2017年10月22日

オリジナル・ナゲッツ

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V.A/オリジナル・ナゲッツ
(ワーナー)


生きていると色々あって、大好きな音楽もちょっとキツい時があります。

でも、そんなクソッタレな気分の時もアタシは

「かっこいい音楽はパンク!」

という信念を持ちつづけ、音楽を愛してきました。

「パンク」という言葉を、アタシは1970年代に出てきたパンクロックだけを指すのではなく、ひとつの思想や姿勢の現れを示す言葉として使っております。

「カッコイイ!!」と思ったらブルースもパンクだし、ジャズもパンクだし、ソウル、レゲエ、ハウス、民俗音楽、ポップスだってクラシックだってみーんなパンクです。

じゃあ”パンク”って何なの?

はい、パンクというのは

「今あるものをぶっこわす」

「概念とか方法とか、そういう既存のものからはみ出す力」

のよーなもんだと、アタシ思っています。

「こうかな?」「これはこうだろう」

と、思っているユルい気持ちをスカーンとぶっこわしてくれる音楽、知らないものに触れた時のピュアな興奮や感動、いいですね。そういうものをこのブログで皆さんに今後もじゃんじゃん紹介していきたいと思っております。

というわけで、今日はガレージ・ロックであります。

ガレージ・ロックは、パンクロック誕生のおよそ10年前にアメリカで誕生した、まぁいってみればパンクのご先祖さんみたいな音楽なんですが、この時代たまたま”パンク”という言葉がなかっただけで、これはもう立派なパンクロックと言っていいでしょうね。

ロックンロールが衰退した1960年代、イギリスで50年代のロックンロールやブルース、R&Bに影響を受けた若者達がロックというものを色々と試行錯誤しながら生み出していったことは、皆さんご存知の通り。

その中からビートルズやローリング・ストーンズ、クリームなんかが人気バンドとして頭角を現しました。

これを聴いたアメリカの若者達が

「やべぇ、クールだ!オレらもこんなことやろうぜ!!」

と、あちこちで触発されることによって、アメリカにも独自のロック・シーンが誕生することになるんですが、このシーンが最初に産声を上げたのが、青少年達の自宅ガレージの中だったんです。

何でかっつうと、そこはほれ、エレキギターとかドラムとかをジャンジャカドンドコやると騒音が出るでしょう。

アメリカって国の住宅は、ほとんどが都市部から離れた郊外にありまして、で、やたら土地は広い訳ですから、自宅ガレージで大音量をやかましく鳴らしても、さほど問題にはならなかったんですね。

で、ヤツらはやっちゃうんです。

ガレージなのをいいことに、ギターアンプのツマミをじゃーっと最大にして、アホみたいな音量にするわけです。

大体ロックなんてのは、若者にとっては「やかましい音で、どんだけ騒げるか」という音楽であり、そこはビートルズもストーンズもアメリカの若者達の心理と全く変わらなかった訳です。

でも、やっぱりちゃんとした会場で演奏したり、レコードをキッチリ作るとなると、それなりにバランスってものが必要になってくるでしょう。だからメジャーなイギリスのバンド達は、やかましくやるけれども、曲や歌がちゃんと聞こえるように、そこは調整していた。

でもアメリカ人はそうじゃなかった。

アイツらアタマおかしいから若さとエネルギーに満ち溢れた彼らは、外で演奏する時も自宅ガレージで作ったサウンドをちゃーんとフルに出して、で、客もアタマおかしいからオーディエンスもその熱意に応えてキッチリ盛り上がっていた。もちろん演奏する店の主は頭を抱え、時につまみ出し、大人達は困惑し、学校は「ロック禁止」の通達を何度も出した。でも、そんなことぐらいで一度火が点いたスピリッツが消える訳がない。

演奏がそれなりに評判を呼び、そこそこの小遣い銭を手にしてもしなくても、ガレージバンドの連中は「もっとイカレた音」に手を出します。

すなわち開発されたばかりの歪み系エフェクター”ファズ”や、アナログエコー等の機器であります。

この頃のエフェクターには正しい使い方なんてない。ひたすらひとつかふたつぐらいしか付いてないツマミでもって「元音とかけ離れた音」を出すのみ、という実にアナクロな使い方をそれぞれ勝手に極め、ゴワゴワに歪んでボヨボヨにエコーかかって、キンキンにフィードバックするという、ギターの”更にやかましい音”というのが生まれました。

で、ガレージバンドってのは面白いなぁと思うのは、曲はビートルズやストーンズなどのUKサウンドに影響を受けたポップなやつなのに、サウンドがところどころおかしい、いや、モノによっては明らかにぶっ飛んでいて、50年前の音楽のくせに、いちいち聴く側の常識とかそういうもんに、助走付きで揺さぶりをかけてくる。

古いとか新しいとかじゃあないんですね、このはみ出し感、破れかぶれ感に「あぁパンクだなぁ、どうしようもねぇなぁ」という”粋”を感じてしまうんです。

ガレージバンドというのは、そんな感じの、価値観が根本から何かおかしい、アメリカンロックの偉大なるアマチュアリズムの集大成なんです。

というのも、このすぐ後にアメリカでも”ロック”というものがちゃんと形になってきて、クオリティの高いものがどんどん出てきてそれらがシーンの潮流を決定付けてゆく訳で、ガレージはあくまで「ロックの連中の下積みの頃やってた音楽」みたいになって徐々に消えてゆくんですね。或いはアンダーグラウンドなサイケシーンの底流に潜伏して、パンクロックの登場まで息を潜めていた。

だもんで”ガレージロックのバンド”と言っても、ロックの表舞台で派手に活躍したバンドはほとんどおりません。超絶無名な、ほとんど一発屋みたいなバンドの、まー気持ちいいぐらいのオンパレードです。

後にイギリスや日本のコレクターが「アメリカのガレージは面白い」と注目して、7インチレコードの値段がすごいプレミアになったりとか、そういう売れ方をしたんですがちょっと待って、そんなマニアックなところだけにこの素晴らしくパンクで実に分かり易くノれる音楽を仕舞い込んでいていいのだろうか?と、アタシはいつも思うんですね。





【収録曲/アーティスト】
1.I Had Too Much To Dream (Last Night)/The Electric Prunes
2.Dirty Water/The Standells
3.Night Time/The Strangeloves
4.Lies/The Knickerbockers
5.Respect/The Vagrants
6.A Public Execution/Mouse
7.No Time Like The Right Time/The Blues Project
8.Oh Yeah/The Shadows Of Knight
9.Pushin'Too Hard/The Seeds
10.Moulty/The Barbarians
11.Don't Look Back/The Remains
12.An Invitation To Cry/The Magicians
13.Liar,Liar/The Castaways
14.You've Gonna Miss Me/The Thirteenth Floor Elevators
15.Psychotic Reaction/Count Five
16.Hey Joe/The Leaves
17.Romeo&Juliet/Michael&The Messengers
18.Sugar And Spice/The Cryan Shames
19.Baby Please Don't Go/The Amboy Dukes
20.Tobacco Road/Blues Magoos
21.Let's Talk About Girls/Chocolate Watch Band
22.Sit Down,I Think I Love You/The Mojo Men
23.Run,Run,Run/The Third Rail
24.My World Fell Down/Sagittarius
25.Open My Eyes/Nazz
26.Farmer John/The Premiers
27.It's-A-Happening/The Magic Mushrooms


だもんで皆さん、ロックが好き、エレキギターのジャーン!が理屈抜きで好きなら、その源流にしていっちばん濃いのがいっぱい詰まっているガレージを聴きましょう。

1972年に編集され、世に出された「ガレージコンピのパラダイス」ともいえる”ナゲッツ”!

これはもう、これ聴けばガレージのオイシイところは大体聴けるっつう最高なコンピなんですよ。

パティ・スミスのバックでギターを弾いていたレニー・ケイという、ロックを心から愛しているいい男が、好きなバンドを集めたオリジナル・カセットを元にして、エレクトラ・レコードというメジャーな会社から、気合いの入ったLP2枚組で出したけど、実はあんまり売れなくて、1976年にふたたびジャケットやら何やらリニューアルして出したけど、これもあんま売れなくて、めげずに96年だったかな?CD4枚組のボックスにしたら、当時日本ではギターウルフとかミッシェルガン・エレファントとかのおかげでサイケやガレージなんかのルーツ・ロックに興味を持つ若い人(はぁいアタシです♪)が結構飛びついて、やっとこさ「これはヤバイ!」と正当な評価を得るに至り、その後のロック系コンピや、インディーパンクのプロモーションなんかにも、実は多大な影響を与えたという、素敵すぎるアルバムの、オリジナル仕様での復刻盤です。

ここに収録されてるのは、どのバンドも見事に60年代の一瞬を若さと勢いだけで突っ走り、消えていったバンド達。でも、そういったバンドならではの、全然作為とかのないピュアな音楽が聴けます。



(お試しでThe leavesの”Hey joe”。ザ・バーズ、ジミ・ヘンドリックスでおなじみのロック・クラシックスですが、もうね、この何も考えてない感が最高なんです)


The Shadows Of Knightの「Oh Yeah」とか、The Amboy Dukesの「Baby Please Don't Go」この辺はブルース・クラシックなんですが、全然深く渋くやろうとしていないドッカーンな感じがたまらんです。The Amboy Dukesはアメリカン・ハードロックの大物、テッド・ニュージェントが地元デトロイトで結成した最初のバンドなんですが、のっけからハウリングがコーーーーン!と言ってる捨て鉢な音で、もうアレですね、野人ですね。テッドは今も変わらんですね。

大体が「曲はポップで音はイカレて」という、実に気持ち良いぐらいのネジの飛び具合なんですが、演奏力の高い実力派として、Blues Magoosの「Tobacco Road」こっちは歪んだギターとサイケなオルガンに不思議な安定感があって、途中から変拍子でガンガン攻める、実に渋いアレンジとかあったりします。

色んな意味ではみ出して破れた、そんな青春の古傷みたいなガレージ・バンドの音楽。テクノロジーが進化した今現在の音と見事に対極なんですが、単なるアンティークじゃあないですね。いつまでもアツくてイカレてる、本当にパンクな音楽です。







『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2017年10月20日

ローウェル・フルスン ハング・ダウン・ヘッド

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ローウェル・フルスン/ハング・ダウン・ヘッド
(Chess/ユニバーサル)


