ディープなコラム こちらにも書いてます♪

2017年10月10日

スヌークス・イーグリン New Orleans Street Singer

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スヌークス・イーグリン/New Orleans Street Singer
(Smithonian Folkways)

独特のリズム感でもってソロにカッティングにと自由自在な個性を輝かせる信じられないギター・テクニックと、のほんとした声(のほほんではない)でもって、聴く人の感情にしんみりと訴える”情”の歌声。そして、ブルースからR&B、ソウル、ファンク、ジャズ、カントリー、フラメンコまで、とにかく演奏できるものならどんな音楽でも片っ端から自分のスタイルに取り込んで、そこに見事なオリジナリティを開花させてしまう、人呼んで”人間ジューク・ボックス”それがニューオーリンズの魔物、スヌークス・イーグリンなのであります。

そのキャリアは1950年代の半ばから、亡くなる2009年まで、実に50年以上にも及ぶ人ですが、アコースティック・ギターを持ってのブルース弾き語りが主だった初期と、ブルースをベースに様々な音楽をクロスオーヴァ―させた独自の幅広い音楽性が花開いた60年代以降に、音楽性は大きく分割されますが、どのスタイルでもその尋常ならざるテクニック(特にカッティングにおけるタイム感)のギターと哀愁のヴォーカルぶりは最大に発揮されており、多様性の中に一本芯の通ったものを感じさせるブルースマンです。

スヌークス・イーグリン、1936年ルイジアナ州ニューオリンズに生まれ、1歳半の時脳腫瘍と緑内障の後遺症で失明。5歳の時に父親にギターを与えられ、ラジオで聴く全ての音楽を耳コピし、11歳で地元のラジオ番組誌主催のコンテストで優勝し、10代半ばの頃には既に地元ニューオリンズではプロとしてバンド活動をしておりました(この時一緒にバンドをやっていた人として、まだ13歳だったアラン・トゥーサンがおったようです)。

ソロ・アーティストとしては1953年、17歳の時に地元の大学から、民俗学の資料としてのレコーディング以来が来ます。で、ここからが彼のソロ・アーティストとしてのキャリアはスタートするのです。

このブログでスヌークス・イーグリンを紹介するのは今日が初めてで、個人的にはその”何でもアリ芸”が円熟の境地に達した80年代後半のアルバムとかから皆さんに聴いて頂きたい気持ちもあったのですが、今日ちょいと彼の初期のアコギ弾き語りのアルバムを聴いていたら

「や、アコースティックだけど、実はこの人はこの時から何でもアリじゃないか。うん、ありきたりのブルースじゃないし、ギターを集中して聴くにも最高だ。うほ♪」

となりましたので、初期のアコースティック音源をまずはオススメとしてご紹介いたしましょう。




【収録曲】
1.Looking for a Woman
2.Walking Blues
3.Careless Love
4.Saint James Infirmary
5.High Society
6.I Got My Questionnaire
7.Let Me Go Home, Whiskey
8.Mama,Don't Tear My Clothes
9.Trouble in Mind
10.Lonesome Road
11.Helping Hand (A Thousand Miles Away from Home)
12.One Room Country Shack
13.Who's Been Foolin' You
14.Drifting Blues
15.Sophisticated Blues
16.Come Back, Baby
17.Rock Island Line
18.See See Rider
19.One Scotch, One Bourbon, One Beer
20.Mean Old World
21.Mean Old Frisco
22.Every Day I Have the Blues
23.Careless Love [2]
24.Drifting Blues [2]
25.Lonesome Road [2]


まず曲のラインナップが凄いんです。

「ハイ・ソサエティ」「聖ジェームス病院」などのオールド・ジャズ・クラシックスから「C.C.ライダー」「ロック・アイランド・ライン」など、元祖ソングスター、レッドベリーの愛唱歌、サン・ハウス、ロバート・ジョンソンでおなじみの「ウォーキング・ブルース」、ローウェル・フルスンが作り、B.B.キングが看板曲にした「エウリディ・アイ・ハブ・ザ・ブルース」、エルヴィス、リトル・ウォルターもカヴァーした、ロックンロールの味の素「ミーン・オールド・フリスコ」(アーサー”ビッグボーイ”クルーダップ)などなどなど・・・。お前アコギ一本でよくもこんなに節操のない幅広いレパートリーを集めてきたなぁと、クレジットを見るだけでクラクラします。

スヌークスは、大学のバックアップを得て、更にこのテの”アメリカ伝統音楽の録音”といえばのフォークウェイズ・レコードも本格的にレコーディングに乗り出したのを受けて、1958年から60年(つまり22歳から25歳ぐらいまでの間)に大量の弾き語り音源を残しておりますが、コチラに収録されているものは、最初にリリースされたものだそう。

