と(CDだとテイク違いの”エディション1”も入ってるからトータル80分近いゾ!)、オープニングの数分以外はほとんどテーマらしいテーマもなく、各人のソロの途中でも他の奏者達がやたらフリーキーなフレーズを被せて煽ってるとこぐらい。

後はエルヴィンの繰り出すリズムも、かなり強引な乱打とかやってますが「こんなヤツらに煽られてたまるか!」と、意地の定型ビートを保ってるし、マッコイのピアノもバラバラ弾き散らかさず、ほとんど1つか2つ、多くて3つぐらいのコードをこっちも維持で叩き付けてバッキングしてるので、カルテットに被さっている若手コワモテ(あ〜らごめんなさい)の皆さんの効果音てきな「ぶおぉー!ばぎょおお!」を省いてコルトレーン・カルテットの演奏と、鳴っているソロとバックのメロディとリズムのせめぎ合いに集中して聴けば、実にまっすぐで分かりやすいノリのパワー・ミュージックとして聴けます。

「アセンション怖くない」という声は90年代ぐらいから色んな人がキチンとコルトレーンを聴いた上で挙げてきて、実際アタシもそう思いますが、もうそろそろそういうのもいいでしょう。

ジャズとか全然わからんけど、刺激やカッコ良さを求めている方々がこの作品をどう聴いて、どう反応してくださるかを、アタシは大いに楽しみにしてます。

むしろ”非ジャズファン”の「コルトレーンかっけぇ!」ランキングでは、コレとかオムとかはかなり上位にくると思いますがどうでござんしょ?


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2017年07月18日

ジョン・コルトレーン 至上の愛

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ジョン・コルトレーン/至上の愛
(Impulse!/ユニバーサル)

「至上の愛」

レコードで手に入れたジョン・コルトレーンの、この意味深なタイトル、更に意味深なモノクロの横顔写真のレコードを、何度繰り返し聴いたことでしょう。

そして、その激烈な演奏から見える、一言でいえばとことんへヴィでとことんピースフルな音楽の深みに何度引き込まれてクラクラしたことでしょう。

「アンタはコルトレーンに大分イカレてるようだが、コルトレーンの音楽って何がいいの?どんな音楽なの?」

と、今もよく訊かれます。

その都度アタシは

「う〜ん、コルトレーンは激しくて重たくて暗くて・・・でも聴いた後ココロがスカーっとするんです」

と答えます。

毎度陳腐な言い草で本当にごめんなさいなんですが、コルトレーンに感じる”特別な何か”は、これはもう聴いたことのない人には体験して、その理屈じゃない部分を感じて欲しいんですね。

コルトレーンはジャズの人で、初期、特にPrestigeやAtlanticというレーベルに所属していた頃は、どこからどう聴いてもかっこいいジャズをやっています。

だから「ジャズの巨人、ジョン・コルトレーン」とよく言われているし、実際その通りであるのですが、自分のバンドを組んでImpulse!レーベルからレコードを出すようになってからのコルトレーンを聴いていると、もう”ジャズ”という枠にはめて聴くのもどうかと思うほど深いんです。

や、たとえばマイルス・デイヴィスのようにロックビートを入れたり、エレキギターやキーボードなんかを入れて、ロックやファンクを意識したクロスオーバーな”新しさ”を感じさせる音楽をやっている訳ではまったくなくて、むしろ70年代までやっててもそういう路線には行かずにアコースティックなジャズを愚直に追及しそうな勢いでフリーフォームの20分とか30分の演奏を死ぬまで繰り広げているのが60年代半ば以降のコルトレーンなんです。

だから”新しい”とか”音楽の幅が広い”とかじゃなくて”深い”。コルトレーンがジャズという枠組みを大胆に超えているその原動力は、深さに一点集中した物凄いエネルギーなんですね。

よくガイドブックやネット記事でも名盤といわれる『至上の愛』ですが、このアルバムはコルトレーンがまだフリーフォームに突入する前に、定型をギリギリ保ちながら”ジャズ”を超える深みへ自身の音楽を到達させた一枚だと思うのです。





【パーソネル】
ジョン・コルトレーン(ts)
マッコイ・タイナー(p)
ジミー・ギャリソン(b)
エルヴィン・ジョーンズ(ds)

【収録曲】
1.至上の愛 パート1:承認
2.至上の愛 パート2:決意
3.至上の愛 パート3:追求
4.至上の愛 パート4:賛美


コルトレーンが紆余曲折を経て、マッコイ・タイナー、ジミー・ギャリソン、エルヴィン・ジョーンズという若手アーティスト達を揃えた自己のバンドを結成したのは、1960年から62年のことでした。