アタシはブルースが大好きで、幸いアタシの周囲の音楽好きの仲間もブルースが好きですので、ブルースのある生活、もとい、ブルースが日常的に流れてる生活というものが当たり前なのですが、果たして世間一般からブルースという音楽は、どのように見られているのだろうかということをよく考えます。

世間話のついでにブルースについてどう思うかということを、街のおねーちゃんやおじちゃん達にさり気なく訊いてみますと。

「何か渋いよね」

「んー、わかんないけどー、”男!”みたいな」

「あんま聞かんけどね、何か気軽に手ェ出しちゃいかんような気がする」

「毛深そう」

・・・ん、まぁいろいろですが、これらの意見を要約してみると、ブルースという音楽は

『頑固親父がやっているこだわりのラーメン屋』

なのではないかという仮説が成り立ちます。


元々ラーメンというのは、安い値段で気軽に食える、庶民の味でありました。

ブルースですね。

ほんで、その味については、関東は醤油、九州はとんこつ、北海道は味噌など、地域によってベースとなるスープが大きく違っていたりします。

いいですね、ブルースです。

90年代半ば以降ですかね、とんこつラーメンの濃厚な味わいが、東京に住んでいる人達の好みに合い出してきて

「とんこつギトギトで、ニンニクがっつりで、背脂タップリ」

のようなお店が都心にたくさん出来てきて、若い店主達が個性を競い合い、ラーメンもどんどん派手で刺激の強い食べ物になってきたなぁというのが正直な感想です。

これはブルースがファンクとかソウルの土台になって、どんどん派手に進化していったのと似ています。

ほんで「こだわりの店」とかいうのが出てきました。

お店に何だかごっつい筆文字で書いた「感謝!」みたいなメッセージとか、「あれ禁止これ禁止」みたいなルールが書いてあったりとか、そういう、いわば飲食店というより道場みたいな店も増えてきたんだよと、都会に住んでる友人は云います。

で、お前さんどうだい?そういうお店でラーメン食うのかい?

いやぁ、あそこまで行っちゃうともうね、オレらみてぇなシロートや女子供にゃあ用はねぇって感じですよ。毎日ラーメン食べてそうな連中がカウンターで必死の形相してだまーって食ってやがるんです。昔みてぇにちょいと腹減ったからラーメンでも食おうかなんて気楽に入っちまうと怒られそうで、最近は遠慮してますねぇ。

しかしアレだねぇ、オレらなんかおめぇ九州の離島の街っ子だから、とんこつラーメンなんて当たり前で。でもどうだろうねぇ、昔は名瀬のラーメンつったら味竹とか菊水とかだったけど、言うほどこってりしてなくて、ちょうどいい味だったよねぇ。

そこなんですよ、オレらとんこつラーメン文化圏のヤツから言わせてもらうと、都会のとんこつラーメンってのはどうも濃すぎて、何でもドバドバ入れりゃいいみたいな、そういうところがあって・・・まぁ、全部が全部じゃあないんでしょうけど、オレぁそいつについて行けねぇんです。普通のラーメン食わせてくれよって思いますねぇ。


・・・なんて会話が延々交わされそうなので、ここら辺で切っておきます(汗

まぁその、ブルースをラーメンにたとえますと、恐らくは「味が派手になる前の九州とんこつラーメン」なんじゃないかということを言いたいんですね。

ブルースに影響を受けた音楽も、1980年代以降になると、ベテランとか大御所とかいう人達がそろそろ出てきて、じゃあそんな凄い人達が愛しく語る「ブルース」ってのは、何というかもっと凄いんじゃあないかと。うへぇ、聴いてみたいけどそんなそんな・・・、とっても恐れ多いというか何というか・・・。

と、高いところに持ち上げられて敬遠されてきた感もあるんじゃないかと思います。

でも、ブルース。特にエレキギターを使ったバンドスタイルのそれが形になった1950年代のものを聴いてみると「これよこれ、食べて安心出来る昔ながらのとんこつラーメンだよ!」という味わいのものが実に多く、たとえばドライブとか、家事をしながらのBGMなんかにはピッタリのものが意外に多いんですよ。

そんなわけでブルース界の「元祖とんこつラーメン」といえば、まさしく1950年代のローウェル・フルスン御大であります。

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フルスン御大は、そのどこまでも武骨で辛口なヴォーカルとギターの魅力もさることながら、何といっても表現全体から溢れてくる男の哀愁が、そのまんまブルースを体現しておる人で、超絶有名なスターではないけれども、源流であるテキサス・ブルースのコアな部分の伝道者であり、B.B.キングをはじめ、その後のモダン・ブルースにはとてつもない影響を与えている、ブルースを語るにはやはり外せない人で、だからアタシは目一杯の敬意を込めて”御大”と呼んでおります。

1921年オクラホマ州タルサ生まれで、少年時代は戦前テキサス・ブルースの創始者の一人であるテキサス・アレクサンダーの伴奏を務めるなど、早くから頭角を現しますが、やはり戦後60年代後半に、ファンキーな要素を大々的に取り入れた『トランプ』でブレイクしてからの活躍が、ファンには知られております。

つまり遅咲きの人であるんですが、最初に小ヒットを飛ばしたのは1950年代。その頃シカゴにあったシカゴ・ブルースの総本山的なレーベル”チェス”にてシングルを出していた頃の演奏を熱心に聴いていたB.B.キングによって「あの人はブルースの眠れる巨人だよ」と言わしめたのが、フルスン御大復活のきっかけでありましょう。




【収録曲】
1.ザッツ・オール・ライト
2.アイ・スティル・ラヴ・ユー、ベイビー
3.リコンシダー・ベイビー
4.アイ・ウォント・トゥ・ノウ
5.ロウ・ソサエティ
6.チェック・ユアセルフ
7.イッツ・ユア・オウン・フォルト
8.ドゥ・ミー・ライト
9.トラブル、トラブル
10.ハング・ダウン・ヘッド
11.トウリン・ベルズ
12.ドント・ドライヴ・ミー・ベイビー
13.ブルー・シャドウズ


という訳で、フルスン御大初期の集大成、チェスのシングル・コレクションとも言える名盤の「ハング・ダウン・ヘッド」であります。

このアルバムは凄くいいんですよ。

実はブルースには

・ミシシッピ→メンフィスとかいろいろ通ってシカゴ

という流れと

・テキサスから西海岸

というざっくりな二大流派がございまして、フルスンはテキサスから西海岸な流れの人なんですね。

でも、何でそんな人がとことんシカゴ・ブルースなチェスかといいますと、えぇ”たまたま”です。

地元シカゴのブルースマンばかりでなく、洗練されたゴージャスなスタイルの西海岸ブルースも手掛けてヒットを出したかったチェスがたまたま見つけたのが、当時「スリー・オクロック・ブルース」や「エヴリデイ・アイ・ハブ・ザ・ブルース」というヒット曲を出していたフルスン御大で

「えぇと、別に西海岸にいてもいいから、ウチからレコード出してくれないか?」

「うん、いいんじゃね?」

ぐらいのノリで決まったらしいです。

フルスン御大はスケールがデカいから、地域性やスタイルの違いなんて全く気にしません。

レコーディング・スタッフに西海岸に来てもらって、そのまんまシングル用の曲をちょこちょことレコーディングさせているんですね。

だから、このアルバムは1955年から1961年までの割と長い期間の曲が集められておりますが、録音のほとんどは西海岸で、フルスンのレギュラーバンドをバックに演奏された曲なので、シカゴブルースのような強烈な泥臭さはありません。むしろ西海岸流儀の洗練されたジャズィなバックの上で、ひたすら硬派で辛口な唄とギターのコアを剥き出しにシャウトするフルスン御大が聴けるって寸法です。

ブルースはパンクだと思っているアタシ、ブルースに”渋い”という形容はなるべく使わないで、皆さんにはそのフリーダムでアナーキーな魅力を楽しんでもらおうと思ってブログも書いておりますが、コレに関しては例外的に



渋い!!



と、声を大にして言わせていただきます。

いやぁ、渋いんですよ。もうね、むせび泣く男の哀愁が、最初から最後までじわ〜んと物凄い量沁み出ているし、物凄い勢いで空間を侵食しますよこれ。

特にこの時期の大ヒットであり、タイトル曲になった「リコシンダー・ベイビー」の、不器用だけど言葉より語るものに溢れたギター弾き倒しと、感情をクッと押し殺したヴォーカルの味わいは、ブルース知らない人が聴いても「これがブルースだ」と言わしめる強烈なカッコ良さに溢れております。

また、フルスンのゴツゴツした声やギターを絶妙に引き立てるバックの演奏が秀逸です。パシッと心地良く決まる乾いたリズム、ピアノにホーン、曲によってはヴィブラフォンまで入ったジャズ寄りと思わせて、実はしっかりと地に足の付いた、そう、テキサス・ブルース特有の”乾いた質感”が滲みまくるアレンジ。1950年代に若きB.B.キングが熱心に聴いてバンド・アンサンブルのお手本にしたサウンドです。

フルスンにしては珍しい、チェス・レコード唯一のアルバムではありますが、リリースされたのが1970年と、丁度日本で最初にブルースのレコードが聴かれるようになった時期と重なって、このアルバムは当時の多くのブルース・ファンにとって「原点の一枚」になったと言います。

CDの時代になって、フルスンの60年代以降のアルバムが次々リリースされ、その中には代表作と呼べるクオリティの名盤もたくさんありましたが「やっぱりフルスンはコレだよな♪」と、今なお多くの人に愛されております。

やっぱりこのアルバムは昔ながらのシンプルなとんこつラーメンだと、そのじんわりと辛口の沁みる味わいに舌鼓を打ちながらしみじみと・・・。





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”ブルース入門編 〜初心者のための優しいブルース講座〜”


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2017年10月17日

ベニー・ゴルソン グルーヴィン・ウィズ・ゴルソン

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ベニー・ゴルソン/グルーヴィン・ウィズ・ゴルソン
(Prestige/ユニバーサル)

え〜、世の中には「ジャズが好き」という方が結構いらっしゃいます。

で、そういう人達というのは、ほとんどが大人になってから

「何か家で落ち着いて聴ける音楽がいいなと思ってたらジャズが良かったんだよね」

と、何となくジャズの”イイネ”に気付いた方がほとんどです。

これはとっても素晴らしいことだと思うんですよね。

若い頃は流行の音楽を夢中で追っかけたり、刺激が欲しくてライヴやフェスなんかに行くでしょう。

でも、大人になって気付けば仕事に追われ、結婚したら家庭が最優先になって、すっかり「音楽を聴く生活」から離れてしまう。

そんな時、名前も曲名も知らないけど「何となく耳に入ってきた音楽が素晴らしかった」これ、本当は一番理想の音楽との出会いとか再会だと思うんですよね。

そうして「ジャズを好きになる人」が出てくると、今度はミュージシャンの名前とか、どんな感じの曲が好きなのか、少しづつ知ってくるようになるんです。

大体の人が、最初に出会うジャズ・ミュージシャンというのが、いわゆる”ジャズ・ジャイアント”という人達だと思います。

マイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーン、ビル・エヴァンス、アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズ、ソニー・ロリンズ、バド・パウエル、チャーリー・パーカー、セロニアス・モンク。

或いはハービー・ハンコック、チック・コリア、キース・ジャレット、ジャコ・パストリアスなどなど・・・。

この人達は、ジャズの中でもズバ抜けて大きな足跡を残した人達で、録音された音源も、何というかズバ抜けてカッコイイことをやっております。

で、ここからが大事なんです。

実は、ジャズを「あ、何かよくわかんないけどかっこいい音楽だよね」という雰囲気、そう、名前を知らずとも、曲を知らずとも、多くの人をジャズという素晴らしい音楽に惹きつけてくれる、あの暖かくて優しくて、ちょっぴりニヒルでワルな独特の雰囲気。

これを醸し出している「そんなに有名じゃないけどいい感じの人達」というのがジャズにはいっぱいいて、実はこの人達の演奏というのが、ジャズを聴く人達を

「ジャズが好き」

から

「ジャズいいよね〜、たまんなく好き〜」

にアゲてくれる演奏だったりするんです。

はい、ちょっと訳がわからんですよね。

つまり「超一流シェフの作る高級料理」が、さっき挙げたジャズ・ジャイアンツ達の一世一代の名演や名盤なら、「近所のたまんなく好きなカフェとかレストランの美味しい料理」を作る、ジャズマン達というのがおるんですね。

当ブログの”ジャズ”のカテゴリでは、そういった超有名ではないけれども、その人ならはの飽きない味を持つミュージシャンの作品を、できるだけ多く紹介しております。

えぇ、高級料理の味わいは格別だけれども「私だけのお気に入り」ってやっぱり近所の「ここのお店好きなんだよね、落ち着くんだよね」っていうお店のごちそうだったりするんですよ。

で、今日は皆さんに、アタシの”近所のごちそう”をご紹介します。

ジャズ、テナー・サックス奏者のベニー・ゴルソンといえば、1950年代から60年代のモダン・ジャズ(ハード・バップ)全盛の頃に活躍した人で、テナー、トランペット、トロンボーンによる必殺”ゴルソン・ハーモニー”っていうキメのフレーズで世のジャズ好きをして大いに「イェ〜イ♪」と言わしめた人です。

一番有名な例を挙げますと、アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズの代表曲であり、最近はNHK「美の壺」のテーマ(?)としてお茶の間でも有名過ぎるほど有名な「モーニン」。

アレの冒頭の「タッタターラララタッツター♪」というメロディのアレンジは、このゴルソンの手によるものです。

他にもこの人のアレンジした曲で、ジャズ詳しくない人でも「お、それ聴いたことあるぞ」な名曲名演はいっぱいあるのですが、ひとつひとつを挙げるとキリがありませんので今日は

「美の壺のあの曲のアレンジはベニー・ゴルソンなんだな」

ということだけ、何となく頭の片隅にでも置いてやってください。

とにかくこの人は、表に立って華やかなスポットを浴びるスターというよりも、アレンジャーや作曲家としての裏方としてのいい仕事が有名なんです。

でも、実はアタシ、この人のまろやかな渋味に満ちたテナー・サックスこそ、ジャズを好きになって「あ、これは何かたまんなく好きな部類のスタイルだ」と、こよなく愛しておるんです。

この人のテナー・サックスは、太くゆったりした音で、とにかく「ズズズズ・・・・」という吐息の混ざった音(サブトーンといいます)が心地良く暖かい。

で、多分サックス奏者として過小評価されているポイントはここだと思うんですが、どちらかというと速いテンポの曲でテクニカルなフレーズでグイグイ前に出るのよりも、ちょいとテンポを落としたブルージーな楽曲で、その太く豊かなトーンを活かした噛み締めるようなプレイにそこはかとない味わいの妙がある人なんですよ。

この人の「ぼへぼへぼへ〜」というテナーの音が出てきたら、どんな演奏でもいい感じにダウナーで、ちょっと影のある”大人のジャズ”になってしまう。

時代の先端を行く革新性も、天才的なアドリブの煌めきもないけれども、その噛み締めるワン・フレーズからジワッと沁みる男の哀愁や優しさの、何とカッコイイことだろう。テクニカルでは決してない、でもその音やちょっとしたフレーズの味わいには、誰にも真似できない豊かな響きとコクに溢れているのです。





【パーソネル】
ベニー・ゴルソン(ts)
カーティス・フラー(tb)
レイ・ブライアント(p)
ポール・チェンバース(b)
アート・ブレイキー(ds)

【収録曲】
1.マイ・ブルース・ハウス
2.ドラムブギー
3.時さえ忘れて
4.ザ・ストローラー
5.イエスタデイズ

そんなゴルソンの、テナー吹きとしての魅力を味わいたいならコレ!なアルバムが『グルーヴィン・ウィズ・ゴルソン』であります。

アレンジャーとしての得意分野は3管以上のちょっと大きめの編成ですが、ここでホーンを担当するのは本人とトロンボーンのカーティス・フラーのみ。で、バックはレイ・ブライアントのブルース職人ピアノと、ポール・チェンバース、アート・ブレイキーの超絶一流リズム隊であります。

ジャズの2管編成っていったら、普通はサックスとトランペットなんですよね。でも、ここでは高音担当のトランペットではなく、あえてミドル音域のトロンボーンを持ってきているところがヒジョーに重要なところなんですね。

カーティス・フラーのトロンボーン、アタシは”まろみ”って言ってますが、何とも人なつっこい味があるんです。

トロンボーンという楽器は、ボタンが付いてなくて、横についているハンドルをスライドさせることで音程をコントロールするんですけど、これがなかなかに難しくて(何人か例外的なテクニシャンはいますが)大体音がスパッと繋がらずにボホホンとした感じになってしまう。でもこれがジャズだと大変にそれっぽい泥臭い雰囲気が出てカッコイイんです。で、カーティス・フラーは、その”雰囲気”の塊のような音を出す人です。

この”まろみ”と、ゴルソンの中〜低音域を中心とした、男らしく実に渋いテナーの音色が、もうほんと絶妙であります。

どっちもまろやかな感じになるんだったら、機動力の高いサックスの方が高音使ってエッジの効いたフレーズを使った方が演奏にメリハリが付くと思うところなんですが、あえてそっちに行かず「どっちも溶け合って気持ちいい」演奏にしっかり軸足を置いてブレない、曲もスピーディーなものは極力使わずに、ミディアム以下のブルースやバラードでまとめているところも流石です。そしてこういうミディアム・テンポの曲にこそ、聴く人を飽きさせない、尽きせぬブルースの美味しさがギュッと詰まっていることを、ゴルソンはちゃーんと分かっています。

そしてバックの中心になっているドラムのアート・ブレイキー。

似たようなキャラの溶け合う音色とフレージングで仲良くソロを交換しているフロントを、どっしり支えつつ、ポール・チェンバースとガンガン煽るスタイルで、演奏を単調なものにしません。

「似たような曲ばかりで飽きるかな」と思わせておいて、それぞれの曲の持ち味、ゴルソン、フラー、そしてレイ・ブライアントとそれぞれ職人タイプながら微妙に違う個性が一瞬光った時を漏らさずにオカズを加えるドラミングは、これも真似しようと思って出来るものではありませんね。

アルバムで最高に「イェ〜イ」となるのが4曲目「ザ・ストローラー」です。

この曲だけややアップ・テンポでノリノリなんですが、ここでのゴルソンは凄いですよ。ズ太い音でゴリゴり吹きまくって「いや、ゴルソン本気出したら凄いじゃん!」と、思わせる勢いがあります。そんなゴルソンゴルソン言われても、何か全然ピンとこんという人は、この曲だけ聴いてもらってもいいです。この音、このズッシリとした加速、この渋さ、これがジャズ・テナーです!


サックス奏者としての確かな実力は持っているんだけど、それより何より曲やバンド全体のアレンジを聴かせるために、普段は一歩引いて共演者を立てているゴルソンが、純粋なプレイヤーとして遠慮なく吹いていて、その愚直な力強さにはジャズの良心みたいなものを感じて止みません。

もし「ジャズ聴きたいけど、やっぱり最初は有名な人のアルバムを買わなきゃダメ?」と悩んでる方がいらっしゃいましたらそんなことは全然ないですよ。有名じゃないけど、こういういい感じの飽きないものもいっぱいありますよ〜。と。







『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2017年10月14日

ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォース

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ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォース/Ginger Baker's Air Force
(Lemon)

1960年代後半から70年代初頭という時代の音楽というのは、本当に面白くて、何が面白いかって、この時代は全盛を極めていたロックが「もっと誰もやってないことを!」と、ジャズやファンクなど、ちょっと違うジャンルの音楽を取り込んで、個性的なバンドや面白いアプローチをするミュージシャンの百花繚乱状態だったんです。

で、更に面白いのは、そういうロックサイドの動きに敏感に反応したジャズやソウル界隈のミュージシャン達が「何だよ、オレらにも出来るんだぜぇ」と、次々と電気楽器を導入した大胆な”脱ジャズ”のスタイルでライヴをかましたり、作品をリリースしたことによって、互いに刺激し合う環境が整い、更に刺激に溢れたカッコイイ音楽、意表を突くジャンルレスな音楽が次々に生み出された。このフリーダムに尽きます。

特にロックとジャズを掛け合わせた「ジャズロック」というのが、この時期ぼちぼち出てくるんです。

今日はそんなジャズ・ロックの名作アルバムを紹介しますね。はい、ジンジャー・ベイカーが1969年に結成した大所帯バンド”ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォース”のデビュー作にして、凄まじい熱気に満ちた最高にかっこいいライヴ・アルバムです。

さて皆さん、ジンジャー・ベイカーといえばほとんどの人が「クリームのドラマーだよね」と答えるかも知れません。や、かも知れませんじゃなくて、音楽好きの人なら、十割方九割はそう答えるでしょう。はい、クリームのジンジャー・ベイカーであります。

クリーム時代はジンジャー・ベイカー(ベース、ヴォーカル)、エリック・クラプトン(ギター)と組んだ力強いトリオ・サウンドを「バシッ!」「ダカドコドコ!」と、パワフルに打ち鳴らされる硬派なドラミングで支えておりましたジンジャー・ベイカー。

そのワイルドなドラム・スタイルと直結で結びつく毒舌&偏屈なキャラクターも何というか実に正直で憎めない人であります。そう、ジンジャー・ベイカーの愛すべきところは、ドラムも人格も、全て動物的直観で成り立ってるかのような、その野人ぶりでありましょう。

そんなジンジャーの野人ぶりは、クリーム解散後に、実は遺憾なく発揮されます。

我の強いメンバーで結成されたクリームは、元より結成前から険悪だったジンジャーとジャック・ブルースの間で度々トラブルが起きておりました。

結局終始行動を共にする中でジンジャーとジャックの不仲の溝は埋まるどころか修復不能な状態になってクリームは解散。ジャックが出て行く形でジンジャーとクラプトンは、かねてより親交のあったスティーヴ・ウィンウッド(トラフィック、元スペンサー・デイヴィス・グループ)、リック・グレッチ(ファミリー)らとブルース・ロック・バンド”ブラインド・フェイス”を結成しましたが、このバンドは多くのファンにとっては「クリームの後継ブルースロック・バンド」としか捉えてもらえず、また、オリジナル曲も少なかったので、ライヴでは求められるままにクリームやトラフィックのナンバーをやっていたといいます。

結局クラプトンが、クリーム時代の残滓を背負うのに疲れ、このスーパーユニットはたった半年で終わってしまうのです。

でも、ここで終わらかなかったのがジンジャーなんです。

「ジンジャーどうしよう。エリックがやめるってさ」

「何かもう疲れたとか言ってたんだよな、アイツ大丈夫かな・・・」

「あぁ、エリックはしょうがねぇよ。クリームん時からジャックのワガママで相当参ってたからな(←注:お前が言うな)。あぁしょうがねぇ。じゃあ俺たちでやるしかねぇんじゃねぇか?俺は正直お前らとはもっと演奏したいからどうだ、もうこの際だから新しいバンド組んでよぉ・・・。あ、ちょっと待て、実は俺ァ前からあっためてきたアイディアがあったんだ。いいか、これからはありきたりのブルースやってても、客に飽きられるだけだし、まぁオレらやお前らのトラフィックなんかに影響受けただけの大したことねぇヤツらばっかりだが、ブルースロックのバンドなんか履いて捨てるほどいやがる。だからな、ヒッヒッ、時代はジャズだよ」

「ジャズだって!?いいねぇ」

「やりたかったんだよ、エリックの家でも何度かセッションしたぜぇ」

「よーし、そうなりゃ話は早い。バンド名は”ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォース・ワン”で決定な。それと、お前らだけじゃ心細いと思うから、俺がジャズにも対応できる新しいメンバーを連れてきてやる」

と、待ってましたとばかりにイニシアチブを握りまくってゴキゲンなジンジャーによって、1969年「ロックのヤツらがジャズをやるイカしたバンド」が結成されました。

奇しくもマイルス・デイヴィスが問題作とされたエレクトリック・ジャズの名盤「ビッチェズ・ブリュー」を世に出したのと同じ年の出来事であります。




【収録曲】
1.Man
2.Early in the Morning
3.Don't Care
4.Toad
5.Aiko Biaye
6.Man of Constant Sorrow
7.Do What You Like
8.Doin' It

さあ、ジンジャー・ベイカーが気合いを入れて前からずーーーーっとやりたかった自分が好き放題できるバンドでジャズをコンセプトに結成したバンドのファースト・アルバム!総勢10名でサックス、パーカッションも入ったちょっとしたオーケストラ編成であります。

ジンジャーはワイルドだから、スタジオでちまちまなんかやりません。何とこれ、ライヴアルバムなんですよ。

ザッとメンバーを書いてみますと


ジンジャー・ベイカー(ds)
スティーヴ・ウィンウッド(vo,key)


この2人は言うまでもなくブラインド・フェイスからそのまんまの残留組で、ムーディー・ブルースから

デニー・レイン(g,vo)

が加入。

ブルース・ロック界隈の重鎮であるリック・グレッチ(b,vln)に


ホーン隊は

グラハム・ボンド・オーガニゼイションのグラハム・ボンド(as)、トラフィックからクリス・ウッド(ts,fl)ドノヴァンやブロッサム・ディアリーなどのバックも務め、後にオーネット・コールマンなどと共演を果たすジャズ・ミュージシャンのハロルド・マクネア(ts,fl)です。


ヴォーカルには”ドクター・ジョン”の紅一点で、リック・グレッチの奥さんになるジネット・ジェイコブス(vo)更にジンジャーの師匠であり、イギリスジャズ界ではベテランとして尊敬されていたフィル・シーメン(ds)、そして何気にこのアルバムで大きな存在なのがナイジェリア人のパーカッショニスト、レミ・カバカ
であります。

ザッと名前を並べても、純粋に”ジャズ”のフィールドと言えるのは、ハロルド・マクネアとフィル・シーメンで、どんなジャズ・サウンドなんだろうと、嫌が上にも想像が膨らみます。

で、やはりそのサウンドは、ジンジャーの縦の構えからズバッ!ズドン!とタイトに決まるドラミングを中心とした、ロック色の極めて濃いサウンドに仕上がっており、ありきたりの4ビートでお茶を濁した音にはなっておりません。

ホーン・セクションもアンサンブルを奏でるというよりは、長い楽曲の中でそれぞれが自由に即興演奏を楽しんでいるという感じ。ヴォーカルもメインで歌モノをするのではなしに、絶妙なコーラス・ワークで全体の流れの中に良い意味でアクセントになっており、つまりは「ロックのノリを大事にしつつ、その幅をグッと拡げるために即興度の高い楽曲と、ジャズやファンクのエッセンスをちりばめた」と言うべきか、ジャズの人達がロックの要素を取り入れた”ジャズ・ロック”ともまた一味違った、ザックリしたノリとグルーヴを、構えることなく自由に楽しめるという意味において、熱気とユルさのバランスが実に素晴らしく混ざり合っております。

で、後半にモロなアフロ・ポップなノリでグイグイテンションを挙げるレミ・カバカの素敵な煽りに満ちたナイジェリア語のヴォーカルとパーカッション(!)ジンジャーは実はナイジェリアの大物、フェラ・クティと親交があって、共演作も出すんですが、アフロ・グルーヴの中であくまで縦のへヴィなビートを繰り出すジンジャーのドラム、これが見事にアルバムのハイライトになっております。

いわゆるジャズの人達が演奏する”ジャズロック”の粘ったノリとはまた違う、ロック的混沌に溢れ返ったゴッタ煮の楽しさ、それはつまりこの1960年代末から70年代の音楽そのものの”誰が何をしでかすかわからないワクワク”をそのまんま荒削りに詰め込んだものでもあります。





『音のソムリエ 高良俊礼の音楽コラム』

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2017年10月11日

ペドロ・サントス クリシュナンダ

6.jpg
ペドロ・サントス/クリシュナンダ
(CBS/Mr.Bongo)

で、10月になって10日以上が経過しておるんですが、相変わらず汗ばむ陽気が、ここ奄美では続いております。

まーなんだかねー、こんなクソ暑いのに選挙まで始まったんじゃあうるさいし暑苦しいことこの上なくてたまんないよねー。

とかいうのが、街で会う友人知人らとの共通の挨拶のようにもなっております。

あぁ、ほんともう・・・。

と、暗くなってもしょうがないので、どうせだからまだ何となくほにょほにょしてる、この夏っぽい空気を楽しむ方向に持っていきましょう。

ブログでは久々のブラジル音楽です。

ブラジルといえば、ボサ・ノヴァが圧倒的人気を誇る昨今ですが、ボサ・ノヴァが誕生した1960年代というのは、ブラジル音楽全般でも、あらゆるところで様々な新しいサウンドが生まれ、面白い作品がたくさん残されているんです。

ボサ・ノヴァを生み出したブラジル音楽といえばやはりサンバ、そしてヨーロッパ音楽のルーツを色濃く残すショーロでありますが、そのサンバから、よりポップで活きのいいビートを強調した音楽としてMPBというのが生まれました。

1960年代、ブラジルの若者達は、洒落たバーやカフェでボサノヴァを楽しみ、更にもっと砕けたカジュアルな遊び場で、最新のMPBに合わせて踊るライフスタイルを謳歌しておりましたが、1964年にクーデターによる軍事政権が誕生し、歌詞にちょっとでも反体制的と見られるものがあったら発売禁止や投獄など
厳しい弾圧を行い、そのためボサ・ノヴァの主だった歌手や作曲家は、次々に海外へ亡命、特にアメリカへ渡った人が多く、ボサ・ノヴァは本国を離れて、アメリカでブームが起きて、やがてそれが世界的な流行へと拡大していった訳なんですね。

で、本国に残されたミュージシャン達はどうしたか?

彼らは

「おい、うっかり政府批判みたいなこと歌ったりしたらえらいこっちゃで、でも楽しみたいからノーテンキな音楽やるんやで」

と、サンバの繊細な悲壮感やボサ・ノヴァのメッセージ性をなるべく思い出させないような、イギリスやアメリカのロックなどに影響を受けた、メッセージも何もない、ただ「踊ろうぜ!楽しもうぜ!」(暴動を連想させる「騒ごうぜ」はアウト)と、ひたすら快楽的な音楽をやるようになったんですね。

この中から徐々にアメリカのサイケデリック・サウンドに影響された連中が、快楽的なサウンドに土着的な要素やサウンドコラージュなどのエフェクト音をまぜこぜにした音楽をやるようになり、これが「ブラジリアン・サイケ」として、後年愛好家やコレクターの間でカルトな人気を得るようになるんですが、その頃は軍事政権が厳しく音楽家の出入りを禁じていましたものですから、このテの音楽はリアルタイムでは外に流れず、主に国内だけで消費されて盛り上がっておったのです。

え?じゃあなんでアメリカやイギリスの音楽はブラジルでガンガン流行ったの?って?そこはほれ、あんまり大きな声では言えませんが、軍事独裁政権というのは、当時世界的な流行だった左翼革命政権とか、考え方が社会主義に近い政府が南米に出てくることに危機感を持ったアメリカがこっそり支援してたからなんですよ。

はい、大人の事情わかりました?というわけで、今日はそんな”ブラジリアン・サイケ”の面白いアルバムを皆さんにご紹介いたしましょう。




【収録曲】
1.Ritual Negro
2.Ague Viva
3.Um So
4.Sem Sombra
5.Savana
6.Advertencia
7.Quem Sou Eu?
8.Flor De Lotus
9.Dentro Da Selva
10.Desengano Da Vista
11.Dual
12.Arabindu


パーカッション奏者、ペドロ・サントスによる、1968年リリースの、これは何といえばいいのか、トロピカルに打ち鳴らされるパーカッション、B級映画のサントラのような、壮大なのかチープなのかよくわかんない、ゴージャスなホーン・セクションが入ったファンクっぽい音楽なのかなーと思ったら、妙ちきちんなアナログシンセによる効果音に、必殺仕事人の音楽みたいなエレキギター、テープの回転数をいじって作られた、空間系ならぬ”空間歪み系”のエフェクトの数々・・・。

さながらこれは、アマゾン川流域の、すごーい奥地にある幻のリゾートホテル(結局奥地すぎて客がこなくなって倒産した)の廃墟で行われる、原住民と原住民化したヒッピーによる、トロピカル盆踊りといったところでしょうか。

ただ、欧米のサイケはファズギターとオルガンなんかがメインですが、こちらは余りにも多様な音が絶妙に入り乱れている上に、土着の楽器や土着の臭いをふんだんに散りばめた楽曲ゆえに、サイケと意識しなくてもナチュラルにサイケな音楽になっているというところがミソなんです。

最初は「すげぇ、こんな音楽聴いたことねー!」でびっくりしますが、聴いているうちに不思議な中毒性にジワジワやられて「あひゃひゃひゃ〜、これすろくいいよえー」とか言いながら聴いてしまうようになってしまいます。

とりあえず”サイケ”つってもそんなにエグくないし激しくないし、いい感じのカフェでBGMでかかっていても、シャレたDJイベントで流れてても全然おかしくないぐらいクールですが、緩やかに効いてくるほんわかした猛毒が込められている音楽ですので、良い子はぜひ聴きましょう

それにしてもこの辺の南米サイケの音盤って、昔はCD化はもちろんされていなくて、LPはン万円もするオリジナル盤を探し回ってやっと入手できるかできないかだったのに、今はCDで聴けるし、最発盤のアナログ↓も出ております。

時代は変わりましたのぅ。。。









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2017年10月10日

スヌークス・イーグリン New Orleans Street Singer

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スヌークス・イーグリン/New Orleans Street Singer
(Smithonian Folkways)

独特のリズム感でもってソロにカッティングにと自由自在な個性を輝かせる信じられないギター・テクニックと、のほんとした声(のほほんではない)でもって、聴く人の感情にしんみりと訴える”情”の歌声。そして、ブルースからR&B、ソウル、ファンク、ジャズ、カントリー、フラメンコまで、とにかく演奏できるものならどんな音楽でも片っ端から自分のスタイルに取り込んで、そこに見事なオリジナリティを開花させてしまう、人呼んで”人間ジューク・ボックス”それがニューオーリンズの魔物、スヌークス・イーグリンなのであります。

そのキャリアは1950年代の半ばから、亡くなる2009年まで、実に50年以上にも及ぶ人ですが、アコースティック・ギターを持ってのブルース弾き語りが主だった初期と、ブルースをベースに様々な音楽をクロスオーヴァ―させた独自の幅広い音楽性が花開いた60年代以降に、音楽性は大きく分割されますが、どのスタイルでもその尋常ならざるテクニック(特にカッティングにおけるタイム感)のギターと哀愁のヴォーカルぶりは最大に発揮されており、多様性の中に一本芯の通ったものを感じさせるブルースマンです。

スヌークス・イーグリン、1936年ルイジアナ州ニューオリンズに生まれ、1歳半の時脳腫瘍と緑内障の後遺症で失明。5歳の時に父親にギターを与えられ、ラジオで聴く全ての音楽を耳コピし、11歳で地元のラジオ番組誌主催のコンテストで優勝し、10代半ばの頃には既に地元ニューオリンズではプロとしてバンド活動をしておりました(この時一緒にバンドをやっていた人として、まだ13歳だったアラン・トゥーサンがおったようです)。

ソロ・アーティストとしては1953年、17歳の時に地元の大学から、民俗学の資料としてのレコーディング以来が来ます。で、ここからが彼のソロ・アーティストとしてのキャリアはスタートするのです。

このブログでスヌークス・イーグリンを紹介するのは今日が初めてで、個人的にはその”何でもアリ芸”が円熟の境地に達した80年代後半のアルバムとかから皆さんに聴いて頂きたい気持ちもあったのですが、今日ちょいと彼の初期のアコギ弾き語りのアルバムを聴いていたら

「や、アコースティックだけど、実はこの人はこの時から何でもアリじゃないか。うん、ありきたりのブルースじゃないし、ギターを集中して聴くにも最高だ。うほ♪」

となりましたので、初期のアコースティック音源をまずはオススメとしてご紹介いたしましょう。




【収録曲】
1.Looking for a Woman
2.Walking Blues
3.Careless Love
4.Saint James Infirmary
5.High Society
6.I Got My Questionnaire
7.Let Me Go Home, Whiskey
8.Mama,Don't Tear My Clothes
9.Trouble in Mind
10.Lonesome Road
11.Helping Hand (A Thousand Miles Away from Home)
12.One Room Country Shack
13.Who's Been Foolin' You
14.Drifting Blues
15.Sophisticated Blues
16.Come Back, Baby
17.Rock Island Line
18.See See Rider
19.One Scotch, One Bourbon, One Beer
20.Mean Old World
21.Mean Old Frisco
22.Every Day I Have the Blues
23.Careless Love [2]
24.Drifting Blues [2]
25.Lonesome Road [2]


まず曲のラインナップが凄いんです。

「ハイ・ソサエティ」「聖ジェームス病院」などのオールド・ジャズ・クラシックスから「C.C.ライダー」「ロック・アイランド・ライン」など、元祖ソングスター、レッドベリーの愛唱歌、サン・ハウス、ロバート・ジョンソンでおなじみの「ウォーキング・ブルース」、ローウェル・フルスンが作り、B.B.キングが看板曲にした「エウリディ・アイ・ハブ・ザ・ブルース」、エルヴィス、リトル・ウォルターもカヴァーした、ロックンロールの味の素「ミーン・オールド・フリスコ」(アーサー”ビッグボーイ”クルーダップ)などなどなど・・・。お前アコギ一本でよくもこんなに節操のない幅広いレパートリーを集めてきたなぁと、クレジットを見るだけでクラクラします。

スヌークスは、大学のバックアップを得て、更にこのテの”アメリカ伝統音楽の録音”といえばのフォークウェイズ・レコードも本格的にレコーディングに乗り出したのを受けて、1958年から60年(つまり22歳から25歳ぐらいまでの間)に大量の弾き語り音源を残しておりますが、コチラに収録されているものは、最初にリリースされたものだそう。

つまり、このアルバムが(商業用ではないけれど)正真正銘のスヌークス・イーグリンのソロ・ミュージシャンとしてのまとまった作品として初のものなんです。

で、その中身の方はというと、もう既に後年に通じる”何でもアリ”の芸風は、恐ろしいことに完成しております・・・。

アコギ弾語りだから、全体的にのどかな感じではあるんですが、ありきたりのブルースやフォークっぽいやり方ではやっておりません。1曲目からカッティングはカリプソだし、かと思えば「ウォーキング・ブルース」は、ロバート・ジョンソンやサン・ハウスを飛び越して、まるでその頃のジョン・リー・フッカーばりのドロドロのスロー・ブルース(歌詞も違うからあの「ウォーキング・ブルース」と果たして同じ曲なんだろうかという疑問もありますが)。

圧巻なのはやはり「聖ジェームス病院」「ハイ・ソサエティ」と2曲続くジャズ・ナンバーで、前者はグッと抑揚を抑えた歌い方で、既にソウル・バラードみたいな雰囲気を(ギター1本でだぜ!?)醸しておりますし、後者に至っては、そこにロニー・ジョンソンかエディ・ラングの生き霊がおるんじゃないかと思うほどのギター・ピッカーぶりで「一体この人は何なんだ!」と、聴く人をしっかりと煙に巻いてもくれます。

例えば「エヴリデイ・アイ・ハブ・ザ・ブルース」なんか聴いておれば分かるんですが、この人は確かにジャンル幅広いし、渋さを一定に保ちつつ、万華鏡のような「一人歌謡ショーぶり」を如何なく発揮しておりますが、ただスタンダードを奇抜なアレンジでやっているのではなく、むしろトラディショナルなブルース・ナンバーは、有名なヴァージョンよりも更にディープでドロドロのブルースとして、一番コアな部分も感じさせてくれるのです。

しつこいようですが、これ、ギター弾き語りだぜ!?

と、アタシは聴く毎に思います。えぇ、今この時点で多分皆さんにはこの意味は伝わってないかと思うのですが、ブルースや古いR&B、あるいはジャズなんかが好きな人がこのアルバムを一回でも聴けば「うぇぇ、マジだ!」と、絶句すると思います。果たしてこれはブルースなのか、それとも弾き語りのR&Bなのかと、アタシ の中では未だ結論は出ませんが、すこぶる付きのグッドミュージックであることは確かです。



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2017年10月09日

アルバート・アイラー ゴーイン・ホーム

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アルバート・アイラー/ゴーイン・ホーム 〜プレイズ・スピリチュアル

(MUZAK)

秋になって、日が落ちるのが早くなってくると、いつも通っている夕方の風景が、どこか儚い憂いを帯びているように感じませんか?

そう「秋」といえば、アタシは大好きな季節なんですが、春とか夏みたいな「さぁ今日も頑張るぞー」といったワクワク感はないんです。やっぱりどこか淋しいんです。でも、その寂しさ故に音楽とか文学とか、そういったものにホロッとなる、まぁその、カッコ良くいえば詩的感情みたいなものが、心の奥底からゆっくりと顔を出しているのを感じます。

そうなってくると音楽を聴くのが、俄然楽しくなりますね。えぇ、楽しいというよりは、好きな音楽はもっと好きになったり、それまで何となく聴いていた音楽の、気付かなかった良さみたいなものに急に目覚めてハッとしたりするようになる。そういう季節が秋なんだと思います。

で、アイラーです。

アルバート・アイラーは、このブログでも、もう何度か取り上げております。

ちょっとジャズを知っている人なら「アルバート・アイラーはフリー・ジャズの代表的なサックス奏者で、とにかく過激で型破り」なんていうイメージがすぐに言葉として出てくるかも知れません。

アイラーは確かに過激です。

その過激さというのは、スタイル云々ではなく、恐らくもっと根源的な、人間の魂の奥底から湧き上ってくる衝動に、とことん忠実な過激さでありましょう。

たとえば他のフリー・ジャズのアーティストなら、モダン・ジャズという基礎をみっちりやって、それを打ち破るようなスタイルで楽曲に挑んだり、或いはそれまで習得したものを全部かなぐり捨てた、出す音そのものを無機質になるまで徹底して解体し尽くした、現代音楽のようなものであったり。

とにかく、ほとんどのミュージシャンは、それを「過激」にしようと意識して、懸命に音楽を型枠から外していこうという挑戦をやっておる。んで、演奏のどこかに冷静な意識が働いているのを見る訳です。過激にやっていようと、破壊衝動を全面に出そうと、やはり演奏というものは人に聴かせるものなので、どこかにそういった配慮みたいなものを持っているのがプロのミュージシャンなんだなぁと、アタシのような素人は思う訳なんですね。

そこへいくとアイラーの演奏、というか演奏行為には

「これをこうやって崩してみよう」

とか

「こうすればこうかな・・・」

とかいう、作為のようなものが全く感じられません。

や、いかにアイラーといえども、その超初期の頃は、有名なスタンダードをフリー・ジャズ化しようと必死で吹いておりましたし、晩年の演奏は、エレキギターや朗読なんか加えて、挙句自分ですっとんきょうな裏声を張り上げて歌も唄っておるんですが、そういうのもひっくるめて、全て”素”でやっているという感じが凄いするんです。

もっと簡単にいえば、フリーにやろうがファンキーにやろうが、R&Bのホンカーよろしくブルージーなフレーズをゴリゴリ吹こうが、テナー・サックスを持って”ブッ”と音を出す瞬間には、この人の意識はもう完全に思考とか計算とか及ばない別の領域に飛んじゃって、そこでこの世のものにあらざる精霊とかそういうものとひたすら交信をしているような、そんな図を、聴いているこっちの脳裏に深く焼き付けてくれるんですよ。

アタシはハタチそこらの頃に「最強にぶっとんだジャズ、いやこれもうパンク」としてアイラーを認識しました。今でもその認識は1ミリもブレてません。

しかし、ただ過激で刺々しい刺激だけの音楽だったら、やがて刺激に慣れてすっかり飽きてくるはずだとも思ったんですが、それは全く違いました。

アイラーの音楽には、ある特種な”やさしさ”があります。

変な話ですが、ぶっこわれたフリーク・トーンで「ギョリギョリギョリ!」と吹いても、その豊かにヴィブラートを効かせまくった音色から感じるものは、深い愛としか言えない暖かいものなんです。

そして、彼の作る楽曲もまた、フリーキーにブチ壊れた部分を脳内で上手にリミットして聴けば、童謡や唱歌なんかとちっとも変らない、シンプルで口ずさみ易い、語弊を恐れずにいえば”カワイイ”メロディーで出来ているんです。

アタシは幸いにして(?)アイラー歴2年目にしてそのことに気付きました。

で、当時の先輩とフリージャズについてアツく語りながら「いやぁ、でも何だかんだ言ってアイラーってすごく優しいですよね、そしてすごくポップ」と、うっかり知ったような顔で言ってしまったんです。

最初は

「あっはっは、そうだよなー。坂田明も”アイラーの曲を吹いてたら、段々丸くなって、最終的にはゆうやけこやけのあかとんぼのメロディーになった”とか言ってたもんなー。大熊ワタルもチンドン屋アレンジでアイラーやってて、アレがすっげぇハマッてたんだよなー」

と、笑っていましたが、急に真剣な目になり

「おぅ、そういえばアイラーが一切フリーやらねぇで、古いブルースばかりやってるアルバムがあったなぁ。アレ、オレが聴いた中で一番凄かったよ・・・」

と言って絶句しました。





【パーソネル】
アルバート・アイラー(ts.ss)
コール・コブス(p)
ヘンリー・グライムス(b)
サニー・マレイ(ds)

【収録曲】
1.ゴーイング・ホーム
2.オールマン・リヴァー
3.ダウン・バイ・ザ・リヴァーサイド
4.スウィング・ロウ、スウィート・チャリオット
5.ディープ・リヴァー
6.聖者が街にやってくる
7.誰も知らない私の悩み
8.オールマン・リヴァー(take1)
9.スウィング・ロウ、スウィート・チャリオット(take1)
10.ダウン・バイ・ザ・リヴァー・サイド(take5)


「何ですかそれ!聴いたことないっす!アイラーがフリーやってないってそんなのあったんすか!?」

と、アタシは一方的に興奮しまして、先輩に質問したんですが

・そのアルバムは「スウィング・ロウ・スウィート・スピリチュアル」といって、80年代後半にディスク・ユニオンから出されたが、最近見ないということは、多分もう廃盤だろう(注:1997年当時)。

・オリジナルは輸入盤で、確かジャケットもタイトルも違ったような気がしたんだけど何て言ってたっけ、忘れた。

というすごく曖昧な答えしか返って来ず、でもアタシはその情報だけを頼りに、あちこちのCD屋を探して回りましたが、遂に見付けることはできませんでした。

でも、その頃はすっかりアイラーやコルトレーン、エリック・ドルフィーに夢中で「見かけたら何でも買う!」と息巻いていた時。

ある日フラッと入った中古レコード屋さんのCDコーナーで見かけた”見たことのないアイラー”を、何気なしに買って、聴いてみました。

冒頭、いきなりドヴォルザークの交響曲『家路』

そしてアルバムは「聖者の行進」や「ダウン・バイ・ザ・リヴァーサイド」など、スタンダードというよりも、古いトラディショナル・ジャズやゴスペル以前のスピリチュアル(黒人霊歌)ばかりが、一切フリーク・トーンの出てこないストレートな演奏で次々に奏でられていきます。

え・・・これ・・・?

ジャケットを確認しました。

「Going Home」

レーベルはBlack Lion・・・。

でもこれだ、これが例の「アイラーが一切フリーをやらずにブルースだけをやってるアルバム」だ!!

感動で打ち震えました。

その間もスピーカーからは淡々と、アイラーの目一杯の感傷を込めたヴィブラートが、テナー、ソプラノと楽器を時々替えても、何ら変わることない質量で、泣けとばかりにずーーーーっと迫ってきます。

泣きました。

生まれて初めて、特に悲しいことや、悔しいことがあった訳でもないのに、ただ音楽の美しさに涙腺をグッと押されたように、涙がボロボロ落ちてきました。

「うわぁ・・・何ていうんだろう。これは・・・超・・・音楽・・・」

そんな訳の分からないことを頭の中でぐるぐる回転させながらも、意志とは関係なく涙がこぼれ、胸の奥底からは、切ないような、ヒリヒリ痛むような、そしてどこか懐かしいような感情が、そんなのどこにあったんだと思うぐらい大量に溢れてきて、多分それが涙になっているようでした。

アイラーは優しい。それよりも何よりも、この音楽は一体何だ。

今でもこのアルバムはアタシの宝物です。

「アイラーで一番凄い」

先輩はそう言いましたが、アタシは、これはもう、音楽として一番深いところに響いて鳴り止まない何物かであると、今も思っております。



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2017年10月06日

エイフェックス・ツイン ドラッグス

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エイフェックス・ツイン/ドラッグス
(Warp)

今日はテクノについて語ろうと思います。

テクノという音楽は、読んで字の如く、”最先端”をイメージさせる音楽です。

人によって細かい手法は違いますが、この音楽は打ち込みのビートにシンセサイザーや様々な機器を駆使して作ったフレーズを掛け合わせてゆく音楽といえます。

古くは70年代にクラフトワークら、ドイツのいわゆる”クラウトロック”と呼ばれる人達がその原型を作りましたが、これが世界中に波及して、特にクラブシーンで独自の発展を見せて、パーティーに集まった人達を踊らせるハウス・ミュージックや、或いは日本でいえばYMOなど、ポップスとして歌モノの楽曲を打ち込みやシンセサイザーなどのアレンジで装飾したテクノポップと呼ばれるもの、更には電子音楽で作るアンビエント・ミュージックや、バンド・サウンドと融合したエレクトロニカ、近年では元々”ノイズ・ギター・ポップ”というオルタナティヴ・ロックのひとつの形態と呼ばれていたシューゲイザーなんかもテクノとの関わり抜きに語ることは出来なくなりつつあります。

細かいことはさておきで、80年代90年代、そして2000年代から現在に至るまで、テクノ・ミュージックは技術の進化と共に様々な形で世に送り出されてきました。

そして、それらのほとんどが、めまぐるしく発展する録音/再生技術の中で次々と懐メロになってゆくのを感じます。

何年か前にダフトパンクが流行って、アレが最先端のテクノではなく、80年代のオマージュ的なサウンドだったことには「あぁ、もうこの分野も過去のスタイルをネタとして使うようになるまでになったんだ」と、ある意味凄い衝撃でしたが、テクノという呼び方も、もしかしたらあと少しすれば「あぁ懐かしいね」というものになってしまうのかも知れません。

で、そんな中「懐メロにならないテクノ」を、四半世紀以上黙々と作り続けている人がおります。

1.jpg

”エイフェックス・ツイン”こと、リチャード・D・ジェイムスです。

90年代にドラムンベースというスタイルが流行って、その時この人も世界的な人気アーティストになりました。

黙っていれば結構カッコイイ顔してるのに、ニヤッと不気味に笑った江頭2:50みたいな顔写真やイラストをジャケットに使ったり、水着美女とか子供とか、色んな被写体にコラージュして張り付けたり、正直「うわ、何じゃこりゃ!?」という感じで、なかなかに正体の掴めない、不気味な存在であったと記憶していますが、そこんとこどうなんだよと、この分野に詳しい友人に訊いたところ

「いや、彼はいいんだ。そうやって自分自身を記号化することで、今のテクノブームから距離を取るスタンスを保っているわけだから」

と、何やら禅問答のような答えを貰い、頭の中に「??」がいっぱいになったところでアタシは彼に興味を持ちました。

こんなことを言うと怒られるかも知れませんが、アタシは90年代のテクノブームの時に、どうも今イチその音楽的な良さみたいなものを掴みかねておったんです。重低音とシャキシャキしたプレセンス(超高音)を強調したサウンド、忙しなくてどうノればいいのか分からない均一的なビート、何かメロディーがあってそれが展開して行く訳でもなく、ただ時間を刻むみたいにバーッと鳴らされるだけの効果音的なフレーズの繰り返しだと思ってて、事実その繰り返しを楽しむのがテクノだと言われて、ますます訳がわかんなくなったんです。

「そんなのおもしろくねぇよ」

と生意気にも言えば

「面白いとか面白くないとかじゃねーよ、こういうのを爆音で流してバカになって踊り狂うのがいいんだ!」

と百倍キレられて、あぁやっぱりオレにはクラブとかレイヴとかそーゆーのは遠い世界だわいと嘆いていたところにエイフェックス・ツインは踊らせるための刹那的レイヴ・ミュージックに背を向けた、アーティスト性の高いテクノミュージックを作ってどうのとか、フジロックフェスで犬小屋に閉じこもってDJやってたとか、という記事の数々を断片的に読み

「う〜ん、テクノってわかんないけど、どうもコイツだけは俺が好きそうな頭のおかしなヤツの臭いがするなぁ」

と、何となく好意的に思ってはおりました。


そん時たまたま聴いたのが、2001年リリースの「ドラッグス」というアルバムです。



(Disc-1)
1.ジウェセック
2.ヴォードホスブン
3.クラードフブクブング・ミッシュク
4.オミーガ・スウィッチ7
5.ストローザ・タイン
6.グウェーリー・マーナンズ
7.ビディオンコード
8.コック / ヴァー10
9.アヴリル 14th
10.モン・サン・ミッシェル+セイント・マイケルズ・マウント
11.グワレック2
12.オーバン・エック・トラックス4
13.オソワス
14.ヒ・ア・スクリアス・リフ・ア・ダグロウ
15.ケッソン・ダレフ

(Disc-2)
1.54カイムル・ビーツ
2.ボトム・ルマーダ
3.ローナデレック
4.Qkthr
5.メルトフェイス6
6.ビット4
7.プレップ・グワレック3b
8.ファーザー
9.テイキング・コントロール
10.ペティアティル・シックス・フトドゥイ
11.ルグレン・ホロン
12.エイフェックス237 V7
13.ジゴマティック 17
14.ベスク3epnm
15.ナノウ2


まず一曲目からビートなしの静かな曲に、美しいピアノ。そこから出てくる鋭いけれどもどこか儚い打ち込みのビート。

これで「あ、これは俺でも聴ける」と思い、2枚組を一気に聴いて聴き終わる頃には「本当に不思議だけど、テクノってこんなに心地良い音楽だったんだ・・・」と、今まで味わったことのない、ポワ〜っとした不思議な感情が心を埋め尽くしておりました。

世間の評判を聞けば「あれはテクノじゃない」とか「新しいことはやってないよね」とか、主に彼の作品をずっと追いかけていたファンの人達から、否定的な声も大きかったみたいです。

確かに、何が新しくて何が古いのかよーわからんけれども、この分野に疎いアタシのような人間が聴いても、普通に「音楽」としてカッコ良く聴けた。途中途中で美しいピアノや生音の弦楽器などをフィーチャーした曲が流れては来ますが、基本はやっぱり「ダッダカダッダダ!ダカスッコンコン!」のあのドラムンベースのビートがミニマルな展開で鳴り響く、古典的ともいえるテクノ・アルバムだと思います。

でもこの、無機質で一貫して冷たい質感の楽曲の中にじんわり沁みている優しさは一体何だろう?考えてみりゃあアタシは音楽的なジャンルでどうとか、刺激を求めてとかそういうことではなく、このアルバムを作ったエイフェックス・ツイン、もといリチャード・D・ジェイムスという人が、もう本当に音楽が好きで、自分を心から豊かにさせた音楽、つまりハウスやテクノはもちろん、ジャズやクラシックやロック、そして民族音楽に至るまでの全部への愛を、この2枚組の大作に目一杯詰め込んだんじゃなかろうかと思いながらこのアルバムを聴く度に胸にギューンと来て、何か切ない気持ちにさせてくれる優しさに浸る幸せを噛み締めております。

そして今「ドラッグス」を聴いても、不思議なことに全く懐メロになっておりません。それはきっと、このアルバムを作っていた時に音楽に捧げたこの人の情熱や愛情といったものの温度が、きっと最高に普遍的なものだったからに違いありません。うん、テクノのことは相変わらず全然分からないが、きっとそうなのだ。

このアルバムを最後に、13年にも及ぶ長い沈黙に入り、つい最近復活したということを考えると、今度は今の時点で話題になっている最新作を聴きたくなりますね。





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2017年10月04日

ブッカー・リトル(Booker Little)

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ブッカー・リトル/Booker Little
(Time)

この10月に入ってどハマりしている”ジャズ、哀しいトランペット・シリーズ”(うむ、他に何か良い言い回しはないだろうか・・・)でございます。

今週はウェブスター・ヤングトニー・フラッセラと、それぞれ違うタイプの「この人のラッパは凄く切なくて、そこはかとない味があっていいよね〜・・・」という二人を皆さんにご紹介してきました。

んで、他にこういう味わいを持っているトランぺッターっていないかなぁと、CD棚を物色していたら、おりました。

というよりも、まずもってアタシに生まれて初めて

「ジャズのトランペットってカッコイイかもよね」

と、思わせてくれた、原点である重要なトランぺッターの存在を、アタシはすっかり忘れておったんですね。

あぁいけません。

でも、そのままにしといたらきっといい加減で頭の弱いアタシは、またしても忘れてしまうと思いますので、忘れないうちにご紹介します。

ブッカー・リトルです。

アタシが決定的にジャズという音楽にハマり・・・や、その底無しの魔力にすっかり魅入られてしまったきっかけがエリック・ドルフィー

そのドルフィーの、最高にスリリングで、最高に妖しくて、最高に狂った毒に溢れているライヴ盤に「アット・ザ・ファイヴ・スポット」



というアルバムでした。

全員が全員、唯一無二のクセの塊のような個性を全力でぶつけ合った、今でも全てのジャズのライヴ盤の中でも最も刺激的なアルバム群(ファイヴ・スポット・シリーズは3枚の連作なのです)だと思っていますが、このアルバムで主役のドルフィーのひたすらブッ飛んだ演奏に対し、激しく盛り上がりながらも、時にフレーズを強引にアウトさせながらも、トータルでは美しく均整の取れたフレージングで全体のバランスを取っていたのが、トランペットのブッカー・リトルでした。

とはいえ、最初からドルフィー目当てでドルフィーのプレイしか聴いていなかったアタシにとって、その頃のリトルの印象は「いい感じに吹きまくってるけど、音は優しいし全体的に地味なトランペットだよね」というものでしかなかったのですが、それがある日突然、ドルフィーの特異で異様なソロの余韻をスーッと消して、全く独自の、激しさの中に憂いが満ち溢れた色に「パラパラパラ〜」と塗り替えてゆくその雰囲気にハッと気付いてから

「何て凄いトランペットなんだ!」

と、アタシはすっかりリトルにも夢中になったんです。

そう、この人の場合は「切ない哀しいトランペット」といっても、演奏スタイルそのものはどこまでも熱く激しく、聴き手にしっかり興奮も与えます。

資料に目を通してみたら、1950年代半ばに交通事故で不慮の死を遂げたモダン・ジャズ・トランペットの第一人者、クリフォード・ブラウンの正統な後継者として、演奏技術もアドリブセンスも、かなりの人に期待されておった。

つまりモダン・ジャズの本流の、次世代のスターとしてとても注目されるぐらいの実力者だったんです。

19歳で大物ドラマーであり、クリフォード・ブラウンと一緒にバンドをやっていたマックス・ローチに

「君いいね、クリフォードの後任としてウチのバンドに入りなさい」

と言われ、そこで評価を得て、バリバリの過激派と呼ばれたエリック・ドルフィーと一緒に「何か今まで誰もやってないような新しいジャズをやろうぜ!」とバンドを立ち上げたのが22歳の時。

正にミュージシャンとしては「これから」の時、尿毒症であっけなくあの世へ行ってしまったんですね。

周辺のミュージシャン達は

「ブッカーは元気でピンピンしてたのに、ある日いきなり病院運ばれてそこで死んだと。急死だよ、訳わかんねぇよ」

と、その若すぎる死に戸惑ったと言いますが、尿毒症・・・、多分喧嘩に巻き込まれて腹でも蹴られたんでしょうとアタシは思っております。倒されて激しく腹部を蹴られると、腎臓が損傷してそこから感染症を起こすことがあるのです。

それはそうと、リトルのミュージシャンとしての活動は、そんな風にたったの4年という短いものでありました。

もし生きてたら、リー・モーガンやフレディ・ハバードのように、60年代を代表するトランぺッターの一人として、数多くの作品を残してくれたに違いませんが、実はリトルは短い活動期間の中で3枚の正式なスタジオ盤を残しており、そのどれもが個性の輝きに満ちた、名作と呼ぶに全く値する珠玉のアルバムです。

その珠玉に順番なんかとても付けられませんが、彼のトランペットの素晴らしさに集中して最初から最後まで堪能できるのが、リーダー作として最初にリリースされた『ブッカー・リトル』



【パーソネル】
ブッカー・リトル(tp)
トミー・フラナガン(p)
ウィントン・ケリー(p)
スコット・ラファロ(b)
ロイ・ヘインズ(ds)

【収録曲】
1.オープニング・ステイトメント
2.マイナー・スウィート
3.ビー・ティーズ・マイナー・プレア
4.ライフズ・ア・リトル・ブルー
5.ザ・グランド・ヴァルス
6.フー・キャン・アイ・ターン・トゥ


トランペットのバルブの部分が、手書きで大きくイラストされたジャケットがもう最高ですね。ジャズのアルバムでこういう楽器を描いたもの結構あるんですが、そういうジャケットで中身がガッカリだったというアルバムには、未だ出会ったことがありません。

そしてメンバーが、ピアノにコルトレーンの『ジャイアント・ステップス』ロリンズの『サキソフォン・コロッサス』などなど、多くの作品で堅実なプレイを務め上げ、それらをことごとく名盤にしてきた、ザ・名盤請負人のトミー・フラナガン(BとCだけウィントン・ケリー)、ビル・エヴァンス初代トリオの天才ベーシスト、スコット・ラファロ。ドラムはバップからモダンから、ちょいと前衛なものまで、この人に任せておけば安心のロイ・ヘインズ。

モダン・ジャズの、ちょっとクセのあるカッコいいホーン奏者のワン・ホーンを聴きたいなと思ったら、これ以上望むべくもない最高のメンバーです。

そんなメンバー達、全員がしゃかりきになって個性をブチ撒けずに、カッコイイ伴奏に徹した、すこぶる大人な演奏なんですよ。

そのサポートを得て、思う存分に吹いているリトル。

この人の個性は「一見フツーに聴こえるんだけど、実はちょっとしたところにクセやアクがみなぎっている」とでも言いましょうか。とにかくブリリアントです、リズムに乗れば結構吹きまくります。決して”味”だけで売ってるラッパ吹きじゃないし、若さゆえの”突っ走り”もあって、テクニックだけで無難にそつなくこなす人でもありません。どちらかというと激しく突っ走ってる時でもメロディを意識して「丁寧に歌を紡ごう」という気配りに溢れた展開に、聴く側の意識を誘うのがとても上手い人です。

でも、この人独特の「クシュッ」とひしゃげた音色がそうさせるのか、それともアドリブの途中でさり気なく織り交ぜられるマイナー・フレーズの一瞬がそのような効果を持っているのか、とにかく全体がどこか沈んだ感じであり、そして聴き終わった後にヒリッとした切なさが残ります。

どの曲もカッコ良くて、キッチリ興奮もさせてくれますが「これ!」という曲は、2曲目の「マイナー・スイートと5曲目の「ザ・グランド・ヴァルス」。

「マイナー・スウィート」は、疾走系4ビート・ナンバーですが、無伴奏っぽく(ロイ・ヘインズが軽くアクセントでオカズを入れる)吹き上げている哀愁のイントロから、一気にやるせないアドリブが走り抜けてゆくこれがもうたまんなくて、「ザ・グランド・ヴァルス」はエリック・ドルフィー、メモリアル・アルバムに入ってる『ブッカーズ・ワルツ』と同じ曲ですが、コチラはテンポをグッと落としていて、クシャッとしたリトルの音のまろやかさと美しいメロディとの溶け合いに何だかウルッときてしまうのです。





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2017年10月03日

トニー・フラッセラ トランペットの詩人

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トニー・フラッセラ トランペットの詩人
(Atlantic/ワーナー)

只今秋の感傷モードの真っ最中ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

ブログをご覧の皆様には、既にお気づきかと思います。アタシはこの秋になり「トランペットってもしかして切ねぇ!?」ということを、今更にして気付いてしまい、感動したジャズ・トランペットのアルバムについて書いております。

えぇ、皆さんも心の中に「これ、切ないよ」という音楽、あろうかと思いますので、秋になったらぜひともそういう音楽と、とことん切なくお過ごしになられたらと思いますが、まだそういう音楽ねーよという方や「ちょっと切ない音楽聴きたいけど何を聴けばいいのよ」という切実な思いをお持ちの方は、どうかこのブログでのアタシの戯言を記憶の片隅にでも置いて頂き、音盤と出会う時のご参考にしていただけたらと思っております。えぇ、切に願っております。

で、今日も「せっつねぇトランペット」いきましょうね。

トニー・フラッセラという、白人ジャズ・トランペットの、知る人ぞ知る名手がおります。

いや、どっちかというとあんま知られてないことの方が多い、隠れ名手と言うべきでしょうか。

知られてない理由を挙げると、やはり活動期間が短く、作品をほとんどリリースしていないということ、聴いた誰もが衝撃を受けるような、激しさとインパクトに溢れた演奏というものは一切やっていないということになるでしょう。

ですが、ジャズをこよなく愛し、色々と聴いてトニー・フラッセラに辿り着いた人達は口を揃えてこう言います。

「この人のトランペットは本当に深い。これを聴いていると、何か忘れていた大切なものを思い出したような気持になるね」

と。

はい、そうなんです。トニー・フラッセラの吹くトランペットは決して派手じゃない。聴く人を興奮させる速いフレーズとかスリリングな展開とか、そういうのはないけれども、その一音一音丁寧に噛み締めるような演奏スタイル、曲の持つメロディの肝とも言うべき部分をひたすら美しく磨き上げ、余分なもののないありのままの美しさを、鮮やかさとはまた別の、深く落ち着いた光沢で輝かせるようなアドリブで、聴く人の心にそっと花を置いてくれます。

そんなどこまでも抒情的な演奏をするフラッセラに付いたあだ名が”トランペットの詩人”。

はい、その通りだと思います。

でもこの”詩人”という言葉の響きって、彼の演奏を聴いていると、どこかやるせなく、どうしようもないものが青白く揺らめいているようでどこか哀しい、そして悲しい。

彼の人生は孤児院で始まって、そこを出た時に音楽に希望を見出して、見よう見まねでトランペットを手にする訳なんですが、良い感じに上達して、人気も出て、演奏活動そのものは順調のようでしたが、レコードセールスの波に乗れず、元々常用していた麻薬が彼を呑み込み、シーンから遠ざかることと、束の間復帰することを小さく繰り返しつつ、結局若くして亡くなってしまう。

音楽に簡単に、ミュージシャンの人生を反映させることはどうかと思いますが、彼の片言で懸命に愛を歌ってるかのようなトランペットを聴くと、何かそんなどうしようもない人生が、バカみたいにスッと折り重なってしまうのです。

似たようなタイプでチェット・ベイカーがおります。

才能にも容姿にも恵まれていながら、まるで自ら望んで破滅に向かって突き進んでいるかのような破天荒な人生という意味で2人は大いに重なりますが、チェット・ベイカーはトランペットの演奏技術が実はズバ抜けていて、優しく甘い音色とは裏腹な、派手で華のあるプレイをします(意外とベイカーは吹きまくっている演奏多いのですよ)。それゆえ生涯を通じて華やかなジャズの表舞台に常に居ることが出来たということを考えると、フラッセラのひたすら楚々として美しく、そして派手な脚光を浴びることのなかったジャズ人生って・・・と思い、また胸に切ない感情が滲んでくるのであります。




【パーソネル】
トニー・フラッセラ(tp)
アレン・イーガー(ts)
ダニー・バンク(bs,AD)
チャウンシー・ウェルシュ(tb,AD)
ビル・トリグリア(p)
ビル・アンソニー(b)
ビル・ブラッドレイ・ジュニア(ds)

【収録曲】
1.アイル・ビー・シーイング・ユー
2.ムイ
3.メトロポリタン・ブルース
4.レインツリー・カントリー
5.ソルト
6.ヒズ・マスターズ・ヴォイス
7.オールド・ハット
8.ブルー・セレナーデ
9.レッツ・プレイ・ザ・ブルース

彼の数少ない作品の中から、代表作であるところの「トランペットの詩人(原題:Tony Fruscella)」を聴きましょう。

とにかくもうこのジャケットですよね、繊細そうな良い男が、トランペットを抱えて沈んでる白黒のポートレイト。これは紛れもない本人で、決してアルバムジャケット用に取ったポーズではないでしょう。えぇ、普段からこんな雰囲気を醸す人であったらしいです。

とにかく中身を聴かずとも、このジャケットだけで、この中に収録されている音楽がどんなものであるか、8割がた語られていると言っていいと思います。

中身はフラッセラのトランペットが、”幻のテナーマン”と呼ばれたアレン・イーガーのまろやかで共通した翳のようなものを持っているテナー・サックスと、ひたすら美しいメロディを紡いでゆく、派手で猛々しいところが一切ない、アンニュイな空気から醸される上質な憂いが終始漂っておるアルバムです。

2曲でバリトン・サックスとトロンボーンが入り、ちょっとだけ賑やかにはなりますが、「ススス・・・」と吐息まじりでメロディを淡々と紡いでゆくフラッセラのトランペットが響くだけで、空気がスーンと落ち着いたものになるから不思議です。

リズム・セクションはビル・トリグリア(p)、ビル・アンソニー(b)、ビル・ブラッドレイ・ジュニア(ds)という、偶然にも”ビル”が3つ並んだトリオで、この人達もさほど有名な人達ではありませんが、落ち着いた気品のある、いいサポートです。

特にビル・トリグリアのピアノは、バックでは控え目にコードを、ソロは弾き過ぎずコンパクトに、の職人的な”引き”が感じられて、そのさり気ないセンスの良さがひたすら好感度高いです。

楽曲の中でオススメ、というか、聴く毎に何ともいえないやるせなさの海へ引きずり込まれてしまうのが6曲目の「ヒズ・マスターウ・ヴォイス」。

クラシックのフーガ風のイントロから落ち着いた4ビート(ドラムはブラシ)が入り、フラッセラ、イーガー、トリグリアと、静かにバトンが渡されてゆくソロの、何と切々と優しく身を切ることか。そしてまたエンディングでトランペットとテナー・サックスによる美しいフーガが哀しく響く。

あぁ、何だろうこのどうしようもないカッコ良さは。。。



(↓アナログもあります)





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