つまり、このアルバムが(商業用ではないけれど)正真正銘のスヌークス・イーグリンのソロ・ミュージシャンとしてのまとまった作品として初のものなんです。

で、その中身の方はというと、もう既に後年に通じる”何でもアリ”の芸風は、恐ろしいことに完成しております・・・。

アコギ弾語りだから、全体的にのどかな感じではあるんですが、ありきたりのブルースやフォークっぽいやり方ではやっておりません。1曲目からカッティングはカリプソだし、かと思えば「ウォーキング・ブルース」は、ロバート・ジョンソンやサン・ハウスを飛び越して、まるでその頃のジョン・リー・フッカーばりのドロドロのスロー・ブルース(歌詞も違うからあの「ウォーキング・ブルース」と果たして同じ曲なんだろうかという疑問もありますが)。

圧巻なのはやはり「聖ジェームス病院」「ハイ・ソサエティ」と2曲続くジャズ・ナンバーで、前者はグッと抑揚を抑えた歌い方で、既にソウル・バラードみたいな雰囲気を(ギター1本でだぜ!?)醸しておりますし、後者に至っては、そこにロニー・ジョンソンかエディ・ラングの生き霊がおるんじゃないかと思うほどのギター・ピッカーぶりで「一体この人は何なんだ!」と、聴く人をしっかりと煙に巻いてもくれます。

例えば「エヴリデイ・アイ・ハブ・ザ・ブルース」なんか聴いておれば分かるんですが、この人は確かにジャンル幅広いし、渋さを一定に保ちつつ、万華鏡のような「一人歌謡ショーぶり」を如何なく発揮しておりますが、ただスタンダードを奇抜なアレンジでやっているのではなく、むしろトラディショナルなブルース・ナンバーは、有名なヴァージョンよりも更にディープでドロドロのブルースとして、一番コアな部分も感じさせてくれるのです。

しつこいようですが、これ、ギター弾き語りだぜ!?

と、アタシは聴く毎に思います。えぇ、今この時点で多分皆さんにはこの意味は伝わってないかと思うのですが、ブルースや古いR&B、あるいはジャズなんかが好きな人がこのアルバムを一回でも聴けば「うぇぇ、マジだ!」と、絶句すると思います。果たしてこれはブルースなのか、それとも弾き語りのR&Bなのかと、アタシ の中では未だ結論は出ませんが、すこぶる付きのグッドミュージックであることは確かです。



『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2017年10月09日

アルバート・アイラー ゴーイン・ホーム

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アルバート・アイラー/ゴーイン・ホーム 〜プレイズ・スピリチュアル

(MUZAK)

秋になって、日が落ちるのが早くなってくると、いつも通っている夕方の風景が、どこか儚い憂いを帯びているように感じませんか?

そう「秋」といえば、アタシは大好きな季節なんですが、春とか夏みたいな「さぁ今日も頑張るぞー」といったワクワク感はないんです。やっぱりどこか淋しいんです。でも、その寂しさ故に音楽とか文学とか、そういったものにホロッとなる、まぁその、カッコ良くいえば詩的感情みたいなものが、心の奥底からゆっくりと顔を出しているのを感じます。

そうなってくると音楽を聴くのが、俄然楽しくなりますね。えぇ、楽しいというよりは、好きな音楽はもっと好きになったり、それまで何となく聴いていた音楽の、気付かなかった良さみたいなものに急に目覚めてハッとしたりするようになる。そういう季節が秋なんだと思います。

で、アイラーです。

アルバート・アイラーは、このブログでも、もう何度か取り上げております。

ちょっとジャズを知っている人なら「アルバート・アイラーはフリー・ジャズの代表的なサックス奏者で、とにかく過激で型破り」なんていうイメージがすぐに言葉として出てくるかも知れません。

アイラーは確かに過激です。

その過激さというのは、スタイル云々ではなく、恐らくもっと根源的な、人間の魂の奥底から湧き上ってくる衝動に、とことん忠実な過激さでありましょう。

たとえば他のフリー・ジャズのアーティストなら、モダン・ジャズという基礎をみっちりやって、それを打ち破るようなスタイルで楽曲に挑んだり、或いはそれまで習得したものを全部かなぐり捨てた、出す音そのものを無機質になるまで徹底して解体し尽くした、現代音楽のようなものであったり。

とにかく、ほとんどのミュージシャンは、それを「過激」にしようと意識して、懸命に音楽を型枠から外していこうという挑戦をやっておる。んで、演奏のどこかに冷静な意識が働いているのを見る訳です。過激にやっていようと、破壊衝動を全面に出そうと、やはり演奏というものは人に聴かせるものなので、どこかにそういった配慮みたいなものを持っているのがプロのミュージシャンなんだなぁと、アタシのような素人は思う訳なんですね。

そこへいくとアイラーの演奏、というか演奏行為には

「これをこうやって崩してみよう」

とか

「こうすればこうかな・・・」

とかいう、作為のようなものが全く感じられません。

や、いかにアイラーといえども、その超初期の頃は、有名なスタンダードをフリー・ジャズ化しようと必死で吹いておりましたし、晩年の演奏は、エレキギターや朗読なんか加えて、挙句自分ですっとんきょうな裏声を張り上げて歌も唄っておるんですが、そういうのもひっくるめて、全て”素”でやっているという感じが凄いするんです。

もっと簡単にいえば、フリーにやろうがファンキーにやろうが、R&Bのホンカーよろしくブルージーなフレーズをゴリゴリ吹こうが、テナー・サックスを持って”ブッ”と音を出す瞬間には、この人の意識はもう完全に思考とか計算とか及ばない別の領域に飛んじゃって、そこでこの世のものにあらざる精霊とかそういうものとひたすら交信をしているような、そんな図を、聴いているこっちの脳裏に深く焼き付けてくれるんですよ。

アタシはハタチそこらの頃に「最強にぶっとんだジャズ、いやこれもうパンク」としてアイラーを認識しました。今でもその認識は1ミリもブレてません。

しかし、ただ過激で刺々しい刺激だけの音楽だったら、やがて刺激に慣れてすっかり飽きてくるはずだとも思ったんですが、それは全く違いました。

アイラーの音楽には、ある特種な”やさしさ”があります。

変な話ですが、ぶっこわれたフリーク・トーンで「ギョリギョリギョリ!」と吹いても、その豊かにヴィブラートを効かせまくった音色から感じるものは、深い愛としか言えない暖かいものなんです。

そして、彼の作る楽曲もまた、フリーキーにブチ壊れた部分を脳内で上手にリミットして聴けば、童謡や唱歌なんかとちっとも変らない、シンプルで口ずさみ易い、語弊を恐れずにいえば”カワイイ”メロディーで出来ているんです。

アタシは幸いにして(?)アイラー歴2年目にしてそのことに気付きました。

で、当時の先輩とフリージャズについてアツく語りながら「いやぁ、でも何だかんだ言ってアイラーってすごく優しいですよね、そしてすごくポップ」と、うっかり知ったような顔で言ってしまったんです。

最初は

「あっはっは、そうだよなー。坂田明も”アイラーの曲を吹いてたら、段々丸くなって、最終的にはゆうやけこやけのあかとんぼのメロディーになった”とか言ってたもんなー。大熊ワタルもチンドン屋アレンジでアイラーやってて、アレがすっげぇハマッてたんだよなー」

と、笑っていましたが、急に真剣な目になり

「おぅ、そういえばアイラーが一切フリーやらねぇで、古いブルースばかりやってるアルバムがあったなぁ。アレ、オレが聴いた中で一番凄かったよ・・・」

と言って絶句しました。





【パーソネル】
アルバート・アイラー(ts.ss)
コール・コブス(p)
ヘンリー・グライムス(b)
サニー・マレイ(ds)

【収録曲】
1.ゴーイング・ホーム
2.オールマン・リヴァー
3.ダウン・バイ・ザ・リヴァーサイド
4.スウィング・ロウ、スウィート・チャリオット
5.ディープ・リヴァー
6.聖者が街にやってくる
7.誰も知らない私の悩み
8.オールマン・リヴァー(take1)
9.スウィング・ロウ、スウィート・チャリオット(take1)
10.ダウン・バイ・ザ・リヴァー・サイド(take5)


「何ですかそれ!聴いたことないっす!アイラーがフリーやってないってそんなのあったんすか!?」

と、アタシは一方的に興奮しまして、先輩に質問したんですが

・そのアルバムは「スウィング・ロウ・スウィート・スピリチュアル」といって、80年代後半にディスク・ユニオンから出されたが、最近見ないということは、多分もう廃盤だろう(注:1997年当時)。

・オリジナルは輸入盤で、確かジャケットもタイトルも違ったような気がしたんだけど何て言ってたっけ、忘れた。

というすごく曖昧な答えしか返って来ず、でもアタシはその情報だけを頼りに、あちこちのCD屋を探して回りましたが、遂に見付けることはできませんでした。

でも、その頃はすっかりアイラーやコルトレーン、エリック・ドルフィーに夢中で「見かけたら何でも買う!」と息巻いていた時。

ある日フラッと入った中古レコード屋さんのCDコーナーで見かけた”見たことのないアイラー”を、何気なしに買って、聴いてみました。

冒頭、いきなりドヴォルザークの交響曲『家路』

そしてアルバムは「聖者の行進」や「ダウン・バイ・ザ・リヴァーサイド」など、スタンダードというよりも、古いトラディショナル・ジャズやゴスペル以前のスピリチュアル(黒人霊歌)ばかりが、一切フリーク・トーンの出てこないストレートな演奏で次々に奏でられていきます。

え・・・これ・・・?

ジャケットを確認しました。

「Going Home」

レーベルはBlack Lion・・・。

でもこれだ、これが例の「アイラーが一切フリーをやらずにブルースだけをやってるアルバム」だ!!

感動で打ち震えました。

その間もスピーカーからは淡々と、アイラーの目一杯の感傷を込めたヴィブラートが、テナー、ソプラノと楽器を時々替えても、何ら変わることない質量で、泣けとばかりにずーーーーっと迫ってきます。

泣きました。

生まれて初めて、特に悲しいことや、悔しいことがあった訳でもないのに、ただ音楽の美しさに涙腺をグッと押されたように、涙がボロボロ落ちてきました。

「うわぁ・・・何ていうんだろう。これは・・・超・・・音楽・・・」

そんな訳の分からないことを頭の中でぐるぐる回転させながらも、意志とは関係なく涙がこぼれ、胸の奥底からは、切ないような、ヒリヒリ痛むような、そしてどこか懐かしいような感情が、そんなのどこにあったんだと思うぐらい大量に溢れてきて、多分それが涙になっているようでした。

アイラーは優しい。それよりも何よりも、この音楽は一体何だ。

今でもこのアルバムはアタシの宝物です。

「アイラーで一番凄い」

先輩はそう言いましたが、アタシは、これはもう、音楽として一番深いところに響いて鳴り止まない何物かであると、今も思っております。



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2017年10月06日

エイフェックス・ツイン ドラッグス

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エイフェックス・ツイン/ドラッグス
(Warp)

今日はテクノについて語ろうと思います。

テクノという音楽は、読んで字の如く、”最先端”をイメージさせる音楽です。

人によって細かい手法は違いますが、この音楽は打ち込みのビートにシンセサイザーや様々な機器を駆使して作ったフレーズを掛け合わせてゆく音楽といえます。

古くは70年代にクラフトワークら、ドイツのいわゆる”クラウトロック”と呼ばれる人達がその原型を作りましたが、これが世界中に波及して、特にクラブシーンで独自の発展を見せて、パーティーに集まった人達を踊らせるハウス・ミュージックや、或いは日本でいえばYMOなど、ポップスとして歌モノの楽曲を打ち込みやシンセサイザーなどのアレンジで装飾したテクノポップと呼ばれるもの、更には電子音楽で作るアンビエント・ミュージックや、バンド・サウンドと融合したエレクトロニカ、近年では元々”ノイズ・ギター・ポップ”というオルタナティヴ・ロックのひとつの形態と呼ばれていたシューゲイザーなんかもテクノとの関わり抜きに語ることは出来なくなりつつあります。

細かいことはさておきで、80年代90年代、そして2000年代から現在に至るまで、テクノ・ミュージックは技術の進化と共に様々な形で世に送り出されてきました。

そして、それらのほとんどが、めまぐるしく発展する録音/再生技術の中で次々と懐メロになってゆくのを感じます。

何年か前にダフトパンクが流行って、アレが最先端のテクノではなく、80年代のオマージュ的なサウンドだったことには「あぁ、もうこの分野も過去のスタイルをネタとして使うようになるまでになったんだ」と、ある意味凄い衝撃でしたが、テクノという呼び方も、もしかしたらあと少しすれば「あぁ懐かしいね」というものになってしまうのかも知れません。

で、そんな中「懐メロにならないテクノ」を、四半世紀以上黙々と作り続けている人がおります。

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”エイフェックス・ツイン”こと、リチャード・D・ジェイムスです。

90年代にドラムンベースというスタイルが流行って、その時この人も世界的な人気アーティストになりました。

黙っていれば結構カッコイイ顔してるのに、ニヤッと不気味に笑った江頭2:50みたいな顔写真やイラストをジャケットに使ったり、水着美女とか子供とか、色んな被写体にコラージュして張り付けたり、正直「うわ、何じゃこりゃ!?」という感じで、なかなかに正体の掴めない、不気味な存在であったと記憶していますが、そこんとこどうなんだよと、この分野に詳しい友人に訊いたところ

「いや、彼はいいんだ。そうやって自分自身を記号化することで、今のテクノブームから距離を取るスタンスを保っているわけだから」

と、何やら禅問答のような答えを貰い、頭の中に「??」がいっぱいになったところでアタシは彼に興味を持ちました。

こんなことを言うと怒られるかも知れませんが、アタシは90年代のテクノブームの時に、どうも今イチその音楽的な良さみたいなものを掴みかねておったんです。重低音とシャキシャキしたプレセンス(超高音)を強調したサウンド、忙しなくてどうノればいいのか分からない均一的なビート、何かメロディーがあってそれが展開して行く訳でもなく、ただ時間を刻むみたいにバーッと鳴らされるだけの効果音的なフレーズの繰り返しだと思ってて、事実その繰り返しを楽しむのがテクノだと言われて、ますます訳がわかんなくなったんです。

「そんなのおもしろくねぇよ」

と生意気にも言えば

「面白いとか面白くないとかじゃねーよ、こういうのを爆音で流してバカになって踊り狂うのがいいんだ!」

と百倍キレられて、あぁやっぱりオレにはクラブとかレイヴとかそーゆーのは遠い世界だわいと嘆いていたところにエイフェックス・ツインは踊らせるための刹那的レイヴ・ミュージックに背を向けた、アーティスト性の高いテクノミュージックを作ってどうのとか、フジロックフェスで犬小屋に閉じこもってDJやってたとか、という記事の数々を断片的に読み

「う〜ん、テクノってわかんないけど、どうもコイツだけは俺が好きそうな頭のおかしなヤツの臭いがするなぁ」

と、何となく好意的に思ってはおりました。


そん時たまたま聴いたのが、2001年リリースの「ドラッグス」というアルバムです。



(Disc-1)
1.ジウェセック
2.ヴォードホスブン
3.クラードフブクブング・ミッシュク
4.オミーガ・スウィッチ7
5.ストローザ・タイン
6.グウェーリー・マーナンズ
7.ビディオンコード
8.コック / ヴァー10
9.アヴリル 14th
10.モン・サン・ミッシェル+セイント・マイケルズ・マウント
11.グワレック2
12.オーバン・エック・トラックス4
13.オソワス
14.ヒ・ア・スクリアス・リフ・ア・ダグロウ
15.ケッソン・ダレフ

(Disc-2)
1.54カイムル・ビーツ
2.ボトム・ルマーダ
3.ローナデレック
4.Qkthr
5.メルトフェイス6
6.ビット4
7.プレップ・グワレック3b
8.ファーザー
9.テイキング・コントロール
10.ペティアティル・シックス・フトドゥイ
11.ルグレン・ホロン
12.エイフェックス237 V7
13.ジゴマティック 17
14.ベスク3epnm
15.ナノウ2


まず一曲目からビートなしの静かな曲に、美しいピアノ。そこから出てくる鋭いけれどもどこか儚い打ち込みのビート。

これで「あ、これは俺でも聴ける」と思い、2枚組を一気に聴いて聴き終わる頃には「本当に不思議だけど、テクノってこんなに心地良い音楽だったんだ・・・」と、今まで味わったことのない、ポワ〜っとした不思議な感情が心を埋め尽くしておりました。

世間の評判を聞けば「あれはテクノじゃない」とか「新しいことはやってないよね」とか、主に彼の作品をずっと追いかけていたファンの人達から、否定的な声も大きかったみたいです。

確かに、何が新しくて何が古いのかよーわからんけれども、この分野に疎いアタシのような人間が聴いても、普通に「音楽」としてカッコ良く聴けた。途中途中で美しいピアノや生音の弦楽器などをフィーチャーした曲が流れては来ますが、基本はやっぱり「ダッダカダッダダ!ダカスッコンコン!」のあのドラムンベースのビートがミニマルな展開で鳴り響く、古典的ともいえるテクノ・アルバムだと思います。

でもこの、無機質で一貫して冷たい質感の楽曲の中にじんわり沁みている優しさは一体何だろう?考えてみりゃあアタシは音楽的なジャンルでどうとか、刺激を求めてとかそういうことではなく、このアルバムを作ったエイフェックス・ツイン、もといリチャード・D・ジェイムスという人が、もう本当に音楽が好きで、自分を心から豊かにさせた音楽、つまりハウスやテクノはもちろん、ジャズやクラシックやロック、そして民族音楽に至るまでの全部への愛を、この2枚組の大作に目一杯詰め込んだんじゃなかろうかと思いながらこのアルバムを聴く度に胸にギューンと来て、何か切ない気持ちにさせてくれる優しさに浸る幸せを噛み締めております。

そして今「ドラッグス」を聴いても、不思議なことに全く懐メロになっておりません。それはきっと、このアルバムを作っていた時に音楽に捧げたこの人の情熱や愛情といったものの温度が、きっと最高に普遍的なものだったからに違いありません。うん、テクノのことは相変わらず全然分からないが、きっとそうなのだ。

このアルバムを最後に、13年にも及ぶ長い沈黙に入り、つい最近復活したということを考えると、今度は今の時点で話題になっている最新作を聴きたくなりますね。





『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2017年10月04日

ブッカー・リトル(Booker Little)

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ブッカー・リトル/Booker Little
(Time)

この10月に入ってどハマりしている”ジャズ、哀しいトランペット・シリーズ”(うむ、他に何か良い言い回しはないだろうか・・・)でございます。

今週はウェブスター・ヤングトニー・フラッセラと、それぞれ違うタイプの「この人のラッパは凄く切なくて、そこはかとない味があっていいよね〜・・・」という二人を皆さんにご紹介してきました。

んで、他にこういう味わいを持っているトランぺッターっていないかなぁと、CD棚を物色していたら、おりました。

というよりも、まずもってアタシに生まれて初めて

「ジャズのトランペットってカッコイイかもよね」

と、思わせてくれた、原点である重要なトランぺッターの存在を、アタシはすっかり忘れておったんですね。

あぁいけません。

でも、そのままにしといたらきっといい加減で頭の弱いアタシは、またしても忘れてしまうと思いますので、忘れないうちにご紹介します。

ブッカー・リトルです。

アタシが決定的にジャズという音楽にハマり・・・や、その底無しの魔力にすっかり魅入られてしまったきっかけがエリック・ドルフィー

そのドルフィーの、最高にスリリングで、最高に妖しくて、最高に狂った毒に溢れているライヴ盤に「アット・ザ・ファイヴ・スポット」



というアルバムでした。

全員が全員、唯一無二のクセの塊のような個性を全力でぶつけ合った、今でも全てのジャズのライヴ盤の中でも最も刺激的なアルバム群(ファイヴ・スポット・シリーズは3枚の連作なのです)だと思っていますが、このアルバムで主役のドルフィーのひたすらブッ飛んだ演奏に対し、激しく盛り上がりながらも、時にフレーズを強引にアウトさせながらも、トータルでは美しく均整の取れたフレージングで全体のバランスを取っていたのが、トランペットのブッカー・リトルでした。

とはいえ、最初からドルフィー目当てでドルフィーのプレイしか聴いていなかったアタシにとって、その頃のリトルの印象は「いい感じに吹きまくってるけど、音は優しいし全体的に地味なトランペットだよね」というものでしかなかったのですが、それがある日突然、ドルフィーの特異で異様なソロの余韻をスーッと消して、全く独自の、激しさの中に憂いが満ち溢れた色に「パラパラパラ〜」と塗り替えてゆくその雰囲気にハッと気付いてから

「何て凄いトランペットなんだ!」

と、アタシはすっかりリトルにも夢中になったんです。

そう、この人の場合は「切ない哀しいトランペット」といっても、演奏スタイルそのものはどこまでも熱く激しく、聴き手にしっかり興奮も与えます。

資料に目を通してみたら、1950年代半ばに交通事故で不慮の死を遂げたモダン・ジャズ・トランペットの第一人者、クリフォード・ブラウンの正統な後継者として、演奏技術もアドリブセンスも、かなりの人に期待されておった。

つまりモダン・ジャズの本流の、次世代のスターとしてとても注目されるぐらいの実力者だったんです。

19歳で大物ドラマーであり、クリフォード・ブラウンと一緒にバンドをやっていたマックス・ローチに

「君いいね、クリフォードの後任としてウチのバンドに入りなさい」

と言われ、そこで評価を得て、バリバリの過激派と呼ばれたエリック・ドルフィーと一緒に「何か今まで誰もやってないような新しいジャズをやろうぜ!」とバンドを立ち上げたのが22歳の時。

正にミュージシャンとしては「これから」の時、尿毒症であっけなくあの世へ行ってしまったんですね。

周辺のミュージシャン達は

「ブッカーは元気でピンピンしてたのに、ある日いきなり病院運ばれてそこで死んだと。急死だよ、訳わかんねぇよ」

と、その若すぎる死に戸惑ったと言いますが、尿毒症・・・、多分喧嘩に巻き込まれて腹でも蹴られたんでしょうとアタシは思っております。倒されて激しく腹部を蹴られると、腎臓が損傷してそこから感染症を起こすことがあるのです。

それはそうと、リトルのミュージシャンとしての活動は、そんな風にたったの4年という短いものでありました。

もし生きてたら、リー・モーガンやフレディ・ハバードのように、60年代を代表するトランぺッターの一人として、数多くの作品を残してくれたに違いませんが、実はリトルは短い活動期間の中で3枚の正式なスタジオ盤を残しており、そのどれもが個性の輝きに満ちた、名作と呼ぶに全く値する珠玉のアルバムです。

その珠玉に順番なんかとても付けられませんが、彼のトランペットの素晴らしさに集中して最初から最後まで堪能できるのが、リーダー作として最初にリリースされた『ブッカー・リトル』



【パーソネル】
ブッカー・リトル(tp)
トミー・フラナガン(p)
ウィントン・ケリー(p)
スコット・ラファロ(b)
ロイ・ヘインズ(ds)

【収録曲】
1.オープニング・ステイトメント
2.マイナー・スウィート
3.ビー・ティーズ・マイナー・プレア
4.ライフズ・ア・リトル・ブルー
5.ザ・グランド・ヴァルス
6.フー・キャン・アイ・ターン・トゥ


トランペットのバルブの部分が、手書きで大きくイラストされたジャケットがもう最高ですね。ジャズのアルバムでこういう楽器を描いたもの結構あるんですが、そういうジャケットで中身がガッカリだったというアルバムには、未だ出会ったことがありません。

そしてメンバーが、ピアノにコルトレーンの『ジャイアント・ステップス』ロリンズの『サキソフォン・コロッサス』などなど、多くの作品で堅実なプレイを務め上げ、それらをことごとく名盤にしてきた、ザ・名盤請負人のトミー・フラナガン(BとCだけウィントン・ケリー)、ビル・エヴァンス初代トリオの天才ベーシスト、スコット・ラファロ。ドラムはバップからモダンから、ちょいと前衛なものまで、この人に任せておけば安心のロイ・ヘインズ。

モダン・ジャズの、ちょっとクセのあるカッコいいホーン奏者のワン・ホーンを聴きたいなと思ったら、これ以上望むべくもない最高のメンバーです。

そんなメンバー達、全員がしゃかりきになって個性をブチ撒けずに、カッコイイ伴奏に徹した、すこぶる大人な演奏なんですよ。

そのサポートを得て、思う存分に吹いているリトル。

この人の個性は「一見フツーに聴こえるんだけど、実はちょっとしたところにクセやアクがみなぎっている」とでも言いましょうか。とにかくブリリアントです、リズムに乗れば結構吹きまくります。決して”味”だけで売ってるラッパ吹きじゃないし、若さゆえの”突っ走り”もあって、テクニックだけで無難にそつなくこなす人でもありません。どちらかというと激しく突っ走ってる時でもメロディを意識して「丁寧に歌を紡ごう」という気配りに溢れた展開に、聴く側の意識を誘うのがとても上手い人です。

でも、この人独特の「クシュッ」とひしゃげた音色がそうさせるのか、それともアドリブの途中でさり気なく織り交ぜられるマイナー・フレーズの一瞬がそのような効果を持っているのか、とにかく全体がどこか沈んだ感じであり、そして聴き終わった後にヒリッとした切なさが残ります。

どの曲もカッコ良くて、キッチリ興奮もさせてくれますが「これ!」という曲は、2曲目の「マイナー・スイートと5曲目の「ザ・グランド・ヴァルス」。

「マイナー・スウィート」は、疾走系4ビート・ナンバーですが、無伴奏っぽく(ロイ・ヘインズが軽くアクセントでオカズを入れる)吹き上げている哀愁のイントロから、一気にやるせないアドリブが走り抜けてゆくこれがもうたまんなくて、「ザ・グランド・ヴァルス」はエリック・ドルフィー、メモリアル・アルバムに入ってる『ブッカーズ・ワルツ』と同じ曲ですが、コチラはテンポをグッと落としていて、クシャッとしたリトルの音のまろやかさと美しいメロディとの溶け合いに何だかウルッときてしまうのです。





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『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2017年10月03日

トニー・フラッセラ トランペットの詩人

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トニー・フラッセラ トランペットの詩人
(Atlantic/ワーナー)

只今秋の感傷モードの真っ最中ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

ブログをご覧の皆様には、既にお気づきかと思います。アタシはこの秋になり「トランペットってもしかして切ねぇ!?」ということを、今更にして気付いてしまい、感動したジャズ・トランペットのアルバムについて書いております。

えぇ、皆さんも心の中に「これ、切ないよ」という音楽、あろうかと思いますので、秋になったらぜひともそういう音楽と、とことん切なくお過ごしになられたらと思いますが、まだそういう音楽ねーよという方や「ちょっと切ない音楽聴きたいけど何を聴けばいいのよ」という切実な思いをお持ちの方は、どうかこのブログでのアタシの戯言を記憶の片隅にでも置いて頂き、音盤と出会う時のご参考にしていただけたらと思っております。えぇ、切に願っております。

で、今日も「せっつねぇトランペット」いきましょうね。

トニー・フラッセラという、白人ジャズ・トランペットの、知る人ぞ知る名手がおります。

いや、どっちかというとあんま知られてないことの方が多い、隠れ名手と言うべきでしょうか。

知られてない理由を挙げると、やはり活動期間が短く、作品をほとんどリリースしていないということ、聴いた誰もが衝撃を受けるような、激しさとインパクトに溢れた演奏というものは一切やっていないということになるでしょう。

ですが、ジャズをこよなく愛し、色々と聴いてトニー・フラッセラに辿り着いた人達は口を揃えてこう言います。

「この人のトランペットは本当に深い。これを聴いていると、何か忘れていた大切なものを思い出したような気持になるね」

と。

はい、そうなんです。トニー・フラッセラの吹くトランペットは決して派手じゃない。聴く人を興奮させる速いフレーズとかスリリングな展開とか、そういうのはないけれども、その一音一音丁寧に噛み締めるような演奏スタイル、曲の持つメロディの肝とも言うべき部分をひたすら美しく磨き上げ、余分なもののないありのままの美しさを、鮮やかさとはまた別の、深く落ち着いた光沢で輝かせるようなアドリブで、聴く人の心にそっと花を置いてくれます。

そんなどこまでも抒情的な演奏をするフラッセラに付いたあだ名が”トランペットの詩人”。

はい、その通りだと思います。

でもこの”詩人”という言葉の響きって、彼の演奏を聴いていると、どこかやるせなく、どうしようもないものが青白く揺らめいているようでどこか哀しい、そして悲しい。

彼の人生は孤児院で始まって、そこを出た時に音楽に希望を見出して、見よう見まねでトランペットを手にする訳なんですが、良い感じに上達して、人気も出て、演奏活動そのものは順調のようでしたが、レコードセールスの波に乗れず、元々常用していた麻薬が彼を呑み込み、シーンから遠ざかることと、束の間復帰することを小さく繰り返しつつ、結局若くして亡くなってしまう。

音楽に簡単に、ミュージシャンの人生を反映させることはどうかと思いますが、彼の片言で懸命に愛を歌ってるかのようなトランペットを聴くと、何かそんなどうしようもない人生が、バカみたいにスッと折り重なってしまうのです。

似たようなタイプでチェット・ベイカーがおります。

才能にも容姿にも恵まれていながら、まるで自ら望んで破滅に向かって突き進んでいるかのような破天荒な人生という意味で2人は大いに重なりますが、チェット・ベイカーはトランペットの演奏技術が実はズバ抜けていて、優しく甘い音色とは裏腹な、派手で華のあるプレイをします(意外とベイカーは吹きまくっている演奏多いのですよ)。それゆえ生涯を通じて華やかなジャズの表舞台に常に居ることが出来たということを考えると、フラッセラのひたすら楚々として美しく、そして派手な脚光を浴びることのなかったジャズ人生って・・・と思い、また胸に切ない感情が滲んでくるのであります。




【パーソネル】
トニー・フラッセラ(tp)
アレン・イーガー(ts)
ダニー・バンク(bs,AD)
チャウンシー・ウェルシュ(tb,AD)
ビル・トリグリア(p)
ビル・アンソニー(b)
ビル・ブラッドレイ・ジュニア(ds)

【収録曲】
1.アイル・ビー・シーイング・ユー
2.ムイ
3.メトロポリタン・ブルース
4.レインツリー・カントリー
5.ソルト
6.ヒズ・マスターズ・ヴォイス
7.オールド・ハット
8.ブルー・セレナーデ
9.レッツ・プレイ・ザ・ブルース

彼の数少ない作品の中から、代表作であるところの「トランペットの詩人(原題:Tony Fruscella)」を聴きましょう。

とにかくもうこのジャケットですよね、繊細そうな良い男が、トランペットを抱えて沈んでる白黒のポートレイト。これは紛れもない本人で、決してアルバムジャケット用に取ったポーズではないでしょう。えぇ、普段からこんな雰囲気を醸す人であったらしいです。

とにかく中身を聴かずとも、このジャケットだけで、この中に収録されている音楽がどんなものであるか、8割がた語られていると言っていいと思います。

中身はフラッセラのトランペットが、”幻のテナーマン”と呼ばれたアレン・イーガーのまろやかで共通した翳のようなものを持っているテナー・サックスと、ひたすら美しいメロディを紡いでゆく、派手で猛々しいところが一切ない、アンニュイな空気から醸される上質な憂いが終始漂っておるアルバムです。

2曲でバリトン・サックスとトロンボーンが入り、ちょっとだけ賑やかにはなりますが、「ススス・・・」と吐息まじりでメロディを淡々と紡いでゆくフラッセラのトランペットが響くだけで、空気がスーンと落ち着いたものになるから不思議です。

リズム・セクションはビル・トリグリア(p)、ビル・アンソニー(b)、ビル・ブラッドレイ・ジュニア(ds)という、偶然にも”ビル”が3つ並んだトリオで、この人達もさほど有名な人達ではありませんが、落ち着いた気品のある、いいサポートです。

特にビル・トリグリアのピアノは、バックでは控え目にコードを、ソロは弾き過ぎずコンパクトに、の職人的な”引き”が感じられて、そのさり気ないセンスの良さがひたすら好感度高いです。

楽曲の中でオススメ、というか、聴く毎に何ともいえないやるせなさの海へ引きずり込まれてしまうのが6曲目の「ヒズ・マスターウ・ヴォイス」。

クラシックのフーガ風のイントロから落ち着いた4ビート(ドラムはブラシ)が入り、フラッセラ、イーガー、トリグリアと、静かにバトンが渡されてゆくソロの、何と切々と優しく身を切ることか。そしてまたエンディングでトランペットとテナー・サックスによる美しいフーガが哀しく響く。

あぁ、何だろうこのどうしようもないカッコ良さは。。。



(↓アナログもあります)





『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

サウンズパル店主高良俊礼の個人ブログ
http://ameblo.jp/soundspal/
posted by サウンズパル at 19:15| Comment(0) | ジャズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする