2020年05月18日

リンク・レイ The Rumbling Guitar Sound Of LINK WRAY

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The Rumbling Guitar Sound Of LINK WRAY
(Not Now Music)

ロックンロールの元祖と呼ばれる大物でありながら、どんなにベテランになっても一切丸くならないその姿勢から「永遠の不良少年」と呼ばれ、その鋭利でワイルドなギター・プレイから「切り裂きジャック」と恐れられたリンク・レイ。いやぁカッコイイ、ロックンロールからロック、ガレージ、パンク、メタル等、ロックミュージックは電気化のテクノロジーの物凄い速度での発達と共に、そのサウンドも表現手法も、どんどんラウドで激しいものになって行ったんですが、そんな新しめのロックをどれだけ聴いても、ふとこの人のギタープレイを聴くと「うわぁやっべぇ音・・・」と驚愕してしまいます。

実際、この人は1950年代にようやく普及し始めたエレキギターを、単なる「音量の増幅器」としてではなく、よりワイルドに歪んだ音をジャカジャカ鳴らして空気を震わせるという、それまでのギター(アコースティックやフルアコ)とは全く別の楽器としての演奏法を生み出したイノベイターであり、今じゃ誰もが知っている、ロックギターの「ジャーン!」というコードカッティングを作った人でもあります。

なので、後のパンクやガレージ、ハードロックやヘヴィメタルまで、彼の熱狂的な信奉者としてリスペクトを口にするギタリストは、今でも世界中に数限りなく存在するんですね。

1929年にアメリカ南部にほど近いノースカロライナ州で白人の父親とチェロキーの血を引く母親との間に生まれます。小さい頃に旅芸人一座に居た黒人からスライドギターを聴かせてもらった事が、彼のギター体験の原点でした。

しかし、戦前から戦後に至るまでのアメリカには、まだまだ厳しい人種差別がハッキリと存在し、音楽にも「ブルースは黒人の音楽、白人がやるなんてとんでもない」という偏見に基づいた不文律がありました。なのでレイも活動の最初の頃は、地元のカントリーバンドで演奏しておりましたが、ブルースへの憧れは捨て難く、カントリーの曲もR&B風にアレンジして演奏したりしておったようです(といってもカントリーも元々はブルースから強い影響を受けているので、本当は近い音楽なんです)。

レイに転機が訪れたのは、1950年。朝鮮戦争が勃発した事によって徴兵され、戦地へ行ったのですが、ここで結核を患ってしまって除隊。

その結核は片肺切除という深刻なダメージをレイの体に残しました。これにより失意のうちにヴォーカルを諦めてギターに専念することになり、友人らとインストゥルメンタルのカントリー・グループを結成します。

このバンドがウエスタン・スウィングからR&Bまで何でも出来ると評判になり、テレビ番組のレギュラーバンドとして、ゲスト出演する大物達のバックを務めるというなかなかにラッキーな仕事を得る事になるのですが、当然レイはそれだけでは満足しません。

ある日聴いたエルヴィス・プレスリーの躍動的なノリのロカビリーに衝撃を受け

「何てこった!オレが本当にやりたいのはこういうやつだ。でもオレならもっとこのノリに合ったクレイジーなギターが弾ける!」

と、新しい時代の音楽”ロッカビリー”に合うギターのサウンドや弾き方を探求した結果

アンプのスピーカーに付いているコーンに鉛筆で穴を空けると音が割れる

というとんでもねぇ事を発見し(ちなみに同時代のブルースマン達は更に先を行ってて、電圧を勝手にいじくって上げるというロクでもねぇ事を発見していた模様)、これによって得られた「ごわんごわんした音 」※まだ歪み系エフェクターはおろか、アンプのゲインすらなかった時代の人達の正直な感想※でもって、6本の弦を全部鳴らすというコードも簡略化して「上の低い音の弦だけを握るように押さえて鳴らす」という、今でこそロックの奏法では当たり前になったパワーコードというものを発明し、それをあえて「じゃーん」と雑にストロークする事によって、ルーズで不良な響きをエレキギターで出す事に、これまた史上初めて成功した訳です。

この「じゃーん」こそが言うまでもなく、ロックのシンボルであるあのオープニングやエンディングの「ジャーン!」であります。ザ・フーのピート・タウンゼントが長い腕をぐるんと振り下ろしてやるアレ、ミッシェルガン・エレファントのアベフトシがやるアレ、ギターウルフのセイジがやるアレ。エレキを持てば誰もがやる、必ずやることの基本中の基本のほとんどを、1950年代既にリンク・レイ一人が生み出したんです。

そしてエルヴィスのブレイクによって、白人の若者達は、それまで公言出来なかったブルースやR&Bへの憧れを隠すことなく音楽表現で出すようになりました。レイは元々テレビ番組の専属バックバンドとしてファッツ・ドミノなどのR&Bのスターやドゥー・ワップ・グループのバックなども務めておりましたから「ほれみろ、オレがやってたこたぁ正しかったんじゃねぇか」と思ってもおったでしょう。

という訳で「オレはロックンロールだ、ブルースだろうがカントリーだろうがカンケーねぇ。おゥ、クレイジーな音楽やるんだぜぇ」とばかりに、ブラック・ミュージックへの傾倒を更に強めて行きます。

ある日、人気のドゥー・ワップ・グループ”ザ・ダイアモンズ”のバックを務めたレイは、彼らのヒット曲『ザ・ストロール』をギターのインスト・ヴァージョンにアレンジして弾いていたところ、ケイデンスというレコード・レーベルをやっていたアーチー・ブライヤーという人の耳に留まり


「いいじゃないか!何というかチンピラの喧嘩(ランブル)みたいだねぇ。そうだ!この曲をランブルってタイトルで売り出そうじゃないか」

という展開となって、1958年、後に代表曲である『ランブル』がリリースされました。

この曲は、インストにも関わらず若者にバカウケ!当時アメリカで最もアツいチャートとされたR&Rチャートを爆心。しかも「タイトルと曲調が反社会的であり若者に悪い影響を与える」として放送禁止となったにも関わらず、その事がかえって話題を呼び、その人気は遠く海を越えたイギリスにも飛び火しました。



The Rumbling Guitar Sound Of Link Whay [Import]
【収録曲】
(Disc-1)
1.Rumble
2.Raw - Hide
3.Comanche
4.Slinky
5.Right Turn
6.Hand Clapper
7.Pancho Villa
8.El Toro
9.Dance Contest
10.Radar
11.Run Chicken Run
12.Alone
13.Rendezvous
14.Lillian
15.Golden Strings
16.Poppin' Popeye
17.Big City Stomp
18.Ramble
19.Studio Blues
20.Black Widow

(Disc-2)
1.Jack The Ripper
2.Ace Of Spades
3.The Swag
4.The Outlaw
5.The Stranger
6.Tijuana
7.Caroline
8.Dixie - Doodle
9.Teenage Cutie
10.Trail Of The Lonesome Pine
11.Mary Ann
12.Ain't That Lovin' YouBaby
13.I Sez Baby
14.Got Another Baby
15.Hold It Link Wray
16.Big City After Dark
17.Vendetta
18.Roughshod


『ランブル』のヒット後も、レイはひたすら硬派にギター・インストの道を突き進みました。同年代のライバル的存在であったエルヴィスや他のロカビリーシンガー達がスター的存在になってポップで洗練された曲を書こうが、世の流行が移り変わろうがオレはカンケーねぇとばかりに、革ジャンにリーゼントのスタイルでひたすらトンガッたフレーズをガリガリやる。世間にはひと昔前のロカビリーの人と思われ、徐々にレコードのヒットから遠ざかってもほんなもんカンケーねぇとばかりに積極的に、ほとんどドサ回りに近いツアーを重ね、多分満足に食えない時期もあったでしょうが、その都度彼からの影響を口にするロック界の超大物ギタリスト達によって絶賛と共に紹介され、90年代には奇才映画監督クエンティン・タランティーノによって彼の楽曲が映画のあちこちに使われ、ガレージやモッズに憧れる若いファンも多く獲得しました。

それでも彼は「おぉそうか」とクールな反応で、相変わらず革ジャンにリーゼントのスタイルでひたすらギターをガリガリ弾き倒すスタイルとドサ回りのツアー生活をブレることなく続け、2005年に滞在先のデンマークにおいて76歳で亡くなりました。

その音楽と生き様は、一言『ロックンロール』であります。という訳でアルバムを聴きましょう。

色々と素晴らしいアルバムは出ているのですが、やはり初期の音源からピックアップされたこの2枚組ベストは外せません。ザラついた鋭いサウンドと、ギラギラに乾いてテカッたフレーズには、先鋭的なロックの原型であることはもちろんですが、やはり濃いネイティヴの血がそうさせたかのような「アメリカ音楽」の原点すら感じさせます。とりあえずどういう聴き方をしても生々しいカッコ良さに溢れた音楽であることに変わりはありません。














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2020年05月15日

サニーランド・スリム アポロ・セッション1949

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サニーランド・スリム/アポロ・セッション1949
(Delmark/Pヴァイン)

ブルース界には「スリム」と名の付くブルースマンが多いです。

この「スリム」というのは姓名ではなくもちろん芸名で、意味は「伊達男」であります。

ブルースマンに限らず、ミュージシャンなんてのは大体が恰好付けですから、ステージに立つ時に限らず、人前に出る時は目一杯のオシャレをして、いかにも自分が恰好良くてモテモテの凄いヤツなんだぜと見栄を張る。だからまぁ自分の名前にわざわざ「伊達男」なんて付けて名乗るなんてのは、ある意味究極の見栄であり、ハッタリでもあったでしょうね。

ところが最初は周囲の気を引くためのハッタリであっても、名乗るからにはその名に違わぬ人間になってやろうと、大抵のブルースマンは努力して、その見てくれ以上に演奏の腕前だとか音楽のセンスなんてものを磨いて「なるほどアイツはスリムじゃわい」と、周囲も納得な存在になる場合が多い。

ギター・スリム、ライトニン・スリム、メンフィス・スリム・・・といった具合にブルースの歴史に”スリム”の名を残している人達というのはなるほど”伊達”と名乗っているのは伊達じゃない。いずれもちょいとそのサウンドを聴いただけで「うひょー、カッコイイ!」と電流が走るような人達ばかりなのです。

さぁ、今日はそんなブルース界における”スリム”の最長老格であります元祖伊達男を皆さんにご紹介いたしましょう。

サニーランド・スリムといえば、ちょいとブルースに詳しい人なら、戦後シカゴブルースのオムニバスなんかでもその名前をよく見る、渋いピアノを弾いているベテランとして、馴染みがあるんじゃないかと思います。

アタシも最初にサニーランド・スリムを聴いたのは、ピアノ・ブルースの素晴らしいオムニバス『ブルース・ピアノ・オージー』でありました。



このアルバムに収録されている人達は、どれも本当にカッコイイんですが、サニーランド・スリムに関してはひたすら「渋い!」でしたね。

その力強い声の中に人生の悲哀が滲むヴォーカルと、小細工一切ナシのストレートにタフなピアノ。これぞ正に思い描いていたブルースのピアノ弾きでありました。

そんなサニーランド・スリムは、1907年生まれ。1995年に亡くなるまでブルースの重鎮としてツアーやレコーディングを続け、多くのミュージシャンから尊敬されるブルースの重鎮として、膨大な量のレコーディングを残しておりますが、彼の人生もまた、波乱万丈のブルース人生でした。

南部ミシシッピの真面目な家庭に生まれ、少年時代はブルースとはまるで無縁の生活を送っておりましたが、6歳の頃に母親が亡くなって継母が家に来たのですが、この継母によるいじめに耐え切れず、スリム少年は13歳の時に家を飛び出します。

家を飛び出した後は肉体労働者として、南部各地を転々とする生活に明け暮れるのですが、その中でブルースと博打に出会い、15歳の頃にはいっぱしのピアニスト兼ギャンブラーとなっておりました。

当時の演奏場所といえば、農場や工事現場での労働者が集まるバレルハウスと呼ばれる掘立小屋のようなクラブハウス。とにかく飲んで騒いでギャンブルがしたい客のために、スリムはおんぼろピアノで叩き付けるようなブギーを弾きまくり、休憩中はいかさまカードゲームのディーラーとして、良い感じに稼いでおりましたが、更に良い仕事を求めて移動するうちに、クラブハウスも賭場もたくさんある天国のような街(一般には犯罪が多いヤバい街)であったメンフィスに辿り着きます。

ここでサニーボーイ・ウィリアムスン(時間差はありますがT世U世両方!)やルーズヴェルト・サイクス、ビッグ・ウォルター、マ・レイニー楽団と一緒に演奏したり、まだ子供だったリトル・ウォルターとも交流があったと言います。

街へ出て賭場へ行けばカードのイカサマの腕を買われてディーラーを務めて稼ぐ事が出来るし、演奏出来る場所もたくさんある。つまり何をやっても得意な事で儲ける事が出来るメンフィスでの生活は、スリムにとっては最高でしたが、ただひとつだけレコーディングの機会が少ないという事で、1943年には大都会シカゴへの移り住む事になるんです。

当時のシカゴは戦争景気で仕事はいくらでもあり、特に南部からの移住者で人口が爆発的に増えていた状態です。そういった人達に提供する娯楽産業も、南部とはケタ違いの規模でありました。

南部から出てきたミュージシャン達とは勝手知ったる仲であったスリムは、早速サニーボーイ・ウィリアムスン(T世)タンパ・レッドといった当時既に人気を獲得していた一流どころとも、マディ・ウォーターズやジミー・ロジャースといった若手らとも積極的に演奏を行っていて、チェスの前進であるアリストクラットに「いいギタリストがいるんだよ」とマディを紹介したのも、実がスリムだったりもします。




アポロ・セッション1949

【収録曲】
1.I'm Just A Lonesome Man
2.Sad Old Sunday (Mother's Day)
3.Boogie Man
4.Hard Time (When Mother's Gone)
5.Chicago Woman
6.I'm In Love
7.Bad Times (Cost Of Living)
8.Nervous Breakdown
9.It Keeps Rainin'
10.Brown Skin Woman
11.Old Age Has Got Me
12.That's All Right
13.Sad Old Sunday (Alternate)
14.I'm Just A Lonesome Man (Alternate)
15.Bad Times (Alternate)


スリム自身はレコーディングに関しては会社との度々のトラブルがあり、小さなレーベルをちょこちょこと渡り歩くハメになってしまって、大手からのヒット曲には恵まれませんでしたが、その活動はしぶとく、やがて60年代のブルース・リヴァイバルが来ると、その波に乗って「渋い大べテランのピアノマン」という評価を不動のものとします。

そしてやはり彼を敬愛するマディやリトル・ウォルター、J.B.ルノアー、ロバート・ジュニア・ロックウッドという後輩達の支えもあり、戦前の
タフネスを残しつつもモダン化した、見事なオリジナル・シカゴ・ブルース・サウンドを作り上げてもおります。

さて、今日のオススメアルバム『アポロ・セッションズ』は、そんなサニーランド・スリムの最晩年、1992年にいきなり発表されてブルースファンの度肝を抜いた作品なんです。

何で度肝を抜いたかというと、コレが彼のキャリアで言うとシカゴ初期に当たる1940年代の末にレコーディングされた小人数での編成で行われた未発表セッションだったからです。

内容はサム・カシミアーのギターのみをバックにしたほぼ弾き語りに近いものから、セントルイス・ジミー(vo)、ジミー・ロジャース(g)、ウィリー・メイボン(harp)等が加わった、戦前〜戦後のダウンホームなスタイルそのものな、実に泥臭い味わいに溢れた秀逸なものであります。

シンプルに鍵盤をガンガン叩く、生粋のブギウギ〜バレルハウス・スタイルのピアノのワイルドネスはもちろんですが、そこに絡むギターやハープの粗い感じも最高なら、セント・ルイス・ジミーの苦み走った太い声も良いのです。派手さはないけど「あぁ〜、これこれ、ブルースだね、たまんないね〜♪」というジワジワきて実に飽きない濃厚さに溢れてますね〜。そしてそのジワジワきて実に飽きない濃厚な味わいというのが、そのまんまこのサニーランド・スリムという人の伊達で粋なカッコ良さそのものでありますよ。















ブルース入門編 〜初心者のための優しいブルース講座〜



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2020年05月12日

アリス・イン・チェインズ Alice In Chains

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アリス・イン・チェインズ/Alice In Chains
(Sony)

さて、連日のアリス・イン・チェインズのレビューもいよいよ佳境に入ってきました。

まずは個人的なことをお話しするのを許して頂けますれば、アタシにとってアリス・イン・チェインズというバンドは「グランジかって言われたら微妙だけどカッコいいヘヴィバンド」。

そう、グランジでもなければヘヴィメタルとも微妙に違った、もっとダークでドロドロしたラインにあるアリス・イン・チェインズのサウンドというのは、自分でヘヴィバンドとかいう新しい言葉を作って、そこで大切に聴くという感じでした。

でも、グランジというひとつの流行の枠で語られながらも、その音楽はそんな流行なんぞ知らん。ミーハーは勝手にやってろな、パンクな姿勢を感じさせるものであり、正直なところアタシはもしかしたらそのダークでヘヴィでうねりまくるサウンドよりも、その孤高の姿勢とか存在感とか、そういったものに最初惹かれたのかも知れません。

そんなこんな言ってるうちに流行はグランジからあっという間にメロコアなる、何だかよくわかんない明るく健康的な臭いのするパンクロックに変わりつつあった1996年、衝撃的なアルバムを彼らはリリースしました。

アリス・イン・チェインズの、オリジナル・メンバーでの事実上のラスト・アルバムである『アリス・イン・チェインズ』は、1995年に世界同時リリースだったのですが、3本足の奇形の犬や、俗に言うフリークスと呼ばれる人達の写真をあしらったジャケットや裏ジャケットのデザインが日本側の規定に引っ掛かり、1年後に「全て真っ白のジャケットにしてリリースする」というバンド側が妥協した形でのリリースが決まりました。

それがために国内でのリリースは1年遅れの1996年、世間ではもうグランジのムーヴメントは過ぎ去っておりましたが、それだけにあの名盤『ダート』よりも更に深淵の極みへ沈み込んだようなサウンドと、暗闇の中で何か救いのようなものを求めているかのようにギリギリのテンションで歌うレイン・ステイリーの声の純粋な美しさが、同じ時代の他のどの「ロック」とも違う、もう完全にオリジナルな何かとしてとぐろを巻いておりました。

当時の彼らといえば、アルバム『ダート』が大売れして、そのアルバムツアーでそれこそ世界中を回り、更なる人気と喝采を獲得した直後でした。アルバムは売れてツアーは大成功だったのですが、このツアーは元々繊細なレインの心身をかなり消耗させ、元々の悪癖であった麻薬に、更にのめり込ませる引き金となってしまいます。

レインの不調により、アリス・イン・チェインズは長いツアーが出来なくなってしまい、巷では解散説までささやかれました。

実際バンドはかなり危機的な状態だったと思います。そんな過酷な状況の中でレコーディングされたのが本作『アリス・イン・チェインズ』であります。




ALICE IN CHAINS

【収録曲】
1.Grind
2.Brush Away
3.Sludge Factory
4.Heaven Beside You
5.Head Creeps
6.Again
7.Shame In You
8.God Am
9.So Close
10.Nothin' Song
11.Frogs
12.Over Now


実際ツアー生活(と、多分レインを中心としたバンド内のギクシャクした雰囲気)に音を上げたベースのマイク・スターが脱退。新メンバーとしてオジー・オズボーン・バンドにいたマイク・アイネズが加入し、レコーディングは恐らく異様な緊張感が漂う中行われたことと思います。

楽曲はジャム・セッション風の「繰り返し繰り返しのリフとうわごとのようなヴォーカル」という、初期から見られた路線から更に徹底してキャッチーな要素や演奏の中でのアクセントとなる展開が削られ、即興性の強いものになっております。

実際楽曲も長く、全体を通して聴く側にも独特のヘヴィなプレッシャーを与える作りになっており、このプレッシャーこそが彼らのサウンドのコアな部分だったのだと、聴いているうちにジワジワと染みてくる、そんな”ならでは”の中毒性がこのアルバムにはあります。

もうひとつサウンド面で変化したのが、恐らくスタジオにこもって徹底的に自己の音作りに没頭したであろうジェリー・カントレルのギターであります。

この時期のメタリカやパンテラにも迫る、オクターバーやコンプレッサーを効果的に使用した、粒の揃ったディストーション・サウンドでザクザク刻まれるリフと、ワウやフランジャーで奇妙に輪郭がひしゃげた生き物のようなソロやオクターブ、はたまた重く透明なクリーン・トーンなど「エフェクトをかましたエレキギターサウンド」の理想的なサウンドが、アルバム全体で隙間なく鳴らされていて「やべ、このギターの音はメタリカ超えてる!」とか、勝手にわいわい盛り上がっていたものです。


そして、より陰惨で沈鬱な歌詞をうわごとのように、或いは呪詛のように吐き出すレインのヴォーカルも、地声とエフェクト音とをまるで幽霊のように浮遊したり這いずったりしながら行き来していて、コチラはジェリーのギターの力強いバケモノぶりとは真逆の、得体の知れない恐ろしさすら感じさせます。


どの曲も良い意味で聴く人を甘やかさない、尖った緊迫感とドロドロな感触しかない非常に厳しい音ですので、最後まで一気に聴くとドッと消耗する、本当の意味でヘヴィなアルバムです。

しかし、この妥協のないサウンド、救いも何もない荒涼とした壮大な心象が広がるアルバムは、アリス・イン・チェインズという他のどのバンドとも似ていないし、どんなジャンルにもその存在が綺麗に収まらない孤高のバンドの、孤高である所以が間違いなく刻まれた。ロックの核がこれ以上なく美しく刻まれた作品だと思うのです。


残念ながらアリス・イン・チェインズは、オリジナルのメンバーでのオリジナル作品をこの後リリースすることはなく、2002年にレインがドラッグのオーバードーズで、2011年には旧メンバーのマイク・スターが恐らくドラッグ絡みの事故でそれぞれ亡くなっておりますが、レイン・ステイリー在籍時の3枚のアルバムはどれも重く激しく、そして美しいです。






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