リーダーとしてやっと自分の思う世界を音楽で表現出来ると確信したコルトレーンが若いメンバー達を鍛えることおよそ2年から4年。

音楽だけでなく世界中のあらゆる民族文化、宗教や哲学思想にも深いインスピレーションを得ようとあらゆる書物を読みまくっていたコルトレーンは、激動の社会情勢なども目の当たりにして、真剣に「救済」について考えるようになり、メンバー達と共に連日の激しいギグやレコーディングを繰り返しながら、思想と表現を、まるで溶鉱炉で熱した金属を錬成するように練り上げていきます。

Impulse!から”ジョン・コルトレーン・カルテット”名義で立て続けにリリースされた60年代初頭のほとんどのアルバムは、どれもカッコ良く進化したモダン・ジャズでありながら、コルトレーンのサックスは定型を逸脱しそうなほどに激しく、バックも、特にエルヴィン・ジョーンズのドラムを中心にそれぞれ気迫の塊のような熱演でコルトレーンに応え、情念と情念が渦を巻いて高温で発熱しているかのようであり、そして楽曲は独特の荘厳な響きの中に、インドやアフリカといった(多分コルトレーンから見て)人類の根源の地に息付くリズムやメロディーの断片を深く埋め込んだ、やはり異様でいて特種なムードを醸すものでした。

『至上の愛』は、そんな異様でいて特種なムードを”神”というキーワードでまとめ、壮大なスケールの4部の組曲にしたものです。

”神”と言ったらアタシも含めたフツーの日本人は「むむ、何かウサン臭い宗教か?」と身構えます。

実際アタシも最初に聴いた時は、荘厳な雰囲気の中「ア、ラーヴ、シュプリーム・・・」と、低い男の声でボソボソと呟かれるタイトルにびっくらこいたものですが、コルトレーンに言う神というのは、キリスト教とかイスラム教とか、そういう特定の宗教の神様ではなく、もっと根源的な、人間の意識の内側に存在する摂理のような存在のことだとライナノーツに書いてあったのを読んで安心したという経験を持つのではありますが、演奏はこの上なくへヴィでアグレッシブで、もし”ハードコア・ジャズ”という呼び名が許されるのであればそう呼んで上げたいぐらい、意味深なタイトルとか組曲とかそういう難しそうなイメージとは裏腹の実にストレートなカッコ良さにみなぎったものでありまして

「いや、コルトレーンって演奏する前は神とか精神とかそういうことを悶々と考えてたんだろうけど、実際サックス吹いてアドリブに突入したらトランス状態に入っちゃって、それまで悶々と考えてたことなんか全部吹っ飛ばす人なんじゃね?」

というのが、20年以上何度も何度も聴いて、その都度「くー、かっこいい!」と打ち震えてきたアタシなりの現時点での結論です。

あと、ここから先は聴きながら感じて欲しい余談の部分なんですけど、前に誰かがツイッターで

「至上の愛ってラテン・ポップスだと思う」

と、興味深い発言をしていて確かに”ラテン”を意識して聴けば、特に1曲目、これは実にリズムの骨組みがキャッチーなラテンで、独特の重さや荘厳さを一旦耳から外して聴けば、いやこれほんとポップで踊れるアルバムなんじゃないかと、実は最近思っています。

そういえば60年代以降のコルトレーン、よく「難解だ難解だ」と言われてますけど、実際演奏面に関しては、言われるほど難しいことはしてなくて、むしろハードなブロウに徹した硬質でまっすぐな表現に舵を切っているような気がするんですがどうなんでしょう?







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2017年07月17日

大コルトレーン祭2017はじまりました


今年も7月17日、ジョン・コルトレーンの命日がやってまいりました。

1967年の今日、41歳の若さで波乱万丈に満ちたジャズ人生を駆け抜けてあの世へ行った訳ですから、今年で50年ということになります。

コルトレーンという人は、そりゃもうジャズを代表する巨人といえば巨人であります。

アタシにとってはハタチそこらの時に「ジャズなんてオッサンが聴くかったるい音楽だろ」と生意気にも思っていたその心に、カテゴライズを拒みまくって粉々に打ち砕く程のハードなブロウと自由極まりない音楽性(それはいわゆる”フリー・ジャズ”と呼ばれた亡くなる直前のカルテットでの激烈な演奏でした)で決定的な衝撃を与え、以来ジャズにどっぷりとハマるきっかけを作ってくれた人です。

晩年のコルトレーンの演奏を聴いてエリック・ドルフィーを聴いて

「あ、ジャズってパンクなんだ」

と思ってからのお話は、このブログにも今まで散々書いてきました。

しかし、コルトレーンから教えてもらったことは、そういったジャズどうのとかいう表面的なことではなくて、もっと根源的な”姿勢”というものだったのかも知れません。

インストのジャズにはヴォーカルがおりません。

つまり具体的に言葉で何かを訴えるという手法はジャズには余りないんです。

けれども彼の書いた楽曲や、彼の吹くテナーやソプラノサックスによる演奏には、何かこう歌詞以上のメッセージが常に込められているような気がしていましたし、実際にコルトレーンのインタビューや楽曲の解説を読むようになって「あぁそうか」と深く得心したことも多々ありました。

特にコルトレーンがソロとして独立してからの1950年代後半から60年代にかけて、社会は色んな意味で激動の時代を迎えておりました。

それまで繁栄だけを追い求めた世界の、光の当たらない部分での大きな歪みが表に出たことによって、様々な事件が起こり、社会的な運動も起こり、それに対してミュージシャンとして、アメリカの黒人の若者として、多くのものを抱え、その分音楽を深い祈りにして常に何か大きなものに捧げていたコルトレーン。

そのコルトレーンの”祈り”が宗教的なものではなくて、あくまで音楽を音楽として、崇高な崇高なものとしてまっすぐなまなざしで彼は捉えていて、真摯にひたすら演奏していた。だからこそ彼の音楽には大きな感動があり、独特の重たさや暗さも孕んだ強靭な美しさがある。それが何なのか今一言で説明しろといわれてもアタシは上手いこと言える自信はありませんが、美しさに惹かれて聴きまくりながら、コルトレーンの様々な”祈り”の意味について考えることで自分の心をちょっとだけ豊かなものにさせてもらっている。これだけはハッキリと言えます。

多くの人に、素晴らしいコルトレーンの音楽が届きますように。




(今年は「至上の愛」から、もしかしたらアタシが一番好きかも知れないこのアルバムをずっと聴いておりました。詳しくはリンク先に書いてありますが、とっても美しい”ほぼ”バラード・アルバムです)





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2017年07月15日

超やさしい!初心者のためのジャズ 入門ベスト10

みなさんおはようございます。

土日からの「海の日」で、3連休の方も多くいらっしゃるのではないでしょうかね?えぇ、生きるためにしょうがないんですが、この世で最も人間に不必要なもの、それは仕事と思っているアタシは連休ではございません(><;

水木しげる先生がおっしゃるように、それこそ夢中になってやらざるを得ないようなことを夢中でやっておれば、食うために困らない程度のお金が畳の下とかにいつのまにか置かれているとか、そういう風になればいいですがね、まぁアタシが生きてるうちはそういうことにはならんでしょう。真面目に働きます。

で、話はガラッと変わりますが、サウンズパルは地下CD屋です。

お店もやっておったんですが、今はアタシは正業をしながら個人でお客さんからの注文をお受けしております。

このブログは、そんなしがない田舎の離島の地下CDのブログなんでございますけれどもね、ありがたいことに全国にちょいとした数の、結構熱心に読んでおられる方々がいらっしゃる。

音楽が好きな方の優しさは嬉しいですね、えぇ、ありがたいものです。

で、読んでいらっしゃる方々の中には

「音楽をいろいろ聴いてみたいけど、超初心者で何から聴けばいいのかわからない」

という方がかなりいらっしゃるようなんです。

特に

「初心者向けのやつを教えて!」

というリクエストが来るのはジャズなんですね。

おし、わかりました!今日は「時間がないよ」という皆さんのために手短に

【超やさしい!初心者のためのジャズ 入門ベスト10】

をご紹介しましょう。紹介するアルバムの詳細については、それぞれのリンク先の文章を読んでくださいね。

ではいきますよー


【@クールな大人のジャズ】


ジャズといえば「夜のバー」というイメージをお持ちの方も多くて、そういうちょっと大人な雰囲気を味わいたいというご要望にお応えできるものといえばやっぱり初期のマイルス・デイヴィス!マイルスのミュートをかぶせたトランペットがふわぁ〜んと鳴ると、空間の雰囲気が一気に”夜”になります。


【Aやるせないピアノ】


「ピアノでいいのない?」というお問合せはお店に立っていた頃も一番多かったです。「どういうピアノが聴きたいですか?」という問いに「綺麗で切なくてうっとりできそうなやつ」と答える方にはビル・エヴァンスの切なさの極みのバラードなんかどうでしょう。

【Bノリノリのピアノ】


とくれば10本の指をフルに使って、どんな速い曲でもバラードでも最高にスイングさせてくれるオスカー・ピーターソンですよ♪この人は物凄いテクニック持ってますが、ただテクニックが凄いだけじゃなくて、ノリノリにさせながらもしっかりとメロディを聴かせる人です。

【C男は黙ってテナー・サックス】



「テナーサックスの渋い低音がたまんないわ」というのは意外と女性の方に多いですね。そして「渋い低音のテナー」といえば、そのスタイルを作り上げたコールマン・ホーキンスでしょう。戦前から活躍してる人ですが、50年代60年代のちょっとモダンなバックを付けた作品が素晴らしいです。コチラはミルト・ジャクソンの落ち着いたヴィブラフォンと伊達男ケニー・バレルのギターも全部渋い♪


【D民族系、クラブ系入ったフリーダムなやつ】


「クラブ系」というキーワードも、ジャズを聴く上で欠かせないものになってきましたね。あと「スピリチュアル」という言葉にピンときてジャズを聴く、そんな方にやっぱり聴いて欲しいのがファラオ・サンダース。この人の音楽はクラブのフロアーからアフリカが見えます。


【Eしっとりとジャズ・ヴォーカル】


部屋で聴いていて、その声を流していると空間全体に哀愁が沁みてくるのがこの人、ジミー・スコット。ホルモンの障害で女性のような少年のような不思議な声です。でもこの声だからこその感動があります。やっぱり”声”って尊い。


【Fビッグ・バンドでスウィング!スウィング!スウィング!】


ビッグ・バンドを聴く醍醐味は、何といってもやっぱり「楽しい!」ということに尽きます。ビッグ・バンドといえばのデューク・エリントンはやっぱり最高に偉大で、演奏もキッチリして言うことありませんが、戦前の「楽しいビッグバンド」を、もっとカジュアルに楽しみたい人は、歌あり笑いありのキャブ・キャロウェイが最高ですよ♪


【G朝に聴きたい爽やかなジャズ】


アルト・サックスの詩人でしょうね。アート・ペッパーの演奏はオシャレで軽やかで音色も綺麗です。そして聴きやすい。でもそれだけじゃないたっぷりの余韻が哀愁となって心にいつまでも残ります。つまり飽きないんです。

【Hオーイェー!ファンキーにいこうぜ♪】


「難しいことはわからん!ソウルフルで真っ黒で、とにかくオルガンが派手に鳴ってくれりゃゴキゲン。ジャズはブラック・ミュージックだぜぇ?」なものを求める方(はぁい、アタシです♪)もうコレですよコレ。ノーベル賞に”ノーベルゴキゲン賞”というのがあれば間違いなく受賞クラスのジャズファンク名盤、しかもライヴ。アツイんだぜぇ♪


【Iお前ら生ぬるい、ジャズに必要なものはスリルだろ】




はい、明後日から始まる「大コルトレーン祭」の告知も兼ねてコルトレーンです。「コルトレーン?有名人じゃないの?」と思った方もそうでない方も、強烈にヤバくてぶっ飛んだ最晩年のフリージャズなコルトレーンは一度聴いてほしいなぁ。はい、これは願望です(^^;











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2017年07月14日

トゥーツ&ザ・メイタルズ Funky Kingston

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Toots & The Maytals / Funky Kingston


(Island)


いやぁ夏ですねぇ

とか何とか言っておりますが、もうね、毎日暑くて「夏ですねぇ」ぐらいしか言うことがないのですよ。


気合いを入れて何かガッツリしたレビューを書かねばと、もう毎日毎日思っておりますが、いかんせん暑さで頭が回りません。こんな時はルーツ・レゲエと呼ばれる初期レゲエなんかをぼへ〜っと過ごすのが一番です。

レゲエといえば陽気で明るいジャマイカの音楽として、日本でも何度かブームが起こり、その都度多くのファン、特に刺激を求める若い人たちを虜にしてきました。

特に1990年代後半から2000年代といえば、握りこぶしみたいなガッコンガッコンなビートに激しく煽るヴォーカルがメインのダンスホール・レゲエが大流行しました。

そう、レゲエというのは楽しい時もそうでない時も、ジャマイカの人達の心を何となくウキウキさせて自然と腰を降らせ、体を揺さぶって踊らせる音楽でありました。

そういう意味でレゲエはアメリカのソウルやファンク、更にそこから進化して生まれたヒップホップと常にリンクしながら、ちょいと海を越えた所で”同じ先祖を持つ音楽”として共に刺激し合ってどんどん発展していったと言えるでしょう。

ジャマイカという国は、地図でいえばアメリカの右下にあるカリブ海に浮かぶ島国です。

色々と歴史があって、この国はアメリカが独立した後もイギリスの植民地。そして、住民のほとんどは、アフリカから奴隷として連れて来られた黒人の子孫でありました。

つまりアメリカの黒人とジャマイカの人達は、元々同じご先祖様を持ついわば同胞です。

カリブ海の島国には、こういった国がいくつもありますが、共に英語を公用語とする国同士、ジャマイカの人々はアメリカの文化には非常に感心を持っておりましたし、距離的に近いことから、アメリカで放送されていたラジオ番組が、何となくジャマイカで聴けちゃったりしたんですね。

40年代から50年代には、ジャズやジャンプ・ミュージックを聴いてた人達が「よし、じゃあ俺らも」と、サックスや管楽器を手にしてスカが生まれました。

同様にR&Bやソウルを聴いて、歌モノの音楽を作ろうぜと張り切っていた人達が、ロックステディというジャマイカの元祖ポップスを、その影響から生み出しました。

いずれも今のレゲエの大切なルーツになっている音楽です。

で、70年代には皆さんご存知のボブ・マーリィーが、ジャマイカの土着宗教(というか思想)であるラスタファリズムの色を強く押し出して(ドレッドヘアとかマリファナとか、あと政治的/宗教的な色合いの濃い歌詞とかですね)、その神がかりなパフォーマンスで世界中の、特にアメリカやイギリスのロック・ミュージシャン達に「うぉぉすげえ!ジャマイカのアレ何ていうの!?レゲエ??グレイトだぜ!」と大きな衝撃を与え、以後レゲエは単なるジャマイカの1ローカル音楽ではなくて、世界のポピュラー音楽になってゆくのでありますが、はい、皆さんここで思うでしょう

「じゃあボブ・マーリィーが出てくる前のレゲエはどんなだったの?」

と。

はい、そうなんですそうなんです、そうなんですよ。

レゲエという音楽は、確かにボブ・マーリィーという天才が世に広く知らしめましたが、ボブだって元々はウェイラーズというR&Bやソウルの影響モロなロックステディのヴォーカル・グループのシンガーとしてデビューしておりますし、ボブに影響を与えた偉大なレゲエ・ミュージシャンは世界が知らないだけでジャマイカにはたくさんおったわけです。

その中の一人が、トゥーツ・ヒバート率いる3人組”トゥーツ&ザ・メイタルズ”。1960年代のスカ/ロック・ステディの時代から活躍し、サム・クックやオーティス・レディング、そして俺達のジェイムス・ブラウンといったアメリカン・ソウルのエッセンスをロックステディに多く取り込みながら「独自の踊れるジャマイカンビート」にそのスピリッツを込めて”レゲエ”という音楽の基礎を作り上げた一人であります。



【収録曲】
1.Sit Right Down
2.Pomp and Pride
3.Louie, Louie
4.I Can't Believe
5.Redemption Song
6.Daddy's Home
7.Funky Kingston
8.It Was Written Down (


アタシもレゲエといえばボブ・マーリィーやその他ダブ系アーティスト、それからブジュ・バントンぐらいしか知らなかった時大先輩から

「これはいいよ、ジャマイカのジェイムス・ブラウンだよ」

とオススメされて知った人です。

ジャマイカ独自のダンスビートといえば、ん、ちゃ♪ ん、ちゃ♪ のゆったりした裏打ちビートです。

ギター、ドラム、ベース、そして天国のようなオルガンが大きくうねる心地良いグルーヴを回し、トゥーツの、まるでアメリカのソウル・シンガーのようなパワフルで不思議な慈愛に満ちた、まるでJBというよりオーティス・レディングのような、魂のシャウトがひたすら染みます。

1976年のアルバムですから、弟分のようなボブ・マーリィーも既にブレイクしてて、世間でも「あぁ、レゲエってこんな感じよね」というイメージが固まりつつあったこの時代に

「うん、そうだけどオレはこういうのが好きなんだよね♪」

と、初期レゲエの、あのソウルやR&Bを聴きまくってそのニュアンスをそのまんまレコードに刻んでいた人達独特の、もうレゲエとかジャマイカとかそういうもの通り越してひたすらに親しみ易い音楽愛に溢れているこのアルバムを聴くと、夏の暑いのとかそういうのどーでもよくなりますね。

タイトル曲の「ファンキー・キングストン」なんてもうモロJBのセックス・マシーンで、ソウル好きとしてもニヤニヤしちまいますよ♪